戦時中の日蓮正宗の戦争協力をめぐる邪難と反論
牧口会長らの戦時発言は、誰の発言か、同時代の刊行物か、戦後の著作に記された回想かを出典ごとに示した。
『静岡新聞』の記事は原ファイルでは見出しと内容紹介、画像参照にとどまり、記事全文の翻刻は収録されていない。
観念文改訂と国家権力への迎合という邪難
邪難・主張と提示資料
◆初座 天拝 謹みて皇祖天照太神 皇祖神武天皇 肇国以来御代々の鴻恩を謝し併せて皇国守護の日月天等の諸神に法味を捧げ奉る希くは哀愁納受を垂れ給え
◆三座 仏宝僧宝拝 久遠元初 内証本仏 南無日蓮大聖人 大慈大悲 御報恩謝徳御供養の御為に 南無妙法蓮華経
血脈付法の大導師 御開山日興上人 御報恩謝徳御供養の御為に 南無妙法蓮華経
第三祖 閻浮の御座主 新田卿阿闍梨日目上人 御報恩謝徳御供養の御為に 南無妙法蓮華経
(「日蓮正宗勤行式」/<謀反のハゲを取り締まる・ポドチョン長官>BBS060907)
宗門は昭和16年8月22日、皇国史観に基づき、初座の観念文を中心に改竄(かいざん)を行ない、「皇祖天照大神」「皇宗神武天皇」に始まる代々の天皇に対する感謝を明記した。
国家神道に領導(りょうどう)された国家権力に屈して、観念文を改竄するという大罪を犯した日蓮正宗は、宗教的にはもう骨抜きにされたも同然で、教義に違背し、ただひたすら大政翼賛を推進、戦争協力を行なった。
反論・対照資料
当時の宗門が行なった御観念文の改訂は、世情を考え、仏法に違背しない、許容範囲内での改訂である。
したがって、「国家神道に領導された国家権力に屈し」云々という学会の疑難は、まったくの的外れである。
まず「皇祖天照大神・皇宗神武天皇」等の語であるが、
『神国王御書』に
■「神と申すは又国々の国主等の崩去し給へるを生身(しょうじん)のごとくあがめ給う」(御書1298頁)
と御教示のように、大聖人は、国王(天皇制の時代ならば天皇)が崩御(ほうぎょ)した後、天界に生じて善神となることを明かされている。
つまり、日本でいえば、天皇家の祖先(皇祖)が天照大神等の諸神として善神に連なることは、法義上当たり前のことであって、邪義でも何でもない。
諸天善神を単なる"宇宙に具(そな)わる働き"としか見られない、創価学会の浅薄な生命観、また崩御した国主を諸神とする御文証すら知らずに「御書根本」と喚(わめ)く不勉強ぶり、大いに笑うべきであろう。
さて、当時の御観念文は、さらに続けて「皇国守護の日月天等の諸神に法味を捧げ奉る」となっているが、諸天善神は、法華守護の働きと、国土守護の働きを兼ね備えているのであって、その文証は御書中にも繁多である。
当時、日本は天皇制であり、まさに「皇国」と称していたのだから、「皇国守護の日月天等の善神」とは、国土守護の諸天善神であって、これまた邪義でも何でもない。
また、2座・3座等の御観念文も改訂になっているが、大御本尊はあくまでも「本門戒壇の大御本尊」であり、日蓮大聖人への讃文は「久遠元初内証本仏南無日蓮大聖人」となっている。
すなわち、本宗において第一義であるところの、「本門戒壇」「内証本仏」との讃文は、軍部権力の圧力が高かったこの時代においても厳然としており、本宗の正義を示しているのである。
以上、日蓮正宗の法義を研鑚すれば、これらの御観念文の改訂が、あくまでも仏法上許される範囲内での改訂であることが理解されるのであり、「国家権力に屈し」たとの疑難は、学会本部の無知のなせるわざである。(『慧妙』H15.1.1)
● 国主をたづぬれば(中略)地神五代の第一は天照大神(中略)人王は大体百代なるべきか。其の第一の王は神武天皇(『神国王御書』御書1296、全集1516)
● 但し日本国は神国なり此の国の習として仏・菩薩の垂迹不思議に経論にあひにぬ事も多く侍るに・是をそむけば現に当罰あり、委細に経論を勘へ見るに仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当れり(『月水御書』御書304、全集1202)
● 神と申すは又国々の国主等の崩去し給へるを生身のごとくあがめ給う(『神国王御書』御書1298、全集1518頁)
また、国家権力に屈してなどいなかったことについては、『人間革命』を挙(あ)げて破折としよう。
◆ さらに、これよりまえ、猊下(※日恭上人)はお1人で文部省を訪れた。身延との合同問題が、国家権力の強圧のもとに、実行にうつされるばかりになっていた。猊下は、単身、当局に向かって「合同、不承知」を、厳然と宣言して帰られたのである。日蓮大聖人の、正法正義を継承する本宗は、断じて邪法邪義たる身延をはじめ、いかなる宗とも、絶対に合同はせぬ…と。その毅然(きぜん)たる態度、迫力に、役人たちは驚いた。なおも猊下は、たとえいま、頚(くび)を切られてここに死すとも合同せず、と叫ばれて、ここに正宗の法水を護(まも)りぬかれて帰られた。じつに、日蓮大聖人の、幕府権力に対決した時のお姿が、そのまま拝されるのである。(『人間革命』)
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この『人間革命』の記述は、当時の史実に基づいており、まさしく日恭上人が身命を賭(と)して正法正義を護られたからこそ、日蓮正宗が現在まで続いており、また創価学会も興隆してこられたのである。
どこに批判の余地があるだろうか。
現在、学会では、「戦前の宗門は謗法だらけ」「宗門は権力に諂(へつら)い法義を曲げた」等の邪難を浴びせているが、この文章にみるごとく、我が日蓮正宗宗門は、法体と法義を厳格に守っていたのである。
(『慧妙』H23.6.16)
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★ 御観念文の改変や昭和17年10月の神宮遥拝に関する文部省の通牒については、その以前から、宗門と政府軍部との折衝があったことと無関係には論じられない。
当時の日本は軍国化の真っ只中にあり、昭和15年施行の宗教団体法に基づき、殊に軍国主義的色彩の強かった日蓮各門下において、強力に合同政策が押し進められていたのである。
これに対し、日蓮正宗においては昭和16年3月10日、僧俗護法会議を開催し、身延派など日蓮宗との合同は、これを断固拒否したのである。
かかる状況に鑑み、徒に他の瑣末な事項をもって当局を刺激し、身延派との合同の強制執行などという事態に至ることだけは何としても避けなければならない状況があった。そこにこれらの通牒などを敢えて拒否しなかった理由が存する。(『離脱僧らの再度の邪難を破す』/『大白法』H14.9.1)
開戦時の訓諭と「突出した戦争協力」という邪難
邪難・主張と提示資料
訓諭第二十九号 宗内一般 本日米国及英国ニ対シ畏(かしこ)クモ宣戦ノ大詔(たいしょう)煥発(かんぱつ)アラセラレ洵(まこと)ニ恐懼(きょうく)感激ニ堪(た)エズ(中略)本宗宗徒タルモノ須(すべから)ク
聖慮(せいりょ)ヲ奉体(ほうたい)シ仏祖ノ遺訓ニ基キ平素鍛練ノ信行ヲ奮(ふる)ヒ堅忍持久百難ヲ排シ各自其ノ分ヲ竭(つく)シ以テ前古(ぜんこ)未曾有ノ大戦ニ必勝ヲ期セムコトヲ
右訓諭ス 昭和十六年十二月八日 日蓮正宗管長 鈴木日恭(<日蓮正宗問題研究>WS070623)
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(※↓ 樋田 添付)
**訓諭第二十九号 宗内一般**
本日、米国及び英国に対し、畏くも(かしこくも)宣戦の大詔(たいしょう)煥発(かんぱつ)あらせられ、洵(まこと)に恐懼(きょうく)感激に堪えず。(中略)
本宗宗徒たる者、須(すべから)く聖慮(せいりょ)を奉体(ほうたい)し、仏祖の遺訓に基き、平素鍛練の信行を奮い、堅忍持久、百難を排し、各自その分を竭(つく)し、以て前古未曾有(みぞう)の大戦に必勝を期せんことを。
右、訓諭す。
昭和十六年十二月八日
日蓮正宗管長 鈴木日恭
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## 現代語訳
本日、米国および英国に対し、畏れ多くも宣戦の詔書が発せられました。まことに恐れ多く、感激に堪えません。(中略)
本宗の信徒は、天皇のお考えを心に受けとめ、仏祖の教えに基づいて、日頃から鍛錬してきた信仰と修行に励み、忍耐強く持ちこたえ、あらゆる困難を退け、それぞれが自分の務めを尽くして、かつてない大戦での必勝を期しなさい。
以上のとおり訓諭します。
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昭和16年12月8日付「訓諭」。
鈴木日恭法主が、宗内一般に与えたもの。
戦争が始められたことを喜び、「恐懼(きょうく)感激ニ堪(た)エズ」とまで述べています。
天皇を現人神(あらひとがみ)と認め、その天皇のもと、日本の陸海軍が多大な「成果」を挙げたことをも「我等感謝ニ堪(た)エズ」と、感謝の念に打ち震えて述べています。
中でも、注目すべきことに、日恭法主は、大聖人を戦争推進に利用して、「大聖人の本意を拝して、必ず戦争に勝利すべく、日々、鍛錬を怠らぬよう」との旨を、全信徒に要請しています。
いわく、「聖慮(せいりょ:大聖人の教え)ヲ奉體(ほうたい)シ仏祖ノ遺訓ニ基キ平素鍛錬ノ信行ヲ奮ヒ堅忍持久百難ヲ排シ各自其ノ分ヲ竭(つく)シ以テ前古未曾有ノ大戦ニ必勝ヲ期セムコトヲ」と。
しかし、現宗門は、平然と言っています―「宗門に格別の戦争責任はない」と。
「大聖人の仏法を護り抜いた」と。(<ふうふうさんのウエブナビ>WS070623)
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日蓮正宗(以下、宗門)が今日まで重ねてきた悪事の中で、最悪のもののひとつが、第2次世界大戦への積極的な加担でした。
