第41回 全国教師講習会の砌
  ●平成四年八月二十八日
  ●於 総本山大講堂

   御法主日顕上人猊下御講義

(目次 行替え 罫線 等 編者 樋田)

編集室から
血脈について
金紙・金口の相承
稚児貫首
御相承預かり
池田大作の血脈観ついて
学会内部資料 宗門史に関する質問書
牧口常三郎氏について
戸田二代会長について
池田大作の邪義
宗門や僧侶、寺院に対する創価学会の誤った考え方
「宇宙」という語について

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 昨年同様、本年も全国教師講習会における御法主日顕上人猊下の御講義を本誌に掲載させていただくことにいたしました。
従来、全国教師講習会における御講義は、教師僧侶を対象にするものであるという性格上、本宗の機関誌であると同時に布教誌でもある本誌に掲載することはあまりありませんでした。

 しかしながら、昨今、大謗法団体と化した創価学会は、その機関紙誌や怪文書、あるいは謗法の報道新聞等まで駆使して、御法主上人、宗門、僧侶を中傷誹謗し、あまつさえ当宗の根幹である大聖人以来の唯授一人血脈相承をも否定せんとする邪義を喧伝しております。

 これに対し、宗門としても時局協議会等から文書が出され、それらの邪義を破折しておりますが、御法主上人におかれましては、唯授一人血脈相承をお承けあそばされるお立場から、本宗の僧俗のため、今般の全国教師講習会において、御相承の内容にまで触れられて御指南あそばされました。

 宗内僧俗各位、読者諸賢におかれましては、信心をもって当御指南を熟読され、本宗の深義を再確認し、御法主上人のもとに一結して、謗法の徒輩に対する折状逆化と、正法広宣流布の願業に何かって勇猛精進されることをお祈りいたします。
                             (編集室)

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日顕上人 御指南

 今年の教師講習会に当たりまして、何を講義したらよいかということを考えたときに、三年前に「十不二門」についてその半分ほどを講義いたしまして、残りは翌年に講義するということになっておりましたけれども、その後、毎年毎年、狂った邪義を立てる者が色々と出てきたために、それらに関することが主になって、そのままになってしまっておるということもあるのですが、今年は、昨年の十一月二十八日に創価学会を破門し、また、つい先だって、池田大作を信徒除名処分に付したわけですから、やはり宗門の僧侶一人ひとりの肚に、過去・現在・未来を通じての創価学会問題、また、それに対しての心構えというようなことが大きく存することと思いますので、本年はそういった内容に関連したことについてお話しをしたほうがよいのではないかと考えたのです。

 明日は、永栄義親房が、やはり創価学会の歴史その他に関して色々研究をし、皆さんにお話しをされるそうですから、あるいは色々と重複するところも出てくるかも知れませんが、しかし、見方や考え方も色々とありますので、私は私なりに今日の我々が考えなければならない問題を一分ずつ取り上げて考えてみたいと思う次第であります。

 まず第一に、先程の御挨拶のなかにも「血脈」という言葉が多く出ましたが、その血脈ということに関して、もちろん、お話しできるところまででありますが、これについて申し上げたいと思います。
特に、誰が作ったのかは知りませんが、宗門の過去の歴史について、また、御歴代の在り方に関して、血脈がどうなっているのかというような考えで、以前、ひそかに創価学会が質問を用意して作成したと思われる文書のうち、質問だけの部分を刷ったものが皆さん方の手もとに一枚ずつあると思いますが、こういった内容も含めてお話し申し上げて、皆さん方に正しい理解を把つかんでいただきたいと思っております。

 さて、最近、自称正信会のある狂った者が変な本を書いて、皆さんの所にも送られてきているのではないかと思いますが、下らないと思いつつもパラパラと見てみましたら、やはり、これがまた途方もなく馬鹿なことを書いているのです。
内容は、日興上人から日目上人への『日興跡条条事』の、

  「日本国乃至一閻浮提の内山寺等に於いて、半分は日目嫡子分として管領せしむべし、
  残るところの半分は自余の大衆等之れを領掌すべし」(日蓮正宗聖典五一九�n)

という御文を取り上げて、色々と書いておりますが、結局、血脈は日目上人のところまでで終わって、あとは一般大衆に流れておるのだというのです。
したがって、それからあとは特別な血脈は全くないと主張するのです。
実に馬鹿馬鹿しくて、話にも何もならないのです。

 当時の状況から考えても、御歴代御先師の色々な御指南、また史実からいっても、そのようなことは絶対にありえません。
日目上人で血脈がなくなったというならば、その後において血脈の問題を論ずることはないはずです。
ところが、その後の歴史において、当然、この血脈ということは当宗の根幹とされておりますし、むしろ史実に常に述べられるところにおいて、かえって血脈の大事な所以が顕れておるのです。

 信心ということから離れた見方をする者は、史実のなかで伝わった内容の一部について、それがどうしてもおかしいと考えてしまうようでありますが、そのような在り方自体が、むしろ血脈が厳然と存し、また、伝えなければならないから、そのような形が現れておるということがはっきりといえるのであります。

 とにかく、このような狂った者の言っていることは話にならないことはもちろんでありますが、血脈ということについて、自分の信心の至らないことを忘れて、色々な面で馬鹿げたことを考える者がおるということです。

 さて、『弁惑観心抄』は富士学林研究科の時にも拝読しておりますが、そのあとの第六章に「当家相承を論ず」という所があります。
これは、『百六箇抄』と『本因妙抄』の二つが師資相伝・唯授一人の血脈であるとする、要法寺側の主張に対する日応上人の破折でありますが、ここに、

  「何となれば唯授一人嫡々血脈相承にも別付惣付の二箇あり其別付とは則ち法体相承
  にして惣付とは法門相承なり、而して法体別付を受け玉ひたる師を真の唯授一人正嫡
  血脈附法の大導師と云ふべし。又法門惣付は宗祖開山の弟子旦那たりし者一人として
  之これを受けざるはなし」(弁惑観心抄二一一�n)

と示されております。

 そして、その法門を受けた者のなかにおいて、別付の法体を信解できない者は我見に堕ちておるということをこの次に仰せであります。

  「遂には所信の法体に迷惑して己義を捏造し宗祖開山の正義に違背す、例せば宗祖御
  在世に数多の弟子ありと雖ども独吾開山のみ法体別付の相承を受け玉ひ其他は法門惣
  付の相承のみ受けしが故に宗祖滅後各々己義を捏造し像仏等を建立し以て本尊とした
  るが如し。今亦要法寺も斯くの如し法門惣付は受くると雖ども法体別付の相承なきが
  故に云云」(同�n)

 また、

  「吾大石寺は宗祖開山より唯授一人法体別付の血脈を紹継するを以て五十有余代の今
  日に至るも所信の法体確立して毫も異議を構へたる者一人もなし」(同二一二�n)

と仰せであります。
代々の上人能化とともに、ここにおいでになる皆さんは、この正しい立場をしっかりと信解なさっていると思います。

 そして、

  「別付の法体とは則ち吾山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是なり」(同�n)

と示された上で、

  「此法体相承を受くるに付き尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり此金口嫡々相承を
  受けざれば決して本尊の書写をなすこと能はず云云」(同�n)

とお示しになり、さらに、

  「今更に論歩を進め本因妙百六箇両抄は正に法門惣付の相承なる道理文証を列挙し日
  守等が迷夢を警醒せしむべし」(同�n)

と、『本因妙抄』と『百六箇抄』をもって相承のすべてとする邪義を、道理、文証の上から破折されるわけです。

 つまり、『本因妙抄』『百六箇抄』の書き加えには、この書が日興上人から日目上人というように、ただ一人に宛てて相承されたものではなく、実質上、そのほかの器用の弟子等にもこれを披見せしめていることが明らかです。
これについては、皆さんも御承知と思います。
したがって、『本因妙抄』『百六箇抄』が直ちに唯授一人の相承の内容であるということはいえないのであります。

 さて、ここに「金口相承」ということが示されておりました。
ここでは、驥尾日守のような者に対して、そのような大事について懇切丁寧にお説きになる必要はありませんから、法体とは本門戒壇の大御本尊様であり、この戒壇の大御本尊に関する相承とともに金口嫡々の血脈相承があるということのみを、一言、日応上人様は仰せになっております。

 この金口嫡々の相承ということが、実は相承全体を包括した語であり、そのなかには、身延・池上の二箇相承が金紙として存するとともに、さらに時代の経過とともに、金口の内容を金紙の上に書き移してきた意味があるのです。

 金紙ということについては、何年か前に、やはり自称正信会の若い者が

「天台の金口相承と今師相承が身延相承と池上相承だ」

などと狂ったことを言っておったことがありました。
しかし、日応上人も「金口嫡々相承」とお示しになっているように、金口相承は当然ながら、当宗における「コンシ」とは、天台の「今師」ではなく、「金紙」であり、また、金口というのは、仏様自らの相伝直授の深いお言葉ということであります。

 したがって、天台における今師相承は、字においても、また、その意義においても全く異なるわけですから、それを『身延相承』と『池上相承』に当てるなどということは、全くの我見以外の何ものでもないわけです。
これについては、十年ほど前の教師講習会の時にお話ししましたので覚えている人もいると思います。

 それはともかく、日応上人が『弁惑観心抄』に金口嫡々とお示しになったところには、金紙という意をも含んでおられるのです。
つまり、金口の内容において深い仏意の上から、文書としての金紙が存するのであります。

 本来ならば、これも申し上げてはいけないことなのですけれども、本日の要点でもありますから、このことだけは申し上げておきます。

 この金紙は、簡単に申し上げれば、文献ということであります。
しかし、当然、この文献とは、いわゆる『本因妙抄』『百六箇抄』ではありません。
文献といっても、これは金口の文献でありますから、金口のなかにすべて含まれるのです。

 だから、日応上人が「金口嫡々相承」と示されておられますから、我見をもって考える者は、金口というからには、そこに必ず万人に判るように、授者と受者が相対したところの形がなければならない。
つまり、仏様が、あるいは御先師が直接、次の方にお話しになり、それをまた、次の方が直接に聞かなければならないと考えるのです。

 たしかに、これが基本であります。
しかし、だからといって一器より一器への伝承は、必ずしもそうでなくてはありえないということはないのです。
ところが、そうでなければ金口は成り立たないというように、自分の勝手な我見で判断する者がいるのです。
実は、そのように唯授一人の相承について、自分の拙い我見でもって推し量ろうとするところに、種々の疑問や質問が出てくる元が存するのです。

 もちろん、大聖人様から日興上人様への相承は金口であります。
しかし、日興上人様も大聖人様の御講義を『御義口伝』として記し置かれたように、やはり唯授一人の金口の内容を御自身の御境界においてお示しになったものが存するわけです。
それが、すなわち金紙であります。
したがって、金紙そのものが金口の意義を持っておるのです。

 例えば、日精上人が『家中抄』の道師伝に、日目上人は日郷に御相承されたという邪説を破して、まさしく目師が道師に御相承を授けられたことを明かすなかにおいて、

  「別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり」(日蓮正宗聖典六九五�n)

ということをおっしゃっておりますが、これはまさしく金紙であって、いわゆる直接、口伝のみによって申し置かれたものだけではないわけです。
つまり、金口といっても、金紙として相伝されている内容もあるのでありまして、その基本のところだけは御理解いただきたいと思います。

 しかしまた、この血脈相承を拝信する上において、釈尊が五百塵点劫よりの本仏常住をお示しになるとともに未来常住も説かれておるように、御本仏大聖人様の金口の御相伝がそのまま、御仏意によって未来永劫にわたって伝持されるということも信解していただきたいと思います。

 この御仏意が三世を貫いているということを拝するならば、御相承においても、授ける方と受ける方の意志、また、その時その時の状態や状況に応じて、色々な形が存しておるけれども、それは凡眼凡智では推し量ることのできない御相承の姿であり、そこに必ず未来永劫に至るまでの御本仏の智・慈悲が伝わっておるのであります。

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 さて、昔、稚児貫首という在り方があったのであります。
それが、最初の質問として挙げられております。
すなわち、

  「�@九世日有上人(十八歳)、十二世日鎮上人(十四歳)、十三世日院上人(十歳)、
  十四世日主上人(十九歳)が、いずれも年少で付嘱をうけていること」

と、問題にしているわけです。
特に、十歳という年齢では何も判りはしないではないかという考えがあるのでしょう。

 これは、先程も申し上げたように、金口から金口へ嫡々相対の上に直接、話をし、その場において信解が得られなければ相承ではないというように短絡的に考えるから、このような質問が出てくるのです。
本来ならば、御相承ということに関して、他の人は漏れ聞くこともできないのでありますから、この質問がもっともだと思う人こそ誤りであって、基本的には、やはり未来永劫にわたる御仏意の貫きということを考えていただきたいと思います。

