岡田茂吉研究所 は他とどう違うのか
教祖に力を与えたという観音について
▼「神から力を授かった」といいながら、▼「神人合一」と称して、自分は釈迦・キリスト・マホメットなどよりも上位で、神と同じであるともいっている。
日曜日も…家族団欒などなく、子供をほったらかして毎月の本部参拝、浄霊実践、
入信者、献金、…資格者会では、入信者と献金の目標を立てさせられ、結果をもって、審査されました。
借金をしてまでの誠の献金
神の御経綸という名ばかりのそれは教団を運営するための、指導者が作り上げたシナリオの上に洗脳させられていたのではないだろうか…
メシヤ様のお直筆でない、ただの印刷物のような御神体様
メシヤ降誕本祝典はこの教団が許されて、行うものと信じ、その後に訪れる地上天国に生き残れる資格ができるもの
ご浄霊で救われていますか?
それから3年の月日が経ち…私は病気になり…医者から手術しないと治らないと言われました。
私の病気と言うのは
ある日突然、右目が異常に出ていることに気づき、すごい眼圧で、顔面神経痛かと思い、ビックリし、すぐMRIを撮ると目の奥のあたりにパンパンに蓄膿の膿がたまり、それが原因で私の目を前に押し出していたのです
その頃私は…延髄も肩も凝り固まり肩甲骨が痛く、腰も重く、足も痛く、階段上がるのも足が重い状態でほとんど毎日接骨院でマッサージをしてもらっていた位
県の支部長がおっしゃったことが、建物の維持等でお布施をしっかり回収して、たくさんの人を入信させてほしい
なかば強制的に入会という形になってしまいました。
なかなか岡田茂吉研究所辞めさせもらえません。
入会を進められたときに、仮入会にも1万円がかかるので、即決はできませんと、お断りをしました。
入会に一万円
私は半年前に無理やり入会させられました。
一、成立の歴史
世界救世教は、大本からの派生教団で、岡田茂吉(教団では「明主」と称する。一八八二― 一九五五年)によって、昭和十年(一九三五年)に創始された。
岡田茂吉は、明治十五年、東京浅草の古道具屋の長男として生まれ、十五歳の時に画家を志して美術学校に進学したが、眼病のために半年で退学した。
青年時代の茂吉は、チフス、痔、胃病、リューマチ、尿道炎、扁桃腺炎、神経衰弱、心臓弁膜症等々、種々の病気に罹り、この時にあまり薬効がなかったことから、��かえって薬には害がある�≠ニ考えるようになった。
この考えが、後に、教団の教義にも大きく影響を及ぼすことになる。
病弱ながらも、美術的感覚と商才に長けていた茂吉は、二十三歳の時に始めた小間物屋を装身具の製作卸業に発展させ、事業は拡大していった。
ところが、大正八年、世界恐慌によって会社が大打撃を受けて破産し、莫大な借金を抱える。
また、この頃に、最初の妻と子供三人が亡くなった。
こうした不幸続きの中で、茂吉は、大正九年(一九二〇年)、三十八歳の時に大本に入信し、大正十三年からは大本の布教と神霊の研究に没頭するようになった。
そうしたなかの昭和元年(一九二六年)、茂吉は、神懸かりになり、「観音が自分に宿った」「私の腹中には光の玉がある」などと言い出した。
さらに、昭和六年には、千葉県・鋸山で修行をしていた際に天啓を受けて、「夜昼転換」を知った、という。
この「夜昼転換」とは、��世の中は今、長い夜の時代を終えて、昼の時代になろうとしている�≠ニいうもの。
自分には��昼の時代�≠�リードする使命がある、と思い込んだ茂吉は、昭和九年秋に大本を脱会し、翌十年の元日に「大日本観音会」を創立した。
当時は宗教弾圧が激しかったことから、茂吉は、あまり宗教色を表に出さず、健康活動を装って、浄霊(手かざし)と指圧を組み合わせた「岡田式神霊指圧療法」なるものを行なっていたのだが、これが当局から��人体にいかがわしいことをする行為�≠ニ見なされて、昭和十一年と同十五年の二回にわたり、医師法違反で逮捕され、解業を余儀なくされた。
しかし茂吉は、その後も、有力信者を相手に密かに治療行為を続ける一方、半紙に「光」「光明」と書いた神札(「おひかり」と称する)を作って、弾丸除け・空襲除けになると宣伝して売りさばいた。
そうして儲けた金を投じて、終戦直前には静岡県熱海市(現在の本部所在地)や箱根の土地を買い、さらに終戦後の昭和二十二年、熱海を本拠地に「日本観音教団」として再出発した。
昭和二十五年には、教団名から��観音�≠�捨て、「世界救世(メシア)教」と改称している。
その理由について、茂吉は、
▼「最高の神様は民族や国の差別なく、世界全人類を救うものである。
漢字にフリガナを付けたことによって、東洋と西洋が合わさり、世界的になった。
とくにメシアの語はキリスト教に通じ、文化民族の憧憬の名称である」(主旨)
などと幼稚な説明をしている。
なお、この改称直後に、茂吉は、脱税と贈賄の容疑で逮捕されて有罪判決を受けているが、留置場に抑留中、腹中の��光の玉�≠ノ最高神の魂が宿り、「神人合一」となった、と言う。
この辺が、転んでもただでは起きない、詐欺師の資質であろうか。
茂吉は、��この世に、病・貧・争のない「地上天国」を建設することが教団の目的である��
として、浄霊(手かざし)・自然農法・芸術活動を具体的活動の柱とした。
そして、「地上天国」の雛型として、「箱根・神仙郷」「熱海・瑞雲郷」「京都・平安郷」の建設を進めてきたが、計画の完成を見ずに、
昭和三十年(一九五五年)に七十三歳で他界した。
二代目教主には後妻のよしが就任し、昭和三十二年に、教団名を現在の「世界救世(きゅうせい)教」に改称した。
現在、教団の本部は静岡県熱海市にあり、茂吉の孫の陽一が四代目教主に就いている。
公称信者数は、約八三万人で、俗に「お光さん」と呼ばれている。
また、教団は、熱海にMOA美術館(※「MOA」とは「モキチ・オカダ・アソシエーション」の意)、箱根に「箱根美術館」を有する他、自然農法の発案者と自認して、自然農法の普及や自然食(MOAブランド)の流通活動を展開している。
なお、茂吉の死後の教団は、運営方針を巡っての紛争が繰り返されて、各地の支部・教会が、別の教団として次々に分離独立。
その数は二十団体に及ぶといわれる。
その派生教団の中には、
・神慈秀明会
・黎明教会
・浄霊教会
・救いの光教団
・救世神教
・救世新教
・救世真教
などがあり、いずれも岡田茂吉を明主と仰ぎ、浄霊(手かざし)や自然農法、その他の教義もほぼそのまま継承している。
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二、本尊と教義
世界救世教では、「大光明真神」と称する神を信仰の対象としている。
この「大光明真神」は、主神(宇宙創造神)の働きのうち、人類を救済し、「地上天国」を実現するために現われた神で、これと一体化(神人合一)した教祖・岡田茂吉こそが、世界人類の救世主だ、という。
教団では、病・貧・争を三大苦といい、これを根絶した「地上天国」をこの世に建設することを目的としている。
そして、人類の不幸の原因は、神を信ぜず、自然界の生命活動を無視したところにあるとし、それを正すためには「浄霊・自然農法・芸術活動」を行なわなくてはならない、とする。
「浄霊」とは、いわゆる��手かざし�≠フことで、「おひかり」と称する紙(��光�≠ニか��光明�≠ニか��大光明�≠ネどと書かれている)を身に付けた信者が、病人や相談者に対して手をかざして��光�≠フ文字をなぞると、掌から目に見えない霊光が出て、苦悩の原因となっている霊魂の汚れを浄化させ、病気は治り、運命も好転していく、というもの。
これを教団では「日本医術」とも称し、西洋医学による薬害・薬禍を強調して、教義上では、医者にかかることや薬の服用を禁止している。
また、「おひかり」をロケット(首から下げる写真入れ)に入れて身に付けているだけでも、事故や災難から免れられる、とも教えている。
「自然農法」とは、��化学肥料・農薬といった人為的な物質は魂を汚す�≠ニいう考えから、自然栽培による農業を推進するもので、教団自前の実験農場を持ち、販売するための事業も行なっている。
