北山本門寺で本間貫主との対論の音声起し

北山=本間貫主
法華講=樋田
末寺=末寺住職

法華講 突然お邪魔しまして恐縮です。北山の末寺で、住職にお話を伺っていたところ、「本門寺の貫主に直接伺ってくれ」と言われまして。いろいろとお聞きしたいこともありますので、宜しく御願いします。

北山 用件だけ、答えられる範囲でね。貴方、何か信仰はされているのですか?

法華講 はい。日蓮大聖人を信じております。そして、大聖人の教えが、今どこに存在しているのか―、それを求めているのです。大聖人の教えが日興上人に伝わった、ということは明確だと思うのですが、いかがでしょうか。北山さんもその御立場だと思うのですが。

北山 ああ、そうね。

法華講 問題は、日興上人に伝わった教えは、そこから一体どこに伝わっていったのだろうか、ということです。この点を私なりに調べてみますと、日興上人の書物の中に、「日目にこれを相伝す」とありましたが。

北山 ああ、それね。

法華講 ですから、日興上人に伝わった大聖人の教えは、日目という御方に伝わったのではないかと。

北山 すると、日蓮正宗・大石寺で言われている「日蓮聖人の教えは、日目に授与された」という説が、正しいのかどうか、という疑念を持たれたというわけですね?

法華講 そうです。そう考えるべきではないかと思います。

北山 日蓮正宗のことについては、詳しく勉強されたのですか?

法華講 日蓮正宗も含めて日蓮宗のことは、かなり勉強したつもりです。

北山 法華経の中では、何が一番大切なことだと思いましたか?

法華講 「妙法蓮華経如来寿量品第十六」に説かれる、文底秘沈の三大秘法だと思います。

北山 うん。それは、大変良いところをおさえていますね。

法華講 三大秘法の修行をしないことには、末法の衆生は成仏が叶わないのでは、と。

北山 そんなことはない。三大秘法が法華経の全て、奥義ですけどね。しかし、日蓮大聖人は、上下の差なく導こうとされるところに大聖人の教え、法華経の教えがある。身分の低い人、高い人…一切関係ない。私は貫主だから偉いとか貴方は俗人だから身分が低いとか、そう考えることは大聖人の教えに反する!

法華講 はあ、それはそれで良いと思いますが…。では、三大秘法とは何だ、とお考えですか?

北山 本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇でしょう。

法華講 本門の本尊…とは、どの本尊を指しますか?

北山 いや、本門の本尊ですよ。どの本尊、というわけではない。

法華講 では、いくつもある、ということですか?

北山 ひとつしかないけれども…。何が言いたいのですか!?

法華講 「聖人御難事」に「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其中の大難申す計りなし。先先に申すがごとし。余は二十七年なり。」(新編1396頁)とあります。
 この文を拝すると、釈尊は四十余年に法華経を説き、天台大師は三十余年に摩訶止観を説いて出世の本懐を遂げた。そして大聖人は、立宗から二十七年目、つまり弘安二年に、出世の本懐を遂げたもう、と御宣言あそばされていますよね。理の指し示すところ、弘安二年の御本尊を御図顕されたことが、大聖人の出世の本懐と考えられると思うのですが。

北山 日目(上人)に与えた、という御本尊を「本門の本尊」としなければならない…というのが貴方のお考えですか?

法華講 はい。『日興跡条条事』でも「日興が身に宛て給わるところの弘安二年の大御本尊は日目に之れを相伝す」(聖典519頁)とありますように、大聖人の仏法は、日興上人の「身に宛て給わ」り、その御本尊は日目に相伝する―。ということになりますと、弘安二年の十月十二日の御本尊は、日目上人に相伝されたと。御文を素直に拝すれば、そう考えられますよね。

北山 日興上人が本尊授与のお弟子を作らなければならない、というお考えは、一谷(いちのさわ)入道御書の中にありますが、法華経寿量品の文底にある本門の本尊の信仰ができる方を見定めて、大聖人の御本尊を「貴方にあげますよ」と。その中のひとりに日目さんがいた、というだけに過ぎない。

法華講 日目上人の他に相伝された方が何人もいた、ということですか?

