私の所感です  投稿者:沖浦克治  投稿日: 813()233042 softbank221104080129.bbtec.net

  引用

 

 

戒壇様は特別か?

 先ず、宗門の言うように、戒壇の御本尊様が他の蓮祖御図顕の御本尊様と比べ、特別なお力を持つか?を考察をいたしましょう。

 御書には御本尊様について有名な記述があります。
 それを引用いたします。

 『夫について経王御前の事二六時中に日月天に祈り申し候、先日のまほり暫時も身をはなさずたもち給へ、其の本尊は正法像法二時には習へる人だにもなしましてかき顕し奉る事たえたり、師子王は前三後一と申してありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時もいきをひを出す事はただをなじき事なり、日蓮守護たる処の御本尊をしたため参らせ候事も師子王にをとるべからず、経に云く「師子奮迅之力」とは是なり、』(経王殿御返事)

 ここで蓮祖は、自ら御図顕の経王殿に御下付なされた御本尊様を顕すに当たり、渾身のお力を持ってなされた。と、御明言なされておられます。

 更にその下段では。

 『、日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし、』

 と、この御本尊様はご自分の御魂そのものである。と御宣言です。

 ここで疑問があります。
 この御書をお書きになられたのは、文永十年八月であり五十二歳の御作です。
 竜の口法難、佐渡流罪の以後。と、なっており、蓮祖は既に発迹顕本をとげられ、末法の御本仏としてのお立場にあります。
 すなわち、この時点で経王殿に御下付をされた御本尊様は、末法の御本仏の御魂そのもののお力がある。と、考えねばなりません。
 戒壇の大御本尊様の御図顕は、これより七年以上の後、弘安二年十月十二日です。
 この間に御図顕の御本尊様は、現存するだけで数十帯を超えております。
 現実に御図顕なされた御本尊様は、これの何十倍もあると考える事が自然でしょう。
 当然それらの数多くの御本尊様も、それぞれ蓮祖の御魂と同様のお力を備えておられます。
 ご本仏自らの仰せですから、疑う必要もありません。
 戒壇の大御本尊様のみが、特別な御本尊。と、位置づけるのであるならば、戒壇様を御図顕なされる時、蓮祖の御境涯がそれまでと比較し特別に開かれた。と、言う事が必要となります。
 然しながら、蓮祖は竜の口にて発迹顕本をなされたのですから、ご本仏としての御境涯がその後変化をすると考える事には無理があります。
 これらを総合的に判断をすれば、戒壇の大御本尊様は他の御本尊様と同じお力をお持ちである、との結論が導かれます。

 それでは出世の御本懐か?

次に、戒壇のご大御本尊様が宗門発表のように、蓮祖出世の御本懐であるか?について考察を致します。

 宗門が主張するように、戒壇の大御本尊様が蓮祖の出世の御本懐である。とするならば、たとえお力が他の御本尊様と同様としても、それはそれとしてやはり、特別な御本尊様。と、位置づける事が可能になります。

 宗門の主張は、以下の根拠に基づいおります。
 この根拠が崩れれば、戒壇の御本尊様は蓮祖出世の御本懐ではない。との結論になります。

 宗門の根拠は以下の御書によります。

 『此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年[太歳己卯]なり、仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり。』(聖人御難事)

 ここで蓮祖は釈迦、天台、伝教の出世の本懐に触れられ、ご自分は立宗より二十七年で出世の御本懐をおとげになられた。と、宣言をなされておられます。
 ところがこの御書の書かれたのは、弘安二年十月一日、五十八歳での御作です。
 戒壇の大御本尊様御図顕より十二日以前のものです。
 これでは時系列的に、戒壇の本尊が蓮祖の出世の御本懐である。と、判断をする事は不可能です。
 非常に簡潔な道理ですね。
 又宗門にはこの時系列を埋めるため、熱原の三烈士の斬首をお聞きになられた蓮祖が、それに応じて戒壇の大御本尊様を御図顕になられた。との、説があります。
 これも時系列を埋めることが出来ないのです。
 何故ならば三烈士の斬首は十月十五日、蓮祖がそれをお知りになられたのが十七日です。
 この事実は戒壇の大御本尊様御図顕が、三烈士の斬首と直接のかかわりを持たない事を物語っております。
 追記いたしますが近年研究により三烈士(二人との説もあり)の斬首は弘安二年ではなく弘安三年との説も出ております。

