創価学会の邪難を破す 

血脈

日顕の「二セ血脈論」
悩乱した日顕の自語相違
日顕には血脈を受ける資格が消滅
法主には別しての血脈?
法主しか知らない相伝が?

▼ 日顕は、血脈の根本である信心の血脈は「枝葉」にすぎず、法主が相承する法体の血脈こそ「根本」であるという邪義を唱えてきた。
しかし今や、その「法主の相承」についても重大な疑惑が発覚しており、「血脈」に名を借りた法主信仰の邪義は根底から揺らいでいる。

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▼### 日顕の「二セ血脈論」

日顕は血脈の本義をゆがめ、次のように語っている。

※1「(学会は)法体の血脈を除いて、信心の血脈だけを論じております。……枝葉のところに執われているわけです」(1992年8月、第41回全国教師講習会)

「(血脈に�@法体の血脈�A唯授一人の血脈�B法門の血脈�C信心の血脈の四つがあることを挙げて)それも一つことしくは、法体の血脈が根本であるから、そこから離れて信心の血脈はないんだ」(1997年8月、第44回行学講習会開講式)

この日顕の「二セ血脈論」は、宗祖大聖人と歴代法主の指南に明確に違背している。

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◇
「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(「生死一大事血脈抄」御書1338�n)

「信と云ひ血脈と云ひ法水と云ふ事は同じ事なり」日有上人「化儀抄」

「信心と血脈と法水とは要するに同じ事になるなり」日亨上人「有師化儀抄註解」

このように血脈とは、秘奥めいた儀式ではなく、信心のことであり、強盛な信心の中が大聖人の境涯を我が生命に流れ通わす唯一の方法なのである。
それは日寛上人が、
「我等の本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり。」(観心本尊抄文段)と仰せの通りである。
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↑破折

ここに当該箇所全文を掲載する。

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日顕上人御指南

第41回 全国教師講習会の砌
  ●平成四年八月二十八日
  ●於 総本山大講堂

さて、もう一人、誑惑の者がいます。
池田大作であります。
この者が血脈ということについて、やはり色々と狂ったことを言っておりまして、特に『生死一大事血脈抄』について、血脈という語がありますので、得たり賢しと切り文にして、

▼「この血脈が本当の血脈である」、
また、そこから発展して

▼「大聖人直結の血脈」

というようなことを言っております。
皆さんも聞いたことがあるでしょう。

 あれは本当に大狂乱の者でありまして、日達上人の時代から御相承の片鱗を聞きたいと思って色々に探りをかけておったようであります。

実は私にも、

▼「日達上人にこういう法門を聞いた」というように、人を介して探りを入れてきたことがあるのです。

私も、直接聞いてきたならば、話してもよい範囲までなら教えてもよいと考えておりましたが、結局、自分自らは聞いてはきませんでしたので返事はしませんでした。

 とにかく、日達上人には色々と探りを入れて、なんとか聞き出そうとしたらしいのですが、当然、日達上人はこの金口嫡々、金紙の相承を在家の者にお話しになるはずはありませんので、その片鱗さえ知ることができなかったのです。

 つまり、池田大作はそこが得られないからおもしろくないのだと思います。
そこに長い間に嫉妬が生じてきたのです。
私のことを「嫉妬だ」などと言っておるようですけれども、実はあの者こそが嫉妬の塊なのです。
そこに怒りを生じ、焦りを生じ、我見を生じ、そこから、

▼「御書にも『血脈』という語はあるから、ここのところを利用して大聖人直結といこう」

と考えたのであります。
この血脈ということに混乱してはいけないのです。

 したがって、あの者は、『生死一大事血脈抄』について、

  ▼「血脈相承といえば、よく既成宗教などにみられるように、神秘的に高僧から高僧へ、
  深遠甚深の儀式を踏まえて流れるものであると思われがちであります」
                     (大白蓮華―昭和五十二年六月号四四�n)