北山 その数は…66人!いや、63人!

法華講 しかし、『日興跡条条事』では、ある一つの本尊を指しているのではないですか?

北山 う〜ん。

法華講 総別の二義においては、貫主猊下のおっしゃる、総じて「すべての弟子分に与えた本尊」を指しているのではなく、別して、大聖人から相伝された弘安二年の大御本尊は、日目上人にのみ相伝されたのではないでしょうか。

北山 貴方はそう捉えているわけですね。

法華講 文献を虚心坦懐に読んだ時、そのような論理は充分に成り立つだろうと思います。

北山 では、その他の文献もすべてお読みですね?

法華講 いえ、すべてでは…。

北山 そこに問題がある!日興上人は何のために御本尊を授与されたか、ということですよ。今、大石寺で日目(上人)授与の本尊については、いわゆる池田大作さんの系統で信仰した方達は、本門戒壇建立、国定戒壇建立の時の御本尊として示されたもの、として考えておる。

法華講 国定…?

北山 所謂、天皇陛下が法華経の信者になった暁に、本門の戒壇に掲げるべき御本尊、ということに拘っておる。

---末寺の住職登場?
 しかし、大聖人は法華経の本義を世界平和のため、人類福祉のために、妙法蓮華経の法華経本門の教えを伝えるために、末法の大導師になられた。そこが非常に重要になるわけです。天台、伝教と雖も、自行のために法華経を説いたのであり、大衆すべてのために説かれたのは大聖人より過去にはない。

法華講 釈尊は、総じて数多の弟子に法門付嘱をされ、その法体は、別して上行菩薩のみに相伝されましたが…これは仏法三世の通規ですよね。そして大聖人も、数多のお弟子の中から六老僧を定め、その中でも、別して日興上人に法体の付嘱をされた、というわけですよね。

北山 うん。

法華講 であるならば、日興上人も全く同じことをされたはずですよ。そうでなければ、仏法三世の通規が成り立ちませんから。

北山 …

法華講 六十数名の方に授与されたというのは、総じてという意味での付嘱。別してという意味においては、三大秘法という形で、誰か一人に伝わっているんですよ。

北山 唯授一人でね。

法華講 そうです。そう考えますと、「日興が身に宛てた給わるところの弘安二年の大御本尊」という御言葉は、まさに「別しての相伝」ということになりますし、日興上人が相伝をされた御方はどう考えても日目上人以外にいない、ということになると思います。

北山 ふーん…。

法華講 仏法の通規たる総別の二義では、別して伝わった方の血脈が、総じての血脈に流れ通うわけです。そして、歴史的な事実として、日目上人からは、日道上人に相伝されているわけであり、他の御方に相伝をされた、という事実はないわけですよ。そして、日道上人は日行上人に相伝されています。

北山 ああ。うん。

法華講 ということになって、結局、大聖人の本懐であった三大秘法の法体は、総じていえば富士五山、別していえば、日目上人門流に流れ通ったということになるのではないかと。古文献を研究しますと、そうとしか考えらないのですが、貫主はどうお考えでしょうか。

北山 貴方は、非常に良く勉強しておる!信仰も非常に厚い。私はおよばない。

末寺 貫主様、お話中、よろしいですか?貴方達ね、さっきもウチに三人組みが来たんだよ!大石寺の信徒で、このあたりの寺を折伏して回って、折伏運動を大展開しているらしいじゃないか!「信仰を改めないと罰があたる!檀信徒の皆さんが道に迷っている」と。そんな話をしてきたけどね。貴方から話を聞いた時は、純粋に信仰を勉強なさっており、私ではおよばないから貫主をご紹介した、しかし、貫主を紹介したのは間違いだった、大変なことをしたと思い、馳せ参じたわけでございます。貴方達の目的はよくわかりましたから、どうぞお帰りください!