 蓮祖の御書を読む時、法門の大事に関して、ご自分の思想を後世に正確に伝えるかに重点を置かれている事がわかります。
 もし戒壇様が出世の御本懐であるならば、聖人御難事の記述は、いま少し具体的ではなかったかと拝察するわけです。
 また、第四世日道上人の、三師御伝土代にも、戒壇様の記載がありません。
 この文献は蓮祖興師の時代に近く、信用ができると思えます。
 戒壇様が蓮祖出世の御本懐であるならば、これは不自然です。

 「日興上人の御弟子駿河国富士の郡リ熱原より二十四人鎌倉え召れ参る。一々に搦め取て平左衛門の庭に引据たり、子息飯沼の判官馬と乗蟇目を以て一々に射けり、其庭にて平ノ左衛門入道父子打れり法華の罰なり、さて熱原の法華宗二人は頚を切れ畢ぬ、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊遊ばすのみならず日興の弟子日秀日弁二人、上人号し給フ、大聖人の御弟子数百人僧俗斯の如く頚を切たるはなし、又上人号なし、是レ則日興上人の御信力の所以なり云云、日秀日弁は市庭滝泉寺を擯出せられ給フ。」
 (道師、三師御伝土代より)

 ここでは熱原の法難と関係のある御本尊様について、「さて熱原の法華宗二人は頚を切れ畢ぬ、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊遊ばす」と、蓮祖と興師が農民が斬首された後に御本尊をお二人にて御図顕なされた。との、記述しかありません。
 三烈士(ここでは二人と記されています)の斬首は弘安二年十月十五日、蓮祖がご報告を受けられたのは二日後の十七日です。(近年弘安三年との説もあり)
 いずれにしても戒壇様の御図顕の弘安二年十月十二日とは無無関係に思われます。

 私は戒壇様を否定した事は一度もありませんし、お力を疑った事もありません。
 紛れも無く蓮祖御図顕の大御本尊様です。
 蓮祖の御真筆か、後世の書写か、書写であれば書写したのは在家か出家か、御真筆であるならば紙幅か最初から板曼荼羅か?
 これらの疑問は、戒壇様のお力とは無関係の事です。

 創価学会が公式見解で戒壇様を云々する事は、いまだに時期が早いと思います。
 あわてずゆっくり今後研究がなされるでしょう。
 いずれにしても、お力があるのですから、何の問題もありません

 

偏執的に執拗に愚論を繰り返し投稿を続けている沖浦妄執老人へ。  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 814()164357 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

貴公は戒壇の大御本尊の本義を否定しているようだが、

●では、以下の「池田大作監修」の「仏教哲学辞典」という、仮にも「辞典」と名乗る普遍妥当性が重要視され、不変的な見解こそが骨子であるべき書物の記述と、貴公の主張は真っ向から対立するが、もし貴公の言い分が正しいと仮定すれば池田氏の考え方は間違っていたことになり、ことは本尊義に関してであるから、池田氏は大謗法者ということになる。
貴公はその大謗法者が指揮する団体に所属することになり、謗法与同によって貴公も大謗法者である。

また、以下の仏哲の既述が正しいならば、当然貴公の主張は悉く普遍性のある辞典での「池田センセ〜」の説と相反しており、やはり貴公が大謗法者であることは治定である。

つまり、沖浦妄執老醜老人は、どの道大謗法者であることを、自らの主張によって証明しているだけの醜態である。

―――――――――――
ほんもんかいだんのごほんぞん
【本門戒壇の御本尊】
ほんもんかいだんのだいごほんぞん
【本門戒壇の大御本尊】

末法の御本仏日蓮大聖人が出世の本懐として、末法尽未来際にいたる一切衆生のために、弘安二年(二一七九年)十月十二日に図顕された未曾有の大曼荼羅のことである。
本門の本尊ともいい、また三大秘法総在の本尊ともいう。
この大御本尊は第二祖日興上人に付属され、現在にいたるまで六百数十年にわたって、代々の御法主上人猊下によって厳護され、法灯連綿として日蓮正宗総本山大石寺に伝承されてきた。
現在、正本堂(※もちろん現在では奉安堂であることは言うまでもない)に安置されている本尊である。
戒壇の大御本尊は、昭和三十年十一月までは御宝蔵に厳護され、昭和四十七年十月七日に、総本山大石寺に完成した正本堂へ、奉安殿から御遷座されて、今日に至っている。
つぎにこの御本尊について述べるにあたり、はじめに本門戒壇について明かし、ついで本門の本尊について述べることとする。

