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真如宛

● 沿革
● 長男死亡
● 有罪判決
● 次男死亡
● 本尊
● 実践

破折ポイント

● 教祖一家の内紛 
● 本尊迷走
● 涅槃経には、寝釈迦像・不動明王・十一面観世音菩薩を本尊とせよとは説かれていない
● 仏性と霊能は関係ない
● 霊能者はマニュアルで指導
● 霊魂 など仏教ではない
● 真如霊界など仏典にない
● 抜苦代受 など単なる言い訳・こじつけ
● 結局 金
● 涅槃経は最勝の経ではない
● 法華経と涅槃経の比較
● 真言宗からも逸脱
● 伝統仏教・真言宗の権威にすがる
  @ 涅槃経を依経 矛盾
  A 釈迦像を祀る 矛盾
  B 系譜の矛盾
● 本音
● 魔の眷属
● 現証

参考 霊能は心理的作用
    15億で仏像落札
    際限ない寄付金

● 信者への忠告
● 教祖一家の離散
● 教祖一家の離散の矛盾

【創立】 昭和11年2月8日

【創始者】 伊藤真乗・友司夫妻

【現継承者】 伊藤真聡(真乗の三女)

【信仰の対象】 教主が彫刻した久遠常住釈迦牟尼如来

【教典】 『大般涅槃経』


団の沿革

真如苑(しんにょえん)は、伊藤真乗(しんじょう)・友司(ともじ)夫妻が「誰でも霊能者になれる」と主張して設立した、真言宗系の在家教団です。
当初は真言宗系を自称 途中から涅槃経を所依の経典に

 易鑑定からのスタート

伊藤文明(真乗の本名)は明治39年農家の二男に生まれましたが、彼の生家には「甲陽流病筮抄(こうようりゅうびょうぜいしょう)」という易書が伝えられており、小学校に通う頃から父にこれを教え込まれました。

文明は23歳の時、「大日本易占同志会」に研究生として入会し、一年で所定のコース終了。周囲の人間に占いを施す。

そして昭和7年、27歳の時に又従兄弟(またいとこ)にあたる内田友司と結婚し、このころから易による鑑定や人生相談などを始めました。
友司の祖母は霊能者。伯母の油井玉恵に伝承されたという。

かくして、真乗は易占い、友司は霊能で信者獲得開始。
当時は、新興宗教への特高の目が厳しく、それを逃れるために易の研究生時代に知り合った人物の仲介で
昭和10年から11年にかけて、文明は成田山新勝寺と関係を結び、自宅にその講中(信徒組織)として「立照閣」を設立し、本尊を「大日大聖不動明王」と定めました。
十年暮れ、不動尊像を入手。
11年正月から夫婦で寒行。妻の友司はその満願(まんがん)の日に神がかりとなり、同席していた伯母の玉恵から霊能者としての相承を受けて霊能者になったのだそうです。

昭和11年2月、伊藤文明・友司夫妻は宗教一筋の生活に入ることを決意しました(真如苑では、この日を立教の日としています)。

ところが同じ年の6月、3歳の長男・智文が風邪をこじらせて急死してしまいました。

これは設立間もない教団にとっては大事件であり、この解決のために夫妻は高尾山にこもって荒行を行い、「長男の死は、他人の苦の身代わりになった(抜苦代受)」と勝手な結論を導き出しました。


「まこと教団」から「真如苑」へ

昭和13年8月、伊藤文明は現総本部の地に「真澄寺(しんちょうじ)」を建立し、真言宗醍醐派の「立川不動尊教会」を設立しました。

そして同じころ、文明は京都にある真言宗醍醐派の総本山・醍醐寺三宝院で出家得度し、昭和16年には「大阿闍梨(だいあじゃり)」の位を得て、名前を文明から真乗に改めました。

そして昭和23年、伊藤真乗は大衆教化(たいしゅうきょうけ)を目的として「まこと教団」を設立しました。

ところがその2年後、教団は元教団幹部から「教団内の修行場でリンチが行われている」と告訴され、真乗は検挙・起訴されました。
これがいわゆる「まこと教団事件」です。
この事件で、真乗は懲役7か月(執行猶予三年)の有罪判決を受けました。

そして教団は、この事件によるイメージダウンを回避するため、昭和26年6月に教団名をまこと教団から「真如苑」に改称し、真乗が教主に、友司が苑主に就任しました。


その後の展開

昭和27年7月、15歳の次男・友一が、カリエスで闘病の末に死亡しました。

このころから教団は、所依(しょえ)の教典を真言密教(しんごんみっきょう)経典から『大般涅槃経』に転換しました。

そして昭和32年には、真乗が自らの手で身長約5メートルの涅槃像(寝釈迦像)を彫刻し、これを本尊としました。

そして昭和42年8月、妻の友司が関西巡教中 急死。55才

昭和44年には真乗の再婚問題をめぐって伊藤家内に利権争いが生じ、三女・真砂子が自殺未遂事件を起こし、結果として長女と次女が教団を離脱しました。

昭和58年、三女・真砂子が真聡と改名し、平成元年の真乗の死後、真聡が苑主となり、四女・真玲がそれを補佐する体勢で、現在に至っています。

60年頃、真乗への反発から、長女・次女が離脱。(創価へ)
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教義の概要

いろいろな本尊

教団では、昭和32年に真乗が刻んだという「久遠常住釈迦牟尼如来(寝釈迦像)」を本尊としています。
しかしこれは立川総本部内にある発祥第一精舎(ほっしょうだいいちしょうじゃ=道場)に祀(まつ)られていて、

同本部内の真澄寺には「涅槃法身不動明王」と教団創立時の「大日大聖不動明王」を安置し、

さらに発祥第二精舎には「十一面観世音菩薩」を祀っています。

信者宅 写真本尊「久遠常住釈迦牟尼如来(寝釈迦像)」

教団ではこれらの立てわけについて、

(1)釈迦如来・・・真理身としての自性輪身

(2)観世音菩薩・・真理身は法を説かないので、正法輪身として教えを説く

(3)不動明王・・・教えを守らない者に強制的に守らせる教令輪身

というように定義し、これらの仏像等の建立によって「衆生の化導法(けどうほう)が整った(=三輪身満足)」などと言っています。

さらには「不動明王は真言密教(東密)の流れをくみ、十一面観音は天台密教(台密)と縁が深く、そこに涅槃経に即した涅槃像を祀ることにより、東密・台密・真如密の日本三密が成就した」ということも言っています。
↑どこの経典にもこのような説はない。真乗の思いつき、こじつけ以外の何物でもない。

立川総本部敷地内

地蔵菩薩 獄苦代受

稲荷 弁財天 護法善神

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 教義と実践

霊能 易占い 真言密教を混ぜ 
そこへ、釈尊(お釈迦様)最後の説法である『大般涅槃経』を根本の経典とし、この経典に説かれる「一切衆生・悉有仏性(いっさいしゅじょう・しつうぶっしょう)」の経文によって、誰もが仏性を有し霊能を具(そな)えていると定義し、その霊能を開発し霊位を向上させることによって「常楽我浄(じょうらくがじょう)」の歓喜の境涯(きょうがい)を顕(あらわ)すことができるとしています。
(仏性=霊能 と勘違い)


