沖浦対樋田法論を検証する 14(番外編)  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月12日(木)14時26分17秒 p3048-ipbf205yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  沖浦克治さんへの確認の続きです。
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樋田さん  投稿者:沖浦克治  投稿日:2007年 7月 6日(金)23時08分58秒 softbank221104080129.bbtec.net

▼1「>  貴方はDVDを短くしない。
>
>  私は貴方を追及しない。
>
>  この件はこれで良いですね。」
>
▼2「>  で、非通知電話の件ですね。
>  明日でもいらっしゃい、詳しく説明いたしましょう。
>  既に着信理履歴からは抹消されてますが、携帯電話には残っています。
>  以前ある人を提訴した時に、警察の係りが教えてくださいました。
>  履歴から消えても携帯には残っているそうです。
>  但し、その人が誰かを確定されたければ、貴方の仕事です。
>  これでどうですか?」
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▼1について。

これは、沖浦さんからの謝罪によって、了承済みです。

DVDについては、現在、音声と映像のmatchingが終わり、全体のencode作業中です。
これが終わりましたら、次は、chapter編集し、最終のauthoring作業をかけ、盤面印刷のデザインをし、原本の完成となる予定です。
沖浦さん側の映像のように、「一点方面からのみの長回し、音声別撮りなし」というものとは違い、かなり映像と音声の編集作業に労力がかかりましたのでその点ご了承ください。

▼2について。

原文

『樋田さん  投稿者:沖浦克治  投稿日:2007年 6月30日(土)21時20分56秒 softbank221104080129.bbtec.net   返信・引用

   朝携帯がなりました。
 非通知です。
 非通知にあまり出ませんが、本日は保険会社の方がお見えの予定でした。
 保険会社は、なぜか非通知が多いのでとりました。
 すると、法華講のものですが。と、年配の方だと思える方からでした。
 ご用件は?と、お聞きすると、樋田さんは教学を語るなと言われ自粛中である。
 これ以上の追求は武士の情けだと思い、やめて欲しい。
 と、言われ電話が切れました。

 この所、貴方は私をはじめとする創価学会員の質問に全く回答をされていません。
 なるほどそう言うわけか。と、思った次第す。
 ですが、相手は名乗りもせず、さもありなんとも思うだけで確実な事とは言えません。
 それで、ありのままを書き込んだのです。

 既に私は貴方を追及する事は中止いたしております。
 今後私と対談されるおつもりなら、再開するにやぶさかではありませんが、御自分だけが一方的に意見を述べるのではなく、双方が誠意を持っての意見の交換をすべきだと思います。 』


@ 沖浦さんの携帯本体に非通知の履歴が残っていようがいまいが、その通話内容自体を確認できるわけがないので、この非通知電話の真偽を究明するにあたって▼2「」の提案は全く意味を成しません。

A この非通知電話という話が虚偽・捏造であろう根拠

@ 今に至るまで、私のところに、宗門から「法論禁止・謹慎命令」など全く来ていません。
もし、この非通知電話の内容が真実であったならば、現時までには当然宗門から正式な謹慎命令が出ているはずですが。

A 更に、上記の電話があった、と沖浦さんが主張している、6月30日時点という早い段階で、日蓮正宗側の法論の当事者である当方に何らの”御沙汰”がなく、ある意味”対峙する組織”である創価学会側の沖浦さんのみへ連絡が行くなどとは、社会常識上到底あり得ません。

B 沖浦さんの行動の非、について。

@ 仮にこの電話が事実であったと仮定しても、上記のような実にいかがわしい、不確か、いい加減極まる内容であることなど、通常の常識を弁えた社会人なら、当然判断できることですから、通常ならメール等で内容を当事者に確認してから公にするものです。
因みに、沖浦さんは当方へこれまで何度もメールを送付してきています。
もし、このような世間通例の常識を弁えていないとすれば、沖浦さんが法論の最中に引文された、以下の御文の御心に大いに反するのではないでしょうか?

■智者とは世間の法より外に仏法を行なはず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり。(減劫御書   建治元年  五四歳)

C 以上の簡便な検証からこの件は沖浦さんの自作自演の虚偽・捏造であることは濃厚です。

もし、それを否定するのであれば、現に事実でない内容を、事実確認もせず、さも事実らしく公の掲示板で公表したのですから、その証明責任は沖浦さんにあります。
つまり、宗務院に当方が謹慎処分なのかどうかを確認し、その明確な事実をここで公表すべきでしょう。
そして、もし、宗務院が当方を謹慎処分にしていないと判明したら、速やかに、上記の公の掲示板に大勢の閲覧者に事実誤認を起こさせるような投稿を成した事を当方と閲覧者へ正式に謝罪すべきでしょう。

沖浦さん、如何でしょうか?

http://toyoda.tv

沖浦対樋田法論を検証する 15(番外編)  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月12日(木)16時42分10秒 p3048-ipbf205yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  以下の沖浦さんの投稿について反論します。
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> DATE: 2007年 7月12日(木)15時37分55秒
> TITLE: 樋田さん
> NAME: 沖浦克治  MAIL:
>
>  非通知電話の件ですね。
>
>  この件は事実です。
>  但し当方から触れる事はありません。
>  貴方が事実確認をしたければ、どうぞ。
>  としか言えませんね。
>
>  もし貴方になんら圧力が無いのでしたら、ご自分の書き込みで証明されれば結構です。
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↑これは、

『沖浦さんが、個人の名誉に関する重要事項を、事実であるかないかも判然としない、いい加減な内容のまま、本人や関係各所に事実確認もせず(する意思があれば、十分に出来得る状況にあるにも関わらず)、軽率に公の掲示板にあたかも事実であるがごとくに書き込んだ。
が、後日当事者からその行為の非を追求されたにも拘らず、無責任で卑怯な対応しかしなかった。
創価学会員・沖浦克治氏はそのような、非常識で、未成熟な人物である。』

という記録が歴然と記録されたので、それで十分です。

沖浦さんは、大聖人を慕い、その生き方を目指しているようなことを、口では声高に叫んでいても、事実な全くかけ離れた人間性の人物である、ということですね。
沖浦さんが口癖のように囀る以下の御文、

■智者とは世間の法より外に仏法を行なはず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり。

とは、全くほど遠い人間性ということでしょう。

また、

■教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜という。

との仰せのごとくの「人の振る舞い」としても実に未熟である、ということですね。

こういう、口ではさもご大層に偉そうな事を囀りながら、行動が一致しない者のことを、世間では
「言行不一致」とか
「論語読みの論語知らず」と言って軽蔑します。

また、大聖人は、

■法華経を余人のよみ候は、口ばかりことばばかりはよめども心はよまず、心はよめども身によまず、(土篭御書   文永八年一〇月九日  五〇歳)

と戒められ、嘆かれておられます。

更にまた、沖浦さんが口癖の、

■当門流に於ては御抄を心肝に染め・・・・(極理を師伝して若し間有らば台家を聞くべき事。)

の御指南にも背いています。
何故なら、この御指南は、御文を暗記せよ、ということではなく、大聖人の御心を御文を通して自らの心肝に染めよ。という意義であり、沖浦さんの行動は上記の通り、およそ大聖人様・日興上人の仰せからかけ離れているからであります。
因みに、この御指南中の、

■「極理を師伝して」

とある、正しい師からの極理の伝授 という御指南にも、沖浦さんは大きく背いています。

このような人物を大聖人は

■すりはむどくは三箇年に十四字を暗にせざりしかども仏に成りぬ。提婆は六万蔵を暗にして無間に堕ちぬ。是偏に末代の今の世を表するなり。敢へて人の上と思し食すべからず。(三三蔵祈雨事   建治元年六月二二日  五四歳)

