教宣ハンドブック 粉砕
大聖人御図顕の御本尊は全て「本門の本尊」
「出世の本懐」について
戸田会長 聖人御難事
「一大秘法」「六大秘法」について
日寛上人の教学には、日蓮大聖人の正義を明らかにする普遍性のある部分と、
本来、全宇宙が諸法実相であり、御本尊
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▼### 1「三大秘法」 大聖人御図顕の御本尊は全て「本門の本尊」
日蓮大聖人は、如来滅後に天台・伝教等の残した秘法とは、「本門の本尊」と戒壇と題目の五字となり(御書336ページ)と示され、国土乱れて後に上行等の聖人出現し本門の二つの法門之を建立し四大・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑い無からん者か(同338ページ)と仰せられている。
大聖人は、悪世末法の一切衆生の救済のために、宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明らかにされ、それを三大秘法として具体的に顕された。
それが、本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇である。
今回、三大秘法についての解釈を次のように明らかにした。
すなわち、末法の衆生のために日蓮大聖人自らが御図顕された御本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく「本門の本尊」である。
また、「本門の本尊」に唱える南無妙法蓮華経が「本門の題目」であり、その唱える場がそのまま「本門の戒壇」となる。
これは、末法の一切衆生の救済という日蓮大聖人の仏法の本義に基づいた解釈である。
したがって、「本門の本尊」としては、「弘安2年(1279年)の御本尊」も含まれるが、それのみが「本門の本尊」だとするものではない。
まして、「弘安2年の御本尊」に繋がらなければ他の本尊は一切力用を発揮しないなどとする宗門の独善的な本尊観は、大聖人の仏法に違背するものであることは明白である。
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↑ 平成28年創価学会会則改変における原田会長発言を粉砕す
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### 2「出世の本懐」について
これまで、創価学会は、日蓮正宗解釈に基づき、「弘安2年の御本尊」を日蓮大聖人の出世の本懐としてきた。
その根拠は、「聖人御難事」の「余は二十七年なり」(同1189ページ)の一節であった。
しかしながら、この両者を結びつける解釈は、古い文献にはなく、あらためて「聖人御難事」そのものを拝して、大聖人が教示されている出世の本懐の意味について考察しておきたい。
まず、「聖人御難事」を拝する趣旨は次のように整理することができる。
一、大聖人御自身が、本抄において、直接、弘安2年の御本尊について一言も言及されていない。
一、本抄は、「仏」(釈尊)と「天台大師」「伝教大師」を挙げて、それぞれの出世の本懐を遂げるまでの年数を示し、そのうえで、「余は二十七年なり」と言われて、この27年間、御自身が大難に遭われたことを強調されている。
これに続く御文の内容も、ことごとく難について述べられている。
一、弘安2年10月1日の御述作である本抄において、大聖人は、農民信徒の捕縛の後、彼らが不惜の信仰を貫いているとの報告を聞いて、門下一同へ、とりわけ法難の渦中にいる門下一同へ、種々の厳しい信心の御指導と最大の励ましを送られている。
したがって、この「二十七年」という「時」と、本抄の「難」への言及の本意は、熱原の法難において、農民信徒が不惜身命・死身弘法の姿を示したことを称賛されることにあるといえる。
一、大聖人の御生涯における出世の本懐とは、三大秘法をもって、末法万年の民衆救済の道を完成したことである。
「報恩抄」には、「末法のために仏留め置き給う」正法として、一に「本尊」、二に「本門の戒壇」、三に「南無妙法蓮華経」の題目を示し、この三大秘法の確立によって、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、此の功徳は伝教・天台にも超え竜樹・迦葉にもすぐれたり」(同329ページ)と、御自身の願業成就を示されている。
一、こうした大聖人の御生涯全体を拝したときに、本抄に「二十七年」と強調されているのは、大聖人が立宗以来、三大秘法の仏法を弘通することによって生じた大難の中、27年目にして、三大秘法を受持し、不惜の信仰を貫く農民信徒が出現したことを鮮明にするためであると拝される。
一、その意味で、 「出世の本懐」の本義は、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立されたこと、それとともに、立宗以来27年目に、熱原の法難において、農民信徒たちが大難に負けない不惜身命の信仰を示したことによって証明された民衆仏法の確立である。
大聖人が、「弘安2年の御本尊」を御図顕されたことも、この三大秘法の確立と民衆仏法の確立という意義の中に含まれるものと考える。
末法万年にわたって全世界の人々を救うという大聖人の出世の本懐は、「三大秘法の確立」とともに、「日蓮と同意」「日蓮が如く」との精神で、それを担いゆく不惜の門下が誕生してこそ初めて成就する。そこに民衆仏法の真の実現がある。
「聖人御難事」に仰せの「猶多怨嫉・況滅度後」の大難を受けながら、大聖人の根本目的を継承し、世界に弘めてきた創価学会の使命と役割は、ますます重要になるのである。
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↑ 日蓮大聖人 出世の本懐とは何か
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永遠の指導者 戸田会長
聖人御難事御書を拝して(戸田会長全集・和光社 第一巻 483 )
一、『去ぬる建長五年』より『其の間の大難は各各かつしろしめせり』の文。(御書全集一一八九ぺージ)
この御文のうち、天照大神の御くりやが、東条の郷において今は第一なりとのおおせは、政治の実権が関東一門に移って、京都にはその実力がなくなったゆえに、鎌倉をもって『王』と、みなされたとも、拝されるのである。
御書に、『小国の王』『小王』とかと、おしたためあられるが、みな鎌倉の執権をさしているのであって、けっして京都の天皇をさしているのではないことを、記憶しなくてはならない。
この東条の郷・清澄山において、四月二十八日、初めてこの法門をお説きあそばされた意義については、北尾日大氏の所見が正しいと思うから、左にこれを記録しておく。
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(北尾日大氏論)