 さらに申し上げれば、時代背景として稚児貫首ということが行われた時代があるのです。
老僧、あるいは分別のある僧侶はいくらでもいたのでありますが、わざわざ稚児を選んで次の貫首に定めるという、そのような宗門伝承の在り方が存した時代があるのです。

 したがって、宗門の集団全体がそのような考えでいるわけですから、その稚児貫首が、「汝こそ法主となるのだぞ」との始めにおける上人の言を根本として成長する過程において、法門の学習とともに、法主たる自覚のもとに先師の金口の言辞を元に金紙を拝しつつ、この場合は相承の内容において金口が金紙に代わる意味
も一部、存するわけで、また、古来の法に詳しい老僧からの話を聞きつつ、真に法を正しく伝えていくという、このような介添え人をも含めての相承の在り方も存したわけです。

 しかし、そこには金口を元とする金紙が厳然として存し、その金紙の内容にまた、金口の意義における厳然たる伝承が存するという上からの稚児貫首という在り方であったのです。
それを宗門の僧団全体が考え、支え、血脈を伝持していくという時代状勢であったわけです。

 ですから、そのような時代背景、状況、慣習等を全く無視して、まして僧侶でもない、また、信心で拝することもできないような創価学会の在家の人間の考えで、唯授一人の血脈相承の内容について、「これは十歳だから、相承が伝わるというのはおかしいではないか」と質問してくるのは、信を見失った全くの見当違いであり、謗法なのです。
その辺のところを皆さん方もしっかりと信解していただきたい。
必ず血脈は伝持されているのであります。

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 次に、この質問のなかにも出てまいりますが、相承を預かるということについてであります。
つまり、理境坊日義が御相承を預かったということが史実としてあるが、これでは金口嫡々がないから血脈が断絶しているのではないかというのです。
これは、御相承は必ず儀式を踏まなければならないかどうか、ということに関連してくるのであります。

 また、特にこれについては、堀上人が少し誤解を生じるような客観的表現をされておられるのです。
堀上人は学者であられましたから、主観的に信念をもって論述なされることを極力、避けられて、歴史的文献に対して、非常に客観的に考察して意見を述べられることが多かったのです。
ですから、あまりはっきりした御会通がないのです。
もちろん、御相承はお承けになっておられますけれども、文献に対する取り扱いの態度は、あくまで学者として、公開されておる文献や資料のみから判断できる意見を述べられておるのです。

 あとから出てまいりますが、日精上人の造仏説についてもそうです。
これについては、時局協議会の文書作成班の一人がよく勉強しておりまして、私も感心したのですが、精師と敬台院殿との関係は、今までは堀上人に、精師が一方的に造像をされたというような記述がありましたので、我々宗門の者は、精師が造仏論者で、敬台院殿はそれに反対し、正宗の正しい法義を護った御信徒という認識がありました。

 しかし、法詔寺が出来た翌年に同寺で造仏がなされたという状況をよく考えるならば、これはむしろ逆なのです。
つまり、敬台院殿が母の菩提寺として肝煎りで建てたのが法詔寺であり、しかも仏像造立などということは彫刻をするにしても相当な日数がかかるわけですから、そう簡単にできることではありません。
それが次の年になされたということは、これは敬台院殿が不賛成で何ができるでありましょう。
しかも、日精上人が御相承をお承けになったのは、それから十年後のことであります。

 したがって、日精上人は要法寺の御出身の方でありますけれども、御相承をお承けになったあとで、本宗の正しい法義の上から、むしろはっきりと造仏の慣習についてけじめを付けられておるのです。
ですから、御相承をお承けになったあとにおいても造仏の謗法があると、創価学会では断定しておりますけれども、そんなことは全くないのです。

 このように、個々の文献や資料においてははっきりとしない問題も、時間的な差異や内容、また、その意義に沿ってきちんと考察すれば、そして何よりも本宗の正しい信仰的立場に立って拝するならば、正しい会通ができるのであります。

 話は戻りますが、それと同様に、要するに堀上人が、御相承を承けた人間に権威があるのか、それとも儀式に権威があるのかということの上から、両者に対する断定を避けられ、儀式に権威があるとすれば、儀式が行われなかった場合には、法がそこに停滞して流れないというようなことになると仮定的におっしゃっていることも、学者という立場ではなく、信仰という主観的立場に立たれての言であるならば、そこのところをもっとはっきり、実義において相承が伝わっていると仰せになったと思うのであります。
しかし、そうではないと断定なさらないところが、堀上人の学者としての表現のところでもあり、あくまで文献や資料に対する客観的、学究的立場を考えられるわけです。

 しかも、そのような意見をお述べになったあとに、

  「此は局外者の抽象的の議論である。直に宗門教権の大事を批判すべき標準にはせぬ
  が宜い」(大日蓮 大正十二年四月号一六�n)

と、御相承という大事を全く信解することのできない部外者という立場に立っての論であることを付記されているのでありますから、この論が御相承をお承けあそばされたお立場に立っての言ではないこと、また、堀上人のその他の論やお言葉についても、学者的、局外的立場に立っての論の多いことに我々は注意しなければならないのであります。

 それはともかく、信仰の上から拝するならば、やはり正しい筋道の上で断定していかなければいけない意味があります。

 そうすると、儀式は基本的には行われる形があります。
しかし、何上人から何上人の場合にはきちんとした儀式の形で行われた、したがって、過去においても儀式がなければならなかったし、今後もなければならないのだというように、宗門史全体のなかの一部の儀式が行われたところだけを基準にして相承の在り方を云々することは、相承の本質をわきまえない盲見です。

 例えば、日目上人から日道上人への御相承も、いつ儀式があったという記録はないのです。
記録はないけれども、日目上人が天奏にお出になる前にきちんと御相承されておられたことは、先師の記述および本宗の信仰の上から当然のことであります。
したがって、日達上人も、儀式という形が絶対になければならないというわけではないことを仰せであります。

 すなわち、日常の間に相承が一回ないし数回にわたって行われる場合もあります。
この者に相承すると決めておれば、その者が法要等で本山に登山した折に触れて、あるいは特別に呼ばれて、「この点についてはこのように心掛けておきなさい、この法門についてはこのように考えなければならない」というようにお話しになる場合もあります。

 それが、仮に法門の勉強がまだ進んでいないような人に相承なされようとするならば、それは何から何まで教えなければなりませんので大変な時間がかかります。
例えば、教学のごく基本である、教・機・時・国・教法流布の順序ということが解らないのであれば、これは何から何まで教えなければなりません。
ところが、たいていの場合、相承を承ける方は既に教学の基本は把握しているでありましょうから、大事な問題について、また、要点だけを、特にお示しになればいいわけです。

 その場合においても、宗門の状況、時代背景その他、種々の御都合や配慮等、色々な事情がありますから、儀式という形を取る場合と取らない場合がありうるわけです。
ですから、儀式という形を取ったことを基準にして、それがはっきりした形でなければ権威がないというように判断することは誤りなのであります。

 堀上人は、「もしそうであるとするならば」という言い方でおっしゃっておりまして、やはり、学者という立場の上からの、主観を排除した、文献や資料に対してあくまで忠実であらんとする態度の表明であるとは思いますが、ここのところは本宗の法義の上から、また後世の者の信解のためにも、相承の厳然たる意義を、もう少しはっきりと指南していただきたかったと思います。

 また、今、私がこのように御相承について申し上げていることは、御歴代御先師より日淳上人、日達上人も、「日顕がきちんとしたことを言っている」と、霊山で御嘉納あそばされておると確信するものであります。

 したがって、金紙という意味は、文献相承、いわゆる法門相承は別個にあって、金口相承のなかに金紙相承が本来的に存するとともに、また、その要点・要義が自然の時期において金紙として現れてきておるということが拝せられるのです。

 とにかく、この金紙相承については、御相承の内容でありますから、これ以上は申し上げるわけにはいきませんが、ある意味では、「紙背に徹する」ということを堀上人もおっしゃっておりますように、紙背に徹して御書を拝していくならば、すべてが示されているともいえるのであります。

 ですから、唯授一人の血脈という意味において、皆さんがその内容に直接触れることはないわけですが、皆さんが歴代先師の教えに基づいて正しく信・行・学に邁進するところには、血脈の法体にも、また金口、金紙の意味においても、おのずからその領解・確信がそのところに当たっているのであり、いささかも背反がないのです。
そこが大事な所以であります。

 しかし、先程の『弁惑観心抄』の「当家相承を論ず」という所にもありましたように、金口の血脈とともに唯授一人の法体血脈が存するのでありますから、まず、その点はしっ
かりと信解してもらいたいと思います。

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 さて、もう一人、誑惑の者がいます。
池田大作であります。
この者が血脈ということについて、やはり色々と狂ったことを言っておりまして、特に『生死一大事血脈抄』について、血脈という語がありますので、得たり賢しと切り文にして、
「この血脈が本当の血脈である」、
また、そこから発展して
「大聖人直結の血脈」
というようなことを言っております。
皆さんも聞いたことがあるでしょう。

 あれは本当に大狂乱の者でありまして、日達上人の時代から御相承の片鱗を聞きたいと思って色々に探りをかけておったようであります。
実は私にも、「日達上人にこういう法門を聞いた」というように、人を介して探りを入れてきたことがあるのです。
私も、直接聞いてきたならば、話してもよい範囲までなら教えてもよいと考えておりましたが、結局、自分自らは聞いてはきませんでしたので返事はしませんでした。

 とにかく、日達上人には色々と探りを入れて、なんとか聞き出そうとしたらしいのですが、当然、日達上人はこの金口嫡々、金紙の相承を在家の者にお話しになるはずはありませんので、その片鱗さえ知ることができなかったのです。

 つまり、池田大作はそこが得られないからおもしろくないのだと思います。
そこに長い間に嫉妬が生じてきたのです。
私のことを「嫉妬だ」などと言っておるようですけれども、実はあの者こそが嫉妬の塊なのです。
そこに怒りを生じ、焦りを生じ、我見を生じ、そこから、
「御書にも『血脈』という語はあるから、ここのところを利用して大聖人直結といこう」
と考えたのであります。
この血脈ということに混乱してはいけないのです。

 したがって、あの者は、『生死一大事血脈抄』について、

  「血脈相承といえば、よく既成宗教などにみられるように、神秘的に高僧から高僧へ、
  深遠甚深の儀式を踏まえて流れるものであると思われがちであります」
                     (大白蓮華―昭和五十二年六月号四四�n)

と言っておりますが、これは既成宗教全体のことではなく、明らかに日蓮正宗の宗門のことを言っているのです。

  「しかし、大聖人の仏法の本義はそんなところにあるのではない。我が己心の厳粛な
  信心のなかにこそあるといわれているのです。大聖人の生命にある生死一大事の血脈
  を、私たちはどうすれば相承できるか。大聖人ご自身はすでにおられません。だが、
  大聖人は人法一箇の当体たる御本尊を残してくださっております。この御本尊から生
  死一大事の血脈を受けるのでありますが、(中略)ただ、唱題という方程式によって、
  大御本尊の生命を我が生命に移すのです」(同�n)

 こういうことを盛んに言っておったのです。

 しかし、即身成仏において御本尊様を無二に拝し奉るということも、まず根本の法体の血脈から来ておるわけですから、法義的に見れば、あの者の言うことはすべて中途半端なのです。
「御本尊直結」
とも言うけれども、その御本尊は御歴代書写の御本尊であり、御歴代による法体の血脈が流れ通ってこそ、初めてそこに功徳を成ずるわけですから当然であります。

 ところが、さらにこれを発展させて、
「創価学会には、日蓮大聖人から直結の師弟感応の仏法がある。師弟の血脈がある」、
さらに、
「いかに本尊を受持しても、師匠との血脈、和合僧の創価学会との血脈を切れば無益だ」
という趣意のことを、いつも述べているのです。
つまり、いくら正しい御本尊を受持し、信心修行しようとも、創価学会をやめた人間は血脈がない故に功徳がないというのです。
全くひどい話です。
それも、この池田大作自身の異常なまでの過信と慢心から来るわけであります。