と言っておりますが、これは既成宗教全体のことではなく、明らかに日蓮正宗の宗門のことを言っているのです。

  ▼「しかし、大聖人の仏法の本義はそんなところにあるのではない。我が己心の厳粛な
  信心のなかにこそあるといわれているのです。大聖人の生命にある生死一大事の血脈
  を、私たちはどうすれば相承できるか。大聖人ご自身はすでにおられません。だが、
  大聖人は人法一箇の当体たる御本尊を残してくださっております。この御本尊から生
  死一大事の血脈を受けるのでありますが、(中略)ただ、唱題という方程式によって、
  大御本尊の生命を我が生命に移すのです」(同�n)

 こういうことを盛んに言っておったのです。

 しかし、即身成仏において御本尊様を無二に拝し奉るということも、まず根本の法体の血脈から来ておるわけですから、法義的に見れば、あの者の言うことはすべて中途半端なのです。
▼「御本尊直結」とも言うけれども、その御本尊は御歴代書写の御本尊であり、御歴代による法体の血脈が流れ通ってこそ、初めてそこに功徳を成ずるわけですから当然であります。

 ところが、さらにこれを発展させて、

▼「創価学会には、日蓮大聖人から直結の師弟感応の仏法がある。師弟の血脈がある」、

さらに、

▼「いかに本尊を受持しても、師匠との血脈、和合僧の創価学会との血脈を切れば無益だ」

という趣意のことを、いつも述べているのです。
つまり、いくら正しい御本尊を受持し、信心修行しようとも、創価学会をやめた人間は血脈がない故に功徳がないというのです。
全くひどい話です。
それも、この池田大作自身の異常なまでの過信と慢心から来るわけであります。

 また、

▼「創価学会は、大聖人からの信心の血脈を承け継いだ主流である」

という趣意から、法体の血脈を除いて、信心の血脈だけを論じております。
無論、御書の拝し方も誤っているのでありますけれども、枝葉のところに執とらわれているわけです。

 それから、

▼「師弟の血脈は牧口先生から戸田先生へ、さらに池田会長へ。この血脈のなかに日蓮大聖人の仏法が生きている」

というようなことを言って会員を洗脳してきているのです。
池田をはじめ、幹部がこれほどのことを、折に触れ、時に触れて言いながら、創価学会という組織にしか信仰に関する情報源を持たない会員を洗脳していたわけであります。
だから今日、あの大勢の者達が

▼「学会中心、学会絶対、池田先生でなければ駄目なんだ」

という考えに執われて、そこから脱することができないでいるのです。

 しかも、これは私の代になってからでなく、実は日達上人のころから、あの五十二年路線からのことであります。
故に日達上人も御心配あそばされていたわけです。
したがって、

  ●「日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言え
  ないのであります」(大日蓮三四二号二〇�n)

という、あの厳しい、はっきりとしたお言葉があるわけです。
我々は、あのお言葉を絶対に忘れてはいけません。
私もまた、その意義において申すものであります。

 そして、結局のところ、学会の誤りは、宗門の血脈法水の源を忘れて、

▼「故に池田先生との血脈を通じて、直結し、感応せねば、成仏はない」

という考え方になってくるのです。

創価学会が「直結」という言葉を好んで使う背景には、仏法の正しい伝承を考えると、どうしても御歴代上人を間に入れなければなりませんから都合が悪いのです。
ですから、創価学会中心にするためには「直結」ということを言わなければならないのです。
それで、

▼「御書直結」
▼「御本尊直結」
▼「大聖人直結」、

なんでもかんでもすべて直結とするのであります。
まことに恐ろしい邪義であります。

 これが創価学会の血脈論でありますから、創価学会を破折していくためには、このインチキな血脈論を徹底して打ち破っていくべきであります。

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【創価学会に対する破折】

学会の血脈論は邪義

 創価学会は、日蓮大聖人以来の法体の血脈を根本とすることを「ニセ血脈論」と誹謗していますが、この学会のいい分こそ大聖人の血脈相伝の仏法を否定する大謗法の論です。

 本来、「信心の血脈」とは、御法主上人に伝わる唯授一人の「法体の血脈」に随順し、大御本尊を無二に信受するところに流れかようものです。
日蓮大聖人が、唯授一人の血脈相承によって日興上人に仏法の一切を付嘱された理由もそこにあります。

