沖浦克治氏が反論不能に陥り、当掲示板『降魔の剣』から遁走した経緯を、ここに掲示する。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
事の始まりは、当方の以下の書き込みに対して、沖浦克治氏が邪難を浴びせてきたことに端を発する。

この文章の意図は、一部の学会員たちが

▼「戒壇の大御本尊はニセ物だと思うが、日寛上人が御書写した御本尊を信仰の対象としている。
でも、日寛上人の御指南は信じれるところもあるし、信じないところもある」と嘯いている、

その大矛盾を、諧謔を弄して突いたものである。


●「(※学会員の矛盾に満ち満ちた心中を説明するとこうなるか。)

日寛(上人)が言うことは全くあてにならないし、信用していないが、日寛(上人)が信じていた戒壇本尊というニセ物を書写した本尊の中で、
1、淨円寺の住職だった大行阿闇梨本證坊日證授与の本尊だけが何故か特に気に入って、
2、きっとこの本尊だけが宇宙本源の法を顕しているような気がするので、
3、それを写真に撮って、
4、画像をパソコンへ取り込んで、
5、でもこの『本證坊日證』という個人宛の授与書きは全世界の学会員に販売するにはちょっと具合が悪いので、
6、そこの文字はザックリ削り落として、
7、他も全体に古くて痛んでいたから、コントラストや白黒のレベルを調整したり、
8、シミなどの部分は漂白するように白く補正して、
9、字も外人にもうけがいいように見栄え良く伸ばしたり書き加えたりして
10、大いに修正・加筆・補正を加え、
11、安く仕上げる為には、和紙だの表具だの言っていたら儲からんから、
12、一枚多色刷りで掛け軸状にみせかた本尊だから、
13、実にありがたくて、
14、功徳もバンバン出るというし、
15、最初はちょっと気味が悪かったけれども、
16、みんな平気な顔して拝んでるし、
17、きっと『みんなで拝めば怖くない』だから、自分も拝んでいる。

と、こういうことか?

これについては特に分かりやすく書いたのだからこの大矛盾について絶対に返答せよ。 」


この破折文が、ニセ本尊を妄信する沖浦克治氏の肺腑を深く抉り、大層ご立腹になられたのであろう。
当方に以下の的外れな痴論を吐きかけてきたのである。
しかも、当方の名前すら間違えて。

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投稿日時:2005/07/05(Tue) 09:49
ホスト名:219.115.250.17
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.0.3705; .NET CLR 1.1.4322)

おなまえ:沖浦克治
Eメール:
タイトル:桶田君よ
URL  :

 お答えが無いので掲示しておきます。

 答えはあちらに書き込んでください。
 ここでは結構です。
 逃げ回るので退路をたちます。

>でもこの「本證坊日證』という個人宛の授与書きは全世界の学会員に 販売するにはちょっと具合が悪いので、そこの文字はザックリ削り落 として、

 宗門は、自分所の御本尊様の譲与書きにある、池田大作の文字を削り落しております。
 又、これまでにも宗門では授与書きを削り落としたお片木様を発行しております。
 以下の質問に、御書に基づいた証明をお願いします。
 
@ 授与書きを削ると本尊の力が着えうせる。   

>他も全体に古くて痛んでいたから、
 コントラストや白黒のレベルを調整したり、
 シミなどの部分は漂白するように白く補正して、
 字も外人にも、うけがいいように見栄え良く伸ばしたり書き加えたり して大いに修正・加筆・補正を加え、

 御本尊様は物で出来ています。
 当然痛むのです。
 戒壇様も正本堂にお移しするとき、大きな補修をいたしました。
 以下の質問に御書を引用しご回答ください。

A 補修や化粧直しをすると、御本尊様はお力が消える。

>安く仕上げる為には、和紙だの表具だの言っていたら儲からんから、
 一枚多色刷りで掛け軸状にみせかけた本尊だから、

B 和紙で表具を使用せねば御形木様にはお力が出ない。
―――――――――――
 (※ここで、↑この経緯を見れば明確であるが、当方からは、「本尊は和紙に限る」などとは全く言い出していないのである。
顛倒狂乱した沖浦氏が勝手に自分で妄想した設問なのである。)

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投稿日時:2005/07/07(Thu) 07:35
ホスト名:219.115.248.12
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.0.3705; .NET CLR 1.1.4322)