と仰せになり、地獄へ堕ちる者、と弾呵されておられます。
地獄に堕ちること必定、であるからこそ、今生には現罰なし。ということでしょうか。
よくよく、恐ろしい、悪因縁の生まれ育ちであると言えましょう。

http://toyoda.tv

沖浦対樋田法論を検証する 16(番外編)  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月12日(木)17時14分34秒 p3048-ipbf205yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  以下の沖浦さんの投稿に反論します。
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> DATE: 2007年 7月12日(木)15時57分30秒
> TITLE: 樋田さんね
> NAME: 沖浦克治  MAIL:
>
●> >A この非通知電話という話が虚偽・捏造であろう根拠
>
▼>  非通知電話が無かった。と、言うのなら貴方がその証明をさればいいでしょう。
>  内容がいわゆるガセネタであったのなら、非は私ではなくかけた人間にあります。
>  これも自明の理です。
>  したがって、以下の貴方の書き込みは無意味です。
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↑こういうところが非常識といわれる所以ですね。
仮に沖浦さんの証言通りの、『証明しようもない”非通知電話”』で”ガセネタ”が告げられたとして、その”ガセネタ”を、当事者に事実確認もせず、何ら裏も取らず、公の掲示板に公表する行為自体が軽率に過ぎるでしょう。
一種犯罪行為ではないでしょうか。
これは例えば、新聞などで、取材に行って、ガセネタをつかまされたとして、それをそのまま発表したら、一体誰の罪なのか?
その記事を取材した記者およびその新聞社であることは明白でしょう。
こういう社会常識すら理解できないのが創価学会員・沖浦克治氏ということですね。
これを読まれる多くの方々は「創価学会員とはかくも非常識なのか。」と深い嘆息をつかれることでしょう。
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>
●> >@ 今に至るまで、私のところに、宗門から「法論禁止・謹慎命令」など全く来ていません。
> >もし、この非通知電話の内容が真実であったならば、現時までには当然宗門から正式な謹慎命令が出ているはずですが。
>
> >A 更に、上記の電話があった、と沖浦さんが主張している、6月30日時点という早い段階で、日蓮正宗側の法論の当事者である当方に何らの”御沙汰”がなく、ある意味”対峙する組織”である創価学会側の沖浦さんのみへ連絡が行くなどとは、社会常識上到底あり得ません。
>
>
▼>  ガセネタの責任までは当方負いかねます。

↑上記と同様ですね。
仮にガセネタだとしても、それを裏も取らず公表した者にこそ社会的責任は発生する、というのが社会常識です。
沖浦さん、本当に理解できないのですね。
実に病が深い、と言わざるを得ませんね。
創価学会に長く在籍しても、このような基本的社会通念すら体得出来ていないとは。
創価学会とはそのように人を非常識に育てあげる団体なのか。
これでは、「俺は法論に勝った、勝った、」とどんなにカラ元気で騒いでみても、空しく響くだけですね。
>
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●> >B 沖浦さんの行動の非、について。
>
> @ 仮にこの電話が事実であったと仮定しても、上記のような実にいかがわしい、不確か、いい加減極まる内容であることなど、通常の常識を弁えた社会人なら、当然判断できることですから、通常ならメール等で内容を当事者に確認してから公にするものです。
> 因みに、沖浦さんは当方へこれまで何度もメールを送付してきています。
> もし、このような世間通例の常識を弁えていないとすれば、沖浦さんが法論の最中に引文された、以下の御文の御心に大いに反するのではないでしょうか?
>
▼>  この点は既に説明済です。
>  蒸し返さないで下さい。
>  双方、法論の件は全てガラス張りで行く旨了承済みです。
>  故に、当方はあらゆる情報を公開しております。
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↑いつ、「双方、法論の件は全てガラス張りで行く」などと約束しましたか?
そんな約定はした覚えは一切ありません。
あるというのなら、明示してください。
この件も、逃げずに明確にお願いします。
きちんと記録に残していきますので。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−>
▼>  非通知電話も情報の一つです。
>  今後も公開をやめるつもりは毛頭ございません。
>  ともかく、貴方の書き込みにより貴方自身何の圧力も受けてはいないとの事です。
>  当方、この件では今後沈黙を破ります。
>  今後当方の得たあらゆる情報は公開を致します。
>
>  そちらもどうぞ公開して下さいませ。
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↑ほとんど意味不明・支離滅裂ですね。

繰り返しますが、双方での約定に、こういった、非通知電話で相手がどうだこうだ、と言う内容を公開しあう、などという約定は全く存在しません。
あるというのなら明示してください。

あと、それ以下の文章は、全く意味不明です。
当方は別に貴殿に沈黙を強いたことは全くないし、する気もありません。
また、貴殿のように、未確認のまま、相手の名誉を毀損するような書き込みなどする気は毛筋ほどもありません。
そんなことをしてまで相手を誹謗しなければ居られないほど、今回の法論の結果において失望していませんので。

鮮明な画像、明確な音声 のDVDの発表に向けて大きな喜びを以って、着々と準備を進めております。
このDVD全編を御覧になれば、大聖人の御心を継ぐ正邪は誰人にも明瞭でしょう。
掲示板上で慌てふためいて、必死に勝った振りをして足掻きに足掻いた書き込みをする必要など微塵もありません。
沖浦さんには心から、「そんなに慌てふためいて、取り乱して、本当に、ご苦労さま!」と申し上げたい気持ちですね。

http://toyoda.tv

沖浦対樋田法論を検証する 17(番外編)  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月12日(木)17時33分7秒 p3048-ipbf205yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  以下の沖浦さんの投稿に反論します。
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> DATE: 2007年 7月12日(木)16時05分45秒
> TITLE: それとですな、樋田さん
> NAME: 沖浦克治  MAIL:
>
>  今まで貴方がネットでしてきた行為をよくお考えくださいませんか?
>
>  非通知電話で文句を言うべきでは無いと思いませんか?
>  貴方のHPには、未だに私が遁走した。と言う、ありもしない事実が掲載されたままですよ。
>
>  少し自己反省をされるべきしょうね。
>
>  好評連載中!あの沖浦克治君シリーズ
> 1 沖浦克治氏反論不能で遁走 Vo.1
> 2 沖浦克治氏、反論不能でストーカー投稿にてアク禁されるまでの全過程 Vo.2
> 3 沖浦君またもや遁走 Vo3
> 4 沖浦君またもや遁走 戒壇の大御本尊 Vo4
> 5 沖浦君またまた遁走 もはや遁走常習犯 Vo5
> 6 沖浦君反論不能で馬鹿の一つ覚えの繰り返し
> 7 沖浦氏との対面対論へ向けて 07.3.24 更新
> 8、沖浦克治君が名誉毀損した証拠裁判資料 07.1.9 更新
>
> 法論館Uでの沖浦氏反論不能までの全記録 06.12.7 UP
>
> ■ マグマグ君、反論不能中
> ■ マグマグ君、しつこく纏わりつくのでしょうがなく呵責す 07.3.24 更新
> ■ 妄犬モゴモゴ君
> ■ 妄犬モゴモゴ君、反論不能一覧
> やまいぬ。君シリーズ
> ■ やまいぬ。君の妄執の破折ポイント
> ■ やまいぬ。君が反論不能のリスト一覧
> ■ 「やまいぬ。」君、反論不能状態の全経緯1
> ■ 「やまいぬ。」君、反論不能の言い訳に終始2 07.1.9 更新
> ■ 醜犬やまいぬ。君反論不能3
> ■やまいぬ。君の下品で苦しい足掻きぶり 07.1,9 更新
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↑以下の経緯を読んで、沖浦氏が遁走していない、などと言う者がいたらおめにかかりたいものですね。
沖浦さんも必死に足掻けば足掻くほど、自分の古傷が晒されて不名誉なことになりませんかね?
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引用 かつて、沖浦氏が当方の破折から見事に遁走した記録
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Re:[444] よく読んで信心の糧としなさい 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/22(Fri) 00:01  No.448      [返信]

>  戦時中、本尊の真ん中に居座りながら、本尊を守るとして戦いを放棄した法主。
>  対して、本尊の無い牢獄で蓮祖の法を守りぬき、戦い続けられた初代、二代。
>
>  淳師は、昭和28年11月22日聖教新聞にて、
>
>  「牧口先生は自解仏乗された方と私はしみじみ思う。これは生まれつきでなければ出来ぬことだ。」と、発言をされている。
>
>  自解仏乗!と、発言されている。
>  貴方方は法主の言に逆らうのか?
>
>  更に、創価学会第十八回総会講演(昭和33年5月3日)においては、
>
>  「御承知の通り法華経の霊山会において上行を上首として四大士があとに続き、そのあとに六万恒河沙の大士の方々が霊山会に集まつて、必ず末法に妙法蓮華経を弘通致しますという誓いをされたのでございます。その方々が今ここにでてこられることは、これはもう霊山会の約束でございます。その方々を(戸田)会長先生が末法に先達になつて呼び出されたのが創価学会であろうと思います。即ち妙法蓮華経の五字七字を七十五万として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います」
>
>  と、発言。
>  戸田先生が上行菩薩である。と、明確に仰せである。
>
>  貴方方はこの発言も邪義と決め付けるのか?

