破折 概論 1

破折 概論 2

法華経に示される 【実相】 の正体

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各論

女性問題

● 昭和四年十二月、どこからともなく「物質はない、心もない、実相がある」等という声が聞こえてきて、悟り″ に達した

● ヨコの真理 の矛盾

● 献金については

   現状 補足資料

● 万教帰一の矛盾を突く

● 「大神」の存在は道理に反する

● 子供騙しの「唯神実相哲学」

● 「全て本を売るための方便」

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概論2 から

「わたしが思いますのに月刊の『生長の家』を本当に心読してくだされば、ほとんどどんな病気でも治ります。」(生命の実相 第一巻 七五頁)

● ↑ 料理の本を何十冊買って読んでも、実修しなければ料理は上手になりません。


「物質は畢尭『無』にしてそれ自身の性あることなし。

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【教義矛盾】 あれこれ

▼ 生き方を学んで自らの心がけを省みたりといった本来というか正しい宗教とは全く違う

▼ 人間の実相である「神の子」の本質が現れ、人格も神の如くに成り、健康、富も思いのまま、といったどちらかと言うと魔術に近いような宗教

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【谷口雅春語録】

戦時中
▼「全ての宗教は、天皇に帰一するための前提として、その存在意義がある。
▼「天皇中心の国家社会の実現こそ、神の意思である。」

「日本の国の実相顕現こそ真の宗教心」(『理想世界』昭和34年11月号)

「物質は畢尭『無』にしてそれ自身の性あることなし。

人間が生物を殺して生きていながら、人類だけが殺し合いの戦争をしないで平和に生活したいと考えるのは、すべての業は循環する、
一点一画と雖も、播いた種子は刈りとらなければならないと云う原因結果の法則に矛盾するのである。
人類の平和は先ず生物を殺さないことから始まらなければならないのである。 (谷口雅春 限りなく日本を愛す)

● ↑ 動植物の生物を全く殺さないで生きていけるのか? 

● ↑ 植物も生命だが、それは除外していいのか? その根拠は?
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「世界の平和も、肉食の廃止から」といいたいのでありますが、政府が肉食を奨励して牛肉なども国費を使って大量に輸入しているのだから、我々の思想が政界を浄化しない限りは、国内の闘争も、世界の戦争もなかなかおさまりそうにないのであります。(心と食物と人相と)


▼「平和論をなすもの、本当に平和を欲するならば、肉食という殺生食をやめる事から始めなければならないのであります。」[45]

▼ 荒唐無稽な主張 生長の家の教えを悟れば病気が治るという主張を谷口の著作から幾つか紹介

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・不幸や病気が現れているのは、ただ眠って夢を見ているだけのことであります。
『肉体は無い』のであるから『無い谷口』がどうして病気を治したり出来るのであるか。
・利己的目的で病気が治りたいだけには道場へ来ない方がよい。
・「‥‥あなたのお子さんの扁桃腺が小さくならないのは、あなたが扁桃腺で苦しんでいるお子さんの姿を本当の姿だと認めて、それを治そう治そう、とあせっていられるからですよ。
人に痛いことを言ふ人、キューと突く様な辛辣なことを言うやうな心の傾向のある人は、キューと突かれる、すなわち注射をされたりしなければならぬ病気に罹る訳であります。

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▼ 甘露の法雨の「無明」

▼ 戦前のことですが大本教が弾圧されそうになる気配が濃くなるや、それまで世話になった恩義などどこへやら、さっさと逃げ出しました。

● 谷口雅春の無節操ぶり

▼ 生長の家は肉体の病気治しではありません。私はまた病人に手も触れません。」
「私は病人が治してくれと言って来ても治しません。
病人は自分自身の心で病気を作っているのですから、私の話を聴いたり、私の書いた本を読んで心が癒れば、病気が自然に治るのです。」

谷口の一貫して変わらない体制順応主義、権力への迎合ぶり

「非常時に労働争議を停止させ、反戦思想を抑圧するのに最も効果のあるのは光明思想である」

「今や自由を得た。生長の家ほど平和愛好の教えはない」

 肉体無し、ゆえに病気も無い。
病気は本来無い、と悟った時、すなわち病気は治っている……。

  ● ↑ では生長の家の信者は全て病気は治っているのか?

「実相」を悟れば事態・環境・法則は自ずから無害有益なものに為り、真に「無限供給の神の恵み」を受ける事が出来る。
つまり貧・富・健康・幸福等、何でも自由自在に現すことができる。


▼ 宗教と金 生命の実相

● 雅春 死  文春

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▼ 大宅壮一 谷口批判
谷口の「大真理」によると、目を生やすも無くすも心のまま、ということになる。
ゴテゴテの観念論を漫画化したような教えにすぎない
バカバカしい功徳談
人心を惑わすこと、これほど甚だしきはなく、正に詐欺以上である。 
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● 「人類の光明化」なんて聞くと、使命感に燃えちゃって、その担い手になることは価値あることだと錯覚しちゃい、自分の意識レベルが上だとこれまた誤解する。
こうして傲慢さが知らず知らずの内に身に付いてしまう。


● 念じるのは「自分は神の子だから完璧だ」という自己暗示。こんな信仰やってて傲慢な人間にならない方が不思議だ。

● 自らが実行できもしない教えを「あなたを幸福にしたいのだ。」と他人に押し付けようとする熱心さ


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【公式HP】 

「実相の世界は神の御徳が充満していて、人間は神の子であり、神と自然と人間とは大調和している世界です。
つまり本当に存在するものは唯、神と神の作られた完全円満な世界だけであるという意味で「唯神実相」と呼んでいます。」
(生長の家公式HP 生長の家の基本的な教え)

● ↑ 内紛はどうして起こっているのか?

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唯心所現の法則によって現象世界をいかようにでも作り上げることが出来る(教団の公式HP)

● ↑ 裁判所にまで訴える必要はどこにあったのか? いかようにも作り上げることができるのではないか。


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人間が実相を悟れば事態・環境・法則は自ずから無害有益なものに為り、真に無限供給の神の恵みを受ける事が出来るとする。

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● ↑ 生老病死 四句八苦 の根本的苦悩をどう解決するのか?
なぜ教団自体の問題が解決しないのか?

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● ↑ 一体誰が誰がこの境界に到達したのか?

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▼「世界の平和も、肉食の廃止から」といいたいのでありますが、政府が肉食を奨励して牛肉なども国費を使って大量に輸入しているのだから、我々の思想が政界を浄化しない限りは、国内の闘争も、世界の戦争もなかなかおさまりそうにないのであります。(心と食物と人相と)

● ↑ なぜ肉食だけなのか? 植物も生命・生物ではないのか?


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▼  地球環境問題は、その影響が地球規模の広がりを持つとともに、次世代以降にも及ぶ深刻な問題である。
今日、吾々人類に必要とされるものは、大自然の恩恵に感謝し、山も川も草も木も鉱物もエネルギーもすべて神の生命(イノチ)、仏の生命(イノチ)の現れであると拝み、それらと共に生かさせて頂くという宗教心である。
この宗教心にもとづく生活の実践こそ地球環境問題を解決する鍵であると考える。
生長の家は、昭和5年の立教以来、“天地の万物に感謝せよ”との教えにもとづき、全人類に万物を神の生命(イノチ)、仏の生命(イノチ)と拝む生き方をひろめてきた。
生長の家は、この宗教心を広く伝えると共に、現代的な意味での宗教生活の実践と して環境問題に取り組み、あらゆるメディアと活動を通して地球環境保全に貢献し、未来に“美しい地球”を残さんとするものである。(生長の家環境方針)

との「基本認識」を示し環境問題への取り組みが「現代的な意味での宗教生活の実践」であるとの認識を示した

● ↑ この程度の認識で、実際に生老病死・四苦八苦の根本的苦悩と迷いから解脱させ救済することができるのか?

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▼ 清超は2005年(平成17年)頃より体調を崩し自宅にて療養・静養中であったが2008年(平成20年)10月28日に死去

● ↑ 病 は 幻想 妄想 ではないのか? 実相観を得たならば 病 はそもそも無い つまり無くなる、治る のではないのか?

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▼ 天照大御神の御徳を讃嘆する祈り」
▼われは今、天照大御神の実相の光、与える愛の力の尊さをあらためて誉め讃う。
われは今、実相世界の真の我を観ずる。
天照大御神の御心われに流れ入りて、わが心を満たし給う。
天照大御神の生命われに流れ入りて、わが生命となり給う。
わが心は天照大御神の愛の心に満たされている、生かされている、満たされている、生かされている。
天照大御神は「愛なる神」の別名である。
キリストの愛の別名である。
自ら与えて代償を求めない「アガペー」(※ 神の愛。罪人である人間に対し、神が注ぐ自己を犠牲にした愛。)の象徴である。
また、三十三身に身を変じて衆生を救い給う観世音菩薩の別名である。
われは今、天照大御神と一体となり、地上のすべての人々、生きとし生けるものに愛を与えるのである。
天照大御神の愛は無限であるから、われもまた無限に愛を与えてもなお減ることはないのである。(谷口雅宣 日々の祈り)

● ↑ この言によると 谷口雅宣総裁は まさに 実相の境界に入っているということだが、兄弟・身内の醜い内紛劇はなぜ起きているのか。
まさに 身 と 口 と 意 が一致していないではないのか?


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【草創からの信徒の諫言】

■雅宣氏以外の雅春先生のお孫さんやその配偶者が生長の家の組織から排除されたり教団から離脱してゐる

■「汝の兄弟と和せよ」といふ教へを實行できないでのある。

▼ 實相久遠常住の生命が現象世界に歪みなく影を映すやうになれば、各人の家系も連綿として一系に續くやうになる

● 谷口先生は、『私は雅宣に皇學館大學に行かせたいと思ってゐるのだが、清超は青山學院大學に進學させたいと言って反対する。君はどう思うか。』と言はれた。

■「一切の自己の責任とする神の子の自覚に超入しよう」


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多磨霊園

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【生長の家】「兄弟姉妹がバラバラに」

東京都国立市の児童養護施設 「生長の家神の国寮」における児童虐待事例

骨肉の争い! 巨大教団

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【本流系ブログから】

・昔々、輝子奥様は講演にて、『生長の家において“裁判”なんて 以ての外 ですよ!!』と喝破しておられました。

愛国の思想を持つものは兄弟でも許さぬ。

<重大な問題>「生長の家、衰退。このまま行くと、教団は、1割程度の信徒 しか残らなくなります。


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一、生長の家

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 一、成立の歴史

 「生長の家」は、谷口雅春(一八九三−一九八五年)によって、昭和五年(一九三〇年) に創始された教団である。

 谷口雅春は、明治二十六年、兵庫県島原村(現在の神戸市) の農家の次男として生まれた。
幼少の時に資産家の養子となり、やがて早稲田大学に進学したが、在学中に女性問題を起こしたことで養父母からの仕送りが断たれ、大正三年、中退を余儀なくされた。

 その後、大阪の紡績会社に就職したが、ここでも上司の姪との恋愛関係がこじれ、上司と口論したあげく退社した。

● ↑ このような者が、何の修行によって「悟り」を得たのか?
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 精神的に打ちのめされていた谷口は、大正七年、「大本」 に入信し、その翌年には、教団機関誌の編集員となった。

 そうした中の大正十年、第一次大本事件″ が勃発した。
これは、政府当局から、大本の唱える「三千世界の立て替え説」 が国家転覆を企てる危険思想と見なされ、幹部らが次々と逮捕された事件である。

 谷口は、その渦中にあってもしばらくは大本に止まっていたが、しかし、教祖・出口なおの預言として、教団が宣伝してきた「大正十年・立て替え説」が現実のものにならなかったことも相まって、次第に大本の教えに疑念を抱くようになり、翌十一年十月、教団を離れた。

 その後の谷口は、西洋の宗教思想家の書物から影響を受けたりしながら、独自の宗教観を模索していく。

そして昭和四年十二月、どこからともなく「物質はない、心もない、実相がある」等という声が聞こえてきて、悟り″ に達した
という。

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● ↑ 一体、どういう修行という因を積み、このような悟りの結果が生まれたのか。
もし誰でもこのように主張して良いなら、例えば誇大妄想者、あるいは思い込みの異常に強い者、
あるいは虚言癖の者、あるいは金儲けの手段として、ある者が突然、同様のことを叫んだ場合とどう違うのか?
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 大本時代に宗教機関誌に携わった経験から、出版による宗教活動に目を付けていた谷口は、翌・昭和五年三月一日、月刊誌『生長の家』を創刊し、そこに、自分が悟ったとする内容を発表した。
後に教団では、この創刊日を 立教の日″ としている。

 当初は妻と二人で無料配布をしていたが、その後、同誌に「購読したら病気が治った」などという体験談を掲載することによって購読者を増やしていき、昭和十一年には、購読者を組織して「教化団体 生長の家」を設立した。
そして、戦後、「生長の家教団」として宗教法人格を取得し、昭和三十二年に「あお生長の家」に改称して、現在に至っている。


なお、太平洋戦争中、谷口は、

▼「全ての宗教は、天皇に帰一するための前提として、その存在意義がある。」
▼「天皇中心の国家社会の実現こそ、神の意思である。」
と主張し、軍部の政策に積極的に協力した。
さらに戦後も、

▼「天皇は神であり、我々日本人は神の子である。
したがって、GHQによって押し付けられた日本国憲法を無効にし、神である天皇が創った真理の憲法=明治憲法に復元しなければならない」

などと主張し続けた。

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「日本の国の実相顕現こそ真の宗教心」(『理想世界』昭和34年11月号)

 政権行使の実力者が、織田、豊臣、徳川・・・・という風に変わり、又大戦後においてはその実力者がマッカーサー元帥という風に変わりましても国民統合の「中心」として厳然として変わることなく、歴代連綿として不変に続き給うのが日本天皇なのであります。
こういう「国家の良心」たる「鏡的存在」が国家統合の「精神的中核体」として万世不変に連綿として続いている国家は日本国家のみなのであります。


 一切の存在にはすべて、それを統合する中心に位する変わらざる中核者があることが宇宙の真理であります。
(原子には原子核、細胞には細胞核、太陽系には太陽という中心、樹木には幹という中心があり、その中心が破壊すれば全体が死滅する)
だから私達は日本国家を神意の発現する「真理国家」と認めざるを得ないのであります。
真理とは「神が宇宙を秩序的に統一するための秩序的法則又は統一原理であります。」
換言すれば神の御心であります。


 神は「宇宙」という、大きな骨格≠竍卵の殻≠ンたいな輪郭≠セけを動かされるのではなく、宇宙の中にある一切のものを、どんな微小なものをも、この秩序的法則によって、全体的統一をあらしめておられるのであります。
だから国家≠フ問題や人類の問題はもちろん、肉体の1個の細胞の中までも、神の叡智によるその統一原理は行き渡っているのであります。
全てのものに、不変に続く統一原理なる中心は、万物にはただ1つあるのが原則であるのに、地球世界だけは諸国家の中心者が実力によって始終交代し、実力者の個人的恣意で相争い多数国家がばらばらに分かれて、ただ1つの連綿たる中核統一体がないのは、地上世界がまだ未完成であって、完成の途上にあるためだということができるでしょう。 


 かかる諸国家の中において、政権担当の実力者が変わるとも、連綿として万世不変の「国家の良心」ともいうべき中心者たる天皇を有する国家は、最も完全に神の御心を地上に実現した国家だということができるのであります。
世界にもし、このような天皇国家≠ェなくなるならば、神の御心の現れた国が全然地上から姿を消すことになるのであります。
そういう真理を如実に体現した国家――神の御心が最も完全に現れた国家を護持することは、神の御心にかなうところの行為であり、最も高き宗教心の現れだと認め得るのであります。


 宗教心とは、自分だけが極楽浄土へ行くために「南無阿弥陀仏」と唱えることだけではないのであります。
むしろ、そのような自分だけが救われたいための宗教は、利己心養成の宗教であって、原始的低級宗教であります。
私たちは、神意が地上世界に成就して地上に天国が成就するように、世界に唯一の「国家の良心」ともいうべき万世不変の中心を有する真理国家たる日本国家を護り育てて、全世界を永久平和の理想国家たらしめるための種子国家たらしめ、この神聖なる日本国の実相を顕し、ひいては全世界に地上天国をもたらすために協力する愛国の実践が宗教的実践であると考えるのであります。
…(略)…
『御心の天の成るが如く地にも成らせたまえ』とイエス・キリストが祈ったところの、その理想的天国世界を実現する、その使命を持っているのが皆さんであると私は思うのであります。
この生長の家の『生命の実相』の哲学によって養われたところのその学徒でなければ本当に日本国を救うことはできないし、又、世界全体を救うこともできないと思うのであります。」

 
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 昭和六十年(一九八五年)に谷口雅春が死去すると、娘婿の谷口清超が総裁に就任したが、清超は、教祖雅春の過激な戦争賛美″や天皇制復活説%凾ェ現代社会に受け入れられないものであることから、次々と雅春の書籍を、絶版処分こしていった。
とくに、海外への布教においては、これらの思想を完全にカットしている。

現在、教団は、本部を東京都渋谷区神宮前に置き、昭和五十三年に長崎県西彼町に建設した「籠宮住吉本宮」を総本山としている。
 公称信者数は約二一三万人で、うち国内は約八五万人とされる。


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  二、教義と本尊

 生長の家では、本尊を、いちおう、「生長の家大神(だいじん)″と仮に称する」とする。

 しかし、実際の礼拝の対象物としては、生長の家大神≠祀るわけではなく、
「全ての宗教は、その根本において一つ (生長の家大神) であるから、どの宗派の本尊も、生長の家の本尊となる」    としている。

つまり、拝む対象は何でもよいということで、信者には、先祖伝来の神棚や仏壇をそのまま祀り、拝ませているのである。

また総本山である籠宮住吉本宮には、住吉大神の神体として両刃の剣を祀り、各地の道場や集会所には、『生命の実相』とか「実相」などと書いただけの掛け軸を祀っている。

● ↑ この本宮も神体である両羽の剣も、「実相」掛け軸も 全て 物質 であり、実体はなく、何もそこにはないのではないのか?

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この”あらゆる宗派の本尊が、生長の家の本尊となる”というのは、「万教帰一」という説に基づくのであるが、これは、

「全ての宗教は、本来、唯一の神(創造神)から発したものであり、時代や地域によって、さまざまな宗教として真理が説かれたものである。
それらは全て、本源の神の救いの光線である」

という説で、つまりは、他宗の教えも全て「真理」として捉えるのが、生長の家の教え″ ということである。

 さらに生長の家では、自宗の教義を「唯神実相哲学」と称し、その中心思想を「タテの真理」と「ヨコの真理」 に大別し、

「タテの真理」……人間は全て、神の子であり、本来、無限の生命・無限の知恵・無限の愛、その他全ての善徳に満ちた久遠不滅の存在である。
これが人間の実相(本当の姿) である。

「ヨコの真理」……現実の世界は、心の現われであり、心次第で自由自在に、貧でも富でも、健康でも不健康でも、幸福でも不幸でも現わすことができる。
真理を知り実相の完全さを信ずるならば、一切の不幸や病は消えて、完全な至福の世界が顕現する、
と説明している。

● ↑ 第二代清超総裁自身が、晩年、病に罹り、また長男は約1歳で亡くしている。
雅宣総裁は兄弟姉妹との醜い争いを起し、また教団が大きく分裂、裁判まで起し、激しく闘争している。

この状況はなぜ解決しないのか?
そもそも、雅春の言葉からすれば、谷口はいない 肉体はない ということだから、教団も雅宣も皆、存在していない、ということか?
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 修行法としては、
「毎日、教典(谷口雅春の著『生命の実相』等) を読む」.
「各家庭の神棚や仏壇に向かって、聖経(谷口雅春の著『甘露の法雨』『天使の言葉』等)を読諭する」 
「神想観(人間は神の子″ と実感するための瞑想) を行なう」 
「布教活動をする」 

などを挙げているが、これ以外にも、
「出版物の購読」や
「毎月の献金」も
信者の重要な修行とされている。

 出版物については、
「出版物を読めば病気が治る」と宣伝して購読を煽り、

 献金については
毎月、献資をすることによって、幸福のための黄金律である
与えよされば与えられん″ の真理があらわれて、あらゆる悩みが解決する」

などと言って督励し、
毎月の献金額を段階的に定め (四百円以上・千円以上・一万円以上・十万円以上)
金額によって得られるものにも差がある、
とする。

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三、破 折

 「万教帰一は宗教の混ぜ御飯」

 生長の家の教義は、日本神話や仏教・キリスト教などを混ぜこぜにして作り上げたもので、まさに 宗教の混ぜ御飯″ と呼ぶに相応しい。

 その象徴が 「万教帰一」 という思想で、仏教やキリスト教、その他のあらゆる宗教の神仏は、生長の家大神が応現したものであり、全て真理であるから、各宗派で立てる神仏を生長の家の本尊として崇拝する″ というのである。

 しかし、一口に宗教といっても、各宗教・各宗派によって本尊の性質や教義がまったく異なるのであるから、これほど無謀な説はない。

 
たとえば、 釈尊の説いた仏教は、過去・現在・未来の三世にわたり、宇宙間の一切の事象が因果によって存することを示し、徹底した因果の理の上から人生の指針を示す教えである。

それに対し、キリスト教などは、無の状態から神が天地・万物を創造した、として、因果を完全に無視する教えを説いている。

 このように、仏教とキリスト教は、真っ向から相反する教義を立てているにも拘わらず、生長の家は、この両者を同一視し、それぞれが 真理″ である、としている

 さらに言えば、生長の家は、日蓮大聖人の教えも真理″として肯一する。 
だが、日蓮大聖人の教えは、南無妙法蓮華経の仏法こそが末法唯一の正法であり、それ以外の諸宗は全て、正法に背く邪義邪宗である。これら邪宗教こそが不幸の根源であるから、ことごとく折伏せよ″というものである。

もちろん、生長の家も邪教として折伏されるべき対象となる。

 こうした矛盾にも気付かず、「万教帰一」などと主張するのは、自らの無知や稚拙さをさらけだす行為以外の何ものでもない。


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「大神」の存在は道理に反する

 次に、「生長の家大神」についてであるが、これを教団では、「実相」 (根本の真理)と言い、また、「大宇宙の本体者」とか「創造神」とも称している。
 しかし、その神″ の出自・正体については何らの説明もない。
何の根拠もないままに、いきなり、「人間は全て、神の子である」と断定している
のである。
いったい、その神は、何から生じ、何によって神になることができたというのであろか。

● ↑ 他のほぼ全ての啓示宗教系は全て同様の論理を言う。
では、その全ての新興宗教・新新宗教と比較して果たして生長の家の神が一番大元であると、どう証明できるのか?

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 およそ、原因があるから結果が生ずる、というのが、宇宙森羅万象を貫く基本的な道理であり、神だけは、生ずる原因がなく、もともと存在していた≠ネどとするのは、根本的に道理から外れている。

 道理から外れた「真理」など、あろうはずもなく、よって、「生長の家大神」なる神などありえない、ということが明白である。

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  子供騙しの「唯神実相哲学」

 このように、生長の家の教えは前提から破綻しているが、さらにその上で説く「唯神実相哲学」なる教えも、じつに非現実的で、バカバカしい、としか言いようがない。

その「唯神実相哲学」なるものの趣旨は、

▼「神の子である人間は、本来、健康や無限の財宝などを神から与えられており、善徳に満ちた、永遠不滅の存在である。
にも拘わらず、病気になったり、貧乏になったりするのは妄想の産物にすぎない。
本来の完全な姿を思い起こし、『病気などないのだ』と思えば、病気は治る 
同様に、心に思うことによって、あらゆる不幸が消滅し、完全な至福の世界が現われる」‥というもの。

● しかし、現実には、たとえば
癌に冒された人が、何の治療も受けずに、「これは妄想だ。本来、自分は健康なのだ」と思っただけで、それを治すことができるであろうか。
 あるいは、借金に苦しんでいる人が、「自分は本来、神から無限の財宝を与えられているのだ。この借金は妄想だ」と思念すれば、その借金は消えてなくなるだろうか。
そんな馬鹿なことがあるわけがない。


● ↑ 今の生長の家教団の内紛の状態が、生長の家の教義がいかに荒唐無稽で無力であったかの証明ではないか?

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 結局、生長の家の教えは、現実逃避でしかなく、何の問題も解決しないばかりか、まともにこれを信じていけば、人格を敵綻させるだけであろう。


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 「全て本を売るための方便」

 では、教祖・谷口雅春は、こんな稚拙な教えを本気で信じていたのか、ということであるが、そうではないようだ。
それを物語るエピソードが、中村古峡氏 (医学者) の著書『迷信に陥るまで』 に紹介されているので、引用する。

「ある有力な新聞の記者が、谷口雅春にぶつかって、『果たして君の本さえ読めば、君が大袈裟に吹聴しているごとく、病気が実際に治るのかい』と問うたところ、彼は頭を掻きながら、『いや、あれは単に本を売り出すための方便にすぎない。本を多く売るためには、まず多くの人を集めねばならない。多くの人々を集めるためには、何らかの方便を用いなければならぬ』と答えたそうな。」

要するに、「生長の家の出版物を読めば、病気が治る」というのは、本を売るための宣伝文句であって、実際にはそんなことはないと、教祖自身が自白しているのである。

 教団では、いまなお、「本を読めば……」どころか、「買っただけで病気が治る」とか「ポケットに入れておくだけで病気が治る」 という説が横行しているが、それを信じて、教団が発行する膨大な量の本を買い求め、教団の金儲けに利用されているだけの信者は、気の毒なかぎりである。


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生長の家

創立者は谷口雅春といいます。
一般には啓示宗教と認定されていますが、実際には創作宗教ではないでしょうか。
なぜならば、大本教の幹部時代に培った文筆手腕を、自活の為の宗教に利用したからです。
出版事業が当たったのをみはからって、だんだんと宗教色を深めていったということです。

 昭和四年十二月、「生命の実相を知れ」 「人間神の子」等の啓示を神から受けたとして、翌五年三月、伝道雑誌「生長の家」を創刊します。
昭和七年、再び神の啓示があったとして、「生命の実相」を発刊、九年には (株)光明思想普及会を結成し、生長の家の出版物を”聖典“として発売します。

 東京の渋谷には本部があり、信者数は約八十六万人。
生長の家、白鳩、理想世界、光の泉等の雑誌や聖使命の機関誌を発刊しています。


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一、拝む対象が、あって無いようなものが宗教といえるでしょうか。

拝む対象は一応”神″のようですが、その認識は日本古来の八百万の神々に通じます。
現実には、『生命の実相』 あるいは単に 『実相』 と大書した額を拝ませていて、その主神を宇宙大生命(みおやのかみ)と名づけています。
幽の幽なる神は天之御中主神(あめのなかぬしのかみ)、
そして幽なる神は天照皇大神だと説明しますが、これは古事記、いわゆる日本神話の世界です。


● ↑ 古事記 日本書紀は 天武天皇が自らの皇統の正統性を示すために恣意的に編纂された書。
つまりは「自分は神の子孫だ。」と顕示したいがための作り話。
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そして、キリスト教の聖書や仏教の経典からも採り入れて教えの一部としています。
まさに法盗教団です。

しかも、次の一文などは、因果律を説く仏教を冒涜しているといえないでしょうか。

▼「原因なくして、それみずから存在する根元的存在を”実在″又は神″というのである」( 「神 真理を告げ給う」 一六六頁)

といいながら、稲荷も祀るから面白い教団です。

谷口家の氏神である住吉大神を、生長の家の大神として祀り、教団の儀式はこれにならっています。
長崎県の大村湾に面した高台に、先頃大きな鳥居をもった総本山を造ったのもその為だったのです。

 又、「本当のキリスト教は生長の家にあり、本当の仏教も生長の家の内にあり、それを総括するところの実相を教えているのが生長の家だ」という。
故に、「万教は帰一すべきだ」と勝手な論をふりまいています。

 先祖伝来の宗教を大事にしよう=@今までの宗教は変えないで≠ニのキャッチフレーズで布教する生長の家は、宗教音痴の社会人には受けがよいかもしれません。
しかし、帰命の根本たる本尊を、これまでないがしろにする宗教が、絶対に正しいわけがありません。

声を大にして訴えていきたいものです。


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、本 (生命の実相) を読めば病気が治るという、サギにも似た邪義が始りです

 出版会社を始めた雅春は、売れる本を出すために奇跡や不思議のご利益を盛んに書きました。
それが四十巻にものぼる生命の実相という本であります。
雅春は、この本を読むだけで病気が治ると大宣伝しました。

信者達は (あるいはその予備軍) はそれを真に受けて大いに買いました。


 ▼「わたしが思いますのに月刊の『生長の家』を本当に心読してくだされば、ほとんどどんな病気でも治ります。」(生命の実相 第一巻 七五頁)

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● ↑ では実際に生長の家信者の病気はほとん治っているのか?
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一つだけ挙げておきますが、同意の表現はまだ沢山あります。
これは、いわば功徳話です。
宗教でもない時期からこんな文を書いて、人心を惑わしていたのですから、足の裏占いの福永法源(法の華三法行)と同等です。

一方は高額、しかも直接講習料として金を受け取り、
一方は少額にして本と代価するということだけの違いで、宗教とは無関係なサギ行為とみられても仕方がありません。

要はそれを見抜けぬ一般の人々の宗教音痴が一番の問題でありましょう。


 料理の本を何十冊買って読んでも、実修しなければ料理は上手になりません。
設計図を何年にらんでいても家は建ちません。

同じように、生長の家誌四十巻読んでも中身は皆似たようなものばかりですから、ご利益話は絵に画いたモチ、百害あって一利なしなのは当然です。
つまり、生命の実相を読んでも病気など治る道理は何一つないということです。

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三、荒唐無稽な神想観

この教団の中心的修行と教義に神想観というものがあります。
神想観とは、生長の家独特の坐禅的瞑想法だといい、祈りの行でもあると説明しています。

 人間は神の子、神のいのちそのものである。

それを人間の本質として実感すればこの世に本来物質はなく、自分の肉体もなく、すべて心が中心で、あらゆる現象は心によって生じていることが見えてくる。
これらを念じながら瞑想するのを神想観といっていますが、いわば歪んだ自己暗示です。

「物質は畢尭『無』にしてそれ自身の性あることなし。
これに性質を与ふるものは『心』 にほかならず。
『心』に健康を思へば健康を生じ。『心』に病を思えば病生ず」
「罪と病と死とは神の所造に非ざるが故に実在の仮面を被りたれども非実在なり、虚妄なり」

と、唯心論に執した邪義、及び現実否定の暴論が、生長の家の経典たる「甘露の法雨」 にはっきり示されています。

● ↑ 罪(→罪によ罪障としての苦) 病 死 は全て虚妄なのか?  では今現実に苦しんでいる感覚は全て虚妄か?
今、貴君を殴ったらその痛みは 虚妄 なのか?どうか?

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 これが信者への具体的指導となれば次のように発展します。

▼ 「この世に不幸な災害や争いはない。
又病気や死も実在しない。
神は完全である。
人間はその神の子であるから、人間も又完全である。
完全な我々に不幸や病気があるはずがない。
あると思うのは迷いであり、錯覚である。
病気になったら病気はないと念じよ、
車の事故に遭ってもそれは虚であり、実際には何もなかった。
そして、欲しい物は心に念じればどんなものでも必ず手に入る、」等々です。

 さて、このように現実を無視、否定した教義をもつ教団も珍しいと思います。
神の意志はすべてプラスであるとし、噴火や地震、戦争や病気、あるいは家庭内暴力から殺人まで、この世に存在するマイナスの不幸は全て虚であると教えます
これほどまでに負の現実を否定する神想観、これを私達は荒唐無稽といわずして何といったらよいでしょうか。


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生長の家

設立年 1930年(昭和5年)3月1日
設立者 谷口雅春
種類 宗教法人
法人番号 2011005000437
本部 山梨県北杜市
会長 谷口雅宣
ウェブサイト http://www.seicho-no-ie.org/
生長の家(せいちょうのいえ)は、1930年(昭和5年)に谷口雅春により創設された新宗教団体[1]。 その信仰は、神道・仏教・キリスト教・イスラム教・ユダヤ教等の教えに加え、心理学・哲学などを融合させている。正しい宗教の真理は一つと捉えている。宗教法人格を持つ。


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概要

1930年に谷口雅春によって創始された。
『宗教年鑑 平成29年版』における国内信者数は、459,531人である[2]。
本部は山梨県北杜市。[3][4]

現在の総裁は雅春の娘婿の谷口清超の二男谷口雅宣。
2008年10月28日に父清超が89歳に死去したため、立教記念日の2009年3月1日付を以て雅宣が第3代生長の家総裁に就任した。

総本山として龍宮住吉本宮が長崎県西海市に、別格本山として宝蔵神社が京都府宇治市に各々ある。
教典として『生命の實相』、『甘露の法雨』、「七つの燈臺の點燈者の神示」などがある。


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活動

講習会・勉強会
信徒も含め一般向けの行事として「講習会」が設けられており、全国59教区で隔年開催されている。
2015年からは各地で年に数回の「新人のための勉強会」が行われている。


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普及誌および組織構成

一般向けの月刊誌(「普及誌」)としては、
『いのちの環』、
『白鳩』、
『日時計24』

の3誌を日本教文社が月1回発行、世界聖典普及協会を通して頒布している。
機関紙としては

『聖使命』、
『生長の家』

がある。いずれも月1回発行である。

信者組織としては、
男性対象組織「相愛会」(1万人)、
女性対象組織「白鳩会[5]」(6万人)、
12歳〜39歳の男女青年組織「青年会」(3千人、誌・組織共に1998年)

が基本の3組織とされている。

1985年11月21日まで総裁を雅春、白鳩会総裁を谷口輝子、2009年2月28日まで総裁を清超、白鳩会総裁を谷口恵美子が担当していた[6]。

この他に副次的組織として、
会社経営者や産業人で構成される「生長の家栄える会」、
学校教員や教育関係者で構成される「生長の家教職員会」(生教会)が存在する。
なお、かつては生教会と同列的な組織に「新教育者連盟」(新教連)が存在したが、2003年に生長の家側が包括的関係を解消している。

青年会指導下の学生組織としては、
生長の家学生会全国総連合 や
生長の家高校生連盟、
生長の家ジュニア友の会

が存在している。

また、かつては新教育者連盟が運営していた日曜学校的な教育組織である生命学園は、現在では生長の家教職員会の管轄にある。


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海外活動

海外活動は日系移民の多いブラジルで盛んで、信者数は250万人などと公称、
またサンパウロ州、クリチーバ市、サンジョゼ・ド・リオ・プレット市、サンタマリア市、ベレン市、ポルト・アレグレ市、等では「生長の家の日」が制定されていると、生長の家は主張しており、実際にサンパウロ州議会で「生長の家の日」が祝われたという報道もある[7]など、日系人を中心に影響力を持っている。
同国では全国レベルで「生長の家の日」を制定しよう、という動きもある[8]。


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徽章の由来と意義

「生長の家」の徽章

1935年(昭和10年)2月1日制定された[9]。
図案は帝展審査員であった山根八春(やまねやつはる)がデザインした[10][9]。
テーマは万教融和と中心帰一である[9]。
そして全体は太陽・月・星・地球・卍・十字・日の丸を融和させたデザインとする[10]。
周りの32の赤の円光は仏の三十二相[10]を、中の白の卍は仏教と太陰を表している[10][9]。
中央の緑の八つ星は八方位をまとめた存在として日本を、また十字架としてもキリスト教を表している[9]。
そしてこの八つ星の緑は青人草(あおひとぐさ)が繁茂している事を示す[10]。

また生長の家ではこの徽章を太陽の子孫、神の子であるしるしとしている[9]。
また日子(ひこ)「彦」、日女(ひめ)「姫」の悟りを開いた三十二相の顕現の兆候を示しているとする[9]。

1937年(昭和12年)頃にこの図案のバッジもつくられた[9]。


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教義・行事

教義

生長の家の教義は雅春の著作特に生命の実相と甘露の法雨を基礎とする。
なお、生長の家は、神道や仏教、キリスト教、天理教、大本等諸宗教はその根本においては一致するという「万教帰一」という思想を主張・布教している。
ただし、現総裁の雅宣が生長の家の経典を含む各宗教の聖典の原理主義的解釈を否定していることでもわかるように、例えばイスラム原理主義や創価学会の教義をそのまま認めている、というわけではない。

生長の家では、世界を実相と現象に分けて区別し、第一義的実在であるのは「善一元なる唯一絶対神」だけであって、それ以外のものは実相には存在しない、と考える。
現象世界のものは、物質から霊的なものまで、すべて「第一義的実在に非ず」[11]と説く。

「物質は心の影」であると説く一方で、その「心」すらもなく、死者の霊も先祖供養等の対象とはするが、物質が存在しないというのと同じ意味で霊魂も存在しないといている。逆にいうと、例えば先祖供養の形式については、信徒は仏教やキリスト教、神道のいずれの方式で行っても、生長の家の教義に違反しない、ということであり、生長の家が信徒に対して改宗を求めない理由の一つとなっている。


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唯神実相

生長の家の基本教義。
「縦の真理」と呼ばれる。
教団公式HPには

「実相の世界は神の御徳が充満していて、人間は神の子であり、神と自然と人間とは大調和している世界です。
つまり本当に存在するものは唯、神と神の作られた完全円満な世界だけであるという意味で「唯神実相」と呼んでいます。」

[12]と記されている。

これに対して一般に「現実」と呼ばれる世界は「現象」と呼び
▼「現象の世界は、全体の膨大な情報量のうち、人間の肉体の目、耳、鼻、口、皮膚で濾(こ)し取ったごく一部の不完全な情報を、脳が組み立て直して仮に作り上げている世界です。
ですから、世の中には戦争やテロがあったり、病気などの不完全な出来事があるように見えますが、それらはすべて「現象」であって、本当にある世界の「実相」ではないと説いています。」
[12]と述べている。

なお、生長の家の教義に
▼「実相の日本は未だ敗戦をしていない」
というものがあるが、これは住吉大神から谷口雅春に下った神示とされる
▼「軍国日本の如きは本来無き国であるから滅びたのである」[13]
が出典であって、当初は「現象」における過去の日本と「実相」における本当の日本とを区別すべきという意味であり大東亜戦争肯定論を意味するものではなかった。
今でも教団が公式に大東亜戦争肯定論を主張したことはないが、生長の家本流運動系の団体では大東亜戦争肯定論が主張されることがある。

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唯心所現

教団の公式HPには
▼「唯心所現の「心」とは「コトバ」であり、コトバには行動で表現する「身(しん)」、発声音で表現する「口(く)」、心の中で思う「意(い)」の3つがあり、これら身・口・意の三業を駆使することで、唯心所現の法則によって現象世界をいかようにでも作り上げることが出来るのです。」[12]   とある。

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万教帰一

教団の公式HPには
▼「宗教に違いがあるのは国や地域、民族によって服装が違うように、宗教も文化的な違いが現れているからだと言えます。
目玉焼きに喩えると、中心部分の黄身を普遍的な根本真理と見立て、それぞれの宗教が共有していると考えます。
一方、周縁部分である白身は、文化、民族、時代などの違いによって変化している部分だと考えると分かりやすいでしょう。
世界の各宗教が、この中心部分(黄身)の共通性と周縁(白身)の多様性をお互いに認め合うことによって、宗教間の対立は消えることになります。
それを端的に表わした言葉が「万教帰一」の教えなのです。」[12]    とある。

生長の家の教義と他の宗教の教義が直接に一致するという意味ではない。
神については「第一義の神」「第二義の神」「第三義の神」が存在するとしており、
第一の神が実相における唯一絶対神、
第二義の神が現象における宇宙の法則やその具体化した姿、
第三義の神が人格神であるとしている。

例えば旧約聖書におけるエロヒムとヤハウェについては創世記でこの世界について「甚だ良し」と言ったエロヒムこそが第一義の神(=唯一絶対の神)であって、人類をエデンの園から追放したヤハウェは第二義の神であると説いている。

仏教や神道についても、例えば谷口雅春に度々啓示を下す住吉大神は「第二義の神」であるとしている。

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行法

行法は、
「神想観[14]」
「大祓の人型[15]」(年間二回)
「浄心行[16]」
「写経[17]」

とよばれる「行法」のうちどれか一つでも一日に一回するのが望ましいとされている。

永代供養は、永代祭祀ともいい、供養される者の氏名を専用の「甘露の法雨」経典に書き供養する。
生存者の場合は総本山龍宮住吉本宮の誠魂奉安筐に奉安され、故人に為ると別格本山宝蔵神社の紫雲殿に遷され永代供養される。

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人間観

生長の家では唯神実相の観点から生老病死・輪廻転生を遂げる人間・霊魂は実在しない「仮相人間」であり、生老病死・因果や法則を超越した存在こそ金剛不壊の真に存在する「実相人間」であると説く。
その上でこの世、現象世界での生きるべき姿・処世術を説いている。

人間が実相を悟れば事態・環境・法則は自ずから無害有益なものに為り、真に無限供給の神の恵みを受ける事が出来るとする。

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練成会

練成会は宿泊しながら教義の学習と行法の実践を行う行事である。
生長の家の各地の拠点で行われている。

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歴史

創始から終戦まで

詳細は「谷口雅春」を参照
創始者(生長の家では開祖や教祖の名称は使われない)の谷口雅春は、紡績会社勤務のときから1918年(大正7年)に大本の専従活動家になり、出口王仁三郎の『霊界物語』の口述筆記に携わった他、機関紙の編集主幹などを歴任した。
同時期に大本の本部で活動していた江守輝子と出会い、1920年(大正9年)11月22日に結婚。

1922年(大正11年)の第一次大本事件を機に、大本から離脱した浅野和三郎と行動を共にし、翌1923年(大正12年)には浅野が旗揚げした『心霊科学研究会』に加わった。
同年関東大震災で被災し、妻・輝子の実家である富山に疎開中の10月10日、長女の恵美子が誕生。

雅春は、外資系石油商ヴァキューム・オイル・カンパニー勤務の傍ら『心霊科学研究会』で宗教・哲学的彷徨を重ね、一燈園の西田天香らとも接触した。
特に当時流行していたニューソート(自己啓発)の強い影響を受け、これに『光明思想』の訳語を宛てて機関紙で紹介した。

1929年(昭和4年)12月13日深夜、瞑想中に「今起て!」と神から啓示を受けたことを機に、1930年(昭和5年)3月1日に修身書として雑誌『生長の家』1000部を自費出版した(生長の家ではこの日を以て「立教記念日」としている)。

「人間・神の子」
「実相一元・善一元の世界」
「万教帰一」
のニューソート流主張により、支持者・講読者を拡大。

『生長の家』誌で発表した雅春の論文は1932年(昭和7年)に『生命の實相』としてまとめられ、1935年(昭和10年)には購読者を組織して「教化団体生長の家」を創設する。
各地に支部を設立し、また学校などでも生長の家の講演会が開かれるなど教勢を拡大した。

敗色濃厚な1944年(昭和19年)には紙の配給が止まり『生長の家』誌の発行も一時停止したが、
軍国的な「皇軍必勝」のスローガンの下に、金属の供出運動や勤労奉仕、戦闘機を軍に献納するなど教団を挙げて戦争に協力し、天皇信仰・感謝の教えを説いた。
一方で、海ゆかばの歌を歌うことに反対するなどの活動も行ったため、憲兵や特別高等警察と教団の講師がトラブルになることもあった[18]。

生長の家および生長の家系列の宗教の書籍等では旧日本軍に生長の家信者が少なくなかったことが記される。
宮城事件は信者の田中静壱が鎮圧した[19]。
根本博は生長の家の教義にしたがい終戦後も内モンゴルでソビエト連邦と戦った。

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戦後の法人化と政治への参加

戦後は西洋思想家の著作の邦訳も行っていたが、その翻訳作業の助手の募集を見た者の中に、後に雅春の養嗣子となり、第2代総裁となった荒地清超(後の谷口清超)がいた。
清超は1946年(昭和21年)に雅春の一人娘の恵美子と結婚する。

1949年(昭和24年)に「生長の家教団」として宗教法人格を得て、組織の再構築を行った。
その後は
妊娠中絶反対運動などでも積極的に政治活動を行うようになり、
伊勢神宮の神器の法的地位の確立(一宗教法人の私物ではなく皇位継承と特別な関係のあるものと主張)や、
靖国神社国家護持運動など右派活動を行った[20]。

さらに、

建国記念の日の制定や、
元号法制化に教団を挙げて協力した他、
「優生保護法廃止(堕胎禁止・反優生学)」
「帝国憲法の復原・改正」

を掲げて生長の家政治連合(生政連)を結成し玉置和郎、村上正邦、田中忠雄、寺内弘子を自由民主党公認候補として参院選に送り込んだ
(この付近の経緯は、公明党を生んだ創価学会とよく似ている。
公明党の前身は創価学会文化部から出た無所属議員である)。

1978年(昭和53年)の第2回相愛会男子全国大会(日本武道館で開催)の時には、玉置和郎や中川一郎、黛敏郎また130名程の国会議員が参加し、渡米中だった、時の首相・福田赳夫から祝電が届いた。