「芸術活動」とは、当初は教祖・岡田茂吉の趣味であった美術品の蒐集を、��美による魂の救い�≠ニ称して宗教活動の一環に組み入れたもので、教団では、美術品の買い集めや美術館での展示に力を入れている。
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三、破折
「大光明真神」は空想の産物
世界救世教では、「大光明真神」なる神を信仰の対象とするが、これは教団が勝手に作ったもので、おそらく、仏教に説かれる弥勒菩薩と神道の天照大御神にヒントを得て名付けたのであろう。
では、その大光明真神なる神とは何物か、といえば、「宇宙の創造神たる主神の働きとして、『地上天国』を実現するために現われた神」というだけで、具体的な姿については、全く不明である。
この大光明真神というも、宇宙万物を創造した��主神�≠ェいる、ということを前提にして立てたものであるが、では、その主神自体はどこから生じて、何によって神になることができたのか、といえばその説明はない。
とにかく、主神は元から存在した、とするのである。
しかし、およそ��原因があるから結果が生ずる�≠ニいうのが、宇宙森羅万象を貫く基本的な道理であり、��神だけは、生ずる原因がなく、もともと存在していた�≠ネどとするのは、根本的に道理から外れている。
道理から外れた「真理」など、あろうはずもなく、よって、世界救世教で言うところの��主神�≠ネどありえない、ということは明白である。
そして、主神が存在しない以上、��主神の働きとして現われた大光明真神�≠ネるものの存在も泡沫のように消し飛ぶことは、言うまでもない。
要は、主神も大光明真神も、空想の産物にすぎない、ということである。
その空想の産物の��大光明真神�≠ニ一体化(神人合一)した、と称する岡田茂吉は、天性のウソツキか、思い込みの激しい迂闊者、という以外にない。
��明主�≠ニいうよりは、「迷主」と呼ぶほうが相応しいであろう。
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浄霊などでない「手かざし」
次に、教団で売り物にする「手かざし」であるが、これは、「おひかり」(御守りのような物)を身に付けた信者が、相手に対して手をかざし、「光」の文字をなぞると、曇っていた霊を浄化させ、病気・不幸・争いがなくなる、というもの。
つまり、教団の教えによれば、「霊の曇り」は「体内に残留した汚物が毒素になって起こる」のであって、これが、あらゆる不幸の根本原因だ、というのである。
しかし、病気が「体内に残留した毒素」によって引き起こされる、と言うだけならまだしも、事故による怪我や経済苦、あるいは対人関係のもつれ等は、「体内に残留した毒素」などとは全く無関係である。
ましてや、先述したように、岡田茂吉に浄霊の力を与えたという��神�≠ヘ、もとより架空の存在なのだから、いくら信者が手かざしをしたところで、不幸が消えるはずがないではないか。
現に、��手かざしで争いも消える�≠ニしながら、世界救世教は、
昭和四十六年には、各教会が本部に造反し、財産権を巡って裁判沙汰になったり、
昭和六十一年から数年間にわたっては、跡目相続を巡って収集のつかない権力争いになったり
と、強烈な内紛を繰り返してきているのである。
��手かざしによる浄霊�≠ネどというのはまやかしである、という、何よりの証拠ではないか。
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いかさまの証明
教団のいかさまぶりは、次なる一事によっても明白である。
すなわち、昭和二十年代に、教祖・岡田茂吉を撮った写真に「観音・お光・竜」が同時に写っていた、と大宣伝したが、後になって、これが、岡田茂吉と撮影者の共謀による、合成写真であることが、撮影した本人によって暴露されてしまったのである(『読売新聞』昭和二十五年六月一日付夕刊)。
それによれば、「観音の姿は掛け絵で、光は、窓から差し込んだ太陽光線、竜らしき物は、タバコの煙」だったそうだ。
この一例からも、教祖・岡田茂吉自身が、いかにいい加減な人物であったか、誰の目にも明らかであろう。
その教祖の思い付きの言動に惑わされて、いかに「自然農法」や「芸術活動」のために労力・金銭を拠出したところで、世界救世教による「地上天国」など永遠に来ないことを、信者は気付くべきである。
なお、世界救世教から分裂した、
・神慈秀明会
・黎明教会
・浄霊教会
・救いの光教団
・救世神教
・救世新教
・救世真教
等も、まったく同様である。
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第四章 新興宗教/世界救世教
世界救世教
[設立]昭和一〇年一月
[創始者]岡田茂吉(明主)
[現後継者]四代教主:岡田陽一
[信仰の対象]大光明真神
[教典]『天国の礎』『神示の健康』『祈りの栞』『美の世界』など
[本部所在地]静岡県熱海市桃山二六―二
[信者数]八三五、七五六
[名称の変遷]
大日本観音会(昭和一〇年)
大日本健康協会(昭和一一年)
岡田式指圧療法普及会(昭和二二年)
日本浄霊化普及会(昭和二〇年頃)
宗教法人日本観音教団(昭和二二年)
宗教法人世界救世教(昭和二五年)
世界救世教(昭和三二年)
【沿革】
世界救世教は、大本教の影響を強く受けた教団で、一般に“お光さま”と呼ばれている。
この教団は、「浄霊」と称する「手かざし」を行うことが特徴で、自然農法による食品販売や、熱海市(静岡県)に「MOA美術館」を有することでも知られる。
教団の創設者である岡田茂吉は、明治一五(一八八二)年、東京浅草の古道具屋の子として生まれた。幼少のころから病弱であったが、美術的感覚には優れていたという。
二〇歳を過ぎるころまで種々の病気を患い続けた茂吉は、闘病中に医薬の効果がなかなか現れないことから、薬を使い過ぎることがかえって毒となると考え、以来、薬に頼ることは人間本来の治癒力を弱める、という「薬毒論」を形成していった。
これが後に、教団の教義として「健康法」を取り入れる元となったとされる。
茂吉は、二三歳ではじめた装身具等の小間物屋「光琳堂」を成功させ、これを卸問屋�渇ェ田商店にまで拡大発展させたが、大正九(一九二〇)年の大恐慌に遇って倒産した。
その後間もなく、最初の妻と三人の子供のすべてを亡くしたこともあって、当時盛んな布教を行っていた大本教に同九年六月、入信した。
一時は教団から遠ざかったが、同一二年ころより、大本教の出口王仁三郎のもとで、その開祖出口なおの言葉からなる『お筆先』を中心として、神と人との関係や神霊の研究に没頭しはじめた。
茂吉はこのころより、観音菩薩と思われる不思議な現象を次々に経験したといい、そして昭和元(一九二六)年にいたり、神霊である観音が自分に宿ったとして、「私の腹中には光の玉がある」といい出した。
茂吉は大本教での活動を続けるなか、同三年に布教師、同五年には別院長となったが、同六年に鋸山(千葉県)において、「霊界の夜昼(よるひる)転換」という天の啓示を受けたとしている。
茂吉は、昭和九年、「岡田式神霊指圧療法」をはじめるとともに、同年九月には大本教を脱会し、同一〇年一月に東京で「大日本観音会」を創立した。
これは、観音が茂吉の体内に宿り、その力をもととする「浄霊」によって「病気・貧困・紛争」を解決し、「健康・富貴・平和」と「真・善・美」の理想世界の建設を目的とするものであったという。
しかし、宗教団体に対する弾圧がしきりに行われた時代背景から、宗教活動よりも健康活動を表とすることとなる。
同一一年に「大日本健康協会」、同一二年には「岡田式指圧療法普及会」と目まぐるしく看板を塗り替えながら、心霊術と指圧による療法を行った。
しかし、これが患者や相談者の体に直接触れるものであったことから、いかがわしい行為として、同一一年と一五年の二度にわたって医師法違反で逮捕されている。
