文底秘沈抄 第二
01

 仏は法華を以て本懐と為すなり、世人は但本懐たることを知って未だ本懐たる所以を知らず。然らば本懐たる所以応に之れを聞くことを得べけんや。謂わく、文底に三大秘法を秘沈する故なり。何を以て識ることを得んや、一大事の文是れなり。
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(※ 釈尊は法華経を出世の本懐とされた。世間の人々は法華経が釈尊の出世の本懐であることは一応は知ってはいるが、では一体どういう理由で本懐なのかはよく分かっていない。
問 では本懐であることの理由を聞くことはできるであろうか。
答 その理由は、法華経の経文のその奥底に三大秘法を秘し沈めてあるからである。
問 どうしてそれを識ることができるというのか。
答 それは法華経方便品にある「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもう」の中のこの「一大事」という経文の一句に示されている。
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 一は謂わく、本門の本尊なり。是れ則ち一閻浮提第一の故なり、又閻浮提の中に二無く亦三無し、是の故に一と言うなり。
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(※ この「一大事」の「一」は三大秘法のうちの「本門の本尊」を意味しているのである。
何故かならばこの「本門の本尊」は一閻浮提(全世界)第一の本尊だからである。
人界に生まれて真の幸福は即身成仏・一生成仏以外にはない。その即身成仏・一生成仏を遂げられるのは「本門の本尊」以外にはない。
全ての宗教・宗派の本尊は不備・欠陥があり、即身成仏・一生成仏など絶対に叶わず、真の本尊とはなり得ないのである。
故に諸仏出世の「一大事」因縁の「一」とは、ただ一つしかない、という意味であり、「本門の本尊」以外にないのである。

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 大は謂わく、本門の戒壇なり。旧より勝るるなりと訓ず、権迹の諸戒に勝るるが故なり、又最勝の地を尋ねて建立するが故なり。
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(※ 「一大事」の「大」は、三大秘法のうちの「本門の戒壇」を意味している。
昔より「大」はまた「勝れる」と訓ずるのである。(「大」は「勝れる」という意味を持つのである)
「本門の戒壇」は権教・迹門(注 下種本門に対して釈尊の熟脱仏法全てを「迹門」とする)の諸々の戒に比べて勝れているのである。
その故は、権教・迹門の戒は限定的・差別性があり、万民が受けることができる戒ではない。
三大秘法の南無妙法蓮華経の戒は一切衆生が平等に受けることができる大戒である。
が故でに勝れているのである。

あるいはまた大聖人が三大秘法抄に
■「戒壇とは、(中略)霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。(三大秘法稟承事 弘安五年四月八日 六一歳 1595)
と仰せのごとくに「最も勝れた地を選び求めて建立する」のであるから「一大事」の「大」は=「最勝」であるから、「大」は「本門の戒壇」を意味するのである。

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 事は謂わく、本門の題目なり。理に非ざるを事と曰う、是れ天台の理行に非ざる故なり。又事を事に行ずるが故に事と言うなり。並びに両意を存す、乃ち是れ待絶なり。於戯天晴れぬれば地明きらかなり、吾が祖の本懐掌に在らんのみ。
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(※ 「一大事」の「事」は「本門の題目」である。それは理論上の論理だけではなく、事実の上で本尊が存在するが故である。
天台大師の観念観法の修行の如くの想念のみの修行ではないのである。
また、法体として事の一念三千としての本尊に、実際に自行化他の題目を唱えて修行をするが故に「事」というのである。

この「一大事」とは、そのまま「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」を顕わしており、あらゆる仏教を比較相対して優劣を選別していった結果、究竟したところの法体である。この三大秘法はそのまま一大秘法であり、一切仏法の根源であり、諸仏の「一大事」なのである。
故にこの一大秘法=三大秘法から開いていけば一切の仏教が明瞭となるのである。
ああ、天が晴れたならば、地は明らかとなり明瞭である。
大聖人の己心の大事である三大秘法が詳らかとなれば、一切の仏法は全て鮮明に理解できるのである。
日蓮大聖人の御出世の御本懐である三大秘法は、まさに掌にのせて具に見るがごとく明瞭である。

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文底秘沈抄 日寛謹んで記す
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(文底秘沈抄 第二を日寛が謹んで記す)

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02

 法華取要抄に云わく「問うて曰わく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法何物ぞや。答えて云わく、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」云々。

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(※ 日蓮大聖人は法華取要抄にこのように仰せである。
原典 ■「問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。」
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(※ 釈尊滅後二千年余る年月、竜樹菩薩・天親菩薩・天台大師・伝教大師が自らは説かず弘めず、末法へ譲り残してきた秘法とは何であろうか?
それに答えるに、それは本門の本尊と本門の戒壇と本門の題目の五字である。」と。
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●竜樹(龍樹)
紀元前二・三世紀頃、南インドに実在した龍樹(龍猛)という名の僧侶。
『中論』『大智度論』など多数の経典を著しインド大乗仏教の興隆者である 。
仏教の原初からあった「空」の考えかたを、般若経の「空」の解釈により深め体系化した。その「空」の思想は中観派として後に多大な影響を及ぼした。龍樹以後の大乗仏教は多かれ少なかれ彼の影響下にあり、龍樹は八宗の祖とたたえられている。
また、伝説では、龍樹は南天竺の大鉄塔を開いて、金剛サッタより密教の根本経典である金剛頂経を授かったとされる。このことより、真言宗の持伝の八祖像の第一祖として、真言宗の各寺院に祀られ崇められている。
また、阿弥陀浄土信仰においても、臨終の際に、阿弥陀、観音、勢至、地蔵、龍樹の五尊が来迎するとの信仰があり、日本でも阿弥陀五尊曼荼羅の一尊として描かれている。
ただ、真言宗の祖としての南天の鉄塔を開かれた龍樹と『中論』等を著し、大乗仏教僧としての龍樹とは、年代的に違いがあり、同一ではないとされている。
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●天親
(5世紀頃)北インドのガンダーラに生れ、はじめ部派仏教の説一切有部・経量部に学び、『倶舎論』を著した。その後、兄、無着の勧めで大乗仏教に帰し、瑜伽行唯識学派の根底を築いた。『唯識二十論』『唯識三十頌』『十地経論』『浄土論』等多くの著書があり、千部の論師といわれている。
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●天台大師・伝教大師は随所にあるので省略

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 問う、此の文意如何。
 答う、此れは是れ文底秘沈の大事、正像未弘の秘法、蓮祖出世の本懐、末法下種の正体にして宗門の奥義此れに過ぎたるは莫し。故に前代の諸師尚顕わに之れを宣べず、況んや末学の短才何ぞ輙(たやす)く之れを解せん。然りと雖も今講次に臨んで遂に已むことを獲ず、粗大旨を撮って以て之れを示さん。初めに本門の本尊を釈し、次に本門の戒壇を釈し、三に本門の題目を明かすなり。
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(※ この御文の御意とはなんであろうか?
答えよう。これこそ文底秘沈=法華経の経文の底に秘し沈めてある大事の法門である。

正法千年・像法千年、合わせて二千年間未だ弘まっていない秘法であり、この秘法こそ日蓮大聖人の出世の本懐である。
それは、末法の下種仏法の正体であり、日蓮大聖人正統・正嫡の富士大石寺においてこれこそが最高深秘の奥義なのである。
故に以前の賢師・聖師でも顕わにはこの三大秘法について述べられておらない。
なのでどうして末学の不勉強の者が容易に理解することができようか。
しかし、今「文底秘沈」について講義をするにあたりどうしても講説することを避けることはできない。大きくその大綱を示そう。
最初に「本門の本尊」を解釈し、次に「本門の戒壇」を解釈し、三番目に「本門の題目」を説き明かそう。

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03 第一 本門の本尊篇

 夫れ本尊とは所縁の境なり、境能く智を発し、智亦行を導く。故に境若し正しからざる則(とき)んば智行も亦随って正しからず。妙楽大師の謂えること有り「仮使(たとい)発心真実ならざる者も正境に縁ずれば功徳猶多し、若し正境に非ざれば縦(たと)い妄偽なけれども亦種と成らず」等云々。故に須く本尊を簡(えら)んで以て信行を励むべし。
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(※そもそも本尊とは仏道修行する上で信行する縁となるところの対境である。
その対境である本尊というものは修行者の智慧を大いに開発・薫発し、その薫発された智慧は修行者の行を導くものである。であるから対境である本尊が正しくない場合は、それに随って当然、修行者の智慧も行も正しくない。
妙楽大師がこのように仰せである。
「たとえ信仰に対する心根が真に成仏を願うことではない動機で信行する修行者でも、正しい本尊に縁して信行をすれば功徳はいよいよ多いのである。(大きく徳を積むことができるのである)。
しかし、もし信行を向ける対境の本尊が正しくなければ、たとえ修行者の心根は真っ直ぐで偽りがないとしてもそれは仏となる種とはならない。」
であるから、まず最初にしなければならないことは、信行の対境である本尊の正邪をよくよく調べ見極めて真実最高絶対の本尊を定めてから信行に励まねばならない。
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参考 妙楽大師 弘決
「縦使(たとい)発心真実ならざる者も正境を縁せば功徳猶多し。何を以っての故に。菩提心を発(おこ)す事、希(まれ)なるが故に。首楞厳経の中の如し。「仏、堅意に告ぐ、我が滅度の後、後の五百歳に多く比丘有って利養の為の故に発心し出家せん。軽戯の心を以って是の三昧を聞きて菩提心を発(おこ)さん。我は知る、是の心、亦、菩提の遠縁と作(な)るを得る。況や清浄の発心をや。故に知んぬ、若し正境に非ざれば縦(たとい)妄偽無くとも亦種と成らず。」

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若し諸宗諸門の本尊は処々の文に散在せり、並びに是れ熟脱の本尊にして末法下種の本尊に非ず。
 今末法下種の本尊を明かすに且つ三段と為す。初めに法の本尊を明かし、次に人の本尊を明かし、三に人法体一の深旨を明かす。
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(※ 絶対にそうだとは断言できないが、仏教界においてのあらゆる宗派の本尊はその根拠となる経文はあちこちに存在することであろう。
しかし、それらは一様に正・像時代の本已有善の衆生のための釈尊の熟・脱仏法における本尊であって、末法の本未有善の衆生のためには全く用をなさない。
末法の本未有善の衆生には下種仏法における本尊でなければならない。

今、末法の下種仏法の本尊を示すにあたって三段階に解説する。
一番目は「法の本尊」を
二番目は「人の本尊」を
そして三番目には「人本尊と法本尊はその体は一である」との深秘の法門を明かそう。

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04

初めに法の本尊とは、即ち是れ事の一念三千無作本有の南無妙法蓮華経の御本尊是れなり、具さに観心本尊抄の如し。
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(※ まず最初に「法の本尊」とは、事の一念三千の御当体であり、宇宙法界の本源そのもの、本来そのまま存在している南無妙法蓮華経(三大秘法=一大秘法=本門戒壇の大御本尊)である。
詳しくは観心本尊抄に説かれてある通りである。

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 問う、法の本尊を以て事の一念三千と名づくる所以如何。
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(※ 「法の本尊」が「事の一念三千」と言えるその根拠はなんであろうか?

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 答う、将に此の義を知らんとせば須く迹・本・文底の一念三千を了すべし。
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(※ これを真に領解しようと思うならば、当然なすべきこととして、法華経迹門・法華経本門・法華経の文底の三種の一念三千を深く理解しなければならない。

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 謂わく、迹門を理の一念三千と名づく、是れ諸法実相に約して一念三千を明かす故なり。弘の五の中に云わく「既に諸法と云う、故に実相即十なり、既に実相と云う、故に十即実相なり」云々。
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(※ そのいわれを述べれば、迹門は「理の一念三千」と名付けるのである。何故ならば、これは法華経方便品の「諸法実相」の経文を根拠として一念三千を明かしているからである。
天台大師の法華文句の五にはこうある
原典「経に「所謂諸法如是相」等と云う。既に「諸法」と云う、故に実相即ち十なり、既に実相と云う、故に十即実相なり。」
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(※ 法華経方便品に「所謂諸法 如是相(所謂諸法とは如是相・如是性・・・」等とある。ここに「諸法」とあるので「実相」とは即ち十界である。そして「実相」とあるということは、十界はそのまま「実相」である。」と。
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金●(ペイ)論に云わく云々。
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(※ 妙楽大師の金「今+卑」論にはこのように言われている。
「而も此の三千性 是、中理なり。有無に当たらず、有無自ずから爾(しか)なり。何を以っての故に。倶(とも)に実相なるが故に。実相とは法爾として諸法を具足し、諸法は法爾として性、本より無生なり。」
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(※ 一念三千における三千の性は中道の理である。有でもなければ無でもない。しかして有であり無でもある。どうしてそう言えるのか?非有非無 亦有亦無 は両方とも実相の真理であるが故である。実相とは本来あるがままで実相を具足しており、また諸法は真理にのっとって本来あるがままであり、性は本より存在するのであって、いつからか生じてきたものではない。)
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北峯に云わく「諸法は十界十如を出でず、故に三千を成ず」云々。
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(※ 宋の宗印の北峰教義(当時の邪見を破して天台大師・妙楽大師の正統の教説を顕揚したもの)にはこうある。
原典「諸法を究尽(くじん)するに実相にあらざること無し。諸法は十界十如を出でず。互具する故に三千世間を成ず」
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(※ 「諸法を観じ究めれば実相でないことなど一つも無い。諸法は十界であり十如である。それ以外の何ものでもない。そして十界は互いに十界を具するが故に十如×十界×十界×(三世間)によって三千世間を構成する」 

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05

 又本門を事の一念三千と名づく、是れ因果国に約して一念三千を明かす故なり。本尊抄に云わく「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず、未来にも生ぜず、所化以て同体なり。此れ即ち己心の三千具足、三種の世間なり」云々。
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(※ また、本門を「事の一念三千」と名付けることの根拠は、本門においてはじめて仏が成道するために修行した本因と、仏が成道した本果と、仏が成道して以来、常に本国土であるこの娑婆国土で実際に説法教化してきた三妙が明かされ、これに約して一念三千を明かしたが故である。
日蓮大聖人が観心本尊抄に仰せである。
原典■「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出(い)でたる常住の浄土なり。仏既(すで)に過去にも滅せず未来にも生ぜず、所化以て同体なり。此(これ)即ち己心の三千具足、三種の世間なり。」(如来滅後五五百歳始観心本尊抄 文永一〇年四月二五日 五二歳 654)
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(※ 釈尊が寿量品を説かれた「娑婆世界」は小・中・大の三災がなく、成・住・壊・空の四劫という変化相を超越した、常恒・常住の寂光の浄土である。仏は過去からも常住であり、未来においても常住である。釈尊在世の寿量品の化導を受けた衆生もまた仏と同じ久遠からの常住を覚知し成仏を遂げたのである。これは本因・本果・本国土がこの娑婆世界の上に明らかになったが故に在世の衆生の己心に一念三千を観じ成仏を遂げたということなのである。)
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此の文の中に因果国明らかなり、文句の第十に云わく「因果は是れ深事」等云々。
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(※ この観心本尊抄の御文の中に、事の一念三千の根拠となる本因・本果・本国土の三妙が明らかである。
天台大師の法華文句十に
原典「一切の深事は、因果は是れ深事、此れ妙宗の結也」(一切諸法の中での深事は、本因・本果というものが誠に深事である。此れは妙法蓮華経の宗旨の結論である。」とある。
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 今事の一念三千の本尊とは、前に明かす所の迹本二門の一念三千を以て通じて理の一念三千と名づけ、但文底独一の本門を以て事の一念三千と名づくるなり。
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(しかし、今回ここで論じている「事の一念三千」とは何かといえば、前に明かしたところの迹門の「理の一念三千」と本門の「事の一念三千」は共に「理の一念三千」となり、ただ文底独一本門の一念三千こそが「真の事の一念三千」となるのである。
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是れ則ち本尊抄に「竹膜を隔つ」と判じ、開目抄に「文底秘沈」と釈したもう故なり云々。
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(※ これは観心本尊抄に■「一念三千殆ど竹膜を隔つ」(655−15)(熟脱仏法の法華経迹門の「理の一念三千」と本門の「事の一念三千」とでは天地の差があると言っても、文底下種本門の「真の事の一念三千」から見れば殆ど竹膜のような薄い皮一枚の差でしかない。)と見極められ、

また開目抄に■「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈めたり」(526ー16)
(※ 「真の事の一念三千」の法門は但法華経の、本門の、寿量品の経文の底に秘して沈めてあるのである」と解釈された所以である。

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06

 問う、本尊抄の文、古義蘭菊たり。所謂、
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(※ 観心本尊抄のこの■「一念三千殆ど竹膜を隔つ」(655−15)について、他門日蓮宗系では古来から様々な解釈がされている。これらについてはどう思われるか。

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 一には本迹抄の一に云わく「国土世間と十如是と只開合の異なるが故に竹膜を隔つと云うなり」云々。
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(異流儀の解釈@
京都本圀寺日栖(にっせい)著 本迹問答抄 年代不詳
「一念三千を国土世間に約して三千世間と開くのと同じく一念三千を如是に約して三千如是と開くこの開合の相違が「竹膜を隔つ」というのである。」

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 二には決疑抄の下に曰わく「九界の一念三千と仏界の一念三千と但竹膜を隔つるなり」云々。
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(異流儀の解釈A
身延系 円明院(えんみょういん)日澄(1441年〜1510年)著 本迹決疑抄・一宗決疑抄
「九界の一念三千と仏界の一念三千を「竹膜を隔つ」というのである。」

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 三には又云わく「能居の十界、所居の国土既に一念に具する故に只竹膜を隔つるなり」云々。
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(異流儀の解釈B
一致派の僧が著述 法華幽微録 1685年刊行
「仏・菩薩・二乗の十界は、その住所である、寂光土・実報土・方便土とも、それぞれ一念三千に具わる故に「竹膜を隔つ」というのである。」

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 四には幽微録の四に云わく「迹化の内証自行の辺と宗門の口唱と只竹膜を隔つるなり」と。
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(異流儀の解釈C(Bと同じ幽微録)
「迹化の菩薩の内証・自行の辺と、一致派の日蓮宗が口唱する題目とは「竹膜を隔つ」というのである。」

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 五には又云わく「十界久遠の曼荼羅と一念三千と只竹膜を隔つるなり」と。
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(異流儀の解釈D(B・Cと同じ幽微録)
「十界久遠の曼荼羅と一念三千は「竹膜を隔つ」のである。」

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 六には又云わく「法相に約すれば本有の三千、行者に約すれば一念三千、少分の異なるが故に竹膜を隔つと云うなり」云々。
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(異流儀の解釈E(B・C・Dと同じ幽微録
「法の教理にに約せば本有の三千であり、修行する行者に約せば一念三千である。少しの異なりであるから「竹膜を隔つ」というのである。」

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 七には日朝の抄に云わく「迹門は理円、本門は事円、事理の心地只竹膜を隔つるなり」と。
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(異流儀の解釈F
身延山久遠寺第十一代、行学院日朝(1422年〜1500年)著 日朝抄
「迹門は理の円、本門は事の円、事も理もその心地は「竹膜を隔つ」というのである。」

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 八には又云わく「本門の一念三千之れを顕わし已わんぬれば自己の一念三千と只竹膜を隔つるなり」云々。
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(異流儀の解釈G
後出の安心録を補足した安心羽翼(法華安心羽翼)の文、一致派の一音院日暁(伝不詳)が元禄十五年(1702年)著
「本門の一念三千が顕れたならば自己の一念三千と「竹膜を隔つ」のである。」

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 九には日享の抄に云わく「迹門には未だ国土世間を説かず、本門には之れを説く、此の不同の相只竹膜を隔つるなり」云々。
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(異流儀の解釈H
Gの安心羽翼に自性院日亨抄と出ているが日亨については不明。
「迹門ではいまだ釈尊の本国土世間が説かれていない。本門ではこれを説かれた。この違いの相は「竹膜を隔つ」というのである。」

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 十には安心録に云わく「一念三千、凡聖同体なり、迷悟之れを隔つること猶竹膜の如きなり」云々。
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(異流儀の解釈I
一致派の一音院日暁(伝不詳)元禄十年(1697年)著 安心録(法華安心録)
「一念三千であるが故に凡夫も四聖もなかんずく仏も本質的には同じである。故に迷いも悟りもこれの差は「竹膜を隔つ」というのである。」

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 十一には啓蒙の十八に云わく「寿量品の因果国の法相と一念三千の本尊と只竹膜を隔つるなり」云々。
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(異流儀の解釈J
録内啓蒙 不受不施講門派の日講(1626年〜1698年)著 元禄十五年(1702年)刊
「寿量品の本因・本果・本国土の法の教理と、一念三千の本尊とは「竹膜を隔つ」というのである。」

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 十二には日忠の本尊抄の抄に云わく「十界久遠の上に国土世間既に顕わる、一念三千の法門と只竹膜を隔つるなり」云々。
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(異流儀の解釈K
本門法華宗 日忠(1438年〜1503年)観心本尊抄見聞か。
「十界、久遠実成の上に本国土世間が顕わされた。一念三千の法門と「竹膜を隔つ」というのである。」

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 十三には日辰の抄に云わく「一念三千始めの相違は竹膜の如く、終わりの相違は天地の如し。謂わく、迹門の妙法を一念三千と名づくると、本門の妙法を一念三千と名づくると只竹膜を隔つるなり、若し種熟の流通に約して本化迹化の三千の不同を論ぜば天地水火の如くなり」云々。
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(異流儀の解釈L
京都要法寺第十九代 広蔵院日辰(1508年〜1576年)録内御書見聞→観心本尊抄見聞
「一念三千の始めの相違は竹膜を隔つごとくであるが、終わりの相違は天地のごとくである。どういうことかといえば、迹門の妙法を一念三千と名付け、本門の妙法を一念三千と名付ける。この違いは竹膜を隔つほどのものである。しかし下種益と熟益の流通に約して本化の菩薩と迹化の菩薩の三千の違いを論ずれば、天地・水火の如くの相違である。」

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 十四には日我の抄に云わく「一念三千殆ど竹膜を隔つとは、久成と始成と、事の一念三千と理の一念三千となり、雖近而不見の類なり、近き処の事の一念三千を知らざるを竹膜を隔つと云うなり」云々。
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(異流儀の解釈M
保田妙本寺・小泉久遠寺の各十四代 観心本尊抄抜書の文
観心本尊抄の「一念三千殆ど竹膜を隔つ」との意味は、久遠実成と始成正覚と、事の一念三千と理の一念三千とのことである。寿量品の文「雖近而不見」(近しと雖【いえど】も而(しか)も見えざらしむ)ということである。近い処の事の一念三千を知らないことを「竹膜を隔つ」というのである。
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其の外之れを略す云々。
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(※その他の解釈はこれを略す。)

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07

 上来示す所の古今の師は、智は月明(げつめい)に等しく徳は日本に耀けり。然りと雖も未だ迹本事理の一念三千殆ど隔つと言わず、山野の憶度(おくたく)誰人か之れを信ぜん。
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(※ 以上示してきた、昔と今の仏教学者たちは、その智慧は月や太陽のように明らかであり、その高徳は日本全土に響き渡って輝いている。
そうではあるが、その高名な学者たちは皆、この観心本尊抄の御文について、釈尊の熟脱仏法における迹門の理の一念三千と本門の事の一念三千との差など、末法の文底下種の真の事の一念三千と熟脱仏法の差に対すれば、ほとんど薄皮である竹膜で隔てた差ほどである。と解釈していない。
辺鄙な山奥にいる富士門流の日寛が大聖人の御意を拝してこのように述べている主張など誰が信じるであろうか。
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 答う、不相伝の家には聞き得て応に驚くべし、今略して所引の文の意を示さん云々。凡そ本尊の抄の中に五種の三段を明かすに分かちて二と為す。初めは総の三段、二には別の三段なり。総の三段亦二と云々。次の別の三段に亦分かちて三と為す。初めには迹門熟益の三段、次には本門脱益の三段、三には文底下種の三段なり。
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(※ 唯授一人・血脈相承のない他門・不相伝家の者達は、これから述べる観心本尊抄の解釈を聞いて驚くことであろう。
これから■「一念三千殆ど竹膜を隔つ」(655−15)の御文の大聖人の御意を示そう。

まず観心本尊抄の中に五重の
・序分(準備として説かれた部分)
・正宗分(実義を明かす肝要の部分)
・流通分(教法を流布し、修行する者に利益を得せしめる部分)
という三段が示されており、これを二つに分けることができる。
第一番目は「総の三段」
第二番目は「別の三段」である。
この「総の三段」にはまた二つに分けられる。

「別の三段」はこれを分けて三つとなる。
それはどういうことかというと、
第一番目「迹門熟益の三段」
第二番目「本門脱益の三段」
第三番目「文底秘沈の下種益の三段」である。
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観心本尊抄に即して図解

一往・総の三段

一重 一代三段
序分  華巌・阿含・方等・般若部の法華以前の諸経
正宗分 法華三部経(無量義経・法華経・観普賢菩薩行法経)
流通分 涅槃経等

二重 一経三段
序分  無量義経と法華経の序品第一
正宗分 方便品第二より分別功徳品第十七の十九行の偈に至るまでの十五品半
流通分 分別功徳品第十七の後半、現在の四信より普賢菩薩勧発品第二十八までに至る十一品半と観普賢菩薩行法経の一経

再往・別の三段

三重 迹門熟益三段
序分  無量義経と法華経の序品第一
正宗分 方便品第二より授学無学人記品第九までの八品
流通分 法師品第十より安楽行品第十四までの五品

四重 本門脱益三段
序分  従地涌出品第十五の前半品
正宗分 従地涌出品第十五の略開近顕遠の文よりの後半品、寿量品第十六の広開近顕遠の一品、分別功徳品第十七の前半品十九行偈までの一品二半
流通分 分別功徳品第十七の後半品現在の四信より、普賢菩薩勧発品第二十八までの十一品半と、観普賢菩薩行法経の一経

五重 文底下種三段
序分  文底体外の辺における釈尊一代五十年の諸経、並びに十方三世諸仏の微塵の経々
正宗分 従地涌出品第十五の動執生疑より、分別功徳品第十七の十九行の偈に至るまでの一品二半(広開近顕遠の一品二半、我が内証の寿量品、すなわち文底能詮の寿量品の二千余字)
流通分 文底体内の辺における釈尊一代五十年の諸経、並びに十方三世諸仏の微塵の経々(流通の正体は、文底所詮の下種本因妙の妙法蓮華経)
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今所引の文は本門脱益の三段中の所説の法体の下の文なり、
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この■「一念三千殆ど竹膜を隔つ」(655−15)との御文は、上記の「本門脱益の三段」の中で、三段の立て方を示したあと、本門脱益の能説の教主を説かれ、その後その説かれた法体について説かれた箇所の御文である。