これは、SGIメンバーであるか否かを問わず、現在の全世界から糾弾されるに十分な対象と言って差し支えありません。
宗門による積極的な戦争への加担を明示する史料は、膨大な数に及びます。
(中略) 宗門における戦争協力は、当時、群を抜いて突出したものであり、全国民の間で、まぎれもなく「米英撃滅の大いなる模範」であったと言えます。
現在残っている数多くの史料が、それを裏付けています。
それにも拘わらず、宗門には、平然と「日蓮正宗の戦争加担は、国民一般の感覚以上に突出していたとはいえない」と述べている現状があります。(<ふうふうさんのウエブナビ>WS070623)
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◆現人神を国の頂点に戴いた国家神道を基となす国家は、その戦争目的遂行のために、仏教諸派に金、物資、人を調達させたのであった。
日蓮正宗も、時代のすう勢とはいえ、その一翼をになったわけである。(学会側怪文書『地涌』第34号H3.2.3)
反論・対照資料
これは戦時下という特殊な状況に鑑み、当時の宗教団体その他の各種団体が行っていた戦争翼賛の一般的形式的儀礼の一種に過ぎない。
▼ >大聖人を戦争推進に利用して、「大聖人の本意を拝して、必ず戦争に勝利すべく、日々、鍛錬を怠らぬよう」との旨を、全信徒に要請しています。 ------------------------------------------------------------
当該文書が、内外からの批判をかわすための形式的通知であってみれば、「大聖人を戦争推進に利用」ではなく、むしろ「戦争推進」を利用して信行倍増を促したというべきである。
しかしまた、起こってしまった戦争に反対することなど、当時としては不可能であった。
それならば、戦勝を願うことは国民感情として当然である。
牧口会長や戸田会長も戦勝を願い、そのために国家諌暁を訴えていたではないか。
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▼>現宗門は、平然と言っています―「宗門に格別の戦争責任はない」と。
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厳しく言えば、戦争責任は当時の国民や、ほとんど全ての団体にあった、ともいえる。
しかし、当時の宗門が、宗教団体として突出して戦争に協力した訳ではない。
●1941年(昭和16)12月8日に、米英両国に対して宣戦を布告する詔書が渙発されたので、文部大臣の訓令に依って、同日付けで管長金光攝胤の諭告が達示された。(<金光教が発した通牒等>/<金光教>WS070625)
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同様の訓諭が同日に金光教からも出されていた。
これについて金光教では「文部大臣の訓令に依って」「達示された」と説明している。
ということは、当該訓諭は宗門において自発的に出されたものではなく、当局の指示に基づいて他の宗教団体と歩調を合わせるために形式的に出されたことが分かる。
学術的にも、戦時下の宗教団体の戦争協力について論じられている。
その中で、日蓮正宗の戦争協力を取り上げている事例など、ほとんどないといってよい。
インターネットで検索しても、宗門の戦争協力を批判しているサイトは、決まって学会関係者が主催するものである。
学会員の中には"宗門が批判されなかったのは学会が弾圧された歴史のおかげ"などとと主張する者もいるようだが、根拠のないことである。
真面目な(特定の団体を攻撃するために作成されたのではない)研究では、戦争協力についても、弾圧の事実についても客観的に提示している。
だから、宗門の戦争協力が突出しているなら、そのような指摘があるはずである。
学会のような弱小団体の弾圧があったことで宗門の戦争協力が矮小化されるなどということはありえないのである。
●大東亜戦争に入ると各宗派は競うように「戦時布教方針」をたて、勤労報国隊や軍費献納運動に走った。
各宗教宗派の独自性とヒューマニズムは見失われ、戦争協力の翼賛宗教に転落していった。
みんなが知っているところだ。(『月刊住職』H8.4)
●(※国家神道は)自らを「超宗教」の高みに祭り上げ、他の宗教は国家神道を侵さない限りにおいてのみ存在を許す、という排他性・偏狭さが実際だった。(<2002年度 カトリック社会問題研究所夏期セミナー>)
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「宗門における戦争協力は、当時、群を抜いて突出」などと断言するからには、全国的規模において、他の諸団体、少なくとも宗教団体の動向を比較した客観的資料を提示すべきはずである。
しかし、そのような資料はまったく提示せずに、日蓮正宗の資料のみを取り上げて、このような主張を断定的に行っているのである。
このような主張に、学問的科学的価値のないことは勿論だが、それだけでなく名誉毀損の可能性大である。
御本人は"客観的資料"に基づいて論理的に導き出した当然の結論のように思っているのであろう。
しかし、実際には自己の願望に基づく牽強付会の論に過ぎなかったのである。
これは、"学会を破門した宗門憎し"の個人的感情が、無意識に、理性的思考判断を鈍らせてしまった結果、なのかも知れない。(<宗教界への弾圧と戦争協力>参照)
◆現人神を国の頂点に戴いた国家神道を基となす国家は、その戦争目的遂行のために、仏教諸派に金、物資、人を調達させたのであった。
日蓮正宗も、時代のすう勢とはいえ、その一翼をになったわけである。(学会側怪文書『地涌』第34号H3.2.3)
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宗教界が戦争協力を強いられたのは「時代のすう勢」であり、宗門もその「一翼をになった」だけのことである。
多くの学会員が利用している『地涌』でさえ、宗門の戦争協力が「群を抜いて突出」などとは述べていない。
牧口会長・創価教育学会の戦時発言をめぐる対照資料
▼「(牧口会長は)日本軍が占領した海外の各地に神社をつくり、他民族に礼拝を強制したことに対して、日本民族の思い上がりも甚だしいと激しく非難していました」
等、さも、牧口氏が日本の侵略戦争に反対していたかのごとく述べているが、これは当時の史実に反する真っ赤な嘘である。
(でなければ、小平氏も学会の洗脳によって、そう思い込んでいるのか)
第二に、小平氏は
▼「牧口先生の訊問調書を読めば、先生の言い分が神社参拝を否定してきた本来の日蓮正宗の教えに基づくことは、すぐに分かります」
などと述べている。
▼「(天皇一元論は)当時の世相のなかで神札を拒む合法的な一つの便法として、指導・徹底されたもの」
反論・対照資料
【戦争翼賛する牧口学会】
学会は戦争に反対して弾圧されたのではない。
戦時下の学会は、紛れも無く戦争翼賛団体であったのだ。
以下の言動に対する総括は未だにない。
それどころか、当時から反戦団体であったかのごとく言いふらしているのが池田学会であり、二重に悪質である。
◆ 吾々(われわれ)は日本国民として無条件で敬神崇祖をしてゐる。しかし解釈が異なるのである。神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。吾々が靖国神社へ参拝するのは(中略)お礼、感謝の心を現はすのであって、御利益をお与え下さい、といふ祈願ではない。(中略)今上陛下こそ現人神であらせられる(『牧口常三郎全集』第10巻362頁)
◆ 吾々は現在の天皇陛下以外にどなたに対し奉って祈願すべきでありましょうか(「訊問調書」/『牧口常三郎全集』第10巻207頁)
●(※牧口会長:)国家諌暁だね。陛下に広宣流布のことを申し上げなければ日本は勝たないよ(戸田城聖著『人間革命』/『慧妙』H5.8.16)
● 東亜共栄圏乃至世界列国にこれからの新秩序の中核として吾等が実証によってこゝに提供せんとする最高価値の大善生活法は、人生の理想として何人も渇望する所のものであり、仏教の極意たる成仏法こそ之に応じた妙法であり、又「惟神(かんながら)の道」の真髄も之でなければなるまい。
所謂(いわゆる)皇道精神もこれ以外にあるべきはない(S16.8.20「大善生活法の提唱」『牧口常三郎全集』第10巻9頁)
● 万世一系の御皇室は一元的であって、今上陛下こそ現人神であらせられる。
即ち天照太神を初め奉り、御代々の御稜威は現人神であらせられる今上陛下に凝集されているのである。
されば吾々は神聖にして犯すべからずとある「天皇」を最上と思念奉るものであって、昭和の時代には、天皇に帰一奉るのが国民の至誠だと信ずる。
「義は君臣、情は父子」と仰せられているように、吾々国民は常に天皇の御稜威の中にあるのである。
恐れ多いことであるが、十善の徳をお積み遊ばされて、天皇のお位におつき遊ばされると、陛下も憲法に従い遊ばすのである。
即ち人法一致によって現人神とならせられるのであって、吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが、純忠だと信ずる。(S17.11『大善生活実証録』/『牧口常三郎全集』第10巻363頁)
● 若(も)し日本をして、英国や独逸(ドイツ)或(あるい)は丁抹(デンマーク)和蘭(オランダ)等の如く、近隣に直接に強圧力を以(もっ)て居る強国があつたならば、平常大なる力を其(その)方面に向けて防御に努めなければならぬし、若し又我国が周囲に斯(かか)る恐るべき強敵がなくして、却(かえっ)て日本を恐れる処の弱い国家があるならば、又其れ相応に力を用ひなければならぬ(T5「地理教授の方法及内容の研究」/『牧口常三郎全集』第4巻273頁)