おなまえ:沖浦克治
Eメール:
タイトル:逃げないでね
URL  :

おはようございます。
 お気遣い感謝いたします。
 桶田氏への質問ですが、回答は最初から無理だと思っておりました。
 彼は、レベルの低い法論なるものを繰り返し行い、都合のいい部分のみをDVDにして販売するような人間です。
 蓮祖の御書に基づいて説を唱える能力は皆無です
 これまで私の出した、わずか三つの、それも自らの説に対する質問にすら、御書の引用は出来ませんでした。
 法華講の論議の展開を何度も見るにつけ、彼らの後ろに共産党のアジテーターの存在を感じております。
 私は30年以前、組合活動を行った事があります。
 当時の共産系の活動家のアジテーションを、彼らの言動に強く感じます。
 その頃、彼らは対立する団体に、反共。のレッテルを貼ることで自らを正当化しておりました。
 創価学会は反共だから間違っている。
 これを大勢でいっせいに、あらゆる方向から対立する人物に投げつけるのです。
 言葉の暴力攻勢ですね。
 結構このアジテーションは効果がありました。
 多勢に無勢で潰されるのです。
 私達創価学会員の組合幹部は、彼らには眼の上のたんこぶでした。
 彼らの私生活は乱れ気味でしたが、創価学会員は真面目に人生を生きる人が多く、組合員の信頼は創価学会員に集まりやすかったからですし、彼らは暴力を好み、我々は否定をしておりました。
 彼らからすれば、創価学会員は無理難題で責めやすい相手だったのですね。
 そこで私は一計を案じました。
 彼らに、お前達は反創価学会だから間違っている。と、決め付けたのです。
 これで彼らは無力になりました。
 面白いほどの効果でしたよ。

 法華講は非常に情けないことですが、創価学会は法主に逆らう。が、錦の御旗です。
 私は日蓮正宗は創価学会に弓を引く。と、切り返します。
 これで相手は無力です。
 後は、現実にどちらが社会に受け入れられているかが勝負です。
 簡単な判断ですよね。

 桶田氏との論議(彼のまともな論は皆無でしたが)は多くの創価学会員がロムをし、既に彼の弱点が明確になりました。

* 創価学会の昔の指導に頼る
 
 逃げた女の昔の恋文を見せて、嘘つきと迫る駄目男

* 法主の言を押し付ける。
 
 内部規定が他団体に通用すると錯覚している。

* 偽書を用いる。
 
 『一、偽書を造つて御書と号し本迹一致の修行を致す者は師子身中の 虫と心得可き事。』 (日興遺誡置文 )

 この三点が封じられれば彼は無力です。
 今後の彼は法論で苦戦するでしょうね。
 
 切り札を封じられれば、後に残された手段は、相手を罵るのみです。
 その時はその数倍罵り返せばいいのです。
 幸いネットはログが残ります。
 どちらが罵り始めたかは歴然とわかりますよ。
 この手法は共産党系の活動家がよく用いた手段です。
 論議で負けると罵り、相手を怒らせる。
 相手が感情的になって罵り返すと、それまで沈黙していた別の活動家が、言葉使いを責めます。
 この時点で論議の中心は言葉遣いの問題に移ってしまい、論議の敗北はうやむやになります。
 その後、我々は彼に論破をされなかった。相手は感情的になって敗北した。と、デマ宣伝をすると、不思議な事に本当に相手の敗北が印象付けられます。
 ここでの法華講の書き込みもこの方程式の通りでしょう。
 ところが現在のネットでは過去ログが残ります。
 証拠の文証が自動的に残るのです。
 彼らには困ったシステムです。

 本題に戻しますね。
 桶田氏は、御書に載っていないことはしてはいけない。との珍説を出し、笑いものになりました。
 散髪に行きたいが御書に無いから謗法かしら?
 彼は、この程度です。
 こんな人は恐れるに足りません。

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(※ここで、当方は何らかの返答をしているはずなのだが、残念ながら、記録に漏れてしまったようである。
もし、閲覧している方の中で、ここの箇所を記録されている方がおられたら、その内容を提供いただけたらありがたく存じます。)

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Re:[384] 樋田昌志さん 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/13(Wed) 08:17  No.385      [返信]