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08

此の所説の法体の文に亦二意有り。初めには直ちに迹門に対して以て本門を明かす、所謂彼は本無今有の百界千如、此れは本有常住の一念三千なり、故に所説の法門天地の如し。
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(※ この「竹膜を隔つ」の次上の■「其の教主を論ずれば始成正覚の釈尊には非ず。所説の法門も亦天地の如し。」と説かれる■「所説の法門」には二つの意義がある。

一番目の一往の意義は迹門熟益の法に対して本門脱益を相対してみれば、迹門では久遠実成が明かされておらず理論的に仏性が存在するというのみである。また本因・本果・本国土が明かされていないので三世間が説かれていないので厳密には一念三千とはならず百界千如のみである。
それに対して本門は久遠実成が明かされ本因・本果・本国土が説かれ三世間が整い本有常住の一念三千である。
だからその差異は天と地ほどの違いがある。
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二には重ねて文底に望んで還って本迹を判ず、所謂本迹の異なり実に天地の如しと雖も、若し文底独一の本門真の事の一念三千に望んで、還って彼の迹本二門の事理の一念三千を見る則んば只竹膜を隔つるなり云々。
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(※二番目の再往の意義は、文底に対して釈尊の熟脱仏法の本門・迹門を判釈した場合である。
釈尊仏法における本門と迹門の差異はまさに天と地のようであるといっても、文底の独一本門の真の一念三千と文上熟脱の釈尊仏法との大きな差異から翻って、熟脱仏法の迹門の理の一念三千と本門の事の一念三千の差異とを比べてみれば、それはただ薄皮である竹膜で遮られたほどの差でしかないのである。
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譬えば直ちに一尺を以て一丈に望むれば則ち長短大いに異なれども、若し十丈に望んで而も還って彼の一尺一丈を見れば則ち只是れ少異と成るが如し。
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(※例えれば、一尺(約30cm)と一丈(約30m)と比べればその長さの差は歴然だが、十丈(約300m)から見た一尺(約30cm)と一丈(約30m)の差など大した差ではないようなものである。

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又、玄文の第六・疏記の第一等に准ずるに、且く二万億仏の時節久しと雖も、若し大通に望むれば始めて昨日と為るが如し、
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(※法華玄義の第六 法華文句記の第一などの文意に準じていえば、法華経譬喩品第三の「我昔曾て二万億の仏の所(みもと)に於いて無上道の為の故に常に汝(舎利弗)を教化す」とあるこの時間は長さを説かれていないので明確には分からないが長遠であると考えられるけれども、三千塵点劫の昔の大通智勝仏までの大変長遠な時までと比較すればほとんど昨日の出来事となってしまうようなものである。 

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又三千塵点遥かなりと雖も、若し五百塵点に望むれば猶信宿と成るが如し。之れに准じて知るべし云々。
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(※また三千塵点劫は遥か昔であるけれども、寿量品に説かれる五百塵点劫と比較すれば、一昨日の出来事となってしまうようなものである。
このような例えに準じて考えるべきである。

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09

 学者応に知るべし、所説の法門実に天地の異なり有りと雖も、若し文底独一本門真の事の一念三千に望むる則んば只竹膜と成ることを。
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(※ 仏法を学ぶものはよくよく知るべきである。迹門の理の一念三千と本門の事の一念三千とは天地ほどの差があるといっても、文底独一本門の真の事の一念三千から見ればその天地の差というものはほとんど薄皮である竹膜で隔てたくらいのものであることを。

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故に知んぬ、諸の法相は所対に随って同じからず、敢えて偏執すること勿れ、敢えて偏執すること勿れ。
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(※ であるから心得なさい。全ての教説で示す法というものはその説く対象によって捉え方・判釈の仕方が同じではない。だから一片に囚われた見方に偏って執着してはならない。このことを肝に銘じておくべきである。

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故に当流の意は而も文底独一本門真の事の一念三千に望むに、迹本二門の事理の一念三千を以て通じて迹門理の一念三千と名づくるなり。
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(※であるから、日蓮大聖人以来の正統相伝家である当門流では、「文底独一本門の真の事の一念三千」から見れば、釈尊の熟脱仏法における「迹門の理の一念三千」と「本門の事の一念三千」も共に「迹門の理の一念三千」となるのである。

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妙楽の云わく「本久遠なりと雖も観に望むれば事に属す」云々。
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(※ 妙楽大師は法華文句記にはこのように言われている
「本久遠と雖も、円頓は実と雖も、第一義は理なりと雖も、観に望むれば事に属す、故に咸(みな)境と成す。」
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(※ 釈尊の本地が五百塵点劫に久遠実成されたと言っても、円頓の経である法華経は実であるといっても、また寿量品は法華経の最極の第一の義でありそれは真実の「理」であるといっても、天台大師の一心三観の観念観法で到達する真実・無垢・純然な一念三千の「理法」から見れば、その理法から生じた一段下がった現実の仏の振舞いという「行動」や「事実」という範疇である。

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寛が云わく、本久遠なりと雖も観に望むれば理に属す云々。
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(※ しかし日寛(上人)はこのように主張する。
釈尊の本地が五百塵点劫に久遠実成したところにあるといっても、真の観(=久遠元初の文底下種独一本門による直達正観)から見ればいまだ理の範疇である。と。

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謂わく、本は十界久遠の事の一念三千なりと雖も、文底直達の正観に望むる則んば理の一念三千に属するが故なり。
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(※この意味は、釈尊の仏法における菩薩行を重ねて成道し十界互具が明らかになった久遠実成においての「事の一念三千」といっても、久遠元初の文底下種の三大秘法の南無妙法蓮華経によって凡夫即極の直達正観の「真の事の一念三千」から見れば、まだ「理の一念三千」の範疇に属するのである。

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還って日忠が一字の口伝に同じ。
妙楽の云わく「故に成道の時此の本理に称う」云々。日忠の云わく「故に成道の時此の本事に称う」云々。
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(※ ここは本門法華宗の日忠(1438年〜1503年)の観心本尊抄見聞にある以下の「一字」の口伝と同じ意義である。
妙楽大師はこのように言われている。
「当に知るべし身土は一念の三千なり。故に成道の時、此の本「理」に称(かな)ひて一身一念法界に遍(あまね)し」
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(※ よくよく心得なさい。我が身と国土世間は一念三千である。我が一念に宇宙法界の一切が内在しているのである。であるから自分が成道する時、この一念三千の「理法」に則り、我が一身、我が一念は宇宙法界全体に遍く広がるのである。
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日忠の口伝では、この文の一字を変えて
「当に知るべし身土は一念の三千なり。故に成道の時、此の本「事」に称(かな)ひて一身一念法界に遍(あまね)し」
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(※ よくよく心得なさい。我が身と国土世間は一念三千である。我が一念に宇宙法界の一切が内在しているのである。であるから自分が成道する時、この一念三千の「事」に則り、我が一身、我が一念は宇宙法界全体に遍く広がるのである。 
とされている。
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(※ 注 日忠は法華本門宗で不相伝の他門の僧侶であるが、この箇所においては正しい解釈なので、日寛上人は依用せられたのである。

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010

 問う、但文底独一本門を以て事の一念三千の本尊と名づくる意何(いかん)。
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(※ ただ文底下種の独一本門のみを「真の事の一念三千」の本尊と定義するその根拠とはなにか。

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 答う、云々。
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(※それに答えるに 云々)

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 重ねて問う、云々。
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(※重ねて訊く、その「云々」とは何か?

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 問う、修禅寺決に曰く「南岳大師一念三千の本尊を以て智者大師に付す、所謂絵像の十一面観音なり。頭上の面に十界の形像を図し、一念三千の体性を顕わす乃至一面は一心の体性を顕わす」等云々。既に十界の形像を図し顕わす、応に是れ事の一念三千なるべきや。
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(※ では質問する。
伝教大師の修禅寺相伝私注(※伝教大師が貞元二十四年(808年)入唐(にっとう)の際、天台宗・修禅寺の道??和尚から受けた伝法を記したもの)にこのようにある。
「南岳大師(※天台大師の師。六世紀の人。天台大師に一心三観の法を授けたといわれる。)は一念三千の本尊を弟子である天台智者大師に付嘱された。それは絵像の十一面観音である。それは普通の十一面観音ではなくて、頭上の面に十界の形像が描かれており、それによって一念三千の実体と特性を顕わしている。(中略)その中心の本体の一面は観音自身の実体と特性を顕わしている」
ここにもう既に十界の形像を描き顕わしている。まさにこれこそ「事の一念三千」となるのではないか? 

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 答う、之れを図し顕わすと雖も猶是れ理なり、何んとなれば三千の体性、一心の体性を図し顕わす故なり。
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(※ それに答えるに、十一面観音の頭上に十界を描き顕わしてあるといっても未だそれは「事」ではなく「理」である。何故かといえば、三千の実体と特性、そして観音自身の実体と特性を描き顕わしているだけであるからである。

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応に知るべし、体性は即ち是れ理なり。故に知んぬ、理を事に顕わすことを。是の故に法体猶是れ理なり、故に理の一念三千と名づくるなり。
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(※ よくよく心得るべきである。実体と特性は「理」である。であるから、その頭上の十界の絵像は実体と特性という「理」を絵像という「事」に顕わしたに過ぎないのである。故にその法体はあくまで「理」の範疇なのである。だから「理の一念三千」と名付けるのである。

参考
なぜ体性(実体と特性)が「理」なのか。
十界の衆生の実体やその特性をイメージして「相」として描き顕わすことはできる。
しかしそこには生命の本来の活動としての内在する「力用」とか外界へ及ぼす影響である「作用」とかその他、因・縁・果・報、など実際の生命の活動それ自体を全て描き顕わしているわけではない。
また絵像でそれを描き顕わし切れるものでもない。
ゆえに絵像の十界ではただの観念的な一念三千を表示しただけであるから「理の一念三千」というのである。

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例せば大師の口唱を仍理行の題目と名づくるが如し。
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(※ 例えれば天台大師の唱えたと伝えられる南無妙法蓮華経は未だ大師が胸中に観念した一念三千に唱えた題目であるから「理行の題目」と定義されていること同じことである。

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若し当流の意は事を事に顕わす、是の故に法体本是れ事なり、故に事の一念三千の本尊と名づくるなり。
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(※ 文底下種仏法の唯一の相伝家である当門流の深義は、本尊は久遠元初の自受用報身如来の生命における一念三千をそのまま戒壇の大御本尊として御図顕された。
つまり久遠本仏の「事実・真実相」をそのまま実際に修行する対境として本尊に顕わされたので「事を事に顕わす」というのである。
この故に法体は本から久遠元初の自受用報身如来の生命それ自体で「事」である。故にその戒壇の大御本尊は「事の一念三千」の本尊と定義できるのである。

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011

 問う、若し爾らば其の法体の事とは何(いかん)。
 答う、未だ曾って人に向かって此くの如き事を説かじ云々。
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(※ では質問するが、その法の本尊の「法体の「事」」とは何か?
それに答えるに、未だかつて他に向かってこの深義を説いたことがない。

参考
ここはまさに御本尊の御内証に関する最奥深秘の秘事なので軽々しくは説かない。説けない。という意義を強く示されたところと拝する。
詰るところ、唯授一人・血脈相承を承継される御法主上人にのみ相伝されてきた奥義であるから、たやすく論じるべきではない、と訓戒されたと拝する。

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012

次に人の本尊とは即ち是れ久遠元初の自受用報身の再誕、末法下種の主師親、本因妙の教主大慈大悲の南無日蓮大聖人是れなり。
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(※ 次に末法での文底下種の本尊について、「法の本尊」に対して「人本尊」を明かす段。
「人の本尊」とは「久遠元初の自受用報身如来の再誕」(当体=体)であり、末法の下種仏法の主師親の三徳を具備されておられる(活動の影響=教)、本因妙の教主(特質=宗)、大慈大悲の(働き=用)南無日蓮大聖人(名)の御事である。)

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 問う、久遠元初の自受用身とは即ち是れ本因妙の教主釈尊なり、而るに諸門流一同の義に曰く、蓮祖は即ち是れ本化上行の菩薩なりと云々。其の義文理分明なり、処々に之れを示すが如し、今何ぞ蓮祖を久遠元初の自受用身と称し奉るや。

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(※、それに対して質問だが、久遠元初の自受用身とは本因妙の教主釈尊のことではないか。であるから、不相伝の他門日蓮宗系では一同に、日蓮上人は本化上行菩薩である、と理解している。その根拠となる義も文証も道理も明らかである。御書の所々で表されている通りである。なのに今更、何ゆえに日蓮上人を久遠元初の自受用身と言われるのか?)

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 答う、外用の浅近は実に所問の如し、今は内証の深秘なるが故に自受用報身の再誕と云うなり。
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(※ それに答えるに、一往の辺として日蓮大聖人の法華経の神力品での付嘱に則られた衆生を化導するために外に示される働きとして鎌倉時代の御振舞いの一側面を見れば、確かに質問されるところの通りである。
しかし、再往、日蓮大聖人が心中深くに悟られた境地であるがゆえに容易に他に向かって示されることのない内証の辺を謹んで拝するとき、まさに久遠元初の自受用報身如来の御再誕なのである。

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013

 血脈抄に云わく「久遠名字已来本因本果の主、本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮」等云々。
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(※ 百六箇抄にこのように記されている。
■「久遠名字已来本因本果の主、本地自受用報身の垂迹(すいじゃく)上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮」
(※久遠元初の名字凡夫即極の下種の本仏、真の本因妙・本果妙の教主、本地は自受用報身、その垂迹身の上行菩薩の再誕である日蓮は一往外用の辺としては法華経本門の大師であり、再往は久遠元初下種の教主の再誕であり、本門寿量品文底の下種の大師・日蓮である。」
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若し外用の浅近に拠れば上行の再誕日蓮なり。若し内証の深秘に拠れば本地自受用の再誕日蓮なり。故に知んぬ、本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本は日蓮なり。
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(※ 一往、日蓮大聖人の人々を教え導くために方便として示す姿や働きとして顕れた外面的な姿は、上行菩薩の再誕としての日蓮大聖人である。しかし再往、日蓮大聖人の御命の奥深いところの御悟りの辺を見ればその本地は久遠元初の自受用身如来の再誕としての日蓮大聖人である。
であるから心得るべきである。
日蓮大聖人の本地は久遠元初の自受用身如来であり、その久遠元初の自受用身如来が仮の姿をとって現れた垂迹身としてのお姿が上行菩薩であり、その上行菩薩の再誕として日本国の鎌倉時代に御誕生になってその本地久遠元初の自受用身を顕されたのが「日蓮」である。)

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014

 問う、顕本日蓮とは前代に未だ聞かず、若し文理無くんば誰か之れを許すべけんや。
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(※ 「顕本日蓮」つまり、日蓮大聖人が発迹顕本されて、本地久遠元初の自受用報身を顕されたなどという法門はいまだかつて聞いた事がない。
それを証明する文証がないとするならば誰がそのような法門を信じることができようか。また許し認めることが出来ようか。

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 答う、宗祖の云わく「日蓮仏法を試みるに道理文証には過ぎず。亦道理文証よりも現証には過ぎず」云々。
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(※ 日蓮大聖人はこのように仰せである。
■「日蓮仏法をこヽろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず。(三三蔵祈雨事 建治元年六月二二日 五四歳 873)
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(※ 日蓮の仏法を判定し信じ実践するにあたっては、まずは道理に叶っているか、文証が明確に存在するかが全てである。
その上で、いくら道理が正当であってもまた文証が明確に存在していたとしても、実践した結果としての正当な現証が顕れるかどうか、これが結局のところの最重要事なのである。

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015

 今先ず現証を引き、次に文証を引かん。
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(※ ではまずは日蓮大聖人が久遠元初・自受用報身如来の再誕であることの現証を示している文証を引文し、その後に、教義的に明かされている文証を引文しよう。
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 初めに現証とは、開目抄の下に云わく「日蓮は去ぬる文永八年九月十二日子丑の時に頸刎ねられぬ。此れは魂魄佐渡の国に至る」等云々。
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(※現証について言えば、
開目抄の下にこのように仰せである
原典■ 日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑(ねうし)の時に頚(くび)はねられぬ。此は魂魄(こんぱく)佐土の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそ(怖)ろしくてをそ(恐怖)ろしからず。(開目抄 文永九年二月 五一歳 563)

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(※ 日蓮は、去年九月十二日の子丑(12日午後11時〜13日午前3時の間)の時刻に龍ノ口において頸をはねられた。その魂魄は今、佐渡の国に渡ってきておる、云々

解説

大聖人は子の刻(午後11時〜午前1時)に鎌倉市中を引き出され、丑の刻(午前1時〜3時)に龍ノ口で処刑されそうになる。

子の刻は陰の終わり、
丑の刻を過ぎ
寅の刻は陽の始め。

■「をそ(怖)ろしくて」は、一往は凡夫身として三類の強敵が競い起こったが故であり、しかし、再往は、「一身欲見仏 不自惜身命」の深き決意に立てば■「をそ(恐怖)ろしからず。」との御境界と拝する。

法華経・勧持品二十行の偈との相関

■「頚(くび)はねられぬ。」=「及び刀杖を加えん」
■「魂魄(こんぱく)佐土の国にいたりて、」=「数々(しばしば)擯出(ひんずい)せられん」

ここに、法華経身読のが成就なされたのである。
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上野抄外の五に云わく「三世諸仏の成道は、子丑の終わり寅の刻の成道なり」云々。
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(※ 上野殿御返事に仰せである
■ 三世の諸仏の成道は、ねうし(子丑)のを(終)はりとら(寅)のきざみ(刻)の成道なり。(上野殿御返事 弘安二年四月二〇日 五十八歳 1361)
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(※ 過去・現在・未来の三世における全ての仏が成道する時は、子丑(午後11時〜翌午前3時)の終わり頃の時刻で、寅(午前3時〜5時)の時刻(※丑寅の時刻、午前2時〜4時)に成道を遂げるのである。)

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房州日我の本尊抄の見聞に云わく「開目抄の意は是れ凡夫の魂魄に非ず、久遠名字の本仏の魂魄なり」云々。
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(※ 房州・保田妙本寺の日我
(Wikipedia 他
日我(にちが、永正5年(1508年)- 天正14年11月11日(1586年12月21日))は、戦国時代の富士門流の僧侶。安房国保田妙本寺14世。日向国出身。「進大夫阿闍梨」と称された。

永正10年(1513年)6歳のとき、妙本寺11世日要の門人となるが、同年に日要が死去したため、学頭坊日杲に師事し。蓮住坊日柔や日俊に付いて修学した。天文2年(1533年)に妙本寺に代官として登り、天文6年(1537年)には30歳で妙本寺を継承する。同4年(1535年)頃、天文の内訌に勝利して安房里見氏の当主となった里見義堯の知遇を得て、以後深い崇敬を受ける。

日隆の八品主義に反対して、日要の奉じた文底寿量説を発展させて富士門流の発展に尽力して京都要法寺の日辰とともに「東我西辰」と並称された。また、近年では里見義堯の政治・宗教顧問としての活動にも注目されている。 数多くの功績等から保田妙本寺の中興と仰がれている。

小泉久遠寺の第十四代でもある。
観心本尊抄見聞 開目抄見聞 安国論見聞私 など多数の著作あり。
不相伝故に奥義において誤りもあるが、大聖人を本仏と尊仰し、正義に近いことも述べている。)

その、観心本尊抄見聞にこうある。
「高祖の御魂即一念三千の珠也、魂魄佐渡嶋に至ると開目抄に遊ばす事、大難また色まさる時、真実の自解仏乗なり。凡夫の魂魄にあらず、久遠名字の本仏の魂魄なり。」
→「大聖人の御魂は即事の一念三千の宝珠である。開目抄にお示しの龍口法難の一節は、三類の強敵による大難のいよいよ極まった時に、大聖人が発迹顕本されたのであり、「佐渡に渡った魂魄」とは、凡夫身の魂魄ではない。発迹顕本された後の、久遠元初の名字即の凡夫即極の本因妙の本仏の魂魄である。」
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四条金吾抄外の二に云わく「娑婆世界の中には日本国、日本国の中には相模国、相模国の中には片瀬、片瀬の中には竜口に日蓮が命を留め置く事は法華経の御故なれば寂光土とも云うべきか」云々。
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(※ 四条金吾殿御消息 に仰せ
原典■ 裟婆世界の中には日本国、日本国の中には相模の国、相模の国の中には片瀬、片瀬の中には竜口(たつのくち)に、日蓮が命をとゞめをく事は、法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか。
(四条金吾殿御消息 文永八年九月二一日 五〇歳 478)
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(※ 娑婆世界の中でも日本国、日本国の中でも、相模の国、相模の国の中でも片瀬、片瀬の中でも龍口こそ、三類の強敵による法難極まって日蓮が凡夫身を払って久遠元初の自受用身を顕す発迹顕本したのであるから、法華経の予証を成就した場所であり、まさに凡夫即極の現場であり常寂光土と言うべきであろう。)
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寂光豈自受用土に非ずや。故に知んぬ、佐州已後は蓮祖は即ち是れ久遠元初の自受用身なり、寧ろ現証分明なるに非ずや。
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(※ 寂光土とは仏の住む国土世間であり、まさに久遠元初の本仏・自受用身の国土のことではないか。
であるから、龍ノ口で発迹顕本された後の佐渡流罪以後は、日蓮大聖人は久遠元初の自受用身如来である。まさにこの不思議で尊厳な現証のことはむしろ御文に明々白々に説かれているではないか。

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016

 次に文証とは、血脈抄に云わく「釈尊久遠名字即の御身の修行を末法今時の日蓮が名字即の身に移せり」云々。
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(※ 次に日蓮大聖人が久遠元初・自受用報身如来であることの文証を引く。
相伝書である本因妙抄にはこのように仰せである。 
原典■「釈尊久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時の日蓮が名字即の身に移せり。」
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(※ 久遠下種の教主釈尊(久遠本仏)の名字即である因位での修行を、末法の今、日蓮の名字即の位での我が身にそのまま移してきている」
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又云わく「今の修行は久遠名字の振る舞いに介爾計りも相違無し」云々。-----------------------------------------
(※ また同じく相伝書の百六箇抄にはこう仰せである。
原典■「今日蓮が修行は久遠名字の振る舞ひに介爾(けに)計(ばか)りも違はざるなり。」(1695−13)
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(※ 今日の日蓮の修行は、久遠の下種の教主釈尊(久遠本仏)の名字即における振舞いと、ほんの少しの違いもないのである。
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是れ行位全同を以て自受用身即ち是れ蓮祖なることを顕わすなり。
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(※ これは修行の内容も、名字即という因位においても久遠元初の下種の教主釈尊=久遠本仏=自受用身 と全く同じと言うことは、末法出現の日蓮大聖人は即、久遠元初の自受用身であることを顕されているのである。

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故に血脈抄に云わく「久遠元初の唯我独尊は日蓮是れなり」云々。
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(※ であるから百六箇抄にこのように仰せである。
原典■「久遠元始の天上天下唯我独尊は日蓮是なり。(百六箇抄 弘安三年一月一一日 五九歳 1696)
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(※ インド応誕の釈尊が「天上天下・唯我独尊」と言ったがごとく、久遠元初において無上尊極の境界である本仏は、今の日蓮である。)
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三位日順の詮要抄に云わく「久遠元初の自受用身とは蓮祖聖人の御事なりと取り定め申すべきなり」云々。
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(※ 三位日順師の「本因妙抄口決」にこのようにある。
「久遠元初自受用報身とは本行菩薩道の本因妙の日蓮大聖人を久遠元初の自受用身と取り定め申すべきなり」(富要2−83−12)
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(※久遠元初の自受用報身とは「我本行菩薩道(我、本、菩薩の道を行じ)という本因妙の教主である日蓮大聖人をこそ久遠元初の自受用身と信じ拝すべきである。)

※ 三位日順
大聖人御入滅後まもない頃の学僧。はじめ身延の日向のもとにあったが、師の日澄と共に富士の日興上人のもとに帰伏し、重須談所の第二代学頭となった。日興上人の意をうけて著した五人所破抄、本門心底抄、摧邪立正抄、など。

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017

 学者応に知るべし、但吾が蓮祖のみ内証外用有るには非ず、天台・伝教にも亦内証外用有り。
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(※ 仏教を学ぶ者はよく心得なさい。
この「内証」と「外用」との縦分けは、日蓮大聖人だけに言えることではなく、天台大師にも伝教大師にもこの「内証」と「外用」の縦分けがあるのである。
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故に等海抄の三に云わく「去れば異朝の人師は天台を小釈迦と云う乃至又釈尊の智海、竜樹の深位、天台の内観、三祖一体と習うなり、此の時は天台と釈尊と一体にして不同無し」云々。
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(※ 等海抄=十四世紀の半ば、天台宗の等海が天台家に伝わる口伝などを詳述したもの。引用文は日本天台宗中期の作とされる天台名匠口決集(撰者・著作年代不明)の文。
原典「「されば異朝の人師は天台をば小釈迦と云う。又釈尊の智海、竜樹の深位、天台の内観、三祖一体と成るなりと云々。此の時天台と釈尊と一体にして不同無し」
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(※ インドの竜智が天台を「小釈迦」と呼んでいた。釈尊の智慧の広大なこと、竜樹菩薩の位の深さ、天台大師の内観に依る悟りは、内証においては一体であり、つまりは、天台大師と釈尊は内証一体である。 
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異朝の人師とは、伝法護国論に云わく「竜智天竺に在り、讃じて云わく、震旦の小釈迦広く法華経を開し、一念に三千を具し依正皆成仏す」云々。此の文を指すなり。
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(※ 「異朝の人師」とは、伝法護国論(※寛永年間の書)には「竜智菩薩はインドの人、天台大師を讃嘆して言うには、「中国の小釈迦である天台大師は広く法華経を解釈し会得され、一念に三千を具して本仏と境智冥合の境界を開き成仏された。」とある。 

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018

書註の二に山門の縁起を引いて云わく
「釈迦は大教を伝うるの師たり、大千界を観るに豊葦原(とよあしはら)の中国(なかつくに)有り、此れ霊地なり、忽(たちまち)ちに一叟(そう)有り、仏に白(もう)して言(もう)さく、我人寿六千歳の時より此を領す、故に肯(あ)えて之れを許さず、爾の時に東土の如来忽ちに前に現じて言わく、我人寿二万歳の時より此の地を領すと、即ち釈迦に付して本土に還帰(げんき)す、爾の時の叟(おきな)とは白鬚神(しらひげのかみ)是れなり、爾の時の釈迦とは伝教是れなり、故に薬師を以て中堂の本尊と為す、此れは是れ且く寿量の大薬師を表して像法転時の薬師仏と号す」等云々。
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(※ 書註(京都要法寺二十一代円智院日性(1545〜1614)(日辰の弟子)の著述。
の二巻に日本天台宗の縁起が書かれているがそこに以下のようにある。
「釈尊が仏教を広める師である。世界中を眺め渡したところ、日本国があった。ここは霊地である。ここに弘教すべきと考えている時に、その前に、一人の老人が立ちはだかった。釈尊に謹んで言上するに、「私は人の寿命が六千歳の頃よりこの日本国を領有している。であるから仏教の弘教は許しません。」と。その時に東方の国土・東方浄瑠璃世界の薬師如来が瞬時に現れてこう言った。「私はそれより更に昔の人寿二万歳の時よりこの日本国を領有している。」と。そして、日本国への仏教の弘教を釈尊に付託して東方の本国土へ帰って行かれた。
仏教を弘教を遮った老人は白髭の神その人であり、その白髭の神を遮った薬師如来とは開祖伝教大師である。
このような由来があって、比叡山では薬師如来を根本中堂の本尊としているのである。
これは、寿量品の良医である薬師如来を表すために像法時代における仮の本尊としたのである。 