● 創価教育学会は、昭和6年の会発足に当たり、11人の顧問を置いているが、その中には、貴族院議員や官僚の他に、海軍大将・野間口兼雄氏や、台湾総督・太田政弘氏が名を連ねている。(『牧口常三郎全集』第8巻421頁/『慧妙』H17.11.1)
● 最近、文部省が軍事訓練を課したるは、近ごろの大できである。……何という、今の非常国家に適切の忠告であろう(牧口常三郎「『光瑞縦横談』と教育・宗教革命」S11/『フォーラム21』H14.3.15)
● 大善生活は個人主義生活や独善主義の生活ではなく、まして臆病なる寄生主義の生活でもなくて、勇敢なる全体主義の生活なることが解るであらう。
全体主義とはいへ己を忘れるが為に、云ふべくして行はれないやうな空虚なる偽善生活ではなく、自他共に共栄することによって初めて、完全円満なる幸福に達し得る、真実なる全体主義の生活のことである。
全体のためと共に、各個人にもその所を得しめる皇道精神の理想と一致することが知れるであらう(S16.10.20「大善生活法即ち人間の平凡生活に」『牧口常三郎全集』第10巻14頁)
● 戦場に於ては悉(ことごと)く大善生活法の実践であり、それによつてのみ勝利が得られ、これがなくしては必ず惨敗をするのである。(S16.10.20「価値創造」第3号/『牧口常三郎全集』第10巻18頁)
●(※宮城遥拝・黙祷の後、野島辰次理事「開会の辞」)大東亜戦開始以来の戦果は、法華経の護持国家なればこそであります。昨夜のラヂオ放送の如き余裕下に、今日総会を開くのは感激の極みであります(S17.5.17創価教育学会第4回総会『大善生活実証録』/『フォーラム21』H14.3.15)
●(※戸田理事長が披露した歌=幹部会員・四海民蔵作詩)男だ 日本人だ 日蓮正宗の信者だ 栄光ある生活改善同盟の戦士だ 大君のかがやく御稜威 八紘一宇肇国の御理想 今 全く地球を包む(S17.5.17創価教育学会第4回総会『大善生活実証録』/『フォーラム21』H14.3.15)
●(※岩崎洋三理事)我々は大東亜戦争を戦ひ取っている、日本帝国の銃後の一員として課せられた一大使命を発見する者であります。
産業報国が然り、職域奉公が然り貯金報国が然り簡素の生活が然り、而し斯る一通りの事に依って銃後の使命足れりとする創価教育学会の会員が万一ありとすればそは誤れるの甚しき物であります。
然らば我等の使命は何ぞや。折伏之のみであります。折伏に於て此の幸福の生活を世間に延しひろめて、不安と疑と嫉妬と排斥ときづなと権謀の世界の消へ去った時こそ、たとへ何年でも大東亜共栄圏を戦ひ取る迄がんばり抜く銃後が築かれるのである(S17.5.17創価教育学会第4回総会『大善生活実証録』/『フォーラム21』H14.3.15)
●「皮を切らして肉を切り、肉を切らして骨を切る」といふ剣道の真髄を、実戦に現はして国民を安堵(あんど)せしめられるのが、今回の日支事変及び大東亜戦争に於て百戦百勝の所以(ゆえん)である。
それは銃後に於けるすべての生活の理想の要諦でもある(S17.5「大善生活実験証明の指導要領」『牧口常三郎全集』第10巻129頁)
●(※理事の1人)いまや、島国日本が北はアリューシャン群島方面より遥(はる)かに太平洋の真ん中を貫き、南はソロモン群島付近にまで及び、さらに南洋諸島を経て西は印度洋からビルマ支那大陸に、将又(はたまた)蒙疆満州に至るのは広大な戦域に亘り、赫々たる戦果を挙げ、真に聖戦の目的を完遂せんとして老若男女を問わず、第一線に立つ者も、銃後に在る者も、いまは恐らくが戦場精神によって一丸となり、只管(ひたすら)に目的達成に邁進しつつある(創価教育学会第5回総会『大善生活実証録』S17.12.31発行)
●(※牧口会長)森田君、しっかりやってきて下さい。日本の民族は勇敢だ。米太平洋艦隊や英国の極東艦隊の主力を全滅させたのは、勿論、作戦も巧妙であったろうが、搭乗員たちが勇敢で、敵の防禦砲火をものともしないで突っ込んだからであろう。(中略)
この大東亜戦争は、1年の後か、2年の後か、それは測れないが、容易ならない難局に突入するであろうが、有り難いことに、森田君も、諸君も、この牧田も、比類のない信仰を持って、大御本尊様の御加護をいただいている。
我々は日本が難局を乗り切るために広宣流布に挺身するから、森田君は御本尊様に一切お委せして、前線で、悔いのない働きをして下さい(戸田城聖著『人間革命』/『慧妙』H5.8.16)
● 洋三(牧口会長の三男、享年38歳)戦死の御文、(中略)病死にあらず、君国のための戦死だけ、名誉とあきらめ唯だ冥福を祈る(「獄中書簡」『牧口常三郎全集』第10巻300頁)
●「牧口会長の発声で天皇陛下の万歳を三唱し奉って」(第四回総会)
●「吉田理事の指導にて、遠く戦野にある牧口会長令息・洋三君をしのぶ軍歌を高唱し、(中略)
● 牧口会長の発声にて、聖寿(天皇の年齢をさす)の万歳を三唱し奉って」(第五回総会)
● 「吾々は日本国民として無条件で敬神崇祖をしてゐる。しかし解釈が異なるのである。
神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。
吾々が靖国神社へ参拝するのは『よくぞ国家の為に働いて下さった。有難うございます』といふお礼、感謝の心を現はすのであって、御利益をお与え下さい、といふ祈願ではない。もし、『あゝして下さい、こうして下さい』と靖国神社へ祈願する人があれば、それは恩を受けた人に金を借りに行くやうなもので、こんな間違った話はない。
天照大神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝奉つてゐるのである。万世一系の御皇室は一元的であって、今上陛下こそ現人神(あらひとがみ)であらせられる。即ち、天照大神を初め奉り、御代々の御稜威は現人神であらせられる今上陛下に凝集されてゐるのである。されば吾々は神聖にして犯すべからずとある『天皇』を最上と思念し奉るものであって、昭和の時代には、天皇に帰一奉るのが国民の至誠だと信ずる。
(中略)天照大神のお札をお祭りするとかの問題は万世一系の天皇を二元的に考え奉る結果であって、吾々は現人神であらせられる天皇に帰一奉ることによって、ほんとうに敬神崇祖することが出来ると確信するのである。
またこれが最も本質的な正しい国民の道だと信ずる次第である」(大善生活実証録)
と述べられており、牧口氏自ら靖国神社へ参拝していた(もしくは参拝を問題なく許容していた)ことが明らかではないか。
いったい、どこが「本来の日蓮正宗の教え」だというのか。
とも言っているが、そもそも一方で"靖国神社参拝容認発言"があるのに、これでは、まったく苦しい言い逃れにしか見えぬであろう。
"外敵"に対する防御のみならず、日本の権勢拡大のためにも弱い国家に対して「力」を使え、と力説
創価教育学会が、、当初から反戦・平和を唱え、天皇制を批判していたのなら、軍人や植民地支配の最高責任者に顧問就任を要請するはずなどなく、また軍人らも、要請されたとしても、それを承(う)けようはずがない。
「軍事教練」の義務化を賞賛する牧口に、軍国主義に反対する思想があったとはとうてい言えない。
牧口会長は、戦争に反対するどころか、教育の分野においても戦時下に即した対応の必要性を認めていたのである。
大東亜戦争(太平洋戦争)で赫々たる戦果があがっているのは、日本が法華経の護持の国であればこそであり、勝利の戦果を聞く時に総会を開催することは感激の極みだというのである。
宮城遥拝に次いで首脳幹部が大東亜戦争の戦果を賞賛する。
ここには侵略戦争に反対したという事実も、軍国主義に抵抗した事実も全く見あたらない。
あるのは侵略戦争に迎合協力する体制翼賛団体としての創価教育学会の姿だけである。
「大君の御稜威 八紘一宇肇国の御理想 今 全く地球を包む」とは、大東亜共栄圏の建設を目指した軍部政府のアピールそのものである。
八紘一宇の思想に基づく大東亜共栄圏を建設するために、通り一遍の協力のみならず、「大東亜共栄圏を戦ひ取る迄がんばり抜」ける優秀なる「銃後の民」を築くのが、創価教育学会員の一大使命だというのである。
創価教育学会の実態が、創価学会の言う「侵略戦争に反対」する「反戦・平和の団体」ではなく、軍国主義体制に迎合する体制翼賛団体であったことは、第4回総会での一連の幹部発言に照らせば明瞭である。
[聖戦]=宗教的に神聖とみなされる目的のために戦われる戦争。また、正義の戦い。(三省堂『大辞林』第2版)
これは、終戦後に出版されたものである。
戦後の日本社会は反戦・平和思想が広く浸透しており、創価学会もその時流に乗り、反戦・平和を前面に掲げて活動している。
そのような中で、池田学会は自己正当化のために"牧口会長は反戦論者であった"かのように喧伝している。
しかし、戸田会長は、そのようには牧口会長のことを描いてはいなかったのである。
戸田会長が描く牧口会長は「日本の民族は勇敢」であるから「米太平洋艦隊や英国の極東艦隊の主力を全滅させた」と、国粋主義者のような言動をとり、出征する会員に対して「前線で悔いのない働き」をするように激励していたのである。
これは、終戦後の反戦思想の普及した時代に書かれたものであり、決して"会員擁護のための方便"などではない。
これを、家族を守り検閲を逃れるための方便とすることはできない。
なぜなら、牧口氏の他の獄中書簡には戦争翼賛、皇国讃歎の記述はないからである。
つまり、一々君国賛美の記述がなくても検閲は通っていたのである。
そもそも妻子を守るために真意を隠すような態度で「反戦思想を貫いた」などといえるのか?
