ちょっと待ったぁ!笑、、、Re: やまいぬ。君の駄問を完摧す。67  投稿者:出張マグマグ  投稿日:11月23日(木)01時02分30秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

> 次に、当方の主張、「南無妙法蓮華経の内証」の「内証」とは戒壇の大御本尊へ究竟せられる、との意義を論証する。


やまいぬ様

どうも新たな説、恐らく大聖人、興尊、有師、寛師、亨師、淳氏以来の、

また、顕ちゃん、如ちゃんには考えも及ばない、新説を間もなく「ご開眼」になる模様です。

今少し、お待ちになられませんか?

―――蓮祖以外に、南無妙法蓮華経の内証、を論証した人は仏教史上、おられないでしょう。。。出張マグマグ

 

『読者の意見』 Re: やまいぬ。君の駄問を完摧す。69  投稿者:出張マグマグ  投稿日:11月24日(金)23時44分15秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

> では、”大聖人の御「内証」とは、煎じ詰めれば戒壇の大御本尊に究竟される”について、論証する。(別に、特段に真新しいことではないが。正しい信心を知らない。あるいは見失い捨て去って、謗法団体で”マゴマゴ”しているような、駄犬・妄犬には、殊更に珍しく見えるのであろう。呵々)



管理人樋田さま

いいえ、あなたは今回「南無妙法蓮華経の『内証』」についてのご高説を仰せになる番ではなかったのですか?

誰が大聖人の御内証について、今更、質問を出して来られています?

ちゃんと樋田さまご自身がわざわざご予告なさったこと(上のテーマ!)についてお書き下さいませ。

すり替えられてはいけませんでしょう。誰も望んでもいない中、元々、あなたが進んでご予告なさった「テーマ」でしょ?

多くの読者はそのご高説をこそお待ちですよ。出張マグマグ

 

『一つの見方』管理人樋田さまへの問題提起、、、  投稿者:出張マグマグ  投稿日:11月24日(金)23時52分45秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

一つの見方です。先ず時間的経過をご推察下さいませ。。。


【研究報告(本日のおまけ、笑)=樋田さんの暴走はまだまだ進む、、、笑】 投稿者:マグマグ 投稿日:2006-11-23 00:26:58 No.14656

これはおまけです。なので、本当に簡単にお終いに致します、、、笑。


【乞うご期待!樋田さんの「とんでも教学の精華」間もなくご開眼!笑】

タイトル:やまいぬ。君の駄問を完摧す。67 投稿者:
投稿日:11月22日(水)11時15分28秒

次に、当方の主張、「南無妙法蓮華経の内証」の「内証」とは戒壇の大御本尊へ究竟せられる、との意義を論証する。


【その前に問題点、、、やはり間違っています、笑】

@「御内証・連発家」樋田さんは今日(11月22日)の前段の書き込みで、読者にこのような印象を与える書き込みをしました。

◇樋田さんが描いていると思われる不思議な構図:

   南無妙法蓮華経の『内証』(御講聞書の一文) = 戒壇の大御本尊の『御内証』 = 唯授一人・血脈相承の『御内証』

恐らくここまで書いたことによって引っ込みがつかなくなり、上掲のような「予告」を行った上で、今、その原稿を書いていると思われます、笑。

Aが、次をお読み下さい。

―――内証【ないしょう】自己の心の中の悟り、また、本体、本意をいう。外用(げゆう)に対する語。仏・菩薩が内証を隠して衆生を教化していくために現した姿、作用を外用という。日蓮大聖人は、外用の辺では上行菩薩の再誕日蓮であり、内証の辺では久遠元初の自受用報身の再誕日蓮となる。(後略)―――仏哲大辞典(第三版)1233〜1234頁

Bここに転載、引用した仏哲大辞典の記述は寛師の「蓮祖の本地内証外用の事」を根拠、典拠とするものですが、通常、このように理解され、信仰されていることは学会、日顕宗、その他のグループに共通することであります。所謂「日蓮本仏義」はこの一文に尽きることでもありましょう。

Cで、当今(今も、これからも、笑)問題となることは、樋田さんが言う「内証」と他の人々が言う「内証」の意味の違いです。で、内証の意味ですが、これは読者諸賢におかれては、再度、上のAへお戻りになってよくご吟味、ご確認を頂きたく存じます。

D実は樋田さんが言う「内証」は、前に「御」が付こうが付くまいが(例:御内証=そのまんま!笑)、某弱小宗派当局者が『誤用した結果、ア法華に語り継がれるようになった、間違った言葉』なのです。

Eこれは「内証」が「外用」に対する言葉であることをさえ押さえれば誰にでも簡単明快に了解出来ることで、もしも樋田さんがオツムに描いていると思われる構図に登場する『内証』が本当の用法であるとすると、樋田さん自身がとてつもなく困る局面に遭遇する(自ら招き寄せる、笑)ことになると言う次第であります。

F大体において「戒壇の大御本尊」を取り挙げて言えば、旧来の御観念文(顕前からの学会員さんならよくご存じ!笑)にある通り「南無本門寿量品の肝心・文底秘沈の大法・本地難思境智冥合・久遠元初・自受用報身如来の御当体・十界本有常住・事の一念三千・人法一箇・独一本門戒壇の大御本尊、云々(原文は旧体字)」で、御戒壇様(!)は「自受用報身如来=大聖人の本地、御内証=の御当体」であり、それにまだ更に『御内証』な〜んて言うものはあるわけがないのです。

Gで、私たちがよく耳にする「戒壇の大御本尊の『御内証』を写し奉り、、、云々」は、単純に「戒壇の大御本尊の『御法体』(或いは『御法魂』みたいな表現、笑)を紙幅に書写し奉り」の言い間違い、表現違い、言葉足らず、で、またこれが樋田さんのような早とちりのア法華にとってとても神秘的な言い回し、とても魅力的な表現であり(笑)、その言葉だけが流通したもの。。。読者諸賢におかれては少しお考え下さい。このような「誤用」がいつ発生し、どの文献に残されているのかを。

H今回の(樋田さんにとっては永遠の、笑)極めつけは上掲の構図にある御書、御講聞書の御一文である「南無妙法蓮華経の『内証』」(実はこれだけでは切文、よくよくご注意あれ!)の「内証とは?」をこれから樋田さんが論証すると言う画期的な、歴史的な予告がございました。史上初!と言ってもよいでしょうね。当然、大聖人をはじめ、興尊、有師、寛師、亨師、淳師、並びに(同一線上に並べるのはとても憚りますが、笑)顕ちゃん、如ちゃんでも試みたことのない「新説の登場!!!」です。

I(本日再び、ここからは皆様への宿題?です、、、笑)そこで皆様におかれましては一度お考え頂きたいことですが、、、

(学会員にとって他宗派のことなのでどうでもいいことだが=前提、笑)
御戒壇様に「外用」「内証」があるとか、ご法主さまに「外用」「内証」があるとかを勝手に誰かが空想することはともかくとして、

◇◇◇ 三大秘法の南無妙法蓮華経そのものに「外用」「内証」があるのでしょうか? ◇◇◇

―――あるとするならば、、、外用の辺における上行菩薩の再誕日蓮、と、内証の辺における久遠元初の自受用報身の再誕日蓮、でしょう。つまり三大秘法の南無妙法蓮華経は日蓮大聖人のこと、なのでは?

まあ、樋田さんがわざわざない知識、ない知恵、ない教学を振り絞っても新たに出て来ることは最早ございません、ハイ。新しい教派、宗派をでっち上げる、立ち上げるのであれば別問題ですが、、、笑

昨日、有難くも鋏様がご引用の「勤勉な馬鹿ほど、はた迷惑なものはない(取意)」はとても意味の深い名言ですね。。。笑。。。マグマグ(〃^∇^)o_彡☆

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。1  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:11月24日(金)23時55分43秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

あまりに愚問なので、堪え切れず呵責しましょう。
この妄犬は
南無妙法蓮華経=戒壇の大御本尊=日蓮大聖人 という筋目を領解していないだけのことである。
”南無妙法蓮華経の内証”も”日蓮大聖人の内証”も同義である。

こんな基本が分からないから、法華講から大退転して大謗法団体でマゴマゴしているのである。呵々大笑

> DATE: 11月24日(金)23時44分15秒
> TITLE: 『読者の意見』 Re: やまいぬ。君の駄問を完摧す。69
> NAME: 出張マグマグ  MAIL:
>
>> では、”大聖人の御「内証」とは、煎じ詰めれば戒壇の大御本尊に究竟される”について、論証する。(別に、特段に真新しいことではないが。正しい信心を知らない。あるいは見失い捨て去って、謗法団体で”マゴマゴ”しているような、駄犬・妄犬には、殊更に珍しく見えるのであろう。呵々)
>
>
>
> 管理人樋田さま
>
> いいえ、あなたは今回「南無妙法蓮華経の『内証』」についてのご高説を仰せになる番ではなかったのですか?
>
> 誰が大聖人の御内証について、今更、質問を出して来られています?
>
> ちゃんと樋田さまご自身がわざわざご予告なさったこと(上のテーマ!)についてお書き下さいませ。
>
> すり替えられてはいけませんでしょう。誰も望んでもいない中、元々、あなたが進んでご予告なさった「テーマ」でしょ?
>
> 多くの読者はそのご高説をこそお待ちですよ。出張マグマグ
>

 

いいえ、違います、、、Re: 『一つの見方』管理人樋田さまへの問題提起、、、  投稿者:出張マグマグ  投稿日:11月25日(土)00時30分18秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

> タイトル:やまいぬ。君の駄問を完摧す。67 投稿者:
> 投稿日:11月22日(水)11時15分28秒
>
> 次に、当方の主張、「南無妙法蓮華経の内証」の「内証」とは戒壇の大御本尊へ究竟せられる、との意義を論証する。


管理人樋田さま、あなたが↑のようにお書きになったのですよ。お間違いなく。出張マグマグ

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。2  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:11月26日(日)22時39分43秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

●さて、最早もの狂う、狂乱の態の駄犬が、ヨダレまみれで喚き、吼えついている様も、読者の皆様には少々見苦しく、退屈してきたことでしょうから、角度を変えて、最近しつこく纏わりついてきた”法華講から退転し大謗法団体へ転落したマゴマゴ君”の駄問と少々つきあいますか。
順番をお待ちの諸兄には失礼するが、内容が「駄犬完摧シリーズ」に深く関連する関係上お許し願いたい。
―――――――――――
> > タイトル:やまいぬ。君の駄問を完摧す。67 投稿者:
> > 投稿日:11月22日(水)11時15分28秒
> >
> > 次に、当方の主張、「南無妙法蓮華経の内証」の「内証」とは戒壇の大御本尊へ究竟せられる、との意義を論証する。
>
>
> 管理人樋田さま、あなたが↑のようにお書きになったのですよ。お間違いなく。出張マグマグ
―――――――――――
■日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。

→まず、この余りにも有名な御文の如く、「南無妙法蓮華経」こそ大聖人の魂、つまり、お悟り、御内証 である。
しかし、単独の”「南無妙法蓮華経」の題目”のみでは、大聖人のお悟り・ではない。

文証
■問う(中略)三大秘法其の体如何。答ふ、予が己心の大事之に如かず。

ここに仰せの”予が己心の大事”とはまさに御本仏の”御内証”である。
つまり大聖人の御魂・お悟り・予が己心の大事・御内証 は
本門の本尊
本門の題目
本門の戒壇
という三大秘法に「に如かず」=尽きる。究竟する。ということである。

つまり、南無妙法蓮華経の本尊・題目・戒壇 が整足して始めて大聖人の”御内証”が事実の上に完備するのである。
文証
■日寛上人   文底秘沈抄 第二

 仏は法華を以て本懐と為すなり、世人は但本懐たることを知って未だ本懐たる所以を知らず。然らば本懐たる所以応に之れを聞くことを得べけんや。謂わく、文底に三大秘法を秘沈する故なり。何を以て識ることを得んや、一大事の文是れなり。
 一は謂わく、本門の本尊なり。是れ則ち一閻浮提第一の故なり、又閻浮提の中に二無く亦三無し、是の故に一と言うなり。
 大は謂わく、本門の戒壇なり。旧より勝るるなりと訓ず、権迹の諸戒に勝るるが故なり、又最勝の地を尋ねて建立するが故なり。
 事は謂わく、本門の題目なり。理に非ざるを事と曰う、是れ天台の理行に非ざる故なり。又事を事に行ずるが故に事と言うなり。並びに両意を存す、乃ち是れ待絶なり。於戯天晴れぬれば地明きらかなり、吾が祖の本懐掌に在らんのみ。

→さて、この■「一は謂わく、本門の本尊なり。是れ則ち一閻浮提第一の故なり、又閻浮提の中に二無く亦三無し、是の故に一と言うなり。」との御指南に既に明白ではあるが、この「本門の本尊」とは弘安2年の戒壇の大御本尊であることは以下の御指南に明々赫々である。

■故に弘安元年已後、究竟の極説なり。就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。(日寛上人・観心本尊抄文段)

であるから、当方が掲げた論題の如く、

●「南無妙法蓮華経の内証」の「内証」とは戒壇の大御本尊へ究竟せられる。

ということである。
―――――――――――
因みに、「日寛上人書写の御本尊を本尊としながら日寛上人の御指南を用いない」という馬鹿犬がそこら辺をヨダレを垂らしながら徘徊しているようだが、以下の道理によって、全くの不可である。

■文字は是一切衆生の心法の顕はれたる質なり。されば人のかける物を以て其の人の心根を知って相する事あり。凡そ心と色法とは不二の法にて有る間、かきたる物を以て其の人の貧福をも相するなり。然れば文字は是一切衆生の色心不二の質なり。

日寛上人が書写された御本尊を本尊として尊仰するということは、■「文字は是一切衆生の心法の顕はれたる質なり。」との原理から、日寛上人という御方の「心法」への尊信がなくては有り得ない行為である。
日寛上人の「心法」を、またよく表されたのが、日寛上人の数々の御指南であり、この御指南を尊信しない者には、日寛上人の御本尊を拝んでいる姿だけで、実際の信はない行為であり、結局堕獄必定の邪信である。
また、その矛盾に気づかないのは頭破七分で、もはや救いがたい一闡提人である。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。3  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:11月27日(月)11時12分11秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

ではこれからいきますか。

―――――――――――
> DATE: 11月27日(月)00時05分48秒
> TITLE: 管理人樋田さま、、、Re: しょうがなく新シリーズ
> NAME: 出張マグマグ  MAIL:
>
> 管理人樋田さま
>
> お返事、有難うございます。
>
> 私は明日月曜から一週間、海外出張で留守に致しますので、ごゆっくりで結構です。
> 下の問いに対してのお答えは、ま、お気が向けば、でも結構です。。。
>
>
>> →まず、この余りにも有名な御文の如く、「南無妙法蓮華経」こそ大聖人の魂、つまり、お悟り、御内証 である。
>
> ―――ご正答、拍手!
>
>> しかし、単独の”「南無妙法蓮華経」の題目”のみでは、大聖人のお悟り・ではない。
>
> ―――ってことは、南無妙法蓮華経の題目には何種類、何通りのものがある、とでも仰せになるのですか?
―――――――――――
→ここが、三大秘法から転げ落ちた者の浅はかさ、である。
御書の御文は、説き示される、対機・時期・相対・等により、一言にも重々の意義を含まれており、表面的な語を単純に皮相的に読むだけでは大聖人の御心を拝することは全くできないのである。

”南無妙法蓮華経” と表現される中には、対機・時期・相対・等により、深い意義内容が含まれており、例えば佐前であれば”法華経の題目”との意を表にされた上で、大聖人の御内証である、三大秘法の”本門の題目”の意に主体を置かれた意義を内に含み、その上で、更にその内に 本門の本尊・本門の戒壇 との義を含むのである。

例えば、「首相官邸はどこか?」と問えば、「日本」も正解。しかし更には「東京」であり、更に言えば「千代田区」であり、更に特定すれば「永田町何丁目何番地云々」ということである。

では、「南無妙法蓮華経の内証」 についていえば、
@本論題の出典である、御講聞書は、後の邪僧「五老僧」となった日向記であり、しかも対告衆も複数であり、対機でいえば、大聖人の御法体・御内証そのものを伝持・相伝為される文献ではない。
Aであるから、「南無妙法蓮華経」との御表現は、広範な意義を仰せなのであり、実はその中に重々の深意を含むのである。
Bまさに■「此の経は相伝に有らざれば知り難し。」であり、御相伝に依る所の戒壇の大御本尊からこの「南無妙法蓮華経」の意義を開いて拝さなければ、駄犬や、マゴマゴしている迷犬の如くに、仏法の真の法体に迷うのである。
C「南無妙法蓮華経の内証」 との御表現はまさにこの意を端的に言い表されていると拝するのである。
Dつまり、
「南無妙法蓮華経」→「南無妙法蓮華経の本尊」→「弘安二年の戒壇の大御本尊」と究竟せられるのであり、
こんな基本中の基本が分からないから、ニセ本尊などに「同盟唱題」などのおぞましい行為を平然と為し得るのである。
Eもし、”「南無妙法蓮華経」の題目”のみが大聖人の深意であるとしたならば、それでは、世界中で「南無妙法蓮華経」と唱えている宗派は全て正しい、ということになってしまう。
立正佼成会でも、霊友会でも、身延でも、・・・・何でも、である。
まっ、所詮それらと同格に成り下がった創価学会だから、そう思うのも当然か。呵々。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。4  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:11月27日(月)12時05分56秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

>> つまり、南無妙法蓮華経の本尊・題目・戒壇 が整足して始めて大聖人の”御内証”が事実の上に完備するのである。
>
> ―――ああ、では、三大秘法が整足する前(いつのこと?)は三つがバラバラに存在していたとでも仰せなのですか?
>
> ―――大聖人の「御内証」であれば元々大聖人が具えておいでであり、ご所持遊ばしているものでしょ?違うのですか?
―――――――――――
→しかし、浅薄・軽薄・愚薄 である。
大聖人の御内証はまさに”元々大聖人が具えておいでであ”ることなど当然である。
が、その御化導に順序次第があられるのである。

佐前→「南無妙法蓮華経」の題目の流布
文永八年→発迹顕本・本地自受用報身如来の顕現
佐後→御本尊の御顕発
弘安以後→御本尊が究竟
弘安二年→戒壇の大御本尊 御図顕 出世の御本懐を成就為される。
弘安五年→戒壇の大御本尊を根本とした一切の仏法を日興上人へ御相伝

■法門の事はさどの国へながされ候ひし已前の法門は、たゞ仏の爾前の経とをぼしめせ。

と仰せの如く、佐前の御法門・御化導は、佐後の御法門・御化導から開会して拝さなくてはならない。
であるから、
佐前では題目の一義の内に、三秘の他の本尊と戒壇の二意を含み、佐後は題目と本尊の二義の内に、残りの戒壇の一意を含むのである。
しかして後、戒壇の大御本尊を御顕発されて始めて、”事実の上に”=具体的に目で見える形の上で、三秘が完備し、大聖人が御内証として御所持されていたお悟りの法体が顕現され、御本懐が遂げられた、と仰せなのである。
妄犬マゴマゴはやはりこの、基本中の基本が分からぬから、

▼では、三大秘法が整足する前(いつのこと?)は三つがバラバラに存在していたとでも仰せなのですか?

などという、恥問を発するほどの恥知らずになることができるのである。
ニセ本尊に「同盟唱題」などを続けると如何に仏法の筋目次第から遠く脱落していくか、如実に検証できる、やはりいい”標本”である。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。5  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:11月27日(月)14時35分21秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

まことにニセ本尊の害毒で文意が読めない、妄犬マゴマゴ ということである。

>> ●「南無妙法蓮華経の内証」の「内証」とは戒壇の大御本尊へ究竟せられる。
>> ということである。
>
> ―――尊くも南無妙法蓮華経が御本仏日蓮大聖人の「たましひ(魂)」、御命、内証であることは、大聖人御自らが御書に御認(したた)めのことです。
>
> ―――が、しかし、あなたが仰せの今回のご論題は、「南無妙法蓮華経の内証」の内証、のことでしょ?
>
> ―――それを私を含めてこちらへお越しの多くの閲覧者の皆様がお待ちしているのです。樋田さまご自身が、このご論題を明証なさる、と予告されたことです。
>
> ―――私も仕事を持っている社会人で、樋田さまも企業経営者でいらっしゃいます。こちらを閲覧されている皆様もお暇な方ばかりではないでしょう。可能な限りで結構です。どうか簡潔にお答え下さいませ。出張マグマグ
―――――――――――
●妄犬マゴマゴ君は、「南無妙法蓮華経」に、本門の題目・本門の本尊・本門の戒壇 の義があり、しかも、その三秘は戒壇の大御本尊の一大秘法へ究竟せられる。この一大秘法の戒壇の大御本尊こそ、大聖人の御内証であり、南無妙法蓮華経の内証 である。
という、重層的な構造が領解できないだけのこと。

本文
■一色一香一切皆然なりとは、法界の千草万木(せんそうまんもく)飛華落葉(ひけらくよう)の体(てい)たらく、是(これ)皆無常遷滅(むじょうせんめつ)の質(すがた)を見て仏道に帰すも属于一人の利益なり。此の利益の本源は南無妙法蓮華経の内証に引入せしめんが為なり。所詮末法に入りて属于一人の利益は日蓮が身に当たりたり。日本国の一切衆生の受くる苦は悉く日蓮一人が属于一人なり。

この御文に仰せの「南無妙法蓮華経の内証」とは、以下の御文から拝すれば、

■法華経の功徳と申すは唯仏与仏の境界、十方分身の智慧も及ぶか及ばざるかの内証なり。
■寿量品の自我偈に云はく「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云。日蓮が己心の仏果を此の文に依って顕はすなり。其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此の経文なり、秘すべし秘すべし。

「寿量品の事の一念三千の三大秘法」 であり、それはそのまま「人法一箇の戒壇の大御本尊」である。
まさしく、 ”●「南無妙法蓮華経の内証」の「内証」とは戒壇の大御本尊へ究竟せられる。” である。

これに何か問題でも?妄犬マゴマゴ君?
もし、これに反論するのなら、
★” 「南無妙法蓮華経の内証」の「内証」とは戒壇の大御本尊へ究竟されない。” ことを立証してみたまえ。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。6  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:11月27日(月)17時04分26秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

ざっと斜め読みしても、やはり、ニセ本尊への「同盟唱題」によって(他、三宝誹謗の極悪果・正法退転の大重罪等も含む) 文意を読めずして、ひとり妄想たくましくしているだけのただの偏執漢である。

では、詳細に砕き斬りますか。
―――――――――――
> 一つの見方です。先ず時間的経過をご推察下さいませ。。。

> 【研究報告(本日のおまけ、笑)=樋田さんの暴走はまだまだ進む、、、笑】 投稿者:マグマグ 投稿日:2006-11-23 00:26:58 No.14656
>
> これはおまけです。なので、本当に簡単にお終いに致します、、、笑。
>
>
> 【乞うご期待!樋田さんの「とんでも教学の精華」間もなくご開眼!笑】
>
> タイトル:やまいぬ。君の駄問を完摧す。67 投稿者:
> 投稿日:11月22日(水)11時15分28秒
>
> 次に、当方の主張、「南無妙法蓮華経の内証」の「内証」とは戒壇の大御本尊へ究竟せられる、との意義を論証する。
>
>
> 【その前に問題点、、、やはり間違っています、笑】
>
> @「御内証・連発家」樋田さんは今日(11月22日)の前段の書き込みで、読者にこのような印象を与える書き込みをしました。
>
> ◇樋田さんが描いていると思われる不思議な構図:
>
>    南無妙法蓮華経の『内証』(御講聞書の一文) = 戒壇の大御本尊の『御内証』 = 唯授一人・血脈相承の『御内証』
>
> 恐らくここまで書いたことによって引っ込みがつかなくなり、上掲のような「予告」を行った上で、今、その原稿を書いていると思われます、笑。
>
> Aが、次をお読み下さい。
>
> ―――内証【ないしょう】自己の心の中の悟り、また、本体、本意をいう。外用(げゆう)に対する語。仏・菩薩が内証を隠して衆生を教化していくために現した姿、作用を外用という。日蓮大聖人は、外用の辺では上行菩薩の再誕日蓮であり、内証の辺では久遠元初の自受用報身の再誕日蓮となる。(後略)―――仏哲大辞典(第三版)1233〜1234頁
>
> Bここに転載、引用した仏哲大辞典の記述は寛師の「蓮祖の本地内証外用の事」を根拠、典拠とするものですが、通常、このように理解され、信仰されていることは学会、日顕宗、その他のグループに共通することであります。所謂「日蓮本仏義」はこの一文に尽きることでもありましょう。
―――――――――――
→はい、妄犬マゴマゴ君、ここで、いきなり蹴躓きましたね。

当方が所持している「仏哲」には
【内証】の項の
【内証の悟り】において、
内証のこと。すなわち悟りである。観心ともいう。教相と観心とは対比して用いられ、教相は仏説のありさまを表面的、皮相的に解釈するのをいい観心とは、教法を三大秘法の核心から、悟りの面から観ずるのである。(第三版 第四巻 817頁)

とあり、当方の論題、●「南無妙法蓮華経の内証」の「内証」とは戒壇の大御本尊へ究竟せられる。 での「内証」とは概ねこの意である。

また、諸文の中で、大聖人と日寛上人がこの御講聞書との意で「内証」を用いられている箇所を例示しておこう。

大聖人

■教道は即ち教相の法門にて候。証道は即ち内証の悟りの方にて候。

■教主釈尊、寿量品の一念三千の法門を証得し給ふ事は三世の諸仏と内証等しきが故なり。但し此の法門は釈尊一仏の已証のみに非ず、諸仏も亦然(しか)なり。

■仏意の五重玄とは、諸仏の内証に五眼の体を具する即ち妙法蓮華経の五字なり。

■御義口伝に云はく、法華の心を信ずるは種なり。諸法実相の内証に入れば仏果を成ずるなり。

■然らば其の本法の体とは所詮南無妙法蓮華経なり。此の本法の内証に引き入れんが為に、仏は四十余年誘引(ゆういん)し、終(つい)に第五時の本法を説きたまへり。今末法に入りて上行所伝の本法の南無妙法蓮華経を弘め奉る。日蓮世間に出世すと云へども、三十二歳までは此の題目を唱へ出ださゞるは仏法不現前なり。此の妙法蓮華経を弘めて終には本法の内証に引き入るゝなり。日蓮豈(あに)大通智勝仏に非ずや。日本国の一切衆生こそ十劫坐道場とて、十界其の儘(まま)本法の南無妙法蓮華経へ引き入るゝなり。

日寛上人

■ 問う、三大秘法抄に云く「寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり」と云云。この文は如何。
 答う、この文の意に謂く、我が内証の寿量品に建立する所の本尊は即ちこれ久遠元初の自受用身、本因妙の教主釈尊これなりという文なり。故に「五百塵点の当初」という。

■ 問う、宝軽法重抄に云く「一聞浮提の内に法華経の寿量品の釈迦仏の形像を、かきつくれる堂塔いまだ候はず」等云云。この文は如何。
 答う、またこれ人法体一の深旨を顕すなり。謂く、下種の法華経、我が内証の寿量品の釈迦仏の形を文字にこれを書けば、即ち大曼荼羅なり。

■ 「事の三大事」とは無作三身の宝号、南無妙法蓮華経とは即ちこれ人法体一の本門の本尊なり。
 この本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うる所作は、即ちこれ本門の題目なり。本尊及び行者の所住の処は、即ちこれ本門の戒壇なり。故に内証の寿量品の意は、本門三箇の秘法を説き顕すなり。

妄犬マゴマゴ君は性急に「内証」の意義をただ「外用」と相対することの意味にだけに限定して捉えたが故に斯様に的外れなパンチを大降りに繰り出して勢い余ってスリップダウンして後頭部を痛打するのである。

ここを押さえて以下を読めば、妄犬マゴマゴ君のその失態ぶりが大いに哂えるのである。
以下、更に詳細に破砕し哂ってあげることとする。
正統なる大御本尊への信仰から敢えて脱落し、のみならず、三宝を誹謗し軽侮している妄犬マゴマゴ君には、少々きつい躾が必要である。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。7  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:11月27日(月)21時21分15秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

●以下、C〜Eは、既に、仏哲の

【内証の悟り】において、
内証のこと。すなわち悟りである。観心ともいう。教相と観心とは対比して用いられ、教相は仏説のありさまを表面的、皮相的に解釈するのをいい観心とは、教法を三大秘法の核心から、悟りの面から観ずるのである。(第三版 第四巻 817頁)

”よくご吟味、ご確認を頂きたく存じます。”(笑い)←妄犬マゴマゴ風

”これは「内証」が「悟り」であることをさえ押さえれば誰にでも簡単明快に了解出来ることで、もしも妄犬マゴマゴ君がオツムに描いていると思われる『内証』が本当の用法であるとすると、妄犬マゴマゴ君自身がとてつもなく困る局面に遭遇する(自ら招き寄せる、笑)ことになると言う次第であります。”(笑い)
―――――――――――
>
> Cで、当今(今も、これからも、笑)問題となることは、樋田さんが言う「内証」と他の人々が言う「内証」の意味の違いです。で、内証の意味ですが、これは読者諸賢におかれては、再度、上のAへお戻りになってよくご吟味、ご確認を頂きたく存じます。
>
> D実は樋田さんが言う「内証」は、前に「御」が付こうが付くまいが(例:御内証=そのまんま!笑)、某弱小宗派当局者が『誤用した結果、ア法華に語り継がれるようになった、間違った言葉』なのです。
>
> Eこれは「内証」が「外用」に対する言葉であることをさえ押さえれば誰にでも簡単明快に了解出来ることで、もしも樋田さんがオツムに描いていると思われる構図に登場する『内証』が本当の用法であるとすると、樋田さん自身がとてつもなく困る局面に遭遇する(自ら招き寄せる、笑)ことになると言う次第であります。
>
―――――――――――
更に、妄犬マゴマゴ君が否定したいと”オツムに描いている”構図を完全に打ち消す内容がその仏哲の同頁に書かれている。

【内証深秘の相承】
日蓮大聖人の御内証すなわち悟りである本門寿量品の文底秘沈、三大秘法の南無妙法蓮華経を法水写瓶し、後世に令法久住すること。また日蓮大聖人から血脈相承して今日に伝わる内証の法門をいう。

この記述からすれば、妄犬マゴマゴ君が言うDについては、全く正反対の内容であり、むしろ当方が主張している、またしてきた内容と概ね一致している。
妄犬マゴマゴ君はこの池田大作さん監修の仏哲の記述を”「内証」は、前に「御」が付こうが付くまいが(例:御内証=そのまんま!笑)、某弱小宗派当局者が『誤用した結果、ア法華に語り継がれるようになった、間違った言葉』なのです。”と思いっきり嘲弄している訳である。(笑い)←妄犬マゴマゴ風

さ、呼びもしないのに当板で当方へ絡んできたのであるから、この矛盾を明晰に解いていただきましょうか。
出来なければ、反省文書いて、脱会。(笑い)←妄犬マゴマゴ風
よろしいね。(笑い)←妄犬マゴマゴ風 (笑い)

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。8  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:11月27日(月)21時38分2秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> F大体において「戒壇の大御本尊」を取り挙げて言えば、旧来の御観念文(顕前からの学会員さんならよくご存じ!笑)にある通り「南無本門寿量品の肝心・文底秘沈の大法・本地難思境智冥合・久遠元初・自受用報身如来の御当体・十界本有常住・事の一念三千・人法一箇・独一本門戒壇の大御本尊、云々(原文は旧体字)」で、御戒壇様(!)は「自受用報身如来=大聖人の本地、御内証=の御当体」であり、それにまだ更に『御内証』な〜んて言うものはあるわけがないのです。

→ここも、妄犬マゴマゴ君が「内証」を一片だけを読み、他片を知らぬだけの醜態である。

【内証の悟り】において、
内証のこと。すなわち悟りである。観心ともいう。教相と観心とは対比して用いられ、教相は仏説のありさまを表面的、皮相的に解釈するのをいい観心とは、教法を三大秘法の核心から、悟りの面から観ずるのである。(第三版 第四巻 817頁)

であるから、いくら「南無本門寿量品の肝心・文底秘沈の大法・本地難思境智冥合・久遠元初・自受用報身如来の御当体・十界本有常住・事の一念三千・人法一箇・独一本門戒壇の大御本尊、云々(原文は旧体字)」と言ってみても、この奥義へそのまま体達・悟達することに我々衆生の即身成仏・一生成仏・三世の成仏があるのである。

また、
【内証深秘の相承】
日蓮大聖人の御内証すなわち悟りである本門寿量品の文底秘沈、三大秘法の南無妙法蓮華経を法水写瓶し、後世に令法久住すること。また日蓮大聖人から血脈相承して今日に伝わる内証の法門をいう。

という池田大作さんの論へあろうことか妄犬マゴマゴ君は”それにまだ更に『御内証』な〜んて言うものはあるわけがないのです。”などと真っ向から否定する軽率な言を吐き垂れている。(笑い)
折角三大秘法から退転し邪教謗法団体の創価学会へ行ったのに、そこの首魁の主張を唾棄しては不味いのではないのか?(笑い)

実に”妄犬マゴマゴ君”惑いさ迷っている様が滑稽である。(笑い)

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。9  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:11月27日(月)21時44分38秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> Gで、私たちがよく耳にする「戒壇の大御本尊の『御内証』を写し奉り、、、云々」は、単純に「戒壇の大御本尊の『御法体』(或いは『御法魂』みたいな表現、笑)を紙幅に書写し奉り」の言い間違い、表現違い、言葉足らず、で、またこれが樋田さんのような早とちりのア法華にとってとても神秘的な言い回し、とても魅力的な表現であり(笑)、その言葉だけが流通したもの。。。読者諸賢におかれては少しお考え下さい。このような「誤用」がいつ発生し、どの文献に残されているのかを。

→何度でも哂ってあげましょう。(笑い)
浅薄な癖に生意気なことを軽率に書き並べると、かくも無惨に細切れにされることを学んだ方がいいでしょう。

このGもまた、

【内証深秘の相承】
日蓮大聖人の御内証すなわち悟りである本門寿量品の文底秘沈、三大秘法の南無妙法蓮華経を法水写瓶し、後世に令法久住すること。また日蓮大聖人から血脈相承して今日に伝わる内証の法門をいう。

という池田センセ〜〜。万世〜〜(笑い)の論述を真正面から否定する、”師敵対行為”である。(笑い)

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。10  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:11月27日(月)22時02分44秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> H今回の(樋田さんにとっては永遠の、笑)極めつけは上掲の構図にある御書、御講聞書の御一文である「南無妙法蓮華経の『内証』」(実はこれだけでは切文、よくよくご注意あれ!)の「内証とは?」をこれから樋田さんが論証すると言う画期的な、歴史的な予告がございました。史上初!と言ってもよいでしょうね。当然、大聖人をはじめ、興尊、有師、寛師、亨師、淳師、並びに(同一線上に並べるのはとても憚りますが、笑)顕ちゃん、如ちゃんでも試みたことのない「新説の登場!!!」です。

→初手から蹴躓いているにも拘らず、謗法の醜面がくどくどとこうして誇らしげに邪難を並べ立てているのを見ると、ニセ本尊への唱題が人格破戒を起こすか、実に明瞭に見て取れて、いよいよおぞましいものである。

@”南無妙法蓮華経の内証”がどう切り文なのか?
切り文とはその当該箇所を、全体の文意と違う、あるいは捻じ曲げた形で抽出することだが、妄犬マゴマゴ君、この主語格の箇所がどう「切り文」なのか立証してみせたまえ。
出来なければ、恒例、謝罪して脱会。いいね。(笑い)

A
【内証深秘の相承】
日蓮大聖人の御内証すなわち悟りである本門寿量品の文底秘沈、三大秘法の南無妙法蓮華経を法水写瓶し、後世に令法久住すること。また日蓮大聖人から血脈相承して今日に伝わる内証の法門をいう。

という論述からすれば、まさに「内証」は「法水写瓶し、後世に令法久住する」ものであり、「日蓮大聖人から血脈相承して今日に伝わる」「法門」なのであるから、明らかに存在するものということであり、妄犬マゴマゴ君の”珍説”とはまさに正反対の主張であるが、この矛盾を論理明快に説明してくれたまえ。
はい、これも出来なければ謝罪&脱会(笑い)。別に急いでないから、ゆっくり頑張れよ。(笑い)

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。11  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:11月27日(月)22時13分44秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> I(本日再び、ここからは皆様への宿題?です、、、笑)そこで皆様におかれましては一度お考え頂きたいことですが、、、
>
> (学会員にとって他宗派のことなのでどうでもいいことだが=前提、笑)
> 御戒壇様に「外用」「内証」があるとか、ご法主さまに「外用」「内証」があるとかを勝手に誰かが空想することはともかくとして、
>
> ◇◇◇ 三大秘法の南無妙法蓮華経そのものに「外用」「内証」があるのでしょうか? ◇◇◇
>
> ―――あるとするならば、、、外用の辺における上行菩薩の再誕日蓮、と、内証の辺における久遠元初の自受用報身の再誕日蓮、でしょう。つまり三大秘法の南無妙法蓮華経は日蓮大聖人のこと、なのでは?
>
> まあ、樋田さんがわざわざない知識、ない知恵、ない教学を振り絞っても新たに出て来ることは最早ございません、ハイ。新しい教派、宗派をでっち上げる、立ち上げるのであれば別問題ですが、、、笑
>
> 昨日、有難くも鋏様がご引用の「勤勉な馬鹿ほど、はた迷惑なものはない(取意)」はとても意味の深い名言ですね。。。笑。。。マグマグ(〃^∇^)o_彡☆
―――――――――――
→自分の浅識な妄断でフライングして勝手に前提を立ててそれに妄想を逞しくしているのであるから、実に恥ずかしいものである。
当方は当初から
【内証の悟り】において、
内証のこと。すなわち悟りである。観心ともいう。教相と観心とは対比して用いられ、教相は仏説のありさまを表面的、皮相的に解釈するのをいい観心とは、教法を三大秘法の核心から、悟りの面から観ずるのである。(第三版 第四巻 817頁)

概ね、この意に於いて、論述していたのであって、妄犬マゴマゴ君がひとり「内証・外用」の一片に囚われ、執着し、舞い上がっていただけのことではないか(笑い)
まさに、妄犬マゴマゴ君が”わざわざない知識、ない知恵、ない教学を振り絞って”当板へしゃしゃり出てきて醜態を演じただけのことであり、(笑い)”「勤勉な馬鹿ほど、はた迷惑なものはない(取意)」”は蓋し名言である。(大笑い)←妄犬マゴマゴ風(笑い)

 

偉大なる遁走マグマグ様  投稿者:73  投稿日:12月 9日(土)10時45分54秒 p2199-ipbf403hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

  引用

 

 

>管理人樋田さま

>しっかりとお答え下さいませ。問題をほかへ転嫁せず、話題を拡散せずに、、、。

>「南無妙法蓮華経の内証の『内証』は、戒壇の大御本尊に究竟する!」ことを、

>早くご論証下さいませ。。。出張マグマグヽ(^o^)丿


マグマグさま、
少し管理人さんの書き込みと違っているので指摘しておきますね。ヽ(^o^)丿

>「南無妙法蓮華経の内証の『内証』は、戒壇の大御本尊に究竟する!」

ではなく、管理人さんは、

「南無妙法蓮華経の内証」の「内証」とは戒壇の大御本尊へ究竟せられる。
ということである。

ということであります。全く問題のない管理人さんの書き込みに
「は」が抜け、「」が抜けたら
法華講を遁走したマグマグみたいになりますからね。ヽ(^o^)丿

以上、 お節介な73でしたヽ(^o^)丿

追伸

君の第三者的駄文は
「マグマグ君、しつこく纏わりつくのでしょうがなく呵責す」
で全て呵責されておるよヽ(^o^)丿

「創価学会は日蓮大聖人直結である」の公式を
 文証を引いてどーぞヽ(^o^)丿

 では出掛ける。

 

【読者間連絡】TO:やまいぬ様、沖浦様、一支国様、すべての反ア法華の皆様 FM:出張マグマグ  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月20日(水)13時44分5秒 bflets-fm-osk-2-61.dsn.jp

  引用

 

 

> 駄犬ら(妄犬マゴマゴも含む)は、これに対し、大聖人の御文を引き、上記の当方の論証に対して、未だ教義的に全く反論できていない。
> 信も学もない頭で、(行は所詮ニセ本尊への邪行であるが)、つまり、信行学全てに狂った頭で、自分等で勝手に妄釈をして、自分等で自分の作り出した妄説に”つっかかっている”だけの話である。
> 自分の見ている妄想へ向かって、自分で怒って文句を言っているのであるから、これはまさに狂人の所業であり、正常な者はそれに関わる必要もないし、時間も無駄である。
> しかし、”当方が反論不能である”と難癖をつけるのであれば、看過できない。
> ここで、再度駄犬及び妄犬マゴマゴへ詰問する。
> 上記で示した当方の論証に対して、道理・文証双方を以って、正当に反駁・反論・反証して見せたまえ。
> 正当な教義的論証もない、ただの馬鹿の一つ覚えの難癖は、読者にも失礼であるし、その無能な醜態ぶりは駄犬らの信じる「ニセ本尊の面汚し」となり、また創価学会の構成員として、所属団体の評価を下げる行為となろう。
> さ、「無限ループ」と言うのであれば、自分等の妄想による難癖ではなく、歴とした文証と道理を挙げて反証して見せたまえ。
> もし、以後、”正当な文証・道理を以って”反駁出来ない場合は、この件は駄犬らの妄説による言いがかりと認め、正式に謝罪し、承服したことを宣言したまえ。
> そのいずれかも出来ないとすれば、いよいよ、駄犬らは姑息・卑劣・臆病・等のまことに醜悪な生き物であること治定である。
> よくよく勉強して、覚悟を決めて返答せよ。
> 念を押しておくが、あくまで、”正当な文証・道理を以って”の反論をすること。
> 駄犬らの妄想で何をどう喚いてきても、それは不可である。予め釘を刺しておく。
> 駄犬らが懸命に道理・文証を以って反証すれば、読者の方々も興味をそそられるし、教学的にも勉強になることでしょう。
> さ、頑張れ。応援しているぞ。


皆 様

日々のご活躍に心からのエールをおおくり申し上げます。

さて、こちらの管理人樋田氏が↑このように複数相手を対象として、
また私(私じゃない?笑)を含めて書いておられるので一つ連絡と提案を申し上げます。

この人の悪い癖で今日は泣き言を含めて、我々が常日頃書いていること(↑この文意のまま、笑)をそっくりそのまま鸚鵡返しにしておられます、笑。。。

で、私にすればこの人がこれほど深刻に思っていることに対しては同情の念を禁じ得ませんが(笑)、
元々この人が書いていること自体が何のことだかサッパリ訳が分からないのが本音でして、
その時々の「永久等号式」や「無限ループ」に対して一々コメントする必要性も感じない、と言うのが包み隠しのない気持ちであります。

―――これはもう大分以前に(多分、先月、笑)こちらでの書き込みでも表明したことですが、、、笑。。。

また内容に関しても特に目に入ったことで気になることも種々書かせて頂いた、にもかかわらず、
この人がそれらを読んでいないと言うのならそれはそれだけのことでして、どうぞご勝手に、と言うしかないとも思っております。

いずれにせよ↑この鸚鵡返しの中で逆に白状しているように(笑)、元々この人の道理、文証にかなわないことに対して、
我々こそそれを道理、文証でもって正面からただす必要性があるかどうか?を考えるに、
私は、そ〜んなこと、ぜんぜん、な〜いよね〜。。。ヽ(^。^)ノと思うのみです、、、笑。

ここで一つの提案ですが、この人が何も理由付け、条件提示、意義付けなしに「即刻、対話中止!」を宣言でもすれば、
私にはそれに乗っかる気持ち、用意はございます。。。
何故かならば、元々この人が一方的に何かを書き殴って垂れ流しているだけのことで、会話すら成り立っていないのですから、ね。。。

が、その反対に今までのようにグズグズしてこちらからの問いかけにまったく答えない限り、
私はいつまでも、いつまでもずーっとここへ来て、私の書きたいことを書くまで!です。。。爆笑ヽ(^。^)ノ

ま、皆様すでにご覧になっていると思いますが、この人のVTRに映し出される所謂「法論」とはそのようなものなのでしょう。。。
実際、私はどの作品もしっかりと鑑賞しましたが(笑)、これらによって何が分かったかと申し上げると、

樋田氏が言う「法論」とは所詮羊頭狗肉の代物であり、
結局は自分が言いたいことを広範な視聴者や読者へ聞いて欲し〜い、読んで欲し〜いだけである、、、。

その程度のことでありましょう。

また皆様各位のお書き込みの視点、着眼点は異なり、お書き込みの内容もおのずから異なった角度のものであります。
で、私の個人的な理解からすると私自身を含めて皆で一致しているところは、

樋田さ〜ん、あなたの書いていること、分かんないよ〜ん、おかしいよ〜ん、
おやめなさ〜い、誰にも読んでも理解してももらえないこと、書くのは変だよ〜ん、、、ヽ(^。^)ノ

ではないでしょうか?

