| 沖浦対樋田法論を検証する 86 投稿者:管理人(樋田 昌志) 投稿日:2007年 9月 6日(木)23時03分55秒 p2105-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp |
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6 4分あたり 当方の開眼供養の論証について、その一端を聞き終わった後で沖浦君、 ▼「それはそれで、そう解釈すればいい。それは学問の問題だから。そう解釈するな、というのは僭越になる。(趣意)」 ↑これも、また、実に大聖人の御心から大きく逸脱した 戯言 である。 これは沖浦君がまともにきちんとした形では反論ができないがために、 「今までの掲示板でのやりとりからして、下手に反論すれば詳細に徹底的にやられてグーの音もでなくなるので、それは何としても避けたい。」との思いから、狡賢くすり抜けようとしたに過ぎない。 @ もし、当方の論証を是認するのであるならば、そのまま板・紙幅の曼荼羅御本尊の「開眼」の必要性を認めることになり、かつまた、その「開眼」のない創価学会が3000円で販売している模造掛け軸は、魔や鬼が入り込んだ、ゴミ屑・糞紙以下の最低の物体である。ということをも認めることになる。 A 創価学会にとっては今販売している模造掛け軸は”命より大切な御本尊さま”である(はずである)。 B 当方の主張はその大事な”御本尊さま”を「魔仏・鬼札」と断じているのであり、創価学会にとっては明らかに”邪義・謗法の言”となるはずである。 C 仏弟子としてはそのような”謗法の言”に対しては、命に代えても破折していかなくてはならないはずである。 D ところが沖浦君は、▼「」との発言のごとく、その創価学会にとっての”謗法発言”を是認・容認している。 E ■法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし。南岳大師の云はく「諸の悪人と倶(とも)に地獄に堕ちん」 との御指南のごとくに、沖浦君は諸々の悪人達(謗法者)と共に、真っ逆さまに無間地獄に堕ちることとなる。 ↑以上の簡単な検証からも、沖浦君が如何に、大聖人様を大事に慕っていないか一目瞭然である。 (↓下段の投稿などこうしてみると実に噴飯ものである。) 実に我見・己見だけでしかものが言えない、判断できない・・・やはり、今世、謗法することを生業にすべく生まれてきた悪因縁の可愛そうな衆生である。 |