マグマグ君へ、一言。  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 8月24日(木)11時05分43秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

少し前の投稿であるが少々気になっていたので、ここで破折します。
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久しぶりマグマグ君、大笑いである。
貴公の浅識を呵責して置きましょう。
(因みに、貴公の”遁走 ”Vol1がなかなかUPできずに申し訳ない。少々お待ち下さい)
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華蓮さま、誤解なさってはいけませんですよ、、、Re: マグマグさま  投稿者:出張マグマグ  投稿日: 8月21日(月)01時24分18秒 west74-p142.eaccess.hi-ho.ne.jp   引用

  華蓮さま

> 私の『仏法の正邪を「世間の常識や定説」などで判定してはいけない、
> 仏説によらなければいけない』という投稿に対する貴方の反論が、
> 「世法即仏法」ですか?

反論?いいえ、反論でも何でもございません。あなたが御書をお読みになったことがないから、お勉強のために転記させて頂いたまでです。

この御書の御文があなたにも「世法即仏法」とお分かりになるのであれば話しは早いわけで、その逆もしかりであるとお分かりでしょう。

―――実に世法と仏法は相互に疎通している。或いは、実は仏法に世法が内包されている、ともとれる。

御文の通りで『法華経はしか(然)らず・やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候』。また『法華経はしからず・月こそ心よ・花こそ心よと申す法門なり』です。

―――大聖人の仏法は非常に奥深い哲理性を包含しております。
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●ここで、まず貴公が大聖人の仏法を如何に浅薄に捉えているかが如実に分かるところである。

当該御文の御心は、一念三千の法義を顕されたところである。
貴公はこの御文の「世間の法」との語を軽率に「世間的な常識や定説」と読み違えているが故にこの御文の真意が全く理解できていない。

当方が云々する前に、まず仏哲の記述を見てみようか。
マグマグ君の「怪釈」とは全く違う。
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はくまいいっぴょうごしょ 【白米一俵御書】

本書は日蓮大聖人身延在山中の御述作で御正筆は大石寺にある。
富士方面の純真な信者に宛てられた御返事であると推定される。
ただしその著作年月ならびに対告衆の氏名は明らかでない。
別名を事理供養御書というように、供養に事供養と理供養の二つがあることを明かされ、人の生命をつなぐ白米を供養することは生命を捨てると同じであると一貫して御供養のあり方が説かれているが、平易な御文の中にも、きわめて重要な法門が明かされた御消息文である。
本書の大意は、人には二つの財、衣と食があり、とくに人は食によって生命をつなぐ。
生命は一切の財にすぐれた第一の財であり、われわれが成仏をとげるには、まずこの生命を仏にたてまつることが肝要である。
古の聖賢は生命を仏にささげて成仏した。
雪山童子は鬼人に身を投げ、薬王菩薩は肘を焼き、わが朝の聖徳太子や天智天皇等も、身をもって法華経に供養した。
すなわちこれらの聖人、賢人の供養は事供養である。
われわれ凡夫には、とても真似のできない振舞いである。
しかしわれわれは、志、すなわち信心によって成仏することができるのである。
御本尊に自分が着ているものを御供養申しあげることが、身の皮をはいだり、命を投げ出すのと同じ供養になるのであり、昔の聖賢の事供養に少しも劣らないばかりか、大功徳を受けられるのである。これを理供養という。
また爾前経においては、心は大地であり草木は方法のごとしと相対的に説いているが、法華経においては、心即大地であり、大地即草木である。
すなわち、依正不二、墳智冥合、一念三千の哲理を説き明かしているのである。
ゆえに白米の供養は、単に白米を供養したのではなく、白米即生命・生命即白米の原理によって、自分の生命を供養したことになるのである。
まして食の乏しい法華経の行者に真心をもって供養されたことは、ただごとではないと、けなげな志をはめられるとともに指導激励を与えられている。
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●実にマグマグ君、貴公の尊敬する池田センセ〜〜も貴公の説は否定されている。素直に反省し謝罪し訂正すべきであろう。
(当方は別に池田さんを尊敬はしていないが、この↑白米一俵御書に対する記述はほぼ正解であるが故に引用しただけである。)

更に、少し詳しく論じれば、この■「世間の法が仏法の全体」との御文は、法界一切の事々物々・森羅万象の全てが、三身如来(または総じてその本体であられる戒壇の大御本尊へ境智冥合する我等)の一念に包含される働き・存在である、との御心と拝し、また、■「法華経はしからず・月こそ心よ・花こそ心よと申す法門なり」との御文は、法界の存在・事象一切を、三身如来(及び戒壇の大御本尊を信ずる我々)の一念に具えている、との御心と拝するのである。

