●法華経とはその元意は三大秘法のことである。
三大秘法はそのまま一大秘法に括られる。
その一大秘法の体とはまさに戒壇の大御本尊である。
この戒壇の大御本尊様をそのまま御身に宛てて唯授一人・血脈相承されているのが日興上人を随一とする御歴代上人である。

【文証】

■日蓮一期弘法付嘱書   日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり。弘安五年=壬午=九月 日  日蓮 花押   血脈の次第 日蓮日興

■「仏宝法宝は必ず僧によりて住す」

仏宝法宝=人法一箇の戒壇の大御本尊に究竟せられ、その人法一箇の戒壇の大御本尊は大聖人様の出世の本懐であり、「日蓮一期の弘法」の究極の御法体である。
その御法体は、「血脈の次第 日蓮日興」として日興上人に相伝・伝持せられたが、この
「次第」 とは、=物事が行われる際の一定の順序。
という意義があり、大聖人亡き後、次の法嗣であられる日興上人は必ず「物事が行われる際の一定の順序」として
「血脈の次第 日興⇒次の法嗣(日目上人)」
とお決めになるという道理である。

更に補足すれば、この「血脈の次第 日蓮日興」との御文は、

釈尊
→上行菩薩(本地久遠元初自受用身・末法再誕日蓮大聖人←■本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本は日蓮なり。)
→日興上人

という基本形を示し、これはつまりは、

御先師
→御当代
→次期御法主

との基本の方程式をお定めになった濫觴であり、末法万年の伝持・相伝の次第は次代へ唯授一人・血脈相承で必ず伝持・相伝されていくという大聖人御自らの御決判である。

この道理は以下の御文証に依っても明白である。

■ 一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。

つまり、法華=三大秘法=一大秘法=戒壇の大御本尊 は
大聖人→日興上人→日目上人  と伝持され 御先師→御当代→次期御法主 との基本形は末法万年に向けて伝承されるのである。

であるから現時で、「法華を心得たる人」とは「戒壇の大御本尊を相伝された方」ということになり、御法主上人以外在り得ないのである。

【現証】

御法主上人こそが御本尊を書写できる。=これこそ、「法華を心得たる人」という正に「現証」である。
創価学会ですら、"日蓮正宗の御歴代上人の書写御本尊"を「本尊」としている。
これまた、「法華を心得たる人」とは、御歴代上人でしか在り得ないことを、無意識の内に認めている証左である。