また、学生運動が再高揚した1969年(昭和44年)には、生長の家学生会全国総連合(生学連)を中心に生長の家青年会・生長の家政治連合の後押しを受け、他の保守系諸団体と共に全国学生自治体連絡協議会(以下「全国学協」)[21]を結成し、「学園正常化」と「YP体制打倒」「反近代・文化防衛」を掲げて、全国の大学で全日本学生自治会総連合と激しく衝突した[21]。

日本青年協議会(以下日青協)は[22]ただし、組織的には生長の家教団とは全く無関係の組織である。
また、日青協の学生組織である反憲法学生委員会全国連合(反憲学連)は、全国学協内の路線対立、分裂によって生まれた組織である。

1973年(昭和48年)に、全国学協中執を中心とする一派が自立草莽・実存民族派路線、反米帝・民族解放路線[23]を採択したのに対し、もう一派は、反ヤルタポツダム・反憲・民族自立路線の下に新たに反憲学連を結成した。

現在、日青協や、伊藤哲夫の興した「日本政策研究センター」は、「日本を守る国民会議」の後継団体である日本会議の加盟団体として、神社本庁やその傘下の神道政治連盟、念法眞教、仏所護念会、崇教真光、キリストの幕屋等、生長の家以外の保守的宗教団体と強い関係を構築している。

保守的宗教団体に数えられることもある世界基督教統一神霊協会=原理研究会とも、全国学協の草創期に一時部分的に共闘したことがある[24]。

生長の家は伊勢神宮や靖国神社を皇室に帰属させるべき、といった保守的な主張のみならず堕胎禁止を始めとするプロライフ的な主張を展開した。

マザーテレサの著書を関連会社から出版するなど国際的な宗教右派との連携も展開していた。

こうした生長の家のプロライフ(生命尊重)の主張で特筆すべきは、第一にそれが1959年という他の団体と比べても初期に行われていた[25]こと、
第二にそれが胎児の権利のみならず動物の権利にも及ぶ徹底した生命尊重主義であったということである。
谷口雅春はつぎのような主張を展開していた。

人間が生物を殺して生きていながら、人類だけが殺し合いの戦争をしないで平和に生活したいと考えるのは、すべての業は循環する、
一点一画と雖も、播いた種子は刈りとらなければならないと云う原因結果の法則に矛盾するのである。
人類の平和は先ず生物を殺さないことから始まらなければならないのである。
??限りなく日本を愛す


「世界の平和も、肉食の廃止から」といいたいのでありますが、政府が肉食を奨励して牛肉なども国費を使って大量に輸入しているのだから、我々の思想が政界を浄化しない限りは、国内の闘争も、世界の戦争もなかなかおさまりそうにないのであります。(心と食物と人相と)

しかし、このような徹底したプロライフの立場が政界に受け入れられることはなかった。

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政治活動の撤退と「国際平和信仰運動」の提唱

1978年に雅春は生長の家総本山に移住し政治活動の一線から退いた。
生長の家の政治運動には初期から内部での路線対立は存在した[26]が、この頃から政治運動に積極的な「飛田給派」と否定的な「教団派」(本部派)の対立が激しくなる。

しかし、1982年時点では教団派の理事長が更迭されるなど飛田給派の影響力が強かった[27]。
なお、飛田給派と本部派の名称の由来はその拠点となった場所がそれぞれ「生長の家飛田給道場」と「生長の家本部」だったからである。

1983年(昭和58年)、当時の理事長の徳久克己は飛田給道場の創設者ということもあり飛田給派の人間であると見られていた[28]が、優生保護法改正を巡って自由民主党と対立したことを理由に、生長の家政治連合の活動を停止を決断した[28]。

1985年(昭和60年)6月17日に雅春が死去し、娘婿の清超が第2代の総裁に、妻の恵美子が第2代の白鳩会総裁に就任。
同年、日本を守る国民会議から脱退し生長の家は自民党やその支持団体と距離を置くようになった。

1988年(昭和63年)4月26日には雅春の妻で初代白鳩会総裁の輝子が死去。

その後1990年(平成2年)11月22日には、清超の次男の谷口雅宣[29]が副総裁に就任し、清超と共に講習会への講師としての出講を行うようになっていく。

1993年、「国際平和信仰運動」を提唱し推進、日本政府による大東亜戦争への反省や戦争責任の追及、人権感覚からの女系・女性天皇の推進を表明するなど、これまでの愛国・保守(=右翼)的教義から距離を置くような転換を積極的に進めている。

1994年(平成6年)には雅宣の妻・谷口純子が白鳩会副総裁に就任。

近年では、地球環境問題や遺伝子操作・生命倫理問題、エネルギー問題などの現代科学に対し宗教右派[30][31]の立場からの主張が多く、教団の教義にもその意向が強く現れてきている[32][33][34][35]。

一方、雅宣は自身のブログでは民主党への支持を表明するなどしたため、一部の信徒は雅宣を「左翼」と批判し、1998年から旧飛田給派の信徒らを中心に公然と教団に反対する生長の家本流運動の動きが生まれた。

だが、実際には雅宣は例えば「非核三原則の堅持」を表明した民主党政権に対して「この問題は日本が単独で決定すべきものではない」「現状の国際関係にあっては、“アメリカの核の傘”がまだ必要だ」と述べるなど親米保守的な発言もしている[36]。

また、「国際平和信仰運動」については、「政治力を用いない」ことが明記され[37]ており、現時点で生長の家政治連合の活動再開は、一切考えていない旨を明言した[38]。

過去に生長の家の推薦を受けて当選していた政治家も、KSD事件以来、全員が今では議員を辞めている。

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現在

現在の生長の家は緑の保守主義色を全面に出すようになっている。

2000年生長の家は環境マネジメントシステム“ISO14001”の導入を運動方針に決定し、「生長の家環境方針」を定めた。

環境方針では、

地球環境問題は、その影響が地球規模の広がりを持つとともに、次世代以降にも及ぶ深刻な問題である。
今日、吾々人類に必要とされるものは、大自然の恩恵に感謝し、山も川も草も木も鉱物もエネルギーもすべて神の生命(イノチ)、仏の生命(イノチ)の現れであると拝み、それらと共に生かさせて頂くという宗教心である。
この宗教心にもとづく生活の実践こそ地球環境問題を解決する鍵であると考える。
生長の家は、昭和5年の立教以来、“天地の万物に感謝せよ”との教えにもとづき、全人類に万物を神の生命(イノチ)、仏の生命(イノチ)と拝む生き方をひろめてきた。
生長の家は、この宗教心を広く伝えると共に、現代的な意味での宗教生活の実践と して環境問題に取り組み、あらゆるメディアと活動を通して地球環境保全に貢献し、未来に“美しい地球”を残さんとするものである。


との「基本認識」を示し環境問題への取り組みが「現代的な意味での宗教生活の実践」であるとの認識を示した[39]。

2001年には生長の家国際本部と生長の家総本山がISO14001を取得し、2008年までに国内の生長の家の全ての事業所がISO14001を取得している[40]。

海外では、2009年10月に生長の家ブラジル伝道本部が、2010年11月に生長の家アメリカ合衆国伝道本部が、同じくISO14001の認証を取得した。

清超は2005年(平成17年)頃より体調を崩し自宅にて療養・静養中であったが2008年(平成20年)10月28日に死去

それに伴い、2009年(平成21年)3月1日の立教記念日に「生長の家総裁法燈継承祭」が執り行われ、雅宣が第3代総裁、あわせて妻の純子が恵美子より白鳩会総裁職を譲り受け、第3代白鳩会総裁に就任した。

2011年には、教団として脱原発を支持する方針を明確にした。
2013年には本部を東京都から山梨県に移動し、「自然とともに伸びる運動」の象徴的な建物として「森の中のオフィス」を建設、国際本部とした。
さらに、2015年になると、青年会がこれまでの「青年会宣言」及び「青年会綱領」を規約から削除し、より環境主義的な色彩の強い「生長の家青年会ヴィジョン」を制定した。
以降、生長の家は環境重視の路線を強めている

生長の家から保守的な教義がなくなったわけではない。
現在でも、生長の家の講習会その他の行事では、開会の際に国歌斉唱が行われる。
また、皇居遥拝や天照大御神への祭祀も行われており、環境重視の路線についても決して「左翼思想に染まっているわけではない」とする証言もある[41]。

また、安倍政権成立後は安倍政権や日本会議に否定的な主張も目立つ
2014年、生長の家は安倍政権による安保法制について立憲主義の観点から反対した。

2016年6月9日、生長の家は2016年の参議院選挙において、安倍首相の政治姿勢に反対の意思表明をするために、組織として[42]「与党及びその候補者を支持しない」ことを決定した[43]。

また、元生長の家信者らの関与する政治組織・日本会議が政権運営に強大な影響を及ぼしている可能性があるとして、遺憾の想いと強い危惧を表明した[43]。

2017年10月6日、生長の家は第48回衆議院議員総選挙に対する方針を発表し安倍政権が「政治姿勢が改まらないどころか、国民を無視した強引な政権運営を繰り返している」として再び与党への不支持を表明した。
その中で生長の家は「環境・資源問題の解決を含めた安全保障の推進」を訴え

▼「現在、地球温暖化の影響で、激しい気候変動が起こり、巨大ハリケーン、洪水や干ばつの頻発によって飢餓が発生し、難民が大量に流出しています。
これらの問題は国家間の紛争の火種になっています。
また、石油や天然ガスなどの枯渇資源に依存した文明に頼れば、これも資源の争奪による紛争・戦争を引き起こす可能性があります。
私たちは、このような環境問題や資源問題を解決することが、世界の平和安定に大きく貢献するものであると確信しています。」[44]    と主張した。

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主張

生長の家はかつて政治運動に積極的であったこともあり、社会問題に対して様々な主張をしている。

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ノーミート

谷口雅春は
▼「平和論をなすもの、本当に平和を欲するならば、肉食という殺生食をやめる事から始めなければならないのであります。」[45]    と主張していた。
その内容は肉だけでなく魚や鶏卵、乳製品の摂取をも好ましくないというヴィーガニズムに近い考えであったが、生長の家が教団として信徒に対して徹底した菜食主義を行うように指導しているわけではない。

しかし、谷口雅宣が副総裁になってから地球環境問題と家畜産業の関係が注目され、再び「食卓から平和を」をスローガンに肉食を減らすべきであるという主張を行うようになった。

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政治的スペクトル

菅野完は生長の家について
「三代目総裁・谷口雅宣のもと過去の「愛国宗教路線」を放棄し「エコロジー左翼」のような方向転換をして」[46]いると述べているほか、

雅宣が「『生命の実相』の長版を停止」するなどしていると主張している[47]が、実際には教団が『生命の実相』を出版しないのは著作権を管理している生長の家社会事業団が生長の家本流運動に参加して教団に出版を認めない方針になったためであり、菅野の発言は事実に反する。

また生長の家が「エコロジー左翼」路線に立ったという主張にも異議がある。
例えば現総裁である谷口雅宣が発表した「天照大御神の御徳を讃嘆する祈り」には次のような記述がある。

「天照大御神の御徳を讃嘆する祈り」
▼われは今、天照大御神の実相の光、与える愛の力の尊さをあらためて誉め讃う。
われは今、実相世界の真の我を観ずる。
天照大御神の御心われに流れ入りて、わが心を満たし給う。
天照大御神の生命われに流れ入りて、わが生命となり給う。
わが心は天照大御神の愛の心に満たされている、生かされている、満たされている、生かされている。
天照大御神は「愛なる神」の別名である。
キリストの愛の別名である。
自ら与えて代償を求めない「アガペー」の象徴である。
また、三十三身に身を変じて衆生を救い給う観世音菩薩の別名である。
われは今、天照大御神と一体となり、地上のすべての人々、生きとし生けるものに愛を与えるのである。
天照大御神の愛は無限であるから、われもまた無限に愛を与えてもなお減ることはないのである。(谷口雅宣 日々の祈り)

このように現在でも生長の家は保守的な教義を持っており、宝蔵神社で水子供養を行い堕胎や動物性集合胚に反対するなどプロライフな主張も展開している。

2006年8月30日には人クローン胚の研究・利用に反対する意見書を文部科学省に送付している[48]。

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分派の動向

詳細は「生長の家本流運動」を参照

生長の家から離脱した組織としては、
「谷口雅春先生を学ぶ会」、生長の家社会事業団 や 新教育者連盟 が存在する。

生長の家社会事業団は、児童養護施設の生長の家神の国寮を運営しており、後述のように生命の実相の著作権を有していたことから、外部に生長の家の分裂を印象づけることとなった。
これらの分派は「生長の家本流運動」(後述)として知名度を持ち始めている。

また、日本政策研究センターは、生長の家青年会で活動し、中央教育宣伝部長を務めた伊藤哲夫によって設立された団体である[49]。
なお、伊藤哲夫は日本会議常任理事を務めている[50][51]。

生長の家社会事業団は、1998年より、生長の家とは異なる別法人となっている[52]。
生長の家と日本教文社を原告、生長の家社会事業団と光明思想社を被告として『生命の實相』の著作権等が平成21年から[53]争われ、平成28年時点で訴訟が続いている[54]。

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友好関係にある教団

生長の家は「万教帰一」の立場から他の宗教を排斥しない立場をとっており、生長の家と他の宗教の信仰を二重に行うことも認めている。

また、他教団にも生長の家に対して好意的な宗教は存在する。

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立正佼成会

立正佼成会はかつて保守系の宗教団体として生長の家と関係が深く、生長の家学生会全国総連合が主導で結成された全国学生自治体連絡協議会にも立正佼成会青年部がオブザーバー参加していた。
また生長の家立教50周年式典には立正佼成会会長も出席した。

その後、生長の家は自由民主党と関係を断絶したが立正佼成会も次第に自民党と距離を置くようになったこともあり、現在も生長の家と立正佼成会の友好関係は持続している。
また、地球環境問題においても生長の家と立正佼成会は協調している。

平成28年には立正佼成会は生長の家の与党不支持の方針に賛意を表明した[55]。
平成29年には生長の家が北朝鮮情勢に関する立正佼成会の見解に賛意を表明した[56]。

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神社本庁

生長の家と神社本庁も同じ保守系の団体として友好関係にある。

生長の家は神社神道の神を祭祀するのみならず、伊勢神宮を始めとする神社本庁に属する神社への集団参拝も行っている[57]。

なお、生長の家と対立関係にある日本会議を神社本庁の関係団体とする主張も一部に見られるが「神社本庁の思想は、それほど自民党と親和性が高くない」との指摘もあり[58]政治的立場を理由に生長の家と神社本庁が対立しているという事実はない。
神社本庁側は生長の家について「従前の関係を維持している」と説明している[59]。

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施設・機関

日本
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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年6月)

「生長の家」国際本部 生長の家 “森の中のオフィス”(山梨県北杜市)
生長の家メディアセンター (山梨県北杜市)
生長の家総本山(長崎県西海市)
生長の家宇治別格本山(京都府宇治市)
日本教文社(東京都港区)
世界聖典普及協会(同上)
合資会社光明社(同上)
本部練成道場(東京都調布市)
生長の家富士河口湖練成道場(山梨県南都留郡)
生長の家ゆには練成道場(福岡県太宰府市)
生長の家松蔭練成道場(山口県山口市)
生長の家養心女子学園(山梨県南都留郡)
上記の他全国各都道府県に教化部が設けられている。なお、新潟県、東京都、京都府、長崎県は二つの教化部が存在する。また、北海道は札幌、小樽、室蘭、函館、旭川、釧路、北見、帯広に教化部が存在している。 それぞれ、東京教区など○○教区というふうに呼ばれる。

なお、以下の団体は[宗教法人「生長の家」より離脱している。(#分派の動向参照)

生長の家社会事業団(東京都国立市)
生長の家神の国寮(同上)

海外
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

生長の家アメリカ合衆国伝道本部
生長の家南加教区
生長の家北加教区
生長の家ニューヨーク会館
生長の家ハワイ教区
生長の家カウアイ会館
生長の家マウイ会館
生長の家コナ会館
生長の家ヒロ会館
ブラジルの旗 ブラジル

生長の家ブラジル伝道本部
生長の家ブラジル別格本山
生長の家南米練成道場(イビウーナ)
生長の家サンタ・テクラ練成道場
生長の家サンタ・フェー練成道場
台湾

生長の家中華民国伝道本部
カナダの旗 カナダ

生長の家トロント教区
生長の家バンクーバー会館

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《 生長の家といえば、公称信者数300万人を擁する新興宗教の雄だが、その創立者・谷口雅春総裁が、このほど亡くなった。
大正6年に大本教に入信。
機関誌の編集にあたったが、大正11年大本教を去った。
昭和4年、「物質はない、実相のみがある」との神示を受けたと称し、翌年雑誌「生長の家」を創刊。
人生苦の解決と病気快癒の体験で評判になり、多数の読者を獲得した。
戦時中は天皇中心主義、軍国主義を鼓吹して信者を増やしたが、終戦後は一転して自由と平和を唱える。
講和後は再び右傾化。
帝国憲法への復帰、国家神道の復活等を訴え、戦後の右翼運動の精神的な支柱の1人になった。
(中略)この谷口雅春氏をどう評価するか。

 
「あの人は文学青年でしたから、初期の頃の著作は大変ロマンチックで文章もうまかった。
文学青年の段階でとまっていれば評価できるんですが、その後ウルトラ国家主義路線を打ち出して来た。
過激な右翼青年を輩出した危険で有害な人だと思います。
そういう路線は、私が考える本来の宗教とはなじまない。
普遍性を持ち得ないから民族宗教に留まり、世界宗教たり得ない。
教勢拡大のためには、ウルトラ国家主義では布教しにくいので、やや手直しをするのではないでしょうか。」(宗教評論家・梅原正紀氏)》


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「黒い宗教 その実態と悪の構図」石井岩重著、1984年発行

《 ここで私が言いたいのは、谷口の一貫して変わらない体制順応主義、権力への迎合ぶりである。
昭和12年に日華事変が勃発して、日本が軍国主義時代に突入して行った後、ほとんどの宗教団体はその存続を図るために、カーキ色を帯びはじめたが、谷口はより急進的だった

国家が広がることは“実相”が拡がることで、「日本軍の進むところ宇宙の経綸が廻る」と“念波”の一斉祈願で敵軍を圧迫するため「光明念波連盟」を結成し、天皇絶対化の度合が手ぬるいと文部大臣に公開状を送り、満州を講演旅行して歩いた。

「非常時に労働争議を停止させ、反戦思想を抑圧するのに最も効果のあるのは光明思想である」(「生長の家」17年10月号)


 と、 いやはや大変なタカ派ぶりである。
それはそれでかまわないし、ファシストなどと言うつもりはない。
ところがである。
敗戦後の谷口の態度はどう変わったか。

「今や自由を得た。生長の家ほど平和愛好の教えはない」   とこうだ。

この臆面の無さはどうだ。恥ずかしくないのであろうか。

そして、それまでの国家主義的な色彩を極力払拭し、急激にキリスト教的なものを強く打ち出している。
それにもかかわらず、戦後しばらくして、公職追放組が解除されて権力の座にカムバックするようになると、とたんにまた、日本主義、 愛国主義、反共主義を打ち出したのだ。

このような節操のない人物をはたして信用していいものだろうか。
私が「生長の家」に対して抱く不信感は、以上のようなことに強く裏打ちされている。》 


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【教義の概略】

・ 全ての存在は、無限の愛、無限の知恵、無限の自由、その他あらゆる善きものであるところの完全なる生命、すなわち神が現れたものである。
従って、人間の実相(本当の姿)は神の子であり、無限の愛、無限の知恵、無限の自由、その他あらゆる善きものに満ちた永遠不滅の生命である。


・人間の実相はあらゆる善きものに満ちた神の子であり、絶対唯一神が<全き善・無限知・無限力>で創った世界(生長の家はこの本来の世界を「実相世界」と呼びます。)は完全である、
すなわち無限の幸福に満ちた世界なのであるから、「実相」を悟れば事態・環境・法則は自ずから無害有益なものに為り、真に「無限供給の神の恵み」を受ける事が出来る。
つまり貧・富・健康・幸福等、何でも自由自在に現すことができる。


● ↑ 実例を聞かせて欲しい。  貧・富・健康・幸福 をどの程度獲得したのか。 
”無限供給の神の恵み”とやらの実例を知りたい。
そもそも今の雅宣総裁がその”無限供給の神の恵み”を受けている状態とは到底思えないが、それを超える信徒が他にいるのか?
もし総裁を超える境界の者がいないとすれば、それは雅春の教義自体が無力かつ有害であった証拠ではないのか?

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・ 我々が5官によって認識する世界は、心とは独立した客観的実在ではない。
現象の世界は、全体の膨大な情報量のうち、肉体の5官で受け取ったごく一部の不完全な情報を、脳が組み立て直して仮に作り上げている世界である。
物質はない、肉体はない、だから世の中に戦争やテロがあったり、病気などの不完全な出来事があるように見えるが、それらはすべて「現象」であって実在しない。
心に思い描いたものが現れたものがこの物質現象界なのであるから、心のあり方によってどのようにでも現れる



 一見するとよい教えのように思われるかもしれませんが、これがなかなか危険な教えなのです。
生き方を学んで自らの心がけを省みたりといった本来というか正しい宗教とは全く違うことがお分かり頂けると思います。

生長の家の教えを理解し「神想観」という行法(これとて谷口が元いた大本教の「鎮魂帰神」という行法を真似たもの。
戦前のことですが大本教が弾圧されそうになる気配が濃くなるや、それまで世話になった恩義などどこへやら、さっさと逃げ出しました。
)
を修しさえすれば人間の実相である「神の子」の本質が現れ、人格も神の如くに成り、健康、富も思いのまま、といったどちらかと言うと魔術に近いような宗教なのです。


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 昭和を代表する評論家である 大宅壮一 は著書 「宗教を罵る」 の中で次のように 生長の家 を批判しています。

▼ <人間はまず心に思って、それによって行動し創造するではないか。
それでも判るように 心こそ主人、精神こそ肉体の支配者である。
いや、本当に存在するのは心だけで、物はその影にすぎない。
スクリーンに映じる万象が、実は存在せずフイルム面のしみの影にすぎないのと同じこと。
この真理を悟って精神が肉体の束縛を離れれば、フイルム面のしみは消えて、スクリーン一杯に精神の光明が輝く。
肉体無し、ゆえに病気も無い。
病気は本来無い、と悟った時、すなわち病気は治っている……。> 


‥‥どんな観念論者でも、
盲人が気を取り直し悲しみを超越することと、
実際に目が再生することとは別だ、ということを知っている。

ところが谷口の「大真理」によると、目を生やすも無くすも心のまま、ということになる。

‥‥要するに、ゴテゴテの観念論を漫画化したような教えにすぎないのだが、物質に対する観念の優位を説くためには、どんな観念論哲学でも、観念論を説いているどんな宗教の教義でも自由に借りてこられるわけで、唯物論をしっかり掴まず、哲学的な考えに慣れてもいない一般の読書層としては、谷口の巧みな話術に抵抗することは難しい。 


「生長の家」以外の思想的知識をあまり持たないA君は盲信してしまった訳なのです。
「物質は究極的には実在しないものであるとは私も思います」、私が「物質はあくまでも“本来”ないものだ」と言ってもA君は「物質はない!!」と言い張り、聞く耳を持ちませんでした。
A君はよく素粒子の非実在を語っていました。
確かに素粒子の次元ではそうかも知れませんが、素粒子を砂粒位の大きさだとすると人体は太陽系程の大きさになるそうです。
つまり1臓器ですら地球より遥かに大きいことになります。
素粒子の次元で非実在だからといって、それがいか程の意味があるでしょうか。
原子、分子といった各次元で法則と働きが厳然とあるのです。


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 大宅氏の批判をさらに紹介すると

・太田某は、顔を剃ると必ずカミソリで1箇所は傷を作っていたが、生長の家に入ってからちっとも顔を切らなくなった。 

・家ダニに困っている家で、神想観をして立ち去るように命じたが、去らない。
そこで、「ダニだって住む所が必要なのだ」と反省して、家中の畳を剥いで6畳1室に積み重ね、「この室をあなた方の棲み家に提供しますから、これからどうぞこの部屋から出ないで下さい」と言って、また神想観をすると、それ以来ダニは刺さなくなり6畳の部屋に列を作って生活している。 


・前橋のある養蜂家が「生長の家」に入って「神のお送りになったこの世界は無限供給であって、必ずよき成績が上がるものだ」と信じていると、去年の倍ほどの成績を上げることができたし、先日ひょうが降って桑の葉が傷めつけられた時にも、自分の畑だけは別に損害を蒙らなかった。 

・五十嵐某は、隣の工場から出火し、折悪しく風下だったが、自分は「生長の家」だから、火事に焼けるなどということはない、と言って悠々としていると、途端に風向きが変わって風上になった。 

・某の孫が疫痢にかかったとき「天地一切のものと和解せよ」という教えに従って「ばい菌よ、お前といえども生命である。生命は神から来たものであり、我々もまた生命であって神から来たものである。されば汝と我々とは神において兄弟ではないか。汝兄弟なるばい菌よ、私らは決して殺菌剤を使ったり、注射したりしてお前を殺そうとはしないから、お前もこの子供を殺さないでくれ」と和議を申し込むと、たちまち熱は下がって快癒した。 
 
 これに似た「実例」は「生命の実相」を始め生長の家の発刊物から無数に拾い出すことができる。
これが、もし事実だとすれば今日までに人類が築き上げてきた科学も文明も、根こそぎ覆ってしまいそうな一大驚異だが、
もしそうでないとすれば、人心を惑わすこと、これほど甚だしきはなく、正に詐欺以上である。 


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生長の家の教えを悟れば病気が治るという主張を谷口の著作から幾つか紹介すると

不幸や病気が現れているのは、ただ眠って夢を見ているだけのことであります。
だから、吾々は眼を覚ませばいいのです。
初めから吾々は如来であり、初めから救われている。
如来は眠って居っても如来である。
眼を閉じて居っても盲目ではないのであります。
病気のように見えていても健康なのであります。
吾々は神の子であり、本来、如来でありますから未だ嘗て迷ったことはないのでありますが、勝手に心の眼を瞑って病気や不幸災難の夢を見ているのですから覚めればいいのであります。


● ↑ 貧 病 争 などの苦悩はただの夢か? その夢でも苦悩は苦悩であろう。 その”夢が醒めた”信者はいるのか?
教団それ自体が 内紛 分裂 という 争いの苦悩を現実にうけてるではないか。これも”夢”か?
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・此の肉体の谷口雅春はまだ1人の病気も治したことはないのである。
『肉体は無い』のであるから『無い谷口』がどうして病気を治したり出来るのであるか。
また『病気は無い』のであるから『無い肉体谷口』がどうして『無い病気』を治し得よう。
ただ『無い病気』を治す道は、真理の明るみの前に照らし出すだけで好いのである。(● ← そもそも病気が無いのであればを治すことすら必要ないではないか。また肉体はそもそも無いのであろう?)
手紙の返事よりも尚詳しい返事が聖典に書いてある。
それを読んで理解する者は救われるのである。


● ↑ 手紙も物質 聖典も物質ではないか。 文字も物質である。 物質は実在しないのであろう?
そもそも手紙を読む自身も「無い」のであれば、誰がどうやって手紙を読むのか?聖典を読むのか?
自身が無いのであれば、理解することは不可能ではないか。
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・利己的目的で病気が治りたいだけには道場へ来ない方がよい。(● ← 道場も 物質 そもそも無いのではないのか?)
病気は物質に執着せる利己心の投影であるから、利己的に肉体に執して肉体を健康にしたいというのは要するに自己撞着である。
そういう人は利己心の代価をしっかり医者に払うがよい。 (● ← 医者も物質 金も物質 なぜそこへ行かせるのか?)
その方が医者救済になる。(● ← 医療自体がそもそも存在しないのではないのか?)
生長の家は医者と競争しない。 
病苦の中にも病苦を見ず、他を救おうとする決心のつく者のみ『生長の家』で救われる。(● ← 他を救おうとする自身がそもそも無いのではないのか?)
『生長の家』の救いは『心』の全般的救いであって、肉体が治るのは心が治った反射に過ぎない。(● ← そもそも肉体はないのではないのか?治るも治らぬもないではないか) 
(●← 治った肉体も本来ないのではないのか?医者が治すものはでは何モノなのか?実体のない医者が実体のない肉体を治しているのか?)
だから他動的に治して貰っても真理の書を読みこれを理解しようと勤めない者の病気は再発するのは当然である。
(● ↑ 他動的に治してもらったものは本来無いはずの肉体ではないのか?病は元から無いのではないか?治すも治さぬもないではないか)


全く荒唐無稽!幼稚千万!

・「‥‥あなたのお子さんの扁桃腺が小さくならないのは、あなたが扁桃腺で苦しんでいるお子さんの姿を本当の姿だと認めて、それを治そう治そう、とあせっていられるからですよ。
治すも治さぬもないではありませんか。
肉体はないのです。
つまり病気は本来ないのですから、本来ない扁桃腺炎をあなたが勝手にあると設計して、扁桃腺炎ばかりに捉われているから、その心が反映していつまでもお子さんの扁桃腺が腫れているのです。」
(● ← 無いはずの肉体が腫れるも腫れないもないではないか)

・「人に痛いことを言ふ人、キューと突く様な辛辣なことを言うやうな心の傾向のある人は、キューと突かれる、すなわち注射をされたりしなければならぬ病気に罹る訳であります。」
「便秘はケチの心の影」、
「ヘルニアはへそくりの心の影」
「舌ガンは嘘をつく心の影」、
「咽喉ガンは悪い言葉の心の影」 

(● ↑ 肉体は無い のであれば、注射も 便秘もヘルニアも舌癌もそもそも無いではないか)

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 次は「本当の生長の家を伝え遺す信徒連合」が開設している『今昔物語』というサイトにおいて谷口雅春の著作の中で述べられているエピソードから信者が
「病気や不幸をいくら研究しても良きものは出て来ない。実相を追求してこそ良きものが出る。」
と珍妙なタイトルで次のような見解を述べています。 


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《 ある僧侶出身の自然科学書の著述家が谷口先生に
「病気の存在を認めない生長の家が本を読んで病気が治るというのはインチキだ。」というような質問をした。
「インチキによってでさえ治るのが病気なのだから、病気の存在こそまさにインチキだ」と谷口先生はお笑いになった。

● ↑ 「病気がそもそも存在しない、」と主張しているのに、それを「治す」というアプローチ・概念が自己矛盾している。
ただ取り巻きを煙に巻いているだけの虚言。
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しかし
▼「生長の家は肉体の病気治しではありません。私はまた病人に手も触れません。」
「私は病人が治してくれと言って来ても治しません。
病人は自分自身の心で病気を作っているのですから、私の話を聴いたり、私の書いた本を読んで心が癒れば、病気が自然に治るのです。」 》


● ↑ 「肉体はない。物質はない。雅春は無い(=存在しない)」。と言っている。
とすれば、雅春の話も空気という物質が振動しているという現象だから存在しない。
本も物質なるが故に存在しない。
それで、心が癒える、という道理はない。
そもそも、その信者の”心”とは、もともと存在しないはずの肉体ではない、どこに存在しているのか?
しかも、もともと肉体はない、病はない、という限りは、治すべき対象は存在しない、ということで、それを「治す」とか「治る」とかの行為・行動・結果なども存在しない。
全く自己矛盾・自家撞着のサンプル・標本のような稚拙極まる邪義。愚説。

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 砂糖の甘さは嘗めれば即座に解るのですが、そんな事ははしたないとして、化学者は砂糖の甘さは研究室で化学分析によって追及するのが理性ある学者の姿勢であると研究を続けます。
そして砂糖の甘さの実際を知らないで一生を過ごすのであります。
従って学者は「病・悩・苦」の現実的解決は出来ませんが、覚者は「病・悩・苦」の現実的解決を行なうのであります。

● ↑ 現実には病・悩・苦は存在しない、といいながら、しかも「谷口はいない」と言いながら、その”現実的解決を行う” など、ここもまさに自家撞着の標本。
しかも、この程度の自己矛盾に気がつかず、恥ずかしげも無く 自分を「覚者」と名乗るなど、とんでもない大慢心の虚け者に過ぎない。
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▼ 学者は「悟り」は潜在意識で起きる、と考えますが、覚者は、「無の関門」を超えて「悟り」を成就された「霊的覚醒者」であり、心理学的にいえば、「悟り」とは、潜在意識・深層意識を超越し、意識の釜の底をぶち抜いた超高次元の超意識の世界(境地)で起きるもの、ということが出来るのであります。

学者は、殊更に難解な言葉で理屈っぽく語りますが、覚者は、平易な分かりやすい日常の言葉で的を射た端的な言葉で語るのであります。

学者と金持ち、後回しです。


● ↑ 「一切を平等に救えない。」とその偏頗な根性、自らの境界の低さの馬脚を現した、「自分は邪師・ペテン師」と表明したような名言といえる。
その「学者」である二乗を完全に救済した釈尊に遥か遠く及ばない。

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 奇蹟のない宗教では、医者や社会から見放された人々の”病・悩・苦“は救われません。
開祖・谷口雅春先生が遺された<奇蹟の聖経『甘露の法雨』>には私たち個人個人の”病・悩・苦”を救う力があり、更に”国家”自体をも救う力があるのであります。

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‥‥「生長の家立教の使命」のために必要な今まで創造の根元世界の最深奥部に秘められていた霊的真理哲学体系の全相を、全人類の中から只1人の人・谷口雅春先生が選ばれまして、釈迦・キリストを超える完成の教えとして啓示されたということであります。


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 と、学者は無用の長物と言わんばかりに好き放題言っていますが、哲学と宗教は医学と民間療法の関係にも喩えられると思います。
社会がまだ高度に発達していなかった時代ならともかく現代の先進国で医学や哲学思想を民間で広めないといけない理由が思いつかないのです。

谷口の主張するように、あらゆる病気を治すことができる唯一無比最高の医学療法を発見した、つまり自分は人類史上最高の医学者であると思ったなら、どういう行動をとるでしょうか。
まず医学界に正しさを認めてもらおうとするでしょう。


 また彼が主張するように宇宙最高の思想であり全人類を救うものであるというのなら 哲学界等思想界でも認められようと考えるはずであり、認められれば 全世界の教育機関で教えられ、子供の頃からその思想を教育すれば、全ての人間が神の如き存在になり、病気や争いといった不幸がこの世界から一掃され、彼らの主張する『地上天国』とやらが到来するではないでしょうか。

 仮に、ある犯罪行為に関して嫌疑をかけられている人がいるとします。
自らの身の潔白を証明したいなら、裁判で決着を付けようとするでしょう。
それをせず、事情を何も知らない人々に自らの身の潔白を説いて回り、
「私の主張は正しいだろう?この私を罪人呼ばわりする人達の方が間違っているだろう? 私の身の潔白を人々に訴えよ。」と言ったりするでしょうか? 
やましいところがあると思われても仕方のない行動ではないでしょうか? 

偏見あるいは何らかの利害関係から不当な扱いをアカデミズムから受けたなら、それを社会に告発する運動を起こすというのなら分かるのです。


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「‥‥自分のかざす火は人類の福音の火、生長の火である。
自分は此の火によって人類が如何にせば幸福になり得るかを示そうとするのだ。
如何にせば境遇の桎梏(しっこく=手かせ足かせ・自由を束縛するもの)から抜け出し得るか、
如何にせば運命を支配し得るか、
如何にせば一切の病気を征服し得るか、
また、如何にせば貧困の真因を絶滅し得るか、
如何にせば家庭苦の悩みより脱し得るか。
‥‥今人類の悩みは多い。
人類は阿鼻地獄のように苦しみ?がきあせっている。
あらゆる苦難を癒す救いと薬を求めている。
しかし彼らは悩みに眼がくらんでいはしないか。
方向を過っていはしないか。
探しても見出されない方向に救いを求めていはしないか。
自分は今彼らの行手を照す火を有って立つ。」 (「生長の家」出現の精神、神誌『生長の家』創刊号、昭和5年3月1日発行)


○ 聖経 『甘露の法雨』 は素晴らしいお経である。
小さくは個人の病いを癒し、大きくは国家の大病、世界の大病をも癒すことができるのである。


○ 私には全人類が一切の病・悩・苦から開放されて光明化生活を送れる日が来るまで休日というものは無い。
自分は何も要らぬがただ時間だけが欲しい。


○ どうしたら全人類が速やかに光明化されるかということばかりを寝ても覚めても考えている。
日本の現状を想うと夜も充分眠れぬ。


○ 私は哲学者としては、カント、フィヒテ、ヘーゲルに並べられても差し支えないところの哲学界に功績を残したとは思っている。

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 哲学の世界では谷口雅春という哲学者など聞いたこともないのですが、医学界ではいかがでしょうか? 
これほど救世の情熱に燃えながらも、学会に論文を提出する等、アカデミズムに認めてもらおうという行動だけはしなかったようです。
言うまでもなく笑い者になって「大聖師」と崇め奉られる教祖様の地位から一気に転落してしまうことを谷口自身がよく解っていたからです。

  
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 信者を布教に駆り立てる論理もまた極めて巧妙です。

《 人間は嬰児としてこの世に生まれて来た時、既に人類の想念の中に置かれるのであります。
その想念を嬰児といえども感受しないというわけには行かないのであります。
そこで嬰児も病気にかかるのであります。
嬰児のみならず成人も、如何に自主独立の精神を持っていると自称するものも、やはり人類の想念の中に生きているものであるから、多少とも人類全体の想念の影響を受けないということは難しいのであります。

 だから吾々といえども常に毅然とした自主的自覚をもって
「人間は神の子、無限に円満完全である。
如何なる病気にも、一切の欠乏にも悩まされることはないのである」
という想念を常に強固に把持して、その反対の精神波動の影響を拒否することが必要なのであります。
そうでなくして、うっかり人類全体の想念の傾向に同調していたら、知らず識らずの中に病気に侵されるに到るのであります。
だから、吾々は病気になるのに手間暇はかからない、ただうかうかと人類全体の病念と一緒に漂わされていたら病気に罹れるのであります。


 それに反して、常に人類の病的精神波動を感受しないようにするためには、正しき健康の想念を把持することが必要であり、その思想的根拠ある所の正しき哲学に対する理解が完全であることを必要とするのであります。
何よりもまず大切なのは、実在するものは、神のみであるということであります。
従って神より出でたる所のすべての実在は完全であるという事を信ずることが、自分自身を健康にし、自分の住む世界を幸福に楽しく愉快な善き世界ならしむる根本となるのであります。 
著書『神癒への道』より 》


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 「物質肉体、物質世界が実在する」という人類共通の迷妄想念は大多数であるがゆえ強大なものであるのでこの世界から病気、争いといった不幸がいつまでも無くならない。
生長の家の信仰のみが人間が本来の「神の子」という実相、物質は存在しないという実相を現わすことができる、
つまりこの世界に様々な不幸が実在するという迷妄から覚まさせることができる唯一最高の真理であり、
そのためには生長の家の教えを1人でも多くの人に信じさせ、迷妄想念を弱めなければならない、という論理なのです。


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そしてこの論理をを国家観・世界観に適用し、「天皇信仰」に繋がっていきます。

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「日本の国の実相顕現こそ真の宗教心」(『理想世界』昭和34年11月号)

 政権行使の実力者が、織田、豊臣、徳川・・・・という風に変わり、又大戦後においてはその実力者がマッカーサー元帥という風に変わりましても国民統合の「中心」として厳然として変わることなく、歴代連綿として不変に続き給うのが日本天皇なのであります。
こういう「国家の良心」たる「鏡的存在」が国家統合の「精神的中核体」として万世不変に連綿として続いている国家は日本国家のみなのであります。


 一切の存在にはすべて、それを統合する中心に位する変わらざる中核者があることが宇宙の真理であります。
(原子には原子核、細胞には細胞核、太陽系には太陽という中心、樹木には幹という中心があり、その中心が破壊すれば全体が死滅する)
だから私達は日本国家を神意の発現する「真理国家」と認めざるを得ないのであります。
真理とは「神が宇宙を秩序的に統一するための秩序的法則又は統一原理であります。」
換言すれば神の御心であります。


 神は「宇宙」という、大きな骨格≠竍卵の殻≠ンたいな輪郭≠セけを動かされるのではなく、宇宙の中にある一切のものを、どんな微小なものをも、この秩序的法則によって、全体的統一をあらしめておられるのであります。
だから国家≠フ問題や人類の問題はもちろん、肉体の1個の細胞の中までも、神の叡智によるその統一原理は行き渡っているのであります。
全てのものに、不変に続く統一原理なる中心は、万物にはただ1つあるのが原則であるのに、地球世界だけは諸国家の中心者が実力によって始終交代し、実力者の個人的恣意で相争い多数国家がばらばらに分かれて、ただ1つの連綿たる中核統一体がないのは、地上世界がまだ未完成であって、完成の途上にあるためだということができるでしょう。 


 かかる諸国家の中において、政権担当の実力者が変わるとも、連綿として万世不変の「国家の良心」ともいうべき中心者たる天皇を有する国家は、最も完全に神の御心を地上に実現した国家だということができるのであります。
世界にもし、このような天皇国家≠ェなくなるならば、神の御心の現れた国が全然地上から姿を消すことになるのであります。
そういう真理を如実に体現した国家――神の御心が最も完全に現れた国家を護持することは、神の御心にかなうところの行為であり、最も高き宗教心の現れだと認め得るのであります。


 宗教心とは、自分だけが極楽浄土へ行くために「南無阿弥陀仏」と唱えることだけではないのであります。
むしろ、そのような自分だけが救われたいための宗教は、利己心養成の宗教であって、原始的低級宗教であります。
私たちは、神意が地上世界に成就して地上に天国が成就するように、世界に唯一の「国家の良心」ともいうべき万世不変の中心を有する真理国家たる日本国家を護り育てて、全世界を永久平和の理想国家たらしめるための種子国家たらしめ、この神聖なる日本国の実相を顕し、ひいては全世界に地上天国をもたらすために協力する愛国の実践が宗教的実践であると考えるのであります。
…(略)…
『御心の天の成るが如く地にも成らせたまえ』とイエス・キリストが祈ったところの、その理想的天国世界を実現する、その使命を持っているのが皆さんであると私は思うのであります。
この生長の家の『生命の実相』の哲学によって養われたところのその学徒でなければ本当に日本国を救うことはできないし、又、世界全体を救うこともできないと思うのであります。」

 
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《 生長の家系の天皇制右翼「反憲学連」が11月に入って教養部に登場し活動を活発化させている。
彼らは「反共・反安保・憲法9条解体」をスローガンに、全国の大学で右翼学生運動の建設を目指して活動している。
とりわけ日本大学文理学部では、80年11月の武装登場以来、テロ・リンチを用いて学園の恐怖支配を行っている。
「戦後史研究会」を名乗ってビラを配っていた彼らは、11月5日「真の戦没者慰霊を考える」を銘打って学内でシンポジウムを開催しようとしたが、急遽集まった学友の抗議の前にこれは断念せざるを得なかった。

さらに11月25日、「三島由紀夫森田必勝憂国忌」ということで学内で集会をやろうと昼休みに登場し、多くの学友の目の前で、抗議する1人の学友に暴行を加えケガを負わせた。
彼らの主張は民族排外主義に貫かれたものであり、「大東亜戦争は聖なる戦いであった」「朝鮮人は天皇のために喜んで死んでいった」と侵略、虐殺行為を正当化し賛美するものである。
このところ原理研と並んで反憲学連(生長の家)が各地の大学で活動を活発化させている。
恐ろしい時代になったものだね。 》      九州大学新聞(83年11月25日付)


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 生長の家の掲示板にも次のような批判がありました。

「‥‥生長の家の右翼的な主張や活動を実際に行っていた信者を見て、私は正しい宗教の持つ愛と献身の精神など彼らから微塵も感じることはできませんでした。
生長の家の右翼学生の姿を実際に見たことも生長の家が邪教であると確信した理由の1つです。」

 
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 昭和59年、熊本大学に入学した私は学内でアンケート勧誘をしていた「日本文化研究会」なるサークルに入部しました。
そこの部長を務めていたのがA君でした。
A君は活動の内容をあまり説明しませんでしたが、その時はあまり疑問にも思わず、その名の通り日本の歴史や文化を学ぶサークルなのかなという軽い気持ちでした。
「例会」なる勉強会が中心なのですが、天皇とか神風特攻隊の犠牲的な精神、あるいは明治維新の志士とかの内容が中心であり、宗教団体であるとは気付かせないような内容にしていたようです。
部室には生長の家の書籍が揃えられており、しばらくするとA君は、生長の家の本を読むことをさも当然のように勧めてきました。

 哲学や宗教に興味のあった私には、興味深い内容もあったのですが、「話が出来過ぎている、論理のトリックで丸め込もうとしている、こんな教えを実行できる人間などいるのだろうか」と思い、信じる気にはなれませんでした。
狂信的に信じているA君を始め他の部員も教えを実行できているようには思えなかったことも疑念を抱いた理由でした。 


