古往今来化儀化法秋毫(しゅうごう=いささかも)も乱れず、殊に宗旨の本源基礎確立して宗祖以来歴世之れを紹隆し始終一貫未だ曽て微塵も異義を雑(まじ)へたる事あらざるは実に是れ宗祖の正統血脈相承を紹継せる現証にして祖書経巻を解決するに純潔正確宗祖の正意本懐を顕彰し各派に独歩超出せる所以の者も亦之れ血脈相承あるが故なり。

(中略)

蓋し相承に経巻あり血脈あり、就中血脈相承を最とする所以は経巻相承と云ひ師資相承と称するも皆血脈相承に附随含有せらる、故に富士派に於て血脈相承と云ふは主要なるを以てのゆへにして敢て師資経巻の相承なきに非ず、総て此れ等の相承は宗祖より歴世之れを招隆せらるるなり、彼の顕本の所謂経巻相承なる自己勝手に名称せるものとは其の轍を異にせるなり。

而して富士派は血脈相承ある故に師弟相資け法統一系連綿紹隆し血脈相承ある故に経巻の正意を誤らず微塵の異解なく宗旨の本源確立し宗門の基礎鞏固(きょうこ)に万古に渉つて変ぜず各宗派に卓絶し鎮へに法威を輝(かがやか)す所以は則ち宗祖正統血脈相承を特有せるを以てなり、(富要7-381〜)

富士宗門史を語る

精師もそのものも、でき上ってきたんじゃないのです。若いとき、きたのです。そして大石寺にきて、江戸へ出て、そして、偉くなった。(中略)精師以後の人は、みんな、大石寺にきて大きくなった。所化できたのが多いですね。ですから要法寺からきたといっても、ただその、身体をもらっただけです。