■ 霊友会の黒歴史

過去の犯罪
赤い羽根
久保継成 確執  裁判 霊友会が邪教
分派の歴史
元本部職員が、昭和二十六年三月二十日、警視庁刑事部捜査第二課長に提出した答申書
継成が既婚者でありながら、 独身女性との間に子供をもうけていた、というスキャンダルが暴露(ばくろ)

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■ 本尊

弥勒菩薩 破折 釈迦殿  破折 七宝の塔 大塔

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■ 教義

仏所護念 破折
西田無学 破折
出家否定 破折 →涅槃経「仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是れ魔の眷属なり」 破折
在家仏教破折
法華経信仰→末法白法隠滅
総戒名 破折
先祖≠仏
漫荼羅本尊  本尊確認
宗旨替えする必要はない  破折
南無妙法蓮華経 三大秘法
先祖が加護 矛盾 
先祖悪道

不幸の原因は何か
なぜ「南無妙法蓮華経」と唱えるのか?

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■ 霊友会の悪どさ 脱会者の体験談

勧誘しつこい
霊友会内で立場が上になればなるほど、とにかく第一に勧誘
金かかる
退会した26支部の元会員
● 私は、十代の時から霊友会を13?14年以上続けてきましたが、精神的にも、金銭的にも辛くて辛くてもう爆発してしまいました。
霊友会から日蓮正宗
殺人

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■ 相手が激昂してきたら

悪口 人身攻撃


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■ 進行プラン

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南無高祖日蓮大菩薩

霊友会の御守護神


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諸宗破折ガイド 新興宗教 法華宗系 霊友会
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二 霊友会

  創 立   昭和5年7月
  創始者   久保角太郎(創立者、久保恩師) 小谷喜美(初代会長、小谷恩師)
  代表者   第4代会長・大形市太郎
  信仰の対象 仏所護念の本尊(先祖諸霊)
  教 典   法華三部経・弥勒経・『妙法蓮華経・朝夕のおつとめ』他
  本 部   東京都港区麻布台1―7―8
  信 者   1,702,685
  名称の変遷 霊友会(大正13年) 霊友会教団(昭和24年) 霊友会(昭和 53年)
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【沿革】

 霊友会は、久保角太郎がシャーマニズム(霊媒信仰)・法華信仰・先祖供養を混交した新教団を作ることを目的とし、兄嫁小谷キミ(喜美)を霊能者に仕立て上げ、創立した在家教団である。

 久保(旧姓松鷹)角太郎は、明治25(1892)年1月、千葉県の湊村(現在の天津小湊町)に生まれている。
すでに父は他界しており、角太郎が8歳のときに母も亡くなった。
小学校を卒業して上京し、大工の棟梁の家に住み込んだ角太郎は、その後、宮内省内匠寮(現在の宮内省管理部工務課)に技手として採用され、やがて寮総裁の仙石宗扶に見込まれ、その紹介によって養子として久保家に入った。

 養母の志んは格式を重んじ、気性が激しく、しかも夜中に憑き物がついたように騒ぎ出すことも度々であった。
角太郎は志んに下男のように仕え、心身ともに憔悴しきっていたとき、兄安吉の知人を介して、西田無学の仏所護念(現在の関口嘉一等の創設による仏所護念会教団とは異なる)の教えを知った。
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〈西田無学と角太郎〉

 西田無学は本名を利蔵といい、自身が不軽菩薩であると確信して布教活動をしていた。
西田は、法華経の経文「平等大慧 教菩薩法 仏所護念」の「仏所」を亡くなった人間の霊のいる所と解釈し、「仏所護念」とは、霊のいる場所を護り、念ずることであり、これこそ「先亡諸精霊の供養法」であると主張した。
さらにすべての霊を祀り、供養するために生・院・徳の三文字を用いた戒名を創案し、「祈願唱」と称する祈り言葉を作った。

 この西田の教えとは、
 一、出家を否定し、在家仏教を主張する
 一、夫婦双方の先祖を供養するため、総戒名という方式を用いる
 一、無縁墓地となった墓石を洗い、法名を写し帰って自分の家に祀り、供養をする
 一、『無量義経』訓読(開)、回向唱、『観普賢菩薩行法経』訓読(結)、祈願唱などからなる独自の経本を用いて読経・唱題する
というものである。
要するに、法華経による死霊供養である。

 角太郎は、この西田の教えに傾倒していく一方、中山法華経寺(千葉県市川市)で行われる水行等にも参加するようになり、そこで霊能者若月チセと知り合った。
チセに養母の「除霊の祈祷」を依頼したことが縁で一緒に修行をするようになり、角太郎はまたチセを通じ、戸次(べつぎ)貞夫と親交を結ぶようになった。
その結果、大正13年、角太郎は若月チセ・戸次貞夫とともに「霊友会」を発足させた。
しかしこの会はあまりふるわず、やがて立ち消えとなった。
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西田無学 久保角太郎 小谷きみ は邪師

自身の不幸は何が原因なのか?
A 先祖の悪業・悪因縁
Q どうすれば幸福になれるのか?
A 先祖回向し悪業・悪因縁を断てばいい
Q その方法は?
A 朝晩の青経巻の読誦と南無妙法蓮華経の唱題 
Q それは誰がそうしなさいと決めたのか?
A 西田無学?小谷きみ?久保角太郎?
Q その人達が末法の修行法を定めて良い、という根拠は何か?
釈尊の予言 とか 経典で予証とかあるのか?

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■ 妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三

我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん。
(法華経・薬王品)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

末法の正しい法華経の流布は釈尊滅後二千年〜二千五百年に起こる。

西暦1052年〜1552年の間

霊友会の創始者たちは明かにこの時代に生まれていない。


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〈小谷キミ〉
 キミは明治34(1901)年1月、神奈川県の下浦村(三浦市南下浦町)の飯田家に生まれ、小学校五年から女中として叔母の家に住み込み、大正7年には小田原の漁師と結婚した。
しかし1年たらずで夫と死別したキミは、東京に出て女中をしながら転々とし、大正14年、小谷安吉の後妻となった。

 翌15年と昭和2年の春、二度にわたって安吉が腰痛で立てなくなった。
そのたびに反発しながらも、キミは角太郎の指示に従い1日に5回、6回と水をかぶり、法華経による先祖供養を行うと、二度とも1週間ほどで安吉が立てるようになったという。
これが機縁となり、角太郎の指導のもとに、キミは霊能者としての修行をはじめた。

 キミが行ったのは、
 一、真冬に1日中、浴衣1枚で生活する
 一、真夏に布団を首までかけて1日中過ごす
 一、毎日、数時間に及ぶ水行(頭から水をかぶること)を実践する
 一、51日間を1日1合のそば粉で過ごす
 一、21日間の断食
などである。
修行を終えたキミは、霊能指導者としての確信を持つようになった。
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〈教団の変遷〉
 昭和5年7月、すでに若月チセ・戸次貞夫と袂を分かっていた角太郎は、小谷キミ等とともに新たに霊友会の発会式を挙行し、元男爵氷山武敏を会長として、理事長に角太郎、名誉会長にキミが就いた。
しかし氷山が3カ月後に会長を辞したので、キミが後任となった。
本部を赤坂伝馬町のキミの自宅に置き、角太郎等は精力的な布教を展開するとともに、女性信者を次々と霊能者に育て、次第に教勢を広げていった。

 同9年、『大日本霊友会報』を発刊し、同12年には東京狸穴(まみあな)に本部講堂を建てた。
この頃から、キミの指導に対する教団幹部の反発が出はじめ、やがて同会を離れ、新しい教団を設立する者も出た。

 戦時中は、当局の新宗教に対する弾圧から逃れるため、子爵仙石家の娘の村雲尼公を総裁に迎え、さらに教団行事として毎月1日、伊勢神宮への参拝を行った。

 同19年11月、53歳で角太郎が死去してからは、キミが全権を握って教団の運営をした。

同24年、占領軍の捜索を受け、本部から金塊とコカインが摘発され、翌年にも脱税容疑で捜査が入り、麻薬を所持していたキミが検挙された。
キミは間もなく釈放されたが、これらの事件によって、幹部や会員の不満が一気に噴きだし、教団はあいつぐ分裂と多くの脱会者を出した

キミは同28年にも、赤い羽根募金110万円の横領、闇ドル入手、贈賄の容疑で検挙された。
ほどなく釈放されたが、不祥事件の続発に霊友会への社会批判が集中した。

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赤い羽根募金業務上横領事件[編集]

1953年、小谷喜美が共同募金へ寄せられた信者からの義援金110万円の横領、闇ドル入手、贈賄などの容疑で検挙された。この事件では、次の3件が裁判になった。

  1. 赤い羽根募金業務上横領事件―霊友会付属国友婦人会は、小谷を会長、Tを書記として募金の集計・保管などに従事していた。Tは1957年から28年の募金実額を不正に削減し、一部を業務上横領したもの。
  2. 贈収賄事件―宗教法人認証の便宜を図るため、文部省宗務課長・篠原義雄に10万円を贈与したもの。
  3. 外国為替および外国貿易管理法違反事件