 例えば、彼は、私が少し批判めいたことを述べると、「今まで一緒にやってきたではないか」と虫のいい事を言い(辞めなかったのはダミーサークルであることを隠していたからであるのに)、教義について正しいと思わないと思う旨を述べると「間違ってる言うんか!」怒ったりもしました。

 数ヶ月経った頃、A君に「(このサークルは)勉強会ではないんだろう?」と尋ねたことがありました。
「勉強会じゃないよ。お前はいつまでもその段階に留まっているではないか!」となじったのです。
この期に及んでもサークルの目的は言わず、自分が信じている宗教を受け入れて布教活動(彼が意図していたのは反憲学連としての活動の方でしょう)に加わろうと思わないお前は劣った人間だ、と逆に非難したのです。(最後までサークルの目的は明かしませんでした。)
まともな誠実さを持つ人間なら、カムフラージュしたサークルだ。今まで申し訳なかった、となるところでしょう。
反憲学連と判れば辞められてしまうかも知れない。
それは黙っておいて、信じてくれれば儲けもの、だめなら、はい、さようなら、といったところだったのでしょう。


 生長の家本部からの連絡書をたまたま見て、自分以外の部員が皆、生長の家の信者であることを知り、そのことをある部員に話したところ「誰から聞いたのか!」とかなりの剣幕で詰問されたことがありましたので、宗教団体であることは教義を信じるようになるまでは明かさない方針であったことは間違いないようです。
 
 数年前、教祖による女性信者への強姦が問題化した韓国のカルト宗教団体「摂理」は、スポーツや文化系サークルを装って学生に近付き、濃密な人間関係を築き辞めにくくさせ、徐々に教義を教え込むという手口だったそうですし、統一教会は、街頭で勧誘しビデオセンターに連れて行き最初は娯楽ビデオ、徐々に教義のビデオを見せ週末に泊り込みの洗脳合宿に誘うという手口でした。教義を信じるようになるまでは宗教団体としての正体を隠すというのはカルト宗教に共通した手口のようです。
A君に入信を執拗に誘われましたが、拒否し半年ほどで辞めました。

 傑作なエピソードがあります。
大学の近くに暴力団があるのですが、ある日、そこの2人組のチンピラにA君が大学内で因縁を付けられ恐喝されたことがありました。
自転車を盗まれ見付けたら殴ってやろうと思っていたので、その悪い想念の報いとしてそういう目に遭った、と話していましたが、本当にそう思っていたのではないでしょう。
帰ってから「人間神の子。彼らもまたそうである。許すべきである。」と祈った、でも戦おうと思えばできた、と強がっていましたが、暴力団員が喧嘩が弱い訳がなく、まして相手は2人で戦闘態勢であり武器を持っている可能性もあります。
かなりの格闘技の心得がなければ勝ち目がないこと位分からない筈がないのです。


 こういう嘘さえつかなければ実行できないような教えなのです。哀れさえ感じます。
A君の話は到底信じられませんでしたが、普段反省などするようには思えない彼でも、他人に押し付けるからには、自ら教えを守らなければならないということだけは理解していたようです。


 以上述べたA君の姿勢も生長の家の教えからすれば当然に思えます。
「自らは神の子」と増長しますが「他人も神の子」と他人を同等に尊重するわけでは決してないのです。
観念的に理解することと実際に行動に現わすことは明らかに別なのです。
人間は現在の人格以下の行動も取れないのと同じく人格以上の行動も決して取れないからです。


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生長の家の掲示板にも次のような批判がありました。

・宗教に入信してただ本を読んだだけでは、人間の人格は決して向上しない。
宗教に関わって、真理と称される受け売りを偉そうに垂れ流し、周りの人々を不愉快な気分に、ひいては宗教不信させている未熟な人格の愚劣漢のいかに多いことか。
● 「人類光明化運動」なんて聞くと、使命感に燃えちゃって、その担い手になることは価値あることだと錯覚しちゃい、自分の意識レベルが上だとこれまた誤解する。
こうして傲慢さが知らず知らずの内に身に付いてしまう。


・私は別に生長の家の教えのことを「自分だけが神の子だという教えだ」とは言っていない。
「他人も神の子だ」と説いていることはもちろん承知している。
その上で批判しているのだ。
だからこそ他人の欠点にやたら目が行くのだろう。
「あの人は私と違って神の子の自覚を得ていない。だからあんな風なんだ」と見下す。 


 他人の世話をする前に自分の欠点を直せ。
いくら神想観やったって「自分のこういう欠点が改まりますように」なんて祈ったことないだろう、あるはずがない。
生長の家からはそういう教えが全く欠落しているから。
念じるのは「自分は神の子だから完璧だ」という自己暗示。
こんな信仰やってて傲慢な人間にならない方が不思議
だ。 


・私の小さい頃 町のドンがいてそいつが生長の家だった。
町内会の人達は信じていないけど、 おっかながって生長の家の集まりに出ていたようだ。
うちは引っ越したばかりだし、信じるつもりないから断ったら、私の家を村八分にし、私と妹をいじめの対象にしていじめ続けた。 


人間の努力や積み重ねを根底から否定し、お仕着せの真理を吹聴する宗教ヤクザ・生長の家の1日も早い崩壊と幹部クラスの逮捕を強く望みます。 

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 ▼「吾々の外部に見える生活というものは、全て自分の心の影である。
『実相世界』には善しか存在しないのであるから、もし自分の周囲に悪い事があるように見えても、それは自らがまだ「神の子」としての実相を現わせずに心の持ち方が悪いのであって、それが相手に反映しているのだと思って、自分自身を振り返らねばならない。
他人が悪いと思っても、それはきっと自分が悪いのである。 」

という教えを説いているのですが.....。
他の人が皆そうなってくれれば確かに自分は「地上天国」にいるかのようになりますよね、あくまでも“他の人”がですけどね。


 彼等が信じているように本当に生長の家の教えが人間の「神の子」としての「実相」を現わし、地上天国をもたらすものであるならば、私が疑義を唱えた際、怒ったりせず、
「どこが納得できないのか? それはこうだから正しいのではないか?」ときちんと説明する筈ですし、
また教えを押し付けずとも、接する人達が
「この人達は他の人達とは人格レベルが全然違う。
生長の家という宗教を信じている人達なのか。
どれどれ、どんな教えなのか、なるほど、こんな素晴らしい思想を学んでいるからなのか。自分も学んでみよう。」
となると思うのです。

 
 宗教の布教に熱心な人達の熱心さを善意であると好意的に捉える向きもあるようですが、そうではないです。
確かに社会を良くしたいという動機があることは否定しませんが、それはその人の人格、精神性の高さと同等のものであるはずであり、
聖人君子の集団でもない彼等が人々を救いたいという情熱だけでそれほど熱心になれるわけがないのです。


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 『驚異と占有―新世界の驚き』という本を読まれたことがあるかもしれませんが、これは新大陸を発見したコロンブスの驚きは、なぜ必然的にその「土地の占有」と結びつくのかという、植民地化への心理機構を分析した内容なのですが、
「世界を席捲し支配するのは、富への欲望だけではなく、世界を自らと同じ信仰の色に染め上げてしまおうという、獰猛なまでの信仰心がエネルギー源である、
思い込みの強さがある限り、どんな野蛮も合法化されるし正当化できてしまう、」
という分析を著者は行っていますが、その通りであると思います。


 特段、精神性が高くもないのに、つまり自らが実行できもしない教えを「あなたを幸福にしたいのだ。」と他人に押し付けようとする熱心さにこれで説明がつきます。
自らの思想を他人にも信じさせたいという「獰猛な欲望」に動かされているだけなのですが、
自らは、正しい思想を広めている、人々を救う崇高な生き方をしているレベルの高い人間なのだ、と思い込んでいるので手に負えないのです。
宗教が人類の歴史において対立と流血をもたらしてきたのも頷けます。


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 今度A君にお会いになったら
「なぜ私達には
『多くの人が生長の家を信じないからこの世界から病気が無くならないんだ。
生長の家の本を読めよ。
何だと!間違ってる言うんか? 
お前は程度が低いからこの真理を理解して布教するという崇高な生き方ができないのだ。
病に苦しむ人々を救おうと思わないのか?』
と言わないのか? 

患者に対しては
『病気など本当は存在しないのだ。
生長の家の信仰をすればすぐ治るのだ。』
となぜ言わないのか?」
と是非尋ねてみて下さい。


それにしてもA君がオウムでなくてよかったですね。
もしそうだったら皆さんも、もしかしたら今頃はこの世にいないかもしれません。


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「生長の家」ってどんな宗教?有名人や政界の大物信者も、分裂事件まとめ

新宗教・生長の家の安倍政権支持と内部分裂の歴史。
政財界の大物が在籍した新宗教はさまざまな組織や政治と密接に結びついていた。
そして生長の家・第3代総帥が起こした分裂事件。
絡み合う思惑と対立。
果てはその対立が現在のインターネットのあり方にまで影響を及ぼしていた?!



目次

  1. 新宗教・生長の家とは?
  2. 新宗教・生長の家に入っている芸能人や有名人
  3. 新宗教・生長の家の創始者
  4. 新宗教・生長の家とは?
  5. 生長の家の他の宗教とのつながり
  6. 新宗教・生長の家と日本会議
  7. 現在の宗教としての生長の家の方針
  8. 生長の家本流運動
  9. 本流運動を名乗る団体
  10. まとめ

新宗教・生長の家とは?

みなさんは「生長の家」という新宗教を聞いたことがありますか?

新宗教は新興宗教とも言われ、たまに芸能人や有名人が入信したりして話題になります。
有名なところでは創価学会や立正佼成会、幸福の科学、統一教会などがありますね。
政治の世界に入ってくる宗教法人もあります。

そんな中「生長の家」が注目を集めています。
愛国を押し出した宗教団体だったものが変化を遂げており、本流に反発し分裂する事件が起こっているのです。

最近書店などでは「日本会議」という民間団体と安倍政権との政治的つながりを書いた本が多く出回っており、そこからつながって「生長の家」も注目されています。

ここでは、「生長の家」がどんな宗教なのか、関係している有名人や芸能人、そして最近の分裂をまとめていきます。

出典: https://fx-works.jp

内閣総理大臣・安倍晋三

愛国を押し出した政策の安倍政権にもつながっていると言われており政治にも絡んできています。

出典: http://diamond.jp

新宗教

新宗教は政治や経済に密接につながっていると言われています。
また有名人や芸能人が入っていると話題になることも多くあります。

新宗教・生長の家に入っている芸能人や有名人

新宗教に入る芸能人や有名人はたくさんいますが、生長の家は特に財界人が多いようです。

出典: https://www.youtube.com

稲盛和夫

京セラの創業者です。

出典: http://k-tsushin.jp

和田一夫

ヤオハングループ元代表で和田総研の会長です。

出典: http://masayo-blog.com

メイ牛山

ハリウッド化粧品で知られる美容家です。

出典: http://dic.nicovideo.jp

鳩山一郎

第52?54代内閣総理大臣。入会して病気が治ったんだそうです。

出典: http://trend-vix.seesaa.net

竹内まりや

芸能人として入信しているとよく話題になりますが、父親が入信してたのであって、本人は入っていないとも言われています。

出典: http://poligion.wpblog.jp

話題のあの人も・・・

森友学園の籠池前理事長も生長の家信仰だと言われています。
背後に谷口雅春の写真が飾られています。

新宗教・生長の家の創始者

宗教家・谷口雅春

「生長の家」の創始者は谷口雅春という人で、1930年に立ち上がった宗教団体です。

宗教団体の創始者とは強いカリスマ性を持つものですが、例外にもれず大変なカリスマ性に加え文才も持っていたようです。
愛国心が強く、本流を生み出し、政治の世界に入っていった創始者です。

この時は本流と分裂する事件がおこるとは思っていなかったでしょう。

出典: http://hikarinoshingun.giri.jp

創始者・谷口雅春

大変なカリスマ性をもっていた上、早稲田大学の文学部を出ているので文才もあったそうです。
愛国を全面に押し出した思想で本流をつくり、戦時中は戦争を聖戦と読んだり、終戦後は平和主義を主張したりしました。
天皇崇拝で保守陣営に支持されていきます。

宗教本の先駆け・生命の実相

谷口雅春は文才があったので書籍もいくつか出しています。

出典: https://www.amazon.co.jp

教本・生命の実相

約2000万部も発行され「誌友」とよばれる会員を集めていきました。

出典: http://shirahamauri.at.webry.info

甘露の法雨

甘露の法雨(かんろのほうう)は聖経と呼ばれています。

新宗教・生長の家とは?

新宗教として、生長の家はどんな団体なのでしょうか。

教義

出典: http://saopauloshimbun.com

宗教の真理はひとつ

仏教や神道のみならず、イスラム教やキリスト教も含めたうえ、心理学に哲学も融合し、「真理はひとつ」という教えらしいです。

信者組織

以下の組織が基本の3組織です。
★相愛会・・・男性対象、1万人
★白鳩会・・・女性対象、6万人
★青年会・・・男女青年、3千人

その他にも
★生長の家栄える会
★生長の家教職員会
★生長の家学生界全国総連合
★生長の家高校生連盟
★生長の家ジュニア友の会

もあります。

また、後述しますが本流との対立や愛国の精神の違いなどにより分裂した組織も多く存在します。

宗教行事

出典: http://shirohato.sni-hyogo.jp

講習会

全国59会場で2年に1度行われているそうです。

出典: http://www.ssfk.or.jp

練成会

合宿形式の「練成会」が開かれています。

練成会は大きく分けて3つあるようです。

★本部直轄練成道場の練成会
全国6ヶ所で毎月行われているようです。
生長の家本部練成道場、生長の家富士河口湖練成道場、生長の家宇治別格本山、生長の家松陰練成道場、生長の家総本山、生長の家ゆには練成道場、と関東から九州まであるようです。

★教区練成会
全国59教区で練成会を開催しているようです。

★青少年練成会
青少年を対象とした練成会もあります。

出典: http://www.kawaguchiko.ne.jp

神癒祈願

練成会などで神癒祈願も行われているようです。

生長の家の他の宗教とのつながり

新宗教は起こってくる過程で他の宗教と関わりを持つことが多くあります。

新興宗教の生みの親・大本(教)

出典: http://www.oomoto.or.jp

大本(教)

「新興宗教の生みの親」と言われる大本(教)に谷口雅春は所属していました。
しかし谷口は予言が起こらなかったことに疑問を感じ離脱し、生長の家を立ち上げます。

出典: http://www.omt.gr.jp

大本の出口王仁三郎

その後、大本の王仁三郎は「昭和神聖会」をたちあげます。
大臣や将校に衆議院議員など有名人が所属しており、昭和維新や愛国を掲げる団体で生長の家の谷口の思想と通じるものがありました。

しかし危機感を感じた国家により、のちに弾圧される事件を起こすことになります。

新宗教・世界救世教と日本会議

出典: http://www.izunome.jp

世界救世教

大本は世界救世教にも繋がっています。
創始者の岡田茂吉は大本の幹部で、元信者の岡田光玉は崇教真光の創始者で日本会議の代表役員です。

新宗教・生長の家と日本会議

出典: http://sharetube.jp

日本会議

日本会議は右翼系の団体で政治に大きく関わり、愛国をうたう安倍政権を大きく後押ししています。

日本会議を作った生長の家

出典: https://kotobank.jp

生長の家政治連合

生長の家は政治連合を組織して参議院に議員を送り込んでいました。

出典: http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com

生長の家学生全国総連合

その後、学生全国総連合を結成します。
1960年代の学生運動に対抗するものでしたが、このメンバーたちが現在の日本会議を担うことになります。

日本会議と新宗教・統一教会

そして今、その日本会議は別の新宗教である統一教会(現・世界平和統一家庭連合)にのっとられていると言われています。

出典: http://faithjp.com

世界平和統一家庭連合(旧統一教会)

2015年の9月に名称が変更になりました。
統一教会といえば合同で結婚式をすることや、桜田淳子などの芸能人や有名人が入信したことでも有名になりました。

出典: http://blog.goo.ne.jp

世界戦略総合研究所

世界戦略総合研究所(以下、戦略研)というシンクタンクがあり、多くの統一教会信者が代表を務めています。
そしてこの戦略研が開催する定例会などにはよく日本会議のメンバーが招かれています。
前述のとおり日本会議のメンバーは生長の家を出自にしているとはいえ、分裂して袂を分かっていますから統一教会の力の方が強く働いているといえるでしょう。

日本会議は愛国を掲げる右翼団体です。
よって安倍政権の政治姿勢を大きく後押ししているのですが、日本会議を作った生長の家は現在の状況は少し違うようです。

現在の宗教としての生長の家の方針

日本会議のメンバーは生長の家からでていますが、生長の家自体とは考え方が異なるようです。
日本会議は統一教会の力が強く働いているようですが、元の生長の家はどうでしょうか。

第3代総裁・谷口雅宣

出典: http://www.nikkeyshimbun.jp

第三代総裁・谷口雅宣

もともと創始者の谷口雅春は天皇崇拝と国家主義でした。
しかし、時代とともに教団の考えもうつりかわっていき、現在の谷口雅宣総裁は国際平和へと舵を切り政治思想もかわっています。

この変化へ疑問を持った信仰者たちが分裂して、それぞれの組織を作っていくことになります。

参院選で与党を指示しない表明

さらに2016年には安倍政権の政治姿勢を指示しないと発表しました。
安倍政権を指示しないということは、日本会議も否定することです。

「生長の家」、参院選で与党を支持せず 安倍政権を批判 宗教法人「生長の家」は9日、安倍晋三首相の政治姿勢に反対し、参院選で与党とその候補者を支持しないとする方針を発表した。
方針は、安倍政権を「民主政治が機能不全に陥った時代の日本社会を美化するような主張を行っている」などと批判。
「日本を再び間違った道へ進ませないために、明確に『反対』の意思を表明する」とした。 【朝日新聞2016.6.11.】

生長の家本流運動

そんな中、谷口雅宣に反対する形で様々な事件がおこっていくことになります。
ひとつの引き金というわけではなく、もともと政治関係など火種があったものが事件を繰り返すうちに大きくなっていったようです。

飛田給派

出典: http://www.sni-tobitakyu.or.jp

飛田給派の誕生

政治運動を生長の家が行う際には対立がもともとあったようです。

青年向けの「生長の家学生会全国総連合」(生学連)では特に対立が激しく、ついには生長の家を追い出されることになります。

追い出した者たちが使っていたのが飛田給練成道場だったので飛田給派と呼ばれるようになりました。

出典: https://blogs.yahoo.co.jp

分裂へ

飛田給派は谷口雅春の教えを厳格に守っていたので、谷口雅宣の方針転換とは徹底的に対立しました。
そして2002年に理事会において対立が決定的になる事件があり、支部長の8割が抗議して辞任することとなります。

本流運動を名乗る団体

谷口雅春先生を学ぶ会

もっとも教団に反発し批難する団体でさまざまな事件にまで発展しています。

またインターネット上で頻繁に活動したことにより、いわゆる現在の「ネトウヨ」(ネット右翼)を生んだ原因のひとつと言われることもあります。

ときみつる会

2002年に設立された団体です。

一番初めに「反教団」を掲げており、本流運動の先駆けとなりました。

光明思想社

谷口雅春先生を学ぶ会の出版部門です。
当然、現在の生長の家と対立しています。

生長の家社会事業団

初めの方に紹介した創始者・谷口雅春の「生命の実装」の著作権をこの団体が所持しています。

また「肌守り」や「零牌」(永代供養に使用)の著作権も主張しています
この裁判は上告を繰り返しており、今なお続いています。

まとめ

ここまで読んでいただいて、多くの組織が絡みあっており、複雑になっているのがおわかりいただけたと思います。
要点をまとめると、

・安倍政権は世界戦略総合研究所と仲が良く、戦略研は統一教会に牛耳られている。
・日本会議は元生長の家出身者が作ったが、今は生長の家とは政治的見解も含めて対立している。
・生長の家は現総帥・谷口雅宣のもと安倍政権は支持せず、本流と言われる創始者・谷口雅春を支持する分裂した組織と対立している。

と言ったところでしょうか。


日本には数多くの新宗教があります。
密接に政治に関わったり芸能人や有名人が入信していることで有名になったりします。

そもそも日本人は無宗教と言われがちですが、国際的にみれば宗教がないというのはありえません。
仏教か神道と答えておけば間違いないはずです。
お盆には帰省ラッシュがありますし、初詣だって行きます。

これほど宗教行事が日常に溶け込んでいる国も珍しいのではないでしょうか。

それでも新宗教を選ぶというのは、拠り所や安心を求めるからかもしれません。
生長の家は大きな組織ですので今後の動向にも注目したいところです。

さいごまでありがとうございました。


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多磨霊園
 

*墓石は「谷口家之墓」。
右側に墓誌があり、解脱名(戒名)は「実相無相光明宮大真理説授正思惟大聖師」。
俗名と没年月日も刻む。
なお、生長の家総本山にも「谷口家奥津城」の墓所があり分骨埋葬されている。

*墓誌より、清超・恵美子の長男である谷口雅教が眠っていることがわかる。
1949に生後一年も経たずに亡くなっており、戒名は實相光明宮雅教天童子。

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【生長の家】「兄弟姉妹がバラバラに」 

元教団最高幹部が創始者一族の内紛を週刊現代で告発

1 :詳細は週刊現代をご参照下さい@ブルーベリーうどんφ ★:05/01/24 23:52:05 ID:???

 宗教法人「生長の家」(本部・東京)でかつて最高幹部を務めた中島省治氏が、「週刊現代」2月5日号で 教団創始者一族の間に内紛が起こっている  と告発した。

 「生長の家」は、宗教法人「大本」で機関誌の編集をしていた故・谷口雅春氏を創始者とする新興宗教団体で、 信徒数は国内外合わせて約188万人いるとされている(公称)。

教義の根本と言われている谷口雅春氏の著書 「生命の實相」は
鳩山一郎、岸信介、平沼赳夫といった政治家や 稲盛和夫・京セラ会長や和田一夫・元ヤオハン 代表をはじめとする財界人のほか、
三島由紀夫など幅広い著名人に強く信奉されている。

 今回「週刊現代」で内情を憂いた中島氏は、「生命の實相」を出版する教団出版社・日本教文社の前代表取締役 である。
同氏は、「創始者の教えが内紛によってこれ以上ないがしろにされることが耐えられなかった」として、
同誌の取材に応じた。

 同氏によると、現副総裁で実質トップとされる三代目の谷口雅宣氏が姉弟を教団から排斥する動きを示し、 これが信徒に不信感を抱かせているという。

雅宣氏の姉である壽美さんは信徒と結婚しアメリカで信徒数を伸ばしたが、夫妻に不快感を抱いた雅宣氏が夫妻をオーストラリア支部に左遷したと、中島氏は語る。

 また、「左遷先」のオーストラリアで弱小拠点とされた現地法人を海外の一大拠点にまで成長させた同夫妻に 対し、次は福岡に飛ばすという話が出た、と別の元古参幹部は同誌の取材で語った。

同幹部は「これに夫妻は 激怒し、2002年に教団役員を辞職し現地法人を独立させた」とも述べている。

 中島氏によると、雅宣氏の弟・貴康氏は総本山(長崎)の下働きから始めて、その後本部入りして国際部長、 青年部長、副理事長と昇格したが、人気のある貴康氏への妬みから雅宣氏は貴康氏を理事職から外し、昨秋には宮城県本部教化部長への降格人事を決めたという。

中島氏は貴康氏が3月末で教団を退職する、とも話している。

 「週刊現代」の取材によると、雅宣氏は産経新聞入社後に政治部記者を志すも支局勤務を数年務めて退社。

以後、教団に戻り順調に昇格したという。

同氏については、創始者の著書を相次いで出版停止にした点などから 古参信者の間で不満や批判の声が渦巻いている、と同誌は報じている。 

(報告・ブルーベリーうどん記者)

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東京都国立市の児童養護施設 「生長の家神の国寮」における児童虐待事例

発行元:文芸社  著者:佐々木朗  価格:1000円 『自分が自分であるために』 より

 児童養護施設で、3歳から16歳まで過ごした著者が、施設での虐待体験を綴ったもの。

 具体的虐待事例

P14 学校が終わったら、真っ直ぐに施設に帰るので、友だちと遊べない。
P19 落としたご飯を、水洗いし、子どもに食べさせようとした。
P29 男の子は全員坊主、女の子はおかっぱ頭を強制。
P30 学校が終わってから早すぎる門限。(走って帰らなければならない) 門限に遅れた子どもを殴った。
P32 子どもたちに作業という名の強制労働をさせた。鶏小屋、庭の池、寮の屋上の倉庫、自転車置き場を作らされた。体力の限界まで酷使し、学校の宿題をする時間を与えなかった。筆者は、中三まで宿題を一度も提出できなかった。(P38)
P33 子どもたちが可愛がり、世話していた鶏を、目の前で絞め殺し、ショックを与えた。
P36 中学生女子に対し、処女であるか、不純異性交遊がないか一人一人を男性職員の自室で調べた。 (性虐待)
P38 子どもたちのささやかな楽しみを廃止。恒例の誕生日の基地への招待やクリスマス・パーティーの取りやめ。
P38 たびたび集団で脱走し、職員から隠れるためにゴミ箱に身を隠した。
P42 木彫りの熊の置物で、子どもの頭を叩き、額が割れ血が飛び散った。病院に付き添い、口止めをした。
P44 子どもたちの就職準備金を着服。
P54 食料を盗み食いした子どもを、「床に突き倒し、何度となく足蹴にし堅い拳をつくって振りかざした。」
P59 小さなものが紛失時、証拠もないのに一人の子を選び、「指導の名のもとに殴る蹴るの折檻を加えた」
P60 犯人が別の子とわかったとき、先の殴った子に、犯人の子を殴らせ、腕をうち砕かせた。骨折した腕は一生治らず、障害者となった。
P61 脱走を図った子の顔面や体をバットで殴打した。
P62 狭い庭で至近距離からのノックをして、子どもにしごきを与えた。
P61 夕方の7時から12時まで勉強させ、分からないと殴った。
P62 学校の教師に助けを求めると、学校から事実確認の名目で施設に知らせ、拳骨やバットで殴られた。
P62 中学生の毎月の小遣いを、貯金の名目で預かり、子どもたちに渡さなかった。
P64 小学校高学年の女の子を、上半身裸で廊下に立たせた。少女を陰湿にいじめ、少女は奇声をあげ、寮内を全裸で走り回り、精神病院に収監された。
P64 掃除中ふざけていた子どもたちのお尻を、バットで思いっきり打った。よけようとした子が腕を骨折したが、病院で口止めをした。
P65 病院から帰った子どもを、さらにバットで殴打し、草むしりをさせた。
P73 退寮後、生活に困った卒園生を「退寮後は世話できない」と受け入れず、寮の前の公園で寝泊まりしているのを無視した。

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このサイトのトップに掲げていた生長の家・神の国寮の裁判和解が、2005年3月18日(金)付けの毎日新聞の夕刊に載ったという情報をある方からいただいた。

和解条件のひとつとして、具体的金額を公表しないという内容があるとのことで、金額については私自身、知らなかった。
新聞の「1000万円超支払い和解」の見出しに驚いた。
翌日(3月19日)の讀賣新聞にも記事が載った。

二つを総合して要約すると、

1987年7月、当時10歳だった原告の男性は、国立市の「生長の家神の国寮」寮内で、金銭が紛失した際に犯人と決めつけられ、元男性指導員やほかの寮生らに暴行され、左ひじと左手首を骨折。
指などに後遺症が残り、96年に3級の障害者手帳の交付を受け、97年に施設を出たが、障がいのため定職につけない状態になった。
2001年4月に、「生長の家社会事業団」と元指導員に約7500万円の損害賠償を求めて提訴。
今年(2005年)1月、東京地裁八王子支部・松嶋敏明裁判長のもとで和解が成立。

和解協議は04年12月中旬。
内容は、
(1)暴行による後遺症に対し、事業団側が損害賠償する義務を認める
(2)施設での再発防止に努める
(3)事業団と元指導員が連帯して、損害金を原告の男性(27)に支払う
など。

男性側の代理人は、
「施設内虐待の損害金としては前例がないほど高額」
「見舞金ではなく、施設側が損害賠償義務を認めた損害金を支払うことで合意した」
と和解内容を評価。
事業団は、「被害者救済の見地から和解に応じることにした」としている。

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中でも、佐々木朗(あきら)さんの書かれた「自分が自分であるために」(2000年12月1日、文芸社発行、営業電話番号 03−3814−2455)の内容は衝撃的だった。
文中の施設名や登場人物は仮名となっているが、生長の家・神の国寮のことだという。

小学生の門限は午後3時。
学校からまっすぐ寮に帰らなければならない。
しかも、一旦帰ると外出は一切、許されなかった。
同じ年齢の子どもたちが学校から帰ってから、お互いの家を行き来する、公園で遊ぶなど当たり前のことすら、許されなかった隔離された生活。

そして、佐々木さんが小学校5年生のときに来た、生活指導担当の職員は、さらに門限に厳しく、わずかな寄り道すら許されなかったという。
口答えをしたり、門限に遅れたりすると容赦なく体罰がふるわれた。
そして、男子は全員、丸坊主に、女子は全員おかっぱにされた。
そんな髪型の小学生がほとんどいないなかで、まるで、施設の子どもとすぐにわかる目印、レッテルを貼られたような気持ちだったと言う。
そして、担任の「学校が終わっても朗君とは遊ばないでまっすぐにお家に帰らせてあげてね」の言葉。
施設から頼まれたにしろ、その言葉が、子どもたちにどう、受け取られるか考えはしなかったのだろうか。
学校で同級生にいじめられ、まっすぐに寮に帰れば、指導員の思いつきで次々と作業をやらされた。
自由時間も、宿題をする時間も与えられなかったという。
そのことで、教師との関係が悪化する。
勉強する気のない子どもという差別の目で見られるようになる。
そして、その職員は、園生たちが可愛がっていた鳥を目の前で殺して、喰ってしまうという精神的な虐待もした。
その時から、佐々木さんは鶏肉が食べられなくなったという。

年に数えるほどしかない楽しい行事も、職員の独断で、廃止された。
そして、木彫りの熊人形での殴打事件が発覚して、職員は辞めていく。
理事長は自分たちの訴えを聞き入れてくれたと思った矢先、新しい職員もまた虐待を繰り返す。
単なる首のすげ替えでしかなかったというやるせない事実。
食べ盛りの男の子が、お腹をすかせてつまみ食いをする。
どこの家庭でも見られる当たり前のできごと。
それさえも、ぼろ切れのようになるまで痛めつける理由になってしまう。
お菓子も、テレビゲームも許されない生活。
友人が寮に遊びにくることすらままならない。
リンチのような野球の練習を課せられる毎日。
職員の顔色を窺っていつもびくびくしていなければならない日々。
そして、佐々木さんが退寮したあとも独裁者の支配は延々と続いた。

今回、生長の家・神の国寮を提訴した男性は、当時まだ10歳。
寮のなかで盗みを働いたと根拠もなく疑われ暴行を受けた。
共犯者の名前を吐けと脅されて、追いつめられて苦し紛れに数人の名前をあげた。
そして、体罰を受けても無実であることを訴え続けた子どもたちに職員は、「お前たちがこんな目にあったのは、こいつのせいだ」と言って、子どもたち同士に制裁を加えさせた。
男性の腕は折れ、左手の指が4本動かなくなる障がいが残った。
そのために職業さえままならず、苦しい生活を強いられている。

弁護士の平湯真人氏が言った。
昔の日本の軍隊のようだと。
初年兵同士に互いに往復ビンタをやらせる。
最初はただ命令に従って仕方なくやっているだけ。
しかし、やっているうちに、相手に対する憎しみが沸いてくるという。
子どもたちにしても、本当は言われなき疑いをかけて、そこまで自分たちを追いつめた職員に反撃したい。
しかし、圧倒的な権力、力の差の前に、それはできない。
怒りは、自分たちを名指しした少年に向かった。
肉体だけでなく、加害者と被害者の両方の少年たちの心にも深い傷が残ったことだろう。

職員から暴行を受けても、子どもたちに訴える術がない。
病院には職員が付き添い、「転んだ」「友だちと喧嘩した」とウソを言わされる。
「本当のことは言うな」と脅される。
それに、危険を冒して本当のことを言っても信じてもらえる保証はない。
今までずっと、どんなに酷い目にあっても、大人たちから見捨てられてきた。
冒険をおかす気にはなれないだろう。
そうして、10数年たった今も、その職員は処罰を受けることもなく、ノウノウと処分を受けることもなく、相変わらず神の国寮で働いている。
その間、どれだけの子どもたちが犠牲になったか、計り知れない。

本では、他に、ある職員による子どもたちに支給されるはずだった手当金の押領、暴力、精神的な虐待、そして、少女たちが処女かどうかを確認したというセクハラ行為などを告発している。
閉ざされた施設のなかで、堂々と犯罪行為が行われ、それを止めるもの、裁くものがいない。
子どもたちの味方をする職員は去り、一緒になって暴力をふるう、あるいは強いものにおもねる職員のみが残る。
子どもたちを救ってくれる大人たちがいない。
子どもたちは退寮するまで、ただ黙って耐えているしかない。
その状況は今も変わらない。

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毎日新聞ニュース速報 2005/03/18(Fri)

<虐待 1000万超払い和解 国立・児童養護施設損賠訴訟>

 東京都国立市内の児童養護施設で暮らしていた埼玉県の男性(27)が、児童指導員(当時)から暴行を受けて左手に障害を負ったとして、施設を運営する「生長の家社会事業団」と元指導員に約7500万円の損害賠償を求めた訴訟が東京地裁八王子支部(松嶋敏明裁判長)で和解していたことが分かった。
事業団と元指導員が責任を一部認め、連帯して損害金を男性に支払う内容。損害金は1000万円を超える額とみられる。

 関係者によると、和解は今年1月に成立。
施設内虐待での後遺症が残ったことに対し、施設側が損害賠償する義務があることを認めるとともに、施設に再発防止に努めることを厳しく求めた内容になっている。

 男性は10歳だった87年7月に「生長の家神の国寮」で給食費が紛失した際に指導員に呼び出され、無実を訴えたが約5時間にわたり暴行されたと主張。
左ひじと左手首を骨折し、左手は親指以外の指が曲がった状態で使えなくなったとして01年に提訴した。
男性は96年に3級の障害者手帳の交付を受け、97年に施設を出たが、障害のため定職につけない状態という。

 03年6月、法廷で証言した元指導員は、男性への暴力は否定したが「寮生が言うことを聞かないと、教育的配慮から手を上げた」「(指導員の体罰を禁止する)厚生労働省通達は理想論で、体罰は仕方ないと思っていた」と日ごろ寮生に暴行していたことを認めた。

 男性の弁護団は「施設内虐待の損害金としては前例のない高額。
施設内の処遇の向上を求めていきたい」と評価した。
 生長の家社会事業団は「和解内容は他言できない」とコメントした。【青島顕】

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読売新聞 3月18日

体罰で後遺症の元寮生、児童養護施設と和解

 東京都国立市の児童養護施設に入寮していた埼玉県の男性(27)が、1987年に体罰を受けて後遺症を負ったとして、施設を運営する財団法人「生長の家社会事業団」と元男性指導員に約7500万円の損害賠償を求めていた訴訟が、東京地裁八王子支部(松嶋敏明裁判長)で和解したことが分かった。

 事業団側が責任を一部認め、連帯して損害金を支払う。損害金は数千万円とみられ、男性側の弁護団は「施設内虐待の損害金としては前例のないほど高額」としている。

 訴状によると、1987年7月、当時10歳だった原告の男性は、国立市の「生長の家神の国寮」寮内で、金銭が紛失した際に犯人と決めつけられ、元男性指導員やほかの寮生らに暴行され、左手の指などに後遺症を負った。2001年4月に提訴した。

 関係者によると、和解協議は04年12月中旬、同支部で開かれ、
<1>暴行による後遺症に対し、事業団側が損害賠償する義務を認める
<2>施設での再発防止に努める
――などの点で合意した。

 裁判で、事業団側は「指導員のすきをついて、ほかの寮生が原告をけり飛ばしたため、指導員が急いで引き留めた」と主張、「後遺症も治療を受けた病院でギプスを締め付けすぎた医療ミスによるもの」と、全面的に争っていた。

 男性側の代理人は、「見舞金ではなく、施設側が損害賠償義務を認めた損害金を支払うことで合意した」と和解内容を評価。
事業団は、「被害者救済の見地から和解に応じることにした」としている。

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蔵出し「生長の家について」第三回


谷口清超先生の御冥福をお祈りする
生長の家は、小生が中學校一年生の時(昭和三十四年)、谷口雅春先生の『生命の實相』を読んで感激してから、高校時代そして大學卒業まで熱心に活動した教団である。

生長の家第二代総裁の谷口清超先生が昨年十月二十八日、老衰のため東京都内の自宅で逝去された。
八十九歳であった。
小生の母と同年であられた。

小生は、清超先生の講演・講義を度々聞く機會があった。
機関誌に発表された文章や著書も読んだ。
また私個人の事で心配して頂いたり、指導もして頂いた。
清超先生の著書では『基督 ―イエスの神秘的生涯とその解説』に最も感銘した。
心よりご冥福をお祈りする。

清超先生は、婿養子であり、二代目を継承する人として、谷口雅春先生のご存命中は副総裁の立場で、信徒を指導されてゐた。
私はそれほど身近に接したわけではないが、ご性格としては地味な方であったと思ふ。
談論風発、意気盛んといふ方ではなかった。
絶叫調の講演をされることは絶対になかった。
それは谷口雅春先生も同じであった。
教義を静かに諄々と説かれた。

先帝・昭和天皇さまが御不例の時、清超先生と恵美子夫人(雅春先生の息女)が、皇居二重橋前でご快癒を祈る姿をテレビニュースで見た記憶がある。

今の生長の家は、清超先生の長男の谷口雅宣氏が副総裁として教団を率いてゐる。(この三月に第三代総裁に就任するといふ)
ところが

■雅宣氏が、

谷口雅春先生が

國體論、
大東亜戦争論、
愛國思想

を説いた書籍を事實上絶版にしたこと、

■雅宣氏以外の雅春先生のお孫さんやその配偶者が生長の家の組織から排除されたり教団から離脱してゐること、

■雅宣氏自身の言動・教団運営方針などに対して、批判が起ってゐる。

宗教教団には内紛はつきものであるが、生長の家だけは、雅春先生ご存命中には内紛はなかった。
しかし、近年、雅宣副総裁に対する批判が高まってゐる。

前述した如く、雅宣氏の意に反する人々は、たとへ兄弟であらうと、功労者であらうと、教団から追放されるか自ら出て行ってゐる。

教団の教祖が亡くなった後、幹部間・親族間で内輪揉めが起るのはよくあることであり、生長の家も例外ではなかったといふことだらう。


創始者・谷口雅春先生は、信徒から見れば事實上「生き神」であり、雅春先生をはじめとした谷口家の人々は「お山様」といはれ、言はゞ「神聖家族」として崇められてゐた。

生長の家本部には「お山様ご専用」といふトイレまであった。

ところが、その所謂「神聖家族」が、

■生長の家の根本的経典『生命の實相』第一巻の巻頭にある

■『大調和の神示』の

■「天地一切のものと和解せよ」

■「汝の兄弟と和せよ」

といふ教へを實行できないでのある。


■雅宣氏は、「法燈継承者」とされる以上、他の誰よりも生長の家の教義を守り、その實践者であるべきである。

■ところが、自分の實の兄弟・親族と「和解」「調和」「赦し合ひ」「拝み合ひ」が出来ないのは困ったことである。




生長の家の運動が 「愛國運動ではない」 とするのは谷口雅春先生の意志に背くことになる

今日の生長の家の問題は、

■@谷口雅宣氏の意向により、創始者である谷口雅春先生の

・日本國體論
・日本神話論
・日本國の世界的使命
・日本精神論
・大東亜戦争観

などが書かれた著書が、事實上の絶版となってゐること。

■A谷口雅宣氏が
「生長の家は愛國運動ではない。國家主義を信奉しているわけではない」
と宣言して、生長の家が展開してきた「天皇國日本實相顕現運動」が行はれなくなり、真正保守運動の中核組織としての活動を停止してゐること、

の二点である。

小生が生長の家高校生連盟で活動してゐた頃よく歌った谷口雅春先生作詞の『生長の家高校生連盟の歌』には、

「愛國の情を父に受け、人類愛を母に受け、光明思想を師に學び」とある。

谷口家の人々が神聖家族として崇められてゐたと言っても、清超先生のお子さんたちは一般信者と一緒に組織活動に参加してゐたので、この歌は、雅宣氏も歌ったであらう。

雅春先生が「愛國心」「祖國愛」を非常に大切にしてをられた事は確かである。

この歌詞を読む限り、人類愛よりも光明思想よりも大切だと考へてをられたやうに解することもできる。

私は、生長の家の宗教運動が、そのまま愛國運動であると思ってゐた。

谷口雅春先生の代表的な愛國思想の著書の名前は

『限りなく日本を愛す』である。

谷口清超先生が雅春先生の御葬儀で言はれたやうに、谷口雅春先生が空前絶後の愛國者であられたことは紛れもない事實である。

■生長の家が愛國運動ではないとするのは、谷口雅春先生の意志に背くことになると考へる。

生長の家は宗教団体であるから、信仰的・信仰的基盤に立った愛國運動であることは言ふまでもない。

「國家主義」といふ言葉の定義も色々あるやうだが、谷口雅春先生が「國家主義」といふ言葉を講演や論文で使はれたことはないと思ふ。
生長の家の人類光明化とは、天皇信仰・真理國家日本の實相を恢弘することによつて世界の永遠平和を實現することである。

生長の家でいふ「國家」すなはち雅春先生の説かれる「國家」とは、単に、「領土・主権・國民を三要素とする統治組織をもつ政治的共同体機構」といふことではない。

『久遠天上理想國實現の神示』(昭和七年五月二十七日)には、

■「實相世界では既にひとつの極身(きみ)に統一せられて、常楽の浄土となってゐるのである。
…久遠皇統連綿と云ふことは偶然になることではない。
形の世界が心の世界の影であることが解り、實相世界が久遠常住の世界であると云ふことが判れば久遠皇統連綿と云ふことは實相世界の久遠常住性が最も迷ひの念なしに形に顕れたのが日本國だと云ふことが解るのである。」

■「…今の世界で實相世界の常住性を形に顕(うつ)し出してゐるのはたゞ日本の國ばかりである。
生滅常なき現實世界が変じて久遠實相世界の常住性を顕現するには、常住性ある國がひろがりて常住性なき國を包みて、十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界としなければならぬのである。
十六菊と云ふのは光が十六方位にひろがりて、十六方位の國ことごとくを中心に統一せることを象徴(かたちど)ったものである。」

この『神示』には、日本國は世界の手本となるべき理想國家であり、日本天皇の皇統連綿性が世界の中心たるの御資格・御使命を有したまふと説かれてゐる。
ただしそれは「権力國家としての日本」の主権や領土の拡大ではない。
理念の日本・實相の日本つまり「久遠天上理想國・日本」の世界的顕現である。
天皇を祭祀主とする理想的世界國家の實現である。

谷口雅春先生の天皇信仰の特質は、天皇は日本民族・日本國家の祭祀主・統治者であらせられるだけでなく、世界の統合の象徴・世界連邦の中心者として天皇を仰ぐところにある。

日本天皇は、常に自分を無にして神と合一する行事である祭祀を行はれ、仁慈の大御心で國家・國民の平和と幸福を祈られてゐる。
谷口雅春先生はそれを端的に「天皇之大慈悲心是國體」と喝破された。
神と合一された天皇は、天津神の地上における顕現即ち現御神であらせられる。
世界人類が天皇の神聖なる大御心に帰一し奉る時に世界永久平和が實現する。

天皇中心帰一の理想の姿を地上に正しく實現することが、日本建國の大精神であり、生長の家の人類光明化運動の目的なのである。
生長の家の人類光明化とは、天皇信仰・真理國家日本の實相を恢弘することによつて世界の永遠平和を實現することである。
生長の家の教への根本である天皇信仰・大日本真理國家論を度外視したら、真の人類光明化運動にはならない。
「久遠天上理想國」を地上に持ち来たす運動、天皇國日本の實相を顕現する運動を實践する宗教が生長の家である。

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「法脈」の継承に関する小生の質問に対する谷口雅春先生のお答へ

宗教団体の後継者が、後継者独自の教義を説き始めるといふことは、よくあることである。
仏教・キリスト教・イスラム教は教祖の説いた経典を大切にしてゐる。
しかし、その解釈で、大変な争ひ・対立が起り、分裂抗争が起ってゐる。

生長の家もさうした歴史が繰り返されてゐるといふことであらうか。
生長の家では最近、「法燈の継承」といふことが、強調されてゐるやうである。
その是非は別として生長の家が世襲制であることは前々から決まってゐたことである。

