▼ Sent: Friday, August 17, 2018 11:20 AM

正論が通じなければ、それまでです…ガッカリ…

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● 2018/08/17 13:07

● どこまで鉄面皮で無反省、無道心、我慢偏執の塊、我見慢心の権化、、、、、なのですかねぇ。。。

貴君のような者を大聖人はこのように破折してます。
(天台大師・妙楽大師の言葉ですが)

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■「王+此」(きず)を蔵(かく)して徳を揚げ自ら省みること能はず。是無慙(むざん)の人なり。
(中略)
「「王+此」(きず)を蔵(かく)す等とは三失を釈せるなり。
「王+此」(きず)を蔵(かく)して徳を揚ぐは上慢を釈す。
自ら省みること能はざるは我慢を釈し、無慙(むざん)の人とは不信を釈す。」 (就註法華経口伝 上 1730)

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無慙 = 罪を犯しながら心に恥じないこと。   戒律を破りながら心に恥じない・こと  自分の犯した罪を、仏の教えを破りながらもそれを恥じない心。

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まさに、三宝一体である僧宝を誹謗しながら、その罪を全く恥じない、貴君の醜く、浅ましい姿そのものですな。

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意訳
  
天台大師・文句 
自身が破折され、返答に窮した部分はこっそり隠して、自分こそ正当だと頑なに言い張り、素直に反省できない者は、つまりは無慙な者である。

妙楽大師・文句記 「返答に窮した部分は隠してこっそり摩り替え、誤魔化し、自分こそ正論だと言い張る」 というのまさに増上慢の根性である。
素直に反省できないのは 我に執着し、我を慢ずる我慢偏執の根性である。
そういう、無慙な者とは、結局は信心がない者のことである。
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ということですな。 
見事に言い当てられていますね。