気をつけて! 浅井会長 騙しのテクニック!
顕正会員を欺き 日蓮正宗への侮蔑と憎しみを募らせる、あざとい捏造トリック!
一事が万事! 純粋な顕正会員は全部このトリックで騙されてきた!
事実をありのままに伝えない浅井会長の巧妙で卑劣なテクニック!
騙されてはいけない! 顕正会の美談の歴史も全部この手法で書かれている!

浅井会長の姑息さとはこういうところである。
この類の改竄・捏造・すりかえがあるということは、彼の著した全ての書籍の真偽が怪しい、と言わねばならない。

まずはその一例。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

基礎教学書 P270 

(※日達上人が創価学会の総会で)

 「日本国の広宣流布はいつかといえば、日本国の三分の一が入信したときこそ広宣流布したといえる。その時には、我が大石寺を、大聖人御遣命の富士山本門寺と改称することもあり得ると信ずる」 (取意、大日蓮・昭和五十年一月号)

 と述べた。
池田の指示のままに「三分の一の入信で広宣流布」とたばかり、「本門寺改称」を始めて口にしたのであった。

 この説法を承けて、阿部信雄教学部長(当時)はこう云った。
 「御法主上人猟下には、日本全民衆の三分の一が入信した時は広宣流布であり、その時、本門寺と称することもありうるという、広宣流布の一大指針を御指南あそばされました。……吾々は、法主上人の鳳詔を更に深く心に体し、本門寺実現の大目標をめざし、遇進致そうではありませんか」(大日蓮・昭和五十年一月号)と。

 「本門寺改称」の企ては、このとき宗門の「大目標」となったのである。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

↑ なんという謀り。虚偽・改竄・捏造であろう。

この日達上人と阿部教学部長の原文はこうである。↓

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

日達上人

表紙 掲載箇所 当該ページ

● 日本国全人口の3分の1以上の人が、本門事の戒壇の御本尊に、純真な、しかも確実な信心をもって、本門の題目・南無妙法蓮華経を異口同音に唱え奉ることができた時、その時こそ、日本国一国は広宣流布したと申し上げるべきことであると思うのであります(第66世日達上人・昭和49年11月17日)

阿部教学部長(後の日顕上人)

当該ページ@ A

「御法主上人猊下には、昨年十一月十七日の創価学会本部総会において、広宣流布は近きにありと高唱あそばされ、日本全民衆の三分の一が純真かつ確実な信心を持った時は広宣流布であり、またその時僧俗の関係首脳協議の上で本門寺と称することもありうるという、広宣流布の一大指針を御指南あそばされました。
(中略)
吾々は、御法主上人の鳳詔を更に深く心に体し、本門寺実現の大目標を目指し、邁進致そうではありませんか。」

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

巧妙かつ卑劣なトリックで、日蓮正宗と妙信講との昔の出来事を知らない純粋な顕正会員を、今もまだ欺き続けている。

日達上人の御指南の部分には”取意”とは書きながら

▼ 浅井歪曲発言  →  人口の三分の一が入信したら広宣流布 となる。

● 日達上人の仰せ  →  人口の三分の一以上の人が、純真な、しかも確実な信心をもって、本門の題目・南無妙法蓮華経を異口同音に唱え奉ることができた時、広宣流布

浅井会長は、日達上人の御指南 

●「人口の三分の一以上の人が、純真な、しかも確実な信心となった時こそ、広宣流布」

を巧妙にすり替えて、

▼「人口の三分の一が入信さえすれば、もう広宣流布だ」 と細井日達は言った!

と無垢な会員を洗脳して”日達上人・宗門が池田に迎合して堕落している。”と宗門蔑視するように印象操作している。

しかも、阿部教学部長の箇所については、”取意”との文言は見られず、

▼『この説法を承けて、阿部信雄教学部長(当時)はこう云った。
 「御法主上人猟下には、日本全民衆の三分の一が入信した時は広宣流布であり、その時、本門寺と称することもありうるという、広宣流布の一大指針を御指南あそばされました。……吾々は、法主上人の鳳詔を更に深く心に体し、本門寺実現の大目標をめざし、遇進致そうではありませんか」(大日蓮・昭和五十年一月号)と。』

このような発言と断定している。
とんでもないすり替え、捏造である。

組織を運営してきた人なら誰しもが実感していると思うが、「純真かつ”確実な信心”(←つまり、決して退転しない信心ってことではないか)の人が人口の三分の一以上」・・・・って、そんな強信者なんてそう簡単にできるものじゃない。
つまり、日本全国がほぼほぼ入信して様々な信仰状態の人がいて、その上で、初めて絶対に退転しないような信者が三分の一以上できるかどうか、、というような話である。

日蓮正宗公式文書でもこの「三分の一の純真かつ確実な信心」についていかに困難か以下のように触れている。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

正本堂の御指南に対する創価学会の『再お伺い書』の問難を破す (日蓮正宗時局協議会)

■ (※日達上人は)「(広宣流布は)日本国の人口の三分の一以上の純真確実な信徒が出現した時」(趣意)と仰せられ、広布を未来に託(たく)されたのであって、この御指南の容易ならざる意義を拝さねばならない。

■ 現在日本人口の三分の一以上の信徒数とは、具体的にいえば、四千万人である。
このことに関して、日顕上人は三月九日付『御指南』に、

  「このように大勢の純真確実な信心をもった人々が戒壇の大御本尊へ参詣することを考えたとき、また今日の広布の現状より考えて、純真にして確実な四千万人信徒の折伏達成の時期に思いをいたすとき、それらの推測に付随する様々な事情よりして、正本堂を、その時の戒壇としていまから断定することは難しいであろうと思います」

と述べられ、昭和四十九年以来の過去十七年間における広布展開の相を御覧になった上で、四千万信徒の折伏達成、すなわち広布実現の至難さを示され、そこからさらに正本堂を御遺命の戒壇としていまから断定することの困難さを教示されたのである。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

浅井会長はこのように巧妙に「日達上人(&宗門)は広宣流布達成のハードルを勝手に下げて創価学会・池田大作に迎合・阿諛追従している。」というイメージに仕立て上げて
「御遺命破壊だ!」としているのである。

であるから、彼の書物はその内容が客観的事実として証明できないような箇所は全て信用すべきでない。
よくよく用心し警戒して読むべきである。