つまり私からの今日の提案は、

この人がやめない限り、私たちも上に書いた一致点(私の勝手な理解ですが)において、
私たちも絶対にやめない!

です。。。皆様、いかがでしょうか?お暇なときにでもお考え下さいませ。。。笑ヽ(^。^)ノ 出張マグマグ

 

 

マグマグ、あたふたの図(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)。  投稿者:73  投稿日:12月20日(水)20時58分29秒 p2199-ipbf403hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

  引用

 

 

 マグマグ、あたふたの図

マグマグは実にわかりやすい。(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)
樋田氏が無限ループに関した邪難を糺したことに対して、
創価に堕ちたマグマグは、動揺を露にしての書き込みをしている。

以下、とくとご覧あれ。

>「〜我々こそそれを道理、文証でもって正面からただす必要性があるかどうか?
> を考えるに、私は、そ〜んなこと、ぜんぜん、な〜いよね〜。。。ヽ(^。^)ノ
> と思うのみです、、、笑。」

前文からの流れで、日本語が突然幼稚になっている。笑。
心情が手にとるようにわかる。

何気なく本音も吐露する。

>「ここで一つの提案ですが、この人が何も理由付け、条件提示、意義付けなしに
> 即刻、対話中止!」を宣言でもすれば、
> 私にはそれに乗っかる気持ち、用意はございます。。。
> 何故かならば、元々この人が一方的に何かを書き殴って垂れ流しているだけのことで、
> 会話すら成り立っていないのですから、ね。。。}

本音を吐露しながら、相手より有利に立とうとする術はしっかり心得ている。笑。

>「が、その反対に今までのようにグズグズしてこちらからの問いかけにまったく
>  答えない限り、私はいつまでも、いつまでもずーっとここへ来て、
>  私の書きたいことを書くまで!です。。。爆笑ヽ(^。^)ノ」

弱気と強気が混在一体。笑。

さて、
問題は次の書き込みだが、この男の本質が見てとれる部分で、興味深い。

ボコボコにされた男の逃げながらの遠吠えの図。

>「ま、皆様すでにご覧になっていると思いますが、
> この人のVTRに映し出される所謂「法論」とはそのようなものなのでしょう。。。
> 実際、私はどの作品もしっかりと鑑賞しましたが(笑)、
> これらによって何が分かったかと申し上げると、
> 樋田氏が言う「法論」とは所詮羊頭狗肉の代物であり、
> 結局は自分が言いたいことを広範な視聴者や読者へ聞いて欲し〜い、
> 読んで欲し〜いだけである、、、。
> その程度のことでありましょう。」

すなわち、この板での法論とは全く無関係の話を出し、安易な日本語で茶化し、
樋田氏を批難するという姑息な手段をとっている。みっともない上、
この男の底の知れる部分でもある。

そして、
>「樋田さ〜ん、あなたの書いていること、分かんないよ〜ん、おかしいよ〜ん、
> おやめなさ〜い、誰にも読んでも理解してももらえないこと、
> 書くのは変だよ〜ん、、、ヽ(^。^)ノ」>

恥ずかしくなるほどの心の乱れよう。みっともなくて御愁傷様だ。笑

クズいぬにマグマグ、
樋田氏の言葉を引用すれば、
既に
69 72 80 81 82 104 段  等において、粉々に完摧してある」

「駄犬ら(妄犬マゴマゴも含む)は、これに対し、大聖人の御文を引き、
 上記の当方の論証に対して、未だ教義的に全く反論できていない」
 のだから、
「上記で示した当方の論証に対して、道理・文証双方を以って、
 正当に反駁・反論・反証して見せたまえ。」
 である

「さ、「無限ループ」と言うのであれば、自分等の妄想による難癖ではなく
 歴とした文証と道理を挙げて反証して見せたまえ。
 もし、以後、”正当な文証・道理を以って”反駁出来ない場合は、
 この件は駄犬らの妄説による言いがかりと認め、
 正式に謝罪し、承服したことを宣言したまえ。」

もはや、相手を罵るしか術のないクズいぬと訳わからん論師マグマグ、
ガンバレよ(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)

 

お知らせ 2  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:12月20日(水)23時11分54秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

73氏の妄犬マゴマゴへの破折が実に的確で大いに笑えたので、以下にマゴマゴ君の何とも奇妙な投稿と共に、UPさせていただきました。

http://toyoda.tv/magomago.htm

今後ともこのような正鵠を得た呵責文、宜しくお願い致します。

 

やまいぬ。君の駄問を完摧す。146  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:12月22日(金)15時26分28秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

さて、出ました。
前から、徹底的に破折して置きたかった、箇所。
―――――――――――
> 久遠元初の三宝否定。(^o^) 坊や、堕ちるところまで堕ちたな。(^o^)
―――――――――――
この「久遠元初の三宝」これについて、駄犬の大矛盾を突く。
かつて駄犬はこう言った。

―――――――――――
▼あのねぇ樋田くん? ※1「久遠元初の三宝とは絶対信の対象」だよねぇ?
その絶対信の対象たる蓮祖・興師の文引っ張らないでどうするのだね、坊や?(^o^)
何度も書く。文証挙げたいなら蓮祖・興師の御文を挙げんか。(^o^)

上記した堀日亨上人と同じだ。
※2「寛師とて現実にどれだけ広宣流布を進めたのだね?」
「一閻浮提総与」と蓮祖が仰せであり、そうして一切衆生救済のためにこそ御本尊を
顕された※3「蓮祖の思いを実現できなかった人間の講釈など無用だよ。」
「戒壇の大御本尊様こそ根源」だと主張したいのだろう?
ならば「※4「蓮祖・興師の言で充分可能だわなぁ?」 はいどーぞ。(^o^)
―――――――――――
→この駄犬の※1 2 3 4 の主張を整頓すると

→絶対信の対象 は
→久遠元初の三宝 であるから
→蓮祖・の興師文証のみしか信じれない。用いない。
→他の御歴代法主上人の言は信じない。他者が依用しても用いない。
→その中には当然、日寛上人・日亨上人も含まれる。

ところが、である。

1、※1「久遠元初の三宝」なる表現は常に駄犬が拘る「蓮祖・興師の文証」には存在しない。
(当方の知る限りであるから、もしあるのなら提示してくれたまえ。素直に不勉強を詫びよう。だが、まず無理である。無いんだから。呵々大笑。)

2、この※1「久遠元初の三宝」との語と概念は、駄犬が※3※4と侮蔑する日寛上人の御指南に於いて初めて出現するのである。
(当然、この教義信条は上古からの文献に垣間見ることはできるが、こうして明確に体系的に表示されたのは日寛上人が初めてである。)
中でも駄犬が根拠にしたい箇所はここであろう。

当流行事抄
■『久遠元初の仏宝豈異人ならんや、即ち是れ蓮祖大聖人なり。(中略)
久遠元初の法宝とは、即ち是れ本門の大本尊是れなり。(←ここは、駄犬には都合があまり良くない箇所であるが。呵々)
(中略)
※5『久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり。』

中でも特に拘りたいところは※5「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」であり、日興上人以外の御歴代上人を無視する根拠としたいのである。

3、だが、この※5「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」との内容表現は「蓮祖・興師の文証」には皆無である。
御書には、僧宝の総括的な定義はあるが、それが、”日興上人そのものである。”とは全く明示されてない。
日興上人御自らも「我は、久遠元初の僧宝である」などと、大々的に仰せになられていないのである。

4、ここに駄犬の大いなる自己矛盾・論理破綻が炸裂する。呵々大笑

先ほどの駄犬の主張の図を再度点検してみよう。

→絶対信の対象
→@久遠元初の三宝 であるから
→A蓮祖・の興師文証のみしか信じない。用いない。
→他の御歴代法主上人の言は信じない。他者が依用しても用いない。
→その中には当然、B日寛上人・日亨上人も含まれる。
→ところが、駄犬がAとした根拠である@「久遠元初の三宝」との御指南は、駄犬が信じない、用いないと軽侮したBの日寛上人の御指南なのである。
→しかし、駄犬はAであり、「蓮祖・興師の文証」しか、用いないはずである。
→でも、そのA「蓮祖・興師の文証」しか用いないとする根拠の「文証」は駄犬が信じないはずの「蓮祖・興師」以外のB日寛上人の「文証」なのである。・・・・・・

呵々大笑。

当方は別に「循環論法」とやらに興味関心はない。
が、この駄犬の「大矛盾の無限ループ」は、どうしたら解けるのか?
さ、駄犬、この矛盾を「蓮祖・興師の文証のみ」で論理明快に解いて見せてくれたまえ。呵々大笑
できなければ、公式に謝罪して脱会は無理だろうから、せめて、
「自分が今まで書いてきた物は全て邪義でした。反論不能です。二度とこの板に来ません。ネット上でも悪さは致しません。どうぞお許し下さい。」
くらいの詫び状を書け。いいな。(-。-)y-゜゜゜

どうせ、道理・文証に則った反論は不可能なのだから、いつまでもみっともなく足掻いていないで、いい加減、きちんと謝罪して、詫びをいれたらどうだ?呵々大笑。
駄犬サイドのお仲間のはずの”セコンド”連中も、駄犬へは面と向かってはなかなか言えないが、(だから当方へ、もう止めた方がいいんじゃない?などと遠まわしに言ってくるのだろうが。呵々)これ以上駄犬が足掻いていると創価学会の面汚しになるから、いい加減止めて欲しいと思っているんじゃないのか?呵々大笑。
せいぜい、味方からタオル投げ込まれないうちに、潔く土下座して全面降伏したら?
もし、駄犬がまだ当板で往生際悪く、足掻き燻り続けるのなら、以前の駄犬の恥論が山ほどあるので、それを全て突き崩し、”標本”として晒しものにしていくだけである。
素材は大量にある。
駄犬は恥を更に募らせるだけである。
もし、それが耐えられないのなら、駄犬が詫び状を書いて降伏するならば、武士の情けでその大量の恥論を暴くのを留めてあげよう。
どちらでも、好きなほうを選びたまえ。
当方には駄犬に比べて相当量の自由な時間があるので、駄犬の痴難を劈いていくことなど、さほど苦痛ではない。

さ、駄犬がどっちを選ぶのか、実に楽しみである。呵々大笑

 

あれっ!?今度は、、、Re: やまいぬ。君の駄問を完摧す。146  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月22日(金)22時52分49秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

> さて、出ました。
> 前から、徹底的に破折して置きたかった、箇所。

> 1、※1「久遠元初の三宝」なる表現は常に駄犬が拘る「蓮祖・興師の文証」には存在しない。
> (当方の知る限りであるから、もしあるのなら提示してくれたまえ。素直に不勉強を詫びよう。だが、まず無理である。無いんだから。呵々大笑。)


あれ、あれ、あれ、、爆笑!!!

今頃になって急に謙虚になられても、ねぇ、、、。

つまり今度は寛師も正面から否定なさるって言うことですね、樋田さんの教学では、、、爆笑!!!

 

 

↓寛師はちゃんと論証なさっておられます、、、Re: あれっ!?今度は、、、Re: やまいぬ。君の駄問を完摧す。146  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月22日(金)22時56分7秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

時代は江戸時代ですが、ね。。。

> > 1、※1「久遠元初の三宝」なる表現は常に駄犬が拘る「蓮祖・興師の文証」には存在しない。
> > (当方の知る限りであるから、もしあるのなら提示してくれたまえ。素直に不勉強を詫びよう。だが、まず無理である。無いんだから。呵々大笑。)

↑この人は、寛師もお信じなられないのでしょうか?出張マグマグ

 

バカなマグマグ殿  投稿者:73  投稿日:12月22日(金)23時17分24秒 p2199-ipbf403hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

  引用

 

 

樋田氏は
>「蓮祖・興師の文証」には存在しない。
と言われているのでないのか?

>この人は、寛師もお信じなられないのでしょうか?
      ↑ ↑ ↑

どう読めば、こんな言葉が出てくるんだ? バカ丸出しだな。爆笑!!!

 

73さま、よ〜くお読みになって、、、  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月22日(金)23時36分3秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

ご覧なさいね、原文を、ね、、、。出張マグマグ

 

↓もちろん!  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月22日(金)23時37分21秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

管理人樋田さまの「原文=オリジナルの部分」を、ですよ、、、爆笑!出張マグマグ

 

73さま、、、  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月22日(金)23時48分22秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

もう少しヒントを差し上げましょう、、、

今日はこの人↓(樋田さん)、樋田教学上(≒現日蓮正宗教学上)、
致命的な誤りを犯しました。。。出張マグマグ

 

ほととぎすさま、、、Re: 常に謀を意識。  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月22日(金)23時52分43秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

> 謀略マゴマゴくんは、もっと頭がイイだろうに。
>
> 頭のワルいフリしちゃ駄目だよ。
>
> ま・謀略が仕事だから仕方ないか。(笑)


ほととぎすさま

私は頭の良し悪しよりも、信心が大事だと思います。

で、信心もないのに↓今現在の貴宗の教義に逸脱するこの人のには、

どのような謀略(?笑)でもふっかけます。。。ふっかける?爆笑、、、。

ともかくもご論評には感謝申し上げます。。。出張マグマグ

 

女の腐ったようなマグマグ殿  投稿者:73  投稿日:12月23日(土)00時37分28秒 p2199-ipbf403hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

  引用

 

 

君と論文と同様、
君の書き込みはホントわかりにくい  (〃^∇^)o_彡☆

はっきりと反論したらどうだい?
何も問題もないのに、さもあるような書き方が
謀略板責任者のやり口なのはとっくにわかっているが、
正々堂々と反論しろっつーの。

ほんと、はっきりしない男だわ。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。10 祝10回!久しぶり!  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:12月23日(土)00時51分11秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

73氏と全く同感である。

では妄犬マゴマゴに筆者当人から訊こう。
一体、当方の146段のどこで、日寛上人を否定しているのか。
明快に回答せよ。

明確に当該箇所を明示できない場合は、またその内容が論旨不明瞭な場合は、正式に謝罪せよ。
ではお仲間の駄犬に擬し、期限を決める。

23日〜24日の深夜0時まで。

では、よろしく。

 

ご自分でお考え下さいませ。。。Re: しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。10 祝10回!久しぶり!  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月23日(土)17時04分40秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

> 73氏と全く同感である。
>
> では妄犬マゴマゴに筆者当人から訊こう。
> 一体、当方の146段のどこで、日寛上人を否定しているのか。
> 明快に回答せよ。
>
> 明確に当該箇所を明示できない場合は、またその内容が論旨不明瞭な場合は、正式に謝罪せよ。
> ではお仲間の駄犬に擬し、期限を決める。
>
> 23日〜24日の深夜0時まで。
>
> では、よろしく。


管理人樋田さま

まあ、それくらいはご自分でお考え下さいませ。。。ヤレヤレヽ(~〜~ )ノ

いずれにせよあなた様ご自身がお書きのことです。。。ヤレヤレヽ(~〜~ )ノ

何度もお読みになればいつかはお分かりになりましょう。。。ヤレヤレヽ(~〜~ )ノ 出張マグマグ

 

マグマグはホントわかりやすい(〃^∇^)  投稿者:73  投稿日:12月23日(土)22時35分47秒 p2199-ipbf403hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

  引用

 

 

訳ワカラン論文を書く割には・・・(〃^∇^)


しかしそれにしても、仮にも(謀略板だけど)、
板を背負っている者が書き込む内容ではない。

しかし、それにしても、
マグマグは誠にわかりやすい(〃^∇^)o_彡☆

だがしかし、
仮にも(謀略板だけど)、
板を背負っている者の書き込む内容とは思えない。

だけれども、
マグマグは実にわかりやすい(〃^∇^)o_彡☆
が、
責任的立場にある一人の人間としての資質は
疑問である。

まことにあやふやな卑怯な男、マグマグ。
Fボーイ板の責任者なり。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。11  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:12月25日(月)22時38分48秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

ご報告

23日に御本尊下付が決成致しました。
これも皆様のお陰です。
支部の目標も達成したし、何とか気持ちよく今年を締め括れそうです。
みなさま、本当にありがとうございました。

で、
―――――――――――
警告

出張マグマグ (IP=west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp(202.224.139.89)) なる者へ。


貴殿は、当方への根拠の無い誹謗記事を断定的に投稿掲載した。
当方は、その謂れ無き中傷記事内容について、その教義的な根拠を期限付きで問質した。

しかし、貴殿からは期限の過ぎた今に至るまで、明確な回答が無い。
つまり、当方を誹謗するその教義的な根拠を提示できないでいる。
これは、実名で当板を管理する当方への名誉毀損等を形成する可能性がある。
再度、詰問し、警告する。

@27日午前0時までに、以下の如く当方を誹謗中傷したその教義的な根拠を明示せよ。

Aそれが不可能な場合は、当方が提示する以下の正式な謝罪文(今回は草案であり、修正の可能性あり)に同意し、貴殿の意思として投稿し当方に謝罪せよ。

謝罪文(草案)

★「私ことHN「出張マグマグ」は、樋田昌志氏に対して、教義的な根拠も無く、不当に誹謗中傷したことを認めます。
大変、申し訳ありませんでした。
もう、二度と貴殿を誹謗中傷致しません。
貴板へも、二度と中傷投稿を致しません。
ですから、どうかお許し下さい。
宜しくお願い致します。出張マグマグ」

■教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜という。

出張マグマグ君、この御文に恥じない言動を期待する。

以下、今までの経緯を簡略に掲載、読者の理解の便とする。
―――――――――――
1 http://toyoda.tv/yamainu2.htm     146段 について「出張マグマグ」なる者が横から、言い掛かりをつけて来る。

> つまり今度は※1「寛師も正面から否定なさる』って言うことですね、樋田さんの教学では、、、爆笑!!!

> この人は、※2「寛師もお信じなられない」のでしょうか?出張マグマグ
―――――――――――
2、それについて、73氏が、当方が反駁したかった内容の通りの反詰をして下さる。

→『樋田氏は

>「蓮祖・興師の文証」には存在しない。

と言われているのでないのか?

>この人は、寛師もお信じなられないのでしょうか?
      ↑ ↑ ↑
どう読めば、こんな言葉が出てくるんだ? バカ丸出しだな。爆笑!!!』
―――――――――――
3、それに対してての出張マグマグ君の返答(らしきもの)

> ご覧なさいね、原文を、ね、、、。出張マグマグ

▼もちろん  管理人樋田さまの「原文=オリジナルの部分」を、ですよ、、、爆笑!出張マグマグ
―――――――――――
▼もう少しヒントを差し上げましょう、、、

今日はこの人↓(樋田さん)、※3「樋田教学上(≒現日蓮正宗教学上)、
致命的な誤りを犯しました」。。。出張マグマグ
―――――――――――
4、一方ほととぎす氏の反問に対して以下の書き込み

▼ほととぎすさま

私は頭の良し悪しよりも、信心が大事だと思います。
で、※4「信心もないのに↓今現在の貴宗の教義に逸脱するこの人」(※当方のこと)の(←※ママ)には、
どのような謀略(?笑)でもふっかけます。。。ふっかける?爆笑、、、。
―――――――――――
5、ここで、当方は以上の経緯を踏まえ出張マグマグ君へ詰問する。

●『73氏と全く同感である。

では妄犬マゴマゴに筆者当人から訊こう。
一体、当方の146段のどこで、日寛上人を否定しているのか。
明快に回答せよ。

明確に当該箇所を明示できない場合は、またその内容が論旨不明瞭な場合は、正式に謝罪せよ。
ではお仲間の駄犬に擬し、期限を決める。

23日〜24日の深夜0時まで。
では、よろしく。』
―――――――――――
6、これに対しての出張マグマグ君の返答(らしきもの)である。

▼管理人樋田さま

※5「まあ、それくらいはご自分でお考え下さいませ。。。ヤレヤレヽ(~〜~ )ノ

いずれにせよあなた様ご自身がお書きのことです。。。ヤレヤレヽ(~〜~ )ノ

何度もお読みになればいつかはお分かりになりましょう。。。ヤレヤレヽ(~〜~ )ノ 」
出張マグマグ

―――――――――――
7、以上の経緯から、出張マグマグ君は当方が、

※6『日寛上人を信じない(※2)で、日寛上人を正面から否定する(※1)、日蓮正宗の教学上において致命的な誤りを犯した(※3)、信心のない(※4)人間である。』

と断定していることは、明白である。

しかし、当方がその根拠の提示を求めたことに対する答えが

▼「自分で書いたのだから、自分で考えろ。(※5)」

という、まことに卑怯極まりない言い逃れである。
自らが人を明確に誹謗しておいて、その根拠すら明示できず、それを追求されると、見苦しい言い逃れをして遁走する、まことに愚劣・狡猾・悪辣・卑怯・卑劣・おまけに臆病・弱虫な者である。

さ、出張マグマグ君、今度こそ、少しは”人間”らしく、”成人男性”らしく(って本当に男性かどうか知らないが・・・呵々大笑)、堂々と、潔く振舞ったら如何か?
道は二つ。
@当方が※6であるということを教義的に証明するか、
A上記謝罪文(草稿であるから若干の修正あり)を貴殿の名で投稿し、当方へ土下座して詫びるか。

あとほぼ丸一日、熟考したまえ。

 

管理人樋田さま、お答え申し上げます、、、Re: しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。11  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月25日(月)22時54分21秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

> ※6『日寛上人を信じない(※2)で、日寛上人を正面から否定する(※1)、日蓮正宗の教学上において致命的な誤りを犯した(※3)、信心のない(※4)人間である。』
>
> と断定していることは、明白である。
>
> しかし、当方がその根拠の提示を求めたことに対する答えが
>
> ▼「自分で書いたのだから、自分で考えろ。(※5)」
>
> という、まことに卑怯極まりない言い逃れである。
> 自らが人を明確に誹謗しておいて、その根拠すら明示できず、それを追求されると、見苦しい言い逃れをして遁走する、まことに愚劣・狡猾・悪辣・卑怯・卑劣・おまけに臆病・弱虫な者である。
>
> さ、出張マグマグ君、今度こそ、少しは”人間”らしく、”成人男性”らしく(って本当に男性かどうか知らないが・・・呵々大笑)、堂々と、潔く振舞ったら如何か?
> 道は二つ。
> @当方が※6であるということを教義的に証明するか、
> A上記謝罪文(草稿であるから若干の修正あり)を貴殿の名で投稿し、当方へ土下座して詫びるか。
>
> あとほぼ丸一日、熟考したまえ。


管理人樋田さま

すべてご想像におまかせ致します。どうとでもお思い下さって結構でございます。

私はご提起の @ も A も 選択致しませんので、ご貴殿さまのご勝手のままで結構ですし、

これらを私が一つひとつ熟考して回答申し上げる必要もないと存じますので、あしからずご承知置き下さいませ。

以上、お答え申し上げます。出張マグマグ

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。12  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:12月26日(火)00時33分20秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

妄犬マゴマゴ君が、素直に当方の提示事項に従うはずのないことなど先刻承知の上である。呵々大笑
まっ、しかし、いつも、さも良識人ぶって、高邁・高潔そうなことのたまっていらっしゃるが(呵々)、所詮この程度↓の※1「人間」ってことですね。
いや、

■教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜という。

この御文からすれば、

■はかなきを畜という。

であり、この場合の「はかなき」とは、「賢き」 との対比であるから、「愚か」 という意味合いと拝するのであるが、この「愚か」とは 道理に暝い、道理が分からない、筋道が通った思考が出来ない、との意味であるから、まさにニセ本尊などに「同盟題目」など続けていると、このような、人を根拠なく誹謗中傷しておいて、その証拠を提示も出来ないくせに、謝罪もしない、このような非常識極まりない、自己中心的な人格と成り果て、つまりは畜生のような境涯に堕すのである。
妄犬マゴマゴ君はまさにこのような、世の中の筋道が全く分からなくなるという、やはりよき標本である。

また、「はかない」には他に、

何のかいもない。無益だ。
大したものでない。取り立てるほどのものでない。
思慮・分別が十分でない。愚かだ。
みすぼらしい。卑しい。

等の意味合いもある。

今回の妄犬マゴマゴ君の”振る舞い”はまさに、

■はかなきを畜という。

との御指南の如くの言動であろう。

であるから、※1どころか、妄犬マゴマゴ君は人間以下、人間未満、 人間の皮を被った畜生の境涯、ということである。

今回もまた、このように創価学会にたとえ数年でも在籍すると、斯く 姑息・卑怯・卑劣・厚顔無恥・自己慢・自己中・等の人格が形成されるという、実験証明の生きたサンプルが採取出来たと言えよう。
これを読む方々も身近の創価学会員の振る舞いを想起して、この妄犬マゴマゴ君の言動と大いに重なることがあるのではないだろうか。
その、自分の盲信を唯一の根拠として、正しい道理も筋道もひたすら無視し猛進する独善性こそが、創価学会独特の害毒の大きな特徴である。
そのような歪んだ人格の者達が創価学会員としてこの世に多数存在していることは、実に恐ろしいことなのである。
この精神が変曲した人間達はその傾向性が昂じるところ、潜在的な、あるいはまた顕在化した狂気を生み、その人心の荒廃から、重大事故や、凶悪犯罪、不正、汚職・・・等々が多発していく社会相となっていくのである。
そして、立正安国論の原理からすれば、そのような者達が日本全国に多数存在するとその荒廃した精神作用が国土世間にも影響を与え、地震・台風・異常気象・等の自然現象までも誘発し招来してくるのである。

読者のかたがたには創価学会員、妄犬マゴマゴ君の今回の虚言・妄言・妄動を熟読せられ、創価学会の有害性を深く感じていただければ幸いである。

 

 

拝啓 マグマグ殿  投稿者:73  投稿日:12月26日(火)01時03分8秒 p2199-ipbf403hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

  引用

 

 

貴殿の日本語が無茶苦茶なので、一筆ご指摘申し上げる。

>管理人樋田さま

正式な文書に「さま」はない。これほど理不尽な事をしておいて、なおも馬鹿にしている。感じ悪い。

>すべてご想像におまかせ致します。どうとでもお思い下さって結構でございます。

自分の書いたものに対して、
「すべてご想像におまかせ致します」もないだろう。
問うているのであるから、説明するか、非があれば撤回するか、
合わせて潔く謝罪するのが筋であろう。
「どうとでもお思い下さって結構でございます」。
既に、とっくの昔にマグマグなる男は卑怯な人間であると思っている。

>私はご提起の @ も A も 選択致しませんので、

卑怯ゆえ、選択しない。

>ご貴殿さまのご勝手のままで結構ですし、

日本語が無茶苦茶。「貴殿」自体が尊敬した言い方。故、そのまえに「ご」はいらん。
その上「さま」を付けている。前述の通り、「さま」は馬鹿にした書き方。
過剰の尊敬語と馬鹿にしたことばが混在。ふざけている。
それに、「ご勝手のままで結構」とは一体どんな日本語じゃ?

>これらを私が一つひとつ熟考して回答申し上げる必要もないと存じますので、

「熟考」するほどの問題ではない。説明するなり、撤回するなりすれば良いだけの話だ。
「回答申し上げる必要もない」とはどこまでも卑怯者の言い草である。

>あしからずご承知置き下さいませ。

日本語が無茶苦茶。この場合「ご承知置き下さい」は不適だろう。普通に
「ご承知ください」だろう。ケツに非がついているのに、置いてどーする。

>以上、お答え申し上げます。出張マグマグ

無茶苦茶な日本語で回答を申し上げて済まそうとするマグマグ殿、
もう少し、誠意ある日本語は書けないのかな〜?

 

????  投稿者:ロム読者  投稿日:12月26日(火)01時56分8秒 proxy163.docomo.ne.jp

  引用

 

 

【現日蓮正宗教学上致命的な誤りを犯した】のならば、そこを責めればよいのではないのか?

つまらないあげ足取るより効果的だと思うのは私だけではないと思いますが。

 

管理人樋田さま、、、Re: しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。12  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月26日(火)07時55分7秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

> 妄犬マゴマゴ君が、素直に当方の提示事項に従うはずのないことなど先刻承知の上である。呵々大笑
> まっ、しかし、いつも、さも良識人ぶって、高邁・高潔そうなことのたまっていらっしゃるが(呵々)、所詮この程度↓の※1「人間」ってことですね。

> 読者のかたがたには創価学会員、妄犬マゴマゴ君の今回の虚言・妄言・妄動を熟読せられ、創価学会の有害性を深く感じていただければ幸いである。


管理人樋田さま

↑ええ、この調子、この調子!

こうでなければ寛師否定の「無限ループ」「永久等号」の『樋田教学』ではないでしょうね。。。

これからもずーっとどんどん、どしどしお書き下さいませ。。。

もとよりこちらはご貴殿さま個人の掲示板ですしね。。。出張マグマグ

 

ああ、なるほどなるほど、、、Re: 拝啓 マグマグ殿  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月26日(火)07時59分57秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

>  正式な文書に「さま」はない。これほど理不尽な事をしておいて、なおも馬鹿にしている。感じ悪い。

> 日本語が無茶苦茶。「貴殿」自体が尊敬した言い方。故、そのまえに「ご」はいらん。
> その上「さま」を付けている。前述の通り、「さま」は馬鹿にした書き方。
> 過剰の尊敬語と馬鹿にしたことばが混在。ふざけている。


つ・ま・り、ご尊父さま、ご母堂さまをはじめ、

何とか上人猊下さま、ご隠尊さま、ご尊師さまも、み〜んな馬鹿げたことば、

その人のことを馬鹿にした言葉なのですね。。。了解!出張マグマグ

 

逆に???、、、Re: ????  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月26日(火)08時07分25秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

> 【現日蓮正宗教学上致命的な誤りを犯した】のならば、そこを責めればよいのではないのか?
>
> つまらないあげ足取るより効果的だと思うのは私だけではないと思いますが。


これだけ何でもご存じの方なのですよ、、、。

何がどう正しくて、何がどう間違っているのかはご本人さまが一番ご存じのことでしょう、、、。

教学、信心の大家樋田さまに対して逆に失礼になるのでは?

いずれにせよあなたがご心配になることではございませんですよ。

黙ってご覧になっていれば、どんどん、どしどしお書きになりますよ。

樋田さまの完全無欠の正しいお考え、正しい教学、正しい信心指導を、、、。出張マグマグ

 

【研究報告=大論客樋田氏は何を題材として何を論証するのか?―――樋田教学理論の本年末最後の(?)案例に対する答え、笑】  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月26日(火)21時58分12秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

もう暮で皆様もご多忙だし、余計なことを書いてお叱りを受けるのもイヤなのですが、、、笑。。。そう思っていると今日(06年12月26日)の夕方、読者のお一人からメールを頂戴し「どうせ大した問題でもないから、早く答えを書いてやれ〜!」との後押しを受け(笑)、また阿部先輩がお書きの『ア法華メビウスの輪論法』の一つのご参考に供すべく、、、(←いつまでも本題に入らない、笑)書かせて頂きますです、ハイ。。。


【とっても簡単・早分かりシリーズ<樋田さんの寛師否定、直近の案例>(06年12月26日)】

※下の引用箇所はア法華大論客樋田さんの12月22日の同一書き込みからすべて抜粋したもの。


◇その一

「久遠元初の三宝」なる表現は常に駄犬が拘る「蓮祖・興師の文証」には存在しない。(当方の知る限りであるから、もしあるのなら提示してくれたまえ。素直に不勉強を詫びよう。だが、まず無理である。無いんだから。呵々大笑。)

―――読者諸賢はよ〜くご確認下さいませ。ポイントは「無いんだから」の一言です、、、笑。


◇その二

この※1「久遠元初の三宝」との語と概念は、駄犬が※3※4と侮蔑する日寛上人の御指南に於いて初めて出現するのである。(当然、この教義信条は上古からの文献に垣間見ることはできるが、こうして明確に体系的に表示されたのは日寛上人が初めてである。)

―――上のその一と同様にポイントは「明確に体系的に表示されたのは日寛上人が初めてである」の部分です、、、笑。


◇その三

だが、この※5「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」との内容表現は「蓮祖・興師の文証」には皆無である。御書には、僧宝の総括的な定義はあるが、それが、”日興上人そのものである。”とは全く明示されてない。日興上人御自らも「我は、久遠元初の僧宝である」などと、大々的に仰せになられていないのである。

―――はい、これで最後です。で、ここでのポイントは引用されている「寛師の当流行事抄」です、、、笑


◇以上、その一、その二、その三はそれぞれ誤った記述です。

一、『ない!』と思い込み、言い切っているのは樋田氏である。少なくとも「日蓮正宗教学」では『ある!』が正解。詳細は下の三をご参照あれ。

二、ここは完全な間違いと言い難いが、解釈の表現としては誤っている。「このように、日寛上人の教学は奥行と間口ともに膨大のため、日蓮正宗の教学はさながら日寛上人によって創作されたようなことを他門で論ずるが、これはかなりの近視眼的な見方であって、富士教学の淵源に暗昧な証拠である。日寛上人の教学論中のどの部分をとって見ても、富士門家の伝統を脱し、先師・先哲に反する発明教学はありえない。表現上の相違や、先師がいい残された部分を時に従って開陳されたのみである。(「日蓮正宗要義」改訂版287〜288頁)」とある通り、氏が言うように『初めて出現する』とか『明確に体系化したのは初めてである(趣意)』と同宗では言わない。実際の歴史において体系化は上代から始まっており、それらによって興門は分裂したとも言える。ともあれ氏のように「見て来たように」言い切ってはいけない。

三、最も大きな問題はこの部分である。寛師はどの著作においても典拠をはっきりと示している。ここで問題の「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」の原文を丁寧に読めばその典拠が当然蓮祖にあることは明瞭である。即ち、

―――(「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」の続き)仏恩甚深にして法恩も無量なり、然りと雖も若し之を伝へずんば則末代今時の我等衆生曷んぞ此大法を信受することを得んや、豈開山上人の結要伝授の功に非ずや然ば則末法出現の三宝は其体最明なり宜く之を敬信して仏種を植ゆべし云云。

―――(次の段で「開山上人結要伝授の功」を明かして)吾開山上人は智は先師に等く徳は諸弟に超えたり、故に塔中伝授の秘要を附して本門弘通の大導師と称し末法万年の総貫首と定め二箇の相承を授けて延山の補処と為す、文証現証了々分明なり汝等智有ん者此に於て疑を生ずること勿れ云云。(以上引用箇所、富要第三巻214〜215頁)

つまり寛師は「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」の典拠を「二箇相承」であるとし、氏が至極部分的に扱っている「当流行事抄」にはそれが明確に示されている。

故に、同宗がよく引用する石山五十六世日応は「二箇相承(その内の一期弘法付嘱書)」の内容にそって次のように書き残している。

―――日蓮とは仏宝なり、一期弘法とは法宝なり、本門弘通の大導師とは僧宝なり、斯くの如く三大秘法の上に下種の三宝を確立し之を信敬すべしと遺し玉へり(弁惑観心抄二〇四)

この「二箇相承」そのものは御書全集1600頁に掲載されている。ご興味の向きはご参照下さりたい。


◇まとめにかえて、、、つまりこれが答え、、、笑。。。

@原著が早くも上代に紛失され、それらが蓮祖御親撰(御真撰)であるかどうかはこの際別にして、またここではこの「二箇相承」を採用するかどうかも実は問題でない。同宗ではこれらによって宗義が立てられ、宗是が確定し、教義の核心部分もこれらによって成立していると見て間違いない。つまり誰にも有無を言わさず「二箇相承」が採用されているのである。

A寛師は主著の一つである「六巻抄」の各処でこれらを引用し、石山の正統性を宣揚している。当然師においてはこれらが「真撰(親撰)」であると考えられており、自山の法灯(法統)を証明する重要文献として引用し、この段の最後で「汝等智有ん者此に於て疑を生ずること勿れ」とまで誡めている。いわんや、更に後代の日応においてをや、である。

B因みに氏の思い込み、勘違いとはまったく別に(正反対に)、創価学会は本日2006年12月26日現在、「二箇相承」も「戒壇大本尊」も「寛師」も「六巻抄」も否定していない。つまり氏はここに取りあげた上掲の一、二、三の三つ共に日蓮正宗とも創価学会とも異なる教義理解、解釈を行い、寛師の「汝等智有ん者此に於て疑を生ずること勿れ」にも従わない模様である。良くも悪くも、氏は本当に日蓮正宗の信徒なのであろうか?出張マグマグ

 

マグマグはホント、頭悪いわ(〃^∇^)o_彡☆  投稿者:73  投稿日:12月26日(火)23時14分2秒 p2199-ipbf403hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> >  正式な文書に「さま」はない。これほど理不尽な事をしておいて、なおも馬鹿にしている。感じ悪い。

>> 日本語が無茶苦茶。「貴殿」自体が尊敬した言い方。故、そのまえに「ご」はいらん。
>> その上「さま」を付けている。前述の通り、「さま」は馬鹿にした書き方。
>> 過剰の尊敬語と馬鹿にしたことばが混在。ふざけている。


>つ・ま・り、ご尊父さま、ご母堂さまをはじめ、

>何とか上人猊下さま、ご隠尊さま、ご尊師さまも、み〜んな馬鹿げたことば、

>その人のことを馬鹿にした言葉なのですね。。。了解!出張マグマグ


書いてくるとは思ったけど、まさかホントに書いてくるとはな。(〃^∇^)

大聖人様より唯授一人血脈相承で連なる御歴代上人様に、
尊称のつけすぎはないのだよ。
「ご貴殿さま」のような馬鹿げた使い方とはわけが違うということね。

ところで、 君達は大作のこと「池田先生」と呼んでいるけど、
創価の認識ではみな平等なので、尊称抜きの「池田」と呼び捨てでいいんじゃないのか?
「先生」ってことはないだろ。


それと、なんかクドクド書き込みしているけど、
話の本質が全くわかっていないのじゃないのか。

余計なことでしゃばりかも知れないけど、
「久遠元初の三宝」という用語は「蓮祖・興師の文」にない(はず)
と言われているだけの話で、
やまいぬは以前より日寛上人のことを悪し様に言っていることから、
日寛上人の文証を引用しても納得しないやまいぬゆえ、
こんな話になっているのだよ。と思う。

やまいぬの一つ覚えは
「蓮祖・興師の文証」だからね。

それがどーして、
「この人は、寛師もお信じなられないのでしょうか?出張マグマグ」

なるのか、という話だ。
だから、
君がどこかから持ってきた話はどーでもいいんだよね。(〃^∇^)o_彡☆

 

マゴマゴくん、また謀略投稿かい?  投稿者:ほととぎす  投稿日:12月26日(火)23時21分24秒 zaq3d2e0c4e.zaq.ne.jp

  引用

 

 

マゴマゴくん、またまたワザと誤謬を犯しているワケですか?
もうマゴマゴくんたらっ!ワカッてるくせに!(笑)

じゃカンタンにいくね。やまいぬくんがシツコク↓こう言ってるよね?