朝夕に写真本尊に涅槃経読誦 

さらに、教団では「三つの歩み」を信者に義務づけています。

(1)「お救(たす)け」・・・布教・勧誘活動

(2)「歓喜」・・・金銭の寄付

(3)「奉仕」・・・教団のさまざまな活動に労力を提供

これらを行うことによって、自身の持つ「悪因縁(あくいんねん)」を断ち切ることができるなどと教えています。

さらに、この三つの歩みを行う基盤となるのが、霊能者の指導により菩提心(ぼだいしん)の向上を目指す「接心」と呼ばれる修行です。


ちなみに真如苑でいうところの「霊能」「霊能者」というのは、世間一般や他の新興宗教・神道の概念とは少し違い、

この教団では「霊能」について、

▼「接心修行を中心にして、そこに顕現される涅槃の正法に即した神通変化を示す力」

▼「人々の仏性をおおっている三毒の妄炎を吹き消して涅槃を示す智」

などと定義し、さらに

「霊能者」については、

▼「迷いの中に生きる人々を、真如の教えを通して常楽我浄の世界に導く道標者」

などと意味不明の定義しています。

さて「接心」とは、信者が、教祖の長男・次男の霊と感応した霊能者と対座して、霊能者が話す霊言(ミディアム鏡)を聞き、問題を解決したり心を浄(きよ)めたり、霊能を開発するというものです。

教祖の長男(智文=教導院)と次男(友一=真導院)は若年で死去しましたが、教団では「これは信徒の苦悩を代わりに受けて(抜苦代受)早くこの世を去ったのだ」と教えていて、信徒の病気が治ったり苦難から救済されるのはこの二人の働きによるとして、「両童子様」と呼んで祀っているのです。

またこの「接心修行」にはいくつかの種類があり、

(1)「向上接心」・・・自身の修行として月に1回は必ず参加する(※ある信者から聞いた古い情報であるが 1000円)

(2)「相談接心」・・・霊告によってさまざまな悩みを解決するための指導を受けること(※ 2000円)

(3)「特別相談接心」・・・(2)を特別に行ってもらうもの(※ 

(4)「鑑定接心」・・・事業・縁談などについて、易で鑑定してもらうもの(※ 1万〜2万)

などです。

もちろんこれらの接心に参加するには、必ず寄付金が必要になります。

何百回もの接心や、霊位を向上させるための
「大乗会」
「歓喜会」
「大歓喜会」
「霊能会」
という4段階の
「相承会座(そうじょうえざ)」
に参加することによって、
信者は霊能を磨き、仏性を開発することができるというのが
真如苑の教義
なのです。

真如苑では、入信者に対して「小乗」→「大乗」→「歓喜」→「霊能」という段階的ステータスが用意されていて、これによって信者は競争意識を煽(あお)られ、ネズミ講のような形の中で信者集めに狂奔(きょうほん)し、お金を積み、行を重ねる、というようなシステムになっています。

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邪宗教である理由

 本尊に迷走する真如苑

昭和10年の不動明王に始まり、

昭和32年には寝釈迦像、さらに

昭和54年には十一面観音を加えて、

▼「衆生の化導法(けどうほう)が整った(=三輪身満足)」などと主張した伊藤真乗ですが、それでは

● 衆生の化導法が整う以前の信者たちというのは「救済されなかった」ということになります。

その時々の思いつきで本尊を追加したりするから、こういうワケの分からないことになるのです。

信仰の根本である本尊がこの有り様では、どんなにもっともらしい理屈をこじつけても、ご都合主義の批判は免れません。

また、真如苑が依経(えきょう=よりどころの教典)としている

 『涅槃経』には、

▼「釈迦如来が久遠常住(くおんじょうじゅう)である」とか、
▼「不動明王やら十一面観音を本尊に立てて拝め」

などとはいっさい説かれていません。


やはりこれも伊藤真乗の勝手な思いつきであり、

● 涅槃経の経旨(きょうし)にも背(そむ)くものです。

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● 讃題の変遷

南無不動明王
   ↓
南無真如一如  南無大般涅槃経
   ↓
南無真如一如大般涅槃経

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 「霊能」は仏教とは無縁の外道義

真如苑では、「誰もが仏性を有し霊能を具(そな)えている」と定義し、その霊能を開発し霊位を向上させることを勧めています。

「一切衆生・悉有仏性(いっさいしゅじょう・しつうぶっしょう)」

というのは「すべての人にはことごとく仏性(仏界)が有る」ということですが、この

● 「仏性」と「霊能」は何の関係もありません。

仏法が説かれた目的は、すべての人々を成仏に導くことです。
成仏とはもちろん死ぬことではなく、「成」とは「開く」の義であり、我が身そのままに仏界(仏性)を開くことを「成仏」というのです。
そこには、霊能などという意味不明のいかがわしいモノはまるで関係ないのです。

教団の言う「常楽我浄(じょうらくがじょう)の歓喜の境涯」というのは、仏法ではこの成仏の境涯のことを指すのであり、霊能力を高めるだの霊位を向上させるだの、そういう馬鹿げたモノといっしょにされては困ります。

また教団では、霊能者の霊言を聞いたり指導を受ける「接心」なる修行がありますが、そもそも霊能などは、仏教とは何の関係もない外道(げどう)です。
このようなモノには何も意味が無いどころか、逆にこのような妄言に悪影響を受けて人生が狂う例はいくらでもあります。

そもそもが、真如苑の霊能者にはマニュアルがあり、これにしたがって「霊言を述べている」ということなので、外道の霊言ですらないのです。
こんなモノに耳を傾けるだけ損をします。

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 霊界だの霊魂だのは仏教ではない

真如苑では、

▼「霊界にいる先祖の霊魂が苦しんでいるので、その霊のタタリで現在が良くない。これを除くために、真如苑で護摩や施餓鬼(せがき)の供養をするように」

などと勧めています。

しかし、仏教では「死んだ後も、個々人の我(が)が霊魂として永遠不滅に存続する」というような説を「常見(じょうけん)」と呼び、これを否定しています。
仏教では死後の生命は法界にあって前世の因果を感じながら、縁にあってまた生じると説き、因果を無視した「霊界」や「霊魂」の存在を否定しています。

霊魂「のようなもの」というのは確かにありますが、それはこの因縁の大原理によって変相流転する生命の一面をかいま見たに過ぎません。

訳の分からない霊能者やら邪宗の坊さんやらが、テレビ等で好き勝手なことを言ったりしてますが、あれは実は仏教とは何の関係もない外道義なのです。

ましてや

 「真如霊界」などというものは、もちろん仏教典のどこにも説かれていない、真如苑が勝手に作り出した創作世界に過ぎず、何の根拠もない荒唐無稽なものです。

ついでに言えば

 「両童子様」などというものも、伊藤が若死にした息子のことを言いつくろうために創作した存在であり、それが信者を利益するなど、何の根拠もないデタラメです。

仏教では、個々の行為に因果の理を説くものであって、善悪の因の果報は、他人が身代わりになって受けることなどできません。
つまり、この因果を無視した「抜苦代受」などは、仏教とは何の縁もない外道の邪説です。

霊界だの霊魂だのを持ち出すのは、その教団に幼稚な教義しかない証拠です。
これは要するに、
 タタリだ何だと何も知らない信者を脅(おど)し、護摩や施餓鬼で信者から金を巻き上げたいだけのことです。

