仏説無量寿経 巻下

曹魏 天竺三蔵 康僧鎧訳


仏、阿難に告げたまわく、

「それ衆生ありてかの国に生ずる者はみなことごとく正定之聚に住す。

ゆえんはいかん。

かの仏国の中にはもろもろの邪聚および不定聚なければなり。

十方恒沙の諸仏如来、みな共に無量寿仏の威神功徳不可思議なるを讃歎したもう。

諸有の衆生、その名号を聞きて、信心歓喜し、乃至一念せん。

至心に回向したまえり。

かの国に生まれんと願ずれば、すなわち往生を得、不退転に住せん。

唯五逆と正法を誹謗せんとをば除く。


仏、阿難に告げたまわく、

「十方世界の諸天人民それ至心に彼の国に生ぜんと願ずるあらん。

およそ三輩あり、

その上輩とは家を捨て欲を棄てて沙門と作り、菩提心を発し、一向に専ら無量寿仏を念じ、もろもろの功徳を修して、彼の国に生ぜんと願ぜん。

これらの衆生は寿終の時に臨みて無量寿仏もろもろの大衆とその人の前に現ぜん。

すなわち彼の仏に随いてその国に往生し、すなわち七宝華の中において自然に化生し、不退転に住し、智慧勇猛にして神通自在ならん。

このゆえに阿難、それ衆生ありて、今世において無量寿仏を見んと欲せば無上菩提の心を発し、功徳を修行し、かの国に生ぜんと願ずべし。」

仏、阿難に語りたまわく、

「その中輩とは、十方世界の諸天人民、それ至心に彼の国に生ぜんと願ずるあらん。

行じて沙門と作り大に功徳を修すること能わずといえども、当に無上菩提の心を発し一向に専ら無量寿仏を念ずべし。

多少に善を修し、斎戒を奉持し、塔像を起立し、沙門に飯食せしめて、絵を懸け、燈を然し、散華・焼香し、これをもって回向して彼の国に生ぜんと願ぜん。

その人臨終に無量寿仏、その身を化現し、光明相好つぶさに真仏のごとく、もろもろの大衆とその人の前に現ぜん。

すなわち化仏に随いてその国に往生し不退転に住し、功徳、智慧次いで上輩の者のごとくならん。」

仏、阿難に告げたまわく、

「その下輩とは、十方世界の諸天人民、それ至心に彼の国に生ぜんと欲するあらん。

たとえもろもろの功徳を作すこと能わずとも、当に無上菩提の心を発し、一向専意を専に乃至十念、無量寿仏を念じ、その国に生ぜんと願ずべし。

もし深法を聞きて歓喜信楽し、疑惑を生ぜず、乃至一念、彼の仏を念じ、至誠心をもってその国に生ぜんと願ぜば、この人臨終に夢のごとく彼の仏を見たてまつり、また往生を得、功徳・智慧次いで中輩の者のごとくならん。」

仏、阿難に告げたまわく、

「無量寿仏の威神極まりなし。

十方世界無量無辺不可思議の諸仏如来、称歎せざるはなし。

彼の東方恒沙の仏国において、無量無数のもろもろの菩薩衆、皆ことごとく無量寿仏の所に往詣し、恭敬供養し、もろもろの菩薩・声聞・大衆に及ぼさん、経法を聴受し、道化を宣布す。

南・西・北方・四維・上・下もまたまたかくのごとし。」

 

その時世尊、しかも頌を説きて曰わく、

東方諸仏国 その数恒沙のごとし
彼の土の菩薩衆 無量覚に往覩したてまつる。
南・西・北・四維・ 上・下もまたまた然り
彼の土の菩薩衆 無量覚に往覩したてまつる。
一切のもろもろの菩薩 おのおの天の妙華
宝香・無価衣をもたらして 無量覚を供養したてまつる。
咸然として天楽を奏し 和雅の音を暢発し
最勝尊を歌歎し 無量覚を供養したてまつる
神通慧を究達し 深法門を遊入し
功徳蔵を具足し 妙智等倫なし。
慧日世間を照らし 生死の雲を消除す
恭敬し繞ること三ゾウして 無上尊を稽首したてまつる。
彼の厳浄の土の 微妙難思議なるを見て
因りて無上心を発し 我が国もまた然らんと願ず。
時に応じて無量尊 容を動かし欣笑を発し
口より無数の光を出して 遍く十方国を照らす。
光を回して身を囲繞し 三ゾウして頂より入る
一切天人衆 踊躍してみな歓喜す。
大士観世音 服を整え稽首して問い
仏に白さく何に縁りて笑みたまえる 唯然り願くは意を説きたまえ。
梵声、猶し雷震のごとし 八音妙響を暢ぶ
当に菩薩の記を授くべし 今説かんなんじ諦に聴け。
十方より来れる正士 吾ことごとく彼の願を知れり
厳浄の土を志求し 受決して当に作仏すべし。
一切の法は 猶し夢・幻・響のごとしと覚了すれども
もろもろの妙願を満足して 必ずかくのごときの刹を成ぜん。
法は電影のごとしと知れども 菩薩の道を究竟し
もろもろの功徳本を具し 受決して当に作仏すべし。
諸法の性は 一切空・無我なりと通達すれども
専ら浄仏土を求め 必ずかくのごときの刹を成ぜん。
諸仏、菩薩に告げて 安養仏に覩えしむ
法を聞き楽しみて受行し  疾く清浄処を得よ。
彼の厳浄国に至りては すなわち速やかに神通を得
必ず無量尊において 受記して等覚を成ぜん。
その仏の本願力 名を聞きて往生せんと欲えば
みなことごとく彼の国に到りて 自ら不退転に致らん。
菩薩至願を興し 己が国も異なることなけんと願ず
普く一切を度せんと念じ 名顕れて十方に達せん。
億の如来に奉事し 飛化して諸刹に遍し
恭敬し歓喜し去いて 還りて安養国に到る。
もし人善本なくんば この経を聞くことを得ず
清浄有戒の者 いまし正法を聞くことを獲。
むかしかつて世尊を見しもの すなわち能くこの事を信ず
謙敬にして聞きて奉行し 踊躍して大いに歓喜す。
驕慢と蔽と懈怠は もってこの法を信じ難し
宿世に諸仏を見しもの かくのごときの教を楽聴せん。
声聞あるいは菩薩 能く聖心を究むるなし
たとえば生まれてより盲いたるもの 行きて人を開導せんと欲するがごとし。
如来の智慧海は 深広にして涯底なし
二乗の測るところにあらず  唯仏のみ独明了せり。
たとえ一切人 具足してみな道を得
浄慧本空を知り 億劫に仏智を思い、
力を窮め講説を極め 寿を尽くすともなお知らず
仏慧の無辺際なる かくのごとく清浄に致る。
寿命甚だ得難く 仏世また値い難し
人信慧あること難し もし聞かば精進に求めよ。
法を聞き能く忘れず 見て敬い得て大いに慶ばば
すなわち我が善親友なり このゆえに当に意を発すべし。
たとえ世界に満てらん火をも 必ず過ぎて要めて法を聞かば
会ず当に仏道を成じ 広く生死の流を済うべし。

