●臨終の相
▲人は臨終の時、地獄に墮つる者は黒色となる上、其の身重き事千引(ちびき)の石(いわ)の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛(がもう)の如し、軟(やわ)らかなる事兜羅綿(とろめん)の如し。(千日尼御前御返事   弘安元年閏一〇月一九日  五七歳 1290

▲死する時は黒皮隠々として骨其れ露(あらわ)ると申して無間(むけん)地獄の前相其の死骨に顕はし給ひぬ。人死して後(のち)色の黒きは地獄に堕つとは一代聖教に定むる所なり。(神国王御書    弘安元年  五七歳 1303

▲めうほうれんぐゑきゃう(妙法蓮華経)をよるひる(夜昼)となへまいらせ、すでにちかくなりて二声かうしゃう(高声)にとなへ乃至いきて候ひし時よりもなをいろ(色)もしろ(白)く、かたちもそむ(損)せずと (妙法尼御前御返事    弘安三年七月一四日  五九歳 1482

▲大論に云はく「臨終(りんじゅう)の時色黒きは地獄に堕(お)つ」1482

▲摩訶止観(まかしかん)に云はく「身の黒色は地獄の陰を譬ふ」1482

▲先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし 1482

▲悪人は風と火と先づ去り、地と水と留まる。故に人死して後、重きは地獄へ堕つる相なり。善人は地と水と先づ去り、重き物は去りぬ。軽き風と火と留まる故に軽し。人天へ生まるゝ相なり。(光日上人御返事    弘安四年八月八日  六〇歳 1564)

▲死してありければ身やうや(漸)くつヾ(縮)まりちひ(小)さく、皮はくろ(黒)し、骨あらわ(露)なり等云云。人死して後、色の黒きは地獄の業と定むる事は仏陀(ぶっだ)の金言ぞかし。(報恩抄  建治二年七月二一日  五五歳 1023

日寛上人・臨終用心抄
■一、他宗謗法の行者は縦(たと)ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。
中正論【八 六十】に云く、縦ひ正念称名にして死すとも法華謗法の大罪在る故に阿鼻獄に入る事疑ひ無しと云云。私に云く禅宗の三階は現に声を失ひて死す、真言の善無畏は皮黒く、浄土の善導顛倒狂乱す、他宗の祖師、已に其れ此くの如し。末弟の輩、其の義知る可し、師は是れ針の如し、弟子檀那は糸の如し、其の人命終して阿鼻獄に入るとは此れ也云云。


一、臨終に唱題する者は必ず成仏する事。
先ず平生に心を懸け造次顛沛にも最も唱題すべし。亦三宝に祈ること肝要也。又善知識の教を得て兼て死期を知り臨終正念証大菩提と祈るべき也。多年の行功に依り三宝の加護に依り必ず臨終正念する也、臨終正念にして妙法を口唱すれば決定無有疑也。


一、多念の臨終、刹那の臨終の事。
愚案【二 八】に云く多念の臨終と云ふは日は今日、時は唯今と意に懸けて行住座臥に題目を唱ふるを云ふ也。次に刹那の臨終と云ふは最期臨終の時也、是れ最も肝心也。臨終の一念は多年の行功に依ると申して不断の意懸けに依る也。樹の先づ倒るるに必ず曲れるに随ふが如し等之を思へ、臨終に報を受くる亦復強きに従て牽く【弘一中四十四】文也。故に多年刹那に是を具足すべき事肝要也。