しかし戦争末期には相当の財力を蓄え、同一九年、教団の本拠地を東京から箱根・熱海に移し、以来、「地上天国」の建設を目指すこととなる。
地上天国とは、霊界が夜昼転換したことによって、やがては現世界も明るい昼の世界へと転換し、そこに現れる天国的な美の世界のことである。
そして、その具体的な姿が「箱根・神仙郷」「熱海・瑞雲郷」であるという。
この思想は、後に建設される同教団の美術館や美術・芸術に対する姿勢にもよく現れている。
教団は、戦後すぐに「日本浄霊化普及会」を名乗り、さらに昭和二二年八月、「宗教法人『日本観音教団』」として再建、同二五年には、分立していた「日本五六七(みろく)教会」「天国会」などの教会を統合して、「宗教法人世界救世(メシア)教」となった。
このとき茂吉は、「観音の衣をかなぐり捨てメシャ(救世)へと衣替えをした」といっているが、この直後、脱税と贈賄の容疑で、有罪判決を受ける。
同二七年には京都に土地を求めて「平安郷」とし、これを前の箱根・熱海に加えて三大聖地と定めている。
同三〇年二月、教祖茂吉が七三歳で死去すると、二代目教主には後妻であるよしが就任した。
しかし、その直後に教団内の対立が起こり、世界明主教・救世主教・浄霊医術普及会などが分立した。
同三二年、二代目教主よしは、教団の名称を「世界救世教」と変更し、教団内の仏教的な要素を薄めて神道式の儀礼に統一していった。
その後は、三代目教主の斎(茂吉の三女)を経て、四代目教主陽一(茂吉の孫)の現代に至っている。
その間、教団の一元化などをめぐって各地の多数の教会が執行部に反発し、次々と独立して新教団を発足させていった。
それらの主なものは、
・世界真光文明教団
とその分派の
・崇教真光や、
・救世神教
・救世新教
・神慈秀明会
・黎明教会
・救世真教
・みろく神教
・救いの光教団
などである。
これらの教団では、浄霊の「手かざし」を行うことなど共通点が多いが、世界救世教との関わりを明らかにしないものもある。
なお世界救世教では、設立以来、病気直しの浄霊を主体としながら、自然農法の普及と自然食運動を重要視している。
これらに関連するものとしては「伊豆・大仁農場」や「自然農法国際研究開発センター」「MOA健康科学センター」「世界永続農業協会」など多数がある。
また、美術・芸術活動も盛んに行っており、昭和二七年に箱根美術館を開館、同四七年に華道の山月創流「MOA山月」を創始、さらに同五七年には熱海にMOA美術館を開館した。
平成二年には「MOAトラベルサービス・MOA商事」などの企業グループを設立し、積極的な事業活動に当たっている。
なお、世界救世教から分派・独立した主な教団は以下である。
〔系統図内の文字〕
教団名 年次 人名
一二三道 昭和一三年 堀内清蔵・尚美
至誠阿弥陀教 昭和一四年 山本佐一
大日本光明教会 昭和二四年 深町孝之亮
信徳教団 創立年不詳 上村雅信・天野信
清明教 昭和三〇年 木原義孝
大本光之道 昭和三〇年 池内一次
救世主教 昭和三一年 牧喜之助
世界浄霊会 昭和三三年 野沢明
世界真光文明教団 昭和三四年 岡田光玉
崇教真光 昭和五三年 岡田恵珠
ス光光波世界神団 昭和五五年 黒田みのる
神幽現救世真光文明教団 昭和五五年 依田君美
救世真教 昭和四一年 小野田松造
青光教会 昭和四五年 中村郎
黎明教会 昭和四五年 多田光行
神慈秀明会 昭和四五年 小山美秀子
救世神教 昭和四五年 後藤英男
光明みろく会 昭和五九年 藤原基代司
救いの光教団 昭和四七年 大沼祐子
五三教会 昭和四七年 多賀顕次
五六七大栄会 昭和四八年 中島三千彦
天聖真美会 昭和四八年 岩永佳代子
みろく神教 昭和四九年 石坂隆明
慈永堂 昭和五〇年 勝沼久子
〔図中の接続線〕
- 大日本光明教会―信徳教団
- 世界真光文明教団―崇教真光・ス光光波世界神団・神幽現救世真光文明教団
- 救世神教―光明みろく会
【教義の概要】
世界救世教では、信仰の対象を「大光明真神」としている。
教団がこの神体を定めた経過には、教祖茂吉の発言の変遷が関わっている。
茂吉は
▼「神から心霊を与えられた」 とか
▼「私の腹中には光の玉がある」 などといい、またあるときは
▼「観音菩薩の力を得た」 といいながら、後には
▼「観音の衣を脱ぎ捨ててメシヤになった」 などと、神道・仏教などを混在させた発言を続けてきた。
そして最終的には、その著に
▼「釈迦・キリスト・マホメットの三大聖者も神人合一ではない。
ところが私は、私の言動のすべてを神様自身が自由自在に動かしているのだから、神と人との区別がなく真の神人合一である」(趣意)
と述べているように、自分は三大聖者を超越した神の立場であると称するに至った。
現在の教団は、この真の神を大光明真神と称して祭神とし、これと一体化した教祖茂吉こそ、世界人類の救世主であり「明主」であるとする。
そして、この大光明真神とは、この世を創造した主神の働きのうち、特に人類を救済し、地上天国・真文明世界を創造するために現れた神であるという。
このことから教団では、病・貧・争を三大災厄とし、これらをなくして、健・富・和で真・善・美を完結させた「地上天国」という理想世界の実現を目指すとしている。
この思想の依り所となっているのは、教祖茂吉が天啓として受けたという「霊界の夜昼転換」である。
その内容は、この世界に人の住む「現界」と、目に見えない「霊界」があるとすることにはじまる。
そして、霊界には夜と昼があり、今までは霊界の夜(悪)の時代であったが、これが間もなく転換して昼(善)の時代となり、この霊界の善が現界に及んで、この世に天国的光明世界・地上天国が出現するというものである。
そのうえで、この一大転換期に世を救うために出現したのが、教祖茂吉であるとしている。
教団での儀礼の実践は、「浄霊」が中心とされる。
これは、茂吉が神から観音力を授かったとし、「腹中に光の玉がある」といい始めたことを元としている。
茂吉は、相手に「光」の文字を書いた紙を畳んで懐に入れさせ、それに向かって手をかざすことによって、自分の体内の光の玉からの「光波」が供給され、救済されると説いた。
現在では、信徒の誰であっても、教祖から与えられた文字など「おひかり」と称するものを身につけ、病人や相談者に対して手をかざし、「光」をなぞる動作をすれば、苦悩の原因となっている霊の曇りを浄化させ、病気・不幸・争いをなくせるとしている。
浄化とは、人間の体に残留する汚物が毒素となり霊の曇りとなることから、自然治癒能力によってこれを排除させようとするものであるという。
教団ではこれらを総合して「日本医術・浄霊」と称している。
また、健康に関連した「自然農法」を主張し、研修農園や実施農場で農薬・肥料を排除した作物を育てたり、これらの食料品を「MOAブランド」として流通・販売したりしている。
これらの浄霊や自然農法は、三大災厄のなかでも「病」を第一とする教祖茂吉が、自らの闘病体験に基づいて、近代医学に対抗する「薬毒論」を主張したことからはじまったものであり、献金などとともに、信徒の修行・奉仕活動の中心をなしている。
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【破折の要点】
? 世界救世教の教義は、教祖の腹の中に「光の玉」があるとしたり、仏教や神道、さらにはメシヤの教えを交えた拾い合わせの御都合主義で、思いつくまま創作したものにはかならない。
また、教祖は
▼「神から力を授かった」といいながら、
▼「神人合一」と称して、自分は釈迦・キリスト・マホメットなどよりも上位で、神と同じであるともいっている。
まさにそれらの内容は矛盾に満ち、支離滅裂・荒唐無稽であり、信仰に値いしないものである。
? 教団では、教祖に力を与えたという観音について、
▼「その本体は、天照皇大神の慈悲による救世の代現神・伊都能売大神(いずのめのおおかみ)であり、これが仏身に姿を変えてインドにわたり、観音の立場として釈迦を悟りに導いた。