谷口雅春先生は『日本の危機を救うもの』といふ著書(昭和三十七年十二月一日生長の家本部発行)で、次のやうに論じてをられる。

「最近、生長の家の青年部の實相研鑚會があったとき、四宮君といふ熱心な青年學徒が、創価學會機關誌編輯係の一人だといふSとかいふ或る男を逆折伏に出掛けて往って色色議論をして來たといふのである。
その熱心さには頭がさがった。
…創価學會のS君が生長の家についての攻撃の矢を向けた問題として傳へたところは、
『生長の家は総裁が世襲になってゐるから邪教である。
創価學會は會長は選擧によるのであって、最も適する人が選ばれる。これが正しい教團のあり方である。
釋尊も決して、その教への後繼者(あつつぎ)を自分の子とせずに、最も教へを理解し得たものを法嗣者(はふししゃ)としたのである。
この釋尊の嗣法の仕方と異なるから生長の家は邪教である。』
といふのですが、これはどのやうに答へるべきですか──といふのであった。
私は決して釋尊は完成した宗教を説いてゐない。
…生長の家は釋尊の教へよりも一歩も數歩も進出してゐるものであって、釋尊の通りでないから邪教だといふ理由は成り立たない。
既に釈尊の世は去って彌勒如来の世に移らうとしつゝあるのである。
釈尊の教と異なるところに未完成の佛教の完成があるのである。


…『秘められたる神示』の中にも

久遠皇統連綿としてつゞくのは、實相世界の常住不滅の姿が現象世界に影を映すのであって實相世界の御心の天になる状態記号≠ェ現象世界に影を映すと、さうなるのである。
實相久遠常住の生命が現象世界に歪みなく影を映すやうになれば、各人の家系も連綿として一系に續くやうになるのである』


といふ意味が示されてゐるのであって、國家でも家庭でも團體でも、連綿としてその主宰者が一系に續かないのは、迷ひによって、常住一貫の姿がゆがめられてゐて、そのために國家では、王や大統領や國家首席などの交替が始終行はれてゐるのである。

釋尊の如く一系の血統(ちすぢ)に法燈がつがれないのは、一系の血統に生まれた者の迷ひ深くして法燈をつぐ資格がなかったからであって、決してそれは稱(ほ)めるべき出來事でも、眞似るべき出來事でもない。

■…實相の完全な姿が現實世界にうつれば、教組の教へが歪みなく教祖の血統につたはり、血脈法脈一體となりそのやうな見苦しい權力争奪戰がなくなるのである。

そのやうに實相世界の久遠終始一貫の常住性が生長の家には現象界に歪みなく影を映すやうになってゐるから、法脈は血脈と共に一貫して傳へられることになってゐるので、それが傳はらないやうになって選擧などで司配權力の奪ひ合ひが行はれるやうになってゐる方が、寧ろ邪まに歪んで『迷ひ』が深いのである

──このやうに説明したら、列席の皆皆、悟りを深めて、日本國の皇統連綿の事實を讚歎する目が一層明らかにひらかれることになったのであった。」

と書いてをられる。
ここに登場する「四宮君」とは小生のことである。
昭和三十七年のことであるから、小生はまだ高校一年生であった。
「世襲制」については小生自身の疑問でもあった。

その頃は、谷口雅春先生のお答に納得したが、今この文章を読み返してみて、生長の家といふ宗教団体の「法燈の継承」「法脈の継承」を、皇位の継承といふ、日本國體・上御一人に関はることと同列に論じてゐることに疑問を持つ。

小生は、皇位継承を、宗教団体の後継者決定と皇位継承を同列に論じることはまことに畏れ多いと考へる。

また、谷口雅春先生のこの論議を敷衍すれば、谷口雅春先生は、「男系による皇位継承でなければ皇統は断絶する」とは考へてをられなかったといふことになる。
それどころか、先帝の皇女が皇后となられれば、その婿が皇位についても、皇統は継承されると考へてゐたと類推することも可能である。
何故なら、第二代総裁であられた谷口清超先生は婿養子であるからである。
しかし、雅春先生はそこまでは考へてをられなかったと信ずる。

谷口雅春先生は、教団内で権力の争奪戦が起らず法燈が歪みなく継承されるためには、一系の血統・家系によって法燈・法脈が傳へられるべきであるとされてゐる。
そして二代目の総裁には、娘婿の谷口清超師が就任し、三代目の総裁には雅宣氏が就任することになってゐる。
■しかし、今日、谷口雅春先生を宗教上の師と仰ぐ多くの人々から、雅宣氏が、雅春先生の意志に反することを説いてゐるといふ批判が起ってゐる。

宗教教団の後継者の決定方法は、色々あるであらうが、世界宗教となってゐる仏教・キリスト教は、その中心者・後継者は世襲ではない。
ローマ-カトリック教會の最高位の聖職者たるローマ法王(教皇)は、十二弟子の筆頭とされる使徒ペテロの後継者としての資格で全教會を統率してゐるといふ。
教皇は枢機卿の互選により選出される。

仏教は、釈尊の十大弟子の筆頭とされる摩訶迦葉が、釈尊入滅後その教団を統率したとされる。

生長の家も、教祖の一番弟子が後継者であるとしてゐたら、谷口輝子夫人が後継者となったであらう。
といふのは、輝子夫人自ら「私は谷口雅春先生の第一の弟子」と言はれていたからである。

生長の家のみならず日本國内の新宗教教団には世襲制の教団が多い。
そして世襲制の教団に内紛が起こらないかといふと決してさうではない。
親族間・幹部間の争ひが起った教団は多い。

小生が高校生だった昭和三十七年当時は、創価學會の第三代會長に池田大作氏が就任した直後である。
近所の創価學會員が私宅に『聖教新聞』と『大白蓮華』といふ機関紙誌を贈呈してくれてゐたので、小生はよく読んだ。

当時の創価學會は、他の宗教団体の世襲制を強く批判してゐた。
日蓮の後継者が、日蓮に「常随給仕」してゐたされる日興であった如く、牧口常三郎初代會長の後継者が牧口氏と共に入獄し最もよく仕へた戸田城聖氏であった如く、戸田氏の後継者も、戸田氏に最もよく仕へたとする池田大作氏であると強調されてゐた。
要するに一番弟子が後継者となるといふことである。
世襲制ではない創価學會はその後、會員数も伸び発展したことは事實である。

当時の創価學會は世襲など全く感じられず、會長の家族を特別視することはなかった。
戸田前会長の幾子未亡人、池田香峯子池田新会長夫人が表に出ることは全くなく、陰の人であった。
今は、池田香峯子夫人が「奥様」と呼ばれ、特別視され、創価學會も世襲制になるのではないかとさへ噂されてゐる。

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谷口雅宣氏の『ブログ』を読んで思ふ

旧臘二十八日の谷口雅宣氏のブログに次のやうなことが書かれてゐた。
小生が今号でこの文章を書いてゐるのも、雅宣氏のこの文章に触発されたからである。

「2008年12月25日

私は青山學院高等部の出版部に所属していて、『日本國憲法無効論』などで論陣を張っていた。
私は当時、生高連(生長の家高校生連盟)にも参加していて、そこの東京の機関誌に文章を書いたりもした。」

「青山學院に限って言えば、ここでは神學部の學生を中心とした反安保の左側≠フ運動が盛んだったが、そこへ生長の家の學生による民族派≠フ反対運動が起こったことで、厳しい學内対立になったようである。

…姉2人が青山學院に籍を置いていた関係もあり、高校と同じ敷地内にある大學には出入りすることも多く、私は實際にそこへ行って写真を何枚も撮っている。
その写真のうち2枚をここに掲げる。
1枚は、青學大構内で集會をする安保反対の學生運動参加者たちだ。
ヘルメットをかぶった學生のアジ演説を聴いている。」

「もう1枚は、大學の建物の柱に書かれた落書きの写真だ。『落書き』ではあるが、内容はかなり脅し≠ノ近い。
文字が一部光っていて読みにくいが、『青學大に巣食う 右翼肉体派 ○○○○ 谷口一家(生長の家天皇万才派 谷口雅春の孫)』と書いてある。

實際には固有名詞がきちんと書かれているが、ご本人の名誉のために写真ではボカした。
このほかにも『天皇万才派 ○○○○の早セ田大學右翼と結びついた暴力を許さないぞ』
『右翼 ○○○○ 谷口(生長の家)一派を殺せ』などという物騒なものもあった。

これらの伏せ字の所には、当時の青學大の生長の家學生會の代表者の名前が入っていた。

…私は、こういう騒然とした雰囲気の中で高校から大學へ進學したのである。」

谷口雅宣氏が、青山學院大學に進學した時の状況は危険はまりないものであったことが分かる。
かうした學生時代の体験や、その後のアメリカ留學が雅宣氏に大きな精神的信仰的影響を与へたと思はれる。

生長の家の古くからの信徒で、母上が生長の家婦人部(白鳩)會の幹部であり、谷口家と深い関はりがあったと言はれる方の話を聞く機會があった。
その方は大要次のやうに述べられた。

●「私がお山(渋谷区神宮前の谷口雅春先生の自宅)を訪ねた時、谷口先生が顔を赤くして出て来られた。
谷口先生が顔を赤くされるのは、お酒を飲まれた時か、怒ってをられる時なので、めったにお酒を飲まれない谷口先生が昼間からお酒を飲まれることはあり得ないから、何か怒ってをられるに違ひないと思った私は、早々にお暇しやうとしたら、谷口先生は『話したいことがあるから上げりなさい』といはれ、応接間に通された。
谷口先生は、『私は雅宣に皇學館大學に行かせたいと思ってゐるのだが、清超は青山學院大學に進學させたいと言って反対する。君はどう思うか。』と言はれた。

この方は、この話を涙をこぼされながら、私に語った。
これが事實とすれば、谷口雅春先生は、雅宣氏を皇學館大學に進學させて、神道と國史を學んでもらいたかったのである。
雅宣氏が雅春先生のご意志通りに、皇學館大學に進學してゐたら、雅宣氏そして生長の家のその後のあり方も違ったものになってゐたであらう。

それは谷口雅宣氏自身が、昨年十二月十七日に行はれた『故 生長の家総裁谷口清超先生追善供養祭』における「偲ぶ言葉」で

父である清超先生から『三代目にならなくてはいけない』と言われたことは一度もないのであります。
學校も自由の精神を尊重する青山學院へ入れてもらい、そこの大學を出てから鞄本教文社へ入りましたが、3年足らずでやめてしまい、アメリカへ留學しました。
これは勿論、父が賛成してくれたからです。
コロンビア大學という、これまた自由を尊重するリベラルな私立の大學の大學院へ入りましたから、學費も生活費も多くかかりました。
それを父が快く出してくれたことで、私は日本國内では得られないであろう数々の貴重な経験をすることができました。
そして、そのことが、今日の生長の家の運動を進める上で大いに役立っている−−というより、もっと正確に言えば、それらの経験がなければ、今日の生長の家は『國際平和信仰運動』とは別の方向に進んでいたに違いない
のであります。」

と述べてゐることによって明らかである。

「自由」はもちろん大切である。
しかし、雅宣氏が、自分の人生体験や雅宣氏が感じている時代感覚から、生長の家の「愛國運動」「天皇信仰」を否定とはいはないまでも、表面に出さなくなってゐることは、まことに残念である、

谷口雅春先生の意志を蔑ろにするものだと思ふ。

法燈の継承者にはそれなりの「自由」の制限があると思ふ。
といふよりも、生長の家の幹部や信徒が愛國運動を行ふのもまた自由なのであり、創始者の意志を継承することなのである。
そのことを雅宣氏にはよくよく理解したもらひたい。

谷口雅春先生はその愛國精神・日本國體への限りない愛によって、混迷する祖國日本そして全世界現代を救ほうとされたのである。
日本國體精神・日本傳統信仰を広く世界に恢弘することが真の「世界平和」を持ち来たすことである。

日本肇國の精神こそが「世界平和信仰」である。
小生は「國際」といふ言葉よりも「世界」といふ言葉の方が好きである。
谷口雅春先生も常に「世界平和光明思念」「世界聖典普及協會」といふやうに「世界」といふ言葉を使はれた。

宗教といふものは本来、人々に安穏・平和・喜びをもたらすものであるはずである。
ところが、宗教が闘争・戦争の原因となるといふことが問題なのである。
歴史上の戦争・紛争そして今日唯今起ってゐる戦争・紛争の原因が宗教対立にある。
宗教上の対立における憎悪は尋常ではない。
しかし、これは人類の歴史で繰り返されてきたことなのである。

■「天地一切のものと和解せよ」
■「汝の兄弟と和せよ」

を根本教義とする生長の家においても、同じやうな歴史が繰り返されることは何とも悲しいことである。

「一切の自己の責任とする神の子の自覚に超入しよう」     (※← 裁判で解決しようとするその方向性が既におかしい。)

といふのが、谷口雅春先生の教へであるのだから、やはり、その責任の多くは、法燈の継承者とされる谷口雅宣氏が負ふべきものであると考へる。

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日時:2011年06月29日 (水) 00時20分

週刊実話(05.08.18)

骨肉の争い! 巨大教団

「分裂」「お家騒動」の内幕

<生長の家>

 生長の家の「内紛」は、創設者谷口雅春の信念とした愛国的国家観・歴史観と
谷口の孫で現副総裁の谷口雅宣の歴史解釈の相違に起因するものと目されている。

祖父と孫との明らかな歴史観の違いは、たとえば今次大戦をめぐる解釈などに象徴されているようだ。

 戦前、戦後を通じた超ベストセラー『生命の実相』の著者として教団の枠を超え広く名の知れている谷口雅春が、戦後最も力を注いだのは日本国の「実相顕現運動」であった。

これは日本の神典に明示され、祖先を通じて代々受け継がれてきた日本人の歴史的、民族的信念でもある。

皇室を中心とする日本国家の「実相」が、たとえば仏教の「蓮華蔵世界」(浄土)とも、キリスト教の「み心の天になる世界」(天国)とも本質的には一致するという谷口雅春の深い宗教的信念に由来するものだった。

そのため生長の家は教団をあげて「憲法改正」「教育の正常化」「元号の法制化」などを精力的に推進してきた。

そのため、この教団はかって左翼勢力、進歩的文化人、一部マスコミから反動的「右翼教団」との悪罵を投げかけられてきた。

しかしながら谷口の説いた日本国の実相顕現運動とは、一見単なる保守的政治運動の様相を呈しつつも、その本質においては政治的次元のいわゆる愛国運動をはるかに超越し、かつまたそれらとは明らかに一線を画す日本古来の深遠なる神典の現代的解釈に根ざした「理想世界建設の祈り」であり、行でもあった。
これは谷口の著書を通読すれば容易に理解できる。

 教団関係者によれば、谷口はこうした歴史的視座から今次大戦を「『大東亜戦争』の名で呼び、聖戦とは言わぬまでも、あの戦いを西欧列強のアジア侵略に対する日本の不可避の戦争と見なし、その防衛的側面を肯定していた」という。

 ところが谷口雅宣副総裁は、あの戦いを

■「侵略戦争」と呼び、その防衛的側面すら否定しているのだという。

のみならず

■祖父谷口雅春の遺した一部著書や、日本教文社(教団出版社)発行の書籍の一部を発行停止にしたとも伝えられる。

 もちろん宗教家といえどもどのような歴史観を持とうが、政治的思想を抱こうが自由であることは言うまでもない。

雅宣副総裁の戦争解釈にしても現代日本人のほぼ平均的な見方であり、他の教団であれば信者間の話題にのぼることすらないであろう。

しかしこと生長の家にとって、この問題はにわかに重要性を帯びてくるのである。

というのも谷口雅春の遺した教えと日本国の実相、いわば「国体」とは密接不可分の関係で結ばれているからである。

ことに生長の家の中年以降の男性信者には谷口雅春の教えは言うまでもなく教団の愛国的側面や日本主義的主張に共鳴して入信した人たちが多くいるという。

そうした信者にとって雅宣副総裁の歴史観は由々しき問題として受止められるのも無理からぬところと言えるだろう。

 雅宣副総裁は、谷口雅春の一子、恵美子と婿養子谷口(旧姓、荒地)清超現総裁の二男として生れた。

青山学院大学法学部を卒業後、米コロンビア大の大学院で国際関係を学び帰国後、産経新聞に入社、政治部に席を置いた。

同社退社後、教団職員となる。
この間、昭和60年に初代総裁谷口雅春が死去。
父清超の第2代総裁就任に即応して副総裁となり、平成11年には総裁代行をも兼任している。

 目下、教団内には雅宣副総裁に根強く反発する勢力もあり、一部には教団を離れる信者もあるという。
こうした教団の軋轢は、谷口家にもはね返り、雅宣副総裁の兄弟間で深刻な対立、葛藤が続いている。
教団の関係者からはこんな話も聞えてくる。

 「雅宣さんの姉、宮澤寿美さんは信徒の宮澤潔氏と結婚、潔氏は教団幹部として主に教団の海外拠点で布教活動に当り現地での教団拡大に貢献したと評価されています。
ところが雅宣さんとの確執から平成14年に教団役員を辞任しているんです。

また雅宣さんは実弟の貴康氏とも対立しています。
貴康さんは一時は教団理事の職にありましたが解任されたうえ、東京から長崎の総本山職員に飛ばされてしまいました。
雅宣さんは5人兄弟の二男で

■長男の雅教さんが夭逝した

ため副総裁の地位に就くことができたのですが、残念なことに兄弟関係はもうバラバラになっているようです」

 歴史観をめぐる相克が兄弟の対立まで影響を及したのか否かは不明だが、生長の家は今大きな岐路に立っていることだけは疑いの余地がない。


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生長の家“本流宣言”掲示板



注意事項

本掲示番をご覧いただきありがとうございます。
本掲示板は明確な目的を持って設立された掲示板であるため、下記、「生長の家本
流宣言掲示板の宣言」「生長の家本流宣言掲示板の規約」をよくご覧になり、承諾された
のちに本掲示板の趣旨に従って御投稿下さい。

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生長の家に居座る “マサノブ教の教祖”..その実態は? (154)
日時:2011年03月26日 (土) 23時25分
名前:大阪の人

<傲慢・不遜>

『歴史から何を学ぶか』

「キリスト教や仏教では口伝や聞き書きが主で、教祖自身による記録が現在残っていないから、いろいろな問題が起こる余地があることは皆さんご存じだと思います。
しかしその反面、教祖が書かれた文書が数多く残っているということが、逆に問題を惹起することがある」

「そういう『文字の表面に表れていない要素』を正しく読み取らないと、我々は大混乱します。これは私が保証します」

「私が今、心の中で言おうとしていることが、「声帯」という肉体の器官を使わずに、すべて以心伝心で皆さんに伝わるならば、講話などする必要は何もない」

「言葉が現象であるならば、我々の運動は当然現象です」

「現象の運動というものは、つまづいたり倒れたりするのが当たり前です。
日本が戦争に負けたのもそうである。
だから、(雅春)先生がいろいろな所──本や月刊誌、講演などで説かれている様々な方策というものも、必ず全てがうまくいったのではない。
我々はそのことを認めなければいけないでしょう。
そして、そこから私たちは学ぶのです。
学ばないと意味がない。
単に私たちの信仰が足りなかったとか、人の数が足りなかったとかいうのでは、理解が足りません。
それは本当の原因じゃなくて、それはむしろ結果なのです」

「そういう真剣な反省や分析がなかなか今までできなかった。
ですから、それを今日をきっかけにしてどんどんやっていきたい。
今まで、なぜか知らないけれどタブーだった色々のことにも挑戦すべきです」

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・常日頃“日時計主義”を称えている マサノブ教の教祖 は、こと “雅春尊師の足跡” については、その<良い面>ではなく、「出来なかったことや失敗したこと」をどんどん洗い出そうと言うのであります。

・「声帯」から発する言葉は現象であるから、「我々の運動は当然現象です」と述べています。

・また、「雅春尊師の書かれた文書が数多く残っているということが、逆に問題を惹起することがある」と述べ、そして、「その文書の『文字の表面に表れていない要素』を正しく読み取らないと、我々は大混乱します。これは私が保証します」とも述べています。

・如何でしょうか。「文字の表面に表れていない要素」を正しく読み取れないのがマサノブ教祖ご自身であり、「我々は大混乱します。これは私が保証します」とマサノブ教祖ご自身が <大混乱> していることを認めているのです!!

・ご自分が大混乱していながら、“雅春尊師”を断罪しようというのです。これを<不遜>と言わすにどう言えばいいのでしょうか。

・宗教組織のリーダーとしての、カリスマ性や能力もないのに、出来ないことをやろうとするから、そこに問題が発生するのです。

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<開き直り>

「小閑雑感」 2009年2月22日  『目覚むる心地』について

 まもなく訪れる生長の家の春季記念日には、私が生長の家総裁の法燈を継承する祭祀が行われるが、この日を記念して出版される随筆集『目覚むる心地』(=写真、生長の家刊)が手元に届いた。
この本には、私が本欄で書き継いできた文章の中から、私生活や家庭・家族に関するような“私的”なものばかりを集めてある。
古いものは2001年1月、新しいものは昨年の12月まで、8年間に書いたものが全部で66篇収録されている。

 宗教家がある教団組織の責任者になる時に、自分の私生活を公表するということを奇異に感じる読者がいるかもしれない。
しかし、私は本欄などですでに私生活は公表しているし、この際、何か気取った本を出すよりも、「こんな人間ですが、よろしくお願いします」という気持で、皆さんにご挨拶したいのである。
もし読者がこの本を読んで、「何だ、こんな人間が指導する宗教はツマラナイ」とおっしゃるなら、残念ではあるが仕方がない。
私は、自分を隠して表面だけを繕い、人さまに立派なことを言おうとは思わない。
それは、どこかの政治家がやっていることで、宗教家のすべきことではない。
そんな考えで、皆さんの前に立つ気持である。
叱咤鞭撻があればありがたくお受けし、自らの向上に努める所存である。



・「もし読者がこの本を読んで、「何だ、こんな人間が指導する宗教はツマラナイ」とおっしゃるなら、残念ではあるが仕方がない」

・マサノブ教祖の「今の教え」に反対する人達が多数出てきたのを意識しての上で、仝上のように、「残念ではあるが仕方がない」と開き直っているのであります。

・“法燈の継承”といっても、これ自体マサノブ教祖ご自身の「自作自演」だとの見方が有力だと思われます。

・正式に“法燈継承”されていないからこそ、平成15年度の「生長の家教習会」にて他の先生方の力を借りてまで大々的に一席打たなければ済まなかったのであります。

・また講師試験には、必ず“法燈継承”が出題されるとも聞いております。

・「私(マサノブ教祖)は、自分を隠して表面だけを繕い、人さまに立派なことを言おうとは思わない。
それは、どこかの政治家がやっていることで、宗教家のすべきことではない。
そんな考えで、皆さんの前に立つ気持である。
叱咤鞭撻があればありがたくお受けし、自らの向上に努める所存である」

・仝上文は「叱咤鞭撻があれば、激怒してその人間を“左遷”し、“退職”へ追い込むよう努める所存である」..と聞こえてくるのですが、私だけでしょうか。

・マサノブ教祖の“ご兄弟”達が、生長の家から追い出されたことをみても、そう考えるのが妥当だと思われます。

・“大調和の神示”を、うわのそらで唱えているマサノブ教祖は、<宗教家>と呼ぶに値しないのではあるまいか。

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<逃げへの道>

「小閑雑感」 2011年3月22日 “森の3人組”に期待する...コメント

合掌
総裁雅宣先生には常に最新の情報をお知らせいただき、私達を御指導下さいますこと、心より感謝申し上げます。
今回の東日本震災に関しましても身近な所から大きな視野に立っての考え方を御指導いただき、誠にありがとうございます。
かつてない大きな震災の中で私達一人ひとりの心は揺れ動き、色々な思いが交叉する毎日でございます。
五日前のことですが、ある白鳩会員さん(講師でもありますが)から下記のような文章が届きました。
この方は以前から総裁御夫妻のファンでした。
そんな方がこのような心になられるほど、この震災の傷は大きいのだと感じました。
ただただ全ての人に物に事に礼拝するのみかと思う毎日でございます。(橋本久美子拝)

今回の震災で何人もの仕事仲間が被災しました。
直後より海外の仕事仲間から安否確認のメール、お見舞い、励ましのメールが入りました。
高校生の娘は宗教系の学校に通っていますが、震災の翌日の午前中に連絡があり「被災された方々のためのお祈りを今日から時間を決めて行います。」とのことで、娘もすすんで参加しました。
この震災に対して総裁先生はどんなメッセージを私達に出して下さるのだろうかとブログを開いて愕然としました。

投稿: 橋本久美子 | 2011年3月23日 19:34


橋本さん、

 この方が「愕然とした」理由は、わからないのですか? 

投稿: 谷口 | 2011年3月23日 22:34


申し訳ありません。続きが途切れていました。

(続き)
形式的な言葉が冒頭にあるだけであとは延々自分のことばかり。
早く仕事を切り上げたので帰宅難民にならずにすんだ。
職員は帰宅難民になったようだってまるで他人事。
信じられません。

純子先生にいたっては、呑気に相変わらずお料理の写真をブログに載せて。
あきれて言葉も出ません。

いくら日時計主義と言っても、今、現に大勢の人達が被災し、友人、知人、親戚の安否を心配している人達に何の配慮も思いやりも感じられないこのブログをみて、私は退会を決意しました。
お世話になった地元の誌友の皆さんには本当に申し訳なく思っておりますが、こういう代表者のもとでは、私は、やっていけません。

以上です。

投稿: 橋本久美子 | 2011年3月24日 10:47


橋本さん、

 理由が、抜けていたのですね。
 でも、続きを読んでもまだ抜けているように感じます。
残念ですが、この方は誤解されているようです。


投稿: 谷口 | 2011年3月24日 17:01

・「残念ですが、この方は誤解されているようです」

・この言葉こそが、マサノブ教祖が回答に窮した時に発する <最後通達> なのであります。

・本来ならば、この“誤解されている内容”を具体的に説明していただかないと、話になりません。

・はっきり言って、これは<逃げ>であって、それ以外考えられません。


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講習会の参加者数へのこだわり (289)
日時:2011年03月30日 (水) 09時05分
名前:大阪の人

<数字への異常な執着>

2011年3月27日
香川教区の“ど根性”

 今日は抜けるような青空の下、香川県高松市のサンメッセ香川をメイン会場とし、小豆島のサン・オリーブをサブ会場として、香川教区での生長の家講習会が開催された。今回は久々に小豆島に会場を設けて、幹部・会員が熱心に推進したことなどにより、前回より360人(6.8%)多い5,670人の受講者が集まってくださった。
組織別でも白鳩会、相愛会、青年会のいずれも前回を上回るよい結果となった。
渡辺浩行・教化部長を初めとした教区幹部の皆々さまの献身的な努力(ど根性?)に心から感謝申し上げます。


2011年3月 13日 (滋賀教区の講習会については記載ナシ)


2011年3月 6日 “無言の戒律”

 今日は東京第一教区での生長の家講習会が行われ、有楽町駅前の東京国際フォーラムをメイン会場として、明治神宮会館、大田区産業プラザの3会場に合計8,318人の受講者が集まってくださった。
前回より受講者数は808人(8.8%)減ったが、午前中の出足は前回並みだったという。
同教区では、運動の主力である白鳩会で、推進途中で役員交代があるなどのイレギュラーがあったものの、“熟年層”を含めた多くの幹部・信徒の皆さんが一丸となり、熱心な活動を展開してくださったことに、心から感謝申し上げます。



・以前から言われておりますが、マサノブ教祖の “講習会の参加者数” に対する執着は相当なものであります。

・前回より増えた時は、教化部長名まで挙げて褒め称え、悪い時は“小閑雑感(ブログ)”に記載すらいたしません。

・雅春尊師は、各地で講習会をする程に“教勢”を高められました。

・マサノブ教祖は、講習会で各地を回る程に“信徒数の減少”が続いております。

・自らの講話内容に問題があることを認識しているのかどうか知れませんが、その責任を各教区の責任にすり替えるその精神が図りかねます。

・やはり、問題は “マサノブ教祖の資質” にあるようです。

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他人を思い遣る心の欠如 (452)
日時:2011年04月07日 (木) 21時21分
名前:大阪の人

<自己中心・他人への配慮欠如>

“四無量心”を説き、“神の愛”を説いているはずではありますが、マサノブ教の教祖はご自身の実際の生活上においては、<他人を思い遣る心>を欠如しているとしか思えません。

“大地震”が身に迫った時に取られた行動を見てみましょう。 一つは、今回の“東北地震”、もう一つは“新潟県中越地震”です。


<東北地震> 2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震

「1回目の地震が起こった午後3時前、私は東京・原宿の本部会館にある執務室で原稿書きの最中だった。
ゆらゆらと揺れが始まったときは「また地震だな〜」と思ったが、揺れはすぐ止まるとたかをくくっていた。
ところが揺れは収まるどころか次第に大きくなり、棚の上の本や置物が落ち始めたので、私は自分のデスクの下へもぐり込んだ。
階下へ降りるのは手遅れだと思ったからだ。
本部の建物は古くて、今の耐震基準を満たしていない。
だから、もしかしたら崩壊するかもしれないと思った」

「2回目の揺れが来た。
今度は明確な縦揺れだった。
面談の相手と顔を見合わせ、「下へ降りたほうがいい」と合意した。
そして、階段を伝って1階まで降り、隣接する東郷神社のピーターハウスの前で、揺れが収まるのを待った。
そこには、同じように危険を感じて外を出た本部職員が何人もいて、その数はだんだん増えていった」

「いつも落ち着いた態度でニュースを報じているキャスターが、声を震わせていた。
そこに映し出された映像は尋常でなかった。
特に津波の大きさに舌を巻き、早く帰宅しようと決めた。
残った仕事は家でもできるものばかりだったからだ。
こうして帰宅できた私は、幸運だった。
東京の鉄道は地下鉄を含めてすべて止まっていたから、多くの職員が長時間かけて、バスや徒歩を使って帰宅し、あるいは地下鉄などの運行再開を待って帰宅したのだろう」

「私は、7年前に新潟中越地震を長岡駅で経験しているので、揺れに対する恐怖はそれほどではなかった。
あの時は、立っていられないほどの揺れで、駅の床に這いつくばって恐怖に耐えたのだった」


・如何でしょうか? ご自分のことは詳細に述べておりますね。

・マサノブ教の教祖は、「早く帰宅しようと決めた」とサッサと帰宅したのであります。 
そして、「こうして帰宅できた私は、幸運だった」と喜んでいるのであります。

 ・職員の皆様に対する “思い遣り” はどこに表現されているのでしょうか。 
「東京の鉄道は地下鉄を含めてすべて止まっていたから、多くの職員が長時間かけて、バスや徒歩を使って帰宅し、あるいは地下鉄などの運行再開を待って帰宅したのだろう」と全くの他人事であります。

・最も留意すべきは、この時点で “被災の各教化部” に連絡を取り、その詳報をこそ記載すべきであるのではないでしょうか??

・マサノブ教の教祖の性格は、“自己中心”であり、“他人を思い遣る心の欠如している”ことがハッキリと透けて見えるではありませんか。


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<新潟・中越地震> 旅人の被災

 この随想は、谷口雅宣副総裁(当時)がご自身の講習会の為に、新潟の長岡市に前日に訪問したその日に「新潟県中越地震」に遭遇し、その顛末を記したものであります。

東京行の列車の「その席で、私はこの文章を書き始めた」とあります様に、東京へ逃げ帰る列車の中で書かれたものであります。

・一般の会社の「社長」が同じ状態に置かれた場合なら、まずは最寄の工場なり支店なりに直行し、そこで「社員達の安否」や「工場の被災状況」なりを確認し、本社に援助要求の指示をするなりの陣頭指揮をとるでありましょう。

・はたして、雅宣氏は「震災から抜け出す」という課題しか頭になかった様であります。 
どうして最寄の「教化部」へ行かなかったのでしょうか? 
「教化部の被災状況」や、「当地の信徒の現状把握」に思いを馳せることが出来なかったのでしょうか?

・翌朝、「温かい朝食をありがたく頂戴した。腹ごしらえが終れば、いよいよ被災地脱出である」
...まさしく、自分のことだけしか考えていない雅宣氏の人間性であります。

・「問題は、仕事に必須の様々な情報を収めてあるパソコンだった」..と、パソコンの被災状況が一番の心配だった様であります。

・「周りを見回すと、ほとんどすべての人が、立ちながら、あるいは膝をつきながら、同じように携帯電話の液晶ディスブレーをにらんで指先を懸命に動かしている。
携帯電話を持ち歩かない私は、そんなことよりも、身の安全を確保するためにもっと別のことをすべきではないか???と思っていた」...と述べています。

・大地震に遭遇し、いち早く「家族の安否」「家屋の被災状況」等々を確認したい、そんな<被災者の心情>をすら感じることが出来ないのでしょうか? 
宗教的指導者ですよ...

・駅前の広場に避難して集った大勢の人達の多くが「笑顔」を見せていたからと云って、「この日常生活の断絶の時をなぜか楽しんでいるようにも見えた」とはどんな神経の持主なのでありましょうか?

・「これは練成会みたいだね!」..と雅宣氏ご自身が楽しんでいるようです。 まったく、幼児的感覚ではありませんか?

・「私は地震の揺れの合間にも空腹を感じていた。
それは、私の中の純粋に生物学的な要請が、地震を経験しているという心理的なストレスに妨害されなかった証拠だ」...「生物学的な要請」つまりは、<本能>のままに行動するのが素晴しいと教えているのでしょうか?

・翌日の講習会の有無は、「私は、その決断の時間を午後十時半に設定した」..とありますが、もっと早く決断できたのではありませんか? 
会場側の判断を待つ、つまりは「会場の賃貸料」が問題だったのではありませんか?

・「二人の回りには私の秘書を含めて何人も“支援部隊”がいた」とか、「新潟までの陸路は、やはり土地勘のある人がいいということで、地元の幹部の方にお願いした」等々とあります。

・震災に遭遇された地元の信徒さん達が、ご自身の家族のことも顧みず、雅宣氏のお世話をしていたのであります。
この人達に対する<お礼の言葉>が一つもないのは如何なものでしょうか? 
普段は「人の道」を説きながら、実行動においては「感謝」の気持すら表現できないのでしょうか?

・「生長の家の講習会史上初めて、予定されていた講習会が開かれないという事態になった」、そして「こういう稀有の出来事が何を教えているかを正しく知る努力が必要だと思った」

・これこそは、雅宣氏の説く「今の教え」の講習会開催に対する<生長の家の大神>のご叱責でありましょう!! 
「今の教え」は間違っていると知るべきであります。

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原宿教団の“公式ニュース”から見る、“宗教組織”としての素顔?? (506)
日時:2011年04月11日 (月) 02時41分
名前:大阪の人

<ニュースリリース>..... 生長の家、公式ホームページ

2011年4月10日  生長の家東日本大震災救援コミュニティをFacebookに開設

2011年4月7日  「東日本大震災」被災者救援のための支援物資を積んだトラック3台が出発

2011年3月22日  生長の家社会事業団等との訴訟について

2011年3月20日  東日本大震災被災者および福島原発事故避難者の受け入れについて

2011年3月16日  「東日本大震災」被災者支援のため、宗教行および救援募金を実施します

2011年1月9日   アメリカ合衆国伝道本部でISO14001認証を取得

2011年1月7日   3事業所で初めて電気自動車を導入

2010年9月4日   電気自動車と充電施設を5拠点に導入へ

2010年3月24日   「チリ大地震被災者救援募金」にご協力ください!

2010年2月26日   「ハイチ大地震被災者救援募金」にご協力ください!

2010年2月26日   電気自動車の購入に助成金を交付

2010年1月24日   自然と人が共生する国際本部建設へ

2009年3月1日   法燈継承祭により生長の家総裁を襲任

2008年1月9日   生長の家の排出権信託の取得について

2007年7月20日   国内全事業所等66カ所でISO14001の認証を取得

2007年4月1日   ウェブ上の相愛会太陽光発電所が1,000kWを突破!

2007年3月10日   5年後の“炭素ゼロ”を実現する新運動方針を発表

2006年9月1日   「人クローン胚中間とりまとめ」への意見を提出



・現在の生長の家のホームページを拝見すると、「ニュースリリース」として仝上の内容が記載されています。

・崇高なる “宗教組織” としての面影を感じるニュースは、一体どれでありましょうか? 雅春尊師の “実相哲学” に関するニュースは如何でしょうか?

・『法燈継承祭により生長の家総裁を襲任』...は、自作自演の産物でしょうし...

・『生長の家社会事業団等との訴訟について』...に至っては、“敗訴”したというのに勝ち目もない“上告”を強行したと云うのであります。 
信徒の“浄財”を思うままに使ってのことであります。

・マサノブ教では、“唯物的現象論”を基盤とし、マサノブ教祖の現象智から発する“理性”の趣くままに、「社会現象」を只々 評論家的 に論じているだけではないのでしょうか?

・それも、単純な事柄をいたずらにこねくり回し、所々に“生長の家的用語”を駆使して煩雑な文章にするだけのことであります。 
だからこそ、始末に悪いのであります。

・『目覚むる心地』について..において、「叱咤鞭撻があればありがたくお受けし、自らの向上に努める所存である」なんて言っておきながら、質問に答えられなくなると「残念ですが、この方は誤解されているようです」と開き直る。

・これが“マサノブ教”の素顔であります!!


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マサノブ教祖の<祈りのコトバ>..“現象の智恵”のみの結晶!! (576)
日時:2011年04月14日 (木) 09時56分
名前:大阪の人

2011年3月17日 自然と人間の大調和を観ずる祈り
 読者から、今回の大震災について祈りの言葉がほしいとの要望が寄せられたので、以下、発表します。
この祈りの言葉は、読者において自由に複製し、配布し、使ってくださって結構です。

2011年4月11日 新生日本の実現に邁進する祈り
 東日本大震災から1カ月がたち、当初の想像以上に深刻な被害の全貌がようやく見えてきた。
被災者の方々に改めて心からお見舞い申し上げるとともに、世界の支援に感謝し、国が一体となって復興に向けて取り組む気運を盛り上げていきたい。
3月17日の本欄で祈りの言葉を発表したが、未来を展望したものも必要と考え以下、追加して発表します。
この祈りの言葉は、読者において自由に複製し、配布し、使ってくださって結構です。



・皆さん、見られましたか? この長々とコトバを連ね、ご自分の“思想・心情”を吐露した作品を...

・おまけに、「この祈りの言葉は、読者において自由に複製し、配布し、使ってくださって結構です」と、実質的は全国の各教化部長に宛てた<命令・檄>を発しているのです。

・常にご自分が “上位” でなければ気が済まない マサノブ教祖 が、「要望が寄せられもしない」のに、また「未来を展望したものも必要と考え」たと称して発表したのであります。

・雅春尊師の<祈りのコトバ>は、高級霊界からの “啓示” により書き記されたものでありました。

・それに反し、マサノブ教祖は“啓示”なんてものとは全くの無縁であり、“現象の智恵”のみで作成しているのであります。

・マサノブ教祖は“霊界”については語りません。 
“無の関門”を越えることも出来ないないのです。 
だから彼の説く<今の教え>は、宗教とはほど遠い “唯物的現象論”の域を出ないのであります。

・“実相一元”ではなく、“現象もアル”と考えているのが<今の教え>なのであります。

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「観世音菩薩」の内側からの声は聞こえない“マサノブ教祖” (712)
日時:2011年04月20日 (水) 20時34分
名前:大阪の人

2011年4月19日 大震災の意味を問う (3)

この中で注目してほしいのは「本性」(ほんしょう)という言葉である。
生長の家では、我々人間の「本性」ないし「本質」は神の子であると説く。
同じように仏教では、人間の本性を仏と見ている。
本性とは国語的には「生まれつきの性質」とか「本心」などと説明されるが、これでは生物学的な性質(いわゆる五欲)も人間の本性に入れられてしまう。
だから、宗教的には、そんな人間以外の動物にも備わった特徴を除いていき、最後に残った「人間の人間たるべき本質」のようなものを意味する。
これは、もっと一般的には「良心」と呼ばれるものに近い。
そういう優れた“本性”がどんな人間にもあって、それが言わば“内側から”個々の人間に何かを教える。
そのことを仏教では「観世音菩薩」と呼ぶのである。



・『人間には「本性」があり、それは“良心”と呼ばれるものに近く、それが言わば“内側から”個々の人間に何かを教える』

・『このことを仏教では「観世音菩薩」と呼ぶのである』...とマサノブ教の教祖は定義しています。

・であれば、清超先生の“お通夜”にお参りに来た、清超先生のご実家の代表者を <門前払い> にしたことに対して、「観世音菩薩」の声は如何だったのだろうか?

・また、ご兄弟をすべて <教団から追放> したことについての 「観世音菩薩」の声 も知りたいものであります。

・またまた、雅春尊師の “多くのご著書の絶版” 処分をし、雅春尊師の信奉者を “原理主義者” として排斥する行動をしていることに対して、「観世音菩薩」の声はナイのであろうか?

・それとも、マサノブ教の教祖は、ご自身が「観世音菩薩」そのものだと、つまりは「観世音菩薩」の再現だとでも思っているのだろうか?


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この質問が出てきたのは、私が
「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の中で
「大地震は“神の怒り”にあらず、“観世音菩薩の教え”である」
と書いたからだろう。
質問者は、その祈りの言葉をすでに読んで下さっていて、質問をしたと思われる。
私はこの祈りの中で、上の言葉にすぐ続けて
「我々の本性である観世音菩薩は、“人間よもっと謙虚であれ”“自然の一部であることを自覚せよ”“自然と一体の自己を回復せよ”と教えているのである」
と書いた。


・『我々の本性である観世音菩薩は、“人間よもっと謙虚であれ”“自然の一部であることを自覚せよ”“自然と一体の自己を回復せよ”と教えているのである』...と、ここでも強引に <環境論> へ誘導するのであります。

・『我々が今回の大震災から「観世音菩薩の教え」を正しく聴くためには、被災者の無念や苦しみ、嘆き、悲嘆に心を寄せることはもちろんだが、さらにその“内側”から上がる本性の声を聞かなくてはならないのである』

・こうして、“環境論”を説くことの <正当性> を主張しているのであります。


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第一線の息吹をフィードバックしよう (837)
日時:2011年04月27日 (水) 03時26分
名前:大阪の人

<教区財政について>

4月1日付「聖使命新聞」

教区の財政について私の見方を申し上げますと、東京第二教区の小林正行・相愛会教区連合会長が仰ったことは、多くの皆様にとって切実な問題だろうと思います。
しかし、その細かい対策については、まだ十分検討されていないというのが事実です。
ですから、これから本部の方で急いでやることになるでしょう。
講習会や教区大会の目標設定に“下限”があるとかないとか、そんな話は最高首脳者会で一度も話されたことはありません。
ですから、先ほどは、組織運動部長が個人的な感想を申し上げたということなのです。
その感想について、必ずしも合意に達しておりませんので、新年度は目の前ですから、本部でも大急ぎできちんと考えなければならないと思います。
ですから、教区に戻って話される時も、そこのところは“玉虫色”の方がいいかもしれませんね(笑い)。
そのうちに、はっきりとした通知が出るだろうと期待しております。


・第60回生長の家代表者会議で マサノブ教の教祖 は上記のように語っています。 (平成23年2月27日 生長の家本部会館ホール)

教区によっては、財政的に破綻状態に貧していることが問題になっていることは事実のようであります。

・「その細かい対策については、まだ十分検討されていないというのが事実です」..と本部でも、“教区の財政問題”については 結論 が出ていないのです。

・数字への異常な執着をする マサノブ教祖 ですが、昨今の“講習会参加者数の減少傾向”に対して、「講習会や教区大会の目標設定に“下限”があるとかないとか」..とこれも問題になっていたようです。

・そして、「そのうちに、はっきりとした通知が出るだろうと期待しております」..と、マサノブ教祖はまったくの 他人事 のようであります。

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<教勢低下を認めている>

現在、我々が勧めている運動には、“自然と共に伸びる”というキャッチフレーズがついています。
それは成功しているかと考えると、成功しているようであって、成功していないようでもある・・
これが正直な感想ではないかと思うんですね。
「成功している」という点は、二酸化炭素の排出削減が現実に起こっています。
しかし、それによって教勢が伸びているかといったら伸びていないし、逆に減っている。
だから、「自然と共に伸びる」のではなくて、自然ばっかり伸びている(笑い)


・「それによって教勢が伸びているかといったら伸びていないし、逆に減っている」..とハッキリと “教勢低下” を認めているのであります。

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<下層の人たちが「ノー、ノー、ノー」と言うようになってきた>

生長の家の組織もピラミッド型になっていて、上層の人間が・・今日ここに集まっているのは皆、この“上層”の方々ですが・・そういう人々が運動のノウハウと資本とエネルギーを提供して、“下層”の人をコントロールして薦めていくのが運動の仕方だった。
(中略)
そして、極端に言えば、「下の人間はこんなことは必要はない」などと情報を規制したり、逆に「運動はこうしなければならない」とノウハウを押しつける場合もあった。
しかし、今ではそれがうまくいっていないのです。
会員さんが、ついてこないのです。
「私、会員を辞めます」
「私、講師試験は受けません」
「私、練成会には参加しません。
自分の家で普及誌や『生命の実相』を読んでいればいいです」
「忙しくて、そんなにいろいろできません」・・
下層の人たちが「ノー、ノー、ノー、と言うようになってきた。
これは、我々の運動が、社会の要求や需要に応えられない状況にある、
と言えます。
その原因は、やはり「個人意識」が変わってきているからだろうと思います。


・ まず問題であるのは、マサノブ教祖が 「下層の人たちが」 なんて述べていることであります。

・純朴なる一般の信徒さん達を称して 「下層の人たち」 とは、如何なものでしょうか?