仏、阿難に告げたまわく、

「彼の国の菩薩、みな当に一生補処を究竟すべし。

その本願、衆生のためのゆえに、弘誓の功徳をもって自ら荘厳し、普く一切衆生を度脱せんと欲せんをば除く。

阿難、彼の仏国の中のもろもろの声聞衆は身光一尋なり、菩薩の光明は百由旬を照らす。

二菩薩あり、最尊第一なり、威神の光明、普く三千大千世界を照らす。」

 

阿難、仏に白さく、

「かの二菩薩、その号いかん。」

仏の言わく、

「一をば観世音と名づけ、二を大勢至と名づく。

この二菩薩、この国土において菩薩の行を修し、命終転化して彼の仏国に生ぜり。

阿難、それ衆生ありて彼の国に生ずる者はみなことごとく三十二相を具足す。

智慧成満し、深く諸法に入りて要妙を究暢し、神通無碍にして諸根明利なり。

その鈍根の者は二忍を成就し、その利根の者は不可計の無生法忍を得。

また彼の菩薩、乃至成仏まで悪趣に更らず、神通自在にして常に宿命を識る。

他方五濁悪世に生じ、示現して彼に同じ、我が国のごとくならんをば除く。」

仏、阿難に告げたまわく、

「彼の国の菩薩、仏の威神を承けて、一食の頃に十方無量の世界に往詣し、諸仏世尊を恭敬し供養す。

心の所念に随い、華香・伎楽・絵蓋・幢幡、無数無量の供養の具自然に化生し、念に応じてすなわち至る。

珍妙殊特にして世のある所有にあらず、すなわちもって諸仏・菩薩・声聞・大衆に奉散す。

虚空の中にありて化して華蓋を成ず。

光色イク爍にして香気普く熏ず。

その華周円四百里なる者あり、かくのごとく転た倍してすなわち三千大千世界を覆う。

その前後に随い、次をもって化没す。

そのもろもろの菩薩、僉然として欣悦し、虚空の中において共に天楽を奏し、微妙音をもって仏徳を歌歎し、経法を聴受して歓喜無量なり。

仏を供養し已りて未だ食せざるの前に忽然として軽挙し、その本国に還る。」
仏、阿難に語りたまわく、

「無量寿仏、もろもろの声聞・菩薩・大衆のために法を班宣したまう時、すべてことごとく七宝講堂に集会す。

広く道教を宣べ、妙法を演暢したもうに、歓喜に心解し得道せざるはなし。

即時に四方より自然に風起りて普く宝樹を吹くに、五つの音声を出し、無量の妙華を雨らして、風に随い周遍す、自然の供養、かくのごとく絶えず。

一切の諸天、みな天上の百千の華香・万種の伎楽をもたらして、その仏およびもろもろの菩薩・声聞・大衆に供養す。 普く華香を散じ、もろもろの音楽を奏し、前後来往して更相に開避す。

この時に当りて、熈怡快楽勝げて言うべからず。」

仏、阿難に語りたまわく、

「彼の仏国に生ずるもろもろの菩薩等は講説すべき所に常に正法を宣べ、智慧に随順して違なく失なし。

その国土所有の万物において、我所の心なく、染着の心なし。

去来進止情係くる所なく、随意自在にして適莫する所なし。

彼なく我なく競なく訟なく、もろもろの衆生において大慈悲にして饒益之心、柔軟調伏にして無忿恨の心、離蓋清浄にして無厭怠の心・等心・勝心・深心・定心・愛法・楽法・喜法の心の、もろもろの煩悩を滅して悪趣を離るるの心を得たり。 一切菩薩の所行を究竟し、無量の功徳を具足成就せり。

