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中山法華経寺を破す


HPから引用
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▼ 当山は鎌倉時代の高僧日蓮聖人が最初に開かれたお寺であります。
日蓮聖人は四つの大きな法難に遭われておりますが、その一つ松葉ヶ谷の焼打に遭われた折、大信者でありました若宮の領主富木常忍公(日常聖人)と中山の領主、太田乗明公は当地に聖人をおつれして百日百座の説法御弘通をお願いし、
聖人自ら釈迦牟尼佛を安置し開堂入佛の式を挙げられました。
これが法華経寺のはじまりであります。

その後文永元年(1264)11月11日、

※1 日蓮聖人は東条の郷小松原の地に於て、御難に遭われ眉間にきずを追われる危急の際、鬼子母神が出現したまい、その救護によって一命が救われ、中山に御避難された折、疵の養生のかたわら
鬼子母神霊験に深く感じ、その尊像を自ら彫刻開眼されたのであります

今日中山の鬼子母神さまとして天下泰平、五穀豊穣、万民快楽、子育守護等の祈願成就の御尊体として広く全国信徒の信仰を集めるに至ったのであります
近年その御霊験を慕う人にて育生会を組織し入会者が全国に広まっておりますまた、日常聖人は日蓮聖人のお書きになられた御書の散逸を逃れるため 置文や目録を作成し 今日に至っております(聖教殿)

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破折

● ※1 史実を示せ。


● 鬼子母神が本尊とならない文証


■ 此の曼茶羅能く能く信じさせ給ふべし。南無妙法蓮華経は師子吼(く)の如し。いかなる病さは(障)りをなすべきや。鬼子母神(きしもじん)・十羅刹(らせつ)女、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり。(経王殿御返事 文永一〇年八月一五日  五二歳 685)

→ 「十界曼荼羅本尊を信じなさい。その御本尊を信じる者を鬼子母神は守護する。」→ 鬼子母神自体を信仰の対象としていない。


■ 爰(ここ)に日蓮いかなる不思議にてや候らん、竜樹(りゅうじゅ)・天親(てんじん)等、天台・妙楽等だにも顕はし給はざる大曼荼羅(だいまんだら)を、末法二百余年の比(ころ)、はじめて法華弘通のはたじるし(旗印)として顕はし奉るなり。是全く日蓮が自作にあらず、多宝塔中(たほうたっちゅう)の大牟尼世尊(だいむにせそん)・分身(ふんじん)の諸仏のすりかたぎ(摺形木)たる本尊なり。

されば首題の五字は中央にかゝり、
四大天王は宝塔の四方に坐し、
釈迦・多宝・本化(ほんげ)の四菩薩肩を並べ、
普賢(ふげん)・文殊(もんじゅ)等、舎利弗(しゃりほつ)・目連(もくれん)等座を屈し、
日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅(あしゅら)・其の外(ほか)不動・愛染(あいぜん)は南北の二方に陣を取り、
悪逆の達多(だった)・愚癡(ぐち)の竜女一座をはり、
三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神(きしもじん)・十羅刹女(じゅうらせつにょ)等、
加之(しかのみならず)日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神々、
総じて大小の神・(しんぎ)等、
体の神つら(列)なる、
其の余の用(ゆう)の神豈(あに)もるべきや。

宝塔品に云はく
「諸の大衆を接して皆虚空(こくう)に在り」云云。
此等の仏・菩薩・大聖(だいしょう)等、総じて序品列座の二界・八番の雑衆等、一人ももれず此の御本尊の中に住し給ひ、妙法五字の光明(こうみょう)にてらされて本有(ほんぬ)の尊形(そんぎょう)となる。
是を本尊とは申すなり。
経に諸法実相と云ふは是なり。
妙楽云はく「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如乃至十界は必ず身土」云云。
又云はく「実相の深理、本有の妙法蓮華経」等云云。
伝教大師云はく「一念三千即自受用身(じじゅゆうしん)、自受用身とは出尊形の仏なり」文。
此の故に末曽有(みぞう)の大曼荼羅とは名付け奉るなり。
仏滅後二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云ふ事なり。


→ 十界曼荼羅御本尊こそ、「本尊」 であり、 「鬼子母神」 はその御本尊の中に列座する諸天の一類。
→ 鬼子母神を単独で取り出だして「本尊」としてはならない。


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