「人間神の子」なんて言いながら、貴方方信徒さんは 「下層の人」 ですよ..なんてね??

・ここにも、“他人を思い遣る気持ちの欠如” がハッキリと現れているのであります。

・そして、「会員さんが、ついてこないのです」..と、現状を認識して 嘆いて いるのであります。

・「もし読者がこの本を読んで、『何だ、こんな人間が指導する宗教はツマラナイ』とおっしゃるなら、残念ではあるが仕方がない」..と開き直っていたが、将にその通りになっているだけではありませんか。

・にも拘わらず、その原因は、「やはり「個人意識」が変わってきているからだろうと思います」..と、自分には責任がないのです、と逃げているのであります。

・マサノブ教祖の説く “今の教え” にこそ問題があることをまずは 謝罪 すべきであります。

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<マサノブ教祖に迫り来る “革命” への恐怖>

エジプト人を動かしている「自由と人間の尊厳」への情熱を我々の組織運動に置き換えて考えると、
やはり今までの運動は規制が多すぎたのではないか、自由な発想を抑え込みすぎて、自由を束縛していたのではないかと思います。
相愛会、白鳩会、青年会が三つに分かれて、他の組織に行くのは御法度などと、自由を束縛している。
そういう運動の仕方が、今の社会では「NO!」と言われるようになってきた。
エジプトのような革命が起こる前に(笑い)、私たちが“上”の方で変わらなければならない。


・中東アラブ諸国の “革命運動” が、マサノブ教祖に ”恐怖心” を感じさせています。

・「エジプトのような革命が起こる前に(笑い)」..とは、冗談のようにも聞こえますが、実際には、これこそマサノブ教祖の “本心” だと思うのであります。

・ ヒタヒタと迫り来る “総裁退陣” への外部圧力!!

・1年以内に出るであろう “高裁の判決” 次第では、“総裁退陣”も現実のモノとなるかもしれません。

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「めんどくさい」が世界を救う (1327)
日時:2011年05月14日 (土) 00時49分
名前:大阪の人

<笛吹けど踊らぬ>

・5月5日〜5月10日にわたって 小閑雑感(ブログ) に “「めんどくさい」が世界を救う” が掲載された。 
しかし、“コメント欄”への投稿をされた人は 3名 のみであります。

・“5月6日 「めうどうくさい」が世界を救う(2)”へのコメント投稿者が
「昨日から「「めうどうくさい」が世界を救う」の連載を始めてくださいましてありがとうございます。
私にとって、このテーマは、先般の全国幹部研鑽会にて非常に興味を持たせていただいたテーマでした」..と述べている通り “全国幹部研鑽会”のテーマ であったのであります。

・“全国幹部研鑽会”のテーマ..であったのなら、もっと、もっと、大いなる反応があって然るべきではないのでしょうか? 
もっと沢山のコメントがあって当然でしょう。

・マサノブ教の教祖が 笛を吹いた が、周わりの人達は シラッとしているのであります。

・それもその筈、その内容たるや“文明の進歩”に対する 反発 を感じさせるモノでしかありません。
それが、またもやお得意の“環境問題”として、“森の中のオフィス”へと波及するのであります。

・『「伸びすぎた庭の芝生をすっきりと刈り揃えたい」という希望から、私はこの時、芝刈りを始めたのだった』..と、休暇をとって山梨県・大泉町の山荘に来た時の 思い に端を発しているのであります。

・効率化指向への 反発 なのか、『ここに書いた「効率とは別の価値」とは何であり、それと効率とはどちらを優先すべきかを考えてみよう』..と述べ、エンジン式を使わずに “手動式芝刈り機” を使うという“面倒な方法”を用いて作業をしたと云うだけのことであります。

・そして、『引用文の中で描かれた「効率とは別の価値」とは、クリの木をより深く知るということだ。
木の表面を観察し木肌に注意したり、木の香をじっくり味わうことだ。
手引きのノコギリを使うという“面倒な方法”を用いることで、小一時間のあいだクリの木との一種のコミュニケーションが生まれる。
もっと一般化して言えば、向かう対象から豊富な「フィードバックを受ける」のである』..
と、「効率とは別の価値」とは『自然から得られるフィードバック』だと言うのであります。

・また、『私の生活のほとんどは大都会の東京で行われるから、東京での経験の中で、環境から「豊富なフィードバック」を得た例を挙げるべきかもしれないが、東京での生活は効率優先で行われがちだから、良い例があまり多く思い浮かばないのである』..と、“都会”と“森の中”とを比較している。

・マサノブ教の教祖は、“効率重視の現代社会”に不満を持ち、東京という都会では得られない “自然からのフィードバック” との触れ合いこそが大切であり、だからこそ “森の中のオフィス” が必要なのだと結論づけようとしているのであります。

■・そんなに、“効率化”がダメなら、パソコンも使用しないで、すべて手書きで文書作成をすればイイのです。
高価な“自家用車”や“発電装置”も止めて、“自転車”を駆使し、“ロウソク”で生活されればイイのであります。

・さらに、『庭の芝生を刈る際に最も効率的な方法は「他人に依頼する」ことだった。
これによって、依頼人への芝生からのフィードバックはほとんどゼロになる。
フィードバックの減少は、「芝生から」だけではない。
「芝生を刈る」という行為にともなう大部分の情報が...』

『効率化を推し進めていけば、最終的には「時間ゼロ・労力ゼロ」の状態に近づく。
技術が進歩した現代では、「人に頼む」過程も効率化しようとして、 (中略) 言い直せば、「対象からのフィードバック」は限りなくゼロに近づいていくのである』

・『私はここに、高度技術社会の基本的な問題があると考える。
生物は、環境へのアクション(働きかけ)と環境からのリアクション(フィードバック)を、生きるための基本原理として生体内に臓している』..
と、“人間”と“他の生物”を対比させ、『人間が他の生物の“環境破壊”をしているのだ』..と、マサノブ教では <人間罪悪論> を説くのであります。

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5/22 北海道・十勝教区の生長の家講習会 (1978)
日時:2011年05月24日 (火) 23時35分
名前:大阪の人

<責任転嫁>

『この地での講習会は2年前は夏の開催だったが、今年は会場の都合でこの時期に早まったため、推進活動の大部分は寒さが厳しい冬季に行われた。
そんな関係もあり、受講者数は前回よりも減少したが、その代わり新たな会場で行われたことで、初めて参加することができた人も多くいたに違いない。
今後の組織のさらなる活性化と、“新人発掘”が期待される』


・「推進活動の大部分は寒さが厳しい冬季に行われた」ことが、「受講者数は前回よりも減少した」原因だと、責任転嫁をしております。

・先日、「聖使命新聞(4月号)」にて何んと仰っていたのですか?

・『会員さんが、ついてこないのです。
「私、会員を辞めます」
「私、講師試験は受けません」
「私、練成会には参加しません。自分の家で普及誌や『生命の実相』を読んでいればいいです」
「忙しくて、そんなにいろいろできません」・・下層の人たちが「ノー、ノー、ノー、と言うようになってきた』

・下層の人たちの意識が変わってきたと認めていたではありませんか?

・それも、これも、すべて マサノブ教の教祖 の責任だと何故謝罪しないのですか?

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『午前の私の講話に対する質問は3件と少なかったが、その中に今回の震災に関するものがあった。
私はそれに答えたのだが、その場の答えが十分意を尽くしていたかと訊かれると、答えに自信がない。
そこで本欄を借りて、不足部分を補いたい』

・『そこで本欄を借りて、不足部分を補いたい』..とはどういうことでしょうか?

・『答えに自信がない』..のなら、回答しなければいいのです。

・何年か前に、埼玉での講習会の時に、
「迷いはどこから来るか?」との質問に対して
『迷いは自由からくる』
なんて回答していたのを思い出します。

受講券を買って会場まで足を運んだ人達に、“満足な説明ができなかった” と、ブログで補足して一体どれだけの 参加者 の目に触れるのでしょうか?

・その補足においてもまだ、何故「迷いはナイ」..と断言できないのでしょうか...

・その場凌ぎの説明で お茶を濁す のなら、菅総理と殆ど差異がない。

・また、2011年5月21日 宗教運動と“外部性”(3) にて、『「信者を獲得する」ことを目的とする宗教は...』と、マサノブ教祖の本音がポロッとでております。

・だから、毎々講習会のあった時には、“参加者数”の発表があるのでしょう。

・“今の教え”つまりは“マサノブ教”では、「信者を獲得する」ことが目的ですから、“絵手紙”でも、“趣味・芸能”でもイイのです。人さえ集まればイイのです。

“聖典”や“聖経”の裁判に敗訴し、“下層の人”たちに「ノー、ノー、ノー、と言われるようになって来た “原宿教団” は、今や凋落の道を驀地(まっしぐら)に突き進んでいると見るのが妥当でしょう。

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6/12 石川教区の講習会 (2776)
日時:2011年06月15日 (水) 00時12分
名前:大阪の人

<無視>

2011年6月14日  イタリアが“脱原発”を決定

 本欄のために割く時間が少なくなっている。
7月にドイツで行われる国際教修会や新刊書の仕事が増えているからだ。
しかし、うれしいことはきちんと「うれしい」と表現するのが日時計主義だから・・・・・

2011年6月13日  太陽光で生活する (2)

2011年6月12日 (日)  金沢に行ってきました   <恵味な日々>
 
 石川教区の講習会で、金沢に行ってきました。
 到着した昨日は、よいお天気で、この季節の金沢の町は、緑にあふれ、初夏の花が咲き、美しくさわやかでした。

2011年6月 9日  “魔法の電球”を買う



・『うれしいことはきちんと「うれしい」と表現するのが日時計主義だから・・』と述べていますが、6/12 の“石川教区の講習会”については何も述べておりません。

・何も述べていないのは、「うれしくない」からだと言う為に、仝上の “日時計主義” を持ち出しているのでしょうか?

・『うれしいことはきちんと「うれしい」と表現するのが日時計主義だから・・』との表現は、言い換えれば「石川教区の講習会については述べたくない」とのことと同意義なのでありましょう。

・ここのところ、“講習会”は連続して 苦杯 を嘗めていることを如実に示しているではありませんか...

・3月に “敗訴” してからというもの、現在に到っては、“森のオフィス”構想に対して、現地住民による“反対署名運動”まで出てきたではありませんか。

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<渋々>

2011年6月 7日  CO2の“肥育効果”

 6月5日には生長の家講習会が埼玉教区の4会場であり、これについては妻がすでに書いてくれた。
私はこの日の前日に、講習会での午前の講話の構成を少し変えようと思い、使用するパソコンの画像システムに手を加えた。
これにも案外、時間がかかった。
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2011年6月 5日 (日)  狭山市に行ってきました   <恵味な日々>

 埼玉教区の講習会で、狭山市に行ってきました。
 梅雨の晴れ間の穏やかな天候に恵まれました。
 狭山市は、東京からは電車の便はとても良いようですが、車だと一時間少しかかります。
 そのため今朝も、昨夜作ったサンドイッチの朝食をいただいて家を出ました。
 講習会は狭山市をメイン会場にして、川口、久喜、三郷にそれぞれサブ会場が設けられました。

・これも「日時計主義」思考でいけば、書きたくない部類に属するのでしょう。

・でも、埼玉教区と 地元 でもあることだから、“渋々”書いたようです。

・教化部長の 名前 が見当たらないし、教区に対する お礼のコトバ も無い。

・埼玉教区の為に、講話の構成を少し変え様と思い、『これにも案外、時間がかかった』と逆に恩着せがましくさえ感じるではありませんか。

・『7月にドイツで行われる国際教修会』にて、“脱原発”について一席打とうとお考えなのかしれませんが、そんなことで <延命を図ろう> なんて、どこかの総理みたいな思考でしょうか。

・今度、“高裁にて敗訴”になった時には、マサノブ教祖はどうされるのでしょうか???

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「自然と人間の対立」...マルクス論法?? (4031)
日時:2011年08月21日 (日) 21時00分
名前:大阪の人

2011年8月18日 “自然とともに伸びる”方向へ大転換を

『今日は午後4時半から、京都府宇治市の生長の家宇治別格本山の大拝殿で「東日本大震災物故者追悼慰霊祭」がしめやかに挙行された』

『言わば「自然と人間の対立」の最も鮮明な表現が今回の大震災である.....
原発は人間が造ったものですが、原子力そのものは自然の力の一部です』

・「自然と人間の対立」..... 「労働者と資本家の対立」

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『今日本には54基もの原子力発電所が海岸線に並ぶという状況になっているのです。
これと併行して、化石燃料の過剰な消費というのも、永年にわたって世界的に行われてきた。
これもまた人間の都合だけを考えて行われている。
そのおかげで、生物種が大量に絶滅し、地球温暖化現象や気候変動が起こっていて、私たちの生活を脅かしつつある』

『今回は「大地震」という自然災害が直接の原因であるが、しかし、戦後の日本社会の無理な、歪んだ発展の仕方が、震災の被害を拡大したという事実は認めなければならない。
それは、地球環境全体を含めた「自然破壊」という方向へ進んできたということです』

『また、自然の力を侮った傲慢さ、そして人間至上主義の問題があります』


 ・「化石燃料の過剰な消費というのも、永年にわたって世界的に行われてきた。
これも  また人間の都合だけを考えて行われている」.....  

「労働者を酷使し、搾取する。  これも資本家の利益追求の為だけを考えて行われている」

・「自然の力を侮った傲慢さ、そして人間至上主義の問題があります」.....  

「労働者の尊厳をも顧みない傲慢さ、そこには資本主義の問題があります」


『我々はこれまで経済発展という目的のために、自然から奪い続けてきたことを反省しなければなりません』

・「我々は 利潤追求 という目的のために、労働者から搾取し続けてきたことを反省しなければなりません」



『この「自然と人間との対立」関係を解消して、大調和を実現しなければならないというのが、今回の大震災に遭遇した私たちが最も学ばねばならない大切な教えである』

『個人が突然に亡くなる“不慮の死”というのは、魂の成長にとって役立つことが多い。
これは谷口清超先生が『新しいチャンスの時』(2002年刊)という本の中で次のように書いておられることからも、分かります』

・マサノブ教祖は、何かの ”怨念” に取り憑かれ、「自然と人間の対立」という対立構造を提起し、マルクスの論法のような形で、“人間の過ち”を論究しております。

・『「自然と人間との対立」関係を解消して、大調和を実現しなければならない』..などと物申しております。

・マサノブ教祖は、こんなところで <大調和> なんてコトバを使用できる立場でありましょうか?

・人間としての、特に生長の家人としては当然でありましょう、
“ご祖先に感謝し、兄弟達と大調和する”ことの方が 先決 ではありませんか?

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唯物論者に耳を傾けるな (4049)
日時:2011年08月22日 (月) 13時47分
名前:語る人

「自然と人間の対立」..... 「労働者と資本家の対立」

こんな大祭にあっても立場をわきまえませんね この方は宗教家の孫ですが、その思考は宗教に関わる人では無いのです。

引退するように多くの信徒で立ち上がることで総裁の本来生きるべきポジションへ導くことができます。

本部前でのデモ行進(最低1000人ほど集める) 署名活動(1万〜10万)ほど集めて本部へ送るなど具体的な引退勧告プランが必要な段階にあると思います。

過激になりすみません

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9/28 山形教区の講習会..また数字ですか (4171)
日時:2011年08月30日 (火) 04時55分
名前:大阪の人

2011年8月28日  樹木の大切さを思う

 今日は山形駅前の山形テルサで生長の家講習会が開催され、647人の受講者が集まってくださった。
2年前の前回より受講者数は89人(12.1%)減少したが、今回の講習会の推進期間が、ちょうど東日本大震災後の東北地方全体の混乱期に当たったという、やむをえない事情がある。
例えば、受講券奉戴式は当初、震災3日後の3月14日に予定されていたが、この日は会場の教化部には数人しか集まらなかったため、行事は事実上延期しなければならなかったという。
また、震災後の数カ月、ガソリンの供給が減少したことで、教化部での会合などが予定通りに行えないなど活動の停滞があった。
それでも、東北人の粘り強さと教区一丸となった熱心な推進で前回の8割以上を結集したことはありがたく、喜ばしいことだと思う。


・山形教区の“講習会”が8月28日にあったそうであります。

・前回より 89名の減少 にも拘わらず、ブログに掲載されました。 
本来なら無視するところですが、東日本大震災という天下晴れての “言い訳” が出来るのだから...

・ところで、講習会でのお話しの内容は??

・“講話の内容”よりも“参加者人数の増減”の方が、マサノブ教祖さまには 重要 なのでありましょうか??

・最近では、組織内部の人達の間でも、マサノブ教祖の変調に気づき始めているようですが、当のご本人は意に介せずの姿勢を貫いております。

・でも内心では 戦々恐々 としながらも、<意固地>になって “総裁という地位” にしがみついているのでしょう。 
本当にお気の毒としか言いようがありません。

・ごく最近、マサノブ教祖が支持していた “民主党” の、あのあカンたれの総理も、辞任いたしました。

・このお二人、よく似ているではありませんか... 
“総裁”、“総理”、という地位を獲得したその<旨味>に酔いしれて、回りの風評にも“我慢、忍耐”を押し通してきたのです。

・今度はマサノブ教祖の番ですがネ...

・雅春先生〜〜  天界ではどのようになっているのですか??

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何らかの行動が必要です。 (4173)
日時:2011年08月30日 (火) 11時49分
名前:パイプ

語る人様へ

「本部前でのデモ行進(最低1000人ほど集める) 署名活動(1万〜10万)ほど集めて本部へ送るなど具体的な引退勧告プランが必要な段階にあると思います。」

おっしゃる通りだと思います。別に過激でも何でもないですよ。

ただデモに関しては、別に1000人集まらなくても、5人でも10人でもいいから、プラカードを持って(あるいは首にかけて)、本部の前に集まるということから始めませんか。
(といっても、私は九州に住んでいるのでこれが実行できないのが残念なのですが…。)

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マサノブ教祖が悩み始めた!! (4465)
日時:2011年09月16日 (金) 02時42分
名前:大阪の人

2011年9月14日  本欄が抱える問題について

 9月2日に本欄を書いたまま2週間ほど更新していないので、私の健康状態を心配してくださっている人がいるかもしれない。
が、私は健康なのでご安心願いたい。
11日に函館の生長の家講習会から帰って以来、少し疲れが出たことは告白するが、もう回復している。
私の本欄への“筆無精”は、だから健康状態によるよりも、別の理由による。
実は最近、本欄のような形式の文章に制約と限界を感じるようになったのである。
だから、この形式を今後ずっと続けていくべきか、あるいは別の形式のものに変えるべきかを迷っている。
そこで今日は、本欄を愛顧してくださってきた読者諸賢のご意見を聞くためにキーボードを叩いている。
 
 函館の講習会の日は、アメリカの同時多発テロ事件の10周年に当たることは、読者もご存知だろう。
本欄は、この9・11に先立つ2001年1月13日からスタートした。
ということは、本欄も“満10歳”に達したということだ。
世の中には「十年一日」という言葉があって、10年も同じことをしていては評価されないのである。
もちろん私が本欄に書く内容は、10年前とは相当異なってきているし、書き方や書くジャンルについても“連載モノ”や“祈りの言葉”“短編小説”など多様なものを盛り込んできた。
しかし、それにしてもこの「ブログ」という日記的な表現形式は日々の現象を追っていくことが主になるから、どうしても限界があり、例えば沈思黙考した文章というのは書けない。
そんな時間がないからである。
すると、読者から不満の声が寄せられる。
私にとっても不満が残る文章も多いから、そういう読者の気持もよくわかる。
だから、反論はしない。
 
 はっきり言わせていただけば、私は一種の“下書き”のつもりで本欄を書くことが多い。
あとから月刊誌に掲載したり、単行本に収録するさいに、内容をもっと吟味しなければ……と考えながらも、ブログだから発表することになるのである。
実際、そういうブログの内容を編集、編纂して単行本の
『日時計主義とは何か?』(2007年)
『日々の祈り』(同年)
『太陽はいつも輝いている』(2008年)
『衝撃から理解へ』(2008年)
『目覚むる心地』(2009年)
『“森の中”へ行く』(2010年)
などは出版された。
しかし、本欄の読者は、そんな事情などに関心がない場合がほとんどだから、自分の求めるレベルの文章がないと、不満を漏らすのである。
中には、「生長の家総裁には一分のスキも許されない」と言わんばかりの厳しいご意見を述べる人もいる。
現象に完全性を求めるのである。
 
 私はもちろん反論することもできるが、この程度のものにいちいち反論することは本欄の程度を下げるし、私の時間を浪費するし、多くの読者の気分を害することにもなりかねない。
だから、黙って次の日のブログを書くのである。
初めから悪意をもってするコメントもあるが、そういう低レベルのコメントはブログの機能で自動的にシャットアウトできるから、問題ない。
いちばん困るのは、こちらの事情をよく理解しないまま、まったくの善意から忠告をくださる読者である。
そういう人には、本当の事情を知ってほしいのだが、それを本欄に書いたり、メールで直接本人に伝えるところまでは、私にはできないのである。
それほどの時間的余裕はない。
私は本欄を継続するだけで、相当のエネルギーを使ってきた。
そういう事情もご本人はまったく知らないだろう。
私はそれに文句を言わない。
一般の信徒は、生長の家総裁の仕事がどういうレベルで、どの程度多忙であるかを知る必要は、まったくない。
だから、これまでの本欄のような表現形式を改める以外に方法はない、と私は考えるのである。
 
 読者からのフィードバックをお願いする。
 
 谷口 雅宣
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・出版問題裁判で “敗訴” したが上告した。 
でも、それも敗色が濃くなってきた昨今、ヒタヒタとその決着の日が近づいているのであります。

・マサノブ教祖のヒマを持て余したブログ “小閑雑感” については、当本流掲示板諸氏が猛烈に批判しております。

・最近では、組織内部にまで 色々な攻撃の触手 が浸透し、これを防ぎきれなくなっている様でもあります。

各地での“講習会”の参加者数は伸び悩み、教勢そのものが大きく下降してきているのであります。

・つまりは、“組織内部”が大きく<動揺>してきたのであります。

・大きな組織は、簡単には倒れないが、組織内部に動揺が拡がると、ある日突然に倒れる可能性があります。

・マサノブ教祖は、これらの現状に抗しきれなくなり、打つ手に窮し、12日間もブログの更新をしないで悩み続けていたのでありましょう。

・仝上のブログ 『本欄が抱える問題について』 こそは、マサノブ教祖ご自身の<悲鳴>であります。 


『例えば沈思黙考した文章というのは書けない。
そんな時間がないからである。
すると、読者から不満の声が寄せられる。
私にとっても不満が残る文章も多いから、そういう読者の気持もよくわかる。
だから、反論はしない。』

『私はもちろん反論することもできるが、この程度のものにいちいち反論することは本欄の程度を下げるし、私の時間を浪費するし、多くの読者の気分を害することにもなりかねない。
だから、黙って次の日のブログを書くのである』

・ウソでしょ!! 反論出来ないから 逃げて いるだけではありませんか?

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『本欄の読者は、そんな事情などに関心がない場合がほとんどだから、自分の求めるレベルの文章がないと、不満を漏らすのである。
中には、「生長の家総裁には一分のスキも許されない」と言わんばかりの厳しいご意見を述べる人もいる。
現象に完全性を求めるのである』

・マサノブ教祖の説く教えが、“唯物的現象論”だからこそ批判されているのであります。

・『自分の求めるレベルの文章がないと、不満を漏らす』..のではなく、“雅春尊師の御教え”から逸脱しているから<不満>が出ているのであります。

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『一般の信徒は、生長の家総裁の仕事がどういうレベルで、どの程度多忙であるかを知る必要は、まったくない。
だから、これまでの本欄のような表現形式を改める以外に方法はない、と私は考えるのである』

・マサノブ教祖の説く “話の内容” がオカシイことが問題であるのに、『本欄のような表現形式を改める以外に方法はない』..と、ここにきても<責任転嫁>を図っているのであります。

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『読者からのフィードバックをお願いする』

・総理の座に固執していた 菅氏 の如く、そろそろご自身の処遇の落としどころを模索し始めたのでしょうか...?

・あのニヒルなブログに掲載の写真。 これこそマサノブ教祖の現在の心境でありましょう。

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“フェイスブック”に逃げる、マサノブ教祖!! (4516)
日時:2011年09月18日 (日) 06時40分
名前:大阪の人

・“フェイスブック”なんて、所詮個人的お遊びの場ではありませんか?

・でも、マサノブ教祖は <生長の家総裁>名 で登場しております!! そして『生長の家総裁のページをつくりました』..と書かれております。

・“生長の家総裁のページ”と言うからには、総裁としての <品位> があってしかるべしだし、見る側は、“生長の家総裁”という公人として判断いたします。

・何故“谷口雅宣”と個人名で登場しないのでしょうか??

・覗いてみると、“生長の家の真理”を語っているところは何も見当たりません。

・2011年9月15日 フェイスブックへの招待...は、一体何を目的としているのでしょうか??
  
・やはり、あの民主党の元総理、菅氏が “総理大臣” の座に固執していたのと同じ心境でしょうか?

・マサノブ教祖のプライドの高さが、“掴んではいけない”と自ら指導しているはずの<地位・名誉>を掴んで放したくないのでありましょう!!

・宗教家のトップとしての“資質”もなく、“生命の實相を勉強する”でもなく、ただ他のマスコミの文章をアレンジして物申しているだけでは、心ある信徒は去ってしまいます。いや、もう去っております。

マサノブ教祖の掲げる <今の教え> は破綻寸前になっております!!

・年内にも出るでありましょう “判決” が、大きな引き金になりそうです...

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“唐松模様”で何が変わったのだろうか?? (4690)
日時:2011年09月26日 (火) 23時27分
名前:大阪の人

<唐松模様>

2011年9月18日 (日)  はじめの一歩

2011年9月22日 (木)  動物の心について (1)

2011年9月25日 (日)  小樽市に行って来ました (恵味な日々)純子女史

2011年9月26日 (月)  動物の心について (2)



『何事も“十年一日”ではいけないと思い、このほど新ブログ「唐松模様」を始めた。
新ブログは従前のブログのようには頻繁に更新できないが、内容の濃いものにしたいと思っている。
「スローライフ」という言葉があるが、それと同じように、何事もガムシャラにやる時代というのは終わりつつある……
いや、終わらせねばならないと考えているので、「スローブログ」というのもあっていいと思うのだ』

『さて、このブログの名前だが、もちろん造語である。
「唐草模様」とか「市松模様」というのはあるが、唐松模様という言葉はない。
だから、自分で作ってしまおうというわけだ』

『生長の家の“森の中のオフィス”は木造2階建ての大型建物が7〜8棟並ぶ。
これの外壁にはカラマツ材を大量に使うことになっている』


・今まで“ヒマ”を持て余して書いていたブログ “小閑雑感” だが、外部の批判意見に<反論>も出来ずに悶々としていたあげく、このブログ形式では問題を感じると言って、“フェイスブック”を勧めるに到ったのであります。

・ところが一転、“唐松模様”なんて名称で 新ブログ を始めたのであります。

・“小閑雑感”と“唐松模様”を比較してみると、ほとんど概容に変化はありません。

・写真も、ブログの体裁も、書かれている内容も.....

・“森の中のオフィス”が木造であり、その外壁にカラマツ材を大量に使用するから、“唐松模様”という造語を自分で作ってしまったそうであります。

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『「疲労は回復したな……」と思いながら、私はゆっくりとソファーに腰かけ、すぐ前にある低いテーブル上に両脚を投げ出して、天井を見上げる...』

・このようにして書き始めたのが、『動物の心について』であります。 
“人間の心”すら理解出来ていないマサノブ教祖が、“動物の心”を論じるのであります。

マサノブ教祖によって追放された “ご兄弟” やら “根性のある先生方” の<心>についてはどの様に捕まえているのか理解に苦しむのでありますが...


・9月25日には、“小樽教区の講習会”があったと 純子女史 がご自分のブログに記載しておりますが、『小樽市は、札幌からも近くにぎわっていますが、教区全体としては、毎年1000名くらい人口が減少しているそうです』と予防線を張っております。

・やはり、講習会の参加者数が激減していたのしょうか?!

・マサノブ教祖は、25日の講習会については一言も触れずに、『動物の心』の続編であります。

・人間の “苦悩” に思いを馳せることはお忘れなのでしょうか?? 
“霊界”について論じることはないのでしょうね...

・マサノブ教祖の頭の中には、11月30日の “判決” が迫り来る<恐怖>で充満しているのでしょうか???

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フェイスブックで“不満”を述べている(全文) (4742)
日時:2011年09月29日 (木) 18時15分
名前:大阪の人

宗教のネット利用について 作成: 生長の家総裁 日時: 2011年9月26日 7:20.

 以下の文章は、最近出版された拙著『小閑雑感 Part 19』の「はじめに」の一部である。
私は、21世紀が始まる前の早い時期からインターネットを通じて生長の家の教えに関する文章を発表してきた。
今はブログを始め、ポスティングジョイやフェイスブックなどのソーシャルネットワーク(SNS)の利用も進めているから、読者の中には、私がネットを利用した伝道を全面的に支持していると考えている人がいるかもしれない。
が、私は宗教のネット利用に何の問題もないとは思わない。
その問題の1つを、同書の「はじめに」に書いた。
より詳しい問題点の検討は、同書所収の「情報の質について」などの文章にあるので、それらを参考にしていただければ幸甚である。(2011年9月26日 記)

 

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 情報の質の問題は、宗教運動にとっても非常に重要である。
その昔は、宗教の説く真理を知ろうとする人は、導師のいる所へ自ら足を運び直接指導を受けるというのが、永い間の伝統だった。
しかも、足を運んだからといってすぐに指導を受けられるものではなかった。
禅宗第二の祖と言われる慧可(えか)は、祖師の教えを求めてもなかなか許されなかったため、自ら左臂を切り落として求道の真剣さを示したという有名な話がある。
ところが、現代人の中には、宗教の教えとサービス産業とを混同しているような人もいる。
そういう人は、ネットを経由して真理を悟れると勘違いしていて、私の書くものの“粗探し”のようなことをして、その“矛盾”を説明する責任が私にあるというのである。
そして、ネット上で“師”の批判を展開する。
これには呆れた口が塞がらないのだが、本人はいたって平然として、「師は弟子の要求に応えるべきだ」と主張するのである。
ところが私は、この人物の顔も知らなければ、ネット上の名前が本名かどうかも知らず、ましてや“弟子”になどした覚えはまったくないのである。

 こんな例などは、情報がネット経由であまりにも簡単に入手できるところから生じた弊害だと思う。
一部の情報が簡単に入手できるようになると、同じ方法を使って他の情報も簡単に入手できてしかるべきだ、と考えるのだろう。
そういう人は「求道」の本当の意味がまったく分からないくせに、自分を“信仰者”だと見立てている。
こんな人には、「情報の質」の問題などは全く理解できないに違いない。
宗教上の師と弟子の間には、心と心とが直接触れ合うところから生まれる深い信頼感が背後にあり、その中で身・口・意を尽くした真剣なコミュニケーションが行われなければならない。
そうしなければ、宗教上の真理など伝わらないのである。
が、そんな深い理会に至る前に、一般的なものの考え方として、あるいは世界を見つめる心の“枠組み”としての機能を、宗教の教えは十分果たせると私は考えている。
そういう入門的な役割のために、ネットの利用は大いに進めるべきなのである。

 しかし、入門的知識だけでは、人生の複雑な問題への対応は不十分に終わることがほとんだ。
現代では、ネット上の情報量は膨大になっているため、人生問題の解決がネット情報で可能だと考える人が出てきているようだが、これはきわめて浅薄な考えであり、危険な結果をもたらす場合がある。
例えば、ネット情報に刺激されてテロリズムに走る人々などが、その危険性を有力に示している。
オサマ・ビンラーデン殺害後にアメリカが“敵”の1人としている人物に、アンワー・アラウラキ師(Anwar al-Awlaki)という人がいる。
この人が危険視されているのは、アメリカ人のイスラーム指導者だから世界語である英語を流暢に話すだけでなく、アメリカ国内の事情に通じ、したがって“西側”の人々に説得力のある話をするし、カリスマ性もあるからだ。
この人物の動画による演説をネット上で聞いてテロを行う人が、なんとアメリカ軍内部から出ているのである。(『小閑雑感 Part 17』、 pp.198-202参照)
もちろん、テロの原因のすべてがそれで説明できるわけではないが、重要な動機の1つにネット情報が挙げられる。

 ネット上にあふれる情報は、提供者が分からないことが多いので、内容の真偽を判別することはなかなか難しい。
だから、真理探求の訓練を受けていない多くの人々がネット情報だけに接していると、自分が信じたい情報だけを探して見て、それを信じることになりやすい。
となると、自分の信条や心情を正当化してくれる情報をほとんど無批判に受け入れるという結果になる。
これでは、“新しい情報”を受け入れていることにはならず、本質的に“情報の再生産”であり、真理探究とは無関係である。
ところが本人は、自分の考えが正しいことをネット上の“他人”も皆、証明しているという錯覚に陥りやすい。
こうして“ネットオタク”が極端な行動に走ったり、テロリストと化す道が生まれる。
今年の7月、ノルウェーのオスロ市と近郊のウトヤ島で爆弾テロと無差別銃撃を行い、200人近い死傷者を出したノルウェー人の32歳の男は、ネット上に1500ページにも及ぶ趣意書を掲げて犯行を正当化していた。
しかし、この趣意書の多くの部分は、ネット上にある他人の文章のコピーであることが分かったそうだ。
また、彼は、社会的には内向的で女性とのつき合いもあまりないなど、“オタク的”な側面を見せていたようだ。

 このような意味で、新しい宗教運動はネットを利用することに躊躇してはならないが、その一方で、ネットだけでは本当の価値は伝えられないし、本物の信仰者は生まれないことを忘れてはいけないと思う。

 谷口 雅宣

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我慢出来なくなってきた“マサノブ教祖” (4743)
日時:2011年09月29日 (木) 20時08分
名前:大阪の人

<2011年9月14日 本欄が抱える問題について(小閑雑感)>

 はっきり言わせていただけば、私は一種の“下書き”のつもりで本欄を書くことが多い。
あとから月刊誌に掲載したり、単行本に収録するさいに、内容をもっと吟味しなければ……と考えながらも、ブログだから発表することになるのである。・・・ 
(中略) ・・・本欄の読者は、そんな事情などに関心がない場合がほとんどだから、自分の求めるレベルの文章がないと、不満を漏らすのである。
中には、「生長の家総裁には一分のスキも許されない」と言わんばかりの厳しいご意見を述べる人もいる。
現象に完全性を求めるのである。

 私はもちろん反論することもできるが、この程度のものにいちいち反論することは本欄の程度を下げるし、私の時間を浪費するし、多くの読者の気分を害することにもなりかねない。
だから、黙って次の日のブログを書くのである。

 私は本欄を継続するだけで、相当のエネルギーを使ってきた。
そういう事情もご本人はまったく知らないだろう。
私はそれに文句を言わない。
一般の信徒は、生長の家総裁の仕事がどういうレベルで、どの程度多忙であるかを知る必要は、まったくない。
だから、これまでの本欄のような表現形式を改める以外に方法はない、と私は考えるのである。


<2011年9月26日 宗教のネット利用について(フェイスブック)>. 

 以下の文章は、最近出版された拙著『小閑雑感 Part 19』の「はじめに」の一部である。

 現代人の中には、宗教の教えとサービス産業とを混同しているような人もいる。
そういう人は、ネットを経由して真理を悟れると勘違いしていて、私の書くものの“粗探し”のようなことをして、その“矛盾”を説明する責任が私にあるというのである。
そして、ネット上で“師”の批判を展開する。
これには呆れた口が塞がらないのだが、本人はいたって平然として、「師は弟子の要求に応えるべきだ」と主張するのである。
ところが私は、この人物の顔も知らなければ、ネット上の名前が本名かどうかも知らず、ましてや“弟子”になどした覚えはまったくないのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・お彼岸の時期にあたり、マサノブ教祖は自ら “葛藤” し始めているようであります。

・今までは、ご自分の意に沿わない人達を バッサリ と首を切ってきた。 
そして、外部での“マサノブ批判”には 蚊帳の外 として無視を決め込んできました。

・ところが、8年にもおよぶ「谷口雅春先生を学ぶ」誌による“マサノブ批判”や、最近執拗に繰り返される 組織内部 への“批判活動”、首を切られた先生方の“本流復活運動”、それに“加齢”が加わり、それらの外部圧力に耐えきれなくなってきたのでありましょうか?!

・かといって、現在の取り巻きの “茶坊主”達 は、自分の生計の為に ゴマをすっている だけの役立たずばかりであります。

・『はっきり言わせていただけば、私は一種の“下書き”のつもりで本欄を書くことが多い』..なんて、本音がポロリと出てしまった。 
この掲示板でも既に問題にされているところであります。

・一種の“下書き”を書くのに、『私は本欄を継続するだけで、相当のエネルギーを使ってきた』..と述べ、『一般の信徒は、生長の家総裁の仕事がどういうレベルで、どの程度多忙であるかを知る必要は、まったくない』..と、私は多忙であると言っているのであります。

・ウソでしょ?! ヒマだから毎日7時間もパソコンの前に座っているのではありませんか?

・『私はもちろん反論することもできるが、この程度のものにいちいち反論することは本欄の程度を下げるし、私の時間を浪費するし、多くの読者の気分を害することにもなりかねない』..とは言っておりますが、実のところは “反論出来ない” のであります。

・“反論出来ない”から、秋の夜長を沈痛な思いで悩んでいるのです。

・持って生まれた“自尊心の強さ”が、余計に悩みを深刻化させているのであります。

・フェイスブックにおいて、『私の書くものの“粗探し”のようなことをして、その“矛盾”を説明する責任が私にあるというのである。
そして、ネット上で“師”の批判を展開する』..と述べております。

・ここに『“師”の批判を展開する』..とありますが、マサノブ教祖は自らは<師>であるとし、一般信徒は<弟子>なのでありましょう。

私達は“マサノブ教祖”の 弟子 になった覚えはありませんよ!!

私達は谷口雅春先生の説かれた“唯神實相哲学”を信奉し、雅春尊師をこそ <師> として仰いでいるのであります。

・『そういう人は「求道」の本当の意味がまったく分からないくせに、自分を“信仰者”だと見立てている』..なんて述べる前に、
マサノブ教祖ご自身が『生命の實相』を都合のいいところだけを拾い読みする程度で真剣に生長の家の勉強もしないで、自分を“法灯継承者”だと自作自演していることをこそ 反省 すべきであります。

・今春には、『下層の人たちが「ノー、ノー、ノー」と言うようになってきた』..とも述べておりますが、マサノブ教祖の神通力も薄れてしまった実態が今ハッキリと具現されてきたではありませんか!!

・大きな組織はそう簡単には倒れません。 
しかし、組織内部に“疑心暗鬼”が拡まると、ある日突然に倒れてしまうことになります。

・皆さん、頑張りましょう!! “本流復活”を!!!

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“フェイスブック”にて講習会の参加者数、“唐松模様”には「下書き」を!! (4988)
日時:2011年10月16日 (日) 22時07分
名前:大阪の人

<フェイスブック>

H23.10.16
三重教区の生長の家講習会は大幅増。
熊野地方での台風被害にもかかわらず、前回を20.8%(651人)上回る3,779人を結集した。
幹部・信徒の皆さん、有難うございます。

H23.10.9
福岡教区の生長の家講習会は、7会場に1万28人が受講してくださいました。感謝、合掌!

H23.10.2
茨城教区の生長の家講習会は大幅増。
大震災を乗り越えて、前回を14.6%上回る2,730人を結集した。
地域協力体の運動も成功。

H23.9.4
小樽教区講習会から帰還し、首都高を自宅に向かっています。
小樽教区のみなさん、ご苦労さまでした。

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<唐松模様>

2011年10月 7日 (金) 動物の心について (5) コメント

山中さん、有馬さん、
ご声援、ありがとうございます。 
私自身、いろいろの本を読みながら勉強しつつ書いています。
今後とも、よろしく。

投稿: 谷口 | 2011年10月11日 (火) 23時18分


・本日の三重教区講習会の参加者数が “フェイスブック” に早々と載っております。 
マサノブ教祖の喜びが如何ばかりか分かろうというものです。 
前回が散々だったことをお忘れでしょうかネ?!

・“小閑雑感”でも講習会の「参加者数の報告」はありましたが、この <数字> へのこだわりは一向に変わりません。

講習会の会場を増やすように指示し、現場では悲痛な思いで親類縁者にお願いし、近隣教区からの応援はもちろん、数字的 ゴマカシ も施しての数字であります。

大阪教区では、会場の“大阪城ホール”に 28,000人 なんて報告されましたが、会場の受け入れ許容数は 14,000人 だそうです。 
それ以外の人達(14,000人)はどこにおられたのでしょうか?


・マサノブ教祖は “講話の内容” をどうして書こうとされないのでしょうか??

・新しいブログ、“唐松模様”には..と覗いてみると、『動物の心について』が連載されております。 
『人間の心について』ではありませんよ!!

・そしてそのコメント欄に、『私自身、いろいろの本を読みながら勉強しつつ書いています』..とあります。 
やはり“小閑雑感”と同様に <下書き> 程度のものに過ぎないのでしょうか?

『いろいろの本を読みながら勉強しつつ』..というのなら、<生命の實相> をこそ真剣に勉強すべきでありましょう!!

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マサノブ教祖の楽しみ..講習会報告!! (5655)
日時:2011年12月11日 (日) 21時28分
名前:大阪の人

本日(12/11)の奈良教区にて、今年の講習会は終了いたしました。 
9月以降のフェイスブックでの 発言 を集めてみました。

H23.9.4
小樽教区講習会から帰還し、首都高を自宅に向かっています。
小樽教区のみなさん、ご苦労さまでした。

H23.10.2
茨城教区の生長の家講習会は大幅増。
大震災を乗り越えて、前回を14.6%上回る2,730人を結集した。
地域協力体の運動も成功。

H23.10.9
福岡教区の生長の家講習会は、7会場に1万28人が受講してくださいました。感謝、合掌!

H23.10.16
三重教区の生長の家講習会は大幅増。
熊野地方での台風被害にもかかわらず、前回を20.8%(651人)上回る3,779人を結集した。
幹部・信徒の皆さん、有難うございます。

H23.10.23
今日は仙台市の仙台サンプラザホールで生長の家講習会が行われ、1,679人の受講者が参加してくださいました。
2年前より41人の減少ですが、大震災があったことを考えれば“大盛会”だと言えます。
宮城教区の皆さんに、大感謝!

H23.10.30
鹿児島教区での生長の家講習会は、雨天にもかかわらず前回より3割増の受講者を結集。感謝、合掌。

H23.11.6
今日は長崎市と島原市の2会場で生長の家講習会が開催され、雨天にもかかわらず合計で5,163人が受講してくださった。ありがとうございました。

H23.11.13
今日は千葉市の幕張メッセで生長の家講習会が開催され、8070人の受講者が参集してくださった。千葉教区の皆さん、ありがとうございました。

H23.11.28
今日は伊勢崎市文化会館で群馬教区の生長の家講習会が行われ、1,243人の受講者が集まってくださった。
会終了後には、教区幹部の方々が私たちの32回目の結婚記念日を祝ってくださった。
シロクマの縫いぐるみは、うれしい小道具。
群馬県の皆さん、ありがとうございました。

H23.12.4
兵庫県で7会場を使って行われた生長の家講習会では、合計で16,274人が受講して下さいました。
教区の皆さんに感謝無限です。天気も最高でした。

H23.12.11
奈良県で行われた生長の家講習会は、受講者が前回より459人(?8%)増加するなど大成功、平成23年の運動の有終の美を飾った。
奈良県の皆さん、どうもありがとう!

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この投稿者は “雅宣総裁”?! (5775)
日時:2011年12月17日 (土) 21時45分
名前:大阪の人

トキ氏が管理人である “生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える” という掲示板があります。  
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/

その掲示板に投稿している中で、“初心者”及び”名無しさん”は<同一人物>のようでありますが、その“初心者”とは 雅宣総裁 ではなかろうか..と感じるのですが如何でしょうか?