宗祖が開祖の地を、とくに房州浩澄寺に選定せられし所以を考察するに、一には誕生の地、二には父母の国、三には天照大神垂迹の霊地として日本第一の国、四には父母、道善房等の師・親及び浄顕・義浄等の先輩同人を教化せんがために、五には智慧をたまわりし虚空蔵菩薩の恩を報ぜんがため、六には故山修学の地なるがため等々であろう。
御書に、二、三の証を求むれば、
善無畏三蔵抄(御書全集八八八ページ)
『此の諸経・諸論・諸宗の失を弁うる事は虚空蔵菩薩の御利生・本師道善御房の御恩なるべし、亀魚すら恩を報ずる事あり何に況や人倫をや、此の恩を報ぜんが為に清澄山に於て仏法を弘め道善御房を導き奉らんと欲す』
新尼御前御返事(御書全集九〇六ぺージ)
『安房の国・東条の郷は辺国なれども日本国の中心のごとし、其の故は天照太神・跡を垂れ給へり』
清澄寺大衆中(御書全集八九四ページ)
『虚空蔵菩薩の御恩をほうぜんがために建長五年四月二十八日安房の国東条の郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして浄円房と申す者竝びに少少の大衆にこれを申しはじめて其の後二十余年が間・退転なく申す』
本書(御書全集一一八九ぺージ)
『安房の国長狭郡の内東条の郷・今は郡なり、天照太神の御くりや右大将家の立て始め給いし日本第二のみくりや今は日本第一なり』 − 等である。〔日蓮大聖人遺文全集講義録二十三巻(北尾日大氏担当)九〇ページより〕
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出世のご本懐とは、その人の生まれてきた根本目的を果たしたことであって、『仏は四十余年』とは、いうまでもなく、法華経寿量品を説かれたことであって、もし、この寿量品がなかったならば、釈迦一代の仏法は支離滅裂であって、かれの説法は無意味なものとなるのである。
また、『天台大師は三十余年』とは摩訶止観を説かれたことであって、この摩訶止観に理の一念三千を説いたればこそ、小釈迦とも呼ばれ、薬王の再誕ともいいきることができる。ゆえに、天台は摩訶止観を説かれるために、生まれてきたといえるのである。
次に『伝教大師二十余年』とは、理の戒壇、すなわち、迹門の戒壇を叡山に建立し、六宗をして、ことごとく天台に帰服せしめた。この大乗の戒壇は、東洋始まってより初めてのことであって、三国一のものである。これこそ、伝教が僧侶となって、仏に大功を立てたもので、出世の本懐これにすぐるものはないであろう。
わが宗祖、『余は二十七年なり』とおおせあそばされて、立宗いらい二十七年にして、弘安二年に出世のご本懐をおとげあそばされたと、おおせられておられるが、いったい、何をご建立あそばして、また、何をお説きあそばして、出世の本懐とおおせられるのであろうか。
思うに、顕仏未来記(御書全集五〇九ぺージ)に、『三に一を加えて三国四師と号く』と、佐渡ご在住のときですら、かくおおせられている以上は、三師に肩をならベ、または、これにすぐれたる極説を、お建てあそばされたにちがいない。
しかし、世の一般史家には、なにものもうつっていないではないか。
こう考えてくると、世の人は、なぜこれを不思議に思わないのであろうか。
邪宗のやからがこの御書を読みきれないのは、この点にある。『余は二十七年なり』と。
さて、いかなる説が説かれ、いかなるものが建立されたかと、不思議がってこそ、この御書を読む資格があるのである。
忠実に大聖人の教えをうけるならば、まず、この不思議を解かねばならぬ。
この不思議は、すなわち、一閻浮提総与の大御本尊の出現である。
この御本尊には『本門戒壇也』と、はっきりおしたためあそばされている。
この御本尊こそ、戒壇の御本尊であることあきらかである。
三大秘法稟承事(御書全集一〇二二ページ)にいわく、
『三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して?給うべき戒壇なり』と。
かくのごとくおおせられている。
このりっぱなる戒壇に建立される大御本尊の出現こそ、大聖人の出世の本懐なのである。
しかも、この御書は弘安二年の十月の御書である。
大御本尊のご建立は弘安二年十月十二日である。あたかも符節を合わせたごときではないか。
長谷川義一氏は、
▼『この御書は、たんに大聖人の御難事をおしたためになられたもので、たいした意義はない』といっている。
なんと、おどろくベき浅見ではないか。
しかし、これが邪宗一般の考え方である。
なぜかならば、什門流の学者といわれ、また、いまは延山の僧正であるこの人が、この御書を読みきれないのは、不相伝のゆえと、大御本尊を拝しえない邪見のゆえであり、真に悲しむべきことである。
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一、『法華経に云く「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し、況や滅度の後をや」』 より 『仏説すでに大虚妄となりぬ』 の文。
『如来の現世にすら猶怨嫉多し、況や滅度の後をや』 の 『況や滅度の後をや』 は、次のように読むべきである。
『況や滅度の後正法に於てをや』
『況や滅度の後像法に於てをや』
『況や滅度の後末法に於てをや』
である。
この章においては、まず釈迦在世の如来の難をお説きになられて、これを小難となさっていられ、末法ご本仏の境地よりすれば、理の当然である。
色相荘厳・脱益の仏のうける難は末法下種の仏の難に比すれば、当然、小難となる。
像法時の天台・伝教が法華経の行者なりというといえども、その本地をたずねれば、両者とも薬王菩薩にして迹化の菩薩であり、付属もまた迹化の付属である。
難ありといえども、仏にすぎるわけはない。
ましてや、末法弘通の大導師にくらべれば、もののかずではないのはあたりまえなのである。
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一、『而るに日蓮二十七年が間』 より 『すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうベし』 の文。
この章においては、大聖人はご自身のうける大難を示され、これを結んでいうのには、
『仏の大難には及ぶか勝れたるか其は知らず、竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし』 と。
これ言外に、仏にすぐれたる大難なりと、いわれているのである。
すなわち、次下の
『日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人・多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり』
と、おおせられて、 『況んや滅度の後をや』 の経文を読める者は、われ一人なりとして、法華経の行者であることを強くのベられておられるのである。
ゆえに、次下に結んでいうのには、
『仏滅後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人・但日蓮一人なり』