 >  能書はいいですから、私の三つの初歩的な質問に答えなさい。

●あいも変わらず成長のない方ですね。

こういう状態を「我慢偏執」というのですよ。

我見、金剛石の如く強く、慢心、山の如く高く、そこへ歪んで屈折して執着する根性、海の如し。

全く成仏は思いのほか、悪道に堕すこと必定です。
既に貴公の言動は悪道の悪果報の見事な現れです。

さて、以前にも完摧しておりますが、以下の御文に対しての正統な反論がありません。
急ぎ急ぎ反論を企つべし。

▲此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。(四条金吾釈迦仏供養事 建治二年七月一五日 五五歳 993

▲形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又本の非情の草木にも非ず、魔なり、鬼なり。 (木絵二像開眼の事   文永九年  五一歳 638)

▲法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638


●在家が勝手に本尊を作っては絶対にいけないと言う文証です。
もし、反論があるなら、正統な御文を根拠にし給え。

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Re:[386] 恥をかいていますよ、桶田さん。 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/14(Thu) 10:47  No.394      [返信]

 >  在家と言う言葉がみあたりませんね?
>
>  それとね恥人さん。
>  私の初歩的な三つの質問の答えにはなっていません。
>
>  

●なんという愚かさでありましょう。

文に囚われ義を見失う愚を現身に体現している愚か者の見本ですね。

■内外典の詮を承るに道理には過ぎず。

■明者は其の理を貴び闇者は其の文を守る。

■あきらかなる者は道理をたっとび、くらき者は文をまもる

――――――――――――――――――――――

■此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。(四条金吾釈迦仏供養事 建治二年七月一五日五五歳 993

●大聖人様が開眼の意義を仰せである。

■形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又本の非情の草木にも非ず、魔なり、鬼なり。 (木絵二像開眼の事   文永九年  五一歳 638)

●邪法を以って本尊を開眼供養すれば、その本尊には魔や鬼が入り込む、との仰せである。

■法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638

●「法華を心得たる人」が開眼供養しなければその本尊にはやはり鬼神が執り憑く、と仰せである。

以上の御文のお心を謹んで拝し、以下の如くに論じたのである。
――――――――――――――――――――――
●在家が勝手に本尊を作っては絶対にいけないと言う文証です。
――――――――――――――――――――――
●貴公ら創価学会が在家集団であるから、敢えて「在家」を強調しただけであって、その意味するところは、僧分であれ、在俗であれ、「法華を心得た人」の開眼供養していない本尊を拝むことを制止・厳禁せられている大聖人様のお心を明示したのである。

そんなことも貴公は理解できないか。
まさにニセ本尊の害毒、脳髄の芯までまわり、簡単な道理すら分からなくなっている、真に惨めで、幼稚なレベルの人間である。

この貴公の愚の骨頂なる発言を大勢の方々に見ていただくだけで、貴公の知的水準の低劣さが顕著に分かり、(神戸市役所に就職できた人間なのだから、元々知的問題を抱えていた訳ではないだろう)それが創価学会のニセ本尊の害毒によるところからとすれば、その恐怖を感じていただければ大いに幸いである。
そういう意味では貴公は日蓮正宗の広宣流布の為に、大いに有意義な存在であり、創価学会の恐怖を世間に知らしめる実に貴重なサンプルである。

もし、反論があるなら、正統な御文を根拠にし給え。

再度詰問する。

「開眼供養」について、正当な御文を以って反論をし給え。

できなければ、貴公が家にぶら下げている掛け軸は魔物、悪鬼の棲家であること、治定である。

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Re:[444] よく読んで信心の糧としなさい 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/22(Fri) 00:01  No.448      [返信]

 >  戦時中、本尊の真ん中に居座りながら、本尊を守るとして戦いを放棄した法主。
>  対して、本尊の無い牢獄で蓮祖の法を守りぬき、戦い続けられた初代、二代。
>
>  淳師は、昭和28年11月22日聖教新聞にて、
>
>  「牧口先生は自解仏乗された方と私はしみじみ思う。これは生まれつきでなければ出来ぬことだ。」と、発言をされている。
>
>  自解仏乗!と、発言されている。
>  貴方方は法主の言に逆らうのか?
>  
>  更に、創価学会第十八回総会講演(昭和33年5月3日)においては、
>
>  「御承知の通り法華経の霊山会において上行を上首として四大士があとに続き、そのあとに六万恒河沙の大士の方々が霊山会に集まつて、必ず末法に妙法蓮華経を弘通致しますという誓いをされたのでございます。その方々が今ここにでてこられることは、これはもう霊山会の約束でございます。その方々を(戸田)会長先生が末法に先達になつて呼び出されたのが創価学会であろうと思います。即ち妙法蓮華経の五字七字を七十五万として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います」
>  
>  と、発言。
>  戸田先生が上行菩薩である。と、明確に仰せである。
>
>  貴方方はこの発言も邪義と決め付けるのか?