 また、
「創価学会は、大聖人からの信心の血脈を承け継いだ主流である」
という趣意から、法体の血脈を除いて、信心の血脈だけを論じております。
無論、御書の拝し方も誤っているのでありますけれども、枝葉のところに執とらわれているわけです。

 それから、
「師弟の血脈は牧口先生から戸田先生へ、さらに池田会長へ。この血脈のなかに日蓮大聖人の仏法が生きている」
というようなことを言って会員を洗脳してきているのです。
池田をはじめ、幹部がこれほどのことを、折に触れ、時に触れて言いながら、創価学会という組織にしか信仰に関する情報源を持たない会員を洗脳していたわけであります。だから今日、あの大勢の者達が
「学会中心、学会絶対、池田先生でなければ駄目なんだ」
という考えに執われて、そこから脱することができないでいるのです。

 しかも、これは私の代になってからでなく、実は日達上人のころから、あの五十二年路線からのことであります。
故に日達上人も御心配あそばされていたわけです。
したがって、

  「日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言え
  ないのであります」(大日蓮三四二号二〇�n)

という、あの厳しい、はっきりとしたお言葉があるわけです。
我々は、あのお言葉を絶対に忘れてはいけません。
私もまた、その意義において申すものであります。

 そして、結局のところ、学会の誤りは、宗門の血脈法水の源を忘れて、
「故に池田先生との血脈を通じて、直結し、感応せねば、成仏はない」
という考え方になってくるのです。

創価学会が「直結」という言葉を好んで使う背景には、仏法の正しい伝承を考えると、どうしても御歴代上人を間に入れなければなりませんから都合が悪いのです。
ですから、創価学会中心にするためには「直結」ということを言わなければならないのです。
それで、
「御書直結」
「御本尊直結」
「大聖人直結」、
なんでもかんでもすべて直結とするのであります。
まことに恐ろしい邪義であります。

 これが創価学会の血脈論でありますから、創価学会を破折していくためには、このインチキな血脈論を徹底して打ち破っていくべきであります。

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 さて、この本宗の血脈に対する、浅見による質問についてでありますが、

  「�@九世日有上人(十八歳)、十二世日鎮上人(十四歳)、十三世日院上人(十歳)、
  十四世日主上人(十九歳)が、いずれも年少で付嘱をうけていること」

 これは先程申し上げたとおりです。

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 それから、

  「�A日亨上人は、八世日影上人から九世日有上人へ『相承を取次いだ人がいた』とさ
  れているが、相承を取次ぐとはどういうことなのでしょうか」

 これも、時代的背景を考えるとき、先程申し上げた稚児貫首というような在り方のなかにおけることだと思います。
『家中抄』に、日有上人について、

  「日影の弟子なり、幼少にして出家し師の教訓を受け法華を習学し、又御書を聴聞す」
                            (日蓮正宗聖典七四六�n)

とあるように、金口の法脈は、稚児貫首という人に関する相承意識のなかに、授受者間に伝えられていたのです。
しかし、形式としての相承の形は、金紙の文を一時、浄蓮に保管を命じた『家中抄』の記事や、あるいは何人かを介在するような事情もありえたろうと日亨上人が推測されているのです。

 要するに、その時その時、その時代その時代に応じて、色々な意味から血脈法水が、また、金口・金紙の本義が、次のお方に正しく伝えられるように真剣に考えられ、そして今まで伝持されておるということであります。

 したがって、そのような意味からするならば、その時代背景、あるいはその時の宗門の状況の判らない者が、ここで血脈が切れているのではないかなどと疑うことは全くの誤りであり、また、御仏意の三世にわたって貫く意義を拝するとき、そのようなことは絶対にないのです。

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  「�B九世日有上人が不在中に大石寺が売られてしまい、後に買い戻したとありますが、
  その間は、大石寺は謗法の寺だったのでしょうか」

 これは全くの言いがかりです。
だいいち、これは血脈の問題とは違います。

 日有上人が全国を遊説なされた時のことで、今日ではどのような状況であったのかは全く判らないけれども、一時的にそのような状況にあったということは日院上人もお書きになっているようです。
けれども、だからといって「大石寺は謗法の寺だったのでしょうか」と質問すること自体が難癖をつけんがための、また、なんとかこの大石寺を誹謗せんとする悪らつな言い回しであります。

 とにかく、資料が乏しいわけですから状況はよく判りませんが、日有上人がお帰りになって直ちにその処置をなさることができたわけですから、売られてしまったといっても、
全く他人の手に渡ってしまうというような状況ではなかったと思います。

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  「�C十五世日昌上人から九代にわたる法主が要法寺系からきた理由。(なぜ大石寺に
  人材がいなかったのでしょうか)」

 これもなんとか誹謗をせんとする難癖であります。
当時は、現在と違って、もっと興門全体がまとまった一つの意識を持っておったと思われますし、尊門の京洛における殷賑興隆の相もあり、現在の総本山と要法寺の状況によって判断するのは大きな誤りであります。

 特に、法脈の正潤に関しては、日道上人の文献に見られる、要法寺の開基である日尊師の道師に対する態度は、師弟の礼と申しても差し支えないと感じられるほどでありますし、また、日尊師は、「付弟一人の外は書くべからず」として、生涯、御本尊を書写することはなかったのであります。
故に尊師書写の本尊は一幅もございません。
今の要法寺の貫首達は平気で御本尊を書いているけれども、開基である尊師は一幅も御本尊をお書きになっていないのです。

 つまり、尊師が四世日道上人に相承ありと拝していたからでありますし、大石寺を本山と仰いでいた故であると考えられます。
これは、『日蓮正宗要義』にも書きましたけれども、種々の状況により明らかであります。

 したがって、開基の日尊師のそのような流れのなかで、まだ年代があまり経ていない当時は、今日のように大石寺と別の宗派を構えるというような状況では、けっしてなかったわけです。
ただ、特に主師の時から通用するようになり、そして十五代日昌上人から九代にわたって、この要法寺から御法主がおいでになっておるということは事実であります。
けれども、それだからといって大石寺に人材がいなかったというわけでは必ずしもないと思います。

 ただ、そのような流れになりますと、やはり当時、京都は王城の地として色々な面で中心でもあり、対社会的な在り方や布教の形等、様々な面で他の田舎の寺院とは違った意味がたしかにあったと思うのです。
しかし、さらに当時の要法寺門中には、興師門下における大石寺の法脈正系を信じ、できる限り加護すべしという、尊師以来の伝統意識があったと思われます。
そういう意味からも、一度お迎えするという形が出来ると、九代にわたってその形が続くような必然性、妥当性が生ずることは当然とも考えられます。
それを、当時の要法寺の状況や大石寺との関係も考慮せずに、大石寺に人材がいなかったのは何故かと疑問視すること自体、考え方が未熟なことからの質問であるといえます。

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 それから、

  「�D十五世日昌上人から十六世日就上人への付嘱を、代官の理境坊日義が預ったとさ
  れていますが、『血脈相承預り』とはどういうことでしょうか」

 これは、当時としては仕方のない在り方であったと思います。
どこへ行くにも徒歩ということになりますから、そのような時代のなかでは、危急の時、間に合わない場合もあるわけです。
すなわち、前もって相承のことは本人に話してあるけれども、いわゆる金紙・金口のうち、時代の経過とともに金紙として現れてきた分について、一往、代官に預けて、これを次の貫首である誰それにお渡しするように指示されたということであります。

 しかし、だからといって、相承が切れているということではありません。
そのようなことをなさる場合には、必ずそれ以前において色々と法脈の要点は、授者より受ける方へあらかじめ、お話ししてあるわけです。
つまり、金口は先立って日昌上人より日就上人がその全体を承けており、そして文献的相承という意味の金紙についてまとめてあることは代官を通して渡され、相承されるということなのです。
したがって、交通、通信の不自由な時代、理境坊日義が一時、預かったからといって、どうということはないのであります。

 「どういうこと」などと質問しているけれども、血脈を次の方に伝えんがために、前の方の御意志を承けて、理境坊日義が文献としての金紙の一部または全部をお預かりして次の方にお渡ししたというだけの話であります。
それは当然、先程から申しておりますように、御仏意が常に三世を貫く意味であり、また、そこに前の方から次の方への「あなたに譲る」という意志があり、また、「お承けする」という意志があるわけです。
実は、これが大事なのであります。
その授受の意味において、まさしく相承の意味があるわけです。

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 次に、

  「�E前項について、日亨上人は『御相承は殊に金口嫡々の授受の型式作法に権威あり
  や、御当人に権威ありや』とされていることについて、どのように考えるべきでしょ
  うか」

という質問があります。
これについても先程申しましたが、堀上人はこのように仰せになっております。
けれども、このお言葉の底意は、

「形としてはそういう形式・作法の在り方があるから、そういう在り方が存在する例を考えるならば、そのような形式として存することは結構である。
しかし、それがなければ血脈が伝わらないとか、断絶したというようなことではない」

という意味を、敢えて反問の形で言われるところにあるのです。
しかし、そこのところを、「相承は御仏意の上に、形式の有無にかかわらず伝承されている」と、もっとはっきりと仰せになっていただければ、疑問を持つ者も、より少なかったと思います。

 それから、「御当人に権威ありや」。これは、権威といってはおかしいかも知れないが、その承けたところの意義において、おのずから当人の命のなかに生ずるものがあるのです。

 小乗に無表色という語があります。
小乗仏教の倶舎七十五法の十八界のうちの色・声・香・味・触・法の六境中、法境のなかの部分的内容としての無表色であります。
この無表色において、ある善や悪の表業を受ければ受けただけの地水火風の色法が未来から来たって、その善、あるいは悪、あるいは無記の内容として身内に成ずるということがあります。

まして、大乗仏教の真実・最高の教えの血脈をお承けするという上から考えれば、尊い表業による結果が身に当たって生ずることも、当然といえば当然であります。
要するに、「日蓮 日興」の御相伝を拝しても、本当の意味の唯我与我、また、さらに言うならば、授受感応における深いお心というものがあるのです。

 特に、重大な意味を持つ代々上人の血脈を譲るというような場合には、幼いから疑わしいとか、最後にお会いになっていないから変だとか、あるいはこの形式がないから違うなどというような、凡眼凡智で量れるものでは絶対にないという次第であります。

 私の時にも、血脈相承の儀式がなかったなどと言う者もありましたけれども、今、けっしてそのことを弁護するつもりはないのです。
ただ、形だけのところを見て、「あれがあった、これがなかった」と言う、その短絡的な考え方は、本宗の法脈伝持に関しては間違っておるということ、大聖人様からの御仏意による御指南、御相承というものは厳然と伝わるのであるということを、特に血脈という問題が色々と誤って喧伝されておる今だからこそ、皆さんに申し上げておきたいのであります。

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  「�F十七世日精上人が、敬台院と不仲になって大石寺を退き、後住に敬台院の意向で
  日舜上人が入っていますが、檀那の意向によって法主の座が決められていいのでしょ
  うか」

 このようなことも事実を曲げて質問しているからおかしく感じられるのです。
これは檀那の意向で決まったわけではありません。
よく読んでみれば解ることなのです。
あの法詔寺の日感という人が、非常に学識の深い、また因縁関係のあった人で、「やはり、あとの方としては日舜上人のほかにはないでしょう」ということを言い、それを敬台院殿が聞いて、それならばということで、当時、非常に有力者でありましたから、肝煎りでお山にお入りになるということはあったけれども、けっして敬台院殿が在家の立場で法主を決めたということではありません。
また、色々なある時期の事情があったにせよ、当時の考え方としても、大石寺に責任者が居るべきであるという意向は、日精上人も日感師も共通のものであります。
したがって、冷暖自知、おのずから次の法主の決定が方向づけられたのであり、それがのちに具体的に結実したのであります。
これは、文献を紙背に徹して読んでみれば、おのずから明らかなことであります。

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  「�G十九世日舜上人は、大石寺住持となった後に、日精上人と師弟の縁を結び、それ
  から四年後に付嘱をうけています。これは順序が逆ではないのでしょうか。また付嘱
  をうけなくても大石寺住持(法主)となれるのでしょうか」

 今の在り方とその当時の色々な在り方とは、状況が種々の面において異なっているのであります。
 例えば、当時の経済的な状況だけを考えるならば、大石寺にいるよりも小金井の蓮行寺にいたほうがいいという意味があったのです。
これについては、堀上人が「足利尊氏が扶持をくれた故に」とごく簡単に仰せでありますが、やはり法命を継ぐ意義からも、もちろん、ただ単にお金が欲しいから行かれたのではなく、その得た扶持を大石寺に送って財政的な援助をするという意味もあったと思うのであります。
そのような意味から、一時、大石寺を留守居に任せて、蓮行寺におられるという状況があったのではないかと拝察する次第です。
そのような特殊な状況は、やはり長い歴史の間にはあるのです。

