妙相寺支部 全国地区 和歌山の岡本 仁と申します。48才。

仕事は不動産業、設計、建築業を営んでおります。

 

『法華講員80万人体制の構築』を目指している大切な時に、体験発表をさせて頂き、さらに身の引き締まる思いであります。
どうぞ宜しくお願い致します。

 

尚、和歌山弁のイントネーション、と もしかすると「創価調」 でお聞き苦しい所、不適切な表現があるかもしれませんが、重ねて宜しくお願い致します。

 

私は昭和43 和歌山の下町に生まれました。
私が
6才の時に父親が出て行き、母子家庭での生活環境で育ちました。
今から思えは乳飲み子の弟を抱え、母親の苦労、心細さは並大抵のものでは無かったと思います。
しかし、私はやんちゃばかりしては、母親を困らせておりました。
でも大きく曲がらなかったのは母親がなりふり構わずに、愛情を持って育ててくれたお蔭だと思います。

 

高校卒業後、なかなか定職につけずにいた私を同級生の親父さんが、声をかけてくれ、昭和6310(20才の時)に日蓮正宗 創価学会に入信しました。

その時は、何故か素直に入信することが出来、朝6時に家に来るようにと言われて、勤行を教えてもらいました。

 

「これからはどんなことがあっても唯一の主であり、師匠であり、親である大御本尊様から絶対離れてはだめ、それだけは肝に銘じて、しっかり戒壇の御本尊様を求めなさい」と、御観念文を通して教えてもらいました。

 

当時はお山へも連れて行って頂き、御祈念したことも叶っており、言われるがままに、会合に参加し、文化祭、人材グループあらゆる依正に精一杯挑戦し、青年部では分県副青年部長、壮年では副本部長として活動をしておりました。

 

平成3年の破門、何も解らず、平成5年にはニセ本尊に替え、流れのまま活動をしておりました。
ただ、「日蓮大聖人様が師匠であるのに、池田先生も師匠?」ここだけは不に落ちず、壮年
婦人の方に聞きましたが、「私もわからない」とか「現実、池田先生についていけば間違いない。それが正しい信心との指導だから・・・」と、納得いくものがありませんでした。
しかし、地域の人は常にやさしく激励をして下さる方ばかりでしたので、考えない様にしておりました。

 

平成8年、同じ学会員の女性と結婚、マスオさん状態で、ご両親と同居、娘も生まれ、4年後の34才の時には、当時働いていたリフォーム会社の雇われ社長となりました。

いつかは社長になりたいと思っていた私ですが、そこからが大変。
毎月の社員の給料、業者支払、等々、初めての経営はなかなか軌道に乗らず、右肩下がりとなり、一部の社員には給料も払えず、もちろん自身も家にお金を入れられない状況となりました。

 

全身全霊でニセ本尊に、祈っても祈っても願いが叶わず、どんどん悪くなっていく現状に、御数珠を仏壇に向かって投げつけることもありました。

 

社長になって2年後にとうとう離婚、6才の娘とも離れ、「もう逃げたい・・・」と思う苦しい日々でした。
しかし「御本尊様からだけは離れない、そういう時もある!」と言い聞かせ信心を続けておりました。

 

今の家内とは同じ職場で、社長になった経緯、苦悩等を同じ役員として共有し戦った同志でもありました。
経営を立て直しては、また苦しくなる、少し良くなれば大きく下がる。
そんなことの繰り返しでした。

 

当時、経営状況、それぞれの環境もあり、私は娘が20才になるまで、彼女は高齢の母親を抱えており、いつかは一緒にという思いの中、必死で経営に取り組んでおりました。
それでも、いやな顔せず、普通に振る舞ってくれている彼女に対しての申し訳ない気持が、さらに偽本尊に祈り、活動に邁進していく要因になっていきました。

 

でも、環境は一向に変わりません。
恐怖心と焦りの毎日。
「御本尊様どうしたらいいのですか?
誠実に真っ直ぐ、普通に生きたいだけです!」
その想いとは裏腹に、現実は人に迷惑をかける事の方がほとんどでした。

 

そんな苦しい経営状態の中、彼女が4年前に乳がんになりました。
癌と診断された時、直観的に自分の罰だと感じました。

 

有難いことに定期検査で、初期の段階で見つける事が出来ましたが、手術説明の際、立会いで関係を聞かれ、「婚約者です・・」としか言えない自分に情けなさと腹立たちさがあり、手術日までの間に、彼女の誕生日に籍を入れました。
手術の当日、手術室から出てきた時、麻酔は効いていたのですが、震えていた姿を見たときは、「自分は、どうしょうもない奴だ!」と深く思い知りました。

