皆様、おはようございます。

まずは、この大聖人様の御文を御覧下さい。

四条金吾許御文 弘安三年一二月一六日 五九歳 1523

 八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)をば世間の智者・愚者、大体は阿弥陀仏の化身(けしん)と申し候ぞ。
(中略)
其れ実には釈迦仏にておはしまし候ぞ。
其の故は大隅の国に石体の銘と申す事あり。
一つの石われて二つになる。
一つの石には八幡と申す二字あり。
一つの石の銘には「昔霊鷲山(りょうじゅせん)に於て妙法華経を説き、今は正宮の中に在って大菩薩と示現す」云云。
是釈迦仏と申す第一の証文なり。

此よりもことにまさしき事候。
此の八幡大菩薩は日本国・人王第十四代仲哀(ちゅうあい)天皇は父なり。
第十五代神功(じんぐう)皇后は母なり。
第十六代応神(おうじん)天皇は今の八幡大菩薩是なり。

父の仲哀天皇は天照太神の仰せにて、新羅国(しらぎこく)を責めんが為に渡り給ひしが、新羅の大王に調伏せられ給ひて、仲哀天皇ははかた(博多)にて崩御(ほうぎょ)ありしかば、きさきの神功皇后は此の太子を御懐妊ありながらわたらせ給ひしが、王の敵をうたんとて数万騎のせい(勢)をあい(相)具して新羅国へ渡り給ひしに、浪の上・船の内にて王子御誕生の気い(出)でき(来)見え給ふ。
其の時神功皇后ははらの内の王子にかたり給ふ。

汝は王子か女子か。
王子ならばたしかに聞き給へ。
我は君の父仲哀天皇の敵を打たんが為に新羅国へ渡るなり。
我が身は女の身なれば汝を大将とたのむべし。
君、日本国の主となり給ふべきならば、今度生まれ給はずして軍の間、腹の内にて数万騎の大将となりて、父の敵を打たせ給へ。
是を用ゐ給はずして、只今生まれ給ふほどならば、海へ入れ奉らんずるなり。
我を恨みに思ひ給ふな

と有りければ、王子、本の如く胎内にをさまり給ひけり。

其の時石のをび(帯)を以て胎をひやし、新羅国へ渡り給ひて新羅国を打ちしたがへて、還って豊前(ぶぜん)の国うさ(宇佐)の宮につき給ひ、こゝにて王子誕生あり。

懐胎の後、三年六月三日と申す甲寅(きのえとら)の年四月八日に生まれさせ給ふ。
是を応神天皇と号し奉る。
御年八十と申す壬申(みずのえさる)の年二月十五日にかくれさせ給ふ。
男山の主、我が朝の守護神、正体めづらしからずして霊験新たにおはします。
今の八幡大菩薩是なり。

 又釈迦如来は住劫第九の減、人寿百歳の時、浄飯王(じょうぼんのう)を父とし摩耶夫人(まやぶにん)を母として、中天竺(ちゅうてんじく)伽毘羅衛国(かびらえこく)らんびに(蘭毘尼)園と申す処にて甲寅の年四月八日に生まれさせ給ひぬ。
八十年を経て、東天竺倶尸那城(くしなじょう)跋提河(ばつだいが)の辺にて、二月十五日壬申(みずのえさる)にかくれさせ給ひぬ。

今の八幡大菩薩も又是くの如し。
月氏と日本と父母はかわれども、四月八日と甲寅と二月十五日と壬申とはかわる事なし。

仏滅度の後二千二百三十余年が間、月氏・漢土・日本・一閻浮提(いちえんぶだい)の内に聖人(しょうにん)賢人と生まるゝ人をば、皆釈迦如来の化身とこそ申せども、かゝる不思議は未だ見聞せず。

 かゝる不思議の候上、八幡大菩薩の御誓ひは月氏にては法華経を説いて正直捨方便(しょうじきしゃほうべん)となのらせ給ひ、日本国にしては正直の頂にやどらんと誓ひ給ふ。
而るに去ぬる十一月十四日の子(ね)の時に、御宝殿をやいて天にのぼらせ給ひぬる故をかんがへ候に、此の神は正直の人の頂にやどらんと誓へるに、正直の人の頂の候はねば居処なき故に、栖(すみか)なくして天にのぼり給ひけるなり。


↑この御文から拝せることは

応神天皇は釈尊の応誕であり、崩御された後に八幡大菩薩と示現されている。

つまり、

釈尊→応神天皇→八幡大菩薩

ということですね。

その応神天皇陵が、どこにあるか?

何と!大阪、羽曳野市なんです!

大御本尊様にも認められている、八幡大菩薩の前身である応神天皇陵が羽曳野にある!


しかもこの御文から拝せることは、

八幡大菩薩は「正直の者の頂に宿る」と言うことです。

この「正直」とは、世間で言うところの「正直」とは、ちょっと意味が違いまして、末法今時でいえば御本仏日蓮大聖人様の御教えに対して「正直」ということであります。
日蓮大聖人の教えに「正しく真っ直ぐに」ということであり、
「正直」の「正」とは、「一」と「止」からなり、

■ 凡そ正とは一の止まる所なり。故に一止に从(したが)うなり。
一は謂く、本門の本尊なり。
これ則(すなわ)ち閻浮第一の本尊なるが故なり。(日寛上人 立正安国論愚記)


と仰せのように、本門戒壇の大御本尊様に対して、真っ直ぐな信仰をしている者をこそ、「正直」というのであります。

更には、その本門戒壇の大御本尊の御内証をもったいなくも御相伝・伝持あそばされる、大聖人様以来の血脈正統の御法主上人に信順してこそ、この「正直」という真の意義に当てはまるのです。

その「正直」の志篤き同志が、羽曳野に現れ、邪教・創価撲滅!に立ち上がったのであります!

これは偶然の一致でもなんでもない!
成るべくして成った、必然の流れではないでしょうか!

いや、更に深く拝考すれば、これはまさに、大聖人様の御意志の現れではないでしょうか!

この深い意義を、どうか全国の心ある皆様、深くご理解いただきまして、邪教・創価撲滅!への熱いご支援をどうか、よろしくお願いします!