 日蓮正宗の根幹である唯授一人の血脈相承を否定し、��信心の血脈を根本とする�¢n価学会の血脈論は、日蓮大聖人の教えに背く大謗法の論であり、明らかな「ニセ血脈論」です。

なお、日顕上人が 「信徒の成仏は法主によって決まる」 などといわれたことは一度もありません。

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【文 証】

『弁惑観心抄』日応上人
■「唯授一人嫡々血脈相承にも別付・総付の二箇あり其の別付とは則ち法体相承にして総付とは法門相承なり、
而して法体別付を受け玉ひたる師を真の唯授一人正嫡血脈付法の大導師と云ふべし。
又法門総付は宗祖開山の弟子旦那たりし者一人として之を受けざるはなし
蓋し法門総付のみを受けたる者は遂には所信の法体に迷惑して己義を捏造し宗祖開山の正義に違背す」(二一一�n)

『日淳上人全集』
■「(※高田聖泉は『興尊雪寃録』で)此の血脈を伝持するものは信心血脈であると、かくいって今我々が大聖人を慈父と仰ぎ南無妙法蓮華経と唱ふるものが信心血脈を相承するものであるとし、日蓮正宗の唯授一人の相承などある筈がない、それは『隠し食い相承』であり、また顕本法華宗の経巻相承は『土足相承』であると田中智学氏の言葉を借りて評してをる。
(中略)
御書を引いて内証相承、外用相承を説き師資、経巻、血脈等の相承を説き乍ら結局は信心血脈のみを立てることにして其の他を否定するといふことになつてをる。
此れは国柱会の血脈を立てやうとするあまり、かような珍説を主張することになったと思はれる」(一四四一〜一四四二�n)

■「信心血脈は付嘱相承の場合問題ではない。
(中略)
大聖人が仏法―最大深秘の正法と仰せ給ふ秘法、また末法には持ち難しと仰せ給ふ大法を唯信心だけで付嘱相承し給ふと考へるのは迂愚の骨頂ではないか。
そういう顛倒の考へ方によって仏法の混乱があり、魔が跋扈するのである」(一四四四�n)

【創価学会が主張していた文証】
『大白蓮華』
★「この(※生死一大事血脈抄の)御文は、別しての『法体の血脈』を大前提としての、総じての『信心の血脈』について、お述べになったものと拝される。
(中略)
ゆえに『法体の血脈』と『信心の血脈』を混同するようなことがあってはならないのである」(昭和五五年三月号六九�n)

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【創価学会への質問】

○日応上人が唯授一人血脈付法の法主上人を「大導師」と仰せられていますが、創価学会はこの考えを認めますか。

○日淳上人は「信心血脈は付嘱相承の場合問題ではない」と仰せですが、これは学会の説とは違いますね。

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血脈の本義をゆがめる創価学会

学会は、日顕上人が「血脈の本義をゆがめ」た、として日顕上人の二つのご指南を挙げています。

 創価学会がいわんとする

��唯授一人・法体の相承よりも信心の血脈が根本��

という考えが誤りであることは、前段において破折を加え、文証を挙げておいたとおりです。

それらを見ても、この二つの日顕上人のご指南が「血脈の本義をゆがめた」ものでないことは明らかです。

 なお、日顕上人はご指南のなかで四種の血脈を挙げられていますが、これは『生死一大事血脈抄』『本因妙抄』、また日応上人の『弁惑観心抄』や、日淳上人のご指南などに説かれる本宗伝統の血脈を総合的に明かされたものであって、「血脈の本義をゆがめ」たものでないことは当然です。