かかる思想であった当時の牧口氏が、日本の占領地政策等に対し「日本民族の思い上がりも甚だしいと激しく非難」などするハズがなかろう。
牧口氏(および氏の弟子達)は、明確に、日本の侵略戦争を翼賛し、日本による諸国征服を期待していたのだ。
このような明らかな史実を、なぜ、小平氏は覆い隠そうとするのか。
もし、史実を忘れてしまった、あるいは曲げて記憶していた、というなら、それが学会による洗脳(マインド・コントロール)の成果であると知るべきであろう。
神宮遥拝・報国団・神札対応をめぐる邪難と反論
邪難・主張と提示資料
院第二三二八号 昭和十七年十月十日 日蓮正宗宗務院 住職教師教会主管者殿
今般文部次官より官文三三四号を以て別記の通り通牒有之たるに付御承知の上其趣旨を檀信徒一般に徹底せしむる様周知方可然御配意相煩はし度
記 官文三三四号 文部次官印 日蓮正宗管長殿 神嘗祭当日神宮遥拝に関する件
神嘗祭当日遥拝時間の設定に関しては客年十月八日付官文三七八号を以て通牒致したる処聖戦下愈々神嘗祭ノ真意義を周知徹底せしむるの要有之付貴(学、校、所、会)職員をして当日午前十時を期し一斉に各在所に於て神宮を遥拝せしむる様可然御配意相煩度
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(<ふうふうさんのウエブナビ>WS070623)
さて、昭和17年10月10日の院達は、日蓮正宗の「住職教師教会主管者」宛に出されたもので、文部次官より日蓮正宗管長宛に「通牒」があったことを述べ、
「趣旨を檀信徒一般に徹底せしむる様周知方可然御配意相煩はし度」 と、各末寺での檀信徒への徹底を通達している。
さてその宗務院を経て僧俗に周知させられた「通牒」の内容は、次のようなものであった。
◆ 神嘗祭当日神宮遥拝に関する件 神嘗祭当日遥拝時間の設定に関しては客年十月八日付官文三七八号を以て通牒致したる処聖戦下愈々神嘗祭ノ真意義を周知徹底せしむるの要有之付貴(学、校、所、会)職員をして当日午前十時を期し一斉に各在所に於て神宮を遥拝せしむる様可然御配意相煩度
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神嘗祭とは、伊勢神宮の収穫祭のことで、1869年(明治2年)に皇室祭祀に定められた国家神道の重要行事の1つである。
毎年10月17日に行われ、宮中においては現人神である天皇が伊勢神宮を遥拝し、また宮中三殿の1つである賢所で親祭を執り行う。
この意義を「周知徹底」するということは、国家神道の教義の流布にほかならない。
また10月17日当日は午前10時を期して、檀信徒に伊勢神宮を遥拝するように、宗務院は僧侶に命じたのである。
(『地涌』第32号) <神宮遥拝に関する通知> >
この意義を「周知徹底」するということは、国家神道の教義の流布にほかならない。
また10月17日当日は午前10時を期して、檀信徒に伊勢神宮を遥拝するように、宗務院は僧侶に命じたのである。
当時、宗門は、文部省から「本山や末寺の『住職』、『在勤者』に神宮遥拝(ようはい)をさせるべし」という要求を受け取っていました。
しかし、そこには一般信徒への言及は、まったくありませんでした。
ところが、宗門はこの要求を積極的に受諾、意図的に拡大解釈し、一般信徒すべてに神宮遥拝(ようはい)を要請したのです。
それは、同「院達」そのものに明示されています。
「神嘗祭(かんなめさい)當日神宮遥拝(ようはい)に関する件」と題された、この「院達」には、文部省からの要請が引用されているのです。
文部省の要請は「『職員』をして當日(とうじつ)・・・神宮を遥拝せしむる様(よう)」というものでした。
これにも拘わらず、同「院達」には「其趣旨(そのしゅし)を檀信徒一般に徹底せしむる様(よう)」と要求しました。(<ふうふうさんのウエブナビ>WS070623)
日蓮正宗に報国団が結成されたのは昭和17年11月19日のことで、結成式は大客殿大広間において行われた。
午後4時から行われた結成式は、開式之辞、宮城遥拝、国歌奉唱、祈念感謝、詔書奉読、読経唱題、役員推薦、総裁訓辞、国旗授与、宣誓、団長挨拶、報国団経過報告、記念撮影、万歳奉唱、閉式という順に続いた。
宮城遥拝(宮中三殿・現人神に対する拝礼)、詔書奉読などが注目される。
「日蓮正宗報国団々則」を見れば、本部は日蓮正宗宗務院に置かれ、分団が宗務支院に置かれていたこと、総裁には管長がなることなどがわかる。
この報国団の目的について同規則には、
「本団は肇国の聖意を体し挙宗一致時難克服、挺身皆労以て宗教報国の完遂を期す」
と明記されている。
また団員の構成については、
「本団は本宗の全僧侶檀信徒を以て組織し本宗の僧侶檀信徒たるものは必ず本団に入団するものとす」 となっている。
そして昭和18年度の事業項目として、献金並軍機献納資金、傷病兵慰問並慰問品、興亜開発事業、報国勤労作業、僧侶の錬成、一般信徒の錬成、救急施設、社会事業促進などが挙げられている。
現人神を国の頂点に戴いた国家神道を基となす国家は、その戦争目的遂行のために、仏教諸派に金、物資、人を調達させたのであった。
日蓮正宗も、時代のすう勢とはいえ、その一翼をになったわけである。
太平洋戦争開戦からちょうど1年後の昭和17年12月8日、概要のなった日蓮正宗報国団の人事が発表されている。
報国団々長には宗務総監心得であった崎尾正道、同副団長には庶務部長であった渡辺慈海が任命された。(『地涌』第34号)
【報国団結成の「祈願文」】
昭和18年1月15日、日蓮正宗報国団の名古屋第7分団の結成式が行なわれた。この結成式において、日恭(上人)は、つぎのような祈願文を述べた。(不破優『地涌からの通信・歴史編』)
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今時大東亜戦役(せんえき)は皇国の興廃(こうはい)を堵(と)せる振古未曾有(しんこみぞう)の大戦にして東亜に於ける米英の禍根を除去し大東亜隣邦の共存共栄を遂げんとする実に邦家自衛の止むなきに出づる所なり。
御稜威(みいつ)の下(もと)忠誠勇武なる我(わが)皇軍将兵の勇戦奮闘による大捷報(だいしょうほう)は荐(しき)りに至ると雖(いえど)も、彼等敵米英は豊富なる資源と執拗(しつよう)なる民族性とにより、将(まさ)に一大反撃を企(くわだ)てんとしつゝあり、畏(おそれおお)くも聖上陛下には昨冬12月12日伊勢神宮に御親拝と拝承し奉る、是れ赤子(せきし)たる我等国民の齊(ひと)しく恐懼(きょうく)感激する所なり。
されば、勇躍軍に従ふもの元より身命を鴻毛(こうもう)の軽きに比し、傷つき病むも猶(なお)且(か)つ再起出陣を願ふ、銃前斯く如く、銃後の衆庶亦然り戦時資材の製作に、輸送の完壁に各自奉公の誠を盡(つく)して生産増強に死力を效(いた)して間然する所なく、或は軍人遺家族の後援に将又(はたまた)英霊の祭祀に其の周到鄭重(ていちょう)を極む、為めに士気愈々(いよいよ)軒昴(けんこう)たり。
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日恭(上人)はこの祈願文の中で、天皇が伊勢神宮に「親拝」したことについて、「恐懼感激」と述べている。
また、「英霊の祭祀に其の周到鄭重を極む」と、靖国神社への戦死者奉祀を評価している。
また、同日の訓辞においても日恭(上人)は次のように述べ、天皇の伊勢神宮参拝を賛嘆している。
「畏くも聖駕(せいが)伊勢路に嚮(むか)ひ国威の宣揚(せんよう)を御祈願あらせ給ひしを拝聞し、実に恐懼(きょうく)に堪へず、我宗徒たるもの正に一大勇猛心を振(ふるい)起(おこ)し挺身報国。上御宸襟を安んじ奉り、下令法久住を期すべきの秋に相当たれり」
このように、"法主"たる日恭(上人)の指南により、宗内の僧俗が日蓮大聖人の仏法の名の下に、戦争に向かわされたのである。
これらの"指南"はいずれも、日蓮大聖人の御精神にまったく反した行為である。(不破優『地涌からの通信・歴史編』)
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【神札指導】 (左の一編は小平芳平氏の記に依る)(中略)18年6月(※初旬)には、学会の幹部が総本山に呼ばれ、「伊勢の大麻を焼却する等の国禁に触れぬよう」の注意を時の渡辺部長より忠告を受けた、牧口会長はその場では暫く柔かにお受けした、が心中には次の様に考えられていた、当時の軍国主義者は、惟神道と称して、日本は神国だ、神風が吹く、1億一心となつて神に祈れ、等々と呼びかけていた。少しでも逆う者があると、国賊だ、非国民だといつて、特高警察や憲兵のつけねらう所となつた、もとより牧口会長は、神札を拝むべきではない、神は民族の祖先であり、報恩感謝の的であつて、信仰祈願すべきではないと、日蓮大聖人、日興上人の御正義を堂々と主張なされていた。(中略)会長の応急策も已に遅し(『富士宗学要集』第9巻431頁)
反論・対照資料(原文)
「会長の応急策」こそは、会員に対し、神札を粗末に扱わなうよう指導する通牒だったのである。
↓
● 皇大神宮の御札は粗末に取り扱はざる様敬神崇祖の念とこれを混同して、不敬の取り扱ひなき様充分注意すること。(戸田城外『通諜』S18.6.25)
<神札を焼却する必要なし>
● 第四十七段・我所領の内に有る謗法の社寺なりとも、公方より崇敬する処ならば・卒爾に沙汰すべからず、私所ならば早々改むべし云云。(第9世日有上人『有師物語聴聞抄佳跡上』/『富士宗学要集』第1巻248頁)