 したがって、日精上人が大石寺におられなかったのには、当時としての弘通、布教、宗門的な経済維持等、色々な事情がおありだったのです。
たしかに順序だけを論ずれば、大石寺住持となったあとで付嘱を承けるのは、通例とは逆であります。
けれども、日精上人から日舜上人に厳然と御相承あそばされておるわけですから、その一面だけをとらえて難癖をつけるのがおかしいのであります。

 とにかく、このように申しても、やはりかなり時代を経た今となっては当時の状況を知ることは不可能なことであります。
ただ、一つ申し上げておきたいのは、ここまでの質問の多くは日精上人の『富士門家中見聞』、いわゆる『家中抄』、また、日量上人の『続家中抄』の記述を元としておるのでありますが、日精上人は『家中抄』のなかで、

  「其の後御筆本尊並びに遺弟の書籍記文等を拝見するに、諸伝相違の事甚だ多く(中
  略)庶幾ば所所散失の御筆並びに本尊・記文等見聞にしたがって之れを記して其の欠
  を補い給わば是れ吾がねがう所なり」(日蓮正宗聖典六五〇�n)

と仰せになり、また、日量上人も『続家中抄』の序文において、

  「恐らくは先聖の行功を放失せんか、拙愚悲嘆の余り闇昧不了を顧みず、聊か管見寡
  聞の一途を述べ、以って後賢の補闕を俟つと、爾云う」(同七六〇�n)

と、誤伝のあろうことを記され、後世の訂正を呼び掛けられているのであります。
まして、日量上人の正本は散失し、現存するものは半世紀もあとの写本のみであることを考えれば、この記述を取り上げて云々することは、やはり日精上人や日量上人の本意に背くことは明らかであります。

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 次に、

  「�H五十八世日柱上人が、宗門再建をはかりながら、宗門の反対決議によって辞職さ
  れていますが、宗門の意志で唯授一人の御法主を辞職させることができるのでしょう
  か」

 やはり、これは当時の状況と、一往申し上げておきます。
例えば、皆さん方の総意で私に退座を求めたとします。
今、創価学会では盛んにヒロエ・クロウなる者の虚偽の証言を喧伝しておりますので、それが全く事実でないにしろ、私に徳がないからそのようなことになるのだということで、仮に皆さんが、退座すべしとの決議をしたならば、私は沈思して考えます。
つまり、それが宗門にとって、また、御法のために必要であるならば、私は自らの意思で退座することもありうるということであります。
しかし、それが御法のためにならないと判断した場合には絶対に退座いたしません。
これは、日興上人の二十六箇条に、

  「衆義たりと雖も仏法に相違有らば貫首之れを摧くべき事」(日蓮正宗聖典五六四�n)

と示されておるとおりであります。

 その反対に、

  「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば之れを用うべからざる事」(同�n)

ともあります。
これについての日達上人の御解釈は、貫首に主語があるというもので、すなわち、貫首は、仏法に相違して己義を構える者を用いてはいけないというものでした。
しかしまた、別の意味において、貫首が己義を構えた場合にはその貫首の意を用いてはならないという在り方も、私はあると思います。

 このようなことは絶対にありえませんが、仮に「これから南無阿弥陀仏を唱えようではないか」と私が言い出したとしたならば、皆さんは用いないと思いますし、絶対に用いて
はなりません。
また、私を放逐しようとすると思います。

 けれども、この日柱上人の場合は絶対にそういうことではなかったと思うのです。
ただ、衆議が色々と出て、それを日柱上人が深くお考えあそばされた上で、ここは私が退いたほうが御法のためになるとの、自らの深い御思慮の上からの決断であったと拝するのであります。
したがって、「辞職させることができるのでしょうか」という質問に対しては、はっきりと「辞職させることはできない」と申し上げておくものであります。

 ですから、この時も、日柱上人に絶対に辞職はしないという御意思があったならば、辞職はなかったのです。
けれども、そこには今の我々には判らないような状況が色々とあったでしょうし、とにかく、それらすべてをお考えあそばされた上での、自らの決断による辞職であったわけです。

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 十一番目の質問についても同様のことがいえます。

  「�J六十三世日満上人が、終戦後の窮乏期に総本山維持のために山内の大杉を伐栽し
  て、その責任をとって辞職されましたが、そのようなことで血脈付法の法主を辞職さ
  せていいのでしょうか」

 これも辞職させたわけではないのです。
色々な意見が出たことは事実です。
しかし、最後に御決断されたのは日満上人なのです。
ですから、辞職させたというような言い方がおかしいのです。

 とにかく、こういうように問題とすることは、すべて文献を読む者の誤った、あるいは不充分な主観によるのです。
さらにいえば、血脈相承それ自体に対しても、信心の上からの正しい信解をもって拝すれば、実にすばらしい仏法常住の規定なのです。
それを信心のない者が、初めから何か粗を見つけてやろうというような気持ちをもって文献を読むから、「ここはおかしい」とか「ここは断絶したのではないか」などと難癖をつけるに至るのです。
今日の怪文書がすべてその類いであります。

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 それから十番に戻りまして、

  「�I管長選挙の混乱で、その結果の裁断を文部省にあおいでいますが、法主選出に国
  家権力を介入させていいのでしょうか」

 これも「介入」という言い方がおかしいのです。
これは、訴えた人がありまして、その上でどうしても委ねなければいけない姿があったのであります。
当然、これは宗団の自立の上からも妥当な処置ができればよかったとは思いますが、それができなかったのであります。
しかし、結局は管長選挙における票のとおりの形となったわけです。

 この管長選挙ということはこの時の一回限りでありますが、たしかに御相承という上からはなじまない形が行われたことは事実であります。
しかし、やはり当時の社会状勢その他の上から、宗門の思想的流れがあったのだと思います。
これは有元広賀という方と六十世の日開上人との間の管長選挙でありました。
とにかく、先程も申し上げましたが、たとえそのような形であったとしても、法主として決定した上は、御本仏の深い御仏意がそこに必ず貫かれ、存していることは間違いないことなのでありますから、我々はそれを拝信すべきであります。

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 次に、最後の、

  「�K日精上人、日因上人等の歴代の御法主が、なにゆえ、他宗に批判の論拠を与える
  ような血脈付法の断絶を意味する記述を残されているのでしょうか」

 これも「断絶を意味する」という考え方がおかしいのです。
むしろ、実際に血脈が大事であり、それが存在していればこそ、素直な意味でお書き残しになっているのです。
本当の意味はそこにあるのです。

 前にも申し上げたことがありますが、早川一三の『富士日興上人身延離山の研究』を破折あそばされた日淳上人の会通があります。
大聖人様がお亡くなりになったあと、日尊師が日目上人に連れられて身延に行ったけれども、その時、日興上人はおいでにならなかったのでお会いすることができなかった、それで、もう一度出直すことによってお会いすることができたということが文献に記されておりまして、それを取り上げて、大聖人滅後、日興上人は身延においでにならなかったということを早川一三が述べております。

 これに対して、日淳上人は、そうではなく、日興上人が身延に常においでになったからこそ、日尊師も日目上人も日興上人がおいでになると思って身延へ行ったのだと破折されております。
たしかにそのとおりであります。
しかし、たまたま留守だったので、お帰りになって、また改めて伺ったということなのです。

 これと考え方は同じでありまして、御相承が伝持されておることは全く当然のことであります。
ですから、この当然の事実に誰かが疑義をはさむなどということは考えませんから、その時の状況というものを資料や文献で判る範囲内で書き留められておるのです。
むしろ、うまく隠して、全く問題のないように書き残すことだってできるわけです。
しかし、この血脈が実に大切であるとともに、当然、存在しているが故に、敢えて取り繕うことなく、主観を交えずにお書きになっているということがいえるのであります。

 本日は、日応上人の『弁惑観心抄』から少し進んで、「金紙」というところまで皆さんにお話ししましたが、この血脈に関する本義は、色々な意味において、また、どのような
状況のもとでも、御本仏日蓮大聖人様の深い御仏意の一貫性として、絶対にその法脈が伝持されてきておるということを確信していただきたいと思います。

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 次に、創価学会の初代会長である牧口常三郎氏について申し上げたいと思います。
このように申しても、私が牧口氏と直接お会いしたのは三回か四回だと思います。
そのうちの一回は、東京の小滝橋という所で牧口氏が折伏した方のお通夜がありまして、当時、十八、九でしたか、所化として常在寺に在勤しておりました私がその家のお通夜の導師を務めたわけです。

 そのころの通夜は、最初に方便品、寿量品、自我偈二巻、お題目を百遍以上、唱えまして、一度少し休むのです。
その間に会葬者にお寿司やお酒などが振る舞われるわけです。
そして、しばらくのちに、もう一度、お経をあげるのです。
そのようにして、少なくとも二回はお経を行うのです。
ここにおいでになる椎名日澄能化などは、当時、三回ぐらいあげていたように記憶しております。

 ともかく、一度お経をあげて、会葬者に料理が振る舞われている時に牧口氏が来られたのです。
それで、まず私に挨拶に来られて、そのあと、その家の奥さんからお寿司を勧められたのです。
ところが、手が震えていて、つまんだお寿司を醤油の皿のなかに落としてしまうのです。
あとで判ったのですが、不器用だからではなく、会葬者のほとんどは謗法の人達ですから、会葬者を折伏しようと考えていて、お寿司を食べることなど頭になかったのです。
そして、とうとう一口も食べないうちに会葬者のほうへ向かって、「皆さんにお話がある」と言って、それから十五分ぐらいでしたか、折伏をされました。

 随分と昔の話ですから何を話されたかはよく覚えておりませんが、おそらくあの人の提唱した『大善生活実証録』について話したのではないかと思います。
もちろん、日蓮大聖人の仏法を信仰することが大事だというようなことも話されたと思います。

 それで、その話が終わってから、私がまたお経をあげまして、それから二人で東中野の駅まで歩いて、東中野の駅から国電で新宿駅、新宿駅から山の手線に乗って、牧口氏は目白駅で下りますので、そこまで一緒に帰りました。
その間に電車のなかで、わずかな時間ながら色々な話をし、激励もされました。
それが、何度かお会いしたうちの最後だったかも知れません。
それからまもなく特高に捕まって、獄死されました。

 とにかく、牧口氏は本当に真剣に信心をし、また、折伏をされておりました。
ただ、「価値論」については、学会との対応において、皆さん方も内容を知っておく必要はあるのではないかと思います。

 私は哲学のことは専門外ですが、普通、哲学における価値は「真・善・美」に分類されております。
しかし、十九世紀後半から出たという経験学派、経験主義の哲学の方面から特に価値論が見直されてきて、牧口さんの経験的な立場からの価値論になったと思うのです。
それ以前における実在論の面からの価値論はすべて真・善・美だったのです。
ですから明治以降の人は、仏教を論ずるときにそれを取り入れて、真・善・美という意味のことを説いている方が多くおられます。

 したがって、当時は価値論といえば、だいたい真・善・美だったわけです。
それを「利・善・美」としたのが、牧口氏の哲学です。
これは、価値は内容ではなく、実在自体であり、経験的に我々が体験するものであるから真では誤りであるとして、真を排除して代わりに利を入れたものであります。

 これについては、いまだに論議があるところでありますが、とにかく、利・善・美ということを言い出したのが、牧口さんの価値論の第一の特徴であります。
そして、経験の立場に立って、真理は実在の表現対象の概念として脇へ除いて、一方、価値の対象は人間の生命と感情、情的関係性において成立すると考えたというようなことをいっております。

 さらに、利ということをすべての価値の根底において、利の価値は、善や美の価値の説明の基礎であるとしております。
つまり、善は社会的公共的な利益、公益であり、美は生命の維持に必要な精神的な糧であるが、この善や美の価値においても利の契機を持っており、利はすべての価値を貫いておる存在であるとするのです。
ですから、どうしても利というものを中心に考える意味が出てくるのです。

 したがって、利をすべての価値の根底におくというところに、牧口氏の価値論の第二番目の特徴があるとされております。
しかしながら、それだからといって、では利が最高の価値であるかというと、けっして、そうではないのです。
価値の区分からいえば、善を最高の位置とし、その次が利で、その次に美が来るとするのです。