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 涅槃経(ねはんぎょう)を教典とする誤り

真如苑では、『大般(だいはつ)涅槃経』を釈尊の究極の教えであるとして、これを依経(えきょう=よりどころの教典)としています。

涅槃経という経は、8年間にわたって法華三部経(法華経の開経である『無量義経』、真実の経である『法華経』、結経である『観普賢菩薩行法経』)を説かれたのち、入滅に臨んで一日一夜で説かれたものです。

この経は、法華経の会座(えざ)より退去した5000人もの増上慢(ぞうじょうまん)の衆生、および釈尊一代50年の教化に漏れ、成仏できなかった人々のために説かれました。

『涅槃経』の菩薩品には、
■「法華の中の八千の声聞(しょうもん)の記別を授かる事を得て大果実を成ずるが如きは、秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」
と説かれています。

すなわち、法華経がすべての人々を成仏させることを秋の収穫に譬(たと)えるのに対して、涅槃経はその後の落ち穂(おちぼ)拾いに譬えられているのであり、涅槃経そのものに「法華経こそが釈尊究極の教えである」と位置づけられているのです。

また、涅槃経には方便教の内容も重ねて説かれており、純然たる円教(えんぎょう)である法華経と比べれば、はるかに劣る教えに分類されるのです。

したがって、涅槃経を究極の教えであるとする真如苑は完全な誤りです。

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【参考】 法華経と涅槃経の勝劣について

真如苑の方々の中には、上記の通り解説しても、なお頑迷に「涅槃経こそが釈尊の最高の経典である」と主張する人たちがいます。
なのでもう少し詳しく、法華経と涅槃経の差異・勝劣について述べてみましょう。
少し専門的な内容になり、しかも長文ですので、関係ない方は読みとばしてください。

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【涅槃経を第一と主張する根拠について-1】

■ 「一切の諸法は、ただ涅槃を除き、さらに一法も常なるものはない」

■ 「一切の契経(経典)に依り諸々の禅定を修しても、是の大般涅槃経を聴聞せずば、みな一切悉く無常である」

■ 「たとえば衆の流れはみな海に帰すが如く、一切の契経、諸々の三昧もみな大乗大涅槃経に帰す云々」

……他にも多々あるようですが、涅槃経には上記のような主旨の経文があり、そうした内容を踏まえて「涅槃経最第一」を主張する人がいるようです。

しかしながら、こうした

■ 「この経こそ最も勝(すぐ)れた教えである」

という意味の経文は、他の諸々の経典にも同様にあります。


例えば

密厳経という経典には

■ 「是(か)くの如(ごと)き密厳経は、一切経の中に勝れたり」
等とありますし、

大雲経という経典には

「是(こ)の経は即ち是(これ)諸経の転輪聖王(てんりんじょうおう)なり」等とあり、

また華厳経には

■ 「この法を信ずるものには莫大(ばくだい)な功徳がある」ことを証明する経文があります。

このように、ありとあらゆる経典には、それぞれに「この経こそが最高である」主旨の文言があるのです。

これは当然で、もし「実は他に真実の教えがあるのだけれども、それは置いといて今はこの説法を聞きなさい」などと言ってしまったら、誰も耳も貸さなくなってしまいます。
したがって「当分の第一」という意味において、諸々の経典に「この経が一番」と説かれているのです。

涅槃経の前述のような経文も、これらと同様です。

「経文の文面だけで判断するな」
「義に依って語に依らざれ」等と反論する人もいるようですが、その義が間違っているのであるということを、しっかり認識していただきたいと願うものです。

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【法華経を最第一と証明する-1】

まず、法華経の開経である無量義経には、

■ 「諸(もろもろ)の衆生の性欲(しょうよく)不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと、方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず」(『無量義経』説法品)

と説かれ、これまで42年間には真実の教えを説いてこなかったのであると明かします。
そして法華経において、

■ 「正直に方便を捨てて 但(ただ)無上道を説く」(『法華経』方便品第二)

として、これまでの方便の教えを捨て去り、無上道(最高の教え)を説いたのです。そしてさらに、

■ 「此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵(ぞう)なり。諸経の中に於いて、最も其(そ)の上(かみ)に在り」(『法華経』安楽行品第十四)

等々とも説かれています。

しかしこうした文証の場合、先に涅槃経の経文について「当分の第一である」としましたが、それと同じことではないのか、という疑問がでてくるかもしれません。
しかし法華経には、以下の経文があります。

■ 「我が所説の諸経 而(しか)も此(こ)の経の中に於いて 法華最も第一なり(中略)我が所説の経典、無量千万億にして、已(すで)に説き、今説き、当(まさ)に説かん。而(しか)も其(そ)の中に於て、此(こ)の法華経、最も為(こ)れ難信難解なり」(『法華経』法師品第十)

この経文中、「已に説き」とは42年間の方便教のことであり、「今説き」とは開経の無量義経であり、「當に説かん」とは、法華経の後に説く結経の普賢経(ふげんぎょう)と、そして『涅槃経』を意味します。

すなわち、過去・現在・未来のすべてにわたる一切の経典の中で、この法華経こそが最も勝(すぐ)れた経典であると、釈尊自らが宣言されているのです。
これを「已今当(いこんとう)の三説超過」といいますが、これについて

中国天台宗の第六祖・妙楽大師は、

■ 「縦(たと)ひ経有って諸経の王と云ふとも、已今当説最為第一と云はず」(『法華文句記』)

と述べられています。

すなわち、当分の第一として「この経が最も勝れている」という意味の経文は諸経のあちこちに示されていても、過去・現在・未来の一切のなかで「最も勝れている」と宣言されるのは、法華経以外にはありません。

したがって、「法華経こそが最も勝れた、最高の教法である」と言えるのです。

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【涅槃経を第一と主張する根拠について-2】

ある人いわく、真如苑は涅槃経の眼目を、

1.一切衆生・悉有仏性

2.常楽我浄

3.如来常住

4.一闡提(いっせんだい)成仏

という4つとしているのだそうです。

なるほど、これらは確かに尊い教説です。
しかしこれらは、涅槃経の前に説かれた法華経の意義を、名目の上からもう一度おさらいしたに過ぎません。

例えば

1.の「一切衆生・悉有仏性(一切の衆生にはことごとく仏の命がある)」について言えば、涅槃経には名目はあるものの、その「現実の証拠」はまったく示されていません
かの有名な堤婆達多(だいばだった)のような、五逆罪(ごぎゃくざい)のすべてを犯した大悪逆人(実際に堤婆達多が犯したのは殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧の三つですが、殺父・殺母の二逆は阿闍世王子を教唆してやらせたので、五逆罪すべてを犯したに準ずる意味があります)が成仏したというような証拠は、涅槃経40巻のどこにも説かれていないのです。

ではその実証はどこに説かれているかといえば、『法華経』堤婆達多品第十二に、堤婆達多が天王如来の記別(きべつ)を受けて成仏したと説かれているのです。
この現実の証拠こそが、名目だけの理論・教説に勝るのです。

このことは4.の「一闡提(いっせんだい)成仏」も同じです。
一闡提というのは、訳すと「多欲」「楽欲(ぎょうよく)」ということで、欲望第一で正しい法を信ぜず、悟りを求める心もない、因果を信じない、仏性を信ぜず成仏のための能力がない衆生をいいます。
堤婆達多はこの一闡提であり、彼の成仏によって「一闡提成仏」も、法華経によって実証されているのです。