●全く愚かである。よく公務員試験に受かったものである。
推察するにその当時は今ほど謗法の毒気がまだ脳髄全体に回っていなかったようである。

これは「上行菩薩の眷属」と言う意である。
教学がない者は、こんな初門で蹴躓いているから、ニセ物で魔仏が居座っている掛け軸を平気で拝めるのである。
全く哀れこの上ない。
そうしてこのように精神に異常を来たしてきているとは、全く恐ろしい限りである。

末法で「上行菩薩」という御名の御方は日蓮大聖人様御一人である。
――――――――――――――――――――――
>  本来私は、創宗分離以前の法主の言は引用をしません。
>  しかしながら、貴方方が都合のいいところのみを引用するので、以上の二つを反証としてあげておきます。
>  よく読んで信心の糧としてください。
>  

●愚かですね。御書しか用いない、と言いながら、これですからね。(それでいて当方が引用した御書の御文には全く反論不能で、痴問を繰り返すしか能がない、壊れたテープレコーダー状態だが)

前言は翻す、主張に定まりがない、道理が分からない、・・・これらは頭破作七分の諸症状の一部です。

日淳上人のお言葉を引用するのなら、以下の日淳上人の御指南を貴公はどう解釈するのか?
まっ、謗法の毒気で脳の髄まで腐ってしまった貴公にはどうせ無理だろうが、仮に貴公がまた支離滅裂で稚拙な反論をすればするほど貴公の矛盾に満ち満ちた奇怪な振る舞いと主張が鮮明になるので日蓮正宗の広宣流布のためには大いに有益であり楽しみである。

■65日淳上人
「仏教は必ず相伝による」(日淳上人全集七四四n)

■65『日淳上人全集』 194
真に大聖人様から日興上人様への御相伝、日興上人様から日目上人様への御相伝、仏法の要を尽して御相伝あそばされてありまする。実に尊い所と拝する所であり、我が日蓮正宗は、この相承の家にありまして、この大聖人の尊い教を七百年の間一糸乱れず今日に伝へて居る次第でございまする。で私共は未熟でありましても宗開両祖、歴代上人の御跡を継ぎまして仏法の正統の家にあるのでございますから、この身の有難さをつくづく思いまして信心に励まねばならないと強く考へる次第でありまする。

■65『日淳上人全集』1442
生死一大事血脈鈔に於て「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」と仰せられた血脈は脈絡のことで、即ち信心がなければ脈絡は成り立たないとの御意であらせられ「夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり」とは血液たる仏法を御指し遊ばされてをることは、御文によって明らかである。
血液があり、脈絡があってその上に相承ということができるのである。
その相承に師資相承、経巻相承之れに内証相承、外用相承があって此れ等の相承が具はって完全に相承の義が成り立つのである。

仏法に於て相承の義が重要視されるのは、仏法が惑乱されることを恐れるからであって、即ち魔族が仏法を破るからである。
そのため展転相承を厳にして、それを確実に証明し給ふのである。
大聖人の御あとはどうであらせられるかと拝すれば、直弟子中日興上人を御選び遊ばされ、一切大衆の大導師として一期の弘法をご付嘱遊ばされ、弘法抄を以てその事を証明遊ばされたのである。
御文中「血脈の次第日蓮・日興」とあらせられるのは大聖人の正統を決定し給ふためであって、付嘱相承師資相承等の一切の相承のことが此の御文によって立証されておるのである。
しかしてそのあとのことは日興上人を師と仰ぎ師弟相対して相承し給ひ、大衆は各々また師弟相対して相承してゆくのが仏法の道である。
内証の上には大聖人の御弟子であることは勿論である。といって内証のみに執して、師弟の関係を整へることが最も大事であって此れを無視するところに聖祖門下の混乱があり、魔の所行が起ってくるのである。

