1、ニセ本尊には 魔の通力 がある。

@利根と通力

■実経に入らざらん者は、或は魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず。(唱法華題目抄 233)
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● 実教=一往・附文の辺では「法華経」 再往・元意の辺では、戒壇の大御本尊である。
つまり、ニセ本尊を拝んで戒壇の大御本尊へ身口意三業相具して参詣し信敬しない者は、魔にたぼらかされて通力を現ずる。
つまりは利益らしき現象がでることもある。ということである。
この利益らしきものはまさに魔の所為であって、例えて言えば、パチンコで開店時や新台入れ替え時等に景品がたくさん出るようなものである。あれは、顧客を掴む為の演出、と言われている。
客は玉が出たときの快感が忘れられずにのめりこんで行くが、開店時の様には玉は出ず、それでも、出た時の快感の誘惑に勝てずに更に嵌まり込んでいく。
結局、最後は借金でどうにもならなくなり、人生を駄目にする。
等の例に似ている。
また、麻薬に溺れる者のようなものである。
麻薬を打ったときの快感に酔いしれていくと最後は心身ともに滅びる。

魔の通力の斯くの如くである。
人の寿命や精気、また功徳や善根を吸い取り奪い取って自らの鋭気とするのが魔の本質である。
一人の人間から末長く功徳や精気を吸い取る為に態と「通力」を現じ、あたかも「御利益」があるように誑惑するのである。
しかし、魔に寿命と精気と功徳と善根を吸い取られ果てたら、行く先は地獄・餓鬼・畜生 の三悪道、就中 無間地獄 である。
ところが、この魔に誑惑されている者は、名聞名利が強くなり、今生の目先の栄利栄達のことしか眼中になくなり、後生の恐ろしさが全く予測出来ないのである。
これに誑かされ惑わされているのが沖浦氏の今の姿である。
まことに哀れそのものである。

日淳上人
■宗教の利益はその根本に尊崇し奉る本尊の正邪により且つその説かれる教法の正邪によつて分かるるのである。
本尊と教法が正法である時利益は期せずして現ずるは理の当然であつてその利益は又正しいのである。
若し教法が不純であり邪法であるならば仮令(たとい)利益をいふもそは必ず不純であり邪道の利である。
故に宗教に入るには唯その利益を見て決するは冒険この上なしといはなければならぬ。
故に宗教選択の道は利益を先とせず法の邪正をもつてなさねばならない。
日蓮大聖人は■「但し法門の邪正をもつてただすべし、利根と通力とにはよるべからず」と仰せられてあるが此れが宗教選択の要道である。
利根とは人間の智慧才覚に任せていふその言葉によるを指し、通力とは不思議なる力のみを以て神仏を計ることである。
此等は共に斥(しりぞ)けなければならないのである。

日顕上人
■たしかにこの、いろんなおかしな利益・功徳というものを、新興宗教やいろいろな所で言っております。
これは魔の通力ということもありまするし、いろいろな小さな功徳というものは、たしかにそういうものにおいてある場合があります。
しかしそれは、根本の成仏という功徳ではないし、逆にその成仏の大益から見るならば、それをさえぎり、妨げるところの魔の通力であり利益となってしまうのでございます。
成仏の根本は、仏法の正しい法というものにある。

沖浦君に感じる利益らしきものはこのようなものである。
こんな一時の小事に目を眩まされてニセ本尊を拝んでいたら後々は無間地獄は疑いない。
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A、■「若し衆生生死を出でず仏乗を慕はずと知れば、魔是(こ)の人に於て猶(なお)親(おや)の想(おもい)を生(な)す」(御書・種々御振舞御書 1063n
【通解】もしも、仏道修行している者たちが、そのやり方では絶対に成仏できないし、真の仏道=戒壇の大御本尊を渇仰せず修行をしないと分かれば、魔がこういう者たちに対して親のように想いになる)

 沖浦君らはこのままでは、御戒壇様から離れたから、間違いなく成仏どころか三悪道行きなので、魔が親の思いをなして「この子、成仏しないから可愛い、無間地獄に堕ちるから可愛い」といって、ご利益らしきものくれるのである。
これはまた、@の原理に通じる。
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B、■「一分のしるしある様なりとも、天地の知る程の祈りとは成るべからず。魔王・魔民等守護を加へて法に験(しるし)の有る様なりとも、終(つい)には其の身も檀那も安穏なるべからず。」(御書・諫暁八幡抄 1531n

【通解】魔の通力によって出てくる功徳らしきものは何か当座は叶ったようなことがあるようでも、天にも地にも知れ渡るような、事の一念三千の法理にかなって法界に遍くような、真の祈りの成就というようなことにはならない。魔王や、その眷属である魔民が守護して、邪法である仏法でも祈りが叶うようなことがあったとしても、最後にはその邪師の身も、それに付き従う信者たちも、真の幸福境涯は訪れないのである。それどころか、安心して生活できないような境涯となる)
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2、無間地獄行きが決定した者には現罰が出ない。

■順次生(じゅんじしょう)に必ず地獄に堕つべき者は、重罪を造るとも現罰なし。一闡提人これなり。571

■詮ずるところ、上品の一闡提人になりぬれば、順次生に必ず無間獄に堕つべきゆへに現罰なし。

もし沖浦君が間違いなく地獄に堕ちると決定したならば、どんなに三宝誹謗してもニセ本尊を拝んでも現罰はない。
ニセ本尊を夢中に拝んで、ネット上でこれほど口汚く日恭上人をはじめ三宝尊を誹謗している者も少ないであろう。
その悪罪業を、法に過ぎて積んでしまったが故に、もしかしたら沖浦氏は本当に死後何生にも亘って何度生まれ変わっても無間地獄に堕ちることが確定したのかも知れない。
が故に、現罰が出ないのかもしれない。
まだ現世で現罰を頂いている学会員の方がどれほど罪が軽いか。ありがたいか。
無間地獄が確定している・・・・これほど恐ろしいことはないといえよう。