>文証挙げたいなら蓮祖・興師の御文を挙げんか。(^o^)
>文証挙げたいなら蓮祖・興師の御文を挙げんか。(^o^)
>文証挙げたいなら蓮祖・興師の御文を挙げんか。(^o^)

コレは↑やまいぬくん曰く『蓮祖・興師の文証以外は認めない』ってコトでしょが?

マゴマゴくんさ、樋田さんの

「やまいぬ。君の駄問を完摧す。146」

の主旨をワザとゴマカしたらいかんよ。この確信犯め!がぉぉーっ(笑)

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。13  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:12月26日(火)23時36分13秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

まるで”誰かに書いてもらったような”痴論がやっと投稿されてきた。呵々大笑
追い詰められた妄犬マゴマゴ君の”作品”ということらしいが、これまた足掻きに足掻いた駄論である。
では、この痴難を粉砕していきますか。
―――――――――――
> DATE: 12月26日(火)21時58分12秒
> TITLE: 【研究報告=大論客樋田氏は何を題材として何を論証するのか?―――樋田教学理論の本年末最後の(?)案例に対する答え、笑】
> NAME: 出張マグマグ  MAIL:
>
> もう暮で皆様もご多忙だし、余計なことを書いてお叱りを受けるのもイヤなのですが、、、笑。。。そう思っていると今日(06年12月26日)の夕方、読者のお一人からメールを頂戴し「どうせ大した問題でもないから、早く答えを書いてやれ〜!」との後押しを受け(笑)、また阿部先輩がお書きの『ア法華メビウスの輪論法』の一つのご参考に供すべく、、、(←いつまでも本題に入らない、笑)書かせて頂きますです、ハイ。。。
>
>
> 【とっても簡単・早分かりシリーズ<樋田さんの寛師否定、直近の案例>(06年12月26日)】
>
> ※下の引用箇所はア法華大論客樋田さんの12月22日の同一書き込みからすべて抜粋したもの。
>
>
> ◇その一
>
>★8『 「久遠元初の三宝」なる表現は常に駄犬が拘る「蓮祖・興師の文証」には存在しない。』(当方の知る限りであるから、もしあるのなら提示してくれたまえ。素直に不勉強を詫びよう。だが、まず無理である。無いんだから。呵々大笑。)
>
> ―――読者諸賢はよ〜くご確認下さいませ。ポイントは「無いんだから」の一言です、、、笑。
>
>
> ◇その二
>
> この※1「久遠元初の三宝」との語と概念は、駄犬が※3※4と侮蔑する日寛上人の御指南に於いて初めて出現するのである。(★2「当然、この教義信条は上古からの文献に垣間見ることはできるが、こうして明確に体系的に表示されたのは日寛上人が初めてである。」)
>
> ―――上のその一と同様にポイントは「明確に体系的に表示されたのは日寛上人が初めてである」の部分です、、、笑。
>
>
> ◇その三
>
> だが、この※5「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」との内容表現は「蓮祖・興師の文証」には皆無である。御書には、僧宝の総括的な定義はあるが、それが、”日興上人そのものである。”とは全く明示されてない。日興上人御自らも「我は、久遠元初の僧宝である」などと、大々的に仰せになられていないのである。
>
> ―――はい、これで最後です。で、ここでのポイントは引用されている「寛師の当流行事抄」です、、、笑
>
>
> ◇以上、その一、その二、その三はそれぞれ誤った記述です。
>
> 一、『ない!』と思い込み、言い切っているのは樋田氏である。少なくとも「日蓮正宗教学」では『ある!』が正解。詳細は下の三をご参照あれ。
>
> 二、ここは完全な間違いと言い難いが、解釈の表現としては誤っている。★1「このように、日寛上人の教学は奥行と間口ともに膨大のため、日蓮正宗の教学はさながら★7「日寛上人によって創作された」ようなことを他門で論ずるが、これはかなりの近視眼的な見方であって、富士教学の淵源に暗昧な証拠である。日寛上人の教学論中のどの部分をとって見ても、富士門家の伝統を脱し、先師・先哲に反する発明教学はありえない。表現上の相違や、先師がいい残された部分を時に従って開陳されたのみである。(「日蓮正宗要義」改訂版287〜288頁)」とある通り、氏が言うように『初めて出現する』とか『明確に体系化したのは初めてである(趣意)』と同宗では言わない。実際の歴史において体系化は上代から始まっており、それらによって興門は分裂したとも言える。ともあれ氏のように「見て来たように」言い切ってはいけない。
―――――――――――
→よく分かりやすくまとめてあるからそのまま使いまわすとしますか。呵々

しかし、内容は実に姑息な摩り替え・言い逃れである。

1、★1の「日蓮正宗要義」の引用文は、そのまま、当方が既に書いている★2と殆ど同義である。

当該文

★2「★4「当然、この教義信条は上古からの文献に垣間見ることはできる」が、★5「こうして明確に体系的に表示されたのは日寛上人が初めてである。」」

★1「このように、日寛上人の教学は奥行と間口ともに膨大のため、日蓮正宗の教学はさながら日寛上人によって創作されたようなことを他門で論ずるが、これはかなりの近視眼的な見方であって、富士教学の淵源に暗昧な証拠である。★3「日寛上人の教学論中のどの部分をとって見ても、富士門家の伝統を脱し、先師・先哲に反する発明教学はありえない。」★6「表現上の相違や、先師がいい残された部分を時に従って開陳されたのみである。」
―――――――――――
@ この当方の文★の2中の★4部分の意義はまさに、日蓮正宗要義の★3部分に相当する。
A 次に、当方の文★2の中の★5部分の意義はまさに、日蓮正宗要義の★6部分に相当する。

分かりやすく並列する。

@ 当方→★4「当然、この(→注 日寛上人の「久遠元初の三宝」との)教義信条は上古からの文献に垣間見ることはできる」
  日蓮正宗要義→★3「日寛上人の教学論中のどの部分をとって見ても、富士門家の伝統を脱し、先師・先哲に反する発明教学はありえない。」

この痴論を書いた者は、詳細まで態々説明しないと分からない馬鹿者らしいから纏めてみる。(馬鹿を相手にすると本当に骨が折れるものである。)
A=日蓮正宗要義
B=当方の主張

→A「日寛上人の教学論中のどの部分をとって見ても、」(※ ←例えば「久遠元初の三宝」にしてみても)A「富士門家の伝統を脱し、先師・先哲に反する発明教学はありえない。」のだから、B「当然、この(→注 日寛上人の「久遠元初の三宝」との)教義信条は上古からの文献に垣間見ることはできる」

となり、当方の主張Bと、日蓮正宗要義の当該文Aとの間には、整合性に全く問題がないのである。
―――――――――――
A 当方→★5「こうして明確に体系的に表示されたのは日寛上人が初めてである。」
  日蓮正宗要義→★6「表現上の相違や、先師がいい残された部分を時に従って開陳されたのみである。」

であり解説する必要など無いほど、当方の主張と日蓮正宗要義の内容とは同意である。
―――――――――――
その上で、当方はやまいぬ。君が「蓮祖・興師の文証」にのみ拘る矛盾を突く為に

★8『 「久遠元初の三宝」なる”表現”は常に駄犬が拘る「蓮祖・興師の文証」には存在しない。』
※1『「久遠元初の三宝」との”語”と”概念”は、駄犬が※3※4と侮蔑する日寛上人の御指南に於いて初めて出現するのである。』
※5『”「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」”との”内容表現”は「蓮祖・興師の文証」には皆無である。』

と摘示しているのであって、これはまさにこのまま真実である。
もし、これが違うというのなら、

「久遠元初の三宝」 という 『語』 と 『概念』 ”そのまま”を、「蓮祖・興師の文証」から挙げて反証しなくては、全く反論にならない。

因みに妄犬マゴマゴ君の姑息なすり替えを指弾しておこう。

当方は、

(「久遠元初の三宝」を指して)
●「こうして明確に”体系的に『表示』された”のは日寛上人が初めてである。」

と言っているのであって、

▼『明確に体系化したのは初めてである(趣意)』とは言っていない。

●「明確に”体系的に『表示』された”」と
▼「明確に体系化した」とでは全く意味が違ってくる。

●「”体系的に『表示』された”」だと、既に検証したように、日蓮正宗要義→★6「表現上の相違や、先師がいい残された部分を時に従って開陳されたのみである。」と全く齟齬が生じないが、
▼「体系化した」と限定して断定してしまえば、明らかに、★6との意義と矛盾が生じてくる。

これも、もし「そうではない」と、反論するのであれば、

「久遠元初の三宝」 という 『語』 と 『概念』 ”そのまま”を、「蓮祖・興師の文証」及び、上古からの御歴代上人の御指南から挙げて反証しなくては、全く反論にならない。

妄犬マゴマゴ君は、このようにこんな短いいくつかの文節しかない当方の主張を、”(趣意)”などと態とぼかして、陰湿に書き直して、実は当方の”趣意”でないことにすり替え、以って敢えて本来存在しない矛盾を捏造して当方を非難しているのである。
実に姑息で狡猾な下衆な根性である。

以下、つづく。

 

【質問!】管理人樋田さま、私の書き込みに対する、、、  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月27日(水)02時42分25秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

あなたの講釈などどうでもよいことです。

―――「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」との内容表現は「蓮祖・興師の文証」には皆無である。

と、あなたはお書きになった。

では、寛師は何を根拠に「久遠元初の僧宝は開山上人である」と書き残しておられるのですか?

あなたによると「蓮祖に文証はない」はずですが、、、?

あるのかないのかだけで結構です。簡潔にお示し下さい。出張マグマグ

 

沖浦先輩! Re: 樋田さん  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月27日(水)08時25分9秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

>  もうお止めなさい。
>
>  折角これほど立派なHPを立ち上げたんです。
>  もっと、価値的にお使いなさい。


沖浦様

お早うございます。いつも本当にご迷惑をおかけしております。。。

実は私にも重々分かっていることでして(笑)、
書かなければ色々と書かれますし、書いたらまた色々と書かれますし(笑)、
どちらにせよ、いずれ沖浦先輩が仰せの通り「勝他の念」が強いお方です。。。

自転車や独楽のように回転していないと倒れてしまう、、、。
それがこの方の場合は所謂「法論」と言う形となって現われている。。。

―――ああ「落下傘小隊」もありましたですね(笑)。。。

総じて「学会憎し!」のお方です。
ど〜んなにこの方が背伸びしても、逆立ちしてもかないっこない永遠の挑戦、、、。
それをご自身の身をもって示すことでご自身の励みとされている、、、。
結局はご自身の中にのみ存在する「無限ループ」「永久等号式」を活力源とされている模様です。

―――不完全燃焼で余り価値のない行為だと私も思いますです、ハイ。ヤレヤレヽ(~〜~ )ノ

そしてご迷惑をおかけしている責任の一端は私にもございます。。。
が、何分、この動き(氏の永遠の無駄な挑戦)は止まらない、止められないものでしょう。

今しばしのご寛容をなにとぞお願い申し上げます。<m(__)m>。。。出張マグマグ

 

マグマグ、がんば  投稿者:73  投稿日:12月27日(水)09時11分58秒 p2199-ipbf403hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

  引用

 

 

邪教の徒が邪義を述べる、それを破折する、当然である。

マグマググのように、遠まわしに、
また、誰かにヒントを与えているのかも知れないが(笑)
結局その与えられた低温畜生も訳がわからず(笑)
冬眠しちゃった状態の中で、
当人のマグマグが表舞台に出て、
正々堂々と対論すればよい。


>結局はご自身の中にのみ存在する「無限ループ」「永久等号式」を活力源とされている模様です。

別に活力源にされているとは思わない。これまでに回答された中で、
邪教徒に堕ちたマグマグが理解できないだけ。
「内証」に関する「文証」も挙げられ、理路整然と述べられている。
ある意味、マグマグややまいぬの造語(=策略・計略)の
「無限ループ」「永久等号」は当然である。
またある意味、等号は永久で当たり前だ。

樋田氏は「文証」を挙げて反証されているのだから、
「文証」を挙げて反証しなされ。

いずれにせよ、マグマグは表舞台に出てきた。
沖浦氏にみっともない事を書くように、
分かり易い言葉で徹底的に対論されよ。(〃^∇^)o_彡☆

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。14  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:12月27日(水)11時01分29秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

さて、妄犬マゴマゴ君が血迷って、なにやら実に幼稚な「質問」を発しているようだが、これから当方が破折する(昨晩も粉砕した)、それなりに教義的内容を含む痴論を”書いた同一人物とは思えない”ほどの、拙劣な内容と文章表現である。呵々。
思うに、妄犬マゴマゴ君は”何種類もの人間”が「マグマグ」というHM内に住み込む、多重人格者なのであろうか?呵々。
それとも、妄犬マゴマゴ君が他の”人格”を自らの”人格”へ必死に懇願して招き入れているのか?呵々大笑
で、その「質問!」とやらの恥言の粉砕は、余りに簡単なパズルで食指が伸びないので後回しにして、昨日の続きからいきますか。
やまいぬ。君がKOダウンしていて、このところ少々つまらなかったので、妄犬マゴマゴ君が”書いたらしき”痴論は、また破折トレーニングには適度な軽い内容で、実に有り難い。

では。
―――――――――――
> 三、最も大きな問題はこの部分である。寛師はどの著作においても典拠をはっきりと示している。ここで問題の「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」の原文を丁寧に読めばその典拠が当然蓮祖にあることは明瞭である。即ち、
>
> ―――(「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」の続き)仏恩甚深にして法恩も無量なり、然りと雖も若し之を伝へずんば則末代今時の我等衆生曷んぞ此大法を信受することを得んや、豈開山上人の結要伝授の功に非ずや然ば則末法出現の三宝は其体最明なり宜く之を敬信して仏種を植ゆべし云云。
>
> ―――(次の段で「開山上人結要伝授の功」を明かして)吾開山上人は智は先師に等く徳は諸弟に超えたり、故に塔中伝授の秘要を附して本門弘通の大導師と称し末法万年の総貫首と定め二箇の相承を授けて延山の補処と為す、文証現証了々分明なり汝等智有ん者此に於て疑を生ずること勿れ云云。(以上引用箇所、富要第三巻214〜215頁)
>
> ★1『つまり寛師は「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」の典拠を「二箇相承」であるとし、氏が至極部分的に扱っている「当流行事抄」にはそれが明確に示されている。』
―――――――――――
→この辺で区切りますか。

結論→全く反論に為っていない。実に的外れな痴難である。

当方は

●※5「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」との内容表現は「蓮祖・興師の文証」には皆無である。
★6『御書には、僧宝の総括的な定義はある』が、それが、”日興上人そのものである。”とは全く明示されてない。日興上人御自らも「我は、久遠元初の僧宝である」などと、大々的に仰せになられていないのである。

と摘示したのであり、これはそのまま真実である。
何ら錯誤はない。

論証

1、「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」との内容表現は「蓮祖・興師の文証」には皆無である。
→まさに、そのまま。その通りである。
もし、これを否定もしくは異議を主張するのであれば

→「蓮祖・興師の文証」内から「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」との明確な内容表現を摘示せよ。

これが出来ない限り、何をどのように解釈して見せても、今回の論題ではない。まさに”論外”である。呵々

2、@まず、★1の痴論の不備を糺す。

■「吾開山上人は智は先師に等く徳は諸弟に超えたり、★2『塔中伝受の秘要を付して』★3『本門弘通の大導師と称し、末法万年の総貫首と定め』、★4『二箇の相承を授けて』★5『延山の補処と為す』。」

この御指南では、@★2→★3   A★4→★5  というある種”対句”を構成している。
妄犬マゴマゴ君はまず、ここで実に単純な錯誤を犯している。まこと馬鹿 である。本当に無知である。(自分で”書いた”のだから文句は言えまい?呵々大笑)
★1で、妄犬マゴマゴ君説では、A にのみしか触れていない。片手落ちの不十分な解釈である。
そのような不備な解釈しかできぬ者(=妄犬マゴマゴ君)が当方を問難するには聊か”役不足”である。呵々
で、
★2とは、本因妙抄・百六箇抄等を指すと拝し、
★4とは、そのまま二箇相承のことである。

A しかして、この本因妙抄・百六箇抄等、また、二箇相承 にも、「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」との”表現”は皆無である。

今回の論題は、あくまで「蓮祖・興師の”文証”」に、「久遠元初の僧宝」とか、「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」とかの”そのものズバリ”の内容表現が存するかどうか。という論点である。
”義”に於いて存在するかどうかを論じている箇所ではない。
妄犬マゴマゴ君の中に現われた”別人格の者”は、妄犬マゴマゴ君に急に”呼ばれて”その流れを理解していないのではないか?呵々大笑

3、しかも、当方は既に、日寛上人の御指南の義に沿った表現をしている。
それが、★6『『御書には、僧宝の総括的な定義はある』 である。
これは、まさに日寛上人が

■塔中伝受の秘要を付して本門弘通の大導師と称し、末法万年の総貫首と定め、二箇の相承を授けて延山の補処と為す。文証現証了々分明なり。汝等智有らん者此に於て疑いを生ずること勿れ云々。

と示された内容と同義である。
どうせ、妄犬マゴマゴ君などの幼稚な者には予め釘を刺しておかないとまた血迷って妄動するが故に付言しておくが、ここに仰せの
■「文証現証了々分明なり。」とは、
■「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」との”義”を立証するべき
■「文証現証」が■「了々分明なり。」との意であり、
■「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」との”文”そのものが「本因妙抄・百六箇抄等」「二箇相承」に存在しないことは、まさに、文献上での明白は事実である。

以上、この段の痴難も全く反論に為っていない。
妄犬マゴマゴ君、顔を洗って出直してきたまえ。呵々大笑

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。15  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:12月27日(水)12時33分20秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

では、この妄犬マゴマゴ君が”書いたであろう”恥論の粉砕のつづきいきますか。
―――――――――――
> 故に、同宗がよく引用する石山五十六世日応は「二箇相承(その内の一期弘法付嘱書)」の内容にそって次のように書き残している。
>
> ―――日蓮とは仏宝なり、一期弘法とは法宝なり、本門弘通の大導師とは僧宝なり、斯くの如く三大秘法の上に下種の三宝を確立し之を信敬すべしと遺し玉へり(弁惑観心抄二〇四)
>
> この「二箇相承」そのものは御書全集1600頁に掲載されている。ご興味の向きはご参照下さりたい。
―――――――――――
→これは一体何を論証したくて引文したのか?
全く論旨不明である。

日応上人は56世であり、26世の日寛上人より後の御法主であり、その御指南に日寛上人の御指南の趣旨が含まれるのは当たり前の事である。これを以って、当方の主張、

●※5「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」との内容表現は「蓮祖・興師の文証」には皆無である。
御書には、僧宝の総括的な定義はあるが、それが、”日興上人そのものである。”とは全く明示されてない。日興上人御自らも「我は、久遠元初の僧宝である」などと、大々的に仰せになられていないのである。』

を、覆す反証には全くなっていない。
妄犬マゴマゴ君、実に迷乱の醜態である。呵々
妄犬マゴマゴ君の頭破七分ぶりをはっきりと示すよき事例がまた増えただけである。呵々大笑

 

管理人樋田さま、ああ、そうでしょうね、、、  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月27日(水)12時53分2秒 bflets-fm-osk-2-61.dsn.jp

  引用

 

 

つまり、文証はある、と言うことですね。

最初からそう仰せになればこ〜んなに無駄なお書き込みを頂戴せずとも済んだことでしょうに。。。

お認め下されば、私はそれはそれで結構なのです。

様々と枝葉末節にかかわるご薀蓄に対しても感謝申し上げます。有難うございました。出張マグマグ

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。16  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:12月27日(水)13時21分24秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

妄犬マゴマゴ君、実に稚拙な内容であった。
以下、一気に砕いちゃいますか。呵々
―――――――――――
> ◇まとめにかえて、、、つまりこれが答え、、、※1笑。。。
>
> @原著が早くも上代に紛失され、それらが蓮祖御親撰(御真撰)であるかどうかはこの際別にして、またここではこの「二箇相承」を採用するかどうかも実は問題でない。同宗ではこれらによって宗義が立てられ、宗是が確定し、教義の核心部分もこれらによって成立していると見て間違いない。つまり誰にも有無を言わさず「二箇相承」が採用されているのである。
>
> A寛師は主著の一つである「六巻抄」の各処でこれらを引用し、石山の正統性を宣揚している。当然師においてはこれらが「真撰(親撰)」であると考えられており、自山の法灯(法統)を証明する重要文献として引用し、この段の最後で「汝等智有ん者此に於て疑を生ずること勿れ」とまで誡めている。いわんや、更に後代の日応においてをや、である。
>
> B因みに氏の思い込み、勘違いとはまったく別に(正反対に)、★1『創価学会は本日2006年12月26日現在、「二箇相承」も「戒壇大本尊」も★2『「寛師」も「六巻抄」も否定』していない。』つまり氏はここに取りあげた上掲の一、二、三の三つ共に日蓮正宗とも★3『創価学会とも異なる教義理解、解釈を行』い、寛師の「汝等智有ん者此に於て疑を生ずること勿れ」にも従わない模様である。良くも悪くも、★4『氏は本当に日蓮正宗の信徒なのであろうか?出張マグマグ』
―――――――――――
1、※1←こんなところで笑えるとしたら、もはや狂人である。呵々大笑

2、しかし、今、しっかり読んで見たら、13,14段において既に完全に破折済みではないか。呵々

敢えて、↑これを書いた馬鹿(=妄犬マゴマゴ君)に分かるように言ってやるとすれば、

『二箇相承には、■「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」との内容表現は絶無である。
それ以上でも以下でもない。事実をそのまま摘示しただけの事である。』

■「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」との御指南は、日寛上人が本因妙抄・百六箇抄・二箇相承等(他にも多数)に説かれる僧宝”義”に依って、その”義”を体系化されて、初めて仰せ下された御”表現”であり、あくまで、「蓮祖・興師の文証」上には、発見できない御”表現”である。』

ここまで砕いて説明してやっても理解できないとすれば、もはやそれは良く言って「中学程度の国語的な学習能力の無い者」
悪い言えば 「馬鹿」 である。呵々大笑

3、さて、ここが笑えるところであるが、↑これを書いた者=妄犬マゴマゴ君は一体やまいぬ。君を庇う気持ちは全くないのであろうか?
げに、創価の同士とは冷たいものである。呵々大笑

★1『創価学会は本日2006年12月26日現在、「二箇相承」も「戒壇大本尊」も「寛師」も「六巻抄」も否定していない。』

ということは、かつてやまいぬ。君が↓のように言っていたのだが、これは全くの邪義・邪説 ということになるが、それでいいのか?呵々大笑

やまいぬ。説

▼あのねぇ樋田くん? ※1「久遠元初の三宝とは絶対信の対象」だよねぇ?
その絶対信の対象たる蓮祖・興師の文引っ張らないでどうするのだね、坊や?(^o^)
何度も書く。文証挙げたいなら蓮祖・興師の御文を挙げんか。(^o^)

上記した堀日亨上人と同じだ。
※2「寛師とて現実にどれだけ広宣流布を進めたのだね?」
「一閻浮提総与」と蓮祖が仰せであり、そうして一切衆生救済のためにこそ御本尊を
顕された※3「蓮祖の思いを実現できなかった人間の講釈など無用だよ。」
「戒壇の大御本尊様こそ根源」だと主張したいのだろう?
ならば「※4「蓮祖・興師の言で充分可能だわなぁ?」 はいどーぞ。(^o^)』

↑このやまいぬ。説では、明確に日寛上人を愚弄し、軽侮し、その「文証」を排斥している。(※2※3)
これは、やまいぬ。君が★2『「寛師」も「六巻抄」も否定』している行為であり(※2※3※4)、★3『創価学会とも異なる教義理解、解釈を行』っていることになり、★4の言い方からすれば、

『氏(←やまいぬ。)は本当に”創価学会の会員”なのであろうか?出張マグマグ』

となる訳である。呵々大笑

あれ?妄犬マゴマゴ君、やまいぬ。君を援護するつもりで呼ばれもしないのに(笑)横からしゃしゃり出てきたのではないのか?
それが、このように背後からやまいぬ。君を”爆撃”してどうするんだ?
戒壇の大御本尊から退転し、魔の棲家であるニセ本尊になど「同盟唱題」なんぞをやらかしいていると、斯様に頭破七分になって、もはや言論も行動も支離滅裂に為る、という、まさに”よき標本”である。
やまいぬ。君も友軍から爆撃を受けて、さぞや情けない思いであろう。
お察し申し上げる。(笑)(←こういう時にこそ、『笑』とは使うものである。も一つおまけに、呵々大笑。)

 

管理人樋田さま、はいはい、もう、、、  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月27日(水)14時18分22秒 bflets-fm-osk-2-61.dsn.jp

  引用

 

 

結構ですよ。。。

拝見して字を追うだけで頭が痛くなっちゃう、、、笑。。。

はいはい、もういいですよ、あなたの勝ち!と言うことでいいのじゃないでしょうか?

私が書いても書かなくてもどうせあなたの掲示板です。私の不戦敗でも何でも結構ですよ。

いずれにせよ「文証はある」に何らかわりはありません。

そしてあなたがお書きになればなるほどお話しが脱線致します。

思うにどこまで行っても時間と労力とネット資源の無駄遣いに過ぎませんですね。

どうかお気を確かにお持ち下さいませ。はい、私の負け!それでいいでしょう?笑。。。出張マグマグ

 

沖浦先輩!(^O^)/  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月27日(水)14時26分41秒 bflets-fm-osk-2-61.dsn.jp

  引用

 

 

沖浦様

↓色々とご迷惑をおかけし、また援護射撃を下さったにもかかわらず(笑)、

私の方から「自己申告負け!」に持ち込みました。。。笑。。。

とても面倒でうざったくて見ていられない、書いていられない、が本音です、ハイ、、、笑。

ともあれ今回も本当にお世話になりまして有難うございました。

本件はこれにて終了ですが(笑)、勿論、今後も引き続いてこちらへ参ります。

ア法華監視の目を光らせておかないと、、、笑ヽ(^。^)ノ

沖浦先輩には日頃のご指導、ご鞭撻への心からの御礼を申し上げます。出張マグマグ拝

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。17  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:12月27日(水)14時33分6秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

まさに血迷った狂人としかいいようのない往生際の悪い姑息な臆病者である。
―――――――――――
> DATE: 12月27日(水)12時53分2秒
> TITLE: 管理人樋田さま、ああ、そうでしょうね、、、
> NAME: 出張マグマグ  MAIL:
>
※1『> つまり、文証はある、と言うことですね。』
>
> 最初からそう仰せになればこ〜んなに無駄なお書き込みを頂戴せずとも済んだことでしょうに。。。
>
> お認め下されば、私はそれはそれで結構なのです。
>
> 様々と枝葉末節にかかわるご薀蓄に対しても感謝申し上げます。有難うございました。出張マグマグ
―――――――――――
当方がいつ、

「久遠元初の三宝」 との表現が「蓮祖・興師の文証」内にある。
”つまり、文証はある”

 などと言ったのか。
どこを読めばそういう真逆なことが言えるのか。
実に姑息極まりない腐臭を放つ生ゴミのような醜悪根性である。

当方の主張は終始一貫している。

『 「久遠元初の三宝」なる”表現”は常に駄犬が拘る「蓮祖・興師の文証」には存在しない。』
『「久遠元初の三宝」との”語”と”概念”は、駄犬が※3※4と侮蔑する日寛上人の御指南に於いて初めて出現するのである。』
”「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」”との”内容表現”は「蓮祖・興師の文証」には皆無である。』

このまま、これ以上、これ以下でもない。

ただ、こちらが予測していた通り、妄犬マゴマゴ君が今回※1という根拠らしきものは14段の以下の箇所であろう。

『どうせ、妄犬マゴマゴ君などの幼稚な者には予め釘を刺しておかないとまた血迷って妄動するが故に付言しておくが、ここに仰せの
■「文証現証了々分明なり。」とは、
■「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」との”義”を立証するべき
■「文証現証」が■「了々分明なり。」との意であり、
■「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」との”文”そのものが「本因妙抄・百六箇抄等」「二箇相承」に存在しないことは、まさに、文献上での明白は事実である。』

やはり、馬鹿は馬鹿らしく、この説明でも理解できなかったらしいので、更に懇切丁寧に解説するか。
(ほんと、馬鹿相手は疲れるものである。(^_^;))

ではまず、当該箇所を要約し引文させていただく。
―――――――――――
 問う、其の文有りと雖も未だ其の体を見ず、正しく是れ末法出現の三宝如何。

 答う、(仏宝・法宝の箇所は略)
久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり。仏恩甚深にして法恩も無量なり。然りと雖も若し之れを伝えずんば則ち末代今時の我等衆生、曷ぞ此の大法を信受することを得んや。豈開山上人の結要伝授の功に非ずや。然れば則ち末法出現の三宝、其の体最も明らかなり。宜しく之れを敬信して仏種を植うべし云々。

 問う、有る人難じて云わく※4『「日興上人は上足の第三なり。何ぞ是れ結要付嘱の上首ならんや」』云々。此の難如何。

 答う、六老の次第は受戒の前後に由り、伝法の有無は智徳の浅深に由る、(中略)※2『吾が開山上人は智は先師に等しく徳は諸弟に超えたり。故に※3『塔中伝受の秘要を付して本門弘通の大導師と称し、末法万年の総貫首と定め、二箇の相承を授けて延山の補処と為す。』※5『文証現証了々分明なり。』汝等智有らん者此に於て疑いを生ずること勿れ。』
―――――――――――
こうして原文を拝せば明瞭であるが、今回妄犬マゴマゴ君の痴難中の、※2の引文は、実は、

■問う、有る人難じて云わく「日興上人は上足の第三なり。何ぞ是れ結要付嘱の上首ならんや」云々。此の難如何。

との問難に対する答えの部分である。
つまり、■「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり。」に対してのその根拠を明示する直接の文証ではないのである。

「久遠元初の僧宝が日興上人」 というのならば、まずその前提として、※4=「六老僧内で第3番目の位置である日興上人が、何故大聖人からの結要付嘱を受けるという、最上首の位なのか?」との問いに対する回答内にある御指南が※2なのである。

であるから、
※3『※6「塔中伝受の秘要」を付して※7「本門弘通の大導師と称し、末法万年の総貫首と定め」、※8「二箇の相承」を授けて※9「延山の補処と為す。」』
は、直接的には
※4『「日興上人は上足の第三なり。何ぞ是れ結要付嘱の上首ならんや」』
に対しての返答であり、
次に続く※5『文証現証了々分明なり。』
の、
「文証」とは、※3内の※6「塔中伝受の秘要」=本因妙抄・百六箇抄(両巻抄)等と、※8「二箇の相承」を指し、
「現証」とは、同じく※7「本門弘通の大導師と称し、末法万年の総貫首と定め」と※9「延山の補処と為す。」を指すのである。

であるから、この段では、■「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり。」を論証する為に二段に問と答を構成されており、
※5『文証現証了々分明なり。』の部分が直接■「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり。」にかかるのではなく、その義を立証するための前提部分の文証なのである。

であるから、結論的には、既に14段で当方が

■「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」との”文”そのものが「本因妙抄・百六箇抄等」「二箇相承」に存在しないことは、まさに、文献上での明白は事実である。』

と摘示したそのまま、そのものである。

妄犬マゴマゴ君、いかに自分の錯誤を認める勇気がないといっても、無いものを有ると言い張るのはあまりに幼稚であり、反面狡猾に過ぎないか?(ま、”根性が汚い”この一言に尽きるか。呵々大笑)

往生際

1 死に際。
2 ついにあきらめなければならなくなった時の態度や決断力。

とあるから、やはり、大聖人様であられる戒壇の大御本尊から転げ落ちて、いままさに三宝誹謗を盛んに為している妄犬マゴマゴ君などは、大聖人様時代、その時の「御法主」であられた大聖人様を軽侮したものども同様に、邪宗のものどもより長く無間地獄に堕ちる者であるから、往生際=1、死に際が悪い のであろう。
であるから、その先兆として、往生際=2、ついにあきらめなければならなくなった時の態度や決断力。が悪いのであろう。呵々大笑

■日蓮を信ずるやうなりし者どもが、日蓮がかくなれば疑ひををこして法華経をすつるのみならず、かへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が、念仏者よりも久しく阿鼻地獄にあらん事、不便とも申す計りなし。

■未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ

実に見苦しいことである。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。18  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:12月27日(水)14時43分43秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

妄犬マゴマゴ君

ならば、当方が提示した条件のAに該当する訳であるからそれを実行したら如何かな。
―――――――――――
警告

出張マグマグ (IP=west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp(202.224.139.89)) なる者へ。


貴殿は、当方への根拠の無い誹謗記事を断定的に投稿掲載した。
当方は、その謂れ無き中傷記事内容について、その教義的な根拠を期限付きで問質した。

しかし、貴殿からは期限の過ぎた今に至るまで、明確な回答が無い。
つまり、当方を誹謗するその教義的な根拠を提示できないでいる。
これは、実名で当板を管理する当方への名誉毀損等を形成する可能性がある。
再度、詰問し、警告する。

@27日午前0時までに、以下の如く当方を誹謗中傷したその教義的な根拠を明示せよ。

Aそれが不可能な場合は、当方が提示する以下の正式な謝罪文(今回は草案であり、修正の可能性あり)に同意し、貴殿の意思として投稿し当方に謝罪せよ。

謝罪文(草案)

★「私ことHN「出張マグマグ」は、樋田昌志氏に対して、教義的な根拠も無く、不当に誹謗中傷したことを認めます。
大変、申し訳ありませんでした。
もう、二度と貴殿を誹謗中傷致しません。
貴板へも、二度と中傷投稿を致しません。
ですから、どうかお許し下さい。
宜しくお願い致します。出張マグマグ」

 

【回答】管理人樋田さま、、、  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月27日(水)17時52分38秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

> 謝罪文(草案)
>
> ★「私ことHN「出張マグマグ」は、樋田昌志氏に対して、教義的な根拠も無く、不当に誹謗中傷したことを認めます。
> 大変、申し訳ありませんでした。
> もう、二度と貴殿を誹謗中傷致しません。
> 貴板へも、二度と中傷投稿を致しません。
> ですから、どうかお許し下さい。
> 宜しくお願い致します。出張マグマグ」


管理人樋田さま

お気持ちに最後までそえなくて誠に申し訳なく存じますが、

私がこのような「謝罪文」を書く謂われはまったくございません。

これには断固拒否致しますのであしからずご了承下さいませ。

本日2006年12月27日午後、

私はあなたに対して「自己申告負け!」を宣言致しました。

私が敢えて譲歩することで本件はもう十分であると存じます。

あなたのお気持ちがおさまらないとしても、それはあなたのご勝手でしょう。

どうぞお気に召すままに、ご随意になさって下さいませ。

いずれにせよ私は自分自身に申し訳の立たない「謝罪文」を書くほどお人好しでないことも、

どうかご承知置き下さい。出張マグマグ

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。19  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:12月27日(水)22時20分58秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

妄犬マゴマゴ君、どうも社会人としての常識を知らない様である。
そういう常識を弁えない者には躾が必要である。
―――――――――――
> DATE: 12月27日(水)17時52分38秒
> TITLE: 【回答】管理人樋田さま、、、
> NAME: 出張マグマグ  MAIL:
>
>> 謝罪文(草案)
>>
>> ★「私ことHN「出張マグマグ」は、樋田昌志氏に対して、教義的な根拠も無く、不当に誹謗中傷したことを認めます。
>> 大変、申し訳ありませんでした。
>> もう、二度と貴殿を誹謗中傷致しません。
>> 貴板へも、二度と中傷投稿を致しません。
>> ですから、どうかお許し下さい。
>> 宜しくお願い致します。出張マグマグ」
>
>
> 管理人樋田さま
>
> お気持ちに最後までそえなくて誠に申し訳なく存じますが、
> 私がこのような「謝罪文」を書く謂われはまったくございません。
> これには断固拒否致しますのであしからずご了承下さいませ。
> 本日2006年12月27日午後、
> 私はあなたに対して「自己申告負け!」を宣言致しました。
> 私が敢えて譲歩することで本件はもう十分であると存じます。
> あなたのお気持ちがおさまらないとしても、それはあなたのご勝手でしょう。
> どうぞお気に召すままに、ご随意になさって下さいませ。
> いずれにせよ私は自分自身に申し訳の立たない「謝罪文」を書くほどお人好しでないことも、
> どうかご承知置き下さい。出張マグマグ
>
―――――――――――
以下、これまでの投稿文をまとめて編集加筆し再掲し、以って妄犬マゴマゴ君の非常識極まりない言動を呵責する。

→妄犬マゴマゴ君は、当方を

▼『日寛上人を信じないで、日寛上人を正面から否定する、日蓮正宗の教学上において致命的な誤りを犯した、信心のない人間である。(趣意)』

と断定した。
これは、実名で当板を管理する当方への名誉毀損等を形成する可能性がある。
そこで当方がその根拠の提示を求めたことに対する答えが

▼「自分で書いたのだから、自分で考えろ。(趣意)」

という、まことに卑怯極まりない言い逃れである。
その後、実に惑乱した投稿を繰り返していたが、しばらくあって(おそらく応援の恥文が届いたので、呵々)妄犬マゴマゴ君は、的外れの恥論(その誰かの助太刀恥論に妄犬マゴマゴ君が加筆したと思われる)で意気揚々と反論を試みた。
が、それも当方から完膚無きまでに粉砕され、とうとう敗北を宣言した。

自らが人を明確に誹謗中傷しておいて、その根拠すら明示できず、それを追求されると、見苦しい言い逃れをし、更には教義的にも論破され切って敗北宣言をしているにも拘らず、謝罪をしようとしない。
まことに愚劣・狡猾・悪辣・卑怯・卑劣・おまけに臆病・弱虫な者である。

妄犬マゴマゴ君は、いつも、さも良識人ぶって、高邁・高潔そうなことを”のたまっていらっしゃる”(←二重敬語?呵々)が、所詮上記の如くの、卑劣・卑怯・狡猾・姑息・愚劣・悪辣・臆病・弱虫・名聞名利・・・な、この程度の人間ということである。
いや、次の御文からすれば、

■教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜という。

はかない=愚か との意

妄犬マゴマゴ君は、このように、愚かで道理に暝い、道理が分からない、筋道が通った思考が出来ない「畜生」・・・まさにニセ本尊などに「同盟題目」など続けた結果、
『人を根拠なく誹謗中傷しておいて、その証拠を提示も出来ないくせに、謝罪もしない、という非常識極まりない、自己中心的な人格と成り果て、つまりは畜生のような境涯』
に堕した、ということである。

妄犬マゴマゴ君はこのような、世の中の筋道が全く分からなくなり畜生の如くの振る舞いに為る、という、まさに”創価学会犬”としての”よき標本”である。

また、「はかない」には他に、

★何のかいもない。無益だ。
★大したものでない。取り立てるほどのものでない。
★思慮・分別が十分でない。(愚かだ。)
★みすぼらしい。卑しい。

等の意味合いもある。

今回の妄犬マゴマゴ君の”振る舞い”はまさに、

■はかなきを畜という。

との御指南の如くの言動であろう。

であるから、重ねて、妄犬マゴマゴ君は「人間」という境涯ではなくて、人間以下、人間未満、人間の皮を被った畜生の境涯、ということである。

今回もまた、このように創価学会にたとえ数年でも在籍すると、斯く 姑息・卑怯・卑劣・厚顔無恥・自己慢・自己中・等の人格が形成されるという、実験証明の”生きたサンプル”が”良好な状態で採取出来た”と言えよう。

これを読む方々も身近の創価学会員の振る舞いを想起して、この妄犬マゴマゴ君の言動と大いに重なることがあるのではないだろうか。
自分の盲信を唯一の根拠として、正しい道理も筋道もひたすら無視し猛進する独善性こそが、創価学会独特の害毒の大きな特徴である。
そのような歪んだ人格の者達が創価学会員としてこの世に多数存在していることは、実に恐ろしいことなのである。
この精神が変曲した人間達はその傾向性が昂じるところ、潜在的な、あるいはまた顕在化した狂気を生み、その人心の荒廃から、重大事故や、凶悪犯罪、不正、汚職・・・等々が多発していく社会相となっていくのである。
そして、立正安国論の原理からすれば、そのような者達が日本全国に多数存在するとその荒廃した精神作用が国土世間にも影響を与え、地震・台風・異常気象・等の自然現象までも誘発し招来してくるのである。

読者のかたがたには創価学会員、妄犬マゴマゴ君の今回の虚言・妄言・妄動・無反省で自己中心的な言動を熟読・熟視・熟考せられ、創価学会の有害性を深く感じていただければ幸いである。

さてさて、出張マグマグ君、今度こそ、少しは”人間”らしく、”成人男性”らしく(って本当に”成人”している”男性”かどうか知らないが・・・呵々大笑)、堂々と、潔く振舞ったら如何か?