1957年3月5日、東京地方裁判所で第1審の判決が下された。小谷は1で無罪、2・3で懲役1年罰金200万円執行猶予2年の有罪。Tは1で懲役8月執行猶予2年の有罪。篠原義雄は収賄で懲役8月執行猶予2年の有罪。その後、被告弁護側・検察側双方ともに判決を不服として控訴。
1959年3月3日、東京高等裁判所は、すべての控訴を棄却する判決を出した[16]

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 同39年、青年部員の錬成道場として、伊豆遠笠山に「聖地弥勒山」を建設し、弥勒菩薩像を祀り、また新教典「弥勒経」をつくって弥勒信仰を取り入れた
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末法「闘諍堅固」

『大集経』分布閻浮提品

■ 「次の五百年はわが法において、闘諍言訟し、白法隠没し損滅して堅固なり。
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 同46年2月、小谷キミは70歳で死去した。

その後、会長に就任した久保継成(つぐなり)は、人間心に帰ろうという意味の「いんなぁ・とりっぷ」キャンペーンを開始し、教団の宣伝に努め、同50年には本部講堂を解体して「釈迦殿」を完成させた。
しかし、やがて本部執行部との間に確執が生じ、平成5年に会長を辞任した。
同8年に濱口八重が会長に就任し、同年11月からは「運営会議」と称する集団合議制を採っている。

 平成12年、会長の濱口八重が逝去したことによって、大形市太郎が第4代会長に就任した。

 なお、霊友会から分派・独立した教団はおよそ26団体あり、それらは霊友会系諸教団と呼ばれている。
分派・独立した主な教団は、次のとおりである。

 @孝道教団‥‥‥‥‥(昭和10年 岡野正道)
 A霊照会‥‥‥‥‥‥(昭和11年 高橋覚太郎)後の「三界教団」
 B思親会‥‥‥‥‥‥(昭和13年 井戸清行)
 C大日本立正交成会‥(昭和13年 長沼妙佼、庭野日敬)後の「立正佼成会」
 D博愛同心会‥‥‥‥(昭和24年 長沼銀治郎)
 E妙智会‥‥‥‥‥‥(昭和25年 宮本みつ)
 F法師会‥‥‥‥‥‥(昭和25年 斎藤千代)
 G仏所護念会‥‥‥‥(昭和25年 関口嘉一・トミノ)
 H徳行会‥‥‥‥‥‥(昭和25年 菅原延台)
 I正義会‥‥‥‥‥‥(昭和26年 山口義一)

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【教義の概要】

 霊友会では「仏所護念の御本尊」と称する各自の祖霊≠礼拝の対象とする。
ただし、本部の釈迦殿には釈迦像、伊豆の「弥勒山」には弥勒菩薩像が祀られている。

 霊友会では「霊界と娑婆世界とは表裏一体」と説き、先祖が成仏していれば子孫も幸せになり、先祖が迷っていれば子孫も苦難を受けると主張する。
そこで霊媒者が霊界から仏菩薩を呼び出して指導を受け、また祖霊からは苦しみの因縁を聞き、それらの指示や因縁にもとづいて懺悔滅罪を祈り、祖霊を供養することによって、先祖も自身も悪い因縁を断ち切り、霊の加護を受けて家族の幸福と国家の安康が得られるという。

 また、教団では「天地のすべては妙と法の二つから成立している」といい、女性は陰にして妙を、男性は陽にして法をあらわすとし、妙法がそろってはじめて諸精霊に対する真の供養ができると主張する。
その供養方法としては、男女ともにわかる限りの先祖の名前を本部に提出させ、その名をもとに生・院・徳の文字の入った戒名を本部が新たに付け、それを本部と家庭の両方で祀って供養をする。

 具体的にいえば、会員家庭にあっては、まず「総戒名」なるものを祀る。
その基本形式は、
  ○○家(夫方の姓)
  諦生院法道慈善施先祖  徳起菩提心

  ○○家(妻方の姓)

であり、これと一緒に先祖の法名を命日ごとに記した霊鑑(過去帳)を仏壇に祀る。
この法名も霊友会特有の、
  ○生院法○○徳善士(男性の場合)
  ○生院妙○○徳善女(女性の場合)
というものである。

 この総戒名と霊鑑の前に、コップに入れた水・線香・ロウソク・花・供物を供え、白地の片タスキ(前に「南無妙法蓮華経 霊友会本部」、後ろに「南無妙法蓮華経 教菩薩法仏所護念分別広説仏正」と書いてある)をかけて、朝夕30分ほどのお経と題目を上げる。

 お経は「青経巻」と呼ばれる経本『南無妙法蓮華経 朝夕のおつとめ』にもとづく。
これは『無量義経』『法華経』『観普賢菩薩行法経』の法華三部経の抄録と、先祖供養のための「回向唱」と「唱え奉る大乗方等経典は、為れ大慈大悲の法藏なり…」ではじまる「祈願唱」を加えたものである。

 会員は、本部で毎月行われる「在家のつどい」や「夕べのつどい」に参加したり、体験談を語り合う「法座」に出席する。
また、弥勒山での大祭、セミナーや身延七面山恩師御宝塔参拝登山修行にも参加する。

 特に、「おみちびき」と呼ばれる布教活動は、最大の功徳をもたらす修行とされる。

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【破折の要点】

■ 霊友会では、西田無学が主張した「仏所護念」の意義付けをそのまま踏襲している。
本来、法華経に説かれる「仏所護念」とは正覚の仏が護り念じてこられたところとの意味であるのに対し、西田は死んだ人の霊のいる所を護り、念ずること
と間違った解釈
をし、自らの先祖供養法の根拠とした。
霊友会の教義は、このような誤った解釈をもととしている。

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妙法蓮華経序品第一

爾の時に世尊、四衆に囲遶せられ、供養恭敬、尊重讃歎せられて、
諸の菩薩の為に、大乗経を説きたもう。
無量義と名づくるなり。
菩薩を教うる法にして、仏の護念したまう所なり。
仏、此の経を説き已って、結跏趺坐し、無量義処三昧に入って、身心動じたまわず。

仏=釈尊 福過十号

1.如来 にょらい (真理に従って完全な状態を得た人。如=真理から来たという意味で如来)
2.応供 おうぐ (供養を受けるにふさわしい人) 阿羅漢
3.正遍知 しょうへんち 等正覚 とうしょうがく (正しく悟った人)
4.明行足 みょうぎょうそく(知恵と行為を備えた人)
5.善逝 ぜんぜい (完成した幸福な人。善く逝く=彼岸と此岸を自在に行き来できる)
6.世間解 せけんげ (世の中のことをよく理解している人)
7.無上士 むじょうし(最高の人) 
8.調御丈夫 じょうごじょうぶ (人を指導することに巧みな人)
9.天人師 てんにんし (神様と人間の師)
10.仏 ぷつ(めざめた人)
11.世尊 せそん(福徳ある人)

死んだ者が何の修行もせず↑このような境界になれるはずがない。

先祖は仏ではない  経典のどこに「先祖=仏」と説かれているか?明示せよ。

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◆霊友会では先祖の霊を本尊としている。

しかし先祖といっても、私たちと同じように一人の人間として苦しんだり悩んだりしながら生きた人たちであり、生前も死後も悪縁によれば苦を感じ、善縁すなわち正法によれば安楽の果報を受ける凡夫であることに変わりがない。
いいかえれば人間は死ぬことによって、正しい悟りが得られるわけではなく、死者が子孫を守ったり苦悩から救うこともできない
したがって、先祖を本尊として祀り、祈願や礼拝の対象とすることは仏法上、大いなる誤りである。

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◆先祖供養方法について、霊友会では総戒名を祀れ≠ニ教えている。
しかし、教団が所依の経典としている法華経のどこにも、「生院徳の文字を使った戒名をつけ、それを崇めよ」などとは説かれていない。

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妙観講 

二、霊友会

   l、成立の歴史

霊友会の創始者は、久保角太郎(一八九二〜一九四四年)と小谷喜美(一九〇一〜一九七一年)である。

 小学校を卒業して以来、大工をしてきた久保角太郎は、先祖供養をする過程で心霊現象に興味を抱くようになり、大正九年(一九二〇年)、兄の小谷安吉と共に「霊の友会」を創始。

 同十四年、久保は、兄・小谷安吉のもとに後妻として嫁いできた喜美と出会い、ここから二人の連係プレーの布教が始まった。

 この年の十月、「霊の友会」は「大日本霊友会」と改称している。

 小谷喜美は元来が気性の激しい人物で、久保は、その小谷の性格を利用して教団の看板にしようと考えたのであろう、小谷に断食や水行などの過酷な荒行を強いた。
荒行を経た小谷は、シャーマンがかった言動をするようになり、さらにエネルギッシュに布教活動を展開した。

 昭和五年(一九三〇年)七月、「霊友会」としての発会式を行ない、会長に小谷喜美が、理事長に久保角太郎が就任。麻布に本部を置いた。

 以後、在家仏教として「法座」と呼ばれる座談会方式の布教活動を行ない、信者数は急速に伸びていくが、一方、気性の激しい小谷に反発し、仲間を引き連れて分派独立していく幹部も数多く出た。

 昭和十九年に久保角太郎が死去。
その後、戦後の復興期の中で小谷が率いる霊友会は、緑化運動・募金活動・ヒロポン撲滅運動などを全国的に展開して、教団の存在を世間にアピールした。