深禅定・諸通明慧を得、志を七覚に遊ばしめ、心を仏法に修す。

肉眼清徹にして分了ならざるなく天眼通達して無量無限なり、法眼観察して諸道を究竟す。

慧眼真を見て能く彼岸に度す、仏眼具足して法性を覚了す。

無碍智をもって人のために演説す。

「三界は空、無所有なり」と等観して仏法を志求し、もろもろの弁才を具し、衆生の煩悩の患を除滅す。

如より来生して法の如々を解し、善く習滅の音声・方便を知りて世語を欣ばず、楽んで正論にあり。

もろもろの善本を修し、仏道を志崇す。

「一切の法はみなことごとく寂滅なり」と知り、生身・煩悩二余倶にに尽たり。

甚深の法を聞きて心疑懼せず、常に能く修行す。

その大悲は深遠微妙にして覆載せざるなく、一乗を究竟して彼岸に至る。

疑網を決断し慧心に由りて出づ、仏の教法において該羅して外なし。

智慧大海のごとく、三昧山王のごとし、慧光明浄にして日月に超逾せり。

清白の法具足し円満す、猶し雪山のごとし、もろもろの功徳を照らし等一にして浄きがゆえに。

猶し大地のごとし、浄穢好悪、異心なきがゆえに。

猶し浄水のごとし、塵労もろもろの垢染を洗除するがゆえに。

猶し火王のごとし、一切煩悩の薪を焼滅するがゆえに。

猶し大風のごとし、もろもろの世界に行じて障碍なきがゆえに。

猶し虚空のごとし、一切の有において所着なきがゆえに。

猶し蓮華のごとし、もろもろの世間において汚染なきがゆえに。

猶し大乗のごとし、群萠を運載して生死を出でしむるがゆえに。

猶し重雲のごとし、大法雷を震い未覚を覚するがゆえに。

猶し大雨のごとし、甘露の法を雨らし、衆生を潤すがゆえに。

金剛山のごとし、衆魔・外道動かすこと能わざるがゆえに。

梵天王のごとし、もろもろの善法において最上首なるがゆえに。

尼拘類樹のごとし、普く一切を覆うがゆえに。

優曇鉢華のごとし、希有にして遇い難きがゆえに。

金翅鳥のごとし、外道を威伏するがゆえに。

衆の遊禽のごとし、蔵積する所なきがゆえに。

猶し牛王のごとし、能く勝つものなきがゆえに。

猶し象王のごとし、善く調伏するがゆえに。

師子王のごとし、畏るる所なきがゆえに。

曠きこと虚空のごとし、大慈等しきがゆえに。

嫉心を摧滅せり、勝れるを忌まざるがゆえに。

専ら法を楽求して心厭足なく、常に広説を欲して、志疲倦なし、法鼓を撃ち法幢を建て、慧日を曜かし、痴闇を除く。

六和敬を修し、常に法施を行ず。

志勇精進にして心退弱せず。

世の燈明と為りて最勝の福田なり。

常に導師と為りて等しく憎愛なく、唯正道を楽い、余の欣戚なし。

もろもろの欲刺を抜きもって群生を安んず。

功慧殊勝にして尊敬せざるなし。

三垢の障を滅しもろもろの神通に遊ぶ。

因力・縁力・意力・願力・方便之力・常力・善力・定力・慧力・多聞之力・施・戒・忍辱・精進・禅定・智慧之力・正念・正観・諸通明力、如法調伏諸衆生力・かくのごとき等の力、一切具足せり。

身色・相好・功徳・弁才・具足荘厳して共に等しき者なし。

無量の諸仏を恭敬供養し、常に諸仏のために共に称歎せらる。

菩薩の諸波羅蜜を究竟し、空・無相・無願三昧・不生・不滅・もろもろの三昧門を修す。

声聞・縁覚の地を遠離せり。

阿難、彼のもろもろの菩薩はかくのごとき無量の功徳を成就せり。

我ただ汝がためにこれを略説するのみ、もし広説せば百千万劫にも窮尽すること能わじ。」

仏、弥勒菩薩諸天人等に告げたまわく、

「無量寿国の声聞・菩薩の功徳・智慧称説すべからず。

またその国土は、微妙安楽にして清浄なることかくのごとし。

何ぞ力めて善をなし、道の自然なるを念じ、上下なく洞達無辺際なるを著さざる。

宜しくおのおの勤精進し、努力して自ら之を求むべし。

必ず超絶し去りて安養国に往生することを得ば、横に五悪趣を截り、悪趣自然に閉づ。

道に昇ること窮極なし。

往き易くして人なしその国逆違せず、自然の牽く所なり。

何ぞ世事を棄て、勤行して道徳を求めざる。

極長生を獲て寿楽極まりあることなかるべし。

然るに世人薄俗にして共に不急之事を諍う。

この劇悪極苦の中において勤身営務しもって自ら給済す。

尊となく卑となく、貧となく富となく、少長・男女共に銭財を憂う。

有無同然にして憂思適に等し。

屏営として愁苦し累念積慮し、心のために走使せられ、安き時あることなし。

田あれば田を憂い宅あれば宅を憂う、牛馬・六畜・奴婢・銭財・衣食・什物、また共に之を憂う。

重思累息し憂念愁怖す。

横に非常の水火・盗賊・怨家・債主のために焚漂劫奪せられ、消散摩滅し、憂毒 シュ々として解くる時あることなし。

憤りを心中に結び、憂悩を離れず、心堅く意固くして適に縦捨することなし。

あるいは摧砕に坐して、身亡び命終りぬれば、之を棄捐して去る、誰も随う者なし。

尊貴・豪富もまたこの患えあり、憂懼万端にして勤苦かくのごとし。

衆の寒熱を結び、痛みと共に居す。

貧窮下劣は困乏して常に無なり。

田なければまた憂えて田あらんことを欲し、宅なければまた憂えて宅あらんことを欲す。

牛馬・六畜・奴婢・銭財・衣食・什物なければ、また憂いて之あらんことを欲す。

適一つあればまた一つ少く、これあればこれを少きぬ、あること斉等ならんを思う。

適に具さにありと欲えばすなわちまた糜散す。

かくのごとく憂苦して当にまた求索すれども、時に得ること能わず。

思想益なく身心倶に労して坐起安からず、憂念相随い勤苦かくのごとし。

また衆の寒熱を結び痛みと共に居す。

ある時は之に坐して身を終え命を夭す。

肯て善をなし道を行じ徳に進まず。

寿終り身死して当に独遠く去るべし。

趣向する所あれども善悪の道能く知る者なし。

世間の人民・父子・兄弟・夫婦・室家・中外の親属、当に相敬愛して相憎嫉することなく、有無相通じて貪惜を得ることなく、言色常に和して相違戻することなかるべし。

ある時は心に諍い恚怒する所あり、今世の意恨微しく相憎嫉すれば、後世に転た劇しくして大怨を成すに至る。

所以は何ん、世間の事更相に患害す、即時に応に急に相破すべからずといえども、然も毒を含み怒りを畜え、憤りを精進に結び、自然に剋識して相離るることを得ず、みな当に対生し更相に報復すべし。

人世間愛欲の中にありて独生じ独死し独去り独来る。

行に当りて苦楽の地に至趣す、身自ら之に当る、代る者有ことなし。

善悪変化し殃福処を異にす、あらかじめ厳待して当に独趣入すべし。

遠く他所に到りぬれば能く見る者なし、善悪自然に行を追いて生ずる所、窈々冥々として別離久長なり、道路同じからずして会い見ること期なし、甚だ難く甚だ難し、また相値うことを得んや。