と、すなわち、仏の予言どおり、末法の法華経の行者として、ご自身がおあらわれになったことを、強くおっしゃられているのである。
正法にもせよ、像法にもせよ、末法にもせよ、法華経の行者を軽賤する者は、法華経の罰をこうむることを断定せられ、大聖人を迫害するものは、かならず梵天・帝釈・法華守護の諸天善神に、せめられるであろうとなされて、現罰をこうむった大田の親昌・長崎次郎兵衛の尉時綱・大進房等の現証を、示されたのである。
また罰には、総罰・別罰・顕罰・冥罰の四種ありとし、これをその時の世相に引きくらべて、法華経の罰を説かれている。
つらつら、この四種の罰を現在の世相に引きくらべるのに、不思議にも一致している感がある。
いまの社会の貧乏生活は、これ飢饉といいうるであろう。
他国侵逼難は眼前にあり、肺病、狂人などの多いことは、これ疫病という罰にあたるではないか。
また、健康保険の金が足りなくて、とやかく問題を起こしているなどは、じつに寒々とした感じがする。
現罰にいたっては、諸君らの常にみるところであろう。
正法まさに滅せんとしたとき、わが創価学会の同志は、大聖人の仏勅を奉じて立ったのである。
されば、この世相も大法興隆の瑞兆か。
また
『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』
とは、われら創価学会の折伏は、獅子の吼うるのである。
邪宗のやからのおどろき、おそれおののくのは、当然のことである。
この師子王の子たる確信なくして、日蓮大聖人の門下とは、絶対にいいえないのである。
この確信こそ、いかにも荘厳にして、勇壮なものではないか。
また
『設い大鬼神のつける人なりとも日蓮をば梵釈・日月・四天等・天照太神・八幡の守護し給うゆへにばっしがたかるべしと存じ給うベし』 と。
これ梵天・帝釈・日天・月天等の守りたもうとは、同じくわれら大聖人の門下にも通ずることであって、三大秘法の南無妙法蓮華経の功徳である。
強盛な信心のうえに立って、この絶大なる確信あるならば、いかなる乱世に住もうとも、悠々とした生活が営まれることであろう。
よくよく、このことば、心肝に染むべきである。
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一、『我等凡夫のつたなさは』 より 『後の薬なればいたくていたからず』 の文。
この章は、法難にたいする心構えをお説きくださっている。
われわれ凡夫は、難のないときは『難がきてもおどろくものか』と、強気をいうものである。
しかるに、いざ実際の難に出会うと、うろたえさわぐのがつねである。
大聖人のように、信心に徹底したお心からみれば、じつにはがゆいことであろう。
つねづねは大言壮語するといえども、いちど難があらわれるならば、その人の信心のほどがうかがい知れるのである。
よくよく、つねづねより、怯懦心を捨てて、勇猛心を奮い立てねばならぬ。
よくあることではあるが、初信の者が新聞紙上等で学会の悪口誹謗の書かれている文を読み、退転するものがある。
少し信心をしたものには、はがゆいと思うが、これと同じように、少し信心をしたような者でも、小難は乗りきりながら、より大きな難がくれば、ひるむ者も出る。
強信の者よりみれば、はがゆいことであることはいうまでもない。
この心理が、この章のご聖意である。
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一、『彼のあつわらの愚癡の者ども』より『ぬれるうるしに水をかけそらをきりたるやうに候ぞ』の文。
熱原の法難に座した人々へのはげましのことばでもあり、仏の慈悲のあらわれでもある。
その慈悲は、厳父の慈悲であって、悲母の愛ではない。
出征するわが子にたいし、『死んで帰れ』という父親のことばに、一脈通ずるものがあるではないか。
『よからんは不思議わるからんは一定とをもへ』
とは、涙をのんでおしたための御筆ではないか。
熱原の法難をうけた大衆よりも、大聖人のお心のうちこそと、思いはかられるものがある。
現在の世に、広宣流布の途上において、もしこのようなことがあったとしたら、そのときに、『悪いのがあたりまえで、よくなることは不思議なのである』というたならば、いかにも無慈悲な者と非難されるであろう。
しかし、そうはげますよりほかに道のないときは、いわれるものよりは、いう方がどんなにつらい立ち場であろうか。
大聖人のお胸のうちを思えば、この御抄を拝して、胸をかきむしられる思いがする。
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一、『三位房が事は大不思議の事ども候いしかども』より『此れへかきつけて・たび候へ』までの文。
この章は、大聖人に逆いたるものについてのご聖意を、あらわしたものである。
『なかなか・さんざんと・だにも申せしかば・たすかるへんもや候いなん』
と、おおせられているのは、さんざんと強く本人にいいきかしたならば、助かることもあったであろうというおことばである。
深くあじわうべきことばではないか。
大聖人のときも、学会今日の化儀の広宣流布のときも、同じなやみが、指導者のなかにはあるものである。
(昭和三十一年五月一日)
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RE:出世の本懐について
member_j member_j
投稿者:多様性万歳 投稿日:2015年 8月 7日(金)23時44分27秒
池田先生が日蓮大聖人の「出世の本懐」について述べられた、最後の公式発言は『御書の世界』の連載においてと記憶している。
(もし、それ以降に公式発言があれば、教えて下さい)
そして、その箇所について、『御書の世界』第3巻として出版されたのが
2005年3月16日である。
以下、その中から、池田先生の発言部分を抜粋する。
★「日興上人が折伏を展開された駿河の熱原の地で、やがて法難が起こり、それが大聖人の出世の本懐の実現へ、大いなるきっかけとなった。」(P.20)
★「大聖人が「聖人御難事」を認められ、出世の本懐を遂げられることを宣言されたのが、十月一日です。
法戦の全魂の指揮を執られながら、一方で大御本尊御建立の準備をしていかれたと拝せられる。」(P.231)
★「出世の本懐である大御本尊の建立は、それを受持し奉る「不惜身命の民衆」の出現を待たれて実現されたのです。」(P.232)
(抜粋、以上)
池田先生は、「熱原の法難」については、「出世の本懐」を実現するための、大いなる「きっかけ」と言われている。
また、弘安2年10月1日に著された「聖人御難事」においては、日蓮大聖人が「出世の本懐」を遂げられると宣言されたと拝されている。
つまり、ここでは「出世の本懐」を「遂げられる」という未来形であり、「遂げられた」という過去形または現在完了形ではない。
このご説明からは、日蓮大聖人の「出世の本懐」は、「大御本尊建立」(弘安2年10月12日)であることは明白である。
一方、池田先生が公の場に姿を見せられなくなった後、創価学会の公式ホームページ上では、
何の説明もなく、以下のように2回も変更された。