一 本門戒壇について
一般に戒壇とは、戒を授ける壇をいうが、日蓮大聖人の仏法では、本門戒壇とは本門の本尊を安置し信心修行に励む場所をいう。
本門の戒壇には義と事がある。
義の戒壇とは、本門の本尊所住の処は、いずれの地であっても授戒の道場としての内容が整っていて、その義が戒壇にあたるから、義の戒壇という。
事の戒壇とは、本門戒壇の大御本尊が安置されるところである。
大聖人の仏法では、戒壇とは、全世界の人々の懺悔滅罪の道場であり、全人類が平和を祈願する根本道場を指しており、大御本尊に唱題し、帰命する所をいう。三大秘法抄に、本門の事の戒壇について
■「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して踏給うべき戒壇なり」とある。

また南条殿御返事には
■「此の砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅して三業の悪転じて三徳を成ぜん」とある。

つぎに本門戒壇建立の地について述べるならば
三大秘法抄の
■「霊山浄土に似たらん景勝の地」とは、日本の富士山をさす。
日蓮大聖人の
身延相承書には
■「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」と明白に遺言されている。
また本門戒壇の大御本尊の授与書には
■「右現当二世の為に造立件の如し、本門戒壇の願主弥四郎国重、法華講衆等敬白、弘安二年十月十二日」とあり、
また日興上人より日日上人への譲り状たる日興跡条々の事には
■「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊日日に之を授与す、本門寺に懸け奉るべし」とあり、
百六箇抄には
■「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」とあり、
また同抄には
■「日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり」とある。
嫡嫡相承の曼荼羅とは大聖人弘安二年十月十二日御図顕の本門戒壇の大御本尊であり、本門戒壇の大御本尊を正式に御安置すべき本門戒壇は富士大石寺に建立すべきことを決定されているのである。
産湯相承事には
■「叡山の頂に腰をかけて近江湖水を以て手を洗うて富士の山より日輪の出でたもうを懐き奉ると思うて…日蓮は富士山自然の名号なり、富士は郡名なり実名をば大日蓮華山と云うなり」とある。
しかして、日蓮正宗においては、第二祖日興上人以来、身延相承書の
■「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」の遺訓を堅く守って、広宣流布に邁進してきたのである。
さらに本門戒壇建立の時期について、日蓮大聖人は三大秘法抄並びに身延相承書に
■「時を待つべきのみ」
といわれ、本門戒壇建立を滅後に遺付された。
土木殿御返事には
■「日蓮死生不定為りと雖も妙法蓮華経の五字の流布は疑い無き者か……但し定慧は存生に之を弘め円戒は死後に之を顕す事法為る故に一重大難之れ有るか」といわれ、
諸法実相抄には
■「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」とある。
すなわち、本門戒壇建立の時代的・社会的背景として、日蓮大聖人が指摘している条件は、正しい宗教の基盤が確立し、その広大で豊かな宗教の土壌のうえに、政治、経済、教育、文化等の諸活動が展開される時代のことである。
したがって、本門戒壇の建立というのは、そうした宗教革命、信仰者個々人の生命の変革を根底にした、総体革命の進行をその背景とするのである。