●全く愚かである。よく公務員試験に受かったものである。
推察するにその当時は今ほど謗法の毒気がまだ脳髄全体に回っていなかったようである。

これは「上行菩薩の眷属」と言う意である。
教学がない者は、こんな初門で蹴躓いているから、ニセ物で魔仏が居座っている掛け軸を平気で拝めるのである。
全く哀れこの上ない。
そうしてこのように精神に異常を来たしてきているとは、全く恐ろしい限りである。

末法で「上行菩薩」という御名の御方は日蓮大聖人様御一人である。
――――――――――――――――――――――
>  本来私は、創宗分離以前の法主の言は引用をしません。
>  しかしながら、貴方方が都合のいいところのみを引用するので、以上の二つを反証としてあげておきます。
>  よく読んで信心の糧としてください。
>

●愚かですね。御書しか用いない、と言いながら、これですからね。(それでいて当方が引用した御書の御文には全く反論不能で、痴問を繰り返すしか能がない、壊れたテープレコーダー状態だが)

前言は翻す、主張に定まりがない、道理が分からない、・・・これらは頭破作七分の諸症状の一部です。

日淳上人のお言葉を引用するのなら、以下の日淳上人の御指南を貴公はどう解釈するのか?
まっ、謗法の毒気で脳の髄まで腐ってしまった貴公にはどうせ無理だろうが、仮に貴公がまた支離滅裂で稚拙な反論をすればするほど貴公の矛盾に満ち満ちた奇怪な振る舞いと主張が鮮明になるので日蓮正宗の広宣流布のためには大いに有益であり楽しみである。

■65日淳上人
「仏教は必ず相伝による」(日淳上人全集七四四n)

■65『日淳上人全集』 194
真に大聖人様から日興上人様への御相伝、日興上人様から日目上人様への御相伝、仏法の要を尽して御相伝あそばされてありまする。実に尊い所と拝する所であり、我が日蓮正宗は、この相承の家にありまして、この大聖人の尊い教を七百年の間一糸乱れず今日に伝へて居る次第でございまする。で私共は未熟でありましても宗開両祖、歴代上人の御跡を継ぎまして仏法の正統の家にあるのでございますから、この身の有難さをつくづく思いまして信心に励まねばならないと強く考へる次第でありまする。

■65『日淳上人全集』1442
生死一大事血脈鈔に於て「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」と仰せられた血脈は脈絡のことで、即ち信心がなければ脈絡は成り立たないとの御意であらせられ「夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり」とは血液たる仏法を御指し遊ばされてをることは、御文によって明らかである。
血液があり、脈絡があってその上に相承ということができるのである。
その相承に師資相承、経巻相承之れに内証相承、外用相承があって此れ等の相承が具はって完全に相承の義が成り立つのである。

仏法に於て相承の義が重要視されるのは、仏法が惑乱されることを恐れるからであって、即ち魔族が仏法を破るからである。
そのため展転相承を厳にして、それを確実に証明し給ふのである。
大聖人の御あとはどうであらせられるかと拝すれば、直弟子中日興上人を御選び遊ばされ、一切大衆の大導師として一期の弘法をご付嘱遊ばされ、弘法抄を以てその事を証明遊ばされたのである。
御文中「血脈の次第日蓮・日興」とあらせられるのは大聖人の正統を決定し給ふためであって、付嘱相承師資相承等の一切の相承のことが此の御文によって立証されておるのである。
しかしてそのあとのことは日興上人を師と仰ぎ師弟相対して相承し給ひ、大衆は各々また師弟相対して相承してゆくのが仏法の道である。
内証の上には大聖人の御弟子であることは勿論である。といって内証のみに執して、師弟の関係を整へることが最も大事であって此れを無視するところに聖祖門下の混乱があり、魔の所行が起ってくるのである。

■経文や御書そのものを手にすればそれによって相承があるといふのではない。

■御書には「此経は相伝に非ずんば知りがたし」と仰せられて居る。
(中略)信心血脈は付嘱相承の場合問題ではない。
法華一会の時一切の菩薩や人天の方々を、「止みなん善男子」といって制止し給ひ、上行菩薩に付嘱し給ひしは、信心の有る無しにより給ひしものか。
(中略)また大聖人が「仏法―最大深秘の正法」と仰せ給ふ秘法、また「末法には持ち難し」と仰せ給ふ大法を唯信心だけで付嘱相承し給ふと考へるのは迂愚の骨頂ではないか。
そういう顛倒(てんどう)の考へ方によって仏法の混乱があり、魔が跋扈するのである。

■65日淳上人猊下
仏法において正法が混乱しないように相承の道を立てて明かにされているのであります。それでこの相承の跡を尋ねていけば正しい仏法か、間違った仏法かを知ることができるのであります。

■ 仏法に於ては正法が混乱をしないやうに相承の道を立て明らかにされてあるのであります。それで此の相承とは相ひ承けるといふことで師の道をその通り承け継ぐことであります。それで此れを師資相承と申します。既に師の道を承け継ぐのでありますから必らず師の証明がなければなりません。弟子が勝手に承継したといってもそれは相承ではないのであります。

また世間では仏書を読んで悟ったといって師弟といふことを考へない人がありますが、それは仏法の正しい道ではないのであります。
昔経巻相承といふことをいって法華経を読んで仏法を相承したと主張した顕本法華宗の祖である日什といふ人がありますが、此れは自分勝手にいふことで法華経の中には日什といふ人に相承したといふ証明はないのであります。
仏法に於ては師資相承がなければいけないのであります。
また信心相承などといって信心を以て相承したなどといふ人がありますが、信心は仏法の基盤でありますが、相承はその上に於ける仏法の承継の問題であります。

■65『日淳上人全集』聖典相伝部に寄せて
「申す迄もなく御相伝となりますれば直接御指南の金口嫡々の御相承や宗門の上の御教示等重々あらせられると拝しますが、それは御法主上人として大事大切でありまして、一般の僧侶や信徒としては御法主上人に随順し奉ることによって、自ら受けることができるのであります。
それ故此には従来拝読を許されてをる御相伝書を挙ぐるに止めたのでありまして、此れを以て全部であると速断してはならないのであります」(一一五〇n)


●さあ、日淳上人は、相承が明確でないものは「魔」である、と仰せである。
牧口氏・戸田氏に「相承」されたという明確な証拠はどこにあるのか?