 以前、学会が発行した『生死一大事血脈抄』の講義には、「信心の血脈」を解釈する段で、

★「もとより血脈には、唯授一人の別しての法体の血脈と、総じての信心の血脈とがあり、ここで仰せられているのは、総じての信心の血脈であることはいうまでもない」

とあります。

 「信心の血脈」だけを振りかざし、唯授一人「法体の血脈」を軽視する創価学会の主張は、宗祖大聖人のご精神に背く大謗法であるのみならず、創価学会が教義の根幹にかかわる大事を、いとも簡単にひるがえす無節操な邪教集団であることを物語っています。

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【文 証】
■『本因妙抄』
「血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし」(新編一六八四�n)

■『弁惑観心抄』日応上人
「唯授一人嫡々血脈相承にも別付・総付の二箇あり其の別付とは則ち法体相承にして総付とは法門相承なり」(二一一�n)
「此の法体相承を受くるに付き尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり」(二一二�n)
「此の金口の血脈こそ宗祖の法魂を写し本尊の極意を伝ふるものなり之を真の唯授一人と云ふ」(二一九�n)

■『有師化儀抄註解』日亨上人
「此仏と云ふも此菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり」(富要一―一一七�n)

■『日淳上人全集』
「唯信心だけで付嘱相承し給ふと考へるのは迂愚の骨頂ではないか。そういう顛倒の考へ方によって仏法の混乱があり、魔が跋扈するのである」(一四四四�n)

★【創価学会が主張していた文証】
『日蓮大聖人御書講義』創価学会版
「もとより血脈には、唯授一人の別しての法体の血脈と、総じての信心の血脈とがあり、ここで仰せられているのは、総じての信心の血脈であることはいうまでもない」(生死一大事血脈抄講義・三〇上―三二�n)

「今日、日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、三大秘法を正しく信受することができるのも、ひとえに日蓮大聖人、日興上人以来、総本山大石寺歴代の御法主上人が伝持される法体の血脈による御指南、御威徳によるものであることを銘記しなければならない。
(中略)
『総じて日蓮が弟子檀那等(中略)異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』の御文は、別しての『法体の血脈』を大前提として、総じての『信心の血脈』について述べられたものである」(三〇上―五九�n)

★『広布と人生を語る』池田大作
「法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである」(八―二二八�n)

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▼### 悩乱した日顕の自語相違

しかも、日顕自身、C作戦を敢行する以前には「二セ血脈論」と、まったく正反対のことを言っていたのである。

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「血脈相承とは、信心の血脈がその基をなすのであり、その信心の血脈によって仏の本地境界の境智に基づく法体法門の血脈が、一器より一器へ流れ通うのであります」(1987年4月、虫払大法会)

「唯授一人の血脈も、その基本的本質は前来述べる如く信心の血脈に存します。……要するに、日蓮日興唯授一人の相伝血脈は、その信心において万人に通ずるのであり、かかる信心の血脈が正法の僧俗一切の行学の根底であります。故に、大聖人より日興上人への血脈が貫主(=法主)一人しか解らぬ秘訣的、偏見的な仏法などというのは血脈の真義を解せぬ者の魔言であり、信心の一念には法水が流れるところ、有智・無智を問わず、万人のために即身成仏の功徳が実証として開かれているのであります」(同)
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【創価学会に対する破折】

「信心の血脈がその基をなす」とのご指南について

 創価学会は、
日蓮大聖人の下種仏法を正しく信仰することによって流れる「信心の血脈」と、
大聖人から日興上人へと受け継がれた唯授一人の「法体の血脈」を混同し、
日顕上人のご指南を故意にねじ曲げて解釈しています。

 まず、日顕上人の「血脈相承とは、信心の血脈がその基をなす……」というご指南の後には、

■「日興上人が大聖人に信心の血脈を通じて即身成仏の大法を承継された如く、日興上人の弟子檀那僧俗は、日興上人に信伏随従して大法についての信心の血脈を得、師弟不二の境地に至って成仏の本懐を遂げられたのであります」