 

お知らせ  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:12月27日(水)22時36分37秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

妄犬マゴマゴ君の破折最新版をUPしました。
頭破七分の足掻きぶりが克明に記録されています。
年末年始の特別番組見るよりこれを見る方が有益かと思います。(^^♪

”創価学会犬”の「狂気」をご覧下さい。

http://toyoda.tv/magomago.htm

 

【読者の意見】管理人樋田さま、、、  投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月28日(木)22時50分32秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

あの〜、いつもあとづけで何か仰せになっても、、、。。。

どうかきちんと最初からご論証下さいませ。。。

それがお出来になれないのであれば、どなたもがご採用にはならないことでしょう。。。

ともかくも「引用」の後には(前でもいいけれど)「出典表示」をなさることが肝要です。

所謂「文義なくば、、、」の典型をあなたはずーっとなさっておられますですよ。。。

実際にはとても簡単なことですし、これは学術的には普通のことです。。。出張マグマグ

 

好きにしてマグマグさま、御立腹(〃^∇^)  投稿者:73  投稿日:12月29日(金)00時36分4秒 p2199-ipbf403hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

  引用

 

 

  またまた、不自由な日本語でメッキ剥げる (〃^∇^)o_彡☆

>投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月28日(木)22時52分39秒引用
>   アフォ!引っ込んでな。。。
>うざいんだよ、お前さまの駄文は、、、出張マグマグ

やっぱ、事実を突かれると、腹が立つか(^o^)股を開いたマグマグでも(〃^∇^)
その上、正式な日本語にない「アフォ」と「うざい」の2連発。
その上、下品。最低の文章である(〃^∇^)o_彡☆

そもそも、「ご随意に」と言っていたので「ご随意」に書いたまで。
結果逆ギレ。ホントに人間失格の女の腐ったような男は、
訳のわらない日本語で、なおも樋田氏にからむ。
邪教に堕ちた男のメッキがはがれ、本性が現れる(〃^∇^)o_彡☆

 

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。20 祝20回!  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日:12月29日(金)00時43分26秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

さて、社会人としての一般常識をも持たない、持てない、妄犬マゴマゴ君を追撃しますかね。
―――――――――――
> DATE: 12月27日(水)22時54分22秒
> TITLE: 【ご参考】やまいぬ様!ヽ(^o^)丿
> NAME: 出張マグマグ  MAIL:
>
> やまいぬ様
>
> あちらでは(笑)ご懇切なお言葉、ご激励を頂戴して、誠に有難うございました。
> ところで、すでに「自己申告負け!」を宣言した私には発言権がございませんが(笑)、
―――――――――――
→だったら、もう当板でぐだぐだいう必要は無いのではないか?
「自己申告負け」したくせにまだ未練がましく何か言いたいのなら、当方は別に貴公の敗北宣言を受理したわけではないのだから、幾らでも継続できる。
思うに、妄犬マゴマゴ君は当方からの論激の猛攻を交わす為に、偽装敗北宣言しただけであろう。
本来負けたら謝るものであり、それが常識である。
謝罪をしない敗北など有り得ない。
では手始めに、この↓駄文から粉砕しますか。
―――――――――――
> 返す返す考えるにどうも腑に落ちないのが、仰せの「二箇相承」のことでございます。
> 私自身も特段に強調せずに終わりましたが(笑)、↑これにも引っ掛かりがある模様でして、
> 私の一方的な憶測ながら「二箇相承には触れたくない(触れられたくない)のでは?」と思えて仕方ございませんでした。
> とまれそれらの※1『真贋問題』は別にして、でもありますが、、、。
> ま、我々学会員にとってそれらが本物であろうかなかろうかとは無関係に、
>※2『 「久遠元初の三宝」はどこまで行っても「久遠元初の三宝」であり、
> 寛師を引くまでもなく大聖人の御生涯の御事跡と御書を通して論証出来る』ことであるとも存じます。
> 何故かならば※4『日蓮本仏義からそれらを拝せば必ずそこ(久遠三宝)に到達する(またその次へと昇華される)こと』であり、
> 歴史的に見ても日興門流の門流たる所以はそこにあり、※5『興尊御自身並びにその後上代からの有徳の人師にあった概念であればこそ、
> (他のアフォの歴代は除き、笑)中世の寛師教学の底流に脈々として流れ来たっているものである』と存じます。
> ※6『実に寛師は六巻抄以外の著作において「二箇相承」以外の蓮祖御文証を引き、それを論証されている』とも存じます。
> ああ、また本題と違うことを書いて叱られてもいけませんので、今夜はこのくらいで、、、笑。。。
> 以上、ご参考になるかどうかもあやふやな内容で申し訳ございませんが、、、。本日も誠に有難うございました。出張マグマグ
―――――――――――
しかし、内容が浅薄である。
こうして行間を縮めてみると、それが更に良く分かる。呵々
内容が希薄だから膨らませて誇張して見せたいのであろう。
実に名聞名利そのもの。さすが戒壇の大御本尊からの退転者の面目躍如である。
既に呵責しているごとく、戒壇の大御本尊から退転するものの特長は、

■なごへ(名越)の尼・せう(少輔)房・のと(能登)房・三位房なんどのやうに候をくびゃう(臆病)、物をぼへず、よく(欲)ふかく・うたが(疑)い多き者どもは、ぬ(塗)れるうるし(漆)に水をかけ、そら(空)をき(切)りたるやうに候ぞ。

の仰せの通りで、

★臆病で(自分の意見を堂々と面と向かって言えず、人に仮託してひそひそと物陰に隠れていう妄犬マゴマゴなどこれに類するだろう。呵々)
★物をぼえず(何度教えても法門が分からない。駄犬・妄犬マゴマゴ君などいい例である。)
★欲深い(虚栄心強きが故に、道理も何もなく、ただ頑迷に勝他の念に囚われ、足掻き続ける。また、ただ反論不能になり敗北したにも拘らず。「自己申告負け」などと曖昧にぼかし、実は態と負けた振りをしてやってんだ。との虚勢を張る、なども名聞名利という欲深い現れ)
★疑い深い(姑息で無知・愚昧な言動に終始し、戒壇の大御本尊を信行できない疑心の塊 どもである)

であり、妄犬マゴマゴ君にそのまま当て嵌まる。呵々大笑。

1、上記駄文に全く正確な「文証」がない。ただの妄犬マゴマゴ君の「感想」である。
自分のブログではあるまいし、当板に書くのであれば、文証のない恥言・駄文は禁止する。
仮にも妄犬マゴマゴ君は「敗北」を認めたのあるから、相応の責は負っていただく。それが社会常識である。
もう、当板での自分勝手は許容されない。

2、当板に書き込んだからには、その内容に対して証明責任を負う。
@※1二箇相承をもし偽書扱いにするのか、しないのか、態度を表明せよ。
Aもし偽書扱いするのであれば、それを論証せよ。
B※2ではこれを論証してみせよ。「敗北」を宣言しながら、斯様に言うことを 姑息・卑怯・卑劣・・・というのである。
堂々と、論証して見せよ。
C※4これも証明して見せよ。ただし、日寛上人のあらゆる御指南との整合性が保てなければ、即刻 撤回・謝罪していただくが。呵々
Dまた馬鹿丸出しの恥言である。※5について
@ アフォの歴代とは誰か。その理由。
A その途中が断絶して、何故日寛上人へ『脈々として流れ来たっているもの』であるのか立証して見せよ。
E※6ではそれをも論証してみせよ。ただし、Cと同様、日寛上人のあらゆる御指南との整合性が保てない場合は撤回・謝罪。

取り合えず、以上の件、早急に返答せよ。
1月1日午前0時までとする。
繰り返すが、当板はあくまで当方が管理する板であり、その板へ書き込んだ限りは、当方の指示に従う責を負うのが常識である。
しかも妄犬マゴマゴは「敗北」を認めたのであるから、尚更の事である。
仮にも敗北を認めておいた後に、今回のような恰も自義は正当である、というような姑息な投稿は許しがたい。
これに対しては断固たる態度で臨むので、その心構えで居られるがいい。

以上、妄犬マゴマゴ君がいかにも退転者らしく、ネバネバした言い訳に終始して遁走しないことを願う。
まっ、衆人環視の場で、醜態を晒す勇気があれば、それもいいが。呵々大笑

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。21  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 1月 4日(木)12時05分49秒 p4032-ipbf07yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

あれほど
@完膚なきまでに粉砕されて、
AしかもHP上に末永く”防腐保存処理”までされて晒し者にされ、
Bその上、当方からの詰問に全く反論不能であるにも拘らず、
まだ、破折され足りないと見えて当方に絡んできている妄犬マゴマゴ君、書けば書くほどに貴公の教義的な未熟さが露呈するだけで、恥の上塗りと為るだけだから、止せばいいのに、と思うが、まっ、これも、「新春お笑い番組」として、創価学会員が如何に狂い果てたかを示す好例となるので、少々お付き合いしますか。
―――――――――――
> DATE:  1月 2日(火)22時34分39秒
> TITLE: 管理人樋田さま、、、Re: 新年仕事始め
> NAME: 出張マグマグ  MAIL:
―――――――――――
>> ほぼ一年前に粉砕した 帝国華撃団 と名乗る謗法者を粉砕した記録をUPしました。
>> http://toyoda.tv/teikoku,haiso.htm
>> 謗法根性によって性格醜悪・頭破七分になっている様がよく分かります。
>> 活用して下さい。
―――――――――――
> 管理人樋田さま
> 明けましておめでとうございます。
> ご存じの通り、学会は本年「前進・勝利の年」を迎え、
> 清新な息吹一杯に希望の未来を志向する新たなスタート致しました。
> ところで、新年仕事始め………
※1「> 樋田さまは一年も前のことへ遡ってスタートなさったご様子ですね。
> 大聖人の仏法は「本因妙」「現当二世」の仏法です。
> 新年において樋田さまが今日、明日、明後日へと前進なさることを
> 心からお祈り申し上げます。」 出張マグマグ
―――――――――――
ヤレヤレ(-_-;) 実に浅はかで愚か者である。
過去に邪義を破折した、その文を纏めることを揶揄するのであれば、日寛上人の六巻抄などはどうなるというのかね?
実に『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』である。

こういう『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』には恒例、池田センセ〜〜監修・仏哲から。
―――――――――――
ろっかんしょう 〔六巻抄】
日蓮正宗総本山大石寺第二十六世日寛上人(一ハ六五年−一七二六年)の著。
三重秘伝抄第一、文底秘沈抄第二、依義判文抄第三、末法相応抄第四、当流行事抄第五、当家三衣抄第六、以上六巻の総称。
正徳元年(一七二年)日寛上人は四十七歳のとき、大石寺の学頭職につかれ、大石寺蓮蔵坊に学寮をおかれ、大学頭となって御書の講義をはじめられた。
この講義をもとにまとめられたのが六巻抄である。
※2『三年後の正徳三年の秋には、三重秘伝抄の草案がまとめられ、後享保五年(一七二〇年)第二十六世嗣法として猊座に登られ、享保十年六十一歳の春、六巻抄の再校を開始されている。』
三月中旬には三重秘伝抄、三月下旬に文底秘沈抄、四月に依義判文抄、五月には末法相応抄上下と当流行事抄、六月に当家三衣抄と再校された。
そして時の学頭目詳上人(後の大石寺第二十八世)に授けられたのである。
この
※3『六巻抄により、日蓮大聖入滅後約四百年間に発生した邪義をことごとく打ち破り、日蓮正宗にのみ正しく伝わる日蓮大聖人の仏法を内外に向かって宣揚した』のである。
日寛上人伝(富要五巻三五五誓)に
「同じく(註享保)十年乙巳仲春より季夏に至り当家の大事六巻抄を著述し(題号を秘して顕さず)以って学頭詳公に授け示して言わく此の書六巻の師子王あるときは国中の諸宗諸門の狐兎一党して当山に襲来すといえども敢えて驚怖するに足らずもっとも秘蔵すべしもっとも秘蔵すべし」とある。
また、三重秘伝抄第一(富要三巻四誓)に
「享保第十乙巳、予六十一歳春逅邂(たまさか)之を閲(けみ)するに疎略稍(やや)多し、故に粗(ほぼ)添削を加う、敢えて未治(みじ)の本を留むることなかれ、然るに此の抄の中には多く大事を示す、此れは是れ偏に法をして久住せしめんが為なり、末弟等深く吾が意を察せよ云云」とある。
これによっても、当時己義をかまえて、日蓮大聖人の正義をふみにじった邪宗邪義に対し、一大鉄槌をくだされた破邪顕正の折伏の書であると同時に、また令法久住、未来の広宣流布を願っての烈々たる御精神を拝することができる。
つぎに、当時の邪義の主なものをあげれば、つぎのとおりである。

※4『身延派日朝    本迩一致  身延 祖滅後二一九年
不受不施派日講 本迩一致  身延 祖滅後四一七年
八品派日隆    本迩勝劣  京都 祖滅後一八三年
八品派日忠    本迩勝劣  京都 祖滅後二二二年
要法寺派日鏡   本連勝劣  京都 祖滅後四〇六年
要法寺派日辰   本迩勝劣  京都 祖滅後二九五年
妙法寺派日我   本迩勝劣  保田 祖滅後三〇五年』

 これらの邪義が出つくして、世間を迷わせた最後に日寛上人が出られて(祖滅後四四五年)、これら邪宗邪義を破折されるとともに、日蓮正宗の大繁栄をもたらされ、類例をみないほど教学を振興された。
当時は、全国各地に檀林がもうけられ、時運が学問に集中していたかの観があった。
しかし、これらの流義は、みな天台の亜流である文上脱益の仏に執着し、さらには、それから逸脱して流々の門祖の邪義・誘法をかばい、末法下種の主師親・久遠元初自受用報身・宗祖日蓮大聖人の正義を抹殺しようとするものばかりであった。
このような時にあたり、日寛上人の出現は、まことに時を得たものといえる。
―――――――――――
→※3 『六巻抄により、日蓮大聖入滅後約四百年間に発生した邪義をことごとく打ち破り、日蓮正宗にのみ正しく伝わる日蓮大聖人の仏法を内外に向かって宣揚した』
※4 略
との如くに、日寛上人は、過去の邪義を破折され、しかも、それを※2 のごとく、再々度推敲され纏められておられる。

妄犬マゴマゴ君は、当方がほぼ一年前の帝国某の邪義を粉砕し尽した時の往還を纏めてUPしたことを、「過去に遡った行為、つまり「本因妙」「現当二世」の仏法に反する、逆行する行為である(趣意)」と、揶揄するのであるから、その吐いた唾は日寛上人へも吐きかけていることに為る。
(もちろん、日寛上人の御事績と、当方の虫けらの如きの小事を同格視している訳ではないことは当然である。
ただ、「過去の邪義粉砕の記録を纏める行為が大聖人の仏法の原理に背く」という妄犬マゴマゴ君の妄見を破折する為に「道理」を提示するまでである。)

であるから妄犬マゴマゴ君の言は日寛上人へ向けてこうなる。

※1「(日寛上人が六巻抄を纏めれたことに対して)
> 『日寛上人』さまは『何年・何十年・何百年』も前のことへ遡ってスタートなさったご様子ですね。
> 大聖人の仏法は「本因妙」「現当二世」の仏法です。
> 新年において『日寛上人』さまが今日、明日、明後日へと前進なさることを
> 心からお祈り申し上げます。」 出張マグマグ

↑実に、愚昧・幼稚・稚拙・浅はか である。
『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』である。ヤレヤレ〜(-_-;)〜〜。呵々大笑。

 

おどろき、もものき、さんしょのきー、、、爆笑。。。  投稿者:出張マグマグ  投稿日: 1月 4日(木)13時42分2秒 bflets-fm-osk-2-61.dsn.jp

  引用

 

 

管理人樋田さま


> であるから妄犬マゴマゴ君の言は日寛上人へ向けてこうなる。
>
> ※1「(日寛上人が六巻抄を纏めれたことに対して)
> > 『日寛上人』さまは『何年・何十年・何百年』も前のことへ遡ってスタートなさったご様子ですね。
> > 大聖人の仏法は「本因妙」「現当二世」の仏法です。
> > 新年において『日寛上人』さまが今日、明日、明後日へと前進なさることを
> > 心からお祈り申し上げます。」 出張マグマグ
>
> ↑実に、愚昧・幼稚・稚拙・浅はか である。
> 『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』である。ヤレヤレ〜(-_-;)〜〜。呵々大笑。


↑今度はご自身を寛師になぞらえてのお話しですか、、、(*_*)(*_*)(*_*)

まあ、ご自身のことです。

ご自身でどのように連想され、想像なさろうと、

またたといそれが妄想であっても何であっても私は一向に構わないのですが、

私は↑上のように「寛師」を主語とした文章をまったく書いておりません。

人が書いたものを改竄なさってはいけませんですよ、、、。

またそれを根拠として人にレッテルをお貼りになるのもいかがなものでしょうか?

お正月からビックリ仰天させて頂き、とてもよい刺激になりました。ヽ(^。^)ノ

その点に関しては心から感謝申し上げます。有難うございました。出張マグマグ

 

股を開いたままのマグマグさま(〃^∇^)o_彡☆  投稿者:73  投稿日: 1月 4日(木)15時02分17秒 p2199-ipbf403hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

  引用

 

 

樋田さんは、
股を開いたまま、揶揄している貴殿のみっともない文章に
わかりやすく説明されておいでです。

どうぞ、股を閉じられてから、
パンツをはいてから
おいでくださいませ。

丸見えでございますよ、
股を開いたままのマグマグさま。(〃^∇^)o_彡☆

 

ああ、管理人樋田さま、、、  投稿者:出張マグマグ  投稿日: 1月 4日(木)22時56分16秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

↓このコレクション番号158に登場する「日寛上人」は本当の寛師のことですか?

それとも私に対してお書きになったように、また樋田さま、あなたご自身のことですか?

やまいぬ様のお話しとはまったく関係のないことですので、お暇ならばで結構です。

一つお聞かせ下さいませ。出張マグマグ

 

タマを無くして内股歩きのマグマグさま(〃^∇^)o_彡☆  投稿者:73  投稿日: 1月 5日(金)00時59分0秒 p2199-ipbf403hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

  引用

 

 

大聖人様より唯授一人金口嫡々の日蓮正宗第二十六世、日寛上人に決まっとるべ。
何を、得意中の得意なそれしか能のない意味深戦法を使っておる?

揚げ足でもとるか?
 パンツもはかず、股開いた状態で・・とれるか(〃^∇^)o_彡☆


>投稿者:出張マグマグ  投稿日:12月28日(木)22時52分39秒引用
>   アフォ!引っ込んでな。。。
>うざいんだよ、お前さまの駄文は、、、出張マグマグ

かな?また(〃^∇^)o_彡☆

 

【管理人樋田さま】おついでの時で結構ですので、、、  投稿者:出張マグマグ  投稿日: 1月13日(土)00時07分1秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

これも一つ「コレクション」にお入れ下さいませ。出張マグマグ


【研究報告=大論客樋田氏は何を題材として何を論証するのか?―――世紀の大論客のパクリ駄文の真意は如何に?笑】 投稿者:マグマグ 投稿日:2007-01-13 00:03:21 No.15337


私のオツムの悪さでは本当に何度読んでも分からなかったのですが、
ようやく、何となく(笑)分かったような気がして参りました。。。ヽ(^o^)丿

最近、連続してこういうことがございましたね。
勿論、大論客樋田さんが管理人をなさる「青板」でですが、、、。


kusanone様のお書き込みのオリジナル部分】

樋田君、BCを選べば解答不能ということだよ。  投稿者:kusanone  投稿日:1月9日(火)17時44分19秒

正統というのであれば、いわゆる「開眼された御形木御本尊」と、そうでない(開眼されていない)御形木御本尊(同じ相貌)を何体かお並べして瞬時にそれを見極めることができてこそ、事の上から君の言う『真実の開眼』といえるであろう。でなければ、ただの儀式、おまじないの範疇を出ることは理のうえから有り得ない。

「法主自ら開眼した本尊がどれか判らない?」・・お笑いだよ。パロディーだよ!!

君が学会下附の御本尊を「開眼がない」「魔札」などと難癖をつける前に、上記を証明すべきでではないのか?「開眼!開眼!」と騒ぎ立てて解答不能はないであろう?義務はなくとも、樋田君にも、法主にお伺いする「権利」ぐらいはあるだろう?違うか?解答不能くん。


【世紀の大論客樋田さんのパクリ駄文とそれを用いた反論部分】

*文中、礼儀として不適切で愚劣な呼称、HNはすべて伏字=マグマグ

”○○!いのね”君の駄問を挫く 2 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日: 1月10日(水)00時02分9秒

大聖人は明確に「開眼」についてその存在の重要性を明示されている。「開眼がないものは魔・鬼が入る(趣意)」とも仰せである。創価学会販売のニセ本尊は「開眼」がないのであるからまさに魔札・鬼札である。しかし、○○”○○!いのね”君は、自ら妄執による仮定条件を設定して、その証明がなければ「開眼」を信じない。否定する。しかし、「開眼」は唯授一人で、ただお一人からお一人にしか伝持されていない。つまりその方=御法主上人以外には知り得ない。また、余人へ伝え漏らしてもいけない。しかし、○○はそれを聞け、と妄要する。これこそ、▼「・・お笑いだよ。パロディーだよ!!」である。呵々大笑

で、この○○の「不信」の様を分かりやすく別の「お一人にしか知り得ない案件」に置き換えてみると、○○”○○!いのね”君が如何に愚かで、醜悪極まりないかが鮮明に浮かび上がってくる。

大聖人は法華経神力品で上行菩薩として結要付嘱を承けられた。しかし、このことは大聖人以外誰も知り得ない。ただ「信」を以って拝する以外ない。この結要付嘱の大事は、まさに「開眼」の義にも通じる秘事である。

そこで、○○”○○!いのね”君の言い分をこの結要付嘱に準えてみると↓かくなる。

> 正統というのであれば、>いわゆる『大聖人が結要付嘱を承けたその確たる具体的・客観的証拠を見せてくれ』てこそ、事の上から>(当時の御信徒の誰でもいいが、仮に四条殿としてみよう。)(註 結要付嘱を信じ主張する→)四条君の言う『真実の『結要付嘱』』といえるであろう。でなければ、『幾ら虚空会の儀式がどうのこうのと大聖人が言ったって』ただの儀式、おまじないの範疇を出ることは理のうえから有り得ない。

>「『大聖人が神力付嘱の具体的かつ客観的な証拠を明示できない?』」・・お笑いだよ。パロディーだよ!!

>『四条君が、念仏の御本尊を無間地獄』などと難癖をつける前に、上記を証明すべきでで(←※ママ)はないのか?>『神力付嘱、結要付嘱!』と騒ぎ立てて『具体的・客観的な証拠を出せずに』解答不能はないであろう?>義務はなくとも、四条君にも、『大聖人』にお伺いして『明確なる具体的・客観的な証拠を要求』する「権利」ぐらいはあるだろう?>違うか?解答不能くん。呵々大笑。

さて、○○”○○!いのね”君にはこの寓意が理解できたかな?”○○!いのね”君程度の教学レベルではこの例えさえ難しかったであろう。が、無理しなくていいからな。これを読む読者の方々が○○”○○!いのね”君が如何に『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』と化したかを認識し、創価学会のニセ本尊の猛毒に恐怖していただければ、”○○!いのね”君の役割は十分果たしたことになるのだから。


【講 評=樋田さんは人の書いたものをパクッてまでして何を言いたいのか?笑。。。】

@ここでの冒頭、大論客樋田さんは『大聖人は明確に「開眼」についてその存在の重要性を明示されている』と大見得を切っているが、同じ文脈の中で『しかし、「開眼」は唯授一人で、ただお一人からお一人にしか伝持されていない。つまりその方=御法主上人以外には知り得ない』と弱音も吐いている。

Aそして話題は急に『結要付嘱』と『(本尊の)開眼』の比較話しへと飛躍し、元々kusanone様が書いておられたものを原文(オリジナル)として一つの翻案(下手なコピー、笑)を作成したが(=秘伝・鸚鵡返しの術、笑)、話しはどんどん『開眼』から離れてしまった。

B通常、誰かから何かを問われて話しを展開する時に「相手の話しを翻案して持論を形成する」と言うのは、単なるパクリであり、何も論証したことになっていないことをこの大論客はご存じない模様である。このような対話ならば小学生でもすることであり、「お前のかーさん、で・べ・そー!」と言われて同じ言葉で応酬することと大差ないことである。

C極めつけは原文(オリジナル)にない登場人物が翻案(この場合、パクリ)の舞台に登場することであり、大論客の空想力の逞しさが読者に伝わる一種の名場面でもあるが(笑)、これは前後の話しの流れからしてもまったく関係のない、無意味な脚色であり蛇足でもある。

D最後にお約束の『君にはこの寓意が理解できたかな?』と言う大論客ならではの凄みを利かせた捨て台詞が登場するが、真面目に質疑しているkusanone様のみならず、このような下手な翻案が「寓意」などと言う高等なものを持っていないことは普通の読者なら誰にでも分かることである。つまり、理解出来るも何も、これが「パクリによる創作漫談」の一種であることには気がつく。。。爆笑!

Eそしてこのような駄文にkusanone様が頓着なく論を進めると(質疑を進めると)、大論客は、今度は(1月11日)何を目的としてか次の翻案『万病に効く仙薬』(これも原文の格調や文意の哲理性からは遠くはなれた下手なパロディー、笑)をせっせと作成し出し、自分の掲示板へ自慢げに投稿する。。。

F可笑しな翻案によって原文を汚すことに躍起になって取り組むが、さっさと本題に答えない、本題に正面から答えない、本題の結論を誤魔化すことが、大論客の癖のようである。


―――kusanone様、本当にお疲れさまです。ヽ(^o^)丿

―――大論客樋田さん、一つ、世間の道理をお教えしましょう。「岡目八目」です。直接関与せず、あなたのご論文を拝読するだけであなたのことがよ〜く了解出来ます。また読みづらい表示の仕方や同じ文章、引用を何度も何度も登場させて「コレクションの増量」をなさるご神経には、心底脱帽させられますですね、ハイ。

最後に読者の皆様へ、樋田大論文は非常に多くの「重複」と「脱線」と「パクリによる創作漫談」に彩られているものであること(作者の一つの心象風景?笑)を前提にお読み下さいませ。一回、二回読んだだけでは決して理解出来ない文章です。ゆめゆめ軽んずることなかれ〜。。。笑。。。マグマグ(〃^∇^)o_彡☆

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。22  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 1月15日(月)12時02分6秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

さて、では、以下の妄犬マゴマゴ君の奸文を刻んで置きましょう。
『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』を相手にするとほとほその馬鹿さ加減に呆れ返るが、しかし、その馬鹿さ加減を詳細に指摘し、記録に残しておくことで、世にニセ本尊の怖さが認識されるのであるから、労を惜しまず指弾しておかねばならない。
―――――――――――
> DATE:  1月13日(土)00時07分1秒
> TITLE: 【管理人樋田さま】おついでの時で結構ですので、、、
> NAME: 出張マグマグ  MAIL:
―――――――――――
↑駄文の全文はhttp://toyoda.tv/magomago.htmに保存しておきます。参照してください。
―――――――――――
> 【講 評=樋田さんは人の書いたものをパクッてまでして何を言いたいのか?★1『笑。。。』】

★1『』について
毎回感じることだが、こういう箇所で「笑える」としたら、一人妄想逞しくして、ほくそえんでいる、もはや一種の狂人である。呵々(←笑う時はこういう場面で、である。)
―――――――――――
> @ここでの冒頭、大論客樋田さんは★2【『大聖人は明確に「開眼」についてその存在の重要性を明示されている』と大見得を切っている】が、同じ文脈の中で★3【『しかし、「開眼」は唯授一人で、ただお一人からお一人にしか伝持されていない。つまりその方=御法主上人以外には知り得ない』と弱音も吐いている。】

↑★2【】について。
妄犬マゴマゴ君は、御書を持っていないのであろうか。
いやいや、猛毒ニセ本尊へ同盟唱題の後、御書を拝読している。との記述をどこかで見たことがあるが、そうであるならば、やはりニセ本尊の猛毒のせいで、大聖人の御心が全く拝せない、芯からの謗法者 と成り果てているのであろう。

★2【】については、http://toyoda.tv/yamainu2.htmの概ね130段〜139段の中で詳述してある。
今に至るまで、妄犬マゴマゴ君も駄犬やまいぬ。君もこれについて正当な文証を以っての反論は全くされていない。
つまり、正当な対論でいったら、 承服させられた。 という図である。
(それが不承知ならば、今からでも相手をするから堂々と教義的に反駁して見せよ。
出来なければ、承服 と認め、詫び状を提出せよ。案文は今まで当方が例示した例文等を参考にせよ。
いくら『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』でもその位の応用はできるであろう?ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜)

ま、妄犬マゴマゴ君が未練がましく自分が全く反論不能なのに、横合いからくどくどしく絡んで来れば来るほど、こうして、かつて自分達が、完全に反論不能になった記録を掲示される結果になるのだから愉快である。呵々大笑(←ここも妄犬マゴマゴ君へ教えてあげるが、こういうときにこそ「笑う」ものである。おまけにも一つ呵々大笑。)

★3【】について。
『大聖人は明確に「開眼」についてその存在の重要性を明示されている』
→『しかし、「開眼」は唯授一人で、ただお一人からお一人にしか伝持されていない。つまりその方=御法主上人以外には知り得ない』

↑これほど明快な文意が読めないとすればやはり、妄犬マゴマゴ君は『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』 の中でも、更にその代表的な存在である。
以前から指摘しているごとく、戒壇の大御本尊から退転するものの特長は、

■なごへ(名越)の尼・せう(少輔)房・のと(能登)房・三位房なんどのやうに候をくびゃう(臆病)、物をぼへず、よく(欲)ふかく・うたが(疑)い多き者どもは、ぬ(塗)れるうるし(漆)に水をかけ、そら(空)をき(切)りたるやうに候ぞ。

の仰せの通りで、

★臆病で(自分の意見を堂々と面と向かって言えず、人に仮託してひそひそと物陰に隠れていう妄犬マゴマゴなどこれに類するだろう。呵々)
★物をぼえず(何度教えても法門が分からない。駄犬やまいぬ。君・妄犬マゴマゴ君などいい例である。)
★欲深い(虚栄心強きが故に、道理も何もなく、ただ頑迷に勝他の念に囚われ、足掻き続ける。また、ただ反論不能になり敗北したにも拘らず。「自己申告負け」などと曖昧にぼかし、実は態と負けた振りをしてやってんだ。との虚勢を張る、なども名聞名利という欲深い現れ)
★疑い深い(姑息で無知・愚昧な言動に終始し、戒壇の大御本尊を信行できない疑心の塊 どもである)

であり、妄犬マゴマゴ君にそのまま当て嵌まる。呵々大笑。
この中で今回の特徴は ★物をぼえず であろう。

大聖人は「開眼」の存在の重要性を明確に御教示為されている。
しかし、その具体的な内容については示されていない。
その御大事は「血脈の次第 日蓮日興」との明示を濫觴として末法尽未来際、唯授一人・血脈相承されて御歴代上人へ伝持されていくのである。
この道理と文証はhttp://toyoda.tv/yamainu2.htm の76〜78段 に詳述してある。
これについても妄犬マゴマゴ君、駄犬やまいぬ。君は未だに正当な文証と道理を以って反駁できていない。
つまり反論不能→承服させられた。 ということである。
(ここも上記同様、不承知ならば教義的に反論してごらん。何を言ってきても、何度でも、完全に粉砕しますよ。
さ、遠慮せず、遠吠え(註 駄犬やまいぬ。君のこと。呵々)などしていないで堂々と向かって来たまえ。
妄犬マゴマゴ君?やまいぬ。君?)