貴公が日淳上人の御言葉を出したのである。
それに対し当方は同じ日淳上人の御指南を以って貴公の邪執・迷妄を劈いたのである。
急ぎ急ぎ反論を企てよ。(所詮無理だろうが・・。どうせ、「能書きはいいですから、早く私の三つの質問に答えなさい!!」と、困った時は、相手の言葉には全く耳を傾けず、それでも悔しさ収まらず、大声で自分の主張のみを喚き散らす幼稚園児以下の醜態を演じるだけだろうが。
それでも、基礎教学の全く貧弱な貴公の少しはましな反論を待つとしましょうか。)

http://toyoda.tv

沖浦対樋田法論を検証する 18(番外編)  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月12日(木)17時34分28秒 p3048-ipbf205yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  Re:[449] 桶t田さん、貴方は仏法に無知すぎます。己義を慎む事 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/22(Fri) 22:11

●予想通り、相も変わらず脳乱の極みである。
しかも、同じことをよくもこう、くどくどと何度も何度も言い続けられると感心する。

やはり、ニセ本尊の害毒による頭破作七分は、偏執的且つ変質的になるといういい実例か。
発展性と思索の深化がまるでない。
実に無様な醜態である。
―――――――――――
>  可哀想ですから一度だけ教えてあげますよ。
>  よく理解して信心の糧としなさい。

●では今回一度かぎりにし給えよ。
この言、お忘れなさらぬように。(頭破作七分の沖浦氏は暫くすると必ずこの言を忘れ、くどくど書きなぐるので、皆さん注意して見ていきましょう。)
―――――――――――
>  蓮祖は、御書に広宣流布の御予言をなさいました。
>
>  『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、』(諸法実相抄)
>
>  然るに700年間、この御予言は実行されないままでした。
>  ようやく信教の自由が憲法で保証され、布教へ機根が到来した時、この御書を身で読まれ、『我地涌の菩薩の棟梁なり。』と、宣言をなされ、広宣流布の怒濤の進軍を開始されたお方が戸田先生です。
>  御書の予言通り、お一人。からの出発であられました。

●全くの我見である。
と言うより、文章が読めないようである。
貴公はそのニセ本尊をニセと見破れぬ汚れて濁った眼で御書を読む前にまず日本語の読解力を養うことから始めた方がよさそうである。

この「一人」とはまさに日蓮大聖人様の御事である。

戸田氏は法華講員の三谷氏から折伏されたのであるから、最初の「一人」ではない。
こんな簡単なことすら見えなくなっているのだから、驚いたものである。小学生にも哂われる椿事である。が、貴公の稚拙極まる発言は創価学会の無能さを鮮明に顕してくれるから真に慶事である。
―――――――――――
>  * 御書の予言どおりのお振る舞い。
>  * ご自分で『我地涌の菩薩の棟梁なり。』と、宣言をさ   れておられる。
>  * 時の法主もそれを認める発言を繰り返している。
>
>  以上三点からも戸田先生は『地涌の菩薩の棟梁』である事が明確です。

●従ってこの三点はただの貴公の思い込みであり、沖浦君、ムキになって出したパンチが無惨にも空を切り、思いっきりスリップ

ダウンして後頭部を強打するの図である。
あるいはスキー大会「壮年の部」の優勝を狙って意気込んで、勢い余ってコースから大きく外れ、大転倒の挙句、立ち木へ叩き着いているの図か。
―――――――――――
>  地涌の菩薩の棟梁とは、上行菩薩を示します。
>  眷属とは明らかに違いますよ。
>  貴方方には相伝が無く、もはや御書も読めないのです。

●ここは笑わせてくれる。
貴公へ伝わる「相伝」とは何か?
日淳上人の御言葉を持ちだしたのは貴公なのだから、その日淳上人の御指南、
■「大聖人が「仏法―最大深秘の正法」と仰せ給ふ秘法、また「末法には持ち難し」と仰せ給ふ大法を唯信心だけで付嘱相承し給ふと考へるのは迂愚の骨頂ではないか。そういう顛倒(てんどう)の考へ方によって仏法の混乱があり、魔が跋扈するのである。」

との仰せに即して貴公へ伝わる「相伝」とやらを明示していただこうか?(どうせ貴公には絶対に無理だろうが、これを読む皆様の為に、しっかりを釘を刺しておく。
悩乱した答えをすればするほど、創価学会離れが増えるが故に大いに喜ばし。)
―――――――――――
>  戸田先生が上行菩薩であられる以上、創価学会から離れればそれで相伝はありません。

●上記の明証がない限り、こんなものは貴公のただの妄想である。全く依るべき内容はない。
―――――――――――
>  血脈も、相伝も戸田先生がすべてお持ちでした。
>  何故ならば戸田先生こそ、上行菩薩だからです。

●狂人の繰言。その内容を明示せよ。できなければこういう妄想を撤回せよ。といっても狂人にはもはや無理か。

いいですよ。こんな調子でどんどん妄想を喚いていただければ、そのあまりの荒唐無稽さに正気の人が読めば脱会したくなるでしょうし、法華講員が読めば、「ああ、本当に脱会して良かったなぁ〜〜。」と我が身の福徳に改めて感謝するであろう。
―――――――――――
>  末法で上行菩薩が一回しか出現しない。などとは御書の何処にありますか?
>  この諸法実相抄では、何度でも出現なさる。と、明確に仰せですよ。
>
>  『未来も又しかるべし、』
>
>  日蓮大聖人様一人がお題目を唱え始め、二人三人百人と次第に唱え伝わってきた。
>  未来も必ずそうなるであろう。
>  わけても広宣流布の時には、日本中が唱える時が来る事は大地を的とするようなものだ。
>
>  よく学びなさい。

●馬鹿丸出しである。
まさに、恥部を曝け出して公道を走っているような様である。しかも本人はその無様さに全く気づいていない。

既に一言でこの邪義を劈いている。

戸田氏は三谷氏に折伏されて日蓮正宗の信徒となったのである。
この三谷氏も誰かから折伏されたのである。
その人も・・・とこう次第していくと、詰まるところ日蓮大聖人様となる。その義を
■『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、』(諸法実相抄)
斯様に仰せられているのである。
つまり、戸田氏は第一番目の「一人」ではないのである。

(貴公には解らなくてもいいですよ。土台無理だろうから。
これを読む読者の為に書いているのであるから。
貴公は良い邪義の見本の役割で充分である。)

更に、この意を証明できる御文がこの御書の前半にある。

■かくの如き等の法門、日蓮を除きては申し出だす人一人もあるべからず。

■地涌の菩薩の中の上首唱導上行・無辺行等の菩薩より外は、末法の始めの五百年に出現して法体の妙法蓮華経の五字を弘め給ふのみならず、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕はすべき人なし。是即ち本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故なり。

この御文を合わせ拝すると当該文「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、」との御言葉は、上行菩薩再誕の日蓮大聖人様が事の一念三千の大御本尊様を顕される、と言う義が篭められていることが拝せられるのである。(貴公は解らなくてもいいですよ。貴公の悩乱した頭にはちょっと難しいですからね。)
その方は、日蓮大聖人様御一人でしか有り得ないのである。

更に、「末法の始めの五百年に出現して」との御文に明確である。
大聖人様のお考えでは当時の通例に従って末法とは西暦で計算すると1052年から始まったという説を取られている。
すると、上行菩薩様は概ね1052年〜1552までに現れる、という義である。しかもその方はご本尊を顕発される、ということである。
つまり、日蓮大聖人様御自ら、お一人である。
―――――――――――
>  蓮祖が御出現になられなけれ、釈迦の予言ははずれ、釈迦は嘘つきのそしりをいけるところでした。
>  蓮祖が御出現になられ経文を身で読まれ、釈迦の言葉を助けえられました。
>  故に、釈迦の法は全て蓮祖が受け継がれておられます。
>  同じく、戸田先生が御出現になられ、蓮祖のこの御予言を身でお読みになられたのです。
>  戸田先生はこのご文を読まれ涙され、このご文は戸田のためにこそ書き残されたのだ。と、言われました。
>  相伝なき宗門等には、窺い知ることすら不可能な厳粛な儀式です。
>  戸田先生なかりせば、蓮祖の法は隠没するところでした。

●誤解して欲しくないが、別に戸田氏の信心と功績を否定しているのではない。
戸田氏は立派であった、ということは御歴代上人もお認めのところである。
ただ、過剰な尊信は却って戸田氏の真意を踏み躙るものである。
思うに戸田氏は貴公のような狂人の言を聞いて霊山で烈火のごとくお怒りであろう。