 が、その一方で、金儲けに走る一面を露呈させ、教団による社会的不正事件が次々に発覚。

 まず、昭和二十五年に、当時の金額で三千万円という、大がかりな「脱税事件」が摘発され、これに伴って、闇ドル″ や 金塊隠匿″といったどす黒い事実が明るみに出た。
       
 さらに、昭和二十八年には、信者が街頭に立って集めた共同募金一千万円のうち、百万円を教団が横領するという、「赤い羽根共同募金横領事件」が起こり、小谷喜美も逮捕された。

 こうした相次ぐ悪質な犯罪の発覚で、霊友会は、世間から非難を浴び、さらに内部的にも動揺をきたして、分派独立の動きが相次いだ。

 昭和四十六年に小谷喜美が死亡したのに伴い、久保角太郎の次男の久保継成が第二代会長に就任。

久保は、教団につきまとう暗いイメージを払拭しょうとして、「いんなぁ・とりっぷ − 人間の心にかえろう」 キャンペーンを開始し、ラジオ・テレビ等のマスメディアでも、盛んにコマーシャルを流すなどした。

 そうした宣伝や、ボランティア活動を表に立てる戦略によって、若年層にも信者を増やしてきた霊友会であるが、平成八年、久保継成と、増永雄俊理事長(当時)を中心とする執行部の間での確執が表面化。
久保は会長職を追われたが、会長の地位存続を主張する裁判を起こし、この霊友会を二分する紛争は今なお続いている。(※要確認)

 現在、霊友会は、本部を東京都港区麻布台に置き、教会五・布教所六六を設置し、公称信者数は約三二〇万人とされている。(※要確認)
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なお、霊友会から分派独立した主な教団を、離脱した順に挙げると、次のとおり。

 「日本敬神崇祖自修団」…‥・大正十四年。本部は福島県飯坂町、公称信者数は約一満六千人。

 「孝道教団」……昭和十一年。岡野正道・貴美子夫婦によって創始された。本部は、神奈川県神奈川区鳥越、公称信者数は約四一万人。

 「思親会」‥…昭和十三年。創始者は、井戸清行。本部は神奈川県伊勢原市にあり、公称信者数は、約一四万人。

 「立正佼成会」‥…昭和十三年。庭野目敬を開祖とし、長沼妙佼を脇祖とする。本部は、東京都杉並区和田。教会・布教所が約六七〇ヶ所で、公称信者数は約六五〇万人。

 「法師会教団」……昭和二十五年。本部は、岩手県一関市。教会・布教所・その他が八ケ所で、公称信者数は約一一万人。

 「妙智会教団」……昭和二十五年。創始者は、宮本ミツ。霊友会の本部に勤めていた宮本ミツは、会長の小谷喜美から盗みの疑いをかけられるなど、日頃から小谷との折り合いが悪かった。そうしたある日、突然、「妙智」という言葉が閃いたことから、独立を決意したという。本部は、東京都渋谷区代々木にあり、公称信者数は、約一〇〇万人。

 「彿所護念会教団」……昭和二十五年。創始者は、関口嘉一・トミノの夫婦。関口夫婦は、霊友会の脱税事件にショックを受けて、霊友会から離脱した。本部は、東京都港区白金台・にあり、公称信者数は、約二二〇万人。

 「妙道会教団」……昭和二十六年。創始者は、佐原忠治郎・俊江の夫婦。霊友会が脱税事件で揺れ動いている時に独立した。本部は、大阪市天王寺区松ヶ鼻町にあり、公称信者数は、約二二万人。

 「大慧会教団」…‥昭和二十六年。創始者は石倉保助・マツヱの夫婦で、夫婦は、脱税事件が取り沙汰された昭和二十五年に霊友会を脱会したが、翌年元旦、保助が水ごりをしていたところ、「一宗を開け、守護してとらす」という日蓮大聖人の啓示を受けた、と称して、同会を設立した。本部は、大阪市堺市大美野にあり、公称信者数は、約二二万人。

 「正義会教団」……昭和二十六年。創始者は、山口義一。本部は千葉県館山市にあり、公称信者数は、約六千人。

 「希心会」……昭和二十八年。創始者の飯島将吉は、妻清江と共に、霊友会・思親会を経て、同会を設立した。本部は、・神奈川県厚木市。信者数不明。

 「大慈会」‥…昭和二十八年。詳細は不明。

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  二、教義と本尊

 霊友会は、「南無妙法蓮華経」を唱える教団であるため、世間一般には日蓮系教団″と認知されているが、教えの内容は、日蓮大聖人の御教えの片鱗も見られず、ただ法華経による先祖供養″ということだけを強調した、独自のものである。

 つまり、霊界は現実の人間界と表裏一体であり、霊界が現世の災難、病気、貧乏などの不幸を作る。その不辛から脱却するためには、先祖を法華経で供養して、悪因縁を断ち切らなければならない≠ニいうのである。

具体的な実践としては、「諦生院法道慈善施先祖∞家∞家(両家)徳起菩提心」と書いた総戒名と、父母双方の先祖をできるかぎり遡(さかのぼ)って、その戒名(霊友会でつけたもの)を書いた過去帳を仏壇に祀り、朝晩に読経唱題する。
仏壇には、この他、漫荼羅(※開眼供養で責める)や釈尊の絵像などを祀ることもある。
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法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。(木絵二像開眼の事 文永九年 五一歳 638)

形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又本の非情の草木にも非ず、魔なり、鬼なり。 (木絵二像開眼の事   文永九年  五一歳 638)

鬼をば奪命者(だつみょうしゃ)といふ。
魔入りて功徳をうばふ。
魔をば奪(だつ)功徳者といふ。
鬼をあがむるゆへに、今生には国をほろぼす。魔をたと(尊)むゆへに、後生には無間の獄に堕す。
(木絵二像開眼の事 文永九年 五一歳 638)

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 さらに、
「生きた因縁を作らないため」として、
「会員間では金品の貸借をしない」
「信仰を悪用して営利を貪るような行為をしてはならない」
無駄口・悪口・虚言・人身攻撃などの、舌根の悪を慎む」等の規律が課せられる。

 また、「法座」と称する場で、こじつけの因縁話を体験として語り合い、それによって互いに啓発し合うことが、釈尊の教えに基づく精神運動である、ともする。

 霊友会の本尊であるが、昭和三十九年に静岡県伊豆の山中に弥勤山を建立して、弥勒菩薩を祀ったかと思えば、昭和五十年には麻布の本部に釈迦殿を建てて、釈迦像を祀ったり、あるいは信者宅の仏壇には漫荼羅や総戒名を祀ったりと、じつに雑乱の様相を呈している。

 霊友会から分派した教団の多く(思親会・法師会教団・妙智会教団・彿所護念会教団・妙道会教団・大慈会教団・正義全教団)も、「悪因緑を断ち切るための先祖供養」という基本形や、こじつけの因縁話、本尊雑乱の様相など、霊友会とほとんど同一である。

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  三、破 折


    誤 っ た 先 祖 供 養

 まず、先祖供養によって、悪因縁を断ち切る″ という思想であるが、こんなことは、法華経のどこにも説かれていない。

 法華経で説き明かしたのは、十界互具・一念三千という一切衆生・即身成仏の法門であり、これによって自らの成仏を果たしてこそ、亡き先祖にも功徳を回向できるのである。
それは、日蓮大聖人も

「自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし」
                (御書一三七六頁・報恩抄)
と仰せのとおりである。

 しかるに、霊友会の創始者である久保角太郎は、法華経に「彿所護念」とある文を、先祖を祀って供養すれば、悪因緑が切れて、先祖(仏)が守護してくれる″という意味に勝手に解釈し、法華経の極理は先祖供養である、と立てた。
そして、これに日蓮大聖人の説かれた南無妙法蓮華経の題目を盗み入れて、己義を荘厳したのであった。

 だが、そもそも法華経の「彿所護念」 の文とは、

 ■ 「諸の菩薩の為に、大乗経を説きたもう。無量義と名づくるなり。菩薩を教うる法にして、彿の護念しまう所なり」 (法華経五九)

とあるように、仏が護り念ずるところの、菩薩に教える法(すなわち法華経)″という意味であって、およそ、先祖供養すれば先祖が護ってくれる、などという意味ではない。

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また仏を死んだ先祖″と解すること自体が、本来の仏教にはない、初歩的な誤りである。

まさに、仏教を知らない者が仏教を騙った、新興宗教の真骨頂というべきであろう。

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 さて先祖を仏と思い、総戒名や先祖の戒名を祀って、これを朝晩に拝んで守護を願う、という行為であるが、これは、じつに恐ろしい結果をもたらす。

 つまり、自覚すると、しないとに関わりなく、これは先祖を本尊として信仰礼拝するという行為に他ならず、そこには、先祖と自分を一体化させる感応の作用が働く
特に「南無妙法蓮華経」を悪しく用いると強い感応力が働く。(善につけ悪につけ「南無妙法蓮華経」には強い感応力がある)
 これによって、迷いと苦悩の中で死んで悪道に堕した先祖の影響を、ストレートに受けることになり、かえって自らの生命力はなくなり、悪道に堕する結果となるのである。