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若し外用の浅近は天台は即ち是れ薬王の再誕なり、伝教は亦是れ天台の後身なり、
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(※ 一往、外用の、表面的で因縁の近い面から約せば天台大師は薬王如来の再誕である。そして、伝教大師はその天台大師の再誕である。)

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然りと雖も台家内証の深秘は倶に釈尊と是れ一体なり。他流の輩は内証の深秘の相伝を知らざるが故に外用の一辺に執するのみ。
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(※ しかし、天台宗の内証の深秘の口伝相伝では、天台大師・伝教大師共に釈尊と一体であると伝えており、他門流のそのことを知らぬ者は外用の一辺のみしか知らず上記の外用の見方に執着しているだけなのである。
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019

 次に末法下種の主師親とは、諸抄の中に其の文散在す云々。
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(※ 日蓮大聖人が末法の主師親三徳具備の下種仏法の教主であることは諸御書の中に文証が散在している。

例 
■ 日蓮は日本国の諸人に主師父母なり。(開目抄 文永九年二月 五一歳 577)
■ 日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし(一谷入道女房御書 建治元年五月八日 五四歳 830 真蹟御文)
■ 我日本の「柱」(主徳)とならむ、我日本の「眼目」(師徳)とならむ、我日本の「大船」(親徳)とならむ等とちかいし願やぶるべからず。(開目抄)
■ 日蓮が「慈悲曠大(こうだい)」(親徳)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながる(流布)べし。日本国の一切衆生の「盲目をひらける」(師徳)功徳あり。「無間地獄の道をふさぎぬ」(主徳)。此の功徳は伝教・天台にも超へ、竜樹・迦葉にもすぐれたり。(報恩抄 建治二年七月二一日 五五歳 1036)
■ 今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は一切衆生の父なり。無間地獄(むけんじごく)の苦を救ふ故なり云云。涅槃経に云はく「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」云云。日蓮が云はく、一切衆生の異の苦を受くるは悉く是日蓮一人の苦なるべし。(御義口伝 1771)

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産湯相承に云わく「日蓮は天上天下の一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり。今久遠下種の寿量品に云わく、今此三界乃至三世常恒に日蓮は今此三界の主なり」云々。
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(※ 相伝書である産湯相承事にはこのように仰せである。
原典「〔本門下種の口伝〕日蓮天上天下一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり。今久遠下種の寿量品に云はく「今此三界皆是我有主君の義なり 其中衆生悉是吾子父母の義なり 而今此処多諸患難国土草木 唯我一人能為救護師匠の義なり」と云へり。三世常恒(じょうごう)の〔仏と聖人同体の口伝〕日蓮は今此三界の主なり。」
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(※ (本門の下種の教主である口伝)日蓮は天上天下(唯我独尊)この娑婆世界にあってこれ以上の尊極の者はいない。つまり末法の本仏である。
一切衆生の主君であり、父母であり、師匠である。
久遠元初の下種の妙法である内証の寿量品から開いて妙法蓮華経譬喩品第三の文を拝するに、「今此三界 皆是我有(今此の三界は 皆是れ我が有なり)とは主君の義である。其中衆生悉是吾子(其の中の衆生 悉く是れ吾が子なり)とは父母の義である。而今此処多諸患難国土草木 唯我一人能為救護(而も今此の処 諸の患難多し(国土草木) 唯我一人のみ 能く救護を為す とは師匠の義である」とある。
過去・現在・未来の三世に亘って常に娑婆世界にあって説法教化する日蓮(久遠元初の本仏と日蓮は同体であるとの口伝)は、この娑婆国土乃至欲界・色界・無色界の三界の主である。)
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 亦次に本因妙の教主とは、血脈抄に云わく「具騰本種正法実義本迹勝劣の正伝、本因妙の教主、本門の大師日蓮」云々。
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(※ 次に日蓮大聖人が本因妙の教主であるということは、
百六箇抄に
原典「具騰本種正法実義本迹勝劣正伝(百六箇抄) 本因妙の教主本門の大師日蓮謹んで之を結要(けっちょう)す。」
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(※雖脱在現(すいだつざいげん)具騰本種(序品第一に脱益の利益が現実に在りと雖も、具に本種を挙ぐ(得道の源は本門・久遠の下種に存する)という、その久遠下種の正法の実義 本迹の勝劣の正伝 を 本因妙の教主 文底下種の本門の大師 日蓮 ここに謹んで(日興へ)結要付嘱する。
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又云わく「我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底本因妙の事なり。其の教主は某なり」云々。
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(※ 原典 「自受用身は本、上行日蓮は迹なり。我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり。其の教主は某なり。(百六箇抄 弘安三年一月一一日 または弘安五年10月11日 五九歳 1695)」
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(※ 「久遠元初の自受用身」は日蓮の本地 「上行再誕の日蓮」は迹身 「日蓮の内証の寿量品」とは脱益仏法における寿量品のその文底に秘し沈めてあるところの本因妙の事の一念三千である。その本因下種の妙法の教主は日蓮である。」

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020

 問うて言わく、教主とは応に釈尊に限るべし、何ぞ蓮祖を以て亦教主と称せんや。
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(※ 質問するが、通常(仏法の)「教主」と言えば釈尊に決まっている。
どうして日蓮大聖人を(仏法の)「教主」と呼ぶのか?

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 答う、釈尊は乃ち是れ熟脱の教主なり、蓮祖は即ち是れ下種の教主なり、故に本因妙の教主と名づくるなり。
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(※ それに答えるに、釈尊は熟益・脱益仏法における「教主」である。
日蓮大聖人は下種仏法における「教主」である。
故に、(釈尊は「本果妙の教主」と称し)日蓮大聖人を「本因妙の教主」と称するのである。
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応に知るべし、三皇・五帝は儒の教主なり、無畏三蔵は真言の教主なり、天台大師は止観の教主なり、今吾が蓮祖を以て本因妙の教主と称するに何の不可有らんや。
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(よく考えてみなさい。
中国古代の道徳的な善政を敷いたという伝説上の理想的な国主であった三皇・五帝は儒教においては尊迎すべき「教主」である。
インドから中国へ密教を伝え広めた善無為三蔵は真言宗においては「教主」と仰がれている。
天台大師は摩訶止観によって観念観法を確立したがゆえに「教主」である。
そうであるならば、日蓮大聖人は下種仏法を建立されたがゆえに「本因妙の教主」と呼ぶのに何の矛盾・不都合があろうか。

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021

補註の十二・十四に云わく「且つ夫れ儒には乃ち三皇・五帝を以て教主と為す、尚書の序に云わく、三皇の書は之れを三墳と謂い大道を言うなり、五帝の書は之れを五典と謂い常道を言うなり、此の墳典を以て天下を化す、仲尼・孟軻は下に但是れ儒教を伝うるの人なるのみ、尚教主に非ず、況んや其の余をや」云々。
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(※「補註」=法華三大部補註 宋の天台僧 従義著 天台三大部を釈したもの。

その補註十二・十四にこのように書かれている。
「儒教においては三皇・五帝(中国古代の道徳的な善政を敷いたという伝説上の理想的な国主)を「教主」としている。
尚書(※@)にはこのようにある。
伏羲・神農・黄帝(諸説多し)の三皇の書は三憤といい、根本の道徳を示している。
黄帝(こうてい)、??(せんぎょく)、帝?(こく)、帝堯(ぎょう)、帝舜(しゅん)(諸説あり)の五帝の書は、五典といい、平常、人が行うべき道を明かしてある。
この三墳・五典によって天下を化導してきた。
儒教を伝えたという仲尼=孔子も、孟軻=孟子も、民にただ、この大道と常道をという儒教を伝えた人々に過ぎない。
であるから「教主」という立場ではない。
ましていわんや孔子・孟子以下の人々も当然「教主」たる立場ではない。

(※@)『書経』(しょきょう)は、中国古代の歴史書で、伝説の聖人である堯・舜から夏・殷・周王朝までの天子や諸侯の政治上の心構えや訓戒・戦いに臨んでの檄文などが記載されている[1]。 『尚書』または単に『書』とも呼ばれ、儒教の重要な経典である五経の一つでもある。

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022

宋高僧伝の無畏の伝に云わく「開元の始め玄宗夢みらく、真僧と相見ゆ、丹青を御して之れを写す、畏の此に至るに及んで夢と符号す、帝悦んで内道場を飾り尊んで教主と為す」と。釈書の第一大概之れに同じ。
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(※ 「宋高僧伝」(※唐・五代・北宋初期の高僧の伝記を集めた書物のことである。30巻、北宋の賛寧による奉勅撰。988年(端拱元年)の成立。)の善無為(637年、中部インドの貴族家庭に生まれる。幼年より神童と称され、摩伽陀国の国王となる。兄たちの反乱を平定した後、出家、ナーランダー寺院にて達磨笈多(だるまきくた、ダルマグプタ)に師事し、彼から密教を学ぶ。
716年、玄宗統治下の唐・長安に赴く。『虚空蔵求聞持法』、『大毘遮那経(大日経)』などを漢訳する。
同時代の人物には金剛智、不空、一行、恵果等がいる。中国密教では三蔵法師の一人でもある事から「善無畏三蔵」と尊称し、日本の真言宗でも「真言八祖」とは別の系統である、「伝持の八祖」では第五祖に配される。)
の伝にこのようにある。
「開元年間の始めの頃に唐の玄宗皇帝が夢を見られた。その中で真の尊い僧侶と出合った。この僧の姿を丹青という絵師を呼び、玄宗皇帝が夢の記憶を語り絵にした。善無為三蔵がインドから中国に来た時、まさのその夢に現れた尊い僧と全く同じであった。玄宗皇帝は大変悦んで、その絵を自身の自仏堂に安置し「教主」として拝んだ。」と。

釈書(※鎌倉時代末期に虎関師錬が著わした仏教史書。三十巻。仏教の伝来から元亨二年(一三二二)までの約七百余年間にわたる諸宗僧侶の伝記や評論、および仏教関係の諸事蹟などを漢文体で記した日本仏教の略史)の第一にある内容もほぼこれと同じである。

参考

「釈の善無畏は、甘露飯王の裔なり。唐の開元四年丙辰、長安に至る。玄宗あらかじめ真儀を夢みる。入対に?(およん)で夢と異なることなし。大いに悦んで西明寺をたて、崇めて教主となす」

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止観第一に云わく、止観の明静なる前代に未だ聞かず、智者、大隋の開皇十四年四月二十六日より荊州玉泉寺に於て一夏に敷揚し二時に慈?す。弘の一上八に云わく「止観の二字は正しく聞体を示し、明静の二字は体徳を歎ずるなり、前代未聞とは能聞の人を明かし、智者の二字は即ち是れ教主なり、大隋等とは教を説くの時なり」云々。
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(※ 摩訶止観の一にこのようにある。(弟子の章安の記述)
「止観の観念観法によって己心の仏界を覚知する法義と修行の鮮明さは未だかつて聞いたことがない。
天台智者大師は、隋の開皇十四年四月二十六日より、荊州の玉泉寺において夏の期間に止観を広く説き、教えの慈雨を大衆に降らしめた。
妙楽大師が弘決の一上八にこのように仰せである。
「「止観」の二字は、まさに聞体=聞くべき正体を示し、「明静」の二字は体得した功徳を表している。
「前代未聞」とは良く聞き、良く信じる人を明かしており、
「智者」の二字はつまりは「教主」のことである。
「大隋云々」とはその「教主」が教えを説く時のことを示している。

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023

 亦次に大慈大悲とは、開目抄上に云わく「去れば日蓮は法華経の智解は天台・伝教には千分が一分も及ぶ事無けれども、難を忍び慈悲勝れたる事は怖れをも懐きぬべし」等云々。
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(※ 次に、宗祖日蓮大聖人が末法の教主=末法の本仏として振舞われる「大慈大悲」については、開目抄にこのように仰せである。
原典「されば日蓮が法華経の智解は天台伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし。(開目抄 文永九年二月 五一歳 540)
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(※ 日蓮の法華経を詳細に解釈する智解は天台大師や伝教大師の千万が一分にも及ばないけれども、法難を忍び、一切衆生への慈悲がそれらの大師方より勝れている事は間違いないことであって、このように言ったとしても恐縮するような心とはならない。)
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報恩抄に云わく、「日蓮が慈悲広大ならば則ち南無妙法蓮華経は万年の外未来までも流布すべし」云々。
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(※ 報恩抄にこのように仰せである。
原典「日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながる(流布)べし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。(報恩抄 建治二年七月二一日 五五歳 1036)
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(※ 日蓮の慈悲が広大なるが故に三大秘法の南無妙法蓮華経は末法万年のその先はるか未来までも流布していくことであろう。

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応に知るべし、大難を忍びたもうは偏えに大慈大悲の故なり。
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(※ 深く領解しなさい。大聖人が御一期の大難四ヵ度、小難数知れず、というような法難の嵐を忍ばれて出世の本懐である戒壇の大御本尊を顕されたのはこれ偏に末法万年の一切衆生を救わんとされる末法の御本仏としての大慈大悲の賜物である。

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024

 復次に南無日蓮大聖人とは、
 問う、他門流の如きは一同に皆日蓮大菩薩と号す、即ち是れ勅命に由るが故なり。所謂人王九十九代後光厳院の御宇大覚僧正祈雨の効験に依り、文和元年壬辰六月二十五日大菩薩の綸旨を賜う故なり、何ぞ当門流のみ一り日蓮大聖人と称するや。
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(※ 次に富士門流が「南無日蓮大聖人」と呼ぶ事について。
質問。
富士門流以外の他門流では皆一同に宗祖のことを「日蓮大菩薩」と呼称している。
これは、天皇からの拝命による。
足利時代、第九十九代(北朝第四代)の後光厳院から「日蓮大菩薩」との号を賜ったからである。
経緯 日朗の弟子、日像によって真言宗から日蓮宗に帰依した妙実は、山陽方面を布教してたが、国が大旱魃の時、雨乞いの祈願をしたら効験があった。そのことで後光厳天皇から褒賞として望みを聞かれた妙実は、日蓮大聖人と日郎、日像に「菩薩号」を望んだ。
それを受けて天皇は日蓮大聖人に「大菩薩」号、日朗、日像には「菩薩」号を賜り、妙実自身は「大僧正」の位を贈られた。文和元年(1353年)六月二十五日のことであった。
それ以降、日蓮宗一般に、これを栄誉として宗祖を「日蓮大菩薩」と称してしるのである。
なのに、なぜ富士門流のみが「日蓮大聖人」と称するのか。

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025

 答う、是れ即ち蓮祖の自称、亦是れ仏の別号なるが故なり。
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(※ それに答えるに、何故正統相伝家である富士門流で「日蓮大聖人」と称するのか。
実はこれは日蓮大聖人御自身で御自らを「大聖人」と名乗られていたからである。
また、この呼称は末法の御本仏のまたの名前であるからである。

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撰時抄下に云わく「南無日蓮聖人と唱えんとすとも南無と計りにてや有らん、不便なり」云々。
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(※ 撰時抄にこのように仰せである。
原典 ■ 南無日蓮聖人ととな(唱)えんとすとも、南無計りにてやあらんずらん。ふびんふびん。(867)
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(※ 提婆達多は悪業が深過ぎて臨終の時には「南無」とだけ唱えて「仏」とは唱えられず地獄へ堕ちた。今この日本国の邪宗らの高僧等も同じであろう。
「南無日蓮聖人」と唱えようとしても、「南無」しか唱えられないであろう。実に不憫なものである。
(参考「南無」とはインド語の音写であり「帰命」という意味である。
身命を捧げ尽くし奉る。との意であるから、「仏」に対する信仰者の信心の姿勢を表す言葉である。
「南無日蓮聖人」とはまさに「日蓮聖人」は仏である、と言っているに等しい語となるのである。)

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又云わく「日蓮当世には日本第一の大人なり」云々。
既に大人なり、聖人なり、豈大聖人に非ずや。
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また同抄にこうも仰せである。
原典 ■ 当世には日本第一の大人(だいにん)なりと申すなり。(869)
日蓮大聖人が御自らを「大人」と呼ばれ「聖人」と呼ばれている。
これつまり「大聖人=末法の本仏」ということではないか。

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026

聖人知三世抄二十八に云わく「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」等云々。第一と云うは即ち大の義なり。
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(※ 聖人知三世事(御真蹟・中山法華経寺)にこのように仰せである
■「日蓮は一閻浮提(いちえんぶだい)第一の聖人なり。」(748)
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(※ 「日蓮は全世界において第一の聖人である」
「第一」と言う意味はつまり一番大きい・一番尊いということである。
すなわち「大聖人」という意味となる。

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故に開目抄上十一に云わく「此等の人々に勝れて第一なる故に世尊をば大人と申すなり」云々。聖人の名通ずる故に大を以て之れを簡ぶなり。
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(※ であるから開目抄にこのようにある
■ 仏世尊は実語の人なり、故に聖人・大人と号す。外典・外道の中の賢人・聖人・天仙なんど申すは実語につけたる名なるべし。此等の人々に勝れて第一なる故に世尊をば大人とは申すぞかし。(529)
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(※ 釈尊(仏)は「聖人」とか「大人」とお呼びする。
また仏教外の教えの中でも「聖人」と呼ばれる方々もいる。
その偉人達の中でも釈尊(仏)は特に第一に秀でておられるが故に「大人」と呼ぶのである。
この義は、「聖人」との呼称は仏教外の偉人にも付けられているので、その方々との優劣を鮮明にし劣を廃し優を択ぶが故に「大」との語を用いるのである。

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 応に知るべし、大聖人とは即ち仏の別号なり。
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(※ 以上の引証から領解しなさい。
「大聖人」とはまさに「末法の御本仏」の別号である。

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故に経に云わく「慧日大聖尊」云々。尊は即ち人なり、人は即ち尊なり、唯我独尊、唯我一人是れなり。
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(※ 法華経方便品第二にこのようにある。
「慧日大聖尊 久しくあって乃(いま)し是の法を説きたもう」
「尊」とは仏としての「人」を表しており、また仏としての「人」はそのまま「尊い」のである。
であるから「大聖尊」も「大聖人」も共に「仏」を意味するのである。

その「尊」の意味で言えば、
釈尊誕生の時、自ら言われたという「天上天下 唯我独尊」(上は広く天上界から遍く天下に亘って、その中で仏は第一に尊いのである)
との「尊」とは

妙法蓮華経譬喩品第三
今此の三界は 皆是れ我が有なり
其の中の衆生 悉く是れ吾が子なり
而も今此の処 諸の患難多し
唯我一人のみ 能く救護を為す

とあるように仏は三界の主であり、その中の衆生を唯一救済できる方である。
このように、仏とは三界の中で唯一の「尊い」方なのである。

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又開目抄に云わく「仏世尊は実語の人なり、故に聖人・大人と号するなり」等云々。故に知んぬ、日蓮大聖人とは即ち蓮祖の自称にして亦是れ仏の別号なり、那ぞ還って大菩薩と称すべけんや。
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(※ 開目抄にこのように仰せである。
原典■「仏世尊は実語の人なり、故に聖人・大人と号す。」
(※ 仏とは妄語なく衆生を救済する真実の御言葉を述べる方である。
であるから「聖人」「大人」と称するのである。)
このように仰せであるという事は、先の聖人知三世事の御文
■「日蓮は一閻浮提(いちえんぶだい)第一の聖人なり。」(748)
と合わせ拝すれば、「日蓮大聖人」とはまさに宗祖日蓮大聖人御自らそのように御名乗りなされたのであり、これは「末法の御本仏」の別号である。
何故に、「大菩薩」などと蔑称するのか。

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下山抄二十六五十二に云わく「教主釈尊よりも大事なる日蓮」云々。
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(※ 下山御消息に仰せ
原典■「教主釈尊より大事なる行者を、法華経の第五の巻を以て日蓮が頭(こうべ)を打ち、(真筆 下山御消息 建治三年六月 五六歳 1159)
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(※ 「教主釈尊より大事なる行者」とはまさに垂迹仏である釈尊よりも末法出現の法華経の行者の方が高位にあるということであり、日蓮大聖人が末法の御本仏であることを明示している。

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佐渡抄十四に云わく「斯かる日蓮を用ゆるとも悪敷く敬わば国亡ぶべし」等云々。之れを思い合わすべし。
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(※ 種々御振舞御書にはこう仰せである。
原典■「かヽる日蓮を用ひぬるともあしくうやま(敬)はヾ国亡ぶべし。(種々御振舞御書 建治二年 五五歳 1066)
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(※ 日蓮を末法の本仏として尊迎せず、「大菩薩」程度に思っていたならば、敬っているようだが実は正しい捉え方ではなく、むしろ蔑んでいる事になるが故に国が亡びるのである。

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027

 三には人法体一の深旨とは、謂わく、前に明かす所の人法の本尊は其の名殊なりと雖も其の体是れ一なり。所謂人は即ち是れ法、自受用身即一念三千なり、法は即ち是れ人、一念三千即自受用身なり、是れ則ち正が中の正、妙が中の妙なり、即ち是れ行人所修の明鏡なり、豈鏡に臨んで容(かたち)を正すに異なるべけんや。
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(※ 末法の適時の本尊を明かすにあたって
第一、法の本尊
第二、人の本尊
を述べてきた。
そしてその第三の意義として、人法一箇の深義を明かす。
今まで明かしてきた法本尊と人本尊は名は異なるが実はその本体は同一なのである。
「人」である御本仏は即「法」そのものである。
自受用身という御本仏の御内証はそのまま事の一念三千である。

また、事の一念三千という「法」はそのまま御本仏の御境界である。
事の一念三千はそのまま御本仏である自受用身の御内証である。
この義がまさに「正が中にもいよいよの正」、「妙であるが中にもいよいよの妙」なのである。
この「人法一箇の本尊」こそが、即身成仏を目指して修行するものにとっての明鏡、正しい対境である。
それは、歪みなく曇りなき鏡に臨んでこそ自らの姿形を整えることができることと同様の原理である。
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諸宗の学者近くは自門に執し遠くは文底を知らず、所以に粗之れを聞くと雖も敢えて之れを信ぜず、徒らに水影に耽りて天月を蔑ろにす、寧ろ天月を識らずして但池月を観ずる者に非ずや。妙楽の所謂「目に如意を●て(ミて)水精と争い、已に日光に遇って灯燭を謀る」とは是れなり。
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(※ 他宗他門の学者は、自身が所属する宗旨に固執することにより、さらに根本的には「教相・観心」「文上・文底」「熟脱・下種」等の法門のけじめ・筋目が領解できていないので、粗々この法門のけじめ・筋目を見聞したとしても、結局信解するに至らない。
ただ頑迷に迹である水面に映った月の影に執着して、その迹の本である天月を理解できず蔑ろにしているのである。
つまり、末法当機の下種仏法である天月を知らないで、その根源の下種仏法から垂迹した末法においては無縁で利益のない釈尊の熟脱仏法のみに心を奪われているのである。

これは妙楽大師が仰せの
「所願が叶うという如意宝珠を見ても、効力が格段と劣る水晶ごときに執着してその効能を疑い争い、既に日光を受けているにもかかわらず灯明の灯りで周囲を照らそうとしている愚者」というような者である。

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028

 問う、曾(かつ)て諸経の明文を開いて衆釈の元旨を伺うに人法の勝劣猶お天地の如し、供養の功徳亦水火に似たり、那ぞ人法体一と云うや。
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(※ 質問する。
今まで諸々の経典の経文を読みまたそれについての多くの釈も読み、その
意味を拝するに、釈尊という仏としての「人本尊」と妙法蓮華経という「法」との勝劣は天と地程も相違がある。
供養した功徳においても水と火ほどの違いがある。
それであるのにどうして人本尊と法本尊がその体が一つであると言うのか。
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普賢観経に云わく「此の大乗経典は三世の諸の如来を出生する種なり」云々。又云わく「方等経典は為れ慈悲の主なり」云々。
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普賢菩薩行法経にはにはこのように仰せである 
原典「此の大乗経典は、諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり。」
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(※ 妙法蓮華経は諸々の仏の宝の蔵である。過去・現在・未来の宇宙全ての仏の眼目・要である。過去・現在・未来の諸々の如来を生み出すところの種である。
また、このようにも仰せである。
原典 観普賢経「方等経典は、為れ慈悲の主なり。」
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(※ 「この妙法蓮華経は、慈悲の主である。」と。

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涅槃経の四に云わく「諸仏の師とする所は所謂法なり、是の故に如来恭敬供養す」等云々。
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(※ 涅槃経の第四にはこのように仰せである。
諸々の仏の師はつまりは法(妙法蓮華経)である。であるから、如来は法を恭しく敬い、そして供養讃嘆するのである。

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薬王品に云わく「若し復人有って、七宝を以て三千大千世界を満てて仏を供養せん。是の人の所得の功徳も、此の法華経の、乃至一四句偈を受持する、其の福の最も多きには如かじ」云々。
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(※ 妙法蓮華経・薬王品
原典 「若し復人有って、七宝を以て三千大千世界に満てて、仏、及び大菩薩、辟支仏、阿羅漢に供養せん。是の人の所得の功徳も、此の法華経の、乃至一四句偈を受持する、其の福の最も多きには如かじ。」
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(※ 例えばある人が、七宝(金,銀,瑠璃【るり(青い宝石)】,玻璃 【はり(水晶)】 ,しゃこ貝 ,珊瑚,瑪瑙【 めのう(縞状の鉱物)】)を三千大千世界(※ほぼ銀河系宇宙程度か)のあらゆるところに敷き詰めて、あるいは飾り付けて、仏や大菩薩、また縁覚の聖者や小乗仏教での最高の悟りを得た阿羅漢などを供養したとする。しかし、その事によって得たこの人の功徳は、妙法蓮華経の(中略)一四句偈( 四句をもって1つの偈となすもの)を受け持つすることで得る最高の功徳には届かない。