 それから、反価値ということをいいまして、善に対しては悪、利に対しては害、それから美に対しては醜ということを挙げるわけです。
それで、美醜よりも利害の価値のほうが上位にあるということを、腐った饅頭は、見かけは美味のようだけれども、身体には大きな害があるというような例を挙げて述べております。

 また、価値があるようであっても、すなわち利益があっても、一番上位である善悪の基準に照らして、反価値である悪であれば、本当の利の価値ではないという言い方をするわけです。

 したがって、例えば、悪い行いをして金もうけをするということは利益のようだけれども、善に背くから本当の意味の価値ではないという次第です。
そして、さらにこのような説をだんだんと進めて仏法のところに到達せんとするわけです。

 しかし、結局、この牧口氏の哲学は、やはり根底に利があるというところに功利主義的契機を含むという批判もあります。
しかし、利よりも善を優位に置くことによって、功利主義を超えて、また抽象的、形式的道徳をも超えて、具体的な道徳を示したというようにも述べております。

 さらに、個人を社会的存在として考え、その人格が人としての価値を含んでおるとしております。
その人格とは、既に存している評価を意味し、その結果たる価値を表しているというのです。
だから、人格が他のいかなる価値に比しても絶対的価値を有しており、その人格的価値は、価値創造力というものによって高められるということを主張して、そこからさらに、価値を自ら創造していかなければいけないということを述べて、それを教育学のほうにも応用するわけです。

 それから、ウィンデルバントという人が真・善・美の価値のほかに、聖という宗教的価値を立てておりますが、牧口氏はこれをにべもなく否定しております。
これも結局、個人的考察よりすれば、聖によって安心立命の境地に至るということは道徳的価値、利的価値であるという意味から、結局、人を救うこと、世を救うことについて、何も聖という概念を立てる必要はないとするのです。

 結局、宗教的価値は、利的価値と道徳的価値として、利と善に吸収をされるということでありまして、これも牧口氏の価値論の特徴の一つでもあります。

 しかしながら、この利・善・美は、あくまで世間法としての価値だということを、一往、限定するわけです。
つまり、善という道徳的価値を最高の位置に置いたけれども、これは世法、すなわち社会法則における標準であるから、まだ相対的な善であって、最高絶対的なものではないとするわけです。

 そして、その最高絶対的な存在こそが本当の宗教の領域であるとして、三世常住永遠不滅の霊魂の生活に一貫する因果の法則を見いだして、絶対的な正邪、善悪の標準を確立し、その規範に則ることによって至高・至福というべき生活を遂げようと主張するのです。
また、これこそが人の心の最も深いところに横たわる要求であると述べるわけです。

 したがって、当然、この最高絶対的な存在、一番正しい宗教とは日蓮大聖人の教えであるというところに到達するわけです。
ですから、牧口氏の価値論においても、その究極のところは価値を超えた仏法にあるというところまでは説くのだけれども、また、仏法と世法が背反をしないという意味も述べているけれども、しかし、価値論と仏法との関係がきちんとした形で説いてあるかというと、そこまでは説いていないのです。
あとは教育学としての実践論的な社会学的、教育学的なものが色々と説いてあるけれども、仏法との関係はきちんと説ききっていないと思われます。

 したがって、大聖人の仏法を牧口氏の価値論で解釈するというような傾向の上から、牧口氏の弟子達が、今の創価学会にもまだいると思いますが、そういう人達が価値論的な一つの利的価値を中心として大聖人の御法を色々に考えたり、述べたりしたなかにおいて、やはり摧尊入卑というような傾向があったのではなかろうかと思うのです。

 以上、価値論についてのごく簡単な特徴だけを述べた次第ですが、結局、この価値論は、利ということがすべての価値の根底にあるというところから、人間の自己本位という考え方によって、自分に都合のいいこと、利益のためにはどんなことをやってもいいのだというような考え方に堕落していく可能性があると思うのです。

 たしかに牧口氏の価値論自体は、究極的には大聖人の仏法を目標にして、形の上ではそこに到達しておるのですが、価値論と仏法のなかの法華経の絶対的妙法との関係がきちんと明らかになっていないという意味においては中途半端なところも存しておるのです。
そのところから、また、利的価値が一切の価値の基準であるような考えから、仏法のため、さらに、仏法を弘める自分達のためにはどんなことをしてもいいのだというような思想が、牧口氏や戸田氏のあとの創価学会の根底にずっと胚胎してきている意味があるのではないかと思うのです。

 つまり、自分達の利のためには、どんな筋違いも、無節操も行うというような、利本位の考え方にすり替えられているのではないかと思うのであります。

 もちろん、法華経のなかに功徳利益妙という大事な問題がありますが、それは仏法の真理を元とする教行と人に体験されるものと思います。
しかし、むしろ価値論をもって、こういった仏法の利益を考えたり、あるいは自己中心、自己本位な考え方でもって、仏法の展開や護持、その他色々な問題を考えるところに、本末転倒の大きな誤りを生じてきたのではないかと考えられるのです。

 今日の創価学会の狂った在り方において、例えば、私を倒さんがためには、全く事実無根のことを証人まで作って捏造し、中傷誹謗するというような姿がありますが、これなどは、やはり価値論の利を根底とする考えが、さらに逸脱した弊害といえるのではないかと思います。

 そのようなところから考えるならば、牧口さんは否定したけれども、真・善・美の、真という意味の価値についても考えてみる必要があると思うのです。
法華経の十界互具・百界千如・一念三千、すなわち、仏の不思議の悟りによって真理が直ちに功徳(利益)となる境智冥合の本義を忘れて、利得中心の考えで律してはならないと思います。

 法華経に説かれる法理、大聖人様の御法門、あるいは仏教の大きな流れ、例えば「空仮中円融三諦」というような在り方について考えてみても、それは利でもなければ、美でもありません。
やはり真理であります。
その正しい全分の真理を悟り行ずるところに、最高の善が存するのであります。

 また、釈尊は小乗の偏空の諦理を説いておりますが、これと大乗の空、あるいは実大乗の円融三諦等と比べてみれば、真理自体は客観的存在だとしても、当然、修行者にとっては大小、優劣という意味において価値が存するわけですから、我々と直接、関連が出てくるわけです。
その意味において、真理が全く価値の内容ではないということが、はたして言えるかどうか。
境智冥合の境とは仏の悟られた真理・真如の全体であり、そこを外れて成仏の大利はないはずです。

 このような哲学や価値論等の問題についても、皆さん方が色々な法門の内容を学んでいくなかにおいて、その一分として先人の誤りを正しつつ研鑚をしていただきたいと思います。
とにかく、仏法と哲学とを混乱せずに、正しい見方を持っていくことが大切でしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・r

 次に、戸田二代会長について少し触れますと、この方は「生命論」ということをいわれたとされております。
池田大作は、戸田氏が獄中において悟達したということを盛んに言っております。
つまり、牧口氏と前後して捕まって獄中にいたが、その時に無量義経のなかの「非」という字について、これが三十四あるというのですが、これが何であるのか、常に考えて、考えぬいた結果、生命であると到達したというのです。
これが「獄中の悟達」であるというのです。

 しかし、この獄中の悟達ということについては、戸田氏が言っていたというよりも、おそらく池田大作が勝手に言っているだけだと思います。
また、考えてみれば、三十四の非が生命の当体であるとしても、結局、無量義経ですから、やはりその教えには限界があるのです。

 無量義経は、

  「無量義とは一法より生ず」(開結八四�n)

ということを説いた経典であって、けっしてその一法の当体が何であるかを説いたものではないのです。
したがって、法華経に来て初めて、その一法が妙法蓮華経として顕れるわけですから、無量義経でいくら思索して、「これは生命だ」と悟達したとしても、それはまだ法華経の迹門にも到達していない、法華経に至らんとする道程の悟りであって、久遠元初の悟りであるとは到底いえないのです。

 すなわち、

  「問ふ、妙法蓮華経とは其の体何物ぞや。答ふ、十界の依正即妙法蓮華の当体なり。
  問ふ、若し爾れば我等が如きの一切衆生も妙法の全体なりと云はる可きか。答ふ、勿
  論なり」(新定二―一〇一五�n・全集五一〇�n)

との御教示もありますように、我々の命が妙法の当体であるということがはっきりと顕れるのは法華経ですから、その手前のところで悟ったとしても、それは無量義経当分の悟りであると言わざるをえません。

 しかし、そのようなところから法華経へ来て、戸田氏が十界論の上から法門を展開されたのは結構であります。
また、戸田さんが方便品、寿量品の講義で、特に寿量品の内容において、久遠元初の仏様を直ちに日蓮大聖人であると述べていることは、これは非常な達観だと思います。

 もちろん、戸田氏はよく勉強された方ですので、『百六箇抄』『本因妙抄』等はお読みになっていたはずですから、そのようなところからの言だとは思いますが、やはり法門についても実に長けた方であったと思います。

 これについては、日寛上人が化導の上から、

  「故に知んぬ、釈尊の御化導は久遠元初に始まり、正像二千年に終るなり」
                            (学林版六巻鈔二五四�n)

ということを仰せであります。
つまり、久遠元初に始まるということは、人格的な呼称からするならば、まだ釈尊という立場であるということであります。
これは、まさしく『総勘文抄』の御文に、

  「釈迦如来五百塵点劫の当初凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろし
  めして即座に悟りを開きたまひき」(新定三―二〇四二�n・全集五六八�n)

とあるとおりであります。
すなわち、大聖人様御自身が、久遠元初の即座開悟は釈尊であると仰せでありますから、やはり、その表現を尊重あそばされて、久遠元初の仏様としての名前は釈尊であるとされておるのです。

 しかし、『本因妙抄』『百六箇抄』をもう一歩深く拝するならば、また、根本法義たる本門下種の凡夫即仏の上からするならば、やはり大聖人の御正意は、久遠元初の仏は日蓮なりという、名異体同のところに存することは明らかであります。
これについては、何年か前の御影堂での説法でも申し上げさせていただきましたので、記憶にある方もいるかと思います。

 ただ、そこで問題があるのです。
機根の問題であります。
これについても、登座してまもなくの教師講習会で、かなり詳しく述べたと思います。

 戸田氏は、我々は久遠元初に大聖人様から下種を受けたけれども、真剣に修行しなかったので、今日、こうして六道に苦しんでいるのであり、その救済のために、末法に大聖人様が御出現になったといいます。
また、日寛上人の御法門からいえば、久遠元初に下種を受けて熟脱の方面に回った人は、五百塵点劫を経過して釈尊に値って、そして久遠元初の下種を発得したということになっております。

 ですから、つい最近の像法の時代まで、釈尊仏法の領域として、つまり熟脱の仏法によって久遠元初に受けた下種をそのまま発得して仏になっているのに、末法の衆生だけが久遠元初と同じ下種を改めて受けるということになると、これは論理的に問題が生じてくる意味があるのです。

 結局、これは機に約して考えてしまうからそうなるのです。
機は、無量義経にも、

  「性欲不同なれば、種種に法を説きき。種種に法を説くこと方便力を以ってす」
                                 (開結八八�n)

と説かれているように無量なわけですから、この無量の機について論ずれば、無量の法門ができます。
ですから、あくまで法を中心にして考えるべきであると思います。

 そこで私は、私なりに御相伝の法門を拝し、『百六箇抄』『本因妙抄』等の法門も拝し、また、下種本仏に三世常住の御利益がおわしますことを考えれば、その時代その時代における下種の機に対して、それに応じて下種の仏が出現するということであれば、そこになんらの問題はないと思います。

 したがって、日寛上人は仏法のさばきの上から、久遠元初から正像二千年までを種・熟・脱の三つに分けて、末法の下種の法体の出現を示されたわけであります。
これについては、実に深いところですし、本日の趣旨から外れますのでここまでにしておきます。

 とにかく、戸田氏によって、昭和二十一年に創価学会として再建され、昭和二十七年に法人が設立されたわけですが、当時の宗門においても、やはり、この法人設立について多少の議論や意見がありました。

 私は、はっきり申し上げて反対の立場でした。
ですから、あの当時、堀米日淳上人が常泉寺の住職をしておられて、私はその前の本行寺の住職でしたから、別の宗教法人を作ることを認めることについては反対である旨を率直に申し上げたことがあるのです。

 その時の御返事は、「ともかく、真剣に広宣流布を進めようと考えているのだから、やらせてみようではないか」ということでありました。
これは、既に戦前において、牧口氏による相当の広布の実績がありましたし、また、その弟子である戸田氏の傑出した指導力、教学力、教化力をかなり買っておられたからでもあり、何よりも戸田氏に、正しい信心の一念があることを信頼せられていたからであると思います。