法華講 私は、貫主に申し上げたとおり、今、世相がこのように混乱していて、間違いなくなんらかの邪宗がこの世に興隆しているが故に、立正安国の文のとおりに国に災難が巻き起こっている…これは、まったく同じ共通認識だと思います。その中で、正しい仏法を見極める、純粋に求めることが悪いことでしょうか?

末寺 確かにさっきの方とは様子が違うけれども…

法華講 ただ、古文献をずっと調べていきますと、やはりどのような経緯があったとしても、富士大石寺がしめしている御法門に非常に正理が通っているのではないか、と感じているところです。その上で、日頃疑問としているところを貫主に申し上げているわけですよ。

末寺 …

法華講 今申し上げていた、「総別の二義」というのは、仏法の中でも根幹をなす重要な法門だと思うんですよ。これについて粛々とご質問申し上げている。そして貫主のお考えを伺いたい。それは構いませんよね?

北山 構いませんよ。しかし貴方の研究は非常に深い。唯授一人の血脈付法の中で、日興上人の教えどおりの信仰というものを貴方は求めておる。それは非常に尊いことだと思う。しかし、日目上人に授与された御本尊だけが、万年救護の大本尊として国立戒壇の本尊とする、ということについては、違う。大聖人が書写されている百二十七点の御真筆が現存されていますよ、全国にね。それが、国立戒壇建立の時には、それが全部大本門寺に集まるわけです。その中に万年救護というのがある。この万年救護の本尊については、誰々に授与するという脇書はないのです。
「国主此の法を立てられるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」                             (御書1675頁)と。国立戒壇の霊場に相応しいものを富士山の麓に建立すると。これは、日興上人のお考えですがね。しかし天皇・国主がこの法を建てらるる時、それはいつになるかはわからんでしょう?だから、その間に我々が、どんどん三大秘法を布教していかなければならぬ。それが達成できなければ、国立戒壇云々もあったもんじゃない!
先師はどこにどのようなものを建てるべきか、詳細は「富士一跡門徒存知の事」(新編1867頁)に書いてある。大石寺は( )西ですから。「あっここだ」とお決めになったのは日興上人。

法華講 この北山本門寺がその地域の中心になるという文証は何かございますか?

北山 日興上人がそのように建てられたんですよ。1年目に大石寺に堂宇を建てて、2年目に大石の寺が建ち、3年目には「ここが国立戒壇建立の場所ではない」とお感じになられた、と思う。私は。さらに素晴らしい場所がある、ということで大石のお寺ができると、いよいよ東の方へきて、重須丸山という場所まできました。そしていろいろ場所を探り、北に天母山がありますし、南に・・すべて見通して。ここに六万恒河沙の本門戒壇、国立戒壇建立の暁には、六万恒河沙の(  )が建つという場所は、見渡す限り「ここしかない」と。そのようなお気持ちで、この本門寺を建立された。大本門寺の根源として、まず、この場所に建てなければならぬ、と日興上人がお決めになられたのです。

法華講 では、広宣流布の暁に建てられる御本尊は、どの御本尊なのでしょうか?

北山 それは、我々が決めるべきでない!

法華講 どの御本尊か、今はわからない、ということですか?2

北山 さっき申し上げたでしょう。

法華講 万年救護の御本尊ですか?

北山 いやいや…。大石寺に伝わる本尊が日目に授与す、となれば、これは授与した本人のものになる。しかもそれが血脈付法だ、と言いたいのでしょう。

法華講 そうです。「聖人御難事」の「余は二十七年なり」という御文は、どのようにお読みになられるのですか?