■経文や御書そのものを手にすればそれによって相承があるといふのではない。

■御書には「此経は相伝に非ずんば知りがたし」と仰せられて居る。
(中略)信心血脈は付嘱相承の場合問題ではない。
法華一会の時一切の菩薩や人天の方々を、「止みなん善男子」といって制止し給ひ、上行菩薩に付嘱し給ひしは、信心の有る無しにより給ひしものか。
(中略)また大聖人が「仏法―最大深秘の正法」と仰せ給ふ秘法、また「末法には持ち難し」と仰せ給ふ大法を唯信心だけで付嘱相承し給ふと考へるのは迂愚の骨頂ではないか。
そういう顛倒(てんどう)の考へ方によって仏法の混乱があり、魔が跋扈するのである。

■65日淳上人猊下
仏法において正法が混乱しないように相承の道を立てて明かにされているのであります。それでこの相承の跡を尋ねていけば正しい仏法か、間違った仏法かを知ることができるのであります。

■ 仏法に於ては正法が混乱をしないやうに相承の道を立て明らかにされてあるのであります。それで此の相承とは相ひ承けるといふことで師の道をその通り承け継ぐことであります。それで此れを師資相承と申します。既に師の道を承け継ぐのでありますから必らず師の証明がなければなりません。弟子が勝手に承継したといってもそれは相承ではないのであります。
 
また世間では仏書を読んで悟ったといって師弟といふことを考へない人がありますが、それは仏法の正しい道ではないのであります。
昔経巻相承といふことをいって法華経を読んで仏法を相承したと主張した顕本法華宗の祖である日什といふ人がありますが、此れは自分勝手にいふことで法華経の中には日什といふ人に相承したといふ証明はないのであります。
仏法に於ては師資相承がなければいけないのであります。
また信心相承などといって信心を以て相承したなどといふ人がありますが、信心は仏法の基盤でありますが、相承はその上に於ける仏法の承継の問題であります。
 
■65『日淳上人全集』聖典相伝部に寄せて
「申す迄もなく御相伝となりますれば直接御指南の金口嫡々の御相承や宗門の上の御教示等重々あらせられると拝しますが、それは御法主上人として大事大切でありまして、一般の僧侶や信徒としては御法主上人に随順し奉ることによって、自ら受けることができるのであります。
それ故此には従来拝読を許されてをる御相伝書を挙ぐるに止めたのでありまして、此れを以て全部であると速断してはならないのであります」(一一五〇n)
 

●さあ、日淳上人は、相承が明確でないものは「魔」である、と仰せである。
牧口氏・戸田氏に「相承」されたという明確な証拠はどこにあるのか?
 
貴公が日淳上人の御言葉を出したのである。
それに対し当方は同じ日淳上人の御指南を以って貴公の邪執・迷妄を劈いたのである。
急ぎ急ぎ反論を企てよ。(所詮無理だろうが・・。どうせ、「能書きはいいですから、早く私の三つの質問に答えなさい!!」と、困った時は、相手の言葉には全く耳を傾けず、それでも悔しさ収まらず、大声で自分の主張のみを喚き散らす幼稚園児以下の醜態を演じるだけだろうが。
それでも、基礎教学の全く貧弱な貴公の少しはましな反論を待つとしましょうか。)
 
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Re:[449] 桶t田さん、貴方は仏法に無知すぎます。己義を慎む事 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/22(Fri) 22:11
 
 ●予想通り、相も変わらず脳乱の極みである。
しかも、同じことをよくもこう、くどくどと何度も何度も言い続けられると感心する。
 
やはり、ニセ本尊の害毒による頭破作七分は、偏執的且つ変質的になるといういい実例か。
発展性と思索の深化がまるでない。
実に無様な醜態である。
―――――――――――
>  可哀想ですから一度だけ教えてあげますよ。
>  よく理解して信心の糧としなさい。
 
