金原明彦著「日蓮と本尊伝承」
▼「戒壇の大御本尊と日禅師授与本尊の首題が完全一致」 に反証す
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金原明彦氏は「日蓮と本尊伝承」で
▼「(※戒壇の大御本尊と日禅師授与の本尊の)首題の筆跡形状、大きさが完全に一致している。」
と断言している。
果たしてそうであろうか。

「日蓮と本尊伝承」 69頁
一見すると確かに酷似していると感じるかもしれない。
が、詳細に検分していくと、各所に相当の差異が発見される。
まずは首題全体を金原氏提供の画像から検証する。
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■ 首題全体の全体について
● 寸法
そもそも、金原氏提供の画像で、中央首題の算定「92センチ」と示す長さが、両本尊で差が出ている。
@日禅師本尊では「経」の真下に接するほどの「92cm」の指示線が、
A戒壇の大御本尊では「経」の字の下部に重なってしまっている。
(上図の「経」字下部を参照)
→ つまり、中央首題の縦の長さが両本尊で違うという事実が、金原氏本人が提示した図像で証明されてしまっている。
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● 傾斜の差
分かり易いように両本尊に中心軸線を入れた。
すると下図のごとく、
● 日禅師本尊の軸の方が若干左に傾斜していることがわかる。

これは写真の撮り方として被写体が傾いた状態を撮影した可能性があるとしても、両本尊の各文字それぞれを比較すれば、水平・垂直方向においては傾きのずれはほぼ見出せない。
ということは、この二つの写真そのものの傾斜角は、この図像の通りであり、両本尊の首題には上掲図のごとく、傾斜角に差異があるということになる。
金原氏はこの「軸の傾斜の差異」については全く触れていない。
もし仮に今後、金原氏あるいは他の誰かが
▼「この傾斜の差異は、板本尊造立時に、中央首題部分の傾斜角を垂直近くになるように修正したのであろう。」
という反論をしたとしても、各字それぞれには傾斜角の差異は認められないから、その反論は成立しない。
なぜなら、もし板本尊造立時に中央首題の傾斜角を垂直方向へ修正したと言うのならば、そのまま全ての文字は若干の時計回りの右回転することとなり、逆に差異なく重なり合わなくなってしまうからである。
この傾斜の差は「籠抜き=敷き写し」の模写では生じ得ない。
上図そのままが両本尊の中央首題の実際の形状ということになり、首題自体の傾斜角に差異があることを示している。
簡単に言えば、日禅師本尊中央首題は、戒壇の大御本尊の中央首題よりも、左上から右下へ若干左傾斜で認められた、ということになるのである。
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● 日禅師本尊は 「無」から「妙」「法」「蓮」 の文字辺りの軸が右に膨らんでいる。
戒壇の大御本尊の中央首題は上「南」から下「経」まで若干の左傾斜をしながら、ほぼ垂直である。
「籠抜き」で写し取ったとすればあり得ないことである。
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■ 両本尊の首題は「完全に一致」するか。
金原氏提供の「同縮尺 首題比較」の図像をそのまま活用して両首題を重ね合わせた。
赤字=日禅師本尊
右黒字=戒壇の大御本尊
@ 「南」の起筆部に標準を合わせて重ねた図
A 「経」のいとへんに標準を合わせて重ねた図

日蓮と本尊伝承 67頁
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@

A

一目瞭然 両本尊の首題は酷似はしているものの、これ程までに形態がずれていて適合しない箇所が多数箇所ある。
これでは、金原氏の主張▼「首題の筆跡形状、大きさが完全に一致している。」とは到底言えない。
特に彼が主張する▼「籠抜きによる模写」では絶対にあり得ない。
「籠抜き」=「敷き写し」とは本紙の上に薄紙を載せ、透けて見える下字の形態を直接なぞって写し取る方法である。
したがって、通常の筆写、臨書とは異なり、原本の文字の位置・大きさ・字形を直接の基準として写し取ることになる。
ゆえに、筆線の太細や細部の多少の差異は生じることは当然としても、上掲図の比較にみられるような、
● 文字の位置
● 字幅
● 中心軸
● 転折位置
● 払いの方向
等にわたる系統的な形態差を、「籠抜き=敷き写し」による単なる誤差として説明することは困難である。
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■ 日禅師御本尊の、戒壇の大御本尊との差異を一文字ごとに列挙する。
(※戒壇の大御本尊を基準に、それに比較して日禅師本尊の差異を表現した。
分かりにくいケースは、戒壇の大御本尊の形状との比較文も入れた。)
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「南」
● 「南」 第一画の横線「一」が太い。
● 外郭右上の転折部(右角)が大きく張り出している。
● 「南」字全体が横に広い。
● 左辺の縦画から左方へ長く払う部分が太い。角度も上方へ向いている。
● 「無」との間隔が約(つづ)まっている。