<変更一回目> (2014年頃)
農民信徒たちの不惜身命(仏道修行のためには身命を惜しまないこと)の姿に、大聖人は、民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられて、10月1日 に著された聖人御難事で、立宗以来「二十七年」目にして、「出世の本懐」を遂げられたと宣言されました。「出世の本懐」とは、仏がこの世に出現した目的と いう意味です。
そして、弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです(一閻浮提総与とは全世界の人々に授与するとの意)。
<変更二回目> (2015年)
農民信徒たちの不惜身命(仏道修行のためには身命を惜しまないこと)の姿に、大聖人は、民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられて、10月1 日に著された「聖人御難事」で、立宗以来「二十七年」目にして、大聖人自身の「出世の本懐」を示されました。「出世の本懐」とは、この世に出現した目的と いう意味です。
(中略)
この熱原の法難において、三大秘法の南無妙法蓮華経を受持して、不惜身命の実践で広宣流布する民衆が出現したことにより、世界の人々を救うための日蓮大聖人の民衆仏法が現実のものとなりました。
このことにより、生涯をかけた根本目的、「出世の本懐」を達成されたのです。
いわゆる“弘安2年の御本尊”も、こうした中で御図顕されたものです。
(引用、以上)
私は、歴史的事実については、池田先生の言及だけで教条的に、又は盲目的に信じるというわけではない。
歴史的事実については、その後の新しい文献の発見や、学術的な成果により、より正確に修正されることもあり得ると考える
なので、もし2005年の『御書の世界』第3巻の発行以降に発見された文献や、学術的な成果を公表した上で、「出世の本懐」が変更されるのであれば、納得も出来るかもしれない。
しかし、残念なことに、そうした説明は一切なく、創価学会のホームページ上で、こっそり変更されていたことを発見した時は、単なるミスだと思い、すぐに学会本部に連絡した。
だが、それが単なるミスではなく、学会の公式見解としての変更だったことを知り、さらに驚くと共に、十分な説明がないことを不審に感じた。
そして、いつの間にか、二回目の変更。
これについては、たった今、知ったばかり(勉強不足の私だけかな)。
まとめると、日蓮大聖人は「聖人御難事」の中で
1、出世の本懐を「遂げられる」と宣言(池田先生の公式発言)
2、出世の本懐を「遂げられた」と宣言(学会HP上での一回目の変更)
3、出世の本懐を「示されました」(学会HP上での二回目の変更)
学会HP上での日蓮大聖人の「出世の本懐」の説明変更について、
学会本部は、学術的な面から、会員に対して、十分に納得のいく説明をすべきである。
こんな大切なことを、こっそり何度も変更して、会員の不信を抱かせてはいけない。
学会の執行部、しっかりして下さい。
( 拍手 パチパチパチ〜! by 樋田)
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「仏教哲学大辞典」(通称 仏哲) 昭和50年10月12日 第三版
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● 『戒壇の大御本尊』 の項
◎ 弘安二年九月、熱原の法難においてあらわれた熱原方面の信徒の強信をめでられ、出世の本懐達成の時とされ、同年十月十二日の戒壇御本尊の御建立となった。
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● 『聖人御難事』 (弘安二年一〇月一日 五八歳)(学会版 一一八九)
■ 去ぬる建長五年=太歳癸丑=四月二十八日に、安房国長狭郡の内、東条の郷、今は郡なり。天照太神の御くりや、右大将家の立て始め給ひし日本第二のみくりや、今は日本第一なり。此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年=太歳己卯=なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり。/P1397
とある。
(中略)
日蓮大聖人の出世の本懐が本門戒壇の大御本尊であることも、明白である。
◎ 弘安二年十月十二日にあらわされた大御本尊こそ本門戒壇の大御本尊であり、これが出世のご本懐であることは一点の疑う余地もない。
◎ いよいよ日蓮大聖人の出世の本懐がなんであるかは明瞭である。
この戒壇の大御本尊は第二祖日興上人、第三祖日目上人と相伝遊ばされ、法灯連綿、今日まで富士大石寺に広宣流布の日を待って厳護されてきているのである。
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● 『三大秘法 本門の本尊』
◎ 本門の本尊とは、日蓮大聖人の末法下種の本尊であり、仏法の最高究竟の本尊であり、全人類を即身成仏せしむる大本尊である。
◎ 「本門の本尊」「観心の本尊」の実体は、日蓮大聖人が出世の本懐として、弘安二年十月十二日に建立された、本門戒壇の大御本尊である。
◎ 本門の本尊が、他の本尊と全く異なり、最高唯一なるゆえんを明かす。
◎ �F 本門戒壇の大御本尊。
日蓮大聖人の仏法の根本は三大秘法であり、三大秘法の根本は弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊である。
しかして現在まで日蓮正宗富士大石寺に清純に伝承され本門戒壇建立の時に本門戒壇に安置さるべき御本尊である。
◎ 弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊こそ、究竟中の究竟、本懐中の本懐である。
即ち三大秘法の随一であり一閻浮提惣体の本尊である。
即ち日蓮大聖人は弘安二年十月十二日、当時ひき起こされていた熱原の法難を機会として、日興上人の指導する熱原地方の信者の強信を讃えつつ、出世の本懐達成の時として、本門戒壇の大御本尊を建立された。
この本門戒壇の大御本尊は、一機一縁の御本尊とはその意味が異なり、末法万年のほか未来永遠の一切衆生がことごとく帰依して即身成仏の大功徳がえられる大御本尊であり、一閻浮提の衆生に与えられた大御本尊である。
◎ 日蓮大聖人が立宗いらい二十七年、弘安二年にして出世の本懐を遂げられたことを明かされた。
これこそ弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊である。
(仏哲引用以上)
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AIによる指摘
この「出世の本懐」の定義の改変は
**まず創価学会が大御本尊を受持の対象から外した結果、その決定と両立させるために、従来の『聖人御難事』解釈を組み替えた**という順序で見るべきである。
平成26年の会則改正では、弘安2年の大御本尊を信仰の根本とする従来の規定が削除された。
