| 沖浦対樋田法論を検証する 30 投稿者:管理人(樋田 昌志) 投稿日:2007年 7月17日(火)17時53分58秒 p4117-ipbf302yosida.nagano.ocn.ne.jp |
| ちょうどいいですね、以下の投稿は。 法論中(法論以前も以後も)沖浦さんは 「日蓮正宗の御歴代上人が書写された曼荼羅御本尊を本尊として拝する」 理由を、道理・文証を以って全く説明できていません。 故に、 「本尊はアホが書写しようが、かしこが書写しようが誰だってよい。」 などという、子供が聞いても嘲笑される、途方もない大暴論となり、果ては、 「将来、どこの誰かが書写するだろう。でもその誰かをどうやって決めるのか、全くわからない。」 などという、実に曖昧模糊とした、駄論に陥るのですね。 これつまり、 ■「諸宗は本尊にまどへり」 の姿そのままの悩乱者であります。 要するに、沖浦さんは、本尊とは一体どういう謂れのものなのか、全く分からず、説明もつかず、ただ惑っているだけのことなのですね。 その姿こそ、諸宗=邪宗ですから、沖浦さんは 邪宗徒である証拠 ということであります。 更に、御書に全く説かれていない、日蓮正宗御歴代上人御形木本尊を拝む癖に、開眼の御事は、 ▼「御書にそのものずばりで説かれていないから信じない」と頑迷に言い張るのみです。 つまり、一方では御書に御記述がないことをいともたやすく信じ、その一方、自分に都合の悪いことは御書にその義が明白であるにも関わらず信じない。 このような偏向した姿は、正しく仏法を求める人の態度とは程遠いものです。 日蓮正宗においては、何故御歴代上人の御形木御本尊をまさに大聖人の御魂魄として尊崇するのか明白な教義が存在します。 しかし、沖浦さんにはそのような確たる裏づけなど皆無で、ただ長い慣習の延長線上として拝んでいるに過ぎず、しかし立場は創価学会員であるために、御本尊を書写される御歴代上人は否定しなくてはならない、という、その自己矛盾の中で、全くの反論不能状態のままなのです。 自分が何故、自分が否定している日蓮正宗御歴代上人が書写された御本尊を拝むのか?という唯一の根拠らしきものは、ただ▼「功徳があるから」の一点張り。 しかし、今までの沖浦さんの捏造・虚偽・すり替え・など常習犯の言動を見れは、沖浦さんに、清浄・潔癖・高潔・・・な大聖人の仏法の功徳が全く現れていないことなど、誰が見ても一目瞭然でしょう。 むしろ、古狸・古狐・蛇・モグラ・いたち・スカンク・・・というような畜類に近い行動ではないでしょうか。 今回の法論映像をはじめ、 http://toyoda.tv/okiura.kakiko.htm http://toyoda.tv/okiura.siryo3 http://toyoda.tv/okiura.hituti などの記録は、そういう大聖人様の尊い功徳から程遠い沖浦さんの人間性を末永く残すものであり、手前味噌に自己正当化を図る謗法の者の醜さ・浅ましさ・見苦しさをよく伝えるものとなるでしょう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−− > DATE: 2007年 7月17日(火)16時40分30秒 > TITLE: にっちさん > NAME: 沖浦克治 MAIL: > > 樋田さんは自分の失点を取り返そうと必死にあがいているのです。 > 既に配信を終え、数万人の人が見、その上で勝敗を判断されています。 > 今更あがけば、見苦しいと評判を落とすのみです。 > > 樋田さんが明確に発言した、 > > 御本尊様のコピーはただの紙だ。 > > 顕師の写真を、耕治が目の前で燃やしててもただの紙切れだ(からかまわない)。 > > この二点は、いくら今更否定しても消せるものではありませんね。 > もし、私の指摘が嘘ならば、既に映像を見た何万もの人たちから、抗議が押し寄せているでしょう。 > > 更に、樋田さんは、 > > 御形木様と言う言葉は御書にない。 > その御書にもないようないい加減なもの。 > > と、明確に御形木様否定。を、しています。 > > 彼は、その場逃れで作り上げた理屈で自分の首を絞めていますね。 > 第一ね、 > > 常住本尊。この言葉も御書にありませんよ。 > > 馬鹿げたお方ですね〜。 > にっちさん。 > 一度全部を見てください。 > 私の言う事が、事実とお分かりいただけると思いますので。 |