とあり、本宗の僧俗は日興上人以下、時の御法主上人に信伏随従することによって「信心の血脈」を得、成仏の本懐がかなうことを明確に述べられています。

 また、次の「唯授一人の血脈も……」のご指南も、学会が省略した箇所には

■「末法万年の衆生救済の仏法においては、僧俗を問わず、この根本の一器より一器への相伝に対する信解が確立するところ、即身成仏の大法とその利益は縦横無尽に開花し、顕現するのであります」

とあり、本宗僧俗が唯授一人の血脈相承に対する絶対の信をもととして仏道修行に励むところに、はじめて「信心の血脈」が流れることを明示されています。

 したがって、これらのご指南は、唯授一人の「法体の血脈」を前提とした「信心の血脈」を述べられたものであり、その意味においては、学会が先に引用したご指南となんら「自語相違」することはありません(本書101�n参照)。

 学会は、日顕上人のご指南から、自分たちに都合の悪い部分を故意に削除して、「自語相違」と誹謗しているにすぎません。
学会こそ以前に指導してきたものを、その時の都合によって変更する「悩乱した自語相違」の姿をあらわにしています。

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【文 証】

『日顕上人御説法』

■「血脈相承とは、信心の血脈がその基をなすのであり、その信心の血脈によって仏の本地甚深の境智に基づく法体法門の血脈が、一器より一器へ流れ通うのであります。日興上人が大聖人に信心の血脈を通じて即身成仏の大法を承継された如く、日興上人の弟子檀那僧俗は、日興上人に信伏随従して大法についての信心の血脈を得、師弟不二の境地に至って成仏の本懐を遂げられたのであります」(大日蓮 昭和六二年五月号三一�n)

■「唯授一人の血脈も、その基本的本質は前来述べる如く信心の血脈に存します。(中略)
末法万年の衆生救済の仏法においては、僧俗を問わず、この根本の一器より一器への相伝に対する信解が確立するところ、即身成仏の大法とその利益は縦横無尽に開花し、顕現するのであります。
(中略)
要するに、日蓮日興唯授一人の相伝血脈は、その信心において万人に通ずるのであり、かかる信心の血脈が正法の僧俗一切の行学の根底であります。
故に、大聖人より日興上人への血脈が貫主一人しか解らぬ独断的、偏見的な仏法などというのは血脈の真義を解せぬ者の「口+藝」言(うわごと)であり、信心の一念に法水が流れるところ、有智、無智を問わず、万人のために即身成仏の功徳が実証として開かれているのであります」(大日蓮 昭和六二年五月号四一〜四二�n)

【創価学会が主張していた文証】

『特別学習会テキスト』創価学会発行
「この別しての法体の血脈相承は『身延相承書』に『血脈の次第 日蓮日興』と仰せのごとく、第二祖日興上人にすべて受け継がれ、以後、血脈付法唯授一人の御法主上人が伝持あそばされるところであります。
同抄に『総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』の御文は『別して』の法体の血脈を大前提としての『総じて』の信心の血脈を仰せなのであります。
ゆえに、代々の御法主上人猊下の御内証によってお認めの御本尊を受持していくことが正しい信心の在り方であり、総じての生死一大事の信心の血脈となるのであります。ゆえに、別しての法体の血脈相承と、総じての生死一大事の信心の血脈とは、その意味に違いがあることを確認しておきたいと思います」(二七�n)

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▼### 日顕には血脈を受ける資格が消滅!

現在の日顕の悩乱ぶりを見れば、日亨上人が「不善不浄の邪信迷信となりて仏意に違ふ時は……即身成仏の血脈を承ぐべき資格消滅せり」(「有師化儀抄註解」)と仰せの通り、日顕は即身成仏の血脈を受ける資格が喪失し、堕地獄は必定である。
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↑【創価学会に対する破折】

「血脈を承くべき資格消滅せり」とは学会のこと

 前にも述べたとおり、日顕上人のご指南はご登座以来、首尾一貫したものであり、「自語相違」などはまったくありません。
したがって、創価学会がいうような「悩乱」もしていません。

