▼>  蓮祖は御本尊に関して、
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>  『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、』(日女御前御返事)
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>  法華弘通の旗印。と、明言されておられます。
>  布教も出来ない宗門こそ、御本尊を蓮祖にお返しすべき団体である事は、このご文に照らし当然です。
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↑ここが、沖浦さんが頑迷に妄執する御文ですね。

1、「布教も出来ない宗門」 について。

これも、既にこの板で破折済みの痴難ですね。

編集再掲

広宣流布(法華弘通)の定義

再三再四その謗法根性へ教えるが、創価学会販売のニセ本尊などを幾ら世界中に売りさばいても、それは「広宣流布」(=法華弘通・布教)などではない。
真の「広宣流布」」(=法華弘通・布教)ができない者どもに、真の「広宣流布」を云々できる資格などないし、道理もない。
立正佼成会や霊友会ばどの、三大秘法を知らない者が、当宗の「広宣流布」(=法華弘通・布教)の数などを云々できる立場・分際ではないのと同様である。

真の広宣流布(=法華弘通・布教)とは三大秘法を広めることである。
三大秘法とは一大秘法に究竟されるのであるから、つまりは戒壇の大御本尊様へ一切が収斂されるのである。
戒壇の大御本尊様以外の全ての日蓮正宗からの正統な御本尊は「義の戒壇」であり、「事の戒壇」の裏付けがあって始めて三大秘法の義が成立するのである。

つまり、ここを分かりやすく言えば、戒壇の大御本尊様の御許で血脈嗣法の御法主上人の大導師を賜り唱題が出来てこそ、「事の戒壇」であり、真の三大秘法が整足するのであり、そのことが出来うる人を増やすことが「広宣流布」(=法華弘通・布教)の本義である。

そういう方々が日蓮正宗からの正統な御本尊を受持し、日々修行に励むところがその義、事の戒壇に通じるが故に「義の戒壇」の意義が生じ、三大秘法が修行の上で成立するのである。

創価学会員などは、その大聖人様の出世の本懐、三大秘法の随一、本門戒壇の大御本尊へ参詣できないのであるから、そんな会員が幾ら増えても世の中にただ謗法者を増やしているだけであり、国が滅ぶ元である。
沖浦さんはこういう基本中の基本が領解できていないので、「広宣流布」(=法華弘通・布教)のという意味自体に迷って狂っているのである。

まさに

■「若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」

と日寛上人が呵責なされている通りの醜態を地でいく勇ましさである。
であるから実に愚かであるにも拘らず、驕慢であり、生意気なことを平然と言ってのけるのである。
こういう者を無慙の人というのである。

日蓮正宗の正統な広宣流布を云々する前に、自分が堕ちる地獄の様子などを先に調べて今から心の準備などをして置くことが先決ではないか。

自分が大事故で死にそうなのに、幸福に麗しく営んでいる人の家庭の家族の人数の多寡などにいらぬ心配などしている場合ではないと思うが。

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沖浦さんが、正当な三大秘法の御本尊を弘通している宗門へ、その布教の人数に対して色々難癖をいうのは、

ニセ札偽造組織の一員が、財務省管轄の正当な札の発行枚数をご心配いただかなくて結構 なのではないでしょうか?

沖浦さんの言い分は、

「財務省管轄の正当な札の発行枚数が少ないから、代わりに俺たちがニセ札を大量にばら撒いてやっているから、ありがたく思え。たくさんばら撒いている俺たちこそがまっとうな組織なんだ。」

といっているに等しいですね。

しかも、「功徳があるから、学会発行の掛け軸も力は同じ。」などと、声高々に言い抜いている様は、

「とりえあえず、このニセ札でも相手が気づかなければ物が買えるんだから本物と同じだ。」

と言っているにも等しいですね。

このように沖浦さんの主張は正統な本尊観のない、痴言ですね。

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