●(※上記について)宗門信仰の領主等が・謗法の社寺を破壊せんとする時・其破戒せらるべき社寺が、時の日本国の全権者足利公方の崇敬の所ならば、軽忽に処決すべからずと云ふ・是れ大に為政者に敬意を払ひ給へるなり、
公方已にかくの如し、況んや至尊に於てをや、故に広布の道程にある間は為政者に対して理を責め道を推して・臣民の礼節を全ふして・諌暁し上ることは、無論なりといへども熱心に激して妄断する事はあるべからざるなり、是即本師の精神固より仏祖の御本意ならんか(第59世日亨上人『有師化儀抄註解』/『富士宗学要集』第1巻159頁)
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上記御指南は、為政者の社寺を破壊することを誡めたものであるが、為政者が作成した神札についても当てはまるのではないか。
為政者といえども謗法を諌めることは大切であるが、為政者は我々にとって主徳の一分を有する存在である。
であるから、為政者に対しては特別に敬意を払うべきであり、その信仰の対象を無闇に破壊すべきではないと思われる。
※主権が国民にない時代の為政者と国民との関係は、あたかも大家と間借り人の関係のようなものではないか。
間借りした部屋に大家所有の神札が祀られていたとする。
神札も部屋も大家の所有物であれば、これを勝手に処分できないことは当然である。
その場合、神札は間借り人にとって所有物ではないし、信仰の対象でもない。
これは、たまたま乗ったバスやタクシーに御守がぶら下がっているようなものではないか。
わざわざ、神札の祀られた部屋を間借りするのもどうかと思うが、戦時下では、"神札のない部屋"はなかったのである。
● 他宗の法花宗に成る時、本と所持の絵像木像并に神座其の外他宗の守なんどを法花堂に納むるなり、其の故は一切の法は法花経より出てたるが故に此の経を持つ時、本の如く妙法蓮花経の内証に事納まる姿なり、総して一生涯の間、大小権実の仏法に於いて成す所の所作、皆妙法蓮花経を持つ時、妙法蓮花経の功徳と成るなり、此の時実の功徳なり云云。(第9世日有上人『有師化儀抄』/『富士宗学要集』第1巻70頁)
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他宗の本尊であっても御守であっても、これを破却することなく末寺の「法華堂」に納めていたのである。
その意義から言えば、新入信者の神札等を、世相を無視して堂々と焼却する必要はまったくなかったといえる。
● 昭和17.1頃以降 警視庁当局に対し「創価教育学会々中には多数の現職小学校教員あり且其の教説は日蓮宗に謂ふ曼陀羅の掛幅を以て至上至尊の礼拝対象となし、他の一切の神仏の礼拝を排撃し、更に謗法払いと称して神符神札或は神棚仏壇等を焼燬撤却し、甚だしきは信者たる某妻が夫の留守中謗法払ひを為したる為離婚問題を惹起せり」等縷々投書せる者あり(「特高月報」昭和18年7月分/『牧口常三郎全集』第10巻371頁)
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宗門が問題にしたのは、世情や人情、社会的常識を逸した法を下げる行為であったといえよう。
<神札受け取りも問題なし>
● 当時、全戸に配布されていた伊勢神宮のオフダの受領を拒否して弾圧され(『池田大作「権力者」の構造』講談社+α文庫52頁)
● 日本国民の総氏神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)をまつっている伊勢の神宮の御神札は、明治以前は御師(おし)といわれる神職によって全国各地の家々に配布されていました。
(中略)明治の御代になって、御師による配布は廃止され、御祓大麻は神宮大麻(じんぐうたいま)と名称が改まり、明治天皇の聖旨により政府事業として全国全戸に漏れなく配布されるようになりました。(<神社と神道>WS060311)
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無用の混乱を避けるための形式的な通知に過ぎない。
宗内において神宮遥拝をしたなどという事実はない。
一方、牧口会長は自分の言葉で、神社参拝を容認し、わざわざ書籍として出版している。
↓
● 吾々(われわれ)は日本国民として無条件で敬神崇祖をしてゐる。しかし解釈が異なるのである。神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。吾々が靖国神社へ参拝するのは(中略)お礼、感謝の心を現はすのであって、御利益をお与え下さい、といふ祈願ではない。(中略)今上陛下こそ現人神であらせられる(昭和17年11月第5回総会『大善生活実証録』/『牧口常三郎全集』第10巻362頁)
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"感謝のためなら神社に参拝してもよい"これが牧口会長の指導でした。
「吾々が靖国神社へ参拝するのは」とある以上、実際に「お礼、感謝の心を現はす」ために「靖国神社へ参拝」していたことは間違いない。
[参拝]=神社・寺にお参りして拝むこと(『新明解国語辞典』第4版)
�@ 官文記載によれば「神宮を遥拝せしむる」対象は「貴(学、校、所、会)職員」である。
これを受けて院達が通達したのは、当該官文の「趣旨を」「檀信徒一般に徹底」せしむることであって、「神宮を遥拝せしむる」ことではない。
�A ただし、神宮遥拝は国民全員が行うべきことであったから、当局の趣旨は各団体を通じてその構成員全体に神宮遥拝を通知することにあったはずである。
<ふうふうさんのウエブナビ>では「貴(学、校、所、会)職員」とあるのを表面的にとらえて「職員」のみに徹底すればよかった、としているが、それは当局の趣旨に反することであったろう。
�B いずれにせよ、当局の通知を形式的に機関誌に掲載したということで、宗門関係者が実際に神宮を遥拝したという事実はない。
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▼ 宮城遥拝を行うとは単に、皇居に礼をすることではない。
宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)と現人神である天皇に対する拝礼であり、その根底にはもちろんのこと神道がある。(『地涌』第33号)
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学会は会合の度に「現人神である天皇に対する拝礼」である宮城遥拝を行っていた。
上記官文は、学会のような小さな組織には通知されなかったであろうが、もし、同様の通達が学会に来ていたらどうしただろうか。
「根底に」「神道がある」宮城遥拝を実際に行っていた学会のことだから、形式的な内部通達くらいはしていただろう。
>宮城遥拝(宮中三殿・現人神に対する拝礼)、詔書奉読などが注目される。
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「宮城遥拝」については学会も会合で行っていました。
↓
●(※宮城遥拝・黙祷の後、野島辰次理事「開会の辞」)大東亜戦開始以来の戦果は、法華経の護持国家なればこそであります。昨夜のラヂオ放送の如き余裕下に、今日総会を開くのは感激の極みであります(S17.5.17創価教育学会第4回総会『大善生活実証録』/『フォーラム21』H14.3.15)
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大東亜戦争(太平洋戦争)で赫々たる戦果があがっているのは、日本が法華経の護持の国であればこそであり、勝利の戦果を聞く時に総会を開催することは感激の極みだというのである。
宮城遥拝に次いで首脳幹部が大東亜戦争の戦果を賞賛する。
ここには侵略戦争に反対したという事実も、軍国主義に抵抗した事実も全く見あたらない。
あるのは侵略戦争に迎合協力する体制翼賛団体としての創価教育学会の姿だけである。
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>現人神を国の頂点に戴いた国家神道を基となす国家は、その戦争目的遂行のために、仏教諸派に金、物資、人を調達させたのであった。日蓮正宗も、時代のすう勢とはいえ、その一翼をになったわけである。
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日蓮正宗だけではありません。
牧口学会も「戦争目的遂行のために」「その一翼をになっ」ていたではありませんか。
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● 本団は本宗の全僧侶檀信徒を以て組織し本宗の僧侶檀信徒たるものは必ず本団に入団するものとす(「日蓮正宗報国団々則」)
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ということは、学会員も当然、「日蓮正宗報国団」の団員だった訳です。
戦勝を念願し、数々の戦争推進発言を繰り返していた牧口学会が、この活動に批判的だったとは考えられません。(【戦争翼賛する牧口学会】参照)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・r
