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沖浦老耄は強がりだけ・口先だけ、本当は対面対論などできようもない臆病な老痴犬です。
過去の当方とのやりとりを見ていただければご理解いただけると思います。
この↓沖浦老醜のレベルでは、即座に反論を切り返さなくてはならない”対論”などできるはずもありません。
力も無いのに、ただ粋がり強がって見せているだけの腰砕けの悩乱者であります。
http://toyoda.tv/okiuratonso1.htm
http://toyoda.tv/okiura.tonso1.htm
http://toyoda.tv/okiura,tonso3.htm
http://toyoda.tv/okiura.tonso4.htm
今回の27日の件、あらあら拝見させていただきました。
もともと真剣に会うことを恐れていた沖浦醜人には、逃げを打つ持って来いの口実になった訳ですね。
でも経緯を見れば、沖浦邪人が如何に姑息・臆病・老獪・卑怯・・・かが更に鮮明に露見しましたね。
真に自らの正義を主張しようとするならば、日程の少々の行き違いなど、大きく飲み込んでも対論を求めるものでしょう。
沖浦痴人の本心は大聖人様の御心とは程遠い所にあるただの謗法者の成れの果ての妄執深き堕人です。
さて、この老醜人は書けば書くほどに無知を晒すのですが、27日の件の締めくくりに以下の駄文を呵責しておきましょうか。
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> DATE: 8月21日(月)09時00分4秒
> TITLE: ほととぎすさん、これで打ち切ります
> NAME: 沖浦克治 MAIL:
>
> 創価学会の正義より、戒壇様を選択した。
> それで結構です。
> これで貴方との対話は打ち切ります。
> 後からの約束を先にした約束よりも優先するような、非常識な人。の、お相手は出来かねます。
●会わなくてもすむ「口実」が見つかり、内心安堵して胸を撫で下ろしている惨めな臆病老人の姿ですね。呵々。
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> > ▼戒壇様にお会いしなくとも、拙宅にはまったく同じお力の同じ御本尊様が御安置されておられます。
> ことさら騒ぐようなことではありませんよ。
●ここである。また、馬鹿を曝け出している痴老人全開である。
日寛上人曰く。(痴老人沖浦君のお宅にぶら下がっている、猿真似魔札の、その元になった真正の常住御本尊を書写された日寛上人の御指南は、沖浦老醜をはじめ創価学会員にとっては殊に重要であり、ひたすら拝信すべきであろう。)
■広宣流布の時至れば、一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。その処は皆これ義理の戒壇なり。然りと雖も仍これ枝流にして、これ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり。妙楽云く「像末の四依、仏法を弘宣す。化を受け、教を禀け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則は増上して真証に濫る」等云云。今、日本国中の諸宗・諸門徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。宗祖云く「根深ければ枝繁く、源遠ければ流れ長し」(取意)等云云。
大聖人様の仏法とその功徳の「根源」こそ戒壇の大御本尊であり、その他の御本尊は全て「枝流」である「義理の戒壇」である。ここに能生・所生の筋目縦分けが厳然と存するのである。ましてや沖浦老耄のうちにぶら下がっているものなど、全くの魔札にしか過ぎず、ただただ妄執深き頭破七分の悩乱者を生み出すだけである。
■「今、日本国中の諸宗・諸門徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し」
戒壇の大御本尊を求めない沖浦痴犬はかく日寛上人に
浅ましい=1 品性が卑しい。さもしい。下劣だ。 2
見苦しく情けない。嘆かわしい。 3 身分や姿形が卑しい。等と厳しい叱責を蒙っているである。
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■又云わく「何ぞ必ずしも富士山を以て体と為し、本山と為さんや」と云々。
今謂わく、嗚呼我慢偏執抑何の益有りや、富士山を以て本山と仰ぐべきこと文理明白なり。
一には富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり、故に本門寺根源と云うなり、弘の一の本十五に云わく「像末の四依、仏化を弘宣す、化を受け教を禀く、須く根源を討ぬべし、若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」云々。宗祖の云わく「本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」等云々。既に是れ広布の根源の所住なり、蓋ぞ本山と仰がざらんや。
■「何ぞ必ずしも富士山を以て体と為し、本山と為さんや」と云々。
この問いなどまさに沖浦老醜の邪問と同様である。
昔からこのような馬鹿者が蠢いていたのである。
沖浦痴犬はこの江戸時代の謗法者と同様の愚昧な老犬である。
■嗚呼我慢偏執抑何の益有りや
沖浦老耄、我慢偏執の塊であるという文証である。
■若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん
戒壇の大御本尊を軽侮する沖浦邪盲が絶対に成仏できない、確たる文証である。
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●ほととぎすさん、斯様に臆病の腰抜けの沖浦老耄は対面対論はできない愚者であり、暫くは現場折伏の対象としては「放置」しておきましょう。
ただ、この掲示板に恥論を執拗に投稿してくるので、それは逐一破折し尽くしていきましょう。
その経緯を全文UPし、沖浦邪醜老人の謗法ぶりを末永く留め置き、無間地獄に堕ちる者のサンプルとして、後々の戒めとしましょう。
彼はそんな役目でしか仏法に貢献できない哀れな、浅ましい(1
品性が卑しい。さもしい。下劣だ。 2 見苦しく情けない。嘆かわしい。 3 身分や姿形が卑しい。)存在なのですよ。
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