金原明彦著 日蓮と本尊伝承 の欺瞞を破す
御署名 御花押 について検証してみる。
資料として「日蓮と本尊伝承」から画像を同サイズのまま転用した。
まず第一に中央御首題に対して、御署名・御花押の位置が、両本尊では著しく違う。
下の写真は金原氏提供の写真の両御本尊の御首題の「経」と御署名の「日」の同一箇所にそれぞれ指示線を引いて位置の相違を示した。
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| 日禅師御本尊 | 戒壇の大御本尊 |
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|
一目で分かるが、日禅師御本尊の御署名・御花押は大きく左へ寄っており、
戒壇の大御本尊は中央御首題直下に位置する。
次に、両本尊の御署名・御花押を良く見比べて欲しい

「日」の形体も角度も違う。
○ 日禅師御本尊の「日」は垂直に近い角度であり、二画目の上の横線と三画目の横線の間隔が空いているが、戒壇の大御本尊の場合、詰まっているように見える。
○ 御花押の上の大きな弧を描く横線の「日」にかかる位置が日禅師御本尊の方が明かに上の位置で交差している。
○ 御署名の「蓮」字の右角と思われる部分が、日禅師御本尊では空いており、戒壇の大御本尊では詰まっている。
その他細かく言えばきりがないので、重ねてみる。

御覧ととおり、全く重ならない。
この点に関して金原氏の言い分を見てみよう。
同書 68ページ
▼ 名判だが、やはり似ているものの、両者に多少の違いが見うけられる。
これは、板本尊造立にあたって料板の大きさに合わせ、調整が施されたものと考えられる。
日禅授与本尊は、料紙の寸法に比して首題が極めて大きいし、その首題は「経」字に向かうほど右に寄って傾き、
名判は逆にやや左へ寄っているのが特徴であるが、※1「板本尊は、写した首題を料板の中心へほぼ垂直に据えており」、これに伴って、※2「名判も「日」文字が首題の真下に来るよう調整されたと思われる。」
と同時に、※3「その形状も、日禅授与の方は料紙下端一杯に大書されたために、判形の外輪がかなり歪みを見せているが、一回り大きな料板を使用した板本尊は、写し取った首題の大きさに対し書顕スペースに余裕があるため、この歪みを直している。」
すなわち、※4「模写に当たっては、首題のみを籠抜きによって写し取り、その他は、料板の大きさに合わせて、臨写によって配置調整されたと推定される。
この配置調整を伴った臨写が首題以外の文字形状のニュアンスの違いを発生させたのである。」
※5「列衆、四大天も、それぞれ個々の文字形状は日禅授与本尊のそれに極めて酷似していながらも、全体の印象がやや違うのはこのためである。」
※6「特に讃文部分は、「経」字と「花押」との空間に作為的に納めた感が強い。」
※7「もとより、日禅授与本尊の模刻が目的ではなく、戒壇堂用、あるいは本堂用の新たな御本尊造立が目的であったとすれば、敢えて完全模写を避けたとみることもできようか。」
※8「明王などは全く作者のオリジナル書体で、上下の四天の感覚が広がった分、縦長となり、この時期の宗祖のそれとは似つかないものであることは、すでに述べたとおりである。
(引用以上)
では、この言い分を一応認めて、御署名・御花押の位置を移動して重ねてみよう。
既に「日」の字の形体自体が大きく異なっているが、それでもなるべく合わせる努力して、そこを基準点とした。

