▼ 2018/08/04 19:30

少し時間を頂きます。

教学の研鑽になるので、面白くなって来ました。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

● 2018/08/05 11:58

では今日は↓この痴言を切り刻みましょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼ しかしこの清流を濁らせ、濁流に変えてしまった細井・阿部管長は【僧宝】から除外です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まぁ、”体調不良”といいながら仕事に行ってるというのだからつまり鬱かなんか精神の不安定を薬でごまかしてる?
あとは不眠を薬でむりくり何とかしてる?どうせそんなところでしょう。
その上貧乏のどん底の分際で、よくも御法主上人猊下に対してこんな生意気なことが言えますよ。
身の程を知りなさい!今の自分のざまをよくよく見つめてみなさい!ということですかね。
「一切は現証に如かず」

まずは新池御書からいきますか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■ 皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が、中程は信心もよは(弱)く、僧をも恭敬(くぎょう)せず、供養をもなさず、自慢して悪見をなす。これ恐るべし、恐るべし。始めより終はりまで弥信心をいたすべし。さなくして後悔やあらんずらん。(新池御書 弘安三年二月 五九歳 1457)

↑ 浅井昭衛などまさにこの御文で破折されている通りの人生でしたね。
それに付き従う貴方も同様。だから貴方は罰だらけの人生になっているんです。
浅井昭衛は”無間地獄堕ち確定組”だから、「今生に現罰なし」なんですね。
それに正心を射抜かれて、突き従って30数年。。見て御覧なさい!自分の惨めな境界を!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次。

■ 末代の衆生は法門を少分をこゝろえ、僧をあなづり、法をいるが(忽)せにして悪道におつべしと説き給へり。法をこゝろえたるしるしには、僧を敬ひ、法をあがめ、仏を供養すべし。今は仏ましまさず、解悟の智識を仏と敬ふべし、争でか徳分なからんや。後世を願はん者は名利名聞を捨てゝ、何に賤(いや)しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし。是正しく経文なり。(新池御書 弘安
三年二月 五九歳 1461)

↑ まさに、この御文は、浅井昭衛 そしてそれに盲従する貴方にドンぴしゃりの御文ですね。
少々教学を学んだからといって慢心を起こして、御法主上人猊下を侮蔑して、結局悪鬼魔神が棲み込んでいるニセ本尊拝んで、悪道に堕ちているざまなんですよ。今。
本当に正しい信仰している者は、御法主上人を敬い、戒壇の大御本尊様へ、身口身の三業ともに御参詣しご供養申し上げることができる。
そういうことです。
貴方たちはまさに曲がった邪信をしたなれの果ての姿ですよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次は、四恩抄

■ 次に僧の恩をいはゞ、※1 仏宝・法宝は必ず僧によりて住す。譬へば薪(たきぎ)なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に※2大集経に云はく「五箇(ごか)の五百歳の後に、無智無戒なる沙門(しゃもん)を失(とが)ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明(とうみょう)を滅(めっ)せんと思へ」と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。
(中略)
然るに※3末代の凡夫、三宝の恩を蒙りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成ぜん。(四恩抄 弘長二年一月一六日 四一歳 269)

↑ またまた、貴方の慢心をばっさり斬り落とされておられる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

■※1 仏宝・法宝は必ず僧によりて住す。

↑ 日蓮大聖人の仏法は「必ず」僧によって相伝・伝持される。ということ。
この「僧」とは別しては誰だ?
唯授一人・血脈相承の御法主上人であろうが。

▼「細井・阿部管長は【僧宝】から除外です。」だって?

ふざけたことをいってるんじゃないよ!

「必ず」=例外など一つも起こらずに。まちがいなく。きっと。確かに。

少しは小学校の国語を勉強し直したらいかがか?

すると上記の御文の意義は

日蓮大聖人の仏法は、必ず=例外など一つも起こらずに。まちがいなく。きっと。確かに。御法主上人によって相伝・伝持される。  

という意義となる。

自分の痴言をよくよく読んでその教学未熟(国語力未熟か?)を恥じなさい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


■※2 大集経に云はく「五箇(ごか)の五百歳の後に、無智無戒なる沙門(しゃもん)を失(とが)ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明(とうみょう)を滅(めっ)せんと思へ」と説かれたり。

末法今時において、仮に無智無戒であったとしてもその僧侶をなんだかんだと難癖つけて悩ますものは、まさに仏宝・法宝=日蓮大聖人の文底下種の三大秘法=戒壇の大御本尊 を滅っせんとする輩である。
ということ。
この僧とは別して言えばやはり御法主上人。
その御法主上人を侮辱する貴方は、まさに仏法の大灯明である戒壇の大御本尊へ弓を弾いているに等しい。
ほんと 大馬鹿者 ですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


■※3 末代の凡夫、三宝の恩を蒙りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成ぜん。


↑  仏・法・僧 の三宝は一体である。
その僧宝である御法主上人を軽侮・侮蔑・憎悪・怨嫉する貴方は、絶対に仏道を成就できない。
つまり、成仏は絶対にできず、必ず三悪道に堕ちるのである。
死後三悪道に確実に堕ちるその先表として、今、病気・貧乏がいつまでも治らないのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次に 十法界明因果抄

■ 若し復※1是の経典を受持する者を見て其の過悪を出ださん。若しは実にもあれ若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩(びゃくらい)の病を得ん。若し之を軽笑(きょうしょう)すること有らん者は当に世々に牙歯疎(げしす)き欠(か)け・醜(みにく)き脣(くちびる)平める鼻・手脚繚戻(しゅきゃくりょうらい)し、眼目角?(がんもくかくらい)に、身体臭穢(しゅうえ)・悪瘡(あくそう)・膿血(のうけつ)・水腹(すいふく)・短気(たんけ)諸の悪重病あるべし(十法界明因果抄 文応元年四月二一日 三九歳 210)

過悪-------過罪悪業、十悪、五逆罪、謗法等。
白癩---皮膚や肉が白くなり腐る癩病の一種。
手脚繚戻→手足が曲がり自由に伸びない状態。
眼目角? ---瞳の方角が偏り、正常に者を見る事が出来ない事。
悪瘡---------悪性のできもの、腫れ物。
水腹---------腹部に濁水が充満する病気。
短気------息が詰まり呼吸が困難になること。

↑ いちいち説明の必要はないでしょう。

■※1是の経典を受持する者 ここも別しては御法主上人
その御法主上人を軽蔑し怨嫉する貴方は、これから、白癩病になるでしょう。
ただし、現代では癩病というものは医学的にほぼ克服したといっていいから、意義を取れば、現代医学では治療の方法がないような、そして罹患すると周囲にも大変に迷惑をかけ忌み嫌われる、、自分も惨め悲惨な姿となって人にも会えない。。そのような病になって地獄の相で死んでいくであろう。。ということですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まだまだ、いくらでも文証を引いて貴方の大謗法の痴言を切り刻めるが、ここで一旦止めておきますか。

謗法の毒気深入の頭で反論ができるなら、大いにどうぞ。
ますます面白くなるだけですが。