したがって仏教の元は観音である。
この“伊都能売大神(いずのめのおおかみ)”は、大光明真神の霊系である」
などと、何ら脈絡のない意味不明の説明をしながら、大光明真神とつなぎ合わせようとしている。
この説明こそ、教団で祀る「大光明真神」は実体のない架空のものであることを、自ら明かしているといえよう。
また、茂吉を写真に撮った際、��観音・お光・竜�≠ネどが同時に写っていたとする「霊写真」を宣伝したこともあったが、後になって、二重写しの偽造写真であることが読売新聞(昭和二五年六月一日付夕刊)に明かされ、教祖の欺瞞性が暴露されている。
? 「霊界の夜昼転換」により理想世界の「地上天国」が現れるというが、これは美術骨董の蒐集・収集の欲望を満足させるため、茂吉自身の理想として創作したものにほかならない。
その欲望のために奉仕を続ける信徒は、最後に空しい思いをすることは明らかである。
? 教団では手かざしによって、大漁や豊作になったり、故障したエンジンがなおったなどと、奇跡を売り物にしている。
しかし浄霊・手かざしを行って、あらゆる苦悩の原因である霊の曇りをなくしたはずの教団で、跡目争いや内紛が続くのは、手かざしに効果がない証しである。
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岡田茂吉・世界救世教を名指しした批判・破折が、日蓮正宗寺院の公開資料で確認できました。
出典を宗門の出版物までたどれるものもあります。
ただし、現在の「世界メシア教」を独立した対象として、その教義や岡田陽一氏の言説を詳しく破折した日蓮正宗側の公開資料は、今回の検索では確認できませんでした。 見つかった中心資料は、岡田茂吉と従来の世界救世教に対するものです。
1.『諸宗破折ガイド』に基づく、世界救世教への破折
次の2寺院が「世界救世教」という項目を公開しています。
- 日蓮正宗・妙通寺「世界救世教」
- 日蓮正宗・寿照寺「世界救世教」
両ページはほぼ同内容で、末尾に『諸宗破折ガイド』(大石寺発行)を基に筆者が簡潔にまとめた旨を明記しています。したがって、宗門の破折書に基づく寺院側の要約であり、原本そのものの全文転載ではありません。
主な批判点は以下のとおりです。
論点 掲載されている批判の趣旨
岡田茂吉の宗教的な位置づけ
神から力を授かった者、観音の力を得た者、メシヤ、神人合一の存在など、説明が変化している点を問題視する。
教義の混交
神道・仏教・メシヤ思想を組み合わせているが、それらを結びつける説明に一貫した根拠があるのかと問う。
観音と釈尊との関係
観音が釈尊を悟りに導いたとする説明や、日本の神と観音を結びつける説明を批判する。
浄霊の効力と教団の現実
浄霊で病気・不幸・争いをなくせるとしながら、教団内部で継承争いや分裂が続くこととの不整合を指摘する。
以上は、寺院ページに掲載された破折の要約です。
とりわけ最後の点は、**「争いをなくすという教えが、教団自身の人間関係にどう実証されているのか」**という、主張と現実との整合性を問う破折になっています。
2.『正しい宗教と信仰』にある、岡田茂吉への教学的な批判
こちらは、先ほどの教団史・内紛への批判よりも、**「神・仏・救世主と称する資格を何によって判断するか」**に踏み込んだ資料です。
日蓮正宗・本妙寺「Q50 生き仏や生き神と崇められる人たちは、特別な能力を備えている?」
冒頭で、中山みき・出口王仁三郎とともに、世界救世教の岡田茂吉を名指ししています。末尾には、次の出典が明記されています。
- 書名:『正しい宗教と信仰 改訂版』
- 編:日蓮正宗布教研修会
- 監修:日蓮正宗宗務院教学部
- 出版:大日蓮出版。
破折の柱は2つあります。
�@ 神・仏となった「因行」を説明できるのか
突然の啓示や神がかりだけで神仏としての権威を認めてよいのか、いかなる修行・原因によってその境地に至ったのか、と問います。
その根拠として『開目抄』の、
> 「実に因果を弁へざる事嬰児のごとし」
を挙げています。掲載資料での御書ページは526頁です。
�A 経典による予証があるのか
本人の自称や、特別な能力があるという話だけでは、衆生を根本から救う導師とは認定できないとします。
日蓮大聖人については法華経の予証を体現されたとする一方、経文の裏づけのない「生き神・生き仏」の権威を否定する論旨です。
同趣旨の文章は、日蓮正宗・霊松山久遠寺「第四節 迷信・俗信・占いなどを信じている人へ」の**第14項「現代の生き仏、生き神と呼ばれる人がいるが、どうとらえるか」**でも読めます。
3.原本として確認すべき本
まず確認する価値があるのは、**『諸宗破折ガイド 改訂版』**です。大日蓮出版の公式案内では、次の書誌が確認できます。
項目 内容
初版 2003年3月28日
第2版・改訂版 2007年1月1日
編纂 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会
改訂 日蓮正宗宗務院
体裁 A5判・504頁
ISBN 978-4-904429-06-8
掲載価格 2,096円(税込)
大日蓮出版・破折書の案内で確認できます。世界救世教の該当ページ番号と本文全文は、今回、原本で確認できていません。
樋田さんが破折の根拠として使われる場合、現段階では、**「因行と経文の予証を問う批判」と「教義の変遷・浄霊と内紛との整合性を問う批判」**が、出典を示しやすい部分です。
なお、寺院ページ中の歴史的な「世界救世(メシア)教」という表記を、そのまま現在の世界メシア教への直接の批判と扱うことはできません。
また、掲載されている岡田茂吉の発言には「趣旨」と断られた要約もあるため、岡田自身の言葉として引用する際は、本人の著作との照合が必要です。
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岡田茂吉(おかだ・もきち、1882〜1955年)は、世界救世教の創始者で、浄霊・自然農法・美術を通して「病気・貧困・争いのない世界」を実現しようとした宗教家です。
信徒からは「明主様(めいしゅさま)」と呼ばれています。
満72歳で亡くなりました。
この人物を理解するには、実際の生涯、本人が語った神秘体験、その体験を根拠とする教えを分けて見ると分かりやすいです。
以下、教団側の説明は、その信仰上の位置づけが分かる形で記します。
1.もともとは商売と美術の世界にいた人
1882年、東京・浅草の橋場に、古道具商の子として生まれました。
若いころから美術に関心があり、黎明教会の年譜には、1897年に東京美術学校の予備課程に入学したとあります。
その後、1905年に小間物店「光琳堂」、1907年に装身具卸商「岡田商店」を開いています。
したがって、最初から宗教家として育った人物ではありません。
美術への関心と商売の経験を持つ人が、病気や事業上の挫折を経て宗教へ進んだという経歴です。
事業には関東大震災や恐慌による打撃もありました。
青年期の肺結核を菜食によって克服したという経歴も伝えられています。
ただし、「菜食が治癒の原因だった」という判断は、本人の体験理解と医学的な検証を区別する必要があります。
2.大本に入信し、独自の宗教活動へ進んだ
1920年、37歳のときに「大本」に入信しました。
大本は、出口なお・出口王仁三郎を中心に発展した新宗教で、神の啓示、霊界、世界の立て直しなどを重視します。
岡田は大本の布教師となり、そこでの活動を経て、独自の救済方法を展開していきました。
宗教史上、世界救世教が「大本系の新宗教」と分類されるのはこのためです。
教団の年譜では、1926年に神から啓示を受け、1931年には千葉県の鋸山で啓示を受けたとされています。
これらは、信徒にとっては教祖の使命を示す出来事ですが、史料上確認できるのは、まず本人や教団が、そのような宗教体験を語り伝えているということです。
その後、1934年に施術所「応神堂」を開き、1935年1月1日に「大日本観音会」を発足させました。これが世界救世教の立教につながります。