 実際、霊友会を信仰している人の中には、「夜な夜な、枕元に幽霊が現われる」などという話が多く聞かれるが、これなども、悪道に堕ちた先祖との感応同交によって引き起こされた現象に違いないし、また、霊友会系教団に、神懸かり的な啓示を受けて分派に走った教祖が多いのも、この故かもしれない。

 いずれにしても、本尊に迷う霊友会の教えでは、先祖も自分も、絶対に救われないばかりか、逆に、信仰すればするほど、苦しみ・迷いが深くなる一方なのである。

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   在家仏教は仏意に違背

 次に、霊友会では「在家仏教」を標榜するが、『涅槃経』 には
■ 「内には弟子有って甚深の義を解り、外には清浄の檀越有って仏法久住せん」
 と説かれ、また日蓮大聖人も、

■ 「法をこゝろえたるしるしには、僧を敬ひ、法をあがめ、仏を供養すべし」(御書一四六一)

等と仰せられている。
このことは、詮ずるところ、釈尊も大聖人も「在家仏教」を否定し、禁じている、ということであり、この点でも霊友会は仏禁に背く団体である、といえよう。

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   霊友会が邪教たる証拠

 さて、一つの教団において、最も信仰心が篤く、最も教えに忠実な人物といえば、それは教祖・開祖(創始者)であり、また管長・会長等の中心者であろう。
しからば、霊友会の創始者である久保一家の姿は、どうであろうか。

 久保角太郎の次男であり、小谷喜美の甥でもある、第二代会長の久保継成は、今日霊友会執行部との亀裂が深刻化し、豪奢な生活ぶりや、愛人・隠し子問題までも暴露されて、失脚状態にあるではないか。

 これは、霊友会流に言えば、父や叔母を含む久保家の先祖の悪因緑によるもの≠ニいうことになり、先祖供養で悪因緑を断ち切る″ ことなどできないという、何よりの証拠というべきであろう。

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霊友会とは 評判

新興宗教の1つに「霊友会」という宗教団体があります。
漢字の意味をそのまま言葉にすると「霊と友達になる会」
本当の意味はさておき、どのような宗教団体か想像しにくいですね。

100年以上の歴史を持ち、会員数は1,151,488人を誇る新興宗教団体です。
有名人も多数在籍しているこの団体は、はたしてな宗教団体なのでしょうか。

霊友会とは|団体のなりたちと概要
文化庁においては、仏教の日蓮宗系統にまとめられている宗教団体です。
創立者、久保角太郎が法華経の研究に加え、先祖供養を根幹として創立した宗教です。

創立:1930年7月13日
創立者:久保角太郎
初代会長:小谷喜美
現会長:末吉将祠氏(5代目)
総会員数:2,529,614人
※(海外含む)−令和3年12月31日現在−
※公式HP公表数
日本の会員数:1,151,488人
※文化庁 令和4年度宗教年鑑
支部数は海外含め約4,808支部
支局事務所数 国内39カ所/海外16カ所
会費:月額500円
お布施はない?
参考:霊友会公式HP


霊友会の開教と創立

ややこしい話で、創立は1930年ですが、開教自体は1920年とされています。
久保角太郎が法華経の研究に入った年が1920年で、その年を開教としているのでしょう。
その後、久保角太郎の兄に小谷喜美が嫁入り、角太郎へ合流、「法座(=つどい)」と呼ばれる語り場、いわば集会のようなものが定期開催されるようになっていきました。
つどいを重ね、徐々に規模を大きくしていった、昭和5年7月13日に「霊友会発会式」を迎えました。
※その時の参加者は、子どもを含め、104人。
これが創立年である1930年です。

参考:霊友会の歴史

1920年に開教なので、2020年には開教100年を迎えました。
100年も続いているとなると、新興宗教とはいえ歴史は長いですよね。


霊友会の会員数(=信者数)
会員数は2,529,614人と公表されています。

※海外会員ふくむ。
※参照:公式HP

一方、文化庁の宗教名鑑では、1,151,488人と明記されています。
こちらは日本の信者数となりますので、総会員数から差し引き、1,378,126人が海外会員ということになるのでしょう。
日本の信者より海外の信者の方が多いとは、若干の違和感がありますが、真偽のほどは確かめようもありません。

霊友会からの独立宗教団体

また霊友会は日蓮系の教団で、立正佼成会など別の教団に多数分派しています。

孝道教団
立正佼成会
霊法会
佛所護念会
正義会
etc
霊友会から分派した教団で1番有名なのは、立正佼成会ですね。

この霊友会から,昭和 10 ? 13 年頃,孝道教団,立正佼成会などが独立し,さらに戦後,昭和 25 ? 26 年頃,妙智会教団,佛所護念会教団,正義会教団などが独立した。
そのほか,妙道会教団,大慧會教団なども,霊友会から独立した教団である。
立正佼成会は,長沼妙佼(1889 ?1957),庭野日敬(1906 ? 1999)らによって始められたもので,当初は,霊友会とほぼ同様の信仰形態であったが,その後,原始仏教,大乗仏教の教理を大きく採り入れ,近年は,宗教協力等に力を入れている。

引用:令和4年度宗教年鑑

なぜここまで分派が増えてしまったのか?

個人的な見解だと、昭和初期の混乱期、心の拠り所を求める人々が増えに増えたからかもしれません。
結果…善くも悪くも、新興宗教団体が乱立していったのではないでしょうか。
後述しますが、脱税事件が分派のきっかけとなったのでは、という説も多くあります。

霊友会の教え
霊友会の教えについては、公式HPに創立者の久保角太郎の以下の言葉が書かれています。

久保は“在家の叫び”をもって世界平和に貢献する。
世界平和に貢献するには、一軒一軒の家が幸せでなくてはならない。
家々が恵まれていなければならない。人間が幸せでなくてはならない。
霊友会創立者 久保角太郎

引用:霊友会公式HP

霊友会の教えの特徴は、「総戒名」と言われる両家の先祖をまつることにあります。
「青経巻」と呼ばれる一部経を使い、子孫が自分の手で先祖供養をします。

この一部経は、法華三部経(無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経)を創立者久保角太郎が抜粋し、まとめた経です。

法華三部経は、立正佼成会でも教えに採用されている経です。

三部経の詳細は立正佼成会の記事でまとめてありますので、気になる方はこちらをご覧ください。

霊友会のお布施や勧誘はやばい?
引用:霊友会とは

お布施も求めず、月額500円(=年間6,000円)なら大分良心的に見えます。

霊友会では、お布施といった類いのものはありません。
入会しても宗旨替えする必要はありません。
むしろ霊友会は先祖代々からの宗派や菩提寺との関係を大切にしています。

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破折

「南無妙法蓮華経」の創始者 日蓮大聖人の教えに反する

■ 法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし。(曽谷殿御返事 建治二年八月二日 五五歳 1040)

釈尊の教にも反する
■ 涅槃経第三に云はく「若し善比丘あって法を壊らん者を見て置いて呵責(かしゃく)し駈遣(くけん)し挙処(こしょ)せずんば、当に知るべし是の人は仏法中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是我が弟子真の声聞なり」と。
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引用:霊友会とは

他の宗派に対しても寛容な姿勢が見て取れますね。
ただ・・・?
やっぱり危険?ウェブ上には勧誘されて困ったという声が多数

注意ポイント
勧誘されて困っている
断ったら露骨に不機嫌になった
断っても何度も来る
内情はブラック企業の営業のような強制力がある
どうにも、公式でうたうやんわりとしたイメージと、実際の勧誘実態は大きく異なる模様
で…?

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元霊友会会員です。
その勧誘した人の人となりがわからないのでなんとも言えませんが、霊友会の勧誘方法はあまり良いものではありません。
私は、
● 勧誘する人がいないのなら、そのためだけに友達を作ってでも声をかけろと言われました。
相手に断られた時は
● 「先祖からしたらあなたは〇〇なのよ」と、言い渡しという名のケチをつけて帰って来いとも言われました。

霊友会内で立場が上になればなるほど、とにかく第一に勧誘
お経読むより勧誘。
何人を入会させたか毎日のように責められ、人格否定もザラです。
自分が上の立場の人にクソミソに言われるため、会員は追い詰められます。
入会を断った人に「なんなのバーカ、バチでも当たれ!」と暴言を吐いている会員も見かけました。
でも、そういう内情は勧誘された側からしたら全く関係ありません。
自分から勧誘しておいて、断ったからって冷たくするなんて、その程度の人なのでしょう。

引用:ヤフー知恵袋
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↑など2021年と、そこまで古い話ではありません。
よくある強引な宗教勧誘の風景となんら変わりません。
● 会員となると、おそらく勧誘ノルマがあるんでしょう。
成績が悪いと冷遇されるとか、逆に成績が良ければ地位が上昇していくのでしょう。
ブラックな営業部となんら変わりませんね。


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霊友会にずっと苦しめられました。
初めはお金があまりかからないといわれ、母と入りましたが、後々の献金や、御本尊は30,000円、自分の家を買ったら先祖のお家を買えと言われご法座17万、修行参加料などなど、かなりお金を使わされました。危険です。パワハラもありました
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↑こちらは当記事のコメント欄に寄せられたものです。
勧誘ではありませんが、思っていた以上にお金がかかってしまったということ。
法座だの修行料だの言っても、お布施と何がちがうのでしょうか?

