▼>  寛師ってね、アンタところの法主だった人だよ。
>  こんなもん証明に使ってどうするんですか?
>  循環法ですね〜〜。
>  法主が言ってるから正しい。
>  でもね、私は法主信じない人間です。
>  何度も言ってるでしょう。
>  大聖人様しか信じないんです。
>  アンタさ、内部規定に頼るのいい加減やめたら。
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↑いよいよ 馬鹿丸出し ですね。

以前「やまいぬ。」とかいう駄犬を徹底的に破折し尽くしていた時の破折文を編集再掲して、沖浦君の痴言をやまいぬ。君同様に串刺しておきますか。

編集・加筆・再掲

「日寛上人書写の御本尊を本尊としながら日寛上人の御指南を用いない」という馬鹿犬がそこら辺をヨダレを垂らしながら徘徊しているようだが、以下の道理によって、全くの不可である。

■文字は是一切衆生の心法の顕はれたる質なり。されば人のかける物を以て其の人の心根を知って相する事あり。凡そ心と色法とは不二の法にて有る間、かきたる物を以て其の人の貧福をも相するなり。然れば文字は是一切衆生の色心不二の質なり。

日寛上人が書写された御本尊を本尊として尊仰するということは、

■「文字は是一切衆生の心法の顕はれたる質なり。」

との原理から、御本尊の御文字はそのまま日寛上人の「心法」の顕れた質(すがた)であるが故に、日寛上人という御方の「心法」への尊信がなくては有り得ない行為である。
ここに、御本尊は御歴代上人のみしか書写されない原理の一分を拝するとこができるのである。
つまり、御歴代上人は唯授一人・血脈相承によって内証三宝一体であらせられる、と大聖人様以来の決め事であるからこそ、御歴代上人しか御本尊を書写してはならないのである。
また、御歴代上人の御内証はそのまま三宝一体と拝するが故にそのお手になる御本尊をそのまま大聖人様の御魂魄として信仰することができるのである。
創価学会においても宗開両祖以来のこの一貫した教義信条を信じ成立した団体である。
であるから、破門後もその余習から、日蓮正宗の御歴代上人である日寛上人の御本尊をわざわざ担ぎ出して(変造を加え)自宗の本尊として発表しているのである。
また沖浦君なども日蓮正宗の御歴代上人である日達上人のお手になる御本尊を押し頂いているのである。

そのくせ沖浦君は法論時において、
●「一体誰が御本尊を書写できるのか?身延の貫主でもいいのか?北山の貫主でもいいのか?」との問いに、正当な返答ができない苦し紛れに
▼「将来、必要に応じてその時に決めればいい」などと、実に馬鹿げた愚答をなしていたが、大笑いである。
■未来の華を知らんと欲せば現在のその因を見よ。
今分からないものが将来俄かに分かるはずが無いのである。
つまり、沖浦君は御本尊は一体誰が書写していいのか、いけないのか、が全く分かっていないのである。
実に愚昧である。
■諸宗は本尊に惑へり そのままの醜態・痴態である。
そのくせ御歴代上人へあらん限りの誹謗を為している。
まさに太陽の恩を被りながらその太陽へ怨嗟の悪言を吐きつけているのと同様の大馬鹿者である。

一方、日寛上人の「心法」を、またよく表されたのが、日寛上人の数々の御指南であり、日寛上人の御本尊を信じる限りは同じ「心法」で表された日寛上人の「御指南」を信じない、などということは、全く道理に外れた愚行であり、それはただ「自分たちに都合が悪いから、御指南は無視したい。」との不遜で邪な心根からくるところの不信謗法以外の何物でもない。
■心の師とはなるとも心を師とせざれ。
との御制誡に背く、驕慢謗法行為である。(驕慢も不信から起こる)

この日寛上人の御指南を尊信しない者が、日寛上人の御本尊を拝んでも、それはただ表向き・外面・上辺の姿だけで、実際には信はない行為=つまり姿は合唱礼拝しているようでもその実は不信であり、結局堕獄必定の邪信である。

また、この矛盾に気づかないのは頭破七分で、もはや救いがたい一闡提人である。
例えて言えば

■「法華経を讃むと雖も還って法華の心を死(ころ)す」云云。例せば外道は仏経をよめども外道と同じ。蝙蝠(こうもり)が昼を夜と見るが如し。

日寛上人の御本尊を信じるようでも実はその御本尊の心=「心法」=日寛上人の御内証三宝一体により、すなわち日蓮大聖人の御魂魄を殺している。無視している。唾棄している。
外道が仏教を読んでも、全く仏の御心は分からず、外道と同次元でしか理解できないのと同様であり、
蝙蝠が昼間を、夜と見ているのと同様である。

ということである。

沖浦君、一言書けば書くほどに、もはや サンドバッグ 状態ではないか。
実に無惨である。
創価学会としても困るのではないだろうか。
このような痴言のオンパレードの者に「創価学会員」と名乗られることは。
沖浦君親子など、他も真面目な創価学会員にとっては甚だ迷惑な存在であろう。
人事ながら実に心配である。

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