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029

文の十三十一に云わく「七宝をもって四聖に奉ずるも一偈を持つに如かず、法は是れ聖の師にして、能く生じ能く養い、能く成じ能く栄うるは法に過ぎたるは莫し、故に人は軽く法は重し」云々。
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(※ 天台大師の法華文句には前出の薬王品の文についてこのように仰せである。
「七宝(金,銀,瑠璃【るり(青い宝石)】,玻璃 【はり(水晶)】 ,しゃこ貝 ,珊瑚,瑪瑙【 めのう(縞状の鉱物)】)をもって、声聞・縁覚・菩薩・仏という四聖に献じ奉っても、妙法蓮華経の一偈を受持する功徳には及ばない。法(妙法蓮華経)は聖者の師であって、法(妙法蓮華経)こそ仏以下四聖を生じさせ、かつまた養育し、仏果を成じさせ、よく栄えさせる。そのような能生の功能は法(妙法蓮華経)を超えるものはないのである。であるが故に、人(仏もしくは行者など)は軽く法(妙法蓮華経)が重いのである。
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記の十六十七に云わく「発心、法に由るを生と為し、始終随逐を養と為し、極果を満たしむるを成と為し、能く法界に応ずるを栄と為す、四不同なりと雖も法を以て本と為す」云々。
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(※ 妙楽大師の法華文句記にはこのように仰せである。
「成仏を志し仏道修行を開始することは、法(妙法蓮華経)に依るがゆえに「生」となり、法(妙法蓮華経)が修行者から四六時中離れず寄り添うことが「養」となり、仏果が得られることで「成」となり、行者の境界がよく法界に遍し、法界に冥じ、法界と感じ応じることも法「妙法蓮華経」の功能であり、それで「栄」となるのである。
この「生」「養」「成」「栄」は違う働き、功能であるが、全てが法(妙法蓮華経)が本となって起こるのである。
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籤の八二十五に云わく「父母に非ざれば以て生ずること無く、師長に非ざれば以て成ずること無く、君主に非ざれば以て栄うること無し」云々。
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(※ 妙楽大師の釈籤にはこのように仰せである。
「父母がいなかったら生まれることはない。(優れた)師がいなかったら志というものは成就できない。(徳のある)君主がいなければ国は栄えない。
(主・師・親の三徳がいなければ何事も始まらないし成就しない、栄えない。
この主・師・親の三徳は「人」にとっては「法」であり、法が勝れ人は劣るのである。)

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030

方便品に云わく「法を聞いて歓喜し讃めて乃至一言を発せば則ち為れ已に一切三世の仏を供養するなり」云々。
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(※ 原典「法を聞いて歓喜し讃めて、乃至一言をも発せば、則ち為れ已に、一切三世の仏を供養するなり」
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(※ 方便品第二にはこのように仰せである。「妙法蓮華経を聞いて歓喜して讃嘆して、(中略)一言でも発すれば、過去・現在・未来の三世の一切の仏を供養する事になる。」
(これはまさに法(妙法蓮華経)が勝れ、人(仏)が劣る、という義になるではないか。以下の引文も同様の義)

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宝塔品に云わく「若し能く此の経法を護ること有らん者は則ち為れ我及び多宝を供養するなり」云々。又云わく「此の経は持ち難し、若し暫くも持つ者は我則ち歓喜す、諸仏も亦然なり」云々。
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(※ 宝塔品にはこのように仰せである。
原典「其れ能く、此の経法を護ること有らん者は、則ち為れ、我及び多宝を供養するなり」
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(※ 妙法蓮華経を護る者は、釈迦如来と多宝如来を供養することになる。)
また同じく宝塔品に仰せ
原典「此の経は持ち難し、若し暫くも持つ者は、我則ち歓喜す。諸仏も亦然なり」
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(※ 妙法蓮華経は持ち難いのである。しかし暫くでも持つ者は、釈迦如来は歓喜する。諸仏も同様に歓喜するのである。
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神力品に云わく「能く是の経を持たん者は我及び分身滅度の多宝仏をして一切皆歓喜せしめ、亦は見、亦は供養し、亦は歓喜することを得せしめん」云々。
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(※ 神力品にこう仰せである。
原典「能く是の経を持たん者は、我及び分身、滅度の多宝仏をして一切皆歓喜せしめ、十方現在の仏並びに過去未来、亦は見、亦は供養し、亦は歓喜することを得せしめん」
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(※ 妙法蓮華経を持つ者は、釈迦如来及び釈尊が身を分けた諸仏、また釈迦如来滅後の多宝仏ら一切の仏を歓喜せしめ、またその者は宇宙法界全体の現在の仏並びに過去・未来の仏を見る事ができ、そして供養し、また(その功徳によって)歓喜することを得る事ができるであろう
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陀羅尼品に云わく「八百万億那由他恒河沙等の諸仏を供養せん、能く是の経に於て乃至一四句偈を受持せん、功徳甚だ多し」略抄。
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(※ 陀羅尼品にはこう仰せである。
原典「八百万億那由他恒河沙等の諸仏を供養せん。汝が意に於て云何。其の所得の福、寧ろ多しと為んや不や。甚だ多し、世尊。仏の言わく、若し善男子、善女人、能く是の経に於て、乃至一四句偈を受持し、読誦し、解義し、説の如く修行せん。功徳甚だ多し。
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(※ 釈尊の問い「八×百×万×億×那由他×恒河沙等の諸々の仏を供養するとしよう。汝はどう思うか。この功徳は大変に多いと成るかどうか。」
答え「世尊よ。大変に多いと思います。」
仏は仰せになる。
「聴衆の者たちよ、良くこの妙法蓮華経の一四句偈を信心によって受け持ち、読み諳んじて誦し、意義を解説し、説かれている通りに修行する、その功徳は莫大である。
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善住天子経に云わく「法を聞いて謗を生じ地獄に堕つるは、恒沙の仏を供養するに勝る」等云々。
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(※ 善住天子経にはこのように仰せである。
「法(妙法蓮華経)を聴聞して信ぜずして謗法の心を起こして地獄に堕ちることは、むしろ、ガンジス川の全ての砂粒の数ほどの仏を供養する事よりも勝れている。 
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名疏の十三・十八に云わく「実相は是れ三世諸仏の母なり、母若し病を得ば諸子憂愁す、乃至若し止一仏を供養するは余仏に於て功徳無し、若し一仏を謗るは余仏に於て罪無し、仏母の実相を供養せば即ち三世十方の仏所に於て倶に功徳を得、若し仏母を毀謗せば則ち諸仏に於て怨と為る」等云々。
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(※ 維摩経略疏にこうある。
「実相は三世諸仏の母である。母がもし病気になれば諸々の子供達は憂い悲しむ。(中略)もしただ一人の仏を供養する事では、その他の仏を供養する功徳はない。またもし一人の仏を謗ることは、これもまた他の仏を謗っていないのだから罪はない。
仏の母である諸法実相(妙法蓮華経)を供養すれば過去・現在・未来の宇宙一切の仏教がある所において功徳を得る事ができ、またもし仏の母である法(妙法蓮華経)を誹謗したならば一切の諸仏の怨敵となる。 
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 今此等に准ずれば法は是れ諸仏の主師親なり、那ぞ人法体一と言うや、若し明文無くんば誰人か之れを信ぜんや。
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(※ 今挙げた文証に準じて考察すれば、法(妙法蓮華経)は諸仏の主・師・親の三徳具備の法でありはるかに勝れている。
それをどうして人と法がその体一如といえるのか。
もし、きちんとした明確な文証がなければ誰がそんな理論を信じることができようか。 

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031

 答う、所引の文は、皆迹中化他の虚仏、色相荘厳の身に約するが故に勝劣有り。
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(※ それに答える。
今引かれた文証は、全て、本地からの垂迹仏、熟脱の機の衆生を化導する本地本仏ではない、三十二相八十種好の方便の色相が荘厳された仏に約しての文証であるから、法が勝れ人(仏)は劣なのである。)

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若し本地自行の真仏は久遠元初の自受用身、本是れ人法体一にして更に優劣有ること無し。今明文を出だして以て実義を示さん。
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(※ 本地無作三身の真仏は久遠元初の自受用身如来であり、この本仏は人がそのままありのままで宇宙法界全体の一念三千の法、一念三千がそのまま人(本仏)であって、人と法がその本体は一如されているのである。
今、明確な文証を引文してその実義を示そう。
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法師品に云わく「若しは経巻所住の処、此の中には已に如来の全身有す」云々。
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(※ 妙法蓮華経・法師品にはこう仰せである。
原典「若しは経巻所住の処には、皆応(まさ)に七宝の塔を起(た)てヽ、極めて高広厳飾(こうこうごんじき)ならしむべし。復、舎利を安(やす)んずることを須(もち)ひず。所以(ゆえん)は何(いかん)。此の中には、已に如来の全身有(ましま)す」
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(※ 妙法蓮華経の経巻(文底から読めば十界文字曼荼羅御本尊)が安置されているところには、七宝(金,銀,瑠璃【るり(青い宝石)】,玻璃 【はり(水晶)】 ,しゃこ貝 ,珊瑚,瑪瑙【 めのう(縞状の鉱物)】)の塔を起てて、最極の志をもって荘厳すべきである。(御義口伝 ■「七宝は即ち頭上の七穴、七穴は即ち末法の要法南無妙法蓮華経是なり。」との意から、七宝は南無妙法蓮華経の十界文字曼荼羅御本尊とも拝せる。)また、仏舎利を安置してはならない。何故か。この妙法蓮華経(文底から読めば十界文字曼荼羅御本尊)の中には如来の全身が住されるからである。
(※人(仏)即法(妙法蓮華経・事の一念三千の十界文字曼荼羅)の文証ではないか)

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天台釈して云わく「此の経は是れ法身の舎利」等云々。
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(※ この法師品の文について天台大師が法華文句で釈している。
原典「経文を指すに是、法身の舎利にして、生身の舎利を安んずるを須いず」
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(※ 妙法蓮華経の経典とは、「法身の舎利」つまり、仏の法そのものであり、これこそ尊敬すべきである。釈尊の遺骨を安置しそこに執着してはならない。
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宝塔品に云わく「若し能く持つ有らば則ち仏身を持つなり」云々。
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(※宝塔品にはこうある。
「もし、妙法蓮華経を信じ持つ者がいれば、それはそのまま仏の身を持つことなのである。」

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普賢観経に云わく「此の経を持つ者は則ち仏身を持つ」云々。
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(※ 同上) 

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文句の第十に云わく「法を持つは即ち仏身を持つ」云々。
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(※ 天台大師が法華文句に仰せである
意味は、同上

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又涅槃経には如来行と云い、今経には安楽行と言う。
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(※ 涅槃経には「如来行」とあり、法華経には「安楽行」とある。
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天台、文の八六十五に之れを会して云わく「如来は是れ人、安楽は是れ法、如来は是れ安楽の人、安楽は是れ如来の法、総じて之れを言わば其の義異ならず」云々。
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(※ 天台大師の法華文句にはこう仰せである。
「如来は人、安楽は法、如来は安楽の人、安楽とは如来の法、総じて言えば如来も安楽の法もその本源は同じものである。」

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記の八の末に云わく「如来涅槃、人法名殊なれども大理別ならず、人即法の故に」云々。
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(※ 妙楽大師の法華文句記に仰せである。
「「如来」も「涅槃」はそれぞれ「人」と「法」であるが、その意義は別のものではない。人即法であるからである。
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大涅槃経会疏(章安大師が撰し、妙楽大師が再治と伝わる)の十三二十一に云わく「如来は即ち是れ人の醍醐、一実諦は是れ法の醍醐、醍醐の人醍醐の法を説き、醍醐の法醍醐の人を成ず、人と法と一にして二無し」云々。
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(※ 「如来」は人の最高の境界である。五味で例えれば醍醐である。
「一実諦」は法の究竟である。最高の境界の人が究極の法を説き、また究極の法は最高の境界の人を生じ完成させることができる。この故に、最高の境界の人と究極の法とはその本体は一にして各々別々のものではない。

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略法華経に云わく「六万九千三八四、一々文々是れ真仏」云々。諸抄の中、文字は是れ仏と云々。
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(※ 略法華経(伝 天台の著 天台宗に伝えられている)にはこのよう仰せである。
原典■「「稽首(けいしゅ)妙法蓮華経、一帙(ちつ)八軸四七品、六万九千三八四、一々文々是真仏、真仏説法利衆生」
(※「法華経の文字、六万九千三八四文字は、その一文字、一文字が真の仏である」)
諸々の御書の中でも、法華経の文字は仏とある。

参照

■ 法華経の文字は六万九千三百八十四字、一字は一仏なり。(御衣並単衣御書 建治元年九月二八日 五四歳 908)

■ 法華経の文字こそ真の仏(同上)

■「今の法華経の文字は皆生身の仏なり」(法蓮抄 建治元年四月 五四歳 819)

■ 法華経の文字(もんじ)は六万九千三百八十四字、一々の文字は我等が目には黒き文字と見え候へども仏の御眼には一々に皆御仏なり。(本尊供養御書 建治二年一二月 五五歳 1054)

■ 此の人のかたびらは法華経の六万九千三百八十四の文字の仏にまい(進)らせさせ給ひぬれば、六万九千三百八十四のかたびらなり。又六万九千三百八十四の仏、一々六万九千三百八十四の文字なれば、此のかたびらも又かくのごとし。(さじき女房御返事 建治三年五月二五日 五六歳 1125)
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御義口伝に云わく「自受用身即一念三千」と。
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(※ 御義口伝に仰せである。原典■「自受用身とは一念三千なり」
(※「久遠元初の本仏・自受用身は即事の一念三千である)と。

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伝教大師の秘密荘厳論に云わく「一念三千即自受用身」等云々。
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(※ 伝教大師の秘密荘厳論にこう仰せである。「事の一念三千は即久遠元初の本仏である」と。
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報恩抄に云わく「自受用身即一念三千」と。
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原典■「一つには日本乃至一閻浮提(えんぶだい)一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂(いわゆる)宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士(きょうじ)となるべし。」
(※ 註「本門の教主釈尊」とは久遠元初の下種の教主釈尊の事であり、それはそのまま自受用身如来である。その自受用身如来を「本尊」となすということは、本尊とは法に即して言えば「事の一念三千」であり、この故に義においては「自受用身即一念三千」ということである。

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本尊抄に云わく「一念三千即自受用身」云々。
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(※ 観心本尊抄の原典■ 其の本尊の為体(ていたらく)、本師の娑婆の上に宝塔空(くう)に居(こ)し、塔中(たっちゅう)の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士(きょうじ)上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属(けんぞく)として末座に居し、迹化(しゃっけ)・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処(しょ)して雲閣月卿(うんかくげっけい)を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり。是くの如き本尊は在世五十余年に之(これ)無し、八年の間但八品に限る。正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為(な)し、権大乗並びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画(えが)けども未(いま)だ寿量の仏有(ましま)さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。
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(※ 文頭の「本尊」=文末の「仏像」であるから、「事の一念三千=自受用身」という義である。

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 宗祖示して言わく「文は睫毛の如し」云々。
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(※ 日蓮大聖人はこのように仰せである。
上野殿御返事原典■「文はまつげ(睫毛)のごとしと申すはこれなり。」(1218)
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(※「人が目に一番近い睫毛が見る事ができないように、明文は確かに存在するのに道理が解らない者には見えないのである」と。

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斯の言良に由有るかな、人法体一の明文赫々たり、誰か之れを信ぜざらんや。
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(※ この御指南はまことに意味深い御指摘である。今まで示してきたように「人法体一」を明証する文は明々白々である。一体誰人がこの文証を信じないとでもいうのであろうか。

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032

 問う、生仏尚一如なり、何に況んや仏々をや、而るに那ぞ仍一別の異有らんや。
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(※ 質問する。
衆生と仏でさえ一如であると言われている。であるのに同じ仏同士に何の違いがあるというのか。

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 答う、若し理に拠って論ずれば法界に非ざること無し、今事に就いて論ずるに差別無きに非ず。
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(※ それに答えるに、理論的に論じれば宇宙全体が仏界で包含され、森羅万象、事々物々一切は、仏界を内在し、一念三千の真理においては全て平等である。
しかし、事実の上で、実際面として論じた場合は、森羅万象、一念三千による一念の顕れ方は千差万別であって、瞬間・瞬間、ただの一つとして同じものはないのである。
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謂わく、自受用身は是れ境智冥合の真身なり、故に人法体一なり。譬えば月と光と和合するが故に体是れ別ならざるが如し。
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(※ 久遠元初の無作本有の自受用身は法界の境と仏身の智が冥合した、三身即一身・一身即三身の真の仏身である。
であるから、仏身である人と法界全体の法とその体は一なのである。
それは例えば、月と月光は切り離せるものではなく、そのまま和合一体化しているのである。

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若し色相荘厳の仏は是れ世情に随順する虚仏なり、故に人法体別なり。譬えば影は池水に移る故に天月と是れ一ならざるが如し。
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(※ 色相荘厳の仏は、衆生の機根に合わせて本地の真仏が迹を垂れて出現した仮の姿・方便の仏であるが故にその垂迹仏としての「人」である仏と、宇宙法界の根本の「法」とは完全に一如していない。
例えば、天にある太陽とか月の影が池の水面に映ったようなものである。
水面に映った日月の影は、日月そのものではないことは明白である。

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妙楽の所謂「本地の自行は唯円と合す、化他は不定なり亦八教有り」とは是れなり。
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(※ 妙楽大師が法華文句記に仰せである
「久遠本地の自受用身は真の円の理と合一する。その法はただ一法のみである。
しかし垂迹化他の色相荘厳の仏には定まった姿はない。
久遠実成の時に既に化法の四教である蔵・通・別・縁と、化儀の四教である、頓・漸・秘密・不定の八教という方便も含んだ教えを説かれたからである。」との意義は此の事である。

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033

 問う、色相荘厳の仏身は世情に随順する証文如何。
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(※ 質問 色相荘厳の垂迹の仏身は世情に合わせた姿であるという文証は何か。

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 答う、且く一両文を出ださん。
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(※ それに答えるに、幾つかの文証を挙げよう。

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方便品に云わく「我相を以て身を荘り光明世間を照らす、無量の衆に尊れて為めに実相の印を説く」云々。
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(※ 法華経方便品第二にはこのようにある。
原典「我相を以って身を厳り、光明世間を照らす。無量の衆に尊まれて、為に実相の印を説く。」
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(※ 我(釈尊)は三十二相によって身を厳(かざ)り、その光明は世間を照らす。その故に無量の大衆に尊迎され、大衆の為に実相の印(真実の法門)を説く。
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文の四に云わく「身相炳著にして光色端厳なれば衆の尊ぶ所と為り則ち信受すべし」云々。
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(※ 天台大師が法華文句にこう言われている
原典「身相炳著(へいちょ)にして、光色端厳なり。内に闇惑無く、外に光明有り、則ち口に欺誑(欺き誑かすこと)なく、衆の為に尊き所、大乗印を説く。則ち信受すべし。
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(※ 身と相は、大変尊く極めて鮮明な姿をしている。放たれる光りは端整で厳かである。心の内には闇や惑いが無く、外のお姿は光り輝いている。さらに話すお言葉は大衆を欺き誑かすことなど全くなく、大衆の為に実に尊い、真の法を説かれる。これを大衆は深く信受するのである。
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弘の六の本に云わく「謂わく、仏の身相具せざれば一心に道を受くること能わず、器の不浄なるに好き味食を盛れども人の喜ばざる所の如し、是の故に相好を以て自ら其の身を荘る」云々。
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(※ 妙楽大師の弘決に仰せには
原典「謂く、仏の身相具せざるは、一心に道を受くること能わず、器の不浄なるに好き美食を盛れど、人の喜ばざる所の如く、臭き皮嚢(皮の袋)に好き宝物を盛るに取る者楽しかざるが如し。是の故に相好を以って自ら其の身を厳(かざ)る。」
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もし、仏身に荘厳な三十二相がなかったならば、大衆は一心に仏道を信受することは出来なかったであろう。
それは例えば器が不浄であるのにそこに見た目も美しくおいしい料理を盛っても、人は喜ばないのと同じ。
また臭い皮の袋に価値有る宝物を入れてもそれを手に取る者は心の底からは楽しめないのと同じである。
こういう道理がある故に仏は三十二相という尊い相好によって自らの仏身を荘厳したのである。

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安然の教時義に云わく「世間皆知る、仏に三十二相を具することを、此の世情に随って三十二相を以て仏と為す」云々。
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(※ 日本の天台真言の安然は教時問答にこう言っている。
「世間、皆、仏が三十二相を具するを知る。此の世情に随って三十二相を以って仏相と為す。」
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(※ 世間では、皆が仏というものは三十二相で荘厳されていると思っている。この世間的な常識に合わせて仏は三十二相を身に具して出世されたのである。
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止観の七六十七に云わく「縁不同と為す、多少は彼に在り」云々。
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(※ 天台大師の摩訶止観にこうある。
「衆生によって仏縁の結び方は違う。が故に、多く荘厳する場合も、さほど荘厳することがない場合もそれはずべて衆生の機根によるのである」
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つまり、劣応三十二相、勝応八万四千、他受用の無尽の相好は只道を信受せしめんが為に仮りに世情に順ずる仏身なり。
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(※ 劣応身の三十二相、勝応身の八万四千の相、他受用身では無尽の相、という相好はただ衆生をして仏道を信受させるがために仮の姿を示して世情に順じた仏身である。

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034

(※以下は三十二相に執着することは真実の仏法に非ず、という観点での引文)

金剛般若経に云わく「若し三十二相を以て如来と見れば転輪聖王も即ち是れ如来ならん」云々。
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(※ 金剛般若経にこうある
「もし「三十二相」という視点だけで「仏」であると判断するとするなら、転輪聖王・帝釈天・梵天ですら三十二相を具しているのだから、転輪聖王も「仏」ということになってしまうであろう。
(つまり「三十二相」という外装ことだけで仏と判断してはいけない)

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又偈に云わく「若し色を以て我と見れば是れ則ち邪道を行ず」等云々。
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(※ 同じく金剛般若経の偈頌にはこうある。
「もし色法=目に見える姿形だけで釈尊を見てあれこれと判断するならば邪道に堕ちることになる。」

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台家の相伝、明匠口決五二十六に云わく「他宗の権門の意は紫金の妙体に瓔珞細軟の上服を著し意義具足する仏を以て仏果と為す、一家の円実の意は此くの如きの仏果は且く機の前に面影を著け、化たる仏なる故に有為の報仏未だ無常を免れずと下し、此の上に本地無作三身を以て真実の仏果と為す、其の無作三身とは亦何物ぞ、只十界三千万法常住の所を体と為す、-----------------------------------------
(※ 天台大師宗の相伝書である明匠口決にはこのようにある。
「他宗の権教にとらわれている宗派は、赤銅色の尊いお体に、宝石などを連ねて編んだものを飾りつけ、細く柔らかい糸で仕立てた衣を着て立派な姿が具わっていることが最高の悟りを得た仏の姿と思っている。
しかし、天台法華宗の真の法華経の意義からすれば、そのような荘厳された仏の姿は一往、衆生の機根に合わせた壮麗な姿であり、本が迹を垂れた化身としての仏の姿であるがゆえに未だ無常を免れない報仏で、真実の仏身の姿ではないと判釈されている。
真の仏とはそのような荘厳に繕われることのない本地そのまま無作の三身である。
ではその無作三身の常住の仏とは何なのか。それはただ宇宙法界の根本であって遍満する本有常住の一念三千の法がそのまま本有無作三身如来の本地、本体である。

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山家の云わく、一念三千即自受用身」以上略抄。
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(※ 伝教大師はこう言われている。
「一念三千はそのまま自受用身如来である」と。

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035

 問う、本果は正しく是れ本地自行の自受用身なり、若し爾らば則ち人法体一とせんや。
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(※ 相伝のない他門日蓮宗系の判釈では、久遠実成の本果の釈尊は本地自行の自受用身と定義付けられている。
ならばそこが本源であり、人と法は体一、同体ではないのか。

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 答う、若し文底の意に准ぜば本果は仍是れ迹中化他の応仏昇進の自受用にして、是れ本地自行の久遠元初の自受用に非ず、何ぞ人法体一と名づけんや。
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(※ 久遠実成の釈尊は文上においては一往自受用身といえるが、これは応仏昇進の自受用身であり、文底独一本門の意からいえば久遠実成の本果妙の釈尊は本地本仏が化他のために垂迹した迹身であり、色相荘厳の応仏昇進の自受用身であって、真の本地、凡夫即極 直達正観 即座開悟の無作の三身即一身、一身即三身の久遠元初の自受用身ではない。そのような迹身をどうして人即法という人と法界一切の法理 事の一念三千とが一体、同体の本仏と言えようか。

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 問う、若し爾らば本果は猶迹仏化他の成道とせんや。
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(※ そうであるならば、久遠実成の本果妙の釈尊は本地本仏の迹身であり迹仏であり、衆生済度の化他のために成道を示された、ということか。

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 答う、文底の意に准ぜば実に所問の如し。謂わく、本果の成道に既に四教八教有って全く今日の化儀に同じきが故なり。
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(※ 文底下種仏法の元意から論ずればまさにその通りである。
久遠実成の本果の成道の時に既に四教八教という化導の次第がある。つまり方便教を説き次第に衆生の機根を高めていき最後に円教である法華経を説いているのはまさにインド応誕の釈尊の化導法と全く同じであるが故である。
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文の一二十一に云わく「唯本地の四仏は皆是れ本なり」云々。
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(※ 天台大師 法華文句に仰せである。
「久遠実成の釈尊も蔵・通・別・円と四教を説き、その姿は、劣応身(蔵教)→勝応身(通教)→他受用報身(別教)→応即法身(法華経迹門)→応仏昇進の自受用身(法華経本門寿量品)と変化していったがこれが本地だったのである。」
(※ 釈迦仏法の範疇ではこの久遠実成の釈尊を本地とするが、しかし実はこの時点で既に化他のための方便があり、真の本地本仏とは言えないのである。天台大師は既にこのことを暗示している。)

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籤の七に云わく「既に四義の深浅不同有り。故に知んぬ、不同なるは定めて迹に属す」云々。
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(※ 妙楽大師 法華玄義釈籤に
原典「既に四義の深浅不同有り。まさに知るべし即ち是れ本実成の後、物機に随順して機縁不同なり、本より迹を垂れ四因相を示す、故に知りぬ不同は定めて迹に同ず」
「久遠実成の釈尊が化導する時点で既に機・応・時・法の四義に深さ浅さという違いがある。これはつまり衆生の機根に応じて法を説いた故であって。このこと自体が迹仏であることを示している。(※ 真の本仏は唯一法のみ説くからである。)」
(※ 妙楽大師も久遠実成の釈尊が本地本仏ではないことを深く領解されていたという証拠の文である)

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又云わく「久遠に亦四教有り」云々。
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(※ 妙楽大師の法華玄義釈籤
「本文遠く最初実得の時を指す、所被の機縁また四教有り」
久遠実成の時点に蔵通別円の四教が有った。
ということは久遠実成の釈尊は垂迹化他の仏であったということの証拠
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又云わく「昔日已に已今を得」等云々。
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(※ 妙楽大師 法華玄義釈籤
「昔日已に已今を得たる本となし、今日中間所対の已今を迹となす」
(※ 久遠実成の釈尊成道の時点に爾前・迹門が説かれ、寿量品も説かれている。そこを「本」として、インド応誕の釈尊も、あるいはその中間の時期における化導でも、爾前権教・迹門と寿量品を説かれているがそれは久遠実成の「本」に対しては「迹」なのである。」
→ 久遠実成の釈尊が爾前・権教を説いた、ということは既に垂迹化他の迹仏である証拠である。 

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故に知んぬ、本果仍お四教八教有り。
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(※ 久遠実成の釈尊の自らの意のままに法の利益を受け用いる仏としての境界においては円教であるが、化他のために方便・権教として蔵通別円の化法の四教と化儀の四教、合わせて八教を説いたことは、本地本仏の垂迹化他の迹仏である証拠である。

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記の一に云わく「化他は不定なり、亦八教有り」云々。
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(※ 妙楽大師 法華文句記 
「本時の自行は唯円と合す、化他不定亦八教有り」
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(※ 同上

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此等の文に准ずるに本果は仍是れ迹仏化他の成道なり。応に知るべし、三蔵の応仏次第に昇進して寿量品に至り、自受用身と顕わるるが故に応仏昇進の自受用身と名づくるなり、是れ則ち今日の本果と一同なり云々。
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(※ これらの文証から考察するに、久遠実成の本果妙の釈尊は未だ迹仏であり、本地本仏が衆生化導という化他のために垂迹した仏なのである。
よく理解しなさい。インド応誕の釈尊も三蔵教を説く劣応身仏が次第に昇進して寿量品に至って、とうとう自受用身と顕れたが故に応仏昇進の自受用身と定義付けられている。これはまさに久遠実成の時の釈尊とインド応誕の釈尊は同一であるとの証拠である。

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036

 問う、二仏の供養に浅深有りや。
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(※ 文上 五百塵点劫の久遠実成の釈尊を供養するのと、文底 久遠元初、下種の本仏を供養するのではその功徳に浅深があるのであろうか?

