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00−1

日寛上人、一行の御文から万法をひらく

三重秘伝抄 第一

六巻抄の解釈に入る前に、第四十八世日量上人が著した日寛上人伝を引用させていただいて、読み易いように難語の訳・句読点・行換えなどを加えさせていただき、日寛上人の御恩徳を偲びたい。

(※ 総本山四十八世日量上人

日寛上人伝



 止観に曰く如来慇懃(おんごん)に此の教を称歎したまふに、聞くもの歓喜す。
常啼は東に請ひ、善財は南に求め、薬王は手を焼き、普明は頭を刎ぬ。一日に三度恒沙の身を捨つとも尚一句の力を報ずること能はず、況や両の肩に荷なひ負うて百千万劫すとも、寧(むし)ろ仏法の恩を報ひんや。
又云く、香城に骨を粉(くだ)き、雪嶺に身を投ぐとも何ぞ報ひるに足らんや。

 爰(ここ)に当山二十六祖日寛上人尊師は生智聡敏にして当世絶倫の学匠、信行兼備の明師なり。寔(まこと)に此れ法中の麒麟、仏閣の龍像と謂つべきか。
殊(こと)に今家の明判を抄述し、台教の疏章を釈通す。
自余の製作、諸般の筆記、勝(あ)げて(※=残らず・全部)計(はから)ふ(※=適当に選び定める。見はからう。)べからず。
中んづく本仏の細意を弁明すること古今独歩なり。猶雲霧を被(ひら)いて三光を見るが如し。
我レ等愚輩、一句の祖書を購読して能所同じく仏慧(ぶって)を期すること、特(ひと)リ尊師の高徳、和上の余訓なり。
倩(つらつ)ラ其ノ法恩を思へば泰山より高く倍す。其の徳沢を顧りみれば蒼海よりも深し。

維(こ)ノ時、今年季夏八月十九日は第一百遠回の忌辰に相当れるに世財を三宝に投ぜんとすれども貧道其ノ資を得ず。法施を四衆に布(し)かんとすれども、短才厥(そ)ノ糧を貯(たくわ)ふることなし。
之に由つて先賢の筆跡を尋ねて恩山の一塵を拾ひ、耆宿(きしゅく=学徳のすぐれた老人。老大家。)の口碑(こうひ=昔からの言いつたえ。伝説。)に聞いて徳海の片滴を汲む。
師、降誕の始めより泥?(?亘)(ないおん=涅槃)の終に至るまで一代の行業を輯録(しゅうろく)し、此レを門家の耳目に触れ、一遍の唱題を勧めしめて以て報恩謝徳の一部に擬す。
唯恐くば文辞鄙昧(ひまい=洗練されていない。卑しい。あやふや。道理に暗い)にして聖徳を黷(けが)さんことを。
庶幾(こいねがわ)くば後覧の明哲、補助を為せと爾(し)か云ふ。

 文政八年乙酉の春、時正(じしょう=1日の昼夜の時間が等しい時=ここでは春分)の日、富峰の穏士久遠自ら序す。

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00-2

師の諱(いみな=亡くなった人の生前の名前)は日寛(初め日如と云う)字(あざな=男子が元服してつける名。)は覚真、大弐阿闍梨堅樹院と号す、
寛文五(乙巳覆燈火)八月八日卯の上の刻の誕生なり、(1665年〜1726年)
俗姓は上の野州、館林、前の城主酒井雅楽頭(うたのかみ)の家臣、伊藤某の子なり、父を浄円と云ひ、継母を妙順と云ふ、八歳にして実母(妙真)に別れ、養母の撫育に依つて成長し幼名を市之進と云ふ。

 志学の頃(十五歳)より江戸に出でゝ旗本の館に勤持す。
天和三年癸亥(1683年)の夏(十九歳)勤の暇に納涼せんが為め門前に徘徊す、
時に六十六部回国の修行者至る、

師(日寛上人)、修行者に問うて云く
●「笈(おい・きゅう=修験者(しゅげんじゃ)や行脚僧(あんぎゃそう)などが仏具・衣類・食器などを入れて背負う、あしつきの箱。)の後ろに書き附けある「納め奉る大乗妙典六十六部」とは如何なることぞや」
行者答へて云く
▼「日本六十六箇の観世音菩薩に法華経一部「充」(全てとの意か)を納め奉りて、後世得楽を祈るものなり、」
師又問うて云く
●「腰に小金鼓を鳴らして、口に何事を誦するや、
行者
▼「金を鳴らして無常を示し、口に摂取不捨の名号(南無阿弥陀仏)を唱ふ、」
師又復問うて曰く
●「口に弥陀の名号を唱へ、心に観音を念じ、納むる所の経典は法華経なり、若し爾らば身口意相応せざるにあらずや、」
行者忽に閉口し
▼「我は俗なり、其ノ義を知らず」と言つて去りぬ、

爰(ここ)に門番、佐兵衛と云ふ者あり、側に在りて之レを聞き讃嘆して止まず、

師云く
●「全く修行者を詰むるにあらず、吾レ多年普門品を夏書(夏安居 (げあんご)(四月十六日から九十日間)の期間中、経文を書写すること。)して浅草の観世音に納む、
夫レ観音を信念し、口に弥陀の名号を称へば、譬へば汝に向つて 六兵衛と呼ばんが如し、汝答ふべきや、
其ノ上納むる所の普門品の題に妙法蓮華経とあり、全く弥陀の名号なし、
爾れば観音を念ぜば妙法の題目を唱ふべし、例せば吾レを伊藤市之進と云ふが如し、
妙法の五字は観音の苗字なり、何ぞ余経の苗字たる弥陀の名号を唱うるの里(※理)あるべけんや、此の事、他年不審に思ふ故に修行者に問ひしなり、

佐兵衛曰く
▲「善き問ひかな、吾レ菩提寺にて常に教化する所是レなり、謂はゆる妙法蓮華経の五字は十方三世の諸仏の御師範、一切衆生成仏得道の大導師なり、」

師云く
●「汝が菩提所は何処なりや、」
佐兵衛曰く
▲「下谷常在寺なり、」

師大に悦び、翌日佐兵衛と供に常在寺に詣で々、日精上人(本山十八祖(※現在では資料発見の結果十七世となる)隠居して江戸に出て常在寺を創(はじ)む、今年八十四才御遷化の年の夏なり)、説法を聴聞して宿善薫発し、疑氷忽(たちまち)に随喜信伏す、
頻(しきり)に出家たらんと欲して主人に暇(いとま)を請えども主人惜しんで聴さず、
同じく十二月下浣(かかん=毎月の20日以後。下旬。)自ら髻(もとどり=髪の毛を頭の上に束ねた所。たぶさ。)を剪(き)り、馳せて常在寺に至り、現住日永上人(本山二十四祖入山已前なり)を師として剃度(ていど=剃髪して僧・尼になること)の式を設け、受教給仕す、

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00-3

元禄元年戊辰(1688年)九月、永師(日永上人)会津実成寺に移転するに、師(日寛上人)も随ひ往く、
同じく二年己巳の年(1689)に二十五歳にして細草談林(今の千葉県山武郡大綱白里町。寛永十九年(1642年、富士派と八品派合同で創立された檀林(※栴檀(せんだん)林の略で、僧侶の集りを栴檀の林に例え、仏教における学問所のこと。 宗派の立場を超えた仏教学の研究が行われ、その中で学派も分かれていった。 檀林は、学制発布により廃止されたが、大学として現在もその名跡を継いでいる。)に新来す、

師の性たる聴睿(ちょうえい=聴いて直ぐ覚える か)絶倫(同じ人間仲間(=倫)から飛び抜けて(=絶)すぐれていること。抜群。)にして博学宏才(こうさい=才知が幅広いこと。)なり。

筆法に秀で、和歌を善くす、研習、年積りて(宝永五年、1708年)二十六代の化主(能化)となる。
(この時から「堅樹院日寛」と号す)

条集玄文四部(●条箇部 名目条箇三、●集解部 天台四教儀集解上中下三巻 ●玄義部 法華玄義一〇巻 ●文句部 法華文句一〇巻)の末抄(注釈書)を著述し、「草鶏記」と号す。
意味深長にして台家(天台宗)に其ノ名を残す、

参照
※草鶏記・・・日寛上人の細草談林26代化主までの間の述作。
(集解抄、集解序草鶏記、集解上本草鶏記、玄籖一草鶏記上巻、玄籖一草鶏記中巻、玄籖二草鶏記、文一別序草鶏記、文一草鶏記、文一下草鶏記、壽量品演説抄、文三題号草鶏記、文三入文草鶏記、宝塔品草鶏記、文四草鶏記、談義草鶏記、堂供養法則、文四末草鶏記、文五草鶏記、文六草鶏記、文七草鶏記、法師品草鶏記、薬王品病即消滅抄、法衣供養談義、父母報恩談義、条箇下愚記、薬王品後五百歳中広宣流布之事、条箇下末之抄、条箇上本之抄、条箇上末之抄、集解上之抄、集解下草鶏記、集解下之抄)

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00-4

正徳元年(1711年)辛卯の夏、永師(第二十四世日永上人)の命を蒙り、学頭蓮蔵坊(六代)(※本山の学頭職)に移徙(う)ツり(※わたまし 貴人の転居)御書の講莚(こうえん=講義が行われる場所、または講義)を中興し、三(※三大重要書『立正安国論』『開目抄』『観心本尊抄』か)・五大部の記(五大部の文段)を製作す、
古今独歩にして名誉を当家に顕す。夜中の満月、晴天の日輪の如し、
門徒の法燈、新に威光を倍し、自他の真俗、始めて蒙眼(いまだ道理にくらい見解)を開く、

享保三年(1718年)戊戌三月、五十四歳にして、衆檀の請に応じて方丈(住職の住居=大石寺の住職(御法主上人)の住居)に入院し、宥師(第二十五世日宥(にちゆう)上人)の付嘱を稟(う)け、正嫡廿六世の嗣法となる、

師(日寛上人)は談林昇階の席に於て養公(第二十七世日養上人)の次ぎなれども、師が年長たるを以て養公、辞譲(へりくだって他人に譲ること)して師を推して先進せしむ、
「在位三年」の兼約(かねての約束)に任せ、同じく五年(1720年)庚子二月二十四日、嫡々相承を養師に完附して退いて再び学寮に入リ、内外(録内・録外)の祖書(御書)を講ず、
同じく八年(1723年)癸卯六月、養師早世に就いて方丈に再往し、在山四箇年なり、
此の間に常唱堂を建立し、時の鐘を掛け、二六時中(一日中)妙法を唱へ断絶せしむる事なし、
開堂の日、和歌一首を詠ず。

 富士の根に 常に唱うる堂建てゝ 雲井に絶えぬ 法の声かな、日寛判

又、開山師(日興上人)説法石の傍に於いて一宇を創す、号して石之坊と云ふ。五首の詠あり、繁きを恐れて其一を出だす。

 羽 衣

 久方の 天の羽衣撫でやらて、守らせ給へ 石の坊(いお)りも。

又、本堂の前の洪鐘(大きな釣り鐘)を再鋳し、青蓮鉢を作る、各銘あり、之レを略す。

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00-5

 同く十年(1725年)乙巳仲春(春のなかば頃)より季夏(夏の終わりの一ヶ月・晩夏)に至り当家の大事を著述して(題号秘して顕さず)以て学頭詳公(後の第二十八世日詳上人)に授け示して言はく、此の書、六巻の師子王あるときは国中の諸宗諸門の狐兎一党して当山に襲来すといへども敢て驚怖するに足らず、尤(もっと)モ秘蔵すべし、尤モ秘蔵すべし。

翌十一(1726年)年丙午、正月公儀の年賀の為に下関す(※大石寺より関東に下る)、

同ク二月寺檀の請に応じて一世の余波(なごり)として観心本尊抄を講じ、己心中所行の法門を説く。(日蓮大聖人は観心本尊抄の中で、『説己心中所行法門(せっこしんちゅうしょぎょうほうもん)』いう摩訶止観の序文で記された言葉を引かれている。「己心の中に行ずる所の法門を説く」と読み下す。)
聴衆渇仰して感涙袖を浸す、師御講の日、戯(たわむれ)の如くし、衆に示して云く、
「夫レ羅汁三蔵は舌焼けざる証あり、故に人之レを信ず、日寛、富楼那の弁を得て、目連の通を現ずといへども、言ふ所、後に当らずんば信ずるに足らざるなり、予、平日蕎麦を好む、正に臨終の期に及びて蕎麦を食し一声大に笑つて題目を唱えて死すべきなり、若シ爾らば我ガ言ふ所一文一句に於いても疑惑を生ずることなかれ、」

同く三月山(総本山)に帰る、寺檀、泣を含みて送別す、

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00-6

師(日寛上人)、発心の始より耆宿(※きしゅく=学徳のすぐれた老人。老大家。)の今に至るまで、日夜、仏法紹隆の計らひに肝胆を摧き、會(かつ)て身命を愛せず、
朝暮、修理・造営の慮に丹精を凝らし、更に休息(くそく)あることなし、

茲(ここ)に由つて身躰自然に疲労し、仲夏の頃(※夏半ばの一か月。陰暦では五月。)より已に微疾を発し、日を追うて重なる、
衆徒嘆いて?(しば=しばしば・しきりに)薬餌(※やくじ=くすりと食物。また単に、くすり。)を勧むといへども師、肯(あえ)て服せず、
言はく
「年老ひ、娑婆に用なし。生死宜しく仏意に任すべし、」

同ク六月中旬、在職中に授与せしむる所の御本尊の冥加料(※「冥加」は凡夫には知ることのできない仏・菩薩の陰の力が加わること、仏・菩薩からひそかに加護利益されることをいう(冥利・冥益・冥応・冥鑑とも)。冥加に対する感謝の気持ちで寺に寄進する金銭を冥加金とか冥加料という。)
金銀都合三百両なり、

内二百両を金座後藤(※後藤光次(みつつぐ)[生]元亀2(1571)〜[没]寛永2(1625)江戸幕府初期の御金銀改役。通称庄三郎。京都大判座後藤徳乗の弟子。文禄4 (1595) 年徳川家康のもとで小判を鋳造し,以後家康に信任されて金銀改役となり,金座・銀座を支配した。江戸幕府の貨幣制度の基礎確立に功績があった。)
に遣(つかわ)し、人手に渡らざる吹き立ての小粒金(※一分金 (いちぶきん) の俗称)※裏面には「光次」の署名と花押が刻印されている。これは鋳造を請け負っていた金座の後藤光次の印である。)に両替し、笈(※おい=修験者(しゅげんじゃ)や行脚僧(あんぎゃそう)などが仏具・衣類・食器などを入れて背負う、あしつきの箱。きゅう。)
に入れ封印して御宝蔵に納め置き、以つて事の広布の時に戒壇を造営するの資糧に備ふ、

其ノ証文に曰く。

 一金子二百両   但八百粒なり

右は日寛が筆のさきよりふり候御本尊の文字なり、今度是を三宝に供養し奉る、永く寺附の金子と相定め候畢んぬ、されば御本尊の文字変じてこがねとならせ給へば、此ノこがね変じて御本尊とならせたまふ時、此ノ金を遣(つか)ふべし、さなき時、堅く遣ふべからず、後代弟子檀那、此ノ旨、相守らるべきなり。

 享保十一年丙午年六月十八日        日寛。

 老僧中  檀頭中。

残る所の金百両を月並金と号して、方丈(※御法主上人の居所)に納め、以て後の住職(※御法主上人)代替の時の用途に擬す、其ノ証文に曰く。

    覚

一金子百両  但古金也。

 右の金子は日寛至極丹精の金子なり、朝夕麁食(※そじき=粗末な食事)にして万事倹約を加へ、古金となし、此金子を後代の住職(※御法主上人)入院の砌リ、請取りて用達せしめ、在住の内、月々五両三両づゝ用蔵に入置けるを、退院の砌リ相渡し、此クの如く永ゝ住職の仁、繰廻し用途せしめんため、丹精を以て残し置き候処なり。

 享保十一年丙午年六月十八日    日寛。

 後々住職中。

 又外に金百五十両を五重宝塔造立用意として之を残し置かる、

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00-7

同く七月下旬、自ら起たざることを知りて、密(ひそか)に学頭・日詳公(第二十七世日詳上人)を招き、金口嫡々の相承、底を傾けて湯瓶し、(※とうびん=湯沸かし。鉄瓶・やかんの類。=つまり一器から一器へ法水を悉く写す、法水写瓶の義を例えられた語か)
又歿後の諸事を遺言し及び弟子文承(東師=第二十九世日東上人)寛成・寛貞・学要・唯円・貞応・文貞(元師=第三十三世日元上人)覚隆(堅師=第三十六世日堅上人)寛隆等の十人を託して一首を詠ず。

思ひ置く 種こそなけれ なてしこの、みをも残らす 君にまかせて

 詳公の返歌に

 君か蒔く 種のみのりをまつか枝に、栄えん時を 待ち出つるかな

詳公、薬養を勧む、
師云はく
「色香美味の大良薬(※南無妙法蓮華経の御題目)を服するを以て足りぬ、更に何をか加へんや、
詳公再三諫め勧む、
師云はく
「実には思ふ所あつて医療を為さず、所以は何(いか)ん、
天台止観第五に云はく「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起る、乃至、随ふべからず、畏るべからず、之レに随へば人を将(ひき)いて(御書では「将(まさ)に人をして」)・悪道に向はしむ、之レを畏れば正法を修する事を妨ぐ」等と、
吾祖(※日蓮大聖人)曰く、「此釈は日蓮が身に当ての大事なるのみにあらず、門家の明鏡なり」
(以上、内十六(録内御書十六)
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※兄弟抄 
御書原典 第五の巻に云はく「行解(ぎょうげ)既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる、乃至随ふべからず畏(おそ)るべからず。之に随へば将(まさ)に人をして悪道に向かはしむ、之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ。
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※治病大小権実違目
御書原典 一念三千の観法に二あり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理なり。今は事なり。観念すでに勝る故に、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門の一念三千なり。天地はるかに殊(こと)なりことなりと、御臨終(ごりんじゅう)の御時は御心へ(得)有るべく候。
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料(はか)り知(り)ぬ、当山、年を追うて繁栄し、観解(※すぐれた智慧をもって経教などの義を明らかに観てその意を理解すること。)倍(ますま)ス勝進す、当に三類の巨難競ひ起こるべきか、予、春よりこのかた災を攘(はら)ふことを三宝に祈誓すること三度び、仏天、哀愍(あいびん=神仏などが人々をあわれんで情けをかけること。)を垂れ、病魔を以て法敵に代ゆ、謂ゆる転重軽受とは是レなり、憂ふべからず、憂ふべからず。

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00-8

 同く八月朔日(※陰暦で、月の第一日。ついたち。)、「君子は死して財を残さず」と言つて、所持の衣類具度(※道具・調度品の類か)を取り出だし、死後の遺物として悉(ことごとく)皆、帳に記し、札を附け畢つて狂歌一首を詠ず

 丸裸 露の身こそは蓮の葉に 置くも置かぬも自由自在に。

又納所(※なっしょ=施物の金品・米穀などの出納事務を執る所。また、その役の僧。)に二首の狂歌を以て蕎麦を乞ふ。

 古蕎麦粉 棒の如きは否に候と かんばき(※香ばしい)我レを うちや殺さん。

 挽(ひ)キたての 糸のこときの蕎麦そよき、我か命をは つなき留むれ。

晩景(夕方。夕刻。)風呂に入り、揚(あが)り已(おわ)りて両足を伸べ、「病中羸痩(るいそう=衰えやせること。)せり、臑(すね)の細さよ」と言つて又一首を詠ず。

 痩せこけて 力なくとも よも負けし、いさこい蚊との すねをしをせん。

詠じ已つて何と無く吟じて言はく
「天下、道ある時、貧しきは耻(はじ)なり。天下、道なき時、富めるは耻(はじ)なり。と、此ノ吟詠、深き旨あり、先の六巻書の事、之レを思へ、委くは別紙のごとし。」

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参照

論語 渋沢栄一解説引用 

子曰。篤信好学。守死善道。危邦不入。乱邦不居。天下有道則見。無道則隠。邦有道。貧且賤焉。恥也。邦無道。富且貴焉。恥也。【泰伯第八】

(子曰く、篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くす。危邦には入らず、乱邦には居らず、天下道有れば即ち見はれ、道無ければ即ち隠る。邦道有りて貧且つ賤なるは恥なり。邦道なくして富且つ貴きは恥なり。)

天下道有れば即ち見はれ道なければ則ち隠る (※見はる・瞠る=目を大きくあけてよく見る。か )

とは上に述べた如く危邦乱邦があつて何処でも見はれるといふ訳には行かぬが、天下は広いもので、若し何れか道が具つて居る国があれば宜しく行つて天下に見はれるがよいといはれたのである。
然し何程乱邦であり危邦であつたにしても、その人が真に賢者であり偉人であつたならば、その人自身が見はれまいとしても必らず世間一般の尊敬が向けられ、知らず識らずの中に天下に名を為し見はれて来るのであつて、孔子自身が其通りである。
孔子自身は乱邦であれば、格別自ら求めて見はれようとされた訳でもないが、自然と周囲のもの、後世のものが、賢者として崇敬の念を払ひ、何時とはなしに見はれて了はれたのである。

「邦道有るに貧且つ賤なるは恥なり。邦道無きに富且つ貴きは恥なり」といふのは、無能か然らざれば只己れ独り利禄を追うて他人の迷惑を少しも顧みぬといふことを説かれたのである。

前節に「天下道あれば則ち見はれ」といはれて居るのと通ずるもので、よく天下が治まつて徳あり学あるものは、悉く重く用ひられ、名を為し業を遂げつつある時に、己れは重く用ひられることなく貧しくて且つ賤い状態に居るといふことはその人が畢竟徳も無く学も無く、全く無能であることを暴露するもので、斯くの如きは非常に恥としなければならぬといはれたのである。

 これと反対に、邦に道なく、佞奸邪智が跋扈し、己れ独り政権を壟断し、私利を逞しうするものが横行するといふ乱れた世の中であつて見れば、仮令己れに学と徳とあるにして、君子たるものは隠れて世に見はれぬが至当であるべきに、若しこの乱世に富み且く貴くあるといふことは必ずやこの佞奸邪智の徒に外ならぬものにして、君子としては誠に恥づべきことであると、深く戒められたのである。
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解釈

「天下、道ある時、貧しきは耻(はじ)なり。天下、道なき時、富めるは耻(はじ)なり。」
の「天下、道ある時」とは
一往の辺では、上記の解説の通り、天下が徳政においてきちんと治まっている時に貧なるは恥となり、天下が悪政横行している時に富めるはその悪政に与道しているゆえ恥である。との意かと思いますが、再往深く拝すると、「天下、道あるとき」とはやはり広宣流布達成のことかとも拝せよう。

未だ広宣流布せざる間は、身命を捨て随力弘通を致すべき事

との日興上人の厳命のまま、地位・名誉・財産などを省みず、身命を捨て、ひたすら折伏・弘教に励むべきことを仰せと拝す。

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00-9

師、発病の始より終焉の砌(みぎり)に至るまで更に病苦なし、只日々に衰えるのみ、遷化一両日已前、「暇乞いに巡るべし」と言つて三衣を著し、寝所より駕籠に乗り、輿(こし)の前に香炉を台に居(す)へ、香を拈ず(ねんず=つまむ。ひねる。)、供奉には陸尺((力仕事などをする)下男。 駕籠(かご)を担ぐ人足。 駕籠舁(か)き。)四人、伴僧、宣雅・覚隆、両人履取(くつとり=主人のくつを持ってその供をすること。また、その人。くつもち。くつかご。ぞうりとり。)等なり、
始め本堂に詣で輿の儘に堂の外陣に舁(かつが)せ昇(のぼら)せ、暫く誦経唱題あり、
次に廟所(三師塔・歴代上人墓所)に参し、
次に隠居所、寿妙坊宥師(第二十五世日宥上人)存生なり、
学寮に寄り、何レも輿中より懇(ねんごろ)に暇(いとま)を乞ひ、寺中を下る、
老少(※老僧からはじめ所化僧・白衣小僧に至るまで)門外に跪(ひざまづ)いて恩恵の絶ゆることを恋ふ、
市場村に往き、永師(第二十四世日永上人)の妹・妙養日信尼に逢ひ、
門前町通りにて方丈(日寛上人が住まわれていた所)へ還らる、
男女街道に伏して永別の憂(うれい)を懐く、
又番匠、桶工に命じて葬式の具を造らしめ、自ラ棺桶の蓋を取り題して曰はく。

 桶を以て棺に代ゆ。

 空を囲みて桶を為(なず)クる、空は即ち是れ空、桶は即ち是れ化、吾レ其の中にあり、日寛判。

 死ぬるとは 誰か言ひそめし呉竹の、よよはふるとも 生き留まる身を。

弟子に告げて言はく「此ノ文を入棺の時、三度び吟じて蓋をなすべし。」

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00-10

同じく十八日の夜、大曼荼羅を床の上に掛け奉り、香華燈明を捧げ、侍者に告げて言はく

「吾レ当に今夜中に死すべし、必ず周章(あわてふためくこと。うろたえ騒ぐこと。)することなかれ、騒がしき時は大事を謬(あや)マるものなり、息絶えて後、諸方に沙汰すべし一両人(一人か二人。)、外、側に居るべからず、誦経・唱題の外、語することなかれ、
臨終の時は舌の根こわばる故に、吾と共に題目を、随分緩(ゆるやか)に、経の字を引いて口唱すべし、」

時に料紙(何かをする、特にものを書くための紙(和紙))硯を取り寄せ、自ラ末期の一偈一首を書す。

 本有の水風 凡聖常に同じ 境智互に薫(くん)し 朗然として終に臨む。

 末の余に 咲くは色香は及はねと、種は昔に替らさりけり、日寛判

書キ已りて侍者に命じて曰く「蕎麦を製すべし、冥土の出立に宜かるべし」と、侍者即刻調進す、師之レを七箸食して莞爾(喜んでにっこり笑う様子)として一声笑うて曰く
「嗚呼面白や、寂光の都は」と、
而して後、盥漱(かんそう=手を洗い、口をすすぐこと。 身を清めること。)して大曼荼羅に向ひ、一心に合掌して題目を異口同音に唱え、身躰少しも動ぜず、半口にして猶眠るが如く安祥として円寂したまふ、

維時(これとき=今、その時)享保十一年丙午(ひのえうま)八月十九日の朝、辰(たつ=午前7時〜9時)の上刻(一刻(2時間)を上・中・下に三等分したうちの最初の時刻)にして行く、寿(とし)六十二歳なり、
四衆の悲哀、襖悩(なやみもだえること。)勝(あ)げて計(はから)ふべからず。(計り知れない)

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00-11

同く二十日巳の刻(9時〜11時)沐浴し奉りて、乗(乗り物)床に載せ、奥殿の上段に安(お)き、最後の御供養を捧げ、遠近の衆檀(多くの檀家)に拝せしむ、
同じき日、申の刻(15〜17時)入棺し奉りて客殿に移し、昼夜誦経唱題退転なし、
同じく二十三日羊(※未)の上刻(13時)に葬礼す、儀則(臨終における儀式・次第)全く宗祖開山の式の如し、遺言に任せ墓を師範永尊(第二十四世日永上人)の左の方に雙(なら)べて経蔵の後に築く。

凡ソ在世の高徳、大概斯クの如し、滅後の霊験、尚新にして、憐愍(※日寛上人が衆生をふびんに思うこと。あわれみの気持。)利益広大なり、
抑(そもそ)モ、師、平生の行事を尋ぬるに、晨朝の勤行(※《「しんちょう」「じんちょう」とも》卯(う)の刻。現在の午前6時ごろ。また、その時に行う勤行(ごんぎょう)。朝の勤め。)、毎日の堂参、不断の化訓(弟子檀那への教化・訓育)、常住(※御本尊)の書写、之レを修するに懈(なまけ)ることなく、之レを行するに怠(おこた)りなし、
是レ千界涌出の一類に非るよりは、豈誰とか謂はんや、誠に仏家の棟梁・釈門(仏門に入った人。僧。)の枢ノ(物事を動かす大切なかなめ。担い役)なり。
然りといへども有待(うだい・うたい=有限ではかない人間という存在。)の幻夢を払ひ、無為(生滅・変化しないもの。自然。絶対。)の真覚(真の覚り)に昇りたまふ、

爾(しか)シよりこのかた烏兎(うと=月日。歳月。)早く移つて三万六千日、星霜稍(やや)積りて、方(まさ)に今年の冷秋に一百遠回の忌辰(忌日?(きにち)?と同じ)を迎へ、利益を千載(一千年。また、長い年月。)に増し、威光を万代に耀(かがやか)さんが為に、愚闇(おろかで道理にくらいこと。暗愚。)を顧みず、丹精を凝らし(まごころをこめて、一つの事を行なう。一心に精を出す。努力を傾ける。)、師の行状を筆端に録し、以て恩山の一塵(高き御恩の山の一つの塵)、徳海の一H(深き御恩の大海の一滴)を謝するものなり、

仰ぎ願くば此ノ慇志(懇ろに悼む志)に酬(こた)へて、日寛尊霊、哀愍(あいびん・あいみん=かなしみあわれむこと。あわれみ、情けをかけること。)納受(受け入れること)を垂れ、慈悲忍辱の?(けん=かえりみる。目をかける。振り返って見る。いつくしむ。)を廻したまへ、

是ノ記、見聞の信者をして、現当二世の祈願を悉地(しっじ・しっち)=成就)満足せしめたまへ、重ねて乞ふ、慧命(悟りの智慧を生命にたとえた語。法命?(ほうみょう)?。)長遠にして、聖師の嘉名(いい評判。名声。)を興し、門室(日蓮正宗宗門全体)常住にして、尊師(日寛上人)の素意(かねてからの考えのこと。)に叶はん、
一天四海広宣流布、三千国界利益周遍(広くすみずみまでゆきわたること。天下にゆきわたること。)。 

 時ニ、文政八年(1825年)乙酉(きのととり)ノ春時、正ノ日((春分の日))、法嫡・四十八世、久遠阿遮梨本寿院日量(日量上人)花押。

 編者(日亨上人)曰く、正本を見ず、二・三の転写に依ッて延書(読み下し)となす。


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01

三重秘伝抄 日寛謹(つつし)んで記す

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日享上人 註解 (※○ で示す。分かり易くするために改行、句読点、「」等の挿入、語句解釈を加えた) 

○ 三重等とは、権実、本迹、種脱の三相対にして、下の「第二、文相の大旨を示す」、等の下に明らかである。
此の三重の妙旨は興目嫡流(※日興上人・日目上人等正統正嫡の門流)にのみ伝ふる所で、他門の日蓮各宗の知る所ではないから秘伝と云ふのである。

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 正徳第三(※1713)癸巳(みずのとみ)予四十九歳の秋、時々(よりより)御堂に於て開目抄を講じ、
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○ 「於御堂」(「御堂に於て」)等とは、正徳元年六月、師範・本山隠居・日永上人の召(※しょう・めす=長上からの招き)に応じ、上総国(かずさのくに)細草檀林の化主を辞して登山し、学頭寮に入り、事実初代の学頭と為りて、祖書(日蓮大聖人御書)の講筵(※こうえん=講義の行われる場所。また、その講義。)を開かれたのである、

日永上人は経営家であったから、日宥上人に譲りて勇退以後に、廃絶の儘になれる蓮蔵坊を中興して学頭寮として自らも此に隠棲し、愛弟たる本師(日寛上人)に深き期待を懸かけて、講学の復興を期せられた、
但し本師の講筵の席は学寮が主であったけれども、聴衆等の都合で間々御堂で行はれたのは開目抄の時計ばかりで無い。
此れより已下享保三年三月、廿六世に昇進に至る六ヶ年の間に六巻抄の草本は成ったものであろう。
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補釈(※当時日寛上人(猊下に成られる前)は大石寺の学頭寮(蓮蔵坊)に住まわれていて、おもに学寮で講義をされていたが、時に御影堂でも講義されていた。
蓮蔵坊は第三祖日目上人開基。第四世日道上人時代、日郷師との争い以来長い期間廃絶状態だったが、第二十四世日永上人(日寛上人の師)が再興され学頭寮とし、正徳元年(1711)以来、日寛上人が事実上の初代学頭として御書等の講義をされていた。)

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而して「文底秘沈」の句に至る。其の義、甚深にして其の意、解し難し。
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○ 「文底秘沈の句」とは、本抄の冒頭に標出する開目抄の一念三千云云の文である。

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所以に文に三段を分かち、義に十門を開く。
草案、已に畢(おわ)り清書、未だ成らず。
虚しく笈(きゅう)(※背に負う本箱。ここでは書物を保管する竹製の入れ物の意)の中に蔵して之れを披(ひら)くに遑(いとま)あらず。
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○ 「虚」とは、格別に使用せずして徒に手文庫の中に仕まい込んだのを云ふ。

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而して後、享保第十乙巳(きのとみ)(1725 25年後)予、六十一歳の春、逅邂(たまさか)に之を閲(けみ)する(調べる。見て確かめる。あらためる。)に疎略、稍(やや)多し。
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○ 「逅邂」とは、普通「邂逅」と書く、偶然であり、何の気無しに云ふと同じ。

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故に粗(ほぼ)添削を加ふるのみ。
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○ 「添削」とは、足らざるを添へ、余れるを削って加減能くする。

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敢えて未治(みじ)の本(※書き流したままで検討を加えていない本。草稿でまだ修治していないもの。)を留むること莫(な)かれ。
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○ 「未治本」とは、草稿の儘で一回も修治を経ぬ書き放しのもの、未治本として現在する物は雪山文庫に在る末法相応抄であること、前の総序に委しく書いてをいた。

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然るに此の抄の中に多く大事を示す。
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○ 「大事」とは、宗門の一大事、仏家の肝心たる、法華本門寿量文底事の一念三千等,他宗他門の徒の窺い知ること能ざる所の深秘の一大事である。

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此れは是れ偏に令法久住(※法華経見宝塔品第十一 「法をして久しく住せしめん」)の為なり。
末弟等深く吾が意を察せよ云々。
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○ 「末弟等」とは、近く直接に此れを云へば、当時の僧弟子達で、間接には当流の信者即俗弟に被り、遠く此れを云へば、未来の僧俗一般に及ぶのである。

○ 「吾が意」とは、正義宣揚・令法久住の御意衷である。
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補釈(この三重秘伝抄の中には多くの重大事の法門を示した。
これは偏に日蓮大聖人の真実の仏法をの奥義を末永く末代永劫に住せしめんためである。
日蓮正宗門下末弟等は、深く私のこの意を察して真実の相伝仏法の広宣流布を目指しなさい。)

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01-2

一念三千に十門の義

三重秘伝抄 日寛謹んで記す

 開目抄の上に曰く
■「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈め給へり、竜樹・天親は知って而も未だ弘めたまはず、但我が天台智者のみ此れを懐けり」(526)等云々。
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(※ 古来より「文の底に秘し沈め給へり」と「文の底にしづめたり」と両様の読み方があった。平成新編では初版は「しづめたり」であったが、正誤表が出されて、「秘してしづめたまへり」と修正された。これについて日達上人は創価学会発行 御書十大部講義第二巻開目抄(上)の序に以下のように御指南されている。
●「この『沈』の文字の上に『秘』があるのか、ないのかは、現在は大聖人の御真蹟がないから知る由もないが、古い御書には皆『秘』の字がある。たとい御真蹟に『秘』の字がなくとも、この一行の御文は重大なる意味が含まれているのであるから、むかしは、日蓮門下一般において『沈』の一字について『ひししづめ』と訓読しておったのであろう。」
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○ 「一念三千法門」とは、天台智者大師、始めて法華経に依って述べられた法門で下の文に委しくす。

○ 「天台智者」とは支那の六朝末、陳と隋との世に在って、南岳大師に継ぎて天台法華宗を大成した人、祖書(日蓮大聖人御書)の各篇に在るが、委しくは高僧伝・別伝・仏祖統記等に見ゆる。

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 問て云わく、方便品の十如実相・寿量品の三妙合論、豈一念三千経文の面に顕然なるに非ずや。宗祖何ぞ「文底秘沈」と言ふや。
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(※質問があるのだが、方便品の十如実相などと
寿量品の三妙合論 
本果妙 「我実に成仏してより已来(このかた)、無量無辺百千万億那由他劫なり。」
本因妙 「我本菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず。復上の数に倍せり。」
本国土妙 「是より来(このかた)、我常に此の娑婆世界に在って、説法教化す。」
などに依って、「一念三千」は経文上に明白ではないか。との意)
どうして日蓮大聖人は「文底秘沈(文の底に秘し沈めたり)」とおおせなのか?