 

続きはまだ有り、役員として会社で保険をかけていたので、癌と診断され、おりてきた1000万円も資金繰りのために、借金と業者支払にすべて廻さなければならない始末。
もう、どうしたらいいのか解りませんでした。

それでも、資金繰りが上手くいかずに、ついに倒産。
たくさんの下請け業者に迷惑をかけることとなりました。
しかし、有難いことに、その中でも、応援してくれる業者、お客様もあり、なんとか再起を果たしましたが、経営内容は苦しいものでした。

 

悶々と月日が経ち、「何かが違う・・・」と感じるのですが、何が違うか分からないまま、その時、家内は真如苑、互いに宗教が違うのも良くないので、「真如苑をやめてきてくれ」とお願いし、家内は父親が亡くなったのをきっかけに、入信していましたので、いろんな思いもあっただろうと思いますが、素直にやめてきてくれました。
一瞬だけ、「創価に」と思いましたが、家内に折伏は出来ませんでした。

 

昨年3月に勧誡を受けるまで、創価の28年間を振り返ってみますと、正宗時代を除けば、経済苦、離婚、経営不振、妻の癌、倒産。
急に意識が無くなり倒れること数回。
常に脅迫観念に駆られる日々でした。

 

"宿命転換"と言い聞かせては、恐怖心と焦りの中、右肩下がりの人生にもう疲れ切っていました。

 

そんな中、去年の2月中頃、入信当初から創価の庭で共に育ってきた、友人、Fさん(圏副書記長、青年部では総県副青年部長)が会社に飛び込んで入きて、「ここだけの話、創価学会は間違ってないかと?」言うのです。
理由を聞くと、「ブロック総会で『一眼の亀』の話をするのに、ネットで調べていたら、この人(樋田さん)ええ講義するなぁ。と聞いていたら、向こう(日蓮正宗側)の人やった!」と言うのです。

 

早速、私もネットを開き、「何かが違う・・」と感じていたことが、やっと繋がり、自分には戒壇の大御本尊様があったはずなのに、いつしか遠ざけられてしまっていた事に気が付きました。
それは、すごい衝撃というか、ショックでした。

 

今までの、自分の創価の信仰歴を全部否定することは辛かったですが、「まだ、踏ん張れる!48才、ラストチャンス!」という思いの方が強く、月末の日曜日に樋田さんが大阪に来るという事が分かったので、会ってもらい、私達の知らない話を聞け、確信することが出来ました。

 

次の日、私は一番信頼し、慕っていた幹部に、ニセ本尊をもって行きました。
私達が脱会するにあたり、大きな引き留めや騒動がありましたが、ぶれることなく、進むのみでした。

 

次の日曜日 菩提寺・妙相寺での勧誡をお願いし、家内に「創価は間違っていた」と伝えるとニッコと笑って、
「気づいて良かったね」と一言、
「今度は一緒にやってくれるか?」
「はい」
との返事。

 

「日曜日に長野に行くから、着物を持って行くように」とだけ伝え、付いて来てくれました。
家内は、今は仕事と茶道の先生を掛け持ちしていますが、夢は茶道一本でという想いがあり、私が会社を立て直し、いつかはそうさせたいと思っておりましたので、「着物を」という言葉になりました。

 

勧誡の日が36日に決まった翌日から、39度の熱が二日間続き、「今から進む道は間違い無い!」と確信致しました。

 

勧誡当日、菩提寺・妙相寺での勤行、唱題、太鼓の響きに、命にこびり付いていた汚いものが、浄化されていく様で涙が、止まりませんでした。

 

次の日、添書登山をさせて頂き、大御本尊様に四半世紀ぶりに、御目通りが叶い、
「すみませんでした!もう二度と魔にたぶらかされる事なく、もう一度頑張ります!お願い致します!」
と御誓いさせて頂きました。

 

祈れば祈るほど、安心感に包まれ、今までとは大きな違いがありました。

 

何があっても、「最低月1回の登山、御本尊様の許に行き、自分を正してもらおう!」と、決意致しました。

 

お山へ行った際に「登山のすすめ」「年中行事」「信心の原点」等の書籍を買い求め、ひとつひとつの所作の大切さが分かり、自分の中に落とし込んでいく事が出来ました。

 

