法主絶対論
「法主は大御本尊と不二の尊体」
法主とは「管領統治する座主」
誤った法主は「捨てよ」と
法主に信伏随従するのか?
法主には誤りはない?
第17世日精
第57世日正
第60世日開
第62世日恭
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
▼日顕は、「法主は大御本尊と不二の尊体」「法主は大聖人と一体不二」との妄説を宗門高僧
らに語らせるなど、これまでに日蓮正宗にはなかった大謗法の「法主絶対論」を容認して
大聖人の仏法を破壊している。
「法主は大御本尊と不二の尊体」の妄説
日顕は、自らを大聖人、大御本尊と一体であるとの大邪説を自ら語り、宗門能化に語らせ
ている。
◆
「本宗の根本は、戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人であります。…なぜな
らば、唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。
したがって、この根本の二つに対する信心は、絶対でなければなりません」(平成3年7月
宗門能化から学会への文書�@)
「本宗信徒の立場からは、歴代法主の内証を大聖人様と拝することが、信仰上大切であり
ます」(平成9年8月 第46回全国教師指導会での日顕の説法)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【創価学会に対する破折】
お粗末きわまりない「法主絶対論」の根拠
ここで、創価学会は、『能化文書』および日顕上人の御講義を引用して、「法主絶対論」なるものを主張しています。
「法主絶対論」とは、創価学会が、日顕上人をあたかも本仏そのものであり、独裁者であるかのようにイメージづけるために持ち出した用語であり、そのようなものは日顕上人も仰せられたことはありませんし、宗門の教義にもありません。
『能化文書』には、
■「本宗の根本は、戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人であります。
具体的には、御法主上人の御指南に随従し、御本尊受持の信行に励むことが肝要です。
なぜならば、唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります」
(※傍線編者)とあります。傍線の部分は学会があえて省略した文章です
が、実はここに日蓮正宗の信仰の在り方が具体的に示されているのです。
すなわち御法主上人のご指南に随従し、御本尊を信仰の対象として信行に励むことこそ肝要であるというのです。
したがって、この『能化文書』は創価学会が騒ぎ立てる「法主絶対論」の文証になるどころか、かえって日蓮正宗における受持信行の対象となるご法体は大御本尊にきわまることの文証になるのです。
また、全国教師講習会における日顕上人の御講義は、
■「たしかに本宗信徒の立場からは、歴代法主の内証を大聖人様と拝することが、信仰上、大切でありますが、そこには三宝における内証と外用等の甚深の立て分け、筋道があるのです。
(中略)
しかし、それと学会が論難する『法主即大聖人』や『法主本仏』などとは、筋道も意義も異なるのであり、そのようなことは全く宗門には存在しておりません」
というものです。
このお言葉も、創価学会のいう「法主絶対論」「法主本仏論」の文証になり得ないことは明白です。
このように、創価学会は日顕上人のご指南や『能化文書』をまったく異なった趣旨の文証としていますが、これこそ学会員に対して白を黒といいくるめる詐欺行為というほかはありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【文 証】
【歴代上人の御内証に関する文証】
『抜書雑々集』日寛上人(左京日教師の文を引用)
■「仏法を相属して当代の法主の処に本尊の体有る可きなり」(研教九―七四○�n)
『文底秘沈抄』日寛上人
■「今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや」(六巻抄六六�n)
『有師化儀抄註解』日亨上人
■「再往末法に於いて義釈を為さば・此仏と云ふも此菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり」(富要一―一一七�n)
『日顕上人御講義』
■「たしかに本宗信徒の立場からは、歴代法主の内証を大聖人様と拝することが、信仰上、大切でありますが、そこには三宝における内証と外用等の甚深の立て分け、筋道があるのです。
(中略)しかし、それと学会が論難する『法主即大聖人』や『法主本仏』などとは、筋道も意義も異なるのであり、そのようなことは全く宗門には存在しておりません。
存在していないにもかかわらず、さも存在している如く誣告するのが、創価学会の卑劣なやり方であります」(仏法破壊の邪難を粉砕す二四五�n)
『能化文書』
■「本宗の根本は、戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人であります。
具体的には、御法主上人の御指南に随従し、御本尊受持の信行に励むことが肝要です。
なぜならば、唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。
したがって、この根本の二つに対する信心は、絶対でなければなりません」(大日蓮 平成三年九月号八七�n)