3.教団の名称と活動は、生前にも変わった
主要な節目は次のとおりです。
年 出来事
1920年(大正9年) 大本に入信
1934年(昭和9年) 「応神堂」を開業
1935年(昭和10年) 大日本観音会を発足
1936年(昭和11年) 大日本健康協会を発足
1947年(昭和22年) 日本観音教団を開教
1950年(昭和25年) 世界救世〔メシヤ〕教を開教
1952年(昭和27年) 箱根美術館を開館
1955年(昭和30年) 2月10日死去
この年表は、黎明教会の公開年譜によります。
戦前には施術をめぐって官憲による検挙を受けました。
戦後は宗教活動を再建し、熱海・箱根などを拠点として教団を発展させています。
現在につながる教団・美術・農業の事業を、晩年の短い期間に集中的に形にした点が特徴です。
4.教えの中心は「霊が先、物質が後」
岡田の思想の根底には、目に見える肉体や社会の背後に霊的な世界があり、そこでの状態が現実世界に現れるという考えがあります。
本人の著述では、現実世界の出来事を霊界の「移写」と説明しています。
これを病気に当てはめれば、身体の症状だけを処置するのではなく、原因となる霊的な状態を清める必要がある、という論理になります。
この考え方から、次の三つの実践がつながっています。
実践 教えの中での意味
浄霊 人間の霊を清め、心身や生活の改善を図る
自然農法 土や自然の力を尊重して食物を育てる
美術・芸術 美に触れることで心を高め、理想社会へ近づく
世界救世教側も、これらを岡田の救世思想に基づく活動と説明しています。
5.浄霊とは何か――病気の理解が大きな特徴
浄霊は、手をかざして神の光を取り次ぎ、相手の霊的な「曇り」を清めるとする宗教的実践です。
岡田は、病気を単に悪いものとするだけでなく、体内の毒素を排出する「浄化作用」として説明しました。
そのため、症状を抑える治療について、浄化を妨げるものだという独特の批判を行っています。
とりわけ重要なのが**「薬毒論」**です。
岡田は薬物療法を強く批判し、薬剤が病気の原因になるとまで述べました。
これは、現在の「薬には副作用もあるので適切に使う」という考えより、はるかに広範な医学批判です。
宗教倫理学の研究でも、岡田思想の重要な検討対象になっています。
ここは、宗教上の教説と医療上の有効性を区別して読むべき部分です。
なお、現在の関連団体の方針を、すべて岡田生前の主張と同一視することもできません。
たとえばMOAインターナショナルは、医療機関・医師との連携や統合医療を掲げています。
6.「夜の世界から昼の世界へ」という歴史観
岡田は、人類の歴史を「夜の世界」から「昼の世界」への転換として説明しました。
本人の著述に即して整理すると、
- 夜の世界は、病苦・飢餓・闘争が続く時代。
- 昼の世界は、健康・豊穣・平和が実現する時代。
- 転換期には、古い文明の崩壊と新しい文明の建設が起こる。
- 自分の教えと救済活動は、その転換に対応する。
という構図です。
したがって、岡田にとって浄霊は、個人の病気を治すためだけの行為ではありません。
人間の心身の救済を、世界全体の文明転換へ結びつけた宗教だったと理解できます。
7.観音信仰から「メシヤ」へ――生前にも教祖観が展開した
初期の団体名が「大日本観音会」であることからも分かるように、初めは観音信仰が強く表に出ています。
一方、1950年には「世界救世〔メシヤ〕教」を開き、教団年譜には同年の「神人合一」、1954年の「メシヤ降誕仮祝典」が記されています。
つまり、岡田を理解するには、「最初から最後まで同じ内容を説いた」と考えるよりも、観音を中心とする救済活動が、次第に世界的な救済者としての自己理解へ展開していったことを見る必要があります。
ただし、「神人合一」「メシヤ降誕」が具体的に何を意味するかは、本人の各時期の発言と、没後の各教団の解釈を照合する必要があります。
ここを一括して説明すると、後世の解釈を生前にさかのぼらせる危険があります。
8.美術への取り組みは、宗教活動の一部だった
岡田は、美術品を集めるだけでなく、人々に公開することを重視しました。
1952年には、自らの存命中に箱根美術館を開いています。
現在のMOA美術館は、没後の1982年に開館したものです。
岡田の思想では、美しいものに接して心を高めることも、人間を救う営みでした。
美術館・庭園・景観の整備は、「地上天国」を目に見える形で示す取り組みとして位置づけられます。
この点は、岡田を病気治しの宗教家としてだけ見ると理解しにくい部分です。
健康、食、美、生活環境を一つの救済構想に組み込んだところに、その活動の広がりがあります。
9.自然農法は、自然観を農業に実践したもの
岡田の自然農法は、土の力や自然の働きを尊重する発想を基礎としています。
自然農法国際研究開発センターも、岡田をその創始者として位置づけています。
ただし、後継団体で実践方法に違いがあります。
たとえば神慈秀明会系の「秀明自然農法」は、農薬や肥料への考え方に加え、自家採種、作物への愛情、大地への感謝を特徴として説明されています。
したがって、「岡田の自然農法」と「現在の各団体が実施する農法」も、分けて確認する必要があります。
10.没後の分裂を理解するうえでの重要点
岡田は1955年に亡くなりましたが、現在も世界救世教や複数の関連団体が、岡田の教えを活動の根拠としています。
世界救世教の公式説明でも、岡田を教祖とし、その教えを神の啓示と信じることが明記されています。
このため、先ほどの岡田茂吉研究所などの独立・分裂を調べる際にも、単に「岡田を信じる側と信じない側に分かれた」とは捉えられません。
調査の焦点になるのは、岡田のどの時期の教えを重く見るか、誰が正しく継承しているとするか、教祖の権威と教団運営の権限をどう結びつけるかです。
生前にも教えや活動の展開があるため、「教祖の本来の教えに戻る」という主張自体について、どの年代の、どの原文を根拠にしているかを確かめることが大切です。
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岡田茂吉研究所のことですね。
確認できる経緯では、世界救世教の組織統合「一元化」を背景に、1973年に一支部が離脱し、「天聖真美会」として独立したという流れです。
したがって、世界救世教側から見れば「分派・分裂」、離脱した側から見れば「独立」と表現できます。
ただし、全体の分裂事情は研究されていますが、岩永氏個人が何に反対し、どのような交渉を経て離脱したかは、公開資料では十分に確認できません。
その区別をつけて説明します。
�@ もともと世界救世教は、各教会の独自性が強かった
世界救世教は、岡田茂吉の弟子たちが、それぞれに信者の集まりを形成し、布教を進めてきた歴史があります。
戦後、一つの教団になってからも、有力な教会が集まった性格が残りました。
信者にとっても、自分を導いた教師や、浄霊を受けてきた教会との結びつきが強かったわけです。
宗教学者の隈元正樹は、この師弟関係が教会ごとのまとまりを強固にしたと分析しています。
�A 本部が、その教会群を一つにまとめようとした
そこで進められたのが「一元化」です。
各教会を中心とした組織から、本部を中心に資源や権限を集約する体制への改革でした。
本部には、組織を統合して教団全体で活動する必要がありました。
一方、有力教会長らには一元化への根強い不信感があり、改革の過程で複数の教会が離脱しました。
組織を統合しようとする動きが、かえって分裂を生むことになったのです。
�B 離脱は一度に起きたわけではない
研究者の岡宏憲による整理では、次のように段階があります。
時期 主な動き
1964年 北海道・四国・九州で地区制を導入
1966年 光映教会が独立。現在の救世真教
1970年 秀明・五光・黎明・青光の4教会が離脱
1972年3月 18教会の教会長らによる一元化反対の公開質問状。うち12教会は復帰し、6教会が離脱