 これは、私一人の時だけでなく、日達上人も常在寺から常泉寺においでになって、さらに今の重役である観妙院さんもおられたのですが、その席において、「ともかく、思うよ
うにやらせてみて、おそらく色々と問題が起こってくることもあろうが、その時はその時できちんとけじめをつければいいだろう」というお言葉があったのです。

 このように、日淳上人が戸田氏の信心を信頼せられて、法人の設立を認めるお考えでありましたので、時の御法主である日昇上人に御進言申し上げて、許可しようということになったのです。

 この別個の宗教法人設立の功罪については、たしかに色々な意味で功の意味もあったと思います。
しかし、独立した宗教法人になることによって、やはり独自の独立意識が出てくる。
これが、やはり仏法でいう我意識に通ずるものがあるのです。
つまり、「学会が」という我見であります。
これがどうしても出てくるところが、罪のほうの根本ではなかろうかと思うのです。

 我があると、そこに当然、我所見が起こってくる。
つまり、「自分」というものがあれば、「自分のものである」という意識が生まれてくるのです。
ですから、創価学会というものがあれば、特に独立した宗教法人であれば、なおさら、そこに所属する会員は創価学会のものであり、宗門などは関係ないという意識が起こってくるのです。

 さらに、もう一つの問題があります。
それは職業幹部の発生です。
これも、その嚆矢を切ったのは戸田氏でありました。
つまり、給料を与えて広宣流布のために働かせるわけです。
それがだんだんと本部職員その他、今のような形になってきた。
そこに、むしろ金銭によって縛られるような形、あるいは色々と腐敗のような形までも出てきているように聞き及んでおります。
そのような点は皆さんも色々と聞いていることと思います。

 しかし、戸田氏はそのようなことをしたために、また一面、心の底において、「このようなことから、将来において創価学会が誤った道に進むことがあってはならない」という
気持ちを強く持っておったと私は思います。

 その気持ちの表れが、皆さんのなかでも聞いておる人がいると思いますが、「学会は車引きである」等の発言であります。
つまり、創価学会の役目は、謗法の人を折伏して、御本尊の前へ、御戒壇様のもとにお連れすることにあるという意味の発言であります。
今でいえば、バスの運転手と同じで、あくまで決まった正しい目的地に連れていくことがその役目であると考えていたのです。
そのように戸田氏は発言されておるのです。

 ところが、その運転手がお客を目的地に連れていく役目を放棄して、バスに乗せるということを目的にし、あとは自分が行きたい所に勝手に連れていくようになってしまったらどうなりますか。
今の学会は池田の我見によって、全くそのようになってしまっているのです。

 ですから、戸田氏は、自分が進めている組織作りにはそのような危険の伴うことを予想し、あくまで創価学会は日蓮正宗を外護する正しい信徒団体であってほしいという願いを篭めて、そういった歯止めの意味の発言をされたと思うのです。

 あの岡山での発言にしてもそうです。
ここにも妙蓮寺さんや当時の大阪布教区の人など、直接、聞いた人が何人かおりますし、その場所には信徒の方もいたそうですが、

「これから学会がどんどん大きくなっていくと思いますけれども、もし学会が大きくなって、宗門に圧力をかけたり、あるいは内政干渉するようなことがあったら、いつでも解散をお命じください」

という意味のことを、はっきりと言われておるわけです。

 それから、妙光寺の御住職をしておられた大東院さん、すなわち柿沼広澄師の日記に書いてあることですけれども、戸田氏は小樽の法論のあとに、

「創価学会はいつ、つぶれてもいいのである。しかし、宗門だけは絶対につぶしてはいけない」

という意味の発言もされております。

 つまり、そのような発言を色々な場所で頻繁にされておるということは、宗教法人を作った時点において、やはり、将来において創価学会がこのように堕落してしまうのではないかという、非常な危惧を抱いておられたということであると思います。
したがって、それに歯止めをかける意味でこのような発言を種々、残されておると思います。

 『撰時抄』に、
  「人路をつくる、路に迷ふ者あり、作る者の罪となるべしや」
                      (新定二―一二二九�n・全集二五七�n)

という文があります。
道に迷う者があったからといって、道を作った者の責任とはならないという大聖人様の御指南でありますが、やはりそのような面から考えてみても、戸田氏はけっして迷わせようとして創価学会という組織を作ったのではなく、あくまで日蓮正宗を正しく外護し、正しく信心するために作ったわけですから、我見に執われて迷う者、また、迷わせるように指導した者が悪いのであります。

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 次に、池田大作の邪義に触れることにしたいと思います。

 三大秘法に対する邪義は皆さんもよく聞いておることと思いますが、三大秘法に共通する池田大作の根本的な誤りはどこにあると思いますか。
私は、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇、このすべてに共通しておる誤りがあると思うのです。
これは、口先だけは「大聖人直結」などと言って、大聖人を崇めているようですけれども、その説明の方法、方式、また、今までにやってきたことを見れば、すべて御本仏である大聖人のお心を蔑ろにしておるということであります。

 本尊の説明にしても、
「妙法蓮華経は宇宙に実在する法だ」
というように言っており、これについても色々な人が批判もしているけれども、やはりそのような表現をするならば、日淳上人が仰せのように、大聖人様のお心に具わる妙法がそのまま宇宙に遍満しておるということでなければならないのです。
ですから、宇宙に遍満する法だけを取って、そのリズムを我々が受けるという形では、明らかに境智冥合の「境」のほうだけを取って、「智」を無視しておるのです。
つまり、仏智を無視しておるわけですから、大聖人様の一念において具わる妙法、一念三千の御本尊様をも蔑ろにしておるわけです。

 また、

  「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ」
                    (新定二―一〇〇六�n・全集一一二四�n)

とも仰せでありますが、とにかく、池田大作の説明は、大聖人様を無視し、御本尊を蔑ろにし、法を破っておるわけです。

 やはり、このようなところから本尊の模刻があったともいえるわけです。
この件については実に重大なことでありますし、当時、日達上人が、池田大作がかなりの影響力を持つ指導者であることなど、種々の状況を鑑みられて、最終的に「これ以上、触れてはならない」と仰せになっているけれども、今日、ここに至れば、御本仏大聖人の仏智を無視した、池田大作の本尊観から、本尊模刻という形も出たということは申し上げておきます。

 題目に関してもそうです。
本尊観が間違っているならば、本尊に対する能通の題目ですから、邪義になるのは当然であります。
ですから、『阿仏房御書』の、

  「地水火風空の五大なり。此の五大は題目の五字なり」
                     (新定一―八三四�n・全集一三〇四�n)

の文について、宇宙の法則としてのお題目であるというような解釈になるのです。

 しかし、お題目は大聖人様のお心としての本門の題目なのです。
したがって、仏力、法力、信力、行力といって、妙法の四力ということをいいますが、仏力、法力を度外視した本門の題目はないのです。
つまり、大聖人様の己心の人法一箇の当体、仏力・法力の功徳を拝して唱えるのが信力・行力の題目であります。

 これも、御本仏宗祖大聖人のお心を拝するという信心がないから、このように題目観も誤ってくるのです。

 今日になれば、そのお題目に対する軽視の姿が「南無妙法蓮華経」の商標登録になったともいえると思います。
結局、お題目を口先だけで唱えておる邪宗教の者達から文句が出て、その後、どうなってしまったのか詳しいことは知らないけれども、法を下げる結果になってしまったわけです。

 それで、特に三番目の戒壇に関する邪義は最もひどいのです。
今まで色々な面で私も申し上げておりますけれども、この戒壇ということは御本仏日蓮大聖人様の終窮究竟の御遺命であります。
題目の法門は、宗旨建立以来、ずっと説かれておりますし、本尊については佐渡以降からお示しになるけれども、戒壇ということだけは、佐渡中の『法華行者逢難事』の追申の文のほかは、身延に入って、『法華取要抄』に初めて正式に名目が出、『報恩抄』にも名目だけはあります。
しかし、結局、戒壇の本義をはっきりとお説きになるのは、『三大秘法抄』と、御相伝書としての『一期弘法抄』だけなのです。

 少ないから大したことはないと思う人はまさかいないと思いますが、御法門は数の多さではありません。
数の上では、法華経と阿含経とを比べれば、全く阿含経のほうが多いですし、般若経などは、法華経の一部八巻に対して大変な巻数です。
まして、その肝心は一品二半であります。
ですから、教法の値打ちというものは数の多さではないのです。

 この戒壇の法門の御指南、また、その内容は、そのまま大聖人様が末法万年の衆生を救済せんとするお心であるわけです。
すなわち、戒壇という形だけを仰せになったのではなく、三世常住の御本仏の一貫するお心の上からの究極の御遺命であるわけです。

 ところが、それを形式と精神に分けてしまったのが、あの大慢心、大我見の池田大作なのです。
たびたび申し上げておりますが、あの昭和三十九年の台東体育館での、

  「戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆が全大衆がしあわせ
  になることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるし
  として置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問
  題と考えてさしつかえないわけでございます」

という発言、これは大聖人のお心を全く排除してしまっているのです。
我々は、『三大秘法抄』『一期弘法抄』を拝する場合、あくまで大聖人のお心の上から御文を拝さなければならないのです。
そこに、遺弟の遺弟たる所以があり、血脈相承を承けられた日興上人様のお心もあるわけです。

 それを、自分が広宣流布を達成したと言いたいがために、大聖人様のお心から離れて、形だけ戒壇を建てればいいというのが、あの者の狂った考えであります。
つまり、創価学会が未曾有の八百万世帯まで折伏したということから、これも実際にはそうでもないらしいけれども、とにかく、その実績をもって、大聖人様の御遺命は自分が達成したことにしてしまおうとしたわけです。

 ですから、「私がやりました、全部やりました」というようなことを最近でもよく発言しておるようですが、結局、大聖人の本当のお心である真の広宣流布の達成は大変である
からごまかして、自分に都合のいいように御遺命をすり替えたわけであります。
まさに摧尊入卑であります。

 我々が、大聖人の御指南のままに、これから広宣流布を考えていく上において、『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇の法門は、必ず文・義・意の三段の上から拝さなければならないのです。
すなわち、意は、絶対に大聖人様のお心でなければならないのです。
それを、何がなんでも我々が達成した、自分がやったということにしようとするのが池田大作の邪念であります。

 その邪念は、「絶対に大聖人様の御遺命を達成し、本門戒壇を建立する日が来る」という我々の大確信とは根本的に違うのです。
今日、その大確信こそ、我々は持たなければならないし、また、そこを離れては大聖人の弟子としての資格はないのです。

 また、当時、盛んに「民衆立」ということを言っておりました。
しかし、先程も申しましたが、たかだか日本の人口の十分の一にも満たない数で、民衆立も何もないわけです。

そこで、公明党の在り方等、すべてを自分の都合のいいように解釈したわけですが、日達上人がおっしゃった広布の定義的な意味から考えても、純真にして確実な信徒が少なくとも三分の一ということにならなければならないわけです。

 そのような意味から考えても、当時の状況、また、今の創価学会でも御遺命の達成は足元にも及ばないことなのです。
それを何とか達成したことにしたかったわけです。
それで、当時、民衆立ということを盛んに言ったのです。

 ところが、「国立」ということを主張したのが浅井昭衛のほうの妙信講で、今でも盛んに「一天広布国立戒壇」ということを言っております。
しかし、国立という考え方は、国の機関が建てるということになると思うのです。
つまり、国は一つの国家機関でありますから、憲法や法律があります。
今の憲法においては、いくら妙信講が「国立戒壇だ」と叫んでみても、結局、憲法には違反するわけですから全く不可能なのです。

 また、私は、国家機関が建てるということになると、大聖人様の御精神から少し外れるようにも感ずるのです。

 そこで、私はこのように考えたらどうかと思うのです。
私は、それほど偉くもありませんから、今後、このようにすべきだという意味で申し上げるわけではありません。
また、この戒壇建立ということは、『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇、すなわち大聖人御遺命の戒壇でいいと思いますし、それ以上、何かいう必要はないとも思います。
しかし、敢えて一つの考え方として申し上げるならば、「国主立」という言い方はどうだろうと思うのです。

 国主立という言い方であれば、これは国家機関ではなく、人格的な意味がそこに入ってくると思うのです。
つまり、機関が建てるのではなく、大聖人様の御仏意を正しく承け継いだ方が、複数か単数かは別としても、そのような方が尊い信心の上から建てるという意味がそこに出てくると思うのであります。