北山 私は、そういうことは、考えないようにしておる。とにかく大聖人のすべて、法華経本門の三大秘法は日興上人がその御心を受け継いだ。六老僧の中でも、もっともお弟子の中では素晴らしいお弟子であった。血脈付法、唯授一人というなら、大聖人は日興上人、日興上人は日目上人と考えてきたといえますが…。日興上人の願いは何であるか、それは三大秘法である!しかしそれは、あくまでも機が熟したときにこそ、です。

法華講 『時を待つべきのみ』ですか。

北山 そういうことです。

法華講 『四恩抄』には、「仏宝・法宝は必ず僧によりて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草本生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず」(御書二六八頁)とあります。仏法僧の下種三宝という形の中でしか、仏宝・法宝は伝持されていかない、というのが、三世十方の通規ですよね。

北山 ああ。

法華講 広宣流布は(   )に託す、それはそのとおりでしょう。しかし現状をみると、広宣流布は、まだとても達成できない。そうなると、仏宝・法宝は三世常住である、といっても、僧宝があってはじめて世に久住し、万年の衆生を済度せられるのではないかと。  
 ですから大聖人は、御入滅後の令法久住のために、唯授一人の血脈相承をもって、第二祖日興上人に仏法のすべてを委ねて僧の任を与えられ、その任は、日興上人より第三祖日目上人へ、日目上人より日道上人へと受け継がれている、と思うわけです。
 『百六箇抄』に「上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て惣貫首と仰ぐ可き者なり。」とあります。「末弟等異論無く」と言われていますよ。日興嫡嫡付法の貫主をもって総貫主と仰ぐべきと。この御文はどのように拝していますか?

北山 そのとおり拝していますよ。

法華講 日興嫡嫡付法ということは、日興上人、日目上人ということになりますよね?

北山 そんなことはない!

法華講 誰か他に正嫡がいらっしゃるんですか?

北山 日興上人の流れには、本六の弟子がおる。日目上人の後をついだ日道さんもここにおった。日興上人が大聖人の生御影を移してからは、すべて本流はこの本門寺が中心となっておる。日目さんは大石寺の留守番としてそこにおったのだ。

法華講 そうしますと、日興上人の正嫡はどなたになるのでしょうか。文献か何かあるんでしょうか?

北山 いや、文献も何も、日興上人第一の弟子は、寂日坊・日●上人でしょう。第二が日目上人。本六の順序ではそうなります。

法華講 でも大聖人の場合、本六の順序次第でいうと、日興上人が三番目ですよね。

北山 そうそう。

法華講 しかし血脈付法は日興上人にされていますよ。入門の順序は不次第ではないのですか。

北山 貴方はそうおっしゃるけれども…。それは当時の布教の状況、大聖人御遷化の後はどうなっておったか。身延の墓には交代で番をする人もないような状況の中で、日興上人御一人が七回忌まで御護り申し上げた。そういうことも含めて、日蓮大聖人の信仰というものは、日興上人が受け継いでおられると我々は拝するわけです。

法華講 そこまでは同感ですが。

北山 しかし身延相承、池上相承のように、唯御一人に授与するというような、そのようなことは、私は考えたくない!

法華講 『曾谷殿御返事』に「総別の二義 少しも相そむけば成仏思もよらず輪廻生死のもといたらん」とあります。別して御一人に相伝をされて、その別しての血脈が開いた形において、総じての血脈に流れ通うと。ですから、池上相承書、日蓮一期弘法付嘱書は今日に至るまで、当山に現存されていたわけですし。

北山 うーん。

法華講 その意義は、釈尊が数多の弟子の中から一人に相伝したように、大聖人も日興上人を第二祖と定めて、御一人に相伝をされた。末法万年、尽未来際まで変わらないがゆえに、『百六箇抄』が厳然と残っているのではないですか。

北山 うん、まあ、そうね。私は、日興上人の末葉として育っておりますから、そのことは、充分、私なりに承知しておるところですよ。しかし、それを強引にね、これ以外に道はない、と糾して布教してごらんなさい。どうなるか。大事なのは、『御義口伝』を拝しながら、法を広めることですよ。そして問題はどれを本尊とするかですよ。