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○ 「十如実相」とは、仏の窮め尽くされた方便品の十如是の理法は宇宙万法の実相であって、衆生の妄想とは大いに異なるもの、委しくは下の文に見ゆる。

○ 「三名(※妙)合論」とは、本因妙・本果妙・本国土妙の三妙を合せて寿量品の上に説かれたもの、

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 答う、此れ則ち当流深秘の大事なり。故に文少なしと雖も義意豊富せり。
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(それに答えるに、この「文底秘沈」とは我が相伝家の正統門流、日興門流においては実に意味深く、表面の解釈でははかり知れない大事の法門である。
故にこの開目抄の御文は大変に短い御文ではあるが、その意義・そして仏の真意は実に豊富に含まれているのである。
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若し此の文を暁(あきら)むる則(とき)んば、一代の聖教鏡に懸けて陰(くも)りなく、三時の弘経掌に在って(者見)(ミ)るべし。
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(もし、この御文の義・意を明らかに、詳らかにするならば、釈尊一代の仏教の聖意は鏡に映し出すように全て明瞭となり、正法・像法・末法の弘教の次第もまさに手のひらの上に乗せて観察するように、よくよく理解できるのである。

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○ 「一代聖教」とは、釈尊一代五十年の間に説かれた聖(ひい)でた教。

○ 「三時弘経」とは、釈尊御入滅後、正法千年・像法千年・末法千年の間に羅漢・菩薩・論師・人師、次第に出現して機法相応の小・大・権・実・本・迹、等の聖教を述べて衆生を済度せられた、即ち正像末の三時に弘教するの次第順序である、委しくは諸御書に散在する。

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故に先哲尚分明に之を判ぜず、況んや予が如き頑愚、焉(いずく)んぞ之れを解(さと)るべけんや。
然りと雖も今講次に因(ちな)んで文に三段を分かち、義に十門を開き、略して文旨を示さん。
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(この開目抄の御文の義・意が実に意味深く、表面の解釈でははかり知れない大事の法門であるが故に、歴代法主上人方を始め、昔からのすぐれた仏教家や賢者達も、これを詳らかに判定なさらなかった。
ましてや、私ごときのおろかで強情な者が、どうしてこの文を通解できると言おうか。
しかし、そうではあると言っても、今、講義の時に臨み、この文を三段に分類し、義を十門に開いて、略してこの文意を示そう。
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○ 「先哲」とは、門内・門外の古き学者達。

○ 「頑愚」とは、事理に通ぜざるカタクナナル、ヲロカモノで本師自らの卑下の御辞である。

○ 「講次に因んで」とは、「因」とは態(わざ)とではなく、「次」は「ツイデ」である。
開目抄を披いて文底秘沈の文を講ずるついでに、と云ふのである。

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 文に三段を分かつとは、即ち標・釈・結なり。
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(※
標 「一念三千の法門は」
釈 「但法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈め給へり」
結 「竜樹・天親は知って而も未だ弘めたまはず、但我が天台智者のみ此れを懐けり」)

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○ 「標・釈・結」とは、通途(つうず)の文釈の順序である、委しくは「大文の二、文相の大旨」の下を見られよ。

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義に十門を開くとは、
第一に一念三千の法門は聞き難きを示し、
第二に文相の大旨を示し、
第三に一念三千の数量を示し、
第四に一念に三千を具する相貎を示し、
第五に権実相対して一念三千を明かすことを示し、
第六に本迹相対して一念三千を明かすことを示し、
第七に種脱相対して一念三千を明かすことを示し、
第八に事理の一念三千を示し、
第九に正像未弘の所以を示し、
第十に末法流布の大白法なることを示さん。
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○ 「大白法」とは、大とは小に対し、白は黒に対す、猶、「小・少・劣」に対する 「大・多・勝」「悪・邪・麁」に対する 「善・正・妙」の如くである。

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02

 第一に一念三千の法門は聞き難きを示すとは

 経(方便品第二)に曰く
「諸仏は世に興出すること懸遠(けんのん)にして値遇すること難し、正使(たとい)世に出ずるとも是の法を説くこと復難し、無量無数劫にも是の法を聞くこと亦難し、能く是の法を聴く者は斯の人亦復難し。譬えば優曇華を一切皆愛楽(あいぎょう)し、天人の希有とする所にして時々乃し一たび出ずるが如し、法を聞いて歓喜して讃むること乃至一言をも発せば則ち為れ已に一切の三世の仏を供養するなり」等云々。
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(※原典 
「諸仏世に興出したもうこと 懸遠(けんのん)にして値遇すること難し
正使(たとい)世に出でたもうとも 是の法を説きたもうこと復難し
無量無数劫にも 是の法を聞くこと亦難し
能く是の法を聴く者 斯の人亦復難し
譬えば優曇華の 一切皆愛楽(あいぎょう)し
天人の希有(けう)にする所として 時時(とき)に乃(いま)し一たび出ずるが如し
法を聞いて歓喜し讃めて 乃至一言をも発せば
則ち為れ已に 一切三世の仏を供養するなり)

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○ 「経に曰く」とは、方便品比丘偈(びくげ)に在り、妙法の稀有(けう)なる事を歎じた頌(じゅ)である。

○ 「無量無数劫」とは、「劫」は「劫波」の略語で、印度国で年期の絶大に長遠なる事に名づけ、其れが又、小劫・中劫・大劫、等と次第に数字が増上して、又其の上に「無量」又は「無数」等の多数を示す語が加へられてある、
吾が国の人の知り得る「億」とか「兆」とかの大数とは飛んでもない桁違ひの想像だも及ばぬ大数である。

○ 「優曇華」とは、此れ又印度の理想とも云へる物で、世界を統一する転輪聖王出現する時、其の瑞兆(ずいちょう)として海中に開く広大なる華である、
此の統一大々王の出現が何億万年とも一定せぬ空想やうなものであるから、此の華も従って極々(ごくごく)希(まれ)に見ゆるもので、其れと同じく此の妙法も亦容易に値(あ)ひ難きものとしてある。

○ 「一切三世仏」とは、過去に出で、現在に出で、未来に出でんとする十方世界の有らん限りの仏の事である。

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応に知るべし、此の中の法の字は並びに一念三千なり。
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(※ まさに、この方便品の経文の中の「法」とは、「一念三千」のことである。)

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03

 記(※妙楽 法華文句記)の四の末終に云わく
「懸遠等とは、若し此の劫に准ずれば六・四・二万なり」文。

劫章(※慈恩大師 瑜伽論劫章頌)の意に准ずるに住劫の第九の減
人寿六万歳の時、拘留孫仏(※現在の住劫における千仏の始めの仏とされる。)出で、
人寿四万歳の時、拘那含仏、出で、
人寿二万歳の時、迦葉仏(※涅槃経では、邪な比丘衆から覚徳比丘を守った有徳王の説話があるが、この覚徳比丘が迦葉仏になったと説かれている。)出で、
人寿百歳の時、釈迦如来、出ずと云々。

是れ則ち、人寿八万歳より、一百年に人寿一歳を減じ乃至一千年に人寿十歳を減ず、而して六・四・二万等に至る、豈懸遠に非ずや。
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(※ 劫 について

宇宙の生成 成劫 住劫 壊劫 空劫 

成住壊空 劫の計算

劫章では「一増一減を一劫となし、数二十を満じて住劫終わる」 
@人の寿命が無量歳から始まって100年に一歳減じ、10歳に減るまで←第一減劫、
A10歳から100年に一歳増じて8万歳に増える←第一増劫、
B再び8万歳から100年に一歳減じて10歳←第二減劫
 ABを20回繰り返す
C10歳から無量歳へ至る←増劫のみ

A+B ← 劫
@〜C で成劫 住劫 壊劫 空劫 を形成する  (諸説あり)
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日亨上人 註解

○ 「記の四の末」とは、天台大師が法華経の文々句々を釈せられたが文句十巻である、
其れを又法孫(ほうそん)の妙楽大師が解釈せられたが疏記(しょき)十巻である。
その疏記を略して「記」と云ひ、其れが調巻の都合一巻を本と末との二巻に分つ、
其れで「記の四の末」とも云ふ事になる。

 六四二万とは、六万四万二万の略で次下に委くわしく出づる。

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04

縦(たと)い世に出ずると雖(いえど)も須扇多仏
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(※須扇多仏のこと。大品般若経に説かれている過去の仏。菩薩を化導するために仏となり、半劫の間菩薩のために法を説き、以後受化(じゅけ)の者がない故に記別を与え終わって滅度したといわれている。)

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・多宝如来の如きは遂に一念三千を説かず、
大通仏の如きも二万劫の間之れを説かず、
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(※大通智勝仏 
法華経化城喩品第七 
爾の時に十六王子、皆童子なるを以て、出家して沙弥と為りぬ。諸根通利にして、智慧明了なり。已に曽(かつ)て、百千万億の諸仏を供養し、浄く梵行を修して、阿耨多羅三藐三菩提を求む。倶に仏に白して言さく、
世尊、是の諸の無量千万億の、大徳の声聞は、皆已に成就しぬ。世尊、亦当に我等が為に、阿耨多羅三藐三菩提の法を説きたもうべし。我等聞き已って、皆共に修学せん。世尊、我等、如来の知見を志願す。深心の所念は、仏自ら証知したまわん。
爾の時に、転輪聖王の所将の衆中、八万億の人、十六王子の出家を見て、亦出家を求む。王即ち聴許(ゆる)しき。
爾の時に彼の仏、沙弥の請(しょう)を受けて、二万劫を過ぎ己って、乃ち四衆の中に於て、是の大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名づくるを説きたもう。
是の経を説き已って、十六の沙弥、阿耨多羅三藐三菩提の為の故に、皆共に受持し、諷誦、通利しき。)

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今 、仏世尊の如きも四十余年(※法華経を)秘して説かず、豈(あに)是の法(※一念三千)を説く、復難きに非ずや。

既に出興懸遠(※諸仏世に興出したもうこと 懸遠(けんのん)にして)にして法(※一念三千)を説くこと亦難し、豈(あに)容易(たやす)く之れを聞くことを得んや。

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日亨上人 解説

○ 「須扇多仏」とは、大品般若経にあり、住する事半劫で受化の者が無いから法を説かずして入滅せられた。

○ 「多宝如来」とは、大論(※竜樹の大智度論)には「法を説かず」と書いてある、
天台大師は此れを解して「全く法を説かんでは無い、開三を得れども顕一を得ず」と云はれた、顕実即一念三千なる故に今不説と書かれた、又天台は、「応身にして法を説かざる須扇多、多宝の如きは此の雲潤(うんじゅん)を含まず」、と云って此の二仏の慈悲は雲となり雨となり衆生を利益する事無しと判ぜられたのである。

○ 「大通仏」とは、化城喩品の中に、「此の仏出世して諸梵王の請いに応じて十二行法輪を転じ、更に十六王子の請いを受け、二万劫を過ぎて妙法蓮華経を説く」とある、
妙法即一念三千であるから今爾(し)か書かれたのである。

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05

縦い在世に生まると雖も舎衛の三億の如きは尚不見不聞なり、
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(※たとえ釈尊のいらっしゃった同時代に生まれることができても「舎衛の三億」の人々は未だ仏を見ることもできず仏の説法を聴く事もできなかった。
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(※「舎衛の三億」
『大智度論』第9巻
「仏世には遇い難し。優曇波羅樹の華の時々一度有るが如し。
説くが如く、舎衛の中に9億(※1億=10万)の家あり。
3億(※30万)の家は眼に仏を見え、
3億の家は仏ありと耳で聞くも眼では見えず、
3億の家は聞かず見ず、云々」)

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況んや像末の辺土をや。
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(※像法・末法の日本などというインドから遠く離れた地)

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故に安楽行品に云わく
■「無量の国中に於て乃至名字をも聞くことを得べからず」等云々。
豈聞法の難きに非ずや。
聞法すら尚爾なり、況んや信受せんをや。
応に知るべし、「能く聴く」とは是れ信受の義なり、
若し信受せずんば何ぞ「能く聴く」と云わんや。
故に優曇華に譬うるなり。此の華は三千年に一たび現わるるなり。
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(※仏には遭い難きことを法華経安楽行品第十四にはこのようにある。
■原典
「無量の国の中に於いて、乃至名字をも聞くことを得べからず。」
「無量の国々においても(中略)仏の御名、仏の教えの名前すら聞くことができない」と。
これはまさに仏の法を聴く事がいかに難しいか、ということではないか。
仏の教えを聞くことですらこのように極めて稀で難しいのである。
いかにいわんや仏の教えを信じ素直に修行することはいやまして稀であり難しいことなのである。
よく心して聞きなさい。
「能く聴く」とは、すなわち「仏の教えを信じ受け入れ素直に修行する」ということである。
もし、「仏の教えを信じ受け入れ素直に修行する」と言うのでないとするならば、なんで、「能く聴く」と言えようか。

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 而るに今宗祖の大悲に依って一念三千の法門を聞き、若し能く歓喜して讃むること乃至一言をも発せば、則ち為(こ)れ已(すで)に一切の三世の仏を供養するなり。
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(※ 日蓮大聖人の仏法の出会って会い難き大御本尊様を拝し、歓喜して他に向かって少しでも折伏すれば過去・現在・未来の一切の仏を供養することになる。
莫大な功徳を積み、膨大な福徳を得ることができるのである。)

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日亨上人 解説

○ 「舎衛三億」とは、舎衛国は中印度(インド)で、全印度中に別して釈迦仏に因縁多き仏都であるのに、其の中の三分の一は仏を見て仏の説法を聞いたが、三分の一は仏を見た計りで法を聞かぬ、三分の一は仏を見たことも聞いたこともない、左様に見仏聞法(仏を見、法を聞く)の因縁は難物である。

○ 「像末辺土」とは、「像法・末法」は時に約し、「辺土」は処に約す、
我が日本国は一般仏教国の上から云へば粟散(ぞくさん)辺土と云はれて、粟粒の散った如き小島の辺鄙(へんぴ)である、
時は像末の悪時、処は辺鄙の小国・人機又不善・中国大国の印度ですら舎衛の三億である、何とて大善の妙法が此の国に栄へやうかと云はるゝ。

○ 「一言を発す」とは、今末法の詮(せん)を取れば南無妙法蓮華経と唱へ奉る事である。
(※「南無妙法蓮華経と唱へ奉る」とは、「自行と化他において」と読まなければ大聖人様の御心に通じない。)

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06

 第二に文相の大旨を示すとは、(※御文に示される意義内容の大筋・大綱を示す)

 文に三段あり。
初めに「一念三千の法門」とは標なり、(※「一念三千の法門は」)
次に「但法華経」の下は釈なり、(※「但法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈め給へり」)
三に「竜樹」の下は結なり。(※「竜樹・天親は知って而も未だ弘めたまはず、但我が天台智者のみ此れを懐けり」)

 釈の文に三意を含む。
初めには権実相対、所謂「但法華経」の四字是れなり、
次には本迹相対、所謂「本門寿量品」の五字是れなり、
三には種脱相対、所謂「文底秘沈」の四字是れなり。
是れ則ち浅きより深きに至り次第に之れを判ず。
譬えば高きに登るには必ず卑きよりし、遠くに往くには必ず近きよりするが如し。
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(※ 標・釈・結 の内の「釈」の部分である、
■「但法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈め給へり」
には、権実相対・本迹相対・種脱相対の三つの意義を含んでいる。
これは、権実→本迹→種脱 と浅い相対の法門より、次第に深い法門へと進み、判釈されている。
例えれば、高い山に登るにも必ず低い場所から出発し、遠くに行くには必ず近いところから進むのと同じである。
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 三に「竜樹」の下は結とは、是れ正像未弘を結す、意は末法流布を顕わすなり。
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(※結の御文■「竜樹・天親は知って而も未だ弘めたまはず、但我が天台智者のみ此れを懐けり」で仰せなのは、正法・像法時代に、竜樹・天親・天台は心中には一念三千を覚知していたが、世には未だ一念三千は弘めなかった。真の一念三千は末法に弘まるとの御意である)

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(※更に二つに分けると)
亦二意有り。
初めに正法未弘を挙げ通じて三種を結す、
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(※正法時代には未だ弘めなかったことを例示して、権実相対、本迹相対、種脱相対の三種の相対は共に総じて広めなかった。)

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次に像法在懐を挙げて別して第三を結するなり。
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(※■「天台智者のみ此れを懐けり」
=天台大師は、権実相対・本迹相対は説いたが、種脱相対は心中には覚知されていたが、世に弘めることはなかった。種脱相対こそ末法に流布されることを結論づけられている。)

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 応に知るべし、「但法華経」の「但」の字は是れ一字なりと雖も意は三段に冠するなり。
謂わく、

一念三千の法門は

一代諸経の中には但法華経、
法華経の中には但本門寿量品、
本門寿量品の中には但文底秘沈なり云々。
-----------------------------------------
(※ ■「一念三千の法門は「但」法華経」 云々の「但」の一字は、
但法華経 → 但本門寿量品 → 但文底秘沈 と権実・本迹・種脱の三段にわたってかかっている。
結論として、「但」文底秘沈 であり、末法流布の下種の妙法こそが真の一念三千である。 

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故に三種相対は文に在って分明なり。
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(※権実・本迹・種脱の相対は、この開目抄の文に明白である。)

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日享上人註解

○ 「文相大旨」 とは、今は義の十門の第二に列すれど、正しく本抄の首に標出する一念三千云云の文義の解釈である。

○ 「権実相対」とは、爾前四十年の説を権教方便として、法華八年の説を実教真実とする、宗祖の教判である、
「権実」の名目同じであっても他宗の所判と大異がある、
「本迹」・「種脱」の名目も他門の所見と亦別である、
開目抄の五重の権実相対及び本尊抄の五重三段に通達して本宗教判の別意を会了(えりょう)せざれば、或は名目同辺の上から他宗他門の謬義(びゅうぎ)に陥らんとも限らぬ。

○ 「結三種」とは、一念三千に於ける権実、本迹、種脱の三種を順次に判ずる事、上文の通りである。

○ 「在懐」とは、天台大師の心中に沈めをかれた法は即種脱相対の上の一念三千の珠である。

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07

問う、権実・本迹は是れ常の所談なり、
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(※権実相対・本迹相対は常に談じられてきたところである)

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第三の種脱相対の文理如何。
(第三の法門である種脱相対の文証と、理証はどういうものであろうか?)

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 答う、此れ則ち宗祖出世の本懐なり、此に於て若し明きらむる則(とき)んば諸文に迷わざるなり。
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(※この種脱相対における下種の正体こそ日蓮大聖人出世の本懐である。
ここが信行において明確に領解できれば、あらゆる御書や経文の真意を、迷わず正しく汲み取ることができるのである。)

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故に且く一文を引いて其の綱要(※基本となる大事な所)を示さん。
禀権抄の三十一(※常忍抄1284・末行)に云わく
■「法華経と爾前経と引き向けて勝劣浅深を判ずるに、当分跨節の事に三の様あり。日蓮が法門は第三の法門なり。
世間に粗夢の如く一・二をば申せども、第三をば申さず候」等云々。
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(※当分跨節 当分はその分そのままの意。跨節は節を跨(また)ぐことで一歩深い義のこと。)

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 今謹んで案じて曰く、
 一には爾前は当分、迹門は跨節、是れ権実相対にして第一の法門なり。
 二には迹門は当分、本門は跨節、是れ本迹相対にして第二の法門なり。
 三には脱益は当分、下種は跨節、是れ種脱相対にして第三の法門なり。
此れ則ち宗祖出世の本意なり、故に「日蓮が法門」と云うなり。
今(※開目抄では)■「一念三千の法門は但文底秘沈」と曰う、意此に在り。学者深く思え云々。
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(※この「一念三千は文底秘沈」とは権実相対・本迹相対などという釈迦仏法の範疇ではなく、釈迦仏法全体に対して更に一重掘り下げて種脱相対したところに「下種仏法」である日蓮大聖人の仏法の骨髄である「事の一念三千=三大秘法=一大秘法=本門戒壇の大御本尊」が秘し沈められていることを、信行に励む者はよくよく拝さなければならない。)

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日享上人註解

○ 「不迷諸文」とは、諸文とは通じては日蓮一宗の教義を述べたる書籍、別して宗祖の諸御書である、種脱相対の奥義に明らかなる時は、大綱の盲目を提(さぐ)るに整然たる如く、諸御書の義意も脈絡貫通して、権実・本迹の法義系統乱れず尽(ことごと)く種脱の主脳に集中して一目の下、少しも迷惑することが無い。

○ 「当分跨節」とは、一往・再往と似ている。
「当分」は其の儘まま其の所で
「跨節」は其れより一関一節を跨(また)げて一重立ち入りたる所であるが、四句百非の安息所無きとは自(おの)ずから別異で、下種は跨節の終局根本である。
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(※四句とは、四句分別のことで、分別判断された述語を指し、百非とは様々な否定のことである。仏教の有り様とは、判断や論議を超え出たものだとして、四句を離れ百非を絶したところで一句をいうべきだという禅宗の考え。)
→ つまり、禅宗などが言っている四句百非などという絶対安息の真理が分からない爾前権教など、さらにはまた釈迦仏法の範疇である法華経などを一切包含して更に掘り下げた独一本門の下種仏法こそ仏教の究極至極の根本である。ということ。)

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08

 問う、当流の諸師、他門の学者、皆第三の教相を以て即ち第三の法門と名づく。
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(※要法寺の日辰など、日興門流から派生した亜流の者や、日蓮宗系の者は、天台の立てた@根性の融、不融の相、A化導の始終、不始終の相 B師弟の遠近、不遠近の相 という三種の教相の中で、その三番目のB師弟の遠近、不遠近の相を以て「第三の法門」と意義付けている)

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然るに今種脱相対を以て名づけて第三の法門と為す。
此の事前代に未だ聞かず、若し明文無くんば誰か之れを信ずべけんや。
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(※であるが、相伝家である大石寺門流では、種脱相対を以て第三の法門と拝している。
この事は、未だかつて聞いた事もないことである。
もし、それを証明する文証がなければ誰がこれを信ずることができようか。)

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 答う、若し第三の教相は仍(なお)天台の法門にして日蓮が法門には非ず。
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(※他門流の如く、「第三の法門」を「B師弟の遠近、不遠近の相」と取るのであれば、それは天台の法門の内であって、常忍抄に言われる「日蓮が法門」とはならない。)

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応に知るべし、
彼の天台の第一第二は通じて当流の第一に属し、
彼の第三の教相は即ち当流の第二に属するなり。
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(※よくよく理解すべきである。天台の@根性の融、不融の相、A化導の始終、不始終の相 は当門流では第一の権実相対に相当し、天台第三の法門B師弟の遠近、不遠近の相 は 当流の第二の本迹相対に相当するのである。)

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故に彼の三種の教相を以て若し当流に望むる則(とき)んば二種の教相と成るなり。
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(※ゆえに天台の三種の教相は、当門の深義に対すれば、ただ、第一権実相対・第二本迹相対の二種類の教相判釈のみとなるのである。)

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妙楽の云わく
「前の両意は迹門に約し、後の一意は本門に約す」とは是れなり。
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(※妙楽大師はかくのごとく言われている。
「@根性の融、不融の相、A化導の始終、不始終の相 は法華経迹門に関連した判釈であり、B師弟の遠近、不遠近の相 は、法華経本門に関連して判釈されている。」
これはまさにこの事である。)

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更に種脱相対の一種を加えて以て第三と為す、
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(※その第一権実相対・第二本迹相対に、更に一重立ち入った日蓮大聖人独自の第三の法門 種脱相対を加えてこそ、はじめて常忍抄に仰せの第一・第二・そして、第三の法門が解釈できるのである。)

参照 
※常忍抄1284・末行)に云わく
■「法華経と爾前経と引き向けて勝劣浅深を判ずるに、当分跨節の事に三の様あり。日蓮が法門は第三の法門なり。
世間に粗夢の如く一・二をば申せども、第三をば申さず候」等云々。
-----------------------------------------

故に「日蓮が法門」と云うなり。
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(※第三の種脱相対は、天台の教相判釈ではないからこそ、あえて■「日蓮が法門」と仰せになったのである。)

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日亨上人 註解

○ 「当流諸師他門学者」とは、富士興門流を当流と云ふが、中にも要山日辰流等では第三教相即第三法門である、他宗の致劣門流は悉く其れである。

○ 「第三教相仍(なお)天台法門等」とは、天台玄文第二に出づるもの在世の三種教相である。

              不融は爾前

一、根性の融不融の相             方便譬喩 ― 迹門 ―

              融は法華
              不始終は爾前

二、化導の始終不始終の相            化城喩 ― 迹門 ―     在世

              始終は法華
              近は爾前迹門

三、師弟の遠近不遠近の相            寿量 ― 本門 ―

               遠は法華

 末法の蓮祖の三種教相即第三法門とは

          爾前当分

一、権実相対           迹門
          迹門跨節    
          迹門当分

二、本迹相対           本門                  末法
          本門跨節
          脱本当分

三、種脱相対           種本   

          種本跨節     

 稟権出界抄(常忍抄)に此の意が見ゆる、別して「第三ヲ申サズ候」との御文、心を潜めて案ずべきである。

※参考
■日蓮が法門は第三の法門なり。世間に粗夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候、第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了(お)えず、所詮末法の今に譲り与えしなり、五五百歳は是なり。

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010

● 今明文を引いて以て此の義を証せん。
十法界抄に云わく「四重興廃」云々。
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(※ 十法界事 ■「迹門の大教起これば爾前の大教亡じ、本門の大教起これば迹門爾前亡じ、観心の大教起これば本迹爾前共に亡ず。176−14
「迹門の大教起これば爾前の大教亡じ」← 第一権実相対
「本門の大教起これば迹門爾前亡じ」← 第二本迹相対
「観心の大教起これば本迹爾前共に亡ず」← 第三の法門 種脱相対)

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●血脈抄(※本因妙抄)に云わく「四重浅深」云々。
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(※ ■ 三には四重浅深の一面、名の四重有り。
一には名体無常の義、爾前の諸経諸宗なり。(※← 爾前権教
二には体実名仮、迹門は始覚なれば無常なり。(※← 法華経迹門)
三には名体倶実、本門は本覚なれば常住なり。(※← 法華経本門)
四には名体不思議、是(これ)観心直達の南無妙法蓮華経なり。(※← 文底秘沈の下種仏法)

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●又云わく「下種三種の教相」云々。
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(※百六箇抄 1698 下種の三種教相の本迹 二種は迹門、一種は本門なり。本門の教相は教相の主君なり。二種は二十八品、一種は題目なり。題目は観心の上の教相なり。

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↑この百六箇抄について解説

■ 下種の三種教相の本迹 
■ 二種は迹門、
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(※「二種」とは、天台の三種の教相の内 
@根性の融、不融の相、
A化導の始終、不始終の相を束ねて一種とし、
B師弟の遠近、不遠近の相 を一種とし、この「二種」を迹と捉えること。)

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■ 一種は本門なり。
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(※この「一種」とは文底秘沈の独一本門のことを指す)

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■ 本門の教相は教相の主君なり。
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(※最初の「本門」とは下種独一本門。次の「教相」とは天台の三種の教相のこと。
つまり、文底秘沈の独一本門の教相は、釈迦仏法の一切を生じせしめたが故、また釈迦仏法の一切の教相を統一する立場であるが故に、釈迦仏法の教相の主君である、ということ)

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■ 二種は二十八品、
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(※この「二種」は先述のごとく、天台の三種の教相の内 
@根性の融、不融の相、
A化導の始終、不始終の相を束ねて一種とし、
B師弟の遠近、不遠近の相 を一種としたところの「二種」という意味。

@Aは迹門十四品に説かれる。
Bは本門十四品に説かれる、
が故に、本門迹門合わせて「二十八品」 と仰せ。)

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■ 一種は題目なり。
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(※種脱相対という第三の教相により顕された文底独一本門の三大秘法=一大秘法=戒壇の大御本尊 のこと)

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■ 題目は観心の上の教相なり。
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(※この「観心」とは受持即観心の観心。久遠元初の名字の妙法を余行に渉さず直達正観する事行の一念三千、南無妙法蓮華経の観心のこと。第三の教相種脱相対によって顕された下種の法体は南無妙法蓮華経(戒壇の大御本尊)ということ。)

百六箇抄の御文の解説以上

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●(※観心)本尊抄に云わく「彼は脱、此れは種なり」等云々。
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(※ 「彼は脱(※釈迦仏法は脱益仏法、 此れは種なり(※「日蓮が仏法」は第三の教相種脱相対に依って明らかにされた下種益の仏法。その法体は戒壇の大御本尊)」)

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● 秘すべし、秘すべし云々。

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日亨上人註解

○ 「四重興廃」とは、十法界抄の御文で、爾前・迹門・本門・観心と従浅至深的に前法が廃すれば後法が興り、次第に転迷開悟するの相である。

○ 「四重浅深」とは、本因妙抄の玄義七面の第三であって、五重玄に分れて各四重の浅深を列してある。

○ 「下種三種教相」とは、百六箇抄の種の三十二の本迹を指すか、三種に拘(こだわ)って見ると余り明了では無いやうであるが、次の本尊抄の此の種の御引文と併(あわ)せ考ふれば題目を主として演繹(えんえき)すべき本師の深義が潜(ひそ)んで居るであろう。

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011

 第三に一念三千の数量を示すとは、
 将(まさ)に三千の数量を知らんとせば須(すべから)く十界・三世間・十如の相を了すべし。
 十界は常の如し。
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(※ 第三に一念三千の数量を示す、ということは、
「三千」という数量がいかにして生じたかを理解するには、まず、十界 三世間 十如の法門が示す教相を理解すべきである。

十界は、常に我々が理解している

地獄
餓鬼
畜生
修羅


声聞
縁覚
菩薩


の通りである。(それぞれに「界」を付す」

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八大地獄には各十六の別処有り、故に一百三十六、通じて地獄と号するなり。

餓鬼は
正法念経
(※正しくは「正法念処経」阿含部、小乗教 特に三界六道の生死の因果について説いている。)
に三十六種を明かし、
正理論
(※阿毘達磨順正理論の略。通称 順正理論。インドの衆賢が著し、唐の玄奘が訳す。小乗論部)
に三種・九種を明かす。

畜生は魚に六千四百種、鳥に四千五百種、獣に二千四百種、合して一万三千三百種なり、通じて畜生界と名づくるなり。

修羅は身長八万四千由旬、四大海の水も膝に過ぎず。

人は則ち四大洲。

天は則ち欲界の六天と色界の十八天と無色界の四天となり。

二乗は身子(※舎利佛)・目連等の如し。

菩薩は本化(※の菩薩)・迹化(※の菩薩)の如く、

仏界は釈迦・多宝の如し云々。

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日亨上人の註解はこの箇所ではなし。

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012

● 三世間とは五陰と衆生と国土なり。
五陰とは色・受・想・行・識なり、
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(※色・受・想・行・識=五陰
色=「身体」機能
受=外界からの刺激・作用を受ける「心」の機能
想=外界から受けた刺激・作用ついて考える「心」の機能
行=何らかの意志判断を下し行動を起こす「心」の機能
識=受・想・行 の働きの元である意識)

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● 言う所の陰とは正しく九界に約し、善法を陰蓋するが故に陰と名づくるなり、
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(※「陰」とは苦界の九界の是れは因に約して意義を読めば、仏界を覆い隠す故に「陰」と言う。)

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●是は因に就いて名を得。
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(※このことは、苦界に彷徨う因として解釈した場合の意義。)

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●又陰は是れ積聚なり
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(※「陰」とは「重なり集まる」とに意義もある)、

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●生死重沓す、故に陰と名づく
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(※成仏の悟りのない苦界の生死を無限に繰り返し重なり集まっているのが我々迷いの衆生である。が故に「陰」と名付けるのである。)、

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●是れは果に就いて名を得
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(※これは生死の苦界が積み重なる結果として「陰」を解釈した場合の意義である。)。

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●若し仏界に約せば常楽重沓し、慈悲覆蓋するが故なり。
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(※「善法陰蓋」との意義を仏界に約せば、常楽我浄が積み重なり集まって最高の幸福境界となる意義である。また自身が仏の慈悲によって覆い護られている境界であり、また自身が一切衆生を慈悲で覆い護っていく境界になる、とも言える)

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日享上人註解

○ 「色受想行識」とは、
「色」は色形で衆生の肉体及び草木国土等である、
「受」は衆生が外界に在る物を我が身に受け納るゝこと、
「想」は一たび受け納(い)れたるものを常に想うて忘れぬこと、
「行」は此の想ひに依(よ)りて起す所の所業である、
「識」は以上の事を内より起さしむる意識即(すなわ)ち、こゝろである。

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013

● 次に衆生世間とは十界通じて衆生と名づくるなり。
五陰仮に和合するを名づけて衆生と曰うなり、
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(※ 「衆生世間」とは地獄〜仏界にまでの生命体を「衆生」と名付けるのである。
色・受・想・行・識 の五陰が仮に和合している生命体を名付けて「衆生」というのである。)

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仏界は是れ尊極の衆生なり。故に大論(※竜樹 大智度論)に曰く「衆生の無上なるは仏是れなり」と。豈凡下に同じからんや云々。
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(※十界を通じてそこに住する生命体を「衆生」と呼ぶとは言っても、仏界は最極最尊の「衆生」である。
そのことを竜樹菩薩の大智度論にはこのように説かれている。
「この上なく最極・最尊な「衆生」が「仏」である。」と。
どうして凡下の「衆生」と同じといえるであろうか。
つまり、十界の他の「衆生」もそれぞれ、境界によって「差別相」はあるのである。
→ この次第・筋目を弁えず、「凡夫も仏も結局は同じ「衆生」。同等なのだ。」などと考えることはもっての他の上慢である。)

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日亨上人註解

○ 「衆生」等とは、地獄・餓鬼等の十種の生類が共に生じ、共に住し、共に滅する辺を云ふのである。

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013.2

● 三に国土世間とは則ち十界の所居(※居る所 棲む所)なり。
地獄は赤鉄に依って住し、
餓鬼は閻浮の下、五百由旬に住し、
畜生は水陸空に住し、
修羅は海畔・海底に住し、
人は大地に依って住し、
天は空殿に依って住し、
二乗は方便土に依って住し、
菩薩は実報土に依って住し、
仏は寂光土に住したもうなり云々。

● 並びに世間とは即ち是れ差別の義なり。
所謂十種の五陰不同なる故に五陰世間と名づけ
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(※「世間」という語はそれぞれの境界の差別相を表すのである。
十界それぞれの五陰(色受想行識)はそれぞれ違うが故に五陰「世間」(=差別相)と言う)、

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● 十種の衆生不同なる故に衆生世間(差別)と名づけ
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(※十界の衆生はそれぞれ異なるが故に衆生「世間」(=差別相)という)、

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● 十種の所居不同なる故に国土世間と名づくるなり。
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(※十界の衆生は棲む所がそれぞれ違うが故に国土「世間」(=差別相)という)

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日亨上人註解

○ 「方便土」とは、欲、色、無色の三界の外に在る世界で証果の阿羅漢のみ住する所である。

〇 「実報土(じっぽうど)」とは、方便土の如ごとく三界の外で菩薩行道の果報に依りて住する黄金世界である。

○ 「寂光土」とは、前の方便・実報両土の如く限られた界外の事土でなく、界内界外、浄土、穢土(えど)を問はず事理不二で自受用報身仏の大功徳で清浄なる楽土と変ずるを云ふのである。


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014

● 十如是とは相・性・体・力・作・因・縁・果・報等なり。
如是相とは譬えば臨終に黒色なるは地獄の相、白色なるは天上の相等の如し。
如是性とは十界の善悪の性、其の内心に定まって後世まで改まらざるを性と云うなり。
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(※「如是性」というのは、十界それぞれ善悪の性分が、個々の内心に深く固定化して、今世だけでなく、来世にまでも受け継ぎ、変わらない性質・性分である。)

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如是体とは十界の身体色質なり。
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(※色質 色=物質。肉体 質=物の本体。根本。本質。
「如是体」とは、十界の身体や、その本体、根本、本質である。)

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如是力とは十界各の作すべき所の功能(※内在している能力。)なり。

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如是作とは三業を運動し善悪の所作を行ずるなり。
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(※「如是作」とは、身や口や意の働きに依って、善や悪の振舞いを行うことである)

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善悪に亘って習因習果有り、先念は習因、後念は習果なり。
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(※習因=原因となる行為や考えを繰り返して、心身にこびりき習慣化している事。
習果とは、先の習因によって得られるところの結果。
例えば、悪い習慣や因襲を直さずに暮らしていれば、その結果は当然、悪い出来事が繰り返し途絶えず続く。ということ。

善や悪の全てに習慣化して心身にこびりついている因があり、その習慣化した行動に依って受けるところの結果がある。
行動を起こすところの念、思いは、習慣化して心身にこびりついている習因から起こるもの。
そのために起きた結果に対しての念、思いは習因に依って起きた習果に対して起きるものである。)

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●是れ則ち悪念は悪を起こし、善念は善を起こす。
後に起こす所の善悪の念は前の善悪の念に由る。
故に前念は習因即ち如是因なり、
後念は習果即ち如是果なり。
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(※ つまり、悪しき念慮・思いは悪しき結果を起こし、善き念慮・思いは善なる結果を起こす。
その後に起きてくる善い思いや、悪い思いは、その行動を起こす前の念慮や思いがその原因となっている。
つまり、行動を起こす前の念慮や思いは、心身にこびりついて習慣化している「如是因」である。
そしてその習慣化して心身にこびりついた原因から起こした行動の結果から出てくる念慮や思いは、「習果」であり、それが「如是果」というのである。)

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善悪の業体を潤す助縁は是れ如是縁なり。
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(※如是因と如是果とを媒介し助けとなる縁を「如是縁」というのである。)

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習因習果等の業因に酬いて正しく善悪の報を受くるは是れ如是報なり。
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(※ 身体にこびりついて習慣化した原因とその行動によって起こる結果から、その善業・悪業の分量にそのまま等しく善や悪の報いを受けること、これが「如是報」である。)

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初めの相を本と為し、後の報を末と為し、此の本末の其の体、究(きわま)って中道実相なるを本末究竟等と云うなり云々。
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(※如是相より如是報まで、一念の中に収まり持(たも)つものであり、一貫した活動・振舞い・姿であるということ。)

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日亨上人註解

○ 「如是」とは、
「如」は空の義、真の義・
「是」は仮(け)の義・事の義・
「如是」と合字すれば中の義に成り、

空・仮・中の三諦(さんたい)を成ずるので、相・性・体 等の十如是は即、空仮中道の実相である。


○ 「相」とは、外に在りて見るべきもの即ち皮相である。
○ 「性」とは、内に在りて見るべからざるもの、即ち性分である。
○ 「体」とは、外相と内性とを裏表に具(そな)へて一身を支持するもの。
○ 「力」○ 「作」(さ)とは、「力」は原動力で 「作」は動力の現はれたるもの。
○ 「因」〇 「縁」とは、「因」は主因で、「縁」は助縁で猶(なお)主判の関係と同じ。
〇 「果」○ 「報」とは、「果」は必然の結果、で報は必然の報酬である、
即ち果報の関係には前後冥現の別がある。
(※「果」と「報」の関係には、「果」→前・「報」→後 「果」→冥(はっきりとは分からない)・「報」→ 現(明らかに分かる)との違いがある。)

○ 「本末」等とは、九如の末の報が即ち次ぎの始めの相となるから、十如の本末の連鎖となりて循環究(きわま)り無き点位は此の第十の本末究竟(くきょう)等(とう)である。

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015

● 正しく一念三千の数量を示すとは、応に知るべし、玄文(※法華玄義・法華文句)両部の中には並びに未だ一念三千の名目を明かさず、但百界千如を明かす、
止観の第五巻に至って正しく一念三千を明かすなり。
此れに二意有り、
● 一には如是に約して数量を明かす、所謂百界・三百世間・三千如是なり。
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(※十界×十界×三世間×十如是 
→ 十如是を主体にした場合の開き方)

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● 二には世間に約して数量を明かす、所謂百界・千如是・三千世間なり。
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(※十界×十界×十如是×三世間 
→ 三世間を主体にした場合の開き方)

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● 開合(※一念三千を教義解釈として開いたり合したりすること)異なりと雖(いへど)も同じく一念三千なり云々。

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日亨上人註解

○ 「玄文両部」
○ 「百界千如」とは、
「文句」には十界の各おのおのに十界を具へ、又其それに十如是を具ふるから千如となる事だけを明かし、
「玄義」には一法界に九法界を具ふれば百法界に千如是となる由よしを明かしてあるだけで、
共に未だ三千の数には説き及ぼして無い。


○ 「開合雖異」(※開合は異なりと言えども)とは、
「三千如是」は開であり
「三百世間」は合である、
又「三千世間」は開であり
「千如是」は合である。
開は広がる意味、
合は縮(ちぢま)る意味である。

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016

 第四に一念に三千を具する相貎を示すとは

 問う、止観の第五に云わく「此の三千、一念の心に在り」等云々、一念の微少何ぞ三千を具せんや。
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(※一念というほんの一瞬の心、生命になんで三千もの境界が備わるというのか?)