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【法華経を最第一と証明する-2】

一切の衆生が成仏できることが、実証の上から明かされているのは法華経です。

まず、方便の大乗教において「永(よう)不成仏」、つまり永久に成仏できない衆生として声聞乗(しょうもんじょう)・縁覚乗(えんかくじょう)の「二乗」がありましたが、
法華経にいたって、初めて二乗に対して成仏の記別が与えられました。
これを「二乗作仏(にじょうさぶつ)」といいます。

また法師品第十では「凡夫成仏」が説かれました。

そして先述のとおり、

堤婆達多品第十二において地獄界の衆生の極悪人・堤婆達多の成仏が示され、

さらには8歳の竜女の即身成仏が示されたことにより、初めて実の意味での「一切の女人の成仏」が明かされました

(諸大乗経典では、女人の成仏は説くものの、それは例えば何回も生まれ変わり死に変わり、最後には男性に生まれて成仏と果たすというような「改転の成仏」であり、女人の成仏は有名無実でありました)。

また竜女の成仏によって「畜生の成仏」も実証されています。

こうして法華経によって「一切衆生・皆成仏道」が開かれ、すべての衆生の成仏が可能となり、十界互具・百界千如・一念三千の法門が確立されたのです。

そして釈尊は『法華経』見宝塔品第十一において、

■ 「誰(たれ)か能(よ)く此(こ)の娑婆国土に於(おい)て、広く妙法華経を説かん。今正しく是時なり。如来久しからずして当(まさ)に涅槃に入るべし。仏、此の妙法華経を以(もっ)て、付嘱(ふぞく)して在(あ)ること有らしめんと欲す」

と説かれました。すなわち、

「我、釈尊は近いうちに入滅(涅槃)するであろうから、この世からいなくなる。しかし自分の肉身は滅したとしても、真実の悟りであるところの法華経は、後の未来の衆生のために遺(のこ)しておかねばならない。そのためにこの法華経を付嘱して令法久住(りょうぼうくじゅう)させたいのである」

ということです。

これまさしく、法華経が唯一真実の経であるからこその宣説です。

そしてこの後、神力品第二十一において、上行菩薩を上首とする本化地涌の菩薩に、滅後末法における法華経の弘通(ぐづう)を付嘱したと説かれるのです。

さて、大多数の衆生はこの法華経によって成仏を果たしましたが、法華経説法の序盤で席を立ってしまった5000人もの増上慢の衆生や、釈尊一代50年の教化に漏れ、成仏できなかった人々がいました。
それらの衆生のために説かれた経、それが『涅槃経』です。

涅槃経は、法華経の意義をあらためておさらいするという意味もあり、その理論として「一切衆生・悉有仏性」等の尊い教えも説かれています。
しかし同時に、涅槃経は「追説(ついぜつ)」といって、一代50年の諸経のさまざまな教えをもう一度説いている経でもあります。

法華経が、純円無雑(じゅんえんむぞう)・円頓円極(えんどんえんごく)の究極の教えであるのに対し、

涅槃経には円教を含むものの、それ以外の蔵教・通教・別教があらためて説かれているがゆえに無雑とはならず、純粋な円教とはなりません。
いかに涅槃経に尊い円の教理が説かれていても、蔵・通・別という余分なものが付随しているがために、尊い円の功徳が顕れることはないのです。

結論として、

法華経のみが唯一純円の極説であり、真実無二の経なのです。

涅槃経はあくまで、法華経の一切衆生成仏に漏れた衆生を救済するための「落ち穂(おちぼ)拾いの教え」です。

真実の本体は法華経にしかありません。


以上、法華経と涅槃経の勝劣について縷々(るる)述べました。
ごくかいつまんで書きましたので、まだ書きたいことは多くありますが、キリがないのでこのへんにいたします。
最後に、涅槃経を信奉して法華経を蔑む人々に、この経文を贈ります。

■ 「若し人信ぜずしてこの経を毀謗(きぼう)せば(中略)其の人命終して阿鼻獄に入らん」(『法華経』譬喩品第三)

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 真言宗の教義からも逸脱した愚迷

真如苑は、自分たちのことを

▼「伝統仏教である」
▼「真言密教である」と言い、

真言宗醍醐派(醍醐寺)との密接なつながりを楯にして、「われわれは新興宗教ではない」と主張しています。

しかし真如苑の教義等は、本来の真言密教とも全く違う、伊藤教祖の創作教義でしかありません。

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 【なぜ涅槃経を依経とするのか】

前述のとおり、真如苑では『涅槃経』を依経としています。
しかし真言宗といえば、『大日経』『金剛頂経』等の真言密教経典を用いるのが普通です。
真言密教と涅槃経は、何の関係もありません。

真如苑も、まこと教団と名乗っていた当時は、これら真言密教経典を使っていました。
にもかかわらず、突如として「涅槃経は素晴らしい経典である」と、涅槃経を採用したのです。
立教の日から、何と15年以上経過してのちのことです。
これは、単なる伊藤教祖の思いつきでしかありません。

● 伝統仏教の場合、まず拠り所となる経典(教え)があって、それによって宗旨が成立しますが、
● 新興宗教の場合はまず教祖がいて、あとから教えが形成されていきます。

真如苑もその典型です。

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【釈尊涅槃像を祀る不可解】

真言宗という宗派は、釈尊を「迷いの位」とし、「大日如来の草履取りにも劣る」存在であると侮蔑(ぶべつ)します。
そして大日如来を最高の仏として祀(まつ)ります。
これが本来の真言宗です。
にもかかわらず真如苑は、寝釈迦像を本尊として祀っています。
こんなことは、真言宗の世界ではあり得ないことで、完全にその教義から逸脱しています。


● 弘法大師 「弁顕密二教論」 顕密二教判  → 顕劣密勝

→ 顕教 衆生の機根に応じて顕に説かれた教え(顕現浅略)
→ 密教 表面化は顕に知り得ないもので秘密に説かれた教え(秘密深奥)


顕教 @ 応化身 釈尊 歴史上の釈尊 随他意 方便
    A 修行については説く 悟りの境界は説くことができない(因分可説 果分不果説)
    B 三大阿僧祇劫 長期間の修業により成仏
密教 @ 法身仏 大日如来 悟りの境界 随自意
    A 果分不果説である悟りの境界
    B 即身成仏   

  → 釈尊が説いた 「涅槃経」 は方便  → 大矛盾


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醍醐寺からの系譜】

真如苑では、醍醐寺から以下の系譜をもらったと自慢しています。

久遠常住釈迦牟尼如来
→法身大日如来
→普賢菩薩
→龍猛
→龍智
→金剛智
→不空
→恵果
→空海
→聖宝理源大使 (※ ← 誰か?おそらくは祖母)
→佐伯恵眼    (※ ← 誰か?おそらくは伯母)どのように伊藤真乗へ相承したのか?
→金剛真乗(伊藤真乗教祖)
→伊藤真砂子(真聡)

ここでも、大日如来の前に「釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)」がありますが、これも真言宗としては異常です。
本来、真言宗で言う「付法の八祖」には、久遠常住釈迦牟尼如来などはありません。
大日如来を最高の仏とするのが真言宗ですから、一番は当然ながら「大日如来」です。
そして次が金剛菩薩となり、そして空海までで「八祖」となります。