 創価学会は日顕上人をおとしめるために、『有師化儀抄註解』を引用し、日亨上人の真意を故意にねじ曲げています。

 学会が引用した日亨上人の文の前には、

■「仏法には師匠の意中に違はぬが血脈の正しき法水の清らかなるものなり、仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖開山日興上人已来の信心を少しも踏み違へぬ時、末徒たる
我等の俗悪不浄の心も・真善清浄の妙法蓮華経の色心となるなり」

とあります。

 この文を拝すれば、学会が引用した「不善不浄の邪信迷信となりて仏意に違ふ時」の文が、大聖人、日興上人以来の唯授一人の血脈を信ぜず、師弟相対の信心を踏み違えた衆生を指しているのは明白であり、これらの衆生には、「即身成仏の血脈」たる「信心の血脈」を受ける資格がない、と戒められているのです。

 また、学会が引用を省略した部分には

■「法水の通路徒らに壅塞(ようそく=物や人などがふさがって通れなくなること、または流れや動きが妨げられる状態)せられて・我等元の侭の粗凡夫の色心なれば」

とあり、師弟相対の信心を踏み違えれば「法水の通路」すなわち「信心の血脈」が塞がれて、悪業深重の凡夫で終わってしまうことをご教示されています。

 この日亨上人の『有師化儀抄註解』の文は、まさに創価学会のような仏法破壊の輩にあてられた文です。
尊いご指南を悪意に満ちた切り文によって改ざんし、御法主上人を悪しざまに詈る池田創価学会は、まさに天魔の集団であり、「堕地獄は必定」の邪宗教というべきです。

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【文 証】

『有師化儀抄註解』日亨上人
■「仏法には師匠の意中に違はぬが血脈の正しき法水の清らかなるものなり、
仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖開山日興上人已来の信心を少しも踏み違へぬ時、末徒たる我等の俗悪不浄の心も・真善清浄の妙法蓮華経の色心となるなり此色心の転換も只偏に淳信篤行の要訣にあり、
若し此の要訣を遵奉せずして・不善不浄の邪信迷信となりて仏意に違ふ時は・法水の通路徒らに壅塞せられて・我等元の儘の粗凡夫の色心なれば・即身成仏の血脈を承
くべき資格消滅せり」(富要一―一七六�n)

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### Q&A
**法主には別しての血脈?**

**Q**
「総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず輪廻生死のもといたらん」(御書1055�n)とあり、別しての血脈を相承した法主に背くと成仏できないのではないか。

**A**
この御文の趣旨は、そうではなく、この次下にある通り、“成仏に導いてくれる根源の師を忘れてはいけない”という御指南です。ここで大聖人は「倍し師なりとも謗る者をば捨つべし」(同�n)と、その師に仏法上の誤りがあれば、捨てよと厳しく御教示されています。
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【創価学会に対する破折】

「総別の二義」とは血脈相伝のこと、「誤りある」師とは法主に背く者 

 ここで創価学会は、『曾谷殿御返事』の「総別の二義少しも相そむけば……」の「総別の二義」が、「信心の血脈」と「唯授一人の血脈」を指したものではなく、「成仏に導いてく
れる根源の師を忘れてはいけないという」意味であるといっています。

 しかし、このご文は直前の
■「釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是には総別の二義あり」
を受けたものであり、血脈相伝についての「総別の二義」であることは明白です。

 血脈における「総別の二義」とは、いうまでもなく、
総じての血脈である「信心の血脈」 と、
別しての血脈である「唯授一人の血脈」 
を指していることは、日応上人をはじめとする歴代上人のご指南に明らかです。

 この「総別の二義」を解釈するにあたって、前文を覆いかくし、単に「成仏に導いてくれる根源の師を忘れてはいけない」としか理解できない創価学会の愚かさは、救い難いものです。

 また、学会が引用したご文の後段には、
■「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。但し師なりとも誤りある者をば捨つべし。又捨てざる義も有るべし。世間仏法の道理によるべきなり」
とあります。