問題は、戸田氏が厳格に守っていた、

1.折伏した人は信徒として各寺院に所属させること。
2.当山の教義を守ること。
3.三宝を守ること

この大原則が池田体制になって反故にされたが故に創価学会が破門された、と言うことである。
実に簡単な道理である。
―――――――――――
>  法主の証言もあります。
>  「戸田さん、牧口さんがいなければ日蓮正宗は潰れておった。」
>  相伝なき現宗門には、知る事も出来ない仏法の真髄です。
>  戸田先生は、蓮祖より丁度700年目に創価学会を創立され、ここから怒濤の折伏行進が開始された事は歴史上の事実です。
>  御書を身でお読みになられ、蓮祖の言を助けられたお方は、戸田先生お一人です。
>  故に、蓮祖の法は全て戸田先生に受け継がれ、興師のお立場であられるのが池田先生です。
>  簡潔な理論です。
>  相伝なき宗門には理解が出来ない、仏法の真髄ですよ。

狂人である貴公には「簡潔な理論」かも知れぬが、正気の当方らには完全に狂人の言としか見えない。

日淳上人曰く、

■内証の上には大聖人の御弟子であることは勿論である。といって内証のみに執して、師弟の関係を整へることが最も大事であって此れを無視するところに聖祖門下の混乱があり、魔の所行が起ってくるのである。

■ 仏法に於ては正法が混乱をしないやうに相承の道を立て明らかにされてあるのであります。それで此の相承とは相ひ承けるといふことで師の道をその通り承け継ぐことであります。それで此れを師資相承と申します。既に師の道を承け継ぐのでありますから必らず師の証明がなければなりません。弟子が勝手に承継したといってもそれは相承ではないのであります。

狂人には何度も言い聞かせるが、戸田氏は三谷氏から折伏されて日蓮正宗の門人になったのである。

「相承」は誰からもされていない。
ご本人もそんなとんでもないことは言っていない。
貴公がその狂った頭で妄想を逞しくしているだけのことである。

それと、狂人に特有なことは、偏執的であることと、自らの妄想に関る事には過剰なエネルギーが噴出し持続することである。

貴公の幾所かへの書き込みを見るに、まさに、このような精神に異常を来たしている方々と同様の傾向が顕著である。

一刻も早く気がつき、ニセ本尊を破り捨て焼却すべし。

もう手遅れかも知れないが・・・
いやいや、今世は駄目でも来世救われればいいのだから、やはり、一刻も早く魔性の住み込んだニセ本尊を捨て去るべし。

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プウップップップップ 投稿者:沖浦克治 投稿日:2005/07/22(Fri) 22:35  No.457    [返信]

 戸田先生は一番目の一人ではなっかた。だって??
 一番。と、御書に書いてありますか?
 一人から。ですよ。

 何番目でもね、その時代に誰もいなかったら一人からです。
 恥の上塗り!!

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桶田さん 投稿者:沖浦克治 投稿日:2005/07/22(Fri) 22:36  No.458    [返信]

 ハイ!マイナス点ですよ。
 ゼンゼン駄目ですね。
 感想文以下ですよ。
 頭が微塵に砕けていますよ。

??????????????????????????????????????????????

桶田さん 投稿者:沖浦克治 投稿日:2005/07/22(Fri) 22:37  No.459    [返信]

 又今度お相手をしてあげますね。
 それまで創価学会の末端にでも教えを乞い、レベルを上げておきなさいね。

 では、では。

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沖浦さん、哀れですよ。 投稿者:terry 投稿日:2005/07/22(Fri) 22:46  No.460     [返信]

だから言ったでしょうが。貴殿は樋田さんに噛み付いてもダメだって。
画面の前で挙動不審になっていませんか?脳乱ここに極まれりでしょう。
書き込みに錯乱してる様子がよく出ていますよ。哀れですね。

一日も早く「ニセ本尊からの脱出」を計られた方がよろしいかと。。

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うわっ!遁走しちゃったよ!沖浦さんは。 投稿者:terry 投稿日:2005/07/22(Fri) 22:50  No.461     [返信]

まさに『沖浦さん遁走の巻』ですね。さすが「言うだけ番長」ですね。
全国の皆さんにはっきりと解るでしょう。自身では精一杯格好を付けたつもりでしょうが、まさに「遁走」でしょう。恥ずかしい

ですね、沖浦さん。

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少しレベルを上げるまでまってあげようか? 投稿者:沖浦克治 投稿日:2005/07/22(Fri) 23:19  No.462    [返信]

 気に入りませんか??

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Re:[467] だめだね 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2005/07/23(Sat) 07:13  No.468      [返信]

>  神様さんに、誰も歯がたたないや。

●こういう言を、「負け犬の遠吠え」と世間では言うようである。
自らは教学的明晰な反論は全くできていない。
ただ修羅根性の奴隷として、憤懣やるかたなし、の態である。

沖浦君のような境涯を指して、こういうのであろうか。

■修羅道とは、止観の一に云はく「若し其の心念々に常に彼に勝らんことを欲し、耐へざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて視下ろすが如し。而も外には仁・義・礼・智・信を揚げて下品の善心を起こし阿修羅の道を行ずるなり」

当方の期待通り、沖浦君はますます狂態を演じてくれて、創価学会の無力さを浮き彫りにしてくださる。

さあ、次の発言をまた楽しみに待ってみましょう。

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ここで、沖浦克治氏は反論不能に陥り、遁走となった。

ここに、その経緯を明示し、末長く沖浦氏の”業績”を「顕彰」したい。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
引用以上。

http://toyoda.tv

沖浦対樋田法論を検証する 19(番外編)  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月13日(金)12時46分0秒 p3048-ipbf205yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  沖浦さんが自らの不当行為を認めず、自己正当化を図って足掻きに足掻く姿は、実に見苦しいものですね。
以下のように、まさに狂乱の体は、実に哀れを誘います。
しかし、不当な発言はそのまま放置するわけにはいきませんから、更に掘り下げて破折していきますか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
> DATE: 2007年 7月13日(金)11時50分59秒
> TITLE: 樋田さんに
> NAME: 沖浦克治  MAIL:
>
>  阿部日ケ〜ン(院政)産の書き込みを削除されたのですから、当然掲示板をごらんでしょう。
>
>  疑惑解消のために、速やかに宣言をして下さい。
>  念のために再度書き込んでおきます。
>  宗門関係者をはじめ、創価学会員などの多くの人が重大な関心を持って注目中です。
>  法論と無関係な陳腐な番外編などに、貴方の疑惑を晴らすどのような効力もありません。
>  事の次第を明確に返答してください。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
↑自分が証明し得ない、捏造・虚偽の話を繰り返し繰り返し打ち出しておいて、よくこのような恥知らずの言を吐けるか、と今更ながら感心しますね。
これが、創価学会を長年”修行”した初老の男性の言、だとしたら、およそ良識のある一般の方々は、創価学会そのものを忌避される大きな”実証例”となることでしょう。
そいう意味では沖浦さんの”存在”は実に尊いものがありますね。

因みに、この沖浦さんは、妄執深きが故に人の言を曲がって”怪釈”する偏向性質であることは、以下の経緯を御覧になれば、初見の方にも容易に諒解されることでしょう。

http://toyoda.tv/okiura.siryo3
(昨日UPした資料の以前から、沖浦親子が執拗に、当方へありもしないことに執拗に絡んできているさまを加えておきました)

以下、沖浦さんの痴難をじっくりと詳細に砕いていきますか。
(現場折伏の合間を見てですが。)

http://toyoda.tv

沖浦対樋田法論を検証する 20(番外編)  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月13日(金)21時35分10秒 p3048-ipbf205yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  では、以下の件を検証していきますか。
>
▼>  非通知電話の件は既に何度も経過説明を致しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
↑虚偽・捏造をでっち上げた張本人が自分に都合の良い様にいくら”経過説明”をしようが、全く何の意味も成さないですね。
裁判で言えば、何度も起訴された詐欺師が、裁判官に向かって自己正当化の弁を、口角泡飛ばし、必死に申し立てているような見苦しい姿です。

