沖浦君が拝んでいる御本尊を書写された、その日達上人御自身が仰せられた明確なお言葉あります。

■日達上人
「戒壇の根本の御本尊を離れた時には、既にその御本尊は生命もなく人を救うところの力もないのであります。」

「戒壇の大御本尊様を忘れてしまったならばいかに信心してもたとえ何々上人の御本尊であると言って拝んでみても大聖人様の血脈は通じてこない。」

これまさに、沖浦君が拝んでいる日達上人御書写の御本尊のことであります。
ですから、現時に於いては沖浦君が拝んでいる御本尊には

■「生命もなく人を救うところの力もないのであります。」

であるならば、沖浦さんが感じる功徳らしい現証はまさに魔の通力ということですね。
しかも、

■「人を救う力もない」

のですから、もし沖浦さんが人間に属するのであれば、救われない=地獄行き。という原理であります。