■「三宝一体とは、まさに本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において、一体不二の尊体にましますということであります。
外相においては、確かに仏法僧は別体でありますから、日顕上人や日達上人の仰せのように、歴代の御法主上人が、ただちに御本仏大聖人ではありません。
しかし、御所持あそばす唯授一人金口相承の当処は、まさに人法一箇の御尊体なのであります」(大日蓮 平成三年一〇月号一三六�n)
【創価学会が主張していた文証】
『戸田城聖全集』
■「御法主上人は唯授一人、六十四代のあいだを、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。
ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、かならず功徳がでてくる」(四―三九九�n)
『聖教新聞』
■「日蓮正宗の教義の根本をなすものは、まず、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぐことであり、それはとりもなおさず、御本仏の出世の本懐である戒壇の大御本尊を帰命依止の根本とすることに尽きる。
もう一つ日蓮正宗の根幹をなすものは、血脈付法ということであり、歴代の御法主上人のご内証は、日蓮大聖人と日興上人の唯我与我の御境地をそのまま伝持せられていることである。
この二つの根本と、日蓮正宗の三宝、すなわち仏宝=御本仏・日蓮大聖人、法宝=大御本尊、僧宝=日興上人――とは、同じ意義をもっている」(昭和五四年六月二日付)
『広布と人生を語る』池田大作
■「日蓮正宗の根幹をなすものは血脈である。大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられた」(三―二五六�n)
『北条浩発言』
■「今日において、歴代の御法主上人を日蓮大聖人と仰ぐのが、日蓮正宗の信心であり、学会の伝統である。
御法主上人を『軽しむ』ようなことがあれば、御書に照らしても堕地獄は疑いない。
私共は、何があろうと、御法主上人の御指南のままに広布に邁進し、僧俗和合を築いていくことを確認しておきたい」(昭和五五年一一月二六日)
【創価学会員への質問】
○「歴代の御法主上人を大聖人と仰ぐのが、日蓮正宗の信心であり、学会の伝統」というのは、現在の創価学会では正しい考えですか。間違った考えですか。
・正しい考えである……現在の創価学会は間違っていますね。
・間違った考えである…信仰の根本にかかわる重要な教義をよくもそんなにコロコロ変えられるものですね。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
法主とは「管領統治する座主」
法主の地位について日達上人は、宗門組織を「管領」「統治」する「座主」という組織上の責任者の立場であり、「大聖人ではない」と明快に述べられている。
◆
「我が宗の三宝は、御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。それに対
して日目上人は座主である。今言ったとおり、管領して、その大聖人の仏法を治めていく、
よく受取って治めていく、すなわち管領という意味を持っていくのである。統べ治める、
そして統治をしていく。その日目上人の後は、みな筒の流れのように、それを受継いでい
くにすぎない。
……だから代々の法主が日蓮大聖人ではない」(昭和52年5月 寺族同心会での日達上人
の説法)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【創価学会に対する破折】
日達上人のお言葉をねじ曲げる学会の主張
ここで創価学会は日達上人のお言葉をねじ曲げて、法主は「組織上の責任者の立場」であることだけを強調しています。
仏法、とりわけ日蓮大聖人の教義においては内証と外用の立て分けが肝要です。
宗祖日蓮大聖人も外用は上行菩薩の再誕、内証は久遠元初の仏であられるのと同様に、代々の御法主上人においても外用と内証との立て分けをもって拝することが大切なのです。
引用の日達上人のお言葉は、『日興跡条々事』のなかの「大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し……」のご文について説明をされたものであり、日興上人の跡を継がれた日目上人が一宗を運営し、統治管領するという組織上のお立場にあることを述べられています。
しかし、日達上人は法主上人のご内証について、
■「大聖人様が広宣流布の時の大導師日目上人様として、第三代を継いで現われたのが猊座であります。
(中略)
そこが大聖人様のお席である。
だから大聖人様は、あの席に常に生れ替っている」
とも
■「広宣流布の暁には、日目上人が再誕するという、昔からの伝統の相伝があります。
これはすなわちそれを意味するので、だからいつでもその時の法主は大聖人様のお仕事をつかさどっておる」
ともご指南されているのです。
これらのことからも日達上人のご指南には、
外用の面から「代々の法主が日蓮大聖人ではない」と仰せられる場合と、
内証の面から「大聖人様は、あの席(猊座)に常に生まれ替っている」と仰せられる場合とがあることがわかります。
そのゆえに、創価学会が引用した日達上人の御説法の締めくくりには、