まずは、下記投稿内容をご覧下さい。

26 :初心者:2011/06/07(火) 10:52:34

たった1週間で本流を追放された初心者でございます。
わたしの狙いをまずはっきりと述べておきます。
狙いは、現総裁にやめていただくことではなく、現総裁に真理を語らせること、これでありまする。

ちょっと小難しいことを書きます。
今の時代はポスト構造主義の時代だと考えています。
ポスト構造主義の時代とは、「個人が偉い人の言葉を勝手に書き換えてもよい」という時代なのです。

現総裁も偉い人の言葉を勝手に書き換えながら、ポスト構造主義の時代を生きておられます。
現総裁が偉い人であるのかどうか、それはさておき、われわれもまた現総裁の言葉を勝手に書き換えることができるということなのであります。

「現総裁はあんなことを言っておられるが、本当はこんなことを言いたいのだ」と個人が勝手に言葉を書き換える。
書き換えることで現総裁に真理を語らせる。
こうやって遊んでみようというのがわたしの狙いでございます。

とはいえ、わたくしの身辺もにわかにあわただしくなってまいりました。
現総裁が何を言っておられるのか、それを勉強する時間もございません。
時間がとれるようであれば、現総裁の信念を想像し、その信念を書き換えてみたいと、このように考えております。

現総裁の教説をよくご存じの方がおられましたなら、その教説を雅春先生の教えに照らして書きなおしてみられることをお勧めいたします。
そうすることで現総裁に真理を語らせることができましたなら、それがなによりなのでございます。

「総裁はあのようなことを言っておられるが、本当はこういうことを言いたいのだ」と、すべての信徒が、現総裁の言葉を雅春先生の教えに即して理解するようになれば、生長の家は今よりはよくなるはずでございます。

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   <“初心者”とは?..の検証>

・『私の狙いは、現総裁にやめていただくことではなく、現総裁に真理を語らせること』..とありますが、“雅宣総裁”の気持ちとしては当然辞めたくないと思っているでしょう。

・『ちょっと小難しいことを書きます』..と云う“小難しいこと”とは、<雅宣総裁の特技>であります。

・『ポスト構造主義の時代』..なんて聞き慣れない言葉が飛び出してきましたが、こんな新語を使うのも<雅宣総裁の特技>であります。

・『ポスト構造主義の時代とは、「個人が偉い人の言葉を勝手に書き換えてもよい」という時代なのです』..こんなこと初めて聞きますよ。 誰が言っているのですか??

・『現総裁も偉い人の言葉を勝手に書き換えながら、ポスト構造主義の時代を生きておられます』..だからといって“雅春尊師の御教え”を勝手に書き換えてもよいなんてネ...

・『「現総裁はあんなことを言っておられるが、本当はこんなことを言いたいのだ」と個人が勝手に言葉を書き換える。書き換えることで現総裁に真理を語らせる。こうやって遊んでみようというのがわたしの狙いでございます』..“真理の探究”、“人類光明化”ではなく、ヒマ人の“お遊び”ですか?

・雅宣総裁の発言に対する批難が殺到しているが、それに対して的確な回答が出来ない。 だから、『現総裁は「本当はこんなことを言いたいのだ」と個人が勝手に言葉を書き換える』そして『こうやって遊んでみようというのがわたしの狙い』なんてことで、<執拗な追求からの逃げ>を図ろうというのでしょうか?

・『書き換えることで現総裁に真理を語らせる』..とはどういう意味なのでしょうか?

・『とはいえ、わたくしの身辺もにわかにあわただしくなってまいりました』..とあります。

3月4日に裁判所の “原宿本部、敗訴” の判決が出ました。 
その情報が全国の末端信徒の耳にも達して、各教区の教化部に問い合わせが入ってきた。 
教化部も原宿本部に対応の具申が必要となります。
当然、雅宣総裁のご意見を求めますよね?!

・この投稿の日付けは、6月7日です。 
雅宣総裁が、『わたくしの身辺もにわかにあわただしくなってまいりました』..と言っても時期的におかしくないですよね!!

・「身辺がにわかにあわただしくなる人」..とは、雅宣総裁以外にどなたがいるのでしょうか?

・ご自分の本音がポロリと...

・『「総裁はあのようなことを言っておられるが、本当はこういうことを言いたいのだ」と、
すべての信徒が、現総裁の言葉を雅春先生の教えに即して理解するようになれば、生長の家は今よりはよくなるはずでございます』..なんてね??

・『現総裁の言葉を雅春先生の教えに即して理解する』..なんて言っても、「雅春先生の教え」自体をそもそも知らない初心者はどうすればいいのでしょうか?

・詰まるところ、下層の信徒達は 

1)“聖使命会費”をきちんと献納し、 
2)講習会の参加者を勧誘し、 
3)絶版になっていない雅春尊師のご著書で勝手に勉強し、 
4)雅宣総裁の発言は絶対に否定せず、「本当はこういうことを言いたいのだ」と自己満足し、
雅宣総裁が “ポスト構造主義の時代”を<楽しく遊ぶ> ための支えとして、協力して欲しいだけではないのでしょうか???

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マサノブ教祖の年末年始 (5988)
日時:2012年01月01日 (日) 20時38分
名前:大阪の人

平成24年1月1日
 元旦におせちを有り難くいただきました。
本年もよろしくお願い申し上げます。
 <料理の写真>付


平成23年12月31日
 わが家の年越しソバです。ワカサギのエスカベージュと一緒です。
 <料理の写真>付

平成23年12月29日
 今日の昼食は、焼きウドンです。ニンジンをよく見ると、おせち用にくり抜いたあとのもの。
妻は、おせち料理をほとんど終了しました。
 <料理の写真>付


平成23年12月23日
 今晩のデザートです。妻が買ってきてくれました。ありがとう、純子さん。
 <ケーキの写真>付



皆さん、おめでとうございます

年末から年始にかけての マサノブ教祖 のfacebook でのお言葉です!!

勿論、1月1日に『新年おめでとうございます。
この新しい年に、すべての人々の神性開発の歩みがさらに一歩前進し、世界の平和と繁栄の実現が近づきますように…』との言葉もありますが、
<料理の写真>付メッセージの間に挟まれた <付け足し> みたいなモノであります。

純子女史の “恵味な日々” にとって変わって、マサノブ教祖ご自身も <料理の写真> を多用しております。

総裁としての “使命観” もなければ、宗教家としての “資質” もありません。

まさに、休日のお遊び感覚ではないでしょうか??

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姑息な生き延び戦略?? (6356)
日時:2012年01月27日 (金) 02時12分
名前:大阪の人

『4月からの年度における生長の家の運動方針が昨日決定、
今日は全国の教化部長さんたちを集めた懇談会を終わり、ひと息つきました。
横浜へ来て中華街の“春節”を楽しみました』....1/26  雅宣総裁 facebook


1月31日の “判決の日” が目前に迫ってきた中において、“全国の教化部長さんたちを集めた懇談会”が開催されたそうです。

“聖典”も“聖経”も自由にならなくなろうと云うこの時期に、如何なる“生長の家の運動方針”なのだろうか??

<敗訴>を確信しているからこそ、本部講師(補)K保田達也氏なる人に、“『大調和の神示』論を展開”させているのでありましょうか?!

本部講師(補)ごときが、『大調和の神示』論 を自由に展開できるはずはない。 
もしも、雅宣総裁の逆鱗に触れれば..... 
それを考えれば、雅宣総裁が 命令 して書かしめているとしか思えないではありませんか?

童子氏が、“『大調和の神示』が教義ではないだとぉ〜ッ!!”..と絶叫しておられるではありませんか.....(01/27(金) 00:16)

保田達也氏のプロフィールには、
『「生長の家」の伝道を主旨としていますが、構成するコンテンツはすべて私個人の責任で作成されています。
私は「生長の家」を代表する者ではありませんし、私の発言がそのまま「生長の家」の見解というわけでもありません』..と記してあります。

雅宣総裁ご自身が “身を引く決断” をすべき状態にあろうというのに、こんな姑息な生き延び戦略を図っているのでしょうか?

『懇談会を終わり、ひと息つきました』..とありますが、どの様な“ひと息”をついたのでしょう? 開き直りの “あがき” でしょうか?

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やはり 小旅行 のついでの“講習会”?! (6417)
日時:2012年01月30日 (月) 02時39分
名前:大阪の人

H24.1.29 雅宣総裁  facebook
講習会の終了後、那覇市内の市場に寄り、珍しい沖縄の魚たちに対面。
画面右下の小型の魚がグルコンという沖縄の「県の魚」です。
白身でいろんな料理に合う美味しい魚だそうです。


今回の講習会は、<沖縄教区>で開催されました。

マサノブ教祖の facebook では、講習会については 『講習会の終了後..』 とのみ書かれているだけであります。

講習会での講話の説明も無ければ、お世話下さった “沖縄教区の皆様方” に対する感謝の言葉すらもありません。

従来の傾向からすると、<参加者人数>に相当ご不満のようでもありますが...

“牧志公設市場”に立ち寄ったとの 旅行記録 のみしかありません。

やはり、マサノブ教祖にとっては、“講習会”はご自分の 趣味 である “小旅行” のついでに行う行事でしかないようです。

ア〜 ア〜 これが総裁なのです。

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“敗訴”なんて どこ吹く風?! (6476)
日時:2012年02月01日 (水) 02時10分
名前:大阪の人

2012年1月31日(火) 青いパパイヤ
沖縄の講習会で、控室に飾っていただいた青いパパイヤをお土産にいただきました。    <中略>
ひと口いただいた夫は「ちょっと堅いし苦みがあるね」といいました。
堅そうなので、よく炒めたのですがまだ堅かったです。
 早速 iphone で「青いパパイヤの料理法」を検索してみたら、続々と出てきました。
まず、皮をむくこと、それから細い千切りにして、塩をして、水にさらしあく抜きをするというのが、大体共通した料理法でした。



これが<敗訴判決>を受けた当日の 純子女史 の “恵味な日々” の一節であります。

純子女史は、今回の裁判のことをご存じないのでしょうか? <敗訴>したことをご存じないのでしょうか??

“裁判”なんてどこ吹く風で、“料理教室”さながらであります。

『ひと口いただいた夫は「ちょっと堅いし苦みがあるね」といいました』...なんてことですが、
マサノブ教祖にとっては、<敗訴判決>に苦みをかみ殺しているのでないのでしょうか??  
すべての責任を <他人の所為> だと立腹しながら...

“谷口恵美子先生”を表にして裁判を戦い、磯部和男氏に『当法人としては、最高裁判所への上告を検討しています』...と言わせておいて、マサノブ教祖ご自身は、沖縄の講習会で “お土産” としていただいた“青いパパイヤ”を食しているのであります。

影に隠れて 表に 出てこない。 
必要なら 実母 までをも容赦なく利用する。 
その実母から“高額の家賃”を取るようにした張本人が...

こんな卑怯な 総裁 はもうご勘弁願いたい!! 即刻退去して欲しい!!

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頼りになるのは“純子奥様”だけ?! (6689)
日時:2012年02月10日 (金) 10時05分
名前:大阪の人

H24.2.9 雅宣総裁  facebook
今日の昼食は伊勢うどんでした。
昨夜は、長い長い会議のあとで疲れましたが、これで元気回復です。


“会員数の激減”.. “1/31 の敗訴判決”.. そして 2/8 の“長い長い会議”..

マサノブ教祖ご自身、『疲れました』と述べているぐらいだから、“日時計主義”なんてことでやり過ごせる 議題 でなかったことは想像がつきます。

今までは末端の信徒に“隠していたであろう情報”が、最近ではアッと云う間に拡散してしまう。 
だから1/31 の“敗訴判決”が出るや、生長の家の公式サイトに 『生長の家社会事業団等との訴訟の判決について』と題して“代表役員 磯部 和男”名にて即座に掲示されました。 
あたかも“敗訴”を予知していたかのように...

その“敗訴判決”の1週間後の “長い長い会議” であります!!


もはや押さえきれなくなってきた“民意(信徒の声)”。 
ヒシヒシと迫るその<圧力>に、マサノブ教祖も “長い長い会議” を余儀なくされ、相当に“お疲れ”になったのであります。


昼食の伊勢うどんで、『これで元気回復です』と... 
純子女史の古里の“伊勢うどん”で元気回復を口にするマサノブ教祖は、周囲に信じられるものが居なくなり、“純子奥様”だけが頼りです..と、その心境を吐露しているのでありましょうか?


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“敗訴判決”を受けての<原宿教団>の本音? (7013)
日時:2012年02月23日 (木) 01時24分
名前:大阪の人

“「靖国見真会」参加者”という方が、よく<トキ掲示板>の“トキさん”の発言を参考にされておられるので、その掲示板を覗いてみました。


1458 :トキ:2012/02/13(月) 19:39:24 ID:Tydet.8s  本流掲示板に以下のような投稿がありました。

谷口雅宣先生の「本」があればそれでいい!
NEW (6764) 日時:2012年02月13日 (月) 17時24分 名前:「靖国見真会」参加者.....(詳細は原文を参照下さい)


・トキさんが仝上の原文を掲載し、下記のように書かれております。 最初の部分は省略いたしますが...


 本流復活派の言動にも困ったものがありますが、原宿教団の中にも困った言動をする人がいます。
それが、余計に本流復活派の人達の神経を刺激して、喧嘩が激しくなるのです。
しかし、以上のような言動をするのは、少数派であり、大半は、そんな事は考えていないです。

 原宿教団の上層部でも、強がりを言っていますが、本音では「困った事になった」という部分があると思います。
顔をつぶさないように和解の申し出をするのが、本当の谷口雅春先生の弟子の姿勢だと思います。
 宜しくお願い申し上げます。



・トキさんは、『本流復活派の言動にも困ったものがありますが、原宿教団の中にも困った言動をする人がいます』..と、一応は両者の中間的な立場を示しております。

・でも、トキさんは、原宿教団の現役の上層部の一員であることは間違いないことでしょう(茶坊主の一人?)。 
“下層の人達”には知り得ない情報をよくご存じですから...

・『原宿教団の上層部でも、強がりを言っていますが、本音では「困った事になった」という部分があると思います』..とありますが、これこそ“敗訴判決”を受けたことによる <本音> でありましょう。

・H24.2.9 雅宣総裁  facebook にありました、『今日の昼食は伊勢うどんでした。昨夜は、長い長い会議のあとで疲れましたが、これで元気回復です』..の “長い長い会議” が、この「困った事になった」ことに原因するのではないでしょうか?

・そして原宿本部、いや雅宣総裁の <本音> は、
『(雅宣総裁の)顔をつぶさないように和解の申し出をするのが、本当の谷口雅春先生の弟子の姿勢だと思います』..に尽きるのではありませんか??

・『(雅宣総裁の)顔をつぶさないように和解の申し出』..といっても、両者の間には、
<雅春尊師の御教え> を採るか <今の教え> かという根本的な “理念” の違いがあるのです。

・トキさんは、<雅春尊師の御教え>を捨てて “和解の申し出” をして欲しいと言っていることになるのですが.....


・最高責任者である雅宣総裁は、ここに到っても “辞任” したくない一心であることが滲み出ております。

・そしてトキさんは、雅宣総裁の首に 鈴を着ける こともできず、『宜しくお願い申し上げます』..と、<本流復活派>に向けて発信しているのであります。

“地位や、名誉や、財産、等々に固執してはいけない”と、“原宿教団”でも教えておられるはずですが、
その最高責任者である 雅宣総裁ご自身 が、これに反ししがみついている様相は、民主党の 管直人元総理 とそっくりではないでしょうか。

・最高裁判所の判決が出るまで 先送り されるお積もりのようですが、そこまで行き着かないと取り巻きの白鳩さん達には納得できないのでしょうか.....

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尾窪勝磨氏(雅宣総裁の亡霊?)現れる?! (7240)
日時:2012年03月02日 (金) 09時32分
名前:大阪の人

『総裁のお話はお聞きしていませんが宗教や真理に対する受け止め方や解釈は仰る通りだと思います、生長の家の未来は明るい』
投稿: 尾窪勝磨 | 2012年2月29日 (水) 11:05



仝上は、純子奥様の“恵味な日々”(2012年2月28日 (火)代表者会議)のコメントに投稿されたものであります。

以前から、尾窪勝磨氏は “雅宣総裁の亡霊?”あるいは“影武者?” との噂が一般的でありました。 
そうだと理解すれば、純子奥様に 
『最後に総裁のお話がありました。大変感銘深い内容で、私は感動して胸が熱くなりました。
それは宗教の根本的な問題であり、信仰者が陥りやすい間違いについてのお話でした』
と書かせ、雅宣旦那がそれに呼応したと解することができます。。

この“掛け合い”にて、
『総裁のお話はお聞きしていませんが宗教や真理に対する受け止め方や解釈は仰る通りだと思います』
..と自分自身を正当化しているのであります。

そうして、『生長の家の未来は明るい』と自画自賛です.....


裁判を繰り返している “今の教え” の未来がどうして明るいのでしょうか?

昔々、輝子奥様は講演にて、『生長の家において“裁判”なんて 以ての外 ですよ!!』と喝破しておられました。

・ましてや、勝訴の見込みのない <最高裁への上告> は、浄財の垂れ流しであり、全く信徒をバカにした話であります。

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“恵味な日々”(2012年2月28日 (火)代表者会議)

『以前は二日間かけて行われていましたが、今回は半日で終了しました。
ダラダラと長い時間をかけるのではなく、要点を絞ってまとめられたおかげです』

“唐松模様”(2012年2月28日 (火)「コトバ」について)

『7カ国から生長の家の幹部約800人が集まってディスカッションの時がもたれた』


・世界から Co2 をモノともせず、多数の幹部を一堂に招集し、たった半日で終わったのですか?

・こんなことなら、講習会ではおなじみの <複数会場> を同時通信にての開催でよかったのではありませんか?

・『ディスカッションの時がもたれた』..なんてね? 反論できない 一方的通告 でしょ!!

・“高裁敗訴”のすぐ後だけに、このことを追求されることになっては、雅宣総裁自身が回答に窮するのが明々白々だから <逃げ> を図っただけではありませんか??

・コトここに至っても!! やはり民主党支持者であるだけに、菅直人元総理のように.....

雅宣総裁は、ご自分の 面子(メンツ) だけを護りたいのでありましょう。 
そして、“総裁の地位”と、今までに密かに蓄えてきた“財産”も..... 


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教勢が 急落 しているその理由は?? (7663)
日時:2012年03月20日 (火) 22時10分
名前:大阪の人

理由はいたって簡単ではありませんか!!

雅宣総裁の お話し なり 文書 に“感動”がないのです、“響くもの”がないのです。 
宗教家と言いながら、“霊的なお話し”が出てこないのです。


<雅春尊師>

・各地で講習会をすればする程に、ゼロから大きく信徒数が増えていったのです。
・皆さんは、雅春先生のご講話を“聴きたくて”講習会に行ったのです。
・“私には休んでいるヒマがない”と<人類救済>の為に全身全霊を投げ出されたのです。
・“唯神實相哲学”を説かれました。



<雅宣総裁>

各地で講習会をすればする程に、総裁のお話しに魅力がないから教勢は落ちていくのです。
皆さんは、義理で仕方なく“お弁当”をもらいに講習会に行っているのです。
・休日には別荘へ行き、講習会はご趣味の“小旅行”のついでの行事なのです。
“唯物的環境論”を説いております。

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大阪教区はこれからが大変なのです!! (7887)
日時:2012年03月31日 (土) 11時02分
名前:大阪の人

『大講習会を成功させよう!!』...を掲げて 妹尾壽夫・教化部長 は猛進してまいりました。

結果として、雅宣総裁が『合計で29,249人の受講者が参集、前回を1,464人上回る成果となり、平成23年度の最後を飾った』と喜びのコトバを述べていることにホッと一息ついた心境だと思います。

しかし、今までは隠されていたであろう情報が、組織内部に浸透してきており、“高裁の敗訴判決”という強力なパンチがボディーブローとして、組織内部に “疑心暗鬼” の波として押し寄せております。

だからこそ、“組織を守ろう”、“雅宣総裁を守ろう”、と必死で組織防衛を図っているのであります。

でも、こうして動き始めた“疑心暗鬼”の波は、かつ消えかつ結びて更なる大きなウネリとなって増幅されているのであります。

“遊び心”を持っている 大阪の人 といえども、も最早許容の限界に近づいております。

大阪教区はこれからが大変なのです!!!

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「大自然讃歌」ですって? (8184)
日時:2012年04月09日 (月) 03時56分
名前:大阪の人

>> 私の長編詩は、形式としてはこれら聖経に似てはいるが、それに取って代わるものでは決してない <<


雅宣総裁ご自身が、『聖経に似てはいる』とハッキリと意識された上での 公表 ですよ!!

それも、そろそろ <最高裁の判決> が出るであろうことを予知したこの時期にです。

つまりは、最高裁で <敗訴> するであろう時の対応、“聖典、聖経”の扱いに窮しているからこその対応、であるのは明白でありましょう。

コトバを変えれば、雅宣総裁の“現象智”を駆使し、長期間かけて練りに練った <最後のアガキ> であります。


『聖経に似てはいるが、それに取って代わるものでは決してない』なんて言ってますが、これは ウソ です。

最高裁で<敗訴>になるであろうから、これを“聖経もどき”として代用して欲しい..との雅宣総裁の思いが滲み出ております。


こんな姑息な手段を弄して、“下層の人達”を引き留めることが出来ると本気で考えているのでしょうか?

この“聖経もどき”は、雅春尊師の 否定 であります!!

下層の人達の、ノー・ノー・ノーと言う大合唱が.....

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白鳩会総裁は 好かれて いないのですか? (8455)
日時:2012年04月19日 (木) 02時07分
名前:大阪の人

谷口純子女史の 毎日がワクワク の “恵味な日々” への下層の信徒達のコメント数は下記の通りです。 (4月19日現在)


2012年4月18日 (水) モミジのかんざし          0名

2012年4月17日 (火) 春は驚き              0名

2012年4月16日 (月) 新年度の授業開始          0名

2012年4月15日 (日) 松本市に行って来ました       1名

2012年4月13日 (金) 庭は花盛り             0名

2012年4月11日 (水) 森の中オフィス地鎮祭        3名

2012年4月 8日 (日) 福知山に行って来ました       3名

2012年4月 4日 (水) 春の嵐               1名

2012年4月 1日 (日) 新年度スタート           1名



・白鳩会総裁の ブログ ですよ!!

・“福知山” や “松本” は講習会があった日です。 各教区の皆さん方からの感謝のコメントは...? これでも多すぎる???

・いつもは、旦那様の“書籍”や“お話し”を褒め讃えるのですが、今回の 「大自然讃歌」 については一切コメントがありません。

・新年度がスタートしたというのに.....

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文脈がおかしい (8456)
日時:2012年04月19日 (木) 04時02分
名前:清流

この欄TOPにある(2011年03月26日 154)を見ました。

> 『歴史から何を学ぶか』

「キリスト教や仏教では口伝や聞き書きが主で、教祖自身による記録が現在残っていないから、いろいろな問題が起こる余地があることは皆さんご存じだと思います。
しかしその反面、教祖が書かれた文書が数多く残っているということが、逆に問題を惹起することがある」

『文字の表面に表れていない要素』を正しく読み取らないと、我々は大混乱します。これは私が保証します」<


この文章表現は非常におかしい。
何を保証するのですか、
読者がどのように理解や解釈する事をどうして雅宣氏が保証出来るのでしょう。
だいたいこのような事柄に「保証する」等との言葉を使う事が通常では無いですよね。

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混乱しているのは マサノブ教祖 ご自身です (8466)
日時:2012年04月19日 (木) 10時40分
名前:大阪の人

>> 『文字の表面に表れていない要素』を正しく読み取らないと、我々は大混乱します。これは私が保証します」 <<

清流さん、有難うございます。

本当にそうですね。 『我々は大混乱します。これは私が保証します』なんて、“我々”というから問題なのです。

『私が大混乱しています』というべきでしょう!!

『これは私が保証します』なんてことは、マサノブ教祖自身が混乱していると自ら認めているのです。

もう少し真剣に 生長の家の御教え を勉強して下さい、マサノブ先生..

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世界人口“70億人”を 地球 が養えるのか? (8483)
日時:2012年04月19日 (木) 17時24分
名前:大阪の人

生長の家総裁 facebook 4月19日

>> 今日は、原宿ど真ん中にできた新しい「東急プラザ」ビルの開業日。
朝から人だかりで、夕方もこのように人、人、人……。
原宿にまたまた熱源とCO2の排出源ができたこと、私は残念でなりません。 <<


雅宣総裁は、『原宿にまたまた熱源とCO2の排出源ができたこと、私は残念でなりません』と述べております。 
一体、何を言いたいのでしょうか?

これは、『多くの人を集客するような 商売 はしてはいけない』と云うことになるのでしょうか??

百貨店はダメ、スーパーはダメ、ディズニーランドはダメ、演奏会はダメ.... こんな商売はすべて止めてほしいのでしょうか?


でも、ご自分の “講習会” だけは異常な程に <人集め> に執着しております。


原宿ど真ん中にできた新しい「東急プラザ」へは、皆さん喜んで行かれているはずです。

雅宣総裁の講習会は、イヤイヤではあるが義理で仕方なく お弁当 を受取にいくだけです。 
講習会が終わる頃には 30% ぐらいの人しか残っていないではありませんか。

こちらの方こそ、『私は残念でなりません』と言うべきだと思うのですが...


また、雅宣総裁の持論である <環境問題> を問うのであれば、世界でも人口の多い“中国”や“インド”に物申していただいたら如何なものでしょうか?

ひいては、『世界人口“70億人”を 地球 が養えるのか?』について言及していただきたいものです。

雅宣総裁の希望する <地球環境> から考えれば、“江戸時代”ぐらいの世界人口が望ましいのでしょうか??

70億人の世界人口を 10億人 ぐらいに減らすには...を述べて頂きたいと思います。

そうであれば、人口の減少が続いている 日本 で物申すのではなく、中国やインドに対して物申すべきだと思うのです。



<世界人口の推移>...(参考)

1603年   3億人 徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。

1702年   5億人 赤穂浪士があだ討ちをする。

1798年   7億人 本居宣長が「古事記伝」を著す。

1904年  12億人 日露戦争が始まる(〜1905)。 

2011年  70億人 <現在>

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感情的な敵意の『本流復活派批判』しかできない原宿教団!! (9043)
日時:2012年05月09日 (水) 23時41分
名前:大阪の人

776 :トキ:2012/05/08(火)
>> 最近教団内部でも、極端な本流復活派批判が登場しています。
とにかく、総裁に反対するのは悪である、という観点から、感情的な敵意を本流復活派に浴びせています。<<


10年程前の時代では、組織内部に “心の余裕” というものがありました。 
また、原宿本部内の情報もそれ程 “末端の信徒” に伝わっていませんでした。

まだまだ、雅春先生をご存じの信徒も沢山おられました。

だから、雅宣ぼっちゃんも “ご自分の思想・信条” を控えめに発信していたのです。


それから10年、(雅春先生をご存じの)多くの年配者が 霊界へ旅立たれ ました。

“時期を得たり”とばかりに、雅宣ドンは本格的に “ご自分の思想・信条” を発信するようになりました。 
生長の家の看板を掲げながらの <マサノブ教> 布教であります。


ところが、雅宣ドンが全国の各教区を 小旅行(講習会) すればする程に “生長の家の教勢は<低下>する一方”となり、これに反し、外部の勢力は日増しに 強力 になってきたのです。

それだけではない、外部からの 砲弾(情報) が 組織内部にまで撃ち込まれる様になったのです。

さあ大変とばかりに、各教区の教化部長が先頭に立って、
『あの会合に参加してはならぬ』、
『あんな本は読むな』、
『あれはデマだ』、
『あんたは雅宣総裁に中心帰一していない』
・・等々の規制や防御が厳しくなってきたのです。 ネバー、ネバー、ネバー.....

とはいっても、外部の人達の言われることの方が <雅春先生の説かれた本来の御教え> だから困ったのです。 
“正論”だから困ったのです。

論理的に <反論出来ない> のであります。 
だから、感情論だけでの反対になるのです!! 
白鳩さん主体の組織だから、余計に<感情的>にもなるのです。


組織内部にも、“最近の雅宣総裁はオカシイ”なんて話が、ヒソヒソと伝わりだしたのです。

でも、誰一人として “雅宣ドンの首に鈴を付ける”人がいないのです。 
諫言すれば、左遷、退職、が待っているからです。

雅宣ドンの周りには、ゴマすりの “茶坊主” ばかりになり、心ある人達は、辞めるか、沈黙かの二者択一を強いられたのです。

各教区の教化部長達も、“高給を餌”に 茶坊主 と化して、“雅宣総裁を守ろう!!” と頑張っているのです。 
1000万円以上もの エサ(高給) が目の前にぶら下がっているのですからね・・・?!


各教区の 役職者達 の立場をお考え下さい!!

“上層部”からの圧力、“下層部”からの突き上げ。 この挟み撃ちに、居たたまれぬ思いで悶々としているのです。

この<ガス抜き>として仕向けられたのが、“本流復活派批判” という訳であります。 
中国で言えば、“反日行動”であります。

下層の人達が、最近 ノー、ノー、ノー、と言う様になってきたから尚更始末に悪いのです。


ここに、“強力なパンチ”が飛んできたのです。 
<聖典・聖経をめぐる判決>であります。 
地裁に続き、高裁での <敗訴判決> です!!!

最高裁へ上告はしたものの、勝ち目がありません。

流石に、これだけは“デマ”だとは言えません。 法治国家・日本国ですから...

ああ、今後の原宿教団はどうなるのだろうか? 森の中へ移動して、“ヤマギシ会”みたいになるのだろうか??


そんな折も折、敗訴を予知した 雅宣総裁 が 『大自然讃歌』なんてもの、つまりは“聖経みたいなもの”を発表したのです。


皆さん、当分の間は 静かに見守ってあげる 以外にないではありませんか?

組織内部の“上層部”と”下層の信徒達”との動向を.....


和解、和解、なんて言っている人は、コトの本質を理解していないのです!!

でなければ、純朴なる信徒を ペテン にかける 詐欺師 です。

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雅宣総裁の ペテン技法 とは・・・ (9215)
日時:2012年05月16日 (水) 11時00分
名前:大阪の人

雅宣総裁こそが 純朴なる信徒を ペテン にかける 詐欺師 です!!

雅宣総裁の 本質 は、“唯物論者”なのであります。 
これを隠すために利用しているのが、<生長の家的・宗教的な用語> であります。


<生長の家的・宗教的な用語>

・人間神の子  ・三界唯心所現  ・万教帰一  ・大調和  ・住吉の大神  ・観世音菩薩  等々


* まず、こういう言葉を 語る ことによって、宗教的な雰囲気を想像させ、雅春先生の御教えとの連想をもたらす様に仕向けるのです。

* これが “麻酔剤” として働くのであります。 
雅春先生の御教えとの連想をもたらす“仮想世界”の創造です!!

* 特に、雅春先生のご存命中に直接ご講話を拝した “純朴なる古き信徒” には、強力に作用するのです。

* 『生長の家は昔と変わっていないね、“万教帰一”のお話をされていたよ』、といった具合です。 
話の内容はそんなに聞いていないのです。 
“万教帰一”という コトバ だけが耳に残っているのです。

* どうです、ペテン師の本領発揮です!! 
雅宣総裁としては、これが目的なのです。

* この辺りを巧みに、意図的に操作するのであります。 
これが雅宣総裁の得意とする “ペテン師技法” なのであります。

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<生長の家的・宗教的な用語における定義の基盤が違う>

雅宣総裁 = 国語辞書、一般の仏典、学者の意見

一般信徒 = 生命の實相、雅春先生のご著書


* 注意すべきは、“同じ生長の家的用語”を使っても、その解釈が問題なのです!!

* 雅宣総裁 と 一般信徒達  との間に “大きな 差異 のあること” に気づかない人が多いのであります。


* 雅宣総裁は、他人の文章について『貴方のこの言葉は 定義 が違います。国語辞書によると・・・』という様に指摘するのです。 これが結構多いのです。

* 生長の家の “生長の家たるべき解釈” は、国語辞書の解釈ではありません。 <生命の實相>にこそ 基軸 を置くのが本来の姿であります。

* 雅宣総裁は、“法灯継承者”だと 自作自演 しているだけで、生長の家の“聖典”である <生命の實相> を真剣に拝読されていないとしか思われません。

* 『私は宗教家です』なんて自己紹介しながら、“霊界の話”は避けて見向きもいたしません。

* 雅宣総裁は、宗教家では決してありません!! “宗教学者”または、“宗教評論家”と称すべきであります。

* 雅宣総裁は、<無の関門>を超えることが出来ないのです!!!

* 雅宣総裁の <理性> が、それを許さないのであります!!

* また、参考にしている文献は、その主たるものは “朝日ヘラルド” であります。

* 何故かというと、ご自分の <主義・主張> が、“朝日ヘラルド”の基軸と相似しているからに他なりません。

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<突然に話題を 飛躍・転換 するのです>

* 直近の話題では、『観世音菩薩』を取り上げております。

* どうです、『観世音菩薩』と聞けば“宗教的な雰囲気”を想像させませんか? 宗教的な何かを期待しませんか?

* ところが、内容は『観世音菩薩の言語学的な由来の説明』ぐらいしかできないのです。 
“国語辞書”やら、“仏教辞典”等々あたりの解釈を参照することしか出来ないのであります。

* そうしておいて、突然に“脳科学的な説明”なんて話に入るのであります。

* 『観世音菩薩』のお話が “麻酔剤” であります。

* そして、“仮想世界”に引きずり込んでおいて、ご自分の<主義・主張>の方向に話題を転換していくのです。

* そうする前の “導入剤” として、“脳科学的な説明”を始めたのであります。

* この“導入剤”は、出来るだけ 小難しい お話ほど効き目があるのです。

* 実際には、雅宣総裁の 専門外 であるお話であり、訳の分からない 学者 が述べていることの 受け売り でしかないのであります。

* ここにおいても、雅宣総裁は、聖典“生命の實相”にその由来を求めようとはしないのであります。

* 時期を見て、雅宣総裁の常用している “右脳と左脳の働きのバランスの大切さ” なんてことで 誤魔化し にかかるのであります。

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仝上のようなお膳立てができたところで、ご自分の意図する方向、つまりはご自分の<主義・主張>の“環境問題”に話題が変わり、“生長の家が森の中に行く”という筋書きになっていくのであります。 最近では、“脱原発”でしょうか。

ここまでくると、全くの <現象論> であります!!  <唯物論>の世界であります!!

雅宣総裁の ペテン技法 駆使のスキルは、人並みではありません。 
だから、白鳩達がその ワナ に取り込まれてしまっているのであります。

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現象ありの雅宣教 (9221)
日時:2012年05月16日 (水) 14時24分
名前:蒼穹

『歴史から何を学ぶか』

「キリスト教や仏教では口伝や聞き書きが主で、教祖自身による記録が現在残っていないから、いろいろな問題が起こる余地があることは皆さんご存じだと思います。
しかしその反面、教祖が書かれた文書が数多く残っているということが、逆に問題を惹起することがある」

「そういう『文字の表面に表れていない要素』を正しく読み取らないと、我々は大混乱します。これは私が保証します」

「私が今、心の中で言おうとしていることが、「声帯」という肉体の器官を使わずに、すべて以心伝心で皆さんに伝わるならば、講話などする必要は何もない」

「言葉が現象であるならば、我々の運動は当然現象です」

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大阪の人 154の投稿よりの引用ですが、これを読むと雅宣氏は全く生長の家の本義を理解出来ていない事が分かります。

>>「私が今、心の中で言おうとしていることが、「声帯」という肉体の器官を使わずに、すべて以心伝心で皆さんに伝わるならば、講話などする必要は何もない」<<

私達は谷口雅春先生の時代から先生の声を、言葉を、お聴きしたのではなくその発せられる御言葉の中から生命の実相の真理を受け取ってきたのです。
谷口雅春先生の心をお言葉を通じて吾が心としてきました。

雅宣氏は講師が言葉を発し聞き手が耳で聴く現象だけを見ているのです。
雅宣氏の論ではいくら実相はあるとしても実生活は現象界であるから間違いがあると言うのです。

それこそが雅宣氏の迷いの元であります。甘露の法雨の「無明」の中にあります。

心をもって物質に支配さるるものと誤信し
物質の変化に従って
憂苦し懊悩し
われとわが生命の円満完全なる実相を悟ることを得ざるを迷  いと云う。


雅宣氏は現象ありの心で円満完全なる実相を悟っておられないのです。
神様のその世界を実現の為人間としてこの現象界で使命達成の為生活を送っているのです。
いやそのままで実相は完全円満である事の教えが生長の家であります。
現象無し実相一元の観の転換でどれほど多くの方が救われて来たことでしょう。
生命の実相の書に数々の体験談が谷口雅春先生によって顕されています。

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“パクリ”が得意? 雅宣ボス!!NEW (9402) (9406)
日時:2012年05月23日 (水) 11時26分
名前:大阪の人

2012年5月17日 (木) 観世音菩薩について (7)

 4月19日の本欄では明確に書かなかったが、ジャスティン・バーレット氏が指摘した“自然宗教”の信仰内容7カ条は、生長の家が説く真理と同一ではない。
具体的に言えば、第3項と第5項は生長の家の教えとは明らかに違うし、第2項、第4項、第6項も厳密に考えると「全く同一」とは言えない。
私が先に自然宗教の概念について「万教帰一の考え方を支持する知見」だと言ったのは、この7カ条が人類普遍の救いの原理そのものだという意味ではなく、歴史上、世界各地に宗教を生み出してきた原理(原因)は人類に共通しているという意味である。
別の言い方をすれば、宗教が生み出されてきたことには人類学的な共通原因があるということだ。
この点は重要なので、読者は誤解しないでほしい。

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*『ジャスティン・バーレット氏が指摘した“自然宗教”の信仰内容7カ条は、生長の家が説く真理と同一ではない』・・とまずは断りを述べています。

*どの様な素性の学者か知れない ジャスティン・バーレット氏 を担ぎ出しました。

*『生長の家が説く真理と同一ではない』・・と明かしております。 それでも、ここに引用したのです。

*雅宣ボスの望んでいることは、“自然宗教”というコトバを パクること しかないのであります。

*ご自分の <主義・主張> である “環境論” への誘導の為です!!


*雅春先生の 絶版にしたはずのご著書 からでも、ご自分の都合の良いところは 引用
するのであります。

*将に、“つまみ食いの雅宣ボス”の真骨頂であります!!!

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“宗教と科学との接点”で迷っている、雅宣ボス!! (9464)
日時:2012年05月25日 (金) 17時34分
名前:大阪の人

2012年5月 9日 (水)  観世音菩薩について (4)

宗教と科学との接点を見出し、考えてみたいのである。
具体的には、もし観世音菩薩が我々の“内部”にある人間の「本性」だと宗教で言うならば、脳科学的にはその本性が脳のどの辺に位置しているのか、あるいは脳のどのような機能として説明できるのかという問題を考えてみたい。
(谷口雅宣)

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*雅宣ボスは,『宗教と科学との接点を見出し、考えてみたいのである』・・と述べております。

*雅宣副ボスの時代に、『遺伝子は単なる“物質”とは思えない』・・と言っておりました!!


*これらを踏まえて考えてみると、雅宣ボスは、<科学>を徹底して追求していくと、その先に <神様の世界> が見えて来るのではないか?・・と、本気で思っているのであります。

*雅宣ボスは、“遺伝子”に“神様”を感じているのです。 いや、感じようとしているのです。

*本来が“唯物論者”ではあるが、生長の家の総裁”という立場にあるが為に、唯物論の物質世界の中にあって、“唯神論”を極めようとしているのだと思われます。 
もがいているのであります。

*だから、『脳科学的にはその本性が脳のどの辺に位置しているのか、あるいは脳のどのような機能として説明できるのか』・・という方向に話が進むのです。

*このこと自体が“迷いの迷路”に入り込んでいるのだ・・と感じられないでいるのが、雅宣ボスの現在の姿だと思います。 
これが“今の教え”の哀れな現状の根本原因であります。


*雅春先生がお示し下さったように、ズバッと『迷いはナイ』『物質はナイ』・・と断言しようとしないのです。 
『迷いは自由から来る』・・なんて話になるのであります。

*これならいつまで経っても“無の関門”を越えることができません。

*雅宣ボスには、“迷いの迷路”から脱出していただく為にも、<生命の實相>を真剣に拝読いただきたいと念じる次第です。

*でなければ、一刻も早く身を処していただきたい!!!

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“総本山”はメッカです!! (9512)
日時:2012年05月27日 (日) 00時53分
名前:大阪の人

雅宣ボスが言いました。 『“総本山”は <聖地> ではない、<聖地のような> と言うのなら許せるが..』・・と。


この時から、レールは敷かれていたのです。  もちろん、<敗訴判決> を覚悟の上であります。

“奥津城”は、メッカです!! エルサレムです!! 聖地です!!


雅宣ボスは、ここに来て 自分自身 を押さえきれなくなってきたのです。

<破れかぶれ>になって、“聖経まがい”を公表したのです。

でも、“聖経まがい”が雅宣ボスにとっての <がん細胞> であることに気がついておりません。 
年内にも出るであろう <最高裁判決> のその時には、全国各地の組織内部にまで 転移 しているでありましょう・・・

その時には、いかに雅宣ボスといえども手に負えません。


天界では <雅春尊師> が 最高の時期に、最高の姿をもたらさんと、指導しておられます!!


皆さん、そうではありませんか?

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<総本山、奥津城>の前で “大自然賛歌” を朗唱?! (9556)
日時:2012年05月28日 (月) 09時12分
名前:大阪の人

楠本行孝総務は、サタンに憑依され、破れかぶれの形相で 圧力 を掛けてくる <亡霊> を夢見たのだろうか?

雅宣ボスの<亡霊>を・・・


団参参加者が参拝した“奥津城”の前で、聖経「甘露の法雨」の一斉読誦の後、「大自然讃歌」が読み上げられた!!


楠本行孝総務が指示しなければ、こんなことは出来ないはずですよね?


楠本加美野先生はもう既にこのコトを聞かれたでありましょう!!

でも、今は 口にチャック しか出来ないのです。 “無念”でしょ? “無念”ですよね!!!

“親孝行の話”を信条としてきた 加美野先生 に対し、行孝息子 は“親不孝”を実践して見せたのです。



楠本加美野先生は、<宇治>から去る決断をされるのだろうか・・・・・


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楠本行孝総務は真の生長の家を知らない (9558)
日時:2012年05月28日 (月) 10時27分
名前:オリオン星座

楠本行孝総務は真の生長の家を知らないのです。
谷口雅春先生が人生最大の魂を掛けられての昭和36年弥勒の年から昭和45年までの人類光明化運動を知らないし生長の家の歴史も勉強もいていない人ですから。

勿論 生長の家五十年史は発禁ですから勉強しようが無いですけれど。

雅宣総裁は雅春先生の教えと活動史を抹殺するため生長の家五十年史を始め各年史を出版停止と雅春先生の重要書籍を発行停止にしました。

これら各誌が発行されると雅宣氏の嘘が暴かれるからです。

しかし生長の家信徒の宅にはまだまだ現存します。みなさまお互いに貸しあって拝読致しましょう。

戦後GHQによって“教育勅語”を抹殺された事実と同じ手法です。

雅宣氏はアメリカ留学で、アメリカを支配する世界制覇勢力に洗脳されたのです。

世界制覇勢力は日本の愛国勢力の最大の指導者谷口雅春先生の指導真理の抹殺を考えたのです。

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“詐欺師、マサノブ”ここにあり (9590)
日時:2012年05月29日 (火) 09時57分
名前:大阪の人

2012年5月26日 (土) 観世音菩薩について (10)

私は、この過剰な都会文化をもっと薄め、自然が提供してくれる包容的、協調的な視点からより深く学び、自他の境界を減らし、潜在意識の豊かな流れからアイディアを得つつ、五感が受け取る自然界の情報を活用して環境と密着した生き方をするような道を、今後の人類は確保し、かつ広げていくべきだと考えるのである。
そういう意味で、今回の渋谷の不幸な事件も、その他もろもろの都会生活の問題も“反面菩薩”の説法として謙虚に聴くべきだと思うのである
谷口雅宣

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雅宣総裁の ペテン技法 とは・・・ (9215)

* 直近の話題では、『観世音菩薩』を取り上げております。
* どうです、『観世音菩薩』と聞けば“宗教的な雰囲気”を想像させませんか? 宗教的な何かを期待しませんか?
* ところが、内容は『観世音菩薩の言語学的な由来の説明』ぐらいしかできないのです。 
“国語辞書”やら、“仏教辞典”等々あたりの解釈を参照することしか出来ないのであります。
* そうしておいて、突然に“脳科学的な説明”なんて話に入るのであります。
* 『観世音菩薩』のお話が “麻酔剤” であります。
* そして、“仮想世界”に引きずり込んでおいて、ご自分の<主義・主張>の方向に話題を転換していくのです。
* そうする前の “導入剤” として、“脳科学的な説明”を始めたのであります。
* この“導入剤”は、出来るだけ 小難しい お話ほど効き目があるのです。
* 実際には、雅宣総裁の 専門外 であるお話であり、訳の分からない 学者 が述べていることの 受け売り でしかないのであります。
* ここにおいても、雅宣総裁は、聖典“生命の實相”にその由来を求めようとはしないのであります。
* 時期を見て、雅宣総裁の常用している “右脳と左脳の働きのバランスの大切さ” なんてことで 誤魔化し にかかるのであります。

仝上のようなお膳立てができたところで、ご自分の意図する方向、つまりはご自分の<主義・主張>の“環境問題”に話題が変わり、“生長の家が森の中に行く”という筋書きになっていくのであります。 最近では、“脱原発”でしょうか。

ここまでくると、全くの <現象論> であります!!  <唯物論>の世界であります!!