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 答う、凡そ今経の意は具遍を明かす、
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(※総じて法華経では、一切の命には「具わる」という意義と、「遍く」という意義があることを明かしているのである。)

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故に法界の全体一念に具し、
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(※宇宙森羅万象は一瞬の生命に具わり)

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一念の全体法界に遍し。
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(一瞬の生命に具わる全ては宇宙法界全体に遍くのである)

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譬えば一微塵に十方の分を具し、
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(※例えば、一片のちりにも宇宙全体を構成する成分を含み)

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一滴の水は大海に遍きが如し云々。
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(※海の水一滴でも大海へ溶け出し広がり遍いていくのである)

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日亨上人註解

○ 「一念心」とは、ヒトヲモヒの心、即(すなわ)ち刹那(せつな)微小の心で、止観に始めて一念三千を明かす文の中に在る。

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17

華厳経に云わく「心は工みなる画師の種々の五陰を造るが如し、一切世間の中に法として造らざること無し」等云々。
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(※華厳経・功徳林菩薩の偈 「一流の画家が、様々な五陰(生命の真実の姿)を真に迫って描き出すのと同様に、心・生命は、宇宙森羅万象の全てを造り出していく。)

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 問う、画師は但是れ一色を画く、何ぞ四心を画くことを得んや。
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(※ 画家はただ、色法である肉体・物質面だけを描く。
なのにどうして、心法である、五陰の内、色法である「色」を除く、心法である「受・想・行・識」の四心を描くことができるというのか)

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 答う、色心倶に画くが故に種々の五陰を造ると云うなり。
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(※色法(物質)と心法(心・精神面)の両面を共に描けるが故に、種々の五陰(様々な生命活動)を造る(描く)と言うのである。)

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故に止観の第五二十一に云わく「善画の像を写すに真に逼り、骨法精霊の生気飛動するが如し」云々。
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(※一流の絵師が描いた素晴らしい絵画というものは、対象物を描くのに、真実に迫真のものがあり、骨法=色法と、精霊=心法を描き撮るに、まさに生きていてそのまま飛び動き回るが如くである。)

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誰か鐘馗を見て喜ぶと云うべけんや
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(※どこの誰が、鐘馗(主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神。恕髪天に逆立ち剣を下げて小鬼を叱咤する図)の恐ろしい姿を見て、喜ぶと言えようか)

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誰か布袋を見て瞋ると云うべけんや。
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(※またどこの誰が、布袋(七福神の一つ。太ってつき出た腹をし、大きな袋をになった僧。)の円満でふくよかな相を見て、怒る者がいるだろうか。)

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故に知んぬ、善く心法を画けることを。
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(※ここを以て知るべきである。一流の絵師は、外見の色法だけを描いているようでも、実は心法(心の働き・生命の躍動)まで描き撮っているということを。)

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日亨上人註解

○ 「華厳経に云はく」とは、経の十八、如来林菩薩の説ける偈文である。

○ 「一色」とは、一色とは唯色と云ふ事で黄青等の五正色、其の他種々の間色の中の一色では無い。

○ 「四心」とは、未念・欲念・念・念已(ねんい)と云ふ精神作用に名づけたもの、
即ち「未念」はまだ念(おも)はざるとき、「欲念」は将(まさ)に念(おも)はんとするとき、「念」は念(おも)ひつゝある時、「念已」は念(おも)ひ終わりたるときである。

○ 「色心?ともに画く」とは、丹青(※色彩)を以て骨格容貌の色躰は固(もと)より、四心・七情(七情=人間の持っている七つの感情。
(儒教)喜、怒、哀、懼、愛、悪、欲。
(仏教)喜、怒、憂、懼、愛、憎、欲。
(漢方医学)喜、怒、憂、思、悲、恐、驚。)

までの心状をも写すのを云ふ。

○ 「善画」とは、巧妙なる画工の事である。

○ 「骨法精霊」とは、骨法は物体の色法、精霊は其の心法である、
其れが絵画で無くて真の生物の如く生々いきいきしているので美人画に愛着し幽霊図に恐怖する、
殊に名画になると竹に留(と)まった雀が飛び去り、繋(つな)げる馬が草を食いに行ったと云ふ寓話まで生ずるのである。

○ 「鐘馗」とは、鬼神の名を人名に取ったのであらう、
後漢に李鐘馗あり、隋に喬(きょう)鐘馗、揚鐘馗、唐に張鐘馗と云ふ人があった、
明皇帝が大鬼小鬼を制するを夢に見て呉道子に画かせた、
更に此れを版画にして臣下に賜はった、
是が即ち鐘馗の図で怒髪(どはつ)天に逆だち劔(つるぎ)を提さげて鬼を叱咤(しった)する状、真に恐るべきもの、此れが茲(ここ)に云う鐘馗である

○ 「布袋」とは、又支那の僧で豊頬曲(ほうきょうきょく)眉び、大耳(だいじ)の笑貌(しょうぼう)に、便々(べんべん)たる腹(※太って腹が出ているさま。太鼓腹であるさま。)、巨大なる布袋を肩にした状容、小児も自ら懐従(かいじゅう)すべきである。

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18

止観に又三喩を明かす云々。
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(※止観に説かれる、わずかの一心になぜ三千を具することが出来るのか。
また、三千を具することがなぜ分かるか、等を示す三つの喩え。

@ 如意宝珠
如意宝珠は天人の勝宝。一切の宝を悉く具えている。その宝は、内に蓄えてあるのものでも、外から入れたものでもない。形は小さいけれども、一切を意のままに生じることができる。物質である色法の如意宝珠ですら一切を具することができるのだから、不思議の一心に三千を具することができるのは当然である。

A 三毒の譬え
三毒の惑心は八十八使(※倶舎宗では見惑に八十八があるとし、見惑八十八使という。即ち見道で滅ぼされる根本煩悩は、五利使(身見・辺見・邪見・見取見・戒禁取見)と五鈍使(貪・瞋・癡・慢・疑)とであるが、これをそれぞれ四諦にあて、三界にあてるとき、欲界に三十二、色界・無色界に各二十八、合わせて八十八となる。)、八万四千の煩悩がある。これが本よりあるとするならばなぜ縁がなければ煩悩は生じないのか。本より無いとするならばなぜ縁に依って煩悩が生じるのか。定有とするも、定無とするも誤りである。「有にして有ならず」「有ならずして有」の存在。三毒の惑心すらかくの如し、いわんや不思議の一心に三千を具するのは当然である。

B 夢の譬え
昔中国に荘周という人がいた。夢で蝴蝶(蝶(ちょう)の異称。)となって百年を経たが、その間は苦しい事ばかり多くて楽しいことは少なく、汗水流して驚き覚めてみると、それが全て夢であり妄想であった、という故事がある。夢の一心に様々な心を展開していくことは一心が一切心と展開されたのである。夢覚めてみればそこにあるのは自己の一心である。これは一切心が一心に収まったということである。このように夢ですら不可思議であり、一切を具する故に、不思議の一心に三千を具するのは当然である。

※この箇所には日亨上人の注釈はない。
 
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19
 又二寸三寸の鏡の中に十丈・百丈・乃至山河を現わすが如し。
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(※一瞬の心・命に三千を具すということは、例えば10cm足らずの鏡でも、3m〜300m〜3000m・・・などの長くまた大きな山河を映し出すことができるようなものである。)

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況んや石中の火・木中の華、誰か之れを疑うべけんや。
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(※また、石の中に火がある。一見、石と火は無縁のようであるが、石同士を叩けばそこに火花が出る。これは石の中に火となる因が内在しているからである。
また、木の中に華がある。これは枯れ木の様に見える木でも、時が巡ってくれば華を咲かせる。これもまた、木の中に華の因が内在しているからである。
それと同様に、凡夫にも仏界が内在していることを疑ってはならない。正しい縁(戒壇の大御本尊)に触れれば必ず仏界は湧現するのである。)
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※この箇所に日亨上人の註解はなし。

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20

 弘の五の上に心論を引いて云わく
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(※妙楽大師 弘決@に 菩提心論A を引いていわく
@ 『止観輔行伝弘決』(しかんぶぎょうでんぐけつ)
妙楽大師湛然による『摩訶止観』の注釈書。10巻(または40巻)。天台大師智による止観の法門の正統性を明らかにするとともに、天台宗内の異端や華厳宗・法相宗の主張を批判している。

A インドの龍樹の著として伝えられる書。1巻。正式には『金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論』といい,『発菩提心論』ともいう。不空の訳とされているが疑問がある。)

「慈童女長者、伴(とも)を随え海に入り宝を採らんと欲し、母より去ることを求む。
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(※慈童女長者は、共の者を従えて海の中に入り宝を得ようとして母の下からから離れることを望んだ。
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母の云わく、「吾は唯汝のみ有り、何ぞ吾を棄てて去るや。」
母其の去らんことを恐れ、便(すなわ)ち其の足を捉(とら)う。
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(※母は「私にはただ貴女しかいない、なんで私を棄てて去っていくのか」
母は童女が去っていくことを恐れて、彼女の足を捉まえた。)
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童女便ち手を以て母の髪を捉えるに一茎(いっけい)の髪(※十数本くらいの量か)落つ。
母乃(すなわ)ち放ち去る。
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(※慈童女長者は抵抗して母の髪を鷲掴みにしたら十数本くらいの髪が抜け落ちた。
母は驚き痛がり、童女を放免して去って行った。)
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海洲(※島)の上に至るに熱鉄輪の空中より其の頂上に臨むを見る、
便ち誓いを発(お)こして言わく、「願わくば法界の苦、皆我が身に集まれ」と、
誓願力を以て火輪遂に落つ。
身を捨てて天に生まる。
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(※童女が海の中の島の上に辿り着くと、焼けて赤くなった鉄の輪が空中から島のの頂上に向かって落ちて来るのを見た。→このままでは大災害が起こる。
童女はとっさに「願わくば、法界の一切の苦よ!全て我が身に集まれ!(それと引き換えにこの大災害から一切衆生を救いたまえ!))
この誓願力によって、熱鉄火輪は童女一人の身に落ちて、世界の大災害は免れた。
童女は一切衆生や国土のために身を棄ててその後天界に生まれた。
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母に違(たが)いて髪を損ずるは地獄の心と成り、弘誓の願いを発こすは即ち仏界に属す」等云々。
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(※母と争い髪を引き抜いたのは地獄界の心であり、大災害から一切衆生を救わん!と誓願を立てたのは仏界の心である。)
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一念の心中に已に獄(※地獄)と仏とを具す、
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(※このように一瞬の心の中に地獄の心も仏界の心も共に存在している。
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中間の互具は准説して知るべし云々。
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(※この譬えに出てこない十界のうちの地獄界と仏界以外の界については、この譬えに准じて考察すれば同時に内在するということが理解できるであろう。)

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日亨上人註解

○ 「弘(ぐ)五上」 とは、摩訶止観を解釈せる妙楽の弘決輔行伝(←※『止観輔行伝弘決』(しかんぶぎょうでんぐけつ)の誤記)を略して弘と云ひ其の十巻を上下に分った上巻の事である。

○ 「海州」 とは、大海の中の島嶼(とうしょ)(※「島」は大きなしま、「嶼」は小さなしまの意》大小のしまじま。しま。)である。

○ 「熱鉄輪」 とは、焼けて赤くなった鉄丸。

○ 「法界苦」 とは、十方世界に充ちたらん一切の苦しみである。

○ 「火輪」 とは、火の玉の事。

○ 「准説等」 とは、上に引ける慈童女の一念の中に極悪の地獄の心と極善の仏の心とを同時に具(そなへ)たりとすれば、中間の畜生や人間等にも仏の心を具ふるは無論の事である、
仏にも亦(また)畜生や人間の心を具へて十界互具なる事、慈童女長者に例して知るべしとわるゝのである。

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21
 (※観心)本尊抄に云わく
「数(しばしば)他面を見るに、或時は喜び、或時は瞋り、或時は平らかに、或時は貪り現じ、或時は癡か現じ、或時は諂曲なり。
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(※ しばしば他人の姿を見るに、ある時は喜び、ある時は瞋り、ある時は平らかで、ある時は貪り、ある時は道理の全く分からない様となり、ある時は、人に媚び迎合している。。。)

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瞋るは地獄
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(※瞋は、仏教が教える煩悩のひとつ。瞋恚ともいう。怒り恨みと訳され、我に背くことがあれば必ず怒るような心、害意、敵愾心、「自分がないがしろにされた」という思いである。憎しみ。嫌うこと、いかること。心にかなわない対象に対する憎悪。 仏教においては、 人間の諸悪・苦しみの根源と考えられている三毒、三不善根のひとつ)、

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貪るは餓鬼、
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(※やたらものを欲しがる心は餓鬼界)

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癡かは畜生、
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(※物事の道理が少しも分からない心は畜生界)

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諂曲なるは修羅
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(※人に媚びて自分の心を曲げて迎合すること。「諂」は「へつらう、あざむく」との意。「曲」は「道理を曲げて従う」との意。)、

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喜ぶは天、
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(※喜ぶ心は天界)

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平かなるは人なり、
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(※喜怒哀楽等の感情が露骨に顕れず、平穏な状態は人界)
乃至世間の無常は眼前に在り、豈人界に二乗界無からんや。

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無顧の悪人も猶妻子を慈愛す、菩薩界の一分なり。
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(※無顧の悪人(全く他をかえりみない悪人のこと。悪事を行ない、周囲の迷惑をかえりみない者をいう。)も、妻子を大事に思い、愛する。これは菩薩界の一分の顕れである。)
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乃至末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具するが故なり」略抄。
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(※末法に生れ落ちた凡夫が、法華経を信じるということは、人界に仏界を内在しているが故に現証である。)

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「法華経を信ずる」等の文深く之れを思うべし云々。
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(※「法華経」とは末法では戒壇の大御本尊という意 戒壇の大御本尊を信じる一念こそ仏界ということ)

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 妙楽の云わく「仏界の心強きを名づけて仏界と為し、悪業深重なるを名づけて地獄と為す」云々。
既に法華経を信ずる心強きを名づけて仏界と為す。
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(※妙楽大師はこのように言われている
「仏界の心が強い状態を仏界といい、悪業が深く重い状態を地獄という」
この原理から言えば、戒壇の大御本尊を信じる心が強いことが即仏界の命であり、因果倶時でそのまま仏界の果報を受けることができる。)

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故に知んぬ、法華経を謗ずる心強きを悪業深重と号し地獄界と名づくるなり。
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(※戒壇の大御本尊を信じない、謗ずる、そういう根性が強い状態こそ膨大な悪業を積み、地獄界というのである。これも因果倶時で、そのまま地獄界の生活となる。)

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 故に知んぬ、一念に三千を具すること明きらかなり。
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(※以上の文証・道理・現証を総合して考えるに、我ら衆生の一瞬の生命に仏界をはじめとする法界三千働きを内在することは明白である。)

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日亨上人 註解

○ 「平」とは、喜怒哀楽等の情が偏(ひと)えに際立ちて顕はれをらぬ事。

〇 「貪」とは、ヤタラに物を欲しがる事。

○ 「癡」とは、物の道理が少しも分からぬ事。

○ 「諂曲(てんごく)」とは、修羅(しゅら)の性格の一面で、勝他の目的の為には己(おのれ)を曲(まげ)て他に諂(へつら)ふことがある。

○ 「無顧(むこ)悪人」とは、アトサキ見ずの無法者でも、我が眷属(けんぞく)を愛撫(あいぶ)するのは地獄や修羅の心中にも菩薩心が具(そな)はっている現証である。

○ 「凡夫(ぼんぷ)出生等」とは、凡夫即(そく)極(ごく)即身成仏の理が実現する事は、末法の大白法(だいびゃくほう)たる久遠(くおん)名字(みょうじ)の妙法の有り難さと申し乍(なが)ら源(みなもと)人界に仏界を具する故である。

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22

 第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは

 次の文に云わく「此等の経々に二つの失あり。一には行布を存するが故に仍未だ権を開せずとて、迹門の一念三千を隠せり。二には始成を言うが故に尚未だ迹を発せずとて、本門の久遠を隠せり。迹門方便品には一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失一つを脱れたり」已上。
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(※開目抄 535−16 原典
「此等の経々に二つの失(とが)あり。一には「行布(ぎょうふ)※を存するが故に仍(なお)未だ権を開せず」と、迹門の一念三千をかくせり。二には「始成(しじょう)を言ふが故に曾(かつ)て未だ迹を発せず」と、本門の久遠をかくせり。此等の二つの大法は一代の鋼骨(こうこつ)、一切経の心髄なり。迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失(とが)一つを脱(のが)れたり。」)
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(※ 爾前権教には二つの過失・不備がある。
その一つは十界がそれぞが別の境界と説かれ、段階的に修行して成仏を目指すと説く故に、一切衆生の即身成仏が不可能である。それが故に、衆生の機恨に合わせて説いた権(かり)の法門の領域を出ていないので、法華経迹門で明かされる一念三千が隠されている。
二つめは釈尊の始成正覚を説くため、釈尊の迹の姿を払っていない。本門の久遠実成の本地を隠し覆っている。
この「十界互具・一念三千」と、「久遠実成」の大法は釈尊一代仏教の厳たる背骨であり、また中枢である。
迹門方便品は一念三千と二乗作仏を説いて、爾前・権教の二種の過失・不備を免れた。
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※行布

● 下から上へと段階的に修行して成仏を目指すこと。もとは、菩薩の位を五十二位に分けて行列布置し、階位の浅深・次第を立て、順々に進んでついに仏果に至ることをいう。転じて爾前経において二乗不作仏や女人不成仏など、得道に際して衆生を差別していることを示すのに用いられる。

● 段階的に修行して成仏を目指す修行・成仏観である。十界それぞれが別々の境涯として説かれ、相互に断絶があるだけでなく、とりわけ九界と仏界との間には超えがたい断絶があるとされ、九界を断じることで初めて仏果が得られるとする。この成仏観に基づき二乗の成仏を認めていない。

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「此等の経々」とは四十余年の経々なり、「行布」とは即ち是れ差別の異名なり。
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(※ 開目抄の■「此等の経々」とは四十余年の爾前・権教の経々のことである。
■「行布」とは「十界それぞれの差別・各別」ということの異名・別名である。

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所謂昔の経々には十界の差別を存ずるが故に仍(なお)未だ九界の権を開せず、故に十界互具の義無し、故に「迹門の一念三千の義を隠せり」と云うなり。
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(※ 爾前・権教では十界が差別され・各別であると説くが故に、九界は未だそのまま各別であり、九界即仏界という真実相が明かされず、権(かり)の姿を開くことができない。
故に十界の各界それぞれが、仏界を含む十界を具するという十界互具の義がない。
故に開目抄には「爾前・権教は迹門の一念三千の義を隠している」と云われているのである。

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日亨上人 註解

○ 「次の文」とは、標の文なる開目抄の一念三千云云の次の文。

○ 「行布」とは、十界の因果を、殊に菩薩の四十一位を竪に行列布置し、少しも円融不次第の義無きを云ふ。

○ 「始成」とは、釈迦仏は寂滅道場菩提樹下にして正覚を成じ始めて仏に成れりと云ふ爾前の諸経及び法華の迹門の説相である。

○ 「未だ迹を発せず」とは、爾前迹門の諸経に於いて道場正覚の仏と云っている間は垂迹示現の迹が臭気が取れぬと云ふ事である。

○ 「迹門方便品」とは、十如実相の略開三顕一より五仏章の広開三顕一等に即ち一念三千の理が有り舎利弗の正説が即ち二乗作仏である。

○ 「昔」とは、爾前の諸経の事である。

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23

 問う、応に『迹門方便品には一念三千を説いて爾前二種の失一つを脱れたり』と云うべし、何ぞ「二乗作仏」と云うや。
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(※ 爾前の経々では十界を各別に説いてきたのだから十界互具の義は成り立たない。
それが迹門方便品で説き出だされて、十界互具の義が明らかになった。
ならば、単純に『迹門方便品には『一念三千』を説いて爾前二種の失一つを脱れたり』と云うべきであろう。なんで、わざわざ『二乗作仏』を示して強調しているのか?)

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 答う、一念三千は所詮にして、二乗作仏は能詮なり。
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(※ 能詮・所詮 
「詮」とは事理をよく説きあらわすこと。
経典の語句や文章などのように教法などを表す側を「能詮(のうせん)」といい、それによって表された意義内容や原理を「所詮」という。
「能」は「〜 する」という能動を示し、「所」は「〜 される」という受身を示す語である。 

「一念三千」の法理は「二乗作仏」が説かれて初めて明らかになる原理であるから、「一念三千」は所詮(顕された教理・原理)となり、「二乗作仏」は能詮(一念三千の教理を完成させ成立させた側)となる。)

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今能所並べ挙ぐるが故に「一念三千・二乗作仏」等と云うなり。
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(※開目抄の御文は、その能詮と所詮を並べて示されたが故に「一念三千・二乗作仏」と仰せである。)

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日亨上人 註解

○ 「所詮」○ 「能詮」とは、
「詮」は事理を能く説き明かす義で、二乗作仏に依りて一念三千の義を説明する事を得るから、二乗作仏の方は説明手、即ち「能詮」であり、一念三千の方は被説明の法即ち「所詮」である、
「能」は自動で「所」は他動である、
次の菩薩二乗の能具所具も此れに準じて知る事ができる。

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24

謂わく、若し二乗作仏を明かさざれば菩薩・凡夫も作仏せざるなり。
是れ則ち菩薩に二乗を具す、所具の二乗作仏せざれば則ち能具の菩薩豈作仏せんや。
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(※菩薩界にも二乗界が内在的に備わっている。故に縁に触れればいつ何時でも二乗界が現出する。
菩薩界に備わるところの二乗が成仏しないのであれば、その二乗界を内在している菩薩界も結局は成仏できない。もちろん凡夫も同じ原理である。)

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故に十法界抄に云わく「然れども菩薩に二乗を具するが故に、二乗が沈空尽滅は則ち菩薩の沈空尽滅なり」云々。
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(※十法界抄 原典 ■「然れども菩薩に二乗を具す。二乗成仏せずんば菩薩も成仏すべからざるなり。衆生無辺誓願度も満ぜず。二乗の沈空尽滅(じんめつ)は即ち是菩薩の沈空尽滅なり。」
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(※ 二乗が沈空尽滅(じんぐうじんめつ ちんぐうじんめつ 二乗が見惑・思惑を断じて空理に沈んで身智を滅尽して再び三界に生じないこと。小乗教の悟り。灰身滅智と同義。)
するということは、同時に菩薩も沈空尽滅することとなる。(つまり成仏できない))

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菩薩既に爾り、凡夫も亦然なり。
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(※菩薩ですら成仏できないのであるから、凡夫もまた同様に成仏できないこととなる。)

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故に九界も同じく作仏せざるなり、
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(※結局九界全てが成仏できないことになる。)

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故に九界即仏界の義無し、
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(※であるから、法華経を修行すれば九界どの境界からも直ちに仏界を湧現するという即身成仏の義も成り立たなくなる。)

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故に一念三千も遂に顕わすことを得ざるなり。
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(※ 結局、一念三千の法理も顕すことができなくなるのである。)

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日亨上人 註解

○ 「二乗沈空尽滅」とは、阿羅漢等の二乗が見思惑(けんじわく)を断じて空理に沈み、灰身滅智(けしんめっち)して心身都(すべ)て滅の無余(むよ)涅槃(ねはん)に入るを云ふ。

○ 「菩薩沈空尽滅」とは、菩薩其の行程の始めに於(お)いて塵沙惑(じんじゃわく)を起して空理に沈み、出仮利生の念無きものを云ふ。

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25

若し二乗作仏を明かす則(とき)んば永(よう)不成仏の二乗尚成仏す、何に況んや菩薩・凡夫をや、
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(※爾前・権経においては未来永劫に成仏できないと呵責され続けてきた二乗でさえ、法華経迹門で成仏が許された。であるならば、成仏する種を持っていると言われた菩薩・凡夫が成仏できないわけがない)

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故に九界即仏界にして十界互具一念三千其の義炳然なり、
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(※ ここに九界全てが法華経(戒壇の大御本尊)への信行によって即身成仏できる教理が整足したのであり、十界がどの界も平等に十界を具し、一念に三千を具すと言う法理は、火のように明らかに完全となったのである。
※炳然(へいぜん)=光り輝いているさま。また、明らかなさま。)

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故に今(※開目抄に)「一念三千・二乗作仏」と云うなり。
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(※だからこそ、大聖人は開目抄で、「一念三千」と並び敢えて「二乗作仏」と仰せになったのである。)

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宗印(中国・天台僧)の北峰(※北峰教義)に云わく
「三千は是れ不思議の妙境なり、只法華の開顕の二乗作仏・十界互具に縁る。是の故に三千の法は一念頓円にして、法華独り妙なり」文。
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(※一念三千の法理は、意でその道理を識ることも、また言葉でも表現できない、まことに不可思議な境地である。これ、法華経で初めて二乗の成仏を説かれたことにより十界互具が完成し、一念に起こる三千のあらゆる命の働きは、そのままで(正しい信行があれば)即身成仏の義が叶うということであり、それは法華経(戒壇の大御本尊)のみで叶うことであり、最高最極最尊の法理なのである。)

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日亨上人 註解

○ 「永不成仏(ようふじょうぶつ)」とは、声聞縁覚の二乗は無余涅槃に入りて身心都(すべ)て滅し、仏種を断ずるが故に未来永々成仏の機会無しと爾前の諸経に説かれてある。

○ 「炳然」とは、火のやうに明らかなること。

○ 「不思議妙境」とは、一心より一切の法を次第に生じたのか、一心が一時に一切の法を有ってをるのか、ドッチとも云へぬ、唯是れ心が即一切法、一切法が即ち心で、其の道理は意(こころ)でも識ることも出来ず、語でも云はれぬ、誠に不思議な境界ぢゃと、宗印が三千法を歎賞した文である。

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26

 問う、昔の経々の中に一念三千を明かさずんば、天台、何ぞ華厳心造の文を引いて、一念三千を証するや。
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(※ 爾前・権教では一念三千を明かしていないのであれば、天台大師はなぜ華厳経の「心は工(たく)みなる画師の種々の五陰を造るが如し、一切世間の中に法として造らざること無し」との文を一念三千の助証として引用されたのか?)

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 答う、彼の経に記小久成を明かさず、何ぞ一念三千を明かさんや。
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(※ それに答えるに、華厳経には記小久成(「記小」は迹門の諸品で説かれる二乗作仏の授記。「久成」は本門寿量品の久遠実成の顕本のこと。)を明かしていない。どうして一念三千を明かしていると言えるであろうか。)

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若し大師引用の意は、浄覚の云わく「今の引用は会入の後に従う」等云々。
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(※天台大師が引用したその意は、浄覚(中国天台宗の学匠。(992〜1064)四明智礼の門下で、はじめ師と共に山外派を論破し名を上げたが、後、師と意見を異にして去り、後山外派と呼ばれた。引用文は、四明教行録三から)

※「会入」(えにゅう=会(え)して入れる事。表面上相違する論理を、元意をよく把握し一意に帰着させること。
爾前・方便権教も法華経の立場から用いれば法華経の実義の一分を説明したことになる。これを会入という。)

※「この天台大師の引用は、一念三千の法理から会した上での意義として用いている」)

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日亨上人 註解

○ 「華厳心造」とは、前に引ける如来林菩薩の心が一切法を造ると云ふ偈文である。

○ 「記小久成」とは、「記小」は迹門諸品の二乗(小)作仏の授記で、「久成」は本門寿量品の久遠実成の顕本である。

○ 「浄覚」とは?(そう)川の仁獄で宋の代の人、初め四明智礼の門下に在って四明の為に山外派の説を斥したが、後には四明に反旗を翻へした人で著書も沢山有る。

○ 「会入の後に従う」とは、華厳を開会して法華経に入れての上に華厳経を引用すれば、此れは法華が家の華厳であるから爾前経ぢゃからとて斥(きら)ふには及ばぬと浄覚の説である。

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27

又古徳の云わく
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(※仏祖統記巻十五 諸師列伝第五 六安国恵法師の項 了然法師の言葉とされる)

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「華厳は死の法門にして法華は活の法門なり」云々。
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(※原文 「華厳大論、是死法門。法華十如是、是活法門」
華厳経は死の法門であり、法華経は活の法門である。)

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彼の経の当分は有名無実なり、故に死の法門と云う。
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(※華厳経は、法華経から開かずにその範囲のみで考察すれば、一念三千の根本の実体が説かれていないが故に、仮に一念三千に通じる文があってもただ名目のみであって、その実益はないので、「死の法門」と言うのである。)

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楽天が云わく「竜門原上の土に骨を埋むとも名を埋めじ」と。
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(※唐の白楽天(白居易) 白氏文集廿一にあり、和漢朗詠集や太平記等に引用してある有名な詩。『遺文三十軸、軸々金玉声、竜門原上士、埋骨不埋名』
(訳 三十の巻軸にて作が遺された。
軸という軸全てから、黄金と宝玉の音が聞こえてくる。
龍門の草原の土に、骨は埋めるけれど、君の名声は埋めることはできない。)とある下の句を引用。
それは宗簡の文集に白楽天が題したのである。
その宗簡の墓が竜門の原(洛陽の竜門で有名な石窟寺の附近か)の上りに在り、骨はその処に埋めても「宗簡」の文名は天下に埋もれ朽ちずして永久に金玉の声(すばらしい辞句。賞賛すべき事跡)あり。と賞歎したのである。


『宗簡の遺文は三十軸にも及び、その全てがすばらしい辞句。賞賛すべき事跡である。
竜門の原の上った所に墓が在り、そこに宗簡の骨は埋めても名は埋まらず』
死しても、その業績と名声は活きる。との意)
宗簡と「  」(←※後日埋める)二説あり。

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和泉式部が云わく「諸共に苔の下には朽ちずして埋もれぬ名を聞くぞ悲しき」云々。
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(※この歌は和泉式部集の三に在る(金槐和歌集にもある)が詞書に「内侍ナクナリテ次ノ年七月ニ例給ハル衣ニ名ノカヽレタルヲ」とある。
式部の女(むすめ)小式部内侍が死んだ後にも仕へていた上東門院彰子(一条帝の皇后)より毎年給はる衣服に、「小式部内侍」と書き付けてあるのを見て、母の式部が詠んだ歌である。


「母娘、共に死んで苔の下で朽ちることもできずに、毎年賜る服にある娘の名を見続ける母の悲しさ。」

娘は死に骨は枯れ朽ちても「小式部」の名は残った。と云う事。)

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若ならば会入の後は猶蘇生の如し、故に活の法門と云うなり。
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(※このような譬えと同じように、華厳経の「心は工(たく)みなる画師の種々の五陰を造るが如し、一切世間の中に法として造らざること無し」との文は、そのままでは、「死の法門」であるが、法華経から開いて読めば蘇生し、まさに一念三千を助証する「活の法門」となるのである。)

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日亨上人 註解

○ 「楽天曰く竜門原上士」等とは唐の白居易で其の白氏文集廿一にあり、和漢朗詠集や太平記等に引用してある有名な詩である。
「遺文三十軸、軸々金玉声、竜門原上士、埋骨不埋名」とある下の句を今引用してある、
其れは元宗簡の文集に楽天が題したのである、
其の墓が竜門の原(洛陽の竜門で有名な石窟寺の附近ならん)の上りに在るから骨は其の処に埋めても宗簡の文名は天下に埋もれ朽ちずして永久に金玉の声ありと賞歎したのである。

○ 「和泉式部云わく諸共に」等とは、此の歌は和泉式部集の三に在る(金槐和歌集にもある)が詞書に「内侍ナクナリテ次ノ年七月ニ例給ハル衣ニ名ノカヽレタルヲ」とある、
式部の女小式部内侍が死して後にも仕へ侍はべりし上東門院彰子(一条帝の皇后)より年々給はる衣服に小式部内侍と書き付けられたるを見て、母の式部の詠める歌である、
此の漢和の二箇の引例は死法門・活法門と云ふに附いてゞであろう、
骨は枯れ朽つるとも宗簡の文名と小式部の名は残ると云ふ事を充てられたのである。

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28

 問う、澄観が華厳抄八十三十三に云わく「彼の経の中に記小久成を明かす」等云々。
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(※ 澄観(738〜839)唐の華厳宗の大家・大いに華厳宗を中興し、五台山に住んで天下の帰依を集め、数百の著書も有り。心身共に偉大であった清涼大師である。

澄観の主張 → 二乗作仏は華厳経(爾前・権教)にも許されていた。
華厳経の「成道不思議劫」の文に依って、華厳に久成を説く依文としている。
また華厳経でも二乗や菩薩に、機根が異なるために別々に教えが説かれているが、他の経のように二乗を嫌ったり捨てたりすることは説かれていない。
これは二乗作仏が許されていた証拠ではないか。という見解である。

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 答う、従義の補註三三十一に之れを破す、見るべし。
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(※従義 宋の人。先述の浄覚の如く師・四明に違背した。
「補註」とは天台三大部を釈したもの。その他、著書多い。

主張 → 爾前・権教では二乗作仏は許されていない。

二乗作仏に関して、二乗は華厳の説法の座に居なかったし、たとえ居たとしても聞いてはいなかったし、まして信受したことはない。ちょうど聾や盲のようであった。
もし二乗が授記を受けたと言うならば、作仏の名号及び劫、国を問うが如何(いかん)。
ではなぜ法華以前に二乗作仏が説かれず、一切衆生に仏性が具することを明かさなかったといえば、それは仏意としては特別に爾前経と法華経とを分け隔てるのではないが、ただ爾前の段階ではまだ時が来なかったからである。
澄観は天台の法門を学んだけれども、この義を知らないのである。と。
つまり、澄観は妙楽大師について天台の一念三千の法を学んだが、後にこれを華厳宗の中に盗み入れたのである。

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日亨上人 註解

○ 「澄観」とは、唐の人、大いに華厳宗を中興し五台山に在りて天下の帰依を集め数百の著書も有り、心身共に偉大なりし清涼大師である。

○ 「従義」とは、宋の人浄覚の如く四明に反せり、補註は天台三大部を釈したるもの。其の他著書多し。

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29

 問う、真言宗が云わく、大日経の中に一念三千を明かす、故に義釈の一四十一云わく「世尊已に広く心の実相を説く、彼に諸法実相と言うは即ち是れ此の経の心の実相なり」云々。
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(※真言宗の主張は、大日経の中に既に一念三千が明かされているではないか。というもの。
唐の天台僧・一行(683〜727)が著した大日経義釈十四巻(善無畏三蔵が訳した大日経に、一行が解釈を加えて筆記したもの。一行は天台系であって又無双の博学であった。)に「世尊は已に広く「心の実相」を説く、法華経方便品に「諸法実相」と言うのは、即ち是れ大日経の「心の実相」という教理である。「心実相とは即ち是れ菩提、更に別の理無しなり」(心の実相とは悟り・成仏のことである。法華経の一念三千とその理は同じである)」とあるとおり、一念三千の法理は何も法華経に限ったことではないではないか。)

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 答う、大日経の中に記小久成を明かさず、何ぞ一念三千を明かさんや、故に彼の経の心の実相とは但是れ小乗偏真の実相なり、何ぞ法華の諸法実相に同ぜんや。
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(※ これに答えるに、大日経では「記小久成」(既述)を明かしていないではないか。つまり、二乗に成仏の記別を与えていない、二乗が成仏できない。なのにどうして一切衆生が成仏できる法理であるところの「一念三千」が説かれていると言えるのか。

大日経に説かれる「心の実相」の「実相」とは「諸法実相」の「実相」と文字は同じでも、爾前権教の空・仮・中の三諦の中でも、空理に傾いて立てた「実相」であるから、法華の、即仮即空即中、の三諦円融の「実相」とは天地雲泥の相違なのである。
そのような低い段階での「実相」という文字と教理が、どうして円融三諦の法理を究めた法華経の「諸法実相」と同等と言えるのか。

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日亨上人 註解

○ 「義釈」とは、唐の代に善無畏三蔵の旨を受けて、一行禅師が大日経を釈したもの、一行は天台系であって又無双の博学である。

○ 「彼言諸法実相」とは、法華経方便品の十如実相を指すが、真言宗の側から法華を彼と云ひ大日経を此経と使ひ別くるのである。

○ 「偏真実相」とは、真俗二諦の中で真諦の空理に傾きて立てた実相であるから、法華の即仮即空即中の三諦円融の実相とは小大・権実、天地雲泥の相違である。

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30

弘の一の下五に云わく「婆沙の中に処々に皆実相と云う、是くの如き等の名大乗と同じ、是れを以て応に須く義を以て判属すべし」云々。
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(※ 妙楽大師の弘決にこう言われている。
「竜樹菩薩の十住毘婆沙論に、「実相」という語は随所にあるが、これは、例えば「大乗」という語も多く使われているが、所対に依って使われるのであって、外道に対しては小乗教ですら「大乗」と表現される場合もあり、また小乗教に対しては権大乗教は「大乗」と言われる。しかし、実大乗からすれば権大乗は「小乗」である。これと同じで、「実相」という語も、どの経典のどういう位置付けで使われた語であるのかを、よく全体観を見てその意義を判断しなければならない。」と。

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守護章の中の中三十に云わく「実相の名有りと雖も偏真の実相なり、是の故に名同義異なり」云々。
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(※ 伝教大師は守護国界章の中でこう言われている。
「法相宗などに「実相」という語はあるけれども、空・仮・中の三諦の中でも、空理に傾いて立てた「実相」であるから、法華の、即仮即空即中、の三諦円融の「実相」とは天地雲泥の相違なのである。名は同じでも、その義は大いに異なっている。」と。

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宗祖の云わく「爾前迹門の円教すら尚仏因に非ず、況んや大日経等の諸小乗教等をや」と。
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(※ また、日蓮大聖人は観心本尊抄にこう仰せである。
原典「爾前・迹門の円教すら尚仏因に非ず、何に況んや大日経等の諸小乗教等をや。」
爾前・迹門で説く「円教」ですら、真の成仏の因とはならない。いかにいわんや、教義的には第三方等部に属する大日経等や、その他、法華経以前の一切の経典等に、仮に「円教」の一分の教理があったとしても、全く成仏の因とはならない。

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故に知んぬ、大日経の中の心の実相は小乗偏真の実相なることを。
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(※ であるから、よく学んで領解すべきである。
大日経の中にある「実相」という語は、空・仮・中の三諦の中でも、空理に傾いて立てた「実相」であるから、法華の、即仮即空即中、の三諦円融の「実相」とは天地雲泥の相違であるところの「実相」である。ということを。