■「法主が大聖人様の代わりだと、即座にこういう事を言うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたい」(※傍線編者)
と仰せられています。
この文の傍線部の「即座に」の言葉をよくよく拝すべきです。
すなわち、日達上人は内証と外用を具えた血脈に関して、ただちに内証の面のみを強調することは誤解を招くので注意を要するとご指南されたのであって、けっして御法主上人の内証が日蓮大聖人であるとする本宗の教義を否定されてはいないのです。
日達上人のお言葉の一部分のみを強調して、歴代法主上人をおとしめようとする創価学会は、まさしく日達上人に対する忘恩の徒というべきです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【文 証】
『日達上人全集』
内証の辺
■「大聖人様が広宣流布の時の大導師日目上人様として、第三代を継いで現われたのが猊座であります。
(中略)
そこが大聖人様のお席である。
だから大聖人様は、あの席に常に生れ替っている」(二―三―三二〇�n)
■「広宣流布の暁には、日目上人が再誕するという、昔からの伝統の相伝があります。
これはすなわちそれを意味するので、だからいつでもその時の法主は大聖人様のお仕事をつかさどっておる」(二―六―九二�n)
外用の辺
■「法主が大聖人様の代わりだと、即座にこういう事を言うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたい」(二―五―四五一�n)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
▼誤った法主は「捨てよ」と
大聖人、日興上人は法主や師匠が仏法から逸脱したり、己義を唱えた場合、断じて排除す
べきであると厳しく戒められている。
◆
「但し師なりとも誤りある者をば捨つべし」(御書1055�n)
「時の貫首為りと雖も仏法に違背して己義を構えば之を用う可からざる事」(同1618�n)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【創価学会に対する破折】
「師なりとも誤りある者」「時の貫首たりと雖も」について
学会が引用している「但し師なりとも……」の文は『曾谷殿御返事』の一節ですが、ここでも学会は切り文をして文意をねじ曲げています。
このご文は、
■「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。但し師なりとも誤りある者をば捨つべし。又捨てざる
義も有るべし。世間仏法の道理によるべきなり」
というものです。
このなかの
■「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし」
について、日顕上人は、
■「これはもちろん、一往上行菩薩、再往本仏大聖人様こそ、末法の衆生が智慧の水を受けた根源の師であり、そこに大聖人を拝し、大聖人を根本
として、その血脈の上から一切の人々に、その時その時の相伝の法主が取り次いでいくわけであります。
ですから、そのところを忘れてよそへ心を移すということは、今、創価学会がやっているようなことであり、これこそ、この御指南の破折に当たる」
とご指南されています。
また、後半の
■「但し師なりとも誤りある者をば捨つべし。又捨てざる義も有るべし。世間仏法の道理によるべきなり」
とは、ただし分々の手続ぎの師匠にあっても誤りがある場合はこれを捨てるべきであるが、捨てない場合もある。
師を捨てるか否かは、世間と仏法の道理によって判断すべきであるとの意味です。
ここで大聖人は、世間と仏法の道理によって判断することを教示されているのであって、やみくもに師を捨てよと断定されているのではありません。
また、ここでいう
■「但し師なりとも誤りある者」
とは、前半の
■「根源の師」
たる日蓮大聖人およびその血脈相伝につらなる御法主上人を指すものでないことは当然です。
むしろ、
「根源の師」に背き、唯授一人の血脈を否定するという仏法の道理に反し、さらに虚偽ねつ造という世間の道理を踏みにじる創価学会こそ、誤りに満ちた集団であり、その首謀者である池田大作こそ��捨つべき�℃ラ師です(本書117�n参照)。
次に、学会は『日興遺誡置文』を引用して、法主上人を「捨てよ」「排除せよ」と主張していますが、このご遺誡は後代の門下への戒めとして示されたものであり、信徒が御法主上人を攻撃するためのものではありません。
学会は
■「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事」
の文を引用して、あたかも日顕上人が仏法に相違して己義を構えたようにいっていますが、日顕上人がどのような仏法上の誤りを犯し、己義を構えたというのでしょうか。
むしろ数にたのんで血脈相伝の仏法に相違した創価学会こそ、『日興遺誡置文』の
■「衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事」
の制誡に該当する「摧かれるべき衆義」というべきです。
【文 証】
『曾谷殿御返事』
■「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。
但し師なりとも誤りある者をば捨つべし。又捨てざる義も有るべし。世間仏法の道理によるべきなり」(新編一〇三九�n)
『日興遺誡置文』
■「衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事」(新編一八八五�n)