 ここに示される「根源の師」とは、末法の衆生が「智慧の水を受けた」根源の師、すなわち一往上行菩薩、再往ご本仏日蓮大聖人であり、このご本仏大聖人を根本として、その血脈相伝の上から、その時その時の衆生に「智慧の水」を流れかよわす御法主上人を指しているのです。

したがって、「但し師なりとも誤りある者をば捨つべし」の「師」とは、「根源の師」であるご本仏日蓮大聖人およびその血脈相伝につらなる歴代上人のことではありません。
なぜなら、日蓮大聖人が「根源の師」であるご自分や日興上人、またそのご正嫡を「捨つべし」と仰せられるわけがないからです。

 ここでいう「師」とは、それぞれの衆生が分々の立場で師と仰いでいる者を指しており、そこに誤りがあるならば、「世間仏法の道理」によって捨てるか否かを判断せよ、といわれたものにほかならないのです。

 この文意を拝するならば、現在においては、��世間・仏法の道理に背き、会員を悪道に導く池田大作こそ捨てられるべき師�≠ノあたるのです。(本書155�nを参照)

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【文 証】

『曾谷殿御返事』
■「釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。
又是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん。
(中略)
法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。
但し師なりとも誤りある者をば捨つべし。又捨てざる義も有るべし。世間仏法の道理によるべきなり」(新編一〇三九�n)

【創価学会が主張していた文証】

『日蓮正宗創価学会批判を破す』創価学会版
★「第一に日朗が日蓮大聖人から血脈相承、師資相承を受けたといっている。相承には総別の二義がある。総付嘱においては、六老僧をはじめ、全部受けただろうが、唯授一人の別付嘱・法体付嘱においては、第二祖日興上人のみが受けられた。
『総別の二義少しも相そむけば成仏思もよらず』との御文をよく考えよ。
しかして日朗師は別付嘱を受けなかったことは明白である」(一六八�n)

『広布と人生を語る』池田大作
★「いま、日蓮正宗御宗門においても、仏法の師であられる御法主上人猊下に師敵対する僧俗が出たことは、まことに悲しむべきことである。
これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解していない証左なのである。
血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである」(三―二九四�n)

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**法主しか知らない相伝が?**
**Q**
「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(御書398�n)とあり、相伝を受けた法主しか知らない秘法があるのではないか。

**A**
この御文は“仏法は十界の衆生のためにある”という民衆仏法の精神を明かしたもので、法主の血脈相承とは関係ありません。相伝とされる内容は、日亨上人の富士宗学要集第1巻に、産湯相承等や御本尊七箇相承など、基本的にすべて公開されています。
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【創価学会に対する破折】

「相伝に有らざれば知り難し」とは「唯授一人の血脈」の大事をご教示

 この創価学会の主張は、御書のご文に附文と元意の両意があることを知らないところからくる邪見です。

 『一代聖教大意』には、法華経は誰人のために説かれたのかという質問に対する答えとして、「此の経は相伝に有らざれば知り難し」と仰せられた上で、「総じて十界の衆生のためなり」すなわち、法華経こそ十界の衆生すべてを成仏せしめる教法であると教示されています。

 このご文は、附文の辺からいえば、権実相対の立場から、相伝によらなければ法華経が十界皆成の法門であると知ることができない、との意味になりますが、元意の辺からいえば、血脈相伝によらなければ、下種仏法が十界皆成の法門であると知ることができない、との意味になります。

 その理由を挙げれば、日寛上人は『撰時抄愚記』に、
■「宗祖云く『此の経は相伝に非ずんば知り難し』等云云。『塔中及び蓮・興・目』等云云」
と仰せられており、「此の経は相伝に有らざれば」の「相伝」が、法華経における釈尊から上行菩薩への相承のみならず、末法における日蓮大聖人、日興上人、日目上人と承継される唯授一人の血脈相承であることを明示されています。