改正時の説明は、弘安2年の御本尊を「受持の対象にはいたしません」と明示している。
その後の教学部解説は、従来の学会が「余は二十七年なり」を弘安2年の御本尊と結びつけていたと認めながら、その結びつけを退け、「二十七年」を熱原の信徒の不惜身命の信仰が顕れた時として読み直した。
大御本尊建立は出世の本懐そのものではなく、その広い意義の中に含まれるものとされた。
この新解釈は、
戸田会長の「二十七年にして、弘安二年に出世のご本懐を遂げられた」「この不思議は……一閻浮提総与の大御本尊の出現」という明言や、
池田氏の「出世の本懐である大御本尊の建立」という発言とは、同じ意味のままでは両立しない。
したがって、問題の核心は単なる教学上の「幅広い解釈」ではない。
**大御本尊を受持の対象から外すという教団の決定に合わせ、戸田・池田両氏が明言していた従来の定説を覆し、出世の本懐の指す内容を差し替えた**
ということである。
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### 3「一大秘法」「六大秘法」について
日蓮正宗では、
「一大秘法」は「弘安2年の御本尊」であり、その「一大秘法」に開いており、「本門の本尊」は「弘安2年の御本尊」であり、「本門の本尊」に唱える南無妙法蓮華経が「本門の題目」、その唱える場がそのまま「本門の戒壇」となると説明している
(三大秘法を合する則は但一大秘法の本門の本尊と成るなり。
故に本門戒壇の本尊を亦三大秘法惣在の本尊と名づくるなり)(『依義判文抄』)など。
今回の改正により、「三大秘法」の定義を
「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを本尊として唱える題目・本門の戒壇として具体的に顕された本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであって、等しく『本門の本尊』であり、『本門の本尊』に唱える南無妙法蓮華経が『本門の題目』、その唱える場がそのまま『本門の戒壇』となる」
とした。
会長の会則改正の趣旨説明によると、
「大聖人は、宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明らかにされました。
そしてそれを、末法の全民衆の成仏のために三大秘法、すなわち、本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇として具体的に顕されたのであります」
とあるように、南無妙法蓮華経が根本であり、三大秘法はそれを具現化された法門である。
これまで日寛上人の教学に基づいて、「一大秘法」や「六大秘法」ということを使用してきたが、「一大秘法」が「本門の本尊」であるという日寛上人の解釈は、御書にはない。
御書に「一大秘法」と教示されているのは、「曾谷入道殿許御書」のみである。
そこでは、妙法蓮華経の五字(同1032ページ)を「一大秘法」として明かされている。
以上のように、日寛上人が用いられている、三大秘法を合し「一大秘法」、また、三大秘法を開いた「六大秘法」という表現は、御書そのものには説かれていない。
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↑ 嗤うべし。創価教学部、実に教学力がない。
曽谷入道殿許御書の当該箇所を引文する。
■ 大覚世尊(だいかくせそん)、仏眼を以て末法を鑑知(かんち)し、此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたまふ。
(中略)
爾(そ)の時に下方の大地より未見今見(みけんこんけん)の四大菩薩を召し出だす。所謂上行(じょうぎょう)菩薩・無辺行(むへんぎょう)菩薩・浄行(じょうぎょう)菩薩・安立行(あんりゅうぎょう)菩薩なり。
(中略)
爾の時に大覚世尊寿量品を演説し、然して後に十神力を示現(じげん)して四大菩薩に付嘱したまふ。其の所属の法は何物ぞや。法華経の中にも広を捨てヽ略を取り、略を捨てヽ要を取る。所謂(いわゆる)妙法蓮華経の五字、名体宗用教(みょうたいしゅうゆうきょう)の五重玄(ごじゅうげん)なり。(曽谷入道殿許御書
文永一二年三月一〇日 五四歳 782)
この御文には、一大秘法は四大菩薩に、つまりは上行菩薩に付嘱されたことが示されている。
その上行再誕とは日蓮大聖人である。
その日蓮大聖人はこう仰せである。
■ 三大秘法其の体如何。答ふ、予が己心の大事之に如かず。(三大秘法稟承事 弘安五年四月八日 六一歳 1594)
日蓮大聖人の己心の大事は三大秘法にほかならない。 と仰せである。
整理すると、
上行菩薩に付嘱された → 一大秘法
上行再誕の日蓮大聖人の己心の大事 → 三大秘法
一大秘法=三大秘法
となる。
ちなみに三大秘法抄の後半に以下の御文がある。
■ 法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり。秘す可し秘すべし。(1595)
先ほどの曽谷入道殿許御書の
「■大覚世尊(だいかくせそん)、仏眼を以て末法を鑑知(かんち)し、此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたまふ。」
との御文から拝すれば、この「一大事」とは、その義は「一大秘法」であり、それはそのまま「三大秘法」であることの更なる文証である。
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これまで学会では、日蓮正宗の教義解釈を尊重し、「弘安2年の御本尊」を根本の本尊とする、日寛上人の解釈を採用してきた。
日寛上人の教学には、日蓮大聖人の正義を明らかにする普遍性のある部分と、要法寺の法主が続き、疲弊した宗派を護るという要請に応えて、唯一正統性のある時代的な制約のある部分があるので、今後はこの両者を立て分けていく必要がある。
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↑ 実に姑息なごまかし。
自分達が勝手に戒壇の大御本尊への信仰心を投げ捨てたことで、日寛上人の教学が都合が悪くなったがゆえに詭弁を弄しているだけのこと。
永遠の指導者 戸田会長指導
創価学会教学部編『六巻抄講義 第一巻 三重秘伝抄』の序1ページ
◎ 「戸田前会長も、常々「教学は日寛上人の時代に帰れ」と述べられていた。
事実、われわれの教学研鑽の伝統は、日寛上人の六巻抄を基盤として築かれたといって過言ではない。」
これまた、永遠の大大指導者 池田先生。
「全国最高幹部協議会(2006年12月24日)」
池田大作スピーチ
★「戸田先生は叫ばれた。
「信心は、日蓮大聖人の時代に還れ!」
「教学は、日寛上人の時代に還れ!」と。
「永遠の指導者」が言っていることは「永遠の指導」であろう。
その「永遠の指導」を後の弟子どもが勝手に変えたらそれは「永遠の指導者」でもなんでもなくなることになる。
この自己矛盾をどうする?