何をどう説明しようが、人の地位存在に関わる重大事を、事実かどうか判然としないまま、きちんと検証もせず、さも事実のごとくに発表した責任は、どのように取り繕っても、今回の投稿のように話題を摩り替えようと躍起になっても、逃れられるものではありません。

これはまた、今回の法論での沖浦さんの劣勢を何とか誤魔化すために躍起になって相手を落としこめようとした為のフライング行為でしょう。
沖浦さんの焦りが実によく現われていて、微笑ましくもありますが、しかし、既に齢60になんなんとする社会人の為す行為にしては余りにも幼児性剥き出しで、創価学会員としては、恥べき行為でしょうね。
沖浦さんが尊敬する戸田先生もさぞやお嘆きのことでしょう。
このような、情けない人物が自分を尊敬しているということは、戸田先生の恥辱となりましょう。
戸田先生を慕っている人物がかくも「人間革命」できていない・・・これは恩師に対して不知恩の行為ですね。
恩師の偉業を貶し貶める不行跡です。

■世に四恩あり、之を知るを人倫となづけ、知らざるを畜生とす。(聖愚問答抄下)

まさに、恩師の行業を貶す行為は”畜生道”でありましょう。
よくよく、自らの行いを戒めるべきであります。

DVDの件と同様に、沖浦さんが素直に謝罪すればこれ以上追及しないものを、むきになって抗えば抗うほど、沖浦さんの未熟で幼稚な、しかも、詭弁を弄する、自己中心的な、浅ましい人間性が浮き彫りになるだけです。

それでも、更に抗い続けるのなら、とことんお付き合いしましょう。

http://toyoda.tv

沖浦対樋田法論を検証する 21(番外編)  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月13日(金)21時49分58秒 p3048-ipbf205yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  ▼>  樋田さんは、自分に一切の圧力は無く、
>  法論時における、
>
>  御本尊様のコピーをゴミ。
>
>  と、呼び捨てた行為と、
>
>  日蓮正宗の法主の写真を焼き捨てても一向にかまわない。
>
>  との発言は、宗門末寺も全面的に支持をしており、なんら問題はない。
>
>  大要このように主張なさいまいした。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
↑ここでも、またもや、捏造が炸裂ですね。
いったい、私が法論中のどこで、

1、御本尊様のコピーを『ゴミ』。

2、日蓮正宗の法主の写真を焼き捨てても一向にかまわない。

と言ったのか、明示してください。
発言箇所は具体的に明確にわかるようにお願いします。

例 『司会者挨拶終了の後、法論開始後、何分何秒』 というようお願いします。

それが明示できなければ、ここでも、ありもしないことをさも既成事実として虚偽・捏造したのであるから、正式に謝罪をすべきでしょう。

さ、早急に提示してください。
沖浦さんから提示されるその当該箇所を見て、そこを更に検証していきましょう。

沖浦さん、ますます苦しくなっていきますね。
でも、責任持って頑張って証明してくださいね。

http://toyoda.tv

沖浦対樋田法論を検証する 22(番外編)  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月13日(金)22時38分3秒 p3048-ipbf205yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  ▼>  ではここで、改めて、
>
>  ご自分のなしたこれらの発言を、宗門末寺関係者が許容している。
>
>  と言うことを御宣言いただけませんか?
>
>  その宣言がなされれば、当方、あの非通知電話はガセネタであった。と、認めましょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
↑さて、いよいよ、論理破綻・意味不明・挙動不審・・・ですね。

1、まず、前提の私の”発言”とやら自体が、沖浦さんの一方的な思い込みにより、実際の発言を歪曲し、故意に捻じ曲げた捏造であり、前提自体が論を進める根拠となりうべく明証されていない。
(これは、沖浦さんへの宿題です。
私はこのような”発言”はしていません。
当事者がそう言っているのですから、それを否定するのなら、沖浦さんが証拠を挙げる必要があるでしょう。
そういう”常識”も分かりませんか?
それが創価学会員歴何十年の姿ですか?
それでは他の創価学会員にも迷惑なほどの、非常識さではないですか?
そのような非常識な人間では、沖浦さんが法論中に幾度となく仰った▼「仏法とは常識を非常に大事にする」との発言と大いに矛盾しませんか?
そのような矛盾だらけの人間では、世間の共感など得られず、大事の広宣流布など夢のまた夢ではないですか?
広宣流布できないような人間性では大聖人に顔向け出来ないではないのですか?
口では随分と冗長にペラペラと御高説をのたまって居たようですが、実際はご自分の発言と天地雲泥の浅ましい、見苦しい行動ではないですか?
如何なものでしょう。沖浦さん?)

2、であるから、この”発言”とやらを、私が、「宗門末寺も全面的に支持をしており、なんら問題はない。
」などと言った事実はない。

因みに私が言ったのは、
●「木絵二像開眼の事」についての解釈は、宗門七百年の教学的見解と概ね齟齬はない。
と言うことですね。

参照
http://video.google.com/videoplay?docid=-9190310988424519668
5分40秒辺りから。

3、私が「宣言」することと、沖浦さんが自分で虚偽・捏造した非通知電話をガセネタと認めること、に何ら必然的相関性はないですね。
一体どういう関係なんですかね?

4、沖浦さんが自作自演の捏造の非通知電話の件を「ガセネタ」と認めたとしても、沖浦さんが事実でない「ガセネタ」を関係者に確認もせずあたかも事実のごとく公表してしまった非常識さ、非礼さに関しての不当性は全く拭われないのですが、その点は如何ですか?

ざっと、以上の非合理性・矛盾点があるので、沖浦さん分かりやすく説明してください。
『この件は、もともと、あなたが言い出した事なんです。』(法論前半にある沖浦風言い方で)
さ、説明していただきましょうか?
説明責任は100%、沖浦さんにありますね。
さ、頑張ってよろしくお願いしますね。

「止暇断眠」 で頑張りましょうね。
大聖人門下なんでしょう?

http://toyoda.tv

沖浦対樋田法論を検証する 23(番外編)  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月14日(土)21時59分15秒 p3048-ipbf205yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  道理と事実の検証によって追い詰められた沖浦さん、いよいよ悩乱の狂態ですね。
昨日から今日にかけての必死の言い訳、スリカエ、誤魔化し、などは後ほどじっくり問い詰めていきましょう。
まずは、順序良く、昨日の残りの部分から片付けていきましょうか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
▼>  昨夜、貴方は大量の書き込みをなされましたが、法論以前に発表済みのものが大半です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
↑一行書くだけで、またしても欺瞞と虚偽とスリカエ・ごまかし、だらけですね。

ここはそもそも、沖浦さんが、

▼>  貴方のHPには、未だに私が遁走した。と言う、ありもしない事実が掲載されたままですよ。
>  少し自己反省をされるべきしょうね。

という、これまた事実と全く正反対の虚偽を以って私へ難癖をつけ、非通知電話の虚偽・捏造の件への追及をかわそうとしてきたことに対して、ありのままの真実・事実の提示をしたまでですね。
初見の方にも分かりやすいように、その当該箇所をそのまま掲示したまでのことです。

参照

http://toyoda.tv/okiura.hituti

↑こうして沖浦さんが書けば書くほどに、少し検証すればすぐに虚偽と分かるウソ・捏造を言い連ねる見苦しい姿に、正常な判断能力を持たれる創価学会員、また通常の良識を持つ法華講員、および一般の方々含めての閲覧されている方々は、大いに呆れ、驚嘆し、いよいよ、創価学会という新興宗教団体が、かような虚偽・捏造を平然と為す不正直にして卑劣極まる人物を形成・醸成する組織として、実に要注意の悪質な団体であるかを、改めて認識されることでしょう。