何ぞ衆事を棄てておのおの強健の時に曼んで努力して善を勤修し、精進に度世を願ぜらる。

極長生を得べし、如何ぞ道を求めざらん。

安所ぞ待つべき所ある、何の楽を欲するや。

かくのごときの世人、善を作して善を得道を為して道を得ることを信ぜず。

人死して更りて生じ、恵施して福を得ることを信ぜず。

善悪の事すべて之を信ぜず、之を然らずと謂えり。

終にとするあることなし。

但これに坐するがゆえに且く自ら之を見、更相に瞻視して先後同然なり。

父の余せる教令を転た相承受す。

先人・祖父素より善を為さず道徳を識らず、身愚に神闇く心塞り意閉づ、死生の趣・善悪の道自ら見ること能わず、語る者あることなし。

吉凶・禍福競いておのおのこれを作す、一も怪しむものなし。

生死の常道転た相嗣立す、あるいは父子を哭しあるいは子父を哭す、兄弟・夫婦更相に哭泣す。

顛倒上下無常根本なり、みな当に過去すべし、常に保つべからず。

教語開導すれども之を信ずる者は少し。

ここをもって生死流転休止あることなし。

かくのごときの人、曚冥抵突にして経法を信ぜず。

心に遠慮なし、おのおの快意を欲す。

愛欲に痴惑し道徳に達せず、瞋怒に迷没し財色を貪狼す。

之に坐して道を得ず、当に悪趣の苦に更り生死窮已なかるべし。

哀れなるかな甚だ傷むべし。

ある時は室家・父子・兄弟・夫婦、一は死し一は生まる。

更相に哀愍し恩愛思慕す、憂念結縛し、心意痛着して迭相に顧恋す、日を窮め歳を卒えて解け已むことあることなし。 道徳を教語すれども心開明ならず。

恩好を思想して情欲を離れず、昏曚閉塞して愚惑に覆われ、深思熟計して心自ら端正に、専精に道を行じて世事を決断すること能わず。

便旋として竟りに至る、年寿終尽すれども得道すること能わず、奈何ともすべきことなし。

総猥ケ擾にしてみな愛欲を貪る。

道に惑える者は衆く之を悟る者は寡し。

世間ソウ々として レイ頼すべきことなし。

尊卑・上下・貧富・貴賎・ソウ務に勤苦 し、おのおの殺毒を懐く、悪気窈冥としてために妄に事を興す。

天地に違逆し人心に従わず。

自然の非悪、先づ随って之に興し、恣に所為を聴してその罪極まるを待ち、その寿未だ尽きざるにすなわち頓に之を奪い、悪道に下入し累世に勤苦す、その中に展転して数千億劫出づる期あることなし。

痛言うべからず。甚だ哀愍すべし。」

仏、弥勒菩薩・諸天人等に告げたまわく、

「我今汝に世間の事を語ぐ。

人これを用うるがゆえに坐して得道せず。

当に熟思計し衆悪を遠離し、その善者を択んで勤めて之を行ずべし。

愛欲栄華常に保つべからず、みな当に別離すべし、楽しむべき者なし。

仏の在世に曼んで当に勤めて精進すべし。

それ至心に安楽国に生れんと願ずることあらん者は、智慧明達功徳殊勝なることを得べし。

心の所欲に随いて経戒を虧負し、人の後にあることを得ることなかれ。

もし疑意ありて経を解らざる者は具さに仏に問いたてまつるべし。

当にために之を説くべし。」

 

弥勒菩薩長跪して白して言さく、

「仏は威神尊重にして、所説快善なり。

仏の経語を聴き心を貫して之を思うに、世人実に爾り、仏の所言のごとし。

今仏、慈愍して大道を顕示したまう。

耳目開明して長く度脱を得、仏の所説を聞き歓喜せざるなし、

諸天・人民・蠕動の類みな慈恩を蒙り憂苦を解脱す。

仏語の教誡は甚だ深く甚だ善なり、

智慧明らかに見て八方・上下・去来今の事究暢せざるはなし。

今我が衆等、度脱を得ることを蒙る所以は、みな仏の前世道を求むるの時謙苦せしが致す所なり。

恩徳普く覆い、福祿魏々たり、光明徹照し、空に達すること無極なり。

泥オンに開入し典攬を教授す、威制消化し、十方を感動すること無窮無極なり。

仏は法王たり尊きこと衆聖に超ゆ、普く一切天人の師と為り心の所願に随いみな得道せしむ。

今仏に値い、また無量寿仏の声を聞くことを得て歓喜せざるなし、心開明を得たり。」

仏、弥勒菩薩に告げたまわく、

「汝が言是なり、もし仏を慈敬することある者は実に大善たり。

天下久々にして乃ちまた仏あり。

今我この世において作仏し、経法を演説し、道教を宣布し、もろもろの疑網を断じ、愛欲の本を抜き、衆悪の源を杜づ。

三界に遊歩して拘碍する所なし。

典攬智慧衆道の要、綱維を執持して昭然分明に、五趣を開示し、未度の者を度し、生死泥オンの道を決正す。

弥勒当に知るべし、汝無数劫よりこのかた菩薩の行を修し、衆生を度せんと欲することそれすでに久遠なり。

汝に従い得道し、泥オンに至るもの、称数すべからず。

汝および十方の諸天・人民・一切四衆、永劫己来五道に展転し、憂畏勤苦具さに言うべからず、乃至今世まで生死絶えず。

仏と相値うて経法を聴受し、またまた無量寿仏を聞くことを得たり。

快いかな甚だ善し。

吾爾を助けて喜ばしむ。

汝今また自ら生・死・老・病・痛苦を厭うべし。

悪露不浄にして楽しむべき者なし。

宜しく自ら決断し、身を端し行を正し、益諸善を作し己を修め体を潔くし、心垢を洗除し、言行忠信に、表裏相応すべし。 人能く自ら度し、転た相拯済し精明に求願し、善本を積累せよ。

一世に勤苦すといえども須臾の間なり、後に無量寿仏国に生れ快楽無極なり。

長く道徳と合明し、永く生死の根本を抜き、また貪・恚・愚痴・苦悩の患なし。

寿一劫・百劫・千万億劫ならんと欲し、自在随意にみな之を得べし。

無為自然にして泥オンの道に次し、汝等宜しくおのおの精進に心の所願を求むべし。

疑惑中悔して自ら過咎を為し、彼の辺地七宝の宮殿に生じ、五百歳の中にもろもろの厄を受くることを得ることなかれ。」

 

弥勒、仏に白して言さく、

「仏の重誨を受け、専精に修学し、教えのごとく奉行し、敢て疑うことあらじ」と。

仏、弥勒に告げたまわく、

「汝等能くこの世において、端心正意を正にして衆悪を作さざれば甚だ至徳となす、十方世界に最も倫匹なし。

所以は何ん。

諸仏国土は天人の類、自然に善を作し、大いに悪を為さざれば、開化すべきこと易し。

今我この世間において作仏し、五悪・五痛・五焼の中に処す、最も劇苦たり。

群生を教化し、五悪を捨てしめ、五痛を去らしめ、五焼を離れしめ、その意を降化して、五善を持ちその福徳度世・長寿・泥オンの道を獲しめん。」

 

