ニセ坊主破折体験記 
  
 九州地方の創価学会を脱会した家庭に ニセ坊主 ○田○勤 が来訪!
  
  最後は ”口が鼻のごとく” なり 反論不能に!


先日私の家に、 ○田○勤(元、岐阜・○○寺在勤で今は大○寺に棲み付いている)という、平成4年6月1日に日蓮正宗から脱落したニセ僧侶が来ました。
初めに、体験談、私が創価学会が教義的にいかに矛盾に溢れているか、また嘘の根拠等をとうとうと述べ、しばらくお互いうなずきながら話が進んでいきました。

それから話は血脈または相承の方へ行き、そうしましたらそのニセ僧侶が奮起(笑)してきました。
その脱落僧が、
▼「過去に歴代の猊下への相承が行われた日が文献で明確に明かされている。
日達猊下から日顕法主への、相承はなかった。
血脈が切れたニセ法主だ!君は勉強不足だ!」
と喚き出しました。
この時内心、
●「ああ〜頭破七分者 現る・・・」
と、最初の温和さとは似ても似つかぬ豹変振りに呆れました。

実はこの件はある程度詳細は知っていたのですが、頭破七分となったニセ僧侶の頑迷な頭には理解できないと思い、
●「それではあなたは日興上人にいつ儀式が行われたのか知ってるか?
また、日道上人にいつ相承が行われたのか知っているのか?それを証明してから言って下さい!
日達上人や日顕上人の現時の時代の話ではなく元の時代背景から根拠証拠を提示せよ!」
そうしましたら、そのニセ僧侶は
▼「そんなのはあなたの屁理屈だ!」
と更に大声で喚く。
もう内心笑(わら)けて来ましたが、
●「そしたらあなたは相承がなかったと言う証拠をお持ちですか?」
と質問をすると、そのニセ僧侶は
▼「君こそ相承があると言うなら証拠を出しなさい。一般の裁判に出した際もそちらが不利な案件ですよと。」
また頭破七分の言動です。
司法関係者でもない貴方が、しかもただ頭の毛を剃った中年のただの人に、なんでそんな論証判断ができるのか。
しかもこのニセ僧侶が実際に裁判したわけでもないのに、そう言える根拠があるのか?
そんなに”おかしい!”と言うなら裁判で正式に訴えればいいのに。
出来ないくせに吠えてるただの頭破七分とはまさにこれですね(笑)

恐らくこのニセ僧侶は、「儀式」と「内付」と言う考え方の根幹が欠落している。
ほんとに元僧侶?
だとしたら相当理解力がない残念な人だったから宗門から脱落したんでしょう。
700有余年68代の御法主上人には、様々な御相承の姿・形が存在したと言う事実をまったく知らないただの”うつけもの”です。
教学がそんなにない私でも分かる単純明快な話ですが、このニセ僧侶にはそれが分からない。
まさに頭破七分ですね(笑)

恐らくこのニセ脱落僧は、日達上人のお通夜の後にある塔中坊で、「日達上人は次の方をお選びにならずに御遷化された」とか噂する者がいた、とかの各種の破折し尽くされている、根拠がない情報などなどをそのまま鵜呑みにしたのでしょう。
哀れとはこの事です。

「法主詐称」と言われる件についても、例えば、日顕上人様が奥番に対しての”鶴の紋の入った袈裟衣はないか”との発言されたとかいう、根拠がない情報に対しても、そもそもが公にしないというのが前提である”御内付”が行われた時点で、わざわざ人にそれと分かってしまうような法衣を作成するというのか?
内密にしなければならない内容を、わざわざ公然となってしまうようなことをする道理がないではないですか。
こんな中学生が聞いても噴き出すような簡単な理屈すら理解できなくなってしまっているんですね。

「御内付」と言うことに関しても、そもそも唯授一人、つまり御一人から御一人にしか伝えられない血脈相承の御大事を、血脈相承を受ける立場でもない一般僧侶の、その上、宗門の修行に耐えられなくなって脱落して行ったニセ僧侶が、一体何を知っていて、何を語れるというのか?
こちらから
●「相承がなかった、という根拠を出せ!」と言っても結局
▼「文献がある!」の一点張りで、まさかその文献とはとっくの昔に破折され尽くされた、子供でも分かる様な根拠のない怪情報の”文献”ではあるまい?(笑)

教学が大してない私でも笑いが吹き出る様な話は止めて頂きたいものです。
貴重な時間の無駄とはこの事ですね。

そもそも、大聖人様と日興上人様が以下のようにようにはっきりと唯授一人・血脈相承に関して仰せです。
■「信心の血脈なくんば法華経を持たもつとも無益なり。」  
■「日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり(七箇相承)」 
■「此の僧によませまひらせて聴聞あるべし、此の僧を解悟の智識と憑み給いてつねに法門御たづね候べし(新池御書)」

この中の
■「代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」について、一部の狂った頭破七分者が、
▼「前を読めば諸天も日蓮 と言ってるではないか!切り文だ!」と言ってる アホ がいるが、
古文の読み方と意味を勘違いして解釈してるようで、もし、その読み方が正しいとするならば、結局は”一切衆生が全て「日蓮」なり”ということになってしまい、ならば既にみんな御本仏日蓮ならば、みんな自分が本尊なのだから、別に本尊を拝む必要もなくなる。・・・という実に馬鹿げた解釈にですね。
この御文で、一体誰が、破門された人達まで”日蓮なり”などと言ってるのでしょうか?
ほんと噴き出してしまいますよ。
頭破七分と話していると時間の無駄ですね。

このニセ僧侶には、
●「法論をしましょう!」と要請したが、
▼「相承の証拠を開示せよ!それが先だ!」の一点張りで、結局逃げてるに過ぎなかったですね。

さあ、 ○田○勤 君 
貴殿は相当「狂学」失礼、「教学」に自信がおありの様ですが、後から言った言わないになるので、映像を交えて正々堂々と法論をしましょう!

それとも、映像撮って、大負けして大恥かいたら、創価学会幹部からこっぴどく叱られるから、臆病風吹かせてできないですか?
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