●では今回一度かぎりにし給えよ。
この言、お忘れなさらぬように。(頭破作七分の沖浦氏は暫くすると必ずこの言を忘れ、くどくど書きなぐるので、皆さん注意して見ていきましょう。)
―――――――――――
>  蓮祖は、御書に広宣流布の御予言をなさいました。
>
>  『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、』(諸法実相抄)
>
>  然るに700年間、この御予言は実行されないままでした。
>  ようやく信教の自由が憲法で保証され、布教へ機根が到来した時、この御書を身で読まれ、『我地涌の菩薩の棟梁なり。』と、宣言をなされ、広宣流布の怒濤の進軍を開始されたお方が戸田先生です。
>  御書の予言通り、お一人。からの出発であられました。
 
●全くの我見である。
と言うより、文章が読めないようである。
貴公はそのニセ本尊をニセと見破れぬ汚れて濁った眼で御書を読む前にまず日本語の読解力を養うことから始めた方がよさそうである。
 
この「一人」とはまさに日蓮大聖人様の御事である。
 
戸田氏は法華講員の三谷氏から折伏されたのであるから、最初の「一人」ではない。
こんな簡単なことすら見えなくなっているのだから、驚いたものである。小学生にも哂われる椿事である。が、貴公の稚拙極まる発言は創価学会の無能さを鮮明に顕してくれるから真に慶事である。
―――――――――――
>  * 御書の予言どおりのお振る舞い。
>  * ご自分で『我地涌の菩薩の棟梁なり。』と、宣言をさ   れておられる。
>  * 時の法主もそれを認める発言を繰り返している。
>
>  以上三点からも戸田先生は『地涌の菩薩の棟梁』である事が明確です。
 
●従ってこの三点はただの貴公の思い込みであり、沖浦君、ムキになって出したパンチが無惨にも空を切り、思いっきりスリップ
 
ダウンして後頭部を強打するの図である。
あるいはスキー大会「壮年の部」の優勝を狙って意気込んで、勢い余ってコースから大きく外れ、大転倒の挙句、立ち木へ叩き着いているの図か。
―――――――――――
>  地涌の菩薩の棟梁とは、上行菩薩を示します。
>  眷属とは明らかに違いますよ。
>  貴方方には相伝が無く、もはや御書も読めないのです。
 
●ここは笑わせてくれる。
貴公へ伝わる「相伝」とは何か?
日淳上人の御言葉を持ちだしたのは貴公なのだから、その日淳上人の御指南、
■「大聖人が「仏法―最大深秘の正法」と仰せ給ふ秘法、また「末法には持ち難し」と仰せ給ふ大法を唯信心だけで付嘱相承し給ふと考へるのは迂愚の骨頂ではないか。そういう顛倒(てんどう)の考へ方によって仏法の混乱があり、魔が跋扈するのである。」
 
との仰せに即して貴公へ伝わる「相伝」とやらを明示していただこうか?(どうせ貴公には絶対に無理だろうが、これを読む皆様の為に、しっかりを釘を刺しておく。
悩乱した答えをすればするほど、創価学会離れが増えるが故に大いに喜ばし。)
―――――――――――
>  戸田先生が上行菩薩であられる以上、創価学会から離れればそれで相伝はありません。
 
●上記の明証がない限り、こんなものは貴公のただの妄想である。全く依るべき内容はない。
―――――――――――
>  血脈も、相伝も戸田先生がすべてお持ちでした。
>  何故ならば戸田先生こそ、上行菩薩だからです。
 
●狂人の繰言。その内容を明示せよ。できなければこういう妄想を撤回せよ。といっても狂人にはもはや無理か。
 
いいですよ。こんな調子でどんどん妄想を喚いていただければ、そのあまりの荒唐無稽さに正気の人が読めば脱会したくなるでしょうし、法華講員が読めば、「ああ、本当に脱会して良かったなぁ〜〜。」と我が身の福徳に改めて感謝するであろう。
―――――――――――
>  末法で上行菩薩が一回しか出現しない。などとは御書の何処にありますか?
>  この諸法実相抄では、何度でも出現なさる。と、明確に仰せですよ。
>  
>  『未来も又しかるべし、』
>
>  日蓮大聖人様一人がお題目を唱え始め、二人三人百人と次第に唱え伝わってきた。
>  未来も必ずそうなるであろう。
>  わけても広宣流布の時には、日本中が唱える時が来る事は大地を的とするようなものだ。
>
>  よく学びなさい。
 