であるから、以下の貴公の邪言↓はとんだ的外れの恥論、愚論、邪論であり、全く不可である。

▼―――仏法の正邪は「世間の常識や定説」を含めた「仏説」によって判断することである、ではないでしょうか?まあ、これも一つの表現に過ぎません。また、別の表現をとれば、正邪の正しい判断は世法、仏法双方の角度からなされるべきであり、そのいずれかが欠けても正しい判断とはなり得ない、こう言ったところではないでしょうか。
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●↑これについて更に破折すれば、世法と仏法の関係で言えば、
■「金光明経には若し深く世法を識るは即ち是仏法なりととかれ、涅槃経には一切世間の外道の経書は皆是仏説にして外道の説に非ずと仰せられて候を、妙楽大師法華経の第六の巻の一切世間の治生産業は皆実相と相ひ違背せずの経文に、引き合はせて心をあらわされて候には、彼々の二経は深山の経々なれども、彼の経々はいまだ心あさくして法華経に及ばざれば、世間の法を仏法に依せてしらせて候。法華経はしからず。やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候」。
とあり、貴公が恥論をはく根拠としている節も見られるが、実はそれは貴公の浅識からの妄断なのである。

 金光明経の■「若し深く世法を識るは即ち是仏法なり」という文は、智慧のある人が世間の全体を総合的に広く深く見ていくと、因果の理法によるところの明確な筋道が存するということである。
つまり、世法を深く探っていくならば、結局、仏法の理に帰着するのであるということを説いた文である。
 しかしこれは、世法から入っていくと仏法に到達するということであるから、この段階では実はまだ仏法それ自体の深く勝れた意義を明らかに示していない。

 次の、涅槃経に説かれる■「一切世間の外道の経書は皆是仏説にして外道の説に非ず」とは、世間において、外道の説、孔子・孟子等の倫理道徳、哲学等、色々な教えがあるが、結局、それらは仏法の教えのなかの一分に含まれるということである。
したがって、世間における一切の教えの内容というものは、仏様の教えのなかに包含されているのであるから、異なる教えのように見えても、所詮は仏説なのである。(もちろん、外道、その他の説をそのまま首肯するという事ではない。その義を法華経から開会して読んだ時、それが仏法の一分の理を顕している、という意味である。)

 しかし、この両文とも方便の義を交えており、これらの文では、直ちには妙義・妙理に欠ける点があるのである。
 したがって大聖人様は、妙楽大師が、これらの経文を法師功徳品の■「一切世間の治生産業は皆実相と相ひ違背せず」の文と引き合わせて、法華経に及ばないことを釈された、と述べ給うたのである。

 この文に「実相」とあるが、実はこの”実相”ということが問題なのである。
これについて、竜樹菩薩は
■「諸法実相を除ひて余は皆魔事と名づく」と示されている。
竜樹菩薩は、貴公も知っているように、法華経以外の権大乗の教えについて非常にたくさんの書を残されており、特に『大智度論』等において般若経の空の法門を徹底して説いておるにもかかわらず、結局、最後のところでは法華経に帰して、このような言葉を示されている。

 この言葉は、法華経の諸法実相の法門、その妙義というものを中心とした教えでないものは、すべて不完全で一切衆生を真に救うところの道ではなく、むしろ悪道に落とし入れる魔の所為となる教えであるということを示されたものである。

・・・マグマグ君の浅い”怪釈”では到底人を救うべき”指南”とはなりえない。むしろ人を惑わす魔説である。(当然御自分も大いに迷い惑っているのであるが)
まっ、所詮戒壇の大御本尊から離れた謗法者がどのように御書を読んでも、堕獄の業因となるだけであり、全く有害極まりない愚行である。
以後重々に謹慎すべきであろう。

 

樋田様  投稿者:華蓮  投稿日: 8月25日(金)23時26分19秒 kx163.opt2.point.ne.jp

  引用

 

 

>マグマグ君へ、一言。  投稿者:管理人(樋田昌志)
>投稿日: 8月24日(木)11時05分43秒

ただ今、読ませて頂きました。
相変わらず凄まじいですね。恐れ入りました^^;

Fボーイでは学会員が、「法華講は御書が読めない」とか
「ア法華講」、「樋田さんが逃げ回るので」などと言っているので、
あちらにも樋田様の破折の投稿を貼り付けておきます。

 

管理人樋田さまへの御礼、、、  投稿者:出張マグマグ  投稿日: 826()00506 218.106.195.111

  引用

 

 

「白米一俵御書」にまつわるご薀蓄の数々、誠に有難うございました。
とても勉強になります。。。

が、一つ気がかりなことなのですが、さすがは元学会員さんですね。
ご引用の仏哲大辞典、いつの版のものか存じませんが、何だか古い内容のような、、、笑。

いつもご挨拶が遅れて申し訳なくも(目下、私は出張中です)お書き込みには感謝申し上げます。
今回も誠に有難うございました。本当に出張中のマグマグより