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日亨上人 註解

○ 「須く義を以って判属すべし」とは、名は同じく実相であるけれども義意の異なる分には偏真・其有(ごう)・但中・不但中と区別して義類同のものを其の一々に判属せしめ、大小混乱せぬやうに為すべきであると云はれた。

○ 「守護章中中」とは、伝教大師の守護国界章で上中下の三巻が各上中下に調巻せられてある、又法相宗当対破の書である。

○ 「宗祖云く」とは、観心本尊抄の御文である。

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31

 問う、彼の宗の云わく、大日経に二乗作仏・久遠実成を明かす。
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(※ 真言宗では大日経に「二乗作仏」「久遠実成」が説かれていると主張している。
その根拠の一つは以下のごとくである。)

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是の故に弘法大師の雑問答七十に云わく
「問う、此の金剛等の中の那羅延(ならえん)力・大那羅延力・執金剛とは若し意有りや。
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(※ 弘法大師が「雑問答」の中でこのように主張している。
「大日経の会座に連なった様々な執金剛の中で、那羅延力執金剛と、大那羅延力執金剛とは、どのような意義を有するのか。

参考
那羅延(ならえん)力・大那羅延力・執金剛とは、大日経の序品にあたる住心品に説かれている神。
執金剛とは手に金剛の杵(きね)を持つ者の総称。
常に仏を護って、もし非法をなす者があれば杵(きね)で砕く守護神と説かれる。
寺門の仁王像など。大日如来の金剛法界宮の会座にあらゆる執金剛が集合した時、那羅延も大那羅延も執金剛の一人として会座に加わる。)

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答う、意無きに非ず、上の那羅延力は大勢力を以て衆生を救う、
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(※ もちろん、意義がある。上の那羅延力執金剛は、大勢力をもって衆生を救う。)

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次の大那羅延力は是れ不共の義なり。
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(※ 次の大那羅延力執金剛はその力において共に並ぶ者がない。)

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謂わく、一闡提人は必死の病、二乗定性は已死の人なり、余教の救う所に非ず、
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(※ つまり、必ず地獄へ堕ちること決成の大重病である一闡提人。
また、化他の心無く、煩悩を断尽するために灰身滅智し仏性をも焼き尽くしてしまった、仏道において已に死んだも等しい二乗は、大日経以外には救うことができない。)

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唯此の秘密神通の力のみ即ち能く救療す、不共力を顕わさんが為に大を以て之れを分かつ」云々。
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(※ ただこの大那羅延の不可思議な神通力によってのみ救い、また治療をなすことができる。
普通の勢力ではなく特別な大勢力があることを顕すために、「大」の字を冠して他とを区別するのである。
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補足

那羅延とは堅固・堅牢力等の意味で、この神に祈祷すれば、大きな神力が得られるということに弘法は着目して、大日経に二乗作仏がある根拠とした。
しかし(後に日寛上人が鮮やかに破折されておられるが)一介の守護神に、仏種を焼き尽くしたと徹底的に排斥された二乗を救う力がある、とする教学的根拠は全くないのである。
弘法の主張は、まさに我見によるこじつけと言わざるを得ない。)

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日亨上人 註解

○ 「不共之義」とは、共不共と対して猶普通と特別の如く用ひてあること、共般若不共般若と同例である、大那羅延執金剛の力は普通の勢力にあらず、一種特別の大々勢力ありと云ってる。

○ 「一闡提人」とは因果撥無(はつ)むとて過去、未来有る事を信ぜず、聖仏を尊敬せず、一寸先は闇なんどゝ非義非行を逞(たく)ましゅうする徒であるから、必死とて仏法の生命は無きものである。

○ 「二乗定性」とは、深密瑜伽(じんみつゆが)等の大乗経論に五性(ごしょう)各別(かくべつ)と云ふことを説く、其の中に成性(じょうしょう)と云ふのは他の教導の有無に拘はらず、決定して二乗となる機類で、其の証果の二乗は沈空尽滅して仏性を断滅しているから已死(いし)と云ったものである。

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32

義釈の九四十五に云わく「我一切本初等とは将(まさ)に秘蔵を説かんとするに先ず自ら徳を歎ず、本初は即ち是れ寿量の義なり」云々。
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(※ 大日経義釈(既述)には「大日経で「我一切本初」等というのは、大日如来がこれから秘蔵の法を説こうとする時、まず自らの徳を賞嘆していった言葉で、「本初」とはすなわち法華経の寿量品に説かれる久遠実成と同じ義である。」とある。(※←後の段で詳しく破折されている))

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※↓前段での弘法の主張「大日経にも二乗作仏あり」に対する破折

 答う、弘法強いて列衆の中の大那羅延を以て二乗作仏を顕わす、実に是れ不便の引証なり、
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(※ 弘法は我見を元に強引に牽強付会して、大日経の住心品の会座に列座していた大那羅延に二乗を作仏させる力がある、と説くが、これ実に不適切な文証の引用である。)

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彼の経の始末に都(すべ)て二乗作仏の義無し。若し有りと言わば正しく其の劫国名号等は如何、
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(※ そもそも大日経のどこにも二乗作仏の義など全く説かれていない。
もし有ると言うのならば、二乗が作仏した場合の、劫・国・名号などはどこにどう書かれているというのか。

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補足

成仏を許された者は、「授記」といってその名号と国と時とが明かされる。この劫・国・名号がなければ、仮に「成道」と言っても、それは有名無実なのである。)

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況んや復法華の中の彰灼(しょうしゃく)の二乗作仏を隠没(おんもつ)して余経の救う所に非ずと云うは寧(むし)ろ大謗法に非ずや。
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(※ それ以上に、法華経の中で明らかに二乗作仏を説いているにもかかわらず、弘法が「法華経では二乗は救えない」と言っていることは、大謗法ではないか。)

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日亨上人 註解

○ 「我一切本初」とは、大日経転字輪漫荼羅行品第八の文で、我の字中に阿声あり、阿字、本(もと)不生の義に依りて、一切の依止と為し、寿量の義を作ったのであろう、
義釈の文には本抄所引の徳を歎(たん)ずと云ふ下に
「此の法、信じ難きを以ての故に、将(まさ)に法華を説かんとするとき、また自ら歎ずるが如し」とあって、法華経と大日経とを同轍(どうてつ)に見做なして、本初即是寿量の義であるとしてる、此の如く法華の寿量と混同して強いて理同の釈を作るは頭隠して尻隠さずの拙(つたな)さが見ゆる。

○ 「彼経始末」とは、大日経一部の何れにもと云ふ事である。

○ 「彰灼(しょうしゃく)」とは、火の様に明らかなる法華経方便品已下に、舎利弗、目連等の大羅漢を始めとして、学無学の比丘比丘尼の彰(あきら)かなる授記作仏を云ふ。

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33

 次に我一切本初とは是れ法身本有の理に約す、何ぞ今経の久遠実成に同ぜんや。
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(※ 次に、弘法は、「大日経の「我一切本初」(我(大日如来)は一切の本初である)とあるのが、法華経の久遠実成と同義である」と主張するが、この語は法身・報身・応身が三身相即していない、ただ法身のみが本有常住であるとの法理に約した語である。
どうして法華経で明かされた法身・報身・応身が三身相即した一身即三身・三身即一身の如来の久遠実成と同じといえようか。
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補説(日亨上人の解説(※前段掲載)を現代語意訳)

「我一切本初」とは、大日経転字輪漫荼羅行品第八の文。
「我」の字の中に「阿声」があり、「阿字」は元々「不生」という義があり、それに依って、一切の存在・根源の仏の根拠として、寿量品の久遠実成と同義と主張したのであろう。
大日経義釈(既述)の文には「本抄所引の徳を歎(たん)ず」と云う下に
「此の法、信じ難きを以ての故に、将(まさ)に法華を説かんとするとき、また自ら歎ずるが如し」
とあって、法華経と大日経とを同轍(どうてつ)に見做(な)して、「本初」即、是「寿量品の久遠実成の義」であるとしてる。
このように大日経を法華経の寿量品と混同して強いて理同の釈を作ることは、「頭隠して尻隠さず」の如き稚拙さである。)
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日亨上人 註解

○ 法身本有(ほんぬ)とは大日如来のである、
法身本有の寿量は諸仏通同、又、生仏一如である、大日経のみに限らうや、
法華経の如きは一般の法身の顕本で無くて、特に応身如来の実成顕本であるから諸経に分絶(ぶんた)へて無き法華の諸経中王の規模である。

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34

証真の云わく「秘密経に我一切本初と云うは本有の理に帰す、故に本初と云う」云々。
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(※ 日本天台宗の学僧・証真も法華玄義私記で「大日経に「我一切本初」と説いてあるのは、法身の本有常住の意義である。故に「本初」と言ったのである」と述べている。

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妙楽大師の弘の六の末六に云わく「遍く法華已前の諸経を尋ぬるに、実に二乗作仏の文及び如来久遠の寿を明かすこと無し」等云々。
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(※ 妙楽大師 弘決に「法華経以前の全ての経典を広く検索してみたが、「二乗作仏」と「久遠実成」の義を説かれてる箇所はどこにも無い。」

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妙楽大師は唐の末、天宝年中の人なり、故に真言教を普く之れを昭覧す。
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(※ 妙楽大師(711年(景雲2年) - 782年(建中3年))は天宝年中(742〜755)に活躍された方。中国真言宗の開祖・善無畏三蔵(637〜735)より後の人である。であるから、真言三部経、大日経・金剛頂経・蘇悉地経などを広く調べている。(← 真言三部経の中にも「二乗作仏」「久遠実成」の法義はない、ということ))

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故に知んぬ、真言教の中に記小久成、一向に之れ無し、如何ぞ一念三千を明かすと云うや。
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(※ であるから理解し納得しなさい。真言三部経の中には、記小久成(二乗作仏と久遠実成)は全く説かれていない。であるから、一念三千の法門など説かれてもおらず明かされてもいないのである。)

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日亨上人 註解

○ 「妙楽大師」等とは、真言教は唐玄宗の時、始めて支那に渡り、粛宗(しゅくそう)・代宗の時まで盛んに行われた、其の善無畏、金剛等の渡来が妙楽大師と同時代である。

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35

而も彼の宗の元祖は法華経の宝珠を盗み取って己が家財と為すが故に閻王の責めを蒙るなり。
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(※ 真言宗の元祖・善無畏三蔵(637年、中部インドの貴族家庭に生まれる。幼年より神童と称され、摩伽陀国の国王となる。兄たちの反乱を平定した後、出家。西暦716年に80歳で、唐の都「長安」に入り、国師として迎えられた。)は、天台の法華経の一念三千・諸法実相の妙義を盗んで真言密経を飾り立て、一行禅師をして大日経の義釈を作らせて、法華経と真言経とを同等にした罪悪のためで閻魔法王の責めにあった。
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参照

0505
■    善無畏抄   文永八年  五〇歳
 善無畏(ぜんむい)三蔵は月氏烏萇奈(うちょうな)国の仏種王の太子なり。七歳にして位に即(つ)き、十三にして国を兄(このかみ)に讓り出家遁世(とんせい)し、五天竺を修行して五乗の道を極め三学を兼ね給ひき。達磨掬多(だるまきくた)と申す聖人に値ひ奉りて真言の諸印契(いんげい)一時に頓受(とんじゅ)し、即日に御潅頂(かんじょう)なし人天の師と定まり給ひき。ゥ足(けいそくざん)山に入りては迦葉(かしょう)尊者の髪をそ(剃)り王城に於て雨を祈り給ひしかば、観音日輪の中より出でて水瓶(すいびょう)を以て水を灌(そそ)ぎ、北天竺(てんじく)の金粟(こんぞく)王の塔の下にして仏法を祈請(きしょう)せしかば、文殊師利(もんじゅしり)菩薩、大日経の胎蔵(たいぞう)の曼荼羅を(まんだら)を現はして授け給ふ。其の後開元四年丙辰(ひのえたつ)に漢土に渡る。玄宗皇帝之を尊むこと日月(にちがつ)の如し。又大旱魃(かんばつ)あり。皇帝勅宣(ちょくせん)を下す。三蔵、一鉢に水を入れ暫く加持し給ひしに、水の中に指許(ゆびばか)りの物有り変じて竜と成る。其の色赤色なり。白気立ち昇り、鉢より竜出でて虚空(こくう)に昇り忽(たちま)ちに雨を降(ふ)らす。此くの如くいみじき人なれども、一時(あるとき)に頓死(とんし)して有りき。蘇生(よみがえ)りて語りて云はく、我死につる時獄卒(ごくそつ)来たりて鉄の縄七筋(すじ)付け、鉄杖を以て散々にさいなみ、閻魔(えんま)宮に到りにき。八万聖教一字一句も覚えず、唯法華経の題名許(ばか)り忘れず。題名を思ひしに鉄の縄少しき許(ゆ)りぬ。息続(いきつ)いで高声(こうしょう)に唱へて云はく「今此三界皆是我有(こんしさんがいかいぜがう)、其中衆生悉是吾子(ごちゅうしゅじょうしつぜごし)、而今此処多諸患難(にこんししょたしょげんなん)、唯我一人能為救護(ゆいがいちにんのういくご)」等云云。七つの鉄の縄切れ砕け十方に散ず。閻魔(えんま)冠を傾けて南庭に下り向かひ給ひき。今度は命尽きずとて帰されたるなりと語り給ひき。
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■「今此三界皆是我有(こんしさんがいかいぜがう)、其中衆生悉是吾子(ごちゅうしゅじょうしつぜごし)、而今此処多諸患難(にこんししょたしょげんなん)、唯我一人能為救護(ゆいがいちにんのういくご)」
とは法華経譬喩品第三の文 仏の主師親三徳を明かしたところ。
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■されば善無畏三蔵は閻魔(えんま)王にせめられて、鉄の縄七脈(すじ)つけられて、から(辛)くして蘇(よみがえ)りたれども、又死する時は黒皮隠々として骨其れ露(あらわ)ると申して無間(むけん)地獄の前相其の死骨に顕はし給ひぬ。人死して後(のち)色の黒きは地獄に堕つとは一代聖教に定むる所なり。(神国王御書 弘安元年 五七歳 1303)
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■一切は現証には如(し)かず。善無畏・一行が横難横死、弘法・慈覚が死去の有り様、実に正法の行者是くの如くに有るべく候や。(教行証御書 建治三年三月二一日 五六歳 1106)
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ここから読み取れるのは、大聖人様御在世当時、弘法や慈覚の死去の有様が良くなかったことが一般に知れ渡っていた。ということである。
「弘法は癩病をこじらせて悶死した。」という伝承を、今は真言宗では糊塗しているが、史実はこの御文のごとくであったのだろう。

また慈覚は
■「慈覚大師の御はか(墓)はいづれのところに有りと申すべき事き(聞)こへず候。世間に云ふ、御頭は出羽国立石寺(りっしゃくじ)に有り云云。いかにも此の事は頭と身とは別の所に有るか」(同 1455ページ)と述べられている。

これを裏付けるように、山形県の立石寺(山寺)の「入定窟(にゅうじょうくつ)」と称する岩窟には、古くから慈覚の遺骸(いがい)を安置すると伝えられてきたが、近年の学術調査の結果、岩窟内に5人の人骨が発見され、なんと、その中の一体には頭部がなく、代わりに頭部木造(平安初期)が置かれていた。
つまり、何者かの手によって胴体部分の遺骨が安置され、欠けていた頭蓋骨は木造で補っていたのだ。
まさに大聖人が、
■「法華経の頭(こうべ)を切りて真言教の頂(いただき)とせり。此即ち鶴の頸(くび)を切って蝦(かえる)の頸に付けゝるか。真言の蟆(かわず)も死しぬ、法華経の鶴の御頸も切れぬと見へ候」 (同)
と仰せのように、慈覚は諸経の頂である法華経を切った仏罰により、頭部と胴体が切り離されるという、死後、見るに堪えない恥辱(ちじょく)を受けた。と言えよう。
これぞ堕地獄の現証と言わずして何であろう。

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日亨上人 註解

○ 「彼の宗の元祖」等とは、善無畏三蔵は天台の法華経の一念三千・諸法実相の妙義を盗んで真言密経を飾り立て、一行禅師をして大日経の義釈を作らせて法華経と真言経とを同等にした罪悪の為で閻魔(えんま)法王の責めにあふたのである。

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36

 宗祖の云わく「一代経の中には此の経計り一念三千の珠を懐けり、余経の理は珠に似たる黄石なり。沙を絞るに油無し、石女に子の無きが如し。諸経は智者尚仏に成らず、此の経は愚人も仏因を種うべし」等云々。
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(※ 原典 開目抄
■「一代経々の中には此の経計り一念三千の玉をいだけり。余経の理は玉ににたる黄石(おうしゃく)なり。沙(いさご)をしぼるに油なし。石女(うまずめ)に子のなきがごとし。諸経は智者猶(なお)仏にならず。此の経は愚人も仏因を種(う)ゆべし。
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通解 釈尊一代の諸経の中では、法華経のみに一切衆生の成仏が叶う妙なる玉である一念三千の法門がある。
他の経に説かれる法門はその妙なる玉に似ている黄石(黄色の宝石を含んでいることがある石。)である。砂を絞っても油はでない。子供を産むことが出来ない女性に子供がないようなものである。法華経以外の諸経ではたとえ智者でも成仏できない。法華経では物事の道理に暝(くら)い愚かな人間でも仏に成る種を植えることができるのである。

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日亨上人 註解

○ 「宗祖云わく」等とは、観心本尊抄の御文である。(編者注;正しくは開目抄)

○ 「石女」とは、子を産む事能(あた)はざる婦人である。

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37

 第六に本迹相対して一念三千を明かすことを示すとは

 諸抄の中に二文あり。一には迹本倶に一念三千と名づく。二には迹を百界千如と名づけ、本を一念三千と名づく。
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(※ 大聖人の諸御書の中に、一念三千の捉え方で二通りの御指南が存在する。
一方は、迹門、本門、両方「一念三千」とされておられる。
これは、迹門は「理の一念三千」、本門は「事の一念三千」として、双方「一念三千」とされる見方である。

もう一方は、迹門では未だ始成正覚の立場であるから「百界千如」までとされ、本門に至って発迹顕本して初めて本因妙・本果妙・本国土妙が三妙合論されて「一念三千」となるという見方である。
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 初文を言わば次下に云わく「然りと雖も未だ発迹顕本せざれば、真の一念三千も顕われず、二乗作仏も定まらず。猶水中の月を見るが如し。根無し草の波の上に浮かべるに似たり」云々。
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(※ 迹門・本門 共に「一念三千」と呼ばれる例を示すと
この書の主題である、
■「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈め給へり、竜樹・天親は知って而も未だ弘めたまはず、但我が天台智者のみ此れを懐けり」(526)
の後に
■「しかりといえどもいまだ発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)せざれば、まこと(実)の一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波の上に浮かべるにに(似)たり。(536)
とある。
文の意は、迹門では始成正覚の立場であって、根本の成仏の因(本因妙)仏果(本果妙)そして、その根本の、成仏をした確たる国土(本国土妙)が明かされていない。
が故に、一切衆生が成仏できるという真の一念三千の法理とはならず、二乗の成仏も実は確定していない。まさに、水の中の月を見るがごとく、光って見えてはいるが一念三千のその実体はないのである。また、根無し草が波間に漂っているようなもので、二乗作仏が定まらないのである。

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日亨上人 註解

○ 「諸抄中」とは、宗祖のである。初文は次下に引く開目抄で、次の文は本第六門の終わりに引く本尊抄の文である。

○ 「発迹顕本」とは、久遠五百塵点劫以来、世々番々に出世成道する仮装の垂迹仏(すいじゃくぶつ)たる今日(こんにち)出現の釈迦の当体が、即、久遠の本地本仏なりと顕はすのを云ふのである。

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38

文に法譬(ほっぴ)有り。法の中の「一念三千」は是れ所詮なり、「二乗作仏」は是れ能詮なり。
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(※ この開目抄の御文に法理と譬喩の縦分けがある。
法理の中で、「一念三千」は、「二乗作仏」が説かれて初めて明らかになる原理(所詮)である。
「二乗作仏」は、一念三千の教理を完成させ成立させた原理(能詮)となる。)

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譬えの中に「水中の月」は真の一念三千顕われざるに譬え、「根無し草」は二乗作仏定まらざるに譬うるなり、
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(※ 譬喩の中では、
■「水中の月を見るがごとし」とは「一念三千」が実体として顕現しないことを譬えている。
■「根なし草の波の上に浮かべるにに(似)たり。」とは二乗作仏が決成しないことを譬えているのである。
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法譬の四文並びに本無今有および有名無実の二失を挙げて以て之れを判ずるなり。
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(※ この法理の中の、
一念三千が所詮である文
■「まこと(実)の一念三千もあらわれず」

二乗作仏が能詮である文
■「二乗作仏も定まらず」
の二文と、

譬喩の
■「水中の月を見るがごとし」

■「根なし草の波の上に浮かべるにに(似)たり。」
の二文と合わせて四文。

それに加えて

迹門では、「本無今有」(「本無くして今有りぬ」。久遠の本地をあらわさないで、教の垂迹のみを示すこと。爾前教および法華経迹門がこれにあたる。)という不備がある。

[例示]
@ 迹門の一念三千は久遠実成(←本)を明かさず(←無)始成正覚(←今)として今の成仏を示すのみ(←有)。

A また迹門の二乗作仏も久遠下種(←本)を知らずに(←無)成仏の記別(←今)のみを与えられた(←有)。という「本無今有」

それと

「有名無実」(「名のみ有って実なし」。一念三千・二乗作仏の名のみは有るが、実際は久遠の本地が明かされていないから衆生の成仏は不可能な状況である。)

これら、上記の四文と本無今有・有名無実であることを示して、本迹相対して、迹門には真実即身成仏の実体はなく、本門に限ることを示すのである。)

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日亨上人 註解

○ 「法譬」等とは、下の文に長く書かれたる見るべし。

○ 「所詮」○ 「能詮」とは、前の第五門の下に註してある。

○ 「法譬(ほっぴ)四文」とは、次上の文の中の一念三千と二乗作仏の法と水中の月と根無し草との四文である。

○ 「本無今有」とは、本無とは久遠本地の本拠を有せざること、今有とは本地の本拠無くして但(ただ)今日の垂迹のみあること。


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39

 問う、迹門の一念三千何ぞ本無今有ならんや。
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(※ 迹門の一念三千はどうして「本が無くして今だけが有る」というのであろうか。
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 答う、既に未だ発迹せざる故に今有なり、亦未だ顕本せず、豈本無に非ずや。
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(※ 迹門ではいまだ久遠実成を明かしていない、つまり始成正覚の迹をはらっていないので、ただ垂迹した釈尊の今の成仏の姿があるだけである。
また、久遠の本地を顕していないので、根本の成仏の因は無きに等しいままである。
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仏界既に爾なり、九界も亦然なり。
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(※ 仏界である釈尊が始成正覚で、仏の本地が顕れていないのであるから、当然九界も同様で、成仏の根本の因が顕れていないのである。
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故に十法界抄に云わく「迹門には但是れ始覚の十界互具を説いて未だ本覚本有の十界互具を顕わさず。故に所化の大衆・能化の円仏も皆悉く始覚なり、若し爾らば本無今有の失、何ぞ脱るることを得んや」等云々。
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(※ 十法界抄・原典
■「迹門には但(ただ)是始覚の十界互具を説きて未だ必ずしも本覚本有(ほんぬ)の十界互具を明さず。故に所化の大衆・能化の円仏皆是悉く始覚なり。若し爾らば本無今有(ほんむこんぬ)の失(とが)何ぞ免るゝことを得んや。」

迹門にはただ始成正覚の十界互具、理の一念三千が説いてあるだけで、未だ成仏の根本因である久遠実成の本有の本地本仏の十界互具が明かされていない。
故に、化導されるべき九界の衆生も、また化導する円仏・釈尊も、皆全て始成正覚である。
であるから、根本の成仏の因が明かされておらず、垂迹した釈尊と理論上の成仏の法理だけが存在しているだけで、実際に事実の上で成仏を遂げられないという失は免れないのである。

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日亨上人 註解

○ 「始覚」とは、円教の菩薩は行を起してより五十一位を進み、元品の無明を断尽して始めて覚行円満の妙覚の仏と成るを云ふ。

○ 「本覚」とは、始成正覚の仏にあらず、無始本有の本地、本仏、其儘(そのまま)を云ふ、此(ここ)に久遠元初の名字即仏を立つるは、当流別頭の妙義である。
法身虚通(こつう)の通義に濫(みだ)され又は凡夫素朴の膚評(ふひょう)に惑(まど)はさるゝ勿(なか)らんを祈る。

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40

 問う、迹門の一念三千も亦何ぞ有名無実と云うや。
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(※ 迹門の一念三千はどうして名のみ有って実体が無いというのであろうか。

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 答う、既に「真の一念三千顕われず」と云う、豈有名無実と云うに非ずや。
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(※ 開目抄に■「まこと(実)の一念三千もあらわれず」(原典)とあるとおりである。
まさに「有名無実」ということではないか。

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故に十章抄に云わく「一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る。爾前は迹門の依義判文、迹門は本門の依義判文なり」等云々。
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(※ さらに十章抄に「一念三千の出処(でどころ)は、声聞・縁覚・菩薩の三乗をほぼ開いて一仏乗を顕した十如実相であるけれども、それはただ理の上のことであって、その本義は本門寿量品にしかない。
爾前・権教の文は迹門の義に依って判釈した場合、一念三千の依文として用いることができる。
同様に迹門の文は本門の義に依って判釈した場合、真の一念三千の依文として用いることができるのである。」とあるが如くである。
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迹門は但文のみ有って其の義無し、豈有名無実に非ずや。
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(※ 迹門にはただ文のみがあるだけで、その真の義はないのである。
まさに「名のみ有って実義無し」ではないか。
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妙楽の云わく「外小権迹を内大実本に望むるに即ち是れ有名無実なり」云々。
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(※ 妙楽大師が仰せである。
「外道・小乗・権教・迹門 を それぞれ 内道・大乗・実教・本門 に相対すれば、前者は全て名のみあって実義がないのである。」と。

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日亨上人 註解

○ 「略開三」とは、方便品の「爾時世尊」より「無上両足尊」の偈文(げもん)に至るまでであるが、十如の文は最初の爾時世尊の終わりにある。

○ 「義分」とは、一念三千の義理分斉(ぶんざい)で根幹と云ふべき処である。

○ 「依義判文」とは、或る義を依拠(えきょ)とし標準として次第に他の文を判断する事である、例せば法華迹門の諸法実相の円妙の義に依って爾前の諸経が判釈せられ、華厳部の御経が一麁一妙、般若部が二麁一妙、方等部が三麁一妙、阿含部が但麁(たんそ)無妙と云はるゝやうに、法華本門無始本有の一念三千の義に依って迹門は有名無実の一念三千と貶斥(ひんせき)せらる、但(ただ)し此れは半面理を顕はす。委(くわ)しくは本抄第三の依義判文抄を見られよ。

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41

 次に「二乗作仏も定まらず」とは亦二失有り。
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(※開目抄の御文「迹門では二乗に記別を与えたけれでも実はその成仏は定まっていない」との文意に「本無今有」と「有名無実」の二つの失を含んでいるのである。)
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 問う、迹門の二乗作仏何ぞ是れ本無今有ならんや。
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(※ (二つの失のうちまず「本無今有」を論ずる。)
迹門の二乗作仏とは、何で今は成仏があるようで実はその根本が無い、と言うのか。)
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 答う、種子を覚知するを作仏と名づくるなり。
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(※ 成仏の直因である久遠下種を覚知することを成仏と言うのである。)
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而るに未だ根源の種子を覚知せざるが故に爾(しか)云うなり。
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(※ 迹門ではまだ始成正覚のままであり、久遠実成が明かされいないが故に、二乗は根源の下種を覚知できないがためにこのように「本無今有」と言うのである。)

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本尊抄八二十に云わく「久遠を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟と為して、本門に至って等妙に登らしむるを脱と為す」等云々。
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(※ 観心本尊抄(原典)
■ 「久種(くしゅ)を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟(じゅく)と為して、本門に至って等妙(とうみょう)に登らしむ。」
通解「久遠五百塵点の下種が根源の下種であり、中間三千塵点の大通智勝仏の化導、法華以前の前四味(@乳味A酪味B生蘇味C熟蘇味)・迹門 に至る、この間、熟して、法華経本門に至って、等覚・妙覚へと至らしめたのである。」とある。

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而るに迹門に於ては未だ久遠下種を明かさず、豈本無に非ずや。而も二乗作仏と云う、寧ろ今有に非ずや。
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(※ 成仏とは観心本尊抄に説かれるこういう次第であるのだから、迹門では未だ始成正覚の立場であり、久遠実成を明かしておらず、久遠の下種を示していない。これまさに「本無」つまり根本の下種が無いではないか。
それでいて、二乗作仏を示している。これ、「今有」つまり今は成仏がある。という理法のみで実体のない架空の成仏ではないか。

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日亨上人 註解

○ 「根源の種子」とは成仏の根源種子である。本迹相対するときは迹門は種子にならず、種脱相対すれば脱は種にならぬのである。

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42

 問う、本尊抄の文は且く久遠下種の一類に約す、何ぞ必ずしも二乗の人ならんや。
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(※ この観心本尊抄の■「久種(くしゅ)を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟(じゅく)と為して、本門に至って等妙(とうみょう)に登らしむ。」
との文は、久遠下種の衆生に対しての御指南である。釈尊在世の二乗は、過去三千塵点の大通智勝仏の時に下種された衆生であるが故に、この引文は不適当ではないか。

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 答う、天台大師の三種の教相の中の第二化導の始終の時は、三周得道は皆是れ大通下種の人なり。若し第三師弟の遠近顕われ已われば咸く久遠下種の人と成るなり。
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(※ これに答えるに、天台大師が立てられた三種の教相(第一の根性の融・不融 第二の化導の始終・不始終 第三の師弟の遠近・不遠近)のうち迹門の第二の化導の始終・不始終で論ずる場合は、そこで得道した法説周・譬喩周・因縁説周の三周の声聞(二乗)は、三千塵点の大通下種に依って下種されたことになる。
しかし、本門寿量品での第三の師弟の遠近・不遠近が説かれた後は、釈尊の久遠実成が明かされたのであるから、三周の下種は久遠となるのである。

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日亨上人 註解

○ 「久遠下種の一類」とは、問者の意は久遠下種の機類の範囲を狭少に見て、今日の二乗は全く大通下種と仮定したる上の問いのやうである。

○ 「三周の得道」とは、法説周に依りて舎利弗得道し、譬説周に依って迦葉、迦旃延等四大声聞得道し、因縁説周に依って布楼那、?陳如等の五百弟子等得道するを云ふのである。

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43

且く二乗の人の如きは大通覆講の時に発心・未発心の二類有り。
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(※ 二乗は実は久遠に下種を受けていたが、その後、大通智勝仏の時、第十六番王子である釈尊から法華経の説法を聞いた。この時に、発心できた者と、発心できなかった者との二種類に分かれた。

※大通下種・大通覆講 大通智勝仏は王子の十六沙弥の請いに依って二万劫を過ぎて始めて妙法華経を説かれたが、十六沙弥及び少分の声聞は信受して法益を得たが、多分の衆生は疑いを起して信じなかった、それで後に第十六番王子の沙弥(釈尊)が父王の仏の説を繰り返して法華経を説かれた、それを聞いてようやく信解することを得た。これらを大通下種等という。)
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若し久遠下種を忘失せざるは法華を説くを聞いて即ち発心するなり、若し其れ久遠下種を忘失するは妙法を聞くと雖も未だ発心せざるなり。
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(※ 久遠の下種を忘れなかった者は第十六番王子(釈尊)の法華経の説法を聞いて発心した。
そして久遠の下種を忘れ去った者は妙法を聞いても発心できなかった。)

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日亨上人 註解

○ 「大通下種」 ○「大通覆講(ふっこう)」とは、大通智勝仏は王子の十六沙弥の請(こ)いに依って二万劫を過ぎて始めて妙法華経を説かれたが、十六沙弥及び少分の声聞は信受して法益を得たけれども、多分の衆生は疑いを起して信じなかった、其(そ)れで後に十六王子の沙弥が父王の仏の説をクリカエシ(覆)て法華経を説かれた、それを聞いて漸(ようや)く信解することを得た。これらを大通下種等と云ふのである。

○ 「発心」とは、底下(ていげ)薄地(はくじ)の凡夫が発する名字の発心より観行および相似等の上位の発心に至るまでを云ふ。

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44

故に玄の六五十四に云わく「不失心の者は薬を与うるに即ち服して父子を結ぶことを得、其の失心せる者は良薬を与うと雖も而も肯えて服せず」等云々。
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(※ であるから天台大師の法華玄義には「久遠の下種を忘れなかった者は、大通下種を受けて久遠の仏との父子(師弟)の契りを結ぶことを得たが、久遠下種を忘れ去った者は大通下種という良薬を与えてもそれを服そうとはしなかった。(師弟の関係を結ぼうとはしなかった)」と説かれている。

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籤の六六十三に云わく「本の所受を忘るるが故に失心と曰う」等云々。
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(※ また妙楽大師の法華玄義釈籤には「久遠下種を忘れることを本心を失う、と言うのである」と説かれている。
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彼の発心の中にも亦二類有り。謂わく、第一に不退、第二に退大なり。彼の未発心の人は即ち是れ第三類なり。而るに今日得道の二乗は、多分は第二退大にして、少分は第三類なり。豈久遠下種の人に非ずや。古来の学者斯の旨に達せず云々。
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(※ この大通下種の時に発心した者にもまた二種類が存在する。
第一類は退転せず、その後、信心に励む者、
第二類は、一度は発心したが、大乗の修行から退転した者。
そして全く発心しなかった者は第三類に属する。
釈尊在世の時に得道した二乗は、大部分は第二類の大乗から退転した者で、残りの少数は第三類の者である。(この第三類は、釈尊在世中にも成仏せず、正法・像法時代に出現して得脱する。)
これら第一・第二・第三は、久遠に下種されていたからこそ、その後、調熟(じょうじゅく)して得脱したのであって、どうして久遠下種の者でないと言えようか。
昔から仏法研究者は、この義趣が理解できていないのである。

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日亨上人 註解

〇 「彼の発心」○ 「二類」とは、次上の大通下種の時の発心である、二類は化城喩品の文に在る。

○ 「不退」とは、十六王子に依って下種せられた後に菩薩の行を退せずに終に無上菩提を得た菩薩たちである。

○ 「退大」とは、御経文には見えないけれども義に於いては必ず有るべし。宝記にも此の説が有る位で本師亦義立して第三類と為されたのである。

○ 「今日」とは、釈迦仏の在世で教相の上の通用語である。

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45

 問う、所引の玄・籤の文は即ち是れ迹門第九眷属妙の中の文なり、迹妙の中に於て何ぞ本門の事を明かすべけんや。
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(※ 引文した法華玄義・法華玄義釈籤の文は、天台大師が迹門の十妙(※境・智・行・位・三法・感応・神通・説法・眷属・利益)を説かれたなかの、迹門の第九眷属妙を明かした文である。迹門の十妙を説いた文の中に、どうして本門のことが説かれているというのか。
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 答う、此れは是れ取意の釈なり、大師言えること有り「未だ是れ本門ならずと雖も意を取って説けるのみ」云々。若し爾らずんば何ぞ迹妙の第一境妙の中に、二諦の意を明かすに尚本行菩薩道の時を取って以て之れを釈するや。
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(※ この文の引用は、迹門のところの釈であっても、本門寿量品の意を取っての解釈である。
天台大師が別の箇所でこう仰せである。
「未だ本門ではないとしてもその意を取って説くのである。」
その一例として挙げる。
同じ法華玄義に迹門の十妙の第一の「境妙」を説かれる箇所に、真俗二諦を説くのに、本門寿量品の「我本行菩薩道時」(我、本、菩薩道を行じた時)の文意を以て解釈している。
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(※真俗二諦 「真諦」と「俗諦」のこと。「真諦」とは世間を超えた実在における悟りの法理。「俗諦」とは世間の迷いの中にあって、常に変らない法則。仏教中の方便の経々においては、世間の迷いと出世間の悟りの二つを区別し、迷中の世間から切り離れた処に悟りがあり、それによって迷いの世間を導くものと説く。しかしこれはまだ本当の教えではない。仏の最高無上の真諦はそのまま世間の相たる俗諦であり、無限の可能性、価値性が遍満する、三大秘法の南無妙法蓮華経を根本とした「世間」である。)
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その意義はどういうことかというと、
「釈尊が説法が鹿野苑で説いた阿含部の教えから般若部の教えまで、全て法華経の方便なのか?」との問いに対して、それに答えるに
「三十歳で成道し、寂滅道場で説いた華厳部以来全て法華経の方便である、それだけではなく、三千塵点の大通智勝仏以来の全ての教えが法華経の方便である。
さらには久遠実成の久遠第一番成道以来全て法華経の方便である。」
そして最後には「久遠実成以前の、釈尊が仏に成る前、本、菩薩の道を行じていた時より、衆生のために法華経の方便として種々の真俗二諦を説いていたのである。」と説いている。
これはまさに本門寿量の文意を取って迹門の境妙を釈せられた天台の明文である。

このように、天台大師が迹門の第一境妙を説く箇所で本門寿量品の意を取って解釈しているのであるから、同様に第九眷属妙の中の釈の文を、本門下種のことを明かす文として引用することに何の不都合があるであろうか。)

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日亨上人 註解

○ 「迹妙第一」 〇 「二諦の意」等とは、玄義三の文で迹門の十妙を明かす中に、二諦を説くこと重々にて七種の二諦を五味に約して開麁(かいそ)顕妙せらるゝ時、「始め鹿苑(ろくおん)より般若に至るまで、皆是法華の方便なりや」の問いに対して、答えて曰く「寂滅已来全く法華の方便である、之に加えて大通以来法華の方便である、又久遠本仏成道以来法華の方便である」と次第に層上して、最後に「本行菩薩道の時より衆生の為に法華の方便として種々の真俗二諦を説かれたのぢゃ」と答へてある、是は即ち本門寿量の文意を取って迹門の境妙を釈せられた天台の明文であるから、今茲(ここ)に迹門眷属妙の中に於いて本門下種の事を論じたって何の差支えが有らうかと云ふ寛師の御意である。

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46

 問う、迹門の二乗作仏を何ぞ有名無実と云うや。
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(※ 迹門の二乗作仏の二失「本無今有」と「有名無実」の、そのもう一つ「有名無実」について。
迹門ではどうして、二乗が「成仏」という名のみあってその実体がない。というのか。