御覧の通り、筆跡が全く合致しない。
ここまで検証してくると、どうやら氏の説明にはかなりの無理がありそうである。
氏の説明が果たして正当かどうか詳細に検証してみよう。
先ほどの引用文を分析する。
※1▼「板本尊は、写した首題を料板の中心へほぼ垂直に据えており」
については、既に
金原明彦著「日蓮と本尊伝承」
▼「戒壇の大御本尊と日禅師授与本尊の首題が完全一致」に反証す
において反証してある。
ここに同箇所を転記する。
転記
金原氏はこう述べている。▼「板本尊は、写した首題を料板の中心へほぼ垂直に据えており、」つまり、「日禅師本尊の首題を戒壇本尊の板に写すとき、垂直方向へ角度を調整した。」という主張である。
しかし、下のに各文字の比較写真を列挙するが、両本尊の各字それぞれには縦横の傾斜角の差異はほぼ認められないから、金原氏の説明(言い訳)は成立しない。
なぜなら、もし板本尊造立時に中央首題の傾斜角を垂直方向へ修正したと言うのならば、そのまま全ての文字は若干時計回りの右回転することとなり、各文字自体が差異なく重なり合わなくなってしまうからである。この傾斜の差は「籠抜き=敷き写し」の模写では生じ得ない。
上図そのままが両本尊の中央首題の実際の形状ということであり、首題自体の傾斜角に差異があることを示している。
簡単に言えば、日禅師本尊中央首題は、戒壇の大御本尊の中央首題よりも、左上から右下へ若干左傾斜で認められた、ということである。
さらに、両図を注意深く観察すると、
● 日禅師本尊は 「無」から「妙」「法」「蓮」 の文字辺りの軸が右に膨らんでいる。戒壇の大御本尊の中央首題は上「南」から下「経」まで若干の左傾斜をしながら、ほぼ垂直である。
「籠抜き」で写し取ったとすればあり得ないことである。 (転載以上)
つまり、※1▼「板本尊は、写した首題を料板の中心へほぼ垂直に据えており」 との主張は氏の提供した写真の検証から認められず、従って
※2▼「名判も「日」文字が首題の真下に来るよう調整されたと思われる。」
との氏の根拠の乏しい憶測も成立しない。
そもそも「〜と思われる。」など全くの氏の憶測であって、およそ厳密な検証とは言えない。
※3▼「その形状も、日禅授与の方は料紙下端一杯に大書されたために、判形の外輪がかなり歪みを見せているが、一回り大きな料板を使用した板本尊は、写し取った首題の大きさに対し書顕スペースに余裕があるため、この歪みを直している。」
この記述のどこを挙げても全て氏の憶測による推断に過ぎない。
※4「模写に当たっては、首題のみを籠抜きによって写し取り、その他は、料板の大きさに合わせて、臨写によって配置調整されたと推定される。
この配置調整を伴った臨写が首題以外の文字形状のニュアンスの違いを発生させたのである。」
↑ここも完全に氏の先入観を持った思い込みからの「推定」に過ぎない。
※5「列衆、四大天も、それぞれ個々の文字形状は日禅授与本尊のそれに極めて酷似していながらも、全体の印象がやや違うのはこのためである。」
↑ここなどは、自分の推定を根拠として結論まで断定している。実に強引かつ乱暴な論の展開である。
※6「特に讃文部分は、「経」字と「花押」との空間に作為的に納めた感が強い。」
↑自分の主観による視覚的印象をただ述べているに過ぎない。
※7「もとより、日禅授与本尊の模刻が目的ではなく、戒壇堂用、あるいは本堂用の新たな御本尊造立が目的であったとすれば、敢えて完全模写を避けたとみることもできようか。」
↑もはやここまでくると、自身の思い込みとは裏腹に両本尊の似ていない箇所に対する悲しい言い訳に見えてくる。
※8「明王などは全く作者のオリジナル書体で、上下の四天の感覚が広がった分、縦長となり、この時期の宗祖のそれとは似つかないものであることは、すでに述べたとおりである。
↑これまさに、戒壇の大御本尊が唯一、特別な御本尊であり、他の一機一縁の御真筆御本尊の違いを、図らずもその傍証を氏は発見してくれたともいえる。
さて、これほど形体に大きく差異があるのに、果たして金原氏の「説明・解釈・(言い訳)」が成り立つのであろうか。
何度読み返してみても、金原氏が自分の説を正当化するための苦しい弁解としか思えない。
むしろ元々両本尊の御署名・御花押は違うものであった、と見る方がよほど素直で自然な観察ではなかろうか。
結論
以上検証してきたとおり、御署名・花押について両御本尊で位置も形体も一致せず著しく異なる点についての氏の説明は、全く憶測による推断に過ぎず、その正当性は認められない。