『日達上人全集』
■「『日蓮正宗宗規』に、��管長は法門の正邪を決定する�≠ニいう意味のことが明らかに載っております。
そのとおりであります。
血脈を受けてその法門に従って、そして法門の正邪を決めるのは貫首ではないですか。
だから、貫首が己義を構えると考える人はとんでもない考えの人です。
それでは血脈相承を受けてない人ということになってしまいます。
血脈相承によってご法門を解釈していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります。
大聖人の教えのとおりにやっていくのでありますから」(二―七―三四二�n)
『日顕上人御講義』
■「これはもちろん、一往上行菩薩、再往本仏大聖人様こそ、末法の衆生が智慧の水を受けた根源の師であり、そこに大聖人を拝し、大聖人を根本として、その血脈の上から一切の人々に、その時その時の相伝の法主が取り次いでいくわけであります。
ですから、そのところを忘れてよそへ心を移すということは、今、創価学会がやっているようなことであり、これこそ、この御指南の破折に当たる」(仏法破壊の邪難を粉砕す七二�n)
【創価学会が主張していた文証】
『会長講演集』池田大作
★「遣使還告であられる御法主上人猊下は、日蓮大聖人様であります」(一〇―四三�n)『広布と人生を語る』池田大作
★「いま、日蓮正宗御宗門においても、仏法の師であられる御法主上人猊下に師敵対する僧俗が出たことは、まことに悲しむべきことである。
これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解していない証左なのである。
血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである」(三―二九四�n)
【創価学会員への質問】
○現在、創価学会の一部では、池田大作を「第二の法華経の行者」といっていますが、あなたもそう思いますか。
・思 う……それは創価学会の正式な考えですか。あなた個人の考えですか。
・思わない……池田のことを「第二の法華経の行者」という考えは邪義ですね。
○あなたは、池田大作には一点の誤りもないと思いますか。
・誤りがない……言論問題や教義逸脱問題で池田大作は謝罪をしていますが、それは自ら間違いを犯したことを認めた証拠ですね。
・誤りがある……それを組織のなかで公言できますか。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
Q&A
法主に信伏随従するのか?
Q 法主へ信伏随従しなければ、成仏できないのではないか。
A 成仏のうえで大切なことは、あくまでも人法一箇の御本尊に帰命することであり、法主
への信仰ではありません。御書にも「法主への信伏随従」が成仏の要件だという御文はど
こにもありません。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【創価学会に対する破折】
「信伏随従」と「信仰」をすり替える創価学会
質問者は、御法主上人に信伏随従しなければ成仏できないのかと聞いているにもかかわらず、回答者は「法主への信仰」にすり替えています。
学会は、「御書にも、『法主への信伏随従』が成仏の要件だという御文はどこにもない」
といいますが、『身延山付嘱書』に、
■「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。(中略)背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり」(新編一六七五�n)
とあります。
このご文の示されるところは、日蓮大聖人より血脈相承された第二祖日興上人はまぎれもなく大聖人ご入滅後の御法主上人です。
この日興上人に背く者は「非法の衆」すなわち謗法の徒であるとの制誡です。
これこそ日蓮大聖人が直々に教示あそばされた「法主上人への信伏随従」の大事ではありませんか。
創価学会がどうしても「法主への信伏随従」が成仏の要件ではないといい張るならば、「法主に反逆しても成仏できる」という御書の文証を挙げるべきです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【文 証】
『佐渡国法華講衆御返事』日興上人
■「この法門は師弟子を、たゞして、仏になる法門にて候なり」(歴全一―一八二�n)
【創価学会が主張していた文証】
『広布と人生を語る』池田大作
★「日蓮正宗における根本は、唯授一人の血脈である。
その血脈相承の御法主上人に随順しゆくことこそ、僧俗の正しいあり方である。
この一点を誤れば、すべてが狂ってくる」(三―三二�n)
★「私どもは日蓮大聖人の仏法を奉ずる信徒である。
その大聖人の仏法は、第二祖日興上人、第三祖日目上人、第四世日道上人、および御歴代上人、そして現在は第六十七世御法主であられる日顕上人猊下まで、法灯連綿と血脈相承されている。
ゆえに日顕上人猊下の御指南を仰ぐべきなのである。
この一貫した仏法の正しき流れを、いささかなりともたがえてはならない」(三―二四九�n)
【創価学会員への質問】
○池田大作は『広布と人生を語る』のなかで、御書のどこにもない間違った指導をしたのですか。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
法主には誤りはない?