1972年8月 神成教会が離脱。現在の救いの光教団
1972年11月 63教会の一元化が認証される
1973年 西光教会の岩永〈宇品〉支部が離脱。天聖真美会となる
神慈秀明会などが先に離脱し、天聖真美会は一元化認証の翌年に独立した、という順序です。
�C 岡田茂吉研究所の場合、独立したのは「西光教会の一支部」
その中心人物が、岩永佳誉子氏です。
岩永氏は、世界救世教の西光教会に属する岩永支部、別称・宇品支部の支部長でした。
この支部を母体として、1973年に「天聖真美会」が誕生しました。
したがって、西光教会全体が、そのまま岡田茂吉研究所になったという説明は正確ではありません。
確認できるのは、支部を母体とした離脱独立です。
ここから、「本部による統合と、現場の教会・教師を中心とした信仰活動との摩擦の中で生まれた教団」と理解できます。
ただし、これは全体事情に基づく整理であり、岩永氏自身の離脱声明を確認したうえでの説明ではありません。
�D 独立後、名称と代表者が変わった
名称は次のように変わっています。
時期 名称
1973〜2012年 天聖真美会
2013〜2017年 TENSEI SHINBIKAI 岡田茂吉研究所
2018年以降 岡田茂吉研究所
代表者も、
初代・岩永佳誉子氏、
二代・岩永勝典氏、
三代・岩永雄雅氏
という順で継承されています。
この改称は、1973年の離脱とは別の、独立後の変遷です。
肝心の「何が決定的な対立点だったのか」については、今回確認した資料だけでは、財産・献金の扱い、人事、教義解釈のどれが岩永氏の直接の離脱原因だったかまでは断定できません。
また、除名されたのか、自主的に離脱したのかという具体的手続も未確認です。
現段階で根拠を示して言えるのは、
**「世界救世教の一元化をめぐる分派の一つで、西光教会岩永支部を母体に1973年に成立した」**
というところです。
岡宏憲の論文も、同研究所の独立を「教団一元化による混乱」の中に位置づけています。
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岡田茂吉研究所は、世界救世教から独立した「天聖真美会」を前身とする宗教団体です。
名称は「研究所」ですが、文化庁の『宗教年鑑』には、文部科学大臣所轄の単立宗教法人として掲載されています。
「単立」とは、他の包括宗教団体に属していないという意味です。
成り立ち
國學院大學の宗教事典によると、次の経緯があります。
年 出来事
1958年(昭和33年) 岩永佳誉子が世界救世教に入信。夫とともに広島の宇品支部の運営に携わる
1973年(昭和48年) 世界救世教の組織中央集権化「一元化」をめぐる内部対立を背景に、「天聖真美会」として独立
1974年(昭和49年) 宗教法人となる
1988年(昭和63年) 広島の本部所在地に神殿が完成
同会は、「岡田茂吉の教えに帰る」ことを掲げ、岡田茂吉を教祖として仰ぐ団体と説明されています。
つまり、教団を設立した人物は岩永佳誉子ですが、信仰上の教祖は岡田茂吉という関係です。
その後、
「TENSEISHINBIKAI岡田茂吉研究所」を経て、
2018年9月6日に法人名称が現在の「岡田茂吉研究所」に変更されています。
何を信仰・実践しているのか
特徴として確実に確認できるのは、手かざしによる「浄霊」への信仰です。
國學院大學の事典は、岡田茂吉が行った浄霊の奇跡的な力を重視する教団と説明しています。
これは教団の宗教的主張についての記述です。
民間の教団紹介では、活動の柱として次の三つが挙げられています。
- 浄霊――手かざしによる霊的な浄化。
- 自然農法――農薬や肥料に頼らない農業の実践。
- 美の活動――美術や芸術を通じた人格・生活の向上。
「地上天国」の実現を目指すとされています。
ただし、今回、公式サイトの本文を取得できなかったため、現在の詳しい教義や実践規則については、公式資料での確認が残ります。
代表者・所在地
文化庁『宗教年鑑 令和7年版』129ページでは、次のように掲載されています。
これは同年鑑の記載であり、2026年現在の登記を直接確認したものではありません。
項目 記載内容
名称 岡田茂吉研究所
代表役員 岩永雄雅
所在地 広島県廿日市市永原字舛垣内山116
電話 0829-74-1111
法人番号 9240005006927
滋賀県草津市にも「MOランド」という活動拠点があり、
山口県が公開している視察報告書でも、南山田町1523−4の施設が確認できます。
規模や評判について
國學院大學の事典には公称信者数「約3万7千人」とありますが、古い時点の記述であり、現在の人数としては使えません。
現在の実働会員数、会費・献金の仕組み、入会時の費用については、今回確認した確かな資料では把握できませんでした。
ネット上には批判的な匿名投稿もありますが、それだけで教団全体の実態を断定することはできません。
まず確実にいえるのは、岡田茂吉の教えと浄霊を継承する、世界救世教系の独立教団であるということです。
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ホーム更新情報大祭報告メシヤ教に繋がり、浄化により本来の御神業に目覚める
メシヤ教に繋がり、浄化により本来の御神業に目覚める
2015-06-15 最終更新日時 :2015-06-15 naturallife4325
武田まゆみ
メシヤ教にご縁をいただいて2年余…以前の教団とは考えられないほど…毎日穏やかで幸せな日々を送らせていただき、感謝にたえません。
すばらしい人たちに出会い、支えていただき本当にありがとうございます。
私は以前、天聖真美会に所属しておりました。
長女がダウン症で生まれ、一歳の時、生まれつきの心臓の手術をしなくてはいけなくなったとき…教団からは病院に頼るようにとの指示のみ。
疑問を感じながらも、私の罪が深いから、徳積が足りないから仕方が無いと思うしかなく…手術は成功しましたので、その後も…
何か違うと矛盾を感じながらも、
日曜日も…家族団欒などなく、子供をほったらかして毎月の本部参拝、浄霊実践、
入信者、献金、…資格者会では、入信者と献金の目標を立てさせられ、結果をもって、審査されました。
思い起こせば、常に追い立てられるように、させられていた…幸せを感じた事がなかったように思います。
ですが、今思えば、信仰しているようなフリをして、自分が救われたいがための、活動であったと思います。
そんな時…教団指導者の醜行を知り、信じがたい事実に驚愕しました。
それは指導者としてどころか、ひとりの人間としても常識の枠を大きく超えた事実でした。
目が覚め、初めて冷静になり、考える事ができました。
指導者はひとを救う気持ちがあるのだろうか…
借金をしてまでの誠の献金は、善に使われたのだろうか…
人を幸せに導いてあげるどころか、メシヤ様の御教えから、かけ離れたものではないだろうか…
神の御経綸という名ばかりのそれは教団を運営するための、指導者が作り上げたシナリオの上に洗脳させられていたのではないだろうか…
と思えてきました。
メシヤ様のお直筆でない、ただの印刷物のような御神体様を見つめ、魂が抜けたように、悲しく、と同時に憑き物が落ちたように解放された感もありました。
ペンダントのお光様もすぐにお返ししました。
もし…このことを聞かされずにいたら、今も、天聖真美会で信仰していたら、今頃はどうなっていたのか思うと鳥肌が立つ思いです。
その頃の私は、ただ一点、純粋にメシヤ降誕本祝典はこの教団が許されて、行うものと信じ、その後に訪れる地上天国に生き残れる資格ができるものと疑いもせず信仰を続けていました。
しかし…それは間違いであって、本祝典として行ったにもかかわらず、メシヤ様と尊称しておらず、天聖真美会が独自で行ったに過ぎなかったのだと気づきました。
真美会には…救われる為の、すべてのみ教えがありません。
ご浄霊で救われていますか?