そんな中、御金言の『四恩』を深く感じるようになり、仏祖三宝尊はもちろんのこと「父母の恩」の御言葉に、自身の置かれている生い立ちを鑑み、祖先を調べ始めました。

 

母親は養女で、実の両親を知らずに育ちました。
父親は
14年前に他界しておりましたが、その際も親戚からの知らせはなく、3年後に知る事になり、他宗の合葬墓地に入っておりました。

 

四代前までさかのぼり調べることが出来、「離れ離れになってしまう流れを何とか一つのものにしたい!」と強く思うようになり、「大石寺にお墓を建て、祖先を一つに!」との願いが強くなっていきました。

 

有難いことにその願いが叶い、大石寺墓苑に自分達の墓地を持てる運びとなり、父親方の『岡本』、母親方の『藤田』、両家の名前を刻みました。

 

父親の遺骨の替りに、子供の頃に行った祖父の家の前にある、川の石を拾ってきて入れようと考え、家内と二人で田舎に行きました。
ちょうどお隣に親戚の方がおられ、経緯を話しましたところ、近くの祖父のお墓まで案内してくれました。

 

その時に、祖父が日蓮正宗 創価学会に入信していたことが分かり、今の自分に道をつけていてくれたこと、20才の時に、素直に入信出来たことが繋がり、有難い思いでいっぱいになりました。
ただの石ころですが、私達にとっては祖先を繋げてくれた大事なものとなりました。

 

母親にも、お墓建立の経緯を報告し、昨年1216日勧誡を受ける事ができました。

 

願主としてお墓を建立できる歓び、そこにまで導いて頂いた大御本尊様の大功徳に、只々感謝しかありません。

 


この感謝の思いを『法華講員80万人体制の構築』に向け、少しでもお役に立てられる様に、全力で戦ってまいります。

正月には、菩提寺で元旦勤行・広布唱題会、2日には初登山で丑寅勤行・広布唱題会・御開扉との日程を組みました。

 
修行、礼儀、所作、自分に勝つことを念じ、有難くも大石寺では全て最前列で、猊下様のお側で、勤行、唱題させて頂きました。

 

創価時代に感じられなかった、感謝、感動、勇気が深層部分から湧き出てきました。

(※注 この姿は大白法の写真に写っています。)

 

 

また、今、関西ブロックでは、折伏目標 『100名』という大きな目標に向け、結束を固めながら、戦略・戦術・戦闘を打ち立て、4月の支部総登山までには40名、7月の支部総登山までには70名達成を、目指しております!

 

支部総登山から支部総登山を目標に、各班長としっかりと話し合いをしながら、1人でも多くの講員さんを巻き込んで、小単位の会合をもって戦っております。

 

この大きな目標に、「頭では出来ない、心ではすぐ折れる、でも九識心王真如の都で決意すれば出来る!」と、確信しております!

 

和歌山では、昨年14名の決定、5名の転入、今年4名の決定、計23名となりました。
有難いことに、家内も
121日に友人を折伏決定させて頂きました。

 

関西ブロックでは、本日25日を目標に、各班、各自が今までにない戦いを起し、手ごたえのある報告が続々と入っております。

 

昨夜、大阪の講員さんより、こんなメールが入りました。

「私達は、菩提寺が遠いという理由だけで、支部登山を優先し、菩提寺への参詣を、簡単に諦めて、疎かになっておりました。
今年は支部登山のない月に、妙相寺での御講、広布唱題会への参詣を予定しております。
この
2月は、予定しておりましたが、積雪との予報に、不慣れな私達では、危険と判断し、中止と致しましたが、来月312日の御講には、皆で車に乗り合わせて、必ず参詣したいと思います。」
という嬉しい声があがっております。

 

まだ油断は出来ませんが、今月 大阪1、和歌山3、兵庫1名の目途がたっております。

 

樋田さんの、落合御住職、日如猊下様、戒壇の大御本尊様に繋げようという熱い思いが、形になってきております。

 

「何としても此の経の心知れる僧に近づき」御僧侶と勤行、唱題をご一緒させて頂くことが、九識心王真如の都を早く開く鍵だと、深く感じることが出来ました。

 

平成33年日蓮大聖人様ご生誕800年を、大勝利で迎えられるように、月々日々の積み重ね、この1年、支部折伏目標235から目をそらさず、手放さず、あきらめず、なかんずく関西ブロック月目標「8」を断固、やりきってまいります!