Q 法主には、仏法に違背するような誤りがあるはずがない。
A 宗門史を検証すれば、過去に大聖人の仏法に違背し、謗法を犯した法主は何人も現れ
ています。そのいくつかを挙げると以下の通りです。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【創価学会に対する破折】
歴代上人を罵る忘恩の創価学会
宗祖日蓮大聖人の血脈を受けられた歴代上人は、そのご内証においては、
■「代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(御本尊七箇之相承・聖典三七九�n)
と仰せられるご境界です。
そのような歴代上人が「仏法に相違し」たり、「謗法を犯した」りするわけがありません。
日蓮大聖人の仏法を正しく伝えてこられた歴代上人への感謝も忘れ、勝手な憶測で悪口をならべる創価学会は、不知恩・忘恩の集団というほかはありません。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
�@第17世日精
日興上人が厳しく戒めた釈迦仏の造立という大謗法を犯した。さらに法主に登座した翌年
に釈迦仏造立を正当化する「随宜論」を著した。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【創価学会に対する破折】
日精上人について
総本山第十七世日精上人が、ご登座以後、釈尊像を造立された事実は一切ありません。
たしかに日精上人が著わされた『随宜論』という書物のなかには、ご登座以前に縁故の寺院に仏像を造立したかのようにな記述があります。
しかし、表題の「随宜論」という名称が、「宜しきに随う」、すなわち方便・手段という意味であることから、日精上人の本意を述べたものとはいえないのです。
しかも、『日蓮聖人年譜』という書のなかでは、明らかに日辰の誤った三大秘法義を破折されています。
日顕上人は、
■「ともあれ、日精上人がはっきりと造像家の日辰を、しかも本尊等の教義の解釈としての内容を破折しておられる以上、もう少し日精上人のことは、改めて考えなければなら
ない意味があるのです。
それを、日亨上人が言われたということだけをもって、いかにも口汚く日精上人を詈っているのが、この創価学会の者どもなのです」(仏法破壊の邪難を粉砕す六四�n)
とご指南されています。
それでは、なぜ日精上人がこのような著述をされたのかという点については、当時の状況がさまざまな事情によって混沌としており、今となってはその理由は定かではありません。
かといって、創価学会のごとく日精上人が大謗法を犯したなどと断定することは、まったくの誤りです。
日精上人は、ご登座以来五十余年の長きにわたり、布教興学のための著述と、諸堂宇の整備建立に多大の業績を残されました。
その間、終始一貫して大御本尊様を根本とし、唯授一人の血脈を守りとおして宗門興隆に尽力されたのです。
なお、日寛上人が出家得度を志されたのは、日精上人の教化によるものであり、また日寛上人がご登座後、日精上人ご書写の御本尊を板御本尊としてご彫刻申し上げた事蹟も残っています。
これらのことから、日寛上人が日精上人を深く尊敬されていたことがうかがわれます。
創価学会は口をきわめて日精上人をけなしていますが、それはとりもなおさず日寛上人の御意に背くことになるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【文 証】
『当流行事抄』日寛上人
■「吾が富山のみ蓮祖所立の門流なり。故に開山已来化儀化法、四百余年全く蓮師の如し」(六巻抄一九三�n)
『日達上人全集』
■「牧口先生がいつも御所持しおがんでおられたお御影様が、三百年前に常在寺におられた日精上人の御開眼によるもので、これは実におどろくことなんです。
牧口先生が常在寺へ来て御授戒をうけて、後で気がついてお御影様をもってこられた。
そのときの住職がよくみた所、日精上人の開眼だった」(一―三―五四六�n)
※学会の創設者である牧口常三郎氏は、日精上人ご開眼の御影様を拝んでいたことが分かる。
『日顕上人御講義』
■「日精上人は要法寺の御出身の方でありますけれども、御相承をお承けになったあとで、本宗の正しい法義の上から、むしろはっきりと造仏の慣習についてけじめを付けられておるのです。
ですから、御相承をお承けになったあとにおいても造仏の謗法があると、創価学会では断定しておりますけれども、そんなことは全くないのです」(大日蓮 平成四年一〇月号二五�n)