仏の言わく、

「何等か五悪、何等か五痛、何等か五焼、何等か五悪を消化し、五善を持ち、その福徳度世・長寿・泥オンの道を獲しむる。」
仏の言わく、

「その一悪とは、諸天人民・蠕動の類、衆悪を為さんと欲す、みな然らざるなし。

強き者は弱きを伏し、転た相剋賊し、残害殺戮し、迭相に呑噬す。

善を修することを知らず、悪逆無道にして後に殃罰を受け、自然に趣向す。

神明記識して犯す者は赦さず。

ゆえに貧窮・下賎・乞匈・孤独・聾盲・オンア・愚痴・弊悪あり、オウ狂・不逮の属あるに至る。

また尊貴・豪富・高才・明達なるあり。

みな宿世に慈孝にして善を修し、徳を積むの致す所に由る。

世に常道、王法の牢獄あれども肯えて畏慎せず、悪を為し罪に入りその殃罰を受く。

解脱を求望すれども免出を得難し。

世間にこの目前の見事あり。

寿終わりて後世に深く尤も劇し。

その幽冥に入り、転生して身を受く、たとえば王法の痛苦極刑のごとし。

ゆえに自然の三塗無量の苦悩あり。

その身を転貿し形を改め道を易え、受くる所の寿命あるいは長くあるいは短し、魂神・精識自然に之に趣く。

当に独り値向し相従い共に生じ、更相に報復して絶已あることなかるべし。

殃悪未だ尽きざれば相離るることを得ず、その中に展転して出期あることなし。

解脱を得難し、痛み言うべからず。

天地の間自然にこれあり、即時卒暴に善悪の道に至るべからずといえども会ず当に之に帰すべし。

これを一大悪・一痛・一焼となす。

勤苦かくのごとし、たとえば大火の人身を焚焼するがごとし。

人能く中において一心に意を制し、端身正行を正にして独り諸善を作し、衆悪を為らざれば身独り度脱してその福徳、度世・上天・泥オンの道を獲ん。

これを一の大善とするなり。」

仏の言わく、

「その二つの悪とは、世間の人民・父子・兄弟・室家・夫婦すべて義理なく、法度に順ぜず。

奢婬・ケウ縦にしておのおの快意せんと欲し、心に任せて自ら恣にし、更相に欺惑し、心口おのおの異に、言念実なく佞諂不忠にして巧言諛媚し、賢を嫉み善を謗り、怨枉に陥入す。