そもそも真言宗醍醐派というのは、高野山真言宗の他に古義・新義合わせて8派あるうちの一派に過ぎません。
真如苑はこの系譜を「醍醐寺から正式に受けた」と得意満面ですが、こんな系譜は真言宗全体から見れば、単なる「余流の一つ」でしかありません。

ましてや「真如密」などとは、論外中の論外です。
真言宗全体では、まるで相手にされていない存在・・・それが真如苑です。

このように、真如苑は自分たちを「真言密教である」等々とうそぶいていますが、実は真言宗の教義からも大きく逸脱した、まったく異質な存在なのです。
そもそも真言宗自体が邪法であるのに(第三章 真言宗の項参照)、そこからさらに脱線してデタラメにウソを重ねる真如苑は、まぎれもない邪義・邪宗です。

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 新興宗教と呼ばれることを恐れて、伝統仏教宗派の権威にすがる

現苑主 真聡 苑主補佐 真玲  も同派の僧階を取得 誇示
醍醐派の座主を呼んで法要を執行

実に節操のない、ご都合主義教団

→ 真言宗と離れて別宗派にする必要もないではないか。

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 伊藤真乗の本音

伊藤真乗は、次女(昭和44年に発生した教団内の利権争いにより教団を離脱)に対して常々、

▼「貧乏人は創価学会へ行け。中流は立正佼成会。金持ちだけが真如苑に来ればいいんだ」

と語っていたそうです。

要するに、そういう教祖であり、教団なのです。

以上、ごく簡単ではありますが、真如苑の教義についてその邪宗教である理由を述べました。
皆さま方におかれましては、このような邪法邪師の邪義に惑わされることがありませんよう、くれぐれもご注意願いたいと思います。


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● 魔の眷属

■ 「若し仏の所説に順(したが)はざる者有らば、当に知るべし、是れの人は是魔の眷属なり」 (涅槃経)」

これが故に、魔の通力として霊能が起こる。
しかし、これは信仰者をして三悪道に堕とさんがために魔が現じるまやかしの能力。
これにのめり込めば、精気や善根を奪われ、必ず 病気・ケガ・事故・犯罪・災害・家庭不和・破産・倒産・対人関係の不調和・などなどが多発し、不幸に喘ぎ、これがために
さらに真如苑にのめり込むようになる。
結果、財産をむしりとられ、身も心も蝕まれ切って、死後は三悪道へ堕とされるのである。

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● 現証

師は針の如く、弟子は糸の如し

伊藤真乗 一家に似てくる

● 男子早逝 
● 淫欲熾盛 男女間のもつれ 家庭崩壊 
● 女系強盛 家長が脆弱 末は断絶
● 金銭欲熾盛
● 詭弁巧み 狡猾 
● 虚飾に満ち華美を好み  ウソを平気でつく
● 奸智に長け 多くの人から金品などを収奪することに執着
● 表裏のある二面性人格
● 自己正当化に終始する
● 自分で意思決定ができない 全て依存型の思考


● 友司の手記

長男 智文

「苦しみ喘ぐ智文」
「ウウウウム・・・・・と苦しい声を残したきりで、母なる私のひざに抱かれたまま深い眠りにーーー。
(中略)
あの時、智文は決して満足して死んでいったのではありません。
(中略)
何年かかって行けるかわからぬ浄土へ浄土に旅立っていったのであります」


次男、友一

死期が迫りくる中で、病室で喘ぎ苦しんだことが述べられている。
さらにその臨終に際して

「お前、男なら潔く智文兄さんのところへ行って、力を合わせて「抜苦代受」の基となるのだよ」

と、死を励ました、という。

  ↑
守護経 等の経典

■ 臨終に呻き苦しむのは三悪道に堕した証拠

地獄に堕ちた者を頼れば、地獄の生命と感応して、自らが地獄の業苦を感じる。


● 四人の娘 強い霊能力者 → 仏性を開拓して最高の境界に至っているはず
→ 骨肉の争い → 長女・次女が離脱 → 自殺を計った三女が苑主 

→ 救われない見本



真如苑20年 脱会者の観察

※教団の抱える問題

・教団の言うことは「はいっ」と素直に聞くのに、非信者の言葉は聞き入れない信者が多い。
・支払いをしつこく勧めたり、 家族を捨て置いたり嘘をついて集会に参加したりする信者が多い。
・教義が、原始仏教とも、伝統仏教とも隔たる反面、 「伝統仏教」を標榜。
・信者たちは、自分の霊位向上?にしか興味を示さず、いざという時には利他どころか 「知らん振り」することが多い。
・接心修行により、自立的精神が損なわれたり、強迫観念、依存症に悩む者が多く発生している。
・入信は容易だが脱退は困難である。
・勧誘者が、組織内での自分の位階の上昇および維持のために 「勝手に信者登録」したり、本人に「内緒で籍を残したり」する被害が多い。

・脱退者は全員欲の権化であり、必ず不幸になる。教団を誹謗すれば必ず不幸になる。
 罰という概念は無いが、入信して教団に貢献しなければ、必ず因縁に襲われ不幸になる。と「教書で教主が明言」している。


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 「霊能」や「接心」は人を惑わす外道の義

 真如苑では、神がかりの霊能者から霊言を聞いたり、指導をうけることを奨励し、また、霊能者になることをすすめている。
しかし、心理学からみれば、心身に強いストレスを与えれば、誰でも神がかったような状態になる可能性があるといい、また、神がかったという者が発する霊言なども、深層心理が言葉にあらわれているにすぎないという。
したがって、霊能者による接心などはまったく無意味なことであり、かえって人を悪道におとす行為にほかならないのである。
 また、真如苑の霊能者にはマニュアルがあって、これによって霊言を述べているという。
これでは霊言などとはいえない。

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  落札された仏像


 平成20年3月、 ニューヨークのオークションで、 運慶うんけい作とされる「大日如来像」を落札した団体、それが真如苑である。
その額、なんと、日本の美術品としては過去最高となる15億円とも言われている。
 落札の動機について、同教団の西川総合企画部長は、仏像に「深いご縁を感じる」などと説明したが、過去にも運慶作と伝わる不動明王像を勧請かんじょうしており、それもうなずける話か。
運慶が大好きかはさておき、 この落札は、 教団の潤沢じゅんたくな資金力をアピールして宣伝効果を狙った売名行為とも推察できる。
そんなにたらふくお金があるのなら、世のため、人のため、もっと他に使い道があるだろうに・・・。

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  「身代わり」童子様


 真如苑と言えば、霊的能力を開発し、霊言指導を行う「接心せっしん」が売りだが、他にも興味深い教えがある。
その一つが「抜ばっ苦く代受だい」。
これは夭折ようせつした教祖の二人の息子(両童子様)が、霊界にいて、代わりに信者の苦しみを引き受けてくれるという、有り難い狂義である。
しかもこの利益は、長続きしないところがミソ。
精進しないと、効果はすぐに弱まるらしい・・・。
 しかしながら、この世界には、他人の業や苦しみを肩代わりできる因果の道理はない。