 ところが創価学会は、元意の辺を知らないことはもちろんのこと、附文の辺においても間違った解釈をしています。

 まず、法華経が「総じて十界の衆生のためなり」とのご教示を、「民衆仏法の精神を明かしたもの」とは、前代未聞・抱腹絶倒の珍解釈です。

 さらに「此の経は相伝に有らざれば」と、誰が見ても相伝以外のなにものでもないご文を指して、「法主の血脈相承とは関係ありません」と、ぬけぬけといい放つところは、ウソつき集団・創価学会の面目躍如たるものです。

 また、「相伝の内容については、日亨上人が(中略)基本的にすべて公開されています」
などといっていますが、日亨上人が『富士宗学要集』に公開されたものは、法門相承のなかでも一部の相伝書であり、他宗の者でも知っているものばかりです。
本宗の御法主上人のみに伝わる唯授一人の血脈相伝の内容ではありません。

 それについて、日淳上人は『日蓮正宗聖典』を編集される際に、法門相承の部として相伝書を配列し、「此れを以て全部であると速断してはならないのであります」と仰せられるとともに、「申す迄もなく御相伝となりますれば直接御指南の金口嫡々の御相承や宗門の上の御教示等重々あらせられると拝しますが、それは御法主上人として大事大切でありまして、一般の僧侶や信徒としては御法主上人に随順し奉ることによって、自ら受けることができるのであります」と教示されています。

 この日淳上人のご指南を拝しても出版物等によって公にされた相伝書類が「全部であると速断してはならない」のです。
また、日淳上人は「金口嫡々の御相承」等の相伝は、歴代上人にのみ伝わる「大事大切」であって、「一般の僧侶や信徒」が、みだりに唯授一人・金口嫡々のご相伝をあげつらうことは、厳に慎まなければならないことをご教示されています。

 あたかも唯授一人の相伝が、すべて公開されているかのように宣伝し、宗祖以来の血脈相承を軽んずる創価学会は仏法破壊の大謗法集団です。

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【文 証】

『富士門家中見聞』日精上人
■「御上洛の刻み、法を日道に付嘱す、所謂形名種脱の相承、判摂名字の相承等なり。
総じて之れを謂えば内用外用金口の知識なり、別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり、
甚深の血脈なり、其の器に非ざれば伝えず、此くの如き当家大事の法門既に日道に付嘱す。
爰に知りぬ、大石寺を日道に付嘱することを。後来の衆徒疑滞を残す莫かれ」(聖典六九五
�n)

『撰時抄愚記』日寛上人
■「宗祖云く『此の経は相伝に非ずんば知り難し』等云云。『塔中及び蓮・興・目』等云云」(文段集二七一�n)

『弁惑観心抄』日応上人
■「仮令、広布の時といへども別付血脈相承なるものは他に披見せしむるものに非ず」(二一二�n)

『日淳上人全集』
■「申す迄もなく御相伝となりますれば直接御指南の金口嫡々の御相承や宗門の上の御教示等重々あらせられると拝しますが、それは御法主上人として大事大切でありまして、一般の僧侶や信徒としては御法主上人に随順し奉ることによって、自ら受けることができるのであります。
それ故此には従来拝読を許されてをる御相伝書を挙ぐるに止めたのでありまして、此れを以て全部であると速断してはならないのであります」(一一五〇�n)

『日顕上人御講義』
■「(※池田大作は)本当に大狂乱の者でありまして、日達上人の時代から御相承の片鱗を聞きたいと思って色々に探りをかけておったようであります。
実は私にも、『日達上人にこういう法門を聞いた』というように、人を介して探りを入れてきたことがあるのです。
私も、直接聞いてきたならば、話してもよい範囲までなら教えてもよいと考えておりましたが、結局、自分自らは聞いてはきませんでしたので返事はしませんでした。
とにかく、日達上人には色々と探りを入れて、なんとか聞き出そうとしたらしいのですが、当然、日達上人はこの金口嫡々、金紙の相承を在家の者にお話しになるはずがありませんので、その片鱗さえ知ることができなかったのです」(大日蓮 平成四年一〇月号三〇�n)

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【創価学会員への質問】

○相伝の内容が基本的にすべて公開されている、といいますが、どういう意味ですか。
その証拠を出しなさい。