0743
    主君耳入此法門免与同罪事 文永一一年九月二六日  五三歳

国主日蓮が申す事を用ふるならば彼がごとくなるべきに、用ひざる上(うえ)かへりて彼がかたうど(方人)となり、一国こぞりて日蓮をかへりてせむ。上一人より下万民にいたるまで、皆五逆に過ぎたる謗法の人となりぬ。されば各々も彼が方ぞかし。心は日蓮に同意なれども身は別なれば、与同罪(よどうざい)のがれがたきの御事に候に、主君に此の法門を耳にふれさせ進(まい)らせけるこそありがたく候へ。今は御用ひなくもあれ、殿の御失(とが)は脱(のが)れ給ひぬ。此より後には口をつヽみておはすべし。又、天も一定殿をば守らせ給ふらん。此よりも申すなり。 
 かまえてかまへて御用心候べし。いよいよにく(悪)む人々ねら(狙)ひ候らん。御さかもり(酒宴)夜は一向に止め給へ。只女房と酒うち飲んで、なにの御不足あるべき。他人のひる(昼)の御さかもりおこたる(油断)べからず。酒を離れてねら(狙)うひま(隙)有るべからず。返す返す。恐々謹言。
 九月二十六日               日  蓮 花押
左衛門尉殿御返事




0775
    四条金吾殿御返事 文永一二年三月六日  五四歳   刊 他受用御書2−19 (※他受用御書 京都平楽寺、慶安2年(1649 聖滅368)

 「此経難持(しきょうなんじ)」(※1)の事、抑(そもそも)弁阿闍梨(べんあじゃり)が申し候は、貴辺のかた(語)らせ給ふ様に
「持(たも)たん者は「現世安穏後生善処(げんぜあんのんごしょうぜんしょ)」(※2)と承って、すでに去年より今日まで、かたの如く信心をいたし申し候処に、さにては無くして大難雨の如く来たり候」と云云。
まこと(真)にてや候らん、又弁公がいつはりにて候やらん。いかさま(ぜひとも)よきついでに不審をはらし奉らん。
 法華経の文に「難信難解(なんしんなんげ)」(※3)と説き玉ふは是なり。
此の経をき(聞)ヽう(受)くる人は多し。まことに聞き受くる如くに大難来たれども「憶持不忘(おくじふもう)」(※4)の人は希(まれ)なるなり。
受くるはやす(易)く、持つはかた(難)し。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値(あ)ふべしと心得て持つなり。
「則為疾得無上仏道(そくいしっとくむじょうぶつどう)」(※5)は疑ひ無し。三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを持つとは云ふなり。
経に云はく「護持仏所嘱(ごじぶつしょぞく)」(※6)といへり。
天台大師の云はく「信力の故に受け念力の故に持つ」云云。
又云はく「此の経は持ち難し、若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す、諸仏も亦(また)然(しか)なり」云云。
火にたきヾ(薪)を加ふる時はさか(盛)んなり。
大風吹けば求羅(ぐら)(※7)は倍増するなり。
松は万年のよはひ(齢)を持つ故に枝をま(曲)げらる。
法華経の行者は火とぐら(求羅)との如し。薪と風とは大難の如し。
法華経の行者は久遠長寿の如来なり。(注 大聖人が久遠元初の本仏であることの暗喩か)
修行の枝をき(切)られま(曲)げられん事疑ひなかるべし。
此より後は「此経難持(しきょうなんじ)」の四字を暫時(ざんじ)もわす(忘)れず案じ給ふべし。恐々。
   三月六日             日  蓮 花押
四条金吾殿

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※1 見宝塔品第十一

此の経は持ち難し 若し暫くも持つ者は
我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり
是の如きの人は 諸仏の歎めたもう所なり
是れ則ち勇猛なり 是れ則ち精進なり
是れ戒を持ち 頭陀を行ずる者と名づく
則ち為れ疾く 無上の仏道を得たるなり


頭陀

「頭陀(ずだ)」は、サンスクリット語の「ドウータ」の音写語で、

もともとは「捨て去る」の意味。

仏教の世界では、煩悩を捨て去ることを修行の第一としたが、

なかでも衣食住に関わる一切の欲を捨てる実践を

「頭陀」または、「頭陀行」といった。

これは、旅行く先々で乞食(こつじき)をし、野宿などをして修業するもので、この時お経の巻物などの

小道具を入れて首にかけた袋が「頭陀袋」だった。

やがて、葬式の時に死者の日用品を入れて首にかける袋も、「頭陀袋」というようになったが、

これは死出の旅を頭陀行に見立てたものであろう。

今は、一般に何でも入れるだぶだぶの小物入れの袋をさす。

 

頭陀行とは、仏教などの古代インド宗教において、出家者が行う修行のひとつです。

信者の家をまわり、生活に必要な食べ物などを乞い、信者に功徳を積ませるための修行です。簡素で清貧な修行によって煩悩を減らすことが目的とされています。

頭陀というのは、衣食住に対する欲望を払い去って仏道を求めることや、そのための修行のことを指す言葉で、具体的には托鉢して歩くことや、托鉢僧そのものを指す言葉でもあります。

古代インドでは、出家者には所有欲が否定されていました。そのため生きていくために最低限必要な食べ物を調達する目的で、日頃は山林などで修行していても、町へ降りてきて托鉢をすることで、住民との交流ができたといいます。

現在でも上座部仏教が盛んな東南アジア地域では、托鉢が行なわれています。

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※2 薬草喩品第五

現世安穏にして後に善処に生じ

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副詞
きっと。確かに。

ぜひとも。

感動詞
いかにも。なるほど。▽相手の言葉に同意して答える。

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※3 化城喩品第七

如来の智慧は信じ難く解し難ければなり。
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※4 仏説観普賢菩薩行法経

爾の時に行者、普賢の深法を説くことを聞いて、其の義趣を解し、憶持して忘れじ。
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※5 見宝塔品第十一 

則ち為(こ)れ疾く 無上の仏道を得たるなり
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※6 勧持品第十三 377

濁劫悪世の中には 多く諸の恐怖有らん
悪鬼其の身に入って 我を罵詈毀辱せん
我等仏を敬信して 当に忍辱の鎧を著るべし
是の経を説かんが為の故に 此の諸の難事を忍ばん
我身命を愛せず 但無上道を惜む
我等来世に於て 仏の所嘱を護持せん
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※7 黒木虫と訳す 大智度論巻7  微細な身でありながら,一度風にあえばたちまち大きくなって,一切の物を飲みこむという想像上の虫。からくらむし。インドに棲息するトカゲの一種との説も。