創価学会仏 について
『聖教新聞』(2017年(平成29年)十一月五日付)
推測される出典
威音王仏 とは
末法時代に新たな仏が出現する余地があるか、どうか。
戸田発言(?)と池田発言の根本的矛盾
戸田会長 『仏は末法には日蓮大聖人以外にいない』(『戸田城聖全集』四巻一〇六頁)
『聖教新聞』(2017年(平成29年)十一月五日付)

▼<今回の改正では、前文に世界広宣流布を実現しゆく「仏意仏勅」の正当な教団は創価学会しかないことから、未来の経典に「創価学会仏」と記されるとの第2代会長・戸田城聖先生の御指導を加えた。
「創価学会仏」の意義について、戸田先生は次のようにご指導された。
”大聖人に直結した広宣流布遂行の和合僧団である創価学会は、それ自体、仏そのものであり、未来の経典には『創価学会仏』の名が記されるであろう。”
それを踏まえ、第三代会長の池田大作先生は、今夏の全国最高協議会に「御本仏の広大なる慈悲を体し、荒れ狂う娑婆世界で大法を弘通しているのは、学会しかない。
戸田先生が『創価学会仏』と言い切られたゆえんである」とのメッセージを贈り、創価学会それ自体が「仏の存在」であることを示した。
この御指導は、学会という和合僧団の出現の意義、宗教的独自性を明確に宣言したものであり、会として未来にわたって踏まえるべき重要な内容であることから、その趣旨を会則に加えたものである。>
推測される出典
昭和三十七年十月十八日・座談会 池田大作が「戸田会長から聞いた話」として次のように語っている。

▼ 戸田先生がひとことお話になりました。
たとえば、こういう大勢の学会人がいても、将来、将来といっても、これはいつのことになるかわかりませんけれども、経文が、また仏が出て説かれるときには「創価学会仏」という仏の名前で出ると。
威音王仏(いおんのうぶつ)といろいろあるでしょう。
そういう立場で「創価学会仏」という仏になるというそういう意味の、先生がおおせられたらしいのです。
これは不思議です。(中略)
(威音王仏の威音王という名前も、今で考えれば、当時、あったと考えてよいわけですか、その質問に答えて)
そういう代表の仏の人物がいたともいえるし、一つは教団があったともいえるのです。
(巻頭言・講義集 第三巻)
(※戸田会長自身の「創価学会仏」との発言記録は見当たらない。)
とすればこれも例の如く
▼「(宗門への)追撃の手をゆるめるな」
▼「あとはお前だ。頼むぞ」とのエレベーター相承
と同様に池田大作による戸田発言捏造(ねつぞう)の疑いが極めて濃厚である。
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威音王仏 とは
池田発言
(法華経に説かれる威音王仏を)
▼「そういう代表の仏の人物がいたともいえるし、ひとつは教団があったともいえる」
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『法華経不軽品第二十』
■「威音王佛の壽(じゅ)は、四十萬億那由他恒河沙劫なり。
正法世に住せる劫数は、一閻浮堤の微塵の如く、像法世に住せる劫数は、四天下の微塵の如し。
其の佛、衆生を饒益し己って、然して後に滅度したまいき。
正法像法、滅尽の後、此の国土に於いて、復、佛出でたもうこと有りき。
亦威音王如来・應供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上土・調御丈夫・天人師・佛世尊と號(なづ)けたてまつる。
是の如く次第して、二万億の佛有(いま)す。
皆同じく一號なり」(法華経 四九八頁)
現代語訳
「威音王仏の寿命は四十萬億那由他恒河沙劫である。
威音王仏の説いた法は、正法時代、像法時代と永く世に住して衆生を利益する。
そして正法・像法を過ぎて仏法が滅尽すると、その同じ国土にまた仏が出現するが、その仏も威音王仏と号する。
こうして二万憶の仏が順次に出現したが、皆、同じく威音王仏と号したのである」
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「威音王仏」とは、教団の名前でもなければ、その代表者の名前でもない。
順次に出現した二万憶の仏が、皆、威音王仏という名を名乗った(つまり、同一の威音王仏という仏が幾度も世に出現したか、あるいは順次に出現した仏が同じ名を名乗ったか、のいずれか)ということに他ならない。
これを池田は、同じ時空に存在する集団の名前を威音王仏と称したかのごとくスリ替え、「創価学会仏」へと結び付けようとした。
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末法時代に新たな仏が出現する余地があるか、どうか。
上掲の『不軽品』の文
一人の仏が出現して、法を説いた後、正法時代・像法時代を経(へ)て仏法が滅尽すると、また一仏が出世して法を説く、というように、仏は「是の如く次第して」世に出現されるのであり、同一の時空に同時に二仏が出世して法を説くことはありえない。
(※むろんここでいう「仏」とは、法を説く教主としての仏であり、一切衆生に仏性が具(そな)わるという意味での、総じての仏を論じているわけではない。
学会では、この両者を故意に混同して述べることで、人々を惑乱(わくらん)する手法を使うことがあるので注意)。
『涅槃経』
「一人出世すれば多人利益す。一国土の中に二の転輪王あり、一世界の中に二仏出現す、といはば、是の処(ことわり)有ること無けん」
一仏一国土(一仏が教化する時空に二仏・三仏は出世しない)が仏法の大原則。
『報恩抄』
■「日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながる(流布)べし」
この地球上の末法時代は万年を超えて未来の果てまで続き(地球上の歴史上では、末法の次の時代が到来することはない)、その教主・一仏は宗祖日蓮大聖人御一人。
ゆえに、大聖人に続く第二の仏が地球上に出世する余地はない。
もし万が一、そのようなことがあるとしたら、大聖人の御金言の中にその予証がなくてはならない(釈尊の法華経の中に、大聖人の御出現が予証されていた)。
仏法はどこまでも道理・証文に基づく証拠主義であり、その証拠もなく、新たな仏を名乗る者が現れたとしたら、それは仏法を破壊する魔仏。
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戸田発言(?)と池田発言の根本的矛盾。
池田だけが言う戸田氏が述べた(?)とされるの内容は、
▼「未来のいつの日にか新たな仏が出世して法を説く時には、その経文の中に(過去の存在として)「創価学会仏」という名が出るだろう」
池田らが言うのは、この未だ出世してもいない未来の仏の経文を前提に、今の創価学会(あるいは学会の代表的指導者)を仏であると言い切り、宣言する、というもの。
前提が存在してもいないのに、それをゴマカして結論を導き出している。
(慧妙 平成二十八年 12月16日号 1面 を要訳・編集)
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戸田会長
◎ 『仏は末法には日蓮大聖人以外にいない』(『戸田城聖全集』四巻一〇六頁)
大聖人の御書を根本というなら、「創価学会仏」なる仏が御書のどこに記されているのか示せ。
一、戸田氏が「創価学会仏」を明言している文を証拠として示せ。
二、もし、戸田氏の発言だというなら、池田以外に聞いている複数の人間の証言を示せ。
三、末法の先の「未来」とは、いかなる時代なのか、その文証を示せ。
四、末法の先の「未来」の仏とは誰なのか、また、その仏の出現を予証した命言を示せ。
五、「未来の経典」とは何処で説かれ、何処にあるのかを示せ。
(慧妙 平成二十七年十二月一日号 要訳・編集)