法華講 ええ、そうです。

北山 しかし、その本尊のことになると、日目上人以外にはないのだ、という輩がたくさんおる。ここ(北山)にもどんどん訪問してくる。貴方だけじゃない。貴方はその素晴らしい頭脳をもって、これから法華経の信仰を貫いてごらんなさいよ。私は寧ろ、この富士山の元に、日本を法華経の国にすることが、第一だと考えておる。世の中の相如是、全ての相を良く見極めて、大聖人の一念三千の法を広めていくんです。広宣流布とは法を広めていくことが肝心なのです。
 しかし貴方は、「それには、日目上人の御本尊でなければならない」と言うでしょう。日蓮大聖人の相伝はそうだ、と。日興上人がそう言っておる、と。それは、よくわかる。私も言いたいところだ。身延相承、池上相承も言いたいところだ。しかし、それを言ってしまったらどうなるか!相如是が…、その教えを着目する人が今はいない。だから当山の二祖にあたる日○上人は、本六ではなく真六の第4ですから。血脈付法とすると、(  )西山、と皆分かれてしまっておりますけど。私は、血脈付法は日妙だと言いたいけれども、言ったことはない!私が言いたいことは全部、貴方と同じ考えだけれども、それを今の時代、布教する場合は、そういうわけにはいかん。
 この間も、大石寺の学林の研修会で、20人ばかり庭に来て。袈裟もなく、お参りではなく、ただ見学に来たと。私にとっても大石寺は非常に大事な寺だからね、「どうぞ上がりなさい」と。この本門寺は日興上人が開山でありながら、なぜ大石寺を去ってここにおいでになったか。根源を忘れておる。大石寺の皆さんに申し上げた。「大石寺には日興上人の御廟があるのですか」と。あるともないとも言わなかった。それは言えないだろう、ここにあるんだもの。

法華講 ええ。

北山 その大石寺の開山である日興上人の御聖廟をお参りにこないとは、どういうことだ!いかに理屈がとおっていたとしても、血脈付法といっても、本当の信行を壇信徒の前において導かなければならない僧侶がそんなことでは、広宣流布などない!どんなに正論があったとしても、憐れなものだと私は思う…。

法華講 そうですか。北山本門寺は現在、身延大本山となっていますよね?

北山 そうです。

法華講 身延は本迹一致派ですが。

北山 そうです。

法華講 日興門派は、本迹勝劣ですよね?

北山 私は、「派」というのはイヤだ!派、というのは言わない。

法華講 では日興門流…は、勝劣ですよね?

北山 そうです。

法華講 大聖人は、『知病大小権実違目』に「法華経に又二経あり。所謂迹門と本門となり。本迹の相違は水火天地の違目なり。例せば爾前と法華経との違目よりも猶相違あり。」とあるにもかかわらず、一致派を大本山としなければならない理由は?

北山 日蓮大聖人の教えに従って、日蓮大聖人の御廟にお題目を唱える教団は、在家教団、宗派は皆、末法の大導師であり、日蓮大聖人にお参りする、と。壇信徒には先祖を敬えといいながら、自分がそれに倣ってないじゃないか!

法華講 つまり祖廟を敬いなさいということですか?日興上人が弘安七年の大聖人の三回忌法要後に認められた『美作房御返事』に、「地頭の不法ならん時は我も住むまじ」とありますよね。晩年はこの御遺言を繰り返しおっしゃっていた。これは門流では、周知の事実ではないですか。

北山 はいはい。

法華講 波木井実長は四箇の大謗法を犯してしまったのですから。

北山 はいはい。

法華講 だから日興上人が離山されたのでは?

北山 はいはい。

法華講 地頭の波木井実長が謗法を犯したのだから、大聖人の魂は、「地頭不法ならん時は我も住むまじ」ですから。身延は、いくらお墓が形だけはあっても、御聖骨は日興上人が、御持されてきたのですから、今ことさらに、中身のない身延山に行く必要はないのではないでしょうか。