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。23  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 1月15日(月)13時05分36秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

つづき、いきましょう。
今改めて全文を斜め読みしたが、妄犬マゴマゴ君の物陰から遠吠えしているがごとくの駄文には、御書の御文が全く引文されていない。
全て最初から終わりまで、ニセ本尊の魔が取り憑いた僻脳が思いつくただの歪んだ”感想”に過ぎない。
つまり、もはやこの妄犬マゴマゴ君は正当な文証と道理を元に教義的に反論することが不可能な程度の妄犬に成り果てている。
こういう点もニセ本尊の猛毒に侵された者がいかに低劣・愚劣・幼稚に成り下がるか、よく見て取れる箇所なので留意しておきたい。

では、駄文の破折にいきますか。
―――――――――――
> Aそして話題は急に『結要付嘱』と『(本尊の)開眼』の比較話しへと飛躍し、元々kusanone様が書いておられたものを原文(オリジナル)として一つの翻案(下手なコピー、笑)を作成したが(=秘伝・鸚鵡返しの術、笑)、話しはどんどん『開眼』から離れてしまった。

↑ここなども、もはや相手にすることも馬鹿馬鹿しいほどの愚論である。ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜
馬鹿にはそのレベルに腰を落として目線を合わせて教えなければならないから、ほとほと面倒くさいがやりますか。ほんと、ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜 である。

@ 創価学会発売のニセ本尊は当然「開眼」がされていない。
(因みにこのニセ本尊は基本的には 低下・・もとい、定価\3000らしい。だが、現場で創価学会員から聞いた結果、人によって金額に差が在るとのこと。差額は誰の下へ行くのか?所詮、魔札・鬼札であるから、金額の大小の問題ではないが・・)

A 「開眼」のないニセ本尊(魔札・鬼札)を、あろうことか「本尊」として拝むのであるから、創価学会員は「開眼」を否定せざるをえない。

B御書には”「草木成仏・開眼の義」がなければ「本尊」として成立しない。”と明確に仰せであるが、創価学会員はこの意義を何とか否定しなければ、自分等が拝んでいるニセ本尊(魔札・鬼札)の正当性が主張できない。

Cそこで、今回の”臭っ!いのね”君のように、邪問を構えて、御法主上人が為される開眼の儀を貶め、貶し、嘲笑い、何としても否定しようとする大馬鹿者が現れてくる。

Dしかし、恥犬など狂った創価学会員がどう「開眼の義」に難癖をつけ、否定しようと躍起になっても、「草木成仏・開眼の義」そのものは大聖人の御法門として厳然として存在するのである。

Eしかし、その深義・具体的な内容については明示されていない。ただ御歴代上人へ唯授一人・血脈相承されているという文証と道理があるだけである。

Fであるからここはただただ純真な「信」を以って拝する以外にはない。

Gそれと同様に大聖人の御法門にはただただ、純真な「信」を以って拝するしかない深秘深遠な深義が多く存在する。

Hその一例が、「大聖人が久遠元初の自受用報身如来である」ということである。

Iこのことは客観的で具体的、かつ物理的に詳細な証明は不可能である。

J今回”臭っ!いのね”君の難癖はまさに、開眼について表向きは”客観的で具体的、かつ物理的に詳細な証明”を求めた形をとって、その内心は、開眼の義そのものを否定せんがための、単なるいちゃもん・言い掛かりの類である。

Kであるから、もし、大聖人が明言されている「草木成仏・開眼の義」を不信・否定するのであれば、同様に大聖人が、「大聖人が久遠元初の自受用報身如来である」ということに対しても、”臭っ!いのね”君は”客観的で具体的、かつ物理的に詳細な証明”を求め、その証明が不可能な場合には、、「大聖人が久遠元初の自受用報身如来である」ということを不信・否定するのか?という論理の筋道に則った寓意を、例えを以って提示したのである。

L『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』どもには、斯様に丁寧に説明してやらなければ(してやってもか?呵々)小児ほどにも理解できないほど脳髄が腐り果てた、ということが今回の妄犬マゴマゴ君の駄文で再認識させられた。ということである。呵々大笑

 

あれっ!?お話しがどんどんと膨らみますですね、、、笑。。。Re: しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。22  投稿者:出張マグマグ  投稿日: 1月15日(月)21時24分15秒 west73-p89.eaccess.hi-ho.ne.jp

  引用

 

 

管理人樋田さま

長文のコメント、誠に有難うございました。いつもお疲れさまです。

> 大聖人は「開眼」の存在の重要性を明確に御教示為されている。
> しかし、その具体的な内容については示されていない。
> その御大事は「血脈の次第 日蓮日興」との明示を濫觴として末法尽未来際、唯授一人・血脈相承されて御歴代上人へ伝持されていくのである。
> この道理と文証は→http://toyoda.tv/yamainu2.htm の76〜78段 に詳述してある。

つ・ま・り、↑これを仰せになりたかったわけでございましょう?
二回に分けて、お話しをどんどんと膨らませておいでですが、、、。

> これについても妄犬マゴマゴ君、駄犬やまいぬ。君は未だに正当な文証と道理を以って反駁できていない。
> つまり反論不能→承服させられた。 ということである。
> (ここも上記同様、不承知ならば教義的に反論してごらん。何を言ってきても、何度でも、完全に粉砕しますよ。

まあ、どのようにお考えになられても樋田さまのご自由です。
あなたの、あなたによる私的な掲示板の、ご趣味のコレクションですものね。

が、反駁!?ですか?
これは私個人の考え(感想?)ですが、反駁するも何もございませんでしょう。
こちらが何を書かせて頂いても、
樋田さまは、結局は同じことを繰り返し、繰り返し仰せになっている、、、。
また時として本題と違うことにどんどん想像を膨らませていらっしゃる、、、笑ヽ(^o^)丿

> さ、遠慮せず、遠吠え(註 駄犬やまいぬ。君のこと。呵々)などしていないで堂々と向かって来たまえ。
> 妄犬マゴマゴ君?やまいぬ。君?)

ええ、昨年年末に書かせて頂いた通りです。ご確認頂くには及びません。

樋田さまこそ、どうぞご遠慮なく、ご存分にお書き下さいませ。。。出張マグマグ

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。24  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 1月15日(月)22時57分49秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

さて、相変わらず、教義的には全く反論不能な癖に、何とか、何でもいいから因縁をつけて纏わりつかなければ収まらない、妄犬マゴマゴ君だが、こういう表面的には大人を装って、内心では怨念の虜になっている様を”修羅”というのである。
大聖人様はこういう妄犬マゴマゴ君のような者を天台大師のお言葉を借りて以下のように指摘されている。

■「若し其の心念々に常に彼に勝らんことを欲し、耐へざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて視下ろすが如し。而も外には仁・義・礼・智・信を揚げて下品の善心を起こし阿修羅の道を行ずるなり」(御書・十法界明因果抄 209n)

※【通解】修羅界の者は、いつもいつも人に勝ちたいという思いが強く、それがかなわなければ、人を馬鹿にし、軽蔑し、自分を驕る高ぶる事、まさにトンビが空高く飛んで地上を見下ろすようである。しかも、いつも表面上は、思いやりとか、義理人情とか、礼儀礼節とか、知恵だとか、信用。信頼、誠実などなどをまことしやかに述べて、そういった世間通例の倫理観程度を人にも説き、自分も行なうふりをし、しかし実際はへつらい曲がった心で、常に他に勝ちたいとの生活をする。)

また、妄犬マゴマゴ君などは三類の強敵の第三類の眷属であるが故に、かくのごとくの仰せにもぴったりと当て嵌まっていよう。

■外には賢善を現はし、内には貪嫉(とんしつ)を懐く。唖法(あほう)を受けたる婆羅門(ばらもん)等の如し。実に沙門に非ずして沙門の像(かたち)を現じ、邪見熾盛(しじょう)にして正法を誹謗せん」

【補足】
創価学会の邪想は、「自らを”僧宝の一類”と位置付ける」所にある。これまさに、「実に沙門に非ずして沙門の像(かたち)を現じ、」との指弾に見事に当て嵌まっている。

※【通解】表向きは賢い賢人・聖人を繕い気取るが、しかし内心は正法を持つ者に対して激しく胸を焦がすような怨嫉の炎を燃え上がらしている。しかし、教義的には全く反論不能で、一言半句も反駁できない。そのくせ、本当の僧宝でもないのに、僧宝の一分を気取り、邪な思考・曲がった見方がいよいよ盛んとなって、正しい仏法→就中、戒壇の大御本尊とその御内証を相伝・伝持される御法主上人、そしてそこに連なる日蓮正宗の僧俗を誹謗・悪口罵詈讒謗し続ける)

まさに、妄犬マゴマゴ君の醜態そのままである。
よくよく自らの生まれの極悪・極醜の因縁を恥ずべきである。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。25  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 1月15日(月)23時48分15秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

さて、次の駄文を摧破しますか。
―――――――――――
> B通常、誰かから何かを問われて話しを展開する時に★1【「相手の話しを翻案して持論を形成する」】と言うのは、単なるパクリであり、何も論証したことになっていないことをこの大論客はご存じない模様である。このような対話ならば小学生でもすることであり、「お前のかーさん、で・べ・そー!」と言われて同じ言葉で応酬することと大差ないことである。

↑この妄犬はほとほと御書を読まないようである。目では文字を追っていても心に入らないか。
まっ、魔・鬼が入り込んだニセ本尊へ”同盟唱題”などというおぞましい蛮行を平然と敢行できるのであるから、御文の御心が心に入らないのも当然か。

■法華経を余人のよみ候は、口ばかりことばばかりはよめども心はよまず、心はよめども身によまず、

との御指弾のごとくの大馬鹿者である。

【上記の証明】

@ そもそも、当方は★1【】などしていない。
「相手の立論の矛盾点を浮き彫りにするために、構文はそのままに、主語・目的語等を入れ替え、立論の矛盾を突いている」のである。

A以下の御文は大聖人様が為された@の一例である。

■問うて云はく、(中略)法華経第八に云はく「頭破れて七分と作らん」と。第五に云はく「若し人悪み罵れば口即ち閉塞す」等云云。如何ぞ数年が間罵るとも怨むとも其の義なきや。
答ふ、反詰して云はく、不軽菩薩を毀訾し罵詈し打擲せし人は口閉頭破ありけるか如何。

■(前略)小乗を以て大乗を破し、大乗を以て小乗を破するは盲目の因なりと釈せらるゝの由申し候なるは実にて候やらん。
 反詰して云はく、小乗を以て大乗を破し、大乗を以て小乗を破するは盲目ならば、弘法大師・慈覚大師・智証等はされば盲目となり給ひたりけるか。善無畏・金剛智・不空等は盲目と成り給ふと殿はの給ふかとつめよ。

■問ふ、今日本国中の天台・真言等の諸僧並びに王臣万民疑って云はく、日蓮法師めは弘法・慈覚・智証大師等に勝るべきか如何。
答ふ、日蓮反詰して云はく、弘法・慈覚・智証大師等は釈迦・多宝・十方の諸仏に勝るべきか。

これらの御文は、妄犬マゴマゴ君に言わせればまさに★1【】となり、妄犬マゴマゴ君はあろうことか大聖人様に向かって、

▼「誰かから何かを問われて話しを展開する時に★1【「相手の話しを翻案して持論を形成する」】と言うのは、単なるパクリであり、何も論証したことになっていないことを『日蓮大聖人』はご存じない模様である。このような対話ならば小学生でもすることであり、「お前のかーさん、で・べ・そー!」と言われて同じ言葉で応酬することと大差ないことである。

と謗っているに等しい。
実に浅薄極まりない大馬鹿者である。
ここも、妄犬マゴマゴ君が、大聖人がお定めになった「開眼」の義のないニセ本尊を拝むが故に、大聖人の御心とは正反対の僻眼へと転がり落ちた証左である。
とことん馬鹿である。
『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』妄犬マゴマゴ君の醜態である。ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。26  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 1月16日(火)21時57分0秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

さて、次はどんな内容の駄文であろうか。

> C極めつけは原文(オリジナル)にない登場人物が翻案(この場合、パクリ)の舞台に登場することであり、大論客の空想力の逞しさが読者に伝わる一種の名場面でもあるが(笑)、これは前後の話しの流れからしてもまったく関係のない、無意味な脚色であり蛇足でもある。

↑やはり、『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』妄犬マゴマゴ君には当方の「論理の平行移動」が理解できなかったようである。
http://toyoda.tv/magomago.htm ←この経緯からすれば、妄犬マゴマゴ君がこのように幼稚な思考回路しか持ち合わせていないことは容易に理解できるところであるが、こうして繰り返し更にその頑迷さを上塗りする愚行には何か哀れを誘う。

聡明な読者には大変申し訳ないが、この妄犬マゴマゴ君のレベルへ腰を落として再度詳細に解説し呵責し直すので、もう十分趣旨を理解し、馬鹿馬鹿しいと思われる方は以下を読む必要はありません。
今までの経緯を御存知ない方のみお読み下さい。

まず”臭っ!いのね”君の愚論
―――――――――――
> いわゆる★1【「開眼された御形木御本尊」と、そうでない(開眼されていない)御形木御本尊(同じ相貌)を何体かお並べして瞬時にそれを見極めることができてこそ、事の上から君の言う『真実の開眼』といえるであろう。でなければ、ただの儀式、おまじないの範疇を出ることは理のうえから有り得ない。】
> 「法主自ら開眼した本尊がどれか判らない?」・・お笑いだよ。パロディーだよ!!
> 君が学会下附の御本尊を「開眼がない」「魔札」などと難癖をつける前に、上記を証明すべきでではないのか?
> 「開眼!開眼!」と騒ぎ立てて解答不能はないであろう?
> 義務はなくとも、樋田君にも、法主にお伺いする「権利」ぐらいはあるだろう?
> 違うか? 解答不能くん。
―――――――――――
で、これに対しての当方の反駁に編集・補足を加え再掲し、以って妄犬マゴマゴ君の軽薄さを摧破する。
―――――――――――
再掲文+補足・補注

●↑ここまで馬鹿だと、今世はまず修復不可能だな。
ここに醜犬がいかに「信」を亡失したか、一目瞭然である。

大聖人は明確に「開眼」についてその存在の重要性を明示されている。
「開眼がないものは魔・鬼が入る(趣意)」とも仰せである。
(註1 文証
■法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638

創価学会販売のニセ本尊は「開眼」がないのであるからまさに魔札・鬼札である。
しかし、醜犬"臭っ!いのね"君は、自ら妄執による『仮定条件』(註2 ★1【】)を設定して、その証明がなければ「開眼」を信じない。否定する。
しかし、『「開眼」は唯授一人で、ただお一人からお一人にしか伝持されていない。』(註3 この証明はhttp://toyoda.tv/yamainu2.htmの130 137段等に詳述)
つまりその方=御法主上人以外には知り得ない。また、余人へ伝え漏らしてもいけない。
しかし、醜犬はそれを聞け、と妄要する。
これこそ、▼「・・お笑いだよ。パロディーだよ!!」である。呵々大笑

で、この醜犬の「不信」の様を分かりやすく別の「お一人にしか知り得ない案件」に置き換えてみると(註4 ここが”臭っ!いのね”君の立論の矛盾の突く当方の「論理の平行移動」を摘示した箇所である。)、醜犬"臭っ!いのね"君が如何に愚かで、醜悪極まりないかが鮮明に浮かび上がってくる。

大聖人は法華経神力品で上行菩薩として結要付嘱を承けられた。
しかし、このことは大聖人以外誰も知り得ない。(註5 「開眼の義」と同様である)
ただ「信」を以って拝する以外ない。
この結要付嘱の大事は、まさに「開眼」の義にも通じる秘事である。(註6 結要付嘱の深義の中に「草木成仏・開眼の深秘・深遠な法門」が含まれるのである。

「文証」
■一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり。天台・妙楽・伝教、内にはかがみさせ給へどもひろめ給はず。
■草木成仏は死人の成仏なり。此等の法門は知る人すくなきなり。所詮妙法蓮華をしらざる故に迷ふところの法門なり。敢へて忘失する事なかれ
■一念三千の肝心、草木成仏 云々
■草木成仏の証人とは、日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るを指すなり。
■此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。
■大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千なり。今日蓮が時に感じ此の法門広宣流布するなり。
詳細な解釈は略)
そこで、醜犬"臭っ!いのね"君の言い分をこの結要付嘱に準えてみると↓かくなる。(「開眼」と同様に「結要付嘱」も、ただただ信を以ってしか拝すことができない重要肝心な御法門である)

”臭っ!いのね”君の「開眼」に対しての邪難の論理を「結要付嘱」へ平行移動して表記してみた』

> いわゆる★2【『大聖人が結要付嘱を承けたその確たる具体的・客観的証拠を見せてくれ』】てこそ、事の上から
>★3【 (当時の御信徒の誰でもいいが、仮に四条殿としてみよう。)】(註 結要付嘱を信じ主張する→)四条君の言う★4【『真実の『結要付嘱』』といえるであろう。】でなければ、★5【『幾ら虚空会の儀式がどうのこうのと大聖人が言ったって』ただの儀式、おまじないの範疇を出ることは理のうえから有り得ない。】
> 「『大聖人が神力付嘱の具体的かつ客観的な証拠を明示できない?』」・・お笑いだよ。パロディーだよ!!
>★6【 『四条君が、念仏の御本尊を無間地獄』などと難癖をつける前に】、上記を証明すべきでで(←※ママ)はないのか?
> 『神力付嘱、結要付嘱!』と騒ぎ立てて『具体的・客観的な証拠を出せずに』解答不能はないであろう?
> 義務はなくとも、四条君にも、『大聖人』にお伺いして『明確なる具体的・客観的な証拠を要求』する「権利」ぐらいはあるだろう?
> 違うか? 解答不能くん。

註7 ★2【】の言い分は、”臭っ!いのね”君がいう★1【】の言い分にそのまま配当される。
註8 ★3 妄犬マゴマゴ君などの愚者はここにいうただ”四条金吾殿”という有名な御信徒の名を当方が挙げさせていただいたことを嘲笑うのであるが、ここに明示した如く、当時の純真に大聖人を自受用報身如来の再誕と信じる方ならば誰を例えに挙げても全く問題は無いのである。
たまたま双方で認識度の高い四条金吾殿に登場願っただけである。しかし、詳細に閲すれば、四条殿が大聖人を自受用報身如来の再誕と深く拝していたかは少々疑問の残るところであるが。
註9 ★4も、”臭っ!いのね”君が、★1を証明できてこそ、「開眼」の義は在り得る。と主張している論理と全く同様の立論を設定しているのである。
10 ★5 この論理の組み立て方も★1が証明できなければ「開眼の義」などは在り得ない。とする”臭っ!いのね”君の立論と同様の設定である。
11 ★6 ここは、当方が「開眼のないニセ本尊などは魔札・鬼札である」と呵責することを、権実相対の辺に置き換え、阿弥陀仏を破折する設定にしているのであり、法門の論理性から言って順当である。

以下は、あまりに容易に理解できるが故に、これ以上解釈する必要もなかろう。
これほど平易な、”立論の設定を別のテーマに置き換えてその矛盾を突く、”という方法論が理解できない、とすれば、もはや単なる 馬鹿 に過ぎない。まことに ご愁傷様 である。
妄犬マゴマゴ君などは横合いから口を出してきて、自分がまさに『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』であると宣言・宣揚したようなものである。呵々大笑。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。27  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 1月17日(水)13時38分53秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

さて、妄犬マゴマゴ君の駄論粉砕のつづきいきますか。

> D最後にお約束の『君にはこの寓意が理解できたかな?』と言う大論客ならではの凄みを利かせた捨て台詞が登場するが、真面目に質疑しているkusanone様のみならず、このような下手な翻案が「寓意」などと言う高等なものを持っていないことは普通の読者なら誰にでも分かることである。つまり、理解出来るも何も、これが「パクリによる創作漫談」の一種であることには気がつく。。。爆笑!

↑もうこの邪難は既に完全に粉々にしているので、このようなくどくどしい、未練がましい難癖は前段26を見ていただければ十分であろう。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。28  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 1月17日(水)13時58分8秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

次。

> Eそしてこのような駄文にkusanone様が頓着なく論を進めると(質疑を進めると)、大論客は、今度は(1月11日)何を目的としてか次の翻案『万病に効く仙薬』(これも★1【原文の格調や文意の哲理性】からは遠くはなれた下手なパロディー、笑)をせっせと作成し出し、自分の掲示板へ自慢げに投稿する。。。

↑馬鹿もここまでくると、やはり哀れである。
魔札・鬼札のニセ本尊を拝むと斯くも正見を失うか、というやはり見本のような妄犬マゴマゴ君である。

では、ここも詳細に粉々に粉砕しておきましょうか。
ここも今まで同様に当該文を再掲載し、そこに編集・加筆・註釈を加え、以って妄犬マゴマゴ君の妄執を完摧する。
―――――――――――
再掲+註解

>>謗法者に当方から「法主もしくは住職に質問して答える」義務や責任は全くない。

> ↑何だこれは?あっそう、正宗信徒からからの質問であれば、君は「法主に聞いてくる」
> と言わんばかりであるが。
> どなたか、法華講さん、 樋田氏に質問していただけませんか?
―――――――――――
※註1↑この”臭っ!いのね”君の恥言のどこが
『真面目に質疑しているkusanone様』(前27段から引用)
★1【原文の格調や文意の哲理性】
なのか?
実に大哂いである。
いかに妄犬マゴマゴ君がニセ本尊のせいで、正しい物事の観察力・判断力を失っているか露呈した箇所である。ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜)
―――――――――――
再掲文

↑馬鹿に馬鹿を重ねた極馬鹿の痴言である。
重ね重ね『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』である。
―――――――――――
追筆

ここは、謗法根性剥き出しの邪問・醜問の

▼1『日蓮正宗の法主は、いわゆる「開眼された御形木御本尊」と、そうでない(開眼されていない)御形木御本尊を何体かお並べして瞬時にそれを見極めることができるのであろうか。』

などを態々御法主上人や御住職に訊く意味は全く一分も存在しない、という意味であり、同門・同信の真面目な御開眼に関する質問には、御書・御歴代上人の御指南を通して、また御住職にお伺いをしてできる限り、その方の信が進むようにお話をさせて頂くのは当然である。
(それとても、既に当板で論述してきた。
信を以って拝せば御書と御歴代上人の御指南で十二分に有難いことであり、一分の疑念を抱く余地すらない。
そこに、歓喜・感謝の恩徳を感じられないのは、ただただ、ニセ本尊を拝む恥犬や沖浦君等が「不信謗法」なだけの話である。
が、詮ずるところは、やはり、『御開眼の深義は御法主上人しか知り得ない』のである。)

(註2 今読み返してみても、全くこのまま、この通りである。何ら加筆する必要すらない。)

つづく

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。29  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 1月17日(水)15時49分39秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

つづき
―――――――――――
再掲文

醜犬”臭っ!いのね”君は、「開眼」を否定したいのであろう?
(醜犬が拝んでいるニセ本尊は開眼が為されてないこと明白であるから、”臭っ!いのね”君は「開眼」の義を肯定する訳にはいかない立場である。もし肯定するのならば、遠慮せず申し出てくれたまえ。それに似合った破折をしよう。)→

(註1 ここは”臭っ!いのね”君の主張全体を読むと明確に「開眼」を否定していることが分かる。)
―――――――――――
→つづき

●「草木成仏・開眼の御法門」を否定する謗法者が、

▼※2 『日蓮正宗の法主は、いわゆる「開眼された御形木御本尊」と、そうでない(開眼されていない)御形木御本尊を何体かお並べして瞬時にそれを見極めることができるのであろうか。』

などと悪意を以って邪難してきても、当の本人が開眼の意義そのものを否定するのであるから、態々▼「法主もしくは住職に質問して答える」義務や責任は全くない。
当たり前の道理である。

追駁

(註2 以下の寓話もニセ本尊で脳髄を蕩かされてしまった妄犬マゴマゴ君には一見では理解できないそうなので、まことに馬鹿馬鹿しい限りであるが註解を加えましょう。)

例えば
【『万病に効く。』という仙薬】(註3 戒壇の大御本尊 及び、御法主上人が開眼し、許可・認可された御本尊)
があり、
【その調合法は世界で一人の医師の家系にしか伝えられていない。
決して他へ漏らしてはならない。一子相伝である。
それが古くからのこの家の家訓である。】(註3 御本尊の深秘・深義 及び開眼の義は、唯授一人・血脈相承によって御歴代上人にしか伝持・相伝されていない。)

一方、
【かつてはその仙薬をいただいて飲んでいて実に健康そのものだった者達が居た】(註4 創価学会員がかつて真面目に日蓮正宗の教義に基づいて信行をしていた頃のこと)
のだが、
【ある一人の驕慢な者】(註5 池田大作君)
に誑かされて、
【その医師】(註6 御法主上人)
を嫌い、
【その仙薬を飲むのを止めた者達】(註7 戒壇の大御本尊から退転した創価学会員のこと)
が居る。

しかし、この者達は
【毎日薬を飲む習慣の為】(註8 表面的には勤行等の「仏教信仰」の形態をとって会員達を誑惑してきたこと。あるいは中には純真に日蓮正宗の御本尊を信じ毎日信行していた者たちも当然いる)、
【仙薬】(註3)
の替わりに痴人達に何かを与えなければならなくなった
【この一人の驕慢な男】(註9 池田大作君)
は、その
【秘伝の仙薬】(註3)
を真似て、
【見た目は色も質感も似ている粉ものを自己流にかき集め混ぜあわせ】(註10 創価学会販売のニセ本尊)
【痴人達】(註11 ニセ本尊に疑問を抱かない大馬鹿者の会員達)
に与えた。
【痴人達】(註11)
は、
【何も分からず日々そのまがい物を飲んでいる。】(註12 ニセ本尊を拝む姿)
【その驕慢の男】(註12 池田大作君)
は、自分の下に大勢の痴人を繋ぎ止めて置きたいが為に(それは
【日々この男へ莫大な貢物が上がるからである】)(註13 財務 と称しての多額の寄付金集め。公明党 と称して権力を行使できる政権与党での勢力維持。他 聖教新聞 という名目での資金集め。等等、莫大な資金と、政治的背景を形成する多数の票 等が、池田大作君へ集中する、中央集権的な機構体制が構築されている。)
【自分】(註5 池田大作君)が
【適当に掻き集めて混ぜ併せたまがい物】(註14 ニセ本尊)
を正当化する為に、
【その、秘伝の仙薬と調合法】(註15 御法主上人にしか伝持・相伝されない開眼の義も含む御本尊の御大事・深秘・深義)
を、
【繰り返し繰り返し、あえて嘲笑し侮蔑した。】(註16 「戒壇の大御本尊 モノ 発言」 等。例証繁多につき略す)
すると
【痴人達】(註17 ニセ本尊をニセと見抜けない大馬鹿者の創価学会員達)

【その男】(註 池田大作君)に追従して、いつしか
【その秘伝の仙薬と調合法】(註15)

【侮蔑し嘲弄しだした。】(註18 今回の”臭っ!いのね”君の邪問等)

しかし、
【その唯一調合法を知る医師】(註 御法主上人)
は、
【そのまがい物】(註 ニセ本尊)

【調べ、毒薬であることを見抜き広く伝える。】(註19 御法主上人がニセ本尊を呵責されること。証文繁多 略)

が、
【日々その毒薬を食らう痴人等】(註20 『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』である、妄犬マゴマゴ君、”臭っ!いのね”君、やまいぬ。君、沖浦君、陰性君 等などの大馬鹿ものども)
は、
【その医師】(註 御法主上人)の言を聞き入れない。

それは、
【自分等の毒薬にも麻薬的な効果があって、一時的に強い快感が生じるため】(註21 魔の通力によってニセ本尊でも利益らしきものが出ることがある。との意。http://toyoda.tv/okiura.tonso7.htm に詳述)
であり、また
【その毒薬を飲み続けていくと、正常な思考や情緒が破壊され、物事を正しく見聞きし、正しい判断をし、正しく行動することが出来なくなってしまうからである。】(註22 大聖人ははっきりと開眼のない本尊には魔・鬼が入る。と仰せである。その魔・鬼がニセ本尊を拝む者の心身に深く入り込み斯様な状態になるのである。)
それは、
【酒に酷く酔った時に正常な判断能力を失う姿と同様である。】(註23 御書にも類文あり)

さて、
【その毒薬に酔い痴れている痴人の一人】(註24 魔札・鬼札のニセ本尊をありがたがって拝む”臭っ!いのね”君のような者)が、その
【仙薬や調合法】(註15)を否定したいが為に、
【秘伝の調合法の内容に関することについて、その仙薬を飲む者へ底意地悪い質問をしてきた。】(註25 今回の▼※2等の邪問)
【その邪問を受けた者】(註26 当方)

【その泥酔した酔漢の如くの痴人】(註27 ”臭っ!いのね”君及び妄犬マゴマゴ君など)
に対して、
【もとより一子相伝で外部に漏らしてはならない決まりの調合法】(註15)
を、態々
【医師】(註 御法主上人)
に伺って(そもそも秘伝であるからその
【医師】(註 御法主上人)
が内容を開示されるはずもないが)
【その内容】(註15)
を示す必要があるのか。

それよりも、まずは
【痴人】(註24)

【毒薬】(註 ニセ本尊)
を一刻も早く止めさせ、
【酔いを冷まさせ】(註28 激しく呵責すること)、
【正しい仙薬を飲むことを強く勧める】(註29 ニセ本尊を速やかに破却し、創価学会を脱会し、日蓮正宗へ帰伏し、懺悔滅罪の日々を過ごす事を強く勧めること)
のが先決であろう。
であるから以下の再掲文と続くのである。

あ〜〜、『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』を相手にすると、実に骨の折れるものである。
妄犬マゴマゴ君などは知性の欠片も持ち合わせていないから、このような詳細な解説をしてやらないと理解でいないようである。(どうせ、これでも分からないだろうがね。ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜)
だが、これを読む他の有識具眼の方が領とせられれば、それで十分であろう。

つづく

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。30 祝30回!ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 1月17日(水)19時26分46秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

つづき
―――――――――――
再掲

むしろ、「開眼」を否定する、その謗法根性を破折することが重要である。
大聖人が明確に仰せになる「草木成仏・開眼の義」を否定する者→不信謗法者→堕地獄必定の醜愚な者 である。
つまり”臭っ!いのね”君は、▼1などを邪問している場合ではなく、間違いなく今生では不幸・事故・災難・災害・犯罪等に巻き込まれ、後生は無間地獄は確定の醜悪な衆生なのである。
よくよくその極醜・極悪な生まれ育ちの因縁を恥じ入るべきであろう。

(註 ↑ここもこの通りこのままであり、別段に加筆することも無いほど明確な論理による破折である。)
何か言い返したいのなら、正当な文証と道理に依って反駁して見せたまえ。

@ただの不満・憤懣
A同じ内容の焼き直し
B自分の感想・意見

などは、全て正当な法義論争上では採用されない。全くの不可である。
さ、”臭っ!いのね”君でも、妄犬マゴマゴ君でもどっちでも構わない。
@〜B以外で、正当に教義的に反論して見せたまえ。
出来なければ、潔く謝罪したまえ。
いくら馬鹿でもいい加減、その馬鹿さ加減に気づきたまえ。
ニセ本尊に唱題していてはそういう当たり前の”人間の心”に戻るのは無理か?
魔境・鬼神の棲家であるニセ本尊に合掌礼拝するのであるから、確かに根性が悪鬼魔神と化して行くのも当然か。
それに気づけないとすれば、やはり相当の馬鹿だな。
馬鹿に付ける薬なし だな。ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜
―――――――――――
> F可笑しな翻案によって原文を汚すことに躍起になって取り組むが、さっさと本題に答えない、本題に正面から答えない、本題の結論を誤魔化すことが、大論客の癖のようである。

↑妄犬マゴマゴ君がニセ本尊の猛毒で脳髄が溶解しておって正常な理解能力を喪失しているが故に、論理の構成が見えないだけである。

当方の主張は始終一貫している。

開眼の義は、その一切が御法主上人しか知り得ない。
→開眼の義の一切の中に、”臭っ!いのね”君の邪問の内容も含まれる。(与奪の内の「与」の義)
→当然御法主上人しか知り得ない。
→これが、「答え」そのもの であり、これ以上でも以下でもない。
→更に、”臭っ!いのね”君の邪問など、与奪の「奪」の義でいえば、大聖人が厳然とその存在を明言されている「開眼の深義」を否定している謗法者であるにも拘らず、自分が否定している法義の、更に詳細な内容などを訊いて来るのはまさに邪な底意から為せる邪問であって、まともに取り合うべき代物ではない。
→むしろ、開眼を否定するその邪心を砕くことが先決である。
→開眼を否定できるその教義的な根拠(文証と道理)を明示せよ。
→それが出来なければ、正当な反駁に為っていない。ただの遠吠え いちゃもん 難癖 の類であり、よく反論不能になった謗法者がなすところのものである。
→現時では”臭っ!いのね”君は以上の論証の如くに、大聖人の教義を否定する、ただの謗法者であること治定 であるから、正式に謝罪文を書きたまえ。と要求しているのである。
→その状況下で、誰も呼びもしないのに、横合いから、しかも物陰に隠れて臆病な、その上実に的外れで、頓珍漢な論旨で遠吠えをしている妄犬マゴマゴ君などは、”臭っ!いのね”君と同等、もしくはそれ以上の謗法根性の愚か者である。
→妄犬マゴマゴ君は、斯様に、物陰から石を投げつけてみて、結果その愚論を散々に破折され、まともな教義では反論不能に陥り、その経緯を駄犬やまいぬ。君の時と同様に、またも末永く晒される、という、実に創価学会にとって有り難くない、むしろ迷惑な存在と成り果てている。
→しかも、その惨めさにまだ自覚していないようである。
→実に『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』妄犬マゴマゴ君であった。ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。31  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 1月18日(木)01時37分55秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

【前置き】

またもや、妄犬マゴマゴ君、二重に幼稚・稚拙な不勉強振りを曝け出した。
しかし、書けば書くほどに、無知である。
これでよく偉そうに日蓮大聖人の仏法を語るものである。
―――――――――――
【妄犬マゴマゴ君の主張】

> DATE:  1月17日(水)22時40分29秒
> TITLE: 【読者からのお願い】
> NAME: 出張マグマグ  MAIL:
>
> あー、、、何でも良いのですが、、、。
> ▼1【設問に対しては正面からお答え下さりたい。】これは是非とも申し上げたい。
> また、▼2【余計なことはどうでも良い】のですよ。。。
―――――――――――
【その1】 ↑実に馬鹿である。

1、【始めにまず結論】

この恥言もそのまま大聖人様へ吐きつけることになるのである。ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜

大聖人は問いに対してかくのごとく鮮やかに返されている。
(それは例えば”臭っ!いのね”君のような道理が分からない、しかも執拗に無闇に邪問を繰り返す謗難者に対しても通じる問答の基本姿勢である。)
―――――――――――
2、【文証】

■1「問ふ、天台大師の止観一部並びに一念三千・一心三観・己心証得の妙観は、併ら法華経に依ると云ふ証拠如何。
答ふ、予反詰して云はく、法華経に依らずと見えたる証文如何。人之を出だして云はく「此の止観は天台智者の己心中の所行の法門を説くなり」と。」
―――――――――――
→妄犬マゴマゴ君程度ではこの意を領することは難しかろうから簡単に説明すると、

3、【通解】

問者が問う。
天台大師の「一念三千・一心三観・己心証得の妙観」は法華経に依拠する、法華経を根拠とする、とは、その証拠や文証とはどこにあるのか?
大聖人が、●1【(その愚問に直接返答されずに)反対に詰問される。】
では、訊くが法華経を依拠としない、根拠としない、との文証はあるのか?
(そして道理を御説きに為る。)
この摩訶止観は天台大師の己心の中での観念観法の修行の法門を説くのである。(であるから、法華経の文上に直接の文証はないのは理の当然である。との意味が篭められている)

→さて、高校生程度の語学力があれば容易に理解できるところであるが、大聖人様は問者の問いに▼1「設問に対しては正面からお答え下さ」っていないのである。
―――――――――――
4、【文証2】

しかも更に以下の御文が続く。

■2「或は又「故に止観に至って正しく観法を明かす、並びに三千を以て指南と為す。乃ち是終窮究竟の極説なり。故に序の中に説己心中所行法門と云へり。良に以有るなり」文。難じて云はく、此の文は全く法華経に依らずと云ふ文に非ず。既に説己心中所行法門と云ふが故なり。天台の所行の法門は法華経なるが故に、此の意は法華経に依ると見えたる証文なり云云。但し他宗に対するの時は問答大綱を存すべきなり。所謂云ふべし、若し天台の止観、法華経に依らずといはゞ速やかに捨つべきなりと。其の故は天台大師兼ねて約束して云はく「修多羅と合せば録して之を用ひよ。文無く義無きは信受すべからず」云云。伝教大師の秀句下に云はく「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」云云。竜樹の大論に云はく「修多羅に依るは白論なり修多羅に依らざるは黒論なり」云云。教主釈尊云はく「法に依って人に依らざれ」文。天台は法華経に依り竜樹を高祖ともし乍ら経文に違し、我が言を飜じて外道邪見の法に依って止観一部を釈する事全く有るべからざるなり。」

→そして次の段の問いが構えられるのである。
―――――――――――
5、【検証】

さて、この■1・2の御文の中には、■1の中の、問いの主意「法華経に依ると云ふ証拠如何」=「法華経を根拠とする、とは、その証拠や文証とはどこにあるのか?」との問いに直接そのままのお答えはどこにもないのである。
つまり、妄犬マゴマゴ君流に言えば▼1「設問に対しては正面からお答え下さ」っていない▼2「余計なこと」 と為る訳である。ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜
―――――――――――
6、【結論・まとめ】

以上の証拠とその検証によって、妄犬マゴマゴ君が当方へ吐きかけた難癖の理屈は、あろうことか大聖人様へ向かって吐くのと同様の構図となるのである。
―――――――――――
7、【例示・再確認】

大聖人の上記■1・2の御文に対して、妄犬マゴマゴ君の痴言。

▼> あー、、、何でも良いのですが、、、。
> ▼1【設問に対しては正面からお答え下さりたい。】これは是非とも申し上げたい。
> また、▼2【余計なことはどうでも良い】のですよ。。。』
―――――――――――
8、【呵責】

↑まことに、何度同様の間違いを犯しても懲りない馬鹿である。
学習効果が全くないのも『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』妄犬マゴマゴ君の特徴である。ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜

【その2】に つづく

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。30 ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜30回記念〜  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 1月26日(金)18時36分32秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

さて、次はこの馬鹿。
最早教義的には他の小者と同様、全く反論不能なるが故に、この臆病・小心者は、ただ粘性濃く、ネバネバ絡み付くしか能が無い。
実に惨めな様である。
こんな者が創価学会員としてそこら辺をうろうろしているのであるからおぞましい。

では、この馬鹿への続きの呵責をしておきましょうか。
> =======================================
>
> それと、管理人さまには一つお願いを申し上げます。
> やはり礼節は大事なことでしょう。
> (私自身のことでは決してなくて)
> 他の方のHNはきちんとお書きになることが基本かと存じますですよ。。。出張マグマグ
✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

↑しかしまたもや馬鹿丸出しである。

1、もともとHNなど”偽名”であり、実社会に生活している本人など特定できないのであるから、それをどうかまおうが、別段何の問題も生じない。
2、名前を揶揄して呵責することは、大聖人も為されている。
↑このやりとりは既にhttp://toyoda.tv/adobe.tonso1.htmで詳細に呵責済みである。

妄犬マゴマゴ君が臆病で小心なくせにそれでも何か当方に絡みたくてしょうがないらしいが、少しは教義的に何か言って見たら如何か?
まっ、『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』の一類では所詮無理であろうが。

しかしこのような愚かな、仏法の初門にすら惑う連中の集まりである創価学会とは、げに無惨なものである。
こんな愚かな者どもが日本国中の随所に魔札・鬼札であるニセ本尊と共に棲息している、などとは、実に肌寒いものがある。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。32  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月 5日(月)20時13分6秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

さて、次はこれか?
―――――――――――
Re: 【管理人樋田さま】おついでの時で結構ですので、、、
―――――――――――
”おついで”に片付けていきましょう。呵々
―――――――――――
> これも「小者コレクション」の中に含めておいて下さいませ。
> ホント、いつもいつもご面倒をおかけ致しますですね。。。出張マグマグ
>
>
> 【研究報告=大論客樋田氏は何を題材として何を論証するのか?―――世紀の大論客のスリカエはどこまで続くのか?笑】
>
> 投稿者:マグマグ 投稿日:2007-02-01 17:51:58 No.15650
>
>
> はい、これは本日(2月1日)の新鮮な材料で、古〜いテーマによるものでござります、、、ヽ(^。^)ノ
> はい、いつもの通り、シリーズ「○○君の妄執を叱る11」からの抜粋でござります。。。
>
>
> === 問題となる原文 ===
>
> 【概括】◇◇君は、御書に「文」そのものがなくとも、その「道理」が厳として存することに於いてすら、「蓮祖・興師の文証」を出せ。出なければ信じない。と幼稚園児のごとく喚いていただけの事である。/当方の主張するところは、大聖人の仏法の究極の奥義であるところの御本尊に関して全くの門外漢である在家が、勝手に本尊を仕立て上げていい、などという、「道理」も「文証」も御書には全くない。/もしあるとするならば、まずきちんと「文証」を示せ。と詰問したのである。(概略の趣意)/御書には御歴代上人以外の門外漢が本尊を勝手に作ってはいけない。との「道理」を示す「御文」が存するのみである。
>
> 【文証】(十年一日の如く、、、なので、略)
>
>
> === 問題点の指摘、コメント(笑) ===
>
> @「◇◇君」と呼ばれている方が論じている問題と「○○君」と呼ばれている方が論じている問題は明らかに内容、次元において異なる性質のものである。前者は昨年11月末に初出の「南無妙法蓮華経の内証の『内証』」………などに代表される大論客側の「無限ループ」「永久等号式」の問題であり、大聖人の「法義内容そのもの、あるいはそれを示した道理など=化法」にかかわること。後者は大聖人の「法義内容」を実際の社会生活に顕現したり、ルールとして遵守させるための「方法、様式などのスタイルとでも言うべきもの=化儀」にかかわること。この二つを同列に扱っているところに大論客の大論客さがあらわれていよう。
―――――――――――
↑やはりいきなり 馬鹿 である。

