富士門徒の沿革と教義 松本佐一郎著 41   


大国阿朗師

 朗師には日朗御譲状があり、これは艮本の遺文録(2106)にも載せられてゐる。
曾て本圀寺日達僧都がその解説を版行して大に真書たることを力説したものだが、残念ながら私には到底これを真書と見ることが出来ない。

 私はその実物を見たことはないが史料編纂所に、本圀寺で影写したものが架蔵されてゐる。
これで見ると、紙質の筆勢のと騒がないでも一見して聖人の御筆跡ではない。
殊に花押は、弘安五年の御判といふことになってゐるが文永期のものに形が近く、シカモ文永のものですらない。
即ち現存のすべての聖人の花押とちがった形なのである。

影写本には辻善之助博士の筆蹟で「偽」と朱註がしてある。
辻博士が真となさった所で私が其を偽とすることに躊躇するものではないが、大家の眼力を以てしなくても偽物明瞭なものである。
稲田老師の註記にも真蹟でないと言ってゐる(艮2106)。

 その上入文後分は尽く相承そのものと何の関係もない本迹一致論の法門であって、本迹一致の論を展開するのに都合の良い遺文の偽造と、日朗師に大導師職が有ったとする証文の偽造と、ニッに分けてやれば良かったものを一通で両方とも片付けようと欲張ったばかりに、虻も蜂も取り損った下手偽作の標本のやうなものである。
しかしこれが偽書であっても其は朗師から後の誰かゞ行ったさかしらであって朗師の御責任ではない。


「日朗御譲状
譲与
南無妙法蓮華経
末法相応一閻浮提第一立像釈迦仏一体立正安国論一巻 御免状
右為妙法流布一切利益於法華経中一切功徳者所与大国阿闍梨也。至尽未来際為仏法捨於身命一心可弘通妙法者也。夫迹本雖広不出妙法五字。昔迹今本也。広略要之中取要中要可令弘通一閻浮提。雖撰肝心要豈捨広略哉。迹門実相説者是久成之本也。寿量遠本依迹顕也。今此迹本二門共皆迹仏説也。迹無本者不得顕本。本無迹者依何垂迹。本迹雖殊不思議一也。是此経一部正意也。亦是如来第一実説也。釈尊一代之深理亦日蓮一期之功徳無残所悉所付属日朗也。寿量品云我本立誓願乃至皆令入仏道毎自作是念乃至速成就仏身。
 弘安五年十月三日   日蓮  花押」


   明治三十五年六月廿三日京都本圀寺二於テ全章ヲ拝セシ処愚見二任セハ今ノハ是真蹟二アラズ余ハ先哲ノ賢評二委ス(稲田海素記)


  立像釈迦仏一体が一閻浮提第一であり、末法相応であるといふのは本圀寺日達僧都に依れば親心本尊妙に「来入末法姶此仏像可令出現」とある出現とは海中出現の事だといふので、この解釈はその前に大曼荼羅の相貌を記したのを受けて此仏像と言はれた文脈を全く無視した解釈であり、又同書に脇士を以て本尊の格を定める法門が示されてゐるのにも対応しない。
この仏像は脇士が無いからそれ自体で仏位を証することはできぬ。
妙曼の讃文に一閻浮提未曾有とあることとも衝突する。

達師も言ふ如く、立正安国論の真蹟は数本ある。
特に本圀寺本を以て相承の証とする義も乏しい。

赦免状三通に至っては跋扈将軍の赦免状だ。
法王の珍重すべきものではない。


 次に仏法の要は題目の五字にあることは観心本尊抄(金+少)に明文がある。
ここに至っては寿量品と前後の両半品の「一品二半ヨリノ外ハ小乗教邪教未得道教覆相教」(艮942)と打払はれて、「但シ彼ハ脱此ハ種也彼(釈尊)ハ一品二半此(日蓮)ハ但題目ノ五字也」と末法相応の要法は下種の題目にのみ結せられる。

天台宗なら本迹雖殊不思議一でも良いが、日蓮宗では題目の体内に入らねば本迹共に用を失ふ。
又、迹門に十如実相の文は有るが義分は本門寿量に限る(開目抄取意)本迹雖殊不思議一なりといふのは天台宗でいふことで日蓮宗も文は借りるが根幹法門ではない。

後に記すが当山には摩詞(※ 訶 の誤植か)一阿が御譲状を持出して海難紛失したといふ伝説が有る。
其が真実なら御譲状の真偽判も余計な仕事となるが、伝説が史実として確認されたわけでもないから、念の為文献批判をしておいた。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

参考

「日朗御譲状」読み下し文(間違いあれば修正お願いします)

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥


「日朗御譲状」弘安五年十月。六十一歳作。在・京都本圀寺(非公開)

 譲り与ふる
 南無妙法蓮華経
 末法相応一閻浮提第一の立像釈迦仏一体
 立正安国論一巻 御免状

右、妙法流布一切利益の為に、法華経中の一切の功徳に於ては、大国阿闍梨に与ふる所なり。
尽末来際に至るまで、仏法の為に身命を捨てゝ、一心に妙法を弘通すべき者なり。

夫れ迹、本広しと雖も妙法の五字を出でず。
昔の迹は今の本なり。
広、略、要の中に、要が中の要を取りて一閻浮提に弘通せしむべし。
肝心の要を撰ぶと雖も豈に広略を捨てんや。
迹門実相の説は是れ久成の本なり。
寿量の遠本は迹に依りて顕るゝなり。
今此迹本二門は共に皆迹仏の説なり。
迹に本無くんば本を顕すことを得じ。
本に迹無くんば何に依りて迹を垂ん。
本迹殊なりと雖も不思議一なり。
是れ此経一部の正意なり。
亦是れ如来第一の実説なり。

釈尊一代の深理も亦日蓮一期の功徳も残る所無く、悉く日朗に付属する所なり。
寿量品に云く「我本立誓願(乃至)皆令入仏道。毎自作是念(乃至)速成就仏身」。

  弘安五年十月三日                   日蓮花押

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

日達上人講述・略解日興遺誡置文

[04]
一、偽書を造って御書と号し本迹一致の修行を致す者は師子身中の虫と心得べき書。

彼等五人の系統の人々は自分に都合の悪い御書は偽書と云いながら、今度は勝手に自分に都合のよい偽書を造って御書と偽称しているのである。
その著名な例は日朗御譲状である。
それには「迹に本無くんば本を顕すことを得ず、本に迹無ば何に依て迹を垂れん、本迹殊なりと雖も不思議一也」などと偽作して、大聖人の「本迹の相違は水火天地の違目なり云云、本迹を混合すれば水火を弁えざるものなり」云云、(治病大小権実違目九九六頁)の御金言に背いて本迹一致の修行する者で、実に彼等は城者破城の師子身中の虫と云うべきである。