◆ 鈴木管長(日恭上人)及びその一味は、時局の如何を弁(わきま)えず、政府の宗門合同を要望せるに拘わらず、自家独尊の建前を固守し、(中略)何ら宗門らしき奉公の実を示さず、此の苛烈(かれつ)なる戦局に対し、飛行機1機も献納せんともせず、「報国会」の組織も名のみにして実行なく(『世界之日蓮』S18.12・S19.1合併号)
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『世界之日蓮』は、戦時中、戦争翼賛に積極的であった宗内の一僧侶が主催していた。
この記事から分るように、身延との合同問題等、最悪の環境の中、法体護持を最優先した当時の日蓮正宗は、時局下、戦時体制に積極的に協力する意思表示はせざるをえなかったものの、実際の行動は、他の団体等に比較して非常に消極的であった、ということである。(『慧妙』H17.12.1)
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<天皇の伊勢神宮親拝>
まず、天照太神について、昭和初期に編纂(へんさん)された百科事典には
「高天原(たかまがはら)の主神であると共に、皇室の御先祖にて坐(ましま)し、我が国において最も崇敬せらるる神」
と解説されている。
つまり伊勢神宮は、天照太神を、日本の主神として、また皇室の先祖として祀っているのである。
本宗の神天上(かみてんじょう)の法門によって見れば、『新池御書』に、
■「此の国は謗法の土なれば、守護の善神法味にうへて社をすて天に上り給へば、悪鬼入れかはりて多くの人を導く」(新編1458頁・全集1440頁)
とあるとおり、伊勢神宮には、仏法守護の善神としての天照太神はいない。
したがって、そこが衆生の信仰の対象とならないことは当然である。
しかしながら、天皇家の人々が祖先の墓所として墓参することは、祖霊に対する感謝や追善を主とするものであるから、何ら問題ではなかろう。
さて、日恭上人のお言葉は、天皇の伊勢神宮親拝(すなわち祖先の墓参)について、敬語を交えて述べられたものにすぎない。
これが「大聖人の御精神にまったく反した行為」などでないことは、もちろんである。(『慧妙』H6.10.16)
なお、『歴史編』は、日恭上人の訓辞をも疑難しているが、これは、昭和17年末頃、太平洋戦争の戦況が悪化し、天皇自らが祖霊に国威宣揚(こくいせんよう)を誓願したことについて、述べられたものである。
まず、日恭上人は、日本国民としての立場から、天皇がわざわざ伊勢まで出向くほど悩まれていることに対して、「実に恐懼(きょうく)に堪へず」と述べられている。
そして、その上で、仏法の立場の上から、「御宸襟(しんきん)を安んじ奉り、下令法久住を期すべき秋(とき)に相当たれり」と、広宣流布・令法久住によって、一国の安穏を期し、天皇の宸襟を安んじ奉るよう、訓辞せられたものと拝するのである。
『歴史編』の、「日蓮大聖人の仏法の名の下に、戦争に向かわされた」などという疑難が、意図的に当時の世情と本宗の信条を無視したものであることが、以上で明らかであろう。(『慧妙』H6.10.16)
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<「英霊の祭祀に其の周到鄭重を極む」>
つぎに、「英霊祭祀に其の周到鄭重(ていちょう)を極む」の語をとらえて、「靖国神杜への戦死者奉祀を評価している」と疑難しているが、「英霊」とは、死者とくに戦死者への尊称であって、「靖国神杜」とは直接関係のない語である。
『歴史編』は、この項の末尾に、日恭上人が付けられた戦死者の法名を挙げているが、これらの人達も(靖国神社に祀られずとも)歴とした「英霊」なのである。
そして、この「英霊」たちは日蓮正宗の化儀にのっとり、「周到鄭重」に追善供養されているのである。
「英霊」=「靖国」=謗法という、短絡的な発想しかできない不破優君、君の手許には国語辞典はないのか。
ないのならば、至急、池田の許に走り、辞書を買う許可をもらって買い揃えておくことだ(池田創価学会では、鉛筆1本さえも、池田の許可なしでは自由にできないという)。(『慧妙』H6.10.16)
神札問題 (<法蔵>H19.7.15)
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【神札に対する対応の是非】
会員の神札受け取りについても、金銭を支払って受け取るのであれば格別、当局が勝手に配布するのであれば、一応受け取り、捨て置くか寺院に納めるか、コッソリ焼却すればよかろう。
●(※ひとのみち=PL教の前身)教団本部に特高警察が入り、教祖が拘引された翌年の昭和12年4月5日、当局は「不敬の事実をつかんだ」として、教祖を不敬罪で追起訴し、私はじめ弟の道正ほか、十数名の幹部教師も不敬罪で拘引されました。
そして28日には、内務大臣命令により治安警察法が適用されて、教団に対して結社禁止処分を行ったのです。
(中略)判決も出ないままに、教団は解散させられたばかりか、動産・不動産の処分、債務の整理、さらには建物の破壊もしくは売却までさせられました。
(ひとのみち事件・御木徳近『宗教弾圧を語る』岩波新書61頁〜)
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当時は、個人の私有物であっても強権をもって処分された。
だから、個人の家屋であっても実質は国家の容認の上に所有占有できたに過ぎないのである。
また、大麻は国家が作成し全戸に配布した。
これは、譬えて言えば、家主が自作の神札を間借り人の部屋に置くようなものである。
現行法では、家主といえども、そのようなことはできないが、当時は、"家主"の権力は絶大であり、それを拒めば部屋を借りることができなかったのである。
学会同様、宗門も謗法払いを否定していない。
宗門が学会に指示した内容は、公的機関から差し出された神札(大麻)を拒否したり、公然と焼却せずに一応受け取るというものである。
だから、会員であれ、新入信者であれ、本人が納得して神札を取り払うのであれば、宗門の指示に反するものではない。
● 総本山において、天照大神のお札を貼ったことは1度もありません。
今時の大戦争において、国において軍部が大変に力を得て、我が国を滅ぼしたような状態でございました。
昭和18年ごろ、いよいよ戦争が激しくなってきた時分、この総本山においては当時客殿・御宝蔵・庫裡・六壷、それから大奥と、そのちょうど真ん中あたりに書院がございまして、・・・そこは大書院ですから、御本尊は祭ってありません。
その所を、昭和18年の、戦争がいよいよ盛んになった時に、国で借り上げてしまった、国に借りられてしまったわけです。
その時にその書院を「中部勤労訓練所」ということにされてしまったのでございます。
・・・その時に所長である上中甲堂と云う人が、書院の上段の間へ天照大神のお札を祭ったんです。
それに対して、こちらは再三異議を申し立てたんですけれども、しかし国家でやる仕事である、国の仕事であるから、いくらこちらで何を言っても、それは及びもしない。何とも仕方がないから、そうなってしまったのであります。
ただそれだけのことで、別に我々がその天照大神のお札を拝んだことなどありもしない。
また、実際その中へ入って見たこともない。入れてくれもしない。
まあ借家同然で、借家として貸したんだから向こうの権利である。
そういうような状態であって、決して我々が天照大神のお札を祭ったとか、拝んだとかいうことは事実無根であります。(第66世日達上人/『大白法』H3.4.1)
● 18年7月、中部勤労訓練所という、徴用工訓練のための機関が大坊の書院(200畳敷き)を利用しはじめた。
神道に毒されていた指導者たちは、この書院に神棚をつくり、天照太神を祀ってしまった。
総本山の宗務院は、当局者に厳重に抗議をした。
(中略)再三にわたって、日蓮正宗の教義を懇切に説き、神棚の撤回を迫った。(『人間革命』第1巻「千里の道」258頁〜)
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謗法の徒が総本山内に神札を祀った時、宗門は「教義を懇切に説き、神棚の撤回を迫った」のである。
この事実から考えても、宗門として信徒に神札を祀ることを容認する指導があったとは考えられない。
神札受容は、実質をともなわない形式的対外的配慮に過ぎなかったのである。
●(※牧口)「天照大神は天皇陛下の先祖であつてかえつて我々がズケズケおまいりするのは不敬になるとしているだけなのです。今少し強く申し上げたいと思いますが、時ではないと思うので、これでも心掛けているつもりです。ただし謗法だけは我等の会員にはさせたくないと思いますが、どうしたものでしようかな」
(本山側)「一度神札を受けてそつと処分すると云う様な方法か、又積んで置いてもそれ程の害はありますまい」(昭和18年6月初旬の本山での会話/戸田城聖著『人間革命』聖教新聞S28.12.6/『地涌』第667号)
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本山側は学会に対し「そっと処分」するように指示している。
これのどこが謗法なのか。
● 私は、大石寺塔中了性坊の檀家に生まれ、信心深かった先祖の名にちなんで命名され育ちました。