●馬鹿丸出しである。
まさに、恥部を曝け出して公道を走っているような様である。しかも本人はその無様さに全く気づいていない。
 
既に一言でこの邪義を劈いている。
 
戸田氏は三谷氏に折伏されて日蓮正宗の信徒となったのである。
この三谷氏も誰かから折伏されたのである。
その人も・・・とこう次第していくと、詰まるところ日蓮大聖人様となる。その義を
■『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、』(諸法実相抄)
斯様に仰せられているのである。
つまり、戸田氏は第一番目の「一人」ではないのである。
 
(貴公には解らなくてもいいですよ。土台無理だろうから。
これを読む読者の為に書いているのであるから。
貴公は良い邪義の見本の役割で充分である。)
 
更に、この意を証明できる御文がこの御書の前半にある。
 
■かくの如き等の法門、日蓮を除きては申し出だす人一人もあるべからず。
 
■地涌の菩薩の中の上首唱導上行・無辺行等の菩薩より外は、末法の始めの五百年に出現して法体の妙法蓮華経の五字を弘め給ふのみならず、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕はすべき人なし。是即ち本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故なり。
 
この御文を合わせ拝すると当該文「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、」との御言葉は、上行菩薩再誕の日蓮大聖人様が事の一念三千の大御本尊様を顕される、と言う義が篭められていることが拝せられるのである。(貴公は解らなくてもいいですよ。貴公の悩乱した頭にはちょっと難しいですからね。)
その方は、日蓮大聖人様御一人でしか有り得ないのである。
 
更に、「末法の始めの五百年に出現して」との御文に明確である。
大聖人様のお考えでは当時の通例に従って末法とは西暦で計算すると1052年から始まったという説を取られている。
すると、上行菩薩様は概ね1052年〜1552までに現れる、という義である。しかもその方はご本尊を顕発される、ということである。
つまり、日蓮大聖人様御自ら、お一人である。
―――――――――――  
>  蓮祖が御出現になられなけれ、釈迦の予言ははずれ、釈迦は嘘つきのそしりをいけるところでした。
>  蓮祖が御出現になられ経文を身で読まれ、釈迦の言葉を助けえられました。
>  故に、釈迦の法は全て蓮祖が受け継がれておられます。
>  同じく、戸田先生が御出現になられ、蓮祖のこの御予言を身でお読みになられたのです。
>  戸田先生はこのご文を読まれ涙され、このご文は戸田のためにこそ書き残されたのだ。と、言われました。
>  相伝なき宗門等には、窺い知ることすら不可能な厳粛な儀式です。
>  戸田先生なかりせば、蓮祖の法は隠没するところでした。
 
●誤解して欲しくないが、別に戸田氏の信心と功績を否定しているのではない。
戸田氏は立派であった、ということは御歴代上人もお認めのところである。
ただ、過剰な尊信は却って戸田氏の真意を踏み躙るものである。
思うに戸田氏は貴公のような狂人の言を聞いて霊山で烈火のごとくお怒りであろう。
 
問題は、戸田氏が厳格に守っていた、
 
1.折伏した人は信徒として各寺院に所属させること。
2.当山の教義を守ること。
3.三宝を守ること
 
この大原則が池田体制になって反故にされたが故に創価学会が破門された、と言うことである。
実に簡単な道理である。
―――――――――――
>  法主の証言もあります。
>  「戸田さん、牧口さんがいなければ日蓮正宗は潰れておった。」
>  相伝なき現宗門には、知る事も出来ない仏法の真髄です。
>  戸田先生は、蓮祖より丁度700年目に創価学会を創立され、ここから怒濤の折伏行進が開始された事は歴史上の事実です。
>  御書を身でお読みになられ、蓮祖の言を助けられたお方は、戸田先生お一人です。
>  故に、蓮祖の法は全て戸田先生に受け継がれ、興師のお立場であられるのが池田先生です。
>  簡潔な理論です。
>  相伝なき宗門には理解が出来ない、仏法の真髄ですよ。
 
狂人である貴公には「簡潔な理論」かも知れぬが、正気の当方らには完全に狂人の言としか見えない。
 
日淳上人曰く、
 
■内証の上には大聖人の御弟子であることは勿論である。といって内証のみに執して、師弟の関係を整へることが最も大事であって此れを無視するところに聖祖門下の混乱があり、魔の所行が起ってくるのである。
 