 しかも、国主ということであれば、その時その時の政治形態がどのような形であれ、すべて当てはまってくると思うのです。
例えば、現在においては主権在民ですから、国民が国主であります。
したがって、将来の広布の進展の相において、憲法を改正できる数の国民が純真な信徒になれば、国主である国民による戒壇建立ということが可能となるのであります。

 さらに、『一期弘法抄』の御文を拝しても、

  「日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国
  主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」
                     (新定三―二六八七�n・全集一六〇〇�n)

と、「国主」という語が明らかに示されております。
この御指南からすれば、戒壇を建立する方は、国主でもあるし、御遺命を承けた日興上人でもあると拝せられます。

 やはり、日興上人のお立場、また、僧侶の立場は法を伝持するところにありますから、基本的には、そのような経済的基盤というものは持っていないわけです。
したがって、純真な信徒となり、外護する立場となった国主と僧団とが一つになって建てよという意味が、この
「国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」
という御遺命に篭められておると拝する次第であります。

 ですから、『一期弘法抄』のなかにおける「国主」という語においても、この国主立という言い方が、実状に即するのではないかと考えるわけです。

 しかし、私は、これからの宗門において国主立と言おうと申しているわけではありません。
あの昭和四十五年、御虫払会の御影堂における御説法において日達上人が、

  「有徳王・覚徳比丘のその昔の王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕わしたならば、
  必ず勅宣並に御教書があって霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねられて戒壇が建立出来
  るとの大聖人の仰せでありますから私は未来の大理想として信じ奉るのであります」

と仰せになった如く、我々はあくまでも『三大秘法抄』『一期弘法抄』に御遺命の戒壇を、我々に与えられた民衆救済の大事業として、どこまでもその達成に向かって正しく進むべきであるということを申し述べるものであります。

 とにかく、日達上人の御苦心等により、直ちに正本堂が『一期弘法抄』『三大秘法抄』の戒壇ではないという形になっているけれども、池田大作としては御遺命が達成したことにしたかったのです。

 ですから、昭和四十三年の着工大法要の時には、

  「法華本門の戒壇たる正本堂」(大日蓮二七三号巻頭)

と、『三大秘法抄』の御文を挙げて、明らかに御遺命の戒壇であるかのように発言しているのです。

 また、ある人の記述によれば、昭和四十七年十月十二日の正本堂落慶の日に、下山するバスのなかで、

「本日、七百年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました」

という、嘘の伝言をさせたというのです。
この一事を見ても、いかに池田大作が大聖人御遺命の達成ということに執著があったか判ろうというものです。

 ですから、日達上人にその野望を遮られたことがのちのちまでも内心の恨みとなっていったと思うのです。
そのような色々の因縁の上から起こしてきたのが、いわゆる五十二年路線、また、「広布第二章」という在り方であったと思うのです。

 ですから、池田大作は、
「七百年の伝統があっても、大聖人の本義は民衆のなかにある、人間のなかにある」
ということを頻繁に言っておるようですけれども、
「民衆のなかにある、人間のなかにある」
と言ってみても、その民衆や人間を導くのは仏様であります。
その仏様のお心を蔑ろにしているわけですから、そこにあの者の大誑惑の元があるのです。

 また、宗門のことを
「行動しない、振る舞わない」
とも言って、
「それは出世の本懐ではない」
とも言っておるようですけれども、これも、
「出世の本懐を行じているのは自分である」
と言いたいわけです。
結局、池田大作の肚は、すべて自分がやったと言いたいだけなのです。

 明日、近藤恒道房が
「本宗教義より、所謂『人間主義の宗教』について論ぜよ」
という論題について、代表として発表することになっておりますが、要するに、戸田氏が行わなかった海外布教の功績を強調して、そこから本末転倒した広布に関する考え方を妄想したのが、池田大作の広布第二章の考え方であります。

 しかし、法華経の流布には、時代的にも空間的にも国土的にも順序次第があるのです。

もちろん、随方毘尼という意味から、その国の風俗習慣を考慮して、ある程度は摂受の形を取ることも出てくるだろうけれども、やはり日本が根本の妙国ですから、あくまで日本を中心として世界へ弘めるという考え方でなければならないのです。

 ところが、池田大作の考えは、これは私がまだ教学部長で、あの者も連絡会議に出てきていたころの話ですが、

「これからは広布第二章で海外へ出て、そして今度は逆上陸する」

というようなことを言っておりました。
これが今、行われているところの、世間に媚びるような形の平和運動、文化運動、さらに内外一致のような考え方の元であります。
やはり、そこに本末転倒してはならないということを、我々はけじめをつけて考えていかなければならないと思います。

 したがって、日本における広布の内容、もっと極端にいえば、学会員の考え方までが、今日、メチャメチャになっておると思います。
だから、今日、我々がいくら正しい道に教導せんとしても、全く判らない者が多いのであります。
全く基本からずれてしまっておるのです。
だからこそ、現在の創価学会は正法広布の団体ではないと断ずるものであります。

 それから、その他の謗法義として「御本尊直結」という問題があります。
皆さんも御本尊直結ということを言っておるのを聞いていると思います。
では、どなたの御本尊に直結するというのでしょうか。
大聖人様の御本尊であれば、弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊がその究竟でありますから、これ以外にはございません。

 ところが、この問題が起こるや、御戒壇様を求める純真な信徒がお参りできないというような種々の事情もあり、平成三年七月より、本来の登山の形式である末寺を通しての添書登山に戻したわけです。

 しかし、その後においても、池田大作はもちろん、創価学会員のすべてに対して、御戒壇様に対する登山参詣の道は開かれていたのであります。
これは、今日でも、信徒除名処分に付された池田大作以外の者には開かれておるのです。
ところが、
「お山は野犬の巣となっている」
「草がぼうぼうで荒れている」
「一回の御開扉料が三万円」
あるいは
「五万円である」
などとデマを流し、それでも登山参詣しようとする者には吊るし上げのようなことまでして、絶対に本山に登山させないようにしておるようであります。

 ですから、口では御本尊直結と言いながら、戒壇の御本尊に対する直結ではないという形を、自分達ではっきりと証明しているのです。
これは、まことに大矛盾であります。

 また、現在、彼等が拝している御本尊は、御歴代上人の御本尊や私が御書写申し上げた御本尊のお形木様であります。
しかし、むしろ彼等は、その御歴代に対して、
「日精上人が謗法だ、この歴代から血脈がおかしい、切れている」
等と否定し、私に対しても三流の週刊誌のような論調で、嘘や捏造、すり替え等をもって誹謗中傷の限りを尽くしている始末です。

 一体、彼等は、どなたの御本尊に直結しようというのでしょうか。
全く彼等の言っておること、やっておることは矛盾だらけなのであります。

 御本尊の深義は、『御本尊七箇之相承』に拝する如く、今日、下種三宝一体の上に伝承されております。
その三宝を明らかに否定し、誹謗しておいて、御本尊直結などということは絶対にありえないのです。
つまり、日蓮正宗における正しい三宝や血脈を否定して御本尊直結と言うのであれば、他の日蓮門下や新興宗教のなかにも同じようなことを唱えるものはいくらでもあるわけですから、それらとなんら変わることはないわけです。
したがって、彼等の言う御本尊直結は全くの矛盾であり、邪義であり、大悩乱の姿であるわけです。

 また、「御書直結」ということも言っております。
しかし、法門についての領解は実に未熟であり、御書を正しく拝しておりません。
正しく拝せないにもかかわらず、自分の都合で歪めて解釈しているのです。

 例えば、

  「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり」
                     (新定二―一七六〇�n・全集一一六五�n)

という文が『四条金吾殿御返事』にありますが、これは、三国伝来して仏法が弘まる形の上において、前代の邪法邪義や外道の教えとの間にきちんとけじめがついていくという、仏法の本義の上からのお示しであります。
どのようなことをしても、ただ勝てばいいというのは仏法の本義ではありません。

 ところが、「勝負をさきとし」という所だけをつかまえて、
「仏法は勝負だ、勝つのが仏だ」
とまで言っているようです。
「勝つのが仏だ」
などという解釈はありません。
この一例だけを挙げても、御書直結などと言いつつも、法門については実に未熟であり、自分の都合によって御書を歪めて解釈していることが判るのです。

 また、これから彼等は色々な邪義を出してくると思いますが、そのためにも我々がきちんと拝していかなければならないのが、大聖人の御化導の順序次第です。
大聖人の御化導は、佐渡以前は題目の弘通であり、御本尊様の御当体をお示しになるのは佐渡以降です。
これは明らかであります。

 その上から、例えば、大聖人の御化導の初めのほうに当たる『一生成仏抄』の、

  「但し妙法蓮華経と唱へ持つと云ふとも、若し己心の外に法ありと思はば全く妙法に
  あらず」(新定一―一二六�n・全集三八三�n)

という御文について、よく引用している人がいるけれども、この文についてもその意味を深く考えなければいけないのです。
直ちに『一生成仏抄』の文を持ってきて、そのまま解釈するのではなく、我々が拝するときには、当面の『一生成仏抄』としての本門の題目に具わる意味、あるいは権教と法華経迹門との相対の上からの、己心の妙法蓮華経という意味からの諸法実相・一念三千に約する妙法、本迹相対の上からは久遠実成、種脱相対の上からはさらに深く、宗祖大聖人様の下種本仏の己心としての御法というように、やはり大聖人の深いお心を拝して釈さねばならないのです。

 つまり、身延にお入りになって御本意の御法門をお示しになり、さらにそれを御本尊様の御相貌にまではっきりと顕されるわけですが、そこから『一生成仏抄』という御書を拝
してこそ、大聖人様のお心に添い奉った形で御文が拝せるわけです。

 そこからこの御文を拝するならば、直ちに御本仏としての大聖人様の己心であり、大聖人様の己心以外には御本尊の妙法はないという意であることは明らかであります。
しかし、邪義を唱えんとする者は、この
「若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」
という文だけを取って、衆生の迷心に妙法があるのだと言い出すのであります。

 おそらく、彼等は、将来的には池田大作を仏にしたいであろうし、さらに飛び越えて御本尊を拝むことすらも否定し、自分の命のなかにある妙法だけを拝めばいいというような邪義を言い出すとも思われるのであります。

 これも、既に言い始めているようです。
御本尊の「南無妙法蓮華経 日蓮」という御文字を拝するのに、「南無妙法蓮華経 自分の命」というように拝するという指導があったというようなことも聞いております。

これは、御本仏の御本意を顕された御本尊様を全く浅く考えて、つまり摧尊入卑し、大聖人の仏智を外して、自分の心のみを妙法と観ずるのが仏であるというのです。
これが、つい最近まで日蓮正宗の信徒団体であった組織の指導かと思うと、いかに悩乱しているかが実によく判ります。

 これは、結局、大聖人のお心を無視し、大聖人御一期の御化導の順序次第をわきまえないために、自分の都合のいい文だけを持ってくるところから起こってくる邪義であります。

これから創価学会も邪義邪宗になっていくと思いますが、この御書直結という考え方に、やはりその誤りの元があるということであります。

 これも、御本尊直結という語と同様に、御書直結と言うならば、創価学会も相伝のない身延をはじめとする他の日蓮宗各派や新興宗教と、その主張するところは変わりがないわけです。

 要するに御書直結という語自体が、大聖人の御聖意に反しているわけです。
やはり、相伝の仏法の上から、きちんと御歴代上人、御先師の御指南を体し、その上で正しく御書を拝すべきであり、また、そうしなければ絶対に正しく拝することはできないのであります。

 つまり、御書直結という言い方は、各宗各派の種々雑多の見解と等しく、池田大作の一偏見に過ぎないのであります。
また、先程も申し上げたように、素人の短見による文義の読み違いがあるわけです。
さらには、信心未熟によって大聖人の御魂に背くということになるのです。

 これは、全く先程の戒壇の法門がそうであります。
『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇の御文を拝しながら、大聖人のお心を離れて、池田大作の我見で自分が達成したことにしようとするのですから、文意を全く誤って解釈することになります。

 こういうところに、御書直結の大きなひずみと誤りがあるわけであります。
ですから、浅薄な己義、我見に過ぎないのです。

 ところが、いかなる仏法用語も、この池田大作が用いると、全く自己を荘厳する語として使われるのです。
先日の『文藝春秋』のなかでも、中古天台式の観心主義というような言い方をしましたが、とにかく、池田大作の我見による仏法用語の解釈はまことにひどいものです。