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「無」
● 位置が右に振れている。
● 内部の四縦画が垂直方向に引かれている。(※戒壇の大御本尊は右から斜め左下へ引かれている)
● 「無」字全体が垂直に直立している。(※戒壇の大御本尊は右上方へ引っ張られた形状)
● 左方への払いの最初から中程までの角度が上方へ向いて膨らんだ弧を描いている。

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「妙」
● 全体に若干縦に約(つづ)まっている。(戒壇の大御本尊と比較して若干横長)
● 「少」部の左払いの角度が上向きで短い
● 「女」偏 第三画の左払いの角度が右傾斜している。左払いも長い。
● 「女」偏 第三画と旁の「少」との重なり部分が妙に太い。
● 旁の「少」 第一画の縦線が垂直方向において右へ振れている。

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「法」
● 位置が右に振れている。

● 全体が横長で文字が大きい。
● さんずいの第一点目が大きく左上から入っている。
(※画像が不鮮明で読み取りにくいが、もしそうでなければ、「妙」の字の女偏の二画の左払いが長く跳ね上がっているか)
● 旁の「去」の上横線一本目が太く、右肩上がり。で尚且つ上に反り返っている。
● 旁の「去」の下横線二本目が戒壇の大御本尊より上方向から入筆している。

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「蓮」
● 位置が右に振れている。 左への傾斜が顕著。

● 一画目の横線の起筆部分が緩い。角度も右肩上がり。
● 字全体が若干小さ目
● 特に旁の車部の中の「曰」が小さく、縦に押し潰されている。
● 車部の最下横画の横線の角度がかなり下向き。
● しんにょう最終画(平捺(へいなつ)(最後の長い右払い)の角度が右下がり。

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「華」
● 位置が左よりに振れている。(「妙」 「法」 「蓮」 と右に振れていたので、「華」 で左に振れ返し、中心軸に振り戻ってきたとも言える。)
●◎ 戒壇の大御本尊の「蓮」字のしんにょうの転折部には楕円形の環状形態が認められるが、その右下にも、もう一つの円弧状の図形が観察される。
これは「蓮」の筆画ではなく、次下の「華」の草冠が、縦勢に起筆し、右回転に伴う転筆によって横勢へ移行する際に生じたものと考えられる。
ところが日禅師授与本尊の同箇所には、この環状の筆痕は認められず、縦勢から左方へハネるように転折しているように観察される。)

● 草冠部右上から左下方へ伸びる長い払いの角度がかなり上向き
● 最下横画の入筆の位置がかなり上
● 最終横画の収筆部が下方へ下がっている。

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「経」
● 一見、大きな差異は認められない、と視認したが、両本尊首題を重ね合わせてみたら、かなりの差異が認められる。
(上掲A「経」参照)
● 戒壇の大御本尊の「経」字に比して、日禅師本尊の「経」は小さい。
特に旁部が小さい
● 糸偏と旁の間隔が戒壇の大御本尊より右に離れている。
● 旁の「土」部の最終画(平捺(へいなつ)(最後の長い右払い)の角度がかなり上ずっている。
(が、下の「経」字の比較写真を観察すれば最後の右払いは、日禅師本尊はほぼ水平に運筆が開始されており、むしろ戒壇の大御本尊の同部分より下向きになっている。
上掲Aの同箇所の写真と比較すると下掲の写真とかなりの差異が認められる。
ここから分かることは、金原氏の首題文字の切抜きの精度は低い(つまり杜撰)ということである。)

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結論
両首題が酷似していること自体は否定できない。
しかし金原氏が言うようにもし
▼「首題は、本紙に薄紙を充ててその輪郭を写し取る、いわゆる「籠抜き」という方法で模写されたのであろうと推定される」
のであれば、以上提示してきたような差異は生じるはずはない。
何故なら繰り返しになるが「籠抜き」=「敷き写し」とは下の図像を透かしてその形態を直接写し取る方法だからである。
もちろん、実際に筆で書写する以上、線の太細、墨量、起筆、収筆等に一定の差異が生じることは否定できない。
しかし、本稿で確認した差異はそのような筆写上の差異にとどまらない。
● 文字そのもの位置
● 字幅
● 転折位置
● 払いの角度
● 偏旁の配置
さらに
● 首題全体の中心軸
等々文字の基本的骨格にまで及んでいる。
これらの差異を全て「籠抜き=敷き写し」に伴う誤差として処理する事は困難である。
したがって、少なくとも金原氏自身が提示した両本尊の比較写真から、
▼「首題の筆跡形状、大きさが完全に一致している」
と断定することは不可能である。