これらがどこまでが把握しているのか?
誰のどこの指示なのか?はっきりは分かりません。
5000弱も支部があると、本部やトップが知らぬままに暴走してしまう支部長や信者などもいるのかもしれません。
逆に本部や幹部がそういう指針で、トップダウンで行っているのかもしれません。

霊友会の事件
霊友会の歴史からも見ていきましょう。

創設者の久保角太郎氏は、兄嫁の小谷喜美氏を修行により霊能者にしました。
このときに洗脳したとも言われています。
事実であれば小谷氏も被害者とも言えますが…
むしろ、宗教は儲かるから一緒に立ち上げないか?と誘った線の方が強いんじゃないでしょうか?

久保氏の死後は、小谷氏が全権限を握るようになりました。
しかし、脱税に手を染め1953年には赤い羽根募金業務上横領事件をおこし検挙されています。
分派のきっかけも、この時期に起きた内部騒動によるものです。
立正佼成会は1938年創立なので事件の少し前ですが、事件が起こりはじめた1950年前後に多くの分派の宗教団体が創立されています。
とはいえ、事件という事件は脱税事件以降、起こしてはいません。
犯罪性という面から見れば、安全な団体と言えるのかもしれません。
仏教僧侶やキリスト教牧師の刑事事件だってしょっちゅうありますからね。

霊友会に入信している芸能人
霊友会にはそれなりに有名な芸能人が入信している(していた)と言われています。

石原慎太郎(政治に利用)
薬師丸ひろ子(父親が霊友会幹部)
花田光司・花田虎上(父親の花田満の影響)
稀勢の里(節分などに参加?)
若嶋津六夫(二子山部屋入門の影響?)
この他にも数人の噂がありますが、現在あまり目立っているような方は少ないです。
もっといるかもしれませんが、噂になるほど熱心な芸能人信者は少ないのかもしれません。

まとめ

霊友会は月会費のみで寄付などを強制しない面については良いですが…
それがどこまで徹底されているのか?
入ってみないとわからないという点には不安が残りますね。

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みー
2022年7月14日 1:02 PM
霊友会にずっと苦しめられました。
初めはお金があまりかからないといわれ、母と入りましたが、後々の献金や、御本尊は30,000円、自分の家を買ったら先祖のお家を買えと言われご法座17万、修行参加料などなど、かなりお金を使わされました。危険です。パワハラもありました

返信
ナガタガタコウゾウ
2023年8月12日 10:29 PM
人の心や教えを学ぶ宗教団体なのに、義理も人情も恩も世話もひっくり返す。南無妙法蓮華経の教えもその内ひっくり返すのでは?

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私は元霊友会の26支部の会員でありましたが、良くくるお客さんや会社の関係の協会の人などから聞きまして、よく深く考えこれ以上家族や親戚や盟友、そして会社関係や旧友などに泥を塗ったり迷惑をかけたり無くしたりしたくないため退会することを決めました

最初はただの「先祖供養」と言われ入会しましたが、やることと言うことが矛盾だらけで「何をしたい」と聞かれ答えたら「導き(勧誘)だよ!」と言われみんなの前で恥をかかされたり
年一回の釈迦殿、年数回の弥勒山の参加で仕事や冠婚葬祭などは一切通用せず高額且つ無理矢理なる参加、行かなければ脅しの言葉の連発、
導き(勧誘)に行けば塩を撒かれるほか挙句の果てには実家へ苦情の電話や手紙、そして怒鳴り込みの嵐で酷くなれば窓や家中に勧誘やめろや宗教やめろなどの貼り紙を貼られたりでもう嫌になり支部長ら上層部は先祖のために泥を被りながら修行しながら因縁解決すると話してましたが、
●もう我慢の限界により霊友会本部へ辞めることで電話すれば導きの親と上層部に必ず伝わり家や職場に来られ、本部へ電話しても逆効果なため、泣きながら地元の相談センターへ電話をし決断をし辞めることにしました

先祖のために恥をかき泥を被りながら修行すると言ってますが、結局は最終的には本人が恥をかき泥を被ることに気付き
支部長ら上層部にも先祖を武器にし「悪いこと起きる」などとの脅しの言葉の連発で先祖を脅してるのではなく連中に脅されてることを理解しました

ですので、もうこれは
会費を一ビタ払わないほか何を言われても辞めるの一点張りで辞めることにしたほか霊友会関係と手を切ることにし何を言われても耐えながら退会することにしました

●今思えば何故こんなことに時間と金をかけたのか心外だと思いましてバカらしいとも実感しました
●見てみれば(※会員の(編者補足))半数以上がもう洗脳されていた状態でありついて行けない気もしました
釈迦殿や弥勒山のためにバカな金をかけたのか不思議でした
何を言われても耐えながら退会して前までの時間やあの頃を取り戻したいです

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10年以上やっていた霊友会を
…。
長文ですが読んで頂いたら幸いです。

● 私は、十代の時から霊友会を13?14年以上続けてきましたが、精神的にも、金銭的にも辛くて辛くてもう爆発してしまいました。

私は、現在(連絡もなにもしてないけど辞めた気持ちでいる)何年も準支部をしていました。
おおざっぱに言ったら、会員の会費、導き、集いの動員、施設の掃除、準支部会、立て替え(多額)。
全て私は自分を殺し、先祖の為と自分の為になるならと時間もお金もかけ、友達も無くし、知り合いから多額の借金をし、私は何の為に生きてるのか毎日毎日自分に問い掛け、誰にも相談せず今日、ここまできました。
青春時代を先祖。先祖。先祖。
汗水垂らしたお金は先祖。先祖。先祖。
私は、実際洗脳されていました。
辞めたら、何かが起きる…
因縁が出る…
死ぬかもしれない…

そんな事をいつも思い暮らしてきましたが、
思い切って同棲してる彼に辞めたいと思ってる事と、霊友会の先輩の事や自分がやってきた事を話ました。
彼は思った通りのリアクションをしてくれました。
私はずっとずっと悩み続けていた立て替えの話もし、霊友会全てと断ち切る事にしました。
実際私は若い時、親戚にもこの霊友会を教え、今だに親戚はやっています。
霊友会によって仲良くしていた親戚も辞める以前に、もう仲が良くなく、怒りを覚えるほどになり、私の人生に多大な傷を残してくれた霊友会にはもう、未練はありません。
ただ、洗脳されて今まで生きてきたので、私の中では怖い感覚に襲われますが、私は目を覚ましたんだ!と自分にいい聞かせ、己を信じ、彼を信じ、何とか色んな困難や普通の楽しさを普通の人と同じ様に暮らし、感じていきたい。

もちろん先祖は大事だし、親も大事。
生きている私の親がもっともっと大事。
私と生涯を共にしてくれるパートナーもずっと大事。
だから私は周りの人をこれからもっと大事にしたい。
こんな人生から抜け出してやっと自分らしい人生を歩んでいきたい。
洗脳とは怖いもの
です。
私と同じ事になった方や、同感してくださる方、質問じゃないかもしれませんが、お話をお聞かせください。
なお、辞めるにあたってアドバイスや、何か教えて頂けたら幸いです。
追伸
とにかく、立てかけておいていた御本尊など仏具は外し紙袋のなかです。
しばらくこれを見て私は辞めたんだ。
と実感をしばらく感じなければならないと思います。
なぜなら、洗脳されてたからです。


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霊友会を信じると不幸になります!

元霊友会の者です
ある日mixiメールがきました↓
匿名さんー
いきなりですが霊友会って何ですか?汗今朝うちに霊友会の勧誘が来たんですがよく分からなくて汗
05月12日 ↓私の返信↓これは見てきた真実です

霊友会は先祖供養を中心に先祖の位牌を本尊として

日蓮宗系の本尊のコピー
釈迦像や、曼荼羅
その他様々な神様を仏壇に入れて

釈尊の説いた法華経の一部をお経として、

朝晩読み

教祖を崇拝して指導を聴きに本部へ行き、

日常では個人宅で法座を開き

女性幹部から発生される霊の声を聞いてその幹部の指導を受け

今思えば霊のせいにしながら相手の振る舞いを責めてたから言い争いや喧嘩がよくありました。
「貴方こんな事してたでしょう!」とその幹部の妄想かも知れないし、、

親戚、友人知人には全てお導きと呼ばれる強引な勧誘をします。
信じなくても強制的に入会させられ毎月会費を払わせられます。

私の母は物心ついた時には霊友会の狂信者で家庭は不和で悲惨なつらい毎日でした

母は友人と親戚の全ての世帯を強制的に入会させて嫌われてました(°_°)

そんなショックな話は山ほどあります(。-_-。)

強引な導きがひどくなり恥ずかしい毎日でした。
中学一年になるとクラスで益々虐めが酷くなり小さな頃からこんなにお経も毎日唱えて弥勒山にも行ってるのに不幸な自分に霊友会に疑問を持ち霊友会の活動を試しに辞めてみました。
母は怒鳴り狂いました
そして中学二年以降には虐めが一切なくなったのは今思えば不思議
です