もしこの「永遠の指導者の指導」を変更するならば、2006年以降に、何か特別な教学的、史学的な大発見があって、それによって教義を変更すべきという学術的な考察・検討がなければならないはずである。
それを全く示せもせずに日寛上人の教学を好き勝手に切り刻み、利用できる箇所は用いて、都合が悪い箇所は斬り捨てるがごときの態度は、正しい信仰者とは到底いえない。
つまり今急に日寛上人の教学を否定する現時の創価学会は自己都合で簡単に教義を変更す実に信用できない団体と化してしまった証拠である。
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なお、こうした立て分けを行い、日蓮正宗が完全に大聖人の仏法に違背した邪教と化した今、学会は正統の教団として、世界宗にふさわしい教義の確立という立場から見直しを行っていく。
その意味で、日寛教学の一大秘法、六大秘法という用語は、今後用いない。
なぜならば「日寛上人書写の御本尊」も根本の法である南無妙法蓮華経を具体的に現された「本門の本尊」であるからである。
これに関連して、なぜ「日寛上人書写の御本尊」を受持しながら、「弘安2年の御本尊」を受持しないかといえば、「日寛上人書写の御本尊」も「弘安2年の御本尊」も等しく「本門の本尊」であるが、「弘安2年の御本尊」は、大謗法と化した他教団の大石寺にあるから、受持の対象としないということである。
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↑ 平成28年創価学会会則改変における原田会長発言を粉砕す
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参考文献 慧妙から
大御本尊を否定せんがため日寛上人を否定
過去の「大聖人直結」なる日寛上人評は如何(いかん)!?
『教宣ハンドブック』は「三大秘法について」の項目の最後で、「『一大秘法』『六大秘法』について」と題して、次のように説明している。
<これまで、日寛上人の教学に基づいて、「一大秘法」や「六大秘法」ということを使用してきたが、「一大秘法」が「本門の本尊」であるという日寛上人の解釈は御書にはない。(中略)日寛上人が用いられている、三大秘法を合した「一大秘法」、また、三大秘法を開いた「六大秘法」という表現は、御書そのものに説かれていない(中略)日寛上人の教学には、日蓮大聖人の正義を明らかにする普遍性のなる部分と、要法寺の法主が続き、疲弊(ひへい)した宗派を護(まも)るという要請に応えて、唯一正統性を強調する時代的な制約のある部分があるので、今後はこの両者を立て分けていく必要がある。(中略)その意味で、日寛教学の一大秘法、六大秘法という用語は、今後用いない。>
さて、日寛上人は『依義判文抄』で三大秘法の開合について、
「本尊は万法の総体なり、故に之れを合する則(とき)んば八万法蔵は但(ただ)六義と成る。亦(また)此の六義を合すれば則ち但三大秘法と成り、亦三大秘法を合すれば則ち但一大秘法の本門の本尊と成るなり。 故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり」
(六巻抄八二頁)
と御教示されている。これに対して学会は、日寛上人の御指南は御書にない言葉だから今後は用いるのをやめて、「三大秘法」の表現のみにする、というのである。
はて、学会は日寛上人書写の御本尊を利用して偽本尊を作った時、血脈相承を否定する反面、日寛上人は大聖人直結の信心をしていた方だから問題ない"と強弁していたはずである。
それなのに今度は、元となる本尊を書写した方の教学を否定しつつ、その本尊を拝み続ける、とは……。
さらに言えば、学会独自の「大聖人直結」なる語を連呼しているが、そのような用語も教義も御書にはないのだが……
脳乱している学会員には、これらの矛盾(むじゅん) がどう映っているのであろうか。
さて、『依義判文抄』は、「義に依(よ)って文を判じ」られた書である。
つまり文底の義から『法華経』を拝したとき、経文上に三大秘法の語はなくとも、あらゆるところに三大秘法の意義が説かれていることを、経文と御書を引きながら説かれている。
さらに、
「若し此の経の謂(いわ)れを知って立ち還って之れを見る則(とき)(中略)文底の義に依って今経の文を判ずるに三大秘法宛(あたか)も日月の如し。(中略)問う、
此の経の謂れを知るとは其の謂れ如何(いかん)。答う、宗祖の云わく『此の経は相伝に非ざれば知り難し』等云云」(六巻抄八O頁)
と、 御相伝の上から説かれると仰せられているように、日寛上人の教学も上人が勝手に作られたものではない。
その中で、御書にある「一大秘法」について触れられ、人法一箇の御本尊に全てが具(そな)わる義などから、一大秘法が「本門の本尊」であることを明らかにされ、さらに三大秘法、六大秘法の義を、御書の文意に基づいて示されたのである。
御書には隠顕の二義の教義がある。
学会も、御本尊は人法一箇であり、大聖人は人本尊、末法の御本仏である、という宗門の教義を踏襲(とうしゅう)しているようだが、そもそも、その文言も御書には述べられていない。
しかし、日興上人以来、御相伝によって全ての御法門が相伝 (つた)えられ、日寛上人がその御立場から御書や経文の文意に基づき六大秘法と示されたのである。
『依義判文抄』の冒頭には
「明者(めいしゃ)は其の理を貴び闇者(あんじゃ)は其の文を守る。 荷(いや)しくも槽糠(そうこう)に執し橋を問う、何(なん)の益(やく)かある」(六巻抄七九頁)
とあるが、「一大秘法」「六大秘法」の文言が御書にないからといって、大聖人の御法門ではない、などと即断する邪義は、槽糠に執する愚人に過ぎないのだ。騙 (だま) されている学会員のために、三大秘法についての日顕上人の御教示を紹介する
「日寛上人が『依義判文抄』に『本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり』と言われるのは、末法万年の御化導に約する名称である。
いわゆる本門戒壇の大御本尊は、宗祖大聖人出世の本懐、閻浮総与の御本尊として顕(あらわ)し給う故に、一切の本尊の根源であり、唯一総要の尊体であるから、
所々に数多くの本門の本尊を安置し、信心口唱するところのすべての功能は、本門戒壇の大御本尊に帰するのである。
すなわち、宗祖大聖人の御仏意により、戒壇の大御本尊に根本の事の戒壇として、一切の題目信行の功徳、戒壇所践の功能を具足する故である。
したがって、万年化導の上の三大秘法総在の大御本尊である。」(三大秘法義二三六頁)
血脈相承を否定し、本門戒壇の大御本尊を受持の対象から外した今、学会の教義はあらゆるところに綻(ほころ)ぴが出てきているといえる。
さらに、『ガイドプック』の中で、伏線を引きながら、いずれ日寛上人をも否定するであろう。
コロコロ教義が変わり続ける学会は、第三者の目から見ても異様である。
言葉巧みに誤魔化す学会に編されるのは、 もう終わりにしようではないか。
(慧妙 令和二年十月一日)
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日蓮大聖人の出生の本懐(ほんがい)は戒壇の大御本尊
大聖人・御歴代上人の仰(おお)せと史実が証明!
