日達上人御臨終誹謗

都合良き手前勝手な「顕正会流の臨終の大事」を本気で顕正会が貫くならば、ではなぜ浅井会長の弟である浅井信衛氏の臨終相を発表せず、今に至るまで公開しないのでしょう。

多くの会員は浅井会長の弟・信衛氏が早くに亡くなっている事も知りません。

そして当時、現役で活動をされていた方の話では信衛氏の臨終は発表もなく、集会で見なくなったと思ったら亡くなっていた、と。
(昭和 51 年(1976)頃ではないかと述懐されていました)

浅井昭衛 1931年11月30日 - 


弟 ということは、1931年より後。
仮に4才若いと仮定すると、1935年生まれ。
とすると、41歳で亡くなったことになる。
概ねこの41歳前後での死去である。

日達上人の臨終について悪し様に罵る浅井昭衛と顕正会員たちは、この若死の事実は、どう解釈するのか!

罰の現証なのか?