北山 あ〜それはね。まず昭和16年3月に三派合同があった。その合同において、先師がその当時、「宗派というものは、宗祖のもとに集まるものである」というのが国の願いだったわけです。日蓮聖人が宗祖ならば、日蓮聖人の教団として、ひとつになれという国の方針があった、と。そして、先師が、宗祖の元に集まり異体同心せよ、とおっしゃっておった。そうして三派合同に踏み切ったのです。
 地頭であった波木井実長さんに対して、日興上人は、自分の教化した弟子の謗法を追跡しないはずはないですよ。どこまでも直したい、と。その直したい熱意があのような文書になって残っておる。しかし、それを我々がとりあげて、波木井謗法だとかいろんなことを言うことは控えたい。なんとか糺したいという念願があったわけですよ。その日興上人の御心を我々は大切にしなければならん。
 波木井実長は謗法だ、だから身延は謗法だ、そんなことばかり言っておったんじゃ、喧嘩、また喧嘩ですよ!

法華講 しかし、結果として日興上人は離山されたわけですよね。

北山 離山、ということよりも、三大秘法の国立戒壇を建立するために修行に出たんですよ。身延を捨てたとは私は考えていない。

法華講 身延派では稲荷や白蛇を祀ってあったり…

北山 あ〜ダメ、それ絶対ダメ!

法華講 でも今、身延は祀ってありますよね?

北山 お参りしなきゃいいでしょ!

法華講 え〜!大本山として異体同心するんですよね?

北山 異体同心とはそんなもんじゃない!異体同心とは、「大聖人にお誓いして生きる」ということです。

法華講 謗法与同と異体同心は違うのでは…。謗法与同は戒めなければならない、しかし異体同心はする、というのは、一体…?

北山 戒めていけばいいんですよ!

法華講 稲荷や白蛇などありとあらゆるものを祀っている身延と…

北山 十戒互具の曼荼羅もいい加減にして、稲荷祀ったり、七面山、鬼子母神、あれは全部謗法!

法華講 その謗法と与同することになりませんか?

北山 信仰すれば与同になる。信仰しなければいいだろう!

法華講 こちらの北山と本末関係にあるのでは?

北山 そんなことない。日蓮大聖人の住処であった御廟がある、御開山がそこで御給仕した。しかし、その場所は道場に相応しい場所ではない、と。それからしばらく大石寺さんに居たが、こちらにまた良い場所を探し求めておいでになった。それには南条殿も協力なさっておるし。

法華講 広義な意味での解釈になりますと、いろいろな状況もありますが…。問題なのは三大秘法の法体に属するところに帰着しなければ、( )ですよ。三大秘法の本門の本尊、本尊所住の場所を本門の戒壇、という明確な定義がある限り、やはり本門の本尊は一体何か、ということが明確でなければ、不相伝といわれても仕方がないのでは。

北山 では答えます。本尊とは何か…「南無妙法蓮華経」。五字七字。

法華講 お題目、でよろしいのですか?

北山 そうです!

法華講 本門の題目は?

北山 同じです!

法華講 本門の本尊は、南無妙法蓮華経、本門の題目も南無妙法蓮華経…?

北山 本門の本尊を拝するとき、我々が修行として南無妙法蓮華経という題目を唱える。

法華講 本門の本尊たる題目は、どういう相貌のお題目ですか?

北山 一念三千の法門を基にした法華経の大小権実・本迹を捨てた、成仏不成仏の本尊。寿量品の文底にある無始無終の南無妙法蓮華経。

法華講 はぁ…。それはどこに存在しているのでしょうか?我々が実際に合掌礼拝できる形の中で、どういう姿で顕されているのですか?

北山 どこにだってあるでしょう。魂だ!考え方だ。

法華講 どこを拝んでも良いということですか?久遠下種の妙法だと自分が思えば、お茶のカップに帰命したり、空中に向かって帰命したりすることが、当山の教義ということでよろしいのですか?これは貫主猊下の発言ですから、重要な発言ですよ。

北山 重要ですよ。

法華講 久遠下種の文底秘沈の妙法が、本尊であり、それがこの宇宙にとけこんでいる、ということで良いですか?