1 「御本尊の開眼供養の御大事」は妄犬マゴマゴ君が軽侮するような意味での「化儀」の問題ではない。

【文証】

日寛上人

■ 木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に【※1】『一念三千の仏種の魂魄を入る』るが故に、木画の全体生身の仏なり。
二十八十三四条金吾抄に云く
「一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり乃至第三の国土世間と申すは草木世間なり乃至五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、【※2】『此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり」』と云云。
文の中に「此の法門」とは、【※3】『一念三千の法門』なり。
また三十一巻二十骨目抄に云く
「三十一相の木画の像に法華経を印すれば木画二像の全体全身の仏なり、草木成仏といへるは是れなり」と云云。
若しこの意を得ば、答の大旨自ら知るべし。
またまた当に知るべし、若し草木成仏の両義を暁れば、則ち【※4】『今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。』
謹んで文字及び木画と謂うことなかれ云云。
―――――――――――

【解釈】

※1】『一念三千の仏種の魂魄を入る』
※2】 天台大師のさとり  即身成仏
※3】『一念三千の法門』
※4】『今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。』

以上の御文を拝すればまさに一目瞭然であるが、これ化法の根本中の根本、元草木である御曼荼羅が 事の一念三千即生身の御本仏・久遠元初自受用報身如来即日蓮大聖人 との御本尊に成り得るかそうでないかの深義である。

■法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638

↑「法華を心得たる人」が開眼供養しなければその”本尊もどき”には鬼神が執り憑く、=「本有無作の一念三千の生身の御仏」とはならず、即身成仏も叶わない、魔札・鬼札であるから、化法 の実に根本中の根本、本尊義に関することである。

妄犬マゴマゴ君はさすが、戒壇の大御本尊からの退転者だけあって、この仏法の本義を▼『「法義内容」を実際の社会生活に顕現したり、ルールとして遵守させるための「方法、様式などのスタイルとでも言うべきもの=化儀」にかかわること。』などと、馬鹿なくせに知ったかぶりをして、結局、軽んじ、あたかも 化法 ほどの重要性がない、という意味に貶めているのである。
まことに、実に、馬鹿 である。浅薄・浅識・軽薄・愚癡 である。

因みに化法と化儀は車の両輪の関係であって、殊更に化儀だけが劣るというような概念は正統な大聖人の仏法には存在しない。
ここも、妄犬マゴマゴ君が外道義に堕している証拠である。
頭の弱い退転者が何をどう賢しげに書いてみても底が知れているものである。 呵々大笑。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。30 ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜30回記念〜  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 1月26日(金)18時36分32秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

さて、次はこの馬鹿。
最早教義的には他の小者と同様、全く反論不能なるが故に、この臆病・小心者は、ただ粘性濃く、ネバネバ絡み付くしか能が無い。
実に惨めな様である。
こんな者が創価学会員としてそこら辺をうろうろしているのであるからおぞましい。

では、この馬鹿への続きの呵責をしておきましょうか。
> =======================================
>
> それと、管理人さまには一つお願いを申し上げます。
> やはり礼節は大事なことでしょう。
> (私自身のことでは決してなくて)
> 他の方のHNはきちんとお書きになることが基本かと存じますですよ。。。出張マグマグ
✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽

↑しかしまたもや馬鹿丸出しである。

1、もともとHNなど”偽名”であり、実社会に生活している本人など特定できないのであるから、それをどうかまおうが、別段何の問題も生じない。
2、名前を揶揄して呵責することは、大聖人も為されている。
↑このやりとりは既にhttp://toyoda.tv/adobe.tonso1.htmで詳細に呵責済みである。

妄犬マゴマゴ君が臆病で小心なくせにそれでも何か当方に絡みたくてしょうがないらしいが、少しは教義的に何か言って見たら如何か?
まっ、『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』の一類では所詮無理であろうが。

しかしこのような愚かな、仏法の初門にすら惑う連中の集まりである創価学会とは、げに無惨なものである。
こんな愚かな者どもが日本国中の随所に魔札・鬼札であるニセ本尊と共に棲息している、などとは、実に肌寒いものがある。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。32  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月 5日(月)20時13分6秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

さて、次はこれか?
―――――――――――
Re: 【管理人樋田さま】おついでの時で結構ですので、、、
―――――――――――
”おついで”に片付けていきましょう。呵々
―――――――――――
> これも「小者コレクション」の中に含めておいて下さいませ。
> ホント、いつもいつもご面倒をおかけ致しますですね。。。出張マグマグ
>
>
> 【研究報告=大論客樋田氏は何を題材として何を論証するのか?―――世紀の大論客のスリカエはどこまで続くのか?笑】
>
> 投稿者:マグマグ 投稿日:2007-02-01 17:51:58 No.15650
>
>
> はい、これは本日(2月1日)の新鮮な材料で、古〜いテーマによるものでござります、、、ヽ(^。^)ノ
> はい、いつもの通り、シリーズ「○○君の妄執を叱る11」からの抜粋でござります。。。
>
>
> === 問題となる原文 ===
>
> 【概括】◇◇君は、御書に「文」そのものがなくとも、その「道理」が厳として存することに於いてすら、「蓮祖・興師の文証」を出せ。出なければ信じない。と幼稚園児のごとく喚いていただけの事である。/当方の主張するところは、大聖人の仏法の究極の奥義であるところの御本尊に関して全くの門外漢である在家が、勝手に本尊を仕立て上げていい、などという、「道理」も「文証」も御書には全くない。/もしあるとするならば、まずきちんと「文証」を示せ。と詰問したのである。(概略の趣意)/御書には御歴代上人以外の門外漢が本尊を勝手に作ってはいけない。との「道理」を示す「御文」が存するのみである。
>
> 【文証】(十年一日の如く、、、なので、略)
>
>
> === 問題点の指摘、コメント(笑) ===
>
> @「◇◇君」と呼ばれている方が論じている問題と「○○君」と呼ばれている方が論じている問題は明らかに内容、次元において異なる性質のものである。前者は昨年11月末に初出の「南無妙法蓮華経の内証の『内証』」………などに代表される大論客側の「無限ループ」「永久等号式」の問題であり、大聖人の「法義内容そのもの、あるいはそれを示した道理など=化法」にかかわること。後者は大聖人の「法義内容」を実際の社会生活に顕現したり、ルールとして遵守させるための「方法、様式などのスタイルとでも言うべきもの=化儀」にかかわること。この二つを同列に扱っているところに大論客の大論客さがあらわれていよう。
―――――――――――
↑やはりいきなり 馬鹿 である。

1 「御本尊の開眼供養の御大事」は妄犬マゴマゴ君が軽侮するような意味での「化儀」の問題ではない。

【文証】

日寛上人

■ 木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に【※1】『一念三千の仏種の魂魄を入る』るが故に、木画の全体生身の仏なり。
二十八十三四条金吾抄に云く
「一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり乃至第三の国土世間と申すは草木世間なり乃至五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、【※2】『此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり」』と云云。
文の中に「此の法門」とは、【※3】『一念三千の法門』なり。
また三十一巻二十骨目抄に云く
「三十一相の木画の像に法華経を印すれば木画二像の全体全身の仏なり、草木成仏といへるは是れなり」と云云。
若しこの意を得ば、答の大旨自ら知るべし。
またまた当に知るべし、若し草木成仏の両義を暁れば、則ち【※4】『今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。』
謹んで文字及び木画と謂うことなかれ云云。
―――――――――――

【解釈】

※1】『一念三千の仏種の魂魄を入る』
※2】 天台大師のさとり  即身成仏
※3】『一念三千の法門』
※4】『今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。』

以上の御文を拝すればまさに一目瞭然であるが、これ化法の根本中の根本、元草木である御曼荼羅が 事の一念三千即生身の御本仏・久遠元初自受用報身如来即日蓮大聖人 との御本尊に成り得るかそうでないかの深義である。

■法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。638

↑「法華を心得たる人」が開眼供養しなければその”本尊もどき”には鬼神が執り憑く、=「本有無作の一念三千の生身の御仏」とはならず、即身成仏も叶わない、魔札・鬼札であるから、化法 の実に根本中の根本、本尊義に関することである。

妄犬マゴマゴ君はさすが、戒壇の大御本尊からの退転者だけあって、この仏法の本義を▼『「法義内容」を実際の社会生活に顕現したり、ルールとして遵守させるための「方法、様式などのスタイルとでも言うべきもの=化儀」にかかわること。』などと、馬鹿なくせに知ったかぶりをして、結局、軽んじ、あたかも 化法 ほどの重要性がない、という意味に貶めているのである。
まことに、実に、馬鹿 である。浅薄・浅識・軽薄・愚癡 である。

因みに化法と化儀は車の両輪の関係であって、殊更に化儀だけが劣るというような概念は正統な大聖人の仏法には存在しない。
ここも、妄犬マゴマゴ君が外道義に堕している証拠である。
頭の弱い退転者が何をどう賢しげに書いてみても底が知れているものである。 呵々大笑。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。33  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月 6日(火)14時24分58秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

どれどれ、少しは法義的な話になりそうかな。
では見ていきましょうか。
―――――――――――
Re: ああ、これはこれは。。。Re: しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。32

> > 【文証】
> >
> > 日寛上人
> >
> > ■ 木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に【※1】『一念三千の仏種の魂魄を入る』るが故に、木画の全体生身の仏なり。
> > 二十八十三四条金吾抄に云く
> > 「一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり乃至第三の国土世間と申すは草木世間なり乃至五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、【※2】『此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり」』と云云。
> > 文の中に「此の法門」とは、【※3】『一念三千の法門』なり。
> > また三十一巻二十骨目抄に云く
> > 「三十一相の木画の像に法華経を印すれば木画二像の全体全身の仏なり、草木成仏といへるは是れなり」と云云。
> > 若しこの意を得ば、答の大旨自ら知るべし。
> > またまた当に知るべし、若し草木成仏の両義を暁れば、則ち【※4】『今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。』
> > 謹んで文字及び木画と謂うことなかれ云云。
> > ―――――――――――
―――――――――――
> 管理人樋田さま
>
> 少しタイムラグがございますが、わざわざのお書き込み、誠に有難うございます。
>
> なるほど、今度は寛師の「本尊抄文段」ですか。。。しかし、それならば先ずは御書の本文の方をお読みになってからお出し頂く方がよかったのでは、と存じます。
>
> 【引用】
>
> 観心本尊抄―――問うて曰く百界千如と一念三千と差別如何、答えて曰く百界千如は有情界に限り一念三千は情非情に亘る、不審(ふしん)して云く非情に十如是亘るならば草木に心有つて有情の如く成仏を為す可きや如何、答えて曰く此の事難信難解(なんしんなげ)なり天台の難信難解に二有り一には教門の難信難解二には観門の難信難解なり、其の教門の難信難解とは一仏の所説に於て爾前(にぜん)の諸経には二乗闡提(せんだい)・未来に永く成仏せず教主釈尊は始めて正覚を成ず法華経迹本二門に来至(らいし)し給い彼の二説を壊(やぶ)る一仏二言水火なり誰人か之を信ぜん此れは教門の難信難解なり、観門の難信難解は百界千如一念三千・非情の上の色心の二法十如是是なり、爾(しか)りと雖も木画(もくえ)の二像に於ては外典内典共に之を許して本尊と為す其の義に於ては天台一家より出でたり、草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊に恃(たの)み奉ること無益なり、疑つて云く草木国土の上の十如是の因果の二法は何れの文に出でたるや、答えて曰く止観第五に云く「国土世間亦十種の法を具す所以に悪国土・相・性・体・力」等と云云、釈籤(しゃくせん)第六に云く「相は唯色に在り性は唯心に在り体・力・作・縁は義色心を兼ね因果は唯心・報は唯色に在り」等云云、金錍論(こんぺいろん)に云く「乃(すなわ)ち是れ一草・一木・一礫(りゃく)・一塵・各一仏性・各一因果あり縁了(えんりょう)を具足す」等云云。―――御書全集239頁
>
> 【私マグマグからのコメント】
>
> あなたはどう言う意味合いからか遠まわしにも、この本尊抄を寛師が講義された文段から引用をなさっています。しかしとても残念なことながら、上に引用の御書本文にも、これを釈された文段の該当箇所にも「開眼」と言う言葉は一つも出て来ないことをご存じだったでしょうか?
>
> 更に言えば、文段の本文で寛師が引かれている御書はまさに「四条金吾釈迦仏供養事」で、冒頭が『御日記の中に釈迦仏木像一体等云々、開眼の事・普賢経に曰く(御書全集1144頁から)』で始まるものであります。この御書には確かに「開眼」の二文字が数回登場致します。が、寛師がこの文段への引用箇所(同頁最終段から)では本文の直前にある、あの有名な御文『されば画像・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし』を外して出して来られていることを、あなたはご存じでしたでしょうか?
>
▼1『> 何故かならば上掲の本尊抄の一段は別に「開眼」の意義などと言うものを御教示なさろうとしたものではないからです。簡単に言って、一念三千を大聖人の仏法から御説きになり、非情の草木そのものに本覚の法・報・応の三身が具わっていることに加えて「色心の因果を置」くことで『草木成仏』の実相を御示しになり、つまりこれが金錍論における「縁了を具足す」のことであり、この段の論旨の骨格である有情・非情の差別相をも束ねる(一念三千は情非情に亘る、と言う)事の一念三千を御示しになった、それだけのことでしょう。ゆえに寛師も当該文段の中で「草木成仏」ばかりを強調なさっている。。。』
>
> まあ、大聖人にせよ寛師にせよ、必要のないことをここへ御書きになる御考えは元々なかったのでしょう。
>
> 私のあなたのお書き込みに対する読後感はこう言ったものです。お互いに研鑽を続けて参りましょう。出張マグマ
―――――――――――
↑通読してみれば、やっぱり 馬鹿 であった。ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜

この段の意義が二意に分けて説かれていることを知らないのか?
この妄犬マゴマゴ君の蒙昧を鮮明に焙り出すためにまずはこの段の全文を引文させていただく。

【文証】

■ 一、各一仏性・各一因果あり縁了を具足す文。(同n)
  これ即ち性得の三因仏性なり。「各一仏性」とは正因仏性なり。この正因仏性即ちこれ一念三千なり。故に「各一因果」というなり。謂く、因果とは即ちこれ十如是の因果の二法なり。「実相は必ず諸法諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土、故に因果の二法即ちこれ一念三千なり。故に三千即中の辺を以て正因仏性と名づくるなり。この三千即中の正因仏性の体に於て三千即空、三千即仮の用を具足するなり。三千即仮は即ちこれ縁因仏性、三千即空は即ちこれ了因仏性なり。故に「縁了を具足す」というなり。弘五中十四に云く「三千即空性は了因なり。三千即仮性は縁因なり。三千即中性は正因なり」と云云。
 問う、今この下の答の大旨は如何。
 答う、凡そ草木成仏とは、一往熟脱に通ずと雖も、実はこれ文底下種の法門なり。その故は宗祖云く■1『「詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり」』と。一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文底に秘沈し給えるが故なり。末師の料簡は且く之を聞く云云。
 ■2『今謹んで諸御抄の意を案ずるに、草木成仏に略して二意あり。一には不改本位の成仏、二には木画二像の成仏なり。』
 初めの不改本位の成仏とは、謂く、草木の全体、本有無作の一念三千即自受用身の覚体なり。外十三十四に草木成仏の口伝に云く「『草にも木にも成る仏なり』云云、此の意は草木にも成り給ヘる寿量品の釈尊なり」と云云。また二十三二十一に云く「又之を案ずるに草木の根本、本覚の如来・本有常住の妙体なり」と云云。総勘文抄に云く「春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の草木も皆悉く萠え出生して華敷き栄えて世に値う気色なり秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す」等云云。応に知るべし、この中に草木の体はこれ本覚の法身なり。その時節を差えざる智慧は本覚の報身なり。有情を養育するは本覚の応身なり。故に不改本位の成仏というなり。
 二に木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に■3『一念三千の仏種の魂魄を入るる』が故に、木画の全体生身の仏なり。二十八十三四条金吾抄に云く「一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり乃至第三の国土世間と申すは草木世間なり乃至五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、■4『此の画木に魂魄と申す神を入るる事』は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば■『草木成仏』と申すなり」と云云。文の中に「此の法門」とは、一念三千の法門なり。また三十一巻二十骨目抄に云く「三十一相の木画の像に■5『法華経を印す』れば木画二像の全体全身の仏なり、■6『草木成仏といへるは是れ』なり」と云云。若しこの意を得ば、答の大旨自ら知るべし。またまた当に知るべし、若し■『草木成仏の両義』を暁れば、則ち■7『今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画と謂うことなかれ』云云

次にこの日寛上人の御指南■2にあるが如く、諸御抄に説かれる「開眼供養」の御意を拝してみよう。

■8 草木成仏口決   文永九年二月二〇日  五一歳
我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。

■9 木絵二像開眼の事   文永九年  五一歳
法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。今真言を以て日本の仏を供養すれば、鬼入りて人の命をうばふ。鬼をば奪命者(だつみょうしゃ)といふ。魔入りて功徳をうばふ。魔をば奪(だつ)功徳者といふ。鬼をあがむるゆへに、今生には国をほろぼす。魔をたと(尊)むゆへに、後生には無間の獄に堕す。

10 四条金吾釈迦仏供養事      建治二年七月一五日  五五歳
画像(えぞう)・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。其の上一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり。三種の世間と申すは一には衆生世間、二には五陰(ごおん)世間、三には国土世間なり。前の二は且(しばら)く之を置く、第三の国土世間と申すは草木世間なり。草木世間と申すは五色のゑのぐ(絵具)は草木なり。画像これより起こる。木と申すは木像是より出来す。此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。

11 本尊問答抄   弘安元年九月  五七歳
仏は所生、法華経は能生、仏は身なり、法華経は神(たましい)なり。然れば則ち木像画(え)像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし。

12 曽谷殿御返事    弘安二年八月一一日  五八歳
法華経の題目は一切経の神(たましい)、一切経の眼目(げんもく)なり。大日経等の一切経をば法華経にてこそ開眼供養すべき処に、大日経等を以て一切の木画の仏を開眼し候へば、日本国の一切の寺塔の仏像等、形は仏に似たれども心は仏にあらず、九界の衆生の心なり。愚癡の者を智者とすること是より始まれり。国のつい(費)へのみ入りて祈りとならず。還って仏変じて魔となり鬼となり、国主乃至万民をわづらはす是なり。

つづく

 

文証 補足  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月 6日(火)14時40分29秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

■13 如来滅後五五百歳始観心本尊抄    文永一〇年四月二五日  五二歳
詮ずる所は一念三千の仏種に非ざれば、有情(うじょう)の成仏・木画(もくえ)二像の本尊は有名無実(うみょうむじつ)なり。

 

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。34  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月 6日(火)15時19分8秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

【解釈】

1、まず妄犬マゴマゴ君は■2にある、「草木成仏」に二意あることを知らない。まことに不勉強の限りである。
というより不相伝の輩が何をどう勉強しても、的がずれている好例、よきサンプルである。

妄犬マゴマゴ君の▼1の言い分は与えて言えば、草木成仏の一義「不改本位」の辺 のことであり、今回の日寛上人の御指南の当方の引文箇所は、「木画二像(本尊)の成仏」という義についての御指南である。
従って、妄犬マゴマゴ君の指摘は全く的外れである。

2、開眼供養について説かれた諸御抄の意を拝する。

@ 大聖人は「開眼供養」することにより「草木成仏」する。と御指南である。(■8)
A 開眼供養をしないと魔が入り、鬼神が入ると仰せである。(■9)
B 開眼供養とは「画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」である。(■10)
C 開眼供養とは法華経(=三大秘法→一大秘法→戒壇の大御本尊)の力であり、天台大師のさとり(=一念三千の法義)に依る。(■10)

3、1、2の意義の上から、再度日寛上人の御指南を拝する。

まず冒頭で「開眼供養」の必要性の道理を示されている。
■『木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に『一念三千の仏種の魂魄を入るる』が故に、木画の全体生身の仏なり。』

↑木画二像=板・紙幅の曼荼羅御本尊が「草木成仏」して修行者の尊信すべき対境としての「御本尊」となるには、『一念三千の仏種の魂魄を入』れなければならない。
この『一念三千の仏種の魂魄を入るる』ことは、御書■10にある「此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」であり、すなわち「開眼供養」のことである。

■木画の像に『法華経を印す』れば木画二像の全体全身の仏なり、『草木成仏といへるは是れ』なり」

↑『法華経を印す』=開眼供養
『木画二像の全体全身の仏』=板・紙幅の曼荼羅御本尊が、生身の久遠元初自受用報身如来に成らせ給う。
これを「草木成仏」という。

■若し『草木成仏の両義』を暁れば、則ち『今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画と謂うことなかれ』云云

↑であるから、「法華を得たる人」に正当な「開眼供養」をされて安置された板・紙幅の曼荼羅御本尊は、まさに「本有無作の一念三千の生身の御仏」であり、ゆめゆめ、ただの「文字及び木画」と思ってはいけない。

【呵責】

妄犬マゴマゴ君はこの「両義」に惑う故に、この開眼供養=草木成仏の義が全く分からない恥犬なのである。
だから、▼1などとの恥論を平然と述べ立てることができるのである。

【反駁】

もし、妄犬マゴマゴ君のいう▼1だけの意味なのであれば、この宇宙法界全ての草木が(草木でなくても)「本有無作の一念三千の生身の御仏」の「本尊」となることになり、それならどこに向かって「南無妙法蓮華経」と叫んでいればいいことになり、殊更に「本尊」など要らない。

【発見】

『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという症例』

こんな簡単な当たり前至極の道理すら分からなくなるほど、知能の低下が促進する。
しかも、その恥論を一片の羞恥心を持たずに堂々と開陳できるほどの知能の低下振りである。
まさに、恥部を剥き出しにしたまま街中を闊歩する様、である。呵々大笑

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。35  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月 7日(水)13時09分25秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

どれどれ、理解できないって?
では、じっくり見ていきましょうかね。
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Re: いいえ、ですからねぇ〜、、、笑。。。Re: しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。34

> > 妄犬マゴマゴ君の▼1の言い分は与えて言えば、草木成仏の一義「不改本位」の辺 のことであり、今回の日寛上人の御指南の当方の引文箇所は、「木画二像(本尊)の成仏」という義についての御指南である。
> > 従って、妄犬マゴマゴ君の指摘は全く的外れである。
> >
> > 2、開眼供養について説かれた諸御抄の意を拝する。
> >
> > @ 大聖人は「開眼供養」することにより「草木成仏」する。と御指南である。(■8)
> > A 開眼供養をしないと魔が入り、鬼神が入ると仰せである。(■9)
> > B 開眼供養とは「画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」である。(■10)
> > C 開眼供養とは法華経(=三大秘法→一大秘法→戒壇の大御本尊)の力であり、天台大師のさとり(=一念三千の法義)に依る。(■10)
> >
> > 3、1、2の意義の上から、再度日寛上人の御指南を拝する。
>
>
> 管理人樋田さま
> 色々とお調べ頂いたご様子に、心からの謝意を申し上げます。
> が、元々、あなたがご引用の箇所(文段及び御書の原文)のどこに「開眼」とか「開眼供養」の語が見られるのでしょうか?
> 「草木成仏」も結構、「木画二像」も結構です。一念三千ですから。
> また、あなたが、誰かが開眼しなければ「木画二像は成仏しない」と仰せのことは次の問題でしょう。
> 今、私はそれらに何も反対しておりませんし、書いてもおりません。
> 特に↑上にお書きの「従って」とはどう言う意味でしょうか?
> かくかくしかじかであるから「従って」開眼供養とはかくかくしかじかである、
> と、今少し論理的に仰せになって下さいませんか?
> 再度、お聞きしますが、前回、あなたがご引用になり私が指摘した箇所のどこに「開眼」が出て来るのですか?
> 元々私が書いている通り、今の私からの問題はそれだけです。
> 以上に対して簡潔に、論理的にお答え下さりたく存じます。出張マグマグ
―――――――――――
↑真面目に読むとやはり 馬鹿 である。呵々
ま、しかし、この 馬鹿 でも、当方が更に詳細に御文を拝するきっかけになるのだから、有難い存在である。
ではまず

【御文再掲】

 一、各一仏性・各一因果あり縁了を具足す文。(同n)
  これ即ち性得の三因仏性なり。「各一仏性」とは正因仏性なり。この正因仏性即ちこれ一念三千なり。故に「各一因果」というなり。謂く、因果とは即ちこれ十如是の因果の二法なり。「実相は必ず諸法諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土、故に因果の二法即ちこれ一念三千なり。故に三千即中の辺を以て正因仏性と名づくるなり。この三千即中の正因仏性の体に於て三千即空、三千即仮の用を具足するなり。三千即仮は即ちこれ縁因仏性、三千即空は即ちこれ了因仏性なり。故に「縁了を具足す」というなり。弘五中十四に云く「三千即空性は了因なり。三千即仮性は縁因なり。三千即中性は正因なり」と云云。
 問う、今この下の答の大旨は如何。
 答う、■4『凡そ草木成仏とは、一往熟脱に通ずと雖も、実はこれ文底下種の法門なり。その故は宗祖云く「詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり」と。一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文底に秘沈し給えるが故なり。』末師の料簡は且く之を閣(お)く云云。
 ■1『今謹んで諸御抄の意を案ずるに、草木成仏に略して二意あり。一には不改本位の成仏、二には木画二像の成仏なり。』
 ■2『初めの不改本位の成仏とは、謂く、草木の全体、本有無作の一念三千即自受用身の覚体なり。外十三十四に草木成仏の口伝に云く「『草にも木にも成る仏なり』云云、此の意は草木にも成り給ヘる寿量品の釈尊なり」と云云。また二十三二十一に云く「又之を案ずるに草木の根本、本覚の如来・本有常住の妙体なり」と云云。総勘文抄に云く「春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の草木も皆悉く萠え出生して華敷き栄えて世に値う気色なり秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す」等云云。応に知るべし、この中に草木の体はこれ本覚の法身なり。その時節を差えざる智慧は本覚の報身なり。有情を養育するは本覚の応身なり。故に不改本位の成仏というなり。』
 ■3『二に木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に一念三千の仏種の魂魄を入るるが故に、木画の全体生身の仏なり。二十八十三四条金吾抄に云く「一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり乃至第三の国土世間と申すは草木世間なり乃至五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり」と云云。文の中に「此の法門」とは、一念三千の法門なり。また三十一巻二十骨目抄に云く「三十一相の木画の像に法華経を印すれば木画二像の全体全身の仏なり、草木成仏といへるは是れなり」と云云。若しこの意を得ば、答の大旨自ら知るべし。またまた当に知るべし、若し草木成仏の両義を暁れば、則ち今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画と謂うことなかれ云云。』

【破折】

1、まず、こういう妄犬マゴマゴ君のような者を「守文の徒」といって、「義」が読めない蒙昧者というのである。

@ 「開眼」そのものの「語」が当該文上に顕然になくとも、「開眼供養」の義 を説かれているのである。

A 妄犬マゴマゴ君、まず■1『』の意が読めていない。

  @ 『諸御抄』に説かれる大聖人の御聖意を拝すると、「草木成仏」という概念に二つの意義があらせられる。
   −1 一意が 不改本意の成仏
   −2 二意が 木画二像の成仏  である。

  A −1 不改本意の成仏 を説明される箇所が■2『』
     −2 木画二像の成仏 を説明される箇所が■3『』である。

B 当方が引文した箇所は、この 木画二像の成仏 を示された箇所■3『』である。

C この御指南の意を領解するには、まず前提として、■1『』にあるごとく、「謹んで諸御抄の意を案ずる」ことを為さなければならない。
逆に言えば、「諸御抄の意を案ずる」ことができない者は、この日寛上人の御指南をも領解することはできない。
妄犬マゴマゴ君はまさに、この「諸御抄の意を案ずる」ことができていないから、斯様に 暗愚・蒙昧 にして、「文」にのみ囚われて、この日寛上人の御指南が領解出来得ないのである。

D では 諸御抄の意 とは何か。(ここでは、不改本意の成仏 の意については今回の本題ではないので略す)

E「開眼供養」 についてお説きになられた「諸御抄」を挙げさせていただく。(133・134段に補足・編集して再掲)

■8 草木成仏口決   文永九年二月二〇日  五一歳
我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。

↑この仰せは、人が死んでそのままでは「死の成仏」はなく、「塔婆を立て開眼供養する」ことにより、始めて非情である死人が「草木成仏」する。との意義である。依って、日寛上人の当該文では■3『』木画二像の成仏 へ繋がる「諸御抄の意」である。

■9 木絵二像開眼の事   文永九年  五一歳
法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。

↑この御文もまさに「開眼供養」をしなければ木画二像が「本尊」と成り得ない、という決定的な文証である。

10 四条金吾釈迦仏供養事      建治二年七月一五日  五五歳
■@『画像(えぞう)・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。』其の上一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり。三種の世間と申すは一には衆生世間、二には五陰(ごおん)世間、三には国土世間なり。前の二は且(しばら)く之を置く、第三の国土世間と申すは草木世間なり。草木世間と申すは五色のゑのぐ(絵具)は草木なり。画像これより起こる。木と申すは木像是より出来す。■A『此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。』此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。

↑今回の日寛上人の御文に引文された御文である。妄犬マゴマゴ君は”この「開眼供養」の文字を敢えて日寛上人が記載されなかったのは、必要がないことであるから(趣意)”などとまさに「諸御抄の意を案ずる」ことができない、馬鹿丸出し の恥言を吐いているが、実に浅はかである。
この御文中の
■@『画像(えぞう)・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。』
■A『此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。』
とは同意、ほぼ全同の御意である。
つまり、
「開眼供養」=「画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」である。
もともと、ただの草木である木・紙・墨 等が「本尊」=生身の仏 と成り得るには「開眼供養」=「魂魄と申す神を入るる」ことが必要条件である。との御意である。
そしてそのことが「草木成仏」なのである。
ここの意が日寛上人の御指南■3『』の意 である。
御指南の文の上に「開眼供養」の文字そのものが表記されていなくとも、御指南されている意義内容はまさに「開眼供養」=「画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」なのである。
こういう明々白々な証文を読み取れないとは、相当に 馬鹿 である。
『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』妄犬マゴマゴ君 である。呵々大笑

11 本尊問答抄   弘安元年九月  五七歳
仏は所生、法華経は能生、仏は身なり、法華経は神(たましい)なり。然れば則ち木像画(え)像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし。

↑この御文でも、木画の二像の「開眼供養」の必要性を説かれておられる。

13 如来滅後五五百歳始観心本尊抄    文永一〇年四月二五日  五二歳
詮ずる所は一念三千の仏種に非ざれば、有情(うじょう)の成仏・木画(もくえ)二像の本尊は有名無実(うみょうむじつ)なり。

↑該文中に日寛上人が引文された御文である。
■4『凡そ草木成仏とは、一往熟脱に通ずと雖も、実はこれ文底下種の法門なり。その故は宗祖云く「詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり」と。一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文底に秘沈し給えるが故なり。』

この御文は、「結局のところ、突き詰めてみれば、一念三千の仏の種、仏に成る為の種 でなければ有情の成仏も 木画二像の本尊 も ただ”成仏できる”という名目があるだけで、真実の現証・実体 はない。」との意義と拝するのである。
ここに、「不改本位の草木成仏」と「木画二像の草木成仏」の二意が既に説き置かれているのである。
上記の「諸御抄の意」と併せ拝すると、つまり、
『理の上では宇宙森羅万象全てが「各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」=「不改本位の草木成仏」であるが、現実の修行として突き詰めてみれば木画二像に「魂魄と申す神を入るる」=「開眼供養」を為して事の上での「草木成仏」=「木画の二像の草木成仏」なさしめなければ、修行者の”成仏”など有名無実の空言である。』との御意である。
この意を、更に詳細に解き明かされたのが、以下の日寛上人の御指南なのである。(■1〜■3)

以上の意義の上から、再度日寛上人の■3『』の御指南を拝する。

まず冒頭で「開眼供養」の必要性の道理を示されている。
■『木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に『一念三千の仏種の魂魄を入るる』が故に、木画の全体生身の仏なり。』

↑木画二像=板・紙幅の曼荼羅御本尊が「草木成仏」して修行者の尊信すべき対境としての「御本尊」となるには、『一念三千の仏種の魂魄を入』れなければならない。
この『一念三千の仏種の魂魄を入るる』ことは、御書■10にある「此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」であり、すなわち「開眼供養」のことである。
ここで、観心本尊抄の御文の「一念三千の仏種」を日寛上人は「諸御抄の意」から「開眼供養」の意に於いて用いられておられることが明白である。

■木画の像に『法華経を印す』れば木画二像の全体全身の仏なり、『草木成仏といへるは是れ』なり」

↑ここも上記と同様、日寛上人は「諸御抄の意」から『法華経を印す』=開眼供養 との意義で用いられておられることは明白である。
『木画二像の全体全身の仏』=板・紙幅の曼荼羅御本尊が、生身の久遠元初自受用報身如来に成らせ給う。
これを「草木成仏」という。

■若し『草木成仏の両義』を暁れば、則ち『今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画と謂うことなかれ』云云

↑であるから、「不改本位の草木成仏」と「木画の二像の草木成仏」の二義の筋目・縦分け・次第などの両義の本質を明瞭に領解したならば、「法華を得たる人」に正当な「開眼供養」をされて安置された板・紙幅の曼荼羅御本尊は、まさに「本有無作の一念三千の生身の御仏」であり、ゆめゆめ、ただの「文字及び木画」と思ってはいけない。

妄犬マゴマゴ君などは、この「二義」に暗く、惑っているが故に、真の「本尊」義に迷乱し、魔神・鬼神であるニセ本尊になどに平然と向かえるのである。
嗚呼 おそろし。おぞまし。
―――――――――――
以上の詳細な論述を見ても日寛上人の御指南の意義が理解できないとすれば、

1、生来の 馬鹿 か、
2、歳を重ねるごとに 暗愚 になった。か、
3、ニセ本尊 の猛毒のせいで 馬鹿 になった。か
4、ニセ本尊 の猛毒のせいで 根性が捻くれて 正常なものの見方ができなくなった。か、
5、内心では以上の道理を認めざるを得ないが、現実には ニセ本尊 に懸命に唱題する「同盟題目」などという愚行を主催しているが故に、もはや後には引けず意地になって、何でもいいから難癖をつけて誤魔化してやろう。とおもっている。か、

以上のいずれかであろう。(また、この複数が絡んでいる状態)

さ、妄犬マゴマゴ君が次、どのような馬鹿さ加減を披露てくれるか、楽しみに待ちましょうか。呵々大笑

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。36  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月 8日(木)10時51分42秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜 ↓こういう者を、曳かれ者の小唄 負け惜しみ 臆病の癖に負けず嫌い 体裁のみを繕うに必死 などと評するのであろう。
―――――――――――
Re: しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。35

> 管理人樋田さま
> 今回も長文のお書き込みを頂戴し、誠に有難うございました。
> ああ、またオオモノ樋田さまによる小者マグマグへのご評価ですね。笑。。。

> > 1、生来の 馬鹿 か、
> > 2、歳を重ねるごとに 暗愚 になった。か、
> > 3、ニセ本尊 の猛毒のせいで 馬鹿 になった。か
> > 4、ニセ本尊 の猛毒のせいで 根性が捻くれて 正常なものの見方ができなくなった。か、
> > 5、内心では以上の道理を認めざるを得ないが、現実には ニセ本尊 に懸命に唱題する「同盟題目」などという愚行を主催しているが故に、もはや後には引けず意地になって、何でもいいから難癖をつけて誤魔化してやろう。とおもっている。か、
> >
> > 以上のいずれかであろう。(また、この複数が絡んでいる状態)
>
> 1.オオモノは生来聡明でいらっしゃる。
> 2.オオモノは年齢を重ねるごとに様々な社会経験を積み、更に明晰になっていらっしゃる。
> 3.オオモノは「日蓮正宗の御本尊」のお陰で賢明な人生を歩まれている。
> 4.オオモノは「日蓮正宗の御本尊」のお陰で性質が真っ直ぐで、健康で常識あふれる判断力をお持ちである。
> 5.以上を踏まえ、オオモノは「日蓮正宗の御本尊」への信仰を更に深め、
> 日々お山のお上人さまと時を同じくして「丑寅勤行」を励行し、広宣流布を祈念なさっている。
> もやはオオモノには前進あるのみで、小者(こもの)や雑魚(ざこ)への回答を正面から与える必要もない。。。
>
> ―――ってなことを仰せになりたい、とか?笑。。。ヤレヤレヽ(~〜~ )ノ
>
> ま、本題に戻って(笑)、、、
>
> > @ 「開眼」そのものの「語」が当該文上に顕然になくとも、「開眼供養」の義 を説かれているのである。
>
> ええ、顕然であるなしにかかわらず、ない、のです。一言で済むことでしょう。
> それと「文、義、意」ですか。。。
> つまり「語」がない「文」でも、オオモノの慧眼からするとそれが見えているわけですね。
> ともあれ有難うございました。やっと「ない」ことをお認め頂いて、胸のつかえが取れました。
>
> それと私事で恐縮ですが、樋田さまは地元の名士、実業家のお一人でいらっしゃるので、
> ▼2『お忙しいお仕事の時間をわざわざおさき頂いてまで同じことを何度も何度もお書き下さらなくて結構でございます。』
>
> 私は割合に淡白な人間です。▼1『元々さほど頓着のない話題』ですし、
> ▼3『どうか今後はお気遣い下さいませんようお願いを申し上げます。
>
> 先ずはご事業にご専念下さいませ。』
>
> 今回はやっと「ない」とのご結論、誠に有難うございました。出張マグマグ
―――――――――――
【破折】

1、こと出世の一大事である成仏・不成仏の根本の対境である「本尊」義に関して、▼1『元々さほど頓着のない話題』などとは、まさに大聖人の仏法を真面目に行じていない者の言である。

2、元々の論題は「創価学会が販売している「開眼」がない掛け軸は 悪鬼魔神が棲み込んだ、魔札・鬼札である。」ということである。
これを道理・文証・そして貴公らの悩乱ぶりの現証を以って証明しているのである。

3、この重大事が、▼1『元々さほど頓着のない話題』というのであれば、もはや、狂人の域である。

しかし実は、このようなことをいう理由は、道理・文証において完全に反論不能になったが故に、論題を軽少な些事のように見せかけることで、自分の敗北ぶりを矮小化し、体面たもとうとしているためである。
まことに無慙な、哀れな醜態である。

4、▼1『元々さほど頓着のない話題』というならば、最初から、当方へネバネバと絡み付いてこなければよろしい。
当方は”富士宮の幼児”で交わされている内容など、まさに、▼1『元々さほど頓着のない話題』なので、全く書き込む気など起きない。
今回の論題も、かつての論題も全て、呼びもしないのに勝手に妄犬マゴマゴ君が絡み付いてきたものばかりである。
こういう心理状態は
「気になってしょうがない、腹が立ってしょうがない、俺なら(女性かもしれないので わたしなら)きっとへこませることができるから、挑戦してやろう。」というものである。
本当に、▼1『元々さほど頓着のない』なら、今後は当板へ投稿は止したら如何か?呵々大笑
成仏の根本・本尊義を、▼1『元々さほど頓着のない話題』 などと貶めて、自分の体裁をとり繕うような姑息で卑怯な者を相手にしたくはない。
別に妄犬マゴマゴ君など招いているわけでは全くないので、妄犬マゴマゴ君の言葉で今後の出入りを丁重にお断りしましょう。

▼1『元々さほど頓着のない話題』のために、▼2『お忙しいお仕事の時間をわざわざおさき頂いてまで同じことを何度も何度もお書き下さらなくて結構でございます。』▼3『どうか今後はお気遣い下さいませんようお願いを申し上げます。先ずはご事業にご専念下さいませ。』