二 本門の本尊について
本門の本尊とは、弘安二年(一二七九年)十月十二日に図顕された未曾有の大曼荼羅のことであり、一閻浮提総与の御本尊のことである。
この本尊こそが、日蓮大聖人の出世の本懐であり、全人類を即身成仏させえる大御本尊である。
また本門の本尊に法の本尊と人の本尊がある。
法の本尊とは、事の一念三千・無作本有の南無妙法蓮華経である。
人の本尊とは、久遠元初の自受用報身の再誕・末法下種の主師親・本因妙の教主・日蓮大聖人である。
この人法の本尊はその名が異なるけれども、その体は一であり、人即法、自受用身即一念三千である。
また法即人、一念三千即日受用身である。
これすなわち正中の正、妙中の妙なのであり、本門の本尊こそ行入所修の明鏡である。
観心本尊抄に「観心の本尊」が明かされているが、これは「本門の本尊」と同義である。
「本門の本尊」「観心の本尊」の実体は、日蓮大聖人が出世の本懐として、弘安二年十月十二日に建立された本門戒壇の大御本尊である。
日寛上人の観心本尊抄文段上の首文には、本門の本尊について、つぎのように説かれている。
■「夫れ当抄に明かす所の観心の本尊とは、一代諸経の中には但法華経、法華経二十八品の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底深秘の大法にして本地唯密の正法なり、此の本尊に人有り法有り、人は謂く久遠元初の境智冥合、自受用報身、法は謂く久遠名字の本地難思境智の妙法なり、法に即して是れ人、人に即して是れ法、人法名殊なれども其の体恒に一なり、其の体一なりと雖も而も人法宛然なり、応に知るべし当抄は人即法の本尊の御抄なるのみ、是れ則ち諸仏諸経の能生の根源にして諸仏諸経の帰趣せらるる処なり、故に十方三世の恒沙の諸仏の功徳・十方三世の微塵の経々の功徳、皆咸く此の文底下種の本尊に帰せざる莫し、譬えば百千枝葉同じく一根に趣くが如し、故に此の本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用有り、故に暫くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来たらざるなく、理として顕われざるなきなり、妙楽の所謂『正境に緑すれば功徳猶多し』とは是れなり、此れ則ち蓮祖出世の本懐、本門三大秘法の随一、末法下種の正体、行入所修の明鏡なり、故に宗祖云く『此の書は日蓮が身に当て一期の大事なり』等云云」と。

このように日蓮大聖人の仏法の根本は弘安二年十月十二日建立の本門戒壇の大御本尊である。
しかして現在まで日蓮正宗総本山大石寺に清純に伝承され、昭和四十七年に完成した正本堂にご安置されている御本尊である。
日蓮大聖人は御一代の間に、いくつかの御本尊をしたためられ、信心に励む在家出家の弟子檀那に授けられている。
その御本尊を一機一縁の御本尊といい、日蓮大聖入滅後、第二祖日興上人は本門寺建立の時には本門戒壇の大御本尊のもとに結集されるべきであると命ぜられている。
―――――――――――

 

樋田さん  投稿者:沖浦克治  投稿日: 814()171851 softbank221104080129.bbtec.net

  引用

 

 

 方便権経さ。

 大聖人様もね、釈迦本仏で自分は弟子と何度も仰せですよ。
 すると貴方の論では蓮祖は謗法で、蓮祖門下は全員謗法の輩だね。

 本門戒壇を否定した事は一度も無いんだよ私はね。
 戒壇様が特別ではない。
 これだけですよ私の意見はね。
 戒壇様のお力を否定した事もないんだよ。
 過去レスをお読み。

 どうも貴方、文章の理解力に欠けるようだね。
 本門の戒壇は必要なんですよ、広宣流布の暁にはね。
 其処に御安置のご本尊様が弘安2年10月12日御図顕の御本尊様に限る。
 この部分は日蓮正宗の内部規定だ。と、言ってるだけでしょう。
 だからね、蓮祖のご文で、我が本懐は戒壇図顕なり、本門戒壇に祭るべし。と言うのを引用してよ。
 それで私の論は吹っ飛ぶんだよね。
 戒壇様本懐論を、日蓮正宗の内部規定から仏法のおける周知の事実に昇格させたければね、立証責任は日蓮正宗にあるんだよ。
 勘違いをしないでね。
 日蓮正宗が内部規定で戒壇様本懐論を唱える事に反対はしていないんだよ。
 自由だよ宗派の。
 だけどね、他宗に強要したくばそれなりの整合性と論理性を持った説得力が必要なんだ。
 だからドンドン研鑽してそうすればいいでしょう。
 止めてないんだからね。
 どうぞ、どうぞ。

 

沖浦老醜の迷妄を哂う。呵々  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 814()175339 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

ほとほと、法門に暝い醜態を晒し続ける老醜の沖浦氏である。

> DATE:  8月14日(月)17時18分51秒
> TITLE: 樋田さん
> NAME: 沖浦克治  MAIL:
>
▼>  方便権経さ。
>
>  大聖人様もね、釈迦本仏で自分は弟子と何度も仰せですよ。
>  すると貴方の論では蓮祖は謗法で、蓮祖門下は全員謗法の輩だね。