自然農法の食生活ができていますか?
いまだ、真美会で信仰を続けられている方がこれを読まれ気づいてくださればと…祈る思いです。
それから3年の月日が経ち…私は病気になり…医者から手術しないと治らないと言われました。
仕方が無いかと思いながらも…浄霊を求めている自分、3年前にお借りしたメシヤ教の御神書に…必ず治ると書かれてあった…高井さんに連絡しましたら、すぐに大阪支部に連れて行っていただきました。
本当にありがとうございました。
手術寸前に…メシヤ教につながることができ、救っていただきました。
もし…この浄化がなかったとしたら…メシヤ様とつながることができなかった…そう思うと、ゾッとしますし、浄化に感謝します。
救いの手を差し伸べていただき、メシヤ教へとおつなぎいただけたこと、心よりメシヤ様に感謝申し上げます。
メシヤ教にご縁頂き2年余、いただいたご守護の報告をさせていただきます。
私の病気と言うのは
ある日突然、右目が異常に出ていることに気づき、すごい眼圧で、顔面神経痛かと思い、ビックリし、すぐMRIを撮ると目の奥のあたりにパンパンに蓄膿の膿がたまり、それが原因で私の目を前に押し出していたのです
医者からは…膿は、手術して穴をあけないと絶対に出ません。
脳の近くギリギリのところまで膿が来ているので、可及的速やかに手術をしないと危険であるとまで言われました
支部にて毎日浄霊をいただき… 2週間が経つ頃には…頭がすっきりし、気持ちも軽くなり、自分の体の軽さに、驚きました…それは大人になってから…今まで1度も味わったことのない体の軽さ、気がつくと盛り上がった肩が引っ込み、延髄が柔らかくなっていました。
実はその頃私は…延髄も肩も凝り固まり肩甲骨が痛く、腰も重く、足も痛く、階段上がるのも足が重い状態でほとんど毎日接骨院でマッサージをしてもらっていた位でした、
特に頭が重く、常にぼーっとしている感じでしたが、浄霊であまりにも短期間にスッキリしていただいて、吃驚!木原さんには毎日1時間以上も浄霊をして頂いたおかげです。また衣食住の転換や医学界のことに至るまで…教えていただいて大変ありがたかったです。
浄霊をいただき、毎日、多い日には洗面器いっぱいの量、大量の痰を出していただき、(仕事中… 痰がどんどんでてくるので、5分と机に座っておれないくらい、トイレに駆け込んでおりました)歯茎もパンパンに腫れあがったり、浄化いただきながら相当の毒素を出してもらったんだと思います、2ヶ月後には体重が6キロも痩せていました
その後、地上天国祭に参拝させていただいた日に…祖霊様が、必死になって、訴えてきたのです
大阪支部メシヤ講座、26年4月の質問の部にて発表させていただいた内容のとおりですが
6月15日の参拝後…甥っ子から突然電話があり1時間もしゃべり続けてきた内容が…甥っ子が一生懸命、掃除をしているのに母親がゴミを捨ててくれない、おばあちゃんに対して優しくないという内容でした。
後日、聞いたところ… 1時間もしゃべった内容を甥っ子自身が覚えていないと言うのです、そして自分が異常におかしくなっていたと。
今のままでは、武田家は自殺しているのと同じ…掃除をしないといけない、武田家を昼の世界に変えて、魂を清め、心のお掃除をし、家族仲良くして1つにまとまらなければいけないと私に解らせるために… 6月15日を選んで…
そのように受け取らせて頂き…
1番大事な事はまず仏壇をととのえさせていただくこと…
1年の月日が経ってしまいましたが…できなかった掃除を必死で行い
5月12日、厳かに遷霊式を無事終え、
来ていただいた皆さんが帰られた直後のことです
あれ、目からと思ったら急に目やにが出だしました。
それから今まで出なかった鼻が、次から次と、噛んでも噛んでも出ました。
1日にティッシュ1箱で足りないほど出続け、それが2ヶ月は続きました。
出ていた目が引っ込んだのがわかりました。
周りの同僚や、何人かに引っ込んだねと言われました。
自分自身…目は引っ込むのだろうかとずっと不安に思っていましたので、ただただ感動と感謝で、これまで仏壇に手を合わせたことのなかったこと、申し訳ない思いでお詫びいたしました。
先祖供養の大切さ、本来の供養のあり方を、教えていただいたメシヤ教は本当に間違いないと思いました。
その後ご神体の申し込みをし、母(83歳)が浄霊力伝授許されると…大変うれしい奇跡が起こりました。
次男の運動会を見に来てくれたのです。
実は私が幼少の頃から病弱だった母が、孫が6人おりますが、今まで1度も学校行事に参加したことがなかったのです。
普通だったら当たり前のことなのですが…私が幼少の頃から母が病弱だった為、母から何もしてもらえずに育ったので、大きなわだかまりが心にずっと残っていたのです。
私の気持ちが、変わって、わだかまりも消え、母に対して優しく接することが出来るようになり、甘えることもできるようになったからだと思います。
初めて感じる母親の愛、家族になれたようで、信じられない位感謝でいっぱいです。
また、母と妹も一緒に我が家に初めて泊まりに来たんですが…なんと慰霊祭の日だったのです。
この日、妹も、浄霊力伝授いただきました。
ご神体ご奉斎後は…毎日の参拝中、次男がご浄霊の手を挙げますと、すぐ、次男のお腹がぐるぐると大きな音で鳴り出し、トイレに何回も行きます。
実は次男は知的障害、自閉症の子なのですが、意味もわからずでも、メシヤ様のご浄霊と唱えるだけで… 浄霊力の凄さに驚くばかりです。
この子を授けてくださったことにも、ただただ感謝です。
今、私の念願であった家庭天国に少しずつ、前進、導いていただいていますが…
甥っ子から、おばちゃんとは縁を切りたいと言われた事がありました。
日々忙しく、生活に追われる毎日の中、つい自分の我が出てしまい、自分優先にしてしまい、相手のことを考えて行動できていない時は、問題が起きてきたりします。
そんな時…人のせいにせず、自分の何がいけなかったのだろうかと自分に問える様になり、自分の癖にも気づきました。
今までの自分が本当に恥ずかしく、穴があったら入りたいです。
実は…甥っ子から相談の電話が来た時に、また同じ事言っている…疲れてる時に、聞きたくないと、適当に流していました。
そんな思いやりのない自分に気づき、反省し、申し訳なかったとメシヤ様と先祖様にも心からお詫びをしました。
すると、まさしく、ご守護の報告を書いている最中に…甥っ子から…突然お墓参りに二世帯、全員で行こうと連絡が入り、又、家を出て帰ってこなかった息子を心配して連絡をとっていてくれてたことを知り、ありがたかったです。
またその息子も、1年ぶりに、家に戻ってきまして、二重の喜びです。
毎朝、自然食のお弁当を持たせ、行ってきます!と出勤する、我が子を見送る幸せを感じます。
そして、二世帯全員でお墓参りに行ったその日に、合わしたように…
代表先生から本部にてご守護の報告の発表するようにとのお言葉をいただき、驚きと同時に、ありがたかったです。
何もできていない自分が申し訳なく、メシヤ教に入会してからは、本当に人を救いたいと言う気持ちが心から湧いてきました。
性格までをかえていただき大きな人生の転換を…導いていただいています。
今までの自分の生き方…本当に恥ずかしく、半分、人生を捨てたように、自暴自棄に生きていた私を、ずっとお見守り戴いていたことを思うと、言葉では言い表せないほどの感謝です。
何十年かかって、やっと… メシヤ教にたどり着くことができました。
今、ご守護の報告をさせて頂き… 1から出直す気持ちで
至らぬ私ですが…メシヤ様のお役に立てます様
人の為に何かをさせていただけます様
人から信用され、見本になれるような自分に変われます様、日々努力して参りたいと思います。
ここまで導いていただいたメシヤ様、代表先生、皆様方、ありがとうございます。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。
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20年ほど前に天聖真美会へ入信?