主上不明にして臣下を任用す、臣下自在にして機偽多端なり。

度を践み能く行い、その形勢を知る。

位にありて正しからざれば、それがために欺かれ、妄りに忠良を損じ、天心に当たらず。

臣はその君を欺き、子はその父を欺く、兄弟・夫婦・中外・知識更相に欺誑す。

おのおの貪欲・瞋恚・愚痴を懐き、自ら己を厚くせんと欲し、欲貪して多くす。

尊卑・上下心倶に同じく然なり。

家を破り身を亡し、前後を顧みず、親属・内外之に坐して滅す。

ある時は室家・知識・郷党・市里・愚民・野人転た共に従事し、更相に利害して忿成し怨結す。

富有なれども慳惜して肯て施与せず、愛宝貪重して、心労し身苦しむ。

かくのごとくにして竟りに至り、恃怙するところなし、独り来り独り去り、一りとして随う者なし。

善悪・禍福命を追うて生ずる所なり、あるいは楽処にあり、あるいは苦毒に入る。

然して後乃ち悔ゆとも当にまた何ぞ及ぶべき。

世間の人民心愚かに智少し。

善を見ては憎謗して慕及せんことを思わず、但悪を為さんと欲し妄に非法を作す。

常に盗心を懐き他の利を怖望す。

消散糜尽してまた求索す。

邪心不正にして人の色ることあらんことを懼る。

あらかじめ思計せず事至りて乃ち悔ゆ。

今世に現に王法の牢獄あり、罪に随いて趣向しその殃罰を受く。

その前世に道徳を信ぜず、善本を修せざるに因りて今また悪を為れば、天神剋識してその名藉を別つ、寿終り神逝きて悪道に下入す。

ゆえに自然の三塗無量の苦悩あり、その中に展転して世々累劫に出期あることなし、解脱を得難し痛み言うべからず。これを二大悪・二痛・二焼となす。

勤苦かくのごとし、たとえば大火の人身を焚焼するがごとし。

人能く中において一心に意を制し、端身正行にして独り諸善を作し、衆悪を為らざれば、身独度脱してその福徳度世上天・泥オンの道を獲ん。

これを二つの大善とするなり。」

仏の言わく、

「その三悪とは、世間の人民相因りて寄生し、共に天地の間に居す、処年寿命能く幾何もなし。

上に賢明・長者・尊貴・豪富あり、下に貧窮・廝賎・オウ劣・愚夫あり。

中に不善の人あり。

常に邪悪を懐き、但婬イツを念じ煩胸中に満てり。

愛欲交乱し坐起安らかならず。

貪意守惜し但唐得を欲す。

細色を眄ライ し邪態外に逸なり、自妻を厭憎し、私かに妄に入出す。

家財を費損し、事非法を為し、交結聚会し、師を興して相伐ち、攻劫・殺戮し強奪不道なり。

悪心外にあって自ら業を修せず。

盗竊して趣かに得れば、欲繋に事を成す、恐熱迫脅して妻子に帰給す。

心を恣にし意を快し、身を極めて楽を作す。

あるいは親属において尊卑を避けず、家室・中外患いて之を苦しむ。

またまた王法の禁令を畏れず。

かくのごときの悪、人鬼に著せられ、日月照見し、神明記識す。

ゆえに自然の三塗無量の苦悩あり、その中に展転し、世々累劫に出期あることなし、解脱を得難し、痛言うべからず。これを三大悪・三痛・三焼となす。

勤苦のごとし、たとえば大火の人身を焚焼するがごとし。

人能く中において一心に意を制し、端身正行にして独諸善を作し衆悪を為さざれば身独度脱してその福徳度世・上天・泥オンの道を獲ん。

これを三の大善とするなり。」

仏の言わく、

「その四悪とは、世間の人民善を修することを念わず、転た相教令して共に衆悪を為す。

両舌・悪口・妄言・綺語・讒賊・闘乱し、善人を憎嫉し、賢明を敗壊し、傍において快喜して二親に孝せず、師長を軽慢し、朋友に信なく、誠実を得難し。

尊貴自大にして己道ありと謂い、横に威勢を行じて人を侵易す。

自ら知ること能わず、悪を為して恥づることなし。

自ら強健をもって人の敬難を欲す。

天地・神明・日月を畏れず、肯て善を作さず降化すべきこと難し。

自らもちいて偃ケンとして常に爾るべしと謂い、憂懼する所なし。

常にケウ慢を懐けり。

かくのごときの衆悪天神記識す。

その前世に頗る福徳を作ししに頼りて小善扶接し営護して之を助く。

今世に悪を為して福徳尽く滅し、もろもろの善鬼神おのおの共に之を離る。

身独空立してまた依る所なし。

寿命終尽し、諸悪の帰する所自然に迫促し、共に趣きて之に頓る。またその名籍神明に記在せり。

殃苦牽引し、当に往きて趣向すべし。

罪報自然にして従って捨離することなし、但前行して火钁に入ることを得て身心摧砕し、精神痛苦す。

この時に当たりて悔ゆともまた何ぞ及ばん。

天道自然にして蹉跌を得ず。

ゆえに自然の三塗・無量の苦悩あり、その中に展転し世々累劫出期あることなし。

解脱を得難し、痛み言うべからず。

これを四大悪・四痛・四焼となす。

勤苦かくのごとし、たとえば大火の人身を焚焼するがごとし。

人能く中において一心に意を制し、端身正行にして独り諸善を作し、衆悪を為さざれば、身独度脱してその福徳度世・上天・泥オンの道を獲ん。

これを四の大善とするなり。」

 

仏の言わく、

「その五悪とは、世間の人民徙倚懈惰にして、肯て善を作し身を治め業を修せず。

家室・眷属、飢寒・困苦す。

父母教誨すれば目を瞋らし怒りこたう、言令和せず、違戻反逆なり、たとえば怨家のごとし、子なきに如かず。

取与節なく、衆共に患厭す、恩に負き義に違い、報償の心あることなし。

貧窮困乏してまた得ること能わず、辜較縦奪し放恣遊散す、唐得を串数し、用いて自ら賑給す。

酒に耽り美を嗜み飲食度なし。

肆心蕩逸し、魯扈抵突にして人情を識らず、強いて抑制せんと欲す。

人の善あるを見ては憎嫉して之を悪み、無義無礼にして顧難する所なし。

自ら用いて職当して諌暁すべからず。

六親眷属所資の有無、憂念すること能わず、父母の恩を惟わず、師友の義を存せず。

心常に悪を念じ、口常に悪を言い、身に常に悪を行じ、曾て一善なし。

先聖諸仏の経法を信ぜず、道を行じて度世を得べきことを信ぜず、死後神明更生ずるを信ぜず、善を作して善を得、悪を得して悪を得るを信ぜず。

真人を殺し衆僧を闘乱せんと欲し、父母・兄弟・眷属を害せんと欲す、六親憎悪してそれをして死せしめんと願う。

かくのごときの世人心意倶に然り。

愚痴矇昧にして自ら以って智慧とす。

生の従来する所、死の趣向する所を知らず。

不仁・不順にして天地に悪逆す。

しかもその中において 倖僥を怖望し、長生を欲求すれども会ず当に死に帰すべし。

慈心教誨し、それをして善を念ぜしめ、生死・善悪の趣、自然にこれあることを開示すれども肯て之を信ぜず。

苦心に与に語れどもその人に益なし、心中閉塞し意開解せず。

大命将に終わらんとして悔懼交至る、あらかじめ善を修せず、窮まるに臨みて方に悔ゆ。

之を後に悔ゆとも将何ぞ及ばんや。

天地の間に五道分明なり、恢廓窈窕、浩々茫々として善悪報応し禍福相承く。

身自ら之に当る、誰も代わる者なし。

数の自然にしてその所行に応ず、殃苦命を追いて縦捨を得ることなし。

善人は善を行じて楽より楽に入り明より明に入る、悪人は悪を行じて苦より苦に入り、冥より冥に入る。

誰か能く知る者ぞ、独仏知るのみ。

教語開示すれども信用する者は少なし。

生死休まず悪道絶えず。

かくのごときの世人具さに尽すべきこと難し。

ゆえに自然の三塗、無量の苦悩あり、その中に展転し、世々累劫に出期あることなし、解脱を得難し痛み言うべからず。

これを五大悪・五痛・五焼となす。

勤苦かくのごとし、たとえば大火の人身を焚焼するがごとし。

人能く中において一心に意を制し、端身正念にして言行相副い、所作至誠にして語、語のごとく、心口転ぜず、独諸善を作し、衆悪を為らざれば、身独度脱してその福徳度世・上天・泥オンの道を獲ん。これを五大善とするなり。」

仏、弥勒に告げたまわく、

「吾汝等に語ぐ、この世の五悪、勤苦かくのごとし。

五痛・五焼展転相生ず、但衆悪を作し、善本を修せざればみなことごとく自然にもろもろの悪趣に入る。

あるいはその今世に先殃病を被り、死を求むるに得ず、生を求むるに得ず。

罪悪の招く所、衆に示して之を見しむ。

身死し、行に随いて三悪道に入り、苦毒無量にして自ら相ソウ然す。

その久しき後に至りて共に怨結を作し、小微より起こりて遂に大悪と成る。

みな財色に貪着し施恵すること能わざるに由る。

痴欲に迫られ、心の思想に随いて煩悩結縛し、解已あることなし。

己を厚くし利を諍い、省録するところなし、富貴・栄華時に当たりて快意し、忍辱すること能わず。

務めて善を修せず。

威勢幾くもなし、随いてもって磨滅す。

身労苦に坐し、久しくして後大に劇し。

天道施張し自然に糺挙し、綱紀・羅網上下相応ず、煢々シュ々として当にその中に入るべし。

古今にこれあり、痛ましきかな傷むべし。」

 

仏、弥勒に語りたまわく、

「世間かくのごとし。

仏みな之を哀み威神力をもって衆悪を摧滅し、ことごとく善に就かしむ。

所思を棄捐し経戒を奉持し、道法を受行して違失する所なくば、終に度世泥オンの道を得ん。」

 

仏の言わく、

「汝いまの諸天人民および後世の人、仏の経語を得、当に之を熟思し、能くその中において端心正行すべし。

主上善を為してその下を率化し、転た相勅令して、おのおの自ら端守、聖を尊び善を敬い、仁慈博愛にして仏語の教誨敢えて虧負することなく、当に度世を求め、生死衆悪の本を抜断すべし。