 また「接心」は、許可が下りるまでに、クリアしなければならないことがいくつもある。
やっと接心してもらえると思いきや。接心にはランクがあり、初心接心に何回、向上接心に何回、相談接心に何回と、際限がない。
しかも、これらの接心に参加するには、必ず寄付金が必要とされる。
 まるで、馬の鼻先にぶら下げた人参のように、いつまで走っても辿ただり着けない方法で信仰心を煽あおるのだ。
一体どれだけ商魂たくましい手口なのかと、憤いきどおりすら覚える。


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真如苑は矛盾だらけです。

1.人を救う教えと言いながら有料。
会費を払って入信し、有料の占いで因縁霊を示され、唯一のホンモノの供養とやらを有料で行わないと救われない。


2.勧誘行為を重要な教義にしているのでネズミ講と同様に破綻が約束されている。
人口100人の孤島で布教したらあっという間にお救け出来ない信者だらけです。

3.信者が恐れる先祖の因縁とやらは、人類の数万年に渡る世代交代の事実を考えると無意味。
苑が脅す先祖因縁が事実なら、人類は数世代で滅んでいるはずですよね(笑)

なぜしつこく勧誘するのか信者でしたらご存知ですね

勧誘行為を「おたすけ」と言い換え、勧誘行為ではなく救済活動であるかのように錯覚させている
救済の理由は、唯一の救いの教えだから。
家族・知人を救うには入信しかないという思い込み


教義の中の、重要な修行として勧誘行為が必須である
勧誘しなければ徳が積めず霊位が上がらない仕組みなので、自分の為にも勧誘行為が必須

真如苑では「まず足元の和合から」という言葉がよく使われます。
これは実際には家族全員の入信を目標にしろという家族勧誘のスローガンです。

何故、家族と仲良くするのに入信が必要なのでしょう。
それは、非信者から見ると教祖一家を拝みインチキ占いを信じ、必死で献金と勧誘と施設掃除をする信者が「まとも」に見えないからです。
家族であれば間違いなく反対します。
反対させなくするためには入信させるしかないからなのです。

現実には家族関係が崩壊する悲惨な事例が非常に多いです。
そこで、信者は家族に平気で嘘をつき信仰を隠します。


平気で嘘を付くようになるという特徴も、不審の要素ですね。
勧誘時にまず新興宗教である事を隠します。
「一緒にお寺にいってみない?」
「人生相談できる場所があるから」
など、あの手この手で巧みに施設に誘い込みます。
そして、「精進願」が入信手続きである事を隠して、あたかも施設に入る手続きであるかのように名前を書かせたり、勝手に書いたりして入信手続きを済ませるケースもあります。

お助けの為の嘘はついても構わないと指導されているみたいですね。
でも、嘘をつかれる側はとても傷つくのですよ。


「お金は全然かからないの」という嘘も定番です。
「毎月わずか200円しかかからない」というのが嘘だという事は、信者の皆さん全員よく分かっているはずです。
「それ以上のお金は一切強要されないから払わなくても構わない。だから嘘じゃない」という苦しい言い訳もよく聞きます。
そう言う信者に「あなたは年間どのくらいのお金を苑に払いましたか?」と質問すると一様に口をつぐむか、少ない金額の嘘を平気でつきます。


会費は毎月200円、でも、
信仰を始めると最初に色んなグッズを購入しなきゃならないし、
有料の接心を受けなきゃならない。
一口500円のオセガキもしたくなる。
悩み事や相談事はさらに高額の接心を受けなきゃ気が済まないし、
年中行われる色んな行事に任意の献金もしたくなる。


全部本人が望んでやってる献金だから、お金を出したくなければ出さなくても良い?
そうじゃない事も信者は分かっていますよね。
「献金は大切な3つの歩みの一つ、徳を積み仏を目指すにはお金が必要」ですから。


お金が無い人、勧誘しない人が救われない宗教なんて、いかがわしいと思われて当然です。

あなたは、この知恵袋に寄せられる多くの悩み、相談をちゃんと読んでおられますか?
知人、家族からの執拗な勧誘や信仰の強要に苦しむ人達の声、
脱苑に悩む声、

それらの相談を誹謗中傷のでっちあげだと言う信者もいます。
本当に酷い話です。


何故批判されるのでしょうか?
その答えは簡単です。
非信者から見ると「まとも」ではないからです。
そして、その被害が実在するからです。
普通の人を「まともじゃない人」にしてしまう教団は危険なカルト教団だと糾弾されて当然でしょう。


補足します。
かなりキツ目の意見になってしまいました。
もしorange123mさんが未成年でしたら、よくわからない部分もあるでしょうね。


>何事も“やってあげる”ではなく、自分から“やらさしてもらう”なのです。
>「自分を一段下げて、相手を敬う」ということですね。

それは何のため?
と考えた事がありますか?
相手のためにやらさせてもらう?
何故?
結局自分のためという事?

疑問を持つ事はとても大切な事です。
でも、苑では疑問を持つ事を禁じられます。
疑問を禁じる理由にも疑問を抱くべきです。


>周りの人に信頼される、「いい人」になっていきましょう。と・・・・・

精神的成長の過程で「いい人」になろうとするのはやめた方がいいです。
私の経験上、心に無理がかかり人格形成に不自然な影響を与えます。
「いい人でなければならない」という強迫観念に繋がると人間関係の構築に大変苦しい思いをする事になります。


あと、和合という言葉は日本では昔から性的な意味で使われていますので苑の外ではあまり使わない方がいいですよ。
誤解されます。




● 伊藤真乗の長女 映子氏の証言

■ 長女・次女が告発 真如苑教主カネと女の乱脈

小誌八月三日号既報の通り、信者による暴行で、教主・伊藤真乗の長女は全治一週間の打撲傷、次女は三週間の入院を強いられた。
かつて四姉妹が君臨し、数多くの女優が入信する宗教として一見華やかな真如苑に、いったいなにがあったのか。
石もて教団を追われた長女・映子さんが、敢えて父の罪を告発する。

■ 真如苑は、映画「マルサの女2」のモデルになった教団だとか、お手当てを出して女優さんに教団をPRさせているとか言う人がいます。
かつてそこに籍を置いた者として、それは信じたくないことですが、もし真如苑に問題があるとすれば、それは、
「教主である父親の異常なほどの性欲と、 お金への執着心」が原因です。

七月十九日に亡くなったばかりの父親をそこまで言うのは、何も父が惜いからではありません。
父の後桧者である私の妹たち,信者たちに目覚めてほしいからこそなのです。

教主は教団の台所を担当する女性を総ナメして、まるで大奥のようでした。

古参幹部のKさん、私の息子の乳母役だったKさん、それにその後父が再婚した松島文枝さん……、数えあげればキリがありません。


「次女・鈴木孜子の証言」

「母が亡くなる前の晩でした。
私が『お父さん、お母さんはもう長くないよ』と言うと、父は、

▼『おれにはこんないい娘が四人もいるから再婚なんかしない』

とはっきり言い切りました。
それが父ときたら、母の通夜になるともう、それも母の遺骸を前にしながら、

▼『女なら誰でもいいわ。早く再婚したい』

と言いだしたのです」
初七日もすまないうちに、父は私たち夫婦にこう頼みました。

▼「いいか、お前たちがオレに再婚を勧めたことにするんだぞ。
オレは再婚する気持ちはないことにしてな。
早く女を世話しろ」


また、母の本葬の日、父と夫の間でこんな会話があったそうです。

▼「幹司、お前いくつになる」

 「三十一歳です」

▼「若いな。お前、映子とうまくいっているのか?」

 「(夫婦仲の意味で)はい」

▼「お前たちなら毎晩でもできるだろうな。オレはもう我慢できないんだ」

夫は、これがすべてを捧げてきた教主様の言うことか、と信じられなかったそうです。

それで仕方なく私たちと最高幹部が相談して、先ほどお話した二人のKさん、同じく信者のIさん、順天堂大学病院看護婦のAさん などを候補に挙げました。その中でも、看護婦で教主の健康管理も安心して任せられるAさんが適任だとの結論に達しました。
すると父は