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 答う、功徳の勝劣猶天地の如し。
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(※ その功徳の勝劣はまさに天地のごとくである。

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入大乗論の下二十に云わく「若し法身を礼すれば即ち一切の色身を礼す、故に知んぬ、法身を本と為す、無量の色身は皆法身に依って現ず、故に仮使恒河沙の色身と雖も一法身に如かず」云々。
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(※ 堅意菩薩造の「入大乗論」には以下のごとく説かれている。
(※ 堅意についての記述は唐代僧祥撰『法華経伝記』が唯一最初のものであり、この書の年代は『伝記』の内容から推定して、七四五-九〇六年までの間ということになり、仏滅六百年の初、堅意が『法華経』の釈論を作ったという記述から、堅意の年代は二五〇-三五〇年又は三〇〇-三五〇年の人と推定される。)
「もし、法身如来(意訳すれば久遠元初の人法体一の本仏)を礼拝すればそれは一切の色身(意訳 垂迹仏)を礼拝することになる。つまり、法身如来(久遠元初・人法体一の本仏)を根源とするからである。
無量の垂迹仏は、全て法身如来(久遠元初・人法体一の本仏)から出生した。
故に、たとえガンジス河の無数の砂の数ほどの垂迹仏といえども法身如来一仏(久遠元初・人法体一の本仏)に及ばないのである。」)
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金剛般若論に云わく「法身に於て亦能く了因と作り、報応の荘厳相好此に於て生因と為る」云々。
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(※ 金剛般若論には以下のごとく説かれている。
(『金剛般若波羅蜜経論』のこと。 三巻。 天親菩薩造。 北魏の菩提流支訳。 『金剛般若経』を釈した無着の偈頌について、天親菩薩が註釈を施したもの。)
「法身(久遠元初・自受用身如来)こそ、衆生が成仏を遂げるための直接的な因となるが、報身如来・応身如来(垂迹仏)の荘厳した姿は衆生が発心する機縁となるのみである。」

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玄私の五の本に云わく「彼の経論の意は色相の仏を以て仏と為すに非ず、故に今報応の因を以て亦世間の福に属す」云々。
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(※ 法華玄義私記(鎌倉初期の宝地房証真(生没年不詳)著)には以下のように説かれている。
「法華経や玄義の真意とは、三十二相の色相荘厳の仏を真の仏であるとは説いていない。であるから、報身如来・応身如来の因は、世間的な福徳ということに属するのである。」

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037

名疏の十三十七に云わく「生身を供養するを名づけて生因と為すも菩提に趣かず、法身を供養するを実に了因と名づけ能く菩提に趣く」云々。
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(※ 維摩経略疏(妙楽大師著(711-782))に以下のように説かれている。
「色相荘厳の生身の如来を供養しても発菩提心の機縁にはなるが、真の成仏の境界には到達できない。
法身(人即法の久遠元初・自受用身の御本仏)を供養することはまさに真の成仏の因となり速やかに成仏の境界を得る事ができるのである。
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籤の五八に云わく「生因とは有漏の因なり」云々。
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(※ 妙楽大師は法華玄義釈籤に説かれている。
「”生因”とは、未だ煩悩が除かれない段階である「有漏」の境界への仏道修行としての機縁である。」
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法師品に云わく云々、
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(※ 妙法蓮華経 法師品第十
若し悪人有って、不善の心を以て、一劫の中に於て、現(げん)に仏前に於て、常に仏を毀罵(きめ)(誹謗し罵ること)せん、其の罪尚軽し。若し人一(いち)の悪言を以て、在家出家の法華経を読誦する者を毀呰(きし)(責め謗ること)せん、其の罪甚だ重し。

「仏」=色相荘厳の迹仏である釈尊
「在家出家の法華経を読誦する者」=末法出現の久遠元初・自受用報身如来再誕である本仏と、そこに連なる正統な僧俗。
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妙楽の云わく「供養すること有らん者は福十号に過ぐ」云々。
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(※ 妙楽大師は法華文句記に以下のように説かれている。
「末法の法華経の行者を供養する者は、迹仏である色相荘厳の釈尊に具わるあらゆる福徳・力用・を名付けた十号を超えた福徳が具わるのである。」

参考 十号

@ 如来(にょらい)
真実のままに現れて真実を人々に示す者、真実の世界に至り、また真実の世界から来られし者を如去如来という。
如来は向下利他の意となり、この二語にて仏の無住涅槃(涅槃に止まざる)を顕す。しかして如去如来は、如来と略称された。

A 応供(おうぐ)
尊敬を受くるに足る者をいう。

B 正遍知(しょうへんち
一切智を具し一切法を了知する者。宇宙のあまねく物事、現象について正しく知る者をいう。

C 明行足(みょうぎょうそく)
『大智度論』に依れば、明とは宿命・天眼・漏尽の過去・現在・未来の三明、行とは身口意の三業、足とは本願と修行を円満具足することで、したがって三明と三業を具足する者をいう。
『涅槃経』に依れば、明とは無上正遍知(悟り)、行足とは脚足の意で、戒定慧の三学を指す。
仏は三学の脚足によって悟りを得るから明行足という。

D 善逝(ぜんぜい)
智慧によって迷妄を断じ世間を出た者。
善く因より果に逝きて還らぬという意味で、無量の智慧で諸の煩悩を断尽し世間を脱出した者をいう。

E 世間解(せけんげ)
世間・出世間における因果の理を解了する者。仏は世間の有情をよく了解することからいう。

F 無上士(むじょうし)
惑業が断じつくされて世界の第一人者となれる者。仏は衆生の中において最も尊き無上の大士なる意であるからいう。

G 調御丈夫(じょうごじょうぶ)
御者が馬を調御するように、衆生を調伏制御して悟りに至らせる者。仏は大慈大悲を以て衆生に対し、あるいは軟語、あるいは苦切語・雑語を用いて調御し、時に応じて機根気類を見て与え、正道を失わしめない者であるという意。

H 天人師(てんにんし
天人の師となる者。仏は正法を以て人間・天上の者を教導するから天人教師、すなわち天人師という。

I 仏世尊(ぶつせそん
煩悩を滅し、無明を断尽し、自ら悟り、他者を悟らせる者。真実なる幸福者。仏は仏陀の略で智者・覚者の意、世尊とはあらゆる功徳を円満に具備して、よく世間を利益し、世に尊重せらるるとの意で、世において最も尊いから仏世尊という。
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 学者応に知るべし、久遠元初の自受用身は全く是れ一念三千なり、故に事の一念三千の本尊と名づくるなり、秘すべし、秘すべし云々。
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(※ 仏道を求める者はよくよく心得えるべきである。
久遠元初の自受用身如来は末法再誕の日蓮大聖人であり、その御一念はまさに宇宙法界全てを包含する事の一念三千なのである。
であるから、日蓮大聖人こそ、人に即して事の一念三千の法であり、法に即しての人本尊であって、その御内証をそのまま顕されたのが弘安二年御建立の戒壇の大御本尊なのである。
これは仏教の究極の奥義であり、究極の結論なのである。
深く信心で拝しすべき仏教の奥底の真理である。
信心無き者へ軽々に論じてはならない。

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038

 第二 本門の戒壇篇

 夫れ本門の戒壇に事有り、義有り。所謂義の戒壇とは即ち是れ本門の本尊所住の処、義の戒壇に当たる故なり。例せば文句の第十に「仏其の中に住す即ち是れ塔の義なり」と釈するが如し云々。
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(※ 「本門の戒壇」に「事の戒壇」と「義の戒壇」とがある。
「義の戒壇」とは、「本門の本尊」が安置されているところは「義の戒壇」である。
例えば、
妙法蓮華経 神力品第二十一に
「若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若もしは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆、応に塔を起てて供養すべし。
所以は何ん。当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て、阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て、法輪を転じ、諸仏此に於て、般涅槃したもう。」とあり、

天台大師の法華文句の第十に
「この「塔」にはそれぞれに「仏」が住している」と釈されているがごとくである。
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(※ ここで注意したいのは、「義の戒壇」とは、「「本門の本尊」が御安置されている所」である。
「本門の本尊」との呼称は、
@ ただ「戒壇の大御本尊」を指す場合と、
A 戒壇の大御本尊に通じる一切の正統な御本尊を指す場合と
二通りの用例があり、
今回のこの箇所は、「塔」について神力品の経文と法華文句の指南から拝すれば、日蓮正宗の正統な御本尊が「塔」にあたり、全国乃至全世界で安置されている場所が「義の戒壇」ということが分かる。
浅井昭衛はこういう基本的な解読ができないだけで、ただ浅薄・皮相的な読み方しかできず▼「義の戒壇とは広布以前の「本門の本尊」(戒壇の大御本尊)安置の場所だ!」と妄執しているに過ぎないのである。嗤うべし。哀れむべし)

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039

正しく事の戒壇とは一閻浮提の人の懴悔滅罪の処なり、但然るのみに非ず、梵天・帝釈も来下して踏みたもうべき戒壇なり。
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(※ 真の「事の戒壇」とは全世界の人々が参詣し、懺悔し罪障消滅を願うべき所である。
それだけでなく、大梵天王・帝釈天王すら降り来たって、受戒を受けるべき戒壇である。
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秘法抄に云わく「王臣一同に三秘密の法を持たん時、勅宣并びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ、事の戒法と申すは是れなり」等云々。宗祖の云わく「此の砌に臨まん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜんのみ」云々。
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(※ 三大秘法抄にこのように仰せである。
■「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくびく)の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣(ちょくせん)並びに御教書(みぎょうしょ)を申し下して、霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔(さんげ)滅罪の戒法のみならず、大梵天王(だいぼんてんのう)・帝釈(たいしゃく)等の来下(らいげ)して踏(ふ)み給ふべき戒壇なり。((三大秘法稟承事 弘安五年四月八日 六一歳 1595)
-----------------------------------------
(※ ここまでは、「事相における広宣流布に約しての「事の戒壇」」と拝す事ができる。
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以下は、法体に約しての「事の戒壇」を示される箇所。

また、『南条殿御返事』に大聖人は以下のごとく仰せである。
■ 此の砌に望(のぞ)まん輩(やから)は無始の罪障忽(たちま)ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん。( 弘安四年九月一一日 六〇歳 1569)
-----------------------------------------
(※ この御書は弘安四年御作であるから、既に本門戒壇の大御本尊は御建立されいる。
であるから「此の砌」とはまさに戒壇の大御本尊の御事である。

日寛上人は「事の戒壇」を説明されている文脈の中で、日蓮大聖人御在世の時、戒壇の大御本尊を示して、三大秘法抄の■「事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔(さんげ)滅罪の戒法のみならず」云々、という御文に相応する形で、■「此の砌に望(のぞ)まん輩(やから)は無始の罪障忽(たちま)ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん。」との御文を引文されている。
ここを見落としてはならない。

@ 時 日蓮大聖人御在世
A 未だ広宣流布は実現していない
B 「此の砌」=「戒壇の大御本尊 と示され、それが「事の戒壇」である。との引証である。

つまり、日寛上人はここで明確に、「戒壇の大御本尊在します所、即「事の戒壇」である。」と示されているのである。

この南条殿御返事の御文は、「法体に約しての「事の戒壇」」を示されたものと拝することが出来る。

ここも、浅井昭衛が未だに解読できていいないが故に、自らの邪見に偏執しているだけのことである。

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040

 問う、霊山浄土に似たらん最勝の地とは何処を指すとせんや。
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(※ 三大秘法抄にある「霊山浄土に似たらん最勝の地」とは大聖人はどこを志向されていたのであろうか。

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 答う、応に是れ富士山なるべし、故に富士山に於て本門の戒壇之れを建立すべきなり、将に此の義を明かさんとするに且く三門に約す、所謂、道理・文証・遮難なり。
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(※ それに答えるに、まさに総じては富士山(山麓)、別してはまさに本門戒壇の大御本尊在します富士大石寺である。
そこに本門の戒壇を建立すべきである。
その教義的根拠を明示するにあたって、道理・文証・を示し、更にこれまでの邪難を破折する。

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041

 初めに道理とは、
 一には謂わく、日本第一の名山なるが故に。都良香の富士山の記に云わく「富士山は駿河の国に在り、峰削り成すが如く直に聳えて天に属(つ)けり、其の高きこと測るべからず、史籍の記する所を歴覧するに未だ此の山より高きは有らざる者なり、蓋し神仙の遊萃(ゆうすい)する所なり」云々。
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(※ まず「道理」とは。
その一として、
富士山は日本第一の名山であるがゆえである。
都良香の富士山の記にこのように書かれている。
「富士山は駿河の国に在る。峰を削り出だすように垂直に聳えて天にも届くようである。その高さは測ることができないほどであり、古来からの書籍を全て検索してもこの山より高い山は見出す事ができない。思うに、神々や仙人の遊び集まるところであろう」

都良香【みやこのよしか】
平安前期の漢詩人。 文名をうたわれ,大内記,文章博士となり,詔勅などの起草にあたった。 また,藤原基経らとともに《日本文徳天皇実録》の編纂(へんさん)にあたったが,完成を前に死去。 文集に《都氏文集》6巻(うち3巻のみ現存)があり,《和漢朗詠集》《本朝文粋》などに詩文が収められている。
引用の富士山記は本朝文粋巻十二にある。

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042

 二には謂わく、正しく王城の鬼門に当たるが故に。義楚六帖の第二十一五に云わく「日本国亦倭国と名づく、東海の中に在り、都城の東北千里に山有り、富士山と名づく」云々。東北は即ち是れ丑寅なり、丑寅を鬼門と名づくるなり。
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(※ 道理のその二として、富士山は、帝王のすむ城。王宮から東北の方角に位置するから、戒壇建立の地として相応しいのである。
義楚六帖
(※ 後晋の開運二年(945年)周の顕徳元年(955年)にわたって、義楚が編纂した仏教類書であり、多くの典籍、この中には古逸書や異本などを含んでおり、それらを典拠として引いている。別名 釈氏六帖。)
にこのように書かれている。
「日本国はまた倭国と呼ばれている。この国は(中国から見て)東の海の中に在る。都城つまり天皇の住まわれる京都から東北の方角に千里のところに山がある。富士山と名付けられている。」と。
東北とは丑寅の方角である。丑寅とは鬼門の方角である。
(※ 鬼門(東北の方角)とは、陰陽家では、鬼が出入りする方角として、忌み嫌い、恐れられた。そこで、鬼門除(よけ)といって災難を避けるために神や仏を祭ることが慣わしとなり、その慣例を用いて鬼門の方に戒壇建立することは国家安寧のためとなる、との意味合いもあることであろう。)

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043

珠林の十一十一・
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(※ 法苑珠林(ほうおんじゅりん)中国,唐の僧,西明寺道世の著。 100巻。総章1 (668) 年成立。仏教の百科事典的性格を有する書物で,全 100巻を項目別に 100編 668部に分け,仏教における思想,術語などを概説,諸経論などからの引用をあげて典拠を明示したもの。千百数十種もの経論が引かれ,現存しないものまで含まれていて,中国仏教資料として重要である。
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この巻十一に、「神異経に依るに曰く、東北方に鬼星石室あり。星三百戸、而も所を共にす。石傍に題して鬼門と曰う。」
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参考

神異経 
東方 朔(とうほう さく)紀元前154年 - 紀元前93年)著
前漢の武帝時代の政治家。
武帝に「今年22歳になり、勇猛果敢、恐れを知らず、知略に富んでいるので、大臣に向いていると思う」と自ら推薦状を送った。これを武帝が気に入り、常侍郎や太中大夫といった要職につかせた。

後の歴史書などには、彼の知略知己に富む様子がしだいに神格化され始め、ついには下界に住む仙人のように描かれることとなった。
また、滑稽な行為をすることでも知られ、中国では相声(中国式の漫才のようなもの)などのお笑いの神様として尊敬されている。

『答客難』・『神異経』などの著書がある。
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鬼門(きもん)

うしとら・北東の隅は常に、悪魔の出入りする門戸であるとし、あるいは又その方角に鬼星の石室があるとして、その方角を忌むこと。
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鬼星

二十八宿の一、鬼宿?(きしゅく)?の和名。
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●(ホ)記の第三云々。
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(※ 日本の歴史書。
参考
南北朝には晴明に仮託された《??(ほき)内伝》がつくられ,牛頭天王(ごずてんのう)の信仰と結びついた民間陰陽書として知られた。
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南北朝時代の《??(ほき)内伝》には,〈金神は,巨旦大王の精魂なり〉と説き,遊行するものとされ,金神七殺の方として,甲(きのえ)己(つちのと)の年は午未申酉(うまひつじさるとり)の方,乙(きのと)庚(かのえ)の年は辰巳戌亥(たつみいぬい)の方,丙(ひのえ)辛(かのと)の年は子丑寅卯(ねうしとらう)の方,丁(ひのと)壬(みずのえ)の年は寅卯戌亥(とらういぬい)の方,戊(つちのえ)癸(みずのと)の年は子丑申酉(ねうしさるとり)の方にいると記されている。金神の遊行する方位を犯して,土木・建築・移転・旅立ち・嫁とりなどをすると,その祟り(たたり)が7人に及び,家人の数がそれに満たない時は,隣人にも祟ると言われて忌避されていた。
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??第三
壬午(みずのえうま)。鹿嶋大明神が阿久留王退治の為に東海の河を下る。北方に向いて陳社を構う。東北の方、鬼門の関、寒(おそろ)し。とのたまうなり。

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044

類聚の一末三十五に云わく「天竺の霊山は王舎城の丑寅なり、震旦の天台山は漢陽宮の丑寅なり、日本の比叡山は平安城の丑寅なり、共に鎮護国家の道場なり」云々。
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(※ 天台名目類聚抄(天台七帖見聞)本朝天台僧・貞舜(1334〜1422)著にはこのようにある。
「インドの霊山はマガダ国の首都・王舎城の丑寅の方角である。中国の天台山は漢陽宮の丑寅の方角にある。日本の比叡山は時の王城・平安城の丑寅の方角である。三国共に鎮護国家の道場である。」

参照
漢陽宮 陳の都・建康か、隋の煬帝(ようだい)が離宮をおいた江都か明らかではない。いずれも正確に方角を調べると天台山はこららの東南方に当たる。ただ慣習として東北とされていたものか。
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上野抄外の五七に云わく「仏法の住処は鬼門の方に三国倶に建つるなり、此等は相承の法門なり」云々。
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(※ 上野殿御返事に仰せである。
原典「仏法の住所は鬼門の方に三国ともにたつなり。此等は相承の法門なるべし。(1361-8)
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(仏法が所在する住所というものは全て王城から鬼門(丑寅・東北)の方角に建立されるのである。
これらは、相承によって相伝されてきた法門である。)

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045

 三には謂わく、大日蓮華山と名づくるが故に。神道深秘二十六に云わく「駿河国大日蓮華山」云々。今之れを案ずるに山の形八葉の蓮華に似たるが故に爾名づくるなり。神社考の四二十に云わく「富士縁起に云わく、孝安天皇九十二年六月富士山涌出す、乃ち郡名を取って富士山と云う、形蓮華に似て絶頂に八葉あり」云々。古徳の富山の詩に云わく「根は三州に跨がりて煙樹老い、峰は八葉に分れて雪華重なる」云々。既に是れ日蓮が山なり、最も此の処に於て戒壇を建つべきなり、自余之れを略す。
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(※ 富士山に本門戒壇を建立すべき道理としてのその三番目は、富士山が「大日蓮華山」と名付けれているからである。
神道神秘(本朝天台宗の法華神道書 
上 神道甚深秘蔵巻(延暦二十二年十月三日)
下 神奥秘一谷巻(弘仁十三年二月三日)1653年4月刊行)
に、「駿河の国 大日蓮華山」と記載されている。
今これを推量するに、山頂の形が八葉の蓮華に似ているが故にこのように名付けられたのであろう。

神社考(本朝神社考 林羅山著(寛永十五年〜正保二年に著作か)にこのように書かれている。
「富士山縁起にこのようにある。
孝安天皇(神武天皇から六代目の天皇。生没年不詳。帝王編年記によると在位百二年。百三十七歳で没。欠史八代の天皇で実在した可能性は学術的にはほぼ無い。)が在位して九十二年目の六月に富士山が涌き出でた。その郡名によって「富士山」と名付けられた。その姿は蓮華に似ており、頂上が蓮華の八葉と同様であった。」

草山集 深草元政の作の詩の中に
「富士山の麓は駿河・甲斐・相模に広がって古木が霞んでぼんやり見える。峰は八葉に分かれており、雪が重なっている。」とある。

末法下種の教主 自解仏乗の日蓮大聖人が自らの御名乗りである「日蓮」と同じ名前を冠した「大日蓮華山・富士山」はまさに日蓮大聖人を表象した山である。
が故に、この山麓に本門戒壇を建立すべきである。

その他の文献は略す。

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046

 次に文証を引くとは、本門寺の額に云わく「大日本国富士山、本門寺根源」等云々。
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(※ 次に、富士に本門の戒壇を建立すべきであることを示す文証を挙げる。

北山本門寺蔵 本門寺根源の額にこのようにある
「大日本国冨士山 本門寺根源」と。
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(註※ この「本門寺根源の額」の真偽については注意を要する。
但し、この資料以外にも日興上人が「広宣流布の暁には大本門寺を富士山麓に建立すべし」との御構想を示される文証は多々存在する。
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参照 

両山問答(霑志問答 富要7−96))
富士山本門寺根源の額大に以って不審なり、宗祖御在世に富士に本門寺と称せし寺あらば此の額あるも道理なれ、未だ其の寺なきに富士山本門寺根源とは最も怪しき御筆なり、況や根源の二字は余の本門寺に対するの語なり、此の時に当て未だ池上の本門寺もなく西山の本門寺もなし、何れの本門寺に相対して独り本門寺根源の称号を顕し給ひしものなるぞ、亦其の独一根源と称すべき本門寺だにも未だあらざるに、独り此の額あるは如何にも解しがたき事ならずや
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日亨上人 富士日興上人詳伝 286
「この棟札(※三棟棟札)も、本門寺根源の大聖人の御額も慎重に研究の余地があるではなかろうか」(興詳伝286)

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047

御書外の十六に御相承を引いて云わく「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之れを付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法とは是れを謂うなり」等云々。
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(※ 原典「日蓮一期弘法付嘱書    弘安五年九月  六一歳
 日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。
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(※ 日蓮が一生涯、弘通してきた法門と法体は全て悉く白蓮阿闍梨日興に付嘱する。文底下種の本門弘通の大導師となるべきである。
国主(※政治体制が専制君主国家では国主とは例えば天皇とかある特定の主権者を意味するが、主権在民の時代では国民一人一人が「国主」の一分といえる。)
が文底下種の三大秘法を国家に建立する時は、富士山麓に本門寺の戒壇を建立されるべきである。
今は、ただその時を待つことである。
三大秘法の本門の戒壇の広宣流布した暁の事相における事の戒壇とはこのことである。
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開山上人の門徒存知に云わく「凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり。然るに駿河国富士山は日本第一の名山なり、最も此の砌に於て本門寺を建つべきなり」云々。
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(※ 大石寺御開山・日興上人の富士一跡門徒存知事にはこう仰せである。
原典「凡(およ)そ勝地を撰んで伽藍(がらん)を建立(こんりゅう)するは仏法の通例なり。然れば駿河富士山は是日本第一の名山なり、最も此の砌(みぎり)に於て本門寺を建立すべき由(よし)奏聞し畢んぬ。
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(※ 仏法の歴史全体を概観するとき総じて、勝地(1 景色のよい所。景勝の地。2 地勢にすぐれた土地。)を選定して寺院の伽藍を建立することは仏法一般のならわし。通常のありかたである。
そうであるならば、駿河国 富士山は日本第一の秀麗な名山である。この地にこそ本門寺を建立すべきことを予ねて日蓮大聖人へ申し上げてあった。)

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048

三位日順の詮要抄に云わく「天台大師は漢土天台山に於て之れを弘宣す、彼の山名を取って天台大師と号す、富士山又日蓮山と名づく、最も此の山に於て本門寺を建つべし、彼は迹門の本寺、此れは本門の本山なり、此に秘伝有り」云々。
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(※ 三位日順
にちじゅん 【日順】 
@富士門流重須談所二代三位日順(一二九四年−一三五六年)。
永仁二年甲斐(山梨県)下山に生れまる。
正安三年(一三〇一年)八歳にして日澄に師事後、日興上人の折伏により、日向の門より日澄と共に日興上人の弟子となる。
延慶三年(一三一〇年)日澄の滅後、叡山に修学、恵心流・檀那流、両流を学ぶ。後、富士に帰る。
正和二年(一三一三年)(二十歳の時)大聖人の御影を図し日興上人に献上した。
富士一跡門徒存知の事に
「但し彼の面面の図像一も相似ざる中に去る正和二年日順図絵の本有り、相似の分なけれども自余の像よりも少し面影有り」とある。
また文保元年(一三一七年)二十四歳の時、重須談所二代の学頭に補せられた。
嘉暦二年(一三二七年)八月には日興上人の代りとして上洛し天奏を行なっている。
又翌年七月には五人所破抄を草した。
これは日興上人こそ日蓮大聖人の法統を正しく継ぎ、五老僧は師敵対謗法を犯したことを記するものである。
ゆえに日順阿閣梨血脈(富要二−二三)に
「今末法に相当って弘教の極聖未だ本門流布の元由を記せず、日澄図する所の要集は実に後代の亀鏡たり……像法末法前後し・迹化本化高下有り、五人何の意ぞ輙(たやす)く本化高位の先師聖人を擱(さしお)いて、恣(ほしいまま)に迹化已過の天台の末弟と称するや。
加之(しかのみならず)・神明の有無・仏像の用不・戒門の持破・倭漢の両字・異義蘭菊にして所立不同なり、澄深く此の意を得るも筆墨に能へずして空しく去りぬ、汝先師の蹤跡を追うて将に五一の相違を注せよと云云、恭くも厳訓を受けて?(なまじい)に紙上に勒し粗ぼ高覧に及ぶ…‥」とある。
そして嘉暦四年(一三二九年)二月に日興上人の命により佐渡に本照寺を創立した。
五人所破抄を書き終えてから五月頃に片眼が見えなくなり甲斐下山の大沢に隠居した。
そして大沢の地にて著作にはげんだのである。
年代のわかるものに延元元年(一三三六年)九月十五日、
日順阿闇梨血脈を著し、一眼盲後に用心抄(一三三六年)誓文(一三四二年)両眼盲後に本門心底抄(一三四九年)推邪立正抄(一三五一年)念真所破抄(一三五六年)があり、年代不明の著作に本因妙口決(詮要抄)、撰時抄註見聞、開目抄上私見聞、観心本尊抄見聞、法華観心本尊抄見聞、四信五品抄要文、雑肝見聞、法華本門見聞等がある。そして日興上人の激励と大衆の希望のため再び重須に上り門下の育成にあたった。
正平十年(一三五五年)一月三日、重須談所にて開目抄の講義を始めた。
翌正平十一年三月五日には観心本尊抄の講義を始めている。
そしてその年に寂した。寿六十三である。(仏哲から)
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三位日順師の詮要抄(本因妙口決)にこのように言われている。

原典「天台大師漢土の天台山に於て弘め給ふ。彼の山の名を取って天台大師と云うなり。此れは弘経は日王能住の高嶺とは冨山をば日蓮山と云ふなり。彼の山に於て本門寺を建立す可き故に日蓮宗を立て給ふ事なり。彼れは迹門の本山、是れは本門の本寺疑ひ無きものなり。是れは深秘の法門なり。之れに付て多くの秘伝之れ有り習ふ可し。」(富要2−78)
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(※ 本因妙抄の天台大師と日蓮大聖人の仏法の勝劣の要約である二十四項目の中に
■「彼は台星の国に出生し、此は日本国に出世す」
■「彼の弘通は台星所居の高嶺なり、此の弘経は日王能住の高峰なり。」
とあり、それについての日順師が解釈している。
■「彼の弘通は台星所居の高嶺なり」とはどういう事かと言えば、天台大師は中国の天台山に登って円頓止観を覚り、さらに『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述された。故に、実名は智だが、その天台山の名を取り天台大師と言われている。
■「此の弘経は日王能住の高峰なり。」この文の意味は、日本では古来から「大日蓮華山」との名前のある富士山こそ大日天王の住まわれる山であり、また日蓮大聖人と同じ名前を冠している。この富士山山麓にこそ、広宣流布の暁には本門寺を建立すべき勝地である。
天台山は迹門の本山
大日蓮華山(富士山)は文底下種本門の本寺が建立されるのは間違いないことである。
これは深秘の法門であり、これについては多くの秘伝があるのでよくよく習うべきである。

(因みに、「台星国」「日本国」という名前について。
日・月・星 の三光天子の中では、日天子が最上である。
であるから、「日本国」(日の本の国)には本門の大導師である日蓮大聖人が出現して久遠下種の妙法を御顕示なされた。
一方、天台山は星の国である。星は日の眷属である。故に熟益の導師である天台大師は、その星の国に生まれて、本門の序分、さらには文底下種の本門の序分である迹門を弘通されたのである。)
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参照 なぜ、天台山を「台星」と呼ぶのか?