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 答う、其の三惑を断ずるを名づけて成仏と為す、而るに迹門には二乗未だ見思を断ぜず、況んや無明を断ぜんや。
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(※ 三惑(界内・見思惑・界外化導障・塵沙惑・中道障・無明惑)を断破してはじめて成仏したと言える。
しかし、迹門では二乗は見思惑を断尽していない。
ましていわんや無明惑など到底断破していないのである。
(が故に二乗は成仏の名のみあって実体はないのである。)
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文の九三十二に云わく「今生に始めて無生忍を得、及び未だ得ざる者咸(ことごと)く此の謂(おも)い有り」等云々。既に近成を愛楽す、即ち是れ思惑なり。未だ本因本果を知らず、即ち是れ邪見なり、豈見惑に非ずや。
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(※ 天台大師の法華文句にこのように説かれている。
「釈尊在世の世に生まれて始めて無生忍(※大乗菩薩の地位たる四忍の中の一。初地不退(別教)・初住不退(円教)の位。あるいは第七・八・九地の位に入った菩薩。事物は本来、生ずることも滅することもないという真理を悟り、そこに安住して心を動かさない位。)を得た者、またその境地を得られない者、その全てが、釈尊は始成正覚の仏だと信じている。」
これは釈尊がこの世で三十にして成道した始成正覚の仏であることに執着している姿であり、これまさに思惑ではないか。
それはまた、釈尊が久遠の遥か昔に妙法によって修行して第一番成道した久遠実成の仏であるという本因本果を知らない、ということであり、これ邪見であり、見惑ではないか。
(が故に二乗は成仏の名のみあって実体はないのである。)

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日亨上人 註解

○ 「無生忍」とは、大乗菩薩の地位たる四忍の中の一である。

○ 「悉く此の謂い」とは、執近(しゅうごん)の謂ひで釈迦仏を飽(あ)くまで伽耶始成の仏と思ひ詰めてをる。

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47

十法界抄に云わく「迹門の二乗は未だ見思を断ぜず、迹門の菩薩は未だ無明を断ぜず、六道の凡夫は本有の六界に住せざれば、有名無実の故に涌出品に至って爾前迹門の断無明の菩薩を、五十小劫半日の如しと謂えりと説く」等云々。既に二失有るが故に「定まらず」と云うなり。
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(※ 十法界事 原典■「迹門の二乗は未だ見思を断ぜず、迹門の菩薩は未だ無明(むみょう)を断ぜず、六道の凡夫は本有の六界に住せざれば有名無実(うみょうむじつ)なり。故に涌出品(ゆじゅっぽん)に至って爾前迹門の断無明の菩薩を「五十小劫(しょうこう)半日の如しと謂(おも)へり」と説く。」
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迹門の二乗は未だ見惑・思惑を断じていない。また迹門の菩薩も未だ無明惑を断じていない。また六道も本有の六道※
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(※本有の六道=戒壇の大御本尊への信行に精進し即身成仏の果報を得た、本地にして常楽我浄の六道の境界。戒壇の大御本尊への信行のない者、または至らない者は、悪業の為に輪廻して生まれ、流転しているままの六道であるから、本有の六界ではない。)
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の境界に住していないので、本来の常楽我浄の六道ではない。

故に、従地涌出品第十五の時に、釈尊が大地より地涌の菩薩を召し出した時、その儀式に連なった爾前迹門の無明を断じていない菩薩達は、五十小劫という長遠の時間をわずか半日の出来事のように思ってしまったのである。
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(※ 「五十小劫を半日等」とは、通常の解釈では、釈尊の神力不思議に約して説いているが、今文の場合、日蓮大聖人は機に約して、菩薩が無明を断じていないからであるとされている。これは菩薩の機と、それに応じての釈尊の神力とがそれぞれ相互に説明を補完している関係と理解すべきであろう。

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日亨上人 註解

○ 「本有六界」とは、本地常楽の六道である。普通の凡夫は悪業の為に輪廻して生まれた六道であるから、本の儘(まま)の六界で無い。

○ 「五十小劫」等とは、釈には応(まさ)に約して唯神力不思議と云ってあるが、今本師は機に約して断惑の所以(ゆえん)とせらる。機応の互顕で差支(さしつか)えは無からう。

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48

 「猶水中の月を見るが如し」とは是れ真の月に非ず。故に知んぬ、真の一念三千顕われざるに譬うるなり。
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(※ 開目抄■「いまだ発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)せざれば、まこと(実)の一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波の上に浮かべるにに(似)たり。」(536)

この■「水中の月を見るがごとし」とは、まさに水面に映る月影は月そのものではない。であるからこの譬えは迹門の一念三千は理の上だけのことであって、真実の一念三千が顕現したものではないのである。
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而して法体の二失を顕わすなり。一には本無今有の失を顕わす。
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(※ しかも、この■「水中の月を見るがごとし」との文によって、法体におけるところの二つの失を顕しているのである。
まず一つ目は、今の成仏ということだけが説かれていて、その根源の因が顕されていない。ということを顕している。
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玄の七に云わく「天月を識らずして但池月を観ず」云々。天月を識らざるは豈本無に非ずや、但池月を観ずとは寧ろ今有に非ずや。
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(※ 天台大師の法華玄義に「天月を識らずして但池月を観ず」とあるが、この「天月を識らないで」という箇所はまさに「成仏の本因が示されていない」、ということではないか。
また、「但池の水面の月影だけを観ている」とは、「法華経迹門で示された成仏」ということだけを指しているではないか。)

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日亨上人 註解

○ 「玄七に云わく」とは、略引であるから解りにくい。今具(つぶ)さに文を引かう。
「若し迹因を執して本因となさば、斯(こ)れ迹を知らず又本を知らず、天月を識しらずして但(ただ)池月を観みる」と、
又「迹の果を執して本の果となさば、斯(こ)れ迹を知らず亦本を識らず、本より迹を垂(た)るゝこと月の水に現ずるが如し、払迹(ほつしゃく)顕本(けんぽん)は影を払(はら)ひて天を指すが如しと」、
此の具(つぶ)さな文を熟見せば註解にも及ぶまいと思ふ。

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49

二には有名無実の失を顕わす。慧心僧都の児歌に曰く「手に結ぶ水に宿れる月影の有るか無きかの世にも住むかな」云々。
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(※ 迹門 二乗作仏の二つの失のうちその二番目の成仏の名のみあってその実体は実は存在しない。との点を明らかにする。
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※恵心僧都(源信)えしんそうず(げんしん)生没年 : 942〜1017
平安中期の天台宗の僧。比叡山横川の恵心院に住したことから恵心僧都とも呼ばれている。9歳で比叡山に入山し、良源を師と仰いで、13歳で出家、叡山の僧となる。たいへん多くの著述を残しているが、なかでも44歳の時に著した『往生要集』は、鎌倉浄土教発生の基礎として、当時から広く読まれた。彼以後、浄土思想が盛んになるなど、平安期の浄土信仰・芸術に影響をもたらした。
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※ なぜ浄土宗の基礎となるような僧侶の言を引用されるのか?
学識のある僧侶あるいは一般的な智者・賢者の著作中には、諸法の一面の真理を突いている言もある。そのような言は三大秘法から開いて依用できる場合がある。
だからといってその人物の宗教観を全肯定しているのではない。
大聖人も日寛上人もそのような依用が随所に見られるが、この点を留意しておきたい。
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その恵心の児子歌(ちごうた)に、(原典)「手に掬(むす)ぶ水に映れる月影の有か無かの世に社有りけれ」とある。
この原典では「常なることが無い、無常な世でも、手にすくった水に映る月影に尊い仏神が宿っている。」と言うような意味ではないかと思われるが、この歌が転じて「手に結ぶ水に宿れる月影の有るか無きかの世にも住むかな」となり、
”生死の流転を繰り返し、常住の安楽というものが無い世の中というものは、手にすくい上げた水に映る月影のようなもので、まことに儚いものである。”
と意変して流布して行ったのではなかろうか。(賢者の解釈をお願いしたい。)
その上で日寛上人の本文の意を解す。
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※ 手に掬った水に映った「月影」とは月の実体ではない。月の影である。本体は夜空に存在する「月」そのものである。
迹門で説く一念三千とはこの「月影」であり、その実体である「月」=実際の即身成仏ではない。
本門で説く一念三千こそ、月の本体であり即身成仏が叶う法理なのである。

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日亨上人 註解

○ 「恵心僧都児歌」等とは、開目抄文段には本文の「水中の月を見るがごとし」の下の引いてある。

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50

 「根無し草の波の上に浮かべるに似たり」とは、是れ二乗作仏定まらざるに譬うるなり。
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(※ 開目抄の文
■「しかりといえどもいまだ発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)せざれば、まこと(実)の一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波の上に浮かべるにに(似)たり。(536)

この御文の中の
■「根なし草の波の上に浮かべるにに(似)たり。」とは、二乗作仏が確定していないことを大聖人が例えたものである。

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「根無し草」とは即ち萍(うきぐさ)の事なり。故に小野小町の歌に曰く「侘びぬれば身を萍の根を絶えて誘う水有らば往(い)なんとぞ思う」云々。
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(※ 根無し草とは水に浮かぶ浮き草のこと。
小野小町の和歌に「あまりに寂しいので、我が身を浮き草のように、誘う縁があったならばどこへでも行きたいと思っている」とある。
つまり、迹門の二乗作仏もかくのごとく儚く不定である、ということである。

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日亨上人 註解

○ 「小野小町歌」等とは、同じく本文の「根なし草の波の上に浮うかぶるににたり」の下に引いてある、互い見合せて趣(おもむき)を知るべきである。

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51

又法体の二失を顕わすなり。一には本無今有の失を顕わす。
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(※ また開目抄のこの文■「根なし草の波の上に浮かべるにに(似)たり。」は、法体における二つの失を顕している。
その一つ目は、成仏の根本の因が明かされておらず、釈尊在世の今の成仏のことのみが説かれている。という失である。
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又小町の歌に曰く「蒔か無くに何を種とて萍(うきくさ)の波の畝畝生い「くさかんむり+イ+乃」(シゲ)るらん」云々。上の句は即ち本無、下の句は是れ今有なり、学者之れを思え。
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(※ 例えていえば小野小町の和歌に「種を撒いたわけでもないのに、どうして浮き草というものは、波の間に間に漂いながらも茂っているのであろうか。」というものがある。
この上の句「「種を撒いたわけでもないのに、」というのはまさに成仏の本因が明かされていないことの例え、
下の句「どうして浮き草というものは、波の間に間に漂いながらも茂っているのであろうか。」とは、釈尊在世での二乗作仏のみだけが説かれていることの例えとして依用できる。
仏道修行する者はこの意義をよく味わいなさい。

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日亨上人 註解

○ 「又法体の二失を顕す」とは、上に已(すで)に法体の二失を顕すと云って法体のみで無く譬喩までも述べられてあるから、茲(ここ)に態(わざ)と又の字を置かるゝは追加の意味である、
両所の法体の二字は法譬(ほっぴ)の意に見るがよい。
次下の「法譬の二文符節を合するが如し」の文に適合するのである。

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52

二には有名無実の失を顕わす、
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(※ 二つには、迹門では即身成仏の名目だけは存在するが、その即身成仏の真実の実体は存在しない。という失点を顕す。

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資治通鑑(しじつがん)に曰く「浮とは物の水上に浮かぶが如く実に着かざるなり」云々。既に草有りと雖も実無し、豈有名無実に非ずや。
 法譬の二文符節を合せるが如し云々。
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(※ 資治通鑑(しじつがん)
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(※ 中国北宋の司馬光が、1065年(治平2年)の英宗の詔により編纂した、編年体の歴史書。『温公通鑑』『?水通鑑』ともいう。1084年(元豊7年)の成立。全294巻。もとは『通志』といったが、神宗により『資治通鑑』と改名された。
収録範囲は、紀元前403年(周の威烈王23年)の韓・魏・趙の自立による戦国時代の始まりから、959年(後周世宗の顕徳6年)の北宋建国の前年に至るまでの1362年間としている。
この書は王朝時代には司馬光の名と相まって、高い評価が与えられてきた。また後述のように実際の政治を行う上での参考に供すべき書として作られたこともあり、『貞観政要』などと並んで代表的な帝王学の書とされてきた。また近代以後も、司馬光当時の史料で既に散逸したものが少なくないため、有力な史料と目されている。(一応 Wikipedia から)
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にはこのような表現がある。原典「浮とは物の水上に浮かぶが如し。実に著かざるなり。」
つまり、「浮かぶ」ということは水の上に物が浮かんでいる状態である。確固たる実体にきちんと固着していない状態である。ということ。「浮き草」は存在したとしてもその根本たる実体がない。つまり迹門の二乗作仏とは、法華経迹門において理論上は実現できるとしたとしても、実際は本門で久遠実成が説かれなければ不可能であり、まさに「有名無実」であるということを例えるに実に的確である。

以上の解説の通り、開目抄の文
■「しかりといえどもいまだ発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)せざれば、まこと(実)の一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波の上に浮かべるにに(似)たり。(536)

の中の法理を示した、
■「まこと(実)の一念三千もあらわれず」
とその譬喩である
■「水中の月を見るがごとし」

及び

法理
■「二乗作仏も定まらず」
とその譬喩の
■「根なし草の波の上に浮かべるにに(似)たり。」
の法理と譬喩の二対の文は、まさに割り符を合わせたように矛盾がなく、ぴったりと合い、符合するのである。

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日亨上人 註解

○ 「資治通鑑」とは、宋の司馬温公の編集で支那開闢(かいびゃく)より宋朝の始めに至るまでの正批的歴史である。

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53

 問う、啓蒙の第五二十八に云わく「未発迹の未の字、本迹一致の証拠なり、已に発迹顕本し畢れば迹は即ち是れ本なるが故なり」云々。此の義如何。
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(※ 日講 啓蒙 について 
安国日講は、寛永三年(1626)七月三日、京都に生まれ、十歳のとき、妙覚寺退出の安国日習の室に投じ、出家得度した。
 日講の思想は、一言で言えば、日奥(※不受不施派の派祖)の思想を継承しながらも、更に尖鋭化したものといえる。
 寛永四年(1664)、徳川幕府は、寺社領地は将軍からの敬田供養になることを示し、これに従わない者は寺領朱印を認めない。没収すると命じたのである。しかし、日講は「守正護国論」を奉行所に提出し、これに反発したが、寛文六年六月、日講は日向佐土原に配流された。
 日講が佐土原在住のとき、御書の解釈書として著わしたのが『録内啓蒙』三十六巻である。
(※「啓蒙」は本迹一致の邪義に執心して注釈し講述したもの。)
(大白法・平成7年9月1日刊(第439号)仏教各宗破折(9)より (※)は補足)
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(※ 日講の主張 
開目抄の文 ■「いま(未)だ発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)せざれば、まこと(実)の一念三千もあらわれず、」
と言うのであれば、逆に、発迹顕本すれば、迹も本となり、本迹一致(本門も迹門も詰まるところは同じ義)となるはずである。
つまり、「未だ発迹顕本せざれば」の「未」の字と意味こそ、「発迹顕本」すればむしろ本迹一致となる証拠の文字である。

この疑難について如何か?
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 難じて曰く、若し爾らば未顕真実の未の字は権実一致の証拠ならんや、其の故は已に真実顕われ畢れば権は即ち是れ実なるが故なり。
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(※ 反詰しよう。では、「四十余年未顕真実」の「未」の字は、「権実一致」=権教も実教も詰まるところ同じ義であるとでもいうのか?
日講の主張する原理を当てはめて言えば、実教である法華経が顕れたのだから爾前権教も実教となる。ということになるではないか。

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日亨上人 註解

○「未だ迹を発せず未の字」等とは、此の様な愚論当時盛んであったものと見ゆ、現代でも殲滅(せんめつ)と云ふことには成ってゐまい。

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54

 日講重ねて会して云わく「権実の例難、僻案の至りなり、若し必ずしも一例ならば則ち宗祖何ぞ予が読む所の迹と名づけて但方便品を誦し、予が誦む所の権と名づけて弥陀経を誦せざるや」等云々。
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(※ 日講が重ねて邪難する
今、本迹の問題を論じているところに権実の例を挙げて反論することは間違っている。
もし、本迹も権実も同次元で論じることができると言うのならば、大聖人はなぜ「予が読む所の迹」と名付けて方便品を読誦されていても、「予が読む所の権教」と仰せられて阿弥陀経を読まれないのか。
これは矛盾しているではないか。

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 今大弐莞爾として云わく、此の難太(はなは)だ非なり、何となれば権実本迹倶に法体に約す、故に是れ一例なり。若し其れ読誦は修行に約す、故に時に随って同じからず。日講尚修行を以て法体に混乱す、況んや三時の弘経を知らんをや。応に明文を引いて彼れが邪謬を顕わすべし云々。
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(※ 我(日寛上人)は、笑いながら言う。
この日講の邪難は甚だ的外れである。
どうしてかと言えば、今、本迹や権実について論じている論点は法体についてである。
であるから、同一次元で本迹に相対して権実を例に挙げて論じて良いのである。
日講の引証は読誦についてであって、これは修行に約し解釈すべき論点である。
修行であるが故に、時に依ってその形態が変化する場合があり、普遍の法則を示す法体と混同して論じてはならないのである。
日講は、法体として本迹の問題を論じている箇所において、読誦という修行に約しての観点での見解を持ち出してきており、法体に約しての観点と、修行に約しての観点を、それぞれ混乱・迷惑しているのである。
そのような仏法の初門すら混乱・迷惑するような浅智・迷妄の者がどうして正法・像法・末法の厳格な三時弘教の次第を知ることができるであろうか。

それを証明する文証を引いて日講の邪しまな思い違いを詳らかにする。

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日亨上人 註解

○ 「大弐」 ○ 「莞爾」とは、大弐は本師の別号で総序に書いてをいた、莞爾は少しくホウエム貌(かお)である。

○ 「約法体」○ 「約修行」とは、
法体は理なり、不次第なり、平等なり。権実の理、本迹の理・法体不思議の一の辺・是皆諸仏道同万法一如・??(きつこう)六即・法界何一つ平等ならぬは無いが、
修行は実践的であるから全く此れに反してをる、事であり次第であり、差別である、

又権実にも本迹にも自然に勝劣がある。況いわんや時に正像末あり、機に利鈍あり、法体あり、信行あり、本已有善あり、本未有善もある、
法体と修行とを混淆(こんこう)して一致平等とせんは文盲の極きわみである、
但し現代には此の愚論は減少しても時々何(いず)れにか顔を出す事がある、
但し法体平等と爰(ここ)に仮定したからとて当流別頭の事行の一念三千等の上にまで漫(みだ)りに被(こうむ)らしむのでは無い。

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55

 玄の七三十三に云わく「問う、三世諸仏皆顕本せば最初実成は若為(なんすれ)ぞ本を顕わさん。答う、必ずしも皆本を顕わさず。問う、若し仏に始成・久成有り、発迹・不発迹有らば、亦応に開三顕一・不開三顕一有るべしや」等云々。
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(※ 天台大師の法華玄義にはこう述べている
「問う、三世の諸仏は皆、顕本(=本を顕わす)したというのであれば、最初に成道したときに本を顕したと考えていいのか?

答えていう、必ずしも皆が本を顕わしたとは言えない。

問う、もし仏に始成正覚と久遠実成があり、迹を発(はら)う、あるいは迹を発わず、という二つの立場が説かれるのであれば、また、開三顕一(声聞・縁覚・菩薩の三乗を開いて一仏乗を顕す)と三乗各別のまま一仏乗を顕わしていない立場もあるはずではないか。」

つまり、このように法義的に 始成と久成・発迹と不発迹・顕と不顕 等の次第や相違がある。
時と機などによって差や変化がある事相における修行と、普遍・不変の法理である法体との厳然たる差があるのを、「本」と「迹」との法理の談道に混合して、平等視して良い訳がないではないか。
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日亨上人 註解

○ 「玄七に云わく」とは、三世料簡(りょうけん)の下の文である文に顕本・不顕本あり、始成・久成あり、発迹・不発迹あり、開三顕一・不開三顕一ありと云ふ義を取って、修行に次第あり、教道に差別あるのである、何で事理本迹を混合して修行と法体とを平等視して善(よか)らうかと云ふ意に本師は引用してある。

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56

文の九十七に云わく「法華に遠(おん)を開し竟(お)わって常不軽、那(なん)ぞ更に近(ごん)なるや、若し爾らば会(え)三帰一竟わって亦応に会三帰一せざるべしや」等云々。
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(※ 天台大師の法華文句にはこう仰せである。
「法華経本門の寿量品第十六においてすでに如来の久遠実成が顕れたのであるから、たとえその後の不軽品第二十において不軽菩薩の近成
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(※釈尊の前身である不軽菩薩が威音王如来の像法時代に修行し、命終の後、日月燈明如来、雲自在燈王如来などに値遇し、最後には自身も成仏できた。ということ。如来寿量品第十六で明かされた久遠実成からすれば遥かに後の今日に近い時点において成仏したということで「近成」という。)
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を説かれたからといって、決して久遠実成の法理を否定するものではない。

それと同じように、迹門においても法華経に至って会三帰一(※声聞・縁覚・菩薩の人と、四諦・十二因縁・六度の万法とを開いて法華一仏乗の人と法となす事。)をしたならば、仮に教相上に三乗が説かれていたとしても、既に会三帰一されているとして解釈していくべきなのである。

つまり、日講の主張する本迹一致に対する日寛上人の反論として、一度「本」が顕れても、そこには厳然とけじめ筋目が存するのであり、仮に経文・教相上に紛らわしい箇所があったとしても「本」が「迹」に変化し同一化する道理などは全くないのである。

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日亨上人 註解

○ 「文九」〇 「記九」等とは、寿量品題号の下の文である、已(すで)に寿量品に如来の遠本(おんぽん)顕れたのであるから仮令(たとい)不軽品に不軽菩薩の近成(ごんじょう)を説かれたからとて、決して久遠の寿命を縮(ちぢ)むるもので無い、
迹門を本門に例して云はゞ、已に会三帰一したる上は何処(どこ)までも会三帰一である。
不会三帰一なんどのあるべき筈(はず)は無いと云ふ意味で、本師は茲(ここ)に已(すで)に本と成りたるものが無意味に迹と変化しやうかとの意義に文九記九の釈文を引用せられたのである。

○ 「会三帰一」とは、声聞と縁覚と菩薩の人と四諦(したい)・十二因縁・六度の万法とを会(え)して法華一仏乗の人法と為す事である。

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57

文の六二に云わく「有る人言わく、此の品は是れ迹なり、何となれば如来の成道已に久し、乃至中間(ちゅうげん)の中止も亦是れ迹なるのみと。
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(※ 天台大師の法華文句にはこう仰せである。
「有る人が言う。信解品第四は迹門である。何故ならば如来の成道は久遠五百塵点劫という遥か長遠の昔であり、そここそが本地である。(中略)であるから今日(※インド応誕の釈尊の時代)までの中間に仏が出現し法を説いたことも迹である。」と。)

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私に謂(おも)えらく、義理乃(すなわ)ち然れども文に在って便(びん)ならず、何となれば仏未だ本迹を説かず那(なん)ぞ忽(たちま)ちに預領(よりょう)せん、若(かくのごとく)ならば未だ三を会せざるに、已に応に一を悟るべし」等云々。「此の品」とは即ち信解品なり。
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(※ 私(天台大師)はこう思う。義理においては確かにそうであるかも知れないが、表現的には適切とは言えない。何故ならば、釈尊が信解品第四を説かれた時点では、未だ本門を明かしていない。本と迹を縦分けて説いていないのにどうして信解品第四が迹である、と予め領解することができようか。もしそれができると言うのであれば、権教において三乗を未だ会してもいない段階で、法華の一仏乗を悟ってしまうこととなる。そのようなことがあるはずはないのである。

補足 
逆に言えば、本門が明かされたならば、それによって迹門が明確になるのであって、本門が明かされた後になっても本門と迹門のけじめ・筋目が分からないという迷妄が本迹一致論なのである。

さらに、この例文は、日講が言うところの「本迹を論ずる場において権実を引くのは不当である」
との邪難に対する破折の意味も含まれている。

「釈尊が信解品第四を説かれた時点では、未だ本門を明かしていない。本と迹を縦分けて説いていないのにどうして信解品第四が迹である、と予め領解することができようか。」
との箇所は本迹の相違を論じているのであり、
「もしそれができると言うのであれば、権教において三乗を未だ会してもいない段階で、法華の一仏乗を悟ってしまうこととなる。」
との箇所はその例証として権実の相違を挙げておられる。
ここはまさにこの文証を引かれた日寛上人の日講の邪難に対しての鮮やかな反証である。

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日亨上人 註解

○ 「玄六」等とは、信解品題号の下の文である。「有人執して迹なり」と云ふを破したのである。

○ 「預領」とは、仏未だ本迹を説かれぬのに「此の品は是迹なり」と預(あらかじ)め領解する事が出来やうや、若し其れが出来るなら三乗を会(え)せざるに一乗を悟ると云ふやうな妄説である。

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58

記の九の本三十四に云わく「本門顕われ已(お)わって更に近ならば迹門会し已って会せざらんや」云々。
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(※ 妙楽大師が法華文句記に仰せである
「本門で久遠実成が説かれ遠本が顕れた後に、未だ迹門の始成正覚に執着しているとするならば、それは迹門で三乗を会して一仏乗へ引導しているのに、未だ権教の三乗に執着しているようなものである。」)

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治病抄に云わく「法華経に亦二経有り、所謂迹門と本門となり。本迹の相違は水火・天地の違目なり。例せば爾前と法華経との違目よりも猶相違有り」云々。
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(※ 日蓮大聖人が治病大小権実違目に仰せである。
原典■「法華経に又二経あり。所謂迹門と本門となり。本迹の相違は水火・天地の違目(いもく)なり。例せば爾前と法華経との違目よりも猶相違(そうい)あり。」

※法華経を更に深く分別すれば二つの経がある。それは「迹門」と「本門」である。この迹門・本門の違いはまさに水と火、天と地ほどの違いである。それは例えば、爾前・権教と法華経との違いより、なお一層大きな相違である。)

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天台・章安・妙楽・蓮祖、並びに是れ僻案なりや、日講如何。
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(※ 天台大師も章安も妙楽大師も、そして我が祖日蓮大聖人も、全て明らかに本迹勝劣として本迹の相違を示しているではないか。
これほど明らかなな文証があるのに日講はどうして本迹一致などと主張できるのか?
日講は、これら御先師や日蓮大聖人が仏法を間違って解釈している人だと非難するのか?

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日亨上人 註解

○ 「天台章安」等とは、上に引ける文句の六・九・記九及び治病抄の文意、既に明らかに本迹を区別してあるのに、此れは僻案(びゃくあん)だと云ふならば、天台・章安・妙楽の三大師及び蓮祖大聖を僻人(びゃくにん)と云ふ事になるのである。

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59

 又修行に約して若し一例を示せば、凡そ蓮祖は是れ末法本門の導師なり、故に正には本門、傍には迹門なり、故に「予が誦む所の迹」と名づけて方便品を読みたまえり。
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(※ 法門の捌きにおいて「法体」と「修行」を混同迷乱している日講を破折するに、「法体」の辺においては今まで示した通りである。

そこで「修行」の辺に約して一例を示して言えば、そもそも宗祖日蓮大聖人はまさに末法文底下種独一本門の大導師であることは明白である。
であるから、正行には本門(さらには文底下種の独一本門)を用いられ、その助証・助顕として迹門を用いられているのである。
であるから、大聖人の文底下種本門の御立場から迹門を読まれるが故に、「予が誦む所の迹」と仰せられて迹門の方便品第二を読誦せられたのである。

(※ この「予が誦む所の迹」との出典は以下である。
■「在々処々に迹門を捨てよと書きて候事は、今我等が読む所の迹門にては候はず、叡山(えいざん)天台宗の過時の迹を破し候なり。(観心本尊得意抄 建治元年一一月二三日 五四歳 914)
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天台亦是れ像法迹門の導師なり、故に正には法華、傍には爾前なり、故に亦弥陀経等を誦みたまえり、而も亦他人の読誦に異なり、口に権を説くと雖(いえど)も内心は実法に違わず云々。豈予が誦む所の権と名づけて弥陀経を読むに非ずや、日講如何。
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(※ 天台大師もまた像法時代の法華経迹門の導師であることは明白である。
であるが故に、正行としては法華経を修行され、その助行・傍証として爾前・権教を用いられていたのである。であるから、時として阿弥陀経など爾前経を読誦されてもいたのである。
これは権宗の派祖・門葉達が法華経最第一の意義が分からずに爾前権教に執着しての修行とは異なり、口には権経を読誦し講説することがあっても、内証の辺においては実教である法華経の意趣を宣揚するためだったのである。
これはまた大聖人が「予が誦む所の迹門」と仰せになって迹門方便品などを読誦されたことと同様に、天台大師が「予が誦む所のの権教」と位置付けて阿弥陀経などを読誦・講説することとなるではないか。
この破折に対してどう再反論できるというのか?日講よ。

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日亨上人 ここでの註解はなし。

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60

 問う、又啓蒙に云わく「既に二乗作仏の下に於て多宝・分身を引いて真実の旨を定めたり。故に未だ発迹顕本せざる時も、真の一念三千にして二乗作仏も定まれり。然るに今真の一念三千顕われず二乗作仏も定まらずとは久成を以て始成を奪う言なり。是くの如く久成を以て始成を奪う元意は天台過時の迹を破せんが為なり」云々、此の義如何。
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(※ 日講の啓蒙にまたこのような邪難がある。
▼「迹門の二乗作仏とは言っても、宝塔品第十一において多宝如来や分身の諸仏が法華経の会座に出現して「皆是れ真実なり」との証明があり真実の経となった上は、たとえ発迹顕本が無いとは言え迹門の一念三千は真実であって、二乗作仏は決定的である。
ただし日蓮大聖人が今の開目抄の文
■「しかりといえどもいまだ発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)せざれば、まこと(実)の一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波の上に浮かべるにに(似)たり。」(536)
の中に「一念三千もあらわれず」「二乗作仏も定まらず」と仰せであるのは本門の久遠実成の立場に立脚して迹門の始成正覚を敢えて下した表現であって、それは天台等の像法時代における法華経、迹門の解釈を破折するが為である。」
この義についてはどうか?
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 難じて云わく、拙(つたな)いかな日講、竊盗(せっとう)を行なう者は現に衣食(えじき)の利有り、何んぞ明文を曲げて強いて己情に会するや。
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(※ 反詰する。日講はなんと愚かしく法門未熟であることか。
国法を犯す盗賊にはその稼ぎとして目先の衣食の利益がある。
日講は一体、目先のどんな利益があっての故か、明々白々たる大聖人の御文の意を無理やり曲げて解釈しようとするのか。←それはまるで国法を犯す盗賊のようなものではないか。)

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日亨上人 註解

○ 「啓蒙に云く」等とは、日講の意に迹門と云へども多宝の証明ありて真実の経となった上は、仮令(たとい)発迹顕本無くとも迹門の一念三千は真実であって二乗作仏は決定的である、但(ただ)し宗祖が今の文に「顕れず」「定まらず」と仰せあるは本門久成に与(くみ)して迹門始成を奪うたもので、其れは天台過時の迹を破せんが為じゃ、と云って強いて本迹一致を立つる事は例の執見病である。
固(もと)より本地開顕の上には大・小・権・迹、何(いず)れの法も皆真実と変化してをるけれど、其(そ)の時は但(ただ)一本門のみあって大小権迹の名義は自ら亡泯(ぼうみん)しておる。
然(しか)るを猶(なお)迹門真実と計するは猶開会(かいえ)の上には爾前も得道の経なりと計すると一般、大聖人の極めて斥(きら)ひ給ふ処である、
茲(ここ)に本師激語を放って国法を曲(まぐ)る盗賊には衣食の利あり、日講何の利益あって明文を曲(まぐ)るやと仰せらるゝのである。

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61

妙楽の曰く「凡そ諸の法相は所対不同なり」と。宗祖云わく「所詮所対を見て経々の勝劣を辨ずべきなり」等云々。上に多宝・分身を引いて真実の旨を定むることは是れ爾前の方便に対する故なり。是の故に彼の結文に云わく「此の法門は迹門と爾前と相対する」等云々。
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(※ 妙楽大師が法華文句記に仰せである。
「全ての法門の説相・筋目と言うものは対する教相・機根に於いて同じではないのである。(同じ語であっても、その論ずる対象に依って違う意味を持つものである)」

日蓮大聖人は法華取要抄にこう仰せである。
原典■「所詮所対を見て経々の勝劣を弁ふべきなり。」(732)
※「常に心がけ弁えなければならないことは、今論じている経論が、いかなる経や論と比較しているのかその対象をよく見極めて経々の勝劣浅深を判断しなければならない。」

開目抄で
■ 大覚世尊は四十余年の年限を指して、其の内の恒河(ごうが)の諸経を未顕真実、八年の法華は要当説真実と定め給ひしかば、多宝仏大地より出現して皆是真実と証明す。分身(ふんじん)の諸仏来集して長舌を梵天(ぼんてん)に付く。此の言(ことば)赫々(かくかく)たり、明々たり。晴天の日よりもあきらかに、夜中の満月のごとし。仰いで信ぜよ、伏して懐(おも)ふべし。(526)
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(※大覚世尊(釈尊)は、初常道より無量義経を説かれるまでの四十余年の年限を示して、その中の
ガンジス川の砂粒ほどの無数の経典に対して無量義経で「未だ真実を顕わさず」と示し、その後の法華経方便品第二にて「必ず当に真実を説き給うべし」と説かれ法華経こそ釈尊の真実の教えであることを示された。これに対して多宝如来が大地より出現して「皆、是、真実」と証明なされた。分身の諸仏も来たり集まり、仏の三十二相の一つ広く長い舌を、上、梵天まで延ばし釈尊の説法が真実であることを証明された。であるから、釈尊の「未だ真実を顕わさず」と「必ず当に真実を説き給うべし」との教説は強く光り輝き、はっきりしていて疑わしいところは全くない。晴れ渡った日に見る太陽よりもさらに光り輝くほど明らかであり、夜中に浮かぶ満月のようである。仰いで信ずべきであり、身を伏して深く心中に刻むべきである。
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と仰せであるところの、多宝如来・分身の諸仏の証明を引用されて、法華経迹門を「真実なり」と断定せられたのは、爾前の方便権教に比較相対してそう仰せになったのである。
さらに、同じくこの段の最後の小結の部分では、

■「此の法門は迹門と爾前と相対して、爾前の強きやうにをぼゆ。もし爾前つよる(強)ならば、舎利弗等の諸の二乗は永(よう)不成仏の者なるべし。いかんがなげかせ給ふらん。」(534)
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(※この権実相対の法門は、法華経迹門と爾前権教を相対して、爾前権教の方が量といい、説かれた期間の長さといい、爾前権教の方が本意かのようにも思えてしまう。もし仮に爾前権教が釈尊の主意ならば舎利弗など諸々の二乗は永久に成仏できない者となってしまう。いかに嘆くであろうか。」
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と仰せになり、爾前権教と法華経迹門とを相対してお述べになられたことを示され、尚且つ、もし、爾前権教が主意ならば「二乗作仏は不可能となってしまう」(←しかしそれが釈尊の本意である訳がない。二乗は確かに作仏するのである。)と示されているのである。

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今「真の一念三千も顕われず」等と言うは是れ本門に対する故なり、是の故に「未発迹顕本」等と云うなり。同じき迹門と雖も而も所対に随って虚実天別なり。
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(※ 今回の引文した開目抄の■「しかりといえどもいまだ発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)せざれば、まこと(実)の一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波の上に浮かべるにに(似)たり。(536)
での、■「まこと(実)の一念三千もあらわれず」とは、法華経本門に迹門を相対しての御言葉である。
であるから、■「いまだ発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)せざれば」と仰せなのである。

以上一例を示した通り、「迹門」について論じると言っても、何に相対したかによってその意義付けは、暫時の方便としてのかりそめの意味であったり、真実そのままであったりと、まさに天地の開きが生じてくるのである。

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日亨上人 註解

○ 「彼の結文」とは、開目抄上の「此の法門は迹門と爾前と相対して爾前の強き様におぼゆ、若し爾前強るならば舎利弗等の諸の二乗は永不成仏(ようふじょうぶつ)の者なるべし」等の文であり、専(もっぱ)ら爾前に対して迹門の真実をあげ給ふのみである。

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62

若し強いて爾らずと言わば重ねて難じて云わく、一代聖教皆是れ真実ならんや、既に上の文に言わく「一代五十年の説教は外典外道に対すれば大乗なり、大人の実語なり」云々、日講如何。
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(※ 以上の破折が理解・納得できず承服しないと言うのならば、さらに重ねて破折する。
そもそも釈尊一代聖教自体が全て「真実」と言えるのか?
(実際はそうではないであろう。釈尊一代の仏教でも最終的な「真実」とは法華経本門寿量品に窮まるのである。)

しかし大聖人は先程引文した開目抄の
■ 大覚世尊は四十余年の年限を指して、其の内の恒河(ごうが)の諸経を未顕真実、八年の法華は要当説真実と定め給ひしかば、多宝仏大地より出現して皆是真実と証明す。分身(ふんじん)の諸仏来集して長舌を梵天(ぼんてん)に付く。此の言(ことば)赫々(かくかく)たり、明々たり。晴天の日よりもあきらかに、夜中の満月のごとし。仰いで信ぜよ、伏して懐(おも)ふべし。(526)
との御文の前に以下のように仰せである。

■ 一代五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり。大人の実語なるべし。(526)
(※釈尊一代の説教は外典や外道に相対すれば全て大乗教であり、真に悟った者の実語である。)
と仰せになっておられる。

このように法門というものは所対によって論じている内容や表現は天地の如く変わるのである。
(そこをよく見極めて判読していかなければ仏法の真髄は到底領解することができない。)
これにはどう答えるのか。日講よ。

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日亨上人 ここでの註解はなし。

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63

況んや復久成を以て始成を奪うは則ち真の一念三千に非ざること汝も亦之れを知れり。若し実に爾らずんば蓮祖何ぞ無実を以て台宗を破すべけんや。
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(※ 日講は啓蒙で以下のように述べている。
▼「今真の一念三千顕われず二乗作仏も定まらずとは久成を以て始成を奪う言なり。是くの如く久成を以て始成を奪う元意は天台過時の迹を破せんが為なり」
(▼通解→ ※日蓮大聖人が開目抄の文
■「しかりといえどもいまだ発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)せざれば、まこと(実)の一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波の上に浮かべるにに(似)たり。」(536)
この中に■「一念三千もあらわれず」■「二乗作仏も定まらず」と仰せであるのは本門の久遠実成の立場に立脚して迹門の始成正覚を打ち破った言である。
このように久遠実成の立場から始成正覚を破す日蓮大聖人の本当の奥の意は末法には益のない天台流を破折するためである。」←以上)