●馬鹿丸出しの恥論である。
文上脱益の釈迦仏法から大聖人の文底下種仏法が出現される鎌倉時代の相と、大聖人の文底下種仏法出現以降の末法尽未来際の仏法流伝の相の縦分け、筋目が全く見れない謗法故の愚か者の言である。

「方便・権教」の対極にあるものは「真実・実教」である。
御本仏大聖人御出現により、釈迦仏法の一切の方便・権教は払われ、真実最深秘の一大秘法が顕然となったのである。
であるから、大聖人以降、大聖人の仏法中にもはや”方便・権教”を用いる必要も道理もない。
必要のないものを「ある」として用いるならば、それはつまり邪義にしか過ぎない。
つまり、妄執沖浦老耄は、仏哲の記述と自分の我見との相違について、その幼稚な教学力では説明できないので、その本義も理解していない生齧りの仏法用語である「方便・権教」との語句を用いて逃げ回っているだけの惨めな愚者である。
まず、この一事をもって、いかに沖浦老耄が仏法に幼稚か知れるのである。

今日は少し時間が取れたので、以下、少々、沖浦老耄の妄執を逐次、呵責しましょうか。

 

沖浦老醜の迷妄を哂う。2  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 814()195626 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

ここも、大いに哂える箇所である。

>  ▼本門戒壇を否定した事は一度も無いんだよ私はね。
>  戒壇様が特別ではない。
>  これだけですよ私の意見はね。
>  戒壇様のお力を否定した事もないんだよ。
>  過去レスをお読み。

●またしても、更に馬鹿丸出しの醜論である。

貴公が精を出して拝んでいるニセ本尊・魔仏の基にした御本尊を書写された日寛上人は、戒壇の大御本尊が取り分けて特別である旨を斯く仰せである。

■問う、文永・建治の御本尊に御本懐を究尽するや。
 答う、文永・建治の御本尊、多く分身及び善徳仏を挙ぐ。これに相伝あり。或は仍文上を帯するか云云。
 問う、弘安の御本尊応御本懐を究尽するや。
 答う、実に所問の如し。乃ちこれ終窮究竟の極説なり。

■弘安元年已後、究竟の極説なり。就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。

『法華取要抄文段』

■「一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。その処は皆これ義理の戒壇なり。然りと雖も仍これ枝流にして、これ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり」(文段集六〇一n)

―――――――――――
>  ▼どうも貴方、文章の理解力に欠けるようだね。※1

●これほど明確な御指南が現に存在するのに、それが読めずして「戒壇様が特別ではない。」などと平然と嘯く貴公には、※1←この貴公の言はそのまま貴公の頭破七分の頭にこそ至当な言であろう。呵々。
自分で吐いた唾をもろにかぶっている間抜けな様である。

(あるいは、実際日寛上人の御指南を読んだ事もないのであろう。実に不勉強極まりない。それで生意気にも仏法を我見で論じるとは。実に驕慢極まりない醜態である。堕獄必定の罪業深重の悪因縁の生まれ育ちである。
もし読んでいたならば、こんな中学生でも理解できるほどの明確な内容が領解できないとすれば、それは三宝誹謗の大謗法による頭破七分の様を、まさに絵に描いて額に入れたような醜面を晒していることになろう。
どのみちニセ本尊の害毒に毒され切った老醜老残の無様な邪醜沖浦君である。)

 

あら、マァ〜 沖さん  投稿者:73  投稿日: 814()201044 p4014-ipbf604hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

  引用

 

 

樋田さんに食いついちゃったんだね。(笑)
やまいぬ。が遁走した現在、沖さんが受けて立つしかないね。

だって、食いついちゃったんだもん。
迷妄を二度も哂われちゃって。

頑張ってね。

 

敗者復活戦を頑張りなさい  投稿者:沖浦克治  投稿日: 814()203128 softbank221104080129.bbtec.net

  引用

 

 

 樋田さん。

 又今度ね。
 まず創価学会とリターンマッチで勝ち上がっておいで。
 私のところまで昇って来るんだよ。
 待っててあげるね。

 

ぶはっ  投稿者:華蓮(やまいぬモード)  投稿日: 814()205613 kv237.opt2.point.ne.jp

  引用

 

 