天台山(中国・浙江省)
天台宗発祥の地。
最高峰の華頂峰は海抜1138メートル
古より仙人信仰が根づく霊山で、道教の聖地でもある。

天台の意味
旧字の「臺」と「台」はもともと別字で、「台」は星を意味する。
北斗七星の近くにある星宿・三台星(上台・中台・下台)の真下に天台山があるとされ、その山で修行をすれば昇天して仙人になれるという伝説があった。
「天臺山」は中国各地に存在するが、「天台山」は唯一この山だけであり、旧字でも「天台山」と表記する。

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049

況んや復本門戒壇の本尊所住の処なり、豈戒壇建立の霊地に非ずや。
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(※ 上掲した文証も富士山麓に本門戒壇建立すべき道理明らかであるが、何よりも、本門戒壇の大御本尊が御安置されているのは大日蓮華山・富士山山麓の大石寺である。
こここそが広宣流布の暁の事相における本門戒壇が建立されるべき霊地ではないか。
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経に曰わく「若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても乃至是の中皆応に塔を起てて供養すべし」等云々。
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(※ 法華経・神力品第二十一 
原典「若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若もしは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆、応に塔を起てて供養すべし。」
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(※ 法華経の神力品にこのように説かれている。
「滅後末法において、あるいは経巻が安置されているところ、あるいは園の中においても、あるいは林の中においても、あるいは樹木の下であっても、あるいは僧侶が居住する寺院においても、あるいは在家の家においても、あるいは殿堂であっても、あるいは山奥や谷、荒野においても、皆、そこに宝塔を建立して供養すべきである。」
(これは、まさに、神力付嘱の要法、文底の三大秘法の仏法建立の相を示されている。)

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050

 問う、有るが謂わく、凡そ身延山は蓮祖自らの草創の地にして諸山に独歩せり、所以に諸抄の中に歎じて曰く「天竺の霊鷲山にも劣らず、震旦の天台山にも勝れたり」云々。故に知んぬ、霊鷲山に似たらん最勝の地とは応に是れ身延山なるべし、如何。
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(※ 問い。ある人はこう言っている。
身延山は波木井実長の要請に応えられた日蓮大聖人が御自らが隠棲する入山地として選ばれ堂などを草創された地であって、他のどの山より特段に勝れている。
故に様々な御書にも身延山が勝れている事を賛嘆されている。
例えば波木井殿御書(※現在では偽書とされている)にはこのようにある。
「我が此の山は天竺の霊鷲山にも勝れ、日域の比叡山にも勝れたり」
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参照(日蓮遺文の文献学的研究とその成果 間宮啓壬氏 注76)

真蹟も直弟子写本も存在せず、本満寺本録外御書(文禄四年〔一五九五〕筆写終了)に初めてその写本が登場する『波木井殿御書』には、「延応元年己亥十八歳にして出家」(『定遺』、一九二五頁、)とある。
だが、日蓮の出家年齢は、金沢文庫から発見された日蓮筆写本「授決円多羅義集唐決』の奥書(『定遺』、二八七五頁)により、少なくとも一七歳以前であることが、今や明らかとなっている。
したがって、『波木井殿御書』の文献学的信頼度は、大きく低下したと言わざるを得ない。

加えて、かなりの長文である『波木井殿御書』は、「弘安五年壬午十月七日」(『定遺』、一九三三頁)の日付を持つが、これは日蓮死去のわずか一週間前に当たるものである。
これを少々さかのぼる同年九月一九日付の『波木井殿御報』は、既に日興の代筆であり、「所らうのあひだ、はんぎやうをくはへず候事、恐入候」(『定遺』、一九二五頁)といわれるほど、日蓮は体力を喪失してしまっている。
死を目前にしたこのような状況下で、かなりの長文にわたる「波木井殿御書』を記す余力が日蓮にあったとは、とても考えられないのである。

したがって、『波木井殿御書』は、やはり偽書の疑い濃厚であると言わざるをえない。

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051

 答う、最勝の地を論ずるに事有り、義有り。謂わく、富山の最勝は即ち事に約するなり、延山の最勝は是れ義に約するなり。然る所以は蓮祖大聖九年の間、一乗の妙法を論談し摩訶止観を講演したもうが故に霊山金仙洞にも劣らず、天台銀地の峰にも勝る、天台の所謂「法妙なるが故に即ち処尊し」とは是れなり。然るに正応元年の冬、興師離山の後、彼の山已に謗法の地と成る、云うても余り有り、歎いても何かはせん、彼の摩梨山の瓦礫の土と成り、栴檀林の荊棘と成りしにも過ぎたり云々。
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(※ それに答えるに、最勝の地をを論ずるにあたっては、事に約す観点と、義に約す観点とがある。
富士山が最勝の地と言うことは、事に約して論じた場合である。
身延山を最勝の地と言うことは、義に約して論じた場合である。
なぜそう言えるかというと、
義に約して言えば、身延山は日蓮大聖人が九年間、文底独一本門の三大秘法を根底に法華経を論談し、摩訶止観を講演なされたが故に、釈尊が法華経を説かれた霊鷲山(金仙洞)や、天台大師が摩訶止観などを説かれた天台山(銀地の峰)にも勝る。と言える。
(※釈尊は仏であるから「黄金の尊い洞」とし、天台大師は像法時代の論師であるから天台山を「銀の大地の峰」として修辞的な対句を添えられたと考えられる。)
天台大師の法華文句(原典)にある「法妙なるが故に人貴し。人貴きが故に処尊し。」
法が勝れて妙なるが故にその法を持つ人もまた貴い。そして、その人が貴いが故に、その人が住する場所もまた尊い。と云われている意義の通りである。

しかし、事実に約して考えれば、正応元年(1288年)の冬、それまでの地頭、波木井実長の度重なる謗法のため、日興上人が身延離山された後は、唯授一人・血脈相承を相伝された正嫡の法主上人である日興上人がいない、血脈相承のない日向とその門流らが貫主となった身延山は、正嫡の門流である大石寺に師敵対し、本尊雑乱の大謗法の地となった。
その仏法惑乱の様相を呈している情けなさは語っても語りつくせるものではない。
嘆いてももはや手の施しようもないほどの状況である。
まさに、かの法華最第一を標榜する比叡山が、慈覚・智証によって密教化し、迹門の戒壇が地に落ち土泥にまみれたのと同様に、高価な香木である栴檀樹の産地として有名な摩梨山(まりせん=南インドのサレム州の西ガッツ山脈の南部との説あり)が荒廃して瓦や石ころの土となって、栴檀林が棘のある小木の林と成り変ってしまうよりも浅ましい姿である。
(が故に、事に約して考察すれば、身延山などはまはや最勝の地でないことは明白である。)

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052

 問う、有るが謂わく、宗祖云わく「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。去れば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の処、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なり、斯かる不思議なる法華経の行者の住処なれば、争でか霊山浄土に劣るべき」云々。今此の文に准ずるに延山は正しく是れ法身の四処なり、豈最勝の地に非ずや。
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(※ 質問する。ある人がこのように言っているがどうか。
日蓮大聖人は以下のように仰せである。
「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間(あいだ)は諸仏入定(にゅうじょう)の処(ところ)なり、舌の上は転法輪の所、喉(のんど)は誕生の処、口中(こうちゅう)は正覚(しょうがく)の砌(みぎり)なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。」(南条殿御返事 弘安四年九月一一日 六〇歳 1569)
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(※ 釈尊の一大事の秘法を法華経の会座である霊鷲山において上行菩薩として別付嘱を受けて、その秘法を日蓮は胸の中に事実として秘して隠し持ってきた。であるから、日蓮(法身)の胸中は諸仏が成仏する場所(入涅槃)である。日蓮の舌は仏が説法をする場所(転法輪)。喉は仏の言葉が生み出されるところ(生処)。口の中は仏の悟りが顕れるまさのその場所(得道)である。そういう不思議な法華経の行者(末法に応誕する本仏)が住む処ならば、仏の住処である霊山浄土に劣るはずがあろうか。
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この御文を基にして考察すれば、日蓮大聖人がお住まいであった身延山はまさに仏が「生処・得道・転法輪・入涅槃」された「法身の四処」ではないか。
まさに最勝の地ではないか。

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053

 答う、教主釈尊の一大事の秘法とは結要付属の正体、蓮祖出世の本懐、三大秘法の随一、本門の本尊の御事なり。是れ則ち釈尊塵点劫より来心中深秘の大法なり、故に一大事の秘法と云うなり。然るに三大秘法の随一の本門戒壇の本尊は今富士の山下に在り、故に富士山は即ち法身の四処なり、是れ則ち法妙なるが故に人尊く、人尊きが故に処貴しとは是れなり。
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(※ それに答えるに、南条殿御返事の「教主釈尊の一大事の秘法」とは、上行菩薩が神力品第二十一で釈尊から付嘱された釈尊仏教の最要・肝心の法体であり、上行菩薩の再誕である日蓮大聖人の出世の本懐である、三大秘法の根本法体である本門戒壇の大御本尊のことである。
この大御本尊こそ釈尊が五百塵点劫のその昔より心中奥深くに秘し沈められてきた大法である。そうであるからその名を「一大事の秘法(一大秘法である本門戒壇の大御本尊から開かれて三大秘法となる)」というのである。

その三大秘法の根本である本門戒壇の大御本尊は今は富士山麓の大石寺に御安置されいる。
人即法・法即人の人法一箇である大御本尊であるから、戒壇の大御本尊は即日蓮大聖人である。
その日蓮大聖人がおわします富士山麓の大石寺こそ「法身の四処」と言うべきである。

その南条殿御返事の御文に続く法華文句の引用文の「法妙なるが故に人貴し。人貴きが故に処尊し。」(法が勝れて妙なるが故にその法を持つ人もまた貴い。そして、その人が貴いが故に、その人が住する場所もまた尊い。)の御文の意はまさにこのことである。

人法一箇の戒壇の大御本尊こそ、最尊・最極の仏法の根本、究極の御本尊である。
であるが故に、その大御本尊が厳護されている地である富士大石寺こそ最勝の地といえるのである。

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054

 問う、有るが謂わく、凡そ身延山は蓮師の正墓なり、故に波木井抄三十三に云わく「何国にて死に候とも、墓をば身延山の沢に立てさすべく候」等云々。既に是れ御墓処なり、豈最勝の地に非ずや。
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(※ 問う。ある人がこのように言っている。
身延山は日蓮大聖人の正墓がある場所である。
波木井殿御返事にもこのようにある。
原典「いづくにて死に候とも、はか(墓)をばみのぶさわ(身延沢)にせさせ候べく候。」((波木井殿御報 弘安五年九月一九日 六一歳 1596)
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(※ 日蓮がどこの地で死んだとしても、墓は身延の沢にしたいと思っている。)
この御文の通り、日蓮大聖人の正墓は身延山にある。
まさに(戒壇建立の)「最勝の地」ではないか。
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(※ 参考 この御文は日蓮大聖人が病気平癒の御静養のため常陸の湯へ向かわれた途中、池上邸へ到着されたことを波木井実長に知らされたもので、御自分の死期を御悟りになっておられていることが文面に読み取られる。
その中で、当該文の前半から引文すれば、
■「所らう(労)のみ(身)にて候へば、不ぢゃう(定)なる事も候はんずらん。さりながらも日本国にそこばくもてあつか(扱)うて候み(身)を、九年まで御きえ(帰依)候ひぬる御心ざし申すばかりなく候へば、いづくにて死に候とも、はか(墓)をばみのぶさわ(身延沢)にせさせ候べく候。」
とあって、波木井実長が地頭として九年間、大聖人様を外護され、しかもこの時点ではその純真な信仰が維持されていた。
その前提の上で「日蓮がどこの地で死んだとしても、墓は身延の沢にしたいと思っている。」という御言葉である。

その後、波木井実長は数々の謗法を犯し、正統血脈を相伝される御内証、三宝一体の日興上人に背いたことは、取りも直さず日蓮大聖人に背いたことになる。
となれば、この「日蓮がどこの地で死んだとしても、墓は身延の沢にしたいと思っている。」との御言葉の意義も変わるのは道理である。

その証拠に、大聖人の遺言として■「地頭の不法ならん時は我も住むまじ」(日興上人・美作房御返事)との御言葉が伝わっている。

「日蓮がどこの地で死んだとしても、墓は身延の沢にしたいと思っている。」との御言葉は、一往、波木井実長への労いのお心であって、再往は、もし波木井実長が謗法行為を起こす背信の徒となったならば、日蓮の心はもはや身延にはない」というのが御本意であったということである。

結局は大聖人の御遺言の通り、波木井実長の謗法・背信者となり、身延には大聖人の御魂はおられないことになったのである。

また、このことは、池田創価学会にも当て嵌まる原理であろう。
池田大作と、池田率いる創価学会が、一往は形だけでも日蓮正宗を信仰している時代には、日達上人からも賛辞が寄せられた事例もあっただろうが、その池田大作と創価学会が謗法・背信の徒となたならば、その賛辞も全て無効となり、日興上人が身延離山したが如くに、日顕上人が池田大作と創価学会を破門にしたことは、上記の波木井実長への大聖人・日興上人の御振舞いに見事に符合する。

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055

 答う、汝等法水の清濁を論ぜず但御墓所の在無を論ず、是れ全身を軽んじて砕身を重んずるか。而るに彼の御身骨は正しく興師離山の日之れを富山の下に移し、今に伝えて之れ有り、塔中の水精輪に盛ること殆ど升余に満つるなり。
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(※ それに答えるに、上記の邪難をなすあなた方は、「法水」の清濁を論じることなく、ただ、正墓がどこにあるかないか、という点のみを論じている。
これは、仏の命・悟りそのものである「全身の舎利」(法・報・応の三身=大聖人出世の本懐である人法一箇の戒壇の大御本尊)を軽んじて、仏の肉身の形見である「砕身の舎利」のみに執着し重要視する考え方である。

しかも、日蓮大聖人の御骨は、日興上人が身延離山の折りに、富士大石寺へ御捧持されているのであり、戒壇の大御本尊の御側の宝塔の中の水晶の器に納まっており、一升に余る分量である。
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参照

第五十二世日霑上人が両山問答(霑志問答)
「蓋(けだ)し当山瓶中に盛る処の者は全骨にはあらず。僅(わずか)に胸部より頭脳に至るまでの御骨にして其の余は身延に残し給へるか。其の情知るべからず。」
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(※ 思うに、戒壇の大御本尊脇の宝塔内の御骨は大聖人の全身の御骨ではない。胸部から頭部までの御骨であって、日興上人は、その他は身延山に残してきておられるのであろうか。その御心は窺い知ることができない。)
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富士大石寺明細誌 大石寺第四十八世 日量上人

一、日蓮聖人御身骨【玉瓶に入る升余】一瓶

武州池上に於て荼毘し奉る所の頭面の御舎利なり、粲(※さん=明らか・鮮やか)として円珠の如し。
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大石寺第六十五世日淳上人 

「早川一三君の「富士日興上人身延離山の研究」を読んで其の蒙を啓く」

此の場合(※日興上人が身延離山の折り大聖人の御骨を奉持なされたこと)日興上人の御意中には波木井殿の態度が問題である。
それは大聖人より
「墓をば身延に建よ」
との御手紙が波木井殿にいつてをる。
縦ひそれが日興上人へ御付囑遊ばされての上であつても、波木井殿はその御手紙を以て御墓所に執着してをる。
若し公々然と御搬出遊ばされたならば必らず正面衝突はまぬかれない、
波木井殿は地頭であり武人であるからその帰趣は明らかである。
此処に於て唯一の道は御内密に御搬出なさることである。
而して御搬出後も御内密になされなければ富士と身延は僅かな道程であるから直ぐに波木井殿に聞へるは必定である。
此れがために富士に御移しの後も極めて僅かな方より外には御漏しがなかつたと思考せられる。
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(※ 仮説
上記の御指南を総合的に拝すると、身延離山の折り日興上人が大聖人の御骨を全て奉持されたとなると、大聖人の御墓に執着している武人である波木井実長が激昂して、御骨を奪い返すために武力を用いて戦闘となり、多くの死傷者が生じるのを防ぐために、全骨を奉持されずに、胸部から頭部までの御骨を御奉持されたのではなかろうか。)

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056

而も開山上人御遺状有り、謂わく「大石の寺は御堂と云い墓所と云い、日目之れを管領せよ」等云々。既に戒壇の本尊を伝うるが故に御堂と云い、又蓮祖の身骨を付するが故に墓所と云うなり、故に蓮祖の正墓は今富山に在るなり。
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(※ その上、日興上人の御遺状である、日興跡条条事にはこのように仰せである。
原典「一、大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり。(日興跡条々事 元弘二年一一月一〇日 1883)
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(※ 大石寺は戒壇の大御本尊御安置の御堂も大聖人の御骨を収めた所も、全て日目(上人)が管理し支配し、折々の修理を加えながら丑寅勤行に精励して広宣流布を目指しなさい。)
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この御文において、戒壇の大御本尊を安置するがゆえに「御堂」といい、大聖人の御身骨を収めるが故に「墓所」というのである。
つまり、日興上人の時代から既に大聖人の御身骨は富士大石寺に坐すのである。
それは「正墓」ということであり、今もなおその「正墓」は富士大石寺にましますのである。

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057

 問う、有るが謂わく、宗祖の云わく「未来際までも心は身延の山に住むべく候」云々。故に祖師の御心常に延山に在り、故に知んぬ、是れ最勝の地なることを。
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(※ ある者がこのように言っているがどうか。
日蓮大聖人は波木井殿御書(偽書 参照 前出)にこのように仰せである。
原典(昭和新定御書3−2329)「未来際まで心は身延山に住む可く候。」と。
であるから、日蓮大聖人の御心は常に身延山に坐ます。
とすれば、身延山こそ戒壇建立の「最勝の地」ではないか。

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 答う、延山は本是れ清浄の霊地なり、所以に蓮師に此の言有り、而るに宗祖滅度の後地頭の謗法重畳せり、興師諌暁すれども止めず、蓮祖の御心寧ろ謗法の処に住せんや、故に彼の山を去り遂に富山に移り、倍(ますます)先師の旧業を継ぎ更に一塵の汚れ有ること無し。而して後、法を日目に付し、日目亦日道に付す、今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此こに移らざらんや、是の故に御心今は富士山に住したもうなり。
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(※ それに答えるに、身延山は大聖人が御在世当時は、清浄の霊地であった。が故に、日蓮大聖人としても上記の如く言われたのである。(※注 波木井殿御書は現代の研究では偽書と判定されているが、日寛上人当時は真偽未決であった。が故に日寛上人は一往真蹟として受け止められてこのように仰せである。)
しかし、大聖人滅後、地頭である波木井実長の謗法行為は度重なっていった。
(参照 @釈迦一体仏の造立 A二所(箱根・伊豆の両権現)と三島神社の参詣 B九品念仏道場の建立 C福士(山梨県南巨摩郡南部町福士)の塔供養)
日興上人は再三実長を諌め教誨したが実長はこれを受け入れず、謗法行為を止めなかった。
とすれば謗法厳誡を宗是とされた大聖人の御心はどうして、謗法の山と化した身延山に住む事があろうか。
故に、日興上人は謗法身延山を去り、清浄な信仰を貫いていた南条時光からの寄進を受けて富士山麓大石ヶ原へ移られ、いよいよ大聖人の御遺命を受け継ぎ、謗法厳誡して塵、芥一つも交えず、大聖人からの清流を汚すことはない。
その後、大聖人から日興上人への唯授一人の血脈を第三祖日目上人に相承され、日目上人はまたその唯授一人の血脈を第四祖日道上人に相承された。
そしてその法水は今、日寛の時代まで四百有余年の間、一つの器から一つの器に一滴も漏らさず穢さず移すように断絶することなく続いてきている。
日蓮大聖人の御内証はこの唯授一人・血脈相承によってまさに今富士大石寺に流れ通ってきており、それは月が水面に映るように、富士大石寺に顕れているのである。
であるから、日蓮大聖人の御心は今は富士大石寺にお住まいになられているのである。

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058

 問う、若し蓮祖の御心、地頭の謗法に依って彼の山に住したまわずと言わば、天子将軍仍未だ帰依したまわざる故に一閻浮提皆是れ謗法なり、那ぞ彼を去って此に移るべけんや。
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(※ では訊くが、もし宗祖日蓮大聖人の御心として、地頭が謗法になったならば我が魂ここに住むまじ、ということならば、そもそも、我が国の天皇陛下および将軍も未だ当門に入信・帰伏・帰依しておられない謗法の人である。
故に日本国中はどこもみな謗法である。
であるならばなんで、殊更に身延山を去って他の土地へ、就中、とりわけて大石ヶ原へ移る必要があろうか。

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 答う、総じて之れを言わば実に所問の如し、今別して之れを論ずるに縁に順逆有り、故に逆を去って順に移るなり。
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(※ それに答えるに、総論としてはまさに言われる通りである。
しかし、別して考察するに、仏縁というものには順縁・逆縁があるのである。
故に、正義から違背して謗法を犯し逆縁となった波木井実長の地を去り、純真に信仰を貫く順縁である南条時光の領地である大石ヶ原に移られるのである。
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取要抄に云わく「小大・権実・顕密、倶に教のみ有って得道無し、一閻浮提皆謗法と成り畢んぬ。我が門弟は順縁、日本国は逆縁なり」云々。
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(※ 法華取要抄にこのように仰せである。
原典■「末法に於ては大・小・権・実・顕・密・共に教のみ有って得道無し。一閻浮提皆謗法と為(な)り了(おわ)んぬ。逆縁の為には但(ただ)妙法蓮華経の五字に限る。例せば不軽品の如し。我が門弟は順縁、日本国は逆縁なり。」
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(※ 「末法では、大乗・小乗・権教・実教・顕教・密教など熟・脱の釈迦仏法は共に教だけは存在するが、その教を実践しても成仏得道は得られない。
しかし人々はその末法には不適格な釈迦仏法に執着し日本乃至全世界が全て謗法と成り果ててしまっている。(中略)
その中でも日蓮門下となった者達は順縁であり、末法適時の三大秘法の南無妙法蓮華経を受持しない日本国中の諸人は皆、逆縁である。」
つまり、総じて言えば末法の衆生は逆縁で謗法の徒であるが、別して言えば、その中から純真に日蓮大聖人の下種仏法を信じ行ずる者は順縁なのである。
その順逆の次第を考えた時、日興上人が謗法の地である身延を離山して、篤信の順縁の領主の土地へ移られたのは当然の道理であろう。
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四条抄に云わく「去れば八幡大菩薩は不正直を悪みて天に登りたまえども、法華経の行者を見ては争でか其の影をば惜しむべき」云々。
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(※ 原典「されば八幡大菩薩は不正直をにくみて天にのぼり給ふとも、法華経の行者を見ては争(いか)でか其の影をばをしみ給ふべき。」
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(※ 「八幡大菩薩は、謗法・逆縁・不正直の者を嫌い、天界の本地へ登り帰ってしまったが、順縁・正直の法華経の行者には必ずや降り下って守護して下さるのである。」
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此の文に准例して今の意を察すべし云々。
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(※ これらの御金言から類推して上記の「順縁・逆縁」の道理を領解すべきである。)

