沖浦対樋田法論を検証する 36  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月21日(土)23時35分49秒 p4117-ipbf302yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  CHAPTER  3  御形木は和紙に限るの真偽 1

沖浦さんの主張

▼「▼2「学会員は御形木御本尊を大聖人様の御命と信じて拝んでいる。」それを▼1「材質が悪いから悪い」、との言い分は酷いのではないか。
例えば葬式で棺桶や位牌の材質について悪口を言うのと同様である。(趣意)」

沖浦さんの引文

■日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。妙楽云はく「顕本遠寿を以て其の命と為す」と釈し給ふ。(経王殿御返事      文永一〇年八月一五日  五二歳)

■(あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづ(譲)る事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。)「出世の本懐とはこれなり。」(阿仏房御書      文永一二年三月一三日  五四歳)

(■仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計(ばか)りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。(聖人御難事    弘安二年一〇月一日  五八歳))
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検証

1、法論中にも明快に破折しているが、始めから当方は▼1「材質が悪いから悪い」などと言ってはいない。

参照

http://toyoda.tv/okiura.wasi

2、▼2「学会員は御形木御本尊を大聖人様の御命と信じて拝んでいる。」
信じるのは勝手ですが、信じる対象が間違っていれば、いくら純真に信じてもそれは、邪信・妄信・盲信 である。

@ ほとんどすべての学会員は 「大聖人様御真筆御本尊=日蓮が魂(一往、与の義)」 を拝んではいない。
→沖浦さんは、御形木御本尊が「日蓮が魂」である、と証明できていない。
→つまり、学会員は、沖浦さんの説では”日蓮が魂”を拝んでいることにはならない。

A 出世の御本懐であられる戒壇の大御本尊以外の大聖人御真筆御本尊は出世の御本懐ではない一機一縁の御本尊であり、未究竟の御本尊である。
→真の意味での「日蓮が魂」が篭められていない。(再往、奪の義)
→戒壇の大御本尊を身口意の三業全てで拝さない学会員は「日蓮が魂」を拝していない。

B 大聖人御真筆御本尊もその所有者が謗法者であれば、御魂は住まわれない。

■『美作房御返事』 「地頭の不法ならん時は我も住むまじ」

→仮に大聖人御真筆御本尊を拝しても、日興上人からの正統な唯授一人・血脈相承に背いている宗派が発行している印刷本尊には「日蓮が魂」は住まわれない。

■身延山付嘱書   弘安五年一〇月一三日  六一歳
釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。

→唯授一人・血脈相承の法統を侮蔑・嘲笑・否定する創価学会が発行する印刷曼荼羅には、「日蓮が魂」は住まわれない。

■「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。」(←唯授一人・血脈相承の御法主上人を謗る輩は「謗法」)

→であるから、「謗僧」という謗法行為を為す創価学会員宅に安置の御形木御本尊には現時では「日蓮が魂」は住まわれない。

C 日寛上人が戒壇の大御本尊を書写された御本尊は一機一縁ではあるが真正の御本尊である。
が、その御本尊を上記のごとくの謗法者の命により、写真撮影し、文字を削除・修正・補筆などし、全体の画質調整、などして好き放題に弄んだ印刷物は、それはもはや日寛上人の書写された真正の御本尊ではなく、ましてや「日蓮が魂」など間違ってもお住みではない。
仏の御魂が住まわれない本尊状のモノは、そのに魔・鬼等が住み着くのである。

■世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。(立正安国論   文応元年七月一六日  三九歳)

↑一往国土に約した仰せであるが、再往、その意義を拝考するに、
謗法を為す所には、諸天も居らず、仏・聖人も住まない。
故にその所には、魔や鬼が来たって、災いや災難を起こすのである。
との意であり、これまさに、創価学会発行のニセ本尊(に、限らず、世の一切の邪な本尊)に通じる原理である。

概ね以上の論破により、今段の沖浦さんの主張は全く意味を成さない。
ただの、謗法者の的外れな思い込み に過ぎない。

http://toyoda.tv

沖浦対樋田法論を検証する 38  投稿者:管理人(樋田 昌志)  投稿日:2007年 7月30日(月)20時19分28秒 p4117-ipbf302yosida.nagano.ocn.ne.jp   返信・引用
  CHAPTER 3(後半最後の方)

沖浦氏の言

▼「創価学会が破門になったので、公称1000万人いる創価学会員の御本尊を換えなければならない。(趣意)」

破折

沖浦さんは既にこう発言しています。

▼「御本尊は誰が書写しても功徳は同じ」

”功徳が同じ御本尊”を何故わざわざ変えなくてはならないのか?
実に大矛盾ですね。
沖浦さんは今までこれについて正当な理由での返答は全くありません。
ただ感情論を繰り返すのみです。
ここでも、沖浦さんが正当な教義の裏づけのある本尊観を得ていない浅ましさが露呈しています。

しかも、換える必要のない御本尊をわざわざニセ本尊に換えて、その元の”功徳のある御本尊”はその後どうしたのでしょうか?
その大半は宗門に返却されていませんから御不敬されていることは確実です。
”功徳のある御本尊”を御不敬したら仏罰必定でしょう。
沖浦説ではこのように、創価学会のなした行為をきちんと説明できていません。
つまり、ただの、妄見・邪見・賎見に過ぎません。

正当な結論は
「御本尊は大聖人以来の正統な唯授一人・血脈相承の御方が許可された御本尊以外は全て魔仏・鬼神である。」ということです。
また、沖浦さんのように正統な日達上人御書写の御形木御本尊を拝んでいても、その拝む本人に三宝を正しく敬う心がなければ謗法ですから、その御形木御本尊には大聖人の御魂は住まわれないのですね。
ですから、最近の沖浦さんの言動のように、およそ正しく仏法を行じているとは思えないような、狂乱・狂態を演じだすのでしょう。

参照

↓これは、沖浦さんが今回の法論での敗北感を何とか払拭したいがために、再度の法論を、一方的な条件を並べ立てて当方へ突きつけ、それを承諾しなければ、「逃げた。逃げた。」と騒ぎたいがために一人浮かれ上がって、はしゃぐふりをしていた一連の愚かしく見苦しい投稿へ、最後道理による一撃を打ち込んだ記録です。

http://toyoda.tv/okiura.saihoron