何が一番大事か 何を先に論ずべきか
● 即身成仏と申す法門は、世(よ)流布(るふ)の学者は皆一大事とたしなみ申す事にて候ぞ。就中(なかんずく)予が門弟は万事をさ(差)しを(置)きて此の一事に心を留むべきなり。建長五年より今弘安三年に至るまで二十七年の間、在々処々にして申し宣(の)べたる法門繁多なりといへども、所詮は只此の一途なり。
(妙一女御返事 弘安三年一〇月五日 五九歳 1498)
↑この御文に示される通り、人界に生まれ出でた者は須らく「即身成仏できるか否か」が最重大事であり、日蓮大聖人の弟子檀那を名乗る者は「万事を差し置いて」このことを論ずべきである。
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「即身成仏」するか否かは本尊による事
■ 夫(そ)れ本尊とは所縁の境なり、境能く智を発し、智、亦、行を導く。
故に境若(も)し正しからざる則(とき)んば智行も亦随って正しからず。
妙楽大師の謂(い)えること有り「仮使(たとい)発心真実ならざる者も正境に縁すれば功徳猶多し、若し正境に非ざれば縦(たと)い偽妄なけれども亦、種と成らず」等云々。
故に須(すべから)く本尊を簡(えら)んで以(もっ)て信行を励むべし。
(日寛上人 文底秘沈抄)
本尊が正統かつ正当なのか、それともニセものなのか。
まずこのことを徹底的に解明してから後に信行を起こしない。との御指南。
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浅井昭衛 日淳上人・英邁
第六五世・日淳上人は「国立戒壇」堅持の英邁の正師であられた。(顕正会発足五十周年記念幹部大会 浅井会長講演 平成十九年八月二六日)
■日淳上人御指南
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正しき本尊を選ぶべし
宗教はその一切が本尊によつて起りまた一切が此に帰結する。
乃ち宗教は本尊によつて、成立するのである。
よつて宗教の邪正は本尊によつて決定せられなけらばならない。
而て此の本尊に於ては正確に邪正を断定できるのである。
本尊が正しければその宗教は正しく、反対に正しくない本尊による宗教は迷信であり邪教である。
今此を以て宗教を批判すれば新興宗教が邪教である許りでなく他の宗教も邪教であることに気づくであろう。
世人は新興と既成ということによつて正邪を決してはならない。必らず本尊に於て決すべきである。
昭和二十五年四月(大日蓮)