『教宣ハンドブック』は、大御本尊と関連のある『聖人御難事』について、次のように述べている。
<これまで、創価学会は、日蓮正宗の解釈に基づき弘安2年の御本尊」を日蓮大聖人の出世の本懐としてきた。 その根拠は、「聖人御難事」の「余は二十七年なり」の一説であった。 しかしながら、この両者を結びつける解釈は、古い文献にはなく、あらためて「聖人御難事」そのものを拝して、大聖人が教示されている出世の本懐の意味について考察しておきたい。>そして、次の六つを挙げて結論付けている。
�@大聖人は本抄で「弘安二年の御本尊」について述べられていない。
�A本抄は、釈尊、天台、伝教の出世の本懐までの年数を挙げたのち、「余は二十七年なり」と言われ、御自身の大難に遭(あ)われたことを強調されている。また、これに続く御文も、難について述べられている。
�B本抄は、熱原法難の最中の御書で、渦中の信徒に宛(あ)てた御書なので、「二十七年」と「難」に言及した本意は、不惜身命・死身弘法の信徒を称賛することにある。
�C大聖人の出世の本懐は、『報恩抄』にも示されているように、三大秘法を顕わすことによって、衆生救済の道を完成したことである。
そして、「日蓮が慈悲腰大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり」と誓願成就を示されている。
�D大聖人の御生涯全体を拝したとき、 「二十七年」と強調されているのは、立宗以来、三大秘法の弘通によって生じた大難のうち、二十七年目にして、三大秘法受持の不惜身命の信徒が出現したことを鮮明にするためである。
�Eその意味で「出世の本懐」の本義は、三大秘法を確立されたとともに、立宗以来二十七年目にして、大難に負けない信徒が現われた、という民衆仏法の確立である。 そして、「弘安2年の御本尊」を御図頭されたことも、この三大秘法の確立と民衆仏法の確立という意義の中に含まれるものと考える。
以上が、要約した内容だが、「余は二十七年なり」と仰せの出世の本懐が、民衆仏法の確立とは片腹 (かたはら)痛い。
この御文は、御歴代上人の御指南を通して拝する事が肝要である。 なぜなら、御歴代上人は大聖人の御意を受け継がれた「日蓮と同意」の最たる御方であって、その御立場から「余は二十七年なり」の本当の意味を御教示されるからである。また学会は、「古い文献にはない」と言うが、とんでもない話で、上古の大聖人・御歴代上人方の文献にも、立宗から二十七年目の弘安二年に出世の本懐たる大御本尊が御図顕された、ということを示す御指南が拝せられる。
以下、その御指南を引用させていただく。
まず、大聖人から日興上人への『一期弘法付嘱書』こは、
「日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿閣梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。 国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(御書一六七五頁)
とあり、 さらに日興上人御筆の『日興跡条々事』には、
「一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし」(御書一八八三頁)
とある。 この両文にある「本門寺の戒壇」「本門寺に懸け奉るべし」を拝せば大聖人から日興上人、日興上人から日目上人への御付嘱の法体が、出世の本懐たる弘安二年の大御本尊であることは疑いようがない。
また、第四世日道上人の『御伝土代』には
「熱原の法華衆二人(※二ハ三ノ誤リナリ) は頚を切(きら)れ畢 (おわんぬ)、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばす」(富要集五巻八頁)
とあって、弘安二年十月、熱原法難を機縁として大聖人が御本尊を御図顕になったことが示されている。
以上の御教示を拝すれば、『聖人御難事』に示される、立宗から二十七年目の弘安二年に遂げられる出世の本懐が、本門戒壇の大御本尊であることは明々白々だが、さらに言えば、本門戒壇の大御本尊を出世の本懐と拝するのは、なにも『聖人御難事』の御文だけに依(よ)るものではない。 大聖人の御一代を序文・正宗分。流通分の上から拝した時、御本尊の御相貌(そうみょう)、御花押、仏滅譜文等による御本尊御化導の究竟・未究竟、弘安以降における御書の深義等、すべてが大御本尊を中心に展開されていることが拝されるのである。
これらを踏まえて、日寛上人は
「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり」(『御書文段』一九七頁)
百六箇に云わく『日興が嫡々(ちゃくちゃく)相承の曼陀羅を以て本堂の正本尊と為すべし』(中略)嫡々相承の曼陀羅とは本門戒壇の御事なり。故に御遺状(ごゆいじょう)に云わく『日興が身に宛(あ)て賜わる所の弘安二年の大本尊』」(『六巻抄」六七頁)
と御教示されている。
この、大聖人の出世の本懐を示す「余は二十七年なり」の御文を、どうしたら「民衆仏法の確立」などと解釈できるのだろうか。
また、熱原法難について忘れてはならないのは、日興上人が大聖人の御指南を仰ぎながら指揮を執(と)られ、日秀、日弁をはじめとする法難に遭った僧俗を教導されていた、ということだ。
