『試練と忍従の歴史』の欺瞞
以下の発言は原本 昭和四十年五月二十五日の総幹部会 浅井昭衛発言 @ A B であるが、
どういう訳か 【 】 内は、『試練と忍従の歴史』ではカットされている。
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今回、総本山において御法主上人猊下の御思召により
▼【まして、いよいよ意義重大なる】
正本堂が建立される事になりました。
▼【戒旦の大御本尊様が奉安殿よりお出まし遊ばされるのであります。この宗門全体の重大な慶事に、】
妙信講も宗門の一翼として、講中の全力を挙げ、真心を込めて猊下に御供養をさせて頂く事になりました。実に日蓮正宗の生命は大聖人出世の御本懐であらせられる戒旦の大御本尊にてましますのであります。この大御本尊は大聖人様より日興上人へ御付属せられて以来、広布の時を待ち、歴代の御法主上人によって厳護せられて来たのであります。今までの七百年はひたすら時を待たれて御宝蔵の奥深く秘せられてまいりました。唯そのスキマもる光を拝して、一部の宿縁深厚なる信者が許されて猊下より内拝を賜っていたのであります。その御本尊様がいよいよ時を得て徐々に大衆の中に御出ましになる、御宝蔵より奉安殿へ、更に猊下の深い御思召により大客殿の奥深き正本堂へとお出ましになるのであります。
▼【その深い意義は凡下の我々のみだりに窺がう所に非ずとはいえ、容易ならぬ事であります。いよいよ大衆の中に人類の中にその御姿を徐々におあらわしになる。私共はこの猊下の御思召に同心し奉ってたとえ微力たりとも赤誠を奉りたい。先生は千載一遇のお山への御奉公だと申されております。全講を挙げて歓喜の御供養をさせて頂こうではありませんか。】
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試練と忍従の歴史 P53 (富士 昭和四〇年七月号)
↑ これは浅井昭衛が自らの発言を誤魔化し、都合の悪い過去は隠蔽・糊塗する、重大な欺瞞ではないのか?
こういう姑息で卑怯な欺瞞に気付かず、浅井の謀りに騙され続けている顕正会員こそ哀れである。