が私が中学を卒業した頃になると
母は夜中にかけて私を毎日怒鳴るようになりましたそしてノイローゼがヒドくなり激しく狂い妄想を起こし隣近所にも怒鳴りに行くようになりました
父が仕方なく面倒を見てましたが、
ある日、父の知人がやって来て母を取り押さえ強制的に精神病院に入院させたその一年後に母は喉に食べものを詰まらせて亡くなりました。

霊友会の家に生まれた私は、すでに障がいを負っているも同然でした。
目鼻喉の気管が正常ではなく常に慢性鼻水、両鼻づまり、喉には痰がからみ苦しく、背骨から首を中心に身体中が捻れているような凝りで辛い。
体中にアトピーが出来て頭にも出来て、それがフケみたくなり、虐めもヒドくなる


心はいつも不安で訳もなく悲しい気持ちに苛まれ、妄想を起こし苦しみ、小学六年生の頃には1日起きに金縛りに遭い霊を見るようになりました

宗教とは人を幸せにできないと価値がないと思います。
日本人は宗教は何でも良いとか、逆に宗教は弱い人がやるものと云う考え方がありますが、
正しく宗教の教育も検証もされてないからです。
霊友会の法義も本尊もめちゃくちゃで一貫性がありません。

私はいま日蓮正宗で御本尊さまに毎日勤行をして祈り広大な功徳を頂いてます。
辛かった過去がなかったように。

本尊とは仏の命です。
死んだからと言って都合良く仏になれる筈はありません。
先祖供養の気持ちは尊いが、苦しんで地獄にいる先祖を本尊にすると自分も不幸になります

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霊友会破折@
4/4/2022

霊友会は法華経系新興宗教の起源!?
その歴史は分派・独立の繰り返しだった!

霊友会は、 昭和五年、久保角太郎(1892〜1944)が、東京青山会館で発会した法華経系の在家主義仏教団体である。
角太郎は、はじめ、大正八年、法華系民間信仰者であった西田無学(本名は利蔵)が提唱した「仏所護念法」なる教え(諸霊の供養法)に傾倒(けいとう)した。
さらに、大正十三年、日蓮宗系の民間霊能者・若月チセと知り合い、チセの霊感指導による罪障消滅法に感化されて、 熱心な信者となる。
また、ここで意気投合した戸次貞雄らと共に、西田無学の思想と行法、若月チセの霊感指導法、そこに法華経信仰を組み込む形で、宗教団体を立ち上げようと企図。
その組織に「霊友会」という名前を付ける。
しかし、若月チセとは宗教観などの違いをめぐって決裂したため、角太郎は昭和三年、戸次貞雄や実兄夫婦らと共に赤坂霊友会を結成した。
この間に、角太郎は実兄・小谷安吉の後妻である小谷喜美を、若月チセの後釜(あとがま)に据(す)えるために、霊能者として育成した。
角太郎の指導によって喜美が行なったのは、

一、真冬に一日中、浴衣一枚で生活する
一、真夏に布団を首までかけて一日中過ごす
一、毎日、数時間に及ぶ水行(頭から水をかぶること)

を実践する
一、五十一日間を一日一合のそば粉で過ごす。
一、二十一二日間の断食などだったという。

およそ、まともな修業とは言えない、人間の限界を越えるような荒行の強要であった。
そのため、警察沙汰にもなったことがあったという。

そして昭和五年、すでに戸次貞雄とも袂(たもと)を分かっていた角太郎が、小谷喜美らと共に新たに発会したのが、現在の教団につながる「霊友会」である。
角太郎は小谷喜美を会長に就任させ、自らは理事長となった。
霊友会は、この二人がまさに「教祖コンビ」となって、法華経信仰の中に、霊能力の概念(がいねん)や先祖供養などを”ごちや混ぜ”にして成立した教団、といえる。

霊友会は、その後、当時の経済不況や社会不安などを背景とし、迷える庶民の受け皿となる形で発展する。
開創当時、わずか五十人足らずだった組織が、瞬(またた)く間に百万人にふくれあがり、昭和二十四年には二百万人もの会員を擁(よう)するに至った。
雨後の笥(たけのこ)と言われた終戦直後の各新興宗教の結成時期にあって、霊友会の勢力はダントツで、そのまま勢力を拡大していれば、日本最大の巨大教団を形成していたのではないか、とも言われている。

昭和十九年十一月に角太郎が死去すると、小谷喜美が全権を握って教団を運営した。
昭和四十六年二月に小谷喜美が死去した後は、久保角太郎の次男・久保継成が会長に就任した。
だが、後述するように久保継成は教団から追放されることとなる。
それ以降は、幹部たちの輪番で会長を輩出するシステムに変わり、現会長は平成二十五年に就任した末吉将祠〈まさはる〉である。
霊友会宗家(そうけ)としての久保一族が去った霊友会は、大教団のまとめ役を失って低迷状態に入った、ということは、もっぱら言われるところだ。

さて、霊友会のホームページには、「私たちは、人のために行動する Myおせっかい" を推進していきます」などと、人との関わりを大切にしている集団である、というようなメッセージが散見される。

しかし、霊友会の歴史を少し紐(ひも)解くと、なかなかの問題多き教団である。
しかも、とても人のためになるとは思えない非行、事件などが起きており、その都度、激しい分派・独立が生じているのである。
法華経系の新興宗教のルーツをたどれば霊友会に行き着く、と言われるのもこうした分派を繰り返した歴史から見れば当然と言えよう。
その分派の歴史を追ってみると、まず、
●霊友会が開創した大正十四年に、戸次貞雄(日本敬神崇祖自修団)が早々と教団を去った。
次いで、
●昭和六年に中村雅哉が脱会し「正法会」を、
●昭和十一年には岡野正道・貴美子が「孝道教団」を、
●また同年に霊友会の新井支部幹部であった庭野日敬、長沼妙佼が「立正佼成会」を設立している。
そして戦後は、
●昭和二十四年に長沢銀次郎が独立開創して「博愛同志会」を設立すると、
●翌二十五年には斉藤千代が「法師会」を、
●宮本ミツが「妙智会」を設立するなど、脱会独立が続々と生じる。
宮本の脱会では、一瞬にして五万人の霊友会の会員を失うことになったという。
●また、同年、関口嘉一・トミノが脱会して「仏所護念会」を設立する。
●さらに、昭和三十六年には佐藤忠次郎・俊江が「妙道会」、
●石倉保助が「大慧会」を設立し、
●同二十八年には岩楯岩吉が「大慈会」、
●飯島将吉が「希心会」を設立していく。
●近年で言えば、二代会長・久保継成が、平成五年に会長職を辞任して理事長に就任するも、同八年に自身が会長職に復帰する旨の宣言を一方的に発表する。
これにより、久保継成と久保を支持する幹部は反久保派と内紛状態となる。
その後、法廷闘争も経(へ)て結局、反久保派が勝利し、久保継成とその支持グループは教団から追放されることになる。
久保継成は、独自の別グループを形成し、平成十五年「Inner Trip REIYUKAI International」を結成したが、翌年、久保継成はそことも袂を分かち、久保継武を信奉する一部の信者と新たに宗教団体「在家仏教こころの会」を創立している。

こうした激しいほどの分派独立の歴史には、先述の通り、理由があり、それは、会長や教団などによる非行や事件、スキャンダル等であった。
つまり、そうした事件などによって社会から批判を浴び、教団に不信を持ち嫌気がさした有力支部が離脱して、新しい教団を設立していった、という図式なのである。
次回は、分離独立の利油である数々の問題を衝(つ)くこのにする。

(慧妙 令和四年 三月一日)

画像
霊友会のホームページに掲載された「霊友会の歴史」。だがそこには、分裂の歴史について一行たりとも触れていない。

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霊友会破折A
4/25/2022

分派の原因は教祖の人間性にあった!?

根本原因は因果をい無視した教義に

霊友会は、昭和五年、久保角太郎(一八九二〜一九四四)が開いた、在家主義の法華経系新宗教である。
霊友会の歴史を紐(ひも)解くと、激しいまでの分派・独立の連続があった。
前回、大まかに分裂の歴史を紹介したが、特に昭和十九年十一月に角太郎が死去した後、会長の小谷喜美が教団の全権を握ってからは、分裂にいっそう拍車がかかった。
それは、教団全体の問題というよりも、主に会長・小谷喜美個人による非行や事件が多かったからである。

今回は、今や霊友会が、けっして自らの歴史として触れることのない、数々の騒動を見ていこうと思う。

まず、昭和二十四年、霊友会本部が占領軍の捜索を受けると、なんと本部から金塊とコカインが発見、押収され、教団内に衝撃が走った。
また、翌年には、会長、小谷喜美が脱税容疑で国税庁の家宅捜査を受け、ここで麻薬が発見されたことから、所持していた喜美は検挙された。
これらの事件によって、教団幹部や会員の不満が一気に噴き出した。
不祥事はそれだけで終わらなかった。
さらに同二十八年には、会長小谷喜美が、赤い羽根募金百十万円の横領、闇ドル入手、賄賂(わいろ) などの容疑で、またも検挙されたのである。
会長は、ほどなく釈放されるも、こうしたスキャンダルの続発に霊友会への社会の批判が集中した。