▼「おれはあんなバアアは嫌だ。相手は映子(当時34歳)より若くてもいいくらいだ」

と、言い出したのです。


■ 母の死で金銭感覚が一変」

金銭感覚も、母が亡くなった後ではまったく変わりました。

教主の誕生祭(三月二十八日)には、万単位のお金の入った熨斗袋がお祝いとして信者の方々から入って来ました。
母の生前は、それはすべて、いったん教団の財務(会計)に入り、後でその一部が父のところに届けられましたが、
母の死後は、父はそれに不満を鳴らすようになりました。

▼「真如苑に入ったものの中からもらうんじゃおもしろくない。
誕生祭のお祝いなんだから、まずオレがもらうんだ。そこから財務にやる」

父は自分のベッドの下に井村屋のダンボール函を置き、その中に札束を入れるのが癖で、

▼「映子、見てみろ。今年はダンボール何函だ」

その中から逢瀬のホテル代を抜き出したりしていました。

後に周りから再婚に反対された時のこと、教主は旅行カバンに札束を詰めて、

▼「皆が反対するから、オレは家を出る」

そうして裸足で出て行こうとしたこともありました。


当時信者数は15万人ほどでしたが、宗教団体というのは有力な「票田」です。
中でも本部のある立川市には信者が多く、例えば立川市議会議員などの選挙は金儲けの絶好のチャンスで、"票を売る"のが通例でした。
選挙が近付くと教主から指示が出ます。

▼「Nは百万円出すと言うから、Hには150万円要求しろ」 

それでH陣営がその通り出すと答えると、 またN陣営に連絡します。
それも水増しして、

▼「Hは二百万円出すと言っているがお宅はどうしますか」

そうして吊り上げておいて、投票直前に高い方に信者の票を売るわけです。
それでも、開票速報を見ていて、推薦した候補が危ないことがあります。
すると、教主はその候補に電話をかけてしゃあしゃあと、

▼「危ないようですな。いやあ、票は水ものですからな、 ハハハ」 

そうして票を売って得たお金は、すべて教主のポケットマネーになりました。

一度、夫が
「教主様、そんなことなら、事務局から一人立候補させたらどうですか」
と言ったことがありましたが、

▼「幹司は若い。そうしたらお金が入らなくなるだろ。オラ知らね」
 
"オラ知らね"というのは山梨弁で、父の口癖なのですが、父にとって宗教は商売のタネだったようです。



■ 「添い寝させられた娘たち」

父の気に入る人が居ないので、とりあえず元女優で信者のWさんに“面倒”をみてもらうことになりました。
けれど、母が亡くなって間もない時期に子供が出来たら、信者に言い訳ができません。

それで、「お父さん、子供が出来ない様にしてもらえませんか」と頼むと、父は、

▼「お前たちはそんなもの(避妊具)を使っているのか、そんなんじゃダメだ」

仕方なく、もしも父の子供を宿したら、Wさんと私の夫の間にできた不倫の子として堕胎することに決まり、手術はかかりつけのT医師の病院でする手筈にまでなっていました。
父の再婚相手が決まるまで、夫のいる私でさえも、添い寝の役をさせられたものです。

次女孜子の証言

「私とすぐ下の妹の真砂子も一週間交代で父の添い寝をさせられました。
父は『郷里の山梨では父親と娘が関係することもあるんだぞ』と、親娘のセックスを匂わせました。
当時、私は婚約中で、その相手から、『親不孝と言われてもいい。教主様とだけはやめてくれ』と頼まれました。
幸い、そばに寝ていればいいだけで、肉体関係はありませんでした。
でも、父が夜中にお手洗いに行くたびに布団を直してやったり、時々起きて寝相を見てやったり、いくら娘でもそれは辛い仕事でした」

その後、末娘・志づ子の勧めで、友人のお母さんである松島文枝の名前が上がりました。
父は大変乗り気でした。
父とその女性の初デートの日---。
当日は私たち夫婦が同行することになっていましたが、大雪で電車も車も動きません。
それでも、教団本部のある立川から電車を乗り継いで、なんとか東京駅に着き、近くのホテルまで連れて行きました。

▼「お前たち、映画でも見てこい」

父は上機嫌です。
しばらくして迎えに行くと、

▼「映子、ありがとう。文枝とは切っても切れない仲になった。本当に感謝しているぞ」

それは母の一周忌も済んでいないうちのことでした。

母の友司は、心臓発作で死んだことになっています。
しかし、実際は「後退性鬱病」といった症状で、少しずつ衰弱していきました。
はっきり言って、母は父の女性問題に悩んで体を悪くし、死んだのだと思っています。
女性に走る父に「お父さん、お父さん」と、か細い声で呼び戻そうとしていた母の声が今も耳に残っています。

昭和四十二年、母はべッドで休むことが多くなりました。
ある日、母が休んでいる部屋から父の怒鳴る声が聞こえてぎたので、私と夫の幹司の二人で駆けつけました。
すると父は、

▼「三月以降、何方月も妻の役目を呆たしとらん。実家に帰れ」

と怒っています。
病気で衷ている母に、父は無理に関係しようとして拒否されたらしいのです。
その時、父は六十一歳、母は五十五歳でした。
夫がたまりかねて、「教主様、それは苑主様(母のこと)がご病気ですから」とかばうと、父はさらに逆上して、あろうことか、

▼「映子、見てみろ。幹司と母親は親子丼だ!」

と言って、母に、「ヤカン」を投げつけます。
そんな夫を見て情けなくなった母は、
「お父さん、この年になって孫もいるのに、実家に帰れないでしょう」
そう言いながら、涙を溜めた目で父をじっと見つめていたものです。
母の死後、性欲を抑えきれない父に、当時ピンク女優として映画に出ていた女性を寝所に送り込んだこともありました。


■ 「教団に頭は二つ要らね」

教団に追い出されてから、私たち夫婦は生活に困りました。
手元には私の退職金が1140万円あるだけ。
夫は追放処分ですから退職金はゼロ。
まず37坪の家を買い、電気釜から買い揃えなければなりませんでした。
夫が就職しようとしても、履歴書の「真如苑」が採用を妨害しました。
人事担当者が教団に問い合わせると、教団の人間が夫の悪口を言うのですから、それも当然です。
私の裁縫と編み物で細々と食いつなぐ毎日、 どれほど教主を、教団を恨んだことでしょう。