していました。
周りにいろんな宗教に入信された方がいて、いろいろと家族間の問題等を聞いていたので、良い印象が無かったのですが、当時の会社の上司に誘われて仮入信をしたような感じです。
その支部長はとても人柄がよく、会費も払わなくていいという感じだったので、当時で1000円ほどだったと思いますが、支払い数か月入っていました。
変だったら抜けるという事を最初に伝えて、広島の平和会館に行った記憶があり、滋賀県にも行って・・(たしか出来立てで記憶があいまいですが)お金がかかっている建物で大丈夫か?とまず考えたことがすごく印象に残っています。
他の支部の方との交流も盛んでした。
地区の支部があり、県のまとめ支部があり、その上がある。
といった会社のシステムと同じだったと記憶していますが、県の支部長がおっしゃったことが、建物の維持等でお布施をしっかり回収して、たくさんの人を入信させてほしいとのこと。
その時点から、お金か・・・と思い残念な気持ちになりました。
宗教は結局信仰する本人次第とおもっており、強制は他人に迷惑を掛ける事という信念が自分は強かったので、すぐ脱退しました。
その支部長が良い方だったので、辞めた後も何も言われなかったのかなと。
それでご質問ですが、首からかけるビニールの袋に入ったお札?が大掃除をしていて出てきました。本も数冊でてきたので、本は処分したのですが、お札は返納する場所とかがあるのでしょうか。ゴミに出そうか悩んだのですが、確か祈りが入った札とお聞きしたことがあり、そこいらのお寺、神社に返納することが出来ず困っています。ネットでもともとの宗派を調べたりもしたのですが、今一わからず。
当然、岡田茂吉研究所関連の施設には近づきたくありません。
お知恵を頂ければと思います。長文失礼致しました。
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なかなか岡田茂吉研究所辞めさせもらえません。どうすれば良いですか
補足
辞めると言えば家まで来られて説得されて辞めさせてもらえないので困っています。
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2025/8/18 22:34
岡田茂吉研究所について質問です。
4月から新しい仕事になり、そこで知り合った方からその話をされ、先日なかば強制的に入会という形になってしまいました。
私は以前、うつ病に悩まされていた時期があり、最近ようやく回復してきて、今は主治医の判断のもと少しずつ薬を減らしていってもらっている経緯があります。
入会をはっきりと断れなかった私にも落ち度があるのですが、支部の事務所(?)に連れていかれて「薬は良くない。あなたのことが心配だから…」と入会を勧められました。
今はお金の持ち合わせもないので…と伝えると「建て替えておくからいい」と言われ、あっという間に支払いが終わり、本を渡され浄霊され、これで入会できたから…と言われました。
後日やっぱりちゃんとお断りしようと思い、その旨伝えましたが、全てプラスに捉えられ結局「あなたには必要な事だから、まずは浄霊だけでもいいから続けてみて」となり退会する事が出来ませんでした。
同じ職場の人ということもあり、関係を悪くしたくないし、今の仕事も辞めたくないので、退会させてほしいという思いをどう伝えればいいのか悩んでいます。
どなたかアドバイスお願いします
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岡田茂吉研究所について。
岡田茂吉研究所についてご相談です。
私は接客業をしているのですが、 お客様に誘われ、岡田茂吉研究所というところに行きました。
御浄霊を受けてみたらいいといわれ、
不妊に悩んでおり、不妊がよくなればと思い、受けさせてもらいました。
子供の頃から色々と不思議な体験をしており、こういうことに抵抗がないため、
いいなとおもったら入会してみようとも思っていました。
しかし、受けてみても、少し体があつくなったのみで、特になにも感じず、
御浄霊にたいしてのお話も?なとこがあり、納得いくものではありませんでした。
なので、入会を進められたときに、仮入会にも1万円がかかるので、即決はできませんと、お断りをしました。
しかし、会員のかたに
『でば、いろいろ学んでから納得して入れば』
という提案をうけたので、
それならばと思い、ではそうしますと言いました。
すると紹介した方が10000円を払われ、勝手に立て替えた形をとられ仮入会を無理矢理させられた形になりました。
お金は分割でもいいからと言われたのですが、自分の意志とは反しており、どのように対応すればいいのかわかりません。
お客様が立て替えられた手前、お支払しないわけにもいかないような気もしますが、納得してる訳ではないので、できればお支払したくありません。
このよなうな場合もう、痛い勉強だったとひてお金を払うしかないのでしょうか?
それか、お客様に納得いっていないことを伝え、納得したらお金を払うということを言ってもいいのでしょうか?
一応、本を頂いたので、それを読み、納得したら入会もまだ選択にはあります。(この無理矢理なところが、怖いとも感じていますが...)
その場ではどうしていいかわからず、立て替えられたならお支払すると、お客様には伝えてしまいました、、、。
是非皆様のアドバイスをよろしくお願いいたします。
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2020/5/22 6:47
先日母が亡くなり、精神的に弱っているときに知り合いの方にセンターまで連れて行かれ、そのまま岡田茂吉研究所に入会させられました。
今、センターに時々行き参拝をし、その後教習という授業のようなものを受けさせられています。
はっきり言うと仕事終わりで面倒ですし、
入会に一万円、
本も1冊千円、
月の会費千円、
ペンダントに三万、
センターに行くたびに御玉串料、
無駄な出費としか思えません。
私は知り合いの入信してる方に入会金を立て替えてもらって入会したので、返金していずれは退会しようと思っています。
入会してよく
▼「6冊の本を拝読し、6月の祭典でペンダントを頂いてパートナーになると魂のレベルが上がる、幸せになっていく」
と言われています。
こんな簡単なことで幸せになれるのでしょうか?
ペンダントをもらいパートナーになったら退会しづらかったりしますか?
ペンダントをもらったら自分も「御浄霊」出来るらしいのですが、効果はありますか?
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2021/5/14 17:37
岡田茂吉研究所についてです。
私は半年前に無理やり入会させられました。
まだお光は貰っておりません。私は18歳(今年19)です。
支部の方に何故か私に期待してます。
お光(ペンダント)は首から下げて胸元につけるような形です。
正直言うと胸元が開いてる服などが好きなので好きな服が着れないです。
教習(勉強)もあまり理解が出来ずにいます。難しいことばかり、、頭が痛くなるくらい、、
正直疲れました。退会したいです。どうしたらよろしいでしょうか?
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岡田茂吉研究所は他とどう違うのか?
それは何に依って証明できるのか?