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   大井荘司入道御書  建治二年二月  五五歳

※ 大井荘司入道  甲斐国(かいのくに)大井荘(おおいのしょう)の荘務を司る荘司 甲斐源氏の流れを汲む。日興上人等の活躍によって甲斐地方の折伏が進んだころ、大聖人に帰依したと思われる。孫の肥前房日伝は寂日房日華の弟子となり、日興上人の孫弟子として御本尊を与えられたが、後に日興上人に背いた。


柿(かき)三本・酢(す)一桶・くヾたち(茎立※1)・土筆(つくし)給(た)び候ひ了(おわ)んぬ。

※1 菜薹(とう)のたったカブ、アブラナなどの菜のことを言うようで、古代の食料として重要だった


 唐土に天台山


と云ふ山に竜門

黄河中流の急流。山西省河津と陝西(せんせい)省韓城との境付近にある。魚が登りきると竜になるという。



と申して百丈の滝あり。
此の滝の麓(ふもと)に、春の初めより登らんとして多くの魚集まれり。
千万に一も登ることを得れば竜となる。
魚、竜と成らんと願ふこと、民の昇殿

※ 昇殿(しょうでん)とは、平安時代以降に五位以上の者および六位蔵人の職にある者が内裏清涼殿の南廂にある殿上の間に昇ることを許されること。

を望むが如く、貧なるものの財(たから)を求むるが如し。
仏に成ることも亦此くの如し。
彼の滝は百丈

※ (じょう)は、中国や日本の伝統的な長さ単位である。1丈は10と定義されている[1]

日本では明治時代の尺貫法で1尺=(10/33)メートル (= 約0.303 030 m = 303.030 mm)と定義された[2]ので、1丈は約3.0303メートル = 3030.3 mmである。尺貫法は現在は廃止されており、使用することはできない。

中国の市制では1尺(市尺)=(1/3)メートルなので、1丈(市丈)は約3.333メートルである。

中国[編集]

丈は古代中国に由来する。「丈」は元々は成人男性の身長を基準とした身体尺であったと考えられる(「丈夫」は元々は身長1丈の男の意で、そこから一人前の男の意となった)。当時の尺は約18センチメートルであり、丈は尺と関連づけられてその10倍の長さとされた。→ 1丈=約180p 

以降、尺の長さが当初の倍近くになったため、丈は人の身長よりはるかに大きくなった。 → 1丈=約360p

日本[編集]

日本では丈は大宝令以前から用いられてきた。

長さの単位として別に(けん。1間=6尺 = 約1.8182メートル)があるが、間が土地の測量や距離の計測に用いられたのに対し、丈は物の長さを計るのに用いられた。

、早き事、強兵(がっぴょう)の天(そら)より箭(や)を射徹(いとお)すより早し。
此の滝へ魚登らんとすれば、人集まりて羅網(あみ)をかけ、釣りをたれ、弓を以て射る。
左右の辺に間(ひま)なし。
空にはN(くまたか)
※ 鳥綱タカ目タカ科クマタカ属に分類される鳥。



・鷲(わし)・鵄(とび)・烏(からす)、夜は虎(とら)・狼(おおかみ)・狐(きつね)・狸(たぬき)何にとなく集まりて食らひ噬(か)む。

仏になる事も是を以て知んぬべし。
 有情輪廻(うじょうりんね)生死六道と申して、我等が天竺(てんじく)に於て師子と生まれ、漢土日本に於て虎狼野干(ころうやかん)

※ 野干(やかん)とは漢訳仏典に登場する野獣。狡猾な獣として描かれる。中国では狐に似た正体不明の獣とされるが、日本ではの異名として用いられることが多い

と生まれ、天にはNくまたか・鷲、地には鹿・蛇と生まれしこと数をしらず。
或は鷹の前の雉(きじ)、猫(ねこ)の前の鼠(ねずみ)と生まれ、生きながら頭をつヽ(啄)き、しヽむら(肉叢)

※ 肉のかたまり。肉塊。また、肉体。

をか(咬)まれしこと数をしらず。

是(か)くの如く捨て置きし一劫が間の身の骨は、須弥山(しゅみせん)











よりも高く、大地よりも厚かるべし。

惜(お)しき身なれども、云ふに甲斐なく奪(うば)はれてこそ候ひしか。
然(しか)らば今度(このたび)法華経の為に身を捨て命をも奪はれたらば、無量無数劫(むしゅこう)の間の思ひ出なるべしと思ひ切り給ふべし。
穴賢(あなかしこ)穴賢、又々申すべし。恐々謹言。

    日  蓮 花押

大井荘司入道殿