北山 本尊とは何か、と聞くからそう答えたのだ。

法華講 本尊とは帰命の対象ですよね。ということは、何かに向かって合掌礼拝をする、そうしなければ、本尊ではないですよね。大聖人が事の一念三千の当体として御本尊を顕された御本尊が、帰命すべき本尊ということになるのではないでしょうか。

北山 それは…現存する日蓮大聖人の御真筆が127点、残っておる。どれも全部御本尊は南無妙法蓮華経です。

法華講 中央首題はそうですが。私も127点の御本尊を拝しましたが、中央首題だけの御本尊は存在しませんよね。となると、大聖人は二十七年をもって、出世の本懐を遂げ給う、と。二十七年とは、建長五年から数えると、弘安二年ですよ。大聖人は、何をされたことを出世の本懐とおっしゃったのでしょうか? 

北山 私は、そういうことも全て含め、大聖人の御書を一番の基にしている。なかんずく佐渡の63篇の御遺文!

法華講 佐渡期のみ、ということですか?

北山 いや、そんな風に貴方はね、強引に解釈するとしたら大変だよ!

末寺 もう、お時間ですから、お引取りください。お帰りください。今も、3人の方が見えて「貫主さんとの話に同席させてください」と!まったく失礼ですよ!

北山 貴方達、日興上人の御廟の前でお題目を唱えていきなさいよ。

法華講 北山本門寺の教義が未だ不明瞭ですから、そういうわけには。本門の本尊は南無妙法蓮華経、本門の題目は南無妙法蓮華経である、と。これは正式見解でよろしいのですか?もう少し、そこの違いを教学的に説明していただきたかったのですが。

北山 皆さんはどのように理解しているんですか!

法華講 本門の本尊とは、「末法の法華経の行者の一身の当体なり。」(御書 1773頁)これは人法一箇であるところの本門戒壇の大御本尊であると。これは、御書をどう読んでも、そこに行き着きます。それ以外の現存する126幅の御本尊にはならない。保田の妙本寺の宝蔵にある万年救護の御本尊も当てはまらないんですよ。

末寺 あのね、本当にね、もうお帰りください。

法華講 あの北山さんのために申し上げますが、、

末寺 いいです、結構。

法華講 もし大石寺の教えが間違っていて、北山の教義が正しければ、正しい方で信仰をしようと思って聞いておりました。しかし北山さんは、出世の本懐である日蓮大聖人の本門戒壇の大御本尊ということになりますと、非常に、不明瞭な印象を受けました。やはり第三祖日目上人の本流はやはり大石寺ではないかと、確信した次第です。

北山 はあ…

法華講 ですから、申し訳ないですが、北山本門寺の教えでは成仏はできないと思います。

北山 ははは(笑)。選時抄、法華取要抄をよくお読みになると、その問題は解決できますよ。

法華講 いつか共々に、本当の三大秘法の法体をひろめられれば、宗祖も開山もお喜びになると思いますが。

北山 宗祖・開山の元にね。正しく伝えていかなければいけないと思う。

法華講 それは同じです。

北山 貴方は、詳しい根拠をお持ちなのだから、それを広めていけばいい。

法華講 天に二日なしですよ。しかし石山が正嫡ならば、北山の法体はどこかちょっと怪しいとしか・・。広宣流布とは何を広めることが広宣流布、となるのでしょう?

北山 そんなこと聞かなくとも、あんたらわかっているでしょう。寿量品の無始無終の仏。( )の御本尊ですよ。

法華講 その本尊はどこに?

北山 十戒互具も心でしょう。諸法実相というそれぞれの中で、書き顕してくださいましたが…。心、なんですよ!

法華講 自分の心を拝めということですか?

北山 それは、貴方が実践してくださいよ。

法華講 北山本門寺の正式な見解を聞きたいのです。法体が不明瞭であれば、広宣流布も有名無実になります。もし、大石寺が間違っていて、北山に本門の法体が相伝されているのであれば、万民が納得しうる形で帰命の対象として存在していなければおかしいと思うのですが。

末寺 もう本当にお時間ですから・・

法華講 わかりました。また是非御会いしてお話させてください。

2004年9月 北山本門寺・貫主との対話

1/11