■「『日蓮聖人年譜』のなかに、『其の上或抄に本尊問答抄を引き法華経を以て本尊と為す可しと此の相違はいかんが心得可きや、答へて云はく此の或る抄を見るに一偏にかける故に諸御書一貫せず』(富要五―一一八�n)つまり、答えとして『このある抄は偏った義において書いているから、この筋では大聖人の諸御書の意が一貫した正しいものとならない』という日精上人のお言葉があります。
その「或る抄」というのは日辰の書であります」(仏法破壊の邪難を粉砕す五九�n)
【創価学会が主張していた文証】
『広布と人生を語る』池田大作
★「七百星霜、法灯は連綿として謗法厳戒の御掟を貫き、一点の濁りもなく唯授一人の血脈法水は、嫡々の御歴代御法主上人によって伝持せられてまいりました」(六―一二�n)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
�A第57世日正
邪宗・日蓮宗各派の管長と並んで記念撮影に納まり、さらに身延日蓮宗管長の導師で一緒
に勤行をした。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【創価学会に対する破折】
日正上人について
明治から大正にかけて政府の宗教政策はめまぐるしく変わりました。
それらの政策の根底をなすものは、神道の国教化と仏教に対する制圧でした。
明治五年には、日蓮宗全体が一宗として一人の管長のもとに統括するよう命じた法令が出されました。
大石寺は身延派などと統合されることを避けるため、日興上人門流八本山と形式的に合同する形を取り、日蓮宗興門派と名乗りました。
明治三十三年に、大石寺は分離独立が認められ、日蓮宗富士派と公称し、
明治四十五年には時の御法主日正上人の努力によって日蓮正宗と公称するようになりました。
しかし、次第に統制力を強める政府や軍部と折衝するためには日蓮門下の各本山が連携をとり、日蓮門下全体の意見としてまとめる必要がありました。
この頃、管長という行政上のお立場にあった日正上人は、時に応じて日蓮門下各教団の管長との話し合いの場に同席しなければならないこともありました。
そのような経緯のなかで、大正三年に日蓮門下の統合問題が起きました。
この時、日正上人はこれを契機に日蓮門下すべてを日蓮大聖人の正嫡たる日蓮正宗に帰一させることをはかり、統合のための講習会では各教団の代表に対して「日蓮本仏論」と題する講演をされています。
大正十一年には天皇より日蓮大聖人に対する立正大師号の宣下があり、その奉戴式には日蓮門下各教団の管長が参列し、日正上人も一宗を代表する管長として参加されています。
創価学会でとりあげて騒いでいるのは、この時の記念写真のことでしょうが、当時の状況下で一緒に写真に収まったからといっても、それは謗法与同でもなんでもありません。
また、一緒に勤行をしたといいますが、奉戴式の折に宣下書を奉安して日蓮宗管長の導師で読経・唱題がおこなわれた記録があり、その時の写真を見る限り、各教団代表の僧侶や信徒、軍人などが写っているなかで、合掌している人もいれば合掌していない人もいます。
おそらく信仰を異にする人は、やむを得ず同席はしたものの、合掌はもちろん読経・唱題もしなかったものと推測できます。
当然のことですが、その折の写真では日正上人も合掌されていません。
謗法厳誡を宗是とする日蓮正宗の管長猊下が他門の僧侶と一緒に読経・唱題をするわけがないのです。
当時、日蓮門下各教団と種々の折衝にあたられた日正上人のお心を軽々に論ずることはできませんが、一宗の管長として、また宗祖大聖人の血脈を受けられた大導師というお立場から、正法弘通のために折伏の機縁を大切にされるというお考えもあったことは容易に拝察できます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【文 証】
『日正上人御講演』(日蓮本仏論)
■「統合という意味の上に寄った時には、必ず宗祖の本意に随うのが精神である。
宗祖の誠意というものは何だ、宗祖は外に何も望まない、私が言わないでも聴講生は大抵知っているでしょう。
この一閻浮提の本尊を日本国に建てるというのが宗祖の本意だ」(蓮華 昭和四七年六月号二四�n)
『日達上人全集』
■「ところで統合問題ですが、身延派が『日蓮正宗の御本尊中心じゃいやだ』といいだして、逃げてしまった。
確か講習会にも講師を出さなかったでしょう。
そんなことから講習会も一回切りで取止めになり、結局、門下大合同を実現しませんでした。
それにしても、ここまで、ことが運んだのは日正上人の腹が大きかったわけですね」(一―五―六四二�n)
【創価学会が主張していた文証】
『大白蓮華』