 例えば、「人法体一」という語を創価学会の組織に使うのです。

「創価学会の組織は法であり、会員一人ひとりは人である。法である組織のなかにきちんと溶け込んだ姿が、人法体一なんだ」

というようなことを言っておったそうです。
あきれてものがいえません。

 それから、「倶体倶用」についても、この語自体は妙楽の法門ですけれども、さらに本門の上から論ずるならば、本門の仏様の法体の上の語であります。
それを、

「自分が倶体で会員は倶用だ」

と言ったというようにも聞いております。
とにかく、なんでも自分のところへ持ってくるのです。
やはり、これも御書直結ということから起こってくる誤りであり、我見の姿であります。

 それから、次に「大聖人直結」ということについてであります。
これは、直ちに大聖人様とつながっているということでありますから、日興上人も日目上人もいらないという考え方なのです。
つまり、「血脈の次第 日蓮日興」、唯我与我の日興上人の意義を全く否定し、相伝の教えも、御歴代御先師の御指南も全くなしに、大聖人の仏智、仏見を知ることができるという考えですから、その傲慢非道にはあきれ果てます。

 また、結局、池田大作のような人間が、大聖人のお考えを、御本仏の智・慈悲のすべてを理解し、一つになることができるということですから、大聖人をも軽視・蔑視しておる
ことにもなります。

 このように日興上人をも否定しておるくせに、日興上人は僧宝として立てるというのですから、もう彼等の主張することは支離滅裂で、全く一貫性がないのです。

 しかし、今日に至るまでの歴代上人による法宝伝持なくして、また、その御指南がなくして、大聖人の正しい法義を知ることは絶対にできないのです。
根本的には狂っていても、池田大作が富士の正義に似た法門を語ることができたのは、やはり歴代上人の御指南を通して御書を読み、多少の教学を身に付けたからであります。
それも実に浅はかな教学であったようだけれども、やはり根本的に信というものがない故に、我見に執われて邪義を唱えるようになってしまったのです。

 したがって、大聖人直結と言いながら、大聖人の究極の御指南である三大秘法の一々を、我見をもって解釈し、大聖人のお心を踏みにじっておるわけです。
大聖人直結などとは、全くのたわごとであります。

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 次に、宗門や僧侶、寺院に対する創価学会の誤った考え方に触れておきたいと思います。

 池田大作は、

「寺院はあくまで授戒所であり、これを間違えると、寺本位の仏教に傾き、ついに形式化、形骸化する。これは歴史が証明している。だから創価学会でなければ駄目だ」

というようなことを、昔から言っておるようです。
要するに、寺院を中心とする信仰姿勢は必ず形式的になり、広布の進展はありえないという考え方であります。

 皆さん、この侮蔑を肝に銘じていただきたい。
我々は、これから揺るぎない広布体制をしっかりと築き、それを確実に推進し、拡充していくことによって、また、我々僧侶の信心と行によって、この池田大作の大慢心による侮りをぶち破ろうではありませんか。

 このように、池田大作をはじめとする学会首脳は、御本尊を安置しておるところの寺院を軽視し、法を伝持する僧侶を侮っておるわけですが、やはり昭和五十二年路線の原因もそこにあるわけです。
また、ある意味では宗門に対して被害者意識があり、不信感があったと思われます。
それが高じて、宗門を支配しようというような考え方になってきたとも考えられます。

 あの四代会長の北条浩は、三座の観念において、日目上人までの観念しかしていなかったというようなことを聞いたことがあります。
つまり、日道上人以下の御歴代に対しては御報恩を申し上げる必要はないとして、わざわざ省いておったというのです。
このような狂った邪見の信心の在り方を、昔から創価学会では行っていたということでありますが、表向きの態度に私もずっとだまされておりました。

 私は、大聖人様の教えを信じている者は、その教えの上からも、常に正直たらんとしていると信じておりました。
しかし、やはり彼等には根本的に信心がなかったということであると思います。

 このなかにも、昔、創価学会首脳の策謀を見抜いて立ち上がった方々がおりますが、私はその方々に対し、ここで改めて敬意を表するものであります。

 しかし、私がこのように申しますと、「だからあの時にこうしていれば……」と思われる人もいるかも知れませんが、やはり、「時」ということを考えていただきたいと思います。
色々な時、種々の事情、因縁の姿があるのであります。

 終戦後、私は寺院において法華講を作って広布への御奉公を志しました。
しかし、当時はまさに創価学会の興隆期で、色々な意味でぶつかったのです。
ぶつかりぶつかり、ぶつかった上で、「これからの宗門においては創価学会を外して考えるべきではない」と言われ、そこで私は、寺院における僧俗和合という、自分の広布推進の考えは一時、見合わせ、創価学会が広宣流布の団体なんだ、僧侶として学会の発展のためにできる限りの援助をしなければならないというところに到達したのであります。

 そのような流れのなかで、日達上人から「平安寺に行くように」との命を受け、昭和三十八年に平安寺に行ったような経過もありました。

 したがって、皆さん方にも色々な考えがあるだろうけれども、一朝一夕の因縁や考えではなく、色々な面において、また、時や状況の上からの姿があるということであります。

 そして、今日、学会の誤りが実にはっきりと明らかになってきているという意味もあるように、個々個々にも時があり、宗門全体にも、それぞれに正しく対処し、対応していくべき時というものがあるということも考えていただきたいと思います。

 とにかく、池田大作は非常な慢心の上から、日達上人御当職のころから、

「正本堂をはじめとする本山の建物や全国の寺院は自分が造った。
日蓮正宗の今日の興隆はすべて自分の功績であるから、その功徳は量り知れないんだ。
だから私や創価学会を馬鹿にしたり、金もうけの手段にしたり、権威で押さえつけようとしたり、中傷批判をしたならば、仏罰が下り、みんな地獄へ行く」

というようなことを言っているのです。
これは僧侶に当てつけて言っているのです。

 実は、平成元年のことですが、内事部の役職員から、
「かなり長い間、御開扉の御供養が据え置きになっており、現状に即した金額ではなくなっているので検討したい」
という申し出がありました。
もっともなことでありましたので、色々と検討し、本当にわずかな金額の値上げを創価学会に打診したところ、表向きはもっともらしい理由をつけて断ってきました。

 ところが、漏れ聞くところでは、先程の発言と同様に、陰で

「今の猊下は金に汚い。創価学会を金もうけの手段にし、金のことばかりを言っている」

と言っておったらしいのです。
自分達は財務と称して、会員からあのようなメチャクチャな金集めをしながら、その金額に比べれば実にわずかな金額を、しかも御戒壇様への御開扉の御供養を惜しむわけですから、あきれ果てたものです。
やはり、その根本には、創価学会の会員は自分のものであるという我所見がありますから、わずかなものでも宗門に渡したくないという、実に汚い貪りの心があるのであります。
まことに哀れなものであります。

 また、

「寺院は単なる葬式の場でしかない。
我等こそ広宣流布を進めており、大聖人直結の血脈がある。
本当の仏法は僧侶仏法ではない。
私がみんなの師匠であり、私につくことが本当の信心だ」

ということも、頻繁に言っておるようであります。

 その上から、

「日達上人は間違っていたから亡くなられた。
私が正しかったから勝ったのだ」

というような、まことにひどいことを、たしかに言っておったそうです。

とにかく、池田大作は、仏法の深い因縁などというものは全く考えずに、すべてを目先の勝ち負けで考えますから、なんとか自分が勝ったことにしたいのであります。

 今もそうです。
どのような汚い手段を用いても絶対に勝った形にしなければいけないということで、嘘や捏造、すり替え、あらゆる姑息なやり方をもって私や宗門や僧侶を誹謗中傷しております。
あのヒロエ・クロウの問題、その他色々な面において、それが現れております。

 それから、昭和四十八年十月十四日には、正本堂東廊下で池田大作が日達上人に怒鳴りつけたことがありました。

「学会を奴隷にするな」

というような、非常に乱暴な言葉を吐いたのでありますが、しかし、日達上人は、この池田大作の誹謗を僧侶の尊い忍辱の鎧をもって見守られ、慰撫教導に努められたのであります。

 昭和四十年には、いわゆる「妙光寺事件」がありました。
このなかにもあの時にその場にいた人が何人かおりますが、私も正本堂建設委員会の委員の一人としてその場におりました。
とにかく、その理由は猊下より席が下であったとか、出されたメロンが小さかったとか色々とあったようでありますが、池田大作が当時、総監をしておられた大東院さんに対して、実にひどく怒鳴りつけたのです。
二時間近く怒鳴っていたと思いますが、本当に修羅というか何というか、何を怒っているのかよく解らないのだけれども、ありとあらゆる宗門に対する怒りを爆発させて、次から次へと文句が出てくるのです。

 やはり、当時は、広布の進展の相を深く鑑み、宗門全体が創価学会の横暴に対して忍辱の衣を着て、教導せんとしていた姿があるのであります。

 それから、今でこそ創価学会員が「日顕、日顕」と呼び捨てにしておりますが、池田大作は昔から「坊主、坊主」と言っていたそうであります。
幹部が池田大作の前で、僧侶のことを「御僧侶」とか「御尊師」とか「先生」などと言うと、

「私の前で坊主に対して敬称を使う必要はない、坊主でいいんだ。
猊下の子分になるのなら坊主になれ」

と、直ちに叱責したということであります。

 また、

「坊主は知恩報恩でなければならない。
俺が坊主どもを護っているのだから、坊主どもはそれに応えなければいけない」

というようなことも言っておったそうで、自分一人だけが偉いという慢心から、全く宗門の三宝を敬うという気持ちはなかったのです。

 僧侶に対する恩ということについては『四恩抄』をはじめとする御書にきちんと示されております。
やはり、仏法僧の三宝が今日まで正しく伝わったからこそ、池田大作も信徒となることができたのでありますから、これは本末転倒の考え方なのです。

 もちろん、池田大作がこのようなことを言い出さなければ、僧侶の立場から僧侶に対して恩を報じなければならないなどとは申しませんが、やはり池田大作の邪義を破るために申しておく次第です。

 ほかにも色々とあるのですが、時間の関係もございますので割愛いたします。

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 最後に「宇宙」という語について申し上げておきます。

 最近、「石田塾」云々という名で色々とファクシミリが届いているようです。
このようなものが本当にあるのかどうかは知らないけれども、とにかく、池田大作の誤りを指摘した文書であるようです。
この文書のなかで、「池田大作が『宇宙』という語を『法界』と同義語で使っているのは間違いである」というような内容がありましたが、私は必ずしもそこに執われる必要はないと思うのです。

 「宇宙」という語は、たしかに仏法用語ではありません。
古い中国の語であったように記憶しておりますが、やはり実際に使われるようになったのは、明治以降ではないかと思います。

 「宇」は、軒とか家の意味のほかに、大なる広がり、いわゆる天地四方の空間を意味し、「宙」は時間的な広がり、過去・現在・未来の流れを示すということでありますから、い
うなれば宇宙という語は無限の時間や空間を意味しているわけです。

 仏法でいうところは依正二報でありますから、国土世間等の依報と、十界という正報による、いわゆる法界であります。
したがって、この法界の内容において、その広がりという面の補助的な意味で使うのならば、私は宇宙という語を使うことが即、外道義であるとは必ずしもいえないのではないかと思うのです。

 我々は、池田大作が狂った邪義をあまりに唱えるために、あの者の使う語にまで神経質になり過ぎているきらいがあると思うのです。
たしかに、我々の拝し奉る大聖人様の一念三千の妙法境界を直ちに宇宙だというのは、これは全くの誤りであります。
しかし、いわゆる十方法界の広がりの意味において、その補助的に使うという意味であるならば構わないと思うのです。

 これは御先師も使われておるのです。
例えば、日応上人の御著述などにも、宇宙という語を使われておりますが、法界等の補助語として使われておると、私は拝しております。

 やはり、あまり語にばかり執われていると、すべての語が使えなくなってくる意味も出てくると思うのであります。
哲学上の用語であっても、仏法上の事柄を説明するために補助的に使うことがあってもいいわけですから、池田大作の邪義を破ることは大切ですが、だからといって、あまりに用語のみに執われてはいけないということを、最後に申し上げておきます。

 本日は、創価学会の誤りの内容について要点をかいつまんで申し上げたわけでありますが、今後、我々はこれらの邪義を完膚なきまでに破折し、正しい三宝観をもって、大聖人様の三大秘法の本義を常に拝して広宣流布に向かい、正法護持に精進することを期したいと思います。

                                (文責・編集室)