戦前、戦中のこと、(中略)受持の先生に、家に神棚のある人は手を挙げなさいと言われましたが、手を挙げずに居りますと「村長さんの家でそんなことはない」とただされ、帰宅して「家に神棚がどうしてないの」と泣きますと、祖母は私を御本尊様の前に座らせ「ここに天照大神と名前が記されているのだから手を挙げて良いのだよ」とさとしました。(本山塔中百貫坊・井出信子『展転』妙恵寺支部発行H17.11.13)
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神札拒否を公然と表明することはできなかったものの、公人たる村長の家庭でも神札を祀ることはなかったのである。
木材・金属などの供出と戦争協力報道
邪難・主張と提示資料
【山内の樹齢600年の老杉200本を戦争協力に供出】
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昭和19年1月8日付『静岡新聞』の記事。
題字がすべてを物語っています。
すなわち、「ひびく米英撃滅の斧音(おのおと)―大石寺の巨木二百本愈々出陣」と。
老杉200本の伐採には、鈴木日恭法主が自ら立会い、読経を行ないました。
それは、彼等にとってことさらな「鬼畜」である米英を撃滅するための読経でした。
同記事には、日恭法主が、「戦争推進のための、この行為が、仏法の本義に叶ったものである」との旨を述べたことが示されています
―「国難来って我ら一億総決起は宗祖の説くところで、600年来法燈ともに茂っていた杉、檜が応召する、全く国是宗法に叶ったもの」と。
けれども、宗門は、今、平然と、こう主張しているのです
―「我々には、格別の戦争責任はない」と。
「大聖人の仏法を護り抜いた」と。(<ふうふうさんのウエブナビ>WS070625)
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>「我々には、格別の戦争責任はない」 【戦争推進の為、物資を積極的に供出】
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昭和19年1月14日付『静岡新聞』の記事。
大石寺は、軍備の需要に対して、これに、旺盛に応じました。
寺内の仏具類のみならず、建造物の屋根等までも軍に差し出しました。
題字には「銅板屋根もお役に」、「六百年の歴史語る大石寺で供出」、「大石寺の佛具類―大梵鐘と共に應召(おうしょう)」、「釣鐘類續々(ぞくぞく)應召(おうしょう)」等と描かれている。
では、これは軍から要請されたものであったのか。
そうではありません。
同記事には、「寺院の協力に縣(県)感激」との題字も掲示されています。
県を感激させるほどの供応―つまり、これらの供応は、宗門自らの積極的な意志で行なわれたのです。
明らかに、大石寺は、戦争推進のためには、「大いなる模範」でした。
そもそも、大石寺の御堂・三門の銅瓦は、軍部からの金属供出の対象から外されていたのです。
それにも拘わらず、大石寺は、これらの供出を行なったのでした。
当時の『大日蓮』には、「鬼畜米英撃滅のためにお役に立ちたい」旨の記述がなされています。
しかし、これにも拘わらず、現在の宗門は言っています
―「当時、宗門は、突出した戦争への加担はしなかった」と。(<ふうふうさんのウエブナビ>WS070625)
反論・対照資料
戦争協力は、当時の国民すべてが財力に応じて表面上"積極的""自発的"に行っていたのである。(<開戦直後の訓辞>参照)
>「大聖人の仏法を護り抜いた」
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● 今年大蒙古国より牒状之有る由・風聞す等云云、経文の如くんば彼の国より此の国を責めん事必定なり、而るに日本国の中には日蓮一人当に彼の西戎を調伏するの人たる可しと兼て之を知り論文に之を勘う、君の為・国の為・神の為・仏の為・内奏を経らる可きか(『宿屋入道への御状』全集169頁)
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国家の戦勝を願い、それに協力することは国民として当然の感情である。
大聖人も蒙古の調伏については否定されていない。
つまり、戦争協力の事実をもって仏法守護を否定することはできないのである。
1● 竹富島では、軍の防空壕のささえ木、大石部隊の港構築(西海岸の砂浜を掘り、暴風林の中まで水路港にしようと計画)のために、木材の供出が行なわれた。竹富島では、お嶽の木を伐ることはタブーになっているがそのお嶽のみごとなふく木も切り倒され、今度は住民の長期間心をこめて育成した最高の建築資材「キャー木」(イヌマキのこと)を強奪した。
私のもの約80本、有田家のもの約200本。
それらは30年木で直経約30センチ高さ約7、8メートルもある立派なものばかりだった。
木材を供出したということで軍から「感謝状」を受けた有田のじいさんは、「これはただの紙切れではないか、30年間の苦労をどうしてくれる」といかりで体をふるわせ、泣いていた。(<沖縄戦の記憶・本館>WS070630)
● 1942年に「家にある鉄や銅や金やダイヤモンドの製品を提供しなさい」と、命令がでました。
なべ、かま、やかん、を残してすべて提出しました。
いやがったり、かくしたりしたら、「非国民」などといって、罰したりしました。(<戦時中のkasiwaの様子>WS070630)
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強制的な供出であっても「感謝状」が出される。
逆にいやがったり隠したりすれば「非国民」として罰せられる。
つまり、戦時下の戦争協力は、表面上すべて自発的積極的な行為であり、感謝されるべきものだったのである。
「寺院の協力に縣(県)感激」→軍から要請されたものではない→自発的に戦争に協力した、と考えるのはあまりにも皮相的な発想であることが分かる。
● 終戦直後、憶えておられる方も多いと思いますが、東京・九段の靖国神社周辺や皇居前広場には、敗戦を詫びる人々の姿がありました。
食うや食わずの困窮をものともせず「天皇さま、奉公心が足りず申し訳ございませんでした」「私たちの努力が足りませんでした」といつまでも頭を垂れている姿があちらにもこちらにも見られました。
そのように教育したのは国家神道であり国粋主義者だったわけで、今日を生きる私たちの目から見れば、そのように教育された人々は国家神道の犠牲者、15年戦争の被害者です。
家を焼かれ人生を破壊され肉親を奪われながら、まさに被害者が加害者に「申し訳なかった」と詫びる構図をもって、国全体を統治していたのです。(<2002年度
カトリック社会問題研究所夏期セミナー>)
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当時の国民は「積極的な意志」によって戦争協力をしていたのだ。
宗教団体も例外ではなく積極的に戦争に協力していた。
このような国家的風潮の中では、戦争に反対であっても、表面上は積極的自発的な戦争協力をしなければならなかった、といえる。
「寺院の協力に縣(県)感激」とあるのは、静岡県下では最大級の大石寺が"積極的に"物資を供出したことを県民に宣伝する効果を狙ったものであろう。
全国に末寺を持つ総本山といえば、県下では大石寺を凌ぐ程のものはなかったのではないか。
その大石寺が県下の宗教界の先頭に立って戦争協力をするのは、むしろ当然視されていたはずである。
すなわち、すべての戦争協力は積極的自発的になされるべきものであり、それに対して当局は感謝して受け入れる、という構図が出来上がっていたのだ。
これについて当該記事の原文を是非とも示して欲しいものである(画像では確認不能)。
もし、「寺院の協力に縣(県)感激」の記事から「軍部からの金属供出の対象から外されていた」と断定したとすれば、あまりにも短絡的な考えです。
● 大東亜戦争に入ると各宗派は競うように「戦時布教方針」をたて、勤労報国隊や軍費献納運動に走った。
各宗教宗派の独自性とヒューマニズムは見失われ、戦争協力の翼賛宗教に転落していった。
みんなが知っているところだ。(『月刊住職』H8.4)
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宗教界全体が「競うように」「戦争協力の翼賛宗教に転落」していったのである。
軍部から命じられたから供出した、というだけでは全国に末寺を有する総本山としては"消極的"だという批判があったのであろう。
>これにも拘わらず、現在の宗門は言っています―「当時、宗門は、突出した戦争への加担はしなかった」と。
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● 戦時下最も必要な金属類は、昭和16(1941)年8月に勅令が出され、強制回収が始まった。
当初は工場などが対象であったが、その後、寺院等も指定施設となり、中でも梵鐘は回収範囲の筆頭にあげられた。(<発見!三重の歴史>WS070630)
● 昭和17年1月12日、柏町は、兵器に使うための必要な鉄や銅などが不足しているため、寺のつり鐘や公園の銅像、各家庭の金属製品までを供出させました。(<戦時中のkasiwaの様子>WS070630)
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柏市(千葉県)では、既に昭和17年に「寺のつり鐘」が供出されている。
大石寺の金属供出が昭和19年からだとすれば、全国的には、むしろ遅きに失した感もあるが。
これでも「突出した戦争への加担」だと言えるのだろうか?