★「大正三年頃、日蓮宗統合問題が起ったことがあった。
その時、嘗て法論に負けた本多が富士へ登山して日正上人の出馬を願った。
上人が参加しなければうまく行かないと考えたからである。
その時、正師は『統合はよい。けれども御本尊はどうするか』とするどく問いつめた。
そして浅草清島町の統一●(現在の日蓮宗宗務院のあるところ)で第一回の統一大会講演会を開いた。
日正上人は日蓮大聖人の御まんだらを中央にかけて、『日蓮本仏論』を説いた。
満堂を圧する大声で実に堂々と説破されたのである。
日蓮本仏論が通れば身延の頭が上らなくなるので、結局はこの問題もつぶれてしまった。
如何に剛気なお方であられたかゞ忍ばれるのである」(昭和三一年一月号一八�n)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
�B第60世日開
当時の宗門機関誌の「白蓮華」に禅宗の達磨大師の絵を掲げた広告を載せ、お金をもらっ
ていた。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【創価学会に対する破折】
日開上人について
これは当時、宗内で刊行されていた機関誌『白蓮華』の広告欄に、仏具店の商標としての絵が入っていたものを掲載したにすぎません。
これをもって学会は、さも宗門が謗法に与同したかのように曲解し、誹謗しているのです。
世法上の広告と本宗の信仰とは、なんら関係のないことであり、広告をとり上げて謗法だと非難するのは筋違いです。
また、この当時『白蓮華』の発行人は阿部法運師(後の第六十世日開上人)でしたが、これは宗門における公的な職務としての発行人であって、個人的に広告料をもらっていたなどということはありません。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
�C第62世日恭
戦時中、学会に神札を受けさせようとし、謗法を容認した。また軍部の弾圧に屈し、本山
書院に神札を祭り、終戦直前の昭和20年6月に焼死。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
神札の受諾と法主の焼死
昭和18年(1943年)6月、宗門は、当局から各家庭に配布されていた天照太神の神札を
受けることを決断。牧口会長、戸田理事長らを本山に呼び、二上人立ち会いのもとで神札
を受けるよう申し渡すが、牧口会長は断固として拒否。その直後、学会幹部の逮捕投獄と
なる。
一方、宗門は本山書院のほか全末寺の庫裏等に神札をまつる指示を出し、謗法の坂道を
転げ落ちていった。仏法の因果は厳しく、昭和20年(1945年)6月17日、時の第62世
法主・日恭が焼死するという厳罰が下ったのである。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【創価学会に対する破折】
混乱の時代、正法を守り抜いた宗門
第二次世界大戦が始まる頃、日本は次第に戦時体制が強化され、軍部や政府の干渉によって、日蓮門下を一つの教団に統合するという「日蓮宗統合問題」が起こりました。
宗門は身延派日蓮宗などと合同するか、あるいは解散するかという窮地に陥りましたが、時の御法主日恭上人は、自ら断固として身延派との合同を拒否し、単立の認可を勝ち取りました。
これによって本門戒壇の大御本尊と血脈の尊厳が守られたのです。
またこの頃、軍部主導の政府は、国家神道化を強力に推し進め、仏教各宗派に対しても神道の行事を国家行事として強制してきました。
宗門においても、言論統制の厳しい状況のもと、無用な混乱をさけるために強制的な当局の命令を形式的にそのまま宗内に伝達していました。
このような異常な状況のなかで、神札問題が起きました。
その神札問題とは、政府が国家統制のために国民に配布した「天照太神」と印刷された紙片を宗内の僧俗が受け取るか否かというものです。
この問題に対する宗門の対応について、日達上人は後に、次のような回顧談をされています。
■「このとき、宗門としても神札を祀るなんてことはできないからね、一応うけるだけうけ取って、住職の部屋のすみでも置いておこうという話になったわけです」(日達上人全
集一―五―六四六�n)
宗門は無用の軋れきによって国家権力が大御本尊と御法主上人におよぶことに配慮し、さらには信徒の身の安全を思い、信徒に対して、配られた神札は一応、受け取っておくよう指示しました。
これは謗法厳誡の宗門として、苦慮の末、断腸の思いで下した結論でした。
当時、学会でも、各理事・各支部長宛に、戸田城外(城聖)理事長の名前をもって『通諜』という文書が出され、神札を粗末に扱わないよう指導したのです。
