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 御義口伝の由来について、家中抄上に

「聖人山居の後門弟子の請により法華経の御講釈あり、御弟子衆多数ありといえども日興達士の撰にあたり給いしかば、章安所録の天台の章疏(しょうじょ)に習って聖人の説法を記録し給う事、合して二百二十九箇条、その他度々の記録を集めて日興記と名く、これ聖人編集の註法華経についての口伝なり」

とあるように、日蓮大聖人の御内証の立ち場からの法華経の講義を、第二祖日興上人が筆記されて、日蓮大聖人の御允可を得たものである。

御義口伝には、日蓮大聖人の文底下種の法門が明かされており、同じく日蓮大聖人の法華経の講義を聞いて、日向の書き残した「御講聞書」と此べると、内容には天地の開きがある。

これはいかに日興上人が師の教えの奥底をくみとっていたか、教学においてすぐれていたかということを明白に物語るものである。

 ところで、この御義口伝をはじめとする日興上人門下に伝わる古文書については、邪宗日蓮宗が怨嫉して、いろいろ疑難を加えていた。

しかし、そのような疑問は、すべて読み方や受け取り方がきわめて未熟であり、解釈が的はずれであったことを暴露した、不相伝家のいたすところである。

その誤りを端的に指摘するならば、それは天台の文上脱益の法門をもって、文底下種の日蓮大聖人の仏法を解釈するところから、いろいろの誤謬がおこってくるのである。

(中略)

また、御義口伝を後世の偽作だなどというものは、その教学上の誤りを認識しなければ、日蓮大聖人の教義をへんりんさえも知ることはできないであろう。

(中略)

 日蓮聖人年譜には

「延山蟄居の後御弟子衆の請により法華経の御講釈あり、日興度々聞を集め部帙(ちつ)を成して御義口伝と名づく、また日興記と号するなり」とある。


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御義口伝講義 池田大作 ・・・(~_~;)


                            
他門流における御義口伝の関連記事の著作を挙げると、大要次のとおりである。

近代のものは、これを略す。

なお、

● 正安二年九月(祖滅八年) 日興上人が重須大坊で御義口伝を講じ、日尊が破門されたと日宗年表(要法寺富谷日震著)にある。
 
● 円明日澄(一致派、鎌倉妙法寺住、明応元年 祖滅ニー一年)

 法華経啓運抄(五十七紙裏四行) 

「高祖御義に云く八歳とは竜女が一心なり、八とは三千なり、……又云く言論未詑(こつ)の事、此の文は無明即法性の文なり」

本書は五十五巻で法華経を講じたものであり、御義口伝の引用が多い。


● 恭寿日耕(八品派隆門、明和三年著、祖滅四八五年)
                                         
 本迹境智論(日宗全書、本門法華宗部、四四五)

 「問う御義口伝に云く今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は寿量品の本主なり、総じて迹化の菩薩は此の品に手をつけいろうべきに非る者なり、彼は迹面本裏、此は本面迹裏、然りと雖も当品は末法の要法に非るか……下種を以て末法の詮となす巳上、文旨如何」

本書は本迹一致を破し、八品派の立ち場で本迹勝劣を主張している。


● 事行日忍(要法寺系目体の弟子、明和六年著、祖滅四八八年)
                               
 根本日蓮宗旨名目下巻(十一紙五行) 

「御義口伝之れ有り、六高弟も之を伝えり、故に御義口伝上下二巻は日蓮宗の神魂なり」

日体は要法寺から追放されたが、根本日蓮宗を提唱し、要法寺とも大石寺とも異なる一派を立てた。


● 本昌日達(什門流京都寂光寺第九世、安永元年・祖滅四九一年寂)

 置文諷誦抄下(日宗全書、顕本法華宗部、三一七)

「問う御義口伝下に云く、如来は是れ一切衆生の大施主事……開結二経の下、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る等と云えり。是れ則ち六老僧等の上達に対して講談し給う所なり」

本書は日什の諷誦文を註釈したものである。




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