■ 仏法に於ては正法が混乱をしないやうに相承の道を立て明らかにされてあるのであります。それで此の相承とは相ひ承けるといふことで師の道をその通り承け継ぐことであります。それで此れを師資相承と申します。既に師の道を承け継ぐのでありますから必らず師の証明がなければなりません。弟子が勝手に承継したといってもそれは相承ではないのであります。
 
狂人には何度も言い聞かせるが、戸田氏は三谷氏から折伏されて日蓮正宗の門人になったのである。
 
「相承」は誰からもされていない。
ご本人もそんなとんでもないことは言っていない。
貴公がその狂った頭で妄想を逞しくしているだけのことである。
 
それと、狂人に特有なことは、偏執的であることと、自らの妄想に関る事には過剰なエネルギーが噴出し持続することである。
 
貴公の幾所かへの書き込みを見るに、まさに、このような精神に異常を来たしている方々と同様の傾向が顕著である。
 
一刻も早く気がつき、ニセ本尊を破り捨て焼却すべし。
 
もう手遅れかも知れないが・・・
いやいや、今世は駄目でも来世救われればいいのだから、やはり、一刻も早く魔性の住み込んだニセ本尊を捨て去るべし。
 
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プウップップップップ 投稿者:沖浦克治 投稿日:2005/07/22(Fri) 22:35  No.457    [返信]
 
  戸田先生は一番目の一人ではなっかた。だって??
 一番。と、御書に書いてありますか?
 一人から。ですよ。
 
 何番目でもね、その時代に誰もいなかったら一人からです。
 恥の上塗り!!
 
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桶田さん 投稿者:沖浦克治 投稿日:2005/07/22(Fri) 22:36  No.458    [返信]
 
  ハイ!マイナス点ですよ。
 ゼンゼン駄目ですね。
 感想文以下ですよ。
 頭が微塵に砕けていますよ。
 
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桶田さん 投稿者:沖浦克治 投稿日:2005/07/22(Fri) 22:37  No.459    [返信]
 
  又今度お相手をしてあげますね。
 それまで創価学会の末端にでも教えを乞い、レベルを上げておきなさいね。
 
 では、では。
 
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沖浦さん、哀れですよ。 投稿者:terry 投稿日:2005/07/22(Fri) 22:46  No.460     [返信]
 
 だから言ったでしょうが。貴殿は樋田さんに噛み付いてもダメだって。
画面の前で挙動不審になっていませんか?脳乱ここに極まれりでしょう。
書き込みに錯乱してる様子がよく出ていますよ。哀れですね。
 
一日も早く「ニセ本尊からの脱出」を計られた方がよろしいかと。。
 
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うわっ!遁走しちゃったよ!沖浦さんは。 投稿者:terry 投稿日:2005/07/22(Fri) 22:50  No.461     [返信]
 
 まさに『沖浦さん遁走の巻』ですね。さすが「言うだけ番長」ですね。
全国の皆さんにはっきりと解るでしょう。自身では精一杯格好を付けたつもりでしょうが、まさに「遁走」でしょう。恥ずかしい
 
ですね、沖浦さん。
 
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少しレベルを上げるまでまってあげようか? 投稿者:沖浦克治 投稿日:2005/07/22(Fri) 23:19  No.462    [返信]
 
  気に入りませんか??
 
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Re:[467] だめだね 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/23(Sat) 07:13  No.468      [返信]
 
 >  神様さんに、誰も歯がたたないや。
 
●こういう言を、「負け犬の遠吠え」と世間では言うようである。
自らは教学的明晰な反論は全くできていない。
ただ修羅根性の奴隷として、憤懣やるかたなし、の態である。
 
沖浦君のような境涯を指して、こういうのであろうか。
 
■修羅道とは、止観の一に云はく「若し其の心念々に常に彼に勝らんことを欲し、耐へざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて視下ろすが如し。而も外には仁・義・礼・智・信を揚げて下品の善心を起こし阿修羅の道を行ずるなり」
 
当方の期待通り、沖浦君はますます狂態を演じてくれて、創価学会の無力さを浮き彫りにしてくださる。
 
さあ、次の発言をまた楽しみに待ってみましょう。
 
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ここで、沖浦克治氏は反論不能に陥り、遁走となった。
 
ここに、その経緯を明示し、末長く沖浦氏の”業績”を「顕彰」したい。