終戦直前の昭和二十年六月、大石寺の客殿は不慮の火災にあい、時の御法主日恭上人は一国謗法の責任と宗内僧俗の一切の最終的責任を一身に負われ、法衣をまとい御宝蔵にまします大御本尊を遥拝しつつ、火災のなかで覚悟のご遷化を遂げられました。
このご遷化について、後代の部外者が悪意をもって非難することもありましたが、一国の平和を願い、令法久住・広宣流布をご祈念されておられた日恭上人の深く尊いお心をも知らず、勝手な憶測をもって「厳罰」などと誹謗することは許されません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【文 証】
【合同問題に関する文証】
『人間革命』池田大作
★「猊下は、お一人で文部省を訪れた。身延との合同問題が、国家権力の強圧の下に、実行に移されるばかりになっていた。
猊下は、単身、当局に向かって『合同、不承知』をば厳然と宣言して帰られたのである。
――日蓮大聖人の、正法正義を継承する本宗は、断じて、邪法邪義たる身延をはじめ、いかなる宗とも、絶対に合同はせぬ――と。
その毅然たる態度、迫力に、役人は驚いた。
なおも猊下は、――たとい今、頸を切られてここに死すとも合同せず――と叫ばれて、ここに正宗の法水を護り抜かれて帰られた。
じつに、日蓮大聖人の、幕府権力に対決した時のお姿が、そのまま拝されるのである」(一―二六七�n)
【神札問題に関する文証】
『日達上人全集』
■「総本山において、天照大神のお札を貼ったことは一度もありません。
(中略)別に我々がその天照大神のお札を拝んだことなどありもしない。
また、実際その中(※軍部が強制的に使用していた書院)へ入って見たこともない。入れてくれもしない。
まあ借家同然で、借家として貸したんだから向こうの権利である。
そういうような状態であって、決して我々が天照大神のお札を祭ったとか、拝んだとかいうことは、事実無根であります。
(中略)
決して天照大神のお札を祭ったこともなければ、またそういう社を造ったこともない。
また、間違ってそういうことをするのを、これを謗法といって、大聖人、日興上人、日目上人の歴代において少しもそういう謗法を、本宗においてはしたこともないし、もちろん信者にそういうことを勧めたこともない」(二―五―六〇七〜六〇九�n)
【日恭上人御遷化に関する文証】
『日恭上人遺弟の追臆談』
■「大奥二階の内仏安置の部屋の処に、上人が、お姿の上体を御宝蔵の方向に向かわれ、お頭は大腿部の間にお俯せになり、『覚悟の死』と思われるお姿で御遷化されておいでになった。
この時、私は『もし御前様が避難しようと思えば、寝室の隣の部屋(内仏様御安置)に行くことが出来たくらいなのだから、北側のベランダのある部屋に御宝蔵側はガラス戸
と欄干があり、そこから空襲時の用意に常備してあった非常梯子を使って避難出来たのに』
と思った。
しかし、今にして思うと、上人は当時の幾つかの決意を覚悟するものがあったと拝するのである」(大日蓮 平成六年九月号八五�n)
【創価学会が主張していた文証】
『人間革命』池田大作
★「焼けただれた管長室には、第六十二世日恭猊下が、おいたわしくも、身を火焔に自ら焼き、端座したままの姿であられたのである。
しかも、正装であり、袈裟をかけた、お姿である。
そして、一閻浮提総与の大御本尊を、御安置した、御宝蔵の方に向かっていた。
猊下はお逃げになることは、いくらでも出来たのである。
その証拠に、数百人の罹災者のなかで、負傷者は一名もなかった。
客殿の、焼亡とともに、何故に、吾が身をみずからお焼きになったのか――凡庸の推察は、差し控えなければならない」(一―二六六�n)
『大白蓮華』
★「日蓮正宗の歴史をふりかえってみたとき、日目上人以後、大御本尊守護のきびしい時代に入ったと推察できる。
六百余年の歳月の流れの中には、直接間接にわたって、さまざまな事件、問題が起こり世の遷り変わりに影響されたり、法統をゆするような嵐にまきこまれたこともある。
しかし、いかなることがあったにもせよ、日蓮大聖人以来、六十六世の日達上人猊下にいたるまで、唯授一人の血脈相承によって、法統連綿と清浄に大御本尊が受け継がれてきたことは、不思議なことであり、大聖人の仏法の偉大さに胸うたれるばかりである」(昭和四〇年一〇月号五六�n)
【参 考】
★『通諜』戸田城外(城聖)
「学会の精神たる天皇中心主義の原理を会得し、誤りなき指導をなすこと(中略)皇大神宮の御札は粗末に取り扱はざる様敬神崇祖の念とこれを混同して、不敬の取り扱いなき様充分注意すること」(昭和一八年六月二五日付)