当に三塗無量の憂畏苦痛の道を離るべし。

汝等ここにおいて広く徳本を植え恩を布き施恵して、道禁を犯すことなかれ。

忍辱・精進・一心・智慧、転た相教化し、徳を為し善を立て、正心正意にして斎戒清浄なること一日一夜すれば、無量寿国にありて善を為すこと百歳するに勝れたり。

所以は何ん。

彼の仏国土は無為自然にしてみな衆善を積み、毛髪の悪もなけばなり。

ここにおいて善を修すること十日十夜すれば、他方諸仏国土において善を為すこと千歳するに勝れり。

所以は何ん。

他方仏国は善を為す者は多く悪を為す者は少なし、福徳自然にして造悪なきの地なり。

ただこの間のみ悪多く自然なるあることなし、勤苦求欲し、転た相欺紿す、心労し形困しみ、苦を飲み毒を食う、かくのごとくソウ務して未だ甞て寧息せず。

吾汝等天人の類を哀み、苦心に誨喩し、教えて善を修せしむ。

器に随いて開導し経法を授与するに、承用せざるなし、意の所願にありてみな得道せしむ。

仏の遊履する所、国邑・丘聚化を蒙らざるはなし。

天下和順に、日月清明に、風雨時をもてし、災レイ起こらず、国豊かに民安く、兵戈用いることなく、徳を崇び仁を興し、務めて礼譲を修す。」

 

仏の言わく、

「我、汝等諸天人民を哀愍すること、父母の子を念うよりも甚だし。

今我、この世間において作仏し、五悪を降化し、五痛を消除し、五焼を絶滅し、善をもって悪を改め、生死の苦を抜き、五徳を獲、無為の安きに昇らしむ。

吾世を去りて後経道漸く滅し、人民諂偽にしてまた衆悪を為し、五痛・五焼還って前の法のごとくならん。

久しくして後転た劇し。

ことごとく説くべからず、我但汝がために略して之を言うのみ」

 

仏、弥勒に語りたまわく、

「汝等おのおの善く之を思い、転た相教誡し、仏の経法のごとく、犯すことを得ることなかれ」

 

ここにおいて弥勒菩薩、合掌して白して言さく、

「仏の所説は甚だ苦なり、世人実に爾り、如来普慈哀愍しことごとく度脱せしむ。

仏の重誨を受けて敢えて違失せざれ。」

仏、阿難に告げたまわく、

「汝起ちて、更に衣服を整え、合掌恭敬し、無量寿仏を礼すべし。

十方国土の諸仏如来、常に共に彼の仏の無着無碍なるを称揚讃歎したまう。」

 

ここにおいて阿難起ちて、衣服を整え、正身西面し、恭敬合掌五体投地し、無量寿仏を礼し、白して言さく、

「世尊、彼の仏の安楽国土およびもろもろの菩薩・声聞大衆を見んと願ず」と。

この語を説き已るに即時に無量寿仏大光明を放ちて普く一切諸仏世界を照らしたまう。

金剛囲山・須弥山王・大小の諸山・一切所有、みな同じく一色なり。

たとえば劫水の世界に弥満せるに、その中の万物沈没して現ぜず、滉瀁浩汗として唯大水を見るがごとく、彼の仏の光明もまたまたかくのごとし。

声聞・菩薩の一切の光明みなことごとく隠蔽して唯仏光の明曜顕赫なるを見る。

その時阿難、すなわち無量寿仏を見たてまつるに、威徳巍々として須弥山王の高く一切のもろもろの世界の上に出づるがごとし。

相好光明照曜せざるはなし。

この会の四衆一時にことごとく見る。

彼にこの土を見るこもまたまたかくのごとし。

その時、仏、阿難および慈氏菩薩に告げたまわく、

「汝彼の国を見るに、地より已上浄居天に至るまで、その中の所有微妙・厳浄自然の物、ことごとく見るとせんや、いなや」

 

阿難、対えて曰く、

「唯然りすでに見る」

「汝むしろまた無量寿仏の大音一切世界に宣布し、衆生を化したまうを聞くや、いなや」

阿難対えて曰く

「唯然りすでに聞けり」

「彼の国の人民、百千由旬の七宝の宮殿に乗じ、障碍することあることなし遍く十方に至り諸仏を供養す、汝また見るやいなや」

対えて曰く

「すでに見る。」

「彼の国の人民、胎生の者あり、汝また見るやいなや。」

対えて曰く

「すでに見る。」

「その胎生の者、処する所の宮殿、あるいは百由旬、あるいは五百由旬、おのおのその中においてもろもろの快楽を受くることトウ利天上のごとし、またみな自然なり。」

その時、慈氏菩薩、仏に白して言さく、

「世尊、何の因、何の縁ぞ、彼の国の人民胎生・化生なる」

 

仏、慈氏に告ぐ、

「もし衆生ありて、疑惑の心をもってもろもろの功徳を修し彼の国に生れんと願じ、仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了せず、この諸智において疑惑して信ぜず。

しかも猶罪福を信じ、善本を修習し、その国に生れんと願ぜん。

このもろもろの衆生、彼の宮殿に生じ、寿五百歳、常に仏を見ず、経法を聞かず、菩薩・声聞・聖衆を見ず。

このゆえに彼の国土において之を「胎生」と謂う。

もし衆生ありて明らかに仏智乃至勝智を信じ、もろもろの功徳を作し、信心回向すれば、このもろもろの衆生、七宝華中において自然に化生し、跏趺して坐し、須臾の頃に身相光明・智慧功徳もろもろの菩薩のごとく具足し成就す。」

「また次に慈氏、他方仏国の諸大菩薩、発心して無量寿仏を見たてまつり、およびもろもろの菩薩・声聞の衆を恭敬し供養せんと欲せん。

彼の菩薩等、命終りて無量寿国に生ずることを得、七宝華中において自然に化生せん。

弥勒、当に知るべし、彼の化生の者は、智慧勝るるがゆえに。

その胎生の者はみな智慧なし。五百歳の中において、常に仏を見ず、経法を聞かず、菩薩・もろもろの声聞衆を見ず、仏を供養するに由なし。菩薩の法式を知らず、功徳を修習することを得ず。当に知るべし、この人は宿世の時、智慧あることなし。疑惑の致す所なり。」