また、教団内では一連の事件を契機に、会長、教団に嫌気が差した有力支部長が相次いで離脱し、それに従った脱会者も多く、独立騒動が大量発生したのである。
このような事件が続発したのは、ひとえに、会長職に就(つ)く小谷喜美の宗教者にあるまじき道徳心の欠如からきたもの、と言える。
元本部職員が、昭和二十六年三月二十日、警視庁刑事部捜査第二課長に提出した答申書には、次のような小谷喜美の非行が綴(つづ)られていたという。

●不始末をした女中にヒステリーを起こし、昭和二十二年一月の極寒中、庭の木の下に夜通し立たせていた
●女中が差し出した膳の魚の頭が少しくずれていたら、たちまちに潤痛(かんしゃく)を起こして膳をひっくり返した。そのため、台所には壊れた瀬戸物が高く積まれていた
●会員 (支部長級)より集まった会費の一部を会長に届けなければ機嫌が悪く、その他、過去帳 ・法名等に対する莫大な金額を、会計係に取り扱わせず、自らの意見で左右し、湯水のごとく使っていた
●気に入らなければ、いかなる人であっても「馬鹿野郎」「たぬき」「むじな」等と罵倒 (ばとう)し、打つ蹴 (け) るを、平気で行なっていた
●五人の女中を使い、朝から香水風呂に入り、料理屋から常に食事を取り寄せ、百三十万円のダイヤ入り指輪を三本はめて、女王のごとく妄信者の上に君臨した
等々。

答申書の内容がすべて事実かどうかはともかく、この書類が警視庁に提出された昭和二十六年といえば、教団から分派・独立が続出した時期である。
小谷喜美が会長に就任してから脱会者の数が加速したことを踏まえるならば小谷が金に貪欲で、品行が悪く、そのために小谷の指導に対する幹部の反発が強まっていた、と見て、間違いなさそうである。

次いで、小谷喜美が昭和四十六年二月に死去すると、その後は久保角太郎の次男・久保継成が二代会長に就任した。
久保継成は若者をターゲットにした「インナートリップ (自己の内面世界を見つめ直すの意味)」というキャッチフレーズのもと、若者などに信者を広げた。
これは大きくマスメディアにも取り上げられ、世の人々が持つ、従来の霊友会へのマイナスイメージを払拭 (ふっしょく) するのに役立ったという。
しかし、二代会長も、上述した小谷喜美による事件の数々を間近で見ていたにもかかわらず、自らのスキャンダルによって、またも教団内の分裂を招く。
しかして、前回、紹介したように、二代会長・久保継成は、平成八年、自身が会長職に復帰する旨の宣言を一方的に発表するも教団幹部らに受け入れられず、 失脚した。
その後、霊友会は、教団幹部と二代会長支持派との分裂状態となった。
そして、その紛争の過程で、継成が既婚者でありながら、 独身女性との間に子供をもうけていた、というスキャンダルが暴露(ばくろ) された。
結局、久保継成とその支持グループは霊友会から追放され完全に独立することになり、この時の分裂験動でも多くの会員が脱会した。
以上、霊友会における分裂の歴史のうち、主な事件やスキャンダルを紹介した。
結局のところ、霊友会の激しいまでの分裂の歴史は、会長職に就いた小谷喜美や久保継成の行状、そして、それをもたらした霊友会の信仰そのものに原因があった。
幹部や会員が不信に陥り、また嫌気が差したのも、当然と言えば当然であろう。

最後に、霊友会の教義を破折しておきたい。

霊友会では、先祖供養の重要性を説く。
会員の家庭にあっては、先祖に対してまとめて付けた 「総戒名」なるものを本尊として祀(まつ)る。
そして、その本尊に「青経巻」と呼ばれる経本『南無妙法蓮華経 朝夕のおつとめ』に記載される法華三部経(無量義経・法華経・普賢経)の抄録と、先祖供養のための「回向唱」と「祈願唱」を唱える。

これにより、先祖も自身も悪因縁を断ち切り、霊の加護を受けて、家族の幸福と国家の安康が得られる、と説くのである。
だが、そもそも先祖といっても、我々と同じ人生の苦悩を受けて生きた人間であり、凡夫であることに変わりはない。
死ぬことで悟りが得られたり、子孫を守護したり、 苦悩から救ってくれることもできない存在である。
したがって、先祖を信仰の対境・本尊として祀り、祈願や礼拝の対象とすること自体、因果の道理を無視した、大いなる誤りである。

霊友会は公式サイトなどで、上述してきた会長・教団の事件やスキャンダルによる分裂の歴史をひた隠しにしているが、その一方で「人のために行動するMyおせっかい」なるものを推進して、巧みに「人のため」「人が人を元気にする」「人と人との関わりを大切に」などと演出して、世の人々を欺(あざむ)いている。
因果の道理を無視した、霊友会の教義・本尊で悪因縁が断ち切れるはずはないのだから、その偽善の仮面も必ずや剥(は)がれ落ちるだろう。

また、霊友会の会員が、人のためだと思って行動したとしても、それは正しい信仰に基づくものでないため、人のためにならないばかりか、かえって相手に不幸を招く、悪縁を結ぶことになる。
よって我々は、霊友会の全会員に、分裂の史実を知らしめ、邪説を破折して、一日も早く救っていくことが大切である。

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三宝を尊ぶこと

妙法蓮華経如来寿量品第十六

是の諸の罪の衆生は 悪業の因縁を以て
阿僧祇劫を過ぐれども 三宝の名を聞かず


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時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず

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妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八

我今、大乗経典甚深の妙義に依って、仏に帰依し、法に帰依し、僧に帰依したてまつる。
是の如く三たび説け。


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妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八

仏の言わく、
云何なるをか、刹利(※王及び武士 クシャトリア)、居士の懺悔の法と名づくる。
刹利、居士の懺悔の法とは、但当に正心にして三宝を謗ぜず、出家を障(ささ)えず、梵行人(仏道修行をする人)の為に悪留難を作さざるべし。

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■法華経の第四法師品に云はく

「薬王、在々処々に若しは説き若しは読み、若しは誦(じゅ)し若しは書き、若しは経巻所住の処には皆応(まさ)に七宝の塔を起(た)てヽ極めて高広厳飾(こうこうごんじき)ならしむべし。
復舎利を安(やす)んずることを須(もち)ひず。

所以(ゆえん)は何(いかん)。此の中には已に如来の全身有(ましま)す
此の塔をば応に、一切の華香瓔珞(ようらく)、
(糸偏+曾)
蓋幢幡(ぞうがいどうばん)、
伎楽歌頌(ぎがくかじゅ)を以て、供養恭敬し、尊重(そんじゅう)讃歎したてまつるべし。
若し人有って、此の塔を見たてまつることを得て、礼拝し供養せんに、当に知るべし、是等は皆、阿耨多羅三藐三菩提に近づきぬ。(法師品第十 326)

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■ 我が滅度の後、我が全身を供養せんと欲せん者は、応に一の大塔を起つべし。
其の仏、神通と願力を以て、十方世界の在在処処に、若し法華経を説く者有らば、彼の宝塔、皆其の前に涌出して、全身、塔の中に在して、讃めて善哉善哉と言う。(見宝塔品第十一 337)

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■ 阿逸多、是の善男子、善女人の、若しは坐し、若しは立ち、若しは経行せん処、此の中には、便ち塔を起つべし。
一切の天、人、皆応に供養すること、仏の塔の如くすべし。
(分別功徳品第十七 460)

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■ 是に於て釈迦牟尼仏、右の指を以て七宝塔の戸を開きたもう。
大音声を出すこと、関鑰(けんやく)を却(しりぞ)けて大城の門を開くが如し。
即時に一切の衆会(しゅえ)、皆、多宝如来の、宝塔の中に於て、師子座に坐したまい、全身散ぜざること、禅定に入るが如くなるを見 云々(見宝塔品第十一 345)

■ 爾の時に多宝仏、宝塔の中に於て、半座を分ち、釈迦牟尼仏に与えて、是の言を作したまわく、釈迦牟尼仏、此の座に就きたもうべし。
即時に釈迦牟尼仏、其の塔の中に入り、其の半座に坐して、結跏趺坐したもう。
爾の時に大衆(だいしゅ)、二如来の、七宝塔中の師子座上に在(ましま)して、結跏趺坐したもうを見たてまつり、云々

↑日蓮大聖人御図顕十界文字曼荼羅の御相貌


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■ 若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若もしは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆、応に塔を起てて供養すべし。(神力品第二十一 513)

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■ 其の所住止(しょじゅうし)の処 経行し若しは坐臥し
乃至一偈をも説かん 是の中には応に塔を起てて
荘厳し妙好ならしめて 種種に以て供養すべし

仏子此の地(じ)に住すれば 則ち是れ仏受用(じゅゆう)したもう
常に其の中に在(ましま)して 経行し若しは坐臥したまわん(分別功徳品第十七 463)

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■天台大師の法華三昧に云はく

「道場の中に於て好き高座を敷き、法華経一部を安置し、亦必ずしも形像(ぎょうぞう)舎利並びに余の経典を安んずべからず。
唯法華経一部を置け

釈迦仏法は末法では白法隠没であるがゆえに末法の法華経とは日蓮大聖人御建立の十界文字曼荼羅御本尊である南無妙法蓮華経

参照 

日蓮大聖人は天台大師の教学を基本にして法門を展開されている。
もし日蓮大聖人を信仰するならば、日蓮大聖人が依用された天台大師の文言をも信受すべきである。

■ 一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。竜樹天親は知って、しかもいまだひろ(拾)いい(出)ださず、但我が天台智者のみこれをいだ(懐)けり。(開目抄)
■ 像法の中には天台一人、法華経一切経をよめり。(開目抄)