そうであるならば、日講は本門の久遠実成が勝れ、迹門の始成正覚が劣るが故に、迹門の「一念三千」「二乗作仏」は真実でない、つまり本迹勝劣であることを既に理解しているということではないか。
もし本迹勝劣でないとすれば、日蓮大聖人は一体何を根拠として迹門の理の一念三千を説く天台宗を破折したというのか。
つまりは本迹勝劣であるからこそ迹門の理の一念三千は末法においては無益であるがゆえに天台宗を破折されたのではないか。

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○ 「蓮祖何ぞ無実を以て」等とは、天台所依(しょえ)の法華経悉(ことごと)く是真実であるなら宗祖が天台過時と斥(しりぞ)け給ふは無実の誣言(ぶごん)であろう、
末法無益と破し給ふは欺罔(ぎもう)の誑語(きょうご)であろう、
大聖漫(みだ)りに此の様な麁言(そげん)を吐き給はんや。
故に到る処(ところ)に時機に約して切実に末法の要行を説いて空理閑言(かんげん)を破斥(はしゃく)せらるゝのである。
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(※もし天台宗が所依とする熟益・脱益の法華経が悉く真実であるならば、日蓮大聖人が天台過時(天台宗は既に過去のものとなった宗派である)と排斥されたのは、むしろ事実を曲げて言われたことになってしまう。
また「天台宗は末法においては無益である。」と破折されたことも、人を偽り欺き誑かすこととなってしまう。
大聖人がそのような根拠のない不確実なことを仰せになるであろうか。
そんなことは絶対にあり得ないのである。
であるから御書の随所に「時」と「機」に約して、切実に末法における真実の法体と信行を説いて、末法においては無益である天台宗の観念観法を破折なされたのである。)

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64

 次の文に云わく「本門に至りて始成正覚を破れば四教の果を破る。四教の果を破れば四教の因破れぬ。爾前迹門の十界の因果を打ち破って、本門の十界の因果を説き顕わす。是れ即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備わりて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」云々。

 「始成正覚を破れば」等とは、経に云わく「我実に成仏してより已来無量無辺なり」等云々。是れ即ち爾前迹門の始成正覚を一言に大虚妄なりと破る文なり。天台の云わく云々。宗祖の云わく云々。
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(※ 開目抄の次下の御文かく仰せである。
■原典「本門にいたりて、始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前(にぜん)迹門の十界の因果を打ちやぶって、本門十界の因果をとき顕はす。此即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備はりて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし。」と。
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※訳
「釈尊は法華経本門に至って久遠実成を明かして、爾前・迹門までの始成正覚の立場が破られた。その結果、四教(蔵・通・別・円(迹門))で説かれてきたあらゆる仏身と仏果が破られたこととなる。四教の仏身と仏果が破られたと言うことは当然その修行も仏因も破られたということである。これはまさに爾前迹門の十界の因果を打ち破って、本門の十界の因果を説き顕わしたということである。これぞ真の本因本果の法門である。この法門によって、初めて無始本有の九界はそのまま無始本有の仏界に具わり、無始本有の仏界もまた無始本有の九界に備わって、ここにおいて初めて真の十界互具・百界千如・一念三千となるのである。
(※ただし、今ここでは本迹相対の論談なので深くは論じられていないが、これはあくまで五百塵点劫・久遠実成という時点という意味での「無始」であることを見落としてはならない)」
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この御文の中の■「始成正覚をやぶれば(爾前・迹門までの始成正覚が破られたならば)」とは、法華経寿量品第十六の「我実に成仏してより已来無量無辺なり(我(釈尊)は実は成仏して以来無量無辺の歳月が経っている)」との経文等のことである。
この経文こそそれ以前の爾前・迹門まで説かれてきた始成正覚を、実は方便で虚妄の言であったと一言の基に打ち破った経文である。
このことは、天台大師も、日蓮大聖人も随所に述べられていることである。

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日亨上人 註解

○ 「無始仏界」○ 「無始九界」とは、無始は最初の別名である。法は常住であるから過去は無始で未来は無終である。又九界に約すれば本因妙で、仏界に約すれば本果妙である。

○ 「経に云わく我実」等とは、寿量品の報仏菩提の文で本門久遠の正覚(しょうかく)を説いて伽耶始成(がやしじょう)の執情を払(はら)ふ御文である。

○ 「天台云云、宗祖云云」とは文証弘博(ぐばく)の故に引文を避けたのである。

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65

「四教の果を破れば四教の因破れぬ」等とは、広くは玄文の第七巻の如し。此の中に「十界の因果」とは是れ十界互具の因果には非ず、因は是れ九界、果は是れ仏界の故に「十界の因果」と云うなり、並びに釈尊の因行を挙げ、通じて九界を収むるなり。
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(※ 開目抄の■原典「本門にいたりて、始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。」との文意は、天台大師の法華玄義の第七巻、広く本門の十妙を明かすの文に委細に述べられている。

この開目抄の■「爾前迹門の十界の因果を打ち破って、本門の十界の因果を説き顕わす。」という御文にあるところの「十界の因果」とは、通常言われるところの、地獄乃至仏界それぞれが地獄乃至仏界を具しているという十界互具の因果ではない。
蔵・通・別・円(※迹門までの円)の四教で説かれていた始成正覚という仏果が、本門の久遠実成で打ち破られたならば、その四教で説かれた九界の修行という因も当然同じく破られてしまう。
という意味において、この「果」を仏界とし、その「因」を九界とするところの「十界の因果」である。
と共に、釈尊が成道するための「因行」である「我本行菩薩道(我、本、菩薩の道を行じ」との文に、仏道修行者の「九界」の全てが包摂されているのである。

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日亨上人 註解

○ 「玄文第七」とは、玄義七に広く本門の十妙を明かすの下に委くわしき故に其(それ)に譲られたのである。

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66

 「是れ則ち本因本果の法門」とは此に深秘の相伝有り、所謂文上・文底なり。今は且く文上に約して以て此の文を消せん。
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(※ 開目抄の■「此即ち本因本果の法門なり。」との御文には深秘の相伝が伝わっているのである。それは、法華経の文上と文底との相対の法門である。
(※文底深秘の法門は第二「文底秘沈抄」に相伝を委しく説かれている。)
しかし、今の論旨は本迹が一致なのか勝劣なのかについてであるので、その相伝の文底の法門には立ち入らず、文上に約してこの御文を解釈する。
(故に「本因」と云う場合も「本果」と云う場合も、これは文上の辺のことであり、未だ久遠元初の文底の深義までは説き及ぼされていない。この点、注意が必要。)

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本因は即ち是れ無始の九界なり、故に経に云わく「我本菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず」等云々。天台の云わく「初住に登る時已に常寿を得」等云々。既に是れ本因常住なり、故に「無始の九界」と云う、本因猶常住なり、何に況んや本果をや。故に経に云わく「我実に成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり、寿命無量阿僧祇劫なり、常住にして滅せず」云々。既に是れ本果常住なり、故に「無始の仏界」と云う。本有常住名体倶実の一念三千なり、故に真の十界互具・百界千如・一念三千と云うなり云々。
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(※ 「本因」とは「無始の九界」のことである。
法華経寿量品では「我本菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず」と説かれている。これは、「無始の九界」の修行を明かしたものであり、九界の常住を示しているのである。
天台大師は法華文句に「我本行菩薩道」を解釈して「因位の釈尊は初住に登る時に、すでに如来常住の寿命を得ていたのである。」と述べている。
文上での本門は初住位から本因妙としている。それは釈尊が因行を修して初住位に登った時には既に常住の寿命を得たということである。
そういう意義をもって開目抄に「無始の九界」と言われているのである。

釈尊が修行の段階の初住位において常住であるならば、その本果としての仏果もまた常住であることは当然である。
故に寿量品には「我実に成仏してより已来(このかた)、甚だ大いに久遠なり、寿命無量阿僧祇劫なり、常住にして滅せず」と説かれるのである。
この文では本果の常住を明かしている。その意義を開目抄に「無始の仏界」と説かれているのである。
迹門の一念三千はこの久遠実成が明かされておらず本因・本果の本有常住という根底が無いから本無今有・有名無実であるけれども、本門の一念三千は本因・本果の久遠常住という根底が存在するが故に名も体も「イ+具」(とも)に実体があるという事になるのである。
つまり、真の十界互具・百界千如・一念三千なのである。

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日亨上人 註解

○ 「深秘相伝」とは、茲(ここ)には多くの文上の義を談ずるが文底深秘の重は第二文底秘沈抄に相伝を委しくしてある。

○ 「今且く文上に約す」とは、今文は本迹相対の上の法門であるから本門当分の義で判釈を加へてをく。故に本因と云ふも本果と云ふも唯(ただ)是(これ)文上の辺に止まり、未だ久遠元初の文底の深義に説き及ぼしていない。此れより下の文亦此の意を以て見るが良い。

○ 「経に云わく我本行」等とは、天台に従へば「我本行菩薩道」は本因妙の文で、「所成寿命」等は本寿命妙の文である。

○ 「天台云わく登初住時」等とは、「我本行菩薩道」を釈する文句九の文である、文上の本門は初住位から本因妙に取ってある。其れは仏円因行を修して初住位に登った時は既に常住の寿命を得てをらるゝ。其の因寿命尽き難うして上(経文)の無量阿僧祇劫の数に倍する程である、斯(こ)の因寿の常住なるより推して考うれば、果寿に於いて猶(なお)更(さら)永久無終であるべきであるとの説である。

○ 「経に云わく我実成仏」等とは、本果妙の文である。

○ 「本有常住名体「イ+具」実」等とは、迹門の一念三千は本有常住の根底が無いから本無今有・有名無実であるけれども、其れに引き替へ本門の一念三千は久遠常住の根底を有するから本有常住であり、又名体「イ+具」実(ぐじつ)と云ふ事になるのである。

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67

 次に迹門百界千如の文とは、本尊抄八十に云わく「迹門は始成正覚の仏、本無今有・百界千如を説く、本門は十界久遠の上に国土世間既に顕わる」云々。迹門は未だ国土世間を明かさざる故に百界千如に限るなり。
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(※ 次に迹門は百界千如に過ぎない、との文証は、観心本尊抄(原典)に ■「其(そ)の教主(きょうしゅ)を論ずれば始成(しじょう)正覚の仏、本無今有(ほんむこんぬ)の百界千如を説いて已今当(いこんとう)に超過せる随自意(ずいじい)・難信難解(なんしんなんげ)の正法なり。(中略)
 又本門十四品の一経に序正流通有り。涌出品の半品を序分と為し、寿量品と前後の二半と此を正宗と為す、其の余は流通分なり。其の教主を論ずれば始成正覚の釈尊には非(あら)ず。所説の法門も亦天地の如し。十界久遠の上に国土世間(こくどせけん)既(すで)に顕はれ一念三千殆(ほとん)ど竹膜(ちくまく)を隔(へだ)つ。」
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(※ 迹門の教主は始成正覚の仏であり、本無今有の百界千如を説いて已に説き(爾前権教)今説き(無量義経)当に説かん(涅槃経)という三説を(一応)超え勝れた、信じ難く、解し難い正法である。
(中略)
また、本門十四品に序分と正宗分と流通分がある。
涌出品第十五の前半の半品を序分とし、
寿量品第十六全体と、涌出品の後半の半品と、分別功徳品第十七の前半の半品を合わせて正宗分とし、その後は流通分である。
その教主は迹門の始成正覚の仏ではない。
説かれる所の法門も亦迹門までとは天地の相違が有る。
十界は久遠実成の時において、成仏するための九界の本因も、またそれに依って成道したという本果も、この娑婆という本国土の上で行われるという国土世間が現出して「一念三千法門」は完成するのであるが、しかし、文底下種仏法と熟脱仏法との相違から見れば、迹門と本門の相違などは、薄い竹膜で隔てるほどの僅かな差でしかないのである。)

と仰せである通り、迹門では本無今有である十界互具・百界千如を説いてはいるが、釈尊が成道した久遠の本国土妙が明かされていない。
本門寿量品で「是よりこのかた我常に此の娑婆世界に在りて説法教化す」等の文において、釈尊が久遠に成道した国土と以後の所住が明かされた。
本門では百界千如の上に五蘊(ごおん)世間・衆生世間・国土世間の三世間を乗じて一念三千となるが、迹門では本国土妙が顕あらわされていないが故に、一念三千は成立せず、百界千如止まりなのである。

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日亨上人 註解

○ 「国土世間既に顕わる」等とは、寿量品の「是これよりこのかた我、常に此の娑婆世界に在りて説法教化す」等の文に顕はれてをる、況(いわん)や余仏は久遠を説かず、娑婆を穢土(えど)と嫌ふ。然(しか)るに本仏は久遠常住の寂光土と称せらる。是れ本門独歩の法門である。

○ 「百界千如に限る」とは、本門では百界千如の上に衆生・五蘊(ごおん)・国土の三世間を乗じて三千とするけれども、迹門には本国土妙顕われざる故に千を成ぜず百界千如のみである。

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68

而るに迹門方便品に一念三千を説くと云えることは、正しく必ず依るところ有るが故に与えて爾(しか)云うなり。若し奪って之れを論ぜば迹門は但是れ百界千如なり。本尊抄に云わく「百界千如と一念三千と差別如何。答えて曰く、百界千如は有情界に限り、一念三千は情非情に亘る」云々。
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(※ 迹門の「一念三千」はその実体としては「百界千如」であるのに、なぜ開目抄(535)に■「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失(とが)一つを脱(のが)れたり」とあり、迹門で一念三千が説かれたと仰せられたのか。
それには明確な根拠があるが故にこのように仰せられたのである。
それは、本門の義から開いて迹門の一念三千を判読して「与えて」こう仰せなのである。
「奪って」言えば、やはり迹門は百界千如止まりなのである。
その根拠となる文証は
観心本尊抄に■「百界千如と一念三千と差別如何。答へて曰く、百界千如は有情(うじょう)界に限り、一念三千は情非情に亘(わた)る。(645−9)」である。
つまり、十界・十如は有情界の業であり体であり相貌であるから、百界千如もまた有情界の内だけに留まるのである。
本門寿量品に至って「是よりこのかた我常に此の娑婆世界に在りて説法教化す」等の文によって、本国土妙が明かされた。ここによって一念三千の原理が「国土」=非情へと広がり、真の一念三千の法理が完成するのである。
ここを指して、百界千如は有情界に限り、一念三千の「三」とは、衆生世間(有情)・五蘊世間(情非情に亘る)・国土世間(非情界)の三世間であるから、一念三千は有情・非情の全体を包含する法理となると仰せなのである。
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日亨上人 註解

○ 「情非情に亘(わた)る」とは、十界十如は有情界の業体相貌(そうみょう)であるから百界千如も亦有情界の内である。三千と云ふとき始めて三世間あり。衆生世間は有情であるけれども五蘊世間は情非情に亘(わた)り、国土世間は全く非情界である。故に一念三千と云ふ下に情非情を具するから御抄に爾(しか)と云はるゝのである。

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69

第七章

 第七に種脱相対して一念三千を明かすことを示すとは
 今「文底秘沈」と言うは上に論ずる所の三千は猶是れ脱益にして未だ是れ下種ならず、若し其れ下種の三千は但文底に在るが故なり。
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(※ 第七の論題
日蓮大聖人の下種仏法と釈尊の脱益仏法を相対して一念三千を解明する。
今まで論じてきた一念三千は迹門・本門共に全て釈尊の脱益仏法に約した辺であって、末法当今の下種仏法における一念三千ではない。
下種仏法の「文底秘沈」という「一念三千」は、法華経の教相・文上に示されているのではなく、釈尊の脱益仏法・取り分け法華経寿量品の文底に存在するのである。

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 問う、何れの文底に在るとせんや。
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(※ その一念三千は一体どこの文底に在るというのか?

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 答う、古抄の中に種々の義有り。
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(※ 他門の文献(身延派第十一世行学院日朝(1422−1500)の「開目抄私見聞」 
日講(1626年9月13日(寛永3年7月23日) - 1698年4月20日(元禄11年3月10日)の「啓蒙」 など)には様々な義が説かれてる。)

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日亨上人 註解

○ 「古抄」とは、朝抄、健抄等の如き御書を注釈した古書である。開目抄上の啓蒙に委くわしく出してある。今文の中の初めの六義は全く此れ等の中より抄出(しょうしゅつ)したのである。

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70

 有るが謂わく、如来如実知見等の文底なり、此の文、能知見(のうちけん)を説くと雖も而も文底に所知見(しょちけん)有るが故なり云々。
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(※ 日講の録内啓蒙にはこうある。(以下6つは、日講の啓蒙に挙げてある古来の説。第六番目は日講自身の説。)

@ ある不相伝の他門がこう言っている。
▼「「文底秘沈の一念三千」とは寿量品の「如来如実知見。三界之相。(如来は如実に三界の相を知見す)」等の文の文底である。
この文は、仏果として「如来は能く三界を知見する」というが、それは修行中の因位において知見する因が在ったからである。
この「仏果としての知見」は文上に顕れ、修行中の「衆生としての知見」は文底に秘し沈めてある。
方便品の十如実相の一念三千は文上に顕れた「知見」であり、寿量品の如来如実「知見」の文底に因としての「一念三千」が存する。
(という、迹門と本門を相対的に解釈した浅薄な義)

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 有るが謂わく、是好良薬の文底なり、是れ即ち良薬の体、妙法の一念三千なるが故なり云々。
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(※ またある不相伝の他門がこう言っている。
A ▼ 「文底秘沈の一念三千とは寿量品の「是好良薬(是の好(よ)き良薬」の文の底にある。
一念三千とは良薬の体であり、妙法の一念三千であるからである。」

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 有るが謂わく、如来秘密神通之力の文底なり、是れ則ち文面に本地相即の三身を説くと雖も文底に即ち法体の一念三千を含むが故なり云々。
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(※ またある不相伝の他門がこう言っている。
B ▼ 寿量品の「如来秘密神通之力(如来の秘密神通の力)」の文底である。
これは文上では久遠本地の三身即一身、一身即三身を説いている箇所であるが、その文底には法体の一念三千を含んでいるからである。

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 有るが謂わく、但是れ寿量品の題号の妙法なり、一念三千の珠を裹むが故なり。
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(※ またある不相伝の他門がこう言っている。
C ▼ 寿量品の題号 妙法蓮華経 の文底である。観心本尊抄には■「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠(たま)を裹(つつ)み、末代幼稚の頚(くび)に懸(か)けさしめたまふ。」とあるように、この「妙法蓮華経」の題号に一念三千の珠が包み含まれているのである。

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 有るが謂わく、通じて寿量一品の文を指す、是れ則ち発迹顕本の上に一念三千を顕わすが故なり。
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(※ またある不相伝の他門がこう言っている。
D ▼ 寿量品一品全体の文である。
これは寿量品に発迹顕本が説き顕わされたのであるからその全体が一念三千を顕わしているのである。

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 有るが謂わく、然我実成仏已来の文なり、是れ則ち秘法抄に此の文を引いて正しく一念三千を証し、御義口伝に事の一念三千に約して此の文を釈するが故なり云々。
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(※ E 日講自身の説 ▼ 寿量品の「然我実成仏已来(然るに我、実に成仏してより已来(このかた))」の文底である。
なぜならこの文は三大秘法抄の■「寿量品に云はく「然我実成仏已来無量無辺」等云云。大覚世尊久遠実成(くおんじつじょう)の当初(そのかみ)証得の一念三千なり。」に引文され一念三千の証明とし、また御義口伝には事の一念三千に約してこの文を釈してあるからである。
(参照 第三 我実成仏已来 無量無辺等の事
 御義口伝に云はく、我とは釈尊久遠実成道なりと云ふ事を説かれたり。然りと雖も当品の意は、我とは法界の衆生なり。十界己々(ここ)を指して我と云ふなり。実とは無作の三身の仏なりと定めたり。此を実と云ふなり。成とは能成所成(のうじょうしょじょう)なり。或は開く義なり。法界無作の三身の仏なりと開きたり。仏とは是を覚知するを云ふなり、已(い)とは過去なり、来とは未来なり。已来の言の中に現在は有るなり。我実(じつ)と成(ひら)けたる仏にして已も来も無量なり、無辺なり。百界千如一念三千と説かれたり。百千と云ふ二字は、百は百界、千は千如なり。是即ち事の一念三千なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は寿量品の本主なり。総じては迹化の菩薩此の品に手をつけいろ(綺)うべきに非ざる者なり。彼は迹表本裏(しゃくひょうほんり)、此は本面迹裏(ほんめんしゃくり)なり。然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか。其の故は此の品は在世の脱益なり。題目の五字計(ばか)り当今の下種なり。然れば在世は脱益、滅後は下種なり。1766−9)

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 有る師の謂わく、本因妙を説くに但三妙を明かす、所謂我本行は是れ行妙なり、菩薩道は是れ位妙なり、所成寿命は是れ智妙なり。故に天台の云わく「一句の文三妙を証成す」等云々。然るに妙楽の云わく「一句の下は本因の四義を結す」云々。是れ即ち智には必ず境有るが故なり。故に知んぬ、文面は但智行位の三妙なりと雖も文底に境妙を秘沈したまえり、境妙は即ち是れ一念三千なり、故に爾云うなり。
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(※ またある不相伝の他門がこう言っている。(出所不明)
F ▼ 「我本行菩薩道(我、本、菩薩の道を行じて)所成寿命(成ぜし所の寿命)」の文が本因妙を顕している。それは智妙 行妙 位妙 の三妙である。
「我、本、行ず」は行妙。「菩薩の道」は位妙。「成ぜし所の寿命」は智妙。
であるから天台大師は「一句の文に三妙を顕わしているのである」と言われているのである。
さらには妙楽大師は「一句の下には本因妙の四義が顕わされているのである」と言われている。
どうしてそうなのかといえば、「智」がある限り必ずそれに対する「境」が存在するからである。
であるから「我本行菩薩道(我、本、菩薩の道を行じて)所成寿命(成ぜし所の寿命)」の文の表には智・行・位の三妙しか顕れていないが、文底に境妙が存在しているのである。
この境妙こそ一念三千なのである。

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日亨上人 註解

○ 「如来如実知見」等とは、能知見は果上の仏の知見で、所知見は因位の衆生の知見を指すが、仏知見は文上に顕(あら)われ、衆生知見は文底に沈む。方便品の十如実相の一念三千は文上で、寿量品の如来如実知見の一念三千は文底であるとして相対的に解した浅義である。

○ 「是好良薬」とは、絶対的の解(げ)のやうであるが漠(ばく)たる浅義である。

○ 「如来秘密神通之力」とは、其の取りやう上の如来如実知見と酷似しているが、彼は仏と衆生とを相対せしめ、此れは法体と三身と相対せしめてる、併(しか)し此の三身は即ち仏であって法体は多く衆生に依るから帰する所同じ旨である。

○ 「寿量品の題号」とは、是又是好良薬と酷似してをる。

○ 「通じて寿量の一品を指す」とは、尤(もっと)も漠然たる浅義で全文通用は狡猾なやうである。

〇 「然我実成仏」等とは、上来の五義、皆、妥当でないから日講、遂(つい)に自見を吐露したのである。其の上に更に練磨・実義・跨節等と立てたり其の義を高尚にしたけれど惜しむらくは肯綮(こうけい)に中(あた)らず。

○ 「秘法抄」等とは、三大秘法抄の「寿量品に云わく然るに我実に成仏して已来(いらい)無量無辺等云云、大覚世尊久遠実成の当初(そのかみ)証得の一念三千なり」と云ふ文である。

○ 「有る師の説に云わく」等とは、此の義漸(ようや)く正義に近いが惜しいかな辞(ことば)が足らぬ。

○ 「智行位」等とは、境智行位の四妙は迹門の十妙の中で衆生発智の順序ぢゃから、本門で果上の十妙を明かす時は無用である。故に此の迹門の四妙は十門では本因妙の中に含む四義となるのである。

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71

 今謂わく、前来の諸説は皆是れ文の上なり、不相伝の輩焉(いずく)んぞ文底を知らん、若し文底を知らずんば何ぞ蓮祖の門人と称せんや。
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(※ 今まで挙げてきた@〜Fの諸説は全て釈尊の熟脱仏法における文上の範疇の論議に過ぎない。
不相伝の輩がどうして文底を領解できるであろうか。
しかして文底を知らずしてどうして日蓮大聖人の門下と名乗ることができようか。
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 問う、当流の意如何。
 答う、此れ一大事なり、人に向かって説かじ云々。
 重ねて問う、如何。
 答う、聞いて能く之れを信ぜよ、是れ憶度(おくたく)に非ず、
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(※ ▼では訊くが、相伝家である富士門流における文底の真義とは何か?
▲これは深秘で一大事の法門である。たやすく他に向かっては説けない。
▼重ねてお願いする。どのような意義であるのか。
▲されば答えるが一度聞いたならば必ず信解せよ。
これから述べることは、根拠もなく勝手な憶測で言うことではないのである。
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師の曰く「本因初住の文底に久遠名字の妙法・事の一念三千を秘沈し給えり」云々。
応に知るべし、後々の位に登ることは前々の行に由るなり云々。
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(※ 日蓮大聖人以来の歴代法主上人からの御相伝にはこのように仰せられている。
「釈尊が成道したその本因の修行時、五十二位の初住の位に至ったその文底にこそ久遠元初の事の一念三千が秘し沈められているのである。」と。
よくよく熟慮し熟知しなさい。
その後、初住から十住の次の階位へ、そして十行・十回向・十地・等覚・妙覚へと登っていくことができたその原因はこの名字即の凡夫が直ちに究竟即と開くことができる久遠元初の事の一念三千の修行に依るのである。
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参照 

御相伝書 寿量品文底大事

 問うて云はく、開目抄の上に云はく「一念三千の法門は寿量品の文の底に秘して沈めたまへり」と云ふ意趣如何。
 仰せに云はく、当流の相伝惟(これ)に谷(きわ)まれり。口外すべからずと雖も末代の為に一筆之を残さん、(中略)所謂、文の底とは久遠下種の法華経、名字の妙法に、今日熟脱の法華経の帰入する処を志し給ふなり。されば妙楽大師釈して云はく「雖脱(すいだつ)在現具騰(ぐとう)本種」(※脱は現に在ると雖(いえど)も、具に本種を騰 ( あ ) ぐ)云云。
 今日霊山会上の熟脱の法華経は我等が得分(とくぶん)に非ず、断惑証理(だんなくしょうり)の聖者、三周得悟の為なり。さて下種の法華経は久遠名字の妙法なり。然るを日蓮聖人本因妙の修行の手本として、妙法蓮華経の五字を余行に亘(わた)さずして下種し給ふ者なり。一毫(いちごう)未断の我等末代嬰児の一切衆生、妙法の名字を聞きて持つ処に即身成仏を遂ぐるなり。誠に我等が為に有り難き法相なり。
(中略)
秘すべきなり。
 南無妙法蓮華経                    日蓮
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(※ 尋ねるが、開目抄上に■「一念三千の法門は寿量品の文の底に秘して沈めたまへり」と日蓮大聖人は仰せであるが、この意味するところ、その本意はどうなのか?

大聖人が仰せである。
「我が門流の相伝は、この意義、本義において極まるのある。決して他に安易に他に漏らしてはならない。」
とは仰せであるけれども、末法万年の衆生のために日興はほんの少々この本義を明かし記しておこう。(中略)
いわゆる、「文底」つまり「文の底」とは久遠下種の法華経である、名字即の南無妙法蓮華経に、釈尊在世の熟脱の法華経が、もとの所へもどり帰り収まるところを示し顕わされたのである。
であるから妙楽大師はこの箇所を解釈されて仰せられるのは
「脱益は現に今釈尊の示される法華経に存在すると雖(いえど)も、実はそこに明らかに根本の成仏の本種を顕わしているのである。」と。
釈尊在世の霊鷲山での熟脱の法華経は、末法の我々の成仏できる内容とはならない。
それは見思・塵沙・無明の三惑を断じ尽くして正理を領解した聖者や、法説周・譬説周・因縁説周の三周のうちで悟りを得た者たちのためのものであるからである。
しかし熟脱ではなく下種の法華経とはつまりは久遠の名字即の凡夫のための凡夫即極の南無妙法蓮華経である。であるからそれを本地久遠本仏の日蓮大聖人は凡夫が直ちに即身成仏できる本因妙の下種仏法の修行の手本として、三大秘法の南無妙法蓮華経を方便を交えず直ちに我ら末法の衆生に下種されるのである。
生死の煩悩を一分も断じておらぬ我ら末法の一切衆生は、この三大秘法の南無妙法蓮華経を受持信行することによって、必ず即身成仏するのである。
我ら濁悪不浄の凡愚の我らにとっては誠に有り難いご法門なのである。
(中略)
実に秘すべきことである。
   南無妙法蓮華経 日蓮

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日亨上人 註解

○ 「今謂(いわ)く」とは、本師上来の憶説を排除して蓮祖正伝の実義を述べたまふので下の文にも「是憶度に非ず」と断はられてある。

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72

 問う、正しく種脱相対の一念三千如何。
 答う、此れ即ち蓮祖出世の本懐、当流深秘の相伝なり、焉(いずく)んぞ筆頭に顕わすことを得んや。然りと雖も近代他門の章記に竊(ひそ)かに之れを引用す、故に遂に之れを秘すること能わず、今亦之れを引く、輪王の優曇華、西王母が園の桃と深く応に之れを信ずべし。
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(※ では聞くが、熟脱仏法より一重深いという下種仏法の一念三千の正体とは一体どういうものか?
それに答えるに、これはまさに日蓮大聖人御一期の御化導での出世の本懐であり、正統正嫡の日興門流において深秘の相伝である。どうして軽々しく文面に顕す事ができようか。
しかし、そうではあるが、近代の不相伝の他門(※特に八品派など)の文献に秘かにこの相伝を引用している箇所も散見される。であるからこの相伝を秘しておくことは不可能な状況となっている。
(なぜかといえば、このまま相伝の文だけが引用され本義とかけ離れた浅薄な邪義が流布することを防がなければならないからである。)
そこで、今この相伝を引用する。
@輪王の優曇華 A西王母が園の桃 の例えのごとく、二度と聞けることはない大変に稀少な内容だと心得て疑うことなく深く信じなさい。
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参照

@ 輪王の優曇華

『法華文句』(四)には
「優曇華は、霊瑞の意を示し、三千年に一度現れる。この花が現れたときに、金輪王(轉輪聖王)がこの世に現れる」と説かれている。

『慧琳音義』第八巻
「この花は天上の花であり、 人間世界には存在しない。もし、如来佛がこの世に下り、金輪王がこの世に現れれば、その偉大な福徳力によって、初めてこの世に優曇華の花が見られる」

 ある年、釈迦牟尼佛は弟子たちに轉輪聖王と優曇華について話した。
釈迦牟尼佛が弟子達を連れて修行していた時、ある弟子に
「世の人のように世俗の中で修行できるでしょうか?」と問われたことがあり、釈迦牟尼佛は
「それは、轉輪聖王が下界に現れるその日まで待たなければならない……その時になったら、万古の機縁を逃すな。」と答えた。

 又ある時、弟子たちが釈迦牟尼佛の説法を聞いた後、女弟子の蓮華色が
「世尊。将来、轉輪聖王が下界に現れ伝法すると仰いましたが、人々はどのようにその時を知るのでしょうか?」と丁重に尋ねた。
釈迦牟尼佛は
「その時になると、優曇婆羅という花が広範囲に咲き、轉輪聖王がこの世で法を伝え、衆生を救い済度していることを示す。」と明らかにした。

 釈迦牟尼佛はさらに
「この花は人間界の花ではなく、轉輪聖王の一種の吉兆のようなものである。
仏によってその象徴は異なるが、この花は吉兆であり、この尊佛が下界のどこかに現れて説法し、衆生を済度することを予告するもの。
あなた達は多くの善根功徳(ぜんこんくどく)を蓄えなさい。
あなた達が聖王に出会うまで、私もあなた達に付き添う。
あなた達が轉輪聖王の伝法と済度を得ることができれば、私も安心する。」と続けた。

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A 西王母が園の桃

 昔、仙境といわれていた場所は、東の蓬莱山、西の崑崙山(こんろんさん)。
この二つの山には不老不死の薬があると古くから言い伝えられていた。
その崑崙山の主人が王母娘娘(ワンムーニャンニャン)。
西の王母だから西王母という。

 彼女は玉皇大帝(ぎょっこうたいてい)という道教の最高位の神の妻。
女神の中では最高位の神で、長寿の神。
 かつては疫病や刑罰をつかさどる神だったようだが、周から漢の時代にかけて不老不死の薬(霊丹妙薬(れいたんみょうやく))や桃(蟠桃(はんとう))を有する、長寿の神と変化した。

 古来中国では、桃は魔よけの力があるといわれ、仙人の杖に使われたり、お札に使われたりしてきたが、崑崙山には王母桃または蟠桃といわれる桃があるといわれている。
この桃が不老長寿の桃。
この桃はとても小さく、銃の玉ほどの大きさしかないといわれている。
そして3000年に一度しか実がならない。

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日亨上人 註解

○ 「近代他門」等とは、八品門家等である。

○ 「西王母の園の桃」とは、西王母は支那古代の神仙で崑崙(こんろん)山の麓(ふもと)に住し三千年に一回実を結ぶ仙桃が其の園に在るという伝説。
次上の優曇華とは共に正法には値(あ)ひ難(がた)きの例証である。

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73

本因妙抄に云わく「問うて云わく、寿量品文底一大事と云う秘法如何。答えて曰く、唯密の正法なり。秘すべし、秘すべし。一代応仏の域を引かえたる方は、理の上の法相なれば、一部共に理の一念三千、迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を、脱益の文の上と申すなり。文底とは久遠実成名字の妙法を余行に渡さず、直達正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是れなり」云々。
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(※ 相伝書の本因妙抄にこう仰せである。原典
■ 問うて云はく、寿量品文底大事と云ふ秘法如何。答へて云はく、唯密の正法なり。秘すべし秘すべし。一代応仏のいき(域)をひかえたる方は、理の上の法相なれば、一部共に理の一念三千、迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を、脱益の文の上と申すなり。文底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず、直達正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是(これ)なり。
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(※ 寿量品の文底の大事という秘法はいかなるものか。
それは、ただ唯一の真の正法である。軽々しく他へ言うべきではない。厳に秘すべきでことある。
釈尊一代五十年は、阿含時・方等時の劣応身から華厳時等での他受用身 法華時での自受用報身に至るまで、法・報・応の三身を示現したとはいえ、つまる所、次第に昇進した応身仏に過ぎないのである。
その範疇で説かれた法は文底の事行の一念三千から見れば全て理上の法の相であるから、五時八教・大小・権実・本迹・劣応・勝応・報身・法身・皆、本未有善の末代の衆生にとって時としも機根としても適しておらず、どのように巧みに理を説こうとももはや無用のものなのである。
釈尊の出世の本懐である法華経一部ですら事の一念三千からすれば迹門も本門も共に未だ迹であり、理の一念三千である。寿量品ですら久遠元初の下種仏法から見れば実は迹の上での本門寿量品なのである。このように得心することこそが、脱益仏法の文上の正しい解釈なのである。

では文底とは何かといえば、釈尊が久遠実成したそのまた奥における名字即の位から究竟即を得ることができる下種益の南無妙法蓮華経を自行化他において信行し、知らず計らず正観に達する(即身成仏する)、観を用いないで観を得ることができる。これが事行の一念三千の南無妙法蓮華経(三大秘法)なのである。

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日亨上人 註解

○ 「本因妙抄」とは、抄の終わりの方にある文。

○ 「一代応仏の域を」等とは、単に応身仏を云ふのでは無い。阿含方等の劣応より華厳法華の他受用・自受用報身に至るまで釈尊一代五十年の三身は各々異なるも、要するに次第に昇進したる応身仏に過ぎない。故に一代五十年の三身示現は応身仏の分域を出でずと云ふ大聖の卓見である。

○ 「理上法相」とは、五時八教・大小・権実・本迹・劣応・勝応・報身・法身・皆末代の事宜に適せず、如何に巧みに布陳羅列するとも唯是無用の骨董、理上の法相に過ぎずと云ふ事である。但し此れは是れ甚深秘要の宗義で諄々(じゅんじゅん)周説せざれば耳に入るべきで無い、然るを近来一文不通の輩動(やや)もすれば突如に此の義を無縁に誇耀すと聞く。若し将(はた)して然らば幼児の銘刀自ら傷つき他を傷つくる恐れ無きに非ずと思ふ。

○ 「直達正観」とは、六妙門、四種三昧等の普通の観念観法に依よらずして少しも邪観に陥らず、題目の信行を以て知らず計らず正観に達するのである。即ち観を用ひないで観を得たる有様を云ふのである。

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74

 問う、久遠名字の妙法とは其の体如何。
 答う、当体抄・勘文抄等往いて之れを勘うべし云々。今且く之れを秘す云々。
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(※ 久遠元初の名字の妙法とはその正体は何か?
それは、当体義抄・三世諸仏総勘文教相廃立等に説かれている。
自分でしっかりと拝して深く熟考すべきである。
今ここにおいてはこの文を秘す。

参照 当該文
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当体義抄 

■ 至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時(ぐじ)・不思議の一法之(これ)有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減(けつげん)無し。之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり。聖人此の法を師と為して修行覚道したまへば、妙因妙果倶時に感得し給ふ。故に妙覚果満の如来と成り給ふなり。
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(※ 宇宙法界の極理・法そのものには名はない。久遠元初の三身即一の自受用報身如来が宇宙法界の法理を観見され森羅万象に名を付ける時、その根底・根源に因果倶時(仏因・仏果が一念において成就する)の、不可思議な一法が存在していた。これを「南無妙法蓮華経」と名付けられた。この南無妙法蓮華経の一法に宇宙法界森羅万象 十界三千のあらゆる諸法が備わり全く欠けるところがない。この南無妙法蓮華経を修行する者は、仏となる因行とその結果としての仏果を同時に感得することができる。久遠元初自受用報身如来はこの南無妙法蓮華経を師として修行され即座開悟され、妙覚の因(仏因)と妙覚の果(仏果)を同時に感得なされて、妙覚の仏果円満の如来と成られたのである。)
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三世諸仏総勘文教相廃立

■ 釈迦如来五百塵点劫(じんでんごう)の当初(そのかみ)、凡夫にて御坐(おわ)せし時、我が身は地水火風空なりと知(しろ)しめして即座に悟(さと)りを開きたまひき。
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(※久遠元初の下種の教主釈尊(=久遠元初の自受用報身如来)は五百塵点劫の更にそれ以前、存在の根源において、凡夫身その身そのままであった時、(南無妙法蓮華経の御修行をされ)「我が身は地水火風空 宇宙法界そのものである。」と覚知なされて即座に悟を開かれたのである。