自分で人へ向かって言った言葉なのだから、その通り自分も守りたまえ。
いくらニセ本尊を拝んでいてもその位の常識・良識は理解できるであろう?呵々大笑。ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。37  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月 8日(木)16時15分7秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

妄犬マゴマゴ君、ほとほと、性根の腐った性格である。ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜
―――――――――――
Re: 【管理人樋田さま】………? Re: しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。36

> > > 今回はやっと「ない」とのご結論、誠に有難うございました。出張マグマグ
>
> 管理人樋田さま
>
> はい、有難うございました。出張マグマグ
―――――――――――
【呵責】

1、妄犬マゴマゴ君、”「開眼」という「語」そのものが、当該文にない。それを当方が認めて、非を認めた”という構図に何としてもしたいようである。
馬鹿の癖に執念深く、しかも見栄っ張りである。
これも『ニセ本尊を拝むと斯様に性格が醜悪に為るという症例』であろうか。
さもなくば生来のものか。

2、『一念三千の仏種の魂魄を入るる』
=「此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」
=「開眼供養」

である。

【再掲・一部】

■@『画像(えぞう)・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。』
■A『此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。』
とは同意、ほぼ全同の御意である。
つまり、
「開眼供養」=「画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」である。
もともと、ただの草木である木・紙・墨 等が「本尊」=生身の仏 と成り得るには「開眼供養」=「魂魄と申す神を入るる」ことが必要条件である。との御意である。
そしてそのことが「草木成仏」なのである。
ここの意が日寛上人の御指南■3『』(←※当該文)の意 である。
御指南の文の上に「開眼供養」の文字そのものが表記されていなくとも、御指南されている意義内容はまさに「開眼供養」=「画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」なのである。
こういう明々白々な証文を読み取れないとは、相当に 馬鹿 である。
『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』妄犬マゴマゴ君 である。呵々大笑(←※妄犬マゴマゴ君、以上に対しては全く論理的に反駁できていない。)

【妄犬マゴマゴ君が幼稚であるという例証】

@「四つの辺のみで構成される図形」=A「四角形」
B異なった二組の平行線が交差するところに出来る図形=C平行四辺形

ある文に@やBの文が記載されていたらそれは、A、Cの意味である。

妄犬マゴマゴ君は、
”そのあんたが持ち出した文章には@「四つの辺のみで構成される図形」とは書いてあるけど、A「四角形」とは書いてないじゃないか!だから、A「四角形」という意味ではないんだ!”
と喚いているのと同様である。
実に 馬鹿 である。呵々大笑。ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜

【発見】

『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという症例』

虚栄心、勝他の念がいや増して盛んになり、ものごとの道理などを無視して、無理強引に自説をごり押ししようとする。
実に無慙極まりない痴態であり、無惨である。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。38  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月13日(火)22時41分22秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

ここにも躾がなっていない妄犬が転がっているようである。

妄犬マゴマゴ君、以下の破折には反論不能か?
やはり創価学会に堕落した程度の者では教義的には全く無能か?呵々大笑
―――――――――――
Re: やまいぬ。君の駄問を完摧す。178

> 日寛上人の御指南について、駄犬やまいぬ。君と妄犬マゴマゴ君を同時に劈いておきますか。
> ―――――――――――
> Re: あーあ。
>
> 【駄犬やまいぬ。君】> 面倒くさい。(^o^)
> >
> 【73氏】> >南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師
> > >元々江戸期の漢文体の文献です。「、」も「。」も原文にはありません。
> > >それで、日蓮正宗に正しく血脈が流れていないという証明になるのかい?
> >
> > マグ様「そ〜んな大それたこと(あなたにとって致命的なこと?)とは
> > 関係ないでしょうね。。。笑  ま、あり得ることとすれば、
> > あなたご自身で書いていることをあなたご自身が否定することになる可能性がある、
> > ってな感じかなぁ。
> > で、結局、↑上の意味がお分かりではなかった。。。ヤレヤレヽ(~〜~ )ノ
> > いいんじゃないですか、それはそれでね。。。出張マグマグ」
> >
> 【73氏】> >論文はわかりにくい、普段の文章はファジィ、
> >
> 【駄犬】> えー、73は「自分が本当に阿呆だ」と、公衆の面前で宣言しました。(^o^)
> > とうに知っているよ、そんなことは。(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)
> >
> > 坊や、脳細胞も相当壊死し、しかもそれを繋ぐシナプスは殆ど機能して
> > おらんようやな?(^o^) 首から上についているのは「飾り」かね?(^o^)
> >
> 【73氏】> >どこに、「自分が本当に阿呆だ」と、公衆の面前で宣言したのかな?
> >
> 【駄犬】> (^o^) 至極簡単なたった3行をどっかいできないぼうやのポンコツあたまを
> > 恨みなさい。(^o^) 本当に解からないのかね、ボクちゃん?(^o^)
> >
> 【73氏】> >分からないから、キミが説明してくれるかな?
> > >坊や? 至極簡単なやつ、よろしく。
> >
> 【駄犬】> やれやれ。
> >
> 【73氏】> >南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師
> > >元々江戸期の漢文体の文献です。「、」も「。」も原文にはありません。
> > >それで、日蓮正宗に正しく血脈が流れていないという証明になるのかい?
> >
> 【駄犬】> まず話の大前提として、坊や達法華講は宗門、就中法主に紛れもなく
> > 「蓮祖からの血脈」が流れていることを、他でもない蓮祖・興師の文証を以って
> > 証明する必要がある。
> > それがこの3行においては「江戸期の漢文体」と73自ら書いておる。
> > つまりここでは、「日蓮正宗に正しく血脈が流れているという証明」は
> > なにもなされていない。(^o^)
> > 要はこの3行、「日蓮正宗に正しく血脈が流れているともいないとも」、
> > 何の証明にもなっておらん役立たずな文章である。(^o^)(^o^)
> >
> > 対してマグ様は
> > 「そ〜んな大それたこと(あなたにとって致命的なこと?)とは
> > 関係ないでしょうね。。。笑 」
> >
> > と、上記、何の関係もないことをほのめかされながら、
> >
> > 「ま、あり得ることとすれば、」
> >
> > と、ある可能性を示唆されておる。何か?
> >
> > 「あなたご自身で書いていることをあなたご自身が否定することになる
> > 可能性がある、ってな感じかなぁ。」
> >
> > つまり、蓮祖・興師という上代において、「蓮祖から目師以降の法主へ」
> > という「唯授一人血脈相承」などというものはどこにも書かれていない、
> > (御書の中には恐ろしいことに、「唯授一人血脈相承」という8文字は、ただの
> > 1箇所として存在しない。(^o^) )
> >
> > つまり「唯授一人血脈相承」なる言葉や概念そのものが後代の作り事であり、
> > 現在の宗門における血脈観の全否定の可能性を有している、ということである。
> >
> > 「で、結局、↑上の意味がお分かりではなかった。。。ヤレヤレヽ(~〜~ )ノ
> > いいんじゃないですか、それはそれでね。。。出張マグマグ」
> >
> > はい、どっかいりょくなく、自分の書いた文章の意味も解からない人間は、
> > 「それはそれで」、ひとに笑われながら生きていくのも「好きにしなさい」、ですね。
> > (^o^)(^o^)(^o^)(^o^)
> ―――――――――――
> 【呵責】
>
> 駄犬、あいも変わらず、進歩のない愚人である。
>
> この件に関しては既に完全に破折しつくしているので、編集し再掲する。
> 駄犬及び妄犬マゴマゴ君はこれに対して的確な文証を引文しつつ明晰に反駁すべきである。
> 下らない駄文投稿に精を出している暇があるのなら、少しは”教義的”に反駁してみよ。
> ―――――――――――
> 【破折】
>
> 当家三衣抄
>  ―――――――――――
>  創価学会側は、日寛上人の『当流行事抄』の
> ■「久遠元初の仏宝とは日蓮大聖人。久遠元初の法宝とは本門の本尊・南無妙法蓮華経。そして久遠元初の僧宝とは即ち是れ御開山上人なり」との御文をもって、僧宝とは日興上人のみであり「日顕(上人)が僧宝であるわけがない」と、意気揚々と僧宝義を説明しているつもりなのだろうが、まったくの的外れである。
>
>  日蓮正宗の教義に明かされる三宝には
> @一体三宝
> A別体三宝
> B住持三宝
> の三義がある。
>  彼らが引用する『当流行事抄』の御文は、別体三宝の義のみを仰せられている箇所であり、これだけを取り上げて三宝の意義のすべてである、とするのは誤りである。もちろん、この御文においても「歴代上人は僧宝ではない」「日顕上人は僧宝でない」などという義を示されていないことは当然である。
>
>  なお、日寛上人の『当家三衣抄』に
> ■「南無仏・南無法・南無僧とは、(中略)南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山・付法・南無日興上人師。南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師」
>     (聖典九七一頁)
> とあり、また『三宝抄』にも
> ■「付嘱伝授は即ち僧宝なり」(歴代法主全書第四巻三六五頁)
> ■「金口相承即是僧宝也」(歴代法主全書第四巻三七二頁)
> ■「爾来日目日道代々咸(ことごと)く是れ僧宝なり」(歴代法主全書第四巻三九〇頁)
> と仰せられているとおり、仏法を伝持する意義(住持三宝)によって御歴代上人すべてが僧宝として尊信の対象となることを示されている。
>
>  学会は、自分たちに都合のいい『当流行事抄』の御文だけを挙げて、不都合な御文は隠して自らを正当化しようとする。
> 念のため、それでも分からない者のために、池田大作の過去の発言を挙げておこう。
>
> 【発言に間違いは絶対にないはずの”永遠の仏法指導者”・池田せんせ〜〜の発言】
>
> ☆「『僧宝』とは今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる」(聖教新聞S五三・二・二六)
>
> と、ハッキリ、今日の僧宝とは日顕上人猊下である、と断言しているのである。
>
> ―――――――――――
>  学会は、「三宝」について、
>
> ▼「仏教徒が敬(うやま)うべき仏宝・法宝・僧宝の『三宝』。それぞれ、仏宝とは日蓮大聖人、法宝とは大御本尊、僧宝とは日興上人のことをさす」
>
> としている。
> そして、宗門の御能化方が
> ●「御法主上人猊下の御内証は戒壇の大御本尊と不二の尊体」
> と述べたことを挙げて
> ▼「これでは日顕(上人)が御本仏と肩を並べる仏宝となってしまう」とか、
> ▼「日寛上人が『当流行事抄』の中で仰せのように、僧宝は日興上人ただお一人のことである」等といっている。
>
>  そもそも三宝とは、衆生を救うべく世に出生された「仏」と、仏が覚知し世に説かれた「法」、そして、その法を後々の世に護(まも)り伝えていく「僧」の三つをいうが、この仏・法・僧の三つが揃(そろ)って、はじめて衆生を利益し世を救済することができるので、世の宝として尊崇(そんすう)するのである。
>
> 【仏宝】
>  すなわち、この宇宙間にどのような素晴らしい法が存在していたとしても、それを覚知して世に説かれる方がおられなければ、誰人もその恩恵をこうむることはできない。ゆえに、まず、仏を宝と尊崇するのである。
> 【法宝】
>  また、仏の説かれる法の功徳によって、一切衆生は苦悩から救われ、成仏の境涯を得ることができるのだから、法を宝として尊崇するのである。
> 【僧宝】
>  そして、この仏と法が世に出現しても、これを正しく習い伝えていく僧がおられなければ、仏法は後世へ伝わることなく断絶してしまうので、僧を宝として尊崇するのである。
>
>  次に、この三宝の各々の関係についてであるが、『涅槃経』には、
>
> ■「三宝を分別すべからず」
>
> と説かれ、日蓮大聖人も
>
> ■「三宝一体」
>
> と仰せられているように、三宝は、本質的には一体の関係になっているのである。
>
>  つまり、まず仏とは、宇宙の根源の法を覚知された方のことで、法を覚知しておらなければ仏とは申せない。
>  また、法といっても、これを覚知して世に説き出だす方(仏)がおられなければ、その存在は土中に埋もれた金と同様、存在しないに等しい。
>  ゆえに、法あっての仏、仏あっての法であり、両者は一体となっていることが解る。
>  次に僧とは、仏が覚知した法の一切を譲り受け、仏の後継者(代理者)として後世に伝持していく方をいうが、後継者・代理者という意義からいけば、僧は仏の立場を引き継ぎ、仏と連なる一体の立場になった方である、といえる。
>
>  以上のことから、三宝は、形は異なれども本質的には一体、と仰ぐのである。
>
>  しかして、日蓮大聖人の仏法における三宝の立て方は、第二十六世日寛上人が
> ■「南無仏・南無法・南無僧とは、若し当流の意は、
> ...南無日蓮大聖人師。
> ...南無本門戒壇の大本尊。
> ...南無日興上人師、...日目上人師、嫡嫡(ちゃくちゃく)付法歴代の諸師。
>  此くの如き三宝を」云々    (『当家三衣抄』)
> とお示しのとおり、
>
> 仏宝―御本仏日蓮大聖人
> 法宝―大聖人御所顕の大曼荼羅御本尊
> 僧宝―血脈付法の日興上人、以下、御歴代上人
>
> となる。(日寛上人の『当流行事抄』の中では、僧宝を要約して、第二祖日興上人の御名を代表として挙〈あ〉げられているが、『当家三衣抄』では右のごとく、御歴代上人まで挙げられているのであるから、僧宝を日興上人のみに限定することはできない)。
>
>  さて、以上のことから考えると、御法主日顕上人は、日興上人・日目上人等の御歴代に連なる僧宝のお一人であり、三宝は一体の関係にあるのだから、これを云々する学会の批判は、故なき誹謗(ひぼう)でしかない。
>
>  また、▼「日顕(上人)が御本仏日蓮大聖人と肩を並べる仏宝となってしまうではないか」という非難については、法を自解仏乗(じげぶつじょう=人から教えられることなく、自ら悟ること)されたのが仏宝、その法を仏から教えられ、そのとおりに受け継がれたのが僧宝であって、仏宝と僧宝の立場は立て分けられている。そして事実、宗内の誰人も御法主上人を仏宝と言ってなどいないので、学会の非難は、まったくの的はずれ、ためにする悪口である。
>
>  また、基本的なことをいえば、僧宝とは、仏法を後々の世まで習い伝えていく方のことであるから、もし、あくまでも僧宝は日興上人のみ≠ニいうなら、大聖人の仏法は日興上人までで断絶してしまった、ということになってしまうではないか。
>
>  いずれにしても、池田本仏論によってニセ仏を立て、法宝である戒壇の大御本尊から離反してニセ本尊を作製し、僧宝を日興上人のみとして他の御歴代上人を否定する学会は、三宝破壊の大謗法に他ならない。
> ―――――――――――
> 【別論】
>
> 勤行の観念文には、
>   「南無一閻浮提之御座主・第三祖新田卿阿闍梨日目上人、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に」
>   「南無日道上人・日行上人等御歴代の御正師、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に」
> と、御歴代上人に「南無」とあり、
>
> 日寛上人の『当家三衣抄』には、
>   「南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は(中略)南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。此くの如き三宝を云云」(学林版六巻鈔三四七n)
> と、御歴代上人が三宝であることが明記されている。
>
> 創価学会においても、以前は、『大白蓮華』に、
>   「正法を正しく継承伝持あそばされた血脈付法の日興上人を随一として、歴代の御法主上人、広くは、御法主上人の法類である御僧侶の方々が僧宝なのです。
>  大聖人が『仏宝法宝は必ず僧によりて住す』と仰せのように、仏恩も法恩も広大であり、甚深でありますが、その仏法を正しく伝持してこられた方々がいなかったならば、現在の私達に、御本尊を受持して、希望と確信に満ちた人生はありえないのです。
>  僧宝がいかに尊く大事な存在であるかを知り、尊敬と感謝と報恩の信心をもって御僧侶を敬い、僧俗和合の姿で広宣流布に邁進していくことが肝要です」(大白蓮華三四五号三六n)
> と記されてあったのである。
>
> かつての正信会問題の折には、池田氏も、
>   「いま、日蓮正宗御宗門においても、仏法の師であられる御法主上人猊下に師敵対する僧俗が出たことは、まことに悲しむべきことである。これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解していない証左なのである。血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである」
> と言っていた。
>
> 現在の創価学会は、これらの明確な文証をどうするのであろうか。
> ―――――――――――
> 日顕上人御指南
>
> ■さて、この文底下種の本門が顕れれば、釈尊一代の経々は、ことごとくその体内に入って流通を成ずるのであります。故に、その一切の法門を道じて引用することができますから、釈尊の本門において仏法僧の三宝が常住であることを、涅槃経の「三宝常住」の文をもって大聖人様がお示しになった意義が、久遠元初、すなわち末法の下種仏法の筋道においても明確に存することは当然であります。
>  これについて、日寛上人は『当流行事抄』に、
>
> ■ 「文上脱益の三宝を執せず須く文底下種の三宝を信ずべし(乃至)血脈抄に云わく、久遠元初の自受用報身無作本有の妙法、又云わく、久遠元初の結要付嘱云云、自受用身は即ち是れ仏宝なり、無作本有の妙法は法宝なり、結要付嘱豈僧宝に非ずや(乃至)久遠元初の仏法僧則ち末法に出現して吾等を利益し給う云云」(日蓮正宗聖典九四九n)
>
> と説かれるとともに、その久遠元初即末法出現の三宝とは、仏宝が宗祖大聖人、法宝とは本門の大本尊、僧宝とは開山日興上人であると示されております。
>
> さらにまた、『当家三衣抄』には、
>
>  ■「南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。
>  南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体事の一念三千無作本有、南無本門戒壇の大本尊。南無本門弘通の大導師、末法方年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡嫡付法歴代の諸師。
>  此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし云云」(同九七一n)
> と、数珠の唱題修行に当てて三宝を説かれてあります。
>
>  つまり、本門下種三宝が久遠元初以来、常住の法体であると示されるのは、涅槃経に寿量品の仏法が仏法僧の三宝として、常に住されていることを説く文と同一の趣意であります。換言すれば、下種の寿量品の極意は、下種三宝・仏法僧の常住にあるということであります。
>
>  そして、この三宝につき、崇敬の代表的対象として『当流行事抄』に、宗祖大聖人、本門の大本尊、開山日興上人を挙げられています。つまり、日興上人が僧宝の随一であることは、当然、論をまちません。しかし、日興上人より日目上人への付嘱もまた、久遠元初結要付嘱の意義を体されるのであります。日興上人お一人が僧宝であり、日目上人以下は僧宝でないなどという池田創価教の言は、独断・偏見以外の何ものでもありません。
>
>  大聖人より日興上人への久遠元初即末法の結要付嘱は、そのまま日興上人より日目上人へ伝えられております。
>
>  明日の霊宝虫払法要に当たって、外陣中央に奉掲申し上げる「譲座本尊」は、その御模刻が大客殿の常住本尊でありますが、この御本尊は、日興上人が法の如く大聖人様よりの相伝によって受け継がれた御本尊の書写の深義における御自身の位置を、そのまま日目上人に教え、かつ譲座されたことを顕し給うのであります。
>  すなわち、日興上人書写の御本尊の百数十幅のほとんどにおいて、書写のお立場による御名の位置は、中央の首題・日蓮の御名の左側に小さく署名されておりますが、この譲座本尊は、日興と書くべき所に日目と示され、御自身は右側に署名・花押をされております。
>
>  これは、日興上人が、次の相伝伝授の人として、日目上人へ本尊中の位置を示されるとともに、万年にわたる歴代法主の書写における位置を決定なしおかれたのであります。
>
>  故に、その如く、日目上人より日道上人、日行上人と、その付嘱の意義を顕す書写の署名・花押の法軌は、いささかも変わっておりません。これまさしく、宗祖大聖人より日興上人への久遠元初結要の付嘱は、さらに日目上人以下歴代にわたって常住であることの明らかな証拠であります。
> ―――――――――――

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。39  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月13日(火)22時42分35秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

Re: やまいぬ。君の駄問を完摧す。179

> 当家三衣抄 再論
>
> 日寛上人『当家三衣抄』の「三宝」の拝し方についての御指南への邪難に対しての破折を補足し、摧破し尽くす。
>
> 今回の邪義のネタ元は概ね以下の恥論であろう。
> ―――――――――――
> 【学会の痴論】
> ▼『当家三衣抄』の
> 『南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、
>  南無本門寿量品の肝心・・・南無日蓮大聖人師。
>  南無本門寿量品の肝心・・・南無本門戒壇の大本尊。
>  南無本門弘通の大導師・・・南無日興上人師、南無一閻浮提座主・伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。』
>
> この文は「下根を引接して修業を牽課するの具」(劣った機根の人を誘引して修行をさせるための道具)である数珠について述べられた箇所であり、しかも明らかに大導師である日興上人と、一閻浮提の座主である日目上人と、歴代の諸師とには差をつけられています。
>
>  具体的には、大聖人の教えを正しく伝えた「久遠元初の僧宝」である日興上人は、その位である「本門弘通の大導師・・」にも「人」にも「南無」が冠せられ、日目上人については「一閻浮提座主」という位にのみ「南無」が冠せられています。
> これは、日目上人が「久遠元初の僧宝」ではないものの、生涯国家諌暁を貫かれたその行体を讃え、その位である「一閻浮提の座主」に「南無」を冠し、「末法下種の僧宝」であることを明らかにしているのです。「一閻浮提の座主」とは日目上人のことを指すことからも、他の歴代法主とは別格であることを示されているのです。
> ―――――――――――
> 更に補足すると、このような恥論もある。
>
> 【学会の痴論2】
> ▼「。」の句点が、「日目上人師」の後にあるから、それ以降の「嫡々付法歴代の諸師」とは別格なのだ。
> ―――――――――――
> 以下、破折する。
>
> 【本文の概要】
>
> ■「南無仏・南無法・南無僧とは、若し当流の意は......」(大石寺版六巻抄二二五骰)
> として、初めに仏宝として日蓮大聖人、次に法宝として本門戒壇の大御本尊を詳しく述べられ、次に僧宝として、
> ■「南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山・付法・南無日興上人師。南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師。此くの如き三宝を一心に之れを念じて、唯当に南無妙法蓮華経と称え、乃ち一子を過ごすべし」(同骰)と続く。
>
> 1、初めの「南無仏・南無法・南無僧とは」の文と、終わりの「此の如き三宝」の文の間に「嫡々付法歴代」が入っており、この「嫡々付法歴代」を受けて直ちに「此くの如き三宝」とある以上、明らかに日目上人以下を僧宝に列せられている。
>
> 2、「此くの如き三宝」とある、「此くの如き」が文法上指し示す「対象」は「日興上人師」「日目上人師」「嫡々付法歴代の諸師」である。
> そうでなければ、文章構成が極めて不自然な形となってしまう。
>
> 3、であるから、それぞれの「師」の後に「。」が配され、更に文意が鮮明に理解できる。つまり、「。」が、日興上人、日目上人、歴代の諸師、の後ろの全てに点じられている故に、むしろ「三宝」の存在としての意義を明確ならしめている。
> 創価学会側の恥論(補足)は、実は全く正反対の意義に解することができる証明である。
> (この「日目上人師。」との表記は「日目上人師、」との文献もあり、一様ではない。
> そもそも、江戸時代の日寛上人が句点・句読点を点じられたはずもなく、現代語表記法になってから編纂した方が点じたのである。
> であるから、句点・句読点に拘る必要は全くなく、そのどちらでも、日寛上人の「三宝」をお示しの御心は何ら変わるものではない。)
>
> 4、更に、日興上人「師」・日目上人「師」・歴代の諸「師」・・と、共に「師」の尊称がある。
>
> 5、以下の日寛上人の他の御指南にもこの三宝義は分明である。
>
> ■三宝抄
>
> 「然れば則ち吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来日目日道代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり云云」(歴全四―三九〇n)
> (※「咸く是れ僧宝なり、(a)及び門流の大衆」の(a)の区切りに当家三衣抄のお心からすれば、能化所化の立場の違いが拝せられる。)
>
> ■三宝抄
>
> 「問う、三宝に勝劣有りや。答う、此れ須く分別すべし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり、故に一念三千即自受用身と云い、又十界具足を方に円仏と名づくと云うなり。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。若し外相に約さば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す故也。故に法宝を以て中央に安置し、仏及び僧を以て左右に安置するなり」(歴全四―三九三n)
>
> 以上の検証からいって、やはり、三宝に「歴代の諸師」は含まれ、尊信の対象と拝するのである。
> ―――――――――――
> さて、以上について、駄犬やまいぬ。君と妄犬マゴマゴ君は正当な文証と道理を以って反論したまえ。
> 大いに頑張りたまえ。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。41  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 3 6()17206 p2176-ipbf203yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

あいも変わらず、いつまでも痴論で絡みつついてきている妄犬がいたようである。
―――――――――――
Re: 【読者からのご参考】 Re: ジダン氏の質問に返答す 1

> ジダン様
>
> ビッグバンのことを取り混ぜた疑似科学的なお話しには確かに興味がそそられますが、
> 要は仏法で説く仏身の常住と、事物・事象の成住壊空、生住異滅、生老病死などの
> 無常、生滅変化の移り変わりを混同したものでしょう。
>
> ―――「御衣替え」とか「御色直し」などの最新の保存技術を駆使している。。。(趣意)。
>
> と作者ご本人もお認(みと)めのように、つまりは無常を免れていないわけです。
>
> 当然といえば当然のこと。。。
>
> これは勿論、我々が日夜拝している御形木御本尊様においてもまったく同様のことです。
>
> しかも本論は更に「草木成仏による不可思議な御加護がある!」な〜んて例外的なことを説いておられますですね。
>
> とっても自己矛盾。。。笑ヽ(^o^)丿
―――――――――――
やはり何時まで経っても、どこまでいっても 馬鹿 である。
所詮、魔札・鬼札のニセ本尊を拝むのであるからいつまでも 馬鹿 であるのは当たり前か。
いや、むしろ日に日に 馬鹿 が増すこと当然の結果か。

妄犬マゴマゴ君は 人即法 法即人 戒壇の大御本尊様はそのまま日蓮大聖人様である、ということが全く信解できていない証拠である。

本尊とは法華経の行者の一身の当体なり(就註法華経口伝 上)

仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計(ばか)りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。(聖人御難事    弘安二年一〇月一日  五八歳)

日蓮大聖人の御身が御本尊。
その日蓮大聖人の出世の本懐が弘安二年十月の戒壇の大御本尊。
ということは戒壇の大御本尊様はそのまま日蓮大聖人である。
日蓮大聖人の竜ノ口の首の座に於いて光物が顕れた現証はあまりにも有名だが、これ宇宙法界が御本仏を守護する働きであり、その不可思議な守護の働きは日蓮大聖人であられる戒壇の大御本尊様にも働くことは当然である。
ここを信解できない妄犬マゴマゴ君こそ、不信謗法そのものの醜態を晒しているのである。
―――――――――――
>
> 今回のご質問に仰せの通り、御戒壇様とても無常を免れない。
> が、何とか御存続あらせられるように(笑)周囲の人々が周到に努力する、
> と言うのが現今における御戒壇様信仰の結論なのではないでしょうか?
―――――――――――
それが、何か問題でも?
邪難するなら、せめて文・理・現証を以って、反駁してみたまえ。

才芸(さいげい)を誦(じゅ)し、浮言を吐(は)くには依るべからず。正しき経文金言を尋ぬべきなり(真言見聞     文永九年七月  五一歳)

―――――――――――
>
> 我々が各家庭で御本尊様を最良、最高の状態でご安置してお給仕申し上げる。。。
> 何の違いもございません。凡慮のまま最善を尽くしてお護り申し上げる、それに尽きますでしょう。
―――――――――――
「開眼供養」されていないニセ本尊をどのように「最良、最高の状態でご安置してお給仕申し上げ」ても、魔力がいや増して感応して頭破七分して人格破壊・人生破滅し、死後は無間地獄へ行くだけである。
戒壇の大御本尊様を正統な血脈伝持の僧俗が厳護・外護申し上げるのとは、天地雲泥の差である。
何を血迷っているのか。
斯様な悩乱者を頭破七分というのである。
―――――――――――
>
> また地球が太陽に呑み込まれる前に(そう書いている、笑)他の天体へ御遷座申し上げてどうしたこうした、
> これなどはもう途方もなく現実味のない奇々怪々な妄想でしょう。。。爆笑ヽ(^o^)丿
―――――――――――
今からたった二千年前の人類は今日の文明社会の様相は全く想像だにもできなかったであろう。
太陽が終焉を迎えて膨張するであろう何十億年後の文明社会のテクノロジーなど、妄犬マゴマゴ君にはとても想像は出来まい。
想像できない智慧の浅い者はその頑迷固陋でキャパの狭い頭破七分の脳髄で考えるから、途方もなく現実味のない奇々怪々な妄想にしか思えないのであろう。
想像力の貧困さも、やはり魔札・鬼札のニセ本尊の害毒によって脳の創造性が萎縮している為か。
このような者は現実生活でも、貧困な創造力によって、智慧の乏しい生活をしているのだろう。
会社に於いては、人件費を浪費している者 ということか。
甚だ不利益。経営者にとっては迷惑千万な者である。
―――――――――――
>
> ご質問の内容はまったくお考えの通りです。どうかご安心下さいませ。ご参考まで。出張マグマグ
―――――――――――
ニセ本尊を魔札と見抜けぬ妄犬マゴマゴ君に、いくら「どうか安心してくださいませ」と言われても、余計に肌寒くなるだけである。ヤレヤレ〜(-_-;)〜〜

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。42  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 311()10565 p2176-ipbf203yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

今日も、少々時間がとれるので、まずこれから掃除していきましょうか。
―――――――――――
Re: 【ご参考】ジダン様へのご参考、、、笑。。。

> 以下の文中に「氏」とあるのは、勿論、我らが大論客・大経営者・大芸術家・趣味の掲示板管理人、樋田氏のことでござりますぅ〜ヽ(^o^)丿。。。
>
> また以下は「ジダン氏・シリーズ 5」に対する私の考えです。このように氏のお話しは前へ進むようでいて後ずさりせざるを得ない、どうしても反復して前後運動をせざるを得ないと申し上げるか、要は、はじめからボタンをかけちがっている話しであるとご了解下されば幸いに存じます、笑ヽ(^o^)丿。。。
>
>
> 【出典御書について】
>
> @木絵二像開眼之事(法華骨目肝心)、文永元年(1264年)、聖寿四十三の年の御述作。対告衆は不詳。
>
> A四条金吾釈迦仏供養事、建治二年(1276年)七月、聖寿五十五の年の御述作。対告衆は四条金吾。
>
>
> 【時間の流れについて】
>
> @文永元年(1264年)聖寿四十三:木絵二像開眼之事を御述作
>
> A文永8年(1271年)聖寿五十:竜の口の法難(九月)、初めて曼荼羅本尊を顕わされる(楊子本尊、十月)、佐渡へ御到着(十月)
>
> B文永9年(1272年)聖寿五十一:開目抄、御執筆(二月)、四条金吾殿御返事に「本門寿量品の三大事」の文言が見られる(五月)
>
> C文永10年(1273年)聖寿五十二:観心本尊抄、御執筆(四月)、義浄房御書に「寿量品の事の一念三千の三大秘法」の文言が見られる(五月)
>
> D文永11年(1274年)聖寿五十三:赦免の後、鎌倉へ帰着される(三月)、鎌倉から身延へ御到着(五月)、法華取要抄に「本門の本尊と戒壇と題目」として初めて三大秘法の三つの名目が明かされ、その弘通を論じられる(五月)
>
> E建治2年(1276年)聖寿五十五:四条金吾釈迦仏供養事を御述作(七月)、報恩抄に同じく三大秘法が明かされ「一閻浮堤に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」と述べられる(五月)
>
>
> 【氏の「いつものお得意の長広舌』に対する私マグマグからの問題指摘】
>
> @「木絵二像開眼之事」における木絵二像は「生身の仏」に対する造作物であり、これらを開眼するのであれば「真言師など」にはよらず、真の草木成仏の本義が説かれた「法華経=一念三千の法理」によって「法華を心得たる人」がすべきであるとされている。この木絵二像が、当時、大聖人が胸中に秘して、いまだ御図顕されない御本尊のことであるとの氏の再往解釈は誤っている。また木像が板曼荼羅、絵像が紙幅曼荼羅であるなどは当然御書に全く書かれていない空想である。因みに御本尊の御図顕は文永8年からであり、本抄から七年後のことである。
―――――――――――
いつもながら浅識の短見である。

1、釈尊一代の仏教は、法華経から開会して判読することは仏教の初門である。
と同様に大聖人の仏法は、佐後の御法門から佐前の御文を判ずるのは、大聖人の御書を拝する上での基本姿勢である。

【文証】

 此の経には二妙あり。(中略)一には相待妙、二には絶待妙なり。相待妙の意は、前四時の一代聖教に法華経を対して爾前と之を嫌ひ、爾前をば当分と云ひ法華を跨節と申す。絶待妙の意は、一代聖教は即ち法華経なりと開会す。(一代聖教大意   正嘉二年二月一四日  三七歳)

法門の事はさどの国へながされ候ひし已前の法門は、たゞ仏の爾前の経とをぼしめせ。(三沢抄   建治四年二月二三日  五七歳)

ということは、佐前の御文も佐後から開会して拝すれば、全て三大秘法を顕されているのである。
ここに、一往・附文の辺と、再往・元意の辺、という拝し方の筋目があるのであって、妄犬マゴマゴ君はここに全く暝く、不勉強なだけである。
―――――――――――
2、しかも、更に重要なことは、該書「木絵二像開眼之事」は平成新編では系年文永9年であり、御書全集の文永元年説は覆されている。
古文書研究に限らず、およそあらゆる科学的検証を必要とする学問分野では、後年に発表されたものが、更なる再調査・再検討された成果が反映されてより正確を期すものであるから、旧年発表の学説より正確かつ詳細であることは学問世界での通例である。
であるから、「木絵二像開眼之事」は妄犬マゴマゴ君にとっては致命的であるが佐後である。
妄犬マゴマゴ君には大変お気の毒であるが、@と邪難するその前提根拠そのものが崩れているわけである。ご苦労様。
―――――――――――

3、佐前にも佐後にも、「開眼供養」の意義や大事を説かれておられるにも拘らず、それが三大秘法の法体と全く関係がないとすることの方が、まさに牽強付会・我田引水の身贔屓な邪読である。
これは、創価学会発行の掛け軸に開眼な為されていないことを何とか正当化する為に、僻目で御文を癖読するがゆえに@のような邪解・曲解となるのである。

【「開眼」の大事を仰せられた文証】

佐前

仏の御開眼の御事は、いそぎいそぎ伊よ(予)房をも(以)てはたしまいらせさせ給ひ候へ。(真間釈迦仏御供養逐状   文永七年九月二六日  四九歳)

佐後

我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。(草木成仏口決  文永九年二月二〇日  五一歳)

法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。(木絵二像開眼の事   文永九年  五一歳)

されば画像(えぞう)・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。(四条金吾釈迦仏供養事      建治二年七月一五日  五五歳)

仏は所生、法華経は能生、仏は身なり、法華経は神(たましい)なり。然れば則ち木像画(え)像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし。(本尊問答抄   弘安元年九月  五七歳)

法華経の題目は一切経の神(たましい)、一切経の眼目(げんもく)なり。大日経等の一切経をば法華経にてこそ開眼供養すべき処に、大日経等を以て一切の木画の仏を開眼し候へば、日本国の一切の寺塔の仏像等、形は仏に似たれども心は仏にあらず、九界の衆生の心なり。愚癡の者を智者とすること是より始まれり。国のつい(費)へのみ入りて祈りとならず。還って仏変じて魔となり鬼となり、国主乃至万民をわづらはす是なり。(曽谷殿御返事    弘安二年八月一一日  五八歳)

所謂弘法大師是なり。法華経の一念三千・即身成仏の諸仏の開眼を止めて真言経に有りと云へり。是豈(あに)法華経の眼をくじる人に非ずや。(御講聞書    弘安三年五月二八日  五九歳)

これほど、明確に大聖人様は「開眼供養」の大事を繰り返し仰せられているのに、それが読めない、頭に入らないとすれば、目が閉じていて、頭が極度に頑迷固陋である、と言わざる得ない。
知性派である(はずの)妄犬マゴマゴ君が斯様に頑迷暗愚になってしまうのは何故か。
実に興味深いところである。

つづく

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。43  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 311()112854 p2176-ipbf203yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

では、次。
―――――――――――
> A「観心本尊抄文段」の該当部分には「開眼」の二文字は全く出て来ない。文脈から1「察するに」不必要な文言であるためか、省略されていると2「思われる」。そこにあるのは草木成仏の本義、一念三千の法理である。
―――――――――――
思わず(笑い)が出る、稚拙さである。(笑い)

1、まず邪難の論格自体が実にあやふや、不明瞭、根拠皆無 である。

ここの1「察するに」2「思われる」などの表現は、全くの個人的主観の範疇であって、「反論」の根拠としては極めて貧弱な根拠である。
つまり
「僕的にはそう思えない。」と言っているだけに過ぎない。
実に稚拙な反駁法である。
―――――――――――
2、その上で、既に完全に粉砕してある内容である。
邪難も100回言えば正論にでもなると思ってるのか?
実に暗愚である。
妄犬マゴマゴ君の完全粉砕の記録はhttp://toyoda.tv/magomago.htm に明瞭だが、一度聞いただけでは理解できないようであるから、ポイントを抜き出して再破折しよう。
―――――――――――
しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。33  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月 6日(火)14時24分58秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp   引用

   どれどれ、少しは法義的な話になりそうかな。
では見ていきましょうか。
―――――――――――
Re: ああ、これはこれは。。。Re: しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。32