「次女の証言」

▼「姉が出て行ってから、父は、『妹たちが束になってもおまえの霊能にはかなわないから、お前に真如苑を任せたぞ』

と言っていました。
それなのに、私の力が教団内で強くなってくると

▼『教団に頭は二つ要らね。オラ知らね』

と私を追い出しにかかったのです。 
私は、城南支部があった奥沢(世田谷区)の土地と家屋(当時で5000万円相当)を退職金としてもらいました」

私たちは「闡提」(仏教用語で救われない弟子)の烙印を押されました。
けれど、私は教団に楯突いたことも無ければ、信心をやめる、と言った覚えも無いのです。
闡提と言うなら、亡き父に手を合わせに行った私と孜子に集団リンチを加えさせた真砂子と志づ子こそ、その言葉がピッタリです。
父の後継者となった2人は、信者たちの行動の責任を取るべきでしょう。

父が亡くなった直後に父の恥部を世間にさらすのは、娘の取るべき道でないことは承知しております。
でも、8月28日の本葬が済むと、父は教主から教祖となって崇め奉られてしまうのです。
 私たちの真意を、信者の方にもわかっていただけると良いのですが。

「次女の証言」

「財務を見ていた母が亡くなってからは、教主のお金に対する考え方が変わりました。
私にこう言ったこともあります。

▼ 『オレはもう宗教家でなくていい、宗教屋で』。

信者さんから歓喜(真如苑独特の用語で寄付の意味)を受ける態度も横柄になりました。

▼『おれは百万や二百万じゃ(歓喜する信者に)会わない。孜子代わりに受け取ってこい』

"長者の万灯より貧者の一灯"という諺は、真如苑には適用しなくなっていたのです」

43年の暮れになって、父親の再婚話で、教団幹部を巻き込んだ騒動が持ち上がりました。
強硬に再婚に反対した孜子は父親から勘当を言い渡され、真砂子と志づ子は家出してしまいました。
私も再婚には反対でしたが、長女の私まで出て行ったらお父さんが一人ぼっちになってしまうと思い、夫とともに教団にとどまりました。
しかし、結婚に反対しない私たちに教主は

▼「文枝と結婚させてくれないのはヘビの生殺しと同じだ」

の一点張りで、次第に私たち夫婦を疎ましく感じるようになったようです。
44年9月、当時、教務長という教団ナンバー2の夫に内容が知らされないまま"宗教裁判"が開催され、「義妹たちの風呂を覗いたり、暴行を加えたりした」という濡れ衣で追放処分が下されました。
もし本当に夫が、言われるような痴漢だったら、私は妹を狙うような男とは離婚したはずです。
しかし、夫の無実を信じた私は、教団を出て行く夫と行動を共にすることにしました。 

結局、教主の再婚話から生じた教団内のトラブルは、「伊藤幹司の痴漢が原因だった」と話題をすり替えて、妹たちを教団に戻しました。
妹たちも、自分たちがいない間に再婚の既成事実ができてしまったのを諦めていたようです。



押し問答の末、結局、映子さんと孜子さんのみが通用門から中へ入ったが、その直後、「中から"ギャーー"という女性の悲鳴や"ウォーー"という叫び声が聞こえた。
つきそってきた男性が中へ入ろうとするのを「真如苑」側の人間10数人がスクラムを組んで妨害。
脚立を立てて塀から撮影していた、姉妹に同行してきたカメラマンが "大変だ、中でやられている"と叫んだ直後、引きずりおろされ暴行を受けたので、それを撮影しようと近づいたところ、10数人の若い男に下半身を蹴りつけられ、その場に倒されてしまった。
何回も何回も 足蹴にされ、本当に殺されるのではと思いました」(本誌写真記者)

その際、カメラとストロボも壊されてしまう。
状況を危険と判断した同行の本誌記者が110番。
パトカーが到着したときには、映子さん、孜子さんはすでに 「二度とくるな!」の怒号を背に立ち去った後だったが、「真如苑」側の攻撃は今度は本誌記者に向げられる。
蹴りつけたり押したりの暴行を操り返し、駆け付けた警察官に向かって「こいつは悪いカメラマンだ」「オマエたちは悪魔だぁ〜!」と叫ぶ始末。
あげくに教団側のビデオカメラのライトを記者に向け 「顔をかくすな!」
本誌の抗議に対して、「真如苑」側は後に、「長女、2女側のカメラマンだと信者たちが思ってしまった」(広報部長代理・西川勢二氏)と語っている。




3.「真如苑」四姉妹 教主が死んで骨肉の争い リンチ暴行事件

「不信心者に宗教が分かるはずがない、と言われればそれまで。
しかし、実の娘を父親の遺骸と対面させではいけないとは、
どんな宗教の教典にも書かれていまい。新興教団で四番目の信者数を誇る真如苑とは、一体いかなる教団なのか。
四姉妹と父・教主との確執は?」
* * *

その場に居合わせた目撃者たちの証言によると、暴行は次のようにして加えられた―――。

十九時十分頃、映子さん、孜子(あつこ)さん、映子さんの長男(19)らが本部前に到着。
守衛が「お焼香したいなら中へ」と脇門を明ける。
姉妹が門をくぐると、その直後に中から鍵が掛けられた。
そこには、六十人ほどの信者がいて、突然、二人はコンクリートの床に叩ぎつけられた。
孜子さんは頭を打って脳震盪を起こす。
映子さんが抱き起こそうとすると、信者たちは、「脳震盗の演技をしている」
別の信者は 孜子さんにツバを吐きかけて、腹部を中心に体中を蹴る。
二人が抱き合って互いをかばおうとすると、信者たちは二人を引き難してはまた蹴る。
映子さんの着物の袖は引きちぎられて、草履もビこかにいってしまった。

「もういいから帰らせて」と孜子さんが叫ぶと、「お焼香に来たんだろ」
そうして信者の集団は、焼香台ヘ二人を引ぎずって行った。
焼香台といっても、それは中庭に香台を置き、
台の上に白い布をかけただけのものだった。
やっとのことで二人が焼香を始めると、
「教主様を返せ。お前たちはどんな顔してお焼香できるんだ」
そして二人を取り囲み、
「教主さまを殺した!教主さまを殺した!」のシュプレヒコール……。

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真如教徒による暴行事件が述べられていますが、問題は暴行そのものに在る、と考えるのではなく、

「信者がそのように動かされている」

という観点を持つことが大事です。
マインドコントロールされれば、 おかしな論理も信じるようになりますし、結局は、教団の操り人形になってしまうのです。

そして2つ目は、「長女の夫が、義妹たちに痴漢行為を働いた」という部分ですが、まず、その結婚を許したのは教主である「伊藤フミアキ」ですが、
特長としている『真如霊能』が贋物でなければ、娘の「婿」になる者の本質も事前に分かるはずですし、
のちに「痴漢」の症状を発症させたのも「真如苑」である、と言うことができるでしょう。

何故ならば、真如苑では「帰苑(参拝)するだけで浄まる」と謳っています。
それが真実であるならば、 教主に最も近い位置で修養したと言われる長女、そしてその夫は「ずいぶんと浄まっている」はずです。

(※「帰苑(参拝)するだけで浄まる」というのは、 カルトの手口「まず環境に引き込む」であることは明白です) 

もちろん、「痴漢」そのものが、権力争いの為の、単なる「濡れ衣」である可能性は高いでしょう。

長女は、「形見分けをしてもらえないことは寂しい。せめて、焼香させてもらえませんでしょうか」と語っているようですが、真如苑としてはそれを許可するべきではないでしょう。
なぜならば、それをネタにして、長女・次女が「遺産の分配」を主張してくることが考えられるからです。

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