>又今度ね。
>まず創価学会とリターンマッチで勝ち上がっておいで。
>私のところまで昇って来るんだよ。
>待っててあげるね。

創価学会惨敗(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)

 

沖浦老醜の迷妄を哂う。3  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 814()221021 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

>  ▼本門の戒壇は必要なんですよ、広宣流布の暁にはね。

●ここも大いに馬鹿である。
三大秘法が一大秘法と合せられる法門すら知らないとは。
もはや貴公は死ぬまで押し黙っていたほうが身のためである。

本門戒壇とは本門の本尊が御出現と同時に整足されているのである。
広宣流布の暁に於ける「戒壇」とは広宣流布達成の事相に於ける「事の戒壇」の意である。
三秘整足上の本門の戒壇と、広布達成の事相にに於ける本門寺の本堂に建立される「事の戒壇」との縦分け、筋目すら理解していないのが老醜沖浦君の醜態である。
そんな法門未熟の痴れ者の程度でよく「私のところまで昇って来るんだよ。待っててあげるね。」などと言えたものである。
実に驕慢極まりない噴飯ものの醜言である。
実力もないのに強がりだけは人一倍の修羅根性の権化である。
こういう痴れ言ひとつ見ても、老醜沖浦君が如何に仏道から外れているかが如実に分かると言うものである。
―――――――――――
>  ▼其処に御安置のご本尊様が弘安2年10月12日御図顕の御本尊様に限る。
>  この部分は日蓮正宗の内部規定だ。と、言ってるだけでしょう。

●ますます馬鹿者である。

池田大作監修の仏哲から

「つぎに本門戒壇建立の地について述べるならば
三大秘法抄の
■「霊山浄土に似たらん景勝の地」とは、日本の富士山をさす。
日蓮大聖人の
身延相承書には
■「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」と明白に遺言されている。
また本門戒壇の大御本尊の授与書には
■「右現当二世の為に造立件の如し、本門戒壇の願主弥四郎国重、法華講衆等敬白、弘安二年十月十二日」とあり、
また日興上人より日日上人への譲り状たる日興跡条々の事には
■「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊日日に之を授与す、本門寺に懸け奉るべし」とあり、
百六箇抄には
■「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」とあり、
また同抄には
■「日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり」とある。
嫡嫡相承の曼荼羅とは大聖人弘安二年十月十二日御図顕の本門戒壇の大御本尊であり、本門戒壇の大御本尊を正式に御安置すべき本門戒壇は富士大石寺に建立すべきことを決定されているのである。」

であり、「日蓮正宗の内部規定」ではない。池田大作の意見でもある。
耄碌した老人には本当に疲れるものである。
ニセ本尊ではこういう痴呆が治らないという「現症」である。
―――――――――――
>  ▼だからね、蓮祖のご文で、我が本懐は戒壇図顕なり、本門戒壇に祭るべし。と言うのを引用してよ。
>  それで私の論は吹っ飛ぶんだよね。

●とことん、馬鹿丸出しである。
よくこれで世の中で平然と生きていられるものである。
少しでも恥を知る者ならば、こういう愚言を一言でも言おうものならば、悶死するような戯言である。

我々が拝することができる「御書」には以下の事案に対して一言も触れておられない。

1、大聖人御図顕の御本尊に年次により御相貌に大変な差異がある理由。
2、大聖人様御所顕の御本尊中の記銘に「仏滅後二千二百二十余年」と「三十余年」と両様あられる理由。
3、更に文永・建治年間の御本尊に二千二百三十余年と記された理由。

つまり、御書に大聖人様の仏法の全てが表記されている訳ではないことは一目瞭然である。
では上記の事々は全く理解不能なのか、というとそうではない。
まさに唯授一人・血脈相承によって代々の猊下へその真意は御相伝されているのである。
であるから、御歴代上人の御指南に上記の回答は明確に示されているのである。
ことに戒壇の大御本尊の御事は日興上人御一人へ密付嘱されたのであるから、総付嘱としての御法門を示された「御書」に詳細且つ顕然に説かれるはずなどあろうはずもないのである。