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059

 問う、癡山日饒が記に云わく「富士山に於て戒壇を建立すべしとは是れ所表に約する一往の意なり。謂わく、当に大山に於て大法を説くべき故なり、例せば仏十二の大城の最大王舎城霊山に於て法華経を説けるが如し、即ち是れ大法を説くことを表わす所以なり、再往所縁に約する則んば本門流布の地皆是れ富士山本門寺の戒壇なり。故に百六箇に云わく「何の在処たりとも多宝富士山本門寺と号すべきなり云々。経に云わく、当知是処即是道場とは是れなり、何ぞ必ずしも富士山を以て体と為し本山と為さんや」略抄、此の義如何。
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(※ 質問する。
要法寺第二十四代貫主癡山日饒の到彼岸記に以下のごとくある。
(※日饒 にちにょう 法諱・痴山;字、信行院)1624ー貞亨4年11月21日(1687年) 京日蓮宗要法寺24世)
「日蓮大聖人が日蓮一期弘法付嘱書(弘安五年九月 六一歳)で「富士山に本門寺の戒壇を建立されるべきである。」と仰せられたのは一往の義である。
大山において大法を説くべきという法則があるからである。
それは、例えば釈尊が当時インドにあった十二の大城の中で最も大きかった王舎城の霊鷲山において法華経を説いたように、である。
これは法華経という大法を説くその相というものを示した実例である。

しかし、再往、縁する所に約して考察すれば、大聖人の本門の仏法が流布する所はすべて「富士山本門寺の戒壇」といえる。
であるから百六箇抄には
原典「何れの在処たりとも多宝富士山本門寺上行院と号すべきものなり」(聖典373−2)
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(※ この箇所は、百六箇抄の後加文である。そもそも「上行院」などの語句が入っており要法寺系を正当化するために後に書き加えられた極めて恣意的な文面であり、日亨上人は「疑義ある箇所」として御書全集では削除されている箇所である。)
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法華経神力品第二十一には
「若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若もしは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆、応に塔を起てて供養すべし。
所以は何ん。当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て、阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て、法輪を転じ、諸仏此に於て、般涅槃したもう。」とあるのはこの義である。(つまり、御本尊安置の場所は何処であっても道場であり、そこで大いなる仏事が為されるとあるではないか。)
どうして敢えて富士山(大石寺)を事の戒壇の根本とし、本山と仰ぐ必要があるというのか」
この義についてはどうか。

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 答う、拙いかな癡山や、汝は是れ誰が弟子ぞや、苟しくも門葉に隠れて将に其の根を伐らんとするや、且つ其の流れを汲んで正に其の源を壅がんとするや、是れ愚癡の山高く聳えて東天の月を見ざるに由るが故なり、方に今一指を下して饒が癡山を●(ツンザ)くべし、曷(なん)ぞ須く巨霊が手を借るべけんや。
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(※ これに答えるに、愚かである。癡山よ。(日寛上人が”癡な山”という法諱に掛けて皮肉られての仰せと拝する。)
汝は一体誰の弟子なのか。
かりにも日蓮大聖人・日興上人と血脈相承された正統門流の門弟ではないか。
その正統門流に身を置きながら、日蓮大聖人の根本正義を破らんとするか。
はたまた、日蓮大聖人からの清流を汲みながら、その清流の源を塞ごうとするのか。
これまさに愚かの上に癡なその蒙昧の山高く聳えて、煌々たる大聖人の正当な教学が見えなくなっているのである。(「癡山」=癡な山と準えて鮮やかに皮肉られている。)
今、ここで日寛が破折の一指を突き出して日饒のその”癡な山”を粉々に引き裂いて見せよう。
どうしてわざわざ日蓮大聖人の御加護を借りる必要があろうか。
(その位、日饒の邪義など浅薄・低劣・愚昧である。)

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060

 謂わく、仏実に王舎城に住せずと雖も且く所表に約して「一時仏住。王舎城」と説かんや、若し仏実に王舎城に住して法華経を説かば那ぞ実に富士山に於て戒壇を建立せざらんや是一。
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(※ 癡山日饒への破折
その一、
もし日蓮大聖人が日蓮一期弘法付嘱書(弘安五年九月 六一歳)で「富士山に本門寺の戒壇を建立されるべきである。」と仰せられたのが、「大山において大法が説かれれるべき相」を表す一往の義である、と言うのならば、では釈尊は実際に王舎城に住んでおられなくとも一往の義として、原典「一時、仏、王舎城、耆闍崛山の中に住したまい」(無量義経 65−3)と経典に説かれている、とでも主張するのか。

しかし、釈尊が実際に王舎城に住まわれて法華経を説いたのは厳然たる事実である。であるならば、大聖人が「富士山(麓)に本門戒壇を建立せよ」と仰せなのも単に「大山で大法を説くべき相」を表すために仰せではなく、将来の実際に実現すべき重大事として仰せなのである。
であるから、どうして富士山(大石寺)において法華本門の戒壇を建立しないという道理があるというのか。
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 若し本門流布の地は皆是れ本門戒壇といわば、応に是れ権迹流布の地も亦皆権迹の戒壇なるべし。若し爾らば如何ぞ月氏の楼至菩薩、祇園の東南に更に之れを建立せんや、亦復如何ぞ震旦の羅什三蔵草堂寺に於て別に之れを建立せんや、亦復如何ぞ日域の鑒真和尚小乗の戒壇を三処に之れを建立せんや、亦復如何ぞ伝教大師迹門の戒壇を叡山に之れを建立せんや、権迹の戒壇既に別に之れを建立す、本門の戒壇何ぞ更に建てざるべけんや是二。
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(※ その二、
もし、「本門流布の地は全て本門戒壇である=特段に特別な場所に本門戒壇を建立する必要はない」と言うのならば、権教・迹門流布の地もまた全て権教・迹門の戒壇ということになり、特段に戒壇を建立する必要がない、ということになる。
であるならばどうしてインドの楼至菩薩(※釈尊が成道して十年、摩訶陀国で弗迦沙王(ほっかしゃおう)のために説法したとき、楼至菩薩が請うて、祇園精舎の外院に東南に仏教最初の戒壇である小乗の戒壇が建立された。)は、祇園の東南の地に敢えて戒壇を建立したのか。
更にまたどうして中国の羅十三蔵は、敢えて草堂寺に戒壇を建立したのか。
更にまたどうして日本の鑑真和尚は小乗教の戒壇を敢えて三箇所(東大寺・下野(栃木)薬師寺・筑紫(福岡)観世音寺)に限って建立したのか。
更にまたどうして伝教大師は迹門の戒壇を敢えて比叡山に建立したのか。
権教・迹門の戒壇は以上摘示したように、ある箇所に特定して建立されている。
であるならば、なんで本門の戒壇も、ある特定の地において建立されないことがあろうか。
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 百六箇に云わく「日興が嫡々相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべし乃至何の在処たりとも多宝富士山本門寺と号すべし」云々。嫡々相承の曼荼羅とは本門戒壇の本尊の御事なり。故に御遺状に云わく「日興が身に宛て賜わる所の弘安二年の大本尊は、日目に之れを授与す。本門寺に掛け奉るべし」云々。故に百六箇の文の意は本門戒壇の本尊所在の処を本門寺と号すべし云々。何ぞ上の文を隠して之れを引かざるや是三。
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(※ 反論 その三 
百六箇抄にはこのように仰せである。
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■「日興が嫡々相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり。所以(ゆえん)は何(いかん)、在世・滅後殊(こと)なりと雖も付嘱の儀式之(これ)同じ。譬へば四大六万の直弟の本眷属有りと雖も、上行薩・(さった)を以て結要(けっちょう)付嘱の大導師と定むるが如し。今以て是くの如し。六人已下数輩の弟子有りと雖も、日興を以て結要付嘱の大将と定むる者なり。」
(※以下、日亨上人が「疑義ある箇所」として御書全集では削除した箇所が長々と続き、
日亨上人が「義に於いて支吾(※くいちがうこと)なき所」として容認された箇所
■「又弘長配流の日も、文永流罪の時も、其の外諸所の大難の折節も、先陣をかけ、日蓮に影の形に随ふが如くせしなり。誰か之を疑はんや。」
■「又権実二教の兵場にては先陣は毎度日興・後陣は日朗其のほかの臆病者どもは大難の悪風に吹散らされて彼こ此こにたゞすみ大将の日蓮をも見失ひけり、日興日朗なくば某が大陣もあやうくや見へけん、日興先をかくれば無辺行菩薩か・日朗後にひかうれば安立行菩薩か・日蓮大将なれば上行菩薩か・日目は毎度幡(のぼり)さしなれば浄行菩薩か。」
その後また「疑義ある箇所」の中に
▼「何れの在処たりとも多宝富士山本門寺上行院と号すべきものなり」
との文が出てくるのである。
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ここにある「嫡々相承の曼荼羅」とは大聖人より日興上人へ唯授一人・血脈相承によって別付嘱された本門戒壇の大御本尊のことである。
その証拠に、日興跡条々事に仰せには
平成新編■「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。」
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(※ 古来からこの御文の「相伝」か「授与」かは書写本によって分かれている。
日寛上人は「授与」の説を用いられた。ということである。
大石寺所蔵の御正筆では、この「相伝」とはもとは「授与」とあり、その上に恐らく日興上人が後に「相伝」と書き加えられたものと思われる。
http://toyoda.tv/nikkoatojojo.suiron.htm
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であるから、百六箇抄の引文の箇所の意は、「本門戒壇の大御本尊が安置されている所こそ「本門寺」と名乗るべきである。」ということである。
どうして、こうした道理が明白に分かる引文の最初の部分を隠して、後文の部分だけを提示して己義を押し通そうとするのか。
(※しかもその後文は疑文であり正当な文証ではない。)

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061

 「経に云わく、即是道場とは是れなり」といわば、彼の経文を引くと雖も経文の意を知らず、今略して之れを引いて其の意を示すべし。経に云わく「若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても是の中皆応に塔を起てて供養すべし。所以は何、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり、諸仏此に於て三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃す」云々。「若経巻」とは即ち是れ本門の本尊なり、「皆応起塔」とは本門の戒壇なり、故に此の文意は本門の本尊所住の処に応に本門の戒壇を起つべし。所以は何、当に知るべし、是の処は法身の四処の故なりと云々。明文白義宛も日月の如し、何ぞ曲げて私情に会せんや是四。
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(※ 癡山日饒の主張
「法華経・神力品第二十一に「若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若もしは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆、応に塔を起てて供養すべし。所以は何ん。当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。」とあるのは、日本国中のどこにおいても戒壇である。つまり、特定の地に特別な戒壇を建立する必要はなし。との義を証明する経文ではないか。」
について破折する。
癡山日饒はこの神力品の経文を引文しても、この経文の元意が分かっていない。
今、この当該経文を略して引用して真の意義を示す。
当該文「若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若もしは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆、応に塔を起てて供養すべし。
所以は何ん。当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て、阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て、法輪を転じ、諸仏此に於て、般涅槃したもう。」
この中で、
「若しは経巻」とは、本門の本尊の意義である。
「皆、応に塔を起てて」とは、本門の戒壇の意義である。
であるから、この経文の意味する真の意義は、「本門の本尊が安置されている所にこそ、本門の戒壇を建立しなさい。」との勧奨付嘱の経文なのである。
どうしてそう言えるのか。
よく、熟慮し領解しなさい。
末法においては本門戒壇の大御本尊の坐します所こそ、三世十方の仏の根源でる。
三世諸仏の生処であり、得道する処であり、転法輪する処であり、入涅槃する処なのである。(つまり法身の四処なのである。)
経文の示すところの真義はまさに日月の光明ごとく明々白々である。
癡山日饒はそのような明白な義を曲げてどうして我見による私情へ捻じ曲げて怪釈するのか。

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062

 又云わく「何ぞ必ずしも富士山を以て体と為し、本山と為さんや」と云々。
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(※ 癡山日饒の主張
「どうして富士山(大石寺)を主体として第一に尊い場所として総本山と仰がなければならないのか」

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 今謂わく、嗚呼我慢偏執抑何の益有りや、富士山を以て本山と仰ぐべきこと文理明白なり。
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(※ それに対して日寛は破折する。
ああ、自分を慢じ、正当な道理を軽んじ、実に浅薄で偏って曲がった見解に固執している根性に、正しい利益があろうか。
富士山(大石寺)を総本山と仰ぐべきであることは、文証も道理も明白である。
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 一には富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり、故に本門寺根源と云うなり、宗祖の云わく「本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」等云々。既に是れ広布の根源の所住なり、蓋ぞ本山と仰がざらんや。
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(※ 富士山(大石寺)を総本山と仰ぐべき理由 その一
大石寺は広宣流布の根源の地であるからである。
「根源」とは何か。まさに、弘安二年の本門戒壇の大御本尊である。
であるから、北山本門寺が所蔵している「本門寺根源の額」に「大日本国冨士山本門寺根源」とあるのである。
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(※ 参照 日亨上人・富要8−142 
本門寺根源の額 年代は記してないが大聖人の御筆なるを天正九年に他の重宝と共に武田家に強奪せられたとの事で、其前に時の貫主日出の写しが現存する。
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弘の一の本十五に云わく「像末の四依、仏化を弘宣す、化を受け教を禀く、須く根源を討ぬべし、若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」云々。
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さらに妙楽大師は摩訶止観輔行伝弘決にこのように指南されている。
「像法・末法の四依(※ 仏法流布の時に適って正法を護持し弘宣している仏法指導者。人々の依るべき境界の人であり、人々を正しく導いていく人。
正法では不法蔵の二十四人・像法では天台大師・伝教大師など・末法ではまさに日蓮大聖人以来御歴代法主上人)は仏の教えを正しく弘教し衆生を化導していく。
その化導を受け教えを授かる者は、当然、なすべきこことして自分が授けていただいてるありがたい法脈の「根源」を仰いで探し求めなければならない。
もしその真の「根源」を求めずして我意・我見によって自分勝手な主張をする者は必ずや増上慢となって真の成仏得道の筋目から外れて悪道へ堕ちて行ってしまう。」
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宗祖の云わく「本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」等云々。
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(※ 日蓮大聖人は顕仏未来記にこのように仰せである。
原典「本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか。」(顕仏未来記 文永一〇年閏五月一一日 五二歳 676)
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(※ 末法での弘教とは、三大秘法の本門の本尊と本門の題目の南無妙法蓮華経を世界中に広宣流布していくことである。
(※ この「本門の本尊」の根本・根源こそ弘安二年の本門戒壇の大御本尊である。
その根本・根源の「本門の本尊」である本門戒壇の大御本尊の御内証を、大聖人より唯授一人・血脈相承された御歴代法主上人に依って御写しされた御本尊を世界中に広宣流布していくのである。)
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既に是れ広布の根源の所住なり、蓋(なん)ぞ本山と仰がざらんや。
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(※ その根本・根源の「本門の本尊」である弘安二年の本門戒壇の大御本尊が坐ますのがまさに富士山(大石寺)である。
どうして、総本山として仰がないのか。
どうして、総本山と仰がない道理があろうか。

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063 

 二には迹門を以て本門に例するが故に。謂わく、迹門弘通の天台宗は天台山を以て既に本寺と為す、本門弘通の日蓮宗、寧ろ日蓮山を以て本山とせざらんや。
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(※ 大石寺を総本山と仰ぐべき理由 その二
法華迹門における事相が後に起こる法華本門乃至文底下種の本門での事相の前例となるからである。
どういう事かと言えば、法華迹門を面に立てて弘通した天台宗は天台山を根本的な本寺と立てている。
であるならば、文底下種の本門である日蓮大聖人の仏法は、日蓮山=多宝富士大日蓮華山を本山と定めるべきではないか。 
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三位日順(開設は既出)の詮要抄に云わく「天台大師は漢土天台山に於て之れを弘通す、富士山亦日蓮山と名づく、最も此の山に於て本門寺を建立すべし、彼は迹門の本寺、此れは本門の本山疑い無き者なり、是れ深秘の法門なり」云々。
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(※ 三位日順師の本因妙口決にはこのように言われている。
原典「天台大師・漢土の天台山に於いて弘め給ふ、彼の山の名を取って天台大師と云ふなり、此れは弘教日王能住の高峯とは富山をば日蓮山と云ふなり、彼の山に於いて本門寺を建立すべき故に日蓮宗を立て給ふ事なり、彼は迹門の本山、是は本門の本寺疑ひ無き者なり、是は深秘の法門なり。」
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(※「天台大師は中国の天台山で法華迹門を面に法華経を弘通された。であるからその山の名を取って天台大師と云われた。富士山は古来から多宝富士大日蓮華山と呼ばれていた。これは、大日天王が住まわれるとの由来からである。また、それは不思議にも末法の下種本門の教主、日蓮大聖人の御名とも符合している。であるからこの大日蓮華山の山麓の地に本門戒壇の本門寺を建立すべきである。天台山は元々は台星が住むとされる法華迹門の本山であり(※星に由来する)、日本では(※日天(太陽)に由来する)大日蓮華山、その山麓の大石寺が総本山となることは疑いないことである。(※天台大師は星、日蓮大聖人は太陽、という迹本の法門は)これは深秘の法門である。」

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064

 三には本門大戒壇の霊場なるが故に。凡そ富士大日蓮華山は日本第一の名山にして正しく王城の鬼門に当たれり、故に本門の戒壇応に此の地に建立すべき故なり云々
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(※ 富士大石寺を総本山と仰ぐべき理由 その三
大石寺は本門戒壇の大御本尊が坐します霊場である。
富士山の古名である「多宝富士大日蓮華山」は日本第一の名山であり、しかも、天皇がまします王城である京都から丑寅の方角にある。
であるから、事の本門戒壇はこの富士大石寺に建立すべきである。
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 四には末法万年の総貫首の所栖なるが故に。謂わく、血脈抄に云わく「日興を付弟と定め畢んぬ、而して予が入滅の導師として寿量品を始め奉るべし、万年已後未来までの総貫首の証拠なり」等云々。
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(※ 理由 その四
末法万年、尽未来際まで下種仏法を伝持される御法主上人が住まわれる所であるからである。
百六箇抄にこのように仰せである。
原典(聖典371−14)「日興を付弟と定め畢んぬ、然る間、予が入滅の導師として寿量品を始め奉るべし。是れ万年已後未来まで総貫首の証拠と為すべし」
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(※ 「日興を唯授一人・血脈相承による別付嘱の付弟と明確に定め置いた。日蓮が入滅した後は、本門弘通の大導師として文底下種の寿量品である三大秘法の広宣流布に向けての弘通の大前進を開始しないさい。この付嘱の儀式は末法万年、尽未来際まで、日興嫡々の法主が総貫主として領治する証拠である。」
この箇所は、御書全集(日亨上人編纂)・平成新編には掲載されていない。
日亨上人は「疑義ある箇所」として二重線を引かれている。
思うに、この箇所それ自体は正論と拝せるが、この前後の文脈中に疑義ある箇所があり、文脈上の流れから、日亨上人はこの段全体を二重線(疑義)と認定されたのではなかろうか。
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 五には一閻浮提の座主の所住なるが故に。謂わく、御遺状に云わく「本門寺建立の時、日目を座主と為し、日本乃至一閻浮提の山寺等に於て、半分は日目嫡子分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之れを領掌すべし」等云々。
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(※ 理由 その五
大石寺は一閻浮提の座主であられる日目上人が御出現される所であるからである。
日興跡条々事に 原典「一、本門寺建立の時、新田Q阿闍梨(にいだきょうあじゃり)日目を座主と為し、日本国乃至一閻浮提の内、山寺等に於て、半分は日目嫡子(ちゃくし)分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之を領掌(りょうしょう)すべし。(日興跡条々事 元弘二年一一月一〇日 1883)
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(※ 本門寺建立の時は、日目上人を座主とし、日本国あるいは世界中の内で、その半分は本門寺(現大石寺)において日目上人が唯授一人の御法主上人として管理し治めなさい。残りの半分は日目上人以外の僧侶等において管理し治めていきなさい。
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明文斯くの如し、若し本山に非ずんば何ぞ未来までの総貫首及び一閻浮提の座主と称せんや、日饒如何是五。
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(※ これ程明白な文証があるではないか。
もし、広宣流布の暁に大石寺が総本山でなかったとしたら、その大石寺に住まわれる歴代の法主上人に対して、どうして「万年已後未来までの総貫主」とか「一閻浮提の座主」という表現ができようか。
まさに大石寺が総本山であり続けるからこそ、そこに総貫主が住まわれるのであり、また一閻浮提の座主である日目上人御再誕がその大石寺に御出現されるのではないか。
癡山日饒よ、以上の矛盾に対してどう反論できるのか。

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065

 学者応に知るべし、独尊の金言偽り無く、三師の相承虚しからずんば富士山の下に戒壇を建立して本門寺と名づけ、一閻浮提の諸寺・諸山、本山と仰ぐべきなり。天台の所謂「流れを把(く)んで源を尋ね、香を聞(か)いで根を討(たず)ぬ」とは是れなり。
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(※ 仏道を究めようと志す修行者は、心して領解するべきである。
本門下種の教主・末法の御本仏・日蓮大聖人の御金言は真実そのものであり、全く虚妄はない。
日蓮大聖人からの唯授一人・血脈相承によっての御相承は、本門弘通の大導師・日興上人へ、そしてその日興上人から一閻浮提の御座主・日目上人、そして次第して末法万年尽未来際へ続く事は真実・甚深であり、確固たるものである。
であるならば、広宣流布の暁には富士山山麓の大石寺に事の戒壇を建立し、その時にこそ大石寺を本門寺と改称し、日本乃至全世界の末寺や、また末寺を有する本山格の寺院は全て押し並べて本門寺(旧名大石寺)を総本山と仰ぐべきである。

天台大師が摩訶止観で仰せである。
「流れを把(く)んで源を尋ね、香を聞(か)いて根を討(たず)ぬ」(原典)
(※ 自分に流れてきている血脈法水の流れをよく把握して、その源を探求し、花の香りを嗅いでその馥郁(ふくいく)たる香りの恩恵を蒙ったならば、その植物の根を探し求めて、詳しく調べるべきである」
この御指南はまさに上記の意を示しているのである。

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066

 第三 本門の題目篇

 夫れ本門の題目とは、即ち是れ妙法五字の修行なり。是れ即ち聖人垂教の元意、衆生入理の要蹊(ようけい)なり。豈池に臨んで魚を観、肯えて網を結ばず、粮(ろう)を裹(つつ)んで足を束(つか)ね、安座して行かざるべけんや。
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(※ 本門の題目とは、三大秘法の本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経の題目を唱える修行である。
これは、日蓮大聖人が我等衆生に教えを垂れられた一番根本の御心であり、一切衆生が即身成仏できる要の道である。
例えば、食糧を得ようとして池に行っても、ただ魚だけを見て網を使わず、
また、旅を計画して道中の食料などを準備したとしても、足を組んだまま座り込んで全く出発しようとしない。
どうしてこのようなことで目的を達することができようか。
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修行に本有り、所謂信心なり。
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(※ その本門の題目の修行には根本とすべき事がある。
それは信心である。本門の本尊を信じる心である。
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弘の一の上六十八に云わく「理に依って信を起こす、信を行の本と為す」云々。
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(※ 妙楽大師は摩訶止観輔行伝弘決にこのように仰せである。
「道理を学ぶ事によって信心は起こる。その信心こそ修行の根本である。」
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記の九の末に云わく「一念信解とは即ち是れ本門立行の首」等云々。
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(※ 同じく妙楽大師の法華文句記にはまたこのように言われている。
「信仰の初め、一念において純粋に信じ、そこに歓喜を感じる心はまさに真の即身成仏への修行の出発点であり、一番重要なことである。」

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故に知んぬ、本門の題目には必ず信行を具す、所謂但本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うるを本門の題目と名づくるなり。
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(※ 以上の文証からも知るべきである。
本門の題目には必ず信心と(自行化他の)唱題が必要なのである。
つまり、但唯一無二に、ひたぶるに本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えること(また他に向かって南無妙法蓮華経を説き、他に南無妙法蓮華経を唱えさせる事)を本門の題目と言うのである。

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067

仮令信心有りと雖も若し修行無くんば未だ可ならざるなり。
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(※ たとえ信心があるといっても、唱題・折伏の修行がなければ、そのままでは正しい信行とは言えない。)
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故に起信の義記に云わく「信有って行無きは即ち信堅からず、行を去るの信は縁に遇っては便ち退す」云々。
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(※ であるから、馬鳴が著わした「大乗起信論」を唐の法蔵が注釈を加えた「大乗起信論義記」には以下のようにある。
「信心が有ると言っても修行しないのであればつまりはそれは信心が堅固とは言えないのである。
修行を続けない信仰姿勢では、信というものは悪縁に遇えば消え去ってしまうものである。」
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仮令修行有りと雖も若し信心無くんば不可なり。
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(※ たとえ修行していると言っても、信心がなければそれは全く駄目である。
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故に宗祖の云わく「信無くして此の経を行ぜんは手無くして宝山に入るが如し」云々。
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(※ であるから宗祖日蓮大聖人はこのように仰せである。
原典「信なくして此の経を行ぜんは手なくして宝山に入り、足なくして千里の道を企(くわだ)つるがごとし。」(法蓮抄 建治元年四月 五四歳 814)
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(※ 信心が無いまま三大秘法の南無妙法蓮華経の修行をしても、それは宝の山に入っても手がないようなものであり、千里の道を歩いての旅行を企画したとしても、そもそも足がないようなものである。)

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故に知んぬ、信行具足して方に本門の題目と名づくるなり、何ぞ但唱題のみと云わんや。
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(※ であるから、よく理解しなければならない。
信心と修行が共に具わってこそ真の「本門の題目」というのである。
ただ信なく「唱題」だけしていればいいとうことではないのである。