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日亨上人 註解

○ 「当体抄」とは、義の字を略してある。当体義抄の末文を見よ。

○ 「勘文抄」とは、総の字を略してある。「釈迦如来五百塵点劫」云云の下の文を見られよ、但し名字の妙法は本抄の詮で無いから「往いて勘ふべし」等と云はるゝのである。

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第八章

75

 第八に事理の三千を示すとは
 問う、事理の三千其の異なり如何。
 答う、迹門を理の一念三千と名づく、是れ諸法実相に約し之れを明かす故なり。本門を事の一念三千と名づく、是れ因果国に約して此れを明かす故なり。若し当流の意は迹本二門の一念三千を通じて理の一念三千と名づけ、但文底独一の本門を以て事の一念三千と名づくるなり。是れ当家の秘事なり、口外すべからざる者なり。
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(※ 第八番目の論題
事の一念三千と理の一念三千との相違を明示する段。
問う、その違いは何か?
それは、迹門を理の一念三千と言う。これは方便品第二の諸法実相に約して明かされているからである。
本門を事の一念三千と言う。これは本因妙・本果妙・本国土妙の三妙に約して明かされているからである。
しかし、これは釈尊の熟脱仏法の本迹相対の辺であって、日蓮大聖人からの正統・正嫡の富士門流においてはその本迹双方とも理の一念三千と言うのであり、ただ文底に秘し沈められてある本因下種の南無妙法蓮華経(三大秘法)の独一の本門のみを真の事の一念三千と言うのである。
これはまさに宗祖大聖人以来の相伝による当門流の深秘秘蔵の法門であって、たやすく口外してはならないのである。

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日亨上人 註解

○ 「事理三千其の異なり」等とは、此れ重甚深の法義である。当流独頭の事理三千は常流に超へて釈尊の本門のみでなく、三世諸仏の説法の全てをも共に迹門と名づけて、但下種本因妙の題目のみ本門と名づけ、独一の二字を冠(かぶ)らせて他の本門に揀異(かんい)するのである。

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76

 問う、迹本二門の一念三千を何ぞ通じて理の一念三千と名づくるや。
 答う、此に二意あり。一には倶に理の上の法相の故に。二には倶に迹の中の本迹なる故に。
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(※ 法華経の迹門・本門の一念三千をどうして「理の一念三千」と定義するのか?
答えよう。そう定義する理由に二つの道理がある。
その一つ目の理由は、迹門・本門共に熟・脱の機である本已有善の衆生のための一念三千であり、末法の本未有善の衆生にとっては事実の上で即身成仏できる法門ではない。ただ理論上の一念三千であるが故である。

二つ目の理由は、文底久遠下種本門から相対すれば、垂迹化他の応仏釈尊の熟・脱仏法における法華経の迹門・本門はいづれも迹中の本迹に過ぎないからである。

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日亨上人 この箇所での註解はなし。

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77

本因妙抄に云わく「一代応仏の域を引かえたる方は、理の上の法相なれば、一部倶に理の一念三千なり」云々。
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(※ 御相伝書の本因妙抄にこのように仰せである。
原典■「一代応仏のいき(域)をひかえたる方は、理の上の法相なれば、一部共に理の一念三千、迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を、脱益の文の上と申すなり。
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(※ 釈尊一代五十年は、阿含時・方等時の劣応身から華厳時等での他受用身 法華時での自受用報身に至るまで、法・報・応の三身を示現したとはいえ、つまる所、次第に昇進した応身仏に過ぎないのである。
その熟・脱仏法の範疇で説かれた法は、文底下種の事行の一念三千から見れば全て理上の法の相であるから、五時八教・大小・権実・本迹・劣応・勝応・報身・法身・皆、本未有善の末代の衆生にとって法の内容も時としも機根としても適さず、どのように巧みに理を説こうとも無用なものである。

釈尊の出世の本懐である法華経一部(全巻)ですら文底下種の事の一念三千からすれば迹門も本門も共に未だ迹であり、理の一念三千である。寿量品ですら久遠元初の下種仏法から見れば実は迹の上での本門寿量品なのである。
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又云わく「迹門をば理の一念三千と名づけ、脱益の法華経は本迹倶に迹なり。本門をば事の一念三千と名づけ、下種の法華経は独一本門なり」云々。
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(※ 同じく本因妙抄に仰せである。
原典■「迹門をば理具の一念三千と云ふ、脱益の法華は本迹共に迹なり。本門をば事行の一念三千と云ふ、下種の法華は独一本門なり。」
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(※ 迹門は理の一念三千と定義される。何故なら釈尊の脱益の法華経は文底下種の真の本門である妙法蓮華経から見れば、本門・迹門共に迹だからである。
本門は迹門に対すれば一応「事行の一念三千」と言える。
しかし、文底下種の法華経はその更に深奥に秘沈されており、真の根本、奥底の独一本門である。
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本尊抄に云わく「一念三千殆ど竹膜を隔つ」等云々。
迹本事理の三千殊なりと雖も通じて理の一念三千と名づく、故に竹膜を隔つと云うなり。是れ則ち文底独一本門事の一念三千に望むるが故なり云々。
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(※ 観心本尊抄にはこのように仰せである。
原典■「一念三千殆(ほとん)ど竹膜(ちくまく)を隔(へだ)つ。」

この御文は何を意味しているかと言えば、熟益・脱益の釈迦仏法の範疇で論ずれば、迹門の諸法実相によるところの理の一念三千と、本門の久遠実成によるところの事の一念三千とは大いに異なっていると言えるが、文底下種の独一本門の真の事の一念三千から見れば、本門・迹門の一念三千は共に所詮「理の一念三千」に過ぎず、その本門・迹門の差異は竹の内側にある薄い皮で隔てる程度の差でしかない。ということである。

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日亨上人 註解

○ 「殆ど竹膜を隔つる」等とは、竹膜とは竹の中にある薄皮(うすかわ)即ち竹紙一重を隔つる少分の差を以て譬(たとへ)とせられた。本迹二門の一念三千は諸法実相と云ひ、一つには久遠寿量と云ふ大差があるけれど、今文底下種の本門から見ると何れも文上熟脱の一念三千であるから、本迹共に迹と云はれて其の差僅わずかに竹紙一重の如しと云ふ本師の御釈である。なお明細は他所の御文を見るが良い。

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78

 問う、文底独一本門を事の一念三千と名づくる意如何。
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(※ 文底独一本門を「真の事の一念三千」と定義できるその根拠は?

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 答えて云わく、是れ唯密の義なりと雖も今一言を以て之れを示さん、所謂人法体一の故なり。
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(※ これは実に深秘深奥でたやすく述べるべきことではないが、その深義を示す。
これは、久遠元初の自受用身如来はそのまま久遠元初の下種の妙法「南無妙法蓮華経」と一体であるという深義である。
(五百塵点劫の久遠実成とは、釈尊がそれ以前「我本行菩薩道(※我、本、菩薩の道を行じ)」、何らかの仏法を行じて成仏したことを意味する。
つまり法に依って仏となれたのであるから、釈尊はあくまで法勝人劣の仏であった。
この「法勝」の「法」がそのまま「仏」という「人法体一」でなければ真の究極の仏法とは言えない。
が故に、文底独一本門が真の事の一念三千と言える理由として「人法体一」を挙げるのである。
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 問う、証文如何。
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(※ その根拠となる文証とは何か?)

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 答う、且く一文を引かん、仰いで之れを信ずべし。御義口伝に云わく「自受用身即一念三千」と。伝教の云わく「一念三千即自受用身」云々。御相伝に云わく「明星が池を見たもうに日蓮が影即ち今の大曼荼羅なり」云々。本尊抄に云わく「一念三千即自受用身」云々。報恩抄に云わく「自受用身即一念三千」云々。
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(※ では、ほんの一端を示すので、異念を起こさず素直に拝して信じなさい。
御義口伝(原典)にいわく■「自受用身(ほしいままにうけもちいるみ)とは一念三千なり。」(1771−10)
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(※ 久遠元初の自受用身(ほしいままにうけもちいるみ)如来とは即一念三千である。
参照 欲しいままに受け用いる身 
久遠元初の自受用身の命は、何ものにも左右されない、清浄無比、一切に障りなく、常楽我浄の境界 
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伝教大師いわく 天台名匠口決抄にこうある■「山家釈云。(秘密荘厳論)一念三千即自受用身」
天台家の釈(秘密荘厳論)にいわく、一念三千は即 自受用身 である。

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当家の御相伝書「御本尊七箇相承(日興上人)」にいわく
■ 一、明星直見の本尊の事如何。
師の曰く、末代の凡夫幼稚の為に何物を以て本尊とすべきやと虚空蔵に御祈請ありし時、古僧示して言はく、汝等が身を以て本尊と為すべし、明星が池を見給へとの玉ふ。
即ち彼の池を見るに不思議なり、日蓮が影、今の大曼荼羅なりと云云。(富要1−32−末行)
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(※ 日蓮大聖人が仰せられた。
「末代の幼稚な凡夫である一切衆生のためには、一体何を本尊と定めるべきでありましょうか?とかつて虚空蔵菩薩に祈って願ったところ、古僧が現れて、「汝が身そのものを以て本尊とすべきである。明星が池を見なさい」と言われたのである。
そこでその明星が池へ行って湖面を見ると不思議にも日蓮が水面に映った影がそのまま本門戒壇本尊であったのである。」と。
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参考 日亨上人「「明星が池」は房州清澄寺本坊の前庭の左の谷底にあるが、今は屋蓋で掩(おお)はれてをる。」

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観心本尊抄にいわく (以下の御文は「一念三千即自受用身」と直接的には説かれていない。がその理由は次項にて日寛上人が明かされている。)
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■「其の本尊の為体(ていたらく)、本師の娑婆の上に宝塔空(くう)に居(こ)し、塔中(たっちゅう)の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士(きょうじ)上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属(けんぞく)として末座に居し、迹化(しゃっけ)・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処(しょ)して雲閣月卿(うんかくげっけい)を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり。是くの如き本尊は在世五十余年に之(これ)無し、八年の間但八品に限る。正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為(な)し、権大乗並びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画(えが)けども未(いま)だ寿量の仏有(ましま)さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。」(654−7)
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※ 末法に出現すべきその本尊の姿・相貌・有り様(ありよう)とは、久遠元初の自受用身如来が住まわれる娑婆国土の上に、宝塔が空中にましまして、その宝塔の中の南無妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏がおわして、その釈尊のさらに脇士(きょうじ)に上行菩薩等の四菩薩がましまし(←※一応の教相上の表現)、そして文殊師利菩薩・弥勒菩薩等は四菩薩の眷属(けんぞく)としてその末座に居し、迹化(しゃっけ)・他方の大小の諸菩薩は、中央御首題等を、万民が大地に伏して宮殿の公卿や殿上人のことを見るが如くに、十方の諸仏は大地の上に居られる。これは本仏・本国土に対して十方の諸仏が迹仏であり・迹土であったことを表すためである。
このような本尊は釈尊の在世五十数年間には現れなかった。
法華経を説かれた八年の間でも但、従地涌出品第15 如来寿量品第16 分別功徳品第17 随喜功徳品第18 法師功徳品第19 常不軽菩薩品第20 如来神力品第21 嘱累品第22の八品に限って出現する。(※一応教相上の表現)
正像二千年の間は小乗の本尊である釈尊像は迦葉・阿難を脇士と為(な)し、
権大乗並びに涅槃・法華経の迹門等の本尊である釈尊像は文殊・普賢等を以て脇士と為していた。
此等の仏(本尊)は正像に造られ画(えが)かれてきたけれども、未(いま)だ寿量の仏(寿量品の本尊)はいらっしゃらなかった。(※ここに教相の文を借りて寿量文底の意義を込められている)
末法に来入して始めて此の仏像(本尊)が出現されるべきなのであろうか。(出現されるべきなのである。=人法一箇の戒壇の大御本尊のことを暗に示されておられる)」
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報恩抄にいわく (ここも同じく以下の御文には「自受用身即一念三千」と直接的には説かれていない。がその理由は次項にて日寛上人が明かされている。)
■「日本乃至一閻浮提(えんぶだい)一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂(いわゆる)宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士(きょうじ)となるべし。」(1036−8)
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(※ 日本乃至全世界の一切衆生は、一同に本門の教主釈尊(※一応教相での表現、文底では久遠元初自受用報身如来)を本尊とすべし。所謂(いわゆる)宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩は、その「本門の教主釈尊(※一応教相での表現、文底では久遠元初自受用報身如来=南無妙法蓮華経)の脇士(きょうじ)となるべきである。」

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日亨上人 註解

○ 「人法体一」とは、名は一つで義は広いのであるが、今は凡身と一念三千との人法一箇、宗祖大聖と妙法との人法体一とを取るのである。併(しか)し此の義は凡情に超絶するから諸門家多く此れを肯定せずして此の人法を隔離し、空漠(くうばく)の理想に走り、宗祖の命根を割(さ)くやうな有様に陥ってをる。

○ 「御義口伝」とは、下巻、自我偈始終の事の下の文である。

○ 「自受用身」とは、御義に「ホシイマヽニウ受ケ用イル身」と訓じて無作の三身と云ってあるが、当流の別義で解すべきである。

○ 「伝教云わく」とは、秀句の文である。

○ 「御相伝に云わく」とは、御本尊七箇相伝の末文である。具さに文を示さば
「虚空蔵に末代の嬰児凡夫の為には何物を以て本尊とすべきやと御起請ありし時、古僧示して言わく汝等が身を以て本尊となすべし、明星が池を見玉へとの玉へり、即ち彼の池を見るに不思議なり」と、此の下に本抄に引く「日蓮が影」等の御文がある。
明星が池は房州清澄寺本坊の前庭の左の谷底にあるが、今は屋蓋で掩(おお)はれてをる。

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79

 問う、本尊・報恩両抄の中に未だ此の文を見ず、如何。
 答う、是れ盲者の過にして日月には非ず云々。
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(※ 問う 観心本尊抄には「一念三千即自受用身」、報恩抄にも「自受用身即一念三千」との文言はないではないか。これはどういうことか?

それに答えるには、そう思うのはまさに文のみに囚われて義が読めない暗者の蒙昧さであって、両抄には日月のごとく明々白々にその義意が顕れているのに、愚昧な守文の徒にはそれが読めず理解できないのである。

観心本尊抄 
■「@『其の本尊の為体(ていたらく)、本師の娑婆の上に宝塔空(くう)に居(こ)し、塔中(たっちゅう)の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士(きょうじ)上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属(けんぞく)として末座に居し、迹化(しゃっけ)・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処(しょ)して雲閣月卿(うんかくげっけい)を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり。是くの如き本尊』
は在世五十余年に之(これ)無し、八年の間但八品に限る。正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為(な)し、権大乗並びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画(えが)けども

A『未(いま)だ寿量の仏有(ましま)さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。』
(654−7)

@『』は「文底下種本門の事の一念三千」を顕わし、
A『』は「久遠元初の自受用身」を顕わしているのである。
故にまさに「一念三千即自受用身」という義意である。
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報恩抄では■「日本乃至一閻浮提(えんぶだい)一同に
@『本門の教主釈尊』を
A『本尊とすべし。』所謂(いわゆる)
B『宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士(きょうじ)となるべし。』(1036−8)

この @『』が「久遠元初の自受用身」を顕わし
A『』が「法本尊としての一念三千」を示し
B『』がその「久遠元初の自受用身即一念三千」の本尊の相貌を示している。

これまたまさに「自受用身即一念三千」との義意である。

以上、不相伝の頑迷暗愚の守文の徒にはこの義意が拝せないのである。

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日亨上人 註解

○ 「本尊・報恩両抄の中に未だ此の文を見ず」とは、抄文に引く所の本尊抄の一念三千即自受用身及び報恩抄の自受用身即一念三千の二文は両抄の中に現文無きこと問意の通りであるのを、本師は直ちに「盲者の過にして日月(失)に非ず」と喝破せらるゝのは少々酷のやうであるけれども、此れは通俗の守文の愚習に冷水を被(かぶ)せられたのである。
本尊抄を通覧するには法則人の本尊を示されてある所が一念三千(法)即自受用身(人)で、報恩抄を熟拝するに人即法の本尊を示されてある所が自受用身(人・蓮祖)即一念三千(法・元初の妙法)である、
守文の徒、迷執の暗者は如何にしても此の達観を得ざる故に本師慈刀を以て彼らの邪膜を決せられたものである。

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80

 応に知るべし、一代の諸経は但是れ四重なり、所謂爾前・迹門・本門・文底なり。此の四重に就いて三重の秘伝有るなり。謂わく、爾前は未だ一念三千を明かさず、故に当分と名づく。迹門は即ち一念三千を明かす、故に跨節と名づく。此れは是れ権実相対第一の法門なり。迹門に一念三千を明かすと雖も未だ発迹顕本せざれば、是れ真の一念三千に非ず、故に当分と名づく。正しく本門は真の十界互具・百界千如・一念三千を明かす、故に跨節と名づく。此れは是れ本迹相対第二の法門なり。脱益の本門文上に真の一念三千を明かすと雖も、猶是れ理の上の法相、迹の中の本なるが故に通じて理の一念三千に属す、故に当分と名づく。但文底下種・独一本門・事の一念三千を以て跨節と名づく。此れは是れ種脱相対第三の法門なり。学者若し斯の旨を得ば釈尊一代五十年の勝劣、蓮祖の諸抄四十巻の元意、掌中の菓の如く了々分明ならん。
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(※ いよいよ心して学びそして領解しなさい。
釈尊一代の一切経は、四重の相対によって分類できるのである。
それは、@法華経以前の爾前経 A法華経迹門 B法華経本門 C 文底下種本門 である。
この四重の相対については日蓮大聖人以来、三重の秘伝が相伝されているのである。
その内容とは、

@第一の法門 権実相対
▼爾前権経では未だ十界各別であり十界互具が成立せず等、一念三千は明かされていない。→当分(その分、そのまま、与えられた範囲・分限で の意)
●法華経迹門では一念三千を明かす。→跨節(節を跨(また)ぐことで、一重深く立ち入った義)

A第二の法門 本迹相対
▼迹門で一念三千を明かしたとはいえ、未だ釈尊は始成正覚の立場であり、久遠実成の本地の開顕をしていないので、真の一念三千とは言えない。→当分
●法華経本門に至って久遠実成という本地を開顕しここにおいて初めて本因妙・本果妙・本国土妙の三妙が整い、十界互具・百界千如・三世間によって真の一念三千となる。→跨節

B第三の法門 種脱相対
▼しかし、その法華経本門の一念三千といえども、応仏昇進・法勝人劣・垂迹仏である釈尊の熟脱仏法の文上における一念三千であるから、迹門・本門共に迹となり、理の一念三千である。→当分
●法華経寿量品の文底に秘し沈めてあった唯一究極の下種仏法における一念三千こそ、真実究竟の一念三千(つまりは三大秘法総在の戒壇の大御本尊のこと)である。→跨節

仏法を真摯に学び行ずる者は、この三重の相対の原理・道理を領解し信解できれば、釈尊一代五十年の仏教の全てに通達し、あらゆる経典の勝劣が明瞭となり、また日蓮大聖人が説かれた全御書の御心にも通達し、あたかも掌の中の実のごとく明らかとなるであろう。

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日亨上人 註解

○ 「四重」○ 「三重秘伝」とは、
四重は文の通りである。
三重等は前の大段第二の下の註解に図してをいたが、其の権実相対を分割して爾前当分の一重を設くれば即ち四重となるが故に茲(ここ)には煩わずらはしく再解せぬ。
 
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第九章

81

 第九に正像未弘の所以を示すとは、
 文に云わく「竜樹・天親は知って而も弘めたまわず、但我が天台智者のみ之れを懐けり」文。文を分かちて二と為す。初めに通じて三種を結し、次に「但」の下は別して第三を結するなり。
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(※ 第九番目の論段
正法・像法の間、なぜ文底下種本門の一念三千は弘められなかったのか。
そして末法にこそその文底下種の一念三千が弘まるべきことが結論であることを示す。

開目抄にはこのように仰せである。
原典■「竜樹天親は知って、しかもいまだひろ(拾)いい(出)ださず、但我が天台智者のみこれをいだ(懐)けり。」
(この御文はこの三重秘伝抄の冒頭に掲げられた
■「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘してしづめたまへり。526−16 竜樹天親は知って、しかもいまだひろ(拾)いい(出)ださず、但我が天台智者のみこれをいだ(懐)けり。」
の標・釈・結のうちの結の部分にあたる。)

まずこの御文を二段に分ける。
初めの文■「竜樹天親は知って、しかもいまだひろ(拾)いい(出)ださず、」では全体を通じて権実・本迹・種脱の三種の相対の意義を明らかに示し、
次には「但」の下の箇所■「但我が天台智者のみこれをいだ(懐)けり。」の文では、別して第三の法門 種脱相対して末法では文底下種の妙法である三大秘法が流布すべきが結論であることを示す。

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日亨上人 註解

○ 「三種」とは、権実、本迹、種脱の三種の法門である。

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82

 初めに通じて結するとは、竜樹・天親内鑒冷然なりと雖も外適時宜の故に正法千年の間、三種倶に之れを弘めざるなり。故に本尊抄に云わく「問う、竜樹・天親は如何。答う、此等の聖人は知って之れを言わず、或は迹門の一分之れを宣べて本門と観心とを云わず」云々。竜樹・天親は三種倶に之れを弘めず、故に「言わず」と云うなり。然りと雖も若し迹門に於ては一念三千を宣べずと雖も或は自余の法門を宣ぶ、故に「一分之れを宣ぶ」と云うなり。若し本門と観心とに於ては一向に之れを宣べざる故に「云わず」と云うなり。本門と言うは即ち是れ第二なり、観心と言うは即ち是れ第三なり、文底は本是れ直達正観なるが故なり。
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(※ 開目抄の今文を二段に分けたうちのまず初めの■「竜樹天親は知って、しかもいまだひろ(拾)いい(出)ださず、」では全体を通じて権実・本迹・種脱の三種の相対の意義を明らかに示す、という意味は、竜樹菩薩も天親菩薩も心の内では明らかにこの三種の相対の意義は心得ていた、一念三千こそが究竟の法門であることを見極めていたけれども、正法時代の様相、衆生の機根などを鑑みて、正法千年間(の内の後半)には他に向かっては説かなかったのである。
それは大聖人が観心本尊抄に以下のごとく示されている。
原典■「問うて曰く、竜樹・天親等は如何。答へて曰く、此等の聖人は知って之を言はざる仁なり。或は迹門の一分之(これ)を宣べて本門と観心とを云はず、(651−11)」

竜樹菩薩・天親菩薩は権実・本迹・種脱の三種の相対を弘めなかったが故に御文では■「言はざる仁なり」(言わなかった人達)と仰せである。
しかし法華経迹門においての一念三千そのものは述べなかったとはいえ、竜樹菩薩は大智度論に「般若は非秘密・法華は秘密」(参照・原文 「余経は秘密に非ず、法華は是れ秘密なり」「般若は秘密に非ず二乗作仏なし、法華は是秘密なり、二乗作仏あり」)とほぼ権実相対を述べ、また天親菩薩は法華論で「種子無上」(法華経で明かされた三千塵点劫・五百塵点劫での下種こそが最極無上のものである)と、同じく権実相対の一分を説くなどしているので■「一分之を宣べて」と仰せである。
そして法華経本門と文底・観心においては全く述べていないので■「本門と観心とを云はず」と仰せなのである。)

この中で
「本門」というのは本迹相対のことで、これは第二の法門。
「観心」というのは種脱相対のことで、これは第三の法門。
この第三の法門である文底の観心、下種の妙法こそが真の本門である。
なぜかならば修行即仏果、直ちに正観に達する、即身に成仏出来る究極の大仏法であるからである。

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日亨上人 註解

○ 「内鑑冷然」とは、冷然は明了の義で、内鑑は内証の?智(かんち)である。心には明らかに之を知っているけれど、時の様子を顧みて口に出して云はぬのである。

○ 「自余法門」とは、天親菩薩の法華論の種子無上の如き、竜樹菩薩の大論の般若非秘密・法華秘密のやうな渾然たる法門を云ふのである。

○ 「観心」とは、天台の己心の一念三千を観ずるのとは別である。

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83

 次に別して結すとは、天台は但第一・第二を宣べて而も第三を宣べず、故に「之れを懐く」と云うなり。
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(※ 次に開目抄の今文を二段に分けた次の■「但我が天台智者のみこれをいだ(懐)けり。」の段において、別して第三の法門 種脱相対して末法では文底下種の妙法である三大秘法が流布すべきが結論であることを示す。との意味はどういうことかといえば、天台大師はただ、第一の法門 権実相対と第二の法門 本迹相対を述べたが、第三の法門 種脱相対については論じなかった。
このことを指して■「これをいだ(懐)けり。」つまり、天台大師は種脱相対を胸中に秘して懐いていた。と大聖人は述べられているのである。
つまり、第三の法門 種脱相対して明かされる文底下種の三大秘法の南無妙法蓮華経は、末法に譲られているのである。

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日亨上人 註解はなし。

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84

 問う、天台は即ち是れ迹門の導師なり、故に但迹門の理の一念三千を宣ぶ、故に治病抄に云わく「一念三千の観法に二つ有り、天台・伝教の御時は理なり。今の時は事なり。彼は迹門の一念三千、是れは本門の一念三千なり。天地遥かに異なり」云々。既に「彼は迹門理の一念三千」と云う。故に知んぬ、但第一を宣べて第二を宣べず、何ぞ第一・第二を宣ぶと云うや。
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(※ 問う、天台大師は迹化の薬王菩薩の後身として中国に出現し、法華経の迹理を像法に弘められた法華経迹門の大導師と言われている。であるから但ひとえに迹門の理の一念三千を明かしただけではないのか。
その根拠としては日蓮大聖人が治病大小権実異目にこのように述べておられる。
原典■「一念三千の観法に二あり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理なり。今は事なり。観念すでに勝る故に、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門の一念三千なり。天地はるかに殊(こと)なりことなり」(1239−2)
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(※ 一念三千の観法に二種類がある。像法時代の天台大師・伝教大師の時は理の一念三千である。末法今時においては事の一念三千である。心で観想して感得する一念三千よりは、現実の事相において事実の上で体得する一念三千の方が遥かに勝れているが故に、三類の強敵による大難もその規模が大きいのである。天台大師・伝教大師等は迹門の一念三千、日蓮が明かす一念三千は本門の一念三千であるからである。この二種類の一念三千は天地ほどのあるいはそれ以上の相違があるのである。)
ここの■「彼は迹門の一念三千」と仰せではないか。
であるならば天台大師は法華経迹門の導師であるのだから、但第一の法門である権実相対(権教と法華経迹門との違い)だけを述べて、第二の法門である本迹相対は明かしていないのではないか。どうして天台大師等が第一権実相対、第二本迹相対を明かしていると言えるのか。

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日亨上人 註解

○ 「迹門の導師」とは、天台智者大師は迹化の薬王菩薩の後身として支那に出現し、法華経の迹理を像法に弘められた大導師である。

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85

 答う、大師仍(なお)第一・第二を宣ぶるなり、若し第二を宣べざれば則ち一念三千其の義を尽くさざる故なり。
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(※ 上記の問いに答える。
天台大師は第一法門の権実相対と第二法門の本迹相対をも実は明かしているのである。
それというのも、もし本迹相対を明かさなければ一念三千の本義を解明したことにならないからである。

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十章抄に云わく「止観に十章あり。大意より方便までの六重は前の四巻に限る。此れは妙解、迹門の意を宣べたり。第七の正観、十境十乗の観法は本門の意なり。一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る」略抄。但像法迹門の導師なるが故に第一を面と為し第二を裏と為すなり。
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(※ その根拠として以下の文証を挙げる。
日蓮大聖人は十章抄に以下のように仰せである。
原典■「止観に十章あり。大意・釈名(しゃくみょう)・体相・摂法(しょうほう)・偏円(へんえん)・方便・正観・果報・起教(ききょう)・旨帰(しき)なり。「前の六重は修多羅(しゅたら)に依る」と申して、大意より方便までの六重は先(さき)四巻に限る。これは妙解、迹門の心をのべたり。「今妙解に依って以て正行を立つ」と申すは第七の正観、十境十乗の観法、本門の心なり。一念三千此(これ)よりはじまる。
 一念三千と申す事は迹門にすらなを(尚)許されず、何(いか)に況んや爾前に分た(絶)えたる事なり。一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る。」
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(※ 簡約 天台大師の止観に十章ある。大意・釈名・体相・摂法・偏円・方便までは法華経迹門を軸にして説いている。第七の正観で明かされる十境と十乗に約しての観法は、まさに法華経本門の義意を基として説かれているのである。一念三千はこの法華経本門の心を基に説かれた正観に依って明かされているのである。
一念三千はその真実の義は実は迹門ですら完成していない。ましていわんや爾前・権教では全く未知の領域の法門である。一念三千の直接的に根拠となる経文は権を開いて実を顕わし、略して三乗を開いて一乗を明かす十如実相の文であるが、その本義は本門、なかんづく寿量品にのみ存するのである。)
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このように、天台大師は法華経迹門の大導師であるが故に、第一権実相対(権教と迹門の勝劣判釈)を面とし、第二本迹相対(本門と迹門の勝劣判釈)を裏として一念三千を明かしているのである。

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日亨上人 註解

○ 「止観十章」とは、摩訶止観一部が十章に分たれてある。即ち一 大意、二 釈名、三 体相、四 摂法、五 偏円、六 方便、七 正観、八 果報、九 起教、十 指帰である。
其の第七の正観の章とは止観の五の巻にあって、始めて一念三千が明かされ、十境と十乗とに約して細説せられて十の巻までに大概終るのである。

 「十境」とは、陰境・煩悩境・病患境・業相境・魔事境・禅定境・諸見境・慢境・二乗境・菩薩境である。初めの陰境と云ふのは五陰、十二入、十八界を観智の境として其れに向かって妙観を成ずるのである。二の煩悩境以下此れに準じて知られよ。

○ 「十乗」とは、一 観不思議境、二 発真正菩提心、三 善巧安心、四 破法?、五 識通塞、六 道品調適、七 対治助開、八 知位次、九 能安忍、十 離法愛である。
初めの観不思議境とは十乗観法の根本でありて、先ず現前の一念心を空仮中の三諦と観じ、三千を成ずるが故に上根の人は此れだけで一念三千の観が成るけれども、中下根の人の為に次の九境が必要となるのである。

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86

故に本尊抄に云わく「像法の中末に観音・薬王、南岳・天台と示現し、迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して、百界千如、一念三千其の義を尽くすと雖も、但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字七字並びに本門の本尊、未だ広く之れを行ぜず」等云々。
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(※ そうであるからこそ観心本尊抄にはこのように説かれているのである。
原典■「像法の中末に観音・薬王、南岳・天台等と示現(じげん)し出現して、迹門を以て面(おもて)と為し本門を以て裏(うら)と為して、百界千如、一念三千其の義を尽くせり。但理具(りぐ)を論じて事行(じぎょう)の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊、末だ広く之を行ぜず。」
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(※ 像法時代の中頃から末にかけて観音菩薩は南岳大師として、薬王菩薩は天台大師として中国に再誕して、法華経迹門を面とし、本門を裏として百界千如、一念三千を説き究め尽くした。ただし、これは唯理論上一切衆生に一念三千を具するとの原理であって、事実の上で直達正観できる文底下種独一本門の三大秘法の南無妙法蓮華経と本尊は、未だ出現せず広まっていないのである。
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若し治病抄の文に、今日の迹本二門面裏異なりと雖も通じて迹門の理の一念三千と名づくるなり。
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(※であるから、先程の治病大小権実違目の文
原典■「一念三千の観法に二あり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理なり。今は事なり。観念すでに勝る故に、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門の一念三千なり。天地はるかに殊(こと)なりことなり」(1239−2)
は、法華経文上の「本迹」を述べられたのではなくその元意は、釈尊の熟脱仏法の範疇である天台大師の一念三千は、法華経において迹門を面 本門を裏として説き究めたとしてもそれは文底下種独一本門の事の一念三千に対すれば所詮未だ「迹門の理の一念三千」であると断ずるのである。

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日亨上人 註解

○ 「理具」とは、台家に云ふ所の理具の一念三千及び事変の一念三千は事理共に理上の法であるから、台家の事理は共に今家の理となる道理で、吾が家の事行の三千は台家の事変の三千とは雲泥の相違である。

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87

故に本因妙抄に云わく「脱益の法華経は本迹倶に迹なり」等云々。
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(※ であるから、相伝書である本因妙抄にこのようにある。
原典■「迹門をば理具の一念三千と云ふ、脱益の法華は本迹共に迹なり。本門をば事行の一念三千と云ふ、下種の法華は独一本門なり。」
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(※迹門は理論的に一切衆生に一念三千が具すという原理を明かした。脱益である釈迦仏法の法華経は本門・迹門共に未だ迹である。文底下種の本門は真に事において行ずる一念三千という。この文底下種の法華本門こそ真の究極、究竟の本門であるから独一本門と言うのである。

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日亨上人 註解なし

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88

本尊抄に云わく「迹を以て面と為し本を以て裏と為して、一念三千其の義を尽くすと雖も但理具を論ず」等云々、
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(※ 観心本尊抄にはこう仰せである。
原典■「迹門を以て面(おもて)と為し本門を以て裏(うら)と為して、百界千如、一念三千其の義を尽くせり。但理具(りぐ)を論じて」云々(660-13)
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(※ (南岳大師・天台大師等は)法華経迹門を面とし、本門を裏として百界千如、一念三千を説き究め尽くした。ただし、これは唯理論上一切衆生に一念三千が具するとの原理であって、云々)

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「但理具を論ず」の文、「天台・伝教の御時は理なり」の文、之れを思い合わすべし。故に知んぬ、「彼は迹門の一念三千」と云うは面裏の迹本倶に迹門と名づくるなり云々。若し爾れば天台は第一・第二を宣ぶること文義分明なり、而も未だ第三を弘めず。故に本尊抄に云わく「事行の南無妙法蓮華経の五字七字並びに本門の本尊、未だ広く之れを行ぜず」等云々。
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(※ この観心本尊抄の御文の「ただし、これは唯理論上一切衆生に一念三千が具するとの原理であって」と、治病大小権実違目の御文「天台大師・伝教大師の時は理(の一念三千)」とを合わせ拝すべきである。
つまり、治病大小権実違目の「彼(天台大師の一念三千)は迹門の一念三千」という意味は、迹門を面にし、本門を裏に説いてある一念三千のことであり、文底下種の独一本門の一念三千・三大秘法の南無妙法蓮華経から見れば、その迹門・本門合わせて「迹門」となる、という義を示しているのである。
以上の論証に依って、天台大師は第一法門権実相対と第二法門本迹相対を論じていたことは明白であり、しかしその奥の第三種脱相対は外には説かなかったのである。
であるから観心本尊抄には■「事行(じぎょう)の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊、末だ広く之を行ぜず。」(※「事実の上で直達正観できる文底下種独一本門の三大秘法の南無妙法蓮華経と本尊は、未だ出現せず広まっていないのである。」)と仰せなのである。

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日亨上人 註解

○ 「面裏迹本」とは、台家の迹面本裏である。

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89

 問う、天台、第三を弘めざる所以如何。
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(※ 天台大師はどうして第三法門・種脱相対を弘めなかったのであろうか?

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 答う、大田抄に云わく「一には自身堪えざる故に。二には所被の機無きが故に。三には仏より譲り与えざるが故に。四には時来たらざるが故なり」云々。
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(それに答えるには、曾谷入道許御書にこのように仰せである。■「一には自身堪(た)へざるが故に。二には所被の機無きが故に。三には仏より譲り与へざるが故に。四には時来たらざるが故なり。」780−3
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(※ まず一番目には、天台大師等迹化の菩薩達は、真の法華経を説くと必ず起こる三類の強敵による法難に耐えられないがため。その弘通は本化の菩薩のみが可能なのである。

二番目の理由は、像法時代には未だ熟脱仏法の機根であり下種仏法の機根ではない本已有善の中根の衆生のみである。末法の本未有善、下根の機根のみが文底下種仏法を受けることができるのである。

三番の理由は、法華経神力品での妙法の別付嘱は、ただ本化の上行菩薩等であって、天台大師の本地である薬王菩薩等の迹化の菩薩には、釈尊は「止みね善男子」と退けられて、真の下種仏法の妙法蓮華経の五字を付嘱されていないのである。

四番目の理由は、正法千年、像法千年合わせて釈尊滅後二千年間は、熟脱仏法が弘通されるべきときであり、その二千年以後の末法において弘通されるべき法が文底下種仏法だからである。
天台大師が弘通した時期から遥か遠く未来である。)

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日亨上人 註解

○ 「自身堪えず」とは、天台大師は迹化の菩薩であるから本化の弘通には堪(こら)へないのである。猶(なお)次下の二、三、四故の意は次の大段第十の始めの末法四故の文と対照せば益々明了となるであらう。

○ 「所被の機」とは、像法の本已有善の中根の機で、末法の下根本未有善の機では無い。

○ 「仏より譲り与へられざる」とは、神力品の妙法付属は本化の上行菩薩等であって、天台の本地たる薬王等の迹化の菩薩には止善男子と排斥して本法を与へられぬのである。

○ 「時来らず」とは、天台は像法の中にあって本法の弘まるべき悪世末法、後の五百歳には遠きが故なり。

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90

第十章

 第十に末法流布の大白法を示すとは
 問う、正像未弘を結する其の元意如何。
 答う、此れ即ち末法流布を顕わさんが為なり。今且く前の四故に対し、更に末法の四故を明かさん。
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(※ 第十段目の論段
法華経寿量品文底の一念三千即三大秘法の南無妙法蓮華経が末法に流布されるべき大白法であることを示す。

では質問する。
開目抄の本文■「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈め給へり、竜樹・天親は知って而も未だ弘めたまはず、但我が天台智者のみ此れを懐けり」(526)
で仰せの、正法・像法時代には第三の法門、種脱相対で顕わす文底事の一念三千が未だ広まらなかったその真意とは何か?