学会では「民衆仏法の確立」などと言って、その実、日興上人をはじめとする僧侶を悪意をもって外し、熱原法難の真実を歪(ゆが)めているに過ぎない。
この師弟相対、僧俗和合にして不惜身命の弘通の姿こそ、大聖人の仏法にして、古来から変わってはならぬ日蓮正宗の姿なのである。
最後に、この『聖人御難事』では、大聖人の一門に迫害を加えた者の罰を挙げられたのち、僧俗に退転を誠(いまし)められたお言葉がある。
「これまでの法難ですでに退転した名越尼、少輔房、能登房たち、また今回の法難で退転し不慮の死を遂げた三位房のように、欲深く臆病にして疑いをもち、退転するようなことがあってはならない。」(取意・御書一三九八頁)
今も学会に疑問を懐(いだ) きながら、人間関係・仕事の嫌がらせを恐れたり、 意固地になって抜けられない人が多いと聞く。それでは正法からの退転である。臨終を迎えてからでは遅い。一日も早く、勇気をもって日蓮正宗に帰伏すべきだ。
(慧妙 令和二年九月一日)
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衆生の機を中心に「三大秘法』を解釈 「新・教宣ハンドプック」を破す 創価学会
9/7/2020
「法」に偏(かた)った創価学会の「三大秘法」観
日淳上人は「南無妙法蓮華経は仏身」と喝破(かっぱ)
『教宣ハンドプック』は続いて三大秘法について
「大聖人は、悪世末法の一切衆生救済のために、宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明らかにされ、それを三大秘法として具体的に顕わされた。
それが本門の本尊・本門の題目。本門の戒壇である。
今回、三大秘法について次のように明らかにした。
すなわち、末法の衆生のために日蓮大聖人自身が御図顕された十界の文字曼荼羅(まんだら)と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現(ぐげん)されたものであり、等しく『本門の本尊』である。
また、『本門の本尊』に唱える南無妙法蓮華経が『本門の題目であり、その唱える場がそのまま『本門の戒壇』となる」と解説してる。
三大秘法は、大聖人出世の本懐であり、軽々しく理解できるものではない。
血脈付法の御法主上人の御指南のもとに、正しく拝していくことが肝要である。
さて、『ハンドブック』の説明では、
▼「大聖人は、悪世末法の一切衆生救済のために、宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明らかにされ」
とあり、
▼「今回、三大秘法について次のように明らかにした」
などと、あたかも自らが大聖人の仏法を理解し尽くしているかのごとくに述べているが、これらは外道ともいうべき内容の邪義であり、不相伝にして増上慢ならではの解釈といえよう。
これは、かつて池田大作が
「本来、全宇宙が諸法実相であり、御本尊なのです。
本来、我が生命も諸法実相であり、御本尊なのです。
ゆえに御本尊を拝するとき、宇宙と我(わ) が生命がダイナミックに交流しつつ、自身の本来の『実相』すなわち南無妙法蓮華経の当体としての姿に輝いていくのです」
(『聖教新聞』平成七年八月二日付)」
と発言した内容と同義である。
このような考えに対し、第六十五世日淳上人は
■「かような考えへは南無妙法蓮華経は法であるとのみ考へるからでありまして宇宙に遍満(へんまん)
する妙法の理が題目であるとするからであります。
此れは大変な誤りで南無妙法蓮華経は仏身であります。
即ち法報応三身具足の当躰であらせられ報身中に具(ぐ)し玉ふのであります。
妙法の理は天地の間にありましてもそれは理性であります。
実際には仏の御智慧のうちに厳然として(そな)はり玉ふのであります。
その仏は十方法界に唯一在(まし)ますだけであります」(『日淳上人全集』下巻九八二頁)
と破折されている。
学会は、南無妙法蓮華経を単なる法としか捉(とら)えられず、その法に対しても、己の機根を中心に考えるから、このような邪義に陥(おちい)るのだ。
まず、彼等の「本門の本尊」とは、根本の本尊はなく、曖昧(あいまい)な規定に沿って自分たちが認定する本尊のことをいう。
「本門の題目」は、その自己決定の本尊に唱える題目であり、「本門の戒壇」は、それを唱える場所としている。
だが、これは機根を中心にした解釈である。
この邪義は、三大秘法は、衆生のために顕わされたのだから自分たちのものである、という自己中心の甚(はなは)だしい勘違いからきており、牽強付会(けんきょうふかい)以外のなにものでもない。
南無妙法蓮華経とは、久遠元初自受用報身如来、日蓮大聖人のお悟りであり衆生救済の活動である。
それを大聖人は三大秘法として顕わされたのだ。
そして「日蓮一期の弘法、白蓮阿閣梨日興に之を付嘱す」と御示しのように、この大聖人のお悟りは、血派相承によって日興上人並びに御歴代上人へと伝わっている。
その正しい法門の上からいうならば、本門の本尊とは大聖人のお悟りそのもの(その中心・根本の当本が弘安二年の大御本尊)であり、その本門の本尊まします処が戒壇であり、
本門の本尊を信じて唱える題目が、本門の題目なのだ。
そして、御法主上人の御指南にそって、信心するところに、大御本尊からの功徳が流れ通うのである。
いずれ述べるが、学会は今後、一大秘法や六大秘法は用いない、と宣言した。
そのような輩(やから)が三大秘法を解釈するなど烏滸(おこ)がましいかぎりである。
(慧妙 令和二年八月一日)