老耄でいながら幼稚極まりない。それでいて修羅根性の奴隷、沖浦君。
残念ながら、御書に「我が本懐は戒壇図顕なり、本門戒壇に祭るべし。」との記載がなければ戒壇の大御本尊の御事を真に正しく信じることができない、との立論自体が全くの根拠のない迷妄である。
つまりは貴公が過去世の因縁が余りに悪く、命に徳は薄く垢があまりに溜まり切っているので、正しい仏法の道理が領解できない、ただそれだけのことである。
そんな低劣で卑しい生まれ育ちの分際で、生意気にも我意に任せて仏法を論じるなど以ての外の所業である。
貴公ほどの卑しい謗法者にはその資格など全くない。
貴公に残された唯一救われる道は、ただひたすら、三宝へ自らの罪業深い卑しい生まれ育ちを詫びるだけの人生しかない。

自分の罪業の深い宿業をよくよく肝に銘じ、恥じ入るべきである。
それが今後の貴公の正しい「仕事」である。
他にはない。

 

オナルドダックさん  投稿者:沖浦克治  投稿日: 814()230937 softbank221104080129.bbtec.net

  引用

 

 

 始めまして、沖浦克治と申します。
 以後宜しくお願いたします。

 傑作な情報ありがとうございました。
 あれはもう末期症状ですね。
 既に創価学会に負け、秋谷さんに全国区で笑い者になったままです。
 その上、ぼこぼこですか。
 でもそれぐらいでよかったですよ。
 家でそんな事やったら、死んでたでしょうね。
 穏やかな人が相手でよかったですね。

 

沖浦くん。  投稿者:日本橋  投稿日: 814()232354 proxy-f-104.docomo.ne.jp

  引用

 

 

■既に創価学会に負け、秋谷さんに全国区で笑い者になったままです。

その秋谷くんは名誉毀損で完全敗訴♪嗤。




■その上、ぼこぼこですか。
■でもそれぐらいでよかったですよ。
■家でそんな事やったら、死んでたでしょうね。
■穏やかな人が相手でよかったですね。

なにこれって?
家だったら殺人までしちゃうのが学会員さんだってことですね?大笑い。

 

日本橋さん  投稿者:73  投稿日: 814()233635 p4014-ipbf604hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

  引用

 

 

樋田さんに完膚なきまでに破折されながら
それに反論できないんですからね

よりによってHNをコロコロ変えてるオナルドダック に肩寄せて


>傑作な情報ありがとうございました。
 >あれはもう末期症状ですね。
 >既に創価学会に負け、秋谷さんに全国区で笑い者になったままです。
 >その上、ぼこぼこですか。
 >でもそれぐらいでよかったですよ。
 >家でそんな事やったら、死んでたでしょうね。
 >穏やかな人が相手でよかったですね

だめだ、こりゃ〜!!!

 

日本橋 さん  投稿者:沖浦克治  投稿日: 814()234048 softbank221104080129.bbtec.net

  引用

 

 

 私の家で若いものがいるときに同じことをしていれば間違いなく死んでいたでしょう。
 但し私の家に出入りするものの大半は創価学会員ではありません。
 お間違いのないようにね。

 秋谷さんが名誉毀損で慰謝料を取られたことが事実なら、彼にとって不名誉なことですね。
 その不名誉な秋谷さんに笑い者にされたあれは、最低ランクですね。
 お気の毒に。

 

沖さん  投稿者:73  投稿日: 814()234724 p4014-ipbf604hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

  引用

 

 

>秋谷さんが名誉毀損で慰謝料を取られたことが事実なら、
>彼にとって不名誉なことですね。
> その不名誉な秋谷さんに笑い者にされたあれは、最低ランクですね。
> お気の毒に


もう論理がメチャクチャですね(笑)
負け惜しみはみっともないですよ

血税を食い物にした最低ランクで
その上樋田さんにノックアウトにされて
お気の毒に。

 

沖浦さん  投稿者:ほととぎす  投稿日: 814()234940 Ddujm35DS17.osk.mesh.ad.jp

  引用

 

 

>私の家で若いものがいるときに同じことをしていれば間違いなく死んでいたでしょう。

沖浦先生!27日に先生のお宅にお邪魔する予定ですが、
先生は、そのスジの親分さんなんですか?ちょっと心配なんですが・・・。

 

沖浦くん。  投稿者:日本橋  投稿日: 815()000556 proxy-f-101.docomo.ne.jp

  引用

 

 

順番が違うでしょ。

秋谷くんが笑った後、樽沢道広師が秋谷くんを嗤い者にしたんでしょ。

話を作らないようにね。爆笑。