それに答えるに、つまりは、末法に流布されるべき法であるがためである。
正法・像法には広めなかった四つの理由(■「一には自身堪(た)へざるが故に。二には所被の機無きが故に。三には仏より譲り与へざるが故に。四には時来たらざるが故なり。」780−3) に対して、更には末法に広めるべき理由を四つに括って示す。

@ 弘通の人が法難に堪えられるが故
A 末法は広まるべき機根の衆生
B 釈尊より法を付嘱されている
C 広めるべき時となった。

ということである。(以下詳細に示される)

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日亨上人 註解

○ 「前四故」とは、前大段終末の文、自身堪(たえ)ざる故等の四である。

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91

 第一に自身能く堪うるが故に。本尊抄に云わく「観音・薬王等又爾前迹門の菩薩なり、本法所持の人に非ざれば末法の弘法に足らざる者か」云々。本化の菩薩は既に本法所持の人なり、故に末法の弘法に堪うるなり。
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(※ 法華経寿量品文底の一念三千即三大秘法の南無妙法蓮華経が末法に流布されるべき大白法であることの四つの理由の第一番目、
@ 末法の弘通者は良く法難に堪えることができるが故である。
これにについてまず迹化の菩薩が末法弘通に堪えられない理由として観心本尊抄にこのように仰せである。
原典■「観音は西方無量寿仏(むりょうじゅぶつ)の弟子、薬王菩薩は日月浄明徳仏(じょうみょうとくぶつ)の弟子、普賢菩薩は宝威(ほうい)仏の弟子なり。一往釈尊の行化(ぎょうけ)を扶(たす)けんが為(ため)に娑婆世界に来入(らいにゅう)す。又爾前迹門の菩薩なり、本法所持の人に非(あら)ざれば末法の弘法(ぐほう)に足(た)らざる者か。(658−15)」
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(※ 観音菩薩は西方極楽浄土の無量寿仏の弟子。薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子。普賢菩薩は宝威仏の弟子。一往、インド応誕の釈尊の化導を擁護するためにこの娑婆世界に訪れてきた。(もともと三毒強盛の娑婆世界を救済すべき菩薩方ではないのである)
更に彼らは爾前・迹門という立場の菩薩方である。そもそも文底下種本門の真実究竟の一念三千即三大秘法の南無妙法蓮華経を所持されている方々ではないので末法の衆生を化導する力を持っていないのである。)

本化の菩薩は釈尊から末法弘通の本法を四句の要法に括られて付嘱された大威徳のある上行菩薩以下その眷属(別しては上行再誕の日蓮大聖人、総じて言えばそれに連なる正嫡正統門流日蓮正宗の僧俗)である。が故に、当然のごとく、末法弘通における大法難に堪えられる力が元々備わっている方々なのである。

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日亨上人 註解なし

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92

御義口伝の上終に云わく「此の四菩薩は本法所持の人なり。本法とは南無妙法蓮華経なり」云々。
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(※御相伝書の御義口伝にこのように仰せである。
原典 ■ 第一 唱導之師(しょうどうしし)の事
(中略)本化の菩薩の所作は南無妙法蓮華経なり。(中略)末法の導師とは本化に限ると云ふを師と云ふなり。(中略)此の四菩薩は下方に住する故に、釈に「法性の淵底(えんでい)・玄宗(げんしゅう)の極地(ごくち)」と云へり。下方を以て住処とす。下方とは真理なり。(中略)此の理の住処より顕はれ出づるを事と云ふなり。又云はく、千草万木地涌の菩薩に非ずと云ふ事なし。されば地涌の菩薩を本地と云へり。本とは過去久遠五百塵点よりの利益として無始無終の利益なり。
1764-14 此の菩薩は本法所持の人なり。本法とは南無妙法蓮華経なり。此の題目は必ず地涌の所持の物にして迹化の菩薩の所持に非ず。此の本法の体(たい)より用(ゆう)を出だして止観と弘め一念三千と云ふ。総じて大師人師の所釈も此の妙法の用を弘め玉ふなり。
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(※ 従地涌出品第十五の唱導の師について。
本化の菩薩の為されることは寿量文底の三大秘法の南無妙法蓮華経の建立とその弘通である。
(中略)末法の導師はこの本化の菩薩しかいない、迹化の菩薩では導師とはなり得ないので、末法の導師を「(唱導の)師」と呼ぶのである。
(中略)この従地涌出品第十五で大地から涌出した地涌の菩薩の上首である四菩薩は下方に住しているが故にその住所を釈する文に「法性の奥深いところ、大元の奥深い道理の極まったところ(あらゆる存在の根源)」と言われるのである。(中略)そういう意味において下方を住所とされているのである。下方とは真理のことである。この究極の真理から出現することを「事(の一念三千)」というのである。
またこうとも言える。宇宙法界森羅万象皆地涌の菩薩の身なのである。であるから地涌の菩薩はその本地なのである。「本」とは久遠五百塵点劫(の当初)よりの一切衆生即身成仏の利益であって無始無終の利益なのである。
この菩薩は文底下種の三大秘法の南無妙法蓮華経を所持されている人である。この文底下種の南無妙法蓮華経は必ず地涌の菩薩が所持されているのであって、迹化の菩薩は所持していないのである。この文底下種の南無妙法蓮華経から現れる作用・力用を解釈して天台大師は観念観法し止観の行を弘め、それを(理の)一念三千と名付けたのである。総じて言えば、天台大師他あらゆる人師の釈は全てこの文底下種の三大秘法の南無妙法蓮華経の作用・力用などを解釈し弘めてきたものである。

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日亨上人 註解なし

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93

太田抄に云わく「地涌千界末法の衆生を利益したもうこと、猶魚の水に練れ、鳥の虚空に自在なるが如し」云々。
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(※ 曾谷入道殿許御書 原典■「此等の大菩薩、末法の衆生を利益したまふこと、猶(なお)魚の水に練(な)れ、鳥の天に自在なるが如し。」(785−3)
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(※ 地涌の菩薩が、末法の衆生を利益されることは、魚が水の中での泳ぎに熟練しているように、また鳥が大空を飛ぶのに自由闊達であるように、まさに自らの本来、生来の生業として為されるのである。)

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日亨上人 註解

○ 「魚水に練れ鳥自在」等とは、魚鳥の身体は其の組織に於いて水に浮び空に翔(かけ)るに適すべく出来てをる。地涌千界の菩薩も亦(また)末法の衆生に宿縁厚うして能所の機感相応すること、人の陸に、魚の水に、鳥の空に於いて自在なると同一であるとの祖文である。

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94

 第二に所被の機縁に由るが故に。
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(※ 法華経寿量品文底の一念三千即三大秘法の南無妙法蓮華経が末法に流布されるべき大白法であることの理由の二番目

A 末法はその妙法が広まるべき機根の衆生 である、という点について解説する。

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立正観抄三十八に云わく「天台弘通の所化の機は在世帯権の円機の如し、本化弘通の所化の機は法華本門の直機なり」云々。
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(※ 立正観抄にはこのように仰せである。
原典 ■「天台弘通(ぐづう)の所化(しょけ)の機は在世帯権の円機(えんき)の如し。本化弘通の所化の機は法華本門の直機(じっき)なり。(769−7 日進筆 身延 日朝筆 茨城猿島富久寺)
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(※ 迹化の菩薩である天台大師が弘通された時に教化を受けた衆生の機根は、本已有善の衆生であり、釈尊在世の時の、未だ権教の機を帯びた、一往の法華経円教の機の衆生と同じようであった。
これはつまり、過去に無数劫という長遠の年月、修行を重ねて善根を積んだ衆生が法華経を説かれて得脱したのであって、法華経によって直ちに悟るという機根ではないのである。

しかし本化の地涌の菩薩が弘通される時の衆生の機根は、過去に何の善根も積んでいない本未有善であり、法華経本門寿量文底の下種の妙法を直ちに説かれるべき機根なのである。)

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熟脱に渡らず直ちに下種の機縁なり、故に「直機」と云うなり。寧ろ文底の大法を授けざらんや。
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(※ この御文の意味は、本化の地涌の菩薩が出現し弘通すべき本未有善の末法の衆生は、本已有善という熟脱仏法の機根ではなく、文底下種の本門の大法、三大秘法の南無妙法蓮華経を直ちに心田に植えられ、直ちに即身成仏を遂げることができる機根の衆生ということなのである。であるから「直機」と仰せなのである。どうして本化地涌の菩薩が文底の三大秘法を授けないということがあろうか。(むしろ授けて下さるべき機根なのである。)

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日亨上人 註解

○ 「在世帯権の円機」とは、釈尊在世の菩薩は円教を聞くに適するも、多くは権乗を帯びてをるから円接別せられてる。天台大師の時も亦(また)然りで法華円教の直機(じっき)は無い。

○ 「熟脱に渡さず」とは、本未有善の下種の機には余の熟脱の方便教を授けず、直ちに下種本因妙の大法を与ふるのである。

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95

 第三に仏より譲り与えらるるが故に。
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(※ 法華経寿量品文底の一念三千即三大秘法の南無妙法蓮華経が末法に流布されるべき大白法であることの理由の三番目

B 地涌の菩薩は釈尊より末法流布の法を付嘱されている について解説する。
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本尊抄に云わく「所詮迹化・他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず。末法の初めは謗法の国にして悪機なるが故に之れを止めて、地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て授与せしめたまう」云々。
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(※ 観心本尊抄にこのように仰せである。
原典■「所詮(しょせん)迹化(しゃっけ)・他方(たほう)の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず。末法の初めは謗法の国にして悪機なる故に之を止(とど)めて、地涌千界(じゆせんがい)の大菩薩を召(め)して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮(えんぶ)の衆生に授与せしめたまふ。」(657−6)
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(※ 従地涌出品第十五において、迹化の菩薩や、この娑婆国土ではなく他土に縁のある菩薩等が、滅後末法の弘通を釈尊に誓おうとした時、釈尊は「止めなさい。諸々の菩薩達、あなた方に末法でこの法華経を護り弘通することを託さない」と制した。
結局のところ、久遠元初自受用報身如来の内証の寿量品は迹化・多方の菩薩方には授与することはできない。何故かならば(その理由の一つは)末法の初め、法華経流布の国は謗法の国であり、そこに住む衆生は邪智充満の極悪・極劣な機根である。(そこで起こる三類の強敵には迹化・多方の菩薩方は堪えられず、弘通を貫き通すことはできない)が故に、釈尊は本化地涌の菩薩を本地より召し出だして寿量品の肝心である文底下種の三大秘法の南無妙法蓮華経を授与し末法の弘通を勧めたのである。」

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血脈抄に云わく「我が内証の寿量品とは文底の本因妙の事なり」云々。
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(※ 百六箇抄にはこのように明かされている。
原典■「我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり。」
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(※ 「我が内証の寿量品」とは釈尊の脱益の法華経寿量品のその文底に秘沈されている本因妙の事の一念三千即三大秘法の南無妙法蓮華経のことである」

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日亨上人 註解

○ 「我が内証の寿量品」とは、釈尊五百塵点劫の当初、久々遠々(くくおんのん)の元初に、自ら証得して未だ衆生に示さゞる本法であるから別して内証等と云ふのである。

○ 「之を止(とど)め」とは、迹化・他方の大菩薩が末法で妙法を弘通せんとの誓いを止めて汝等が堪たゆる所でないと斥(きら)はれた経文である。

○ 「肝心」とは、人体中の肝臓の如く、心臓の如くに尤(もっと)も大切なる御題目である。

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96

 問う、仏、迹化・他方を止むる証文如何。
 答う、即ち是れ涌出品の「止みね善男子」の文是れなり。此の文但他方のみを止むるに似たりと雖も義意は即ち亦迹化を止むるなり。古抄の中に種々の義有りと雖も之れを挙ぐるに遑(いとま)あらず、故に且く之れを略す。
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(※ では訊くが、釈尊が迹化の菩薩、他方の菩薩方へ末法の弘通を制止する証文とは何か?
その答えは、従地涌出品第十五の「爾の時に他方国土の諸来の菩薩摩訶薩(中略)常に此の土に於いて広く之を説きたてまつるべし、爾の時に仏告げたまわく(中略)止みね善男子、汝等は此の経を護持すべからず」である。
この経文は文だけ見ればただ他方の菩薩を制止するだけかと思えるがその奥の義・意とは迹化の菩薩をも制止しているのである。
古い文献には様々な義が説かれているが、今ここで一々を列挙するには時間も労力も惜しい。故にこれを略す。

参考

鎌倉松葉が谷にある妙法寺の住職だった円明院日澄(1441〜1510)が文亀3年(1503)に著した法華経の講述書である『法華啓運抄』とか、
京都本満寺十二世一如院日重(1549〜1623)の『見聞愚案記』などにこの経典の解釈として例えば
▼「経文に「他方国土の諸来の菩薩」と言って「迹化」とは言って無いから迹化を止むると言う事は義の上の所立である。」とか、
「本尊抄宏記」(「啓蒙」から一六か所 引用あり「古抄」日宏記)には
▼「文に「迹化」の文言が無いのは存略の御経の故であらう」とか、様々な義が説かれているが、これ等の煩瑣な義は大局に関係が無いから日寛上人はわざわざここに取り上げられないのである。

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日亨上人 註解

○ 「止善男子」とは涌出品の「爾その時に他方国土の諸来の菩薩摩訶まか薩さつ○常に此の土に於いて広く之を説きたてまつるべし、爾の時に仏告げたまわく○止やみね善男子、汝等は此の経を護持ごじすべからず」と云ふ文である。

○ 「古抄の中に有り」等とは、日澄が啓運抄、日重が愚案記等である。経文に「他方国土の諸来の菩薩」と云って迹化とは云って無いから迹化を止むると云ふ事は義の上の所立であるとか、宏記には文に迹化の無いのは存略の御経の故であらうとか、此れ等の煩瑣の義は大局に関係が無いから本師が茲(ここ)に取り上げなさらぬのである。

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97

 問う、仏、迹化・他方を止めて但本化を召す所以如何。
 答う、天台已に前三後三の六釈を作り、之れを会して末法に譲る、仍(なお)未だ明了ならず。故に今謹んで他方・本化の前三後三、迹化・本化の前三後三の十二の釈を作り、分明に之れを会せん。
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(※ 釈尊が迹化の菩薩及び他方の菩薩の末法流布を制止して、ただ本化地涌の菩薩を大地より召し出だしたその理由とは何であろうか?

それに答えるに、それについては天台大師が既に、涌出品の文について、
釈尊が他方の菩薩の末法流布の発誓を遮ぎり制止する三つの理由を明かした遮詮門と、
下方地涌の菩薩が出現すべき三つの理由を明かした表詮門と、前三・後三の釈を作り、末法での解釈の拠り所として譲り送ったのである。
しかし、この天台大師の前三後三の解釈は、単に他方の菩薩と本化地涌の菩薩とを比較し相対したものであるから、他方の菩薩と迹化の菩薩との立て分けに細密ではないきらいがある。
故に、今その不備を補う意味において、
他方の菩薩と本化地涌の菩薩とを比較相対して前三後三、
また迹化の菩薩と本化地涌の菩薩とを比較相対して前三後三、
合わせて十二の釈を作り、詳細にして明確にその分別を明らかにしよう。

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日亨上人 註解

○ 「天台」○「前三後三六釈」とは、涌出品の文である。
前三義は遮詮門で他方の菩薩を遮止し、後三義は表詮門で下方地涌の出現すべき理由を表明してある。此の天台の六釈を寛師の十二釈と対比すべき為に文順に依らずして十二釈の前に接近せしめて標出しておいた。

○ 「仍(なお)未だ明了ならず」とは、天台の六釈は単に他方と本化とに約するから、他方と迹化との間に細密ならざる辺がある。今本師此れを憂ひて或いは直ちに台疏六釈の文により、或いは経疏に依り、或いは直ちに経文に依り、或いは祖書に依って加倍して十二釈を作り、且く他方と迹化との分別を明了にせられた。

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98

 問う、此の義前代未聞なり、若し明証無くんば誰人か之れを信ぜんや。
 答う、今一々に文を引かん、何ぞ吾が言を加えんや。
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(※ (他方の菩薩と迹化の菩薩との事については日蓮宗の他門でこれを述べた人はあるけれども、その義趣が未だ明了でないから日寛上人が細かく十二の解釈を設けられた。)

その義は前代未聞、未だ聞いた事がない内容である。(根拠となる文証はあるのか?)
もしその明らかな証拠がなければ誰が信じるであろうか。

では、今その一つ一つについて文証を引く。
私、日寛の私見は一切加えないし、また加える必要もないほど、文証は明白なのである。

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日亨上人 註解

○ 「此の義前代未聞」とは、他方と迹化との事は他門にて此れを述べたる人あれども、明了で無いから本師細釈を設けられた。其の十二釈は前代未聞なりと自問せらるゝのである。

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99

 問う、若し爾れば他方・本化の前三後三の其の文如何。
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(※ では訊くが、まず、他方の菩薩と本化の菩薩についての釈尊が他方の菩薩の末法流布の発誓を遮ぎり制止する三つの理由を明かした遮詮門と、下方地涌の菩薩が出現すべき三つの理由を明かした表詮門を明証する文証とは何か。)
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 答えて曰く、
 一には他方は釈尊の直弟に非ざるが故に。嘉祥大師の義疏の第十の巻に云わく「他方は釈迦の所化に非ず」等云々。
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(※ 一番目の理由「他方の菩薩は釈尊の直弟子ではない。(だから末法の法華経流布を制止された)」について。
中国での三論宗の嘉祥大師(吉蔵)の法華義疏・第十巻にこうある。
「他方の菩薩は釈尊が化導した弟子ではない」と。

参考 一応ウィキペディアから。

▲吉蔵(きちぞう、549年 - 623年)は、中国六朝時代末から唐初期にかけての僧。俗姓は安氏で、先祖は安息国の人である。金陵(江蘇省南京市)の出身。嘉祥大師とも言う。
▲生涯
父も出家しており、道諒という僧であった。父について真諦三蔵のもとに行き、出家して吉蔵と名づけられた。12歳の時に三論宗の法朗の講義を聴き、翌年に出家した。
21歳で具足戒を受け、隋の百越征討の際に、会稽の嘉祥寺に住しており、三論を究めた。嘉祥寺に住したことから、嘉祥大師の名がある。開皇17年(597年)には、天台智と交際した。
以後、煬帝の命により、揚州の慧日道場・長安の日厳寺で三論や法華の布教や講説を行い、煬帝を初め多くの信者を得た。この間に三論教学を大成している。また、戦乱中に博捜した様々な文献を用い、大乗経典の研究を行った。
唐代になると、実際寺・定水寺・延興寺などに住した。
日本に三論宗を伝えた慧灌など、数多くの弟子がいた。
補足 後に妙楽大師から「法華を讃すと雖も法華の心を殺す」と破折された。
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 二には他方は任国不同の故に。天台大師の文の九に云わく「他方は各々自ら己が任有り、若し此の土に住せば彼の利益を廃せん」等云々。
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(※ 二番目の理由「他方の菩薩は自分が弘通すべき国土があり、この娑婆世界を化導する菩薩ではない。」について。
天台大師の法華文句九に
「他方の菩薩は他方の国土において各々の衆生化導の責務がある。もしこの娑婆世界に住して法華経を弘通することになれば、その他方の国土で為すべき衆生化導の利益を遂行できないということになってしまう。」とある。

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 三には他方は結縁の事浅きが故に。天台大師又云わく「他方は此の土に結縁の事浅し、宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無からん」等云々。
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(※ 三番目の理由「他方の菩薩はこの娑婆世界の衆生との結縁が浅い」について。
天台大師 法華文句に
「他方の菩薩はこの娑婆国土の衆生と結縁が浅い。が故に、ここで弘通しようとしても衆生に大きな功徳は得させられないのである。」と言われている。

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日亨上人 註解

○ 「義疏」とは、三論の吉蔵の法華義疏である。
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100
 一には本化は釈尊の直弟なるが故に。天台云わく「是れ我が弟子応に我が法を弘むべし」文。
 二には本化は常に此の土に住するが故に。経に云わく云々。太田抄に云わく「地涌千界は娑婆世界に住すること多塵劫なり」云々。
 三には本化は結縁の事深きが故に。天台の云わく「縁深広なるを以て能く此の土に遍じて益す」等云々。
 他方と本化の前三後三畢んぬ。
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(※ 次に、後三の「釈尊は本化地涌の菩薩にのみになぜ末法法華経流布の付嘱をしたのか(表詮門)を明証する文証とは何か。について。

一番目の「本化地涌の菩薩は釈尊の直弟子であるから。」について。
天台大師が法華文句にこのように説かれている。
「地涌の菩薩は、我、釈迦仏の弟子である。まさに我が法華経を弘通すべき菩薩である。」と。

二番目の「本化の菩薩は常にこの娑婆国土に住しているが故」について。
法華経従地涌出品第十五に
■「我が娑婆世界に、自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩有り。」
(※我、釈尊が所有(しょう)する娑婆世界に、六万恒河沙という膨大な数の地涌の菩薩が住している。)
■「此等は是れ我が子なり、是の世界に依止せり。」
(※本化地涌の菩薩は、我、釈迦仏の子である。常にこの娑婆世界に住している。」
■「先より尽(ことごと)く娑婆世界の下(した)、此の界の虚空の中に在って住せり。」
(※久遠以来地涌の菩薩は娑婆世界の下方に、あるいは、娑婆世界の虚空に住している)
■「此の諸の菩薩は、皆是の娑婆世界の下、此の界の虚空の中に於いて住せり。」
など多数説かれている。

日蓮大聖人は曾谷入道殿許御書にこのように仰せである。
原典■「地涌千界(じゆせんがい)の大菩薩、一には娑婆(しゃば)世界に住すること多塵劫(たじんごう)なり。」
(※従地涌出品第十五で大地より涌出した千世界の地涌の大菩薩は、この娑婆世界に久遠より無数の年月住しているのである。)

三番目の「本化地涌の菩薩はこの娑婆世界の衆生と結縁が深い」について。
天台大師の法華文句(原典)には「縁深広なるを以て能く此の土に通じて益す」
(※この娑婆世界の衆生と結縁が深く広いが故に、よくこの娑婆世界のあらゆる実相に精通して衆生を利益するのである。」とある。

以上、他方の菩薩と本化地涌の菩薩とを比較相対した前三後三の義を証明する文証を挙げた。

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日亨上人 註解

○ 「経に云く」云云とは、涌出品に「娑婆世界の国」「娑婆世界の下」等と云へる文多々なる故に、本師「云々」の二字を以て省略せられた。

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101

 問う、迹化と本化との前三後三其の文如何。
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(※ 迹化の菩薩と本化地涌の菩薩を比較相対して、釈尊が迹化の菩薩の末法流布の発誓を遮ぎり制止する理由を明かした遮詮門の三種、釈尊が本化地涌の菩薩を大地下方より召し出だした理由を明かした表詮門の三種の文証は何か?
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 答えて曰く、
 一には迹化は釈尊初発心の弟子に非ざるが故に。太田抄に云わく「迹化の大衆は釈尊の初発心の弟子に非ず」等云々。
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(※ それに答えるに、まず前三についてのその一番目の理由「迹化の菩薩は釈尊の初発心の弟子ではなかった」を証明する文証。
(迹化の菩薩は始成正覚の釈尊が化導した菩薩である。(それに比べ本化地涌の菩薩は久遠五百塵点劫顕本の釈尊の初発心の弟子である。(注 法華経文上においての解釈))
観心本尊抄にこうある。
原典■「迹化の大衆は釈尊の初発心の弟子等に非(あら)ざるが故なり。」657−8
(※迹化の菩薩方は釈尊の初発心の弟子ではないが故に(末法流布の発誓を遮ぎり制止したのである)」

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日亨上人 註解なし

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102

 二には迹化は功を積むこと浅きが故に。新池抄に云わく「観音・薬王等、智慧美じく覚ある人々なりと雖も、法華経を学ぶの日浅く末代の大難忍び難かるべし、故に之れを止む」等云々略抄。
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(※ 二番目の理由「迹化の菩薩は功徳を積む年数が浅い」を証明する文証。
新尼御前御返事に以下のごとく仰せである)(原典)
■「金色世界の文殊師利(もんじゅしり)、兜史多(とした)天宮の弥勒(みろく)菩薩、補陀落(ふだらく)山の観世音、日月浄明徳仏(にちがつじょうみょうとくぶつ)の御弟子の薬王菩薩等の諸大士、我も我もと望み給ひしかども叶はず。是等は智慧いみじく、才学ある人々とはひヾ(響)けども、いまだ日あさし、学も始めたり、末代の大難忍びがたかるべし。(新尼御前御返事 文永一二年二月一六日 五四歳 764)
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(※金色世界を浄土とする文殊師利、また兜率天宮の内院に住している弥勒菩薩、またインド南端の海岸にあると伝えられる観音菩薩の降臨する霊場である補陀落山の観世音菩薩、日月浄明徳仏の弟子である薬王菩薩等の諸々の菩薩等、が末法での妙法蓮華経の弘通を我も我もと釈尊に望まれたが釈尊はこれを制止され叶わなかった。彼らは智慧は優れ、才も学もある方々であると十方世界に知れ亘っていたけれども、久遠以来の地涌の菩薩に比べれば妙法蓮華経の修行の年数も浅いし、学び始めたばかりともいえる。故に末法で弘通するときに必ず競い起こる大難を耐え忍ぶことは到底不可能なのである。)

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 三には迹化は末法の利生応に少なかるべきが故に。初心成仏抄に云わく「観音・薬王等は上古の様に利生有るまじきなり。去れば当世の祈りを御覧ぜよ、一切叶わざる者なり」等云々略抄。
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(※ 三番目の理由「迹化の菩薩は末法においての利生得益が少ない」を証明する文証。
法華初心成仏抄に仰せには(原典)
■「薬王菩薩・薬上菩薩・観音・勢至等の菩薩は正像二千年の御使ひなり。此等の菩薩達の御番(ごばん)は早過ぎたれば、上古(じょうこ)の様に利生(りしょう)あるまじきなり。されば当世の祈りを御覧ぜよ、一切叶はざる者なり。」(法華初心成仏抄 弘安元年 五七歳 1314)
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(※ 薬王菩薩・薬上菩薩・観音菩薩・勢至菩薩等の菩薩は正法・像法の二千年間においての仏の御使いである。この菩薩方の衆生を救うお役目の番は末法ではなく、既に終わっているので、正法・像法時代のように利益がないのである。であるから、今末法において、それらの菩薩等に祈願している仏教界を良く見渡してみなさい。一切叶っていないではないか。)
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日亨上人 註解なし 

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103

 一には本化は釈尊初発心の弟子なるが故に、観心本尊抄に云わく「地涌千界は釈尊初発心の弟子なり」等云々。
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(※ 次に本化地涌の菩薩が末法の弘通を託された理由の一番目「久遠実成の釈尊が初めて発心させそれ以来の弟子であったが故」を証明する文証
観心本尊抄 原典 ■「地涌千界は教主釈尊の初発心(しょほっしん)の弟子なり。」(660−末行)
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(※地涌の菩薩は教主釈尊が久遠に教化し、発心させそれ以来の弟子である。(注 これは文上・教相の辺での御教示であることに留意すべき)
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 二には本化は功を積むこと深きが故に。下山抄に云わく「五百塵点劫より一向に本門寿量の肝心を修行し習い給う上行菩薩」等云々。
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(※ 二番目の理由「本化地涌の菩薩は功徳を積むことが実に長遠である。が故に法難の重畳する末法での妙法弘通を成し遂げることができる。だから法を譲る、付嘱するのである。」を証明する文証。
下山御消息 原典■「五百塵点劫より一向に本門寿量の肝心を修行し習ひ給へる上行菩薩等の御出現の時刻に相当たれり。」下山御消息 建治三年六月 五六歳 1140−15
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(※ (末法のはじめは)久遠実成の五百塵点劫よりひたすら一筋に本門寿量品の肝心を修行し習得してきた上行菩薩等四菩薩以下の地涌千界の菩薩が出現する時に当たっている。(注 ここも文上・教相の辺を借りて述べられていることに注意しなければならない。)

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日亨上人 註解なし

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104

 三には本化は末法の利生応に盛んなるべきが故に。初心成仏抄に云わく「当時は法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘まりて利生得益も有るべし、上行菩薩の御利生盛んなるべき時なり」等云々。
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三番目の理由「本化地涌の菩薩は末法の衆生にとって利生得益が大きいが故に付嘱を受けた」を証明する文証。
法華初心成仏抄 原典■「末法当時は久遠実成の釈迦仏・上行菩薩・無辺行菩薩等の弘めさせ給ふべき法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘まりて利生得益もあり、上行菩薩の御利生盛んなるべき時なり。」1312−2
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(※ 末法は久遠実成の釈尊・上行菩薩・無辺行菩薩などの四菩薩が弘通すべき法華経の文底秘沈の肝心、肝要の三大秘法の南無妙法蓮華経のみが日本国乃至全世界に広まってはじめて利益があり、即身成仏の大果報が得られる時である。つまり上行菩薩の再誕である日蓮大聖人が弘通する三大秘法の南無妙法蓮華経の功徳が盛んな時なのである。)
(注 ここでも、「久遠実成の釈迦仏」との御表現に注意が必要。
そもそも「末法は白法隠没」と釈尊の仏法は末法には亡びると自ら予言されているのであるから、末法で弘通するというこの「久遠実成の釈迦仏」とは文上・教相での釈尊ではないことになる。
つまり、久遠元初の教主釈尊・自受用報身如来ということを暗に仰せなのである。
それはその後の御文の意を拝すれば明瞭である。)

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迹化と本化の前三後三の明文見るべし。
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(※ 以上、「迹化の菩薩」と「本化地涌の菩薩」を比較相対して、
釈尊が「迹化の菩薩」の末法流布の発誓を遮ぎり制止する理由を明かした遮詮門の三種、
釈尊が「本化地涌の菩薩」を大地下方より召し出だした理由を明かした表詮門の三種の文証をよくよく拝し心根に刻みなさい。

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日亨上人 註解なし

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105

迹化と本化の前三後三の明文見るべし。
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(※ 迹化の菩薩と本化地涌の菩薩との違いを相対して示したのでその文証をしっかりと拝しなさい。)
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参照

日享上人註解

此の下、天台の六釈と本師(※日寛上人)の十二釈とを列挙す

○天台○前三後三の六釈とは   

天台の六釈。

 前三義(他方を止む)。

一 汝等各各(おのおの)自ら己(おの)が任あり。若し此の土に住するときは彼の土の利益を廃することとなる故に此れを止む。

二 他方は此の土に結縁(けちえん)浅ければ法を弘むるとも利益無からん。故に此れを止む。

三 他方に弘経を許すときは下方の地涌(じゆ)を召すことを得ず。地涌出でずんば迹を破することを得ず。遠(おん)を顕はすことを得ざる故に此れを止む。

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 後三義(下方を召す)。

一 下方は我が弟子なれば我が法を弘むべし故に此れを召す。

二 下方は宿縁深広(じんこう)なるを以て遍(あまね)く此の土を利益するを得るのみならず、分身土をも他方土をも従いて利益するを得る故に此れを召す。

三 下方来るに依って開近顕遠(かいごんけんのん)払迹顕本(ほっしゃくけんぽん)するを得る故に此れを召す。(※ 「発」を「払」にされているところに留意)

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○ 他方・本化の前三後三の六釈とは   

寛師の十二釈の一。

 前三義(他方を止む)。

一、他方は釈尊の直弟に非ず   法華義疏に依る。

二、他方は任国同じからず   文句に依る。天台の前第一義と同じ。

三、他方は結縁の事浅きが故に   文句に依る。天台の前第二義と同じ。

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 後三義(本化を召す)

一、本化は釈尊の直弟なるが故に   文句に依る。天台の後第一義と同じ。

二、本化は常に此の娑婆世界に住す   涌出品及び太田抄による。

三、本化は結縁の事深きが故に   文句に依る。天台の後第二義と同じ。

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○ 迹化・本化の前三後三とは  

寛師の十二釈の二

 前三義(迹化を止む)

一、迹化は釈尊初発心の弟子に非ず   太田抄に依る。

二、迹化は功を積むこと浅し   新池抄に依る。

三、迹化は末法の利生少なし   初心成仏抄に依る。

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 後三義(本化を召す)

一、本化は釈尊初発心の弟子なり 本尊抄に依る。

二、本化は功を積むこと深し   下山抄に依る。

三、本化は末法の利生盛さかんなり   初心成仏抄に依る。

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 已上、天台の六釈と寛師の十二釈とを対比して其の精麁(せいそ=※精密か粗雑か)を見るべきである。
但し此れに列するは抄文の順次にあらざるものもある。

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106

 第四には時已(すで)に来たるが故に。
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(※ 本化地涌の菩薩に付嘱された理由の四番目「末法は文底秘沈の三大秘法の南無妙法蓮華経が広まるべき時が来たが故」についての文証を挙げる。)
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経に曰く「後の五百歳の中に広宣流布す」云々。
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(※ 妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三
「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん。」と。
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(※ 我(釈尊)が入滅した後、正像二千年の後の五百年の間に、末法の妙法蓮華経が世界に広宣流布して末法万年、断絶するようなことは無い。
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撰時抄に云々。
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原典(※ ■ 彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世なる事は疑ひなし。但し彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の、一閻浮提(いちえんぶだい)の内に八万の国あり、其の国々に八万の王あり、王々ごとに臣下並びに万民までも、今日本国に弥陀称名を四衆の口々に唱ふるがごとく、広宣流布せさせ給ふべきなり。837−2
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(※ 大集経・分布閻浮提品には
「(正像二千年が過ぎた)次の五百年は仏教内において、多くの宗派に分裂し互いに優劣を競い、争いが絶えず、真の教えである妙法蓮華経が隠れ没してその真義を失う。」と説かれているが、これは今(※鎌倉時代)であることは間違いない。
しかし、その白法隠没の後には、今日本国中の僧侶・尼・男女の在家信徒が南無阿弥陀仏を唱えているように、法華経の肝心である文底秘沈の三大秘法の南無妙法蓮華経を、日本乃至世界中の国々の上は王から下、万民に至るまで、広宣流布するのである。また広宣流布させていかなければならないのである。)
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原典(※ ■ 天台大師云はく「後の五百歳遠く妙道に沾(うるお)はん」と。妙楽大師云はく「末法の初め冥利(みょうり)無きにあらず」と。伝教大師云はく「正像稍(やや)過ぎ已(お)はって末法太(はなは)だ近きに有り、法華一乗の機今正しく是其の時なり。何を以て知ることを得ん。安楽行品に云はく、末世法滅の時なり」と。又云はく「代(よ)を語れば則ち像の終はり末の初め、地を尋ぬれば唐の東・羯(かつ)の西、人を原(たず)ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云はく、猶多怨嫉況滅度後(ゆたおんしつきょうめつどご)と、此の言良(まこと)に以(ゆえ)有るなり」云々。
838−7
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(※ 天台大師は「末法では未来永劫に真の法華経が流布しその功徳が遍く流れ通っていくであろう。」と仰せである。
妙楽大師は「末法の初めには(白法隠没して熟脱仏法は滅尽してしまうが、)下種仏法の出現により大きな功徳が顕れるのである。」と仰せ。
伝教大師は「正法・像法はもはや終焉が近づき、末法はいよいよ目前である。日本国一同が真の法華経を信受する機根であり、その時が来たことは間違いない。なぜそう言えるのか。法華経・安楽行品第十四に「文殊師利、菩薩摩訶薩にして、後の末世の、法滅せんと欲せん時に於て、斯の経典を受持し、読誦せん者は、嫉妬諂誑の心を懐くこと無かれ。」とあり、末法で法滅の時に法華経が説かれることが示されているからである。(※ 他、随所に同様の義が説かれている)
また、伝教大師はこうも仰せである。
「末法、法華経流布の時とは、その時代を言えば、像法の終わりであり、末法の初め。その建立と流布の地を言えば、唐の東、羯(かつ)の西にある国土=日本国(※羯(※別名 けつ) とは、狭義には中国の山西省に住んでいた匈奴系民族をいう。しかし、匈奴系の諸部族全般,さらに北方民族全体をさして「羯」ということもある。
上記御文の意義からすれば、既に「唐の東」と言われており、山西省は唐に含まれているから、この「羯(かつ)」は「北方民族全体」との意義を取るべきであろう。
そうなれば、まさに、シベリア、樺太、果てはベーリング海峡を跨いで、北部アメリカも含まれてくる。その「西」ということは、まさに「日本国」ということになる。)
そして、その時の衆生を言えば 1、劫濁(こうじょく) 2、煩悩濁(ぼんのうじょく) 3、衆生濁(しゅじょうじょく) 4、見濁(けんじょく) 5、命濁(みょうじょく)にまみれた五濁悪世で、常に戦争や諍(いさか)いに明け暮れている。
妙法蓮華経法師品第十にある、「如来の現在すら、猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや。」との釈尊の予言はまことに的確であって深く信じ拝すべきである。)

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当体義抄に云わく「凡そ妙法の五字は末法流布の大白法なり、地涌千界の大士の付嘱なり。是の故に天台・伝教は内には鑑みて末法の導師に之れを譲って弘通したまわざりしなり」。
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(※ 当体義抄にはこう仰せである。
原典■「凡そ妙法の五字は末法流布(るふ)の大白法(だいびゃくほう)なり。地涌千界(じゆせんがい)の大士の付嘱なり。是の故に南岳・天台・伝教等は内に鑑(かんが)みて末法の導師に之を譲って弘通し給はざりしなり。
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(※ そもそも妙法蓮華経の五字(文底下種の三大秘法の南無妙法蓮華経)は末法に流布されるべき、真の大威力ある法華経である。地涌千界の大菩薩へ付嘱された大法である。であるから、南岳大師・天台大師・伝教大師などは、内心では領解していたが、弘通する時でもなく、機根もない、などの故に、正統な付嘱を承けた末法の大導師である地涌の菩薩の頭首上行菩薩のお立場と行業へ道を譲って自らは弘通しなかったのである。)

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日亨上人 註解

○ 「第四」等とは、前段の末法の四故の終わりの文である。

○ 「経に云わく」とは、薬王品の文である。

○ 「撰時抄」云云とは、抄の下巻に所々に末法流布の文あるを指す。

○ 「大士」とは、菩薩摩訶薩の訳語の一つである。委しく訳せば大道心ある衆生の義である。其れを略して大なる士としたのである。

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107
三重秘伝抄畢んぬ
六十一歳 日寛花押

亨保十乙巳歳三月上旬 大石の大坊に於て之れを書す
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(※ 日寛上人は享保十一年の五月頃から病が生じられ、八月十九日に御遷化された。
この三重秘伝抄を初め六巻抄は御遷化の前年、享保十年の三月から六月の間に完成されたものである。
ここから考えるに、日寛上人の教学の集大成とも言える。
私ども凡俗の末弟は、日蓮大聖人の仏法の深奥な教義を体得するために、深く六巻抄を真読すべきであろう。

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日亨上人 註解

○ 「享保」等とは、同八年六月に廿七世の当貫(とうがん)日養上人の御遷化に依り、再任を懇請せられて大坊に入られて後は著しき御書の講演等は無かったやうである。
常唱堂や石之坊の成りしは同九年であったやうである。
十年の三月から六月までの四箇月の間に再治本が仕上がると云ふ事は、御大坊御住として御聖務の余業としては中々の御骨折りと拝察せねばならぬ。
殊更(ことさら)御病弱の御身としては猶更の事である。
此の様に献身的に令法久住の一念で残された御抄を吾等末弟は漫然と看過してはならぬのである。

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