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■ 三大秘法其の体如何。答ふ、予が己心の大事之に如(し)かず。(三大秘法稟承事 弘安五年四月八日 六一歳 1594)

■ 此の三大秘法は二千余年の当初(そのかみ)、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決(くけつ)せし相承(そうじょう)なり。今日蓮が所行は霊鷲山(りょうじゅせん)の稟承に介爾(けに)計りの相違なき、色も替はらぬ寿量品の事の三大事なり。(三大秘法稟承事 弘安五年四月八日 六一歳 1595)

◎ 三大秘法=本門の本尊 本門の戒壇 本門の題目 → 一大秘法=戒壇の大御本尊
「南無妙法蓮華経」はこの一大秘法の戒壇の大御本尊へ唱えなければ功徳はない、どころか、強力な薬を間違った処方で服用すれば逆に劇薬になるように、自身も家庭も先祖も不幸になる。

■ あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづ(譲)る事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。(阿仏房御書 文永一二年三月一三日 五四歳 793)

■ 仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計(ばか)りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。(聖人御難事 弘安二年一〇月一日 五八歳 1396)

●『本因妙抄』
「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし」(本因妙抄/一六八四n)

■ 直授(じきじゅ)結要(けっちょう)付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。(百六箇抄 弘安三年一月一一日 五九歳1702)

●日蓮一期弘法付嘱書    弘安五年九月  六一歳
 日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬 九月 日 日蓮花押 

    血脈の次第 日蓮日興 (日蓮一期弘法付嘱書 弘安五年九月 六一歳 1675) 

●身延山付嘱書    弘安五年一〇月一三日  六一歳
 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。
  弘安五年壬午十月十三日   武州 池上   日蓮花押 1675

■ 一、五人一同に云はく、本尊に於ては釈迦如来を崇(あが)め奉るべしとて既に立てたり、随って弟子檀那等の中にも造立供養の御書之在り云云。而る間盛んに堂舎を造りて、或は一体を安置し、或は普賢(ふげん)文殊(もんじゅ)を脇士(きょうじ)とす。仍って聖人御筆の本尊に於ては彼の仏像の後面に懸け奉り、又堂舎の廊(ほそどの)に之を捨て置く。
  日興が云はく、聖人御立ての法門に於ては全く絵像木像の仏菩薩を以て本尊と為さず、唯(ただ)御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是なり。

■ 一、御筆の本尊を以て形木(かたぎ)に彫(きざ)み、不信の輩に授与して軽賤する由(よし)諸方に其の聞こえ有り、所謂(いわゆる)日向・日頂・日春等なり。
  日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵(きず)を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩に、忝(かたじけな)くも書写し奉り之を授与する者なり。(日興上人 富士一跡門徒存知事 延慶二年 1872)

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先祖が加護 の矛盾

「先祖が加護してくれる」 というのならば 「先祖に悪業・悪因縁があって今自分が苦しんでいる」 というのは矛盾ではないか。
そもそも、「回向」とは、現世にいる当人が功徳を積んで、その功徳を先祖へ回し手向ける。という義。
では、今自分はどんな「本尊」と「修行」によって功徳を積むというのか?
悪業・悪因縁のあった先祖を「本尊」として手を合わせ南無して、どうやって功徳が積めるのか?
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正しい本尊=戒壇の大御本尊
(総じては戒壇の大御本尊の御内証を相伝・伝持されている唯授一人の血脈相承を承けられた御法主上人が御開眼された十界漫荼羅御本尊)

信行

功徳を積む

その功徳を先祖へ回向

先祖が救済され成仏される

先祖の加護が信行者に働く

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Q 自身の不幸は何が原因なのか?
A 先祖の悪業・悪因縁
Q どうすれば幸福になれるのか?
A 先祖回向し悪業・悪因縁を断てばいい
Q その方法は?
A 朝晩の青経巻の読誦と南無妙法蓮華経の唱題 
Q それは誰がそうしなさいと決めたのか?
A 西田無学?小谷きみ?久保角太郎?
Q その人達が末法の修行法を定めて良い、という根拠は何か?
釈尊の予言 とか 経典で予証とかあるのか?

■ 妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三

我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん。
(法華経・薬王品)

末法の正しい法華経の流布は釈尊滅後二千年〜二千五百年に起こる。

西暦1052年〜1552年の間

霊友会の創始者たちは明かにこの時代に生まれていない。

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なぜ「南無妙法蓮華経」と唱えるのか?
そもそも「南無妙法蓮華経」とは誰の創唱か?

A 日蓮大聖人ではないか。
ならばその創唱された方の仰せの通りに唱えなければ功徳はないであろう。
万病に効くという薬もそれを開発した人の処方通りに飲まなければ効かないのと同じ。
日蓮大聖人は総戒名に向かって青経巻などを読誦し南無妙法蓮華経と唱題しろなどは教えていない。
正しい修行法は
御本尊は弘安二年の戒壇の大御本尊(また日蓮大聖人以来唯授一人の血脈相承を承けられた御法主上人が認可された本尊)へ「南無妙法蓮華経」と唱題
読誦する経典は「方便品第二」と「寿量品第十六」のみである。
その正しい御本尊から受けた功徳を以って先祖へ回向すべし。と教えているのである。

昭和の時代に出てきた正統な予言もない連中が勝手に決めた修行法を実践したら、とんでもない悪報を受ける。

もし、「日蓮大聖人を信じておらず、釈尊を仏と仰ぐ」、いうのであれば、
なぜ「南無妙法蓮華経」なのか?
サンスクリット語である
「サッダルマ・プンダリーキャ・スートラ」
と唱えるべきではないのか?

霊友会の考え方
総戒名に青経巻・南無妙法蓮華経 と唱える→先祖の悪因縁が切れる→先祖が信行者を加護

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樋田さん、、
霊友会は先祖が自分を守ってくれるという教義でよろしいのでしょうか?

資料を読んでいて辛い記憶が蘇りました。
40年前、兄弟のように、仲良くしていた従兄弟がフィリピンのマニラで現地の人に殺されました。
30歳でした。
従兄弟は霊友会と深く関わっていました。
その事は本人から聞いていて今でも覚えているので間違いないです。
真相は明らかでないまま現在に至ります。
もし先祖が守ってくれる宗教なら彼は殺されなくて済んだのではないかと伝えたいです。
あまりに突然の悲しい事でしたので、こんなに時間が経った今でも思い出すと辛いですし言葉にしたら泣いてしまいそうです。
日本大使館に勤務し、これから輝かしい未来が待っていたであろうというときでした。
棺の中の彼は悔しそうでした。
どんなに無念だったことでしょう。

こうやって文字にしているだけでも涙が流れます。
彼の塔婆供養させていただいている有り難さをかみしめています。

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進行プラン

不幸の原因とは何ですか?

その解決法はどうすれば良いんですか?

それは誰が創唱されたんですか?

その人を信じて良いという根拠は?

破折

脱会者の体験談を朗読

脱会を強く勧める 

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あと、初めにお伝えしたいことがあります。
内容は、


霊友会の中にはたくさん、
御旗支部(みはたしぶ)がございまして、
第十支部に私たちは所属していますが、

霊友会第十支部運営委員長様がいらっしゃいまして、

第十支部運営委員長様と、
以前、もと日蓮正宗の会員様と、私と3人でLINEチャットをしたことがあります。

その時に、第十支部運営委員長様がお話しした内容の一部ですが、

日蓮大聖人は日本に於いての法華経行者のお手本です。

お題目を日本に、引いては世界に広められた方です。

霊友会創立者である大恩師久保角太郎先生は法華経のダイジェスト版である青経巻(霊友会のお経本)を編纂される時、

青経巻の中に、

南無高祖日蓮大菩薩

と記しており、その意味は日蓮大聖人を指しますが、
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南無=帰命 身も心も信じ捧げ尽くします。

日蓮大聖人の仰せに通りにしなければいけないでしょう。

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何故、大恩師久保角太郎先生がそう記したかは、

法華経を強情(強い情け)に唱え続けられた日蓮大聖人に対して敬意を表する意味で書かれたものだと思われます。
因みに、
霊友会の御守護神は霊友会創立者の久保恩師が霊界(あの世の意味)の日蓮大聖人にお願いしてなっていただいたと、父(第十支部長様)から聞いています。

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↑ 一体、何を根拠にそういうのか?

■ 天台は「若し深く所以(ゆえん)有りて、復修多羅(しゅたら)と合する者は、録して之を用ふ。文無く義無きは信受すべからず」と判じ給へり。又云はく「文証無きは悉(ことごと)く是邪謂(じゃい)なり」とも云へり。いかゞ心得べきや。(持妙法華問答抄 弘長三年 四二歳 294)

■ 文証の所出を知らざる我意の浮言ならば之を用うべからず。(法華真言勝劣事 307)

■ 実経に入らざらん者は、或は魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず。(唱法華題目抄 文応元年五月二八日 三九歳 233)