▲一、舜師当山入院の節、法詔寺日感より檀頭への書状の略云云。

「然れば日舜未た御若年に候間寺檀定て軽々敷思召候はんかと笑止に存じ候、其の故は抑日蓮一宗御書

判の趣を以て一宗を弘め候事、諸寺一同の儀に候得共、別して、大石寺は金口の相承と申す事候て、是

の相承を受く人は学不学に寄らず生身の釈迦日蓮と信する信の一途を以て末代の衆生に仏種を植えしむ

る事にて御座候、天台宗は寺檀ともに智者にて候間、一念三千の観法を弘め智恵を以て仏種を養育せる

事にて候、日蓮宗の寺檀は愚者にて候間但信の一字を修して仏種を植え候、経文明白に開山の御本意之

に過きず候、是れを以て日興上人末代を思召し此の相承を残し置き給へり其の意趣を尋候に若し身の能

徳を以て貫主と定めば学者を信し非学者を謗して仏種を植えざるのみならず、謗法の咎出来して無間獄

に入り候はんこと不便に思召し其器量の善悪を簡ばす但相承を以て貫主と定められ候、故を以て一山皆

貫主の下知に随ひ貫主の座上を踏まざる事悉く信の一字の修行にて候、○釈迦日蓮代々上人と相承の法

水相流れ候へば上代末代其の身の器は替れとも法水の替る事少しも之なく候、此の如く信する時は末代

迄も仏法松柏の如くにて常に寺檀仏種を植え三宝の御威光鎮に於閻浮提広令流布は疑ひなき事に候、此

旨を相知り候上は如何様の僧貫主となるとも相承伝受候上は生身釈迦日蓮たるべきこと開山の御本意一

門徒の肝要にて御座候、袋くさしと云って金を御捨て候はんや、いらんをにくまばせんだんを得べから

ず、汚泥をきらはゞ蓮を取るべからず、若しさはなくして世間の貪瞋癡にふけり互に述懐を起こし学者

非学者を簡み軽慢の志あらば謗法の苦因を御植え候はん事必せり、信解品の文の如くたるべし、富士の

法則日有上人の御遺文に御背き候はゞ将来いかゞ候はんや、但【賛字滅す】者法を日昌上人の御仰せの

ごとく成され候はゝ法灯再ひ富士の峰にかゝやき【此間六七字磨滅す】八識の田地に仏種を御植え候は

んか、愚僧ごとき者の申すはをろかなる事に候ども年来の芳志浅からず存じ候故、微志を呈し以て報恩

を存し候故にて御座候、不宣謹言