今、沖浦さんがなしている繰り返しの虚偽・捏造の数々は、

■我(今度の御勘気は)世間の失(とが)一分もなし。(佐渡御書      文永九年三月二〇日  五一歳)

と仰せられ、またそのように悠然と、毅然と、泰然と、潔癖に振舞われた大聖人様とは、大きくかけ離れた、実に姑息、醜悪な振る舞いと言えましょう。
これでも、大聖人門下か?と世人をして訝しがらせるには十分すぎるほどに見苦しい”古狐”のような言動ですね。
このような姿こそ、正しい仏法を行じていない、まさにその「現証」でありましょう。
よくよく、我が身の臭糞の言動を慙愧・反省・自重すべきですね。

http://toyoda.tv

沖浦対樋田法論を検証する 24(番外編)  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月14日(土)22時23分47秒 p3048-ipbf205yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  では次。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
▼>  更に、今問題になっている、
>  御本尊様のコピーを、これはゴミだ。
>
>  と言い捨て、
>
>  法主の写真を、焼き捨ててもいいんだ。
>
>  と、放言した件に対する、宗門末寺からの意見は皆無です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
↑これは既に詰問していますね。
私は今回の法論中に、

▼御本尊様のコピーを、これはゴミだ。
>
>  と言い捨て、
>
>  法主の写真を、焼き捨ててもいいんだ。
>
>  と、放言した

↑という事実はありません。
もし沖浦さんが、あくまで私が「発言した!」と言い張るのなら、それを明証すべきでしょう。
それが出来もしないのに、いつまでも繰り返し事実無根の内容を言い続けるのならば、これはもはや名誉毀損を形成することになるでしょう。
さて、沖浦さん、それでもまだ上記の発言が私にあったと、言い続けますか?
それならそれで、それなりの準備をしなくてはなりませんかね?
この件についても、明確な返答をお願いします。
そのお答えによっては、何らかの行動を起こさなくてはならないので、早急によろしく。

http://toyoda.tv

沖浦対樋田法論を検証する 25(番外編)  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月14日(土)23時10分27秒 p3048-ipbf205yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  では次。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
▼>  この件を、これまで書き込むたびに、大量に意味のない書き込み。を、誰かが行い、レスを流す行為が常套化しておりました。
>  ところが、レスを流した人間は撤退
>
>  やむ終えず、
>
>  ご自分で▼2「当たり障りのない」、▼3「法論以前」の書き込みを大量に貼り付け、レス流しを行っている。
>
>  ▼1「との意見もあります。」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
↑▼1「」?
思わず、噴出してしまうような、稚拙な論述ですね?
これは一体どこの誰の意見ですかね?
ご自分がそのようにご自分に都合の良いように極めて自己中心的に勝手に”解釈”し、しかも、それをそのまま自分の見解として言うのは憚られるから、▼「との意見もあります。」などと、これまた証明不能などこの誰かわからない”他人”へ仮託して、遠回しに揶揄するなど、実に幼稚な論法で、これで齢60になんなんとするいい初老の大人がすることなのか。と正直、感心しております。

■天晴れぬれば地明らかなり、法華を識る者は世法を得(う)べきか。(如来滅後五五百歳始観心本尊抄    文永一〇年四月二五日  五二歳)

この御文も沖浦さんが法論中に仰っていましたね。
しかし、やはり、このような世法に余りにも幼稚でお暗くては、天も晴れているとは言いがたく、およそ「法華を識る者」とは言えないですね。
つまり、沖浦さんが口では自説・自義・我見・己義を連発しても、その実は、正しい仏法を行じていないという実態がこんなところで馬脚を現し、露呈したようですね。

しかも、自分の非通知電話、捏造・虚偽・詐称の件を覆い隠したい心情が滲み出ていて微笑ましいのは、
▼2「当たり障りのない」との言でしょう。
沖浦さんは、人の地位存在の重要事について、事実無根のでまかせを平然と書き殴り、それを恬として恥じない、厚顔無恥な卑劣漢である、ということは、決して、▼2「当たり障りのない」問題ではないでしょう。

私としては法論中の沖浦さんの我見・駄見・己義・痴論などの悉くを一刻も早く、ここで徹底的に破折し尽くしたく思っていますが、沖浦さんの余りの非常識極まりない言動に驚愕して、とりあえず、その不法行為をまずは糾弾することから。と思って始めています。
教義的な事案は、沖浦さんが自らの不法行為の非を認めた後に、じっくりと進めますので、楽しみにお待ちください。

更に沖浦さんが動揺し、悩乱しているのが歴然としている箇所としては、▼「法論以前」の書き込み云々の箇所ですね。
今回の沖浦さんの非通知電話捏造事件は、決して▼「法論以前」ではなく、明らかに「法論以後」の事件です。
このように、出来事の時系列に惑乱する姿も、慌てふためいている沖浦さんの心情が垣間見えて、なかなか秀逸でしたね。

このように沖浦さんの書いたものは詳細に検証していくと実に面白い発見があって、楽しませてくれますね。
ある意味、感謝 です。
つまらないテレビ番組を見ているより、興味がそそられますね。
ほんと、情緒不安定で不定見、しかも、言い逃れや、スリカエ、ごまかし、言い訳、などの稚拙なテクニックを遺憾なく披露してくれて、ほんと、ありがとうございます。
それらを”解剖”して”検証”していく作業は実に面白いです。
これからも、まずます、頑張って書いてくださいね。
あっ、但し、法的な責任の有無に関しては厳格に処していきますので、私の知的興味を一部刺激してくれている点と同一視し誤解のないようにお願いしますね。

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沖浦対樋田法論を検証する 26(番外編)  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月15日(日)23時19分45秒 p3048-ipbf205yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  少々砕いておきますか。

▼>  このような状況は、貴方が何らかの圧力下にあるのではないか?
>  との疑惑を益々深めております。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
↑だからどうしたというのでしょうかね?
沖浦さんが、事実と全く違う見当はずれの”疑惑”を持つのはご勝手ですが、それが、事実無根の内容を不用意・軽率に勝手に掲示板へ書き込んで人の名誉を毀損することとどういう関係があるのですかね?
沖浦さんが疑惑を持ったからといって、それが事実無根の書き込みを平然とすることの正当化には全くならないということぐらい

「創価学会での修行を長年されていて、世間の法に明るい智者であるはずの沖浦さん」

には当然理解できますよね?
であるならば、上記の”疑惑”とやらと事実無根で名誉毀損の書き込みとの相関関係をもう少し私も含め閲覧の方々にも分かるように説明してください。
この名誉毀損書き込み事件に関しての説明責任は常にあなたにあるのですから。
では、責任以ってよろしくお願いします。

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沖浦対樋田法論を検証する 27(番外編)  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月16日(月)21時42分0秒 p4117-ipbf302yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  今晩も少々沖浦さんの姑息なすり替えを砕いておきますか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>  つきましては、
>
>  樋田氏が法論で行った。
>
▼1「>  御本尊様のコピーはただのゴミ。」
>
▼2「>  顕師の写真などは燃やしてもかまわない。」
>
>  この二点は、宗門や末寺の全面的な了解済みの発言である。
>
>  このように明確に御宣言下さいませ。
>
▼3「>  当方、幸い秋には大石寺を訪問する予定です。
>  その際、この点を確認いたしますので宜しくお願いを致します。」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
↑何度も繰り返し詰問していますが、法論中に、私には▼1▼2の発言など全くなく、これは沖浦さんの捏造です。
仮に近い趣旨としてあるとすれば、

●1 ネット上でアップされていた、土産曼荼羅の元となる大聖人の御真筆御本尊の画像のプリントアウトしたものはただの資料であり、ただの紙。(趣意)
(特に尊ぶものでもなく、かといって殊更に忌み嫌って唾棄するものでもない。
資料として普通に扱えば何も問題もないものですね。)

