木絵二像開眼の事 最終段落

01 日寛上人が本来書かれていた「授与書き」を削り落として偽造された創価ニセ本尊 だから罰だらけ 不幸まみれ
02 創価学会は御書を 一往・再往 付文・元意 等 という多重的な観点で読めないから愚かな痴論を喚くだけとなる
03 創価学会世田谷教宣部N「死骨成仏」の箇所で実に滑稽な醜態を晒した
04 学会葬の不気味さに学会員も内心不安を感じている
05 正統な法華経と御僧侶による葬儀・法要はむしろ幸福感に包まれる
06 故人や先祖を追善回向しなくなった創価学会は報恩のない 畜生以下の境界 でも彼らは過去世の父母 我々は慈悲を
  もって謗法の酔いから目覚めさせていかなければならない
07 人死すれば魂去り、其の身に鬼神入れ替はりて子孫を亡ず。餓鬼(がき)といふは我をくらふといふ是なり。
08 智者あって法華経を読誦して骨の魂となせば、死人の身は人身、心は法身(ほっしん)。生身得忍(しょうじんとくにん)と
いへる法門是なり。
09 法華を悟れる智者、死骨を供養せば生身即法身なり。是を即身といふ。さりぬる魂を取り返して死骨に入れて、彼の魂を変じて仏意と成す。成仏是なり
010 即身の二字は色法、成仏の二字は心法
011 Q「なぜ塔婆供養を何度もする必要があるのか?」
012 日蓮大聖人の佐渡塚原三昧所での御姿を偲ぶ
013 奪衣婆と懸衣翁の説話 今世の地位・名誉・財産など死に行く時には何の役にも立たない
014 故に法華経に云はく「所謂諸法如是相 死人の身 如是性 同じく心 如是体 同じく色心等」云云。
「木絵二像開眼の事」(P636)から
草木が本尊と成るには必ず開眼が必要であることを学ぶ

1 御本尊様と成るには開眼が絶対に必要であることを堂々と論ずべき
2 三種色(可見有対色・不可見有対色・不可見無対色)
3 木絵の像には仏の声と心が欠けている
4 三十二相を具えてても必ずしも仏とは言えない
5 木絵の像が仏となる一往の義