雅宣総裁の ペテン技法 駆使のスキルは、人並みではありません。 だから、白鳩達がその ワナ に取り込まれてしまっているのであります。
(以上、過去の引用)

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雅宣ボスによる “観世音菩薩について” は如何でしたか?

ペテン師の本領を発揮しております!!

第10話になって、<左脳、右脳>の話がでてきましたが、最後は『この過剰な都会文化をもっと薄め、自然が提供してくれる包容的、協調的な視点からより深く学び・・』と述べ、『今回の渋谷の不幸な事件も、その他もろもろの都会生活の問題も“反面菩薩”の説法として謙虚に聴くべきだと思うのである』と締めくくっております。

最も謙虚でない人が、『謙虚に聴くべきだと思う』なんて恥じないところが、普通の性格ではないのでありましょう。


そして、いよいよ何か(サタン)に取り憑かれたように、なりふり構わず、意地になって <観世音菩薩讃歌> なんてモノを公表するのであります。 
本来の“聖経”にある <語句> を多用しながら、コトバを変えれば パクリ ながら、雅宣ボスの <主義、主張> を散りばめて行くのであります。

『「聖経に取って代わるもの」を意図していない。
諸処に聖経から引用しながら、聖経では触れられていない方面への補強を試みている』なんて言っておりますが、ウソです!!

建前としてはそうしておいて、後は周りの 茶坊主達 が <新・聖経> へとお膳立てするように、裏から工作するのであります。


“詐欺師、マサノブ”ここにあり!!!

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“聖経もどき”は 雅宣ボスの<右脳> を使って・・ (9789)
日時:2012年06月01日 (金) 20時37分
名前:大阪の人

2012年5月27日 (日)  「観世音菩薩讃歌」について

−−言い換えると、左脳的な言語ではなく右脳的な表現を使って、観世音菩薩について説くものがあってもいいと考えるに至った。
それを読むことで、観世音菩薩の何であるかを論理的にではなく、直感的に感得してくださる読者もいるのではないかと期待している。

この長編詩「観世音菩薩讃歌」も、前回のものと同様に「聖経に取って代わるもの」を意図していない。
諸処に聖経から引用しながら、聖経では触れられていない方面への補強を試みている。

谷口雅宣

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*ペテン師、雅宣ボスは、これらの“長編詩”、『大自然賛歌』 『観世音菩薩讃歌』をこれ見よがしに発表した。

*将来、これらを<聖経>にしようとの腹づもりは誰の目にも鮮やかであります。

*「聖経に取って代わるもの」を意図していない・・なんてこそが、ペテンであります!!


*その長編詩が @内容的に素晴らしいものであり、 Aその出現の有り様が神霊界からの導きであるならば、賞賛に値するのは当然であります。


*しかしながら、『左脳的な言語ではなく右脳的な表現を使って、観世音菩薩について説くものがあってもいいと考えるに至った』・・と雅宣ボスはポロッと 白状 してしまったのであります。

*雅宣ボスの <右脳的な表現> でもって、書かれたのであります。 現象智でもって処理したのであります。

*高級霊の指導により<神様の啓示>として与えられたものではないのです。

*また、雅宣ボスの知能でもって、全てを完成させることなど出来よう筈もありません。

*だから、<聖経・甘露の法雨>のお言葉を パクル しかなかった。 それも、かなりの“語句”を多用したのです。

*ここが、ペテン師、雅宣ボスのズルいところであります。  これに騙される信徒も出てくるのです。 将に、<詐欺師>であります。



ところで、<内容的>にはどうだったのでしょうか?

*知識程度の低さに 唖然 としただけで、雅宣ボスは 得々と しているのかもしれないが、自ら <墓穴を掘った> との感を強くした次第であります。

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『“親鸞”は”釈迦”を超越されました』を一万回唱える?? (9958)
日時:2012年06月05日 (火) 09時21分
名前:大阪の人

「トクダネ屋」さんが引用された一節です。

本流対策室/2 板  1288 :今の住人:2012/06/03(日) 18:53:04 ID:hfTIr86Y  
トキ様 落ち着かれて下さい。

 >>総裁も、分派も、今は正気ではなくて<<

違います。
総裁は、冷静であると思います。
御自分の計画のうちだと思われますから、次に新しい聖典のようなものを10冊程度出すおつもりでしょう。
これは、そうさせてあげた方がいいと考えています。
彼は、絶対に引かない、やりたいようにやるのですから(本流の言われるように)。 
和解は、いつになるか分かりませんが、総裁の実相が出現してからと言うことでしかあり得ない訳ですし、これが現世で実現出来ないと思われる方たちが起こした運動に対しての、教団の残っている人たちのやるべきことは、毎日【総裁先生は、雅春先生を超越されました!!】を一万回唱えることです。
茶坊主と言われようが、太鼓持ちと言われようが、プロの太鼓持ちになるこ事です!

(トクダネ屋さんは、「今の住人」=「マサノブ教祖」と仮定しておられます。)

(トキ掲示板)



>> 総裁は、冷静であると思います。御自分の計画のうちだと思われますから <<

・今回の“聖経もどき”ですが、「大自然讃歌」も「観世音菩薩讃歌」も計画のうち・・

・そして、「新しい聖典のようなものを10冊程度出すおつもり」とのことです。

・これらすべてを、「マサノブ教祖」の右脳にて書くつもりの様です!!



>> 彼(マサノブ教祖)は、絶対に引かない、やりたいようにやるのですから <<

・完全に意地になって、開き直っておりますよ!!

・「和解は、いつになるか分かりませんが」・・と、はなから<和解>なんてコトバはマサノブ教祖の眼中にはありません!!

・つまりは、マサノブ教祖を “辞めさすか” “そのままか” のどちらかを考えることになります。

・マサノブ教祖にとっては、この “辞めさす勢力” を<恐怖>と感じているのです。

・だから、講習会に“ボディーガード”が必要ですし、原宿教団や居宅に“監視カメラ”の設置が身を守る為に必要なのです。



>> 総裁の実相が出現してからと言うことでしかあり得ない訳ですし <<

・「総裁の実相が出現してから」・・とはどういうことでしょうか??

・「これが現世で実現出来ない」・・とハッキリ宣言していますよ。



>> 教団の残っている人たちのやるべきことは、毎日【総裁先生(マサノブ教祖)は、雅春先生を超越されました!!】を一万回唱えることです <<

・ホラ、ほら、一部の白鳩達が言っているだけと思っていた 「総裁先生(マサノブ教祖)は、雅春先生を超越されました」・・は、ペテン師、マサノブ教祖が指示していたのです!!

・皆さん、『“親鸞”は“釈迦”を超越されました』・・なんて話を聞いたことがありますか?

・『“ペテロやヨハネ”は“キリスト”を超越されました』・・なんて話を聞いたことがありますか?

・『毎日【総裁先生(マサノブ教祖)は、雅春先生を超越されました!!】を一万回唱えること』・・とは、ペテン師の <洗脳> 以外の何モノでもありません。



マサノブ教祖の <ペテン> に騙されてはいけません!! マサノブ教祖は <詐欺師> です!!!

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ペテン(ウソをついた)にかけた 詐欺師“雅宣ボス” (10099)
日時:2012年06月08日 (金) 08時15分
名前:大阪の人

2012年5月27日 (日) 「観世音菩薩讃歌」について

今後数回にわたり、「大自然讃歌」に続く長編詩として本欄で発表させていただこうと思う。
この長編詩「観世音菩薩讃歌」も、前回のものと同様に「聖経に取って代わるもの」を意図していない。
諸処に聖経から引用しながら、聖経では触れられていない方面への補強を試みている。
 
 谷口 雅宣



>>> 前回のものと同様に「聖経に取って代わるもの」を意図していない <<<


*このコトバを述べてから、まだ10日程しか経ていない。  しかし・・・・・・・

*雅宣ボスは、どの様な意図で『「聖経に取って代わるもの」を意図していない』・・と言ったのだろうか???


*これがハッキリと <ウソ> であることが判明したのであります。 これが“総裁”の工作であることが判ったのであります。

*宇治の大祭に間に合わすかたちで<製本を指示>したのです。


*これを <ペテン> と呼ばずに、何と言うのでありましょうか?

*雅宣ボスは <ウソ> をついたのであります!!  “詐欺師”であります!!!

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三週間のこの落差? 「経本」?? (10376)
日時:2012年06月18日 (月) 08時21分
名前:大阪の人

2012年6月17日 (日) 光明一元の人生観を堅持しよう

(谷口雅春大聖師二十七年祭にて)

「生長の家の礼拝の本尊は観世音菩薩である」
理屈っぽい説明は苦手だという人のために、直感的、右脳的な理解をしてもらおうと思い、「観世音菩薩讃歌」という長編詩も書かせていただきました。
今度この長編詩が「大自然讃歌」と共に折り本型の経本として出版されることになりましたので、皆さんには是非、ご愛用いただきたいのであります。

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2012年5月27日 (日) 「観世音菩薩讃歌」について

言い換えると、左脳的な言語ではなく右脳的な表現を使って、観世音菩薩について説くものがあってもいいと考えるに至った。
それを読むことで、観世音菩薩の何であるかを論理的にではなく、直感的に感得してくださる読者もいるのではないかと期待している。
今後数回にわたり、「大自然讃歌」に続く長編詩として本欄で発表させていただこうと思う。
この長編詩「観世音菩薩讃歌」も、前回のものと同様に「聖経に取って代わるもの」を意図していない。
諸処に聖経から引用しながら、聖経では触れられていない方面への補強を試みている。

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・・仝上の文章は、同一の人、つまりは “マサノブ教祖”が書いたものであります。

・6月17日  『折り本型の経本として出版されることになりましたので、皆さんには是非、ご愛用いただきたい』


・5月27日  『この長編詩「観世音菩薩讃歌」も、前回のものと同様に「聖経に取って代わるもの」を意図していない』



・『「聖経に取って代わるもの」を意図していない』・・と書きながら、三週間後には、『今度この長編詩が「大自然讃歌」と共に折り本型の経本として出版されることになりました』・・と書いているのです。

・総裁という要職にある人物が、平然として ウソをつく のであります。


・これを <ペテン> と呼ばずに何と言うのでしょうか? <詐欺師>と呼ばずに何と言うのでしょうか?


・マサノブ教祖は 大ウソつき であります!!!

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不思議なことが“二つ”ある!! (10504)
日時:2012年06月23日 (土) 09時50分
名前:大阪の人

マサノブ教と化した『原宿本部』を眺めていると、“何故だろう?”と不思議に思うことがあります。

(1)どうして、“副総裁”が居ないのだろうか?


*マサノブ教祖は、原宿教団およびその財産を独占し、自分の好き勝手にしています。

*総裁の“対抗馬”となりうる “ご兄弟達” は全て教団外へ追い出しました。

*お陰で、現在は “お山の大将” であります。(一匹オオカミ)

*そして、“マサノブ暴走列車”と化し 急スピード で突進しているのであります。


*もしもここに、“副総裁”を置いたならば、必ずや <派閥> ができるでありましょう。 “総裁派” & “副総裁派”

*原宿本部の組織内に、<本流復活派>となる可能性の芽は残したくないのでしょうか??

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(2)マサノブ教祖の“ご子息”が、誰も原宿教団内の要職に居ないのはどうして?


*“ご子息”に宗教家としての <資質が無い> からだろうか?

*“原宿教団”は、将来的に“ご子息”に継がすほどの価値がないと思っているのだろうか?

*講習会の会場が “複数化” しておりますが、マサノブ教祖のご子息の経営する会社に“会場複数化”の諸作業を 依託 しているとの話もあります。

*どなたかが言われておりましたが、マサノブ教祖の個人資産蓄積の一環と考えるべきなのでしょうか?



皆さん方は不思議に思いませんか??

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初心者=マサノブ教祖 が求めている「本物の宇宙」とは? (11124)
日時:2012年07月10日 (火) 15時26分
名前:大阪の人

121 :初心者:2012/07/10(火) 08:32:01 ID:TfQ0e6RA さくらちゃんへ

>やはり初心者さまが示している「本物のうちゅう」のことが、どういうことを指しているのか、よくつかめません。
もちろん、簡単に分かるものではないと思ってますが。

この「見えている宇宙」は見せかけであって本物ではない、というのは明らかですね。
これが本物でないとすれば、どこかに本物があるはずです。
「本物の宇宙」とは、それが「あるか、ないか」の問題ではなく、「それはどこにあるのか」、「それは何であるのか」の問題なのです。

したがってこれは信仰の問題ではありませんね。
信じるとか信じないとか、そういう問題ではないということです。

本物の宇宙とは、信仰の問題ではなく、真理の追究の問題であり、したがって「寂光論争」とは無関係であると考えます。
(以上参照)



*見えている宇宙が「本物の宇宙」ではない、というのは明かであります。

*だとすると、「本物の宇宙」がどこかにあるはずで、「それはどこにあるのか」、「それは何であるのか」が問題なのです。

*「本物の宇宙」とは、信仰の問題ではなく、真理の追究の問題であります。

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122 :初心者:2012/07/10(火) 08:35:27 ID:TfQ0e6RA さくらちゃんへ

生長の家では「現象はない」といいますが、これは「ないとされる現象とは何か」の問題をどうしても引き起こします。
本物の宇宙にかんしても「ない」といえるのか、という問題を引き起こしますね。
「現象はない」といっても、これは非常にあいまいな表現なのです。
なにをもって現象というのか、ということが何も語られずに、「現象はない」ということが、一方的に宣言せられたのですね。
その結果、現象は「ない」のであるから、それは定義できないし、定義する必要もない、という話になりましたが、これは順序として逆なのですね。
「現象」という言葉を使うからには、それが何であるかをまずはじめに説明すべきであるのですが、それをせずに、一方的に「現象はない」と宣言して、「現象はないのであるから説明の必要もない」という話になっているのです。
これでは順序がまったく逆でありますので、このような問題が引き起こされているともいえます。

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*生長の家では「現象はない」といいますが、これは「ないとされる現象とは何か」の問題をどうしても引き起こします。

*「現象」という言葉を使うからには、その<定義>をすることが必要です。

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123 :スターダスト:2012/07/10(火) 09:42:48 ID:uuNh/pjs
>>122 :初心者:2012/07/10(火) 08:35:27 ID:TfQ0e6RA

生長の家の『現象は無い』という真理は一般的に『五感にかかる現象』のことです。
つまりこの世の現象についてです。
したがって、この物質世界の現象は『心の映像』であるため、空間さえ無いという意味になるのです。
しかし、仏陀は死後の世界に行ったとしても、そこの現象もないと説いています。
つまり、『幽界・霊界・天界』の現象も無いというのです。 
生長の家も同様です。
なぜなら、生長の家の真理は『実相の世界』のみが唯一の実在する世界だといっているからです。
初心者さんのいわれる『本物の宇宙』とは『実相世界』のことだと思います。
そうであれば、それは実在の世界ということになります。

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*生長の家の『現象は無い』という真理は一般的に『五感にかかる現象』のことです。

*『幽界・霊界・天界』の現象も無いというのです。 生長の家も同様です。
なぜなら、生長の家の真理は『実相の世界』のみが唯一の実在する世界だといっているからです。

*初心者さんのいわれる『本物の宇宙』とは『実相世界』のことだと思います。


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124 :初心者:2012/07/10(火) 10:11:31 ID:TfQ0e6RA スターダスト様

雅春先生が説かれる「実相世界」は、わたしが予想する本物の宇宙とは、その性質があまりにも異なっています。
現状では、本物の宇宙を実相世界とみなすことはできません。
また、本物の宇宙成立の過程を考えてみるに、実相世界がつくられた過程とは、あまりにそれは異なったものであるということがいえます。

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*現状では、「本物の宇宙」を「実相世界」とみなすことはできません。

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129 :初心者:2012/07/10(火) 13:01:45 ID:TfQ0e6RA スターダスト様

>本物の宇宙はどのようなものか、どのように成立したのかを分かりやすく説明してもらえると有り難いですが。

これは、ビッグバン以前にあったとされる、無限ともいえる数の宇宙の誕生と関係しています。
このあたりのやりとりが、当掲示板の初期のころに、役行者様とのあいだでかわされたことがあります。
ただあのときは、雅春先生の教えにもとづいて説明するというスタンスでありましたので、役行者様に突っ込まれて、返答に窮したという経験があります。
二元論を採用すれば、スムーズな説明が可能となります。
ただ、「超越項」をもちいるということと、想像的な部分がどうしても出てまいりますので、いまのところこれについて説明する予定はありません。

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*二元論を採用すれば、スムーズな説明が可能となります。
ただ、「超越項」をもちいるということと、想像的な部分がどうしても出てまいりますので、いまのところこれについて説明する予定はありません。


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「本物の宇宙」の実態を把握しかねている? (11158)
日時:2012年07月11日 (水) 09時00分
名前:大阪の人

<マサノブ教祖の思考>

*見えている宇宙が「本物の宇宙」ではない、というのは明かであります。

*だとすると、「本物の宇宙」がどこかにあるはずで、「それはどこにあるのか」、「それは何であるのか」が問題なのです。

*「本物の宇宙」とは、信仰の問題ではなく、真理の追究の問題であります。

*生長の家では「現象はない」といいますが、これは「ないとされる現象とは何か」の問題をどうしても引き起こします。

*「現象」という言葉を使うからには、その<定義>をすることが必要です。

*現状では、「本物の宇宙」を「実相世界」とみなすことはできません。

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<マサノブ教祖の逃げ>

*二元論を採用すれば、スムーズな説明が可能となります。
ただ、「超越項」をもちいるということと、想像的な部分がどうしても出てまいりますので、いまのところこれについて説明する予定はありません

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<問題点>

・マサノブ教祖は、物事をすべて「優秀なる頭脳智」でもって解明しようとしているのであります。

・雅春先生の説かれた<眞理>であっても、「超越項」や「霊的直観」に極度の抵抗を示し、<無の関門>を越えることができない為、ご自身が理解できないでいるのであります。

・見えている宇宙が<本物>ではなく、「本物の宇宙」があるはずだとは思っております。

・しかし、「それはどこにあるのか」、「それは何であるのか」が問題なのです..と述べ、マサノブ教祖は現在のところ<迷路の渦中>にて迷っているのであります。

・そして、『「本物の宇宙」を「実相世界」とみなすことはできません』と言い切り、「本物の宇宙」とは、信仰の問題ではなく、真理の追究の問題であります..としているのであります。


・とどの詰まりは、『いまのところこれについて説明する予定はありません』..と完全なる<逃げ>であります!!


・これが<法灯継承>されたと自称する「総裁」の述べるコトバでありましょうか??

・早急に<退任>される以外にはないと感じる次第であります!!

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草間弥生 と マサノブ教祖 (11658)
日時:2012年07月27日 (金) 12時03分
名前:大阪の人

『今日は休日で原宿・表参道を歩いているときに、あの有名なアーティスト、草間彌生氏と遭遇した。
とは言っても、彼女はホンモノではなく、ルイ・ヴィトンのショウウインドー内にいた蝋人形だった。』
(生長の家総裁 facebook H24.07.26)

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平成24年3月15日の朝日新聞(夕刊)の文化欄の新美眼に草間弥生『果てしない人間の一生』なんて記載されていました。 
マサノブ教祖のお好きな朝日新聞に...

<草間弥生>
 地をはう生き物がいる。分裂を繰り返す細胞がある。
 横顔がある。
 目があって、こちらを見つめている。
 草間芸術の特徴である水玉模様は、細胞のなかの核や赤血球のように
 描かれ、画面の中で何処までも増殖していく予感さえする。
 生、死と再生、宇宙の鼓動そして何よりも・・・・・・


以前に「草間彌生」さんの絵画展を鑑賞させていただきましたが、あの「赤い水玉模様」や、「ミトコンドリヤみたいなもの」や、世間を伺うような「目玉」..が印象的でした。

「草間彌生」と「マサノブ教祖」に相通じるところがあるのでしょうか?


独自の「生、死と再生」観、独自の「(本物の)宇宙」観、そして何かを執拗に見つめている「目玉」...


雅春先生の「御教え」とは相容れない<マサノブ教の世界>が...

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マサノブ総裁さんも「統合失調症」?? (11728)
日時:2012年07月29日 (日) 10時06分
名前:大阪の人

(ウィキペディア) 草間彌生さんの来歴

松本駅近くで種苗業を営む裕福な家に生まれ、幼いころから草花やスケッチに親しむ。
その一方、少女時代より統合失調症(医学博士西丸四方が診断)を病み、繰り返し襲う幻覚や幻聴から逃れるために、それら幻覚や幻聴を描きとめる絵を描き始める。
草間は現在に至るまで水玉(ドット)をモチーフに制作する事が多いが(ドット・ペインティング)、これは耳なし芳一が幽霊から身を守るために全身に経で埋め尽くした様に、彼女が恐怖する幻覚や幻聴から身を守るために、作品全体を水玉(ドット)で埋め尽くす儀式でもある、とされる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E9%96%93%E5%BD%8C%E7%94%9F

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「ウィキペディア」によると、草間彌生さんは「統合失調症」だそうですね。 そして、「繰り返し襲う幻覚や幻聴」..と書かれています。

草間彌生さんと相通ずるところのあるマサノブ総裁もまた、「統合失調症」みたいなものでしょうか?

差し詰め、神様からの啓示なんてものではなく、「憑依霊サタンによる幻覚や幻聴」といったところでしょうか?

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螢の光が聞こえてきました... (11952)
日時:2012年08月03日 (金) 23時47分
名前:大阪の人

螢の光 窓の雪・・・  2年間もの間、灯を点し続けていただいた 残り火 が、今まさに消えんとしております。

激しく燃え盛ってもいました。 横風に揺らぐこともありました。

でも、この炎に込められた皆様方の<想い>の集積が、大いなる<想念>となり、法治国家の最高峰である“判決”をも味方とすることができました。

崩れることなんて想像もできなかった <巨体> に楔を打ち込むことができました。

10年も前から警鐘を鳴らし続けてこられた、勇気ある諸先輩達あっての <今> であります!!

“聖経・聖典”の顛末は、天界における<谷口雅春先生のご指示>でもあるのでしょうか?

<巨体>は惰性があるから直ぐには倒れません。 しかし、時が熟すとアッと言う間に倒れてしまします。

道を外れた、名前だけの『生長の家』の一つや二つが無くなってもいいのです。

その時、實相世界の 『生長の家』 が再び地上に再構築されるのであります!!

皆さん、その日は直ぐ近くにやって参りました。 『本流復活』の御旗の元に集結いたしましょう!!

その日を楽しみに.....

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新しい『生長の家』の灯はスグそこに!! (12031)
日時:2012年08月04日 (土) 23時56分
名前:大阪の人

もうスグですよ!!  新しい『生長の家』の灯が点るのは...


マサノブ教祖がいくら喚(わめ)こうが、天界では道が開けているのです!!


最高裁の「判決」とともに...

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ではさようなら!! (12135)
日時:2012年08月05日 (日) 23時57分
名前:大阪の人

大阪の人は当分静かに.....

Number Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板

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<重大な問題>「生長の家、衰退。このまま行くと、教団は、1割程度の信徒 しか残らなくなります。」 (18045)
日時:2017年08月13日 (日) 00時42分
名前:再生を願う

トキ :2017/07/24(月) 08:30:17 ID:QEM.IGZw
>>164

 これは、かなり深刻な問題ですが、教区の会員リストを見ると、若い人の退会者が増えており、残っているのは高齢者が大半です。


生長の家では、50歳未満の人を「壮年」と言って、この世代より下の人の入会を推進しているのですが、それがいないのです。



 結果、壮年層の会員は1割を切っています。それも、幹部の子弟による名義貸しが相当数あります。



どうして、そんなことをするか、というと、生長の家の役職には70歳という定年があります。
ですから、後継者がいない組織では、自分の子供の名義を借りて、70歳以上の人が組織を維持しているケースが多い
のです。


 リストをざっと見た限りでは、半分以上が80歳以上で、当然、9割が60歳以上です。
このまま行くと、教団は、1割程度の信徒しか残らなくなります。



分派もそれほど急激に増えているとは聞いていませんが、減ってもいないみたいなので、将来は教団は分派と同じ程度の人間しか残らなくなります。
教団は金と土地はあるので、不動産投資でもすれば生き残れるでしょうが、宗教団体としては死んだも同然になるでしょう。



http://jbbs.shitaraba.net/study/11346/

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生長の家本流運動

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生長の家本流運動(せいちょうのいえほんりゅううんどう)は、生長の家の現総裁である谷口雅宣の主張や今の教団の方針を否定し、創始者である谷口雅春の思想の原点に返ることを主張する運動の総称。宗教法人生長の家とは、現在は無関係で、むしろ、対立的である[1]

概要[編集]

谷口雅春の著作(特に、禁書となった戦前版の『生命の實相』を始めとする著作や生長の家政治連合関係の文章)を絶対化し雅春を「開祖」と呼ぶ、自由民主党への強烈な支持、反ユダヤ主義を掲げる、谷口雅宣の方針を否定する、といった特徴を有する。

雅春の主張は、特に大東亜戦争の評価については変遷しており[2]、また、雅春自身は大日本帝国憲法の復原・改正を主張していたが、本流運動の参加者の多くは大東亜戦争には肯定的である(大東亜戦争肯定論を採る)一方で、谷口雅春先生を学ぶ会の機関誌編集長である百地章[3]を始め大日本帝国憲法復原・改正については否定的な者が多く[4]日本会議安倍晋三による日本国憲法改正路線を積極的に支持している(ただし本流運動の中でもときみつる会は雅春以来の帝国憲法復原改正を踏襲し、日本国憲法改正に反対している)。第2代総裁谷口清超に対する評価は様々であり、雅宣を事実上の次期総裁である副総裁に任命したことを批判する者も存在する。

新教育者連盟は生長の家と協力関係にあったが、現在は理念を異としており、本流運動と関係が深い。また光明思想社日本教文社に対して作られている。

歴史[編集]

前史[編集]

「飛田給派」の成立[編集]

雅春は戦前においては「皇軍必勝」を訴えたり、反共・反ユダヤ主義的な面を強調していた。一方で、文部省による宗教政策に否定的な見解を示したり、「準国歌」的扱いを受けていた海ゆかばへの反対運動を行うなどしたため、特別高等警察との間でトラブルになることもあり内務省の監視対象下に置かれていた[5]

戦後になると雅春は反ユダヤ主義的な内容を含む教義の一部を撤回し、さらには「天皇中心の社会主義運動」を提唱した。被占領期間中は第二次世界大戦の悲劇を繰り返さないために政治活動を行うことを表明した[6]が、一方で国民主権論を否定もしていた[7]。このような状況において、東京都調布市飛田給にある「生長の家飛田給練成道場」において「愛国」をテーマとする青年向けの練成会が開催されることとなり、生長の家学生会全国総連合(生学連)や生長の家高校生連盟(生高連)が結成された。戦後の学生運動の中では雅春の主張の愛国的な部分が強調されるようになった。

生長の家の政治運動には初期から路線対立が存在していた。最初に対立が表面化したのが生学連で、日本学生同盟との関係を巡って早稲田大学の鈴木邦男と長崎大学の安東巌が激しく対立、鈴木は生長の家を追われることとなった。安東らのグループの中には日本青年協議会を結成した、やはり長崎大学の椛島有三らが存在し、積極的に政治活動を行った。安東は後に生長の家青年会副会長となり、彼らのグループは「生長の家青年局」と飛田給練成道場を拠点にしたため「飛田給派」と呼ばれた。一方で、教団内部には昔からの本部職員や婦人組織である白鳩会を中心にした信仰重視の「本部派」や、出版部門である日本教文社や生長の家総本山を拠点とした「教文社派」と呼ばれる派閥も形成されていた[8]

日本会議の源流となる椛島・安東の二人がいずれも、(核攻撃を体験し戦争絶対反対のはずの)長崎大学の学生であったというのは非常に興味深い事実であると青木理は述べている[9]

路線対立と敗北[編集]

青年会を中心に勢力を拡大していた「飛田給派」は、1982年には政治活動に消極的な姿勢を見せた本部派の理事長である和田一夫を辞任に追い込む[8]などの勢いを見せていた。その次に理事長に就任した徳久克己は飛田給道場を長く担当していたこともあり飛田給派の人間であると見られていたが、翌1983年に生長の家理事会は突如として生長の家政治連合の活動停止を表明、さらに1985年には教団が日本を守る国民会議(今の日本会議の前身の片方で財界人・文化人・学者主体[10])からも脱退し、飛田給派の拠点であった「生長の家青年局」も解体された。これを受けて飛田給派の中には伊藤哲夫のように教団幹部でありながら職を辞して日本政策研究センターを作るなど、教団と距離を置くものが出始めた。

教団との決裂[編集]

1990年、生長の家副総裁に谷口雅宣が就任し、地球環境問題生命倫理問題を重視した運動が行われるようになると、飛田給派を中心に従来型の運動を求める声が高まるようになる。1998年には生長の家社会事業団(社会事業団)が教団とは独自路線を採用するようになり、2002年には「反教団」を明確に掲げる「ときみつる会」が結成されて「本流運動」の流れが始まった。

教団と飛田給派との対立は、教団系の教育団体である新教育者連盟(新教連)において激しい対立を生んだ。日本教職員組合と激しく対立していた新教連には歴史的に保守・右派色が強く、教団の路線変更を「左傾化」として非難する意見もあった一方で、従来通りの教団との関係を重視すべきだとの意見も根強かった。しかし、2002年に新教連理事会において教団による支配を弱める内容での規約改正が強行された。これを受けて教団と新教連の対立は決定的となり、新教連の支部長の中で全体の8割以上を占める教団側の支部長が抗議して辞任するという結果となった[11]

教団への裁判闘争[編集]

本流運動系の諸団体の中で、もっとも強硬に教団を非難する団体として谷口雅春先生を学ぶ会(学ぶ会)とその出版部門光明思想社(教団側の「日本教文社」に相当する社)が結成されると、両者の対立は激化した。学ぶ会の運動の特徴の一つは、インターネット上で教団や雅宣を非難する文章や戦前期・戦後の政治活動期の雅春の思想を拡散したことであり、こうした活動が日本の右傾化(ネット右翼の出現、等)の一因になったとの指摘もある[12]

また、生長の家の代表的な聖典である生命の実相の著作権を管理していた社会事業団は、『生命の實相 ?革表紙版?』の復刻版の印税の支払いがないとして教団と日本教文社相手に訴訟を行うと同時に、日本教文社に対して生命の実相をはじめとする社会事業団が著作権を管理するすべての聖典の出版契約の更新を拒絶した。[13]教団側は社会事業団側から過去27年間にわたって著作権料の請求がなかったこと等を根拠に「生長の家の文書伝道を阻害することを目的に、本件訴訟を巡る紛争を引き起こしたもの」と判断し[14]て全面的に争う姿勢を示し、教団と教文社側も対抗して訴訟を行った[15]が、いずれも教団・日本教文社の敗訴(本流運動側の勝訴)となった。

さらに、社会事業団は教団に対して教団が信徒に配布している「肌守り」や永代供養に使用する「霊牌」の著作権をも主張し、その使用停止を求めた。2015年に第一審判決では社会事業団側の主張が全面的に認められた[16]が、2016年の控訴審では教団側の逆転勝訴となり社会事業団は敗訴した[17][18]。社会事業団は上告したため、本流運動による教団側への裁判闘争は現在も続いている。

このように、現在では教団と本流運動は全面的な対立関係にある。

団体[編集]

谷口雅春先生を学ぶ会[編集]

東京都中央区東日本橋に本部を置いている団体。略称は「学ぶ会」。34都道府県に支部があると主張している[19]。公式HPに「生長の家大神は住吉大神です」と明記する[20]など、万教帰一を強調している教団[21]と比べて神道色・保守色の強い教義を宣伝している。

自由民主党稲田朋美日本教育再生機構新田均を行事に講師として招聘する[22]など自民党や日本会議との関係が深い。機関誌「谷口雅春先生を学ぶ」の初代編集人は日本会議政策委員の百地章である[23]

ときみつる会[編集]

谷口雅宣の義兄である宮澤潔が代表を務める会である。右翼団体神州蛇蝎の会」と共に大日本帝国憲法の復原・改正を訴えている[24]

新教育者連盟[編集]

生長の家社会事業団[編集]

光明思想社[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針「与党とその候補者を支持しない」宗教法人生長の家 2016年6月9日
  2. ^ 生長の家『歴史から何を学ぶか』参照。
  3. ^ 編集部として自宅住所を奥付に表示している。
  4. ^ 「学ぶ会」は帝国憲法の復原・改正を否定している。百地章新しい憲法をつくる国民会議(自主憲法制定国民会議)において帝国憲法の復原・改正を否定する発言を行っている。また、百地は「21世紀の日本と憲法」有識者懇談会(民間憲法臨調)の事務局長を務めている。
  5. ^ 内務省警保局 『社会運動の状況』昭和12年
  6. ^ 谷口雅春『明窓浄机 戦後篇』日本教文社
  7. ^ 谷口雅春『大和の国 日本』日本教文社
  8. ^ a b 週刊ポスト「巨大教団追及」シリーズ「理事長退任劇で激震!『生長の家内紛は参院選に重大影響を与える』」、1982年9月17日号
  9. ^ 青木理「日本会議の正体」
  10. ^ 宗教団体主体の「日本を守る会」とは別組織である。雅春は日本を守る会の結成に関係していたが、彼の死後は同会と生長の家は没交渉となった。一方、日本を守る国民会議は日本青年協議会が事務局を担っていたため、生長の家飛田給派との関係が指摘された。
  11. ^ 「聖使命」平成十五年十二月一日号
  12. ^ クォン・アラム 「生長の家」を通してみた日本の右傾化の現況 東亜歴史文化学会
  13. ^ 生長の家社会事業団等との訴訟の結果について 日本教文社
  14. ^ 生長の家社会事業団等との訴訟について(平成24年3月9日) 生長の家本部
  15. ^ 平成26年4月22日の教団側の声明
  16. ^ 平成27年3月12日付け東京地方裁判所判決 生長の家社会事業団
  17. ^ 平成28年2月24日付け控訴審判決 裁判所総合サイト
  18. ^ 逆転全面勝訴! お守り「甘露の法雨」に係る訴訟 生長の家本部
  19. ^ 本部・支部一覧 谷口雅春先生を学ぶ会
  20. ^ 谷口雅春先生の教え 谷口雅春先生を学ぶ会
  21. ^ 宗教法人生長の家の生長の家の基本的な教えでは「唯神実相・唯心所現・万教帰一」の3つを基本的な教義としている一方で、学ぶ会の公式HPでは「生長の家の大神・神の三義・唯神実相」の3つを基本的な教義としている。
  22. ^ 公式HPの活動紹介欄で写真入りで明記している。
  23. ^ 谷口雅春先生を学ぶ、創刊号、発行:谷口雅春先生を学ぶ会、2002年9月27日発行
  24. ^ 皇室典範奉還!大日本帝国憲法復原改正/神州蛇蝎の会 第1回街宣

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<重要なお知らせ>
最高裁判所、日本教文社の著作権訴訟の上告を棄却! 
生長の家社会事業団は聖典『生命の實相』『聖経甘露の法雨』等を著作権者として信徒の皆様に供給し続けます!!
 (1052)
日時:2016年04月10日 (日) 14時42分
名前:護法の天使

 本日、公益財団法人生長の家社会事業団では、次のとおり、「重要なお知らせ」を発表し、全国の生長の家教化部、練成道場、地方道場に発信し、信徒の皆様方に宣言いたしました。

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<重要なお知らせ>
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最高裁判所、日本教文社の著作権訴訟の上告を棄却!

生長の家社会事業団は聖典『生命の實相』『聖経甘露の法雨』等を著作権者として信徒の皆様に供給し続けます!!
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平成28年4月10日

公益財団法人生長の家社会事業団

 合掌、ありがとうございます。

 聖典『生命の實相』及び『聖経甘露の法雨』等の著作権が、生長の家社会事業団に帰属していることが、平成25年5月27日の最高裁判所判決により、最終的に確定し、これに異を唱えていた教団と日本教文社の為(ため)にする主張がことごとく否定され、生長の家社会事業団が全面勝訴しました。

 ところが、教団は著作権の問題がまだ未確定であるように強弁(きようべん)するため、同年7月10日のホームページにて

「日本教文社は本年2月25日、同事業団との出版使用許諾契約に基づき、聖経や『生命の實相』頭注版等について著作物利用権を有することの確認を求める訴訟を提起し、現在、係争中です。
この裁判で日本教文社が勝訴した場合、聖経や『生命の實相』頭注版等は従前通り、日本教文社から出版されることになることを付記いたします。」

などと、嘯(うそぶ)いていました。

 これに対して、東京地裁及び知財高裁とも日本教文社の請求に理由がないとして棄却し公益財団法人生長の家社会事業団を勝訴とする判決を言い渡しました。

敗訴した日本教文社は最高裁に上告しましたが、本年3月15日最高裁は同社の上告を棄却し、
聖典『生命の實相』及び『聖経甘露の法雨』等の聖経は、日本教文社から発行されないことが最終確定しました。

生長の家社会事業団及び光明思想社は、聖典『生命の實相』及び『聖経甘露の法雨』等を、著作権者及び出版権者として、信徒の皆様に供給し続けます。

各教化部・道場からの注文も光明思想社で受け付けています。

また、全国の書店、セブン・イレブン、インターネット(アマゾンなど)からもご自由に注文できますので、どうぞご安心ください。                                        再 拝

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2016年10月21日 (金)

生長の家の逆転勝訴判決を読んでみよう!


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生長の家原理主義者の生長の家社会事業団は、正統な宗教法人生長の家とは今では対立しているが、彼らは『甘露の法雨』をはじめとする生長の家の聖典・聖経の一部の著作権を譲渡されていた。

そして、『甘露の法雨』を使用している生長の家の肌守りや霊牌の使用禁止を求めて裁判を起こしたのである。

宗教家たるものが、他人に「お前たちは肌守りや霊牌を頒布するな!」というとは、信じられない行為だ。いくら今の教団の方針に異論があるからと言って、他人の信仰を妨害するべきでは、ない。

この時点で、生長の家社会事業団をはじめとする自称「生長の家本流運動」(生長の家原理主義者)の正体がわかろうというものだ。

彼らは信仰よりも裁判闘争に熱心なようである。『生命の実相』の著作権を握って裁判まで起こしているが、未だに『生命の実相』を全巻出版していないことがその何よりの証拠だ。

平成18年2月24日、画期的な判決が下った。

知的財産高等裁判所において、第一審で勝訴した社会事業団の主張の「ウソ」が暴かれ、生長の家の肌守りと霊牌の使用権が認められたのである。

ここで、社会事業団のウソと知財高裁判決を比べてみよう。

【社会事業団のウソ】

社会事業団は今は公益社団法人となった。法令に基づき、宗教法人生長の家に特別に無償で著作物の利用を認める訳にはいかない!

【知財高裁判決】

そのような主張に法的根拠はないです。

【社会事業団のウソ】

肌守りや霊牌は「非売品」だから無償で頒布しておかないとおかしいだろ!!どうして教団は肌守りや霊牌を渡す際にお金を採っているんだ!

【知財高裁判決】

生長の家は肌守りや霊牌を宗教的儀式(永代供養、等)に使用するために頒布しているので、これは信徒がそのような宗教儀式に対してお金を払っているとみなすべきです。というか、そもそもこの裁判が起きるもっと前から生長の家はお金を採っていたけれど、その時は社会事業団も文句を言わなかったよね?

【社会事業団のウソ】

教団は社会事業団が著作権を有する出版物の印税を、ブラジル伝道本部から横取りしたんだ!卑怯だ!