> > 【文証】
> >
> > 日寛上人
> >
> >  木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に【1】『一念三千の仏種の魂魄を入る』るが故に、木画の全体生身の仏なり。
> > 二十八十三四条金吾抄に云く
> > 「一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり乃至第三の国土世間と申すは草木世間なり乃至五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、【2】『此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり」』と云云。
> > 文の中に「此の法門」とは、【3】『一念三千の法門』なり。
> > また三十一巻二十骨目抄に云く
> > 「三十一相の木画の像に法華経を印すれば木画二像の全体全身の仏なり、草木成仏といへるは是れなり」と云云。
> > 若しこの意を得ば、答の大旨自ら知るべし。
> > またまた当に知るべし、若し草木成仏の両義を暁れば、則ち【4】『今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。』
> > 謹んで文字及び木画と謂うことなかれ云云。
> > ―――――――――――
―――――――――――
> 管理人樋田さま
>
> 少しタイムラグがございますが、わざわざのお書き込み、誠に有難うございます。
>
> なるほど、今度は寛師の「本尊抄文段」ですか。。。しかし、それならば先ずは御書の本文の方をお読みになってからお出し頂く方がよかったのでは、と存じます。
>
> 【引用】
>
> 観心本尊抄―――問うて曰く百界千如と一念三千と差別如何、答えて曰く百界千如は有情界に限り一念三千は情非情に亘る、不審(ふしん)して云く非情に十如是亘るならば草木に心有つて有情の如く成仏を為す可きや如何、答えて曰く此の事難信難解(なんしんなげ)なり天台の難信難解に二有り一には教門の難信難解二には観門の難信難解なり、其の教門の難信難解とは一仏の所説に於て爾前(にぜん)の諸経には二乗闡提(せんだい)・未来に永く成仏せず教主釈尊は始めて正覚を成ず法華経迹本二門に来至(らいし)し給い彼の二説を壊(やぶ)る一仏二言水火なり誰人か之を信ぜん此れは教門の難信難解なり、観門の難信難解は百界千如一念三千・非情の上の色心の二法十如是是なり、爾(しか)りと雖も木画(もくえ)の二像に於ては外典内典共に之を許して本尊と為す其の義に於ては天台一家より出でたり、草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊に恃(たの)み奉ること無益なり、疑つて云く草木国土の上の十如是の因果の二法は何れの文に出でたるや、答えて曰く止観第五に云く「国土世間亦十種の法を具す所以に悪国土・相・性・体・力」等と云云、釈籤(しゃくせん)第六に云く「相は唯色に在り性は唯心に在り体・力・作・縁は義色心を兼ね因果は唯心・報は唯色に在り」等云云、金錍論(こんぺいろん)に云く「乃(すなわ)ち是れ一草・一木・一礫(りゃく)・一塵・各一仏性・各一因果あり縁了(えんりょう)を具足す」等云云。―――御書全集239頁
>
> 【私マグマグからのコメント】
>
> あなたはどう言う意味合いからか遠まわしにも、この本尊抄を寛師が講義された文段から引用をなさっています。しかしとても残念なことながら、上に引用の御書本文にも、これを釈された文段の該当箇所にも「開眼」と言う言葉は一つも出て来ないことをご存じだったでしょうか?
>
> 更に言えば、文段の本文で寛師が引かれている御書はまさに「四条金吾釈迦仏供養事」で、冒頭が『御日記の中に釈迦仏木像一体等云々、開眼の事・普賢経に曰く(御書全集1144頁から)』で始まるものであります。この御書には確かに「開眼」の二文字が数回登場致します。が、寛師がこの文段への引用箇所(同頁最終段から)では本文の直前にある、あの有名な御文『されば画像・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし』を外して出して来られていることを、あなたはご存じでしたでしょうか?
>
1『> 何故かならば上掲の本尊抄の一段は別に「開眼」の意義などと言うものを御教示なさろうとしたものではないからです。簡単に言って、一念三千を大聖人の仏法から御説きになり、非情の草木そのものに本覚の法・報・応の三身が具わっていることに加えて「色心の因果を置」くことで『草木成仏』の実相を御示しになり、つまりこれが金錍論における「縁了を具足す」のことであり、この段の論旨の骨格である有情・非情の差別相をも束ねる(一念三千は情非情に亘る、と言う)事の一念三千を御示しになった、それだけのことでしょう。ゆえに寛師も当該文段の中で「草木成仏」ばかりを強調なさっている。。。』
>
> まあ、大聖人にせよ寛師にせよ、必要のないことをここへ御書きになる御考えは元々なかったのでしょう。
>
> 私のあなたのお書き込みに対する読後感はこう言ったものです。お互いに研鑽を続けて参りましょう。出張マグマ
―――――――――――
通読してみれば、やっぱり 馬鹿 であった。ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜

この段の意義が二意に分けて説かれていることを知らないのか?
この妄犬マゴマゴ君の蒙昧を鮮明に焙り出すためにまずはこの段の全文を引文させていただく。

【文証】

 一、各一仏性・各一因果あり縁了を具足す文。(同n)
  これ即ち性得の三因仏性なり。「各一仏性」とは正因仏性なり。この正因仏性即ちこれ一念三千なり。故に「各一因果」というなり。謂く、因果とは即ちこれ十如是の因果の二法なり。「実相は必ず諸法諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土、故に因果の二法即ちこれ一念三千なり。故に三千即中の辺を以て正因仏性と名づくるなり。この三千即中の正因仏性の体に於て三千即空、三千即仮の用を具足するなり。三千即仮は即ちこれ縁因仏性、三千即空は即ちこれ了因仏性なり。故に「縁了を具足す」というなり。弘五中十四に云く「三千即空性は了因なり。三千即仮性は縁因なり。三千即中性は正因なり」と云云。
 問う、今この下の答の大旨は如何。
 答う、凡そ草木成仏とは、一往熟脱に通ずと雖も、実はこれ文底下種の法門なり。その故は宗祖云く1『「詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり」』と。一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文底に秘沈し給えるが故なり。末師の料簡は且く之を聞く云云。
 2『今謹んで諸御抄の意を案ずるに、草木成仏に略して二意あり。一には不改本位の成仏、二には木画二像の成仏なり。』
 初めの不改本位の成仏とは、謂く、草木の全体、本有無作の一念三千即自受用身の覚体なり。外十三十四に草木成仏の口伝に云く「『草にも木にも成る仏なり』云云、此の意は草木にも成り給ヘる寿量品の釈尊なり」と云云。また二十三二十一に云く「又之を案ずるに草木の根本、本覚の如来・本有常住の妙体なり」と云云。総勘文抄に云く「春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の草木も皆悉く萠え出生して華敷き栄えて世に値う気色なり秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す」等云云。応に知るべし、この中に草木の体はこれ本覚の法身なり。その時節を差えざる智慧は本覚の報身なり。有情を養育するは本覚の応身なり。故に不改本位の成仏というなり。
 二に木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に3『一念三千の仏種の魂魄を入るる』が故に、木画の全体生身の仏なり。二十八十三四条金吾抄に云く「一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり乃至第三の国土世間と申すは草木世間なり乃至五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、4『此の画木に魂魄と申す神を入るる事』は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば『草木成仏』と申すなり」と云云。文の中に「此の法門」とは、一念三千の法門なり。また三十一巻二十骨目抄に云く「三十一相の木画の像に5『法華経を印す』れば木画二像の全体全身の仏なり、6『草木成仏といへるは是れ』なり」と云云。若しこの意を得ば、答の大旨自ら知るべし。またまた当に知るべし、若し『草木成仏の両義』を暁れば、則ち7『今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画と謂うことなかれ』云云

次にこの日寛上人の御指南2にあるが如く、諸御抄に説かれる「開眼供養」の御意を拝してみよう。(前段に引用御文とほぼ同様であるが、引文の番数等があるので、そのまま再掲します)

8 草木成仏口決   文永九年二月二〇日  五一歳
我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。

9 木絵二像開眼の事   文永九年  五一歳
法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。今真言を以て日本の仏を供養すれば、鬼入りて人の命をうばふ。鬼をば奪命者(だつみょうしゃ)といふ。魔入りて功徳をうばふ。魔をば奪(だつ)功徳者といふ。鬼をあがむるゆへに、今生には国をほろぼす。魔をたと(尊)むゆへに、後生には無間の獄に堕す。

10 四条金吾釈迦仏供養事      建治二年七月一五日  五五歳
画像(えぞう)・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。其の上一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり。三種の世間と申すは一には衆生世間、二には五陰(ごおん)世間、三には国土世間なり。前の二は且(しばら)く之を置く、第三の国土世間と申すは草木世間なり。草木世間と申すは五色のゑのぐ(絵具)は草木なり。画像これより起こる。木と申すは木像是より出来す。此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。

11 本尊問答抄   弘安元年九月  五七歳
仏は所生、法華経は能生、仏は身なり、法華経は神(たましい)なり。然れば則ち木像画(え)像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし。

12 曽谷殿御返事    弘安二年八月一一日  五八歳
法華経の題目は一切経の神(たましい)、一切経の眼目(げんもく)なり。大日経等の一切経をば法華経にてこそ開眼供養すべき処に、大日経等を以て一切の木画の仏を開眼し候へば、日本国の一切の寺塔の仏像等、形は仏に似たれども心は仏にあらず、九界の衆生の心なり。愚癡の者を智者とすること是より始まれり。国のつい(費)へのみ入りて祈りとならず。還って仏変じて魔となり鬼となり、国主乃至万民をわづらはす是なり。

13 如来滅後五五百歳始観心本尊抄    文永一〇年四月二五日  五二歳
詮ずる所は一念三千の仏種に非ざれば、有情(うじょう)の成仏・木画(もくえ)二像の本尊は有名無実(うみょうむじつ)なり。

【解釈】

1、まず妄犬マゴマゴ君は2にある、「草木成仏」に二意あることを知らない。まことに不勉強の限りである。
というより不相伝の輩が何をどう勉強しても、的がずれている好例、よきサンプルである。

妄犬マゴマゴ君の1の言い分は与えて言えば、草木成仏の一義「不改本位」の辺 のことであり、今回の日寛上人の御指南の当方の引文箇所は、「木画二像(本尊)の成仏」という義についての御指南である。
従って、妄犬マゴマゴ君の指摘は全く的外れである。

2、開眼供養について説かれた諸御抄の意を拝する。

@ 大聖人は「開眼供養」することにより「草木成仏」する。と御指南である。(8)
A 開眼供養をしないと魔が入り、鬼神が入ると仰せである。(9)
B 開眼供養とは「画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」である。(10)
C 開眼供養とは法華経(=三大秘法一大秘法戒壇の大御本尊)の力であり、天台大師のさとり(=一念三千の法義)に依る。(10)

3、1、2の意義の上から、再度日寛上人の御指南を拝する。

まず冒頭で「開眼供養」の必要性の道理を示されている。
『木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に『一念三千の仏種の魂魄を入るる』が故に、木画の全体生身の仏なり。』

木画二像=板・紙幅の曼荼羅御本尊が「草木成仏」して修行者の尊信すべき対境としての「御本尊」となるには、『一念三千の仏種の魂魄を入』れなければならない。
この『一念三千の仏種の魂魄を入るる』ことは、御書10にある「此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」であり、すなわち「開眼供養」のことである。

木画の像に『法華経を印す』れば木画二像の全体全身の仏なり、『草木成仏といへるは是れ』なり」

『法華経を印す』=開眼供養
『木画二像の全体全身の仏』=板・紙幅の曼荼羅御本尊が、生身の久遠元初自受用報身如来に成らせ給う。
これを「草木成仏」という。

若し『草木成仏の両義』を暁れば、則ち『今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画と謂うことなかれ』云云

であるから、「法華を得たる人」に正当な「開眼供養」をされて安置された板・紙幅の曼荼羅御本尊は、まさに「本有無作の一念三千の生身の御仏」であり、ゆめゆめ、ただの「文字及び木画」と思ってはいけない。

【呵責】

妄犬マゴマゴ君はこの「両義」に惑う故に、この開眼供養=草木成仏の義が全く分からない恥犬なのである。
だから、1などとの恥論を平然と述べ立てることができるのである。

【反駁】

もし、妄犬マゴマゴ君のいう1だけの意味なのであれば、この宇宙法界全ての草木が(草木でなくても)「本有無作の一念三千の生身の御仏」の「本尊」となることになり、それならどこに向かって「南無妙法蓮華経」と叫んでいればいいことになり、殊更に「本尊」など要らない。

【発見】

『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという症例』

こんな簡単な当たり前至極の道理すら分からなくなるほど、知能の低下が促進する。
しかも、その恥論を一片の羞恥心を持たずに堂々と開陳できるほどの知能の低下振りである。
まさに、恥部を剥き出しにしたまま街中を闊歩する様、である。呵々大笑

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。44  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 311()11303 p2176-ipbf203yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。35  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月 7日(水)13時09分25秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp   引用

   どれどれ、理解できないって?
では、じっくり見ていきましょうかね。
―――――――――――
Re: いいえ、ですからねぇ〜、、、笑。。。Re: しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。34

> > 妄犬マゴマゴ君の1の言い分は与えて言えば、草木成仏の一義「不改本位」の辺 のことであり、今回の日寛上人の御指南の当方の引文箇所は、「木画二像(本尊)の成仏」という義についての御指南である。
> > 従って、妄犬マゴマゴ君の指摘は全く的外れである。
> >
> > 2、開眼供養について説かれた諸御抄の意を拝する。
> >
> > @ 大聖人は「開眼供養」することにより「草木成仏」する。と御指南である。(8)
> > A 開眼供養をしないと魔が入り、鬼神が入ると仰せである。(9)
> > B 開眼供養とは「画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」である。(10)
> > C 開眼供養とは法華経(=三大秘法一大秘法戒壇の大御本尊)の力であり、天台大師のさとり(=一念三千の法義)に依る。(10)
> >
> > 3、1、2の意義の上から、再度日寛上人の御指南を拝する。
>
>
> 管理人樋田さま
> 色々とお調べ頂いたご様子に、心からの謝意を申し上げます。
> が、元々、あなたがご引用の箇所(文段及び御書の原文)のどこに「開眼」とか「開眼供養」の語が見られるのでしょうか?
> 「草木成仏」も結構、「木画二像」も結構です。一念三千ですから。
> また、あなたが、誰かが開眼しなければ「木画二像は成仏しない」と仰せのことは次の問題でしょう。
> 今、私はそれらに何も反対しておりませんし、書いてもおりません。
> 特に上にお書きの「従って」とはどう言う意味でしょうか?
> かくかくしかじかであるから「従って」開眼供養とはかくかくしかじかである、
> と、今少し論理的に仰せになって下さいませんか?
> 再度、お聞きしますが、前回、あなたがご引用になり私が指摘した箇所のどこに「開眼」が出て来るのですか?
> 元々私が書いている通り、今の私からの問題はそれだけです。
> 以上に対して簡潔に、論理的にお答え下さりたく存じます。出張マグマグ
―――――――――――
真面目に読むとやはり 馬鹿 である。呵々
ま、しかし、この 馬鹿 でも、当方が更に詳細に御文を拝するきっかけになるのだから、有難い存在である。
ではまず

【御文再掲】

 一、各一仏性・各一因果あり縁了を具足す文。(同n)
  これ即ち性得の三因仏性なり。「各一仏性」とは正因仏性なり。この正因仏性即ちこれ一念三千なり。故に「各一因果」というなり。謂く、因果とは即ちこれ十如是の因果の二法なり。「実相は必ず諸法諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土、故に因果の二法即ちこれ一念三千なり。故に三千即中の辺を以て正因仏性と名づくるなり。この三千即中の正因仏性の体に於て三千即空、三千即仮の用を具足するなり。三千即仮は即ちこれ縁因仏性、三千即空は即ちこれ了因仏性なり。故に「縁了を具足す」というなり。弘五中十四に云く「三千即空性は了因なり。三千即仮性は縁因なり。三千即中性は正因なり」と云云。
 問う、今この下の答の大旨は如何。
 答う、4『凡そ草木成仏とは、一往熟脱に通ずと雖も、実はこれ文底下種の法門なり。その故は宗祖云く「詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり」と。一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文底に秘沈し給えるが故なり。』末師の料簡は且く之を閣(お)く云云。
 1『今謹んで諸御抄の意を案ずるに、草木成仏に略して二意あり。一には不改本位の成仏、二には木画二像の成仏なり。』
 2『初めの不改本位の成仏とは、謂く、草木の全体、本有無作の一念三千即自受用身の覚体なり。外十三十四に草木成仏の口伝に云く「『草にも木にも成る仏なり』云云、此の意は草木にも成り給ヘる寿量品の釈尊なり」と云云。また二十三二十一に云く「又之を案ずるに草木の根本、本覚の如来・本有常住の妙体なり」と云云。総勘文抄に云く「春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の草木も皆悉く萠え出生して華敷き栄えて世に値う気色なり秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す」等云云。応に知るべし、この中に草木の体はこれ本覚の法身なり。その時節を差えざる智慧は本覚の報身なり。有情を養育するは本覚の応身なり。故に不改本位の成仏というなり。』
 3『二に木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に一念三千の仏種の魂魄を入るるが故に、木画の全体生身の仏なり。二十八十三四条金吾抄に云く「一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり乃至第三の国土世間と申すは草木世間なり乃至五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり」と云云。文の中に「此の法門」とは、一念三千の法門なり。また三十一巻二十骨目抄に云く「三十一相の木画の像に法華経を印すれば木画二像の全体全身の仏なり、草木成仏といへるは是れなり」と云云。若しこの意を得ば、答の大旨自ら知るべし。またまた当に知るべし、若し草木成仏の両義を暁れば、則ち今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画と謂うことなかれ云云。』

【破折】

1、まず、こういう妄犬マゴマゴ君のような者を「守文の徒」といって、「義」が読めない蒙昧者というのである。

@ 「開眼」そのものの「語」が当該文上に顕然になくとも、「開眼供養」の義 を説かれているのである。

A 妄犬マゴマゴ君、まず1『』の意が読めていない。

  @ 『諸御抄』に説かれる大聖人の御聖意を拝すると、「草木成仏」という概念に二つの意義があらせられる。
   −1 一意が 不改本意の成仏
   −2 二意が 木画二像の成仏  である。

  A −1 不改本意の成仏 を説明される箇所が2『』
     −2 木画二像の成仏 を説明される箇所が3『』である。

B 当方が引文した箇所は、この 木画二像の成仏 を示された箇所3『』である。

C この御指南の意を領解するには、まず前提として、1『』にあるごとく、「謹んで諸御抄の意を案ずる」ことを為さなければならない。
逆に言えば、「諸御抄の意を案ずる」ことができない者は、この日寛上人の御指南をも領解することはできない。
妄犬マゴマゴ君はまさに、この「諸御抄の意を案ずる」ことができていないから、斯様に 暗愚・蒙昧 にして、「文」にのみ囚われて、この日寛上人の御指南が領解出来得ないのである。

D では 諸御抄の意 とは何か。(ここでは、不改本意の成仏 の意については今回の本題ではないので略す)

E「開眼供養」 についてお説きになられた「諸御抄」を挙げさせていただく。(133・134段に補足・編集して再掲)

8 草木成仏口決   文永九年二月二〇日  五一歳
我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。

この仰せは、人が死んでそのままでは「死の成仏」はなく、「塔婆を立て開眼供養する」ことにより、始めて非情である死人が「草木成仏」する。との意義である。依って、日寛上人の当該文では3『』木画二像の成仏 へ繋がる「諸御抄の意」である。

9 木絵二像開眼の事   文永九年  五一歳
法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。

この御文もまさに「開眼供養」をしなければ木画二像が「本尊」と成り得ない、という決定的な文証である。

10 四条金吾釈迦仏供養事      建治二年七月一五日  五五歳
■@『画像(えぞう)・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。』其の上一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり。三種の世間と申すは一には衆生世間、二には五陰(ごおん)世間、三には国土世間なり。前の二は且(しばら)く之を置く、第三の国土世間と申すは草木世間なり。草木世間と申すは五色のゑのぐ(絵具)は草木なり。画像これより起こる。木と申すは木像是より出来す。■A『此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。』此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。

今回の日寛上人の御文に引文された御文である。妄犬マゴマゴ君はこの「開眼供養」の文字を敢えて日寛上人が記載されなかったのは、必要がないことであるから(趣意)などとまさに「諸御抄の意を案ずる」ことができない、馬鹿丸出し の恥言を吐いているが、実に浅はかである。
この御文中の
■@『画像(えぞう)・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。』
■A『此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。』
とは同意、ほぼ全同の御意である。
つまり、
「開眼供養」=「画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」である。
もともと、ただの草木である木・紙・墨 等が「本尊」=生身の仏 と成り得るには「開眼供養」=「魂魄と申す神を入るる」ことが必要条件である。との御意である。
そしてそのことが「草木成仏」なのである。
ここの意が日寛上人の御指南3『』の意 である。
御指南の文の上に「開眼供養」の文字そのものが表記されていなくとも、御指南されている意義内容はまさに「開眼供養」=「画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」なのである。
こういう明々白々な証文を読み取れないとは、相当に 馬鹿 である。
『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』妄犬マゴマゴ君 である。呵々大笑

11 本尊問答抄   弘安元年九月  五七歳
仏は所生、法華経は能生、仏は身なり、法華経は神(たましい)なり。然れば則ち木像画(え)像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし。

この御文でも、木画の二像の「開眼供養」の必要性を説かれておられる。

13 如来滅後五五百歳始観心本尊抄    文永一〇年四月二五日  五二歳
詮ずる所は一念三千の仏種に非ざれば、有情(うじょう)の成仏・木画(もくえ)二像の本尊は有名無実(うみょうむじつ)なり。

該文中に日寛上人が引文された御文である。
4『凡そ草木成仏とは、一往熟脱に通ずと雖も、実はこれ文底下種の法門なり。その故は宗祖云く「詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり」と。一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文底に秘沈し給えるが故なり。』

この御文は、「結局のところ、突き詰めてみれば、一念三千の仏の種、仏に成る為の種 でなければ有情の成仏も 木画二像の本尊 も ただ成仏できるという名目があるだけで、真実の現証・実体 はない。」との意義と拝するのである。
ここに、「不改本位の草木成仏」と「木画二像の草木成仏」の二意が既に説き置かれているのである。
上記の「諸御抄の意」と併せ拝すると、つまり、
『理の上では宇宙森羅万象全てが「各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」=「不改本位の草木成仏」であるが、現実の修行として突き詰めてみれば木画二像に「魂魄と申す神を入るる」=「開眼供養」を為して事の上での「草木成仏」=「木画の二像の草木成仏」なさしめなければ、修行者の成仏など有名無実の空言である。』との御意である。
この意を、更に詳細に解き明かされたのが、以下の日寛上人の御指南なのである。(1〜3)

以上の意義の上から、再度日寛上人の3『』の御指南を拝する。

まず冒頭で「開眼供養」の必要性の道理を示されている。
『木画二像の草木成仏とは、謂く、木画の二像に『一念三千の仏種の魂魄を入るる』が故に、木画の全体生身の仏なり。』

木画二像=板・紙幅の曼荼羅御本尊が「草木成仏」して修行者の尊信すべき対境としての「御本尊」となるには、『一念三千の仏種の魂魄を入』れなければならない。
この『一念三千の仏種の魂魄を入るる』ことは、御書10にある「此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」であり、すなわち「開眼供養」のことである。
ここで、観心本尊抄の御文の「一念三千の仏種」を日寛上人は「諸御抄の意」から「開眼供養」の意に於いて用いられておられることが明白である。

木画の像に『法華経を印す』れば木画二像の全体全身の仏なり、『草木成仏といへるは是れ』なり」

ここも上記と同様、日寛上人は「諸御抄の意」から『法華経を印す』=開眼供養 との意義で用いられておられることは明白である。
『木画二像の全体全身の仏』=板・紙幅の曼荼羅御本尊が、生身の久遠元初自受用報身如来に成らせ給う。
これを「草木成仏」という。

若し『草木成仏の両義』を暁れば、則ち『今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画と謂うことなかれ』云云

であるから、「不改本位の草木成仏」と「木画の二像の草木成仏」の二義の筋目・縦分け・次第などの両義の本質を明瞭に領解したならば、「法華を得たる人」に正当な「開眼供養」をされて安置された板・紙幅の曼荼羅御本尊は、まさに「本有無作の一念三千の生身の御仏」であり、ゆめゆめ、ただの「文字及び木画」と思ってはいけない。

妄犬マゴマゴ君などは、この「二義」に暗く、惑っているが故に、真の「本尊」義に迷乱し、魔神・鬼神であるニセ本尊になどに平然と向かえるのである。
嗚呼 おそろし。おぞまし。
―――――――――――
以上の詳細な論述を見ても日寛上人の御指南の意義が理解できないとすれば、

1、生来の 馬鹿 か、
2、歳を重ねるごとに 暗愚 になった。か、
3、ニセ本尊 の猛毒のせいで 馬鹿 になった。か
4、ニセ本尊 の猛毒のせいで 根性が捻くれて 正常なものの見方ができなくなった。か、
5、内心では以上の道理を認めざるを得ないが、現実には ニセ本尊 に懸命に唱題する「同盟題目」などという愚行を主催しているが故に、もはや後には引けず意地になって、何でもいいから難癖をつけて誤魔化してやろう。とおもっている。か、

以上のいずれかであろう。(また、この複数が絡んでいる状態)

さ、妄犬マゴマゴ君が次、どのような馬鹿さ加減を披露てくれるか、楽しみに待ちましょうか。呵々大笑

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。45  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 311()113138 p2176-ipbf203yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。37  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 2月 8日(木)16時15分7秒 p7150-ipbf08yosida.nagano.ocn.ne.jp   引用

   妄犬マゴマゴ君、ほとほと、性根の腐った性格である。ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜
―――――――――――
Re: 【管理人樋田さま】………? Re: しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。36

> > > 今回はやっと「ない」とのご結論、誠に有難うございました。出張マグマグ
>
> 管理人樋田さま
>
> はい、有難うございました。出張マグマグ
―――――――――――
【呵責】

1、妄犬マゴマゴ君、「開眼」という「語」そのものが、当該文にない。それを当方が認めて、非を認めたという構図に何としてもしたいようである。
馬鹿の癖に執念深く、しかも見栄っ張りである。
これも『ニセ本尊を拝むと斯様に性格が醜悪に為るという症例』であろうか。
さもなくば生来のものか。

2、『一念三千の仏種の魂魄を入るる』
=「此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」
=「開眼供養」

である。

【再掲・一部】

■@『画像(えぞう)・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。』
■A『此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。』
とは同意、ほぼ全同の御意である。
つまり、
「開眼供養」=「画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」である。
もともと、ただの草木である木・紙・墨 等が「本尊」=生身の仏 と成り得るには「開眼供養」=「魂魄と申す神を入るる」ことが必要条件である。との御意である。
そしてそのことが「草木成仏」なのである。
ここの意が日寛上人の御指南3『』(←※当該文)の意 である。
御指南の文の上に「開眼供養」の文字そのものが表記されていなくとも、御指南されている意義内容はまさに「開眼供養」=「画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事」なのである。
こういう明々白々な証文を読み取れないとは、相当に 馬鹿 である。
『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという標本』妄犬マゴマゴ君 である。呵々大笑(←※妄犬マゴマゴ君、以上に対しては全く論理的に反駁できていない。)

【妄犬マゴマゴ君が幼稚であるという例証】

@「四つの辺のみで構成される図形」=A「四角形」
B異なった二組の平行線が交差するところに出来る図形=C平行四辺形

ある文に@Bの文が記載されていたらそれは、ACの意味である。

妄犬マゴマゴ君は、
そのあんたが持ち出した文章には@「四つの辺のみで構成される図形」とは書いてあるけど、A「四角形」とは書いてないじゃないか!だから、A「四角形」という意味ではないんだ!
と喚いているのと同様である。
実に 馬鹿 である。呵々大笑。ヤレヤレゝ(-_-;)〜〜

【発見】

『ニセ本尊を拝むと斯様に馬鹿に為るという症例』

虚栄心、勝他の念がいや増して盛んになり、ものごとの道理などを無視して、無理強引に自説をごり押ししようとする。
実に無慙極まりない痴態であり、無惨である。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。46  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 311()21572 p2176-ipbf203yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

さて、次。
―――――――――――
>
> B▼1『「木絵二像開眼之事」が権実相対によって御述作あることと、『文底秘沈の三大秘法義から依義判文する(?)』ことを混同してはならない。』本抄の別名「法華骨目肝心」の通り、2『佐前』において、3『大聖人の法華経(一往は経題、再往は事行の一念三千、南無妙法蓮華経)による即身成仏を宣揚されたと拝することで十分であろう。』4『因みに三大秘法の名目の初出は文永8年であり、本抄から八年後のことである。』
―――――――――――
既に破折してある如く、大聖人様の一切の御文は、三大秘法へ究竟され、また三大秘法から一切の法義は現れ出でるのである。

   第三 義(ぎ)の字の事
 御義口伝に云はく、義とは観心なり。其の故は文は教相、義は観心なり。所説の文字として心地に沙汰するを義と云ふなり。就中(なかんずく)無量義は一法より無量の義を出生すと談ず。(御義口伝)

との仰せの如くに、大聖人様の一切の教義は三大秘法一大秘法から現れ出でる。
また、「義とは観心なり。」であるから、観心の御本尊=戒壇の大御本尊こそが、大聖人様の教義一切を開会する「義」である。
また、「文は教相、義は観心なり。所説の文字として心地に沙汰するを義と云ふなり。」であるから、大聖人様の一切の教義は観心の御本尊=戒壇の大御本尊を表する「教相」であり、その「教相」である説き出だされたところの文字(=所説の文字)から、大聖人様の真意・義・観心=戒壇の大御本尊へ向かうことが法門の筋目である。

【同義の傍証】

応に知るべし、当抄(観心本尊抄)は人即法の本尊の御抄なるのみ。
 これ則ち諸仏諸経の能生の根源にして、諸仏諸経の帰趣せらるる処なり。故十方三世の恒妙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、皆咸くこの文底下種の本尊に帰せざるなし。譬えば百千枝葉同じく一根に趣くが如し。(日寛上人 観心本尊抄文段)
―――――――――――
以上の道理・文証を踏まえた上で、妄犬マゴマゴ君の我見に詰問する。

1、1『』3『』は妄犬マゴマゴ君の私見であり、御文の解釈に於いては私的見解など論外である。
もしそうでないと主張するのならば、それを断定できる根拠を正確な文証を挙げて証明して見せよ。
出来なければ、1『』3『』との言は、ただ、妄犬マゴマゴ君が自分の思い込み=我見・浅見・妄見によって何の教義的な根拠もなく吼えているに過ぎない。
正当な反論・反駁に全く為っていない。

2、2『』4『』は既に破折済み。「佐前」と断定できる根拠を具体的に挙げよ。

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。47  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 311()231533 p2176-ipbf203yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

次。
―――――――――――
>
> C▼1『「木絵二像開眼之事」と四条金吾の関係性は考証されていない。おそらく氏は本文に直接目を通していないのか、上掲の「文段」該当部分に引用された「四条金吾釈迦仏供養事」と本抄を混同している模様である。』2『寛師は末法相応抄で釈迦立像について「四条金吾釈迦仏供養事」を一例として挙げられ、「蓮祖は、一宗弘通の初めであり、御正意でなくとも用捨時宜に随われた、弥陀本尊を捨てた上での釈迦像立を称歎された、3『大聖人御自身の観見の前には釈迦一体仏も一念三千即自受用身の本仏と映ぜられた』(趣意)」としておられる。尚、この寛師御抄本文の該当箇所にも「開眼」の二文字は全く現われない。』
―――――――――――

1、この1との指摘はその通りであった。御指摘ありがとう。対告衆について、この二書を混同錯誤していた。
ただし、「おそらく氏は本文に直接目を通していないのか、」ということはないので、悪しからず。
―――――――――――
2、2について。

@ 実に文意が読めていない妄犬マゴマゴ君である。

妄犬マゴマゴ君が言うとおり3『大聖人御自身の観見の前には釈迦一体仏も一念三千即自受用身の本仏と映ぜられた』その釈迦一体仏=一念三千即自受用身の本仏=御本尊について、大聖人様は同抄に
「画像・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。」とも
「此の画木に魂魄と申す神を入るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。」とも仰せになり、まさしく「開眼供養」の必要性をお説きなのである。

つまり、妄犬マゴマゴ君は知ったかぶりして日寛上人の末法相応抄での御指南を要約して書き込んで、結局
「大聖人様の観見では釈尊一体仏=画像・木像=一念三千即自受用身の本仏(まさに曼荼羅御本尊のことではないか)と映ぜられたのに対して「開眼供養」が必要である」との趣意を証明して見せたわけである。

もう少し分かりやすく書くと、

釈尊一体仏=画像・木像の類=一念三千即自受用身の本仏

大聖人様の観見では  と映ぜられた。

その 一念三千即自受用身の本仏  と映ぜられた 釈尊一体仏=画像・木像の類 に対して大聖人様は「開眼供養が必要」と説かれておられる。

この意味するところは、
一念三千即自受用身の本仏 とはまさに 曼荼羅御本尊である。
曼荼羅御本尊は 画像・木像である。

附文の辺において釈迦一体仏の画像・木像の開眼供養の必要性を説かれた意義は、「義は観心なり」との意義から、その元意の辺に於いては、まさに 一念三千即自受用身の本仏=曼荼羅本尊として画像・木像の開眼供養の必要性を仰せられたことに他ならない。
―――――――――――
A また、当該抄を別角度から考察すれば、開眼供養の原理とは何か。

元、草木である木画二像 を 生身の御本尊 と為す ことにある。(趣意)

曼荼羅御本尊はそのままでは草木である木画二像である。
その草木を 生身の御本尊 と為すには開眼供養が必要である。
その開眼供養の原理は、一往、釈尊一体仏を表に表示されようと、大聖人様の御真意である曼荼羅御本尊も同様に当て嵌まる原理である。

もし、釈迦一体仏だけに「開眼供養」が必要であり、曼荼羅御本尊には不要である、とするならば、それこそ本尊雑乱の基である。
つまり、誰が、どのように曼荼羅本尊状のものを作っても全部 生身の一念三千即自受用身の本仏 と言うことになってしまう。
誰でも、どこでも、どんな風にでも作れるものなど、即身成仏の根本の尊仰対境である「本尊」になど成り得ない。
こんな道理など中学生でも分かる理屈である。
ここに、開眼供養の義を認めない者の大いなる矛盾がある。

更に言えば、開眼がされていない創価学会発売の掛け軸を 生身の一念三千即自受用身の本仏 と主張すれば、

大聖人様の御本尊の写真集も
ネット上での曼荼羅本尊の画像も
身延のみやげ本尊も
自分で曼荼羅本尊を書いても
それを何万枚もコピーしても
・・・・・

全部 生身の一念三千即自受用身の本仏 という、全く馬鹿馬鹿しいお笑いごとになり、まさに 本尊雑乱 である。

「諸宗は本尊にまどへり」 とのご指摘そのままの体たらくとなる訳である。

つまり、このような道理・そして既に何度も挙げた文証からして、「開眼供養」を否定することは不可なのである。
しかし、創価学会の開眼なき掛け軸を拝んでいる者達は、何とかして自己正当化を強弁するために、ひたすら「開眼供養不要論」を、正当な道理・文証を提示できないまま、足掻きながら吼え続けるのしか能がないのである。

つづく

 

しょうがなく新シリーズ マゴマゴの妄犬を呵責す。48  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 312()12013 p2176-ipbf203yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

つづき
今回の締め
―――――――――――
>
> D以上、氏が典拠とする=文証=そのものの引用が先ず不適当で牽強付会であり、その後の解釈も極めて心もとなく、怪しいことを指摘しておく。当たり前のことながら、『氏が強引に結論付けようとしている『法華を心得たる人=御歴代上人』などと言う寝言は最初から何も論証出来ない構造となっている。』
―――――――――――
このようなご意見・ご感想は今までの@Cに対しての、当方からの全ての破折に正当な道理と文証を挙げての反論に成功してからの話である。
さ、頑張って下さいね。

『』については以下の論証にやはり正当な道理と文証を以って反駁してから言うべきでありましょう。

【加筆編集して再掲】

大聖人御在世当時は「法華を心得たる人」とは、大聖人御自らである。(また大聖人様からの御名を受けて代参される御僧侶にも「師弟相対」の次第によりこの義が含まれる)
それは、この次下の御文

法華を悟れる智者、死骨を供養せば生身即法身なり。是を即身といふ。さりぬる魂を取り返して死骨に入れて、彼の魂を変じて仏意と成す。成仏是なり。

によっても領解できる。

以下の@Aの両御文は非情成仏・草木成仏の義を明示されたものである。

@■1『法華を心得たる人』、2『木絵二像を開眼供養』せざれば、家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。今真言を以て日本の仏を供養すれば、鬼入りて人の命をうばふ。鬼をば奪命者(だつみょうしゃ)といふ。魔入りて功徳をうばふ。魔をば奪(だつ)功徳者といふ。鬼をあがむるゆへに、今生には国をほろぼす。魔をたと(尊)むゆへに、後生には無間の獄に堕す。

A■´『法華を悟れる智者』、´『死骨を供養』せば生身即法身なり。是を即身といふ。さりぬる魂を取り返して死骨に入れて、彼の魂を変じて仏意と成す。成仏是なり。即身の二字は色法、成仏の二字は心法、死人の色心を変じて無始の妙境妙智と成す。是則ち即身成仏なり。

この両文は以下の点に於いて、同義である。

@ 木絵二像(御本尊)を開眼する場合
1が2をする。

A 故人の葬儀の場合
´´する。

つまり、非情成仏・草木成仏の義に於いて、木絵二像開眼も 死骨供養 も同じ一念三千の法義・悟りから出でた同様の原理であり、
その「主体者」と「行為」は以下の通り、同列に仰せられているのである。

      木絵二像           死骨供養
主体者    1            ´
行為      2            ´

本文にもどり閲するに、「死骨を供養」して「生身即法身」に為したり、「さりぬる魂を取り返して死骨に入れて、彼の魂を変じて仏意と成す。」等ということが、在家信徒に出来るなどという、文証も道理も皆無である。つまり在家信徒にその資格も、能力も、相伝も、ないのである。
(ただし、師弟相対の筋目から、遠隔地など、急遽御僧侶が訪問できないなど、どうにもならない状況下において手続ぎの師匠から代参を仰せつかった場合にはその限りではない。という事例があった。)

【小結】

であるから、「法華を心得たる人」とは、別しては大聖人様御一人の御ことである。
しかして、この法華=法華経とは三大秘法のことである。
三大秘法はそのまま一大秘法に括られる。
その一大秘法の体とはまさに戒壇の大御本尊である。
この戒壇の大御本尊様をそのまま御身に宛てて唯授一人・血脈相承されているのが日興上人を随一とする御歴代上人である。

【文証】

日蓮一期弘法付嘱書   日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり。弘安五年=壬午=九月 日  日蓮 花押   血脈の次第 日蓮日興

「仏宝法宝は必ず僧によりて住す」

仏宝法宝=人法一箇の戒壇の大御本尊に究竟せられ、その人法一箇の戒壇の大御本尊は大聖人様の出世の本懐であり、「日蓮一期の弘法」の究極の御法体である。
その御法体は、「血脈の次第 日蓮日興」として日興上人に相伝・伝持せられたが、この
「次第」 とは、=物事が行われる際の一定の順序。
という意義があり、大聖人亡き後、次の法嗣であられる日興上人は必ず「物事が行われる際の一定の順序」として
「血脈の次第 日興次の法嗣(日目上人)」
とお決めになるという道理である。

更に補足すれば、この「血脈の次第 日蓮日興」との御文は、

釈尊
上行菩薩(本地久遠元初自受用身・末法再誕日蓮大聖人←■本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本は日蓮なり。)
日興上人

という基本形を示し、これはつまりは、

御先師
御当代
次期御法主

との基本の方程式をお定めになった濫觴であり、末法万年の伝持・相伝の次第は次代へ唯授一人・血脈相承で必ず伝持・相伝されていくという大聖人御自らの御決判である。

この道理は以下の御文証に依っても明白である。

 一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。

つまり、法華=三大秘法=一大秘法=戒壇の大御本尊 は
大聖人日興上人日目上人  と伝持され 御先師御当代次期御法主 との基本形は末法万年に向けて伝承されるのである。

であるから現時で、「法華を心得たる人」とは「戒壇の大御本尊を相伝された方」ということになり、御法主上人以外在り得ないのである。

【現証】

御法主上人こそが御本尊を書写できる。=これこそ、「法華を心得たる人」という正に「現証」である。
創価学会ですら、日蓮正宗の御歴代上人の書写御本尊を「本尊」としている。
これまた、「法華を心得たる人」とは、御歴代上人でしか在り得ないことを、無意識の内に認めている証左である。
―――――――――――

その「法華を心得たる人」である御法主上人が開眼供養為されない本尊もどきは、魔であり鬼である。
よって、創価学会の販売している掛け軸は魔札・鬼札である。
実に簡単な道理である。

―――――――――――
>
> まあ、氏のように内容をしっかりと見極めずに安易に何かから文献をコピペして来て、それらを勝手に解釈してつなぎ合わせるだけのことで、大聖人、「御戒壇さま」と同じ御内証をご所持あそばす、尊くも奥深〜く、神聖にして不可侵で、生き仏さまとも呼べる「ご法主さまご一人」のことが説明出来るわけがない、、、ってなとこらへんでござりましょうか、、、笑ヽ(^o^)丿。。。マグマグ(〃^^)o_彡
―――――――――――
ここなどは、正当な道理と文証によって反駁できない妄犬マゴマゴ君の悔しさが滲み出ていて、可愛らしい。
ほのぼのとした気持ちにさせてくれるところである。
繰り返し督励するが、正当な道理・文証によって、反駁してみたまえ。
さ、頑張りましょう。