沖浦君、身延のみやげ本尊についてかつての惨敗記録を編集して再掲してみましょう。
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投稿日時:2006/02/22(Wed) 07:26
おなまえ:沖浦克治
タイトル:愚人どもよ

●>沖浦説なら、身延のみやげ掛け軸は、まさに「輪円具足」

▼ 何度もですね、相貌が同じなら身延でも立正佼成会でも同じだ。と、言っていますよ。
 だから貴方がさっさと身延に御参りに行って買って来て、ネットに大きく貼り付けなさいよ。
 それで始めて皆様方で議論の対象になるんですよ。
 ここの相貌はどうだこうだ、花押はどうだ、首題はどうだ。
 資料が無ければ判断のしようが無いでしょう。
 これぐらいわきまえなさい。
 貴方が私の意見を確認したければ、先ず資料を提供しなさい。
 わかりましたね。
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●では、ここの画像をよおく見て、しっかり「判断」してもらしましょう。

http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/105.html

この画像は、そうとうに拡大しても鮮明である。
さあ、資料を提供したのだから、責任を果たしてもらおうか。

●またこうものたまっていた。
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法華講側 :>「身延のお土産本尊」=大聖人が「図顕」された御真筆御本尊⇒写真撮影⇒印刷⇒ 掛け軸
>
沖浦氏 :>  ですから身延の蓮祖御真筆の御本尊様を持ってきなさいといっているのです。
>  実物を見ずに判断は出来ませんよ。
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●【呵責】

まず、沖浦君、論点を摩り替えている。

1、「御真筆御本尊そのもの」を云々しているのではない。それを「写真にとって印刷しているもの」のことを言っているのである。

2、しかも、その御本尊の相貌をみて、沖浦君に何が”判断”できるのか。
貴公は”ここの相貌はどうだこうだ、花押はどうだ、首題はどうだ。”と言うが、
それを、

@どのように見て、

A何を”判断”するのか、

B沖浦君が「本尊の真偽を判定する資格」はどういう次第で授かったのか、

以上明確に答えよ。

1 相貌→
2 花押→
3 首題→

それぞれについて、どこがどうなっていれば本ものとニセモノが分かれるのか、明確に答えていただきましょうか。
沖浦君、自分で言ったことには責任を持ちたまえよ。

もし、その明証が出来なければ、

「創価学会発行の本尊」=大聖人が御「図顕」された戒壇の大御本尊を、大石寺26 世日寛上人が御「書写」された御本尊⇒写真撮影⇒印刷⇒ 掛け軸のように見せかけたものは、魔札であり、鬼が棲み込んでいる、堕獄必定の大謗法物であることを自ら認めたことになる。
さ、精一杯、証明してみよ。

資料は明確・鮮明である。
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身延のみやげ本尊編 つづく


沖浦君の妄執を叱る 24 ?投稿者:管理人(樋田昌志) ?投稿日: 2月20日(火)13時59分4秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp
  引用

以下の投稿が、前段の追求に対して、沖浦君が完全に返答に窮した挙句、遁走した証拠の言動である。
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DATE:??3月31日(金)07時03分5秒
TITLE: Re: 樋田氏並び他の愚人に
NAME: 管理人(樋田昌志)??MAIL: power@toyoda.tv

●当方

↓こういうものを、まさに「反論不能」の負け惜しみ、と言うのである。呵々大笑

▼沖浦君
>  身延の本尊に執着する君達を少しからかってあげました。
>  面白かったですよ。
>  あのあたふた振りはね。
>  これからはこれに懲りて身延の本尊等は相手にしないようにしなさい。
>
>  本当に法華講は愚かですな。
>  おちょくられている事がわからないで、むきになって言い返すとはね。
>  おかげで楽しませて頂きました。
>  身延の本尊でレスを頂いた法華講員の皆様方、駄レスありがとう。
>  ▼「これにて身延の本尊編は当方打ち切りと致します。」
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↑【鑑賞のポイント】

前半の言い訳は、全く反論できなくなった沖浦君の悔しさが滲み、教義的には全く未熟なのに歳だけ重ねた老残の一兵卒の悲哀が漂う。
更に、特に最後の▼「これにて身延の本尊編は当方打ち切りと致します。」との言には、沖浦君が急いでこの身延のみやげ本尊問題に幕引きを”謀”り、慌てて逃走する老醜の背中姿が仄見えて、真に味わい深いものがある。呵々大笑