▼ しかし、そもそも樋田は平成17年の公場対決から逃避している。今さら「覚悟を決めて顕正会総体として臨んでこい」とは滑稽だ。
本来であれば、「あの時は逃げてしまい申し訳ございません。恥を忍んでお願い申し上げます。何とぞ、私との法論に応じてください」と、当方に懇願するのが筋であろう。

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● 前にもあった内容だが、あまりに的外れでポイントがずれた痴文だったので放置しておいたが、くどいので破折しておきますか。
君らの痴文をまず再掲してみよう。

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再掲

▼ 平成17年の浅井先生の対決申し入れの際、阿部日顕不都合のときは同等の責務を背負うことを条件として、宗門僧俗のいかなる代人でも可であったにもかかわらず、樋田は名乗りをあげなかった。
「浅井先生と首脳幹部の反省懺悔、徹底した謝罪表明、顕正会の解散、全顕正会員の日蓮正宗の帰依」を求める本気の覚悟があるのであれば、平成17年の対決に応じればよかったのだ。そうすれば、顕正会を解散させることもできたかも知れなかっただろうに。

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● ま、いかに教学部が苦しい足掻きをしているか、その苦衷をお察し申し上げる。
なんと平成17年に邪義破折班が出した文面内に、当方も含まれる。という論法。
そして、その時に、宗門の代表として、当方が名乗りを挙げて、浅井と公場対決しておけば良かったのだ。ということですか。。。。
いやはや、恐れ入りました。

そもそも、その頃には邪義破折班の文書すら読んでもおらず、というか、浅井昭衛の宗門への文書すらバカバカしくてまともに読んではおらんわ。
第一、その頃といえば、地方の一介の講員である当方が仮に名乗りを挙げたとして、宗門がそんな得体の知れない一講員に宗門の全責任を負わせ法論を許可するわけがないであろうが。
本当に、これだから困るんだよね。
顕正会幹部は。
だから、世間からも忌み嫌われ、組織内でも心ある会員からは疎まれ、面従腹背されて。
こういう社会常識に欠け、独善的で、極めて偏向的で、思考が幼稚で、頑迷で、無知で、愚昧で、、、、、
ま、君等を評するに際限なく形容できる。
だめだぞ、そういうことでは。

■ 天晴れぬれば地明らかなり、法華を識る者は世法を得(う)べきか。(如来滅後五五百歳始観心本尊抄 文永一〇年四月二五日 五二歳 662)

真の正しい日蓮大聖人の信行をすれば、君等みたいな偏向した頭(おつむ)にはならんのだよ。
いかに邪師・浅井昭衛に似てきているか顕著だな。

この、自分を正当化するためだったら、時系列など関係なく、文献を漁っては何でも引っ張り出してきて、無理矢理にでもこじつけて、相手に乱暴に押し付ける。
というところが、そっくりだな。

ああ、嫌だね〜。
これでは全うな人間は絶対に顕正会には入会したくなないよな。
また、顕正会員の中でも全うな人間は、いよいよ脱会したくなるよね。