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068

玄の一に云わく「百論に盲跛の譬え有り」云々。謂わく、跛にして盲ならざるは信有って行無きが如く、盲にして跛ならざるは行有って信無きが如し、若し信行具足するは猶二全きが如し云々。
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(※ 天台大師の法華玄義にはこのように仰せである。
「提婆菩薩の百論には盲(目が不自由な人)と跛(足の不自由な人)の譬喩がある。」
その意味内容とは、足が不自由であるが目は不自由でない人は、信はあるのだが、修行がない状態を譬えている。
目は不自由だが足は不自由ではない人は、修行だけは良く励むが、信がない状態の譬えである。
もし、信と行が過不足なく具足している人は、目と足が両方壮健であるがゆえに、正しく目標を定めて、確実に前進している人である。
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玄の四に云わく「智目行足をもって清涼池に到る」云々。宗祖の云わく「信を以て慧に代う」云々。
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(※ 同じく法華玄義にはこのようにある。
「智慧の目と、修行する足が揃ってこそ、清涼池(成仏の境界)へ到達することができる。」
日蓮大聖人は、「信を以って智慧に代える」(末法では三大秘法の御本尊を純粋に信じることこそがそのまま智慧と代わるのである)と仰せであるから、上記の「智慧の目」とはまさに純真な信のことである。
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当体義抄に云わく「日蓮が一門は当体蓮華を証得して寂光当体の妙理を顕わすは、本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うる故なり」云々。
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(※ 日蓮大聖人は当体義抄にこのように仰せである。
原典「日蓮が一門は、正直に権教の邪法邪師の邪義を捨てヽ、正直に正法正師の正義を信ずる故に、当体蓮華を証得して常寂光(じょうじゃっこう)の当体の妙理を顕はす事は、本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱ふるが故なり。」(当体義抄 文永一〇年 五二歳 694 701)
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(※ 日蓮大聖人門下は、正直に(末法下種の本仏日蓮大聖人の御教示に正直であること)謗法厳誡の御教示を堅く守り、権教の邪法・邪師の邪義を捨てて、正直に正法・正師の正義を信じるが故に、内証成仏である我が身の当体がそのまま即身成仏し、その住所がそのまま常寂光土となる、そのような凡夫即極にして直達正観する不思議なる事の一念三千の妙理を顕すことができるのは、ひとえに久遠元初の自受用報身如来が顕本された末法の御本仏日蓮大聖人の御金言を堅く信じて三大秘法の御本尊に南無妙法蓮華経と本門の題目を唱えるが故である。
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血脈抄に云わく「信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身即仏身なり」云々。
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(※ 日蓮大聖人が本因妙抄に仰せである。
原典「信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱へ奉れば凡身即ち仏身なり。」
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(※ 信心強盛にひたぶるに余念・雑念なく南無妙法蓮華経と一心に唱えれば我等凡夫の身はそのまま即身成仏して仏身となる。」
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(※ ここにも仰せのように、「信心」と「修行」が具足して初めて即身成仏の大果報が得られるのである。)

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069

 問う、宗祖云わく「如是我聞の上の妙法蓮華経の五字は即ち一部八巻二十八品の肝心、亦復一切経の肝心なり」云々。此の文如何。
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(※ 日蓮大聖人は報恩抄このように仰せである。
原典「如是我聞の上の妙法蓮華経の五字は即一部八巻の肝心、亦復一切経の肝心」(報恩抄 1031-16)
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(※ 法華経の「如是我聞(かくの如く我れ聞きき)」に冠する各品の「妙法蓮華経」との題号の五字はそのまま法華経の肝心であり、さらには釈尊一代の一切経の肝心である。」
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此の文如何。
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(※ この御文からすれば、「妙法蓮華経は法華経一部八巻二十八品の肝心」と仰せなのであるから本迹一致の文証ではないか。)

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 答う、凡そ此の文意、大に二意有り。所謂一往就法・再往功帰なり。
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(※ これに答えるに、この御文の文意は、大きく見れば二つの意義がある。
一往、付文の辺であって本迹相対を示される。
再往、元意の辺であり、種脱相対が明かされている。
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 一往就法に亦二意有り、一往名通・再往義別なり。
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(※ その一往、付文の辺において、また二つの意義がある。
一往 名通 
妙法蓮華経の名は法華経一部八巻二十八品全てに通じている。
妙法蓮華経の名の中に二十八品が収まっている。
妙法蓮華経が全体であり、二十八品は部分。

再往 義別
義において判釈すれば、妙法蓮華経が法華経二十八品全てを収めているといっても、本門と迹門では法門上、天地の差がある。 
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一往名通とは即ち是れ妙法の名二十八品に通ず、故に名の中に二十八品を収む。
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(※ 一往、名通 という意味は、妙法蓮華経の名は法華経二十八品全てに通じている。であるから、妙法蓮華経の名の中に法華経一部八巻二十八品全てが収まっている。ということである。
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故に妙楽の云わく「略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む」等云々。
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(※ であるから、妙楽大師は法華文句記にこのように云われている。
「略して妙法蓮華経の経題を掲げているがそこには法華経一部八巻二十八品の奥深い意義が全て収まっている。」
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宗祖の云わく「妙法蓮華経は総名なり二十八品は別名なり、譬えば日本の両字に六十余州を収むるが如し」云々。
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(※ 日蓮大聖人は四条金吾殿御返事にこのように仰せである。
原典「妙法蓮華経と申すは総名なり、二十八品と申すは別名なり。月支と申すは天竺(てんじく)の総名なり、別しては五天竺是なり。日本と申すは総名なり、別しては六十六州これあり。」
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(※ 「妙法蓮華経」とは法華経全体としての名である。「二十八品」とは法華経の部分部分の名前である。
例えて云えば、
「月支」というのはインド地域全体を指す名である。しかし、その中には五つの地域がある。
「日本」という名は日本国全体の名である。その日本国には六十六州の地域がある。
これと同じ原理である。
-----------------------------------------

次に義別再往とは一部八巻通じて妙法と名づくれども、二門の妙法其の義天別なり。
-----------------------------------------
(一往 名通 再往 義別 についての
再往 義別 とは、法華経一部八巻二十八品には通じて妙法蓮華経との題号が冠されているが、迹門と本門とではその意義内容は天地の相違がある。
-----------------------------------------

謂わく、迹門は開権顕実の妙法、本門は開迹顕本の妙法なり、具に玄文の如し。
-----------------------------------------
(※ その理由は、迹門は三乗方便の権教を開いて一仏乗の実教を顕すという意義での「妙法蓮華経」である。
本門は釈尊の始成正覚の迹を開いて久遠実成の本地を顕す意義での「妙法蓮華経」である。
このことは、天台大師の法華玄義巻九に詳細に説かれている。
それは迹門の十重の開顕を述べた「十重顕一」
本門の十重の開顕を述べた「十重顕本」である。
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当体義抄等云々。
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(※ 当体義抄などで説かれている、迹門の三義と本門の三義である。
迹門の三義とは 
為実施権(実教へ誘引する為に権教を施す)
開権顕実(権教を開いて実教を顕す)
廃権立実(権教を廃して実教を立てる)である。

本門の三義とは、
従本垂迹(久遠実成の本地より迹を垂れる)
開迹顕本(迹を開いて本地を顕す)
廃迹立本(迹を廃して本を立てる)である。
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妙楽の云わく「豈是くの如きの妙中の妙等の名を以て能く法体を定めんや、是の故に須く名の下の義を以て之れを簡別すべし」等云々。
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(※ 妙楽大師の法華玄義釈籤にはこのように云われている。
「経典・論釈等に「妙中の妙」と云う名があったとしても、皆同じ意義を述べているのではない。
同じ「妙中の妙」という名において、一体どういう法体を顕しているのか、その名の下にどのような義が説かれているのかを良く吟味してその高低浅深を選別して判断しなければならない。」

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名通一往・義別再往、此の文に分明なり。
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(※ 「妙法蓮華経」の名が法華経の総名であっても、迹門・本門の義においては
天地の差があり、迹門が本門より明らかに劣っている、との意義は以上の文証によって明白である。
よって「妙法蓮華経」が法華経の総名であることを根拠に、本迹一致を立てるのは大きな誤りである。

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070

 第二に再往功帰に亦二意有り、所謂一往脱益・再往下種なり。
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(※ 当該文について大きく二つの意義があるうちの二つ目である「再往は功帰である」という点についてそこにさらに二つの意義がある。
(※「功帰」とは、功の帰するところ、という意味である。
説かれた法の文や義の真の功徳が存在する奥底の原理である。)
それが、
一往は法華経文上本門に約すれば釈尊の脱益の意義であり、
再往は法華経文底の独一本門に約すれば下種の意義である。

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一往脱益とは、玄の一に曰く「此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵なり、三世諸仏の証得する所なり」云々。
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(※ 一往 脱益 とはどういう意義かと言えば、
天台大師は法華玄義にこのように云われている。
「妙法蓮華経とは本地であり甚だ深いところの奥にしまわれていたところの法である。過去・現在・未来の一切諸仏が証得した境界・境地とはこの妙法蓮華経である。」
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(※ 天台大師は釈尊の熟益・脱益の仏法の範疇であるから、「妙法蓮華経」を法華経文上脱益の視点で捉えており、究極の根本と言うのである。)
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籤の一に云わく「迹中に説くと雖も功を推すに在ること有り、故に本地と云う」云々。
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(※ 妙楽大師は法華玄義釈籤でこのように云われている。
「妙法蓮華経を迹門で説かれているとしても、その真の功徳は本門の本地である究極の根本にあるのである」
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応に知るべし、就法は是れ一往なり、故に「迹中雖説」という。功帰は是れ再往なり、故に「推功有在」と云うなり。
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(※ よく理解すべきである。
「就法」(教法に就いて考察する観点。付文の辺)というのは一往の判釈である。
であるから「妙法蓮華経が迹門の中で説かれているといえども」と言うのである。

「功帰」(功の帰するところ。説かれた法の文や義が帰するところの真の功徳が存する奥底の原理)というのは再往の辺での判釈である。
であるから「功を推する在ること有り」(その妙法蓮華経の真の功徳を推し量るに本門寿量品にあるのである」と言うのである。

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071

次に再往下種とは四信抄に云わく「妙法蓮華経の五字は文に非ず、義に非ず、一部の意ならくのみ」云々。
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(※ 復習 報恩抄の以下の御文について
「如是我聞の上の妙法蓮華経の五字は即一部八巻の肝心、亦復一切経の肝心」(報恩抄 1031-16)
について解析すると以下の図の如くとなる。

T 一往・就法→@一往・名通(爾前・権教に対すれば権実相対の意義もあり))
        A再往・義別(本迹相対)
U 再往・功帰→B一往・脱益(文上)
        C再往・下種(文底)(種脱相対)

この中で、これから論ずるのはUーC 再往・下種(種脱相対)の観点である。
それについて日蓮大聖人は四信五品抄にこのように仰せである。
原典「妙法蓮華経の五字は経文に非ず、其の義に非ず、唯一部の意ならくのみ。(四信五品抄 建治三年四月初旬 五六歳 1114−16)
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(※ 「妙法蓮華経」の五字はただ単なる経典上の「文字」ではなく、法華経の「義・教理・哲理」を顕したものだけでもなく、ただ法華経一部八巻二十八品の「意」である。」
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須く知るべし、文は則ち一部の始終能詮の文字なり、義は即ち所詮の迹本二門の所以なり、意は則ち二門の所以皆文底に帰す、故に文底下種の妙法を以て一部の意と名づくるなり。
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(※ 日蓮大聖人門下を名乗る者は当然以下のことを知るべきである。
「文」とは何か。
法華経一部八巻二十八品全ての教理・哲理を表すところのものが「文字」である。
「義・教理・哲理」とはその経文に示された「義」の中で骨格となすところは法華経に迹門と本門の縦分けがあることである。
その法華経迹門・本門の帰着する根本のところとは文底下種の妙法蓮華経なのである。それを「意」と言うのである。
であるから、四信五品抄の当該文の「唯一部の意ならくのみ。(ただ法華経一部八巻二十八品の意である。)とは、この文底下種の妙法蓮華経を指し示しているのである。
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文底大事の御相伝に云わく「文底とは久遠下種の名字の妙法に、今日熟脱の法華経の帰入する処を志し給うなり」等云々。
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(※ 日蓮大聖人から日興上人への御相伝書である寿量品文底大事にはこのように仰せである。
原典「文の底とは久遠下種の法華経、名字の妙法に今日熟脱の法華経の帰入する処を志し給ふなり。(1707-7)
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(※ 文底とは、久遠元初の下種仏法である三大秘法の南無妙法蓮華経である。
その名字即極の三大秘法の南無妙法蓮華経の処に、釈尊在世の熟脱仏法の法華経も突き詰めれば帰入するのである。」
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古徳の云わく「文は謂わく文字一部の始終なり、義は則ち深く所以有り、意は則ち所以帰する有り」云々、
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(※ 古い徳の高い僧がこのように言われている
「「文」とは文字であり、法華経一部八巻二十八品の全てである。「義」とは深い哲理であり、「意」とは最終的に帰する根本の体である。」
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(参照 妙楽大師 法華文句記「文は謂く文字一部の始終なり」)
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此の釈之れを思い合わすべし。
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(※ この釈を合わせ熟考すべきである。)
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妙楽の云わく「脱は現に在りと雖も具さに本種に騰ず」云々。
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(※ 妙楽大師の法華文句記にこのように云われている。
「脱益は釈尊の教説に現れていると云っても、実はその根本であるところの下種の妙法蓮華経は明らか経文・教説上に現れているのである。」
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応に知るべし、脱益は是れ一往なり、故に「雖脱在現」と云い、下種は是れ再往なり、故に「具騰本種」と云うなり云々。
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(※ よくよく理解すべきである。
脱益は一往の辺である。であるから「脱益は釈尊の教説に現れていると云っても」と云われたのである。
下種は再往の辺である。
であるから「その根本であるところの下種の妙法蓮華経は明らかに経文・教説上に現れているのである。」と云われたのである。
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故に知んぬ、文義意の中の意の妙法、種熟脱の中の種の妙法、即ち是れ文底秘沈の大法にして寿量品の肝心本門の題目是れなり。
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(※ であるから領解しなさい。
文・義・意の内の「意」の妙法蓮華経、また種・熟・脱の内の下種の妙法蓮華経、これは文底に秘し沈められていた大法であり、寿量品の肝心である本門の題目とはこのことなのである。

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072

 問う、有るが謂わく、本門の一品二半の妙法なるが故に本門の題目と云う云々。
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(※ ある者(※ 日什が立てた顕本法華宗)が言うには、
▼「「南無妙法蓮華経」とは法華経文上の本門の一品二半(従地涌出品第十五の後半+如来寿量品第十六+分別功徳品第十七の前半)の妙法であるが故に「本門の題目」と言うのである。」
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(※ 参照 ここで顕本法華宗側が主張する「一品二半」とは観心本尊抄で示される五重三段の中で、文上の本門における序分・正宗分・流通分の中の正宗分のことである。
彼らは観心本尊抄の御文
■「本門に於ても序正流通有り。過去大通仏の法華経より乃至(ないし)現在の華厳経、乃至迹門十四品・涅槃経等の一代五十余年の諸経・十方三世諸仏の微塵(みじん)の経々は皆寿量の序分なり。一品二半よりの外(ほか)は小乗教・邪教(じゃきょう)・末得道教(みとくどうきょう)・覆相教(ふそうきょう)と名づく。」
との御文の「一品二半」を、文上脱益本門の「一品二半」としか読めないが故に起きてきた邪義である。
この御文の「一品二半」は日蓮大聖人の「我が内証の寿量品二千余字」であるところの文底における「一品二半」であって種脱の相違は歴然なのである。
その証拠にこの御文の後に仰せの
■「本門は序正流通倶(とも)に末法の始めを以て詮と為す。在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但(ただ)し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり。」
との「一品二半」が、文上脱益の「一品二半」を指しておられ、文底下種の南無妙法蓮華経とはっきり区別されておられることからも明白である。
この文底下種の南無妙法蓮華経とは、「我が内証の寿量品二千余字」である文底の一品二半能詮の本門の題目なのである。
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有るが謂わく、八品所顕神力の妙法なるが故に本門の題目と云うなり云々、此の義如何。
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(※ またある者(※ 日隆が立てた八品派)が言うには、
▼「南無妙法蓮華経は涌出品〜嘱累品までの八品によって顕された妙法であるが故に「本門の題目」と言うのである。」と。
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(※ 参照 八品派の主張は観心本尊抄の
■「是くの如き本尊は在世五十余年に之(これ)無し、八年の間但八品に限る。」
との御文が正確に読めなかっただけの邪義である。
この
従地涌出品第15
如来寿量品第16
分別功徳品第17
随喜功徳品第18
法師功徳品第19
常不軽菩薩品第20
如来神力品第21
嘱累品第22
の「八品」とは釈尊から地涌の菩薩への付嘱の始終が説かれてる意味であって、本尊を顕した意味ではない。
本尊はあくまで上記の「我が内証の寿量品二千余字」の一品二半から能詮されたのである。)

これらの義についてはどうか。
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 答う、吾が祖の所判四十巻の中に都て此の義無し、誰か之れを信ずべけんや。
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(※ 日蓮大聖人の全ての御書を(大聖人以来の相伝に依って深く拝すれば)、このような義は全くない。
一体、誰がこのような浅薄な知識によって曲解した邪義を信じるというのか。)

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073

 問う、若し爾らば寿量肝心の明文如何。
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(※ 「「本門の題目」とは寿量品の文の底に秘し沈められた三大秘法の南無妙法蓮華経である」と主張するのならば、それを明証するのはどのような文証か?
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 答う、今略して七文を引かん。
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(※ それに答えるに、簡略に七つの文証を引文する。
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 一には三仏舌相の本意に由る。下山抄に曰く「実には釈迦・多宝・十方の諸仏は寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為に出だし給う広長舌なり」等云々。
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(※ その一
まずは、釈迦如来・多宝如来・十方の諸仏の御本意がまさに、寿量文底下種の三大秘法の南無妙法蓮華経を志向されていたのである。
日蓮大聖人は下山御消息にこのように仰せである。
原典「実には釈迦・多宝・十方の諸仏、寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為なりと出だし給ふ広長舌なり。
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(※ (法華経での釈迦如来・多宝如来・十方の諸仏が神力品において示された十神力の一つである広長舌相とは)、その元意は、実は寿量品の文底の三大秘法の南無妙法蓮華経を信じさせんがために出だされた広長舌相なのである。)

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073

 二には如来別命の本意に由る。撰時抄に曰く「寿量品の肝心南無妙法蓮華経の末法に流布せんずる故に、此の菩薩を召し出だす」云々。
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(※ 「本門の題目」とは寿量品の文の底に秘し沈められた三大秘法の南無妙法蓮華経である ことを明証する文証
その二
釈尊が、上行菩薩を召し出だして寿量品の肝心(=文底下種)の南無妙法蓮華経を付嘱されたということが、末法の妙法流布のための釈尊の御本意であるからである。
日蓮大聖人は撰時抄にはこのように仰せである。
原典「上行菩薩の大地より出現し給ひたりしをば、弥勒(みろく)菩薩・文殊師利(もんじゅしり)菩薩・観世音菩薩・薬王菩薩等の四十一品の無明を断ぜし人々も、元品の無明を断ぜざれば愚人といわれて、寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩を召し出だされたるとはし(知)らざりしという事なり。」(864-8)
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(※ 「弥勒(みろく)菩薩・文殊師利(もんじゅしり)菩薩・観世音菩薩・薬王菩薩等の四十一品の無明を断じたような高徳の人々も、最期の一品である根本の無明惑・元品の無明を断じなければ結局は愚人であると釈尊にいわれて、上行菩薩が大地の下方より出現された真の意義が、寿量品の文底に秘し沈められていた三大秘法の南無妙法蓮華経を末法に流布するために、釈尊が上行菩薩を召し出だして付嘱されたということを知り得なかったのである。」
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 三には本化所修の正体に由る。下山抄に曰く「五百塵点劫より一向に本門寿量の肝心を修行し習い給う上行菩薩」等云々。
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(※ その三
寿量品の文底に秘し沈められていた三大秘法の南無妙法蓮華経は、上行菩薩等本化の菩薩が久遠から修行してきたその正体・本体であるからである。
日蓮大聖人は下山御消息にこのように仰せである。
原典「今の時は世すでに末法のはじめなり。釈尊の記文、多宝・十方の諸仏の証明に依って、五百塵点劫より一向に本門寿量の肝心を修行し習ひ給へる上行菩薩等の御出現の時刻に相当たれり。」(1140-15)
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(※ 今の時は末法の始めである。これは、釈尊の経典や、多宝如来・十方の諸仏の広長舌相などによる証明によっても明白であるように、久遠五百塵点劫よりひたすら唯一筋に本門寿量品の肝心(=文底下種)である三大秘法の南無妙法蓮華経を修行してきた上行菩薩等が出現する時なのである。

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074

 四には如来付嘱の正体に由る。
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(※ 「本門の題目」とは寿量品の文の底に秘し沈められた三大秘法の南無妙法蓮華経である ことを明証する文証
その四
釈尊から付嘱された法体の正体とはまさに三大秘法の南無妙法蓮華経ということである。
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本尊抄に曰く「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是れなり。仏尚迹化に授与したまわず。何に況んや他方をや」云々。
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(※ 日蓮大聖人は観心本尊抄にこのように仰せである。
原典「「是好良薬」とは寿量品の肝要たる名体宗用教(みょうたいしゅうゆうきょう)の南無妙法蓮華経是(これ)なり。」
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(※ 法華経寿量品の「是好良薬(是の好き良薬」)とは寿量品の肝要である文底日蓮大聖人秘し沈められている末法に流布されるべき五重玄義を満たしている三大秘法の南無妙法蓮華経のことである」
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解説 天台大師は五重玄の依文として法華経如来神力品第二十一の結要付嘱の文である■「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法(=名)、如来の一切の自在の神力(=用)、如来の一切の秘要の蔵(=体)、如来の一切の甚深の事(=宗)は、皆此の経(=教)に於いて宣示顕説す」を挙げている。
この四句の要法こそ、上行菩薩に付嘱された寿量品文底の下種の妙法 三大秘法の南無妙法蓮華経である。
観心本尊抄で■「寿量品の肝要たる名体宗用教(みょうたいしゅうゆうきょう)の南無妙法蓮華経是(これ)なり。」と仰せられたのは、寿量品の肝要=肝心=文底である三大秘法の南無妙法蓮華経は神力品で付嘱された法体であることを示される意義を含めて「名体宗用教の南無妙法蓮華経」と仰せ遊ばされたと拝察する。

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075

 五には本化授与の正体に由る。本尊抄に云わく「但地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしむるなり」云々。
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(※ 「「本門の題目」とは寿量品の文の底に秘し沈められた三大秘法の南無妙法蓮華経である」 ことを明証する文証
その五
それは、本化の菩薩が所持されて末法の一切衆生へ授与される法の正体こそ、文底秘沈の三大秘法の南無妙法蓮華経ということである。
日蓮大聖人が観心本尊抄に仰せである。
原典■「地涌千界(じゆせんがい)の大菩薩を召(め)して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮(えんぶ)の衆生に授与せしめたまふ。」(観心本尊抄 657-7)
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(※ 釈尊は他方や迹化の菩薩ではなくて、あえて地涌の菩薩を大地から召し出だされて寿量品の肝心(文底秘沈)である三大秘法の南無妙法蓮華経の五字・七字を別付嘱された。その地涌の菩薩が末法に出現されて、その三大秘法の南無妙法蓮華経を世界中の一切衆生に授与されるのである。

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076

 六には末法下種の正体に由る。教行証抄外二十に云わく「当世逆謗の二人に、初めて本門寿量の肝心南無妙法蓮華経を以て下種と為す、是の好き良薬を、今留めて此に在くとは是れなり」云々。

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(※ 「「本門の題目」とは寿量品の文の底に秘し沈められた三大秘法の南無妙法蓮華経である」 ことを明証する文証
その六

末法における下種仏法の正体とは三大秘法の南無妙法蓮華経だからである。
教行証御書 建治三年三月二一日 五六歳 1104-1)には次のよううに仰せである。
「当世の逆謗の二人に、初めて本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為(な)す。「是の好き良薬(ろうやく)を今留めて此に在(お)く。汝取って服すべし。差(い)えじと憂(うれ)ふること勿(なか)れ」とは是なり。」
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(※ 末法の今の時代の法華経を信じない逆縁や法華誹謗の衆生においてですら、法華経本門寿量品の肝心=文底の三大秘法の南無妙法蓮華経こそが成仏得道のための下種となるのである。(もちろん順縁の衆生にとっても成仏のための下種となることは当然である)
法華経寿量品にある「是の好き良薬を今留めて此に置くから、おまえ達は必ずそれを飲みなさい。病が治らないのではないか、などと憂い疑ってはいけない。」という経文の本義はこのことである。)

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077

 七には末法所修の正体に由る。下山抄に曰く「地涌の大菩薩末法の初めに出現し給いて、本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を、一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給う」云々。
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(※ 「「本門の題目」とは寿量品の文の底に秘し沈められた三大秘法の南無妙法蓮華経である」 ことを明証する文証
その七

三大秘法の南無妙法蓮華経が末法の衆生が修行するべき仏法の正体であるからである。
下山御消息にはこのように仰せである。
■「世尊、眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に、法華経の半分迹門十四品を譲り給ふ。これは又地涌の大菩薩、末法の初めに出現せさせ給ひて、本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を、一閻浮提の一切衆生に唱へさせ給ふべき先序の為なり。所謂迹門弘通の衆は南岳・天台・妙楽・伝教等是なり。」(下山御消息 建治三年六月 五六歳 1140−12)
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(※ 日寛上人は上記の文脈の御文の中の
■「地涌の大菩薩、末法の初めに出現せさせ給ひて、本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を、一閻浮提の一切衆生に唱へさせ給ふ」
ここの箇所を引文されておられる。
「地涌の大菩薩(=上行菩薩)は、末法の初めに出現されて、法華経本門寿量品の肝心(=文底秘沈)である三大秘法の南無妙法蓮華経の五字・七字を、日本乃至全世界の一切衆生へ唱えさせる(のである。)」
→ 末法の衆生が修行すべき仏法の正体は「三大秘法の南無妙法蓮華経」であることが明示されている。

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開目抄に云わく「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈め給えり」云々。
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以上、述べてきた末法での唯一正統な仏法である三大秘法の南無妙法蓮華経は文底秘沈であることの明確な文証

(※ 開目抄に仰せである。
■「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。」(526−16)
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(※ 一念三千の法門(=事の一念三千=三大秘法の南無妙法蓮華経)は唯一法華経の、しかも唯一本門の、しかも唯一寿量品の文の底に秘し沈められているのである
→ 三大秘法の南無妙法蓮華経が文底秘沈であることを日蓮大聖人が明示されいる。
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血脈抄に云わく「文底とは久遠名字の妙法を余行に渡さず、直達正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経なり」。
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(※ 本因妙抄にこのように仰せである。
■「文底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず、直達正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是(これ)なり。」
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(※ 文底秘沈の大法とは何か。
これは、釈尊が五百塵点劫の昔に、名字即の位において修行し成仏した妙法である。
その妙法は一切の方便を含まない。
名字即の凡夫が直ちに即身成仏できる。
実際、事実の上で自行・化他の実践修行するところの三大秘法の南無妙法蓮華経なのである。
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文底秘沈抄畢んぬ
享保十乙巳年三月下旬 大石の大坊に於て之れを書す
六十一歳
日寛(花押)
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(※ これで「文底秘沈抄」の講説を終わる。
享保十年(1726年)三月下旬 大石寺の大坊においてこの書を著わした。
六十一歳
(※ 日寛上人は
この年の2月、江戸下谷の常在寺において観心本尊抄を講説され、
3月に大石寺に帰山。
5月26日、法を28世日詳上人に血脈相承される。
6月18日、御遺状を記され、
8月19日早朝、62歳をもって御遷化された。

まさに御遷化される直前の書であり、我等末弟等は深く心して拝すべき。)