仏、弥勒に告げたまわく、

「たとえば転輪聖王の別に七宝の宮室ありて種々に荘厳し、床帳を張設し、もろもろの絵幡を懸けたらん。

もしもろもろの小王子ありて罪を王に得ば、すなわち彼の宮中に内れて繋ぐに金鎖をもてし、供給に飲食・衣服・床褥・華香・伎楽を供給転輪王のごとく乏少する所なけんがごとし。意において云何ん、このもろもろの王子、むしろ彼の処を楽わんやいなや。」対えて曰く、「いななり、但種々に方便し、もろもろの大力を求め、自ら免出するを欲せん。」

 

仏、弥勒に告げたまわく、

「このもろもろの衆生もまたまたかくのごとし。

仏智を疑惑するをもってのゆえに彼の宮殿に生ず。

刑罰乃至一念の悪事あることなく但五百歳の中において三宝を見ず、供養しもろもろの善本を修することを得ず。

これをもって苦となし、余の楽ありといえども猶彼の処を楽わず。

もしこの衆生、その本罪を識り、深く自ら悔責し、彼の処を離れんと求むれば、すなわち意のごとく無量寿仏の所に往詣し、恭敬供養することを得、また遍く無量無数諸余の仏の所に至り、もろもろの功徳を修することを得ん。

弥勒、当に知るべし、それ菩薩ありて疑惑を生ずる者は大利を失すとす。

このゆえに応当に明らかに諸仏無上の智慧を信ずべし。」

弥勒菩薩、仏に白して言さく、

「世尊、この世界において幾所の不退の菩薩ありて彼の仏国に生ぜん。」

 

仏、弥勒に告げたまわく、

「この世界において六十七億の不退の菩薩ありて彼の国に往生せん。

一々の菩薩、すでに曾て無数の諸仏を供養し、次いで弥勒のごとき者なり。

もろもろの小行の菩薩、および少功徳を修習する者、称計すべからず、みな当に往生すべし」

 

仏、弥勒に告げたまわく、

「但我が刹のもろもろの菩薩等彼の国に往生するのみならず、他方の仏土、またまたかくのごとし。

その第一仏を名づけて遠照と曰う、彼に百八十億の菩薩ありみな当に往生すべし。

その第二の仏を名づけて宝蔵と曰う、彼に九十億の菩薩ありみな当に往生すべし。

その第三の仏を名づけて無量音と曰う、彼に二百二十億の菩薩ありみな当に往生すべし。

その第四仏を名づけて甘露味と曰う、彼に二百五十億の菩薩ありみな当に往生すべし。

その第五仏を名づけて龍勝と曰う、彼に十四億の菩薩ありみな当に往生すべし。

その第六の仏を名づけて勝力と曰う、彼に万四千の菩薩ありみな当に往生すべし。

その第七仏を名づけて師子と曰う、彼に五百億の菩薩ありみな当に往生すべし。

その第八仏を名づけて離垢光と曰う、彼に八十億の菩薩ありみな当に往生すべし。

その第九仏を名づけて徳首と曰う、彼に六十億の菩薩ありみな当に往生すべし。

その第十仏を名づけて妙徳山と曰う、彼に六十億の菩薩ありみな当に往生すべし。

その第十一の仏を名づけて人王と曰う、彼に十億の菩薩ありみな当に往生すべし。

その第十二仏を名づけて無上華と曰う、彼に無数不可称計のもろもろの菩薩衆ありみな不退転にして智慧勇猛なり、すでに曾て無量の諸仏を供養し、七日の中においてすなわち能く百千億劫大士の所修堅固の法を摂取せり、これらの菩薩みな当に往生すべし。

その第十三仏を名づけて無畏と曰う、彼に七百九十億の大菩薩衆あり、もろもろの小菩薩および比丘等称計すべからず、みな当に往生すべし」

 

仏、弥勒に語りたまわく、

「但この十四仏国の中のもろもろの菩薩等の当に往生すべきのみにあらず、十方世界無量仏国、その往生の者もまたまたかくのごとく甚だ多く無数なり。

我但十方諸仏の名号および菩薩・比丘の彼の国に生ぜん者を説かんに、昼夜一劫すとも尚未だ竟ること能わじ、我今汝がために略して之を説くのみ。」

『流通分』

仏、弥勒に語りたまわく、

「それ彼の仏の名号を聞くことを得るありて、歓喜踊躍し乃至一念せん。

当に知るべし。この人大利を得となす。

すなわちこれ無上の功徳を具足するなり。

このゆえに弥勒たとえ大火の三千大千世界に充満するあれども、要ず当にこれを過ぎてこの経法を聞き、歓喜信楽し、受持・読誦し、如説に修行すべし。

所以は何ん。

多く菩薩あり、この経を聞かんと欲すともしかも得ること能わず。

もし衆生ありてこの経を聞く者は無上道において終に退転せじ。

このゆえに応当に専心に信受し、持誦説行すべし。」

 

仏の言わく、

「吾今もろもろの衆生のためにこの経法を説き、無量寿仏およびその国土の一切の所有を見しめん。

当に為すべき所の者はみな之を求むべし。

我が滅度の後をもってまた疑惑を生ずるを得ることなかれ。

当来の世に経道滅尽せん、我慈悲をもって哀愍し、特にこの経を留めて止住すること百歳せん。

それ衆生ありてこの経に値う者は意の所願に随いてみな得度すべし」

 

仏、弥勒に語りたまわく、

「如来の興世は値い難く見難し。

諸仏の経道も得難く聞き難し。

菩薩の勝法・諸波羅蜜は聞くことを得るもまた難し。

善知識に遇い法を聞きて能く行ずる、これまた難しとす。

もしこの経を聞きて信楽・受持せんは、難中の難、この難に過ぎたるなし。

このゆえに我が法はかくのごとく作し、かくのごとく説き、かくのごとく教う。

応当に信順し如法に修行すべし。」

その時、世尊、この経法を説きたもうに、無量の衆生みな無上正覚の心を発し、万二千那由他の人清浄法眼を得。

二十二億の諸天人民阿那含果を得。

八十万の比丘漏尽意解し、四十億の菩薩不退転を得。

弘誓の功徳をもって自ら荘厳す。

将来の世において当に正覚を成ずべし。

その時、三千大千世界六種に震動し、大光普く十方国土を照らし、百千の音楽自然にして作り、無量の妙華粉々として降る。

仏、経を説き已りたもうに、弥勒菩薩および十方来の諸菩薩衆・長老阿難・もろもろの大声聞・一切の大衆、仏の所説を聞きて歓喜せざるはなし。」

仏説無量寿経巻下