◆ 鈴木管長(日恭上人)及びその一味は、時局の如何を弁(わきま)えず、政府の宗門合同を要望せるに拘わらず、自家独尊の建前を固守し、(中略)何ら宗門らしき奉公の実を示さず、此の苛烈(かれつ)なる戦局に対し、飛行機1機も献納せんともせず、「報国会」の組織も名のみにして実行なく(『世界之日蓮』S18.12・S19.1合併号)
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『世界之日蓮』は、戦時中、戦争翼賛に積極的であった宗内の一僧侶が主催していた。
この記事から分るように、身延との合同問題等、最悪の環境の中、法体護持を最優先した当時の日蓮正宗は、時局下、戦時体制に積極的に協力する意思表示はせざるをえなかったものの、実際の行動は、他の団体等に比較して非常に消極的であった、ということである。(『慧妙』H17.12.1)
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飛行機の献納について言えば、陸軍愛国機献納は遅くとも昭和8年頃から行われていた。
そのうち宗教界が献納したものが30機(現在判明分)で、大半が昭和18年9月までに献納されている。
朝日新聞も読者に呼びかけて献納しているが大半は昭和19年以前である(<陸軍愛国号献納>参照)。
これに対して宗門は昭和18年12月の時点でさえ、「飛行機1機も献納せんとも」しなかったのである。
宗門の戦争協力が表面的形式的なものであったかが分かるではないか。
これは、『静岡新聞』という一地方紙の報道である。
しかも「富士宮支局」が書いた記事である。
全国的には、些細なことであっても富士宮近辺のニュースとしては大きなことであったのだろう。
しかも、これを大々的に取り上げることは『静岡新聞』にとっても戦争推進に一役買ったことになるし、読者の戦争意識を高揚させる意義もあったろう。
すなわち、この記事をもって「戦争に突出した加担」があったとはいえない。
また、上記1●の証言からも分かるように、個人が行ったしぶしぶの供出であっても「感謝」されるのである。
そうであれば大石寺という、まがりなりにも全国に末寺を擁する総本山が行った戦争協力であれば、仮令それが嫌々であっても「絶賛」されるくらいのことは、あったであろう。
● 国体を否定し、神宮または皇室の尊厳を冒涜すべき事項を流布することを目的として、結社を組織したるもの、または結社の役員その他指導者たる任務に従事したるものは無期または四年以上の懲役に処し、情を識りて結社に加入したるものまた結社の目的遂行の為にする行為をなしたるものは1年以上の有期懲役に処す(治安維持法)
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この法律から新聞紙法や出版法などに至るまで、当時一般的な報道の規制を目的として取り締まるための法律は、電信法まで含めると26の多きに及びました。
つまり、天皇制の下に言論の自由などは望むべくもなかったのです。(<2002年度 カトリック社会問題研究所夏期セミナー>)
ちなみに『朝日新聞』は、軍用機の献納を読者に呼びかけていた(<陸軍愛国号献納>参照)。
当時の新聞自体が戦争協力を推進し、国民に戦争協力の必要性を訴える教育的機能を積極的に果たしていたのだ。
そうであれば、当該報道も目的の第一義は読者の戦争協力への意識を高揚させることにあったことは容易に分かることである。
大石寺の戦争協力を大々的に報じることは、新聞社の使命でもあった訳で、記事に書かれた主観的評価を文字通りに鵜呑みにすることはできないのである。
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>しかし、彼等は、現在、言っています―「宗門は、戦争に突出した加担はしていない」と。
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戦争協力は、当時の国民すべてが財力に応じて表面上"積極的""自発的"に行っていたのである。(<開戦直後の訓辞>参照)
神札拒否・国主諌暁をしなかったとの批判
邪難・主張と提示資料
次に『新報』は、本宗が「国主諌暁」「神札受諾拒否」をなしえなかった理由は、日恭上人が大法よりも自らの身命を惜しんだゆえである、として、時局協議会文書より、
「頑強に神札受諾を拒否すれば、日亨上人、日恭上人の投獄・獄死の危険があり、血脈断絶の危機に及ぶ。また大石寺が身延の支配下に入れば、戒壇の大御本尊が身延の支配下に置かれることになる。戒壇の大御本尊を他宗の支配下に置き、血脈断絶に至る以上の大謗法が、ほかにあろうか(趣意)」
との箇所を挙げて、これに反論する形で論を進めている。
すなわち、『新報』は「宗派合同間題」については、昭和16年に解決済み(昭和16年3月31日、日蓮正宗単独宗制認可)であり、身延の支配下に置かれる危険性はなかった―とし、「血脈断絶の危機」については、日恭上人・日亨上人が投獄・獄死という運命をたどろうとも、61世日隆上人が控えており、現に日恭上人御遷化後は、63世日満上人は日隆上人より血脈を受けている事実から考えても、なんらの後顧の憂いはなかったのだから、堂々と国主諌暁・神札受諾拒否をすればよかったのだとしている。
反論・対照資料
『新報』編集部には、本宗誹謗のための、都合のよい歴史しか見えないらしいが、歴史は『新報』が見るような単純なものではない。
まず、宗派合同問題は、日恭上人の、「たとい今、首を切られてここに死すとも合同せず」(『人間革命』第1巻)という御決意をもっての、政府役人との対決により、危機一髪のところで回避できたが、事態はそれで沈静化したわけではなく、その後も、本宗を根幹から揺るがす事件が続いていたのである。
まず、昭和16年当時、「神本仏迹論」の邪義を唱えていた某師は、単独宗制認可後も、神本仏迹論をもって、通算5回にわたって日恭上人に詰問状を送りつけ、日蓮正宗を"不敬罪"へと導こうとし、昭和17年にも、宗教新聞『中外日報』を使い、宗務当局に総辞職を迫るなど、日恭上人を悩まし奉っていた。
本宗の教義の上で、神本仏迹論を破折することはたやすいことではあったが、「神は迹、仏は本」と言下に破すれば、不用意に弾圧を招く危険性があり、某師への対応には慎重をきわめたことが、当時の往復文書(本紙第13号参照)より拝される。
また、昭和18年には、創価教育学会の不敬問題が摘発され、それが本山へも波及しそうになった(結果的に、この時は御宗門の素早い対処により、未然に宗門本体への危難を避けるこどができたが)。
これもまた、本宗の危機を招き寄せる一因となったのである。
昭和16年から18年にかけての本山は、合同は免れたといっても、このような内憂外患の状態にあり、強行に「国主諌暁」を行ない、「神札拒否」を表明すれば、足並みも揃わないまま、御法主上人の投獄、そして宗門断絶へと進む危険性があったのである。
次に、血脈断絶の問題だが、『新報』は、日恭上人・日亨上人が投獄・獄死されても、日隆上人が控えておられたから血脈断絶の危険はなかった、日恭上人は単に憶病のために「国主諌暁」「神札拒否」ができなかったのだ、などと疑難しているが、何とも浅はかな推理である。
考えてもみよ。日亨上人・日恭上人が不敬罪で逮捕されるということは、次に控えておられた日隆上人もまた、同じく「不敬罪」で逮捕されることは確実であろう。
神札を公然と「謗法」と断ずる以上、弾圧は日蓮正宗宗門断絶まで続くことは必至である。
血脈の断絶、戒壇の大御本尊の破却―。
それは、宗祖大聖人の、 「日蓮が慈悲広大ならば南無妙法運華経は万年の外・未来までも流るべし」(全集329頁)
との仰せを破り、末法万年の衆生の成仏への大道を、永久に塞(ふさ)ぐことを意味するのである。
大聖人の仏法を奉ずる唯一の正統教団である本宗に、そのような選択が許されるであろうか。
どうみても、学会の疑難は令法久住・広宣流布という大事な視点を忘失している、としか言いようがない。
[資料][画像]:『特高月報』に記載された日恭上人から某師への書簡(第4信)
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