▼2についても、全く同様で、これも沖浦さんの捏造に過ぎません。
あるとすれば、

●2 耕治氏が「顕師の写真を目の前で燃やして何とも思わないのか!」との狂乱に近い絶叫に対して、
「写真なんて、あれでしょ〜?・・・」
という箇所ですね。

これは、本尊の開眼を論じている時にいきなり”写真”云々などというあまりにピントのずれた発言に対して、その外れ加減に一瞬たじろぎ
「??・・写真などは本尊とは別次元でしょう?」という意味ですね。

さ、当事者がこのように明瞭に証言しているのですから、沖浦さんはいよいよ、私がどこで上記の▼1▼2の発言をしたのか明証すべきですね。
もしそれができないのならば、それは自分の歪んだ心根によるところの間違った思い込み、もしくは故意に相手を貶めるための捏造であることは明白ですから、ここはきちんと公式に謝罪すべきではないのですか?
どうなんでしょう、沖浦さん。

▼3について。

それはそれは、御めでたいことですね。
大いに確認してみてください。
(宗務院もしくは内事部が、捏造常習者・偏執者・変質者に類似行動をなす沖浦さんに対して、果たしてどのように対応されるか実に楽しみですよ。)
その結果を捏造なく公表してもらいたいものですね。
手前勝手な解釈はダメですよ。
こちらで後ほど確認すればすぐにバレてしまいますからね。

沖浦さん、口先だけではなく、必ず実行して、ここで公表してくださいね。
この件でも、いい加減な捏造話を言い散らかすと、また、今回の捏造の件と同様に徹底的にここで暴かれますから、無責任なことはしないように、重ねてここで釘を刺しておきますね。
では、よろしくお願いしますね。

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お知らせ  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月16日(月)21時45分11秒 p4117-ipbf302yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  ここまで経緯を加えておきました

http://toyoda.tv/okiura.hituti

沖浦さんの、捏造・すり替え・言い逃れ・・・などが良く確認できますので、参考にしてください。

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沖浦対樋田法論を検証する 28(番外編)  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月17日(火)11時06分55秒 p4117-ipbf302yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  記録が流れないうちに、ここに留めておきますか。

以下は、沖浦さんのここ一週間以内での発言ですが、さくらさんも指摘している通り、実に正反対のことを仰り、しかもそれと気づいていないご様子。
こういう状態を世間では、

自語相違
不定見な人
前言を覆す信用の置けない人
錯乱状態
口からでまかせ
その場凌ぎの人
・・・
などなどといい、仕事面でも、私生活でも、まず、まともな人からは、まともに相手にはされません。
(この性癖がバレないうちは、こういうタイプの人間は、その場限りのうまいことを言うので、案外人気者ですが、バレたあとは惨めな末路です。
最近、恐喝で捕まった、○賀何某、などもこの類でしょうかね。)

また、こういう発言がその場限りでコロコロと変遷する者は、邪宗日蓮宗系に多く見受けられる傾向ということが、折伏の体験上感じられます。
こういう症例を、

頭破作七分

といいます。(正確には頭破作七分の一分の症例)

創価学会は、この十数年でそれまで信奉してきた教義の根幹部分を一切かなぐり捨て、正反対のことを平気で言い出したのですから、このような 頭破作七分 の会員が続出するのは、理の当然でしょう。

では、以下、沖浦さんの全く逆の発言を御覧ください。

↓【勝負や勝ちに拘る、沖浦発言】
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▼法論以前は  投稿者:沖浦克治  投稿日:2007年 7月17日(火)00時48分12秒 softbank221104080129.bbtec.net   返信・引用

(中略)

 もういくらあがいても、創価学会員の樋田さん評は覆りません。
 勝負とはね、そのようなものなんですよ。

 私は人生が勝負と熟知しております。

 勝ち所を逃すほど甘くはありませんし、勝ち方を樋田さんの一万倍は知っております。

 私と法論をしようと思った時、既に彼の負けは決まっておりました。

 これが勝負の厳しさです。
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▼映像が伝える私どもの勝利  投稿者:沖浦克治  投稿日:2007年 7月15日(日)07時08分2秒 softbank221104080129.bbtec.net   返信・引用

   当方が配信を始めたころ、法華講員の相の悪さと、司会者の人物批判がありました。

 すぐにそのようなコメントをおやめになられるよう申し入れお聞き届けいただき、その後そのような、法義と無関係な映像批判は陰をひそめております。おはいtげんbn
 純粋に、樋田氏側の発言の矛盾を突くものがほとんどです。

 他方、現在の伽羅氏に見られるように、法華講側のこちらの映像批判は、法義に無関係の

 映像の質が悪い。     (編集するか、圧縮するかです)
 私の顔にモザイクをかけろ。(アホ丸出しですがね)
 耕治が貧乏ゆすりをしている。
 私も落ち着きがない。
 アングルが悪い。

 などなどの批判がほとんどです。

 この事実は、法華講側が法論に負けた事。を、如実にものがったています。

 法義で勝利していれば、当然そこが話題になります。
 法論ですからね、美男コンテストでも、映像評論会でもないわけです。

 当方は、法義を取り上げて論評を行い、法華講側は、ビジュアル面を責めるのみ。

 双方の映像への反応が、法論の勝敗を物語っております。
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↓【勝ち負けなど眼中にない、という沖浦発言】
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▼kusanone さん  投稿者:沖浦克治  投稿日:2007年 7月13日(金)18時09分29秒 softbank221104080129.bbtec.net   返信・引用

   あまり買いかぶらないで下さいませ。

 所詮、相手は法華講ですし、バックは日蓮正宗です。
 法論前から言っておりましたが、たかが知れた相手です。
 法論も、何の用意もして行きませんでしたし、バーベキューの用意の方が大変でしたよ。
 メインはバーベキューで、法論は行きがかり上ですね。

 日蓮正宗の教学などは、たかの知れた貧しいものです。
▼1「 勝った勝ったと浮かれるほどのものですか。」

引用以上
−−−−−−−−−−−−−−−−−−

●↑因みにこの▼1「勝った勝ったと浮かれるほどのものですか。」 と言いながら、法論直後の「浮かれた(ふりをして自分の”不利”を誤魔化していた)内容」は以下に記録しておきましたので、参考にしてください。
沖浦さんの、勝ち負けに対する異様なまでの執着が肌で感じ取れますよ。

http://toyoda.tv/okiura.kakiko.htm

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沖浦対樋田法論を検証する 29(番外編)  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月17日(火)16時04分59秒 p4117-ipbf302yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  沖浦さんが、今まで書き散らかしてきた数々の捏造事件の中で、今回取り上げた、

1、非通知電話捏造の件
2、私が法論中に発言していない内容を捏造した件。

両件について、沖浦さんが、いかに、小狡く、悪賢く、言い逃れ、すり替え、言い訳、等に終始する人物であるか、詳細且つ明瞭に検証でき、またそれを記録に残すことができました。
   ↓
http://toyoda.tv/okiura.hituti

現時においても、また後々までも、この経緯を読まれた方々は、

「創価学会というところには、いかに不正直で悪辣な人物が居るのか」

ということを深く認識し、創価学会の本尊・教義・会内の指導等に、大きな疑念を持たれる事でしょう。
そういう意味において、不当行為を平然と為し、当事者からそれを追求された後の、潔くない、見苦しい、数々の言動を為す沖浦さんは、世人をして創価学会を忌み嫌わせる象徴的存在として、大いに意義なる者 と言うべきでしょう。

さて、私もいつまでも際限なく、沖浦さんの人間として唾棄すべき言動を追求することにさほどの興味も湧きませんので、次からは、沖浦さんの教義的矛盾を破折していきたいと思います。
(その間に、あまりに度の過ぎた不法行為が見られた場合は、またその件を追求することもあるかも知れませんが。
また、沖浦さんの過去のログの中と、現時の発言とを照らして、大きな不法行為や自己矛盾を発見した場合にも、追求することもあるかも知れません。)

では、次回から、法論の流れに沿って、沖浦発言の教義的に破綻している箇所を洗っていきましょう。

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