【知財高裁判決】

生長の家ブラジル伝道本部が社会事業団に著作権料を支払わなかったという証拠はありません。


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と、まぁ、面白いぐらいに自称「本流運動」のウソと詭弁が暴かれていったわけです。

このように、別派の人間は平気で嘘を吐きます。というか、裁判所でここまで嘘を的確に指摘されたら、普通の羞恥心のある人間なら慙死するはずなんだけどね。(笑)

というわけで、皆様も別派の人間が教団や総裁先生について流しているデマを信じないでください。

では、厚顔無恥な別派の皆様のために、最後にこの判決文の核心部分を引用してこのブログを終わります。

4 控訴人経本に関する本件覚書に係る合意の終了

(争点(2)ア)について 次に,被控訴人事業団の控訴人生長の家に対する請求について判断する。被控訴 人事業団が本件著作物2の著作権を有し,控訴人生長の家が本件覚書により控訴人 経本の出版を行ってきたところ,被控訴人事業団が本件覚書による使用許諾を終了 する旨の本件解約通知をしたことは,当事者間に争いがなく,上記解約により本件 覚書による合意が終了したか否かについて,以下,検討する。

(1) 認定事実

前提事実に後掲の証拠及び弁論の全趣旨を総合すると,以下の事実が認められ, これを覆すに足りる証拠は存しない。

ア 「甘露の法雨」(本件著作物2)は,昭和11年頃以降,控訴人教文社が出 版していたが,これは,被控訴人事業団が,亡Aから本件寄附行為によりその著作 権の移転を受けた後も,同様であった。 ところが,「甘露の法雨」は,控訴人生長の家において聖経として位置付けられ ていたことなどから,控訴人生長の家の信徒らから,営利法人である控訴人教文社 の出版した商品として購入するのではなく,亡A又は控訴人生長の家から交付を受 けたいとの要望が強くなった(甲9)。

イ そこで,控訴人生長の家,被控訴人事業団及び控訴人教文社は,信徒らの要 望に応えることとし,昭和34年11月22日,「聖経「甘露の法雨」の複製承認 に関する覚書」(本件覚書)を作成して,亡Aの承認を得た。本件覚書には,おお むね以下の記載がある(甲9)。

@ 控訴人生長の家の総裁亡Aの著作による「甘露の法雨」は,被控訴人事業団 が亡Aからその著作権の寄附を受け,控訴人教文社を出版権者として刊行し,頒布されているものであるが,控訴人生長の家の全信徒によって「聖経」と尊称され, あらゆる儀式行事,信徒各自の家庭において,日常的に読誦されているところ,熱 心な信徒一同は,常に聖経「甘露の法雨」と共にあることを希望し,生存中には肌 たいと熱願している。しかるところ,聖経「甘露の法雨」を上記目的のために使用 するには,控訴人教文社の営利行為のために発行された商品としてこれを購入する のではなく,信徒各自が信仰において帰依する亡A又は控訴人生長の家の本部から, その交付を受けることを要望するに至った。

A 上記の事実に鑑み,控訴人生長の家の教えによって「社会人心の光明化」を 図る点において控訴人生長の家と悲願を共にする被控訴人事業団及び控訴人教文社 は,進んで信徒の要望に賛同し,控訴人生長の家が信徒の要望に応えて聖経「甘露 の法雨」を特に 交付することに同意するものであり,被控訴人事業団及び控訴人教文社は,これに 対して,自己の所有にかかる著作権又は出版権を主張せず,何らの異議の申立てを もしないものとする。

B 本件覚書を作成する以前に控訴人生長の家において,特に信徒の肌守りとし て聖経「甘露の法雨」を複製し交付した事実があるが,これは全てその都度被控訴 人事業団及び控訴人教文社の同意を得て実施したものであることを確認する。

C 本件覚書による取決事項については「甘露の法雨」の著者である亡Aの同意 を要するものとする。

ウ 控訴人生長の家は,本件覚書に係る合意に基づき,昭和34年頃以降,奉納 金(1部につき500円ないし700円)を奉納した者に対し,肌守り用として控 訴人経本を交付し,また,永代供養料として10万円を奉納した者に対し,霊牌用 として控訴人経本を交付してきた。 控訴人経本の交付は,宗教法人である控訴人生長の 家から,宗教上の儀式(肌守りであれば,神官による「聖霊降臨」という祭祀,霊本山龍宮住吉本宮神前の奉筺に,死後は宝蔵神社内の紫雲殿 に永代祭祀)を経て行われ,専ら宗教用に使用されている。 控訴人生長の家が肌守り用として交付している控訴人経本の体裁は,原判決別紙 書籍目録記載のとおり,縦約7cm×横約3cm×厚さ約0.5cmの折り本型で ある(甲10,甲13の1〜7,甲45,乙ロ6〜9)。

エ 控訴人教文社は,本件覚書に係る合意が締結された後においても,被控訴人 事業団との間の昭和49年契約に基づき,書籍として「甘露の法雨」を出版してい た。 亡Aが昭和60年6月17日に死亡した後,被控訴人事業団と控訴人教文社は, 題号「聖経 甘露の法雨(大型)」について昭和63年8月23日付けで,題号「聖 経 甘露の法雨(中型)」について同年7月4日付けで,題号「聖経 甘露の法雨 (手帳型)」について同年11月29日付けで,それぞれ出版使用許諾契約を締結 し(なお,上記各契約において,昭和49年契約は,これらの契約に継承されるも のとされている。),書籍として「甘露の法雨」を出版してきた(甲16,56, 乙イ3の1・2・10)。

オ 被控訴人事業団は,平成21年2月頃,控訴人教文社に対し,上記各出版使 用許諾契約について,更新を拒絶する旨の通知をした。 その後,被控訴人事業団は,平成22年2月16日,被控訴人光明思想社との間 で,書名「立教八十周年記念特別限定版 聖経 甘露一切を霑す」についての出版 権設定契約を締結したが,当該書籍の一部として「聖経 甘露の法雨」が含まれて いる。 また,被控訴人事業団は,平成24年9月30日,被控訴人光明思想社との間で, 書名「聖経 四部経」についての出版権設定契約を締結したが,当該書籍の一部と して「聖経 甘露の法雨」が含まれている(甲56,77,78)。

カ 被控訴人事業団は,平成24年1月4日到達の通告書により,控訴人生長の 家に対し,

@被控訴人事業団が同年4月以降公益社団法人に移行するに当たり,本件覚書による無償使用許諾を継続するのは公益性に反すること,

A別件訴訟1の第 2事件の提起等により被控訴人事業団と控訴人生長の家との間の信頼関係が破壊さ れたこと

などを理由に,同年3月31日限り,本件覚書による本件著作物2の使用 許諾を終了する旨通知した(本件解約通知)。 その後,被控訴人事業団は,被控訴人光明思想社との間で,平成25年8月8日, 書名「御守護 甘露の法雨」(出版物の体裁:縦105mm×横48mm)につい て,平成26年11月19日,書名「聖経 甘露の法雨(27年御守型)」(縦7 2mm×横31mm・折り本型)について,それぞれ出版権設定契約を締結した(甲 6,11,12,79)。

キ ところで,被控訴人事業団と控訴人生長の家との間には,亡Aの死亡後,亡 Aの著作物に係る著作権の帰属,その管理や出版方針等をめぐって紛争が生じたも のの,もともと,被控訴人事業団は,亡Aが創始した宗教団体「生長の家」の宗教 的信念に基づき社会厚生事業等を行うために,亡Aの本件寄附行為により成立した 財団法人であり,控訴人生長の家は,亡Aの著作物である「生命の實相」を聖典と 仰ぎ,「甘露の法雨」を聖経として,宗教活動を行う宗教団体であることから,被 控訴人事業団及び控訴人生長の家は,いずれも亡Aの著作物を使用して,その宗教 活動等を行ってきたものである(甲30〜32,56,弁論の全趣旨)。

(2) 本件覚書に係る合意の内容

ア 前記(1)イ認定のとおり,本件覚書には,著作権者である被控訴人事業団が控 訴人生長の家による本件著作物2の複製及び交付に同意する旨が記載されているが, 複製及び交付の期間や対価についての記載はないことからすると,本件覚書に係る 合意は,被控訴人事業団が,控訴人生長の家に対し,本件著作物2を肌守り用や霊 無償で許諾したも のであると解される。

イ 控訴人生長の家の主張について 控訴人生長の家は,本件覚書に係る合意は,その文言,作成目的,合意に至る経緯及び控訴人生長の家が既に60年近くにわたり,本件覚書に従って「甘露の法雨」 を無償で肌守り用又は霊牌用に限り非売品として複製し,信者に交付してきたとい う事情に照らし,被控訴人事業団が「甘露の法雨」の著作権を「永久的に」行使し ないと約束するものであると解すべきである旨主張する。 しかし,本件覚書には,その文言上,被控訴人事業団が「甘露の法雨」に係る著 作権を永久的に行使しないことを約したことを示す文言は存在しない。「著作権を 行使しない」との文言があるからといって,これに本件覚書に係る合意が永久的に 存続するとの合意の趣旨が表れているとまではいえない。 また,本件覚書の作成目的やその合意に至る経緯は,本件覚書(甲9)に記載の とおりであると認められるが,これらの事情が認められるからといって,また,控 訴人生長の家が,本件覚書に基づき,長年にわたりその信徒に対し,肌守り用等と して控訴人経本を頒布してきた経過があったからといって,直ちに,本件覚書に係 る合意が永久的に存続するものであることが合意されていたとの事実を認めるに足 りない。

(3) 本件覚書に係る合意の解約の効力

ア 本件覚書に係る合意は,前記(2)アのとおり,本件著作物2について期間の定 めなく無償で使用許諾をしたものであると解されるが,被控訴人事業団は,亡Aが 創始した宗教団体「生長の家」の宗教的信念に基づき社会厚生事業等を行うために 設立された財団法人(平成24年4月1日以降は公益財団法人)であり,亡Aの本 件寄附行為により本件著作物2の著作権を有するに至ったこと,控訴人経本は,専 ら控訴人生長の家の宗教活動上使用されているものであること,本件覚書に係る合 意は,亡Aの同意の下,前記(1)認定の経緯,目的により締結されたものであること, 本件覚書の内容,特に,本件覚書による取決事項については「甘露の法雨」の著者 である亡Aの同意を要する旨規定されており,少なくとも,著作権者である被控訴 人事業団による自由な解約を認めない趣旨であったと解されることに照らすと,本 件覚書に係る合意を解約するには,当事者間の信頼関係が破壊されたことなど解約を正当とする理由が必要であると解すべきである。

イ 被控訴人事業団は,本件覚書に係る合意の解約を正当とする理由として,@ 被控訴人事業団の公益法人化に伴って,本件著作物2に係る著作権は公益目的事業 財産となったから,被控訴人事業団は,印税を適正公平に収受することを要すると ころ,控訴人生長の家の国内布教を援助することは被控訴人事業団の公益目的事業 に含まれていないから,本件覚書による無償の利用許諾を継続することは,公益法 人認定法上許されないこと,A本件覚書に係る合意は,控訴人生長の家が,肌守り 用等の非売品として複製頒布することに限って無償で許諾するものであるところ, 控訴人生長の家は控訴人経本を奉納金と引換えに信徒に頒布しており,本件覚書に 定める「非売品」であるとはいえないこと,B控訴人生長の家が,別件訴訟1の第 2事件を提起したこと,C控訴人生長の家が,そのブラジル伝道本部に対し,被控 訴人事業団が受領すべき亡Aの著作物の印税を控訴人生長の家に納めるように申し 入れたこと,D控訴人生長の家は,控訴人教文社による被控訴人事業団の著作権侵 害行為に実質的に関与していたことを挙げる。

(ア) 証拠(甲30〜32)によれば,控訴人生長の家は,被控訴人らを被告と して,別件訴訟1の第2事件を提起し,亡Aが戦前に創作した著作物である「生命 の實相〈黒布表紙版〉」(全20巻)及び「初版革表紙 生命の實相 復刻版」に ついて,控訴人生長の家が亡Aの共同相続人らから著作権の遺贈及び売買による譲 渡を受けたから,上記著作物に係る著作権は控訴人生長の家に帰属するなどと主張 して,著作権侵害に基づき,被控訴人らに対し,書籍の出版等の差止め及び廃棄, 上記復刻版の著作権確認等を求めたこと並びに控訴人生長の家の上記請求はいずれ も棄却されたことが認められる。 前記1(1)認定の,被控訴人事業団の寄附行為の規定,本件確認書の作成及び「生 命の實相」に係る著作権登録の経緯に照らすと,控訴人生長の家が別件訴訟1にお いて,第2事件を提起し,上記のとおり主張したこと,すなわち被控訴人事業団が 挙げるBの事情は,著作権者である被控訴人事業団と,同人から使用許諾を受けた控訴人生長の家との間の信頼関係に影響を与えるものであったといえる。

(イ) 他方,被控訴人事業団が挙げるその余の事実は,以下のとおり,そもそも その事実自体が認められないか,あるいは,被控訴人事業団と控訴人生長の家との 間の信頼関係を揺るがすに足りる事情とはいえない。 すなわち,@被控訴人事業団の公益法人化に伴って,本件覚書による無償の利用 許諾を継続することが許されないとする点については,その法的根拠が明らかであ るとはいえないし,そもそも,控訴人生長の家と許諾条件の変更等を協議すること なく,一方的に解約することを正当化し得る事情であるとはいえない。 また,A控訴人生長の家による控訴人経本の頒布が,本件覚書に定める「非売品」 としての頒布であるとはいえないとする点については,控訴人生長の家は,前記(1) ウ認定のとおり,奉納金(1部につき500円ないし700円)を奉納した者に対 し,肌守り用として控訴人経本を交付し,また,永代供養料として10万円を奉納 した者に対し,霊牌用として控訴人経本を交付してきたものであるが,肌守り,霊 控訴人経本の交付が,宗教法人である控訴人生長の家から宗教上の儀式 を経て行われるものであることに照らすと,控訴人生長の家が信徒から受領してい る上記金銭は,これら宗教上の儀式を前提として信徒から出捐されたものであると 考えられること及び上記頒布方法は本件覚書の作成当時から行われていたものであ り,本件覚書に係る合意の前提とされていた頒布方法であると考えられることに照 らすと,控訴人生長の家による控訴人経本の頒布が,本件覚書に係る合意に反する 態様のものであるということはできない。

さらに,C控訴人生長の家のブラジル伝道本部に対し,被控訴人事業団が受領す べき亡Aの著作物の印税を控訴人生長の家に納めるように申し入れたとの点につい ては,証拠(甲47)によれば,控訴人生長の家が,平成23年7月15日付け「「印 税基金」の取り扱いについて」と題する書面を送付し,社団法人「生長の家ブラジ ル伝道本部」等に対し,亡A,B,C及びDの著作物について著作権を有する控訴 人生長の家は,印税の取扱いについて見直しを行い,今後は,控訴人生長の家に印税を納めてもらう方向で検討を進めることを通知したことが認められる。しかし, 同書面には,取扱いを変更する理由として,それまで長年にわたり上記4名の著作 物の印税については,「印税基金」としてブラジル伝道本部で積み立て,所有管理 してきたが,ブラジル伝道本部の財政事情が好転しており,上記基金が設立された 当時とは事情が変わったこと,控訴人生長の家は,上記4名の著作物に係る著作権 について,平成20年にBから,平成22年にDから,それぞれ譲渡を受けたこと により,控訴人生長の家が著作権者として印税の取扱いに関する決定を行うことに なったことが記載されている。これに加えて,被控訴人事業団が著作権を有する著 作物については著作権者が被控訴人事業団であることを明示して契約が締結されて いること(乙ロ26〜93)から,同書面の対象として,被控訴人事業団が著作権 を有する著作物を含むものではないと理解されるものであるということができる。

したがって,同書面において,亡Aの著書のうち被控訴人事業団に帰属するものを 除外することを明示したり,あるいは,控訴人生長の家に著作権が移転された著作 物を具体的に特定したりしていなかったとしても,控訴人生長の家が,同書面をもっ て,ブラジル伝道本部等に対し,被控訴人事業団が著作権を有する著作物について の印税をも控訴人生長の家に納めるように申し入れたものであるということはでき ない。

なお,上記通知がされた後,ブラジル伝道本部等から被控訴人事業団に支払 われるべき印税が控訴人生長の家に納められた事実があったことについては,何ら 主張立証がない。 加えて,D控訴人生長の家が控訴人教文社による被控訴人事業団の著作権侵害行 為に実質的に関与していたことについては,これを認めるに足りる証拠はない。

(ウ) 以上によれば,被控訴人事業団が正当な理由として挙げる事情のうち上記 Bの事情は,著作権者である被控訴人事業団と,同人から使用許諾を受けた控訴人 生長の家との間の信頼関係に影響を与えるものであったといえるが,前記(1)認定の 本件覚書に係る合意を締結するに至る経緯,本件覚書の内容,本件覚書に係る合意被控訴人事業団は,これらとは別に本件著作物2を出版することが可能であり,実 際にも,従前は控訴人教文社との間で,現在は被控訴人光明思想社との間で,本件 著作物2に係る出版使用許諾契約や出版契約を締結してきたこと等を総合考慮する と,上記Bの事情をもって,被控訴人事業団と控訴人生長の家との間の信頼関係が 破壊されたものということはできない。

ウ 以上のとおり,被控訴人事業団が行った本件解約通知による解約には,正当 な理由があるということはできないから,本件覚書に係る合意が解約により終了し たということはできない。

(4) 小括

そうすると,控訴人生長の家が控訴人経本を複製又は頒布する行為は,本件覚書 に係る合意に基づくものであって,被控訴人事業団の本件著作物2に係る著作権(複 製権,譲渡権)を侵害する行為ではないから,被控訴人事業団の控訴人生長の家に 対する請求は,いずれも理由がない。 また,控訴人生長の家が控訴人経本を複製する行為は,同様に,出版権を侵害す る行為であるとはいえないから,被控訴人光明思想社の控訴人生長の家に対する請 求も,いずれも理由がない。


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生長の家社会事業団の公式ホームページに<最高裁判決速報>掲載! 生長の家大神御神授の聖典『生命の實相』聖経『甘露の法雨』を護り抜く、最高裁判所が正義の判決! (4841)
日時:2017年02月07日 (火) 13時30分
名前:護法の天使

 公益財団法人生長の家社会事業団の公式ホームページに、次のとおり、<最高裁判決>速報が掲載されています。

『生命の實相』と『甘露の法雨』を護り抜く重要な歴史的判決のお知らせです。

ご協力いただける方々の積極的な拡散を希望します。

http://www.seichonoie-sj.jp/pdf/n201702.pdf

<最高裁判決速報>

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生長の家大神御神授の
聖典『生命の實相』聖経『甘露の法雨』を護り抜く

最高裁判所が正義の判決!


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                               平成29年2月1日

                         公益財団法人生長の家社会事業団


1.最高裁判所決定で生長の家社会事業団の実質勝訴確定

  平成29年1月19日、最高裁判所は、知的財産高等裁判所の 昨年2月24日判決を確定する決定を下しました。(別紙添付)

 知財高裁及び最高裁は『生命の實相』はその内容(素材)のご文章についても生長の家社会事業団が全面的に著作権を有すると判断し、日本教文社の敗訴が最終確定しました。

また、お守り『甘露の法雨』について宗教法人「生長の家」(以下教団と略称)は“逆転勝訴”と宣伝していますが、真実は確定した判決書に明記されているとおり、

@生長の家社会事業団は『聖経甘露の法雨』の完全な著作権者であり“永久的な権利放棄”など全くしていないこと。

A教団は、生長の家社会事業団に対して「信頼関係」を傷つけており今後教団が更に信頼関係を破壊すれば(例、当法人の正当な事業の妨害。当法人関係者への誹謗等)当法人は何時でも著作権の使用許諾を取消す正当事由となることが明かに判示されたものであり、

当法人の実質勝訴と言える正義の判決です。

 既に最高裁判所は、平成26年5月27日、生長の家社会事業団が『生命の實相』(『甘露の法雨』等の聖経も含む)の正当な著作権者であると判決しています。

ところが、日本教文社は『生命の實相』は編集著作物(電話帳のようなもの)であってそれを構成する内容(素材)のご文章の著作権は生長の家社会事業団にないと強弁(きようべん)し『生命の實相』の類纂である『生命の教育』について出版契約を結ばず印税不払いのまま複製頒布していました。

また、当法人が信者各位の幸福を願い特別の恩典として教団が負担すべき印税を免除しているお守り『聖経甘露の法雨』について、教団は生長の家社会事業団は『甘露の法雨』の著作権を永久に放棄していると強弁していました。

 以上の日本教文社及び教団の行為が原因となって公正な審判を仰ぐべくやむなく訴訟に至った次第です。

東京地方裁判所は、日本教文社及び教団の主たる主張を否定し、当法人の主張・請求に全面的な正当性があると認定・判断し、違法複製物としてその複製頒布を禁ずる旨の判決を下していました。

 この最高裁決定は、生長の家大神(住吉大神)より尊師谷口雅春先生が神授された聖典『生命の實相』及び聖経『甘露の法雨』等の著作権と法脈の護持において重要な歴史的意義を有します。


2.著作権問題の本質

 教団と日本教文社は、谷口雅春先生の御教えの根幹に係わる御著書30冊以上を、20年以上にわたり事実上の絶版(重版留保)としています(「神の真義とその理解」、「神示講義教の巻」等)。

 谷口雅春先生の神誌ご掲載の原稿やご講演は、次々と編纂されて新刊書になっていましたが、これらも平成4年から、日本教文社の取締役会での決定により、新刊発行が中止されたままです。

これらの客観的事実から、現在の教団と日本教文社には、谷口雅春先生の御教えの全相を歪みなく純粋に護り普及しようとする意図は全くなく、むしろこれを滅失し或いは「今の教え」なる奇怪な「まがい物」へと換骨奪胎し変質させようとする意図が明白に窺えるとの評価があります

 また現在の教団は、著作物に関する法的権利を谷口雅春先生の御教えの全相を隠蔽する意図のため行使せずにおこう(許諾も、出版もしない)としていると判断できる理由があります。

 生長の家の信者が、谷口雅春先生の著作物のうち教団の意図のもと事実上絶版になっている上記聖典を拝読しようとしても、その著作権が教団に独占されたうえ教団が自ら出版も第三者への使用許諾もしていない現状では、誰も複製や頒布ができずそれら聖典の拝読ができません。


3.聖なる使命実現のために

 これに対して、生長の家社会事業団は、谷口雅春先生から『生命の實相』『聖経甘露の法雨』等の著作権を託された尊い意義を自覚し、御教えの変質を目論む現在の教団側の思惑に抗して、先生の御教えの全相を永遠に護持する聖なる使命実現のために決然と立ち上がった次第です

 生長の家社会事業団は、昭和20年11月、創立者谷口雅春先生が、戦後復刊最初の『生長の家』誌同月号に「生長の家社会事業団の設立」との御文章を発表され、日本救国・世界救済の宗教的信念に基づき、国家社会救済の一大運動とする財団法人設立を提唱され、協力を呼びかけられるともに、『生命の實相』(所収の神示聖経甘露の法雨等を含む。)等の著作権を設立の基本資産として寄附行為されたことが創立の原点です。

 谷口雅春先生は、『大和の国 日本』の「はしがき」におかれて「これ(生長の家社会事業団の設立)は戦後の生長の家人類光明化運動の発進宣言ともいうべき文章である」と明確に述べられています。

 今日、創立者谷口雅春先生が御昇天されて早や32年、先生の御謦咳(けいがい)に接し得た方々も次第に少なくなる中、谷口雅春先生の偉大なる御事績と御教えを正しく純粋に歪みなく後世に伝えることは、当法人設立者である谷口雅春先生のご恩に対して私どもが報いるうえでの最大の課題です。

当法人創立にあたって尊師谷口雅春先生のお示しになられた上記の切なる御悲願に改めて回帰すべく、私どもは谷口雅春先生より託された聖なる使命実現のため一層邁進する決意であります。

 公益財団法人生長の家社会事業団及び株式会社光明思想社は、著作権者及び出版権者として、信徒各位への谷口雅春先生の著作物の供給責任を有しておりますので、着々と聖典及び聖経の複製及び頒布を実施してきております

 既に、光明思想社からは『生命の實相』(新編『生命の實相』及びオンデマンド頭注版『生命の實相』)、『新装新版真理』等の聖典及び聖経(お守り「聖経甘露の法雨」、お守り「聖経続々甘露の法雨」を含む各聖経)を謹製し頒布しているとおり、今後も引き続き責任をもって、出版活動を継続し谷口雅春先生の著作物の供給責任を永続的に果たして参りますので、どうぞご安心頂くとともに、信徒各位の皆様方に、これら出版物の一層のご活用と普及をお願いするものです。
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生命の実相

生命の實相

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生命の實相(生命の実相、せいめいのじっそう)は、昭和初期から中期の谷口雅春の代表的著書。宗教法人「生長の家」の聖典の一つ。頭注版・携帯版は全40巻。愛蔵版は全20巻。初版(復刻版)、点字版もある。初期には豪華版というものも刊行されていた。日本教文社刊。生長の家では「是を神が谷口雅春に書かせたもの」とする。

もともとは著者谷口雅春が修身雑誌として自費出版した「生長の家」を再度纏め直したものである。現在では聖典でもあるが宗教的哲学書という面も持つ。人間の「實相」(本当の姿)は神の子であり、無限の愛、無限の知恵、無限の自由、その他あらゆる善に満ちた永遠不滅の生命であると説く。また、この世界は心に思い描いたものが現れた現象界なのであるから、人間の実相は神の子であるという真理を悟れば、現象界においても幸福が現れると説く。第9巻はよく引用されている。

1900万部以上を売り上げたロングセラーである[1]。昭和初期にはこの本を読むことで周囲の人と調和したり病気が治癒したりするなどの「奇跡」が起きたことが生長の家の拡大に寄与したとされる。

生長の家には本書の他に聖典として『甘露の法雨』、『新版真理』(全11巻)などがある。

発刊停止問題[編集]

公益財団法人生長の家社会事業団及び生長の家本流運動の出版部門である光明思想社が、生長の家系の出版社である日本教文社が出版していた『生命の實相』、『聖経 甘露の法雨』に対し、著作権侵害による発刊差し止めと損害賠償の訴訟を起こした。知的財産高等裁判所2016年2月24日に、生長の家社会事業団側の主張を容れ、発刊の停止(書籍の廃棄)、20万円の支払いを命じた[2]

脚注[編集]

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  1. ^ 生命の實相 頭注版
  2. ^ 平成27年(ネ)第10062号 著作権侵害差止等請求控訴事件 (PDF)”. 2016年4月14日閲覧。

外部リンク[編集]


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谷口清超

晩年[編集]

2005年2月頃より体調を崩し、以後東京の総裁公邸(実質的な自宅)にて療養生活を送る。2008年10月28日、老衰のため89歳で死去。解脱名(戒名)は「實相無相光明宮弘誓通達大慈意大聖師」。

教団葬に当たる「追善供養祭」が2008年12月17日に行われ、翌2009年3月1日の立教記念日に谷口雅宣が第3代総裁を継承した。

人物[編集]

谷口雅春のように、医学的常識からは奇跡であるとしか思えない逸話は存在せず、霊媒体質ではない[1]

家族[編集]

家族は妻・恵美子との間に3男2女。1947年に長女、1948年に長男(出生後1年経たずに死去)、1950年に次女、1951年に次男・雅宣、1955年に三男がそれぞれ誕生。うち、現在教団運営に直接的に関わっている人物は雅宣のみである。なお孫が16人(男8人、女8人)おり、曾孫もいる。バレエダンサーミュージカル女優谷口あかりは孫の一人(三男の娘)。三島事件の際、三島由紀夫森田必勝の割腹自殺の介錯をした古賀浩靖は娘婿である。


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愛国の思想を持つものは兄弟でも許さぬ。 (13964)
日時:2016年08月02日 (火) 01時36分
名前:総裁はなぜ左翼


愛国の思想を持つものは兄弟でも許さぬ。

谷口貴康氏はこのようにして強制退職させられた (11460)


日時:2012年07月21日 (土) 20時14分
名前:龍


 誠に嘆かわしい事実です。宗教家としては勿論、人間としてもあり得ない仕打ちです。やはり嫉妬心が異常に強い人、それが雅宣総裁であると解る。

 以下、愛国「本流☆生長の家」より詳しい内容を転載させて頂きます。


 (1386) 貴康氏退職までの経緯 投稿者:取材者

 貴康氏が宗教者であったかどうかは異論が出るところですが、創始者と先代の総裁から厚い信頼と期待がかかっていたことは複数の人から聞くことが出来ます。

 総本山が落慶する際に、谷口雅春先生より「名代」として、ご神体を奉遷したのは谷口貴康氏であり、谷口雅宣氏はその時は本部職員でもなかったので当時の雰囲気では貴康氏が三代目になるのではとの感触を本部内では持っていたようです。(※龍 これにっいては、教区幹部より、貴康氏が次の総裁になられると信じていたという言葉を聞いている。)

 しかし、貴康氏本人は自分に過去がある(自伝参照)のでそれを頑なに拒み、兄である雅宣氏が本部に入り後継者になってもらうことを強く希望していたようです。

 さて、その雅宣氏が本部に入り広報編集部長から講師部長へとなるころまでは、両者の関係は上手くいっていたようです。

 特に雅宣氏は講師部長でありましたが、管轄する練成会の指導経験も無いことから、総本山勤務の貴康氏に講師部次長として練成課を担当させたこともあるようでした。

 関係がギクシャクし始めたのは、雅宣氏が副総裁に、貴康氏が国際部長に任命されその後副理事長になったころのようです。

 国際部長としての活躍は良い部下と海外・特にブラジルとの良好な関係や適切な支援で、次々と各地の拠点が増えていきました。

 現在、国際平和信仰運動と称されている運動のほとんどはこの貴康氏が国際部長をしていたころに出来上がっていたものです(むしろ現在のほうが全体的に教勢は落ちています)

 このあたりから雅宣氏は貴康氏に対して嫌悪感をむき出しにするようになり、特に雅宣氏が副総裁として初めての海外巡錫(北米)の企画段階では貴康氏を排除する勢いであったようです。

 この北米巡錫はのちに宮澤潔氏とのトラブルの原因にもなり、生長の家の歴史上最悪の歴史の始まりと言えるかも知れません。


 ☆ 谷口貴康氏を排斥したこと 国際部長→講師部長→青年会担当(副理事長より理事に降格)→総本山総務(この途中で理事更迭)

 ☆ 宮澤潔氏を北米から排除したこと。→オーストラリア特命講師→ゆには担当講師(この前時点で退職される)

 ☆ 英語圏の活動は自分が行うとしたこと
 ☆ この方針により功労者であった日系人排斥が始まり、教勢は転落。

 ☆ さらに『生命の實相』英語出版の停止(雅宣氏が自分の本で布教すると主張する)
 ☆ 国際練成道場を北米に作ると宣言するも実現せず。

 このように自分の主張をごり押しして、意見の食い違うものを排除した結果は、すべてにおいて成功せずに失敗。キズだけが残りました。

 貴康氏はそれでも最後の奉職の地として、大恩ある雅春先生のお気持ちのこもった総本山と墓を御守りするつもりで清超先生に特別に許されて総本山に行ったのですが・・・一年半後に突然に理事会において移動の提案。

 その提案は総裁(清超先生)にも相談無く密かに進められた模様で、理事会において「慎重に検討しなさい」との総裁のおことばを「わたしが議長なんです」と雅宣氏は制止して強行に採決するという事態になるわけです。

 この時点で「総裁を無視する雅宣氏」に完全に失望して、この団体に前途なしと判断。その日のうちに退職届を理事長に提出したとのことです。

 この左遷人事はもちろん「退職させるための」ものであったようで貴康氏が退職届を出した事に対して、雅宣氏や理事各位からの慰留や説得も無かったことが「ためにする」提案であったということを示唆しているわけです。


2012年07月21日 (土) 12時17分

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(1387) さらなる追放と本部の詭弁 投稿者:取材者

 貴康氏の退職は当時幹部間に衝撃を与えた。幹部どころか総裁におかれましても大変な悲しみであったことは、ご体調を崩されたことにそのお心が表れていると拝察される。

 本部は貴康氏の退職理由の質問に答えるために詭弁を用意した。
「谷口貴康さんは自分の好きなことをしたいと思って生長の家をやめた、総裁も雅宣先生も大変遺憾に思われている」というものであった。

 のちにその好きなこととは「整体と田舎暮らし」であると解説されていた。しかし取材すると実際はそうではない。

 特に辞めた後に、教団からの貴康氏にたいする排除の徹底ぶりと監視は尋常ではないことが、総本山退職者の証言で明らかになった。

 貴康氏の後任に雅宣氏が送り込んだのが菅原氏である。

 この菅原氏もかつては北米教化総長にまでなった人であるが、雅宣氏の方針に従っていないと総長を更迭され、函館の教化部長となり、後に宮城の教化部長になっていた人物で、雅宣氏の恐ろしさに懲りて家族ともども雅宣氏に逆らえない精神状態になっていたときであった。

 貴康氏の任期はあと三ヶ月あったが、総務を解任され、総務は菅原氏になり、貴康氏は一切練成で講話することも許されなくなった。

 退職前の送別会を、職員で行う際にも、その他の移動した人と並列で行われた。退職後にただちに管理職の職員は菅原総務に言い渡されるる。

 @ 貴康さんに会いに行ってはいけない。

 A 貴康さんが本山に来たら、時間まで報告すること。どんな小さな道具などでも、貸してはいけない。どんな会話をしたかも報告するように。

 B 年祭(雅春先生と輝子先生)には参加してもらうことが禁止となっているので、駐車場に来られても止めさせてはいけない。

 このようなことを言い渡されたという。
 つまり、貴康氏は生長の家から追放されたということなのだ。

「辞められてから数ヶ月は本山に来られて皆さんと仲良くされておられましたが、総務の命令で顔も合わせられなくなりました」とその人は証言する。

 貴康氏は生長の家を辞めたのではなく、辞めさせられ、出入りを事実上禁じられたということが事実のようだ。

 宮澤潔氏が依願退職を懲戒免職にされ、裁判にて破産させるまで追い詰めようとしたり、宮澤氏はもちろん貴康氏にも祖父祖母の年祭に参加すら許さない仕打ちをしたりする「宗教家」とはいかなるものであろうか。

 普通の人であっても思想信条が違っていても、葬儀や年祭から排除することは異例のことでアル。

「村八分」ということばがあるが、他のことの八分は相手にしない処分をしても、身内の葬儀になどに当たる二分は例外とされている日本の感覚からも外れる、非人道的なことがまかり通るのだから恐ろしいことだと思う。


2012年07月21日 (土) 13時48分

 神様はすべてお見通し。祖父、父、兄弟に背く仕打ち。これから何が起こるか、悲しく恐ろしいことである。

 自分が生きるためとはいえ、大恩ある谷口雅春先生が愛されていたお孫さまに対して、言われるままにこのような惨い事をしたことを、菅原氏はどう思っているのだろうか。一面被害者なのかもしれないが、信仰者として生きてほしかった。


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献金 講習会参加ノルマ

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私は生長の家に賛同する者ではありませんが、
「生命の実相」の中で谷口雅春が宗教と金について述べているところを抜粋してみました。

救われるには献金せねばならぬ本山へ金を納めばならぬ=偽預言者 (生命の実相30巻P291)

金を払ってもどうにもならない。(生命の実相37巻P127)

だんだん深入りすると金を出せ。(生命の実相30巻P297)

これでも神罰をダシにして寄付献金を勧誘したりしない。(生命の実相30巻P302)

宗教が寄付を受けるにはそのくらい権威がなければならない。(生命の実相30巻P298)

・ズルイ欲の深い魂胆。金を出すにいたった心がどこにあるかで寄付の価値はきまる。(生命の実相36巻P118)

生長の家は本部が経費に困っても他の宗教のように「やめたら罰が当たる」などといって人を威嚇して金を搾りあげようとは思っていない。(生命の実相29巻P199)

生長の家はよくよく金のとれぬようにできている。(生命の実相30巻P299)

光明普及団体が救済してほしい団体になってはこの使命をまっとうできない。(生命の実相25巻P156) 

生長の家の現状がどうなのか私には分かりません。

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視聴者の声

月400円会員?月1000円会員とレベルアップします。
勿論会費が多い方が“徳積み”が多い。  金額次第かよ…。
書籍は“聖典読じゅ”。自発的に買いますが結局は“洗○”です。
“○脳”から覚めて初めて自分は馬鹿だったと気付きますよ(一生覚めずに墓に入る人もいますが…)。
動画では、常識的かつ一般的な質問をされておられて良いかと思います。
誰しもが気になる事を聴いて下さっていますね。?

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生長の家の費用、ノルマについて

父親が長い事生長の家で宗教活動をしていて困っています。
カードで200万円借金していることがわかりました。

シロハトという雑誌を買い込んだり、実家に住んでいない人の名前で生長の家の雑誌が届きます。
年に一回総会とかいって一般の人も呼ぶ会があるのですが、毎回弁当のチケットを買って家族や私の主人、母方の親戚に配っています。
父親は70もすぎ、定年で年金ぐらしですが、少ない年金から毎回10万以上抜いて活動にあてています。
母はストレスから病気になってしまいました。
父は生長の家の人には先生と呼ばれているようで、セイシメイカイとかいうFAXが毎日届きます。
どんなノルマがあるのでしょう。
本当に困っています。
弁護士に相談しようかとも考えています。
何か構造を知っている方いましたら、教えてください。
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宗教法人 生長の家 は、信者さんのノルマが厳しく定められているのでしょうか。

入会金、特別入会金など、その他、自分の両親のその両親の苗字を紙に書いて、その他、亡くなった身近な人、一枚400円で、最低1200円は1年に2回支払いをせまってきます。
信仰心で親切なのはわかりますが、頼んでもいない雑誌を定期購読の年間契約をされていて、届いても迷惑です。
山梨県甲斐大泉付近に、本部が引越ししてきて、職員の住宅、太陽光でまかなえる建物が真っ黒で、地元としては、違和感があります。

信仰熱心な親切心は、断っても聞いてもらえず、ありがた迷惑です。
逆に貴女はこの会でないと救われませんと脅されてるみたいです。
柔らかい言い方ではありますが、脅されている気がします。

教理に関してはほとんど意味がわかりません。理屈が通っていません。

率直なところ、内部の方におうかがいします。講習会などの人集めのノルマはありますか?

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ノルマと言うよりは『講習会受講券』頒布目標があります。
また、参加者数目標もあります。組織運動では当たり前です。

講習会の目的は、活動予算の獲得の他に直系(継承された者)による講演(講話)を直に拝聴するというのが大きな狙いでありそのため特別な行事として扱われていますが今の指導者(総裁)谷口雅宣氏となってからは受講券目標は非常にやさしい活動(運動)へと変わりました。
以前の生長の家は人類とりわけ未来日本に対して危機感を全面に出した時期がありかなり過激な運動が展開されました。

唯心実相哲学という哲学としてスタートした谷口雅春氏の個人運動に賛同した人や配布された書物を読み病気が完治して入信した人たちが集まりやがて宗教として大きな組織へと成長したのです。
その為「私たちが!」「我らが!」と妄信的な運動が展開されることとなります。
当時の総裁は「私が、という『が』=『我』を持った運動は間違った運動である」と注意したほど組織が巨大化したのです。

信者をふやせ!という『信者たちの運動』はまさに「我」の運動となって展開され「数字は結果である」という間違った方向へと向かったのであります。

「私は機関紙の部数を増やす為〇〇をしました!」「数時間の睡眠以外はすべて運動に参加しました」など過激発言が当たり前となりやがては「みんなが頑張っているのに・・・」と悲壮感漂う運動へと発展しました。

「唯物思想にやられてしまう」という『危機感を煽る』に加え自己犠牲が美徳とされる『悲壮感』漂う運動はカルト的であり妄信的信者たちの狂演であったのはある意味間違いありません。
やがて、教区によっては参加者を水増しするなどウソの報告が当たり前となり『数合わせ』というウソだらけ運動が恒常化していたのです。
その『負の連鎖』と言うべきものを取り払い今の生長の家があります。

しかし、「私が」という『我』を持った間違った信者、「生長の家がすべて」という妄信的信仰者は今もって存在しており内部でもある意味問題視されているのは確かです。

また、入会金、特別入会金というのは『聖使命(せいしめい)』会費のことでしょうか?
そういったお金は。真心こめて納めるものなので。無理したり嫌々ながらは生きたお金ではなく勿体ないお金になります。

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妙法蓮華経 方便品第二
仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏とのみ、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。
所謂諸法の如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等なり。
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無量義経
仏の言わく、
善男子、是の一の法門をば名づけて無量義と為す。
菩薩、無量義を修学することを得んと欲せば、応当に一切諸法は、自ら本・来・今、性相空寂にして、無大無小、無生無滅、非住非動、不進不退、猶虚空の如く、二法有ること無しと観察すべし。
而るに諸の衆生、虚妄に是は此、是は彼、是は得、是は失と横計して、不善の念を起し、衆の悪業を造って、六趣に輪廻し、諸の苦毒を受けて、無量億劫自ら出ずること能わず。
菩薩摩訶薩、是の如く諦かに観じて、憐愍の心を生じ、大慈悲を発して、将に救抜せんと欲すべし。

又復深く一切の諸法に入れ。
法の相是の如くして、是の如き法を生ず。
法の相是の如くして、是の如き法を住す。
法の相是の如くして、是の如き法を異す。
法の相是の如くして、是の如き法を滅す。
法の相是の如くして、能く悪法を生ず。
法の相是の如くして、能く善法を生ず。
住・異・滅も、亦復是の如し。

菩薩是の如く四相の始末を観察して、悉く遍く知り己って、次に復諦かに、一切の諸法は念念に住せず、新新に生滅すと観じ、復即時に生・住・異・滅すと観ぜよ。
是の如く観じ己って、衆生の諸の根性欲に入る。
性欲無量なるが故に、説法無量なり。
説法無量なるが故に、義も亦無量なり。
無量義とは一法より生ず。
其の一法とは、即ち無相なり。
是の如き無相は、相無く、相ならず、相ならずして相無きを、名づけて実相と為す。

菩薩摩訶薩、是の如き真実の相に安住し己って、発する所の慈悲、明諦にして虚しからず。
衆生の所に於て、真に能く苦を抜く。
苦既に抜き己って、復為に法を説いて、諸の衆生をして快楽を受けしむ。
善男子、菩薩若し能く、是の如く一切の法門無量義を修せん者、必ず疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得ん。
善男子、是の如き甚深無上大乗の無量義経は、文理真正なり。
尊にして過上無し。
三世の諸仏の共に守護したもう所なり。
衆魔群道、得入すること有ること無く、一切の邪見生死に之れ壊敗せられず。
是の故に善男子、菩薩摩訶薩、若し疾く無上菩提を成ぜんと欲せば、応当に是の如き甚深無上大乗の無量義経を修学すべし。
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妙法蓮華経方便品第二
若し人仏に信帰すれば 如来欺誑したまわず
亦貪嫉の意無し 諸法の中の悪を断じたまえり
故に仏十方に於て 独畏るる所無し
我相を以て身を厳り 光明世間を照す
無量の衆に尊まれて 為に実相の印を説く
舎利弗当に知るべし 我本誓願を立てて
一切の衆をして 我が如く等しくして異ること無からしめんと欲しき
我が昔の所願の如き 今者已に満足しぬ
一切衆生を化して 皆仏道に入らしむ
若し我衆生に遇えば 尽く教うるに仏道を以てす

無智の者は錯乱し 迷惑して教を受けず
我知んぬ此の衆生は 未だ曾て善本を修せず


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妙法蓮華経法師品第十
若し是の法華経を未だ聞かず、未だ解せず、未だ修習すること能わずんば、当に知るべし、是の人は阿耨多羅三藐三菩提を去ること尚遠し。
若し聞解し、思惟し、修習することを得ば、必ず阿耨多羅三藐三菩提に近づくことを得たりと知れ。
所以は何ん。
一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は、皆此の経に属せり。
此の経は、方便の門を開いて真実の相を示す。
是の法華経の蔵は深固幽遠にして、人の能く到る無し

今仏、菩薩を教化し成就して、為に開示す。

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妙法蓮華経安楽行品第十四
復次に菩薩摩訶薩、一切の法を観ずるに空なり。
如実相なり。
顛倒せず、動ぜず、退せず、転ぜず。
虚空の如くにして所有の性無し。
一切の語言の道断え、生ぜず、出せず、起せず。
名無く、相無く、実に所有無し。
無量、無辺、無礙、無障なり。
但因縁を以て有り、顛倒に従って生ず。
故に説く、常に楽って是の如き法相を観ぜよ。
是を菩薩摩訶薩の第二の親近処と名づく。

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妙法蓮華経法師功徳品第十九

諸の所説の法、其の義趣に随って、皆実相と相違背せじ。
若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん。

三千大千世界の六趣の衆生の、心の行ずる所、心の動作する所、心の戯論する所、皆悉く之を知らん。
未だ無漏の智慧を得ずと雖も、而も其の意根の清浄なること、是の如くならん。
是の人の思惟し、籌量し、言説する所有らんは、皆是れ仏法にして、真実ならざること無く、亦是れ先仏の経の中の所説ならん。

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妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八

是の語を説き已りなば、普賢菩薩、復更に為に懺悔の法を説かん。
汝、先世無量劫の中に於て、香を貪るを以ての故に、諸識を分別するに、処処に貪著して、生死に堕落せり。
汝今、応当に大乗の因を観ずべし。大乗の因とは諸法実相なり。
是の語を聞き已って、五体を地に投じて、復更に懺悔せよ。
既に懺悔し已って、当に是の語を作すべし。
南無釈迦牟尼仏、南無多宝仏塔、南無十方釈迦牟尼仏分身諸仏。
是の語を作し已って、遍く十方の仏を礼したてまつれ。
南無東方善徳仏及び分身諸仏。


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妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八

若し此の悪を滅して 永く諸の塵労を離れ
常に涅槃の城に処し 安楽にして心憺怕ならんと欲せば
当に大乗経を誦して 諸の菩薩の母を念ずべし
無量の勝方便は 実相を思うに従って得

此の如き等の六法を 名づけて六情根と為す
一切の業障海は 皆妄想より生ず
若し懺悔せんと欲せば 端坐して実相を思え
衆罪は霜露の如し 慧日能く消除す
是の故に至心に 六情根を懺悔すべし
是の偈を説と已って、仏、阿難に告げたまわく、
汝今、是の六根を懺悔し、普賢菩薩を観ずる法を持って、普く十方の諸天、世人の為に、広く分別して説け。


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【実相】の究極的正体

妙法蓮華経如来寿量品第十六

我仏を得てより来 経たる所の諸の劫数
無量百千万 億載阿僧祇なり
常に法を説いて 無数億の衆生を教化して
仏道に入らしむ 爾しより来無量劫なり

衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず
而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く
我常に此に住すれども 諸の神通力を以て
顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見えざらしむ
衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し
咸(ことごと)く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず

衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に
一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず
時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず

我時に衆生に語る 常に此に在って滅せず
方便力を以ての故に 滅不滅有りと現ず

余国に衆生の 恭敬し信楽する者有れば
我復彼の中に於て 為に無上の法を説く
汝等此を聞かずして 但我滅度すと謂えり

我諸の衆生を見るに 苦海に没在せり
故に為に身を現せずして 其をして渇仰を生ぜしむ
其の心の恋慕するに因って 乃ち出でて為に法を説く

神通力是の如し 阿僧祇劫に於て
常に霊鷲山 及び余の諸の住処に在り
衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も
我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり
園林諸の堂閣 種種の宝をもって荘厳し
宝樹華菓多くして 衆生の遊楽する所なり
諸天天の鼓を撃って 常に衆の伎楽を作し
曼陀羅華を雨らして 仏及び大衆に散ず
我が浄土は毀れざるに 而も衆は焼け尽きて
憂怖諸の苦悩 是の如く悉く充満せりと見る

是の諸の罪の衆生は 悪業の因縁を以て
阿僧祇劫を過ぐれども 三宝の名を聞かず


諸の有らゆる功徳を修し 柔和質直なる者は
則ち皆我が身 此に在って法を説くと見る

或時は此の衆の為に 仏寿無量なりと説く
久しくあって乃し仏を見たてまつる者には 為に仏には値い難しと説く

我が智力是の如し 慧光照すこと無量に
寿命無数劫なり 久しく業を修して得る所なり

汝等智有らん者 此に於て疑を生ずること勿れ
当に断じて永く尽きしむべし 仏語は実にして虚しからず

医の善き方便をもって 狂子を治せんが為の故に
実には在れども而も死すと言うに 能く虚妄と説くもの無きが如く
我も亦為れ世の父 諸の苦患を救う者なり

凡夫の顛倒せるを為て 実には在れども而も滅すと言う
常に我を見るを以ての故に 而も?恣の心を生じ
放逸にして五欲に著し 悪道の中に堕ちなん

我常に衆生の 道を行じ道を行ぜざるを知って
応に度すべき所に随って 為に種種の法を説く

毎(つね)に自ら是の念を作さく 何を以てか衆生をして
無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと


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妙法蓮華経神力品第二十一

爾の時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、
諸仏の神力は、是の如く無量無辺不可思議なり。
若し我、是の神力を以て、無量無辺百千万億阿僧祇劫に於て、嘱累の為の故に、此の経の功徳を説かんに、猶尽すこと能わじ。

要を以て之を言わば、
如来の一切の所有の法、
如来の一切の自在の神力、
如来の一切の秘要の蔵、
如来の一切の甚深の事、
皆此の経に於て宣示頭説す。

是の故に汝等、如来の滅後に於て、応当に一心に受持し、読誦し、解説し、書写し、説の如く修行すべし。

所在の国土に、若しは受持し、読誦し、解説し、書写